ダアトでの会議は既に開始されていた。部屋に通されると、三人の首脳が揃ってこちらを向く。

「お前たちか! 今、アッシュからの手紙を見ていたところだ」

 ピオニーの言葉を聞いて、ルークは勢い込んで訊ねた。

「アッシュからの手紙!? アッシュ本人はどこに行ったんですか?」

「ローレライの宝珠を探すとかで、この教会からセフィロトへ向かった」

 テオドーロが答える。ナタリアが父に必死な目を向けた。

「手紙には何て?」

「障気を中和する方法を発見したと書いてある。それに伴って、レプリカに協力を依頼する代わりに、彼らの保護をしろと言ってきているな」

 書面に目を落としながらインゴベルトは語り、ルークは苦く呟く。

「あいつ……自分が死ぬことは書いてないんだな」

「どういうことだ?」

 ピオニーがジェイドに怪訝な目を向けた。

「ガイ! 説明をお願いします」

「……また俺かよ。まあいいや。実は……」

 一瞬の倦憊けんぱいの後、表情を引き締めてガイは語り始める。示された障気中和の方法と、それに伴う残酷な代償。なのに頑迷なまでに突き進むアッシュの謎めいた行動を……。

 まず憤慨の声をあげたのはテオドーロだった。

「アッシュは何を考えているのだ。何千というレプリカと共に心中するとは!」

「当然、許可しませんよね? そんなの駄目ですよね?」

 懇願するようにアニスが確かめる。

「レプリカとはいえ、それだけの命を容易く消費する訳にはいかん……」

 期待に沿う声をインゴベルトは返した、が。

「しかし……」

 苦渋の皺を刻んで目を閉じ、言葉を切った。

「お父様! しかしではありませんわ!」

 驚き、咎め立てるようにナタリアが叫ぶ。重い空気の中、何かを期待するようにピオニーが腹心の友を見やった。

「……ジェイド。お前は何も言わないのか?」

「私は……もっと残酷な答えしか言えませんから」

 その後ろに立つティアには、彼の表情は見えない。――だが、分かる。いつも通り感情を抑えた淡々とした声の中にある、強い……感情が。

「……大佐。まさか!」

 血の気を失ったティアの傍らから、静かにルークが言った。

「……俺か? ジェイド」

 場が静まる。あまりの驚愕と沈痛のために。――その、一拍の後に。

「てめぇっ! アッシュの代わりにルークに死ねって言うのか! ふざけるな!」

 ガイがジェイドの胸倉を掴んで怒鳴りつけた。ナタリアもきつく叫びを上げて詰め寄る。

「駄目ですわ! そのようなことは認めません! わたくしは、ルークにもアッシュにも生きていてもらいたいのです」

 ガイの手を外すと、ジェイドは僅かに体を背けた。

「私だってそうです。ただ、障気をどうするのかと考えた時、もはや手の施しようもないことは事実ですから」

「俺は……」

 ルークが何かを言おうとする。泣きそうな声を張り上げてティアが遮った。

「みんなやめて! そうやってルークを追い詰めないで! ルークが自分自身に価値を求めていることを知っているでしょう! 安易な選択をさせないで……」

 ジェイドはルークやティアに背を向けたままでいる。しかし僅かに顔を伏せ、ぽつりと謝罪を落とした。

「失礼。確かにティアの言う通りですね」

 重い沈黙が落ちる。

「……少し、考えさせてくれ」

 やがてルークはそう言った。

「ルーク!」

 そのまま部屋を出て行こうとした彼を追い、ナタリアが駆け寄ってくる。

「あなたが、もしもわたくしの為にアッシュの身代わりになろうとしているのなら、やめて下さい。

 わたくしは……どちらも大切ですわ」

 真摯な瞳から逸らした目線を落とし、どうにかルークは言った。

「違うよ。ただ俺はやっぱり、……偽者だから……」

「あなたは偽者ではありません!」

 声を限りにナタリアは叫ぶ。

「あなたはわたくしの、もう一人の幼なじみですわ。二人でキムラスカ王国を支えて下さい。二人とも公爵家の人間です。どちらが本物だとか、そんなことは関係ありませんわ」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど……」

