# 26 新たな世界脚本:面出明美/コンテ:こだま兼嗣/演出:鳥羽 聡/作画監督:菱沼義仁、橘佳良 最終回です。何の問題もなくアニメ化されていました。 絵は、ヴァン しゃくれてる……。しゃくれてるよねコレ……? ……気のせいか。普通の美形か。……うーんやっぱしゃくれてるような気がする……。下唇がにゅ〜っと出てるような気がする……。←視聴中の私の心のダイジェスト
雑誌等のあらすじ予告を見た時は、最終決戦からエピローグまでで丸一話使うんだ、余裕アリアリかなぁなんて思ったのですが、実際に観たらカット部分さえあり、余ったような部分はありませんでした。つまり、それだけ戦闘シーシに尺を取って力を入れてあるのだと思います。エピローグも原作より長くなっていましたし。 以下は重箱の隅ツッコミです。読みたい方だけどうぞ。 アバンは、決戦場へと続く階段を見上げるルークたち。そして、真っ先に歩を進めて上っていくルークを背後から映した、短い、けれどカッコいいカット。 何年も前にサイトにいただいたコメントを思い出しました。多くのRPGでは決戦場は暗くて不気味で閉鎖的なものなのに、『アビス』は白い神殿の屋上に上っていくのが特徴的だと。薄暗い階段を上って、ヴァンの待つ、眩く輝く広い世界へ出ていくルークの姿が、何か暗示的にも思えます。 原作にあった、仲間たちの決意表明はありませんでした。確かに、あんなに長い台詞を喋ったら、アニメでは緊張感が抜けて締まらなくなっちゃうのかもしれませんね。
Aパート。 ヴァン ヴァンが最初から髪をおろし異形の腕をむき出しにした第二形態。しかも、戦闘開始時点で発光してパワー全開になります。( ですが、よくよく考えてみたら、ヴァンは第一形態と第二形態では服装が完全に違ってるんですよね。この早変わりをどう処理するか。上は、上着が弾け飛んでインナーが露出したとでも解釈できますけど、下は、ズボンだったのが袴になってる。袴の方がズボンより布地が多いので、流石に、ズボンの下にはいてたとするのは難しい。ローレライパワーで服の 『 ゲームの時は気にしなかったんですけど、アニメで《変身》をやっちゃうと、ちょっと愉快な感じに見えちゃうのかもですね。(^_^;) これでよかったんだな、うん。
階段の辺りからミュウが息をひそめて見守っているカットが入れてあって、状況描写の心配りが行き届いております。
戦闘前のヴァンとの問答は、流れは概ね原作通りですが、台詞に細かく修正が入れられ、ナタリアとアニスの台詞は丸々削除されています。 ジェイドだけ、台詞はおろか《眼鏡くるくる》な動作までほぼそのままだったので目を引きました(笑)。アニメ版では確か譜眼の説明をしてなかったと思うから、その点では勿体ないかなぁ。 第二超振動は前回に続いて存在そのものが削除。確かに、唐突な設定ではあるか。(^_^;) (アニメ版)※原作から書き換え・書き加えられている部分を赤にしています (原作)※アニメ版では削除された部分を赤にしています ルークがヴァンに向かって言う、自己確立の重要台詞が、完全に書き直されています。解り難いと判断したのでしょう。実際そうかもですね。(^_^;) 原作ルークが「生きることに意味なんてないんだ」と言うのには、結構ギョッとさせられますし。アニメ版はスッキリして解り易かったです。
世の中には沢山の《答え》があり、ルークが得た《答え》さえも、実は一つではないと思っています。一つは、アニメルークが言った通り「誰かに認めてもらうために生きているんじゃない」ってこと。周囲の評価に振り回されてちゃいけない。誰かに価値観を委ねてしまってはいけない。そして原作ではもう一つ。《原罪の踏み越え》というのがあったんじゃないかと、個人的には感じていました。 それは、オリジナル人類を犠牲にしても生きようとしたフェレス島のレプリカたちを指してティアが言った言葉「ルーク。あなたは少し、彼らを見習った方がいいわね」や、ガイの台詞「喰らった命の分、生き続けなけりゃ嘘だよな」「俺は酷なことを言ってる。生きて生きて生き抜いて、恨み、憎しみ、悲しみ、怒り……全部しょいこまなけりゃならないってな」や、ヴァンの台詞「全ての屍を踏み越え我が元へたどり着け。アッシュ、そしてルークよ」「おまえは全ての屍を踏み越えてきた」、アッシュのルークへの苛立ち「どうして戦って勝ち取ろうとしない! どうして自分の方が優れているって言えない! どうしてそんなに卑屈なんだ!」等で示されたもの。誰かを傷つける罪悪感に怯え、遠慮して譲ってばかりいては駄目で、生きるため目的を果たすためには他者を押しのけなければならない時がある。命を喰らう覚悟を負う。それが、自ら生きるということなのだと。なんて。 アニメ版ではこの要素に関連する台詞やエピソードはほぼ削られていたので、これは見えない感じでした。
