「まったく、しょうがねーな、漆黒の翼の連中は」

 珍しく、ガイが怒りを露にしている。

 停戦のためにはインゴベルト王に会う必要があったが、そのためには封鎖された国境を越えてキムラスカ側へ出なければならない。一行が目をつけたのは国境に建っていることを売りにしている酒場で、案の定、酒場の中に入り込むことでキムラスカ側への出口を見つけることが出来たのだが。そこに立っていた男が「合言葉」を要求してきたのだ。合言葉を知らなければここを通すわけにはいかない、と。

 そこに現われたのが、サーカス団員のような姿をした男女三人の盗賊団、『漆黒の翼』だった。



「ぐへへへへ。合言葉を買わないか?」

「あ! おまえら!」

 背後から声を掛けてきたいかつい小男――ウルシーを見て、ルークが目をみはる。

「あらん。いつかの坊やたちかい」

 ノワールが色っぽい仕草でルークたちを見渡した。

「あ……あんたたち! イオン様を誘拐したりこんなとこでお金儲けしたり、何考えてるのよ!」

「あはん。だってお金が大好きなんですもの」

 すかさず噛み付いたアニスに、ノワールは笑って返す。「私だって大好きよ!」と叫んだアニスに、ガイが「……オイオイ」と突っ込みを入れた。胡乱げな目つきで盗賊団を睨む。

「それより漆黒の翼さんよ。一体いくらで売るってんだ?」

「六人でがスから……」

 ステッキでポンポンと己の手のひらを叩きながら言いかけたウルシーに、ムッとして「ミュウもいますの!」と青いチーグルが主張した。

「七人でがスから、7000ガルドでやんスな」

「呆れた商売ね……」

 ティアが片手で額を押さえて息をついている。ルークはと言えば。

「アホ。おめーが余計なこと言うから1000ガルド増えたぞ」「みゅうぅぅぅ……」

 ミュウを両手でぎゅう〜〜っと握り締めていた。

「払うのか? 払わないのか?」

 ヨークが促してくる。

「わ、分かった……。けど、高いよ」

 唸るようにルークが言うと、アニスが見上げて睨みつけた。

「払っちゃうの!? 駄目だよ、もったいない! ルークが払ったら、こいつら味をしめて他の人からもお金を取るよ!」

「当たり前だ。商売なんだからな」

 ヨークは意に介さない。

「ルーク。俺も馬鹿正直に払うことはないと思うぜ」

 ガイが不機嫌な口調で言い、目を閉じて薄く笑った。

「漆黒の翼ってのは義賊だって聞いてたが、所詮ただのちんぴらと同じか。醜いね」

 ノワールが鋭い視線をガイに向ける。

「聞き捨てならないねぇ! あたし達をちんぴら扱いとは……」

「そうだろう? こんなところで商売すれば、犠牲になるのは貧しい人たちだ」

「俺達は金持ちからしか通行料は取らねぇでがスよ」

 心外そうなウルシーから視線を移し、アニスがジェイドを見上げて訴えた。

「ここはまだマルクト領ですよねぇ? 大佐、捕まえちゃってくださいよぅ」

「……だそうです。ここを通してくれるのなら、見逃してあげてもいいと思うのですが」

「お言葉ですがね、ダンナ。あんたらがあっしら平民を苦しめる戦争をおっぱじめたから、あっしらはそいつを利用して金儲けさせてもらってるんでさぁな」

 ヨークの声を聞いて、うな垂れたのはナタリアだった。

「……それもそうですわね。ここはお金を払って……」

「ナタリアらしくないわね」

 ティアがナタリアにチラリと視線を向けて言った。彼女は両手を両腰に当てて、漆黒の翼を睨みつけている。

「戦争があろうとなかろうと、犯罪を行うのは個人の道徳に因るはずよ」

「それは……そうですけれど……」

「いいじゃないですか。彼らは金を取るべき相手を間違っている哀れな義賊なんです」

 ジェイドは失笑し、肩をすくめてみせた。ノワールが表情に険を乗せる。

「……なんだって?」

「おや、違いましたか? 私たちは戦争を止めるために国境を越えたいだけです。私たちを通してしまっては、商売あがったりというところでしょう?」

「……挑発に載せられてやるよ。ここを通してやる」

 その声を合図に、キムラスカ側への扉を塞いでいた男が、その前から退いた。

「でも、本当にいいのか?」

「ルーク! 相手がいいって言ってんだからいいんだよ! タダより安いものはないんだからねっ!」

 戸惑ったルークの服の裾をアニスが引く。頷いて、ルークは仲間たちの後を追って行きかけ、ふと振り向いて口を開いた。

「ありがとう」

 微笑んだルークに、何を思ったのか。

「これからは自由に通りな。その代わり、このことは誰にも言うんじゃないよ。戦争で国境を封鎖されて困った挙句にここを通る連中もいるんだからさ」

 そんなノワールの声が、閉じる扉の向こうから聞こえていた。




「大佐……。放っておいて本当にいいのでしょうか?」

 キムラスカの領地を踏んで。憤るガイの声を聞きながら、ティアがジェイドに訊ねている。

「犯罪行為ではありますが、今は放っておきましょう。……まぁ彼らのように、生きるための手段を選ばないのも戦争の傷でしょうねぇ」

「やるせないですねぇ」とジェイドは失笑する。

「……早く戦争を止めないといけませんね」

 ティアは生真面目にそう言った。


 このイベントではお金を払うか払わないかの選択肢が出ますが、どちらを選んでもお金を取られずに通ることが出来ます。珍しくガイがジト目顔を見せてくれたり、漆黒の翼に対していちいち不機嫌になってくれます。……まあ、ガイと彼らの間にも実は縁があるわけですが。

 ノワールはこの辺からガイが気に入ってたんだろーか?

 ちなみに、話しかける先頭キャラを誰にしているかで、ちょっと扉の見張りの男との会話が変化します。

ルーク「そこ、通れそうじゃないか?」
見張り「ここを通りたいなら合言葉を言いな」
ルーク「んだよ、うぜーな」
見張り「うざかろうとなんだろうと、知らないなら通せないな」

 ルークが一番フツー。

ガイ「ここは通れないのか?」
見張り「ここを通りたいなら合言葉を言いな」
ガイ「堅いこと言うなよ、兄弟〜!」
見張り「駄目だ駄目だ! 知らないなら通せないな」

 馴れ馴れしいなガイ…。

ティア「ここ、通してくれないかしら」
見張り「ここを通りたいなら合言葉を言いな」
ティア「……山」
見張り「違う」
ティア「川」
見張り「違うよ。知らないなら……」
ティア「けち」
見張り「な、なんだと!」
ティア「ただの合言葉よ」

 とんち問答ですか(笑)! ティアの意外な一面(子供っぽい小狡さ)を見た気が。

ジェイド「ここは通れそうですね」
見張り「ここを通りたいなら合言葉を言いな」
ジェイド「通行料でも取っているのでしょう。後で国境警備隊に報告しておきましょうか」
見張り「な! ……お、脅しても駄目だ! 知らないなら通せないな」

 いきなり国家権力で脅す。ま、話早いけど。

アニス「ねーねー。素敵なおにーさんv ここ通してv
見張り「ここを通りたいなら合言葉を言いな」
アニス「ち。月夜ばかりと思うなよ。ブサ男!」
見張り「ぜっ、絶対通さないからな!」

 国境を越えようとする時はいつもコレか。アニスちゃん口が悪すぎます。そして学習してない。

ナタリア「ここを通しなさい」
見張り「ここを通りたいなら合言葉を言いな」
ナタリア「まあ、なんですの。そのように意地の悪いことをしていては天罰が下ってよ」
見張り「こっちも商売なんでね」

 状況的に、ナタリアはもっと しおれた態度の方がよかった気が。

 

 キムラスカ側に出られたら、忘れずにありじごくにんに会っておくといいかと。今度はアイテム三つ要求してきます。

ティア「こんな状況でもまだやってるのね……」
ガイ「飽きない奴だな」
ありじごくにん「俺ぇ ありじごくにん〜」
アニス「わかってるって。で、今度は何を欲しがるつもり?」
ありじごくにん「『ミラクルグミ』とぉ『パナシーアボトル』とぉ『リンゴ』くれぇ」
ルーク「三つに増えてるな…」
ティア「ひょっとしたら この戦乱で傷ついているのかしら」
ガイ「そうかい? どう見ても元気そうだがな」
ルーク「ナタリアはどう思う?」
ナタリア「え? えぇ…。宜しいのではなくて。怪我をされてるのなら」
アニス「え〜。ティアがそう思っただけでしょ。もったいない!」
 →怪我だからあげる
ルーク「怪我してるかもしれないし あげようぜ」
#ルーク、ありじごくにんにアイテムを渡す。
ナタリア「ルーク…」
#案の定、アイテムを蟻地獄に投げ捨てるありじごくにん。アニス、チラッとティアを見る。
アニス「……ほら」
ガイ「やっぱりね」
ティア「……最低だわ」
ルーク「でも、なんかくれるんだろ?」
ありじごくにん「はぃぃ どうぞぉ」
 『シーブズマント』を手に入れた
#「……」となるジェイド以外の仲間たち。
アニス「なんだろ……。この微妙な感じ」
ガイ「怒るに怒れないな。そこそこな品物だし」
ティア「でも砂まみれなのは相変わらずね」
ルーク「……行くか」
ありじごくにん「またぁ 今度もぉ遊んでねぇ」
#子供番組のお兄さんのようにバイバイと両手を振るありじごくにん。「……」となるジェイド以外の仲間たち。

 ありじごくにんにアイテムをあげるか否かという話になった時、ルークはナタリアに「ナタリアはどう思う?」とわざわざ訊ねます。なんと、気遣ってるのです。ニセモノになってしまったナタリアの苦しみは、他人事じゃないから心配なんだねぇ…。

 ナタリアはナタリアで、怪我してるかもしれないし、とルークがアイテムをありじごくにんにあげると、「ルーク…」と呟きます。ルークの優しさが何か心に響いたらしいです。

 

 ちなみに、戦争のせいで物価高騰品薄ですが、逆に持ってる武器などを売ると大変儲けることが出来ます。


「これはルーク様! ナタリア様も! お二方とも亡くなったとの噂が飛び交っておりましたから、こうして再会できて幸せでございますよ。ヒヒヒヒヒ」

 アスターの私室に入ると、彼は豪華な椅子から立ち上がって両腕を広げた。

「実はあなたに頼みたいことがあるのですが」

 ジェイドが切り出すと、「エンゲーブの住民を受け入れることでしたら、先程イオン様から依頼されました。ご安心を」と返してくる。ルークは片手で己の胸を押さえ、「よかった……」と安堵の息を吐いた。仲間から外れても、イオンは色々と気を遣ってくれたようだ。

「助かります。ありがとう」

「どういたしまして。イヒヒヒヒ」

「ところで、ザオ砂漠で何かあったのか?」

 ジェイドに笑い返すアスターに、ルークは訊ねた。ここに来るまでに、慌てた様子のキムラスカ兵とすれ違っていたのだ。彼は「大変だ、ザオ砂漠が……」と声を漏らしていた。

「これはお耳が早いことで……。ちと困ったことになっております。地震のせいか、ザオ砂漠とイスパニア半島に亀裂が入って、この辺りが地盤沈下しているのです」

「それって、もしかしなくても!」

 アニスが声をあげた。ティアも愕然とした声音を落とす。

「ケセドニアが崩落してるんだわ……!」

 その時、扉が開いてアスターの部下が入ってきた。

「戦局報告です! 11時32分、キムラスカ軍がエンゲーブに到着しました!」

「やれやれ。移動しても残っても、エンゲーブの住民は危険にさらされる運命だった……そういうことですか」

 ジェイドが呟く。

「ノエル……間に合ったかしら」

 女性や子供、老人など、エンゲーブの大多数の住民はアルビオールでケセドニアまで搬送する手はずになっていた。しかしこの四日ほどで一万人近い人数を運びきれたのかどうか。ティアは不安げに胸を押さえる。

「ご苦労。引き続き状況を監視せよ」

 アスターは部下を下がらせ、ルークに視線を移した。

「今しがた、ケセドニアが崩落すると仰いましたが?」

「アクゼリュスやセントビナーと同じことが起きてるってことだよ!」

「何ということだ……。ここは両国の国民が住んでいる街。この戦時下では逃げる場所がない」

 アスターが嘆く傍で、ガイが険しい顔を見せる。

「この辺りにもパッセージリングがあって、ヴァン謡将がそれを停止させたってことか?」

「それならザオ遺跡ですわね。イオンがさらわれた……」

 ナタリアが言った。そうだ、イオンは言っていた。シュレーの丘とザオ遺跡でダアト式封咒を解呪させられたと。ルークはぐっと拳を握る。

「兄さん……一体何を考えているの……? 戦場だけじゃなく、ケセドニアまで崩落させるなんて……。こんな事、どんな意味があるというの……」

「ティア……。くそ、どうする? 今からでもセフィロトツリーを復活させれば……」

「いえ、それは無理だとテオドーロさんも言っていました。ですが……」

「大佐! 何か考えがあるんですか!?」

 アニスに問われ、ジェイドは言葉を続ける。

「いえ、ツリーは再生できなくてもセフィロトが吹き上げる力はまだ生きているはずです。それを利用して、昇降機のように降ろすことは出来ないかと」

 ティアが不安げな顔をした。

「パッセージリングを操作できるでしょうか」

「こればかりは分かりません」

「今回もぶっつけってか……。ともかくやるしかねぇ。行くだけ行ってみよう。このままだと崩落を待つだけだろ!」

 ルークが声を大きくした時、アスターが口を挟んだ。

「お話が見えないのですが……」

「ケセドニアの消滅を防ぐ方法があるかもしれないんだ」

「どういうことです?」

 さっとアスターの表情が鋭くなる。「実は……」と、ガイが説明を始めた。




「……魔界クリフォトですか。俄かには信じがたい話です」

 全ての説明を聞き終えて、アスターはそう言った。

「しかしどのみち、私たちにはあなた方を信じるより他に方法はない。住民への通達はお任せ下さい。ケセドニアをお願いします」

「よし、ザオ遺跡へ行ってみよう!」

 ルークの声を合図に、仲間たちは動き始めた。

「……ナタリア?」

 しかし、ナタリア一人だけがその場に残っている。それに気付いて立ち止まり、ルークは彼女に声をかけた。

「え? あ、ああ。はい。行きますのね……」

 ハッと顔を上げて、ナタリアは笑顔を取り繕う。

「その……元気出せよ」

 ルークは言った。

「まだモースの言ったこと本当かどうかも分からないんだし」

「ええ……。分かっていますわ。大丈夫です……」

 そう言うと、ナタリアはアスターの私室を出て行った。廊下で立ち止まっていた仲間たちの間を通って先へ進んでいく。

「ナタリア、ホントのお姫様じゃないのかな……」

 その背を見やって、アニスが呟いた。

「ホントだろうと無かろうと、俺たちにとっては何も変わらない。そうだろ?」

 ガイが言う。だが、ジェイドは言った。

「私たちはそれで良くても、当人がどう考えるか、ですね」

「そうね。心配だわ」

 頷くティアの隣で、部屋を出てきたルークが顔を俯かせている。

「俺も自分が本物じゃないって言われた時、すげぇヘコんだから……。モースのやつ……例えデマだとしても許せねえ……!」

「ルーク……」

 怒りに声を震わせたルークを、ティアは打たれた心地で見やった。

「彼女の問題は、彼女自身が答えを見つけなければなりません。冷たいようですが、今はケセドニアを無事降下させることを考えましょう」

「そう、だな……」

 ジェイドに言われて、ルークは口を閉ざした。ナタリアの問題はナタリアが解決しなければならないのだ。ルークの問題も、ルーク自身が決着をつけねばならないように。


 アスターの私室を出たすぐ後、廊下にいるアスターの使用人に話しかけると、アスターからの贈り物だと言って沢山アイテムをくれます。太っ腹だ!


 砂漠への出口は封鎖されていたが、ルークたちがアスターの名を出すと通してもらえた。だが、いざ街を出ようとした時、ルークが頭を押さえて足を止めた。

 ――……おい、聞こえるか。レプリカ!

 この頭痛を感じるのも久しぶりだ。頭の中でキーンと鳴る共鳴音を割るようにして、無愛想なアッシュの声が響いてくる。

「……いてぇ……!」

 たまらず、ルークは悲鳴をあげた。

 ――砂漠のオアシスまで来い。話がある。

「……オア……シ……ス?」

 ――そうだ。分かったらさっさと来い!

