「ベルケンドはあなたのお父様の領地だったわね」

 煉瓦で造られた重厚な街並みが見えてきた頃、ティアが言った。

「そうらしいな」

 正直、気にしたこともなかったが、ガイたちがそう言っていたからにはそうなのだろう。そういえば、前にここに来た時――アッシュの意識の中に閉じ込められてだったが――には、同じことをナタリアが言っていたよなぁ、とルークは思う。子供の頃、ナタリアとアッシュとガイの三人で父上の視察にくっついてきたとか………約束した、とか……。

「首都バチカルと湿原で隔てられているからこそ、姻戚関係にあるファブレ公に治めさせているのかしら……」

「そうでしょうね。下手な貴族を置いて、敵対行動を取られてもたまりませんし」

 ティアの声は続き、ジェイドがそれに答えている。

「貴族か……」

 ルークは呟いた。

「どうしましたの。急にしんみりして……」

 ナタリアが覗き込んでくる。

「貴族って、何なんだろうな」

「領地を治める領主ですわ」

「……うん。そんなことは分かってるんだけどさ」

 そう言い、ルークは「いや、やっぱいいや」と振り切るように笑った。

「まあ、おかしなルーク」

 ナタリアが小さく笑う傍で、ジェイドが深い色の視線を向けた。

「ルーク。あなたのその疑問、突き詰めて考えていくと面白いと思いますが?」

「そうか? ――だけどそれより前に、俺は俺って何なのかを考えなきゃいけないからさ……」

 ルークは目を伏せた。この街に来ると、そのことを強く認識させられる気がする。――レプリカ。俺はこの街で研究されている技術で作られた、アッシュの模造品だ。

 バチカルで、「ファブレ公爵の子息の名を騙りしルーク」と呼ばれた。その罪は死に値する、と毒杯を差し出されて。

 だけど、俺はそんなこと知らなかったんだ、とルークは悲しく思う。父上や母上や、国のみんなを騙してるつもりなんて、なかった。ルークでも、ファブレ家の息子でもないんなら、………俺は一体、誰なんだろう?

「……ルーク? どうかしたか?」

 ガイの声が聞こえて、ルークは思考を中断させた。

「なんでもない。それより、この後どうする?」

 とりあえずここまで逃げてきたけど、とルークは仲間たちに訊ねた。ここで待っていればアッシュと合流できるかもしれないが、約束したわけではない。それに、今までと違って街そのものに目的のある来訪ではないので、当面することもなかった。

「そう言えば、スピノザという男がこの街でヴァンと組んでレプリカ研究をしていました」

 少し考えてからジェイドが言った。兄の名を聞いて、ティアがビクリと身を強張らせる。

「兄さんが……」

「ヴァンの目的を探るためにも、ちょっと第一音機関研究所のスピノザを問い詰めてみませんか?」

 人の悪い笑みを浮かべて、ジェイドが仲間たちを見渡した。

師匠せんせい……)

 ティアのように震えはしなかったが、ルークの胸の内もじわじわと痛んでいた。――ヴァン・グランツ。つい二、三ヶ月ほど前まで、ルークが世界の誰よりも尊敬し、憧れ、信じていた人間。

(……そして、俺を崩落するアクゼリュスに捨てて行った人……)

 あの時、最後に見た彼の目は忘れられなかった。冷たい侮蔑の浮かんだ――ずっと見てきた、大好きだった優しい目とはまるで違った、それ。その後、アッシュの目と耳を通して、彼が何か巨大なレプリカを作ろうとしているらしいことを知った。

(俺を騙して……レプリカを作ろうとして……。何を考えてるんだ……)

「……行ってみよう」

 ルークは顔を上げる。出された声は低く、くぐもっていた。


 ベルケンドは二度目ですが、ルークとしては初訪問です。ティアはホントの初訪問。

 第一音機関研究所の隣に木箱が沢山置いてありますが、これはミュウアタックで破壊することが出来ます。

 ……一周目、私はずっとそれが分からなくて、ベルケンドに来る度に木箱を押したり引いたりしてました。ああ騙されたよまんまとスタッフさんの思惑通りにな! チクショウ。

 模型機関車の傍の宝箱は、現時点ではまだ取れません。ので無視。

 あと、グランコクマの酒場でガイの奥義イベントをこなしていた場合、この街の大きな歯車の前に次の伝承人が現われていると思います。

#回転する歯車の前に作業着の男。
ガイ「もしかしたら あなたはシグムント流第四の口伝者ですか?」
奥義会「! お待ちしておりました。さっそく我らの奥義をお伝えします」
#伝承
奥義会「ガイ様は実戦経験が豊富だからでしょうか。非常に飲み込みが早いですね」
ガイ「そうかな? それならいいんだが……」
奥義会「第五の口伝者は冷たき小さな部屋におります」
ガイ「冷たき小さな部屋……ねぇ……」
奥義会「次の技を習得されることをお祈りしております」

 なお、ベルケンド港に行くと倉庫整理のミニゲームが楽しめます。……今まで通過した場所での倉庫整理を全てクリアしていたなら、これにて全て終了。アニスの称号が入手できます。

 ちなみにここでの倉庫整理では、ガイとルークが色々会話してちょっと面白い。

倉庫番「あー面倒くせー」
ガイ「はは。誰かみたいなこと言ってら」
ルーク「(怒)俺のことか?」
ガイ「さぁてねぇ。で、何が面倒なんだ?」
倉庫番「話すのも面倒だけど……。俺の代わりに倉庫片付けてくれ」
ガイ「だってよ。どうするルーク?」
ルーク「俺がこいつと違うとこ、見せてやるよ」
ガイ「はは。おまえ、案外整理整頓好きだよな」

 ガイ兄さんが妙にハイテンションだ。何かいいことでもあったんでしょうか。

 そしてルークが整理整頓好きだということが発覚。


 第一音機関研究所に近付くと、大勢の神託の盾オラクル兵たちがバラバラと駆け出してきてルークたちを取り囲んだ。しまった、と身構えたルークに向かい、兵の一人が鷹揚に声を掛ける。

「バチカルでは派手にやってくれたそうですな特務師団長!」

「……特務師団長?」

「ヴァン主席総長がお呼びです! 出頭していただきますよ。アッシュ特務師団長」

 ハッとする。ルークをアッシュと間違えているのだ。

「ヴァン謡将に会う絶好の機会です。ここは大人しく捕まりましょう」

 ジェイドが小声で言い、ルークは剣に伸ばしかけた腕から力を抜いた。




 第一音機関研究所内にあるレプリカ研究施設。その更に奥の部屋に、ルークたちは連れて行かれた。

「アッシュ特務師団長を連行しました」

 まず室内に入った神託の盾オラクル兵が、敬礼してそう報告している。

 奥の壁一面は書棚になっており、ぎっしりと本が詰め込まれている。その前にはデスクがあって、その席に髪を高く結った鋭い目の男が着いており、隣には冷たい美貌の金髪の女が立っていた。

「兄さん! リグレット教官!」

 叫び、最初に駆け寄ったのはティアだった。後を追うようにルークも駆け込む。

師匠せんせい! 師匠はアクゼリュスで俺を……俺を……っ!」

 上手く言葉が出ない。ヴァンの顔を見た途端、今まで停止させていた思考や感情がとめどもなく溢れ出し沸き乱れて、ルークの舌をもつれさせた。

 ――本当に? だって。師匠は。俺は。ずっと……!

「……とんだ人違いだな。閣下、下がらせますか」

 冷たいリグレットの声が落ちる。が、ヴァンは「いや、構わん」と笑って席を立った。ルークたちの前にゆったりとした動作で歩み出る。

「兄さん! 何を考えてるの! セフィロトツリーを消して外殻を崩落させて!」

「そうだよ、師匠! ユリアの預言スコアにもこんなことは詠まれてない……」

「ユリアの預言か……。馬鹿馬鹿しいな。あのようなふざけたものに頼っていては、人類は死滅するだろう」

 鼻で笑ったヴァンを睨み、ナタリアが厳しい声をぶつけた。

「あなただって外殻大地を崩落させて、この世界の滅亡を早めているではありませんか!」

「それがユリアの預言から解放される唯一の方法だからだ」

「死んでしまえば預言も関係ないですからねぇ」

 肩をすくめてジェイドが失笑してみせる。

「違うな。死ぬのはユリアの亡霊のような預言と、それを支えるローレライだけだ」

「ローレライって……第七音素セブンスフォニムの意識集合体? まだ未確認なんじゃ……」

「いや、存在する」

 首を傾げるアニスにそう答え、「あれが預言を詠む力の源となり、この星を狂わせているのだ」とヴァンは言った。

「ローレライを消滅させねば、この星は預言に縛られ続けるだろう」

「だけど、師匠! 外殻が崩落して消滅したら、大勢の人が死ぬ。そしたら、預言どころの話じゃなくなっちまうよ!」

「レプリカがある。預言通りにしか生きられぬ人類などただの人形。レプリカで代用すればいい」

「フォミクリーで大地や人類の模造品を作るのか? 馬鹿馬鹿しい!」

 嗤って吐き捨てたガイに、ヴァンはまっすぐに視線を向けた。

「では聞こうか。ガイラルディア・ガラン・ガルディオス」

 ガイはハッとする。――己の真の名。ホド領主ガルディオス家の嫡男としての名で呼ばれて。

「ホドが消滅することを、預言で知っていながら見殺しにした人類は愚かではないのか?」

「それは……」

「私の気持ちは今でも変わらない。かねてからの約束通り、貴公が私に協力するのならば喜んで迎え入れよう」

「かねてからの約束……?」

 思いがけない言葉を聞いて、ルークは怪訝に眉を寄せた。

「ガイ、どういうことだ?」

「それは……」

 問われて、ガイは苦しげに言葉を詰まらせる。代わるように、ヴァンの声が朗々と室内に響いた。

「ガルディオス伯爵家は、代々我らの主人。ファブレ公爵家で再会した時から、ホド消滅の復讐を誓った同志だ」

「え……」

 ルークの脳がその言葉の意味を理解するよりも早く。

「来たようです」

 部屋の外で物音が聞こえ、小さくリグレットがヴァンに告げた。次の瞬間。バン、と扉が勢いよく開き、黒衣の若者が長い赤髪をなびかせて飛び込んできた。

「アッシュ!」

 ナタリアの叫びを背にして、彼はヴァンの前に止まり、碧の双眸でねめつける。

「フ。待ちかねたぞ、アッシュ」

 その強い視線をものともせずに笑って、ヴァンは右手を差し出した。

「お前の超振動がなければ私の計画は成り立たない。私と共に新しい世界の秩序を作ろう」

「断る! 超振動が必要ならそこのレプリカを使え!」

「雑魚に用はない。あれは劣化品だ。一人では完全な超振動を操ることも出来ぬ」

 一顧だにせずに言われて、ルークの体が大きく震えた。

「あれは、預言スコア通りに歴史が進んでいると思わせるための、捨て駒だ」

 ――刺さる。

師匠せんせい、笑って、る……?)

 ひどく鈍い思考で、ルークはそう思った。今、師匠は何て言ったんだ……?