 面映そうにルークは鼻をこすったが、目は上げなかった。

「あなただって死にたい訳ではないでしょう!」

 懸命な顔で、ナタリアは叱咤の声を掛ける。

「わたくしがお父様たちを説得します。早まってはなりません。宜しいですわね!」

 まるで屋敷に閉じ込められていた頃のようだ。ナタリアはいつも、意気地ないルークを姉のように叱り、庇ってくれていた。

 後ろから、ピオニーが声をかけてくる。

「お前がどの道を選択しても俺はお前を非難しない。だからまず死ぬことを前提に考えるのだけはやめろ」

 そう言い、僅かに笑んで顎でジェイドを指してみせた。

「こっちには頭しか取り柄のないジェイドって奴もいるんだからな。あいつをもっとこき使えば、なんとかなるかもしれんぞ」

 テオドーロも諭してくる。

「くれぐれも安易な結論を出さないように。障気を生んだのは創世暦時代の人類の悪行だ。それをたった一人で背負う必要はない。分かるね」

 最後に口を開いたのはインゴベルトだった。

「わしは一度は……いや、二度もお前が死ぬことを良しとした伯父だ。だが、生きていて欲しいと思う。信じてもらえぬかもしれぬがな」

「……」

「それにお前が死んでもアッシュが死んでも、ナタリアは悲しむ。シュザンヌもファブレ公爵もな」

 黙り込むルークに、「それだけは忘れてはならぬぞ」とインゴベルトは言った。繰り返し、言い聞かせるように。

「レプリカだからと言って、消えていい命ではないのだ……。それは、忘れるな」




 ルークは一人、礼拝堂に佇んでいた。ユリアの姿を模した大きなステンドグラスから、やや赤く濁った、それでも美しい色の影が落ちている。

「……俺はもしかしたら障気を消す為に生まれたのかな」

 ユリアの形の光を見上げて、ルークは呟いた。

 アクゼリュスで本物のルークの身代わりに死ぬはずだった自分は死なず、ただ、一万人近い人々を殺してしまった。けれど今、障気を消して死のうとしているアッシュの代わりになれば。世界中の人間を救うことが出来る。……一万人のレプリカを犠牲にはするものの。

 考えさせてくれと言いはしたが、他に選択肢はないのだと思った。――ジェイドが言った瞬間、分かってしまった。それしかないのだと。

(障気を消す為に死のうなんて馬鹿げてるって、散々叱られてきたけど)

 きっと、内心ではみんなも分かっていた筈だ。……今まで止めてきたジェイドが、他に方法はないと言った。それしか道がないのなら。本物オリジナルのアッシュと偽者レプリカの自分。どちらが消えた方がいいかなんて、単純な話で、劣化している方が消えるのがいいに決まっている。

(……俺、自分がレプリカだって分かってから、ずっと考えてた。俺が生まれた意味を)

 

『お前はユリアの預言スコアを覆す捨てゴマとして生まれた代用品。ただ、それだけだ』

 

 障気を消せるのは超振動を使える『ルーク・フォン・ファブレ』だけ。けれど世界を本当に救うには、ローレライの解放が――ローレライの鍵を扱える『ルーク』の存在が不可欠だった。普通なら無理なことだが、『ルーク』が二人いたならば。

(これって、運命的ってやつじゃん……)

 障気を消して、世界と本物のルークを救う。それがレプリカのルークが持って生まれた運命さだめなのだとしたら。

(もしそうなら。俺にも、存在する価値はあったってことだよな)

 

『大丈夫だ。自信を持て。お前は選ばれたのだ。超振動という力がお前を英雄にしてくれる』

 