 それきり、声はプツリと途絶えた。痛みの方は即座に消えることをせず、ズキズキと尾を引いている。

「また例の頭痛か? 確かアッシュの声が聞こえるんだったな」

「……ああ。俺、あいつのレプリカだから」

 ガイが気遣わしげに声をかけてくる。痛みに顔をしかめながら、どうにかルークは頷いた。

「アッシュ……! アッシュは何て言っていましたの?」

 ――と。ナタリアが間近に駆け寄って来たので、ルークは目を瞬かせた。

「え……うん……。砂漠のオアシスへ来いって。話があるってよ」

 ナタリアは両手を顔の前で合わせて泣きそうな顔をしている。あいつに会いたいんだな……とルークは思った。ナタリアは今、誰よりもあいつの顔が見たいんだ。

(ナタリアはあいつが好きなんだろうから、あいつなら、慰められるのかな……。あいつは……俺の本物だもんな)

 一方で、ティアとジェイドが意見を交し合っていた。

「この呼び出し……何か裏があるのかもしれないわ。兄さんが裏で糸を引いているんじゃないかしら」

「それはどうでしょう。一概にヴァンの味方とは考えにくい」

「アッシュはわたくしたちの敵ではありませんわ!」

 ナタリアが荒げた声を挟む。しかし、アニスは首を捻った。

「味方でもないんじゃないかなぁ。アッシュってば、前の時も何してるか話してくれなかったし」

 アッシュと行動を共にしていないティアに「そうだったの?」と水を向けられて、ナタリアは気まずそうに目を伏せる。

「ええ。詳しいことは何も……。調べたいことがある、とは言っていたのですけど」

「そう……。とにかく今のアッシュと兄の関係が明確でない以上、やはり警戒だけはしておいた方がいいと思うの」

「分かりましたわ……」

 ナタリアは目を伏せたまま頷いている。

「……とにかく、オアシスに寄ってみようぜ。アッシュの話を聞いてからでもセフィロトの制御は間に合うはずだ」

 ルークの言葉に、仲間たちは頷いた。


「ナタリアはあいつが好きなんだろうから、あいつなら、慰められるのかな……。あいつは……俺の本物だもんな。」という言葉はルークの日記に書いてあるんですが。

 この辺りのルークは一所懸命ナタリアを慰めようとしてるし、ナタリアのために本気で怒ってるんですけど、ナタリアはやっぱりアッシュを求めている。

 シュレーの丘で はしゃいでティアに抱きつくルークを見てナタリアは複雑な顔になってましたけど、ルークも ちょっと複雑みたいです。

 仕方のないことだけど、時間の経過や状況によって関係は変わっていく。お屋敷時代に育まれていた「幼なじみで婚約者」の関係は終わっていきます。


 オアシスの村に湧き出す、巨大な譜石の突き立った泉。その水辺に、アッシュの姿はあった。

「やっと来たか……」

 ルークの顔を見るなり、アッシュはそう言った。

「話ってなんだよ」

「何か変わったことは起きてないか? 意識が混じり合ってかき乱されるというか……」

「はぁ?」

 一体何を言われるのか。またなじられるのか。そんな風に幾分緊張していたルークは、拍子抜けて肩を落としていた。

「意味分かんねぇ……。お前が俺との回線を繋いでこなければ変なことは起きねぇし……」

「……そうか」

 そう言ったアッシュの声は小さかった。どこか気落ちしたような……。今までの尊大な態度にはあまり似つかわしくない。

「アッシュ。何かありましたの? どこか具合が悪いとか……」

 不安に駆られたナタリアの言葉に、アッシュは「……別に」とだけ答えて視線をそらす。それきり口を閉ざしたので、暫く沈黙が落ちた。

「おい、それだけかよ」

 少し離れた椰子の木にもたれて様子を見ていたガイが、呆れと苛立ちを半ばさせたような声をあげる。まさか、これだけの会話の為にわざわざここまで呼び出したわけではあるまいと言いたげに。

「……エンゲーブが崩落を始めた。戦場の崩落も近いだろう」

 やがてアッシュは言った。全員がハッと表情を険しくする。「そんな!」とティアが叫んだ。

「このままでは戦場にいる全員が死んでしまいますわ!」

「馬鹿野郎。ここにいたらお前も、崩落に巻き込まれて死ぬぞ!」

 アッシュはナタリアを叱り付ける。が、ナタリアは怯まずに言った。

「そんなこと分かっています。ですからわたくしたちは、セフィロトの吹き上げを利用して、ケセドニアを安全に降下させるつもりですの」

「……そんなことが出来るのか?」

 アッシュはジェイドに顔を向けた。

「さあ?」

 しかし、ジェイドは笑って肩をすくめる。

「食えない野郎だ」

 アッシュは溜息と共に言葉を落とし、ナタリアたちの方に再び視線を戻した。

「もし今の話が本当なら、同じ方法で戦場も降下させられるんじゃないか?」

「でも、シュレーの丘に行くのが間に合うかどうか……」

 ティアがそう言って表情を曇らせたが、アッシュは即座に言い切っていた。

「間に合う。そもそもセフィロトは星の内部で繋がっているからな。当然、パッセージリング同士も繋がっている。リングは普段、休眠しているが、起動さえさせれば、遠くのリングから別のリングを操作できる」

「ザオ遺跡のパッセージリングを起動させれば、既に起動しているシュレーの丘のリングを動かせる?」

「……ヴァンはそう言っていた」

 そう答えると、アッシュはそのまま村の出口へ向かって大股に歩き始めた。正面にいたルークは押しのけられ、仕方なく飛び退いてムッとした顔でその背を見送る。

「アッシュ! どこへ行くのですか」

 ナタリアが呼びかけると、彼は足を止めた。

「俺はヴァンの動向を探る。奴が次にどこを落とすつもりなのか、知っておく必要があるだろう。……ま、お前たちがこの大陸を上手く降ろせなければ、俺もここでくたばるんだがな」

 最後に皮肉に笑ったアッシュに歩み寄り、ナタリアはひどく真剣な顔で小指を差し出した。

「約束しますわ。ちゃんと降ろすって! 誓いますわ」

「指切りでもするのか? 馬鹿馬鹿しいな」

 横目でナタリアの差し出した指を見やり、アッシュは目を伏せて笑う。

「アッシュ……!」

「世界に絶対なんてないんだ。だから俺はあの時……」

 その先の言葉は、しかし彼の口から出ることはなかった。何かを噛み締めるように押し黙った後、アッシュは目を上げて歩き出す。

「……俺は行くぞ。お前らもグズグズするな」

 そして、オアシスの村から立ち去った。




「アッシュのヤツ、結局何の用だったんだ? 話すだけ話して行っちまったけど」

 アッシュの姿が消えてから、ルークは呆れたように声を落としていた。ナタリアは沈んでいる。

「そうですわね。久しぶりに会ったというのに……」

「よく分からないヤツだよ。相変わらずな」

 ガイの声音はどこか なおざりだ。

「用件はよく分からなかったですが、重要な情報を届けてくれましたよ。戦場の崩落、パッセージリングの性質など、ね」

 ジェイドがそう言うと、ナタリアは光を見たように顔を上げた。

「やはり、わたくしたちを助けようと……」

 しかし、ジェイドはにべもない。

「まだ結論を出すのは早計というものです」

「そうだな。でも、ヴァン師匠との繋がりは もうなさそうだったな」

 ルークはそう口を挟んだが、「余計にややこしくなっただけかもしれないけど?」とガイが混ぜ返した。どうにも、ガイはアッシュに対しては辛口だ。

「でも、なんか変な感じだったな。あいつとユリアシティで会った時は、話してたら速攻ブチキレて戦うことになったのに、さっきは全然そんな感じにならなかったし」

 ルークがそう言うと、「今はケセドニア降下の事が第一ですからね」とジェイドが返してくる。

「彼も別の事が気がかりだったようですし」

「そういえば、意識がかき乱されるとか言ってたな」

 ガイがそう言うのを聞いて、ルークは考え込んだ。

「昔は俺、頭痛がして幻聴が聞こえたりしたけど、それの事を言ってるのかな……」

「コーラル城であなたとアッシュの回線が開かれた後は、互いの声が聞こえるのも分かるのですが、それ以前のものは別の要因でしょうねぇ」

 ジェイドがそう言っている。

「最近その幻聴ってないんだよな、俺。アッシュと繋がってから、慣れちまっただけかもしれないけど」

「ふむ。彼がもう少し何か話してくれれば推測も出来ますが……彼も素直じゃないですからねぇ」

「『彼も』って……ジェイドと同じって事か?」

「む。そう来ましたか」

「ん?」

 ルークはきょとんとしている。ガイがぷっと吹き出した。

「まぁ、彼のことは後で考えましょう。……今からザオ遺跡へ向かうと、途中の砂漠で日が暮れます。砂漠には魔物も多い。今夜はここで休んで、明日早く出発しましょう」

 仲間たちを見渡して、ジェイドはそう言った。





「眠れないの?」

 テントの外で星を眺めていたルークは、掛けられた声の方に顔を向けた。歩み寄って来るティアの姿が見える。

「……うん。何だろう。気が昂ぶってるのかな……」

「そうかもしれないわね。色々なことがあったし」

「息つく暇もなかったですの」

 足元でミュウが言った。この生き物は常にルークの側に控えている。

「そうだな……。でもそれは、これからも……」

「確かに私たちは追い立てられるように進んでいるわ。でも休める時にはしっかり休んで。ね?」

「……うん。また日記でもつけて気を落ち着かせるよ」

 ルークがそう言うと、「継続は力なり、ね」とティアは笑った。

「はは。前もそんなこと言ってたな」

 声をあげてルークも笑い、「ああ」と頷く。

「いつか俺がもっと大人になって、この日記を見返した時に、変わったんだなって……そう思えるように頑張るよ」

 そしてもう一度、空を見上げる。星は瞬き、全てを、ただ静かに見下ろしていた。


 様子のおかしいアッシュ。今までルークに起こっていた頭痛が彼に移っている? それに、「意識が混じり合って かき乱される」とは一体……?

 意地を張って自分の不調を隠し、人に頼ろうとしないアッシュの態度は、このずっと後に大きな影を落とすことになります。

 といっても、もうこの時点で手遅れだったのかもしれませんが……。


「こんなところに二回も用事が出来るなんて思わなかった〜」

 ザオ遺跡の入口に至って、アニスが言った。砂漠の中の遺跡は相変わらず砂に埋もれ、茫漠とした寂しさを漂わせている。

「……少し前のことなのに、前来た時と随分変わったわね。私たちを取り巻く状況……」

 ティアは呟いた。以前この地を訪れてから、まだ二ヶ月も経っていない。しかし、あの時とは立場も目的もまるで違っている。唯一、戦争回避という大義だけは変わっていないのだが。

「そうですねぇ。あの頃はグランツ謡将も敵ではなかった。いや、その本性を見抜けていなかった」

「そうそう。今思えば、まさか総長が! って感じだよ〜」

 ジェイドとアニスが声を交わしている。

「アニスも、まだみんなに本性をあまり見せていませんでしたねぇ」

「はぅあ! そんな事ないもん。今も昔も可愛いアニスちゃんのままですよぅ!」

「おや、そうでしたか。可愛いアニスちゃん♪」

 笑顔で返されて、アニスは低い声で呟いた。

「なんかすっげームカツク!」

「二人は相変わらず、なのかしら……?」

 ティアは半ば呆れて肩を落とす。そんな様子を意に介さずに、真っ先に遺跡の中に駆け込んだアニスは「パッセ〜ジリング〜♪ パッセ〜ジリング〜♪」と歌いながら長いスロープを駆け下りていった。

「緊張感が皆無ですわね」

 その背を見ながらナタリアが言い、ガイが笑った。

「はは、いいじゃないか。……それより、アッシュの言葉をそのまま信じて大丈夫なのか?」

「アッシュのことを信じられませんの?」

 ナタリアの声は沈んだ。この幼なじみがアッシュの言動に否定的であることは、いい加減身に染みてきている。

「いや。ただ、罠じゃないかと思うことはある」

「確かに……可能性は否定できないわ」

 同調したのはティアだった。彼女も一貫してアッシュに対して懐疑的だ。彼が六神将――彼女の兄の直属の部下であることが、どうしても念頭から外れないらしい。

「パッセージリングの性質を考えても、情報は正しいものだと思いますよ」

 ジェイドはむやみに否定することはない。しかし肯定もしなかった。彼はこう続ける。

「ただし、彼なりの目的と意図があり、私たちを利用しているのは確かですがね」

 それぞれの思いから全員が黙り込んだ。嫌な沈黙だ。

「……今は外殻大地を無事に降ろすことだけを考えようぜ。それにアッシュだって、外殻大地を消滅させようなんて考えてない筈だ」

 ややあって、口を開いたのはルークだった。ティアが頷く。

「そうね……。こうしている間にも事態は進んでいるんだものね」

「どうしたの〜? ちゃっちゃと終わらせよ〜」

 先に行っていたアニスが駆け戻ってきた。不満げに唇を尖らせている。

「はは……。アニスみたいにしているのが今は一番なのかもな」

 ガイが笑う。一行は螺旋に下るスロープを降り始めた。





 ダアト式封咒で閉ざされていた神殿へ続く橋を渡っていた時、突然、足元が轟音を立てて震え始めた。「はうっ!?」とアニスが悲鳴をあげる。

「橋が揺れてる?」

 先頭にいたルークが立ち止まり、狼狽した声をあげた。

「……橋だけじゃないわ。この地下都市全体が揺れているみたい」

「……微弱ですが譜術を感じますね」

 ジェイドの言葉に、ティアは「私は感じられませんが……」と怪訝な声を返す。

「罠か? それとも……」

「敵ですの?」

 緊張したガイの言葉を、ナタリアが継いだ。

「だとしても進むしかない。せめて慎重に行こうぜ」

 ルークは仲間たちを振り返って促したが、「おや、あなたらしからぬ台詞ですねぇ」とジェイドにからかわれて「うるせっ」と頬を膨らませた。

「帰りに橋がなくなってる……なんてのはごめんだがな」

「やなこと言わないでよ〜!」

 ガイとアニスがそんな言葉を交わしている。

 橋を渡り、神殿前に至ると揺れは激しさを増した。

「な、なんだ!? 地震!?」

「違います。これは……」

 ジェイドが緊張した声音で言う。

「危ない!」

 ティアの叫びを聞いて、ナタリアは咄嗟にその一撃をかわした。巨大なあぎとのようなハサミをガチガチと噛み鳴らし、サソリと竜を半ばしたような形の怪物がそこに現われていた。

「来ますよ!」

 ジェイドの声を合図に、仲間たちは武器を取る。




 それは奇妙な魔物だった。戦いの最中にずるりと皮が剥がれ、まるで異なる姿に変わったのだ。それまで隠れていた目と、バックリ開いた口が現われ、尾の先のハサミと合わせて喰い付き、叩いては毒を与えてきた。

「こいつは一体……?」

 動かなくなったそれを眺めながら、ガイはまだ剣の柄に手を置いている。

「創世暦の魔物じゃないかしら。以前ユリアシティにある本で見たことがあるわ」

 ティアが言った。

「ただ、こんなに好戦的ではなかったと思うけど……」

 考え込んでいる彼女の前で、魔物の死骸は光となって消えていった。音素フォニムに還ったのだろう。

「ここは以前神託の盾オラクルの六神将が来ていましたわね。彼らが刺激したのでは?」

「遺跡を守ってるだけかもしれないぜ」

 ナタリアとルークは自説を披露し合っている。

「なんでもいいよぅ。とにかくもうこんなのが出てこないことを祈るって感じ」

 アニスは嫌そうに肩をすくめていた。「同感ですね」とジェイドが失笑する。

「では行きましょうか」

 赤い瞳で、ぽかりと開いた神殿の口を見やる。以前はここで引き返していた。だが、あの奥にこそパッセージリングがあるはずだ。


 ティランピオンとの戦闘。

 バチカル廃工場で戦ったアヴァドンもそうでしたが、中ボスキャラは倒すと光になって消える演出がされることがあります。スーパーダッシュ文庫版のノベライズでは「魔物は倒すと音素に還る」と明記すらされていましたが、それにしては戦闘勝利ボイスに「魔物の死体はそのままに。解剖しますから」みたいなのがあったり、お店に魔物(ウォント)の切り身が売っていたり、どうなってんだか よく分かりません。魔物を殺すと消えるのなら、死体も肉も残らないはずですよね。

 ……いや、このずっと後でラルゴ(オリジナルの人間)を倒した時、やはりその死体が光になって消えたので、個人的にえらく衝撃を受けた記憶が。

 推測ですが、体内の音素になんらかの異常が生じていた場合、死ぬと音素乖離を起こして音譜帯に引き寄せられ、消えるんじゃないでしょうか。

 

 地震(または譜術反応)とこの魔物の関連は不明です。フォローなし。……何か裏設定があったのかな?


「ほわ〜、ひろ〜い! たっか〜い!」

 アニスが歓声をあげている。

 開いたままの封咒の扉を潜ると、そこは例の創世暦時代の様式になっていた。時折つづれに折り曲がりながら、長い下り通路が延々と続いている。そこに現われる魔物は、今までのものとはまるで違っていた。

「……」

「どうしたの、ルーク」

 遥か下方に小さく見えるパッセージリングを眺めて、ルークは押し黙っている。ティアが訊ねると、彼は碧の瞳を向けて強張った顔をした。

「こんな物の上に暮らしてたなんて信じられねーやと思って」

「でも、これが事実よ。人間は自分の範囲にあるものしか目に入らないのね」

「……しかし好奇心、知識欲は、時として要らぬ事実を人に突きつける」

 ジェイドが呟く。「外殻大地と同じだな」とガイが言った。

「それでも、わたくしたちは見てしまったのですから、現実から逃げる訳にはまいりませんわ」

 ナタリアが結論付ける。

「……急ごう。崩落は俺たちを待ってくれねぇんだ」

 ルークたちは再び歩き始める。そうして、どのくらい歩いた頃だろうか。

「パッセージリングまだぁ〜。結構、遠いな〜」

 ついにアニスが不機嫌そうに喚いて足を止めた。

「前に来た時よりも、更に奥に進んでるからな。そりゃ長くも感じるさ」

 困ったようにガイが言う。

 先程見えたパッセージリングは遥か下方にあった。あの巨大な音機関が足元に小さく見えたのだ。先は相当長いはずだ。

「もう随分降りたよー? 帰りはこれを上っていくなんてー! ありえない。超ありえない!」

「ありえないですのー!」

 その足元で、ミュウも珍しく不機嫌顔だった。

 アニスもミュウも、まだ子供だ。これまでよく付いてきたが、やはり体力的にキツいものがあるのだろう。

「駄々こねてる暇はありませんよ」

 しかし、ここは頑張ってもらうしかない。ジェイドが笑って言うと、「分かってますよぅ。ぶーぶー」とアニスは頬を膨らませた。

「帰りはガイがおんぶしてくれるそうです」

「え? ホント!?」

 何を思ってかのジェイドの言葉に、アニスはぱっと顔を綻ばせたが、「って、大丈夫なの?」とすぐに首を傾げた。

 ガイは女性恐怖症だ。特に、背後から触れられるのをひどく恐れている。理由はサッパリ分からないのだが。

「……してあげたいのは山々なんだが……」

 ガイは困ったようにそう返した。

「やっぱりね……ガイは特異体質だもんね」

「特異体質ねぇ……」

 ガイはハア、と息をつく。ぎこちなく笑って、不自然に声を張り上げた。

「女性が得意な体質になればいいんだがなぁ」

 はは、は……と漏らした乾いた笑いは、虚しく遺跡の中へ消えていった。

「……冷えた空気のおかげで、元気が出たんじゃありませんか? さあ、先を急ぎましょう」

 すべったガイを取り残し、ジェイドがすげなく促した。





 長い通路の果てに、パッセージリングに辿り着いた。シュレーの丘と同じ、細長い譜石の前の床には譜陣が刻んである。ティアがその中に立つと、大量の第七音素セブンスフォニムが体内に流れこむ感覚に身が震えた。ぐっとこらえてやり過ごすと、譜石の先端が本の形に開き、上空に図像と赤い警告文字が浮かび上がる。