 雑魚。劣化品。――捨て駒。

 

『私には、お前が必要なのだ』

 

 かつてアクゼリュスに出発する際にヴァンに言われた言葉が脳裏をよぎった。

 嬉しくて、何度も何度も反芻した言葉だ。――随分前のことのように思えるが、ほんの二、三ヶ月前のこと。

 あの頃は、自分を本当に認めてくれているのはヴァンだけだと思っていた。記憶がなく、世界との繋がりを殆ど持たず、世界は不確かなものだと思っていた、そんな自分を呼び活け、鮮明な景色を見せてくれた、『必要』という言葉。

(……なんだ。

 俺は、必要なんかじゃなかったんだ。

 そうだよな。

 必要なのは、アッシュ。

 ニセモノの俺なんかじゃない。本物の『ルーク・フォン・ファブレ』)

「その言葉、取り消して!」

 暗く死んだ世界の遠くで、ティアがひどく憤った声で叫んでいる。

「ティア。お前も目を覚ませ。その屑と共にパッセージリングを再起動させているようだが、セフィロトが暴走しては意味がない」

 そう言ったヴァンに向かい、ティアはサッとナイフを構えた。呼応して、リグレットが譜銃を抜こうとする。が、ヴァンが片手でそれを留めた。

「構わん、リグレット。この程度の敵、造作もない」

 リグレットは黙って下がる。他方、ジェイドも声で制した。

「ティア。武器を収めなさい。……今の我々では分が悪い」

「ああ。この状況じゃ、俺たちも無傷って訳にはいかない。たとえ相打ちでも駄目なんだ。外殻を降下させる作業がまだ残っている」

 ガイもそう言い聞かせている。

「……ヴァン。ここはお互い退こう。いいな?」

 視線を逸らさずにアッシュが言った。

「よろしいのですか?」

 リグレットが警戒を緩めぬままにヴァンに問う。

「アッシュの機嫌を取ってやるのも悪くなかろう」

 笑って言い、ヴァンは断ち切るように背を向けた。本当に、アッシュたちの存在など意にも介していないという風に。

「主席総長のお話は終わった。立ち去りなさい」

 リグレットが冷たい声で言い放つ。「行きましょう」というジェイドの声に促されて、一行はその部屋の出口を潜っていった。

「………」

 のろのろとそれに従ったルークは、廊下で扉を背にして立ち止まった。

「ルーク? どうしたの?」

「――っ!」

「おい、ルーク!」

 次の瞬間、ルークは室内に駆け戻っていた。

師匠せんせい! 俺っ、俺は……!」

 背を向けていたヴァンは、肩越しにチラリと視線を向けた。その冷たさに、ルークは言葉を失う。

「屑に用はない。消えろ」

「せんせ……」

「死ぬべき時に死ねなかったお前に、価値はない」

「やめて! あんまりだわ、兄さん!」

 後を追って駆け込んで来たティアが叫ぶと、ヴァンは向き直り、少し表情を和らげた。

「早く目を覚ませ、メシュティアリカ。お前と戦いたくはない」

 ティアはもどかしげに唇を噛む。

「ヴァンデスデルカ……!」

 やはりルークを追って戻ってきたガイが、自失しているルークの肩を支えながら睨んだ。

「貴公が私にくだるのなら、いつでも歓迎しよう」

 そう言ってヴァンは不敵に笑う。スッとガイの脇を通り、何かを耳打ちした。

「……!」

 瞠目するガイを面白そうに見やる。

「立ち去りなさい。閣下のお話はもう終わっている」

 再びリグレットの声が落ち、ルークはガイの腕に背を押されて部屋を後にした。





 その部屋から研究所の外に出るまで、仲間たちの間に会話はなかった。いや、実際はあったのかもしれないが、ルークの記憶にはない。

「ルーク……」

 間近でティアの声が聞こえて、ルークは意識を浮上させた。見やれば、心配そうな彼女の視線とぶつかる。ふ、とルークは微笑んだ。――大丈夫。笑える。

「……は〜。総長がこんな所にいたなんて、もー、びっくり。しかも神託の盾オラクルの騎士団員を自分の兵士みたいにしてて、なんか感じ悪い!」

 両腰に手を当ててアニスが憤慨している。ナタリアの影が動き、アッシュの前に立って両手を組むのが目に入った。

「アッシュ……。バチカルでは助けてくれてありがとう」

「そうだ。お前のおかげだよ。ここまで逃げてこられたのは」

 ルークも言った。笑って。対照的に、アッシュは眉間の皺をぐっと深める。

「勘違いするな。導師に言われて仕方なく助けてやっただけだ」

「イオン様が!?」

 声をあげたアニスに「ああ」と返して、「ダアトで調べたいことがあったんでな。……その際に導師に会った」とアッシュは言った。

「ヴァンは全ての外殻を落とすだろう。世界を変えるために」

「……それがユリアの預言スコアから解放される唯一の方法、か……」

 ルークは先程聞いたヴァンの言葉を繰り返した。

「ヴァン師匠は、預言スコアから世界を解放しようとしてるってのか……?」

 確かに、預言に従い過ぎる世界はおかしいと思ったことがあった。ホドやアクゼリュス崩落の真実を聞き、戦場で様々な人々の声を聞いた時に。――けれども。

「世界の人々を滅ぼして、レプリカを生み出してまで そんなことをする意味があるはずないわ! レプリカで世界を造り替えるなんて。兄さんは正気なの……?」

 即座にティアが反駁する。ジェイドが頷いた。

「その通りです。彼の考えは飛躍しすぎている。預言を無理やり諸悪の根元に結び付けているに過ぎません」

「でも、預言を守る為に犠牲になった人がいるのも確かだぜ」

 つぐんでいた口を開いたガイは、僅かに目を伏せていた。

「かといって、新たな犠牲を増やす理由にはなりませんわ!」

 ナタリアが叫び、「そのとーり!」とアニスが険しい顔で同意する。

「ともかく、兄を止めなければオールドラントは危険にさらされたままだわ」

「そうだな。……もし師匠を止められたとしても、セフィロトの暴走の問題もあるし……」

 ルークがそこまで言った時、不意にアッシュが背を向けて歩き始めた。

「アッシュ? どこへ行きますの」

「いつまでもこんな所で立ち話をしているつもりはない」

 振り向くことなく彼は言った。

「お前たちに渡すものがある。宿まで来い」

 そして、一人で大股に歩いて行ってしまう。

「アッシュ……」

 見送るナタリアの様子は不安げだった。そうだよな、とルークは思う。アッシュは頼りになる。――だから必要とされてる。俺よりも、よっぽど。

「あいつ、凄いよな。一人で行動して、色々手配して俺たちのこと助けてくれたし」

 ぽつりとルークは言った。

師匠せんせい、計画には俺じゃなくてアッシュが必要だって言ってたな……。はは。また俺、否定されちまった」

「ルーク……」

 俯いて笑うと、小さくティアに名を呼ばれた。気遣わしげな声音が何故か痛くて、ルークは顔を上げて笑顔を作る。

「大丈夫だよ、ティア。分かってたことだし。ともかく、今はアッシュに話を聞こう。ムカつくけど、協力しないとな」

「そうですわね。宿に参りましょう」

 ナタリアが頷いて、率先して歩き始めた。

 その背中を追って歩きながら、ルークは思いに沈む。

(ナタリア、大分元気になったよな。……あいつに会えたから。俺じゃ、ナタリアをろくに元気付けることも出来やしない。当たり前だ。ナタリアがずっと探してたのはあいつなんだから……。ナタリアだけじゃない。母上も、きっと父上だって。本当に必要だったのは本物で、ニセモノの俺はみんなを騙してた。失望させて、悲しませて……。……師匠も……俺がニセモノだから……。ガイは……)

 そこまで考えて、何かが引っかかった。先程、ヴァンがガイに何か言っていなかったか。

「なぁ、ガイ。あの、さっきの師匠とお前の話だけど……」

「ん? ああ、あれか……」

 訊ねると、ガイは気まずそうに表情を曇らせた。こんな顔は以前にも見た。カースロットの解呪が済んで、本当に大丈夫かと問い掛けた時。

「お前がカースロットで俺を襲ったのって……」

「……そうだな。ヴァンが言ったことは本当だ。あいつと俺は同志だった」

 静かにガイは答えた。

 やっぱり。と、ただそう思う。

 世話係で親友だと思っていたガイが、実はファブレ家に滅ぼされたホドのガルディオス家の生き残りで、復讐のために側に控えていたことを知ったのは、つい最近のことだ。心の奥底に眠る負の感情を掘り起こすという譜術が、それを暴き立てた。

(そうか。ガイだけじゃなかったんだよな……)

 自分の馬鹿さかげんにほとほと呆れて、いっそ笑える気がした。

 ヴァンがホドの出身であることは知っていたのだから、もっと早くに気付いても良かったのだ。

(師匠にとっても、俺は仇の子で……殺したいほど憎い、復讐の相手だったんだ)

 それでも、アッシュは必要とされている。……本物オリジナルで、優れた能力を持っているから。

(でも、俺には何の価値もない……)

 

『私には、お前が必要なのだ』

『死ぬべき時に死ねなかったお前に、価値はない』

 

 ヴァンの二つの声音と表情が、交互に頭の中に浮かんでは消える。

(俺には、価値がない……)

 屋敷にいた頃は、小さな世界で、その中心は自分だった。ヴァンもガイも自分を見てくれていた。ナタリアや母の心配や説教は鬱陶しくもあったが、向けられた愛情や好意は当然自分が享受すべきもので。

 喪失した(と、思っていた)記憶のために漠然とした不安は常に付きまとい、足元はぐらついていたが、反面、目の前に差し出されていたものを心底から疑ったことはなかった気がする。いつかしっかりと掴めるものなのだと。根拠もなく信じていた。

 でも、違った。何もかもが勘違いだったのだ。

 アクゼリュスを崩壊させた時、仲間たちに見捨てられ、一人になったと思って怖かった。

 だが、そうではない。

(俺は最初から、ずっと一人だったんだな……)

 黙り込んだルークの様子をどう捉えたのか、ガイがルークに言った。

「確かに、俺とヴァンは同志だった。だが……今は違う。あいつと俺の目的は違ってしまったからな」

「それを私たちに信じろと?」

 ルークは反応を返さない。冷たい声で言ったのは、ティアだった。

 その瞳には窺うような警戒の色がある。ヴァンは今や世界の敵だ。その彼と同志だったと言うのだから。

「こちらが疑り深いことはご存知ですよねぇ」

 ジェイドはそう言って皮肉に笑い、「そうそう」とアニスがきつい目で頷く。尖り始めた空気の中、「おやめなさい!」と叫んだのはナタリアだった。

「わたくしたちの誰もがルークを見捨てた時、ガイだけはルークを迎えに行きましたわ。そのことまで否定なさいますの?」

 ふ、とルークは目線を上げた。強張ったガイの顔を視界に入れる。

「作戦かもしれませんよ」

 にべなくジェイドが言い、ビクリとルークの体は震えた。ガイが表情を歪める。

「信じろとは言わないよ。俺をヴァンの回し者スパイだと思うなら、俺はキミたちと離れる。それだけだ」

 彼を視線の中心に置いて、仲間たちは測るように口を閉ざした。張り詰めた沈黙が落ちる。

「……俺は……ガイを信じる」

 ややあって。言ったのはルークだった。

「いいのか?」

 返されたガイの言葉は、疑問だ。感謝でも、喜びでもなく。

「……だって、俺はガイに信じて欲しいからさ。俺が変わるってこと。それを見てて欲しい」

「……そうか」

 呟いて、ガイは視線を落とした。何故なのか、苦しそうに。

「ガイは敵国の人間でありながら わたくしを力付けてくれましたわ。あれがわたくしたちを欺く演技だとは、わたくしには思えません!」

 黙り込んだ幼なじみたちを庇うように、懸命な面持ちでナタリアが続けている。僅かに、ばつが悪そうな空気が仲間たちの間に流れた。

「私はガイを疑ってはいないわ。兄さんがガイを回し者スパイとして使うつもりなら、もっと巧妙に隠すはずだもの」

「ええ、それは同感です。儀礼的に疑ってみました。一応ね」

「……そうやって甘くしてると、いつか凄いしっぺ返し食らうよ」

 アニスだけは苛立たしげだった。

「ま、私はいいんだけどね。忠告したし」

「はは。まあ何でもいいさ。これからも頼むよ」

 ガイは場をほぐすように笑う。仲間たちを見渡して。そんな彼をルークは真摯な瞳で見た。

「こっちの台詞だよ。ガイ……俺、お前を信じてるから」

「……ああ。分かってるよ」

 ガイもまた、表情を真剣なものに変えて頷く。

(だからガイ。お前は、俺を見捨てないでいてくれ)

 ルークのその呟きは外には漏れず、彼の胸の内へと落ちていった。


 この辺り、ゲーム本編では かなりサラッと流されてるんですが、日記を読むと

「俺は最初からアッシュの代わりだったんだ。それに、ガイの奴も、ヴァン師匠の同志だったらしい。……もちろん今は違うんだろうけど。だけど、俺は最初から、ずっと一人だったんだなってわかった。」

「駄目だ駄目だ! 落ち込んでどうする。こんなことわかってたことじゃないか! ガイのことも師匠のこともつらいけど、でも現実なんだから。それにガイのことは俺が信じなくてどうするんだよ。」

 と書いてあって泣けてきます……。

 

 それにしても、「私はガイを疑ってはいないわ」と言うティア。だったらなんで「それを私たちに信じろと?」と言ったんでしょうか。ジェイドのように茶化すでもなく、ナタリアのように「ガイはスパイではない」と怒るでもなく、アニスのように警告するでもなく。といって「疑ってごめんなさい」と謝るでもない。なんじゃこれ。

 ううううん……。どうにか解釈するに、ルークがあまりに傷ついてる様子を見て、怒っちゃってたのかな? ヴァンとガイに。「ルークをこれ以上傷つけたら、この私が許さないわ!」って感じに。それとも単に、私を裏切ったヴァン兄さんの仲間! ってんでカーッとなってただけかな。それとも単に、ジェイドと同じく「儀礼的に疑ってみました」ってことなのか?

