# 22 消えゆく者脚本:面出明美/コンテ:こだま兼嗣/演出:綿田慎也/作画監督:橘佳良 いよいよ障気中和。 絵は、ナタリアやティアがとっても可愛かったです♥ 障気中和前のアッシュの顔は怖かったです。彼の追い詰められ荒んだ、その時点の心境が良く出ていた。
SD文庫小説版の脚色が好きな人は、きっと大満足したんだろうなと思いました。 それと、ガイがルークを殴らなかったのは至極残念でした。障気中和前の一番盛り上がるところだと思ってたのにぃ。
以下は重箱の隅ツッコミです。前回分から引き続き、グダグダです。読みたい方だけどうぞ。 アバンは本編のはみ出し。 アッシュを追って、レムの塔の階段を駆け上るルークたち。 #先頭のルーク、階段の合間の水平なスペースに立ち止まって、両手に膝をついて苦しそうに あり。ジェイドがおちゃらけない…。 原作だと、階段を上る前には「年寄りにはキツイですねぇ」なんて言って、ジト目のルークに「軍人だろ、あんた……」と突っ込まれたり、階段の途中で若者たちがゼェハァ言ってる中、一人だけケロリとしてて、それを指摘されると「いえ、生まれつき体が弱いので……げほげほ」と白々しく咳き込んでみたり。原作フェレス島でも似たようなことを言ってて。自らを年寄りだと茶化しながら誰よりも強いというのは、ジェイドの定番ギャグの一つ。条件反射的に、ここでジェイドがおちゃらける! と思ったのに無くて、なんか調子が狂う〜。
アニメオリジナル要素として、漆黒の翼とギンジとノエルが、バリケードを作って、レムの塔に入ろうとするレプリカたちを止めていました。一万人いなければアッシュが障気中和できないからかな。
ナタリア「はぁ、はぁ……。急ぎましょう。……あっ」 ルークの「あいつは死んじゃいけないんだ!」という言葉に、何かを感じ取った様子のティア。 賞賛や感動ではない表情でハッとし、ルークたちが進んでも立ち止まって、少し不吉な印象を醸し出していましたので、アニメでもちゃんと、《ルークは卑屈になり、自分はレプリカだからオリジナルを生かさねばならぬと思い込んでいる》ことを示そうとしてるんだな、と思いますが。 でも、解り難い気がします。散りばめた伏線が繋がらず、点になっている。 私がアニメ版に最も期待していたのは、レプリカ編のルークの感情の流れを明瞭に、強調したり補修したりして、誰にも解り易い形に鮮やかに描き出してくれることだったので、原作以上に不鮮明になったように思われて、残念でなりません。
Aパート。 アバンタイトルの時点では障気でどんより紫に曇っていた空が、何故かまた青くピカピカに晴れています。 これはSD文庫小説版の脚色を基にしているのでしょうか? 今度は昇降機を使って、ついに最上階にまでたどり着いたルークたちは、青空が広がっているのを見てその眩しさに目を細めた。 この小説では、塔の上には障気がないことになっています。障気は地表近くにだけ溜まっていて高所にはない、レムの塔はそのくらいとんでもなく高い、という認識らしい。 原作では、塔の 私はこの脚色が嫌いでした。原作では、障気中和した時に初めて塔の上の空がパーっと青く晴れる。泣きたいほど美しく、目に染みる青さに感じられたのは、それまでずっと陰鬱な空だったからこそです。中和前から青空だったのでは感動が台無しじゃないですかっ。(ぷんすか) んが。アニメ版が、その嫌いだった脚色を忠実に再現してくれやがっちゃっておりますよ。塔の頂はピカピカ青空。しかしディスト来襲シーン等の俯瞰カットを見るに、地上は障気に覆われて紫に沈んでる。まさに小説設定そのまま。 なんでじゃああ!! ……うぇえええん。
それとも、アニメ版では障気は出たり消えたりを自在に繰り返すよーなモノなのでしょうか。この後ダアトに行くと障気は出てません。翌日にレムの塔に戻っても、昨日来た時とは打って変わってキラキラ青空。なのに障気中和を始めると唐突に原作ママになり、バチカルもレムの塔も、惑星全体が濃い障気に覆われていました。アニメ製作スタッフさんの考えていることが解りません。本気で解りません。 まさかと思いますが、後でCGフィルター掛けて障気が出ている画面に仕上げるつもりで、うっかり忘れてたとかいうオチじゃないですよね。(^_^;) 無論そんなことはなく、話し合って決めた結果なのでしょうが、あまり好ましく思えないです。障気で世界が滅びに瀕してる、ルークが命をかける以外に対処法がない、ってとこまで状況が追い詰められているように感じ難い。