「……よかった。ここでも私に反応してくれたわ」

 ホッと安堵の息を漏らすティアの視線の先で、警告文字がフッと消える。

「やっぱり、総長が封じてますか」

 その様子を見ながら、アニスが傍らのジェイドを見上げて訊ねた。

「そのようですね。しかし……『セフィロトが暴走』……?」

 呟くジェイドの前で、ティアが場所を開け、ルークが操作盤の前に立っている。ジェイドを振り返り、「なあ、赤いところを削り取るんだよな」と確認してきた。そして両手を構えて力を放ち、綺麗に丸い図像を囲む赤い円を消去する。このザオ遺跡のセフィロトは「第四セフィロト」であるらしい。

「この後は?」

「ああ、はい。光の真上に上向きの矢印を彫り込んで下さい」

 ジェイドは操作盤の前のルークに近付く。側で見ていたティアが、「私が代わりましょうか?」とジェイドに訊ねた。この先は複雑な操作が必要になるだろう。演算機の知識のまるでないルークには荷が勝ちすぎるかもしれない。

 だが、ジェイドは首を横に振った。

「いえ。強引に暗号を消去していますから、通常の操作では書き込みが出来ません。ルークの超振動で無理矢理に削っていかないと……」

 ジェイドは再びルークに視線を向けた。

「次に命令を記入しますが、古代イスパニア語は……分かりませんよねぇ?」

「当たり前だろっ!」

「分かりました。今使っているフォニック言語でお願いします。文法はほぼ同じですから動くでしょう」

「なんて書くんだ?」

「ツリー上昇。速度三倍。固定」

「分かった」

 ルークは、先程赤い縁線を消した円の上に小さな文字を刻んでいく。

「うまくいったみたいだな」

 それを目で確認して、ガイが言った。しかしアニスは不安な声を出す。

「でもまだ、エンゲーブが……」

 静かなジェイドの指示が続いた。

「続いて第四セフィロトから第三セフィロトに線を延ばして下さい」

 ルークは二つの円を線で繋ぐ。

「後は第三セフィロトに先程と同じ命令を書き込んで下さい」

「第三セフィロトってのがシュレーの丘なんだな。やってみるよ」

 ルークは線で繋いだもう一つの円の上に同じ命令を書き込んだ。――と。図像が輝き、パッセージリングの下方から光の粒が立ち昇った。がくん、と辺りが揺れ、軽い浮遊感が襲う。

 この時、ケセドニアを含むザオ砂漠一体が、ゆっくりと魔界へと降下して行ったのだった。

「……降下し始めたようですね」

 ジェイドが呟いた。ルークは己の膝に手を置き、肩で荒く息をついている。アクゼリュスで超振動を使わされた時は気を失ってしまったものだが、この力は相当に体力を消耗させるらしかった。




「――完全に降下したようです。パッセージリングにも異常はないですね」 

「念のため降下が終了するまでパッセージリングの傍に待機していましょう」。そう言うジェイドに従ってから、どのくらい待ったのだろうか。辺りに大量の記憶粒子セルパーティクルが吹き上がる中、ついにジェイドがそう言った。

「大成功ですのー!」

 ミュウが笑顔で飛び跳ねる。

「戦場も降下できたようです」

「よかったぁ〜。……へへ、何か上手く行きすぎて拍子抜けするぐらいだな」

 いかにも緩んだ調子でルークは笑う。が、「あんまり調子に乗らない方がいいんじゃないですかぁ?」とアニスに釘を刺されて、「……う、それはそうかも」と声を詰まらせた。

「お、しおらしいな」

「調子に乗って取り返しのつかねぇことすんのは……怖いしさ」

 ガイのからかいにそう返したルークは、冴えないティアの表情に気付いて困った顔を見せた。

「ティア。んな顔しなくても俺、もう暴走しねーって」

「ううん。そうじゃないんだけど……」

 そう言って微笑んだティアの顔色は、青い。どことなく辛そうに見える。

「きっと疲れたんだよ。なんだかんだで降下に丸一日以上かかってるもん」

 アニスがそう言った時だった。ティアがふらりとその場に倒れたのは。

「おい、大丈夫か!?」

 叫び、駆け寄ってルークはティアを膝に抱き起こした。そのすぐ傍にはガイも立っていたが、彼は体を強張らせて立ちすくんでいる。両腕を差し出してはいたが、それは固まったままティアに触れてはいなかった。

「ごめんなさい、大丈夫よ。体調管理も出来ないなんて、兵士として失格ね」

 ルークの腕の中でそう言って笑ったティアに、ナタリアが強い声音で言った。

「兵士とかそんなことを気にするより、もっと自分の体の心配をなさい。本当に体調はよろしいんですの?」

「あ、ありがとう。でも本当に平気よ」

 ティアはルークの腕を外して立ち上がる。困ったようにナタリアを見詰めた。

「それなら外に出ましょう。魔界クリフォトに辿り着いているのか確認した方がいいですから」

 ジェイドが言う。仲間たちはセフィロトの出口へ歩いていったが、ガイはその場に残って、苛立ったように片手で己の金髪を掻き回していた。

「……弊害が出ていると考えるなら、原因を探った方がいいですよ」

 そんな彼を見詰めて、ジェイドが静かに声を落とす。

「え? ああ……そうだな」

 顔を上げ、ガイはそう返して手のひらを握った。


 色々と伏線が出てきています。

 それはそうと、投影映像を直接削ったり書き込んだりすることで機械を操作するって、凄まじいですよね。どーゆー構造なんだ。

 ……まぁこれは結局は譜術(魔法)で、実際は内部プログラムに干渉してる(削るというよりは消去と再構築?)んだけど、ルークのイメージでは「絵を削る」という操作になってるんだと考えておいた方がいい……のかなぁ……。


 アルビオールは魔界クリフォトの空を飛んでいた。



 ザオ遺跡から外に出ると、果たして、世界は紫色に染まっていた。包み込む障気が不気味に輝き、所々に雷光が閃いている。降下作業は見事に成功したわけだが、ここからどうやって外殻へ戻るかということが今更ながら問題になった。

 ノエルなら、降下中の大陸にも無事降下できたかもしれない。

 そんな一縷の望みを託し、合流場所であったケセドニアに戻ると、果たして、待ち受けていたノエルが駆け寄ってきた。降下の少し前に到着していたのだという。また、エンゲーブの住民は全て運び終えたとも言った。

 皆がノエルの労をねぎらう中、ルークが訊ねた。

「ルグニカ平野の様子はどうだった? 無事に降下してたか?」

「はい。降下の影響で、キムラスカ軍の多くがカイツールまで退いたようです」

「カイツール!? そんなところまで降下したのか」

 ガイが声を高くした。

「……ルグニカ大陸で外殻大地に残っているのは、グランコクマの周辺だけになってしまいましたね」

 ジェイドがぽつりと言った。

「パッセージリングが上手く機能して、戦場の兵士たちが無事でいればいいのですが……」

 呟いて、ナタリアは目を伏せる。ガイが頷いた。

「そうだな。それにカイツールにも大勢の兵士がいたはずだ。あそこまで落ちてるとは思わなかったよ」

「みんな混乱してるだろうな……」

 ルークは俯いている。その顔を上げてノエルを見た。

「ノエル、到着したばかりで悪いけど、また飛んでもらえるか?」

「勿論です」と彼女は頷く。「外殻へ戻るのか?」とガイが訊ねたが、ルークはこう言った。

「ルグニカの様子を見に行きたいんだ。どうなってるのか、自分の目で確認したいし……」

「そうだな……。あそこにはセシル将軍やフリングス将軍もいるはずだ」

 ガイは頷いた。


 ゲームではここですぐに次の恐ろしい危機が示され、ルークたちは慌しくダアト目指して出発するのですが、このノベライズではサブイベントを取り入れるためにワンクッション置いてルグニカを見に行くことにしました。(恐ろしい危機が迫ってるのにのんびりサブイベントをやるのは物語的におかしいので。)

 ともあれ、ここからアルビオールを自由に動かせるようになり、世界の各地へ簡単に行けるようになります。まっすぐダアトへ行かずに寄り道すると、様々なサブイベントを起こせます。これらのイベントは今後に続いていきますので、余さず起こしておくと後が楽しいと思います。

 

 ケセドニア北部の露店街に行くと、いつかの辻馬車の親父がいます。ルークはティアのペンダントをグランコクマの誰に売ったのかを聞き出します。

 それからグランコクマへ行って聞きだしておいた買い取り手を訪ねると、ペンダントの買戻しが可能になります。ティアのペンダントは優れた装備品ですので、ぜひ買い戻しておくといいと思います。

 ついでに、グランコクマの商店の外側裏の扉の鍵が解除されるので、カウンターの中に入ってオルゴールの音盤を入手できます。

 アラミス湧水洞へ行ってみると、一匹の日本犬がいて尻尾を振っています。

「バウバウバウ!」
#全員怪訝な顔をする。犬はルークの周りをぐるぐる回り、尻尾を振りながら見上げる
ルーク「なんだ? この犬……」
「ハッハッハッハ」
ルーク「エサが欲しいのか? アップルグミとか食うかな?」
ナタリア「犬はアップルグミなんて食べないと思いますわよ」
ガイ「丁寧な突っ込みだな……」
#犬、全員を見て吠える
「バウバウバウバウ!」
#ティア、犬の前にしゃがんで頬を染める
ティア「ふさふさ……」
ジェイド「何か訴えてることは確かなようですが……。アニス、何を言いたいのかわからないですか?」
アニス「わかんないですよぅ。根暗ッタならともかく」
#犬、一方を見ながら鳴く
「わぅ〜ん、わぅ〜ん!」
ルーク「ん?」
#釣られてそちらを見上げるルーク
ルーク「あ!」
#ルークの声で全員がそちらを見る。木の根に絡みつかれてぐったりしている男発見
ジェイド「おや」
アニス「人だ! 人が根っこに絡まってる!」
ガイ「……どうやって絡まったんだ?」
「うぅぅ……」
「わぅ〜ん、わぅ〜ん!」
ティア「飼い主かしら? きっと助けてって言ってたのね」
ナタリア「困っている民を助けることも王族の仕事ですわ。さあ、ルーク!」
#ルーク、ナタリアを振り返って
ルーク「……う、わかってるよ」
ガイ「あの木の根っこってミュウの火で燃やせたよな」
#犬を連れて上に登り、木の根にミュウの火を吐かせる
「あぢぢぢぢ!」
#犬、男の側に
「ヘッヘッヘ♪」 
「た、助かったよー。ありがとう」
ルーク「大丈夫か?」
「俺はシバ。こっちは愛犬のペコだ」
#犬、ルークたちの方に向き直る
ペコ「バウ!」
シバ「シェリダンの職人なんだが見聞を広めるため世界中をまわってんだ」
ガイ「で、何でこんなとこに絡まってんだよ?」
シバ「いやぁ、ペコと遊んでたらいつの間にか……ね」
ペコ「ヘッヘッヘ♪」
#沈黙するルークたち
ルーク(変なヤツ)
ガイ(変なヤツだな)
アニス(キモイヤツ)
ティア(しっぽがふさふさ……)
シバ「そうだ! 助けてくれたお礼に何かあげたいな」
#焦るルーク
ルーク「別にいらねーよ」
シバ「うん! これをあげよう!」
#歩み寄ってルークに渡す。もらった物を見つめるルーク
ペコ「バウバウバウ!」
ナタリア「これは?」
ガイ「絵……か?」
シバ「ああ。どっかの貴族の似顔絵らしい。オークションで50000ガルド出して落札した値打ちモンだ」
アニス「マジですか!?」
#じっと絵を見るアニス
アニス「これが50000ガルド? こんなの私でも描けそう……」
ガイ「確かに上手くはないな……」
ジェイド「芸術……とは言い難い代物ですね」
シバ「貴族の子供が自分の親を描いたらしい。これは父親の絵だが、どっかに母親の絵もあるらしいよ」
ティア「でもそんな高価な物を頂いてもいいのかしら?」
アニス「貰えるものはもらっとこうよ!」
シバ「そうさ、受け取ってくれよ。あんた達は命の恩人だ。これ位の礼はさせてくれ」
ペコ「バウバウバウ!」
ルーク「……わかった。ありがとう」
シバ「そんじゃ、俺たちはこれで失礼するよ。助けてくれて本当にありがとう」
ルーク「ああ。気をつけてな」
#(何故か湧水洞の奥、行き止まりの方へ)立ち去るシバとペコ
 王の肖像画を手に入れました
ルーク「変な奴だったな……」
ジェイド「それにしてもあの微妙な絵……。どっかで似たような物を見た気がしますが……」

 ティアさん、犬ばっか見てないで人の話は聞いてください。

 シバを助けると「王の肖像画」という一枚の絵をくれます。ある貴族の子供が自分の父親を描いたという この微妙な絵、どこかで見たような……? 実はコーラル城の玉座の横に似たような絵(母親の絵)が飾ってあったんですね。(しかし、正直そんなん自力じゃ分かんねーよ! 攻略情報を見ずに気付いた人はすごい注意力の持ち主だと思います。)コーラル城のその場に絵を持っていくと自動的にイベントが始まります。

#コーラル城の玉座に近付く
ルーク「ん? この絵って……」
#玉座の背後の右側の壁に似顔絵らしき物が飾られている
ティア「ええ。前にシバって人にもらった絵に似てるわ」
アニス「あー。微妙さ加減がそっくり」
ガイ「確か……父親と母親の絵があるって言ってたな」
ナタリア「じゃあ私たちが持っているのが父親の絵で、飾られているのが母親の絵ということかしら?」
ジェイド「まあ、そうなのでしょうね」
#何事か考え込むルーク
ルーク「なぁ、絵を戻してやらないか? なんか、かわいそうっつーか……」
ジェイド「おやおや」
ルーク「な、なんだよ……」
ジェイド「いいえ。別に」
ティア「そうね……。この絵は並んでいるべきだわ」
ルーク「じゃあ、戻すぞ」
#ルークが左側の壁に絵を掛ける。すると二つの絵の間の壁が開く
ルーク「なんだ?」
アニス「お宝の予感v
#中に入ると、宝箱。触ると左右に佇んでいたゴーレムが襲ってくるので、それを撃破
アニス「きゃっほ〜v 宝箱発見! おたからおたから なーにかなv
 鎮魂の音盤を手に入れました
#憮然とするアニス
アニス「ちっ、音盤か」
ルーク「『鎮魂の音盤』か……」
ティア「……。まるで、この城の未来を予知していたみたいね」
#ルーク、憮然としてティアを見る
ルーク「ヤなこというなー。ここは元々ウチの別荘でもあったんだぜ」
ティア「そうね、ごめんなさい」
ジェイド「でもあながち間違っていないかもしれませんよ。物に籠もった怨念が、運命をねじ曲げて……」
#ティア、汗飛ばす
ティア「そ、そういう冗談はやめて下さいっ!」
アニス「ティアってなにげに怪談系苦手だよね」
#ルーク、嬉しそうに笑う
ルーク「な? 戦士だなんだ言う割に臆病だよな」
ジェイド「そういう二人も私の怪談に怯えることが多いようですが?」
#憮然とする二人
アニス「だって大佐が言うと……」
ルーク「ホントっぽいんだよな……」

 オークションで5万ゴールドもしたというその絵を、ルークは「かわいそうだ」と壁に戻して並べてあげます。「おやおや」と言ったジェイドの気持ちが、なんか分かる気がします。ルークって子供っぽいけど、純粋で可愛いよねぇ。

 そして何気に怪談をするのが好きなジェイドと、怪談苦手なティア。ちなみにナタリアは怪談をするのも聞くのも好き。そして、ティアの弱点を発見して実に嬉しそうなルークです(笑)。

 シバの関わるサブイベントは今後も何度か起こり、ミュウファイア2の入手や深淵のレプリカ施設侵入など、かなり重要な活躍をしてくれます。

 コーラル城のこの絵に関しては裏設定があるようで、ファミ通版の攻略本に色々なことが書かれていました。この絵に描かれた夫妻はマルクトの皇族に連なる人物で、駆け落ちし、マルクトから亡命してこに隠れ住んでいたのだそうです。(ファブレ家の当時の執事が匿ったらしい。)やがてマルクトからの追っ手に見つけられて夫妻は自害しましたが、絵を描いた子供だけはファブレ家の執事によって逃がされたのだそうで。……この子供がどうなったのかは分かりませんが、何か裏設定が更にあるのでしょうか? ちなみにこの事件、ルークの祖父くらいの時代のことのようです。

 エンゲーブに行くと、セシルとフリングスの二人に関する長いイベントが開始します。ガイ好きな人には必見のイベントかも。

 更に、タタル渓谷の夜には行けなかったマップの、壁に埋もれてる岩(ウィンドスピリッツがウロウロしている辺りにある)をミュウアタックで破壊すると奥に入れ、ミュウに『ミュウウイング』の能力が追加されます。ですが、これは後にメインストーリー上でタタル渓谷に行ったついでに取るのでも構わないでしょう。


 マルクト領、エンゲーブ。つい先日、キムラスカの進軍から逃れるために住民たちを避難させたばかりのこの村は、どうやら今はマルクト軍の手に取り戻されているらしい。

「あれは……?」

 ジェイドの後に付いて中に入ったルークたちは、奥で二人の男がもみ合っている姿を目にした。正確には、一人がもう一人を殴って地に転がし、更に足蹴にしようとしているのだ。殴った側は青いマルクト軍の装備を身につけていたが、転がっている方は赤いキムラスカ軍の装備を身につけていた。彼は抵抗もせず、ぐったりと倒れ伏している。