 生まれたこと。ここに居るということ。それを認めてもらえる。――お前は必要な存在なのだ、と。

(だとしたら……俺の価値は障気を消すことでしか、証明されないんじゃないか)

 

『死ぬべき時に死ねなかったお前に、価値はない』

 

(それしか俺に、価値はない。それしか俺に意味はないんだ。……障気を消して、死ぬこと以外には……)

 ステンドグラスから射し込む光は赤みを帯びて、禍々しく、けれども美しい。

 カツン、とタイルを踏む音が間近に聞こえた。ルークは視線を巡らせ、そこにガイが来ていたことに気付く。

「俺は、認めないぞ」

 口を開くなりそう言って、ガイは不機嫌に表情を歪めた。

「ガイ……」

「お前はまだ七年しか生きてない! たった七年で悟ったような口を利くな!」

 でも、と言いかけた声を遮るようにガイは怒鳴る。青い瞳に激しい何かを燃やして。

「石にしがみついてでも生きることを考えろ!」

「だけど障気はどうにもならないんだろ?」

 抑えようと意識していても、ルークの声は頼りなく震えた。

「俺だって……死にたくないけど……」

「だったら! 障気なんてほっとけ!

「ガイ……」

 驚きに打たれて、ルークは背を向けた親友を見つめる。

「……悪い。そんな風に簡単に言える問題じゃないんだよな。それが分かるぐらい、お前も成長したってことだもんな」

 背を向けたまま顔を伏せて、ガイの肩は震えていた。

「ジェイドの言うことだって、頭では分かってるんだ。

 でもな……だけど俺は……お前に生きていて欲しいよ。誰がなんて言ってもな」

「ガイ。ありがとう……」

 泣きそうな思いでルークは微笑む。……それでも。

 礼拝堂の扉が開く音が聞こえた。灰褐色の長い髪を垂らした少女が、ゆっくりと近付いてくる。

「ルーク。陛下たちが呼んでいるわ」

「……決心しろってことか」

 呟いたルークの前に立って、ティアはじっと彼の顔を見つめた。

「……決心したの?」

「なぁ、俺、前に自分が死んでアクゼリュスが復活するなら死ぬって言ったことがあったよな」

「え、ええ……」

 意外な言葉を返されて、戸惑いながら彼女は頷いている。

 アクゼリュスを落とし、ユリアシティで目覚めた時。どう変わる気なのかと問うたティアに、ルークは言ったのだ。

 

『アクゼリュスのこと……。謝って済むならいくらでも謝る。俺が死んでアクゼリュスが復活するなら……ちっと怖いけど……死ぬ』

 その時、ティアは言った。

『……やっぱり分かっていないと思うわ。そんな簡単に……死ぬなんて言葉が言えるんだから』

 

「お前の言った通りだった。俺……ほんとに何も分かっちゃいなかった」

「ルーク……」

 ベルケンドで話を聞いて以来、ずっと死んで障気を消すことを考えていた。何度叱られても、止められても、考えは消えずにまとわりついた。だが、バチカルの屋敷でアッシュにそれを話した時。

 

『それで? お前が死んでくれるのか? ――レプリカはいいな。簡単に死ぬって言えて』

 

 初めて止められなかった、その瞬間。

 全身に震えが走った。……それでやっと気付いたのだ。髪を切ってまで決心した、変わるという思いが、どれほど中途半端で薄っぺらかったのかということを。

(髪を切った、あの時は死ねると思った。だけど今はどうだ。俺が死ねば世界の障気は消えるかもしれないのに、俺は……)

 ルークはわななく手のひらを強く握って顔を伏せる。

「怖いんだ……。体が震える。死にたくないんだ」

「当たり前よ!」

 叫んだティアの声も震えていた。

「だけど、アッシュはこの方法を選んだ。あの、絶対に自分から死にそうにない奴が……。他に方法がないって事なんじゃないか?」

 最初は止めようとしていたジェイドですら、もはや手の施しようはないと言った。

 怖い。怖くてたまらない。それでも、逃げるのはもっと怖かった。

(だって。障気を消さなかったら、俺は)