原作では、イオンの死の頃から世界は障気に覆われています。これは、プレイヤーを陰鬱な気分にさせる効果をもたらしていたと思います。 導師の死と 障気に覆われた不快な世界は、民衆の不安をプレイヤーに直に伝えてくる。そしてそれは、主人公(プレイヤーキャラ)たるルーク自身の悩みと不安に、ぴたりとシンクロしていたと思うのです。 だからこそ、障気中和時にやっと、空がパーっと青く晴れることに意味がある。それはルーク自身の悩みが晴れた瞬間でもあるから……少なくとも私にはそうでした。
アニメ版が障気の発生を遅らせ、発生後も局地的にして、極力暗い画面を描かなかったのは、きっと商業クリエイターとして考え抜いた理由があるのでしょう。原作通りにすると第19話から四回分、一ヶ月も暗い画面になってしまいますし。 でもせめて、障気中和を扱う前回と今回の二回分だけは、ずっと障気で曇った陰鬱な空にしてほしかったです。無論、塔の上も。ワガママな視聴者の勝手な思いとしては。
さて。カメラは塔の頂の円形広場を映す。頭上には美しい青空が広がり、アッシュがレプリカたちに取引を持ちかけています。 原作は塔を登る途中で階段が途切れ、上昇してきた昇降機に乗り移り、そこでディストとの戦闘になります。また、昇降機に乗っていたガイの姉のレプリカが、アッシュに障気中和の犠牲になるよう持ちかけられたと話すのに、一緒に塔の頂に到着するとアッシュが待っているという、ちょっと混乱する状況が発生するのですが、そこら辺は整理されていました。ルークたちは階段でまっすぐ塔の頂に登り、アッシュがガイの姉のレプリカに取り引きを持ちかけている現場に踏み込む。そこにディスト来襲、と。
ルークとナタリアが真っ先に広場に駆け込み、ナタリアはアッシュにしがみついて思いとどまるよう説得。アニメ版はボディタッチが多くてドキドキ。ここまで想ってくれる人がいるっていいよね。原作にあった、「
一方ガイは、姉のレプリカに「姉上!?」と呼びかけたものの、「……我はお前の姉ではない。我は8-027だ」と淡々と否定されて、悲しげに黙り込む。うんうん。ティアやアニスも、フリングス将軍やイエモンら、鬼籍の知人のレプリカを前に、改めて胸を突かれている様子。こちらはアニメオリジナル描写。
そこで、空から落ちてきた光が塔の頂に激突。現れたのはロボット型譜業兵器カイザーディストXX。(ただし、プロペラが付いてない。) この際の衝撃で吹き飛ばされたミュウを、ガイの姉のレプリカが無表情で受け止めてやるという、遊びゴコロあるオリジナル要素が挿入されていました。 原作だと、カイザーディストは登場と同時に何人ものレプリカをバルカン砲で射殺しますが、それはカットです。 カイザーディストの丸いボディが真ん中から縦に割れると、中にはいつもの飛行椅子に座ったディスト。
原作ディストはカイザーディストに乗っていません。どうも脚本段階では乗っていたらしいのですが、何かの都合で実現できなかったらしい。それを踏まえたようで、本編ドラマCD版やSD文庫小説版ではそれぞれ独自な形で、ディストがカイザーディストに乗って操縦している形に脚色してありました。 本編ドラマCD版のカイザーディストは何人も乗れるような巨大飛行メカらしく、ディストの死後に改造して飛晃艇にしてました。SD文庫小説版の方は、背中のハッチからディストが椅子ごと出入りしていました。 けれど原作画面を見る限り、カイザーディストはボールのようなボディが真ん中からギザギザに割れる構造らしく。そこにディストが椅子に座ったまま入って、ガシャッと閉じて起動、って感じかなぁと想像してきましたが、アニメ版が全く想像通りで嬉しかったです。おおっ!