「やめろ!」

 その時、ルークたちよりも早くその場に駆け寄る人物があった。そのままマルクト兵の腹を殴る。殴られたマルクト兵は「うわっ!」と声を上げ、勢いよく尻餅をついた。

「ダアト条約を忘れたか! 捕虜の扱いもまともにできない屑共め!」

 そう叫んでいるのは、キムラスカの赤い軍服をまとった金髪の女、セシル将軍だった。マルクト兵は立ち上がり、彼女に嘲りの言葉を投げる。

「うるさい! キムラスカ軍の奴らは黙って地面に落ちた残飯でも食ってりゃいいんだよ!」

「貴様!」

 セシルがもう一度腕を振り上げかけた時、駆け寄ってきた別の男がその腕を捕らえた。

「は、放せ!」

「そうはいきません。彼は私の部下です」

 青いマルクトの軍服を身にまとった淡金髪の男、フリングス将軍だ。一人の兵を傍に従えていた。

「マルクト軍は最低限の礼儀すら知らないのか! その兵は、我々の食べ物を床に投げ捨て、這いつくばって食べろと言ったのだぞ!」

「それでも、彼は私の部下です」

 彼は断固として手の力を緩めず、傍らの兵に鋭く命じた。

「――ディラック! その者をハイデスの営倉へ連れて行け」

 ディラックと呼ばれた兵が、キムラスカ兵を殴っていた兵に駆け寄った。

「フリングス将軍。自分は何も……!」

 狼狽する兵を、フリングスは鋭い目で射抜く。

「私が何も聞いていなかったと思うか? 敵の将軍に対し、残飯を食えと言い捨てるのは、我がマルクト軍の品位を落とす行為だ。お前の言い分は後ほど取調べで聞いてやる。連れて行け!」

 腕を押さえられ、兵はうな垂れて連れられて行った。それを見送り、フリングスはセシルの腕を捕らえたまま頭を下げる。

「セシル将軍。私の部下が失礼しました。部下の失態は私の責任です。どうかお許し頂きたい」

 下げられた視線が再び上がった時、二人の視線が間近で絡み合った。

「!」

 セシルは息を呑み、怯んだ顔をした。フリングスは不思議そうに目を瞬かせ、二人は暫し無言で見詰め合う。

「……も、もう結構だ」

 掴まれた腕を振り払い、セシルは何かを隠すように顔を背けた。倒れていたキムラスカ兵を抱え起こし、肩を貸して村の宿屋へ歩いていく。そこが捕虜の収容場所なのだろう。

 彼女の姿を目で追っていたフリングスは、間近に誰かが近付く気配に気付いて視線を戻した。その表情が驚きを形作る。

「カーティス大佐! 皆さん!」

 こちらの顔を見回しているフリングスに向かい、ルークは訊ねた。

「フリングス将軍! 今の騒ぎは……」

「お恥ずかしいところをお見せしました。障気に包まれているこの状態に部下たちが浮き足立っていて……」

 そう言い、フリングスはふと表情を改める。

「ところで、皆さんならご存知ありませんか? この国は一体どうなってしまったというのでしょうか?」

 自分がいるこの大陸が降下しているなど、兵たちは知る由もないだろう。しかし、何か尋常ならざることが起こっているのは明らかだった。そんな中で、フリングスはよく平常心を保っているといえる。

「そうですね。説明しておきましょう。しかし、ここで話すのも難ですが……」

「では、現在我が軍が本部としてお借りしているお宅へ行きましょう」

 そう言ってフリングスが案内したのは、村長のローズ夫人の家だった。




「なるほど。ではルグニカ大陸が魔界クリフォトに移動してしまったということですか……。信じ難いことですが、確かに斥候に出した兵の報告と今のお話は一致します」

 話を聞き終わって、フリングスはそう言った。ジェイドは彼に声を掛ける。

「何かあれば陛下にお伝えしておきますが」

「今のところは大丈夫です」

 そう返すフリングスの物腰は落ち着いている。ガイが仲間たちに向かって言った。

「なぁ、セシル将軍に会っていかないか? 将軍が生きてることを本国に知らせた方がいいと思うし」

「あら、そうですわね。でも……」

 ナタリアがフリングスを気にしている。フリングスは敵国人であるナタリアやルークにも礼を取っているが、流石に捕虜との接見は簡単にはいかないのではないか。

「構いませんよ。話は通しておきます」

 だが、フリングスは屈託なくそう言った。「ありがとう!」と頭を下げ、ルークは仲間たちと共に村の宿へ向かった。




「これは! ナタリア殿下! それにルーク様も!」

 宿に入ると、ベッドに腰掛けていたセシルは立ち上がり、驚きに声を高くした。

「セシル。一体何故捕虜に?」

 ナタリアが訊ねる。セシルは有能な軍人だ。それが兵とただ二人で捕らえられているなど、奇妙と言う他ない。

「いえ、それは……」

「将軍は自分を助けようとして下さったのです」

 口ごもるセシルに代わるように、その背後からキムラスカ兵が答えた。まだ随分と若い。ルークは首を傾げた。

「お前を助ける?」

「戦場にいる時、突然大地震が発生して、私は地割れに飲み込まれそうになりました。それを将軍が助けようとして……」

「私とこのハミルトン上等兵は大地の亀裂で孤立してしまいました。それをあのフリングス将軍が……助けてくれて……」

 ハミルトンの言葉を継いだセシルの声は再び詰まり、途切れた。ガイが笑いかける。

「無事でよかったです」

「……恥ずかしい話です。敵将に命を救われるとは」

「そのようなことを言うものではありませんわ」

 ナタリアがたしなめた。

「そうだ。キムラスカの皆にセシル将軍のこと伝えておくけど、何か伝言はないか?」

 ルークはセシルに訊ねる。彼女は答えた。

「殿下たちに伝言をお願いするのは気が引けますが、宜しければアルマンダイン伯爵に私の無事とお詫びをお伝え下さい。アルマンダイン伯爵は恐らくカイツールにおられると思います」

 きびきびと言った彼女を見詰める目に、ふとルークは複雑な色を乗せた。

「父上には……いいのか?」

「……は、はい」

 虚を突かれたように息を呑み、セシルは身を固くする。いたたまれないとでもいう風に視線を落とした。




 宿を出て今後の進路について話し合っていると、フリングスがやって来た。

「もしや、カイツールへお向かいになりますか?」

「そのつもりだけど」

「それでは伝言をお願いできませんか。ノルドハイム将軍がグランコクマに戻られた後崩落が始まった為、今では自分がここの総大将となりました。そこで一時的に休戦を申し入れたいのです」

「よい考えですわ」

 ナタリアが声を明るくする。

「もしそれが受け入れられるのであれば、カイツールにて捕虜交換をと考えています」

「セシル将軍を解放してくれるんですか」

 ガイが言う。「無論です」とフリングスは頷いた。しかしジェイドは渋い顔をしている。

「……あまり賛成しませんが」

 セシル将軍はキムラスカの優駿な将として名を知られている。彼女を手中にしておくことは、戦局をマルクト側に有利に引き寄せておくには有効だと言えた。

「大佐ならそう仰ると思いました。ですが、あの方は人質には不向きです」

 フリングスはきっぱりと言い切る。頑固なその態度に見え隠れする何かを見て取って、「甘いですねぇ」とジェイドは苦笑した。

「いいじゃないですか。敵の将軍を飼っとくほど物資がないってことですよぅ」

 毒舌なのか取り成しなのか。そんなことをアニスが言う。フリングスは笑って、

「聡明なお嬢さんですね。それでは、宜しくお願いします」と言い残して立ち去った。

「はわ〜聡明だって! フリングス将軍はお金持ちですか?」

 アニスは両手を口元で握り締めて身をくねらせている。ジェイドが笑った。

「そうですね。それなりだとは思いますがちょっと遅かったですねぇ」

「何が遅かったんですか?」

「いえいえ。こちらの話です」


 ガイはひたすらセシル将軍の心配をし、ルークは彼女に複雑な視線を向ける。

 ルークは表面上は父親を「親父」と呼んでみたり、煙たがっているのですが、日記を読むと、本当は優しくしてもらいたくて仕方がないみたいです。そして父親といつも一緒にいるセシル将軍に複雑な感情を抱いている。なんだかんだでルークは母親も好きなので、尚更、セシルの存在には感じるものがあるでしょう。

 ガイとセシルの(現時点では)隠された関係も含めて、この辺は実に薄暗くドロドロしています。あまり表に出ませんが。


 カイツールは惨憺たる有様だった。マルクト側もキムラスカ側も、多くの負傷兵が辺りに転がり、治療を待ったまま、その場で息絶えている者も数知れない。宿泊施設のベッドは一杯で、呻き声と血膿の臭いが満ち満ちていた。

「マジかよ……」

「やりきれないな」

「……キムラスカの民が。わたくしは……」

「ひどいよ……」

「何のために、こんな……」

「………」

 それぞれ言葉を失いながら、一行はキムラスカ側の施設にいたアルマンダイン伯爵を訪ねた。彼とは、モースにナタリアが偽者呼ばわりされた時に別れて以来だ。

「休戦ですか……。そうですな。この状況ではそれも仕方ありますまい。さっそく準備を進めます。このようなことにご足労頂き誠にありがとうございました」

 しかし、彼はナタリアに礼を取って接した。モースの言葉を裏付ける決定的な情報がないということなのか。

「このお話、フリングス将軍に伝えなくて宜しいのでしょうか」

「無論、使者は我が軍から送ります。これ以上ナタリア殿下にご迷惑をおかけしては……」

 アルマンダインはそう言うが、ナタリアは納得できない風だった。少しでも多く、民と国のために行動したいのだろう。――キムラスカの王女として。

「こっちにはアルビオールがあるからな。俺たちで伝えてやろう。それでいいだろ?」

 ルークはナタリアに言ってやる。「そうですわね」と、彼女はほっとしたように笑った。




 すぐにエンゲーブにとって返し、ルークたちはフリングスに事の次第を伝えた。

「そうですか。それではこちらもさっそく捕虜交換の準備を進めます。ありがとうございました!」

 頭を下げられてホッとしたのも束の間、ティアが怪訝な表情を作って耳をそばだてる。

「……外が騒がしいわ」

 走り回る音、怒声、そして獣の咆哮が聞こえていた。「魔物の気配がするですの!」とミュウが叫ぶ。

「気になります。行ってみましょう」

 ジェイドに促され、フリングスとルークたちはローズ夫人宅から外に出た。

「これは……!」

 その状況を見てルークは目を瞠る。

 村の西側の入口に狼型の魔物ウルフの群れが押し寄せていた。マルクト兵たちが必死に押し留めているが、次から次へとキリがない。一人の兵が飛び掛られて倒れ、陣形が崩れた。――と。そこから魔物が飛び込む隙を与えず、フリングスが駆け込んで剣を振るった。それは魔物を切り裂いたが、また別のそれが飛び込んでくる。

「助けましょう!」

 ティアが叫び、杖を構えた。ルークも剣を抜く。

 戦いは、暫くの間続いた。

「……終わった、のか?」

 荒い息をつきながら、ルークは剣を構えている腕を下ろした。辺りに生きている魔物の姿は見えない。

「どうやら、そのようです」

 フリングスが近付いてくる。額から流れる汗を拭い、剣を腰に収めた。

「なんだってこんな……。どこから出て来たんだ?」

「分かりません。ですが、環境の変化が魔物にも何か影響を与えたのかもしれませんね」

 そう話すフリングスの背後に一頭のウルフが躍りかかろうとしているのを認めて、ルークはハッと身を強張らせた。――間に合わない。

 刹那。走った金の光が、魔物の牙を阻んだ。駆け込んだセシルの剣だ。振り向き様に抜かれたフリングスの剣が、その魔物を分断した。

 カチリ、と音を立ててセシルが己の剣を腰に収める。

「セシル将軍!」

 名を呼ぶフリングスと目を合わさずに、「……これで貸し借りは……ナシだ……」と彼女は言った。




「どうして宿を出られたのです。危険ではありませんか」

 場をローズ夫人宅に移して。フリングスはセシルの前に立ち、彼女の行動を咎めていた。彼ら二人の様子をルークたちは少し離れて見守っている。

「この街が魔物に落とされれば宿に隠れていても意味がない。それに私は軍人だ。危険を避ける訳にはいかない」

「あなたは将官なのですよ。二等兵を助ける為に危険を冒したり敵将を助ける為に無茶をするのは……」

「貴公こそ、敵である私たちを助ける為に、地割れで取り残された危険な場所へやって来たではないか」

「あれは……」

「敵将である私を信じ、自由を与えたり……。……貴公は馬鹿だ」

 馬鹿と言いながら、セシルの声音は穏やかだった。どこか拗ねているような色をも含んでいる。

「……お互い様です」

 フリングスがそう返すと、セシルは黙り込んだ。そのまま、互いに押し黙って相手の顔を見詰めている。

「……出るか」

 仲間たちを見渡してガイが促した。「……だね」とアニスも頷く。

「あら、どうしてですの」

「にっぶいなー、もー。とにかく出るの」

 きょとんとしているナタリアをアニスが押し出し、仲間たちは家の外に出た。

「なあ。だけどあの二人、敵同士だろ」

 家の前に立って、ルークは思わず心配を漏らしている。ジェイドが答えた。

「どちらかが軍を辞めれば、見込みがない……訳でもないと思いますが」

「え? まあ! あの二人お互いを意識しておりましたの!?」

 ようやく気付いたようで、ナタリアが大きな声をあげた。

「……ナタリアって女とは思えぬ鈍さだ」

「途中から、空気が違ってたもんな」

 アニスが呆れたように、ガイが可笑しそうに言い交わす横で、

(気が付かなかった……)と、ティアは胸の中で一人呟いていた。


 ガイとアニスは、意外に気が合う面がある……。空気を察して振舞うのがこの二人は実に得意なんですね。

 アッシュと大恋愛をしている割に、恋愛事にはとことん鈍い天然ナタリア。そして何気にティアも鈍いことが判明。

 ……で。ルークは人並みに聡いようです。ちょっと意外。でも、考えてみれば父とセシルの関係にも気付いてたわけですもんね。


 一時休戦に伴う捕虜の交換は、それから数日後、カイツールで行われた。儀式はつつがなく行われ、解放されたキムラスカの捕虜たちは並んでキムラスカ側へ帰っていく。セシルも、また。

「……ジョゼット……」

 戻されたマルクト兵も去り、誰もいなくなった場に佇んで。フリングスはそっと彼女の名を呟いた。




「申し訳ないのですが、この短刀をマルクトのフリングス将軍に渡して欲しいのです」

 カイツール軍港のキムラスカ軍基地。ここに戻ったセシルを仲間たちと共に訪ねたルークは、彼女にそれを手渡されてぽかんと顔を呆けさせた。

 何か用があると言うので来てみたのだが、これは一体何の意味があるのだろう?

「まあ……。あの、それは……」

 ナタリアが驚きと困惑を混ぜたような声をあげている。何か言いかけた彼女を、「ナタリア。俺たちが口を挟むことじゃないと思うよ」とガイが静かな声で制した。

「何だ? 何がだ?」

 さっぱり分からない。ルークが訊ねる視線をガイたちに向けると、「短刀を渡すことに何か意味があるの?」とティアも不得要領な声を出した。

「ああ、ティアは魔界クリフォト育ちだっけ」

 アニスが言う。

「ルークは……知る訳ないか」

 ガイも言った。馬鹿にされた気がしてルークがむっと眉根を寄せた時、横合いからジェイドが説明をしてくれた。

「女性から男性に短刀を渡すのは絶縁の証です」

「……」

 ルークとティアは、やっと驚いて互いに顔を見合わせる。どうやら、これは外殻大地の常識とも言える慣習であるらしい。

「……宜しくお願いします」

 そう言うと、セシルは静かに頭を下げた。




 エンゲーブのローズ夫人宅を訪ねると、フリングスが笑顔で迎えてきた。

「これは皆さん。折角来ていただいたのですが、私はこれからエンゲーブの住民と話し合いを持つ為にケセドニアへ向かわなければならないのです」

「あの……フリングス将軍……」

 切り出してみたものの、気まずい思いでルークは声を途切れさせた。フリングスが一体どんな顔をするかと思うと、胸が痛くて言い出せない。

「セシル将軍から渡すように言われました。さあ、ルーク」

 しかしジェイドは淡白なものだった。

(……よくさらっとそういうこと言えるよな、こいつ)

 ジェイドをギロリと睨んで、ルークはフリングスにセシルの短刀を渡した。それだけだ。それ以上に何か説明するわけでも、手紙が付いているわけでもない。だが、フリングスはハッと息を呑んだ。

「これは……。ジョゼット……」

 フリングスの顔が苦しげに歪む。そのまま、暫くの間俯いていた。ルークがいたたまれなさに逃げ出したくなった時、彼は顔を上げて「すみません。少し待っていただけますか」と請うた。背後の席に戻り、サラサラと紙にペンを走らせる。封筒に入れたそれをルークに手渡した。

「申し訳ありません。その手紙を彼女に……セシル将軍に渡してもらえませんか?」

「……分かった」

 ルークは頷き、出発時間を告げに来た兵と共にフリングスが部屋を出て行くのを見送った。




 数時間後、再びルークたちはカイツール軍港のキムラスカ軍基地にいた。幾らアルビオールがあるとはいえ、これほど往復を続けると流石に疲れてくる。

「……申し訳ありません。もしも、もしも宜しければ、私をケセドニアのアスター邸に連れて行ってもらえませんでしょうか?」

 フリングスからの手紙に目を通して暫く俯いた後、セシルはそう言ってルークたちに揺れる瞳を向けた。

「フリングス将軍に呼ばれているんですね?」

 ガイが確かめる。セシルは視線を落として頷いた。

「……はい。やはり自分の口でお断りした方がいいようです」

「……わ、分かった」

 そんな顔をされたら断れない。ルークの返答を聞くと、セシルは「基地を空ける旨を報告してきます」と席を外した。



「なんかどんどん面倒なことになってる気がするぞ」

 セシルが戻るのを待ちながら、ルークは少し表情を渋くしていた。二人の深刻な様子に押されてここまで動いてきたが、いつの間にやら足抜け出来なくされている気がする。

「でもお互い真剣なのですわ。協力してあげませんと」

「協力って、どちらに? どう協力するの?」

「だよねー」

 呑気なナタリアに、ティアとアニスがやや冷たく突っ込む。

「それは……そうですわね……」

「まあ、深入りせずに適当にお茶を濁しておきましょう。どうせ当人同士にしか結論を出せないことです」

 どうにもモヤモヤし始めた空気を他所に、ジェイドは飄々と笑ったままだ。

「あんたはホントに何でも淡白だよなぁ……」

 ムスリとしてしまった仲間たちの中で、ガイがそう言って呆れの篭もった息を落とした。




 ケセドニアのアスター邸。その応接室に入ると、ソファに座ってアスターと話していたフリングスが立ち上がった。

「ジョゼット!」

「アスラン……」

 苦しげに見詰め合う二人を(恐らくは故意に)放置して、アスターがルークたちに話しかけてくる。

「皆様、お待ちしておりました。実は今し方フリングス将軍と話し合いまして、エンゲーブの住民を少しずつ村に戻そうと思っています」

「なるほど。食糧問題の緩和ですか?」

 ジェイドが声を返した。

「はい。エンゲーブが機能するようになれば少しはマシになるかと」

「エンゲーブにはセントビナーの住民も一時避難していました。うまくいけばセントビナーも機能するかもしれません」

 フリングスが話に入る。ナタリアが声を明るくした。

「良い考えですわ」

 食料も薬も、現在は全てが品薄だ。外殻と切り離されている以上、外部からの補給もままならない。これらは早急に増産する必要があった。増産できれば、人々の不安も大分和らぐことになるだろう。