 でもガイを疑う言葉を投げて場を険悪にすることは、逆にルークを傷つけると思うのですよ。……やっぱティアって とことん不器用だと思う。

 

 ユリアシティで髪を切った時、ティアに「これからの俺を見ていてくれ、ティア。それで、判断してほしい。……すぐには上手くいかねぇかもしれない。間違えるかもしれない。でも俺……変わるから」と言ったルーク。今回、ガイに対して殆ど同じ意味のことを言っています。

 見ていてくれってことは、つまり「俺から離れないでくれ」ってこと。

 ルークがいかに心細くなってるのかが分かるってもんです。

 ガイを信じるも信じないもない。ただひたすら、親しい人に離れて欲しくない、一人になりたくないのではないでしょうか。逆に「(自分がガイの信頼に足る人間に変わることを)信じて欲しい」と、カースロットの時と同じようなことを言っています。そんでガイは、あまりにも無条件に信じてくるルークに少し戸惑ってますね。喜ぶ以前に「いいのか?」だもんな。ここまで信じられると、良心が疼くってものですよね。

 

 一人だけ、ガイのスパイ疑惑に最後まで厳しい意見を投げるアニス。

 といってガイ自身を疑っているわけではないのだと思われます。彼女は今後も度々こういう言動を漏らしますが、スパイ疑惑に甘い仲間たちに彼女が苛つく理由とは……。


「ノエル! 無事だったのか!」

 宿のロビーに足を踏み入れるなり、赤いパイロットスーツの彼女の姿を認めてルークは声を弾ませた。ダアトで捕らえられて以来、安否を知る手立てがなかったのだ。表情も明るく、見たところ怪我もない様子である。

「はい。アッシュさんに助けて頂きました」

「アッシュに……?」

 思わず、彼女の隣に立つアッシュの仏頂面を眺めてしまう。足元で「よかったですの!」とミュウがはしゃいだ。

「ただ、アルビオールの飛行機能はダアトで封じられてしまいました」

「どういうことなの?」

 飛べないのならどうやってここに……と首を捻ったティアに、「水上走行は可能だったので、それでなんとか」とノエルが答えている。ガイが少し考える素振りをした。

「そうか。多分、浮遊機関を操作している飛行譜石を取り外されたんだな」

「じゃあ、それを捜さないと飛べないのか」

「ああ。現状では船と変わらないってことさ」

 その一方で、アッシュは一冊の本をジェイドに差し出していた。

「イオンからこれを渡すように頼まれた」

「これは創世暦時代の歴史書……。ローレライ教団の禁書です」

 ページをめくったジェイドの目が光を帯びる。

「禁書って、教団が有害指定して回収しちゃった本ですよね」

「ええ。それもかなり古いものだ」

 アニスの声に頷いて、更にページに見入った。

「あんたに渡せば、外殻大地降下の手助けになると言っていた」

「ふむ。――これは読み込むのに時間が掛かります。話は明日でもいいですか?」

「いいんじゃないか? この中でその本を理解出来そうなのはジェイドぐらいだし」

「頼むよ、ジェイド」

 ガイとルークが同意すると、ジェイドはパタリと本を閉じる。

「それでは、今日はこの宿に泊まりましょう。――見逃すと言った以上、ヴァン謡将も手出しをしては来ないでしょうし」

「そうだな……。プライドの高い奴だからな」

 目を伏せて、小さくガイが苦笑した。

 幸い、宿は空いている。全員のベッドを取るのに問題はない。

「では、また明日の朝」

 まだ夕方にもなっていない時間だったが、そう言い残し、本を脇に抱えてジェイドは個室に消えた。





 ジェイドが個室を取ったのは、勿論、本に集中するためなのだが、ならばアッシュが個室を取るのはどういう意味なのだろう、とルークは思う。とはいえ、男三人で一部屋にすし詰めになるのもぞっとしないし、なにより、一晩アッシュと顔をつき合わせるということ自体、耐え難い。自分と同じ顔をした奴と一体何を話せばいいと言うのだ。下手をすればまたブチ切れて剣を抜くことになるかもしれず、流石にそれはマズいと思う。――多分、向こうも同じことを考えているのだろうと勝手に納得しておいた。

「アッシュの奴、敵なのか味方なのかホントはっきりしねぇなあ」

 いつもの習慣で日記を開き、息を吐いて呟くと、「でも、いっぱいご主人様を助けてくれたですの」と机の上に転がっていたミュウが声を出した。

「まーそうだけどよ……。あいつ、ちっとも自分のやってること話さないから」

「謎ですの〜」

 もう一度、今度は大きな溜息をルークは落とした。

「これから一緒に来んのかなぁ? あいつ」

「ご主人様はその方がいいんですの?」

「ジョーダン!! ……って言いたいとこだけど、俺たちのやろうとしてることを考えると、一緒の方がいいのかもしれないなぁ」

 なにしろ、あいつは頼りになる。博識だし、行動力はあるし、超振動を完璧に使える(らしい)し、ナタリアを笑顔に出来るし、……俺の『本物オリジナル』だ。

 ちくりと胸の奥が痛むのをルークは感じた。

 ……もしあいつが一緒に来たら、俺はどうなるのかな。

 俺が出来ることなら、あいつも出来る。多分、俺よりずっと上手く。そうしたら。

 

『お前に、価値はない』

 

 浮かんだ声に刺し貫かれた気がして、思わず眉根を寄せた。

(駄目だ駄目だ駄目だ、何考えてるんだ俺。そんなこと考えたってしょうがねぇだろ)

 それでも、胸はズキズキと痛みを増している。

(こんなの、分かってたことじゃないか。俺は元々あいつの代わりで、レプリカなんだから。辛いけど、でも現実なんだから)

「みゅうう……。アッシュさんが一緒に来た方がご主人様は嬉しいんですの?」

「そう、だな……」

 無邪気に首を傾げるミュウに答えると、何を思ったか、にっこり笑ってこんなことを言った。

「じゃあ、ご主人様、友達になってって言えばいいですの」

「それこそジョーダンじゃねぇ!!」

 今度こそルークは怒鳴って、ダン、と拳で机を叩いた。震動でコロリとひっくり返って、ミュウが情けない鳴き声を上げる。

「ルーク? 大声出して、どうかしたのか」

 背後から、同室のガイの声が聞こえた。

「な、なんでもない」

 慌てて振り向いたルークは、ガイが戸口に立ち、再び剣を腰に差しているのに気が付いた。

「悪い。ちょっと出てくる」

「ガイ?」

「すぐ戻るよ」

 それだけ言って、ガイは部屋を出て行く。バタンと扉が閉まった。

「ガイさん、出かけちゃいましたの?」

「ああ。……どこに行ったんだろ、あいつ」

 観光とは無縁のこの街には、改めて見に行くような場所はない。まして、今の自分たちは逃亡者だ。軽々しく出歩けるものではないはずで。

(そういや、ここってヴァン師匠せんせいも拠点にしてる街なんだよな……)

 ふと、そんな思いが浮かんだ。途端に、水に落ちたインクのように、もやもやとした黒いものが胸一杯に広がっていく。

(……駄目だろ。俺がガイを信じなくてどうするんだよ)

 こらえるように、ルークは俯いて目をぎゅっと閉じた。

(俺はガイを信じてる……。だけど……)




 第一音機関研究所脇の路地には、沢山のコンテナが大雑把に積み上げられている。それらによって形作られた仮初めの空間で、二人の男が対峙していた。

「ようやく呼び出しに応じてくれたか」

 そう言ったのは、ヴァン・グランツ。ホドでの真の名をヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデと言う。

「……まあね」

 曖昧に答えたのは、ガイ・セシル。ホドでの真の名はガイラルディア・ガラン・ガルディオスと言った。

「一度は協力しあうと誓った仲だ。何故今になって悩む?」

「俺はあんたのやり方には付いて行けない。それだけだ」

 すげなく返したガイに向かい、ヴァンは告げた。

「私の方法ならホドは甦るぞ」

 数瞬、ガイは固い物でも飲み込んだように黙り込んだ。

「……いや、ホドは滅んだ」

 しかし、やがて静かに目を伏せる。「違うかい?」と苦く笑った。

 それは、永訣の笑みだ。同時に自嘲の笑みでもあった。そこにはまだ、痛みが含まれている。だが、彼はそれを手放すことをよしとした。過去へと流して。

「……残念だ。貴公は私が剣を捧げたあるじ。私と共に来ていただきたかった」

「……俺を主だと まだ思っていてくれるなら、大人しく命令を聞いて欲しいね。――ヴァンデスデルカ、今すぐ馬鹿な真似はやめるんだ。それが聞けないなら、剣は返す」

「……聞けません、ガイラルディア様」

 声音を厳しく改めて言ったガイに、ヴァンは殆ど間を置かずに返した。彼は迷わない。決して揺らぐことはない。たとえそれが、かつて忠誠を誓った主の言葉であっても。

「分かった。ならばもう、お前とこうして会うことはない」

 静かにガイは言った。

「……さらばだ。次にまみえる時は、貴公が主であったことは忘れ、本気で行かせてもらう」

 そう言うと、ヴァンは背を向ける。そのまま振り向くことなく去っていく背を、ガイは黙って見送った。




 ガイは宿の部屋の扉を開けた。

「ただいま……っと、ルーク、もう寝てるのか? まだ外が明るいぞ?」

 並んだベッドの一方に緋色の髪のはみ出た膨らみがあり、寝息に合わせて微かに上下している。枕元には青いチーグルも丸くなっていた。

 その側に歩み寄り、ガイは頭まで覆った掛布を少し下ろしてやった。これでは息苦しいだろう。現われた寝顔を見つめて呟く。

「……ルーク。俺は過去と決別してきた。もうヴァンに惑わされることはない」

 ルークの目を欺いて外出するのは難しいことではなかった。けれどそうしなかったのは、彼の信頼に応えたかったからだ。ルークが後をつけてきたとしても、それならばそれでいいと思っていた。……結局、つけてはこなかったが。

 それでも、ルークが気付いていなかったとは思えない。こんな時間から眠り込んでいるのは、己の心を覆う不安に耐えかねたからなのだろう。

 それを思い、ガイは微かに痛みを含んだ笑みを浮かべる。眠っているルークを覗き込んで、そっと囁いた。

「俺を信じてくれて、ありがとう」


 ヴァン(復讐心)と決別し、ルークを取ったガイ。

 カースロットの時も、ヴァンと同志だったことが明かされた時も、「信じる」と言ったルークに、ガイがお礼を言うことはありませんでした。それは、ガイの方にもルーク(ファブレ家)を憎む理由があって、それを捨てきれていなかったからだと思います。ですが、ここでとうとうガイは「信じてくれて、ありがとう」とルークに言うのでした。信じ続けたルークの気持ちがガイを捕らえ、真に味方にした……のではないでしょうか。

 

 このイベントはサブ扱いで、ヴァンに会った後、ベルケンドの宿にあえて一泊しないと見られません。普通、ここで宿泊する必要性はないと思われるので、意識的に宿泊しないと見逃しがちだと思われます。(実際、私は一周目では見逃しました。)

 ゲームでは、ガイが出て行った後に「ガイを追いかけますか?」という選択肢が出ます。追いかけるとヴァンとガイの会話が見られますが、追いかけないと見られません。ガイはルークが立ち聞きしていたことに気づいていて、宿で「言っとくけど、立ち聞きしてたことは知ってるからな? たぬき寝入りならやめとけ」と指摘してきますが、ルークがしどろもどろに謝ると、「ははは、まあいいさ。心配かけて悪かったな」と怒らずに笑って流してくれるので、追いかけた方がお得だと思います。……でも私は、追いかけなかった場合の、まだ明るいのにマジ眠りしてるルークが好きなので(子供のストレス回避法ですよね)、ノベライズではそっちを採用してみました。


 窓から射し込む朝の光がまぶしい。

 ルークが目を覚ますと、隣のベッドは空だった。整えられた掛布の上にミュウだけが座って、耳をユラユラと揺らしている。

「ガイはどこに行ったんだ?」

「ご主人様が起きないから、お部屋を出て行っちゃったんですの」

 みなさん、もうロビーに集まってるですの、と続けるのを聞いて、ルークは少し情けない気分になった。

「起こしてくれりゃいいのに……」

 慌てて身なりを整えて部屋を飛び出す。ロビーに入ると、入口近くの壁に寄りかかっているアッシュと目が合った。

 相変わらずの仏頂面だ。両腕を組んで、周囲を押し退けるような重い気配を発散している。朝っぱらからよくこんな鬱陶しい顔が出来るよな、と、思わずまじまじと見てしまうと、ギロリときつく睨まれた。