ディストが現れるなり、前口上を待たずに、すぐにルークとガイが剣を抜いて斬りかかったのは、軽いパターン破壊で面白かった。 それから。譜術を使うジェイドの姿がたっぷりと映されたのですが、変に女性的・耽美的な絵柄にされておらず、ちゃんといつもの男性的絵柄で、でも綺麗な感じで、とても良かったです。
原作では、ジェイドは戦闘開始前に淡々と「さようなら、サフィール」と言います。そして戦闘後、ボロボロになったディストがカイザーディストの自爆ボタンを押すと、ルークが烈破掌で空に吹き飛ばし、爆散します。 対してアニメ版では、ジェイドが戦闘終了後に「さよなら。サフィール」とボソッと言う。ディストが自爆ボタンを押すくだりはなく、ジェイドの放った第一秘奥義・ミスティックケージで、カイザーディストが光の
『電撃マ王』'09年4月号の記事にて、アニメ監督さんは、アニメ化で特に苦労した点は戦闘シーンだとコメントしておられました。ゲームでは各プレイヤーが自由に楽しむ部分を、どうドラマチックに見せるか。『マ王』漫画版を参考にすることもあった、と。 しかし漫画版の進行はとうに追い抜いています。ここで参考にしたものがあるとしたら、別の……? アニメ版ディスト最終戦は、カイザーディストがジェイドの譜術でベキベキと圧壊していく点はSD文庫小説版を、ディストがピンチに陥ると子供時代の回想が入る点と、爆散後に「さようなら、サフィール」とジェイドに言わせて締めた点は、本編ドラマCD版を参考にしている……もしくは、同方向の脚色だと思いました。 SD文庫小説版の独自アレンジ、《自爆装置を押そうとしたディストの腕をジェイドが槍で切り落とす》が採られてなくてホッとしました。アレ怖かったから…。 また、戦闘前の《ディストは、今のジェイドは
ジェイドの「さようなら、サフィール」を戦闘終了後の締めに使うアレンジは、確かにとてもカッコいい。ピタッとキマっています。でも少し残念でした。 ファンブック『キャラクターエピソードバイブル』には、原作ゲームのメインシナリオライターさんによる外伝小説が収録されています。そこで「さようなら、サフィール」という台詞の意味が説明されていたからです。 ディストは幼い頃から天才ジェイドを崇拝し、一番の友人の地位が欲しくて追いかけ続けてきました。ジェイドはずっと冷たかったのですが、彼を追って入ったマルクト軍でフォミクリーの共同研究を続けるうち、ようやく、仕事が終わって帰る際に「では失礼」だの「ごきげんよう」だのと、人並みに声をかけてもらえるようになった。同じ目標を持つことで随分近付けたと喜んでいたのに、ある日、ジェイドはフォミクリー研究の打ち切りを宣言。ディストが断固反対すると、一言を残して立ち去ったのです。「さようなら、サフィール」。
原作では、ディストが「フォミクリーでネビリム先生を蘇らせ、あの時代を取り戻そう」と誘いをかけると、ジェイドは否定して「さようなら、サフィール」と言う。それを聞いたディストは全身の力が抜けるほどの衝撃を受けて椅子に崩れ落ち、次いで激怒して襲いかかってきて戦闘になります。どうしてディストはそれほど衝撃を受けたのか。それは過去のトラウマがあったから、だったのでした。 戦闘終了後の締めにその台詞を移動させた本編ドラマCD版が出た頃は、まだ『エピソードバイブル』は発売されていませんでした。けれどアニメ版は、その辺をちゃんと踏まえた演出になってるんじゃないか? 過去に発表された関連物全ての延長線上に立ってくれるんじゃないか。そう期待していたので。ありゃりゃ…と、肩透かしな気分。ぐうぅ。