 それでも大気に充溢した障気という問題があったが、「それだけは魔界クリフォトにいる限りどこにいても変わらないわ」とティアは言った。こればかりは人の手で解決するのは難しい。あれほどの技術を備えたユリアシティの人々も、二千年もの間、何も手を出せずに来たのだ。――預言スコアに詠まれぬ行動を避けてきたからだとはいえ。

「はい。それに街機能が回復すればカイツールにも物資を援助できるかもしれません」

 フリングスはナタリアにそう返し、そこで急に言葉を詰まらせた。実に言いにくそうに。

「あの……それで……」

「……二人で話すことがあるんでしょう? 俺たちは失礼します」

 言ったのはガイだった。フリングスは今、会談を切り上げてでも、一分でも早くセシルと話したいのだろう。

 これはかなりの重症だ。それはアスターにも分かっているようで、特に異を唱えることもない。あらかた話が済んでいたという事もあるのだろうが。

「ええーっ」

「ええっ、じゃないだろ。行くぞ」

 不満げな声をあげるアニスをガイが促している。人々はぞろぞろと部屋を出ていった。




「来てくれてありがとう」

 二人きりになった途端、空気はある独特な色を帯びた。フリングスは目の前の愛しい人に優しく語りかける。離れていたのはほんの二日ほどだが、今また声を交わせることが胸が震えるほどに嬉しいと思った。――そして、恐らくは彼女もそう思っているはずだ。そう、確信している。短刀を受け取っていてさえも。

 セシルは苦しげな顔をしていた。泣きそうな、笑い出しそうな……。どちらの感情に従えばいいのか混乱しているようにも思える。僅かに逡巡した後に、ついに強い意志で迷いを律して、彼女は言葉を吐き出した。

「私は……。私は駄目なのだ。私の一族はキムラスカ王国に借りがある。だから、私がセシルの家名を背負ってのし上がるには……」

「下世話な噂なら私も耳にしたことがある」

「なら……!」

「それが事実であろうとそうでなかろうと、あなたの美徳には何も関係ない。預言スコアに詠まれた私の花嫁はあなただと私は思うのです」

「でも私はファブレ公爵と……」




 その頃、アニスとルークは廊下に座り込んで、応接室と廊下を隔てる扉に耳を押し付けていた。

「いい加減にしろよ、二人とも」

 そんな二人の周囲に立つ仲間たちは呆れ顔だ。ティアとナタリアは両腰に手を当てて柳眉を逆立てている。

「立ち聞きなんて最低だわ」

「二人とも恥を知りなさい!」

「だってさ、心配だからさ……」

 叱られて、ばつが悪そうにルークは立ち上がったが、アニスはまだ耳をくっつけていた。

「私は野次馬根性です

 全く悪びれない。

「気持ちは分かります」

「おいおい、たしなめろよ」

 柔和に笑うジェイドにガイが呆れた顔を向けた時、アニスが「わ、わっ」と慌てて立ち上がった。扉が開き、フリングスが出てくる。廊下に並んでいるルークたちに少し驚いた顔を見せたが、「失礼」と頭を下げて立ち去った。

 室内にはセシルが取り残されている。




「それで、結局どうなったんですか」

 部屋に入って、アニスはセシルに尋ねた。いかにも興味深々といった表情だ。

「……指輪を渡されました。彼の母親の形見の品だそうです」

「まあ! 結婚を申し込まれましたのね!」

 ナタリアが頬を染め、感嘆の息を漏らした。自分のことのように興奮している。しかしセシルの顔色は沈んでいた。

「何を戸惑っておられるんですか」

 ガイの問いかけには、僅かに咎めが入っているように思えた。そんな顔をしているくせに何故受けないのか、と。ルークも言葉を繋げる。

「そうだよ。……受けた方がいいよ。なんとなく……」

 そうすれば、多分みんな幸せになれる。フリングスも、セシルも、……母上も。

 ――と。セシルがサッとこちらに視線を向けたので、チラッと浮かんだ考えを見抜かれた気がして、ルークは少しうろたえた。

「……いえ。やはりこれは受け取れません」

「どうしてですか」

 ティアが困ったように訊ねている。

「彼は敵国の軍人です。それに私にはセシル家を復興させる責務がございます。これは……皆様からフリングス将軍へお返し下さい」

 そう言うと、セシルは強引にルークの手に指輪を握らせた。

「え! いや、だけど……」

「……お先に失礼致します。ありがとうございました」

 戸惑うルークの様子には構わない。視線を合わさぬまま一礼すると、何かを振り切るようにセシルは出て行った。

「……俺、一応王位継承者なんだけどな」

 それを見送って、ルークは情けなさそうな顔で言った。

「……王族は民に尽くすのが仕事ですわ」

 ナタリアの声も、今回ばかりは覇気がない。

「……あーあ。フリングス将軍受け取ってくれるかなぁ。もうめんどくさくなってきた」

 ルークは肩を落としたが、アニスは実に嬉しそうだ。

「いやー、燃え上がってきたよ!」

 生き生きと目を輝かせて笑う彼女を見て、仲間たちは妙に疲れた気がしてがくりとうな垂れた。――ジェイドだけは相変わらずのポーカーフェイスだったけれども。





 フリングスに指輪を返すためには、カイツールまで向かわねばならなかった。

「彼女から指輪を返すように言われたんですか?」

 そう問われて、ルークは声を詰まらせる。

「……う……。そうなんだけど……」

 どうしてこんな気詰まりな思いをさせられなければならないのか。そう思いながら差し出した指輪は、例によってフリングスの手のひらで押し留められた。

「いえ。私はそれを受け取ることは出来ません。私の気持ちを受け入れてもらえなくても、私はいつまでも待つつもりなんです。その指輪は彼女に渡して下さい」

「なぁ……一言言っていいか?」

 とうとうルークはそれを口に出した。

「俺、あんたたちの伝言役メッセンジャーじゃないんだけど」

「も……申し訳ありません……」

 はっとたじろいで、フリングスは恥じた顔をする。つくづく善良な男なのだ。そう思えば、ここで放り出す気にもなれない。

「でも、本当にどうするの? このままセシル将軍のところに行っても、受け取ってくれるかどうか……」

 ティアが困り顔で仲間たちを見渡した。首をすくめるガイの顔にも疲れが感じられる。

「何度も通うしかないんじゃないか?」

「……はあ……。気長に行くか……」

 ルークはうな垂れて息をついた。

「人の恋路に首を突っ込むものではありませんねぇ。はっはっはっ」

 愉快そうにジェイドが笑ったが、今度ばかりは誰も異を唱えなかった。




「……指輪はお預かりできません」

 案の定、ルークの差し出した指輪を前に、セシルは首を横に振った。

 このカイツール軍港のキムラスカ軍基地に、この数日で何度足を運んだことだろうか。

「どうして頑なに拒むんですか? フリングス将軍は、気持ちを受け入れてもらえなくても構わないから持っていて欲しいと仰っています」

 ガイの声音には真剣な何かがある。それは僅かな苛立ちにも似ていたが、彼女は口をつぐんでいた。

「……だけどさ、正直、好きでもない男からそんなのもらってもキッツイよね?」

 場をほぐそうと思ったのか、そんなことをアニスが言い始める。――と。

「嫌いな訳ではありません!」

「あれれ……」

 セシルに強く反駁されて、アニスは目をぱちくりとさせた。

「……ご存じない方もおられるかもしれませんが、我がセシル家は、爵位を取り上げられ断絶した家なのです。私はセシル家を復興させる為、軍に入りました」

「そういえば そんな話も聞きましたわね。詳しいことはお父様も教えて下さらなかったですけれど……」

 ナタリアが言う。そんな彼女に顔を向けて、

「セシル家はキムラスカを裏切った売国奴として、社交界から追放されたんだよ」とガイが言った。

「その通りです。私の伯母のユージェニーは、マルクトの伯爵家へ輿入れしました。その後 戦争が起きた時、伯母はキムラスカを裏切ったと汚名を着せられ……」

 言葉を切って、セシルは目を伏せる。やがて上げられた瞳は強かった。

「ですから、フリングス将軍のお気持ちは嬉しいのですが、私はマルクトに嫁ぐ訳にはいかないのです」

「だけど……」

「……もう、何も聞かないで下さい……」

「……行こう、ルーク。これ以上は俺たちにはどうしようもない」

 ガイが促す。仕方なく、ルークたちはその場を後にした。




「どうにもならないのかな……」

「結局は当人同士の問題ですからね。現時点では、我々に出来ることはありませんよ」

 やりきれない思いで呟いたルークに、ジェイドが穏やかに返した。彼のこんな態度は淡白だと思ったものだが、それが最良の対応なのかもしれない。

「セシル家の復興、か……」

「どうしたの、ガイ」

 不思議そうなティアの視線に気付いて、ガイは思いに沈んでいた顔を明るく取り繕う。

「あ、いや……。戦争って無惨なものだと思ってね。平和を望んでマルクトに輿入れしたんだろうに……」

「そうですわね。やはり、戦争は止めるべきものなのですわ」

 ナタリアが頷き、アニスとティアもそれぞれの意見を述べた。

「戦場が魔界クリフォトに降りたおかげで、休戦は出来たけどね〜」

「世界に大きな異変が起こらないと戦争が止まらないというのも皮肉なものね……」

 ナタリアは厳しい目で言葉を続けていく。

「戦争も崩落も、民にとってはその命を脅かすという意味では同じ事……。そのことを為政者が理解できれば、戦争など起きなくて済んだかもしれませんのに」

「エライ人はいつも自分達の都合の良いことばっか。ホント、やんなっちゃう」

 アニスは苛立たしげに言って肩を怒らせた。

「これから戦争と崩落で混乱した人々を、両国は治めていかなければならない。今のような情勢下でこそ、国を治める者の才覚が問われるんじゃないかしら」

 ティアは生真面目にそう言っている。

「わたくしは……」

 言いかけて、ナタリアは口をつぐんだ。その瞳の中に、彼女には珍しい気弱な色が浮かんだが、ぎゅっと目を閉じて、もう一度目線を上げる。

「やはり、わたくしも考えなければいけませんわね……。公事に触れてきた者として、今からどのようにすべきかを……」

「ナタリア……」

 眩いものを見たように、ティアは彼女の名を呼んでいた。

「それじゃ、外殻に戻るか? バチカルに行って伯父上と会って……」

「その前に、魔界クリフォトの空を飛んでみませんか。少し気になることがあるんですよ」

 ルークが提案しかけた時、ジェイドがそう言った。

「何が気になってるんだ?」

「……確証のないことは言いたくありません」

 問うと、彼はこう返す。「大佐がこう言う時は、何か嫌なことがある時ですよねぇ……」とアニスが渋い顔をした。

 そして、仲間たちはアルビオールで空に飛び立ったのだが。





「うわっ、あのセフィロトツリーおかしくないか?」

 船室の窓から外を見ていたルークが大きな声を上げた。降下した陸地を離れて泥海の上を飛ぶうちに、一本の光の樹セフィロトツリーを目にしたのだが、それが明滅を繰り返していたのだ。

「眩しくなったかと思ったら消えかかったり……。切れかけの音素フォニム灯みたい」

 アニスが言う。その傍で「やはりセフィロトが暴走していましたか……」とジェイドが声を落とした。

「パッセージリングの警告通りだ」

 仲間たちの視線が彼に集まった。「セフィロトの暴走?」とアニスが問い返す。

「ええ。恐らく何らかの影響でセフィロトが暴走し、ツリーが機能不全に陥っているのでしょう。最近地震が多いのも、崩落のせいだけではなかったんですよ」

 ティアが険しい顔で叫んだ。

「待って下さい! ツリーが機能不全になったら、外殻大地はまさか……」

「制御盤に、『パッセージリングが耐用限界に到達』と出ていました。セフィロトが暴走した為でしょう。パッセージリングが壊れれば、ツリーも消えて、外殻は落ちます。そう遠くない未来にね」

「マジかよ! ユリアシティの奴らはそのことを知ってるのか?」

「お祖父様は、これ以上外殻は落ちないって言ってたもの……。知らないんだわ」

 驚くルークに顔を向けて、ティアは言った。彼女の声も動揺している。

「なあ。ケセドニアもセフィロトの力で液状化した大地の上に浮いてるんだよな? なら、パッセージリングが壊れたら……」

 ガイの声もまた、多分に緊張を含んでいた。顎に手を当て、考え込みながらジェイドは答える。

「泥の海に飲み込まれますね。液状化した魔界クリフォトの大地が固形化でもするなら話は別ですが」

「そもそも、障気の汚染と液状化から逃れるために外殻大地を作ったのでしょう? 外殻大地を作った人々すら、大地の液状化に対して何も出来なかったのに……」

 ナタリアが不安に瞳を揺らしながら言った。仲間たちは皆、俯いて考え込む。

 ふとルークが瞳を上げた。

「なあ、ユリアの預言スコアにはセフィロトが暴走することは詠まれてないのか? 暴走するには理由かあるだろ。対処法とか預言にないのかよ」

「残ってるとしても、お祖父様じゃ閲覧できない機密情報じゃないかしら」

 テオドーロはローレライ教団の本体であるユリアシティの市長だが、教団での地位は詠師であり、最高位ではない。詠師の上には大詠師があり、更にその上には――。

「……イオン様なら」

 顔を上げ、アニスが声を出した。

「イオン様なら……ユリアシティの最高機密を調べることが出来ると思う……」

「本当か!?」

「うん。だって導師だし……」

 イオンは今はここにいない。モースと共にダアトへ帰国しているはずだ。

「だったらダアトへ向かおう! 何か対処方法があるかもしれない!」

 そう言って、ルークは仲間たちを見渡した。


 預言通りに動かされている世界のありように反感を覚えながらも、絶対的な危機を迎えて預言に頼ろうとするルークたち。それほどにこの世界では預言が浸透しています。

 

 外殻大地に出て崩落跡の海の上近辺を飛ぶと、ちょっとしたイベントが起こります。このノベライズでは戦場の様子を見に行く前の部分に組み入れてしまいましたが、ジェイド、ナタリア、ガイが「カイツールまで落ちるとは思わなかった、人々は無事だろうか」と話し合うイベントです。一人離れた場所でアルビオールの窓から外を眺めながら「みんな混乱してるだろうな……」と呟くルークが、いたいけな感じでなんか好き。

 それはそうと、このイベントが終わると、その時どこを飛んでいたとしても、何故かアルビオールがルグニカ大陸崩落跡北部にワープしてしまうのです。ふしぎふしぎ。

 

 暫く自由に世界を巡れます。

 バチカルにも、下層にだけは行くことが出来ます。ナタリアのアクゼリュスでの死と生存は、市民には伏せられているらしく、ただ「ナタリア殿下が帰って来ない」という噂のみが漂っています。しかし兵士たちはナタリアがアクゼリュス崩落に飲み込まれた、と聞いているようです。

 ところで、(アクゼリュス崩落後からずっと)上流階級らしき女性が

「お屋敷に来る詠師と修道院の詠師が詠んだ預言が……。ナタリア殿下のお耳に入れておいた方がよろしいのかしら」

 と呟いてるんですが、これ何なんでしょうね? つか、詠師がわざわざお屋敷まで来てくれるとは、相当なお金持ち。

 ……詠師に関しては、どうも、設定の矛盾があるような気がします。ゲーム冒頭、初めてバチカルに入った時点で、市民がバチカル修道院には詠師もいると言っています。そしてアッシュの装備は詠師のみが使用するという「ローレライ教団詠師剣」「詠師加護譜石」などです。

 しかし攻略本の設定を見ると、詠師は教団内に六人しかいないことになっているのです。アッシュはヴァンやテオドーロ、トリトハイムと同位の詠師ではないと思いますし、六人しかいない詠師の一人がバチカルの小さな修道院にいるのかな? とも思うんですが……。どうなんでしょうか?

 

 グランコクマの方はといえば、大半の人はルグニカ大陸の崩落をキムラスカ軍の仕業だと思っている模様。船で逃げる人も多いらしい。けれど中に一人だけ「ピオニー陛下の言っていたことは本当だったのだな」と言ってる若者がいました。……一般市民的な服装でしたが、ピオニー陛下と個人的に親しい人?

 ところで、セシルとフリングスの一回目のイベントって、実質ケセドニア降下後からイオンの部屋に入るまでの間にしか起こせないと思うのですが、休戦を成し遂げた時、アルマンダイン伯に向かって 「後は全ての外殻大地が降りるまで、マルクトと手を携え生き延びるのです」「俺たちも頑張るから」とナタリアとルークが言い、アルマンダインは「分かりました。宜しくお願い致します」と答えるのですよね。……この時点ではまだ他の外殻を全て降下させる話は出てないと思うのですが。セフィロトが暴走してるという話だけで。……あれ?