「……よくいつまでも寝ていられるな。そのうち脳が溶けるんじゃないか?」

「……お前はそのうち口が曲がるんじゃねーの」

「くっ……。馴れ馴れしく話しかけるな!」

 先に話し掛けたのはそっちだろ。

 そう言い返したかったが、ここで不毛な争いはしたくない。どうにかこらえて、奥で仲間たちに囲まれて立っているジェイドに向かった。

「ジェイド! 何か分かったのか?」

「はい。魔界クリフォトの液状化の原因は地核にあるようです」

 簡潔にジェイドは答える。ナタリアが問い返した。

「地核? 記憶粒子セルパーティクルが発生しているという惑星の中心部のことですか?」

「はい。本来静止状態にある地核が激しく震動している。これが液状化の原因だと考えられます」

「それならどうしてユリアシティのみんなは、地核の揺れに対して何もしなかったのかしら」

 ティアが首を捻っている。

「ユリアの預言スコアに詠まれてねーからとか?」

「それもありますが、一番の原因は揺れを引き起こしているのがプラネットストームだからですよ」

 ルークが言うと、ジェイドが補足してきた。

「プラネットストームって、確か人工的な惑星燃料供給機関だよな?」

「そうよ、覚えていたのね」

 以前教えたことがルークの身になっているのを知って、ティアは嬉しそうだ。そのまま説明を続けた。

「地核の記憶粒子セルパーティクルが第一セフィロトであるラジエイトゲートから溢れ出して、第二セフィロトのアブソーブゲートから、再び地核へ収束する。これが惑星燃料となるプラネットストームよ」

「そういえばプラネットストームは、創世暦時代にサザンクロス博士が提唱して始まったのでしたわね」

 ナタリアが言う。

「ええ。恐らく当初は、プラネットストームで地核に震動が生じるとは考えられていなかった。実際、振動は起きていなかったのでしょう。しかし長い時間を掛けてひずみが生じ、地核は震動するようになった」

 ジェイドが頷いて語り始める。「サザンクロス博士も、地核の震動を想定してなかったんですね」と、傍らでアニスが言った。

「地核の揺れを止めるためには、プラネットストームを停止しなくてはならない。プラネットストームを停止しては、譜業も譜術も効果が極端に弱まる。音機関も使えなくなる。外殻を支えるパッセージリングも完全停止する」

「打つ手がねぇじゃんか……」

「いえ、プラネットストームを維持したまま、地核の震動を停止出来ればいいんです」

「そんなこと出来んのか?」

 ルークが眉を上げると、ジェイドは片手を軽く挙げて、持っている本を示した。

「この禁書には、そのための草案が書かれているんですよ」

「マジかよ!? ……でも、だったら何で今まで誰も……」

「ただユリアの預言と反しているから禁書として封印された?」

 ティアが確かめる声を出す。「はい」とジェイドは頷いた。解決の方法は、遥か昔から提示されていた。だが、人々はそれを否定し、隠してきたのだ。――預言スコアの筋書きから外れる、それを恐れるあまりに。

「セフィロト暴走の原因が分からない以上、液状化を改善して外殻大地を降ろすしかないでしょう。もっとも、液状化の改善には禁書に書かれている音機関の復元が必要です。この街の研究者の協力が不可欠ですね」

 そうジェイドが言うと、相変わらず壁際でむっつりと腕を組んでいたアッシュが口を挟んだ。

「だがこの街の連中は、みんな父上とヴァンの息がかかっている」

「……ち、父上ぇ……!?」

 素っ頓狂なルークの声が響いたのは、その時だった。

「……なんだ!? 何がおかしい!」

「へぇ〜。アッシュってやっぱり貴族のお坊ちゃまなんだぁv

 訳が分からずにうろたえるアッシュを、アニスがニヤニヤしながら眺めている。

 そう。七年間ダアトで育ちはしたが、アッシュは紛れもないキムラスカ貴族だ。父親を『父上』と呼んだところで何もおかしなことではない。ルーク自身、(本人のいないところではたまに『親父』とも呼ぶけれど、)そう呼んでいるのだし。なのにひどく意外な気がしたのは、アッシュの持つ荒削りな激しさが、貴族の優雅さとは相反するように感じていたからだろうか。

 ルークたちの様々な色を含む目に一斉に見つめられて、アッシュはたじろぎ、耐えかねたように背を向けた。そのまま宿の出口へ歩き出す。驚いてナタリアが呼び止めた。

「アッシュ! どこへ行きますの!」

「……散歩だ! 話は後で聞かせてもらうから、お前らで勝手に進めておけ!」

 返された声音は普段よりも高かった。よほど動揺したものらしい。そのまま宿を出て行ってしまった。

「ありゃ、怒っちゃった。えへ〜、失敗失敗v

「可愛いところがあるじゃないですか」

 アニスとジェイドが可笑しそうに笑っている。ナタリアだけはムッとして、「もう! 彼をからかうのはおやめになって!」と訴えた。

「アッシュの言う通りなら、研究者たちの協力を得るのは難しいのでは……」

 ティアはと言えば、冷静なままだ。話を逸らさずに続けると、ガイが明るい調子で言った。

「いや、方法ならある。ヘンケンっていう研究者を捜してくれ」

「捜してどうするんだ?」

 ルークが首を傾げる。ガイは笑うと、「後のお楽しみv さ」と鮮やかに片目を閉じてみせた。


 華麗にハートマーク付けて喋らないで下さいガイ兄さん。

 

 にしても、自分も普通に『父上』と呼んでるくせして、なんでアッシュがそう言うとそんなに驚くんだろうルーク……。(庶民の感覚では奇異に思えても、ルークの感覚はどっぷり貴族だと思うので、ここで驚く方が変な感じ。)

 ……反抗期カッコつけなお年頃のルー君は、『父上』と呼ぶのは いい子ぶっててカッコ悪いと思っていて、だから悪ぶって『親父』なんて言い方をしたりしていた。そして無意識にアッシュは自分より大人で悪っぽいと思っていたので、彼が『父上』と言うのが意外な気がした、ってところかな?

 それはそうと、ここでアッシュとルークの交わす「脳が溶けるんじゃないか」「口が曲がるんじゃねーの」という不毛な会話。勿論私も気に入っているので、三周目の時 見るのを楽しみにしてたのに、何故か見られませんでした。アッシュに話し掛けた最初から「なれなれしく話しかけるな!」と怒られて。……ロビーに入って一番最初にアッシュに話しかけないと発生しないのかな、と思ってたらそうでもないし……。あれ? この会話を出す条件って何だったんだろう?


「結局、ここに戻ってくることになるんだよな……」

 ルークは言った。第一音機関研究所の大きな自動扉を見上げて。

 ヘンケンがこの街のどこに所属しているかは、宿で少し話を聞いただけですぐに分かった。それだけ有名な研究者であるらしい。それはいいが、つい昨日ヴァンと対峙したばかりの場所にのこのこと戻るというのも、何やら複雑だという気がする。もっとも、今日は誰に咎められるということもなかったが。

「ルークをアッシュと見間違えることで、逆に見逃されているのかもしれませんね」

 そうジェイドは言った。停戦中とはいえ、どこから見てもマルクト帝国軍人の彼が堂々とキムラスカの街を歩けるのも、神託の盾オラクル騎士団六神将のアッシュの同行者だと思われているからなのかもしれない。実際、本来は身分証明が必要な研究所内に自由に立ち入り出来るのは、当初からアッシュの身分を利用してのことだった。

師匠せんせい、まだここにいるのかな……」

 研究所の扉を潜って思わず不安を落とすと、ガイが答えた。

「いや。あいつは、昨日のうちに街を出たらしいぜ?」

 微かな違和感を感じる。――そっか、前は『ヴァン様』とか『謡将』って呼んでたんだよな、ガイは師匠のことを。そんなことにルークは気付いた。だけどそれも、俺を誤魔化すための嘘だったんだな……。

「……ヴァンは俺のお守り役だったんだ」

 無言のルークの視線に何かを感じたのか、不意にガイが言った。

「ヴァンの親父とペールがガルディオス家の剣と盾だったのさ。お前と俺みたいな感じだよ」

「そうか……」

 先を続けられずになんとなく黙ると、隣にいたナタリアが言った。

「ティアには悪いけれど、わたくし、ヴァンを許せませんわ。あなたに対してあまりに失礼なんですもの」

「ナタリア」

 少し驚いてルークは従姉を見返す。まっすぐな気性の現われた彼女の怒りの顔を久しぶりに目にして、ふと笑みが浮かんだ。重くのしかかっていた何かが軽くなった気がする。

「師匠のことはともかく、ジェイドの言った通りにうまく地核の震動を止められたら、みんな助けられるな」

 そう言うと、ガイも笑顔を見せた。

「ようやく糸口が見えてきたな」

「ですわね。崩落と、そして障気による危機を脱することができれば、後はキムラスカ、マルクト両国の問題を解決するのみですわ」

「ナタリアにとっては、そっちを解決する方が大変なんじゃないか?」

 思わずルークが言うと、ナタリアは目を伏せた。

「正直、分かりませんわ……」

 しまった、と思ったが後の祭りだ。けれど、ルークが何か言う前にガイが笑ってとりなしてくれる。

「まぁまぁ。両国は今や戦争状態じゃないんだし、その件は後にしようや」

「ええ、そうですわね。今は目の前のことを片付けなければ」

「そうだな。とりあえず、ヘンケンっていう研究者を探そう」

 そう返しながら、ルークは暖かなものを感じていた。

(俺は、アッシュみたいに一人で何でも出来ないけど。だけど、みんなと一緒にいる。足りないところも多いんだろうけど、俺にも出来ることがあるはずだよな。――きっと)


 前回ヴァンと会話した部屋に行くと、ヴァンもリグレットもいなくなっています。

 ここで、部屋の書棚にあるレシピを調べるとたまご丼の作り方を覚えられますが、この際にちょっとしたイベントが起こります。

#ルーク、部屋の壁一面を覆う書棚を見つめて。
ルーク「ヴァン師匠 ここの本全部に、目を通したのかな」
ジェイド「どうでしょう? ざっと見たところ大した資料のようには見えませんが」
ルーク「それでもなんか貴重な情報があるかもしれないじゃん。一応調べた方がよくないか?」
ジェイド「ふむ……」
#ルーク、ジェイド、ティア、書棚を調べる。
ジェイド「これは……」
ルーク「どうした? 何か見つけたのか!?」
ジェイド「我々の知らない料理のレシピですねぇ」
 たまご丼の作り方を覚えました
ルーク「おいおい……。まじめに調べてくれよ」
ジェイド「いやー、といってもこの料理の本以外は私の著書と譜業の基本的な知識の図鑑ばかりですから、調べても無駄だと思いますよ」
ルーク「もー、先に言ってくれよ……」
ティア(兄さんも大佐の本の読者なのね……)

 ジェイドがこんなに本を書いてたってことにも驚きますが、ヴァンがその熱心な読者ってのにもビックリ。この少し後で明かされますが、スピノザもジェイドの本を読むためにケテルブルクに一時移住したほどだったそうですし。フォミクリー関連では、やはりジェイドは一目も二目も置かれてるんですね。

※追記。ヴァンがジェイドとどう関わり、どう感じていたかは、後に発行された『キャラクターエピソードバイブル』(一迅社)にて明かされました。なんと、ヴァンはファミクリー研究者としてのジェイドを恨んでいたようです。そのうえで目的を達成するにはジェイド発案のフォミクリー技術が必要だと考えていた模様。毒を以て毒を制す?