 暫くの間、ティアは黙ってルークを見つめていた。

「……あなたって、本当に馬鹿だわ」

「ティア……」

 ティアは冷徹な顔をしている。だが、それは彼女が痛みを押し隠すための仮面だということを、ルークはもう知っていた。

「ナタリアやガイの話は聞いた? 二人ともあなたを引き止めてくれたんじゃないかしら。でも……私は止めないわ。私はパッセージリングを起動して、自分が病んでいくのを受け入れようと決めた。あなたもそれを許してくれた。あなたも決心したと言うなら、それだけの考えがあってのことだと思うわ。

 ……でも、あなたのすることを認めた訳じゃない」

 ガイと同じように、ティアもルークに背を向ける。崩れる仮面を隠そうとするように。

「あなたがその選択をして、そして障気が消えたとしても……私はあなたを憎むわ。みんながあなたを賛美しても、私は認めないから」

「……うん」

 ルークは反論しなかった。ただ、頷く。

 みんなが自分のために怒り、悲しんでくれていることは分かっている。その気持ちは嬉しいし、申し訳ないとも思う。自分だって死にたくはない。今だって体が震えているのだ。……それでも。

「……ばか……」

 呟くティアは哀しげだった。――どんなに手を伸ばしても、彼は決して取ろうとはしない。

「……陛下たちが待ってる。行こう、ティア」

 呼びかけるルークの声が聞こえる。一度目を伏せ、ぐっとこらえるように上げると、ティアは再び冷徹な仮面を繕った。

「……ええ……」

 光射す礼拝堂を、三人は後にする。



 扉を潜ると、そこには他の仲間たちが待っていた。ナタリアにアニスに、ミュウ。みんな強張った顔をしている。……ジェイドは、片隅で両ポケットに手を入れて背を向けていた。

「ピオニー陛下は私を買い被っているんですよ」

 背を向けたまま、出てきたルークに不意に言う。

「恨んでくれて結構です。あなたがレプリカと心中しても、能力の安定した被験者オリジナルが残る。障気は消え、食い扶持を荒らすレプリカも数が減る。いいことずくめだ」

 ジェイドはひどく饒舌だった。こちらを見ようともせずに切り捨てる言葉を吐き続ける姿が苦しくて、ルークは問いかける。

「……ジェイド……あんたは俺に……」

「死んで下さい、と言います。私が権力者なら」

 ジェイドはルークに向き直った。赤い瞳はいつものように冷たく理性的で――しかし、それが僅かに揺らぐ。

「友人としては……止めたいと思いますがね」

 数瞬黙り込んで、ルークは強張った肩を無理にすくめておどけてみせた。

「……ジェイドが俺のこと友達だと思ってくれてたとは思わなかった」

 普段、『仲間』という言葉さえ使いたがらない彼だ。ましてや、役立たずの子供だった自分を『友人』と呼ぼうとは。

「そうですか? ――そうですね。私は冷たいですから」

 ジェイドは再び背を向ける。「……すみません」と呟いた。その様子が哀しげで、だから嘘ではないのだと思えて。――なんて不器用な大人なのだろう。

 自然に、穏やかな笑みがルークの口元に浮かんでいた。

 これだけで、僅かにあった恨みの気持ちも消えたような気がする。




 まるで葬送の行列のように、ルークたちは首脳陣の待つ部屋へ向かい始めた。教会の大ホールを横切っていた時、ナタリアがそれに気付いて足を止める。

「アッシュ!」

 呼んだ声を聞いて、ルークたちも立ち止まった。ザレッホ火山のセフィロトに続く扉から、黒衣を着た男が歩み出てきている。彼も気付いて足を止め、数瞬思案すると、教会の出口に背を向けてこちらに近付いてきた。ルークたちは彼に駆け寄る。