 ダアトの教会前には大勢の巡礼者たちが詰め掛けていた。

「いつになったら船を出してくれるんだ」

「港に行ったらここで聞けと追い返されたぞ!」

 船の運航が止まり、帰国できないのが不満らしい。騒ぐ人々に答えているのは詠師トリトハイムだ。

「ルグニカ大陸の八割が消滅した! この状況では危険すぎて定期船を出すことは出来ぬ!」

「嘘をつくな! そんな訳がないだろう」

「嘘ではない! ルグニカ大陸の消滅によってマルクトとキムラスカの争いも休戦となった。とにかく、もっと詳しい状況が分かるまでは船は出せぬ」

 人々はざわめき、互いに顔を見合わせている。

「ルグニカ大陸って言えば、世界で一番でかい大陸だ。それが消滅したなんて……信じられん!」

「どうなってるんだ、世界は……」

 口々に言い合いながら、人々は渋々と立ち去って行った。何人かは教会の中へ入っていったが、船がいつ出るか預言スコアを詠んでもらうつもりなのかもしれない。

「この状況で戦いを続けるほどインゴベルト陛下も愚かじゃなかったってことだな」

 降下した大陸での休戦は既に行われていたが、そこから外殻へ連絡する手段はない。外殻は外殻で、別個に休戦を決断したのだろう。ガイの言葉を聞いて、 「ええ、それだけが救いですわ」とナタリアも頷いた。

「でも、このことがもっと大勢の人に知られたら、大混乱になるな……」

 降下した大陸にいた人たちはともかく、残った外殻の人々がこんなにも不安がっているとは思わなかった。

 改めてそれを思い知って、ルークは表情を曇らせる。

「この先、どう対処するかが分かれば、それも抑えられるはずよ」

 ティアが宥める言葉を口にした。

「そういうことですね。イオン様に面会しましょう」

 ジェイドは一同を教会の中に促す。「イオンはどこにいるんだ?」とガイが訊ねた。

「ご自身の私室ではありませんか?」

「でも、導師のお部屋は教団幹部しか入れないわ。鍵代わりに譜陣が置かれていて、侵入者対策になっているの」

 ティアがそう言った時、アニスがビシリ、と片拳を突き上げて何かのポーズをとった。

「そんな時は、導師守護役フォンマスターガーディアンのアニスちゃんにお任せ〜v

「元、だろ」

 ルークが速攻で突っ込む。

「ぶー。『元』だけど、ちゃんとお部屋に続く譜陣を発動する呪文、知ってるモン」

「さ、行こ〜」と言って先に立ったアニスに従い、ルークたちは教会の廊下を歩き始める。ほどなく至った階段脇の薄暗いホールの床に、花のような形に並んだ五つの譜陣が輝いていた。

「これこれ」

 アニスは中央の譜陣に駆け込み、片手を挙げて声を出す。

「えっと……『ユリアの御霊みたまは導師と共に』」

 言い終わった瞬間、譜陣は輝きを増してアニスを光に包み、一瞬で彼女の姿は跡形もなく消え失せていた。

「うわっ、消えた!」

「ユリアロードと同じ原理よ。心配しなくていいわ」

 驚いて腰を引かせたルークに、ティアが落ち着いた声を掛ける。

「私たちも行きましょう」

 ルークたちもまた、譜陣の中に入った。


 ユリアロードと同じ原理って……。この譜陣もセフィロトを利用してるってことですか? じゃあ今現在は不安定になってて危険なはずなのに……。よー分からんなぁ。

 なお、ダアトに入ったらイオンの私室へ行く前に宿に泊まっておくことを忘れずに。ルークとティアの超振動特訓の三回目が起こります。イオンの私室に入ってしまうと、以降、強制イベントでダアトを出てしまいますので。(しかし、後にもう一度ダアトに来た時でも このイベントはまだ起こせます。)


 扉を開けて見回した室内には、誰の姿も見当たらなかった。

「ふむ……。誰かここに来たと思ったが……気のせいだったか」

 簡素ながら質の良い調度の揃えられた執務室。そこに立って呟いた男の後ろから、飛行安楽椅子に座った男が器用に入口を潜り抜けて入ってきた。

「それより大詠師モース。先程のお約束は本当でしょうね。戦争再開に協力すれば、ネビリム先生のレプリカ情報を……」

「任せておけ。ヴァンから取り上げてやる」

「ならばこの『薔薇のディスト』、戦争再開の手段を提案させていただきましょう。まずは導師イオンに休戦破棄の導師詔勅を出させるのが宜しいかと」

「ふむ。導師は図書室にいたな。戻り次第、早速手配しよう」

 二人の男は執務室を出て行く。――部屋の奥の扉から続く導師イオンの寝室に、じっと息を殺して潜んでいる曲者共がいるなどとは夢にも思わずに。

「……今の話を聞くと、モースとヴァンはそれぞれ違う目的の為に動いているようですね」

 モースたちの気配が去ったのを確認してから、ジェイドは周りの仲間たちに向けて所感を漏らした。

「ああ。なんかディストが自分の目的の為に、二人の間でコウモリになってるって感じだった」

 ルークが頷きを返す。

 譜陣を利用してイオンの私室に来てみたものの、そこには彼はいなかった。どこに行ったんだなどと話していた所に誰かの気配が近付いてきて、一同は慌てて隣室に逃げ込んだのだ。そもそも導師の部屋は関係者以外立ち入り禁止だし、ルークたちはそこに忍び込んだ侵入者に他ならない。見つかれば厄介なことになるのは確実だった。

「モースは預言通りに戦争を起こしたいだけ。ではヴァンの目的は?」

 考え込んで、ジェイドは誰に言うともなく呟いている。

「外殻大地を落として人類を消滅させようと……」

 ティアが答えたが、彼はそれを否定した。

「私には、あの人がそんな意味のない殺戮だけを目的にしているようには見えません」

 だからこそ恐ろしい……と独りごちる。目的が理解できないからこそ、次に何をしてくるかが予測できないのだ。

「モースの方が、目的が明快なだけに脅威は感じない」

「もう、誰が悪者なのか分かんないですのー」

 みんなの足元でミュウが言った。ルークも眉根を寄せて頷く。

「分かんないって言ったらアッシュの奴もよく分からないし、六神将は結局、ヴァン師匠についてるのかそうじゃないかもはっきりしねぇ」

「ディストの目的もよく分かりませんわ」

 ネビリム先生って どなたなのですかしら、とナタリアが首を傾げている。ミュウがもう一度「分かんないですのー!」と言った。

「結局、目的がはっきりしてるのはモースだけ、か……。とにかく、いくら預言スコアに詠まれたからって、そう何度も戦争を起こされてたまるかっつーの! 伯父上に余計な事を吹き込まれる前に、何とかしよう」

「そうだな。まずは明快な敵の方を片付けようぜ。インゴベルト陛下にモースの言葉を鵜呑みにしないよう進言して、戦争を再開させないように……」

 ルークに同意してガイも言ったが、ナタリアはフッと視線を俯かせた。

「……でも、わたくしの言葉を……お父様は信じて下さるかしら」

「ナタリア! 当たり前だろ!」

 ルークは心底驚いて言ったのだが、続いたナタリアの声を聞いて言葉を詰まらせた。

「……わたくし、本当の娘ではないのかもしれませんのよ。けれど、やはり、お父様にお会いするしかありませんのね……」

「あ、ああ。それは避けられないと思う」

「わたくし、怖いのです……。お父様に否定されるのが怖い……」

「ナタリア……」

 沈黙が落ちた。誰もが気まずい思いで黙りこんでいる。

「も、もーっ! その時はその時だよ! それより図書室に行こっ!」

 アニスが強引に場を動かし、一同は再び譜陣を使って図書室へ向かった。





 図書室は導師が利用中ということで一般の立ち入りを禁じられていたが、アニスの顔を使うことで中に入った。彼女が導師守護役フォンマスターガーディアンを解任されたことは、未だ末端まで知られたことではない。

「皆さん!? どうしてここに……」

 イオンがこちらに気付いて目を丸くする。そんな様子に構わずに、ルークは掴みかかる勢いで一気に話していた。

「イオン、外殻大地が危険なんだ! だから教えてくれ! ユリアの預言にはセフィロトの暴走について詠まれてなかったのか?」

「セフィロトの暴走……? ルーク、落ち着いてください。一体何があったんですか」

「それが……」

「セフィロトが暴走して、パッセージリングに耐用限界が来ているんだ。このままでは全ての外殻が崩落してしまう」

 ルークに代わって為されたガイの説明を聞いて、イオンは「……なるほど。それは初耳です」と要領顔を見せた。

「イオンは知らなかったのか? じゃ、預言スコアには……」

「いえ……。実は、僕、今まで秘預言クローズドスコアを確認したことがなかったんです」

「え!? そうなんですか?」

 アニスが驚いた顔をした。確かにそうだ。導師にはその権限があり、何より、教団の最高責任者として知っていて然るべきことなのだから。

「ええ。秘預言クローズドスコアを知っていれば、僕はルークに出会った時、すぐに何者か分かったはずです。アクゼリュスのことも……回避できたかもしれない」

「……」

 ルークは押し黙った。

「……ですから僕は、秘預言を全て理解するためにダアトへ戻ったんです」

「でも、その秘預言にセフィロトの暴走のことは……」

 ナタリアが訊ねる。

「ええ、詠まれていなかったはずです。念のため、礼拝堂の奥へ行って調べてみましょう」

「礼拝堂の奥? なんで?」

「譜石が安置してあります。そこで預言を確認できますから」

 ぽかんとしたルークに微笑んでイオンが言うと、「イオン様! それはお体に障りますよぅ!」とアニスが眉尻を下げた。しかし、イオンは頑とした表情をする。

「止めないで下さい、アニス。必要なことなのですから」





 イオンの先導で、一行は礼拝堂へ入った。ここにはトリトハイムが控えていることが多いが、今は彼は私室へ引き上げており、がらんとしている。奥に水晶の輝きを持った円い大きな講壇があるが、それが秘預言を含むユリアの譜石なのだとイオンは言った。

「この譜石は、第一から第六までの譜石を結合して加工したものです。導師は譜石の欠片からその預言を全て詠むことが出来ます。ただ量が桁違いなので、ここ数年の、崩落に関する預言だけを抜粋しますね」

 イオンは目を閉じて意識を凝らし、その譜石に両手をかざす。ぽう、と譜石が輝いてイオンの体すらをも包んだ。彼の唇が預言うたを紡ぎ出す。

「――ND2000。ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す。其は王族に連なる赤い髪の男児なり。名を聖なる焔の光と称す。彼はキムラスカ・ランバルディアを新たな繁栄に導くだろう。

 ND2002。栄光を掴む者、自らの生まれた島を滅ぼす。名をホドと称す。この後、季節が一巡りするまでキムラスカとマルクトの間に戦乱が続くであろう。

 ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街と共に消滅す。しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の大繁栄の第一歩となる」

 イオンは言葉を閉ざした。フッと光が消え、彼はその場にへたり込む。

「イオン様!」

 駆け寄って、アニスが隣にしゃがんで彼の体を支えた。

「……これが第六譜石の崩落に関する部分です」

 青ざめて力なく座ったまま、イオンは告げる。

「やっぱりアクゼリュス崩落と戦争のことしか詠まれてないな……」

 ガイが言った。その彼を見やって、

「もしかしたら、セフィロトの暴走は第七譜石に詠まれてるのかもしれないな」

 とルークは言った。その傍でティアが考え込んでいる。

「――ローレライの力を継ぐ者って誰のことかしら」

「ルークに決まっているではありませんか」

 ナタリアが言ったが、「だってルークが生まれたのは七年前よ」とティアは返した。

 そう。つい忘れてしまいそうになるが、十七歳の外見をしたこのルークは、生まれてから まだ七年しか経ていないのだ。――十歳の姿で作られた、レプリカなのだから。

「今は新暦2018年です。2000年と限定しているのだから、これはアッシュでしょう」

 そうジェイドは言ったが、ティアはまだ納得できない顔をしていた。

「でも、アクゼリュスと一緒に消滅するはずのアッシュは生きています」

「それ以前に、アクゼリュスへ行ったのはルークでしょ。この預言スコア、おかしいよ」

「確かにアッシュも後から来たが、奴はあの時点で『聖なる焔の光ルーク』と呼ばれてた訳じゃないしな」

 アニスとガイも疑問を唱え始める。額を押さえて考え込んでいだティアは、やがて顔を上げた。

「ユリアの預言にはルークが――レプリカという存在が抜けているのよ」

「それってつまり、俺が生まれたから預言スコアが狂ったって言いたいのか?」

 落とされたルークの声は小さく、どこか強張っていた。

「……ルーク?」

 ティアが不審げな声を出した時、礼拝堂の扉が荒々しく開かれ、バタバタと神託の盾オラクル兵たちが駆け込んで来た。

「見つけたぞ、ねずみめ!」

「ヤバ……!」

 アニスがたじろいだ表情を見せる。

 刹那、ガイ、ティア、ジェイドの三人は譜石の壇を飛び越えて急襲し、一声もなく神託の盾兵たちを絶命させていた。

 だが、これだけで済むということはあるまい。導師がここにいるのに襲ってくるということは、大詠師派だということだ。モースに気付かれたのである。

「皆さん、逃げて下さい! アニスも!」

 イオンが鋭く叫ぶ。

「アルビオールへ戻りましょう」

 ジェイドの言葉に従い、ルークたちは街の外を目指して走り始めた。





 だが、ルークたちがアルビオールへ逃げることは叶わなかった。

「抵抗はおやめなさい、ジェイド。さもないとこの女の命はありませんよ」

 街の出口近くに大勢の兵を従えたモースが立っており、道を塞いでいる。譜文を唱えかけたジェイドは、投げ掛けられた声を聞いて集めていた音素フォニムを霧散させた。

 背後にディストがいて、嘲るような笑みを浮かべている。彼はいつもの飛行安楽椅子に座ってはおらず、自分の足で立っていた。椅子は彼の頭上に浮かんでおり、そこには年若い女性が座っている。意識のない頭をくたりと垂らしている彼女は、アルビオールの操縦士のノエルだ。

「はーっはっはっはっ! いいざまですねぇ、ジェイド」

 抵抗をやめて、兵たちに剣を突きつけられたジェイドに向かい、ディストは高く笑う。

「お褒めいただいて光栄です」

「誰も褒めていませんよ!」

 そんなやり取りを他所に、ルークはモースを睨み付けた。

「俺たちをどうするつもりだ」

「バチカルへ連れて行く。そこで戦争再開の為に役立ってもらうのだ」

 ティアが、かつての敬愛の師に向かって一歩踏み出す。

「大詠師モース。もうオールドラントはユリアの預言とは違う道を歩んでいます!」

「黙れ、ティア! 第七譜石を捜索することも忘れ、こやつらと馴れ合いおって! いいか、ユリアの預言通りルークが死に、戦争が始まれば、そののち繁栄が訪れるのだ!」

「連れて行きなさい!」

 ディストが腕を振って兵たちに指示を飛ばした。





 ルークたちは連絡船に乗せられ、その船室の一室に閉じ込められた。

「ノエルは大丈夫でしょうか」

 重い空気の中に落ちたのは、ナタリアの呟きだった。全員が一箇所に集められているのだ、抵抗が出来ないわけでもなかったが、ダアトに囚われたままの彼女の安否を思えば下手なことは出来ない。

「ダアトは宗教自治区だもん。むやみに殺されるようなことはないと思うけど……」

 二段ベッドの上段で足をブラブラさせながら、アニスが希望的な観測を述べる。実際には、神託の盾騎士団はこれまでにも多くの人間を非情に殺している。楽観視できるものではなかった。また、それは自分たちの今後に関しても同じだ。

「俺たちはどうなるんだ?」

 誰に言うでもなく、ガイが問う。

「ルークは処刑されるのでしょうね。預言スコア通りにするために」

 返されたジェイドの声は、更に重く仲間たちに覆いかぶさった。

「……その方がいいのかもな」

「ルーク! 何を言っているの!」

 部屋の隅に立って一人、壁を見つめていたルークが発した言葉に、ティアは椅子から立ち上がって叫んでいた。

「だってそうだろ。俺が生まれたから、この世界は繁栄の預言スコアから外れたんだ」

 そう言い、ルークは仲間たちに顔を向けた。固く強張ったその表情の中で、碧の双眸だけは揺れている。

「だから預言にないセフィロトの暴走も、起きたんじゃないか」

「お前! 何言ってんだ」

 ガイが非難を込めて叫んだが、「そうとしか思えないよ」とルークは頑固に返した。声を震わせて、揺れる瞳を逸らす。

「それに、ティアだって言っただろ。ユリアの預言には俺が存在しないって」

「馬鹿!」

 直後、発されたティアの声の強さに全員がぎょっとした。

「ば……馬鹿とはなんだよ!」

「私はただ、あなたがユリアの預言に支配されていないのなら、預言とは違う未来も創れるって言いたかっただけよ!」

「……ティア……」

「あなた、変わるんじゃなかったの!? そんな風にすぐ拗ねて! もう、勝手にしたらいいわ!」

 ティアの声もまた、涙を含んで震えていた。ルークはハッとする。

「ティア! ……ごめん……」

「………」

 ティアは黙ってルークに背を向けた。

「……ごめん……」

 もう一度呟いて、ルークは視線を下に落とした。





 連絡船でバチカルに戻るのは、これで二度目だ。でも、前とは何もかも状況が違う――そう考えてルークは苦笑する。いや、何も変わってないか。

 預言スコアに従うために、繁栄を呼ぶために、俺は殺される。兵器として利用される。それが分かっていて、でも俺はバチカルに帰るしかない。それは前も同じだった。

 ルークは、ナタリアの部屋に立っていた。この部屋に入るのは初めてだ。まがりなりにも淑女の個室だし、そもそも、以前は屋敷の外を訪ねるなんて許されなかった。部屋の調度は白と水色を基調に揃えられていて、ナタリアっぽい感じだな、と思う。ソファの上に小さな熊のヌイグルミが置いてあったのが可愛らしかった。

 その同じソファにナタリアは座っている。俯いて、塞ぎこんでいた。……当然だろう。今のこの状況では。

「……みんなと離れ離れにされちまったな」

「これから、どうなってしまうのでしょう……」

 顔を上げて、ナタリアが不安そうに見上げてくる。助けてあげたい……そう思うが、自分に何が出来るだろう。

(きっと大丈夫だ。伯父上がナタリアにひどいことをするはずがない。……でも、俺は? 俺はレプリカだ。誰も庇ってくれやしない。俺が死ねば預言の歪みは消えて、世界は繁栄するのかもしれないんだから……。でも、戦争が再開したら、また沢山の人が死ぬ……。くそっ)

 ぐるぐると考えていたルークの耳が、外側から掛けられていた扉の鍵の開けられる音を捉えた。

 扉が開き、アルバイン内務大臣が二人の兵を連れて入って来る。

「キムラスカ王女の名を騙りしメリル。並びにファブレ公爵の子息の名を騙りしルーク」

「メリル……? 何を言っているの?」

 困惑するナタリアに構わずにアルバインは言葉を続けていった。

「王国はそなたらから王位継承権を剥奪する。また、アクゼリュスにて救援隊を惨殺せし罪も重い」

「な、何を言っているのです! 違いますわ! そんなこと、わたくしは……!」

「あなたも一応は王族として育てられた。せめて最後は潔く、自決なさい」

 ソファから立ち上がったナタリアと、彼女に並ぶルークの前に、兵たちが立った。一人がワインの瓶とグラスを載せたトレイを持っており、もう一人がワインをグラスに注ぐ。アルバインはむっつりと目を閉じて背を向けた。

「苦しまぬよう、との陛下のご配慮だ」

「毒……!」

 揺れる赤い液体を見ながら、ナタリアが血の気の失せた唇をわななかせた。――その時だ。

 

 トゥエ レィ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ……

 

「……な、何事……だ……?」

 響いた歌声に包まれて、アルバインは顔を歪ませる。そのまま、兵たちと共に床に昏倒した。間を置かず、部屋の扉が開いて数人の影が飛び込んでくる。

「間に合ったわね」

「ティア! みんな! どうしてここに!」

「牢に入れられてたんだが、思いがけない助力があってね……」

「説明は後で! 早く逃げようよ!」

 安心させるように笑うガイの横で、アニスが切羽詰った顔で急かしてくる。

 しかし、ナタリアは叫んだ。

「お待ちになって! お父様に……陛下に会わせて下さい! 陛下の真意を……聞きたいのです」

「俺からも頼む。戦争を止めるためにも、伯父上には会うべきだ」

 ルークも言った。毒杯を差し出されて尚、信じられない。

(伯父上がナタリアを殺そうとするなんて……!)