 

 ナタリアが「わたくし、ヴァンを許せませんわ。あなたに対してあまりに失礼なんですもの」と言うことに関して、憤る意見もあるようです。ルークがレプリカだと分かり、ガイがルークを迎えに行こうとした時に「本物のルークはここにいますのよ」と引き止めようとしたから。あの時ルークを切り捨てたくせに今更何を言ってるんだ、と。

 全くその通りではあるんですが……。

 でも、ナタリア自身も言ってましたが、であれば七年間見捨てられていた本物のルークの味方には、誰がなってあげるのか、という問題もあったんですよね。(あの頃のルークの態度が激悪だったこともありますし。)アッシュを捨てようとするガイに怒るのも、ルークを捨て駒だと詰るヴァンに憤るのも、どっちも本当の感情ではないかと思います。確かに身勝手なんですが。

 自分自身が『ニセモノ』としてルークに近い立場になったことで、ルークの気持ちが分かるようになったということかもしれません。そしてまた、ナタリア自身、あの時ルークを切り捨てた自分の行動を少なからず後悔して負い目に感じ、見捨てなかったガイを賛嘆しているようにも思います。

 であればこそ、ガイがアッシュの同志だったと分かった時、「わたくしたちの誰もがルークを見捨てた時、ガイだけはルークを迎えに行きましたわ。そのことまで否定なさいますの?」と言ったんではないでしょうか。それこそ、自分がニセモノだと分かって一番辛かった時、「みんなはキムラスカの王女じゃなく、ナタリアが好きなんだ」と言ってくれたガイの言葉が この上ない救いになったから。

 嬉しくて、だから気付いたんじゃないかな。あの時ルークがどんなに辛かったか。そして迎えにいったガイが、ルークにとってどんなに救いになったか。

 それでも、ルークに付いてしまったら、アッシュを見捨ててしまうような気がして迷っている。逆に、完全にアッシュを取ったらルークを見捨ててしまうことになるんじゃないかと思えて怖い。ガイみたいにはっきり「ルーク派」になって一方を取る勇気がない。

 ……実際はどっちか一方しか選べないわけではないのに、この段階のナタリアは(そして多分、ルークとアッシュ自身も)、『どちらか一人』の居場所しかないように思っていて、それで苦しんでいる。そんな風に感じます。


「知事たちに内密で仕事を受けろと言うのか? お断りだ」

 見つけ出したヘンケンは、説明を聞き終わるとそう言って片手を振った。シェリダンのイエモンたちと同年代の老人だ。マイク付きのヘッドフォンを着けている。その側には白髪を肩で切り揃えた、キャシーという老婆がいた。

「知事はともかく、ここの責任者は神託の盾オラクル騎士団のディストよ。ばれたら何をされるか……」

 若い頃はかなりの美人だったのだろう。どこか上品な雰囲気がある彼女は、そう言って表情を曇らせている。

 案の定、引き受けてくれそうにはない。困ってルークがチラリとガイを見上げると、彼はニッと笑っていた。

「へぇ、それじゃあこの禁書の復元は、シェリダンのイエモンたちに任せるか」

「な、何ィ〜!? イエモンだとぉ!?」

「冗談じゃないわ! またタマラたちが創世暦時代の音機関を横取りするの!?」

 わざとらし過ぎるほどの挑発だ。が、見事なまでに老人たちはそれに乗ってきた。

「……よ、よし。こうなったらその仕事とやら引き受けてやろうじゃないか」

 あまりに簡単すぎる。アニスが呆れて目を瞬いた。

「なになに? なんでおじーさんたちイエモンさんたちを目の敵にしてんの?」

「イエモンと私たちは、王立大学院時代から音機関研究で争ってる競争相手なの」

「俺たち『ベルケンドい組』は、イエモンたち『シェリダンめ組』に99勝99敗。これ以上負けてたまるか!」

 老人たちは即座に返してくる。その勝負以外はどうでもいいとすら思っていそうな雰囲気だ。

「おい、ガイ。お前、これ知ってたのか?」

「音機関好きの間では有名なんだよ。『い組』と『め組』の対立」

 答えるガイは面白そうに笑っていた。

「『い組』と『め組』は、元々、キムラスカ・ランバルディア王立学問所のイアン教授とメリッサ教授に師事するグループだったんだ。その頃からずっとライバルだったって訳さ」

「それにしても、ここの責任者ってディストだったんだねー。びっくりだよ」

 アニスが肩をすくめている。ルークはガイに顔を向けた。

「ここの研究所の研究資金って、やっぱ父上のところから出てるんだよな」

「まあな。この辺り一帯はファブレ公爵家の領地だ。お前のこともあって、守備兵力の高いバチカルに住んじゃいるが、本来ならこの街の一等地にでっかい城を建てて、そこに住んでるはずだぜ」

 ガイが答えると、ジェイドが口を挟んでくる。

「この街の知事も、ファブレ公爵お抱えの官僚だそうですしね。ただ、資金の点だけ言えば、公爵家だけではないと考えます。推測ですが、ランバルディア王家と、そして恐らくダアトからも提供を受けているのでしょう」

「兄があれだけの研究を行っているんですもの。恐らくそうだと思います」

 ティアが固い顔で賛同し、アニスは納得の息を吐いた。

「あーそっか、それで責任者がディストなんだ……」

 ルークたちがそんな会話を交わしている一方で、ヘンケンは禿げ上がった頭を片手で押さえて考え込んでいた。

「しかし、俺たちだけではディストに情報が漏れるかもしれない。知事も抱き込んだ方がいいだろう」

 ティアが「でも私たちは知事に追われる立場です」と言ったが、キャシーがふんわりと微笑んだ。

「大丈夫。知事の説得は私たちに任せてちょうだい」

「よし、知事邸に行くぞ。キャッシー!」

 そして、二人の老人はさっさと研究所を出て行ってしまった。あまりにもパワフルで行動的である。

「……行ってしまいましたわ」

「やれやれ。では作戦の説明は知事の前で行いましょう」

 残された若人たちも、後を追ってやっと歩き始めた。





「なるほど。大変な話だ。にわかには信じがたい……」

 全ての話を聞き終わると、ベルケンド知事のビリジアンは唸りを上げた。

「何言ってるの。現にルグニカ大陸が消滅してるじゃない」

 キャシーが呆れたように指摘している。

 ファブレ公爵に直接仕える官僚であるからか、知事はルークの顔を知っていた。玄関を潜ってホールに入るなり「ルーク様!」と叫ばれて、ルークたちは思わず身構えたものだが、「安心しなさい。知事は協力してくれるそうよ」と、先に来ていたキャシーがゆったりと笑った。

「私はファブレ公爵のご命令通りルーク様とナタリア殿下を捜しているが見つからない。それだけです。――宜しいですな」

 ビリジアンはそう言い、その隣で、「よく言う。禁書の内容に興味津々だったくせに」とヘンケンが毒づいている。

 元々キムラスカ・ランバルディア王立学問所の秀才で、ファブレ公爵に引き抜かれてベルケンドの知事になったビリジアンは、自身も譜業研究に造詣が深い。通常ならば目にすることも叶わない、禁書に記されたいにしえの技術に心惹かれてたまらないということらしい。

 そんなビリジアンに「結構です」と頷きを返し、ジェイドは「では簡単に今までのことをご説明いたしましょう。さあ、ガイ」と傍らの若者を促した。

「俺かよ!? まあいいや……」

 そして、ガイによって一通りの説明がなされたというわけである。

 知事への説明が終わると、ヘンケンたちは実行の算段を始めた。

「まずは地核の震動周波数を計測する必要があるな」

 腕を組んでヘンケンが呟いている。

「地核の震動周波数……って、どうやって調べるんだ?」

 ルークはジェイドを見やった。

「パッセージリングからセフィロトツリーへ計測装置を入れれば分かると思います。ですから、まだ降下していない外殻大地のセフィロトへ行く必要がありますね」

「シュレーの丘もザオ遺跡も魔界クリフォトですの」

 足元でミュウが言う。

「そうか。今はアルビオールは飛べないんだったな。だけど、他のセフィロトって何処にあるんだ……?」

「ユリアシティでお祖父様に訊けば分かると思うけど……」

 言って、ティアは少し困った顔をした。

「ユリアロードも使えませんもの。魔界に行くのなら、アルビオールの飛行機能を取り戻さなければいけませんわね」

 ナタリアが言う。結局、堂々巡りだ。

「だったらダアトに行こうよ。もしかしたら、イオン様がセフィロトの場所を知ってるかもだし」

 アニスの提案に、ルークは頷いた。

「そうだな。どのみちセフィロトの入り口はダアト式封咒で封印されてるんだ。イオンも連れて行かないと」

 話は決まった。ヘンケンが、「計測装置に関してはこちらで復元しておく」と請合う。

「頼むぜ。その間に俺たちはダアトへ行こう」

 ガイが言い、一行は知事邸を辞すことになったのだが。




 ホールからすぐ続く玄関の扉を開けると、弾かれたように駆け去っていく老人の後姿があって、ルークは度肝を抜かれた。

「……な、なんだ?」

 呆気に取られつつ門を出ると、道にアッシュがいる。今まで散歩を続けていたのだろうか。

「今、スピノザが逃げて行ったぞ」

 そう言いながら歩み寄ってきた。

「スピノザ? ……兄と組んでレプリカ研究をしていると大佐が言っていた?」

 ティアが眉を顰める。一方ヘンケンは、「スピノザが? 何をしていたんだ?」と不思議そうな顔をした。

「……今の話を立ち聞きして通報しようとしているのでは」

 あまりにも緊張感のない空気の中で、ジェイドの推測は妙に白けて聞こえる。

「スピノザはそんな男じゃないわ!」

 即座にキャシーが憤った。この老女に、「人は見かけによりませんよ」と、アニスが言い聞かせるような声音を投げる。

「……何か聞かれては困る話をしていたのか?」

 どうにも要領を得ない。そんな表情ながら、アッシュがそう訊ねてきた。

「ファブレ公爵やヴァンには内密で、禁書の音機関を復元させるんですのよ」

「その間に俺たちはイオンを連れてくるんだ」

 ナタリアとルークの説明は結果ばかりで大雑把だ。怪訝な顔をしたものの、詳しく問いただす必要までは感じなかったらしい。

「……とにかくスピノザを捕まえておけばいいんだな。俺が奴を捜しておく」

「アッシュ! わたくしたちに協力して下さいますのね!」

「それなら、一緒にスピノザを捜そうぜ!」

 ぱっとナタリアとルークの声が弾む。途端に、アッシュはたじろいで声を荒くした。

「か、勘違いするな! 俺もスピノザには聞きたいことがある。そのついでに手伝ってやるだけだ。お前たちと……レプリカ野郎と馴れ合うつもりはないっ!」

 その言葉を聞いて、カッとルークの顔が紅潮する。

「何言ってんだよ! どこに逃げたか分からないんだぜ。それに乗り物だって必要だろ!」

「黙れ! お前たちはさっさとイオンを連れてくればいいんだよっ」

 怒鳴りつけると、アッシュは黒い法衣の裾をひらめかせて背を向ける。そのまま足早に街の出口の方へ消えて行った。

「く〜〜っ! あったま来た! アッシュの奴、いちいちムカつく!」

 顔を真っ赤にして、ルークは髪の毛をかきむしった。ナタリアが不思議そうな顔をする。

「何を言っていますの? 協力してくれているというのに」

「協力するのなら一緒に行けばいいじゃねぇか。こっちから誘ってやったのに!」

「まぁ、それはそうですけれど……」

 困ったようにナタリアが黙りこむと、「そんな風に言うのはおやめなさい」とキャシーがたしなめてきた。

「今の子、イエモンの若い頃に似てるわ。きっと本当は一人で寂しいのよ」

「ふん。尚更いけすかん」

 積年のライバルの名を聞いて、ヘンケンは不機嫌そうに鼻を鳴らす。その前でルークは叫んだ。

「こうなったら、絶対あいつより先にスピノザを見つけてやる!」

 本当は、自分だって強いてアッシュと一緒に行きたいわけじゃない。けれど、ちょっとはいい奴かもな……と思えたから、誘ってやったのだ。

(確かに俺はレプリカで、あいつより劣化してるのかもしんねぇけど。あんな風に馬鹿にされて黙っていられるかよ!)