「レムの塔から追いかけてきたのか」

 静かなアッシュの問いかけを無視して、ルークはもう一度確かめた。

「どうしても死ぬつもりなのか?」

 アッシュはむっつりと眉根を寄せる。

「そんなことはどうでもいい。……結局セフィロトを全部回っても、ローレライの宝珠はなかった。このままでは、ローレライを解放できない。お前は宝珠を探すんだ」

「お前っ! 自分が死ぬってことがどうでもいいことな訳ないだろっ!」

 カッとして、ルークは自分の被験者オリジナルを怒鳴りつけた。

「大体宝珠が見つかってもお前がいなきゃ、ローレライは解放できねぇだろーがっ!」

「お前こそ馬鹿か? お前は俺のレプリカだぞ。こういう時に役立たなくてどうする」

 怯まずにアッシュも睨み返してくる。

「そんな言い方はやめて!」

 殆ど金切り声でティアが抗議したが、「お前は引っ込んでろ!」とアッシュに怒鳴り返され、言葉に詰まって目を伏せた。

「お前がやれ! ルーク! 俺の代わりにな!」

「アッシュ! 待てよ!」

 さっさと背を向けて歩き始めたアッシュに駆け寄り、ルークはその腕を掴む。

「お前を死なせる訳には……いや、死なせたくないんだ!!」

「くどいっ!!」

 アッシュは乱暴にルークの手を振り払った。返した腕で突き倒し、転がったルークの首筋に抜き身の剣を突きつける。

「アッシュ……」

「もう、これしか方法がねぇんだ! 他の解決法もないくせに、勝手なこと言うんじゃねぇよっ!」

「だったら……だったら俺が! 俺が代わりに消える!」

 恐ろしくてはっきり言えなかったそれを、ついにルークは言葉として発していた。

「ルーク!?」

 悲鳴のようにティアが叫ぶ。「馬鹿言うんじゃない!」とガイが怒鳴った。

「代わりに消えるだと……!? ふざけるな!!

 何故なのか、激昂してアッシュは剣を振り上げる。だが、ルークは素早く己の剣を抜いてそれを受け止めていた。ガキィン、と激しい音を立てて鋼が噛み合い、そこから白光が湧き出す。超振動だ。キーンと音が響き、震えた空気が爆発的な風となって二人を弾き飛ばした。同じ動作で宙を舞い、くるりとトンボを切って床に降り立つ。

「やめなさい! 消すのはダアトの街ではない。障気です!」

 ジェイドが怒鳴りつけた。その後ろでアニスは口元を押さえ、怯えた様子で絶句している。

「フン……。いいか、俺はお前に存在を喰われたんだ! だから、俺がやる」

 鼻を鳴らし、アッシュは剣を収めると再び背を向けた。ナタリアが懸命に呼びかける。

「アッシュ! 本当に他の方法はありませんの?

 わたくしは……わたくしたちは、あなたに生きていて欲しいのです! お願いですからやめて下さい!」

 刹那、アッシュの足が止まった。

「俺だって、死にたい訳じゃねぇ。……死ぬしかないんだよ」

 掠れた声で言うと歩き去っていく。――どうあっても決意は揺るぎはしないのだ。

(あいつは、オリジナルなのに!)

「駄目だ! あいつを失う訳にはいかない」

 殆ど我を失ったようになって追いかけようとしたルークの後ろから、ガイの鋭い声が飛んだ。

「ルーク!!」

 振り向いた瞬間、左頬に熱い衝撃が走って脳が揺さぶられ、視界が回って背中から床に転倒する。

「……ってぇ……」

 ようやく痛みを訴え始めた左頬を押さえてルークは呻きをあげた。拳を握ったガイが、その前に仁王立ちしている。

「……死ねば殴られる感触も味わえない」

 そう言うと、ガイは握り締めていた拳を下ろした。顔を俯かせて怒鳴りつける。

「いい加減に馬鹿なことを考えるのはやめろ!」

「……ガイ」

 殴ったのはガイなのに。今も俺を怒鳴りつけているのに。

(ガイの方が泣いているみたいだ……)