ディストが「モースは迎えになど来ない、お前たちを始末する」とレプリカたちを嘲った後の展開に、原作とアニメ版の方向性の違いが出ていました。 アニメ版では、まずルークが激怒。仲間たちも明快なレプリカ擁護・平等の意思だけを口にして怒ります。 (アニメ版) 原作の仲間たちだって、勿論そう思っています。オリジナルもレプリカも平等であるべきだと。ディストが殺戮を始めるとレプリカたちを庇い、戦っていました。でもここまで明快な、一つの価値観のみの提示は行いません。 (原作) と言うのも、あまりに大量に誕生し過ぎたレプリカのため世界が混乱し、オリジナルの人類の居場所や命すら脅かされているという、深刻な現実があるからです。ここにも、複数の視点の提示という、原作の特徴が表れていると思います。 そしてまた、直後に障気中和エピソードを控えているためでもあるでしょう。ルークがどん底に落ちて自己否定していてこそ、障気中和の動機になるから。
アニメ版はレプリカ問題を一切取り扱いませんでしたし、レプリカたちを弱者・被害者としてしか描きませんでした。自分たちは天の大地へ迎えられると約束されているから、一方でオリジナルが消されて死ぬことになろうと知ったことではないと言いきった傲慢さも、レプリカ情報採取の影響で亡くなったオリジナルの存在も消しています。尺が足りないからでしょう。 でも、ルークを凹ませるだけなら可能だったし、やってくれてよかったのになぁとは思いました。ルークの心情を強調して見せてほしかったな。
絶望したレプリカたちに向かい、アッシュが取り引きを再開します。塔に辿り着いていないレプリカたちに住処を与える代わりに、ここにいるレプリカ全ての命を差し出せと。 原作では、ガイの姉のレプリカが「考えさせて欲しい。我と同じく自我の芽生えた者たちと話し合って決めたいのだ」と言いますが、アニメ版ではアッシュが「時間をやる。お前たち自身が決めろ!」と言っていました。 ……変なの。第9話のルークへのオリジナル台詞「お前は自分が何をしたか、何をすべきか、自分の頭で考えろ」もそうでしたが、アニメの製作スタッフさんは、アッシュがレプリカに自立や自主性を求めている、教育者のような人間だと解釈してるんですね。 アッシュがルークの短所に苛立っていたのは、彼にとって身代わりの人形だったからです。別個の存在と認めて将来を心配してやったからではない。レプリカルークは自分自身だから他人事ではなかった。情けない真似をされては自分の恥になる。(また、居場所を奪われた怒りもある。俺の居場所を取ったくせに、こんな屑だなんて…と。)少なくとも、ゲーム版の製作者インタビューではそのように解説されていました。 物語上、アッシュがレプリカルークを別個の存在と見なし自立性を認めたのは、エルドラントでの決闘が済んでから。それまではレプリカは模造品だとみなしていて、少なくとも自立性を求めてはいなかった筈です。そうでないと物語が成り立ちません。 つーか。アニメアッシュ、俺はレプリカたちの自主性を重んじるぞ〜と言わんばかりでしたけど、彼らが「否」と決断したら大人しく引きさがる程度の気持ちだったのでしょうか。何が何でも説得して障気中和をやり遂げよう、この命が消える前に、という覚悟だったんじゃないのでしょうか。 レプリカの自主性を尊重した台詞はカッコいいです。そして原作アッシュだって、レプリカたちが申し出たら、ちゃんと考える猶予を与えましたよ。「俺には行かなきゃならない場所がある。俺がここに戻るまでにおまえたちの総意をまとめておけ」って。でもアッシュの方から「お前たち自身が決めろ!」と、教育者みたいに言っちゃうのは、なんか違うと思いました。話の方向性が。
原作アッシュの言う《行かなければならない場所》とはダアト。そこには丁度、国際 しかしアニメ版は簡略化せざるを得ませんので、アッシュはレプリカ保護を口約束しただけ。首脳に連絡を取ることはなく、宝珠探索も投げ出した形になってしまいました。あらら。まー、ほっといてもナタリアやルークがなんとかしただろうけどさ…。
