「俺……。
そう言って、ルークは艦橋への扉をくぐった。
確かに、今は泣いている場合ではないのだろう。その身を犠牲にして道を開いてくれたイエモンやヘンケンたちの想いに報いるためには――足をとどめてしまう感情は殺しておくべきなのだ。
艦橋の中には譜業の光が灯り、各所の音機関の画面に様々な文字列や図像が動いていた。ジェイドは艦長席に立ってそれらを確認しており、時折傍らの操作盤に指を走らせている。ティアは座席の一つに着いて、青い光に照らされながら同じように操作を行っていた。
「ティア、その接続が終わったら、機関部を見に行って下さい。手動で起こさねばならないものがあるようです」
「はい」
その時、奥にある甲板から続く扉が開いた。
「……あ」
ルークはハッとする。俊敏な動作で入ってきたのは、赤いパイロットスーツを身にまとったノエルだ。
「アルビオールの機関および障壁発動装置に関するチェックは全て終わりました。問題はありません」
ジェイドに向けてそう報告している。
「ご苦労様です」
「いいえ。他にすることは?」
「大丈夫です。あなたは休んでいて下さい。ずっとヘンケンさんたちに協力していたのでしょう?」
「私は平気です」
「ノエル。休むことも重要な仕事ですよ」
ジェイドは赤い瞳をまっすぐに彼女に向けた。
「地核からの脱出の際にはあなたの操縦の腕が不可欠になる。そのためにも、今は心と体を休めなさい。――こちらのことは心配要りません。さっきからそこでボーッと突っ立っている馬鹿でも、猫の手よりはまだマシでしょうから」
その声で、ノエルの視線がルークに向いた。穏やかな目なのに、ピリッと痛みが走った気がして、ルークは僅かに身じろぎをする。
「……ノエル。あの、俺……」
「ルークさん、大丈夫ですか?」
「え?」
気遣わしげにノエルに言われて、ルークは虚をつかれた。
「ルーク。手伝う前に顔を洗ってきてくれた方がありがたいですね」
艦長席からジェイドの声が降った。「そんなみっともない顔を見せられては、こちらの気が削がれますから」と。
どうやら、今の自分はひどい顔をしているらしい。触れてみた指先に、乾ききっていない涙の湿り気が感じられて、慌ててごしごしと腕でこする。
「あ、もっと赤くなりますよ」
心配を含んだノエルの声を聞いて、ルークは彼女の顔を見返した。
ノエルの声や瞳は潤んではいない。いつものようにきりりとした
シェリダンは彼女の街だ。彼女が生まれ育ち、今も家族と暮らしている。職人たちは彼女の仕事仲間であり、イエモンは彼女の祖父だった。
ノエルは、人知れず泣いたのだろうか。けれど一人でその涙を拭い、顔を洗って。
(こうして何でもない顔で働きながら、逆に俺の心配なんかをしている……)
「ノエル。イエモンさんたちのこと……。俺、ホントに。――ごめ」
「ルークさん」
たまらずに頭を下げて言い掛けたルークの声を、ノエルが強く遮った。
「おじいさんたちは職人です。自分の腕に何よりの誇りと自信を持っていました。だから、ルークさんたちのために道を空けてくれたのだと思います」
「ノエル……」
咄嗟に、ルークは再びそれを言いかけた。だが、ぐっと呑み込む。
ごめんと言うのは簡単だった。
巻き込んだ。庇われた。見捨てて逃げてきた。
それを詫びて、泣いて、懺悔して……。
(そうしたら、俺は楽になれるんだろう。だけど……)
ルークは一度目を閉じる。すぐに開いて、碧い目でノエルを見つめた。
――言うべき言葉は。
「ノエル、ありがとう」
ノエルが少し驚いた顔をする。
「頑張らなきゃな。イエモンさんたちのためにも」
「……はい」
ルークとノエルは互いにぎこちない笑みを浮かべ合った。
「それでは、お言葉に甘えて私は少し休憩してきます」
「ああ。ゆっくり休んでくれよ」
軽く頭を下げて、ノエルは艦橋から出て行った。ルークはそれを見送る。
「大佐、接続は終わりました。機関室へ行ってきます」
程無くティアが席を立ち、艦長席に声を掛けると歩き出した。
「――あ、ティア」
脇をすり抜けて行こうとした彼女を、ルークは呼び止めた。彼女は足を止め、黙って冴え冴えとした瞳で見返してくる。
「さっきは悪かったな」
「……いいわ、そんなこと」
「お前って……ホント、すごいよな」
ルークはふ、と息をついた。波立たないティアの顔を見て、僅かに苦笑する。
「やるべき時、やらなきゃいけないこと……。それがちゃんと分かってる。……俺は、いちいち泣いたり怒ったり……へたれだけど」
「そんなこと、ないと思う」
「え?」
ティアがやけにハッキリした声で言ったので、ルークは目を瞬かせた。
「ルーク。――作戦を、成功させましょう」
ティアは言った。決意を込めた、囁きを強く吐き出すような声で。
「絶対に」
「……ああ」
タルタロスはアクゼリュス崩落跡へ向かっている。かつてルークが犯したその罪を埋めることは出来ないように、シェリダンの惨劇も消えることはない。だとすれば、どんな時も先へ進むしかないのだろう。そうすることで、誰かの屍を踏み越えることになるのだとしても。