さて。ヴァンとの戦闘はAパートの残りを丸々使う豪華さでした。 まずはルークが斬りかかり、睨み合っているところにガイが参入。ヴァンと会話します。これは原作の、戦闘メンバーからルークとティアを外してガイを操作した場合に発生する会話を簡略化したもの。他方、他キャラを操作した場合のヴァンとの会話は、ルークとティアのものさえ一切採られていません。 ガイはヴァンと因縁を持つキャラですから順当とも言えますが、このチョイスはやはり、アニメシリーズ構成さんのガイ贔屓を感じさせました。 どうせなら、ルークの「みんなはこんな俺を、ずっと助けてくれた……。 みんなの為にも負けられないっ! いや、俺という存在にかけて負けない!」と、ヴァンの「私にこの力を使わせたことは誉めてやろう。さすがは我が弟子だとな」なんかは入れてほしかったかも。
弾き飛ばされたガイにナタリアとアニスが駆け寄り、アニスは守るようにヌイグルミを巨大化させ戦闘参入。やはり弾き飛ばされたルークにはティアが駆け寄って治癒術をあてる。 その間を縫って、ジェイドは次々と譜術を放っています。今回は槍は一切使わず。今までの中で一番、声に気合が入っている気がしました(笑)。しかしヴァンは障壁を出してそれらを軽々と受け止めていく。 回復したルークとガイが再び斬りかかり、ナタリア、ティア、アニスがそれぞれ同時に術技を放つ。 最後となる今回の戦闘、ルークとガイ以外は術技名を叫んでいますが、動作やエフェクトは原作を殆ど踏襲していません。特にジェイドのエナジーブラストのエフェクトは全然違う。インディグネイションのみ原作通りでした。 それにしても、アニメルークはとうとう一度も技名を口にしなかったし、原作を踏襲した動きをすることさえなかったなぁ。蹴りとかパンチを織り交ぜた半格闘剣術が観たかった……。戦闘にこだわっていると豪語していたのですから、やってほしかったです。
一方、カメラはエルドラントを包囲して勝利を待つ連合艦隊のキムラスカ軍人たちや、負傷した兄を乗せてアルビオールで脱出するノエルの姿をも映します。
ヴァンはノーダメージのまま、ルークたち全員を譜術で弾き飛ばす。恐ろしい強さを見せる彼を前に、ティアは何かを思いついた様子で、ルークに「私に少しだけ、時間をちょうだい」と頼む。 と言う訳で、ティアのために大声で喚きながらヴァンに正面突撃するルークなのでした。君のその真っ直ぐっぷりが好きです(笑)。 ヴァン「何度やろうと同じこと。諦めることだ」 これらはアニメ完全オリジナルの台詞です。 なんとなく、第16話地核シンク戦での シンク「死ね!」 を思い出すデジャ・ヴ。
それはともかく、「俺は絶対に諦めない。それが、俺の生きるってことだからだ!」という台詞はカッコよくて素敵で、納得もできましたが、ちょっと引っかかりもしたのでした。 だって第23話でラルゴに剣を弾き飛ばされたとき、観念した様子で無抵抗になって目を閉じてたから。思いっきり諦めてたじゃないですかー、生きることを!! あの諦念ルークは納得できなかったので、最後の最後にこう言ってくれてとても嬉しかったのですけど、じゃあ23話のアレは何だったんだというモヤモヤ感は残ったのでありました。むぅう。
ヴァンと斬り結ぶルーク。ヴァンは余裕で全てを受け止め、助太刀に入ったガイを弾き飛ばして、ルークを片手でポーンと投げ飛ばす。すっげー! 飛び込んできたルーク自身の勢いを使ってて、実に鮮やかでした。続いてアニスがトクナガの重いパンチを次々放ちますが(トクナガ怖い)、ヴァンは全てを身軽に避ける。 ガイはナタリアに治癒術を当ててもらっています。流石にこういう場合、女性に近付かれたからって震えたりしないか(笑)。 その間、片手で胸を押さえて何やら精神集中している様子のティア。前話の戦闘では、ティアがジェイドの意を察して動いてましたが、今回はジェイドが察して動き、援護するように譜術を放ちます。……何気に、ティアとジェイドは阿吽の呼吸ですね。