場面はダアトの教会に変わります。夕方で、障気は全然出てません。 ダアトの教会に三勢力の首脳――インゴベルト王、ピオニー皇帝、詠師テオドーロが集まっています。明言されてませんが、原作同様に国際会議が開かれてたっぽいです。 アッシュにそんなことをさせないでと、ナタリアが父王に必死に訴えますが、首脳陣は他に手段はないと既に諦め気味。ピオニーがジェイドに意見を求めます。すると彼は、私はもっと残酷な答えしか言えないと言う。とうとうルークに障気中和のお鉢が回ってきましたよっと。 ガイに「生きることを考えろ」と叱られ、少し考えさせてくれと言ったところでAパート終了です。
待ちに待っていた障気中和エピソードの本番に突入。 間尺はたっぷりでチャカチャカ会話には全然なってなかったですし、原作ファンのために丁寧に、頑張って作ってくださったんだろうなと思います。 思うけど、世の中ってままならないね。(T_T)
Bパート。 障気中和前の個別イベントの再現性は、以下の通り。 ガイ→ ナタリア→ アニス→ ジェイド→ ティア→
ガイが「障気なんてほっとけ!」と言ったり殴ったり、誰よりも感情的にルークを止めようとしたくだりが、ほぼカットされたのはしょんぼりでした。 ティアもガイも、命を捨てて障気中和するルークを認めたくない点は同じ。そのうえでどう行動したか。 ティアは、障気中和前は理性を強く出し、ルークの意思を尊重して止めないと言った。けれど障気中和時には感情に支配されて、ルークに飛びついてでも止めようとした。 ガイは、障気中和前は感情を強く出し、ルークを殴ってでも止めようとした。けれど障気中和時には理性を働かせて、ティアを捕まえてルークの意思を尊重させた。 ティアとガイの言動は対になっていて、愛する者を見送る際の人間心理のシミュレーションのようです。あくまで己の傍に引き留めるか、相手の意志を尊重して行かせるか。どちらが正解ということではなく、二人ともその間で揺れている。両方揃っていてこそ意味があり、面白かったのになー。
ルークの動機を伝える、自己否定・死を容認する系統の台詞は、全てがカットされていました。自死に関わるデリケートな要素だからでしょうか。 カットされた、けれどルークの動機を知るには重要だと思う台詞 ピンポイントで削除しているので、障気中和の意味を変えたい……いや、曖昧にしたいのかなと感じました。TV番組の限界? ここを特に明瞭にしてほしかったので、物凄く残念です。 とは言え、六割くらいの確率でSD文庫小説版の解釈(自己確立のためなどではない。ただ、人々を守りたいから身を犠牲にして障気中和する、という奴)が採られるのではないかと恐れていたので、そうならなかったことは、すごくホッとしました。
再びレムの塔へ。やっぱりピカピカ青空です。 原作とちょっと話運びが違います。 原作では、ナタリアとガイが「本当にオリジナルのために消える気なのか」とレプリカたちに辛そうに訊ね、ガイの姉のレプリカが「それしかない。そう悟った。いや、そう決めたのだ」「 対してアニメ版は、ナタリアが「やはり駄目です。あなたたちが犠牲になるなんて」と止めて、ガイの姉のレプリカが「我らは、 ……アニメ版、少し変ですよね(笑)。だって障気中和はローレライの剣がないと出来なくて、それはアッシュが持ってる。原作では、ルークはレムの塔の頂に戻るとまず「アッシュはまだ来てないのか……」と確認するのに、アニメ版ではアッシュを無視して障気中和しようとした様子でした。レプリカたちが集まりだしたら仲間たちがすんごく辛そうにして、ミュウやアニスは泣いてたし。はっはっは。