「よし。いいか、ルーク。スピノザは船で国外へ逃亡するはずだ。あいつより先に見つけるんだぞ!」

「当然。 行くぞ! ナタリア!」

 そそのかすヘンケンに頷いて従姉に呼びかけると、ティアの冷たい目が射抜いてきた。

「……言っておくけれど、イオン様を連れてくることの方が大事よ」

「う……うるせぇな! ダアトに行くついでに、ちょっと他の街に立ち寄って調べる分にはいいだろ?」

「駄目よ。優先すべきことは何か、考えてちょうだい」

「う……」

 きつく睨まれてルークは口を閉じたが、あからさまに不服そうだ。

「やれやれ。変なところで負けず嫌いですねぇ」

「おかしなところで意地になるところはそっくりですのね……」

 ジェイドは肩をすくめ、ふう、とナタリアが息を落とした。


 ゲームでは、ここで「ダアトまでパッと行くか」という選択肢が出ます。「パッと行く」のを選ぶとすぐにダアトに着いて物語を進められますが、「パッと行かない」と、任意でスピノザを捜す旅が出来ます。

 ナタリアの嫉妬や、ルーク・ナタリア・アッシュの三角関係じみたやり取りが面白いのでノベライズに組み込もうと思ったんですが……。どうにも。ゲームだから仕方ないんですが、物語の流れとして やっぱり、こんな押し詰まった時に個人の感情だけで世界中巡るってのは不自然なので。悩みましたが、組み込むのは断念しました。

 そもそも、スピノザが玄関ドアに張り付いて中の会話を立ち聞きしていたらしいというシチュエーション自体が妙なんですけど。(知事邸は大きなお屋敷なので、普通ありえない。つーか、普段警護してるキムラスカ兵はどうした。「目を離した隙に敷地内に入っていたようだ」って……。警備ザル過ぎ。)それ以上に、ルークたちのことを密告するからといって「国外に逃げる」ってのは激しく謎行動です……。素直にバチカルに行って報告すればいいんじゃないかなぁ……。バチカルにはルークたちは追って行けませんし。(いや、この時期でもバチカルの市街地に入って買い物することはできますけどね、ゲーム上では。)そうしてからゆっくりヴァンに禁書の報告をすればいいのに。(鳩を使えば、これまたルークたちには妨害できません。)なんだこれ。

 ……いやゲーム進行の都合なのだってことは分かってますが。

 

 ちなみに、行くとスピノザ捜索イベントが起こるのは、「シェリダン」「第四石碑の丘」「ケテルブルク」「グランコクマ」「ベルケンド」です。

 このスピノザ捜索イベントをクリアすると、ヨークから『漆黒の翼バッチ』がもらえます。なので、アイテムコンプリートを狙うならこのイベントのクリアは必須です。

 クリアには厳密な順番はないんですが、物語の流れとしての正しいルートは、

「第四石碑の丘」→「ケテルブルク」→「グランコクマ」→「第四石碑の丘」のようです。

 しかし、面倒くさいのなら真っ直ぐグランコクマへ行ってヨークと話し、一度出てもう一度話しかけてもクリアになります。ただしこの場合、バッチはもらえますがアッシュには会えません。(その代わり、ガイに「あいつはあいつでやるべきことをやった。俺たちは俺たちでダアトへ向かうべきじゃないか?」とたしなめられて素直に認めるルークが見られますが。)

第四石碑の丘
アッシュ「……そうか。ダアトの偽造旅券を手に入れたんだな」
ノワール「どうもケテルブルク行きの船に乗ったようね」
アッシュ「よし。おまえはベルケンドへ戻って爺さんたちの様子を見ておけ」
ノワール「ふふ。人使いが荒いわネ」
#ノワール、ルークたちの横を通り過ぎようとしてナタリアの側に立ち止まる。
ノワール「あの坊や、なかなか素敵よv
ナタリア「な……なんですのっ!」
ノワール「ふふ。妬・か・な・い・の」
#ノワール、立ち去る。
アッシュ「ふん。随分のんびりしたご到着だな」
ルーク「直行したよ、これでも! 大体おまえはどうやってここに……」
アッシュ「船に決まっているだろう。馬鹿が」
ルーク(怒)
アッシュ「スピノザのことより 早くイオンを連れてこい」
#アッシュ、立ち去る。
ルーク「スピノザはケテルブルクに向かったって言ってたな」
ティア「……ここまで来てスピノザを追いかけるとは言わないでしょうね」
ナタリア「あら、追いかけるべきですわ。……アッシュったらあんな女と……」
ティア「(汗)……もう。好きにすればいいわ!」

ケテルブルク
ウルシー「奴はここで手紙を書いた後 グランコクマ行きの船に乗ったらしいですぜ」
アッシュ「手紙……? 誰宛だ?」
ウルシー「それが、もう貨物船に乗せられちまってわからないんでゲスよ」
アッシュ「ちっ。わかった。おまえはベルケンドでノワールと合流しろ」
ウルシー「合点で」
#ウルシー、立ち去る。アッシュ、ルークに気付いて歩み寄ってくる。
アッシュ「……まだこんなところをうろついているのか。いい加減にしろ! ナタリア! おまえもだ! 早くダアトに行け!」
#アッシュ、立ち去る。
ルーク「怒鳴らなくたっていいと思うけどな」
ティア「……そうね。怒鳴りたいのはこっちだわ」
ルーク「……う、うん。ごめん……」
ガイ「とか言って あれはグランコクマへ行く目だぜ」
ジェイド「そうかもしれませんね」
アニス(頭抱えてジタバタ)「イオン様に会えるのいつなんですかぁ〜 も〜……」

グランコクマ
ヨーク「仲間が港を押さえてる。船が到着したら例の場所へ誘導する」
アッシュ「よし。これで捕まえられるな」
ルーク「なんだよ……。結局あいつに負けたのか……」
アッシュ「勝ち負けの問題か、劣化野郎!」
ルーク「……劣化劣化言うな!」
ナタリア「そうですわ、アッシュ。少し言葉が過ぎますわ」
アッシュ「……ふん。おまえまでそいつの肩を持つのか」
ナタリア「(たじろいで)そんなこと言ってませんわ!」
ジェイド「やー、楽しい痴話喧嘩中すみませんが、そろそろダアトに行きませんか?」
アッシュ「……だっ、誰が痴話喧嘩だっ!」
ナタリア「そ、そうですわ!」
ジェイド「なんでもいいですが もうスピノザは見つかったんですし 後はアッシュに任せましょう」
ティア「そうね」
#憮然としているルーク。
ガイ「はは。まだスピノザを見つけられなかったこと むくれてるのか」
ヨーク「じゃあここまで頑張った坊ちゃんにいい物をやろう」
 漆黒の翼バッチを手に入れました
ルーク「なんだこれ?」
ヨーク「こいつを持ってれば俺たちの仲間が助けてくれる。暇な時にでも試してみな」
ルーク「まあ、いいや。もらっておくよ」
アニス「これでやっとダアトですねぇ。あちこち引きずり回されて もうくたくたですよぅ」(座り込む)
ルーク(アニス見て)「悪かったな、アニス。みんなもごめん」
ジェイド「ではダアトへ行きましょうか」

第四石碑の丘
アニス(ミュウと共にダアトの見える崖に駆け寄って)「やったー。教会が見えてきましたヨーv
ティア(両手を胸で合わせて実に嬉しそうに)「ここまでくるのに時間がかかったわね」
ジェイド「誰かさんが寄り道好きでしたから」
ルーク(両手で頭かきむしって)「おまえらイヤミ過ぎだ」
ナタリア「でも本当のことですわ」
ガイ「そうそう。かばってはやれないぜ」
ミュウ「かばえないですの」
ルーク「おまえまで言うな!」

 どんな時もルークの味方……だったミュウにまで「かばえない」と言われ、ちょっぴりショックなルークでした(笑)。確かに言われても仕方ないですが。

 この追跡イベント中、グランコクマへ行ったら、ついでにティアのペンダントを買い戻したり、ピオニー陛下の私室に入って引き出しから響律符とオレンジグミを取ったりするといいかもしれません。あとケテルブルクのピオニーの屋敷からアニスの人形が取れ、広場のかまくらに行けばガイの奥義伝承が完了します。

 

 嫉妬するナタリアの姿は他では見られませんよね。つーか、ピンポイントでナタリアを煽るノワール。この頃からアッシュの話の六割はナタリアだったに違いない。あと、アッシュがルークを劣化野郎と言うのに(前はスルーしてたけど)とうとうナタリアが怒って、今度はアッシュの方が嫉妬してケンカになるとか。どんな時も自分の肩を持ってたナタリアに怒られて、アッシュはちょっとショックだったんですかね。

 それにしてもアッシュの移動手段は謎。専用機を持ってるルークたちより早いって。アルビオールの水上走行モードは普通の船より遅いのか?

 

 一方、ティアとルークはといえば。

第四石碑の丘に行っただけでダアトに入る
ティア「ちゃんとまっすぐここに来たわね。偉いわルーク」
ルーク「……子供扱いするなよ。俺だって優先することぐらいわかってる」
ティア「ふふ、そうね。ごめんなさい」

 

一度寄り道して第四石碑の丘を通り、ダアトに入る
ティア「やっとダアトへ行く気になったのね」
ジェイド「引き返すこともできますよ」
ティア「大佐……」(睨む)
ジェイド「冗談です」(肩すくめる)
ガイ(片手で頭かきながら首すくめて)「ああ嫌だ。空気が凍るっつーの」
ルーク(まだスピノザを捜したいって言い出せなくなってきたなぁ……)

ティア「ちょっと寄り道はしたけど なんとか着いたわね」
ルーク「……ちょっとぐらいいいだろ。けち」
ティア「……けち?」
#ルーク、引きつり笑いして
ルーク「う、嘘、嘘……です。ごめんなさい」

 完全に尻に敷かれています。つーか、完璧に「お母さんと子供」だよ……。ティアが怖い。(^_^;)

 

 その他、この追跡イベントで分かる情報に、「スピノザは一時期ケテルブルクに住んでいた。しかし現在は住んでいた家は取り壊されている」というものがあります。なんでもバルフォア博士(ジェイド)の著書を読むために引っ越したのだそうで。それを聞いたジェイドは「……私の本ですか。複雑な心境ですね」と言ってました。本を読むためにわざわざ著者の故郷に住まなければならないと言うことは、そうしないと読めないようなレアな本があるんですかね。発行禁止になった本とか子供時代に書いた覚書とか。

 また、ジェイドは11〜12歳でカーティス家の養子になっており、いくら天才でも それ以前に博士と呼ばれて沢山の本を著したとは考えにくいので、もしかしたら本名の「バルフォア」は、フォミクリー研究者として活動する時のペンネームみたいに使っていたのかな、と思いました。

 ともあれ、この辺の情報から、私はスピノザがケテルブルクに住んでいた時期にディストと出会い、この二人の研究者とヴァンのフォミクリーの繋がりが出来たと妄想したりもしています。

 

 それからもう一つ。途中でベルケンドに戻るとノワールとの会話になるんですが。

ノワール「おやおや。ふりだしにお戻りかい? あの坊やが怒るよ」
ルーク「犯人は現場に戻るって言うだろ」
ノワール「あはは。坊や、探偵小説の読み過ぎだよ」

 二次創作なんかを読むと、ルークは本を読まない、読書嫌いだという説が有力なんですが、どうも普通に読んでるっぽいですね。(それとも、エンゲーブで食料泥棒扱いされた時に「泥棒は現場に戻るって言うしな」と言われたのが印象に残っていたんでしょうか?)

 確かに、雨の日なんかは本を読むしかなかったでしょうし。テレビもラジオもネットもありませんから。そういえば、『オールドラント童話』や子供向け小説『女盗賊001〜イスパニアの星〜』の話題にも普通に参加してましたよね。ルークってまれに妙に難しい単語(日常会話では使わなさそうな文語的なのとか)を使うことがあるんですが、読書のせいでムラ知識があるのかも。

 

『漆黒の翼バッチ』、一周目でもらった時は、後で何かのイベントに繋がるアイテムかと思っていました。これを持っていれば特殊な情報が集められるのかな、と。……しかし、アイテムコンプリート以外に何の意味もなかったのでした。かくん。

 ソイルの木と同じで、えらく中途半端です。開発が間に合わなくて放棄された伏線なんでしょうか。

 

 ところでゲーム雑誌の付録だったか何かで、ヨークがバッチをくれたのはアッシュに劣化と罵られたルークに同情したから、と書いてあって目からウロコでした。実際にはアッシュがいなくてもバッチをくれるので違うんでしょうが。色んな解釈があるものなんだなぁと。