譜歌を詠い始めるティア。途端に、ヴァンが全身を輝かせて悶え苦しみ始めます。対して、床にへたり込んでいたルークは力を取り戻し、「すごく気持ちのいい譜歌だ……」と呟くのでした。 第24話・教会のシーンで描かれていたのと同じ現象です。ユリアの譜歌がローレライを活性させ、ローレライの同位体たるルークも活性化する、という、原作設定を発展させたアニメ独自の描写。 ティアが大譜歌を詠えばヴァンの取り込んでいるローレライを目覚めさせ、隙を作ることができるはず。この作戦は、原作では決戦場へ向かう途中でジェイドが提唱したものでしたが、アニメ版ではティア単独の咄嗟の思いつきになっています。
力を取り戻して静かに立ち上がったルークは、左胸に手を当て、コンタミネーションでローレライの宝珠を取り出す。アッシュに託されたローレライの剣を掲げ、自然な様子で宝珠と一体化させます。 宝珠を見るなり、今更、すんごく驚愕するヴァン師匠なのでした。……もしかして、アニメヴァンはルークが宝珠を持ってることを知らなかったのかな? アブソーブゲートで再会してないわけだから。 ローレライの鍵が完成したのを見ると、焦った様子で自らルークに飛びかかります。突然、冷静さを欠いてザコ敵フラグを立てる師匠。案の定、途中でビクッとなって立ち止まる。その背にはナタリアの放った矢が深々と突き立っています。続いてガイが、アニスが攻撃。ジェイドが放った第二秘奥儀インディグネイションをまともに食らって大声で苦鳴をあげる。 その隙にローレライの鍵を構えると、ルークがヴァンに突進。大ジャンプから剣を振り下ろす。受け止めたヴァンの剣は真っ二つに折れてしまいます。…単純に砕けて折れるより、部分的な分解で折ってほしかったなぁ。超振動だから。 これは、原作でヴァンが第二形態に変化するときのデモ、《操作キャラの攻撃でヴァンの袖(籠手?)が砕け飛ぶ》が元になっているのでしょうか。 剣を失ったヴァンめがけ、ルークは今度はローレライの鍵を水平に構えて再度突進して、その腹を一気に貫いたのでした。
原作では、ティアが大譜歌を詠うと空と床面に光の譜陣が現れ、ルークたち側が無敵となる特殊空間が顕現します。また、ルークがヴァンにとどめを刺した攻撃は、剣を使わずに両手から放つ超振動、レイディアント・ハウルでした。 ただし。この演出はルークとティアを戦闘参加させている場合のみで、それ以外では無敵空間は現れず、ルークはローレライの鍵に第二超振動の力を込めて、大ジャンプから斬り裂いて、剣でヴァンを倒します。アニメ版はこちらの方を採ったみたいですね。私はこちらの方が好きだったので嬉しかったです。
ヴァンがルークに貫かれた瞬間、ハッと歌を止めるティア。そんな妹に優しい微笑みを向けると、ヴァンは「七番目の旋律……。理解したのだな……」と語りかける。ティアの返答は、原作では別の場面で語られていた、《ユリアは世界を愛し、 この場面、原作ではティアとヴァンが背中合わせになってゆっくり回るという、ここでの会話は兄妹の間で一瞬に交わされた心話なのだとも思える感じの、凝ったイメージシーンになっているのですが、アニメ版では普通の会話として描いていました。
剣を突き刺したままでいたルークを、剣ごと譜術で跳ね飛ばしたものの、ヴァンはその場に膝をつく。駆け寄ろうとしたルークに「来るなっ!! ……この期に及んで、まだ先生と呼ぶか。愚か者!」と言うのは原作通り。(台詞には微修正が加えられています。) ここの演出が、すっごくすっごく良かったです。最高でした。馴れ合いを許さなかったから。 かつてヴァン役の声優さんが、ヴァンはルークのことを弟子として可愛く思う気持ちも持っていたと思うと仰っていて、実際、原作の「愚か者……」と言う部分には、ほんの微量ながら柔和さが含まれているようにも聞こえます。 そしてSD文庫版小説では、ヴァンはルークに倒された瞬間に心からの優しい笑みを見せ、屋敷で稽古をつけてくれていた頃のように優しく「……この期に及んでまだ私を師と呼ぶか……愚か者……」と言ったという脚色を行っています。 ヴァンにルークを弟子として認める気持ちもあったという解釈に異論はありません。