美しい青空の下、アッシュはルークの襟首を両手で掴みあげて、さっさと離れろ、俺の代わりにお前がローレライの解放をするんだと怒鳴りつける。 ここの台詞回しでも、ルークの自己否定要素を薄めてありました。 (原作) (アニメ版) 「ここで死ぬのは……いらない方の……レプリカの俺で十分だろ!」「俺を馬鹿にするな!」という会話は、パッと聞いた瞬間は意味が分かりづらいのかもしれませんが、ぜひ残してほしかった。ルークがいかに卑屈になっていたか。そしてアッシュがルークを自分自身とみなしていたことが、はっきり出ている会話だからです。残念です。
アニメ版は会話の方向を変えていて、アッシュに時間がない(もうすぐ死ぬ?)こと、ジェイドがその事情に心当たりがあるらしいことを強調しています。 原作ジェイドは、この時点ではまだ、アッシュとルークのコンタミネーションに気付いていません。 しかしアニメジェイドは、前回のファブレ邸での邂逅時点で、アッシュに体調はおかしくないか尋ねていました。既に、かなり確信に近いレベルで疑っていたようです。そして恐らく、ここでアッシュの言葉を聞いて確信に至ったはず。 そうすると、ジェイドがここで「残すなら、レプリカより 原作ジェイドは、確信後にルークに、内容は黙ったまま「今度ばかりは私のはじき出した答えが間違っていればいい、と思います」「あなたは私の想定外の事をやらかしてくれますから、もしかしたらとは思っていますがね」と言う。それがラストシーンの悲しげな表情に繋がります。でもアニメジェイドは、そうした個人的な感情をほぼ見せませんでしたね。ルークに肩入れするのは不平等だから、とか?
ルークとアッシュがローレライの剣の奪い合いをする。アニメルークはアッシュの顔に肘鉄を打ち込んで奪い取ってました。ちなみに原作ルークはボディに蹴りを入れてましたよ。
障気中和直前。幾つか演出が加えられていました。 アッシュはジェイドに拘束されて暴れていましたが、「残すなら、レプリカより ティアは、原作では両手で頭を抱えて「ルーク! やめて!」と叫びますが、アニメでは「ルーク!!」と絶叫し、抱いていた可愛いミュウを投げ捨てて(!)、ルークに駆け寄ろうとします。 その後は原作に非常に忠実でした。
小説版もドラマCD版も、アニメ版も。現時点で発売されているどの商業二次でも、障気中和中のルークの独白は原作ママで使用されています。 (……死にたくない。死にたくない! 死にたくない! ルークはどうして「誰のためでもない」と言ったのか? どういう意味なのか? 私は、これがルークが《変わった》最後のターニングポイントであり、ここで得た気持ちが、ヴァンに向かって告げた最終結論に繋がると思っています。
SD文庫小説版のルークは、障気中和後になっても、劣化レプリカの自分はアッシュの露払いをするくらいしか価値がないと思い、死を目前にしたら生まれた意味の探求なんてくだらないことだったと結論付けていました。 本編ドラマCD版のルークは、障気中和前に「俺とお前は違う、お前の付属品じゃない」とアッシュに言い、なのに続けて「お前より劣化している俺は価値がないから消える」と言い。障気中和後は、「自棄になっている訳じゃない。でもやっぱり俺はレプリカであいつはオリジナルだから譲らねば。孤独なアッシュは生きているとは言えなくて可哀想なので、幸せにしてやりたい」と結論付けていました。(そしてアッシュの方も、親切にしてもらって心開き、ルークに自分の命を譲り捧げたという、《譲り愛》な展開。) これら二種の商業二次は、《レプリカルークは、オリジナルと比較するしか自分の価値が見えず、オリジナルに尽くし譲ることに自己価値を見出した》という結論に至っているのです。 しかし、ではどうしてルークは障気中和時に「誰のためでもない」と言い、その後アッシュと対峙する度に「俺とお前は違う、俺はお前の代替え品でも付属物でもない、俺は俺であると決めた」と言い続けたというのでしょうか。そこを、SD文庫小説版もドラマCD版も無視していました。