「……危険だけは覚悟して下さい」

 ふうと息を吐いて、ジェイドが眼鏡を押さえた。「……ありがとう」とナタリアがぎこちなく微笑む。

「急いで。譜歌の効果は長くは続かないわ」

 この時間なら、インゴベルト王は謁見の間にいるだろう。仲間たちは速やかに部屋を出て行ったが、その後ろから、ルークは「ティア」と少女を呼び止めていた。

「……船で馬鹿なこと言ったから、見捨てられたと思ってた」

 振り向いた彼女に向かい、そう話す。

「来てくれてありがとう」

「……ば、ばか」

 ルークの微笑みを見て、ティアは弾かれたように顔を戻した。その頬は赤らんでいる。けれどそれをルークには見せないまま、急いで仲間たちの後を追って行った。





 ルークたちは武器を取り戻していたが、それで戦うわけにもいかない。ティアの第一音素譜歌ナイトメアで兵士たちを眠らせながら広大なバチカル城を駆け抜け、謁見の間に入った。

「ナタリア……」

 玉座に着いたインゴベルト王は、突如駆け込んで来たナタリアの姿を見て、ひどく狼狽した顔をした。

「お父様!」

「逆賊め! まだ生きておったか!」

 玉座の前に立っていたモースが憎々しげに吐き捨てる。彼の周囲には、六神将のディストとラルゴ、そして一人の老婆――ナタリアの乳母の姿があった。

「お父様! わたくしは本当にお父様の娘ではないと仰いますの!?」

「そ……それは……。わしとて信じとうは……」

 言葉を上手く紡げない王に代わるように、モースが冷酷に言い放つ。

「殿下の乳母が証言した。お前は亡き王妃様に仕えていた使用人シルヴィアの娘、メリル」

 傍らのラルゴが不意に背を向けた。それには構わずに、「そうだな?」とモースは乳母に問い質す。

「……はい。本物のナタリア様は死産でございました」

 頷いた老婆の声は震え、ひどく乱れていた。

「しかし王妃様はお心が弱っておいででした。そこでわたくしは、数日早く誕生しておりました我が娘シルヴィアの子を王妃様に……」

「……そ、それは、本当ですの、ばあや」

 ナタリアの声は上ずっている。信じていたものがひび割れた、それでも縋るものを求めるような、さまよう声。

「今更見苦しいぞ、メリル。お前はアクゼリュスへ向かう途中、自分が本当の王女でないことを知り、実の両親と引き裂かれた恨みからアクゼリュス消滅に荷担した」

 モースは朗々と告げていく。

「ち、違います! そのようなこと……!」

「伯父上! 本気ですか! そんな話を本気で信じているんですか!」

 耐え切れなくなり、ルークは叫んでいた。

「わしとて信じとうはない! だが……これの言う場所から嬰児の遺骨が発掘されたのだ!」

「……も、もしそれが本当でも、ナタリアはあなたの実の娘として育てられたんだ! 第一、有りもしない罪で罰せられるなんておかしい!」

「他人事のような口振りですな。貴公もここで死ぬのですよ。アクゼリュス消滅の首謀者として」

 モースがルークに目を向ける。冷たい目だ。侮蔑が隠れることなく浮かんでいる。インゴベルト王は何かをこらえるような顔をして、しかしはっきりと二人の若者に向かって告げた。

「……そちらの死を以って、我々はマルクトに再度宣戦布告する」

 ナタリアとルークは息を呑んだ。――砕け散ってしまった。今まで信じて手にしていた、何もかもが。

「あの二人を殺せ!」

 モースは左右のディストとラルゴを見回し、ルークたちを指差して命じた。弾かれたように、ルークたちは広い謁見の間を出口に向けて走り出す。

「何をしているのです! ラルゴ! 他の者の手にかかってもよいのですか?」

 背を向けたまま動こうとしないラルゴに、ディストが言った。

「……くっ、強引に連れてこられたかと思えば、こういうこととはなっ!」

 吐き捨てて、ラルゴは振り向いて大鎌を携え、ゆっくりと歩き出す。――と。ルークたちの目前の扉が開き、アッシュが飛び込んで来た。

「アッシュ! ちょうどいい! そいつらを捕まえなさい!」

 ディストが叫ぶ。

「ル……、アッシュ……!」

 ナタリアが彼の名を呼んだ。

 そのどちらにも応えずに、アッシュは走ってルークたちの後ろに回りこむ。追ってくるディストたちと対峙する格好になった。背中越しに、ルークたちを怒鳴りつける。

「せっかく牢から出してやったのに、こんな所で何をしてやがる! さっさと逃げろ!」

「お前が助けてくれたのか! だったら、お前も一緒に……」

 言いかけたルークを、更に怒鳴った。

「うるせぇっ! 誰かがここを食い止めなければならないだろう! さっさと行け!」

「……ご無事で!」

 ナタリアの声を合図に、ルークたちは謁見の間を出て行く。あっという間に見えなくなる背を見送って、ディストが「きーっ! 裏切り者!」と金切り声を上げた。

「……ガタガタうるせぇよ。お前だってヴァンを裏切って、モースに情報を流してるだろうが」

 アッシュはスラリと腰の剣を抜く。ラルゴは大鎌を構えていた腕を下ろし、ディストを睨み付けた。

「……貴様! 六神将でありながら総長を裏切っていたのか!」

「私は目的が果たせればいいのです。ヴァンへの忠誠より優先することがありますからね」

 しかし、ディストは まるで悪びれずに飄々としている。





 どうにか城を逃れ、ルークたちは城門近くの物陰に潜んで呼吸を整えた。

「……お父様……」

 ナタリアは両手で胸を押さえ、俯いている。

「せっかく奴がくれた脱出の機会を無駄にしちゃいけない。分かるよな」

 ガイが言い、「……ええ……。それは……分かります」と彼女は頷いた。

「とにかくバチカルを出よう! この街にいたらアッシュの厚意が無駄になる」

 ルークは顔を上げて仲間たちを促す。奇妙なことだが、いつも城門を警護している兵士たちの姿が見えないのは好都合だった。下層へ降りる昇降機を目指して走り始めた時、ガチャガチャと装備を鳴らして近付いてくる大勢の兵士の足音が聞こえて、ルークたちはハッと足を止めた。

 だがそれは、キムラスカ国軍ではなかった。白銀の鎧に身を固めた、ルークにとってあまりに見慣れた騎士たちの姿。

 ファブレ家私設軍の白光騎士団が、ルークの前に列を整えて止まる。その先頭で剣を握っているのは、やはり見慣れた顔。老庭師のペールだった。

「ルーク様! ご命令通り白光騎士団の者がこの先の道を開いておりますぞ」

「命令……?」

 ルークは首を捻ったが、ペールも訝しげに眉を寄せてルークの髪を見た。

「ん? 御髪おぐしが……? やはり先程はカツラを……?」

 ハッとして得心する。

(アッシュが手配してくれたのか……)

 その時、城の方からガチャガチャと新たな足音が聞こえてきた。手に武器を煌かせながら駆け寄ってくるキムラスカ兵たちの姿が見える。

「ありがとう、ペール! お前は逃げろ!」

「いえ、ここで微力ながら皆様の盾になります」

「危険です! お逃げなさい!」

 ナタリアは悲壮な顔で言ったが、ガイは笑っていた。

「心配するな。ペール爺さんは俺の剣の師だ。――後は頼むぜ、ペール」

「ガイラルディア様。ご無事をお祈りしております」

 笑ってガイと目を見交わすと、ペールは白光騎士団と共にキムラスカ軍に向かって行った。




 最上層からの昇降機は、国の官公庁のある層に降りる。そこにはキムラスカ軍基地もあるが、道は白光騎士団によって開かれていた。キムラスカ兵が点々と地に倒れ、呻き声を上げている。

「この場は我らにお任せを! ルーク様、殿下をお願い致します。殿下は我が国の希望の星です」

「任せろ!」

 応えて、ルークたちはナタリアを連れ、更に下層に降りた。街の外への出口がある市街地へ至る。――が、その行く手にキムラスカ軍が押し寄せてきた。

「ええい! 待て! 逆賊共!」

 ルークはナタリアを背に庇ってじりじりと下がる。剣を抜くのは簡単だったが、出来る限りそうしたくはなかった。――ここは自分とナタリアの国だ。たとえ今、命を狙われ追われているのだとしても。

 その時、ルークたちの周囲を駆け抜けて、市民たちが兵の前に立った。手に手に持ったフライパンやはたきを構えている。「な、何をする!」と兵たちがうろたえる前で、「ナタリア様、お逃げ下さい!」と中の一人が叫んだ。

「な、何故わたくしを……!」

「サーカスの連中から聞いたんです! 姫様が無実の罪で処刑されようとしているって!」

「お顔は存じ上げませんでしたが、上の階から逃げて来られたってことは姫様でしょう」

「さあ、逃げて下さい!」

 固まったように止まっているナタリアを、ティアが促した。

「行きましょう! ナタリア」

「え……ええ……」

 悲しげな顔をして、ナタリアは走り出す。

 市街地のあちこちで、同じような騒ぎが起こっていた。大勢の市民たちが、殆ど身一つで兵を食い止めている。押し合ううちに傷つけられたのか、中には怪我をしている市民もいたが、決して退こうとはしていない。

「待て! その者は王女の名を騙った大罪人だ! 即刻捕らえて引き渡せ!」

 やっと街の出口近くにまで至ったが、ゴールドバーグ将軍の率いる一軍が迫ってきた。やはり、その周囲に市民たちが群がって壁を作る。ついに足を止めて振り返り、ナタリアは叫んでいた。

「そうです! みんな、わたくしは王家の血を引かぬ偽者です。わたくしのために危険を冒してはなりません。

 ――どうか逃げて!」

 ナタリアの悲鳴のような懇願を聞いてなお、市民たちは動こうとしなかった。

「ナタリア様が王家の血を引こうが引くまいが、俺たちはどうでもいいんですよ」

「わしらのために療養所を開いてくださったのはあなた様じゃ」

「職を追われた俺たち平民を、港の開拓事業に雇って下さったのもナタリア様だ」

 人々は口々に語っていく。

「ええぃ、うるさい、どけ!」

 ゴールドバーグは苛立ち、剣を振った。それは市民を傷つけはしなかったが、驚いた老婆が倒れて尻餅をついた。将軍は剣を握り、そうして開いた場所――倒れている老婆の前に大股に進んでいく。

「やめろ!」

 一声叫んで、ルークは駆け戻っていた。その後にナタリアが続く。抜かないままだった剣をルークは腰から抜き放った。

「ええいっ! うるさいっ!」

 ゴールドバーグがルークめがけて剣を振り上げる。その時、横合いから駆け込んでくる影があった。その勢いのまま、将軍を蹴り飛ばす。

「アッシュ……!?」

「……屑が。キムラスカの市民を守るのがお前ら軍人の仕事だろうが!」

 尻餅をついたゴールドバーグに倣岸に言い放ち、アッシュはナタリアに視線を向けた。

「ここは俺たちに任せろ。早く行け、ナタリア!」

「……アッシュ……」

 呆然と見つめてくる彼女に、アッシュはふ、と微笑みかける。

「……お前は約束を果たしたんだな」

「アッシュ……、『ルーク』! 覚えてるのね!」

 叫んで、ナタリアは両手で口元を押さえた。その声には涙と、抑えきれない歓喜が含まれている。

「行け!」

 再びアッシュは命じたが、ナタリアは彼に吸い寄せられたように動かなった。もう一度、アッシュは小さく笑ってみせる。

「……そんなしけたツラしてる奴とは一緒に国を変えられないだろうが!」

 ナタリアは目を瞠る。そして、「……分かりましたわ!」と強く頷いた。

「ルーク! ドジを踏んだら俺がお前を殺すっ!」

「……けっ。お前こそ、無事でな!」

 ルークはアッシュと言葉を交わし、ナタリアを連れて走り始めた。途中ですれ違う市民たちが、口々に言葉を掛けてくる。

「ザオ砂漠は途中で消失してます! 街道を南に下り、イニスタ湿原へ向かって下さい」

「ナタリア様! ご無事で!」

「せっかく生きて戻ってきて下さったんだ! 生き延びて下さい!」

「わしら戦争はごめんですじゃ! ナタリア様なら、きっと戦争を止めてくださいますな!」

「軍の連中は私たちが抑えます! 急いで!」

 彼らに守られながら街の外へ続く長い橋を駆け抜け、ついにルークたちはバチカルから脱出した。


 イオンの私室に入ってからここまで、長い長い強制イベントでした。

 ちょっと気になってるんですが、ホド崩落に関する預言で「この後、季節が一巡りするまでキムラスカとマルクトの間に戦乱が続くであろう」ってありますよね。だから私はてっきりホド戦争は一年続いたんだと思ってたんですが、攻略本を見ると半年になってます。……もしかして、オールドラントって一年で二回季節が巡るのか? 確かに一年の日数は地球の二倍なんですが。

 

 白光騎士団と共に現われるペールがカッコイイ!

 それはそうと、ペールが様々な事情(ルークが髪を切ったこと、ガイの正体がルークに知られたこと)を了解している感じなのが少し不思議です。ルークがレプリカだということは知らないみたいですが、髪の長いルーク(アッシュ)を見て最初からカツラだと思っていたようですし。

 ……港から城に連行される姿を見たのかな? それとも、ガイはペールに手紙なんかを出していたんでしょうか。ホド住民の連絡網などを使って、こっそりと。

 実に嬉しそうに加勢に現われるペールを見ていると、彼もまたホドの生き残りなのですが、決してルークに復讐心は抱いてなかったんだな、と思えます。ルークと共に行動してるガイの意向に沿ったってこともあるのでしょうが、ペールは普通にルークを好いていてくれてる気がします。以前ルークの前で宝刀ガルディオスに関してサラッと喋りそうになってたことといい、ルークに気を許しているのかなぁと。

 

 ナタリアを騎士のように懸命に守るルーク。白光騎士団もアッシュも、みんなルークに「ナタリアを任せた、行け」的なコトを言うわけで。……やっぱこの物語の真のヒロインはナタリアなのかも(苦笑)。

 ルークは自分がレプリカだと知った時、喚いて否定してキレてアッシュに真剣で斬りかかりました。それから数日かけてアッシュの中から客観的に世界を見て自分を見つめなおし、決意して、少しずつ立ち直っていきました。

 ナタリアは自分が偽者だと知って……そのまま急展開で辛い逃走の旅をすることになります。これからどう生きる? なんて考えてる暇もない。とにかく逃げないと殺される。ルークはアッシュの意識の中でぼんやり物思いにふけられましたが、ナタリアはそうではない。

 とはいえ、この辺の展開を見ていると、ナタリアばかり仲間たちに優しく慰められていてずるい、という気持ちにルークファンとしてはなりがちですね(苦笑)。でも これがまさに人徳の差って奴なのでしょう。(今まで何もしていなかったルークの人徳と人脈が作られるのは、これから。)


 イニスタ湿原はバチカルの西南にある。一応道は作られているが、足元は悪く、魔物も多く、まず通る者のいない寂れた地だ。逃亡者には相応しいと言えた。

「アッシュは無事でしょうか……」

「大丈夫よ。彼にはキムラスカの人たちも味方をしてくれているわ」

 不安げに来た道を返り見て呟くナタリアを、ティアが励ました。

「そうですわね。わたくしのために、みんな……」

「感謝の気持ちは、オールドラントを救うことで表せばいい。今この大地に危険が迫ってるのを知っているのは俺たちだけだ」

 ガイが笑顔を見せて促してやる。

「……ええ」

「この湿原の先はどこに繋がってるんだ?」

 ルークが訊ねた。アニスが顔を向けて口を開く。

「確か……ベルケンドだよね」

「そっか。アッシュもきっとそこに来るよな。ひとまずそこでアッシュと落ち合おう」

 ルークがそう言うと、ガイが少し表情を険しくした。

「だがベルケンドはファブレ公爵の領地だ。気は抜けないぞ」

「分かってる」

「……ここの湿原、なんか嫌な気配がするですの」

 頷いたルークの足元で、びちゃびちゃに体を濡らしてミュウが嫌そうに言った。

「……そうですね。タチの悪い魔物に出会わないことを祈りましょう」

「タチの悪い魔物?」

「噂ですけどね。どちらにせよ、ここでぐずぐずしている訳にはいきません。行きましょう」

 ジェイドに従って、一行は湿原に歩を進めた。

 仲間たちの中で、ナタリアの足は遅れがちだ。ガイやティアが気遣って度々振り向いて歩を緩めているが。

「ナタリア、流石に元気ないですね〜」

 そんな様子を見ながら、アニスの表情も冴えなかった。

「仕方がありませんね。ここ最近の出来事は彼女にとって刺激が強すぎました」

 傍らからジェイドが応える。

「気持ちの整理つくまでは しょんぼりなのかな」

「……ベルケンドに到着したら、今後ナタリアをどうするのかも考えるべきなのかもしれませんね。彼女はこれ以上、我々と行動を共にしない方がいいかもしれません」

「そんなの! どうしてですか!?」

「私たちはもう一度、インゴベルト陛下に会わなければならない。もしナタリアがそのとき王に否定されたら、彼女はより深い傷を負うことになるかもしれません」

「む〜……」

 アニスは俯いて唸り声を上げた。理屈は分かったが承服し難い、という顔だ。いつの間にやら、それほどにナタリアを気に入っているらしい。それを好ましく感じた自分に少し呆れて、ジェイドは溜息をついた。

「まぁ、ナタリア自身が決めるしかないのですけどね」

 自分のことは自分でどうにかするしかない。なのに彼女の今後を案じる自分は、滑稽かもしれない。成り行きで長い旅を共にして、この子供たちにおかしな風に情が移ったのだろうか、と考えた。そして、はたと思う。――移るような情を、私は持ち合わせていたのだろうか?