ですが個人的に、《ヴァン師匠はやっぱりいい人。ルークのためを思っていたんです》みたいな方向に持っていくのは、違うんじゃないかなと思っていました。 ティアやガイのような、ヴァンがはっきりと身内としての愛情を示していた相手ならまだしも、ルークへは違うように思うのです。ヴァンは、自分自身の信念のため、彼自身の正義のために戦った。その為に躊躇なくルークを踏みにじりました。それが結果的に彼を成長させたものの、ヴァンの本意ではない。 ですからアニメ版で、ヴァンが駆け寄るルークを激しく拒んで受け入れず、彼が消えてしまってから、ルークが独り、 「ヴァン と頭を下げることになっていたのは、本当に良かったです。きっとルークはこう思っていたんだ、こうだったらいいなあと思っていた期待どおりでした。 ルーク役の声優さんの「ありがとうございました!」の演技が、原作やドラマCD版に比べて抑えてあったのも、とても良かったです。先行版では元気が良すぎて、ちょっとギャグっぽくもあったから……。 ここでAパート終了です。
Bパートの頭に、ティアの(さよなら、大好きだった……兄さん……)が入っていました。Aパートの終わりに入ってたら良かったなぁ。
この後は、ルークと仲間たちの別れからローレライ解放までが、概ね原作通りに描かれていました。残るエピローグは結構脚色されていて、筋としては同じですが雰囲気が違います。
ジェイドはルークに握手を求めます。原作だと、ジェイドが左手を差し出し、反射的に右手を差し出したルークがハッとして左手を出し直す演技がつけられています。ジェイドが左手を差し出したのは左利きのルークに合わせた、つまりは彼に最大級の敬意を払っているという意味かと思われますが、では左利きのルークがどうして右手を差し出したのかについて、原作プレイヤーの間には二つの解釈が流布していました。 一つは、普段から右利きの人に合わせる癖があっただけ、という説。(実際、他のシーンではルークは常に右手を差し出しています。)もう一つは、 アニメ版では、ルークに最初に右手を出すという動作をさせませんでした。代わりに、剣を右に持ち直して空いた左手で握手、というオリジナルの演技を付加。
ジェイドの台詞は「……ですが、どれだけ変わろうと悔いようと、あなたのしてきたことの全てが許されはしない。」と言う部分が削除されていました。過酷だからでしょうか?
ガイの台詞は、微修正があるものの原作通り。動作もほぼそのまま。
アニスも微修正のみの原作通りで、指を立ててくるくる回す動作までそのまま再現されていました。ちなみに《パトロン》が《後援者》に修正してありましたが、誤解を招くことを恐れたのかな? 同じ意味の言葉ですが、日本だとパトロンは性的関係を伴うイメージが強いですから。
ナタリアとの会話は、以下の部分がごそっと削除してありました。 ナタリア「キムラスカを守るためではありませんわよ。あなたが、あなたの人生を生きるために。わかりますわね」 演技も変えてあり、原作では全体に抑えきれない悲しみを滲ませている感じでしたが、アニメ版では「消えるなんて、許しませんわ。絶対に」をおどけて怒って見せている感じで言い、ルークに背を向けてから悲しそうな顔をしていました。
ミュウは、原作では必死にピョンピョン跳ねてフレーム内に入っていましたが、アニメ版ではルークの方がミュウに合わせてしゃがんでいました。原作の方はミュウが可愛いけれど、アニメ版の方は落ち着いていていいですね。台詞は全く原作通り。
ティアは、例によって動作も含めて台詞まで完全に原作通りです。カメラワークは違います。
さて。原作では最終決戦途中、ヴァンが第二形態になった辺りから、周囲が赤い夕陽に染まっています。戦いが始まった時は青空だったのに。それだけ長く戦ったという演出なのでしょう。ルークに倒されたヴァンは夕空の中に消えていき、ルークと仲間たちは しかしアニメ版では、ヴァンを倒した時も仲間たちと別れた時も、ずっと青空のままでした。別れの場面が終わると唐突に夕景になります。 んんん? つまりアニメ版では、ルークが仲間たちと別れてから地核に入るまでの間に、日が暮れるくらいの時間経過があるってことなんでしょうか。仲間たちが完全脱出するまで待っていた? 名残を惜しんでボーっとしていた? 謎のタイムラグです。 原作の夕景のイメージが鮮烈で、アニメ版では原作以上に情感たっぷりに演出してくれるだろうと思い込んでいたので、これはかなり残念でした。