原作をどう解釈し、どうアレンジを加えて二次作品化するかは、各作者さんの判断に任されています。が。複数の媒体で、こうもかけ離れた場所に着地されてしまうと。 自分ではそんなつもりはないけれど、私は『アビス』という物語をとんでもなく曲解しているのだろうか? と、心もとない気持ちを抱かされたものでした。 アニメ化を知った時も、期待と同時に不安を感じました。原作の忠実な再現を目指し、原作メインシナリオライターさんの監修済みだと言うのですから。ここで提示される解釈が《正解》なんだろう。自分が大馬鹿者だという現実を突きつけられるのかもしれない、と。
ルークは、「誰のためでもない……俺は生きていたいんだよっ!」と独白しました。 自己犠牲は、簡単に否定してしまえるものではありません。それだけの状況と覚悟があるはずですから。「誰かのために命を捨てる」というのは尊い行為で、美しくもある。しかしルークがそれを行おうとしたのは、そこに自分の価値を求めたからでした。 世界を救う。世界の役に立つ。世界のため誰かのために身を尽くし、役に立つことで、必要とされたかった。自分の命に意味をつけたかった。 でも。誰かの役に立たなければ存在を許されないのか? 必要とされなければ、特別な意味がなければ、生まれて生きる資格はないのか? 原作の最終決戦時、ルークは、それまでずっと依存してきたヴァンに言います。 「あなたは言いましたね。『何かの為に生まれなければ生きられないのか?』と。誰かのために生きているわけじゃない。いや、生きることに意味なんてないんだ。 誰の認可も、何の資格も要らない。居たい場所で生きることに条件があるとしたら、「ここで生きていたい」と自分自身が思うこと。死を目前にした瞬間、ルークはそう気づいたんだと、私は思いました。
ちなみに、『アビス』は自己犠牲そのものを否定してはいません。《誰かのためであるからこそ、人は命さえ賭けることができる》という価値観を、イオンの死やアリエッタの決闘、リグレットの最終戦で示しています。リグレットの得た答えとルークたちが掲げた答えは違う。けれどどちらが正解ということはなく、真逆でもない。角度と信念が違うだけ、という話。
原作はエピソード量が多すぎて、ルークの思考の流れが中断されることがあり、解り難さを呼んでいたと思います。なのでアニメ版には、そこを美しい線にして、ルークの心を追い易くしてくれることを期待していました。でもそんなことは無かったぜ。無念でした。
障気中和に失敗しかけたルークにアッシュが協力し、《二人のルーク》によって、(いつの間にか惑星全体を覆っていた)障気は消滅。原作のCGアニメーションパートとそっくり。
原作では、ルークとアッシュは剣を水平に持って障気中和します。中和後、何故かローレライの剣は消えていて、倒れ伏す二人の手は剣の柄を握っていたままの形。手を繋ぎ合っているみたいに見えました。(その筋のプレイヤーは大喜びしたところ?) 対してアニメ版では、ルークとアッシュは床に突き立てた剣で障気中和。中和後も剣は消えず突き立ったまま。倒れている二人の手は繋がっていませんでした。