 ダアトは、先日よりも落ち着いていた。ケテルブルク行きのみだが定期船が復旧したためだという。これもまた預言スコアに詠まれた通りだと人々は喜んでいた。

「今度はモースたちに捕まらないようにしないとな」

 教会を前にして立ち止まり、ルークは仲間たちに向かって言った。

「モースはきっと……まだバチカルにいるはずですわ」

「そうですね。でも六神将がここに残っているかもしれません」

「気を引き締めていきましょう」

 ナタリアとジェイドの声にティアが顔を引き締めて言った時、傍らでアニスがぼそりと呟いた。

……ごめん。パパ、ママ

「ん? パパ? パパって言ったか?」

 ルークが訊ねると、アニスは顔を上げて笑顔を作る。

「う、ううん。パパたちに聞けば六神将がどうしてるか分かるかもなぁ……って」

「そうか。アニスの親はここに住み込んでるんだったな」

 思い出した声音でガイが言い、「よし、話を聞いてみよう」とルークが促した。




 イオンはよく気が付く。導師守護役フォンマスターガーディアンからアニスを解任しながらも、その立場が無為にならないよう気を配ってくれていたようだ。

「やあ、アニス! 聞いたよ。イオン様からお仕事を命じられて頑張っているそうじゃないか」

 オリバー・タトリンは、娘の顔を見るなり、にこにこと笑いながらそう話しかけてきた。

 タトリン夫妻の私室は、教会に入って左の区画の奥にある。「アニスの家」らしく、部屋の中にはトクナガにそっくりのヌイグルミが幾つも置いてあった。ただ、現在のアニスは他の教団兵と同じく、右の区画奥の神託の盾オラクル騎士団本部で寮生活を送っているのだろう。ベッドは二つしかない。

「パパ、ママ。六神将の奴らどうしてるか知ってる?」

「まあ まあ まあ。そんな言い方よくないわよ、アニスちゃん」

 歯に衣着せずに本題に切り込んだ娘を、おっとりと優しくパメラがたしなめた。

「ぶー」

「あはははは。アニス、膨れっ面しちゃ駄目だぞ」

 オリバーは実に朗らかだ。

「そんなことより、六神将とか大詠師モースは? 何してんの?」

「モース様とラルゴ様、ディスト様は、キムラスカのバチカルに行かれたよ」

 オリバーが答えた。

「リグレット様はベルケンドを視察中よ」

 パメラも答える。

「シンク様はラジエイトゲートに向かわれたなぁ」

「アリエッタ様はアブソーブゲートからこちらに戻られるって連絡があったわ」

 アニスの言った通り、タトリン夫妻は六神将のスケジュールを完全に把握していた。教会住み込みの立場は伊達ではないらしい。

「お、丁度もぬけの殻だな」

 ルークは表情を明るくした。これは都合がいい。

「今のうちにイオン様を連れ出しましょう」

「そうですわね」

 ティアの声にナタリアが頷く。ジェイドがタトリン夫妻に訊ねた。

「イオン様はどちらにおいでですか?」

「先程まで図書室においででしたけど、そろそろお部屋に戻られるお時間だと思いますよ」

「よし。イオンに会いに行こうぜ」

 パメラの応えを聞いて、ガイが言った。





 導師の執務室に、イオンはいた。

「皆さん! ご無事でしたか!」

 どやどやと部屋に入ってきたルークたちを見て、彼はまず驚き、すぐに表情を明るくする。

「イオンがアッシュを寄越してくれたおかげでな」

「いえ、アッシュが迅速に動いてくれたからですよ」

 ルークに笑って応えて、イオンは表情を改めた。

「ところで、何故またここに戻ってきたんですか?」

 その疑問はもっともだろう。今や、ダアトはルークたちにとって敵の本拠地でもある。事実、一度は捕まって殺されかけたのだ。それを辛くも逃れたというのに、何故また戻ってきたのか。――戻って来ざるをえない、余程の理由があるということか。

「イオン様の力が必要なんですよぅ」

 アニスが訴え、ジェイドが朗らかに言った。

「詳しい説明は、ガイがします」

「……また俺ですか」

 肩を落として片手で頭をかきながら、ガイは説明を始めた。




「地核の震動周波数測定ですか」

 話を聞き終わって、イオンは少し思案顔をした。

「僕が知っている他のセフィロトというと、アブソーブゲートとラジエイトゲートですね。そこなら既にダアト式封咒を解放させられました」

「そこはプラネットストームの発生地点と収束地点ですから、計測には適さないでしょう」

 ジェイドがやんわりと退ける。

「じゃあ、どうするんだ? ユリアシティで話を聞くなら、ユリアロードを使えるようにするか飛行譜石を取り戻さないと」

 ルークが言うと、こちらはイオンに退けられた。

「残念ですが、飛行譜石はディストが持ち去ってしまったようです。ここにはありません」

 ユリアロードの方は、セフィロトが不安定になったために使用が禁止されている。セフィロトの暴走の原因が分からない今、対処は不可能だ。

「困りましたわね。他にセフィロトの場所は知りませんの?」

 ナタリアが眉を下げると、イオンは思い出す素振りで目を伏せた。

「確証はありませんが、タルタロスでリグレットがこんなことを言っていました。『橋が落ちているから、タタル渓谷のセフィロトは後回しだ』とか……」

「そういえば確かに、イスパニア半島にもセフィロトがあるって勉強したな」

「なんだよ、ガイ、お前セフィロトの位置を知ってんのか?」

「セフィロトの大まかな位置は外殻でも研究されてるんだ。フォンスロットには音素フォニムが集まるからな。ただ、パッセージリングの正確な位置までは知られていないってことさ」

「タタル渓谷には、フォンスロットに群生しやすいセレニアの花も咲いていたわ」

 思い出したようにティアが言った。

「行く価値はあると思います。ただ、そこはまだダアト式封咒を解いていません。――僕がここですべきことは終わりましたから、皆さんにご協力しますよ」

 笑顔でそう言ったイオンに、ルークも笑い返した。

「助かるよ。一緒に行こう」





 六神将が戻るより先にダアトを発たねばならない。急いで教会を出ようとした時、ルークが突然頭を押さえて座り込んだ。

 キーン……と頭の中に共鳴音が響く。

「いってぇ……。また……」

「ルーク、大丈夫!?」

 ティアが駆け寄ってきて、ルークの隣に座って覗き込んだ。

 ――……やっと届いたか! 出来損ない野郎。

(アッシュ……か……)

 声を出さずに思考だけで返し、ルークは痛みをこらえて立ち上がった。

 ――悪い知らせだ。スピノザが手紙で、地核静止の計画をヴァンに漏らしたらしい。六神将に邪魔されて、スピノザを奪われた。

(なんだと!)

 ――大した情報を持たないスピノザを力ずくで奪ったんだ。奴ら、地核を静止されたら困るのかもしれない。

(ヘンケンさんたちは!? このままじゃ師匠せんせいたちに……)

 ――安心しろ。二人はシェリダン行きの貨物船に乗せた。測定器はあっちで受け取れ。

(お前はどうするんだ)

 ――俺は地核震動の意味を探りつつ、引き続き、スピノザを捜す。……お前たちと連絡を取り合うのは、ここまでだ。

 それを最後に繋がりは途切れた。耳鳴りと共に痛みが退いていき、ルークはぼんやりと顔を上げる。ナタリアが真剣な顔で詰め寄ってきた。

「ルーク! アッシュは何と言って来たのです!?」

「……スピノザが俺たちの計画をヴァン師匠に知らせたらしい。ヘンケンさんたちはシェリダンへ逃げたって」

 んだよ、アッシュの奴! 偉そうなこと言って、しくってんじゃん。そう内心で呟くルークの傍で、ジェイドが静かに言った。

「しくじりました。私の責任だ……」

「アンタのせいって訳でもないだろ」

 そうガイが言ったが、否定する。

「立ち聞きに気付かなかったのは気を抜いていたからです」

 気付かなかっただけではない。逃走するスピノザをぽんやりと見送ってしまった。軍人にあるまじき失態だ。計画がヴァンに知られたことで、どれほどこの先の行動の利を失ったことか。

「アッシュは?」

 一方で、ナタリアがルークに重ねて問うていた。

「もう連絡はしないってよ。また独りで動くつもりなんだろ」

「……そう……ですか……」

 ナタリアは苦しげに俯いた。

「さあ、六神将に知られたなら長居は無用だ。……ナタリアも、いいね?」

「……え、ええ。大丈夫ですわ」

 ガイに優しく問いかけられて、ナタリアは顔を上げる。ティアが言った。

「じゃあ私たちはシェリダンへ行けばいいのね」

「ああ。行こうぜ」


 ヴァンに危害を加えられるかもしれないからとヘンケンとキャシーをシェリダンへ逃がしたアッシュ。……後の展開を鑑みるに、あまり意味ないと言えばそうでしたが。(ヴァンが本気で危害を加えようと思ったら……)

 それはともかく、ビリジアン知事の身の安全は気にしなくていいのだろうかと凄く気になりましたが、一切フォローされなかったような……。知事なんだから自分の身ぐらい自分で守れるってことでしょうか?

 

 ところで、「僕が知っている他のセフィロトというと、アブソーブゲートとラジエイトゲートですね。そこなら既にダアト式封咒を解放させられました」と言うイオン。

 最初、私はこれを『ああ、六神将に連れさらわれてた時に解呪させられてたんだな』と思ってたんですが。よくよく考えてみるとおかしい。なにせ、アブソーブゲートとラジエイトゲートはそれぞれ惑星の北と南の極点にあるのです。イオンが六神将に連れさらわれていた時期は二度、タルタロスが拿捕された時とバチカルからさらわれた時がありますが、そのどちらも殆ど日数がない。タルタロスの時は下手をすれば一日もありませんし、バチカルからさらわれた時も、せいぜい十日ほどのような感じがします。到底、星の北と南の極点へ行って帰ってこれるほどの時間があったとは思えないのです。

 ……考えられる可能性は幾つかあります。六神将の移動は異様に早く、常にルークたちの先回りをしていますが、実はアルビオール以上に速い移動手段を持っている、とか。乗り物かもしれないし、あるいは一瞬で転移できる譜陣があるのかもしれません。

 もう一つは、物語開始以前、平和条約締結のためにダアトを出た以前に解呪させられていた、とか。全ての封咒を解放する以前にイオンが出奔してしまったので、慌てて六神将でイオンを拘束しようとしたのかも。どうでしょう。


 街の出口に向かって急いでいると、第一自治区の商店が軒を連ねる辺りでパメラに声を掛けられた。

「あら あら あら、アニスちゃん。アリエッタ様が戻っていらしたわよ」

「うげ! まず……」

 顔を歪めた娘に向かい、パメラはにこにこと笑いながら近付いてくる。

「確か、アリエッタ様を捜していたのよねぇ? 皆さんがいらしたこと、お伝えしておきましたよ」

「ぎゃー! ママ! なんてことすんのっ!」

 アニスが頭を抱えて喚いた時、ヌイグルミを抱いたアリエッタが二頭のライガを従えて駆け込んで来た。

「ママの仇!」

「ちょっと、根暗ッタ! こんなトコで暴れたら……」

 ここは商店街だ。一般の巡礼者も多い。だが、『根暗ッタ』と呼ばれた少女は聞く耳を持とうとはしなかった。

「アニスなんか大嫌いッ! ママたちの仇、取るんだから! 行けぇっ!」

 両手でヌイグルミをぐっと前に差し出すと、ライガたちが駆け出す。呼応して、ルーク、ガイ、ナタリア、ティアは武器を取って前へ走り出た。ジェイドは残って現出させた槍をブンと振り、背後のアニスに命じる。

「アニス! イオン様を!」

「はいっ!」

「イオン様は渡さないんだからっ!」

 イオンを庇って立つアニスを見て、アリエッタが金切り声を上げた。

 その響きに引かれたように、ライガたちが前衛のルークとガイを突き倒して駆け抜けた。一頭のライガが口を開き、そこからバチバチと弾ける雷気の息を吐き出そうとする。――アニスと、その側に立つイオンめがけて。

「イオン様! 危ない!」

 次の瞬間。

 状況をおろおろと見守っていたパメラが、一声叫んで飛び出していた。

「きゃあっ!」

「パメラ!」「ママ!?」

 ライガの吐いた雷は、パメラの体を打ちのめした。石畳の上に倒れ伏した彼女の側にイオンとアニスが駆け寄る。

 その時、既にアリエッタはジェイドに拘束されていた。タルタロスの時と同じように、背後から抑えられている。

「さあ、お友達を退かせなさい」

「う……! だけど……」

 不満げに唸ったアリエッタに、イオンが厳しい顔で叫んだ。

「アリエッタ! パメラを巻き込むのは筋違いでしょう!」

「……イオン様……」

 アリエッタはくしゃりと顔を歪める。「みんな、やめて……!」と命じると、二頭のライガが彼女の側に駆け戻った。ジェイドはアリエッタを捕らえた手を緩めないままライガたちを牽制し、鋭く声を上げる。