ルークが地核へ入っていく場面は原作ムービーを踏襲していましたが、細かく違う感じ。 原作では、アッシュが殺された部屋にあった二体の天使像のうち、短髪の方のみ真ん中から真っ二つに割れる暗示的な描写がありますが、アニメ版には無し。 落ちてきたアッシュの亡骸をルークが抱きとめる場面、原作ではルークを円く包む障壁にアッシュの亡骸が一度軽くぶつかってから(瓦礫は決して中に入らないのに、アッシュの亡骸だけ)ズルッ…と入ってきて、受け止めた瞬間、ルークが少し重そうにするのですが、アニメ版では殆ど抵抗なくスルッと障壁を抜けてきてポンと抱きとめた感じでした。 原作では、ローレライはルークが乗っている譜陣から湧き上がったようにも見えますが、アニメ版では下から上がってきた感じ。また、ローレライの姿が原作以上に人間らしく、目鼻立ちらしきものさえ描かれていました。 原作ではローレライが音譜帯に立ち去った後、見送ったルークが目を閉じて薄れ、同時に、死んでいたはずのアッシュの手が微かに動き、次いで光の爆発が起きます。対してアニメ版では、ローレライがルークとアッシュの周囲をぐるぐる包んだまま留まり、その中でルークは薄れていき、アッシュの手が大きく動いて、爆発した光がローレライと共に音譜帯に立ち昇っていました。つまり、ローレライがルークとアッシュに何かをして、アッシュを蘇らせ、一緒に音譜帯に昇った感じにも見えました。
場面は変わり、青空の下、崩壊したエルドラントが次第に緑に覆われていく様子を映して、年単位の時間経過を描写。
更に場面が変わり、夜のタタル渓谷。エピローグに突入です。 原作ではティアが仲間たちの前で譜歌を詠っている場面から始まりますが、アニメ版ではティアが独りでいるところに他の仲間たちがやって来るところから始まっていました。また、原作にはいなかったミュウが登場しています。 (アニメ版) ガイが「みんな、きっとここに来るだろうと思ってさ」と言うのが不思議でした。タタル渓谷がルークとの思い出足り得るのはティアだけだからです。ですから、原作のエピローグで仲間たちがここに揃っていたのは、ティアに付いてきたんだとばかり思っていたのになぁ。 ……二年の間にティアから話を聞いてたとか、そういう風に考えればいいのかな。本当はティアを心配してみんなで探しに来たのかも。
エピローグは、原作とは雰囲気がかなり違います。 原作では、ティアも仲間たちも全員が固い表情をしていて、特にティアとガイは頑なとさえ言える様子で「ルークのお墓の前で行われる儀式に……興味はないもの」「あいつは戻って来るって言ったんだ。墓前に語りかけるなんて……お断りってことさ」と言う。ルークが帰らない現実にどこか憤ってさえいる感じです。 しかしアニメ版ではナタリアとアニスが「ルークのお墓の前で行われる成人の儀には、意味はありませんもの」「そうだよ。ルークは必ず帰るって言ったんだから」と明るい調子で言い、ガイも笑っていて、ティアは寂しそうでありながらも柔和に微笑みを返します。少しも頑なな様子はありません。 ナタリアとアニスにこの台詞を回したのは、ティアとガイだけでなく仲間たち全員が同等にルークの帰還を信じている、という意図だったのかもしれません。けれどいやに明るく言わせているために、ルークの墓が立てられた現実を受け入れがたいという感情よりも、とにかくティアを励まそう、というニュアンスの方が強くなっている気がしました。 それはそうと、ティアを慰めるためとはいえ、ルークに何が起こっていたか知っているはずのジェイドが、明るく「ルークはきっと帰ってきますよ」的なことを言うのは、どんな気持ちだったんでしょうか。
原作は、ルークを失った打撃からみんな立ち直りきれていない感じがするのですが、アニメ版は既にある程度受け止めている感じ。時々はしんみりしつつも明るく元気に日々を暮らしていると言うか。 雰囲気が明るく柔らかくて、墓前での成人の儀を蹴るという余裕なき行動を取った直後とは思えません。仲間たちは笑って口々にティアを励まし、ティアも柔らかくそれを受け入れて微笑み返す。それだけの余裕が、全員にある。 ティアやガイには、この夜だけでも原作のようにキリキリと憤り悲しんでほしかったので、寂しい気持ちになりました。アニメ版の方が健全で普通だってことは分かってますけども。 (アニメ版・続き) これで終わりです。 涙を流すティアの様子。原作と同じように、青年の言葉を聞いて一瞬息を飲んでから、頬を涙が伝い落ちていく、みたいなタメがあったらよかったなぁ。 それと、原作ではセレニアの花畑に舞っている白いモノは