 じわりと驚きがルークの胸に滲んだ。

 昔からガイは何でも知っていたし、何でも出来た。言葉も、歩き方も、遊びも、旅の日常のちょっとしたコツも、全て彼から教わった。ルークがひどい罪を犯しても、ガイ自身が大きな苦しみを抱えていても、いつも笑って支えてくれていて。

「……ごめん」

 床の上で頬を押さえたまま、ルークは俯く。

「ルーク……」

 泣きそうにガイは顔を歪めた。

 強くていつも笑ってくれていた彼に、こんな顔をさせてしまったのは自分だ。それがとても悲しかった。心底すまないと思う。……それでも。

「もう、決めたんだ。怖いけど……だけど……決めたんだ」

「ルーク! あなたという人は……」

 立ち上がって言ったルークに、ナタリアが悲憤の目を向けたが、もはや力はなかった。どんなに心を尽くしても届かない。ルークにも、アッシュにも。

「……ルークもイオン様みたいに消えちゃうの?」

 アニスは小さく、強張った声を落としている。

「イオン様といいルークといい、どうしてそうあっさり命を捨てられるの?」

「俺はあっさりなんて……」

「あっさりだよ! みんなが駄目だよって言ってるのに……」

 両拳を握って、アニスはルークに詰め寄った。

「ルークが死んだら、確かに障気は消えるかもしれないけど。ルークを知ってる人たちはずっと、苦しむんだよ」

「アニス……」

 愕然としてルークは呟く。アニスがこんなにも傷ついた顔をするとは思わなかった。

「もう……イオン様みたいに誰かが消えていくのは見たくない! こんなのイヤだよ!」

 大きな琥珀の瞳から、ぽろぽろと涙が零れる。

「どうしてこんな思いをしなきゃならないの? もう……イヤだよ……」

 いつも大人びた振る舞いを装うアニスが、何かの芯が折れたかのように泣きじゃくっていた。

「ごめん……ごめんな……」

 ルークは掠れた声で謝り続ける。泣くアニスに、うな垂れて震えるミュウに、俯くティアとナタリアに、唇を噛み締めるガイに。

 ジェイドの静かな声が落ちた。

「あなたが本気で決心したなら、私は止めません。ただレムの塔に向かう前に、陛下たちへの報告だけはしておきましょう」

「みんな……ごめん……」

 葬送の列は、再び動き始める。




 部屋に戻ると、ルークは三人の首脳の前で告げた。

「……俺。俺……やります。俺が命と引き替えに、……障気を中和します」

「……決心は変わらぬのか?」

 苦しげな顔でインゴベルトが訊ねる。

「……はい」

 ルークが部屋を出ていた間にジェイドと話をしたのだろう。ピオニーは、もはや楽観的なことは言わなかった。それでも、希望を探るように幼なじみに目を向ける。

「生き残る可能性はあるんだろう?」

「……いえ。殆どないと思います」

 ジェイドが答えた。テオドーロが苦しげに言葉を吐く。

「……では、我々は……死ねと告げねばならぬのか」

「お祖父様!」

 悲鳴のようにティアが非難の声をあげた。しかしテオドーロはゆっくりと首を左右に振る。

「このままでは……どの道みんな死んでしまう。新生ローレライ教団のレプリカ大地にかけるという話も出たが……このオールドラントの民全員を、等しく受け入れてくれるとも思えぬ」