「ナタリア! パメラさんを」

「分かりましたわ!」

 ナタリアがパメラに駆け寄り、側にしゃがんで治癒の光を当て始めた。

 それが功を奏したのか、パメラがうっすらと目を開ける。

「イオン様……怪我は……」

 覗き込んでいるイオンに気付いたらしく、そう言った。

「僕なら大丈夫です。ありがとう、パメラ」

「イオン様を護れたなら、本望です……」

 苦しげな息の下で、それでも彼女は満足げに言って微笑む。

「………」

 仲間たちと共に固唾を呑んで見守っていたルークは、傍らのガイの腕が微かに震えているのに気付いて眉根を寄せた。見れば、彼の顔色はぎょっとするほどに青い。

「――ガイ!?」

 がくり、とその場に彼が両膝をついたのを見て、ルークは叫んだ。両手すらも地についてワナワナと震えている。まるで、女性に触れられた時のように。けれど、今は誰に触れられた訳でもないのに。

「大丈夫かよ。どうしたんだ?」

 ルークの声に、ガイは反応を返さなかった。聞こえていないのかもしれない。わななく唇から、絞り出すように声が吐き出された。

「……思い……出したっ!」





 一通りの治療が済んだ後、ルークたちはパメラを夫妻の私室へと運んだ。

「おかげさまで、パメラの火傷はほぼ治癒したようです」

 妻の寝かされたベッドの傍に娘と並んで立ちながら、オリバーが両手を胸で組んで言った。ベッドを挟んで向かいに立つナタリアに感謝の目を向ける。

「間に合ってよかったですわ」

 今日ほど、治癒術師ヒーラーとしての学問を修めていて良かったと思ったことはない。ナタリアは安堵の笑みを浮かべた。パメラは横になっていたが、意識はしっかりしており、呼吸も安定している。当初は火傷がひどく、ショック症状を起こしかけていたが、もう大丈夫だろう。

「僕のために……すみません、パメラ」

 イオンが謝罪の声を出すと、「恐れ多いことですわ」とパメラは恐縮した。

「それよりガイさんのお顔の色が優れなかったようですけれど、大丈夫でしょうか?」

「もう! 死にかけたのはママの方なんだよ」

 こんな時まで他人の心配なんて。怒ったように言ったアニスを見下ろして、オリバーが優しく微笑む。

「ママなら大丈夫だから、ガイさんのところに行ってあげなさい。仲間なんだろう?」

「……分かったけど。でも無理しないでよ」

 不承不承といった様子でアニスは頷いた。

 パメラは勿論心配だが、確かに、ガイのことも気がかりだった。彼の様子は明らかに尋常ではなかったからだ。現に、彼はこの場に同席していない。青ざめ震えるばかりだった彼には、ジェイドが付き添っているはずだ。

「ガイなら礼拝堂よ。行きましょう」

 ティアが言った。

「……うん。パメラさん、お大事に」

 頷いて、ルークは挨拶を残す。「ありがとうございます」と彼女は微笑んだ。



「みんな、ありがとう。ママを助けてくれて」

 礼拝堂へ向かう廊下を歩きながら、アニスが言った。

「大事に至らなくて良かったですわ」

「ホントにありがとう」

 アニスがナタリアに笑顔を向けると、「僕からもお礼を言わせて下さい」と傍でイオンも笑った。

「イオンがアリエッタを止めてくれたから、すぐに治療できたのですわ」

 ナタリアは言い、ルークは逆に眉尻を下げる。

「パメラさんを巻き込んじまったのは俺たちの方だ。ごめんな、アニス」

 イオンがふと表情を曇らせた。

「それにしても、アリエッタがあれ程むやみに人を傷つけるとは……」

「根暗ッタ、導師守護役フォンマスターガーディアンじゃなくなってから変わっちゃったよ……」

 前はああじゃなかったですよね。そんな風にアニスが言うと、何故かイオンは言葉を途切れさせた。

「……そう、ですね」

 何かを誤魔化すように、曖昧な声は彼の口の中に消えて行った。





 静まり返った礼拝堂には、ステンドグラスから落ちた色の光が淡い模様を描いている。その中にガイは膝を抱えて座り込んでおり、側に、ジェイドが何をするでもなく佇んでいた。

「パメラさんは?」

 近付いたルークたちに気付いて、ジェイドが訊ねてくる。

「もう大丈夫みたいだ」

「アリエッタの奴は?」

 アニスがジェイドに訊ねた。アニスたちにパメラの安静を優先させ、その他の処理は彼が請け負ってくれたのだ。

「イオン様に言われた通り、トリトハイム詠師に引き渡しておきました。まあ、六神将の誰かが戻ってくれば すぐ解放されるでしょうが」

「ったく、あの根暗女……」

 アニスは憎々しげに唇を噛む。

「ガイは……大丈夫なのか? 何か思い出したみたいだったけど……」

 一方で、ルークは俯いて座り込んでいるガイに声を掛けていた。

「……ああ。すまないな。あんな時に取り乱して」

 ガイは立ち上がる。まだ顔色は冴えなかったが、それでもぎこちなく笑みを浮かべた。

「何を思い出したか聞いてもいいかしら」

 ティアが訊ねると、彼は目を伏せる。

「俺の家族が……殺された時の記憶だよ」



 それは、もう十六年も前のことだ。

 その日、マルクト帝国領ホド島の領主館では、領主の一人息子の満五歳を祝う儀式が執り行われていた。親戚縁者が集ってそれぞれ美しく装い、使用人たちは忙しく立ち働いていた。祝いの言葉が掛けられ、祝福を交わし、後は招いた預言士スコアラーの言葉を聞いて、ご馳走を食べるばかりだったのだ。

 なのに、どうしてこうなってしまったのか。この日の主役だったはずの五歳のガイには、訳が分からなかった。

 使用人が慌しく駆け込んできて何かを言って、途端に大騒ぎになって、父も母もどこかへ行ってしまった。自分は姉に引っ張られて、この部屋に連れてこられたのだ。

 自分と同じ金色の髪を垂らした姉は、いつも厳しかった。『お前は本当に弱虫ね。男の子なのに、そんなことでどうするのです!』とよく叱られたものだ。けれど、この時の彼女の顔は、厳しくはあってもいつもとは違っていて。

「いいですか、ガイラルディア。お前はガルディオス家の跡取りとして生き残らねばなりません。ここに隠れて。物音一つたてては駄目ですよ」

 そう言い聞かせる彼女の後ろには、数人のメイドたちが控えていた。その表情は一様に険しく、姉と同じように強張っている。

「姉上!」

 火のない暖炉の中にうずくまって、ガイは不安げに呼びかけた。

「しっ! キムラスカ軍が来たようです。静かになさい。いいですね」

 姉は自分の唇に指を当てて声を押し殺す。そして暖炉の鎧戸を閉じた。途端に真っ暗になって、ガイは泣きそうな気分になる。でも、駄目だ。泣いたらまた姉上に叱られる……。膝を抱えてぐっとこらえていると、遠くから騒々しい物音が聞こえてきた。何かを蹴倒すような音、悲鳴、怒鳴り声。それは段々と近付いてくる。

 怖い。怖い。怖い。ドキドキと胸が震えている。叫び出したい。でも、してはならない。

「女子供とて容赦はするな! 譜術が使えるなら充分脅威だ!」

 喧騒を貫いて、一際大きく、張りのある男の声が聞こえた。――耳に焼き付いたこれが、キムラスカ軍元帥であるファブレ公爵の声だと知ったのは、この数年後のことだ。

 音は、ついにこの部屋にやって来た。バタン、と扉が蹴り破られる音が聞こえ、「そこをどけ!」と怒鳴る男の声が聞こえる。

「そなたこそ下がれ! 下郎!」

 姉が怒鳴り返す声が聞こえた。

「ええいっ! 邪魔だ!」

「きゃあーーっ!!」

「姉上!」

 姉の悲鳴を聞いて、たまらずにガイは暖炉の外に飛び出した。部屋の中に、赤い鎧を着たキムラスカ歩兵が二人いる。彼らの前に突き倒されていた姉が、ハッとした顔でこちらを見ていた。同じようにガイに気付いた兵士の一人が動く。手にしていた長い戦斧を振り上げ、ガイめがけて振り下ろした。

「ガイ! 危ない!」

「うわぁーーっ!」

 自分は、咄嗟に背を向けて逃げようとしたのだろうか。よく分からない。覚えているのは、片手をさし伸ばして飛び込んできた姉の悲しげな瞳。その背後で戦斧を振り下ろすキムラスカ歩兵の姿。飛び散る血の赤。背中に覆いかぶさってきた姉の体の重み。刹那見えた、苦悶に歪んだ姉の顔。

 

『ガルディオス家の跡取りを護れたなら本望だわ……』

 

 再び闇に閉ざされた視界の中で。聞こえたのは、姉の最期の呟きだった。



「斬られそうになった俺を姉上が庇ってくれた。姉上だけじゃない。メイドたちもみんな俺を庇おうとして……。いつの間にか、俺は姉上たちの遺体の下で、血塗れになって気を失っていた」

 そこまで語り、ガイは伏せていた目を上げた。ルークと目が合いそうになってふっと逸らす。

「ペールが助けに来てくれた時には、もう俺の記憶は消えちまってたのさ」

「あなたの女性恐怖症は、その時の精神的外傷ですね」

 ジェイドが呟く。は、と息を吐いて、ガイは苦く笑った。

「情けないねぇ。命をかけて守ってくれた姉上の記憶を『怖い』なんて思っちまうとは……」

「そんなことねぇよ。お前、子供だったんだろ? 軍人が攻め込んできて目の前で沢山の人を殺されて。怖いって思うの当たり前だ」

 ルークは言った。鳩尾の辺りが重い。――まさか、こんな原因だったなんて。

 戦争が――ファブレ家とキムラスカ王家が、これほどにガイの心を抉り、深すぎる傷を付けていたのだ。そして、それは未だに癒えずに彼を苦しめている。

(俺……ガイに謝っても謝り足りないよ……)

「そうですわ。それなのにわたくし、あなたが女性を怖がるの面白がっていましたわ……」

 ナタリアも同じ気持ちなのだろう。両手を顔の前で組んで、「ごめんなさい」と俯いた。

「……ごめんなさい」

 アニスは俯いて片手で目を押さえている。彼女こそ、ガイの女性恐怖症を最もからかって楽しんでいた。同じようにティアも俯いて目を伏せる。

「私も謝らないといけないわ。本当にごめんなさい」

「……ははっ、何言ってるんだよ。そんなの俺だって忘れてたんだ。キミたちが謝ることじゃないだろ。気にしないでくれ」

 ガイは困ったように笑って、片手で己の髪をかきあげた。

「ガイ、気分は? もう動けますか?」

 ジェイドが訊ねると、「もちろん」と明るく答える。

「なら、そろそろダアトを離れましょう。また六神将と鉢合わせては具合が悪い」

「そうですね。確かシェリダンへ向かうんでしたよね」

 イオンが同意して確認した。ガイは笑顔で頷く。

「ああ。俺のことよりヘンケンたちが心配だ」

「ガイ。……無理するなよ」

 ルークが言うと、ガイはふっと息を吐いた。

「全然してねぇよ。行くぞ」

 そして歩き出す。

「ガイの心の傷は……父上たちが原因だったんだな」

 足を動かさないまま、ルークは苦しい思いで呟いた。ティアが頷く。

「そうね。肉親を目の前でなくしていたら、心に傷を負っても不思議ではないわ」

「わたくし……それを慣れろだなんて、言ってしまっていたなんて……」

「面白がっていじっちゃって、悪いことしちゃったな」

 ナタリアとアニスはうな垂れたままだ。

 付いて来ない仲間たちの様子に気付いて、ガイが戻って来た。

「そんな神妙に考えることないって。俺自身忘れてたことだって言っただろ? 気にしないでくれよ」

「そうですよ。本人は女性が大好きらしいですから」

 ジェイドがいつもの調子で言う。「そうそう」とガイは笑った。

「これからも どんどんいじっちゃって構いませんよ」

「いや、どんどんは困る……」

 流石に、ガイは苦笑した。


 ガイの女性恐怖症の原因が明らかになりました。ガルディオス家滅亡に関しては、この少し先のエピソードで、更に新たで過酷な真実が明かされることになります。

※追記。ガイの《血の誕生日》に関する詳細は、ゲーム雑誌のメインシナリオライターインタビューや、その後に発行された『キャラクターエピソードバイブル』(一迅社)のガイ小説、更にそれを参考にして書かれているらしいファミ通小説版外伝2などでも語られています。ガイ自身の動向に関しては概ね本編で語られているままですが、それらを読めば、周囲の人々の動きなど、当日のもう少し詳しい様子が分かります。

 

 ここで、パッとシェリダンに移動するか、という選択肢が出ます。この辺には特にこなすべきイベントはありませんので、利用するのがラクチンです。



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