アニメ化が決まった時、小説版やドラマCD版のような結末になったら嫌だなぁという、一抹の不安がありました。けれど杞憂でよかったです。 原作時は隠されていたティアの表情をはっきり見せている。笑顔じゃない。ジェイドの悲しげな表情は原作ママ。そして、原作では欠席だったミュウが同席し、いつもルークに真っ先に飛びついていたのに、ジェイドに促されるまで青年の方へ近づこうとはしないのでした。 『テイルズ オブ マガジン』Vol.9の付録小冊子に声優さんたちのトークが載っていましたが、こんな部分がありました。 桃井:でもあれって実は、すごく象徴的なんですよね。最後にミュウが行かないっていうのは。 喉に刺さった小骨が取り除かれたように思います。
エンディングは、曲は普段のままですが、イラストが、冒頭のお昼寝ミュウを除いて全て描き下ろしでした。 長髪ルークとアッシュとヴァン…ヴァ組 各イラストには少しずつフォニック文字が書いてあり、全部合わせると We are deeply grateful to all those who watched TOA. May you all enjoy
lives filled with happiness. になるという仕掛け。 ノエルがもの凄く大きく描かれていて可愛かった(笑)。あと、ルークとミュウとガイの絵は、ただのおすまし記念写真風ではなく物語がある感じで面白かったです。ミュウに飛びつかれてビックリしてるルークを、ガイがニコニコ見てるという。
今回の総論。
全体を振り返っての感想。
アニメ『アビス』のサウンドトラックCDのラストに二曲、「Epilogue」「Epilogue(orgel)」という曲が収録されています。実際の放映ではオルゴールバージョンの方しか使用されなかったので、「Epilogue」は未使用なのですが。 アニメ版の楽曲を担当した方は原作ゲームの曲も作っていて、そちらのエピローグ曲「星空への願い」「溢れる想い、再会」に比べると、アニメ版の「Epilogue」は弾むようなリズムがあって明るい感じです。 最終回を観るより先にこの曲を聴き、明るさに少し驚きました。アニメを観て、エピローグのティアやガイや仲間たちが笑顔で会話していたので、ああ、と思いました。
アニメ版の音楽には「Epilogue」と同じメロディーラインを持つ曲が他に二つあり、うち一つは、CDの二曲目に収録されている「A whole new world」。即ち、「新たな(全)世界」です。 曲名が「新たな世界」という意味の曲は原作版にもあって、そちらは「New world」。外殻大地編のフィールド用曲。つまり、ルークが屋敷の外に出たばかり、ルークにとって新たな世界が始まった頃の曲となります。 アニメ版の「A whole new world」も、屋敷の外に出たルークが新たな世界を知る、そんな意味で付けられた曲名なのでしょうか。……そして音楽家さんは、これと同じメロディーラインを使った曲を「Epilogue」としました。
最終回のタイトルは「新たな世界」。ルークと仲間たちが作り上げた、 wholeという単語には、《完全、欠けがない》という意味もあります。アニメ版エピローグのティアは(ルーク。あなたの作った世界は、こんなに綺麗よ。でも、あなたが、ここにいない……)と、独白していました。そして《彼》が帰ってくる。 《彼》の帰還によって、世界は完全なものになったのでしょうか。 ……どちらであろうと関係ないのかもしれません。世界は美しく、絶えずうつろい変わっていく。そしてそこで生きる者たちも、きっと前を向いて歩みを止めずにいくのでしょう。笑みを作って。 最終回を見終わった後、サウンドトラックCDの「Epilogue」を聴きながら、そんなことをぼんやりと考えました。
アニメ版本編への感想はここで終了です。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