「大きな花が咲いてるですの」

 体を濡らしながら懸命に歩いていたミュウが、沼を見て声をあげた。水の上に大きな赤い花が咲いている。

「ふーん、なんだか変わった花だな」

「確かにそうね。他で見たことがないし……」

 そんなことを言いながらルークたちは進んで行ったが、ガイとジェイドは足を止めていた。互いに顔を見合わせ、何事か考え込んでいる。

「どうしたんだ? 二人とも」

 気付いたルークが声を掛けると、他の仲間たちも立ち止まって振り向いた。

「ジェイドが言っていたタチの悪い魔物なんだが……」

「え?」

「やはり、ただの噂ではないようですね」

「何か居るって言うのか?」

 気味悪そうにルークは声を震わせる。

「かなり昔の話なんだが……この辺りに旅人を襲う凶暴な魔物が居たらしい」

「退治しようと何回も討伐隊が組まれたようですが、結局それは叶わず、その魔物が苦手だという花を植えることによってこの湿原に閉じ込めたという話です」

「ただの迷信かと思ってたけど、あの花、見ただろ? どうやら……」

「マジ話って事か……?」

 ルークは嫌な顔になった。

「え〜! もう死んじゃったんじゃない?」

「だといいのですが……」

 楽観的なアニスの言葉にジェイドが笑った、その時だった。ジェイドとガイの視線の先、ルークたちの背後に、見上げるような巨大な魔物がぬっと現われたのは。

 思わず、絶句してしまう。

「なんだよ、二人とも変な顔して」

「ルーク! 後ろよ!」

「げ!?」

 背後から迫る魔物に気付いたルークたちは一目散に逃げ出した。幸い、魔物はさほど足が早くはないようで、逃げるのはそう難しくはなかったのだが。

「超ビックリ! 何なの? さっきの魔物!」

 湿原の入口辺りまで駆け戻って、アニスが大声で言った。足場の悪い道をかなり走ったので呼吸も荒い。

「あんましデカイ声出さない方がいいんじゃないか? まだ俺たちを探し回ってるかもしれないし」

「ぶー。ルークなんかに注意されたー」

 アニスはぷっと頬を膨らませた。

「だけど、冗談じゃねーぞ。あんなのがウロついてんのかよ」

「あの魔物が……さっきの話の……?」

 いつも冷静なティアも、流石に呆然とした顔をしている。今までに見たことのない、気味悪い姿の魔物だった。かつての討伐隊の作業の跡なのか、腐りかけた鎖をぶらぶらさせていた。

「でしょうね。確か、ベヒモスと呼ばれていたと思います。しかし、本当に出てくるとは……。正直、私も驚きました」

「戦うべき……なのでしょうか?」

 ティアが訊ねると、ジェイドは少し困った顔をした。

「あの魔物と戦っても、こちらに利益はありません。それに今の私たちでは、まず倒せないでしょう。戦いを避けて湿原を抜けるべきですね」

「どうして倒せないと言い切れますの?」

 ナタリアが少し心外だという風に言うと、ガイが苦笑した。

「単純な強さだけで倒せるのなら、過去の討伐隊が倒しちまってるって!」

「そういうことです。今は逃げましょう。あの……ラフレスの花の花粉が苦手なのは分かっています。それを利用すれば湿原を抜けることは可能なはず」

「このバカでかい湿原を……ってことだよな。くそっ。ナタリア、大丈夫か?」

 ガイがナタリアに声を掛けると、彼女は顔を上げて微笑んだ。

「お気遣いなく……わたくしなら平気です」

「そうか……」

「とにかく、先程の魔物と遭遇しても一斉に逃げますよ。慎重に且つ、迅速に。――行きましょう」




 湿原の道は悪い。ぬかるんだ地面は足を捕らえて体力を削ぎ、靴の中まで染み込んで来る水は少しずつ体温を奪っていく。

「どうした、ナタリア」

 いつの間にか足を止め、取り残されてぼんやりと佇んでいたナタリアに気が付いて、ルークが声を掛けた。

「あ……いえ。何でもありませんわ」

「体調でもよくないの?」

 ティアが心配そうに声を掛ける。その様子を見たガイが「ジェイド。休憩!」と先頭に叫んだ。

「やれやれ。あなたもお人好しですね。さっきのこともありますから周りには気をつけて下さいよ」

「ああ。こんなところでナタリアが怪我でもしたら、バチカルのみんなが泣くからな」

 笑ってガイが言うと、「そうだよねぇ。ナタリアって愛されてたんだぁってビックリしたもん」とアニスも明るく言った。

「ナタリアは公共事業を取り仕切ってるんだ。その収益を病気の人とかに施したりとか……。尊敬されてんだよ」

 ルークが説明する。ナタリアのことなら色々と教えることが出来た。が、ガイに「ルークが王子だったら、ただ王室で贅沢三昧だな」とからかわれて憮然とする。ガイの意を察して、ティアも微笑んだ。

「為政者も個人の資質が重要ってことね」

「そう。バチカルのみんなは、キムラスカの王女じゃなくてナタリアが好きなんだよな」

 ガイの声音は、それを言い聞かせるようだった。優しい瞳でナタリアを見つめている。

「でもお父様は……」

「陛下がどうしてもキミを拒絶するなら、マルクトにおいで。キミなら大歓迎さ」

「……あなた、よく真顔でそんなことを言えますのね」

 赤面したナタリアに、ルークが少し拗ねた口調で声を投げた。

「おーい。ガイにたぶらかされて、マルクトに亡命するなよ!」

「それより、インゴベルト陛下に退位してもらって、ナタリアが女王様になれば?」

 アニスがふざけて言う。

「……ふふ」

 ナタリアは笑みをこぼした。同時に、ぽろぽろと涙までもが零れ落ちる。慌てて手で顔を覆った。

「……ごめん……なさい……。いやですわ、泣くつもりでは……」

「いいんだよ。色々あって、びっくりしたよな」

 ガイの声はどこまでも優しかった。触れることはなかったが、少しだけ近付いて。

「……ごめんなさい、みんな。もう大丈夫ですわ。ガイも……ありがとう」

「ナタリアの笑顔を取り戻す手伝いが出来て嬉しいよ」

 微笑みと共にそんなことを言われて、ナタリアは再び頬を染めた。

「なんだか照れてしまいますわ」

 そう言いながら、両手を広げて彼に近付く。親しい人にそうするように、頬に感謝のキスを落とそうと思ったのだ。ところが、ガイは後ろに飛び退いて情けない顔でガクガクと震え始めた。

「……忘れてましたわ。ごめんなさい」

 その時だった。バシャッ、と水音を鳴らして、巨大な魔物が現われたのは。

「きゃあっ!?」

 ナタリアが悲鳴をあげる。他の者より少し後方にいたナタリアめがけて、魔物が突進してきた。

「しまったわっ!」

「まずい!」

 即座にティアは眠りの譜歌を歌い始めた。動きの鈍った魔物の前に駆け込み、ルークが、ガイが剣で斬りつける。ルークの刃にえぐられた時、魔物は咆哮をあげてのけぞった。

「アニス! ラフレスの花粉を!」

「はいっ!!」

 ジェイドの指示で、アニスが布に包んでいた花粉を投げつける。ぱし、と当たったそれから花粉が舞い飛ぶと、魔物はのたうち、背を向けた。

「今のうちにここを離れよう!」

 ルークが叫び、一行は走った。




「はあ、はあ……。ここまで逃げれば大丈夫だよな」

 暫く走り、魔物の姿がないのを確認して、ルークたちは足を止めた。湿原を走るのは結構骨が折れる。

「油断は出来ませんよ。どうやら、我々を追ってきているようですし」

「獲物を狩るまで諦めない、って訳か」

 ガイが言うと、「獲物って……私たちってばエサってこと!?」とアニスがジタバタと騒いで身震いした。

「ラフレスの花があって良かったよぅ」

 ガイは苦笑して頷く。

「ホントだよなぁ。でも、あんなでっかい魔物が、こんなものに怯えるとは……」

「似たような事例を知っています。恐らくラフレスの花粉が、魔物の脳神経を刺激するのでしょう」

 ジェイドがそう言うのを聞いて、ルークは目を丸くした。

「へぇー、たかが花粉でそんな事になるんだ」

「この世には、もっともっと信じられないような事がまだまだ存在しますよ。このように小さな花粉でも、あのような大きな魔物を退ける力がある。不思議なものですねぇ」

「あんなデカブツが、たかだか花粉ごときにやられちまうって考えたら、大した事ないよな。――そうだろ? ナタリア」

 ガイが笑いかけると、ナタリアは顔を上げて微笑んだ。

「ふふ……そうですわね」

「では行きましょう。ぐずぐずしていると、また追いつかれてしまいます」

 ジェイドが先を促す。




「ナタリアの奴、ちょっと気持ちが落ち着いたみたいだな」

 後方のナタリアを気に掛けながら、ルークは少し明るい気分で言った。ティアも小さく笑っている。

「ガイのおかげね」

「いや、だって辛そうな顔見てるのイヤだろ? 仲間なんだしさ。俺たちが励ましてあげないと」

 照れたようにそんなことを言うガイに、ティアは「あなたはホントに優しいのね」と親しげな笑みを向けた。ルークの顔がほんの少しだけムッとする。

「天然だけどな」

 そう言われて、ガイは困ったような顔で笑った。

「お前に天然って言われるとはなぁ」

「天然ですのー!」

 ティアの腕の中でミュウが嬉しそうに繰り返している。

「お前も天然だっつの!」

「みゅぅ……」

 怒鳴られて耳を垂らしたミュウを抱え直して、「ふふ」とティアは笑った。そしてふと表情を改める。

「ともかく、ナタリアはこれからも大変だと思う。……私たちが力になれればいいんだけど」

「そうだな……」

 応えながら、ルークは視線を上げた。朽ちかけた木の橋の向こうに、乾いた地面が見えている。

「なんとか湿原を抜けれそうだな」

 ホッと肩の力を抜き掛けた時だった。三度みたび、魔物の襲撃が起こったのは。

「きゃあっ!」

 ナタリアが悲鳴をあげる。魔物は仲間たちとの間に入り込み、孤立した彼女に向かって鋭い歯の並んだあぎとを開いた。

「ナタリア!」

 ルークが、その傍でガイが叫んだ。

「まずいぞ! あれじゃやられちまう!」

「仕方がありません。助け出す間、奴を引きつけましょう」

 ジェイドが言い、ルークは頷いて剣を抜いた。

「分かった! 俺たちが引きつけてる間に助け出してやってくれ! その後、すぐ逃げるからな!」

「分かっていますよ」

 ルークとガイは剣を持ち、魔物の背めがけて走る。何度か斬り付けたが、厚い毛皮に阻まれているのか、特に意に介そうとせずにナタリアに近付いていく。その時、ティアが譜歌を歌った。動きが鈍くなった魔物めがけて、アニスが布に包んだ花粉を投げる。初めて痛みを感じたように魔物がのけぞった。

「今だ!」

 踏み込んだルークが、深く魔物を切り裂いた。咆哮し、魔物はヨロヨロとその場に倒れ込む。

「やったか!」

 ガイが言った。

「とどめは刺していないかもしれませんが、今は充分です! 行きますよ!」

「分かった!」

 ジェイドはナタリアの手を引いている。ルークも片手に剣を持ったまま、仲間たちの後を追って走った。





「ふー。なんとか逃げ切れたな」

「ふぁ〜……超やばかった〜」

 湿原から離れ、乾いた地面に木漏れ日が柔らかく落ちている場所で。ルークたちはようやく足を止め、安堵の息をこぼし合った。

「けど、ベヒモスは殆ど攻撃が効かないって話だったが、ルークの技は効いていたな」

 ガイが少し不思議そうに言った。剣技でルークに劣るつもりはないが、まるで手応えの感じられなかった己に対し、ルークのそれは確かにダメージを与えていた。

「ルークの超振動が影響しているのかしら」

 ナタリアが小首を傾げる。ミュウは誇らしげに讃えた。

「ご主人様、凄いですの!」

「へ……へへ。ま、まあな」

 照れ臭そうに笑って、ルークは片手で己の赤い髪をかきあげる。

「攻撃が効いていたのは二回ですね。どちらの時もティアの譜歌が発動中でした。その辺りも考慮した方が良さそうですね」

 ジェイドが考え深げにそう言ったが、ルークはもう表情を改めて、仲間たちに向かった。

「まあ、とりあえずベヒモスはやり過ごしたんだし、街に行こうぜ」

「そうだな。ベルケンドは山沿いに西へ進んだところにある」

 ガイが言い、ルークは「分かった」と頷く。

「アッシュ……。ベルケンドで落ち合えるかしら」

 ふとナタリアが呟いた。不安そうな表情が再び現われている。

「彼も湿原を越えてくるのなら、少し時間が掛かるかもしれないわね」

 ティアは言ったが、「流石に、一人で湿原を越えようとはしないでしょう」とジェイドが笑った。それほどに、イニスタ湿原は難所として有名な場所だ。

「うまくバチカルから船を使えればいいのですけど……」

「大丈夫じゃない? アッシュってば結構神出鬼没だから、何か移動手段持ってるよ。きっと」

「そうですね。まぁ、大丈夫でしょう」

 アニスとジェイドがそう請合う。「だといいのですけれど……」と呟いて、ナタリアは背後に遠く視線を向けた。


 「陛下がどうしてもキミを拒絶するなら、マルクトにおいで」とナタリアに言うガイ。バチカル育ちの彼ですが、気持ちはしっかりマルクト人なんですね。

 

 あまり関係ないですが、ガイがナタリアを甘い言葉で慰めて、「あなたは本当に優しいのね」とティアが褒めた時、ルークがつと視線を逸らして「天然だけどな」と言ったのは、何故なんだと思います?

 注意してみると、ルークはガイが女の子に歯の浮くようなことを言うと、殆ど呆れて注意するかムッとするかしてます。なんか気に食わないらしい。

 後にガイがバーテンの格好をして(ティア含む)女の子たちにキャーキャー言われた時もぷんぷんしてましたが、男の嫉妬ですかねぇ……。分かりやすい子だよねぇ……。ガイが女の子たちに近付かれてブルブル震えるのは面白がって見てるのに。(ひでぇ)

 

 それはともかく、この辺りのガイはナタリアを気に掛けすぎ(笑)。「マルクトへおいで」発言は一歩間違えればプロポーズだ。なんという天然タラシぶりでしょうか。(本編でナタリアとアッシュの恋愛がはっきり描かれているにも拘らず)ガイとナタリアをカップリングした二次創作が結構あるのも、これだと納得かもしれません。

 個人的には、もーちょいルークがナタリアを心配するエピソードも入れて欲しかったなぁ。ナタリアを笑わせるためのダシに使われたり、ルークがちょっと可哀想かも(苦笑)。

 

 シナリオライターさんのインタビュー記事によれば、ガイは元々ナタリアのことも仇の一族として冷たく見ていたのですが、ルークが誘拐されて記憶喪失で帰ってきて、嘆くナタリアを見るうちに同情し、それが復讐心が薄れるきっかけの一つになったんだそうで……。お屋敷時代のガイとナタリアの関わりっていうのも、ちょっと見てみたい気がしますね。(タメ口で親しく付き合えるようになったのは旅に出てからで、それ以前はあくまで王女と使用人の距離ではあったようですが。それでも、レプリカルークを間に挟むことで、何か普通よりは濃い関係があった気がします。)

 ルークがレプリカだったことが逆にガイの救いになったように、ナタリアが王家の血を引いていなかったことは、むしろガイにとっては喜ばしいことだったのでしょうか。本当の仇の一族じゃなかったから。

 ガイはナタリアの偽王女疑惑が浮かんだ時に、ルークに「俺にとっての本物はお前だけ」と言ったのと同じように、「(本物の王女であろうとなかろうと)俺たちにとっては何も変わらない」と言いますが、そうはっきり言えるのは、仇の一族である彼女やレプリカルークに親しむことで、既に「血や所属と、人そのものは無関係ではないか」という葛藤を経ていたから……なのかな?

 

 湿原を出る直前に、ベヒモスに襲われるイベントが発生します。この時襲われるキャラクターは、戦闘に参加させていない一番目のキャラクターです。ただし、ジェイドだけは決して襲われることはありません。(^_^;)

 ルークを襲われ役にさせることも出来るんですが、この時は どのキャラを操作キャラにしていようが、必ずガイが「ルーク! まずいぞ! あれじゃやられちまう!」と叫びます。

 ところで、この襲ってくる魔物の名前がベヒモスだということは、ゲーム本編の物語会話中では一度も説明されないのですが、何故か湿原を出るとガイもルークも普通にベヒモスベヒモス言って会話してます。ちょっと変。

 

 通常の攻撃では傷つけることの出来ないベヒモスを、ティアの譜歌とルークの剣が揃った時だけ傷つけることが出来る。……これ、一見ラスボス戦の伏線のように見えますが、実際のところ無関係というかなんか変というか。未消化な設定だと思うんですけど。なんじゃこれ。

 

 ちなみに、ベヒモスと戦って倒すことは出来るんですが、幾ら倒しても経験値もお金もアイテムも入らないので、正直、構うだけ時間の無駄です。予めホーリーボトルを用意しておいて進み、万一捕まっても速攻「逃げる」のが得策です。

 しかし、一度湿原をクリアしてから戻って戦うと、倒した時に経験値もお金も入ります。この時入手できるアイテム「ゴールデンヘルム」は、後のサブイベント(ティアの衣装付き称号がもらえる。※二周目以降)に必要ですので、売り払わないように注意してください。



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