消滅していくガイの姉のレプリカに、ナタリアとガイがレプリカ保護を約束する。 原作ではアニスも約束するのですが、カットでした。偶然かもしれませんがSD文庫版小説と同じアレンジです。 ここでナタリア、ガイ、アニスの《三人》がレプリカ保護を約束するのには意味がある。ナタリアはキムラスカ代表、ガイはマルクト代表、そしてアニスはダアト代表だという意味が。 …そう私は思っているので、どうしてアニスをカットするのかと、残念でなりません。小説版で読んだ時も不満でしたが、アニメでもそうなるなんて……。尺が足りないとしても、ガイやナタリアが誓う背後で頷く絵を入れるくらいは出来たんじゃないかなぁ。
起き上がったルークが呆然と自分の両手を見ると、左手が金色に光って透き通ったのでぎょっとする。そこにティアとミュウが来て、ルークは咄嗟に両手を背中に隠す。 この場面、原作は分かり難いというか、変なんですよ。ルークが両手を見るけど、それが透き通る処理をしていません。なので、どうしてルークがパッと背中に隠したのか、意味が分からない。 レムの塔を出る時にルークが(……腕が透けて見えた。あれは一体……)と独白するのと、《ルークの日記》に「俺の手は確かに消滅しかかっている。」とあることから、手が消えかかっているのは分かる。でもどんな風に消えかかっているのか、原作の画面では分からないのです。 原作でルークの手が消える唯一の場面は、障気中和中、がくりと床に突っ伏したルークの左手がアップになり、明滅するように消えていくものしかない。ですからファミ通文庫版小説では、ルークがそこで自分の手が消えたのを見て不安に襲われた、としています。
この場面には、ちょっとした思い出があります。自分がサイトの同人二次創作でこの場面をノベライズしたとき、これはやはり、起き上がったルークが自分の両手を見た時に、透き通って見えてハッとする、という風に描くべきだよね、脚本的にはそのつもりなんだろう、と考えてそうした。(今回、アニメ版が自分が抱いたイメージ通りの画面だったので、解釈間違ってなかった、とホッとしました。) で、その時点では、例の《障気中和中に左手が消えかけた》イメージが強かったので、左手が透けた、という風にノベライズしたのです。 が。その後『エピソードバイブル』が発売されまして。原作シナリオライターさんの小説には、こう書いてありました。 ただ1つ不可解だったのは、意識を取り戻した直後、自分の両手が透けたように見えたことだ。 消えてたのは両手だったのか! ビックリして、慌ててノベライズを修正しました。 そんな思い出があったので、アニメ版がルークの左手しか消さなかったのを見て、あれ…? と思ったのでした。ディスト戦の「さようなら、サフィール」もそうでしたが、『エピソードバイブル』はあまり参考にされてないみたいですね。
場面は飛んで、ベルケンドの宿のロビー。精密検査を終えたルークが入って来て、仲間たちの中からティアがサッと立ち上がると、心配そうにルークに近づく。 この辺り、原作は時間軸どおりに場面展開しますが、アニメ版は少し捻って、ルークが嘘をジェイドに見破られた後に、回想で、医師に告知された場面を挿入していました。サクサク進む感じで良かったです。
原作ではルークとジェイドの会話をミュウが足元で聞いていて、この後、ジェイドの勧めでルークを休息させるべくバチカルに帰った時、ミュウがティアに打ち明ける。 その辺を圧縮し、ミュウを抱いたティアが二人の会話を盗み聞きしていた、という形にしてありました。 結果的に、「ティアさんに秘密のお話ですの」「なんだよ、秘密の話って……」「ご主人様には秘密ですの!」「なんだと!」「ふふ。じゃあ、お話を聞いてあげるわね。ルークは休んでいて」「わかったよ! 俺は邪魔者だよ!」のやり取りが消滅したのは、少し残念かな。
顔に暗いボカシ影を落としてティアが俯き、抱きしめられたミュウが悲しげに涙を浮かべたところで、今回は終了です。
今回の総論。
ではまた次回。 |