以下は、半分ネタの与太話です。お暇なら、もう少しお付き合いください。
アニメ版では削除されてしまいましたが、原作ルークが最終決戦前に「生きることに意味なんてないんだ」とヴァンに言ったのには、初プレイ当時、驚かされたものでした。《生まれた意味を知るRPG》というキャッチコピーの付いたゲームなのに、最後の最後に「生きることに意味なんてない」? しかし、前後の文脈からしてネガティブな意味ではないらしい。生きることを肯定した意味らしいのです。 足りない脳ミソを回転させて、《意味がなければ生きられない、という観念の否定》なのだろうと解釈しました。 報われない日々を不満に思うとき、人は自分に特別な運命があることを夢想するものではないでしょうか。辛いことがあっても、《私は●●のために生まれたんだ》と意味づければ、救われた気分になれるからです。何か大いなるものにそう運命づけられていると思えば、辛い人生でも肯定できる。『テイルズ オブ シンフォニア』のコレットなどは、この観念を持つキャラクターだったと思います。 ルークが、ヴァンや父や伯父にお前は特別な預言に詠まれた英雄だと言われて増長したこと。預言に詠まれていないと知って落ち込んだこと。瘴気中和のために生まれたと考え、イオンまたはユリアの預言に従って命を捨てようとしたことは、この観念に通じているのだと思いました。 ルークは常に、自分の命に意味を求めていました。預言やヴァンのような大いなる存在によって価値づけられることを望んでいました。自分がレプリカ(本来なら生まれるはずのない低価値な存在)だと知るとなおさら強く。生まれて生きることには特別な意味があるはずだ、なければならない、ないと不安で生きていけない、と訴え続けました。 そんなルークを、ヴァンは嘲笑います。「何かの為に生まれなければ生きられないというのか?」と。その言葉を受けて、最後の最後にルークは返したのです。 「誰かのために生きている訳じゃない。いや、生きることに意味なんてないんだ」 自分がレプリカであることも、罪を背負っていることも、命が尽きようとしていることも。現実は何も変わりません。けれど、そこに意味を求めることをやめたのだと思いました。決して諦念ではなく。 ヴァンに、お前は価値ある人間だよ私の最高の弟子だよと言われようと言われまいと。世界に、あなたは英雄だよと言われようと言われまいと。預言や神や運命に、お前は●●をするために生まれたんだよと定められていようと定められていまいと。意味があろうとなかろうと、生きたい。ならば生きていいじゃないか。――だからもう、ヴァンも預言も必要ない。 こういう感じかなぁ、と考えたのでした。
さて。それから数年経ってアニメ版も放送が終了しようかという頃、別件でフリードリヒ・ニーチェの永劫回帰論の概略文を斜め読みしていて、あれっと思いました。もしかして、ルークの結論はコレを下敷きにしてるのかな? と。 ……なんて書くと、「飛躍し過ぎだっつーの」と呆れられちゃうかとも思うのですが、そう思った根拠はもう一つあるんですよ。(^_^;) アニメ版にも採られていましたが、地核でローレライが話しかけてくるとき、言うのですよね。「私を解放してくれ。この永遠回帰の牢獄から……」と。 原作ゲームをプレイしたばかりの当時、「永遠回帰」って何だろう、と少し引っかかっていました。プラネットストームによって ……ローレライが星の誕生から滅亡までの記憶を持っているなら時間の概念は消失し、永遠に同じ歴史を円環状に繰り返していることになるのかな、などと考えて、ローレライはそこからの解脱を求めていたのかもと妄想し、それをネタに二次創作「偽りの アホでした。私は知らなかったのですが、永遠回帰(永劫回帰)という言葉は、ニーチェの思想として最も知られているものだったんですね。なので、全くの無関係ではないのだろうと思いました。 と言いますか。《星の記憶》という設定の原型が《アカシックレコード》であると知られているように、実は周知の事実だったのかも。そうなら恥ずかしいです。(^_^;)