「恨んでくれてもいい。人でなしと思われても結構。だが俺たちは、俺たちの国民を守らなけりゃならない」

 ついにピオニーは言い切った。彼らもまた決断したのだ。

「わしは……正直なところ今でも反対なのだ。しかし他に方法が見つからない。頼んでもいいだろうか……。ルークよ」

 インゴベルトが甥を見つめる。

「……は……はい……」

 返事をするのには力が要った。決めたのに。自分でやると言ったのに。それでも、いざ頼まれてしまうと。体が奥底から震えた。――これで本当に、死なねばならない。

 恨んでくれていいとピオニーが言ったように、誰かのせいに出来たらどんなに楽になれるだろう。だが、そういう訳にはいかなかった。――選んだのは自分なのだ。

 何度も止められた。叱られもした。けれど諦めきれず、アッシュに話してしまい、さっさと決断した彼を止めることも出来ずに。とうとう「頼んでもいいだろうか」と大人たちが言うまでに場を運んだのは、ルーク自身だった。それでも止めてくれた仲間たちを振り切ったのも。

「皮肉なものだな……」

 テオドーロの嘆息が聞こえる。

「レムの塔はかつてキュビ半島にあった鉱山都市の中心に建てられたもの。もしもルークが成功すれば、ユリアの預言スコアは成就するのかもしれぬ……」

 場に驚きが走った。

「……『ND2018、ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう』」

 その預言をジェイドは呟く。こめかみを押さえて記憶を探りながら、アニスが続きを暗唱した。

「『そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街と共に消滅す』……?」

 ガイが動揺した目で仲間たちを見渡す。

「ヴァンは言っていたよな。ユリアの預言は歪みを物ともしないって……」

「……やめて!」

 跳ねつけるように叫んだのはティアだった。彼のこんな死が予め定められていただなんて。もしもそうだとしたら、あまりに無惨過ぎる。

(そうか……)

 だがルークは、何かがスッと腑に落ちたような、そんな感慨を味わっていた。

(多分、最初からこの結論は決まっていたことなんだ)

 ルークがレムの塔へ行って大勢のレプリカたちと共に消滅すれば。世界は繁栄するという預言は成就される。

 

『聖なる焔の光は穢れし気の浄化を求め、キムラスカの音機関都市へ向かう。そこでとがとされた力を用い、救いの術を見いだすだろう……』

 

(イオン……。お前が視た未来は、これだったんだな……)

「お前が障気を消してくれれば、我々の会議は全ての議題に結論を出したことになる。障気以外の問題……三国同盟締結、プラネットストーム停止、エルドラントへの共同進軍の三点は、全て合意に達した」

「そう。これで……会議は終了だ」

 ピオニーとテオドーロの声が聞こえた。だが、インゴベルトの声は再び揺らいでいる。

「しかしそれだからといって急ぐことはないぞ。やり残したことがあるなら、それをやるのもいい」

 そんなことを言って、甥を覗き込んでくる。

「或いは……お前が逃げたところで、我らはお前を捜したりはせぬ」

 それは、どこか懇願のようでもあった。

(だけど、グズグズしている暇なんてないんだ。こうしている間にもアッシュが障気を中和するかもしれないんだから)

 やり残した何かをする時間など、残されてはいない。

(本当は……アッシュが障気を中和してくれたら、きっと俺はホッとするんだ。そのぐらい怖い。死にたくないけど。……だけど、死ぬしかない。だって、それしか俺には……価値がないんだ……。俺にはそれしか意味がないんだ……)

 唇を噛んでルークは動かずにいる。長い沈黙の果てに、ピオニーの声がポツリと落ちた。

「……すまない」

「――行こう、みんな」

 ようやく口を開いてルークは歩き始める。胸の中に声を封じ込めたまま。

 

(……だけど……嫌だ……。死にたくない……。死にたくないよ……)


 ゲームでは首脳陣がいるのは何故か礼拝堂なのですが。その最奥の講壇には詠師トリトハイムがずーっといます。彼に話しかけるとこう言う。

「新生ローレライ教団をどうまとめていくのか? それが今後の課題です」

 これは単に彼の基本台詞でして。「新生ローレライ教団」というのはイオン亡き後の、預言に頼らない新体制の教団を指していると思われるのですが。モース率いる新生ローレライ教団の為に世界が危機に瀕している今、こう言われると、なんとも言えない気分になるんですけど〜…。