アホなうえ概略しか読める根気がないので致命的な勘違いをしている可能性がありますが、自分なりにニーチェの永遠回帰思想を説明してみます。 ニーチェは十九世紀ドイツの学者。牧師の息子として生まれ、田舎の保守的なキリスト教の価値観にどっぷり浸かって育ちました。けれど家を出て大学に入ると信仰を捨ててしまいます。永遠回帰思想は、彼の著書『ツァラトゥストラはかく語りき』で展開されました。 キリスト教では、世界は直線状だとされています。神により創造された世界は、いつか必ず滅びを迎える。世界が終わるとき、今まで世界に生きて死んだ全ての人間が神に裁かれます。神の教えに従った善き人間は、新たに創造された千年王国に迎えられ、そこでいつまでも楽しく暮らします。しかし神の教えに反した悪人は地獄に落とされて、そこで永遠に苦しむのです。 だから、とキリスト教社会では言われます。だから神に恥じない暮らしをせねばならないよ、と。神はお前を見ている。だから他人に譲りなさい分かちなさい。譲っても損にはならないのだから。善行にも悪行にも相応の報いが約束されている。生きている間に報いがなかったとしても、最後の審判の時にはきっと約束は果たされる。人生が苛酷であるなら、それは神がお前を試しているのだ。その試練を超えれば、お前はきっと千年王国へ招かれ、神に愛されることだろう、と。 神という存在に、善悪も生きる意味も、全ての価値判断を求め責任を委ねます。神は善人(社会的弱者)を愛して認めてくれる。悪人(社会的強者)は罰してくれる。神の教えを遵守さえすれば、生まれも能力も関係なく、永遠の幸せが手に入れられる。苦悩ある人生と言う試練を越えて千年王国へ行く、それが人間の生まれた意味なのだ、と。 ニーチェは、これを恨みがましい負け組道徳、責任転嫁的な逃避根性だとして否定しました。 永遠回帰とは、リピート再生する音楽CDのように、世界が永遠に同じ歴史を繰り返している、という観念です。何かの折に「あれ? これと全く同じことが前にもなかったっけ」と 永遠回帰する世界では、世界も人間も、誕生から死亡まで寸分変わらぬ経過を永遠に辿ります。インドの観念では生命は次々に姿を変えて生まれ変わり、( 神が弱き(善)を助け強き(悪)をくじくことも、それが約束されることもない。正しいのは私だ神様が保証してくれると言うことはできない。何故なら、千年王国は存在しない。その意味で、神は死んだ。神はいないのだから、神に認めてもらうために生きる、という《生まれた意味》は存在しない。 その意味で、《生きることに意味なんてない》。 ニーチェは、けれど人生を否定した訳ではありません。 人生の中には喜びもあれば地獄のような苦しみもあります。その双方を「何度繰り返されたって構わない」と言えるほどに肯定すること。とても難しいですが、この境地に達することができたとき、人は《劣った自分、ままならない人生》への恨みを忘れ、将来への不安からも解放される。 ニーチェは、そういう境地に到達した人間を《超人》と呼びました。今の自分があるのは、神ではなく自分がそう望んだからだと定義し、過去の恨みや妬みや卑下は深淵に捨て、世界と自分を強力に肯定して貪欲に生を望む。過去や未来がどうあろうと、今、生きていたい。何があっても乗り越えて、何回でも自分としてまた生きたい、と言い切れるように。
大雑把にこんな感じかなと、私は解釈しました。どんな観点で読むかで結構違ってくるようですけども。 そのままではありませんが、『アビス』の下敷きの一つに、この永遠回帰思想が含まれているのかな、と思った次第です。
ローレライにとっての世界が同じ誕生と滅亡を繰り返す円環で、それを「永遠回帰の牢獄」と言ったのなら、ユリアに接触して星の記憶を教えたり、ルークに接触して音譜帯に行きたいと訴えたりしたのは、円環から解脱したかったからこそ、と考えていいのでしょうか。ならば、ローレライが最後にルークに向かって言った台詞、『世界は消えなかったのか。私の見た未来が、僅かでも覆されるとは。驚嘆に、値する』は、正真正銘、最大級の賛辞だったのかもしれません。 星の記憶にいない存在だったルークは、自らの過去への恨みを捨て、自身の人生を肯定して、僅かながらでも歴史を変えました。それでも星の記憶が消えたわけではないので、ローレライにとって歴史は繰り返していくのでしょうけど。毎回少しずつ変化する、螺旋の世界に進化したのかもしれないですね。
これにて与太話も終了です。ありがとうございます。お疲れさまでした。 |