 

 ついでに言うと、礼拝堂を出た所にレプリカが一人立っています。イオンが死んだ直後、そこにまだ誰もいなかった頃から、礼拝堂の扉を守る神託の盾兵が「あそこのレプリカ誰の言うことも聞かないんですよね。我々も保護はしますがその先が問題です」と言ってましたが、よーやく『あそこのレプリカ』登場です。このレプリカに話しかけるとこう言う。

「…………………………。…………ゼ……ロ…ス…………し…ぼ……」

 な、なんじゃこりゃ!? ゼロスって、この製作チームのシリーズ前作『テイルズ オブ シンフォニア』のゼロス・ワイルダー? 確かに、話の進め方によってはゼロスは死んじゃうけど……。な、何の関係が? と、一周目の時は不気味で気になって仕方ありませんでした。

 噂によれば、これは製作スタッフさんのお遊びだそうです。GC版の『シンフォニア』に、ゼロスが死んだ後にどこぞの街に行くと、そこの人たちが「ゼロス死亡」としか言わなくなるバグがあったとかで。私はGC版『シンフォニア』持ってますが、そのバグに遭遇したことはないので本当かどうかは知りません。でも、それを自虐的に皮肉っているのだという噂です。



 話変わって、ルークの障気中和に関して。人それぞれ感じることは違うので。これはあくまで私個人の考えなのですが。

 私は、ルークは無理矢理周囲に死ぬことを押し付けられ、生贄にされたとは思っていませんし、ルークが世界や愛する人の為に、美しい自己犠牲精神を発したのだとも思っていません。

 無論、その要素が全くないとも言いませんが。追い詰める状況があったのは確かですし、他人のことも考えていたとも思います。でも、きっと大部分は違う。

 ルークが自ら死を選んだ。その理由の大半は、自分自身のためだったと私は思っているのです。

 居場所が欲しかったから。…つまりは世界に存在を認めて欲しかった、生きたかったからなのですが、その為に死ななければならないという矛盾。

 

『アビス』のシナリオライターさんが手がけたシリーズ前作『テイルズ オブ シンフォニア』は、美しい自己犠牲の物語でした。自分を犠牲にすることで世界を再生すると定められていた少女コレットは、結局は救われて生きる道を獲得するんですけど。それでも、彼女以前の四千年に身を犠牲にしていった無数の少女たちの魂が結実し、世界樹の精霊マーテルになって、世界の再生を果たす。コレット自身、「愛する人たちの為になら犠牲になってもいい」と暖かく微笑んで言い切るような少女で、自己犠牲は意味あるもの、美しいものとして描写されています。

『アビス』では、そのアンチテーマを扱おうとしているのだと感じました。

 もっとも、アリエッタとの決闘後にガイとティアが語り合っていたように、自己犠牲を否定はしていないのです。誰かの為に、何かの為に、身を尽くして死ぬ。犠牲になる。そういう生き方も間違いじゃない。けれど、とガイはもう一つの筋を提示しています。ギリギリの危険に飛び込んでまで世界を変えたいと思うのは、自分が生きたいからだ。自分が生きる場所を獲得するために戦うのだと。

 

 コレットは産まれた時から――いえ、産まれる前から『再生の神子』という宿命を与えられていました。けれど、レプリカのルークには何もない。…捨て駒は捨てられるためのもので、必要とされている訳ではない。

 何もないルークは、定められた意味を欲しがりました。不自然な命である自分に特別な運命があったなら、生まれたことを許されると思ったから。だから、イオンの預言に飛びついた。それが自分の運命だと思った。

 死にたくない、と心で喚きながら、ルークは自ら死地へと向かいます。


 今度は乗りそびれることもなく、昇降機で塔の屋上に昇った。吹きさらしの丸い床いっぱいにレプリカたちが並び、中心に立つルークたちを無表情に眺めている。

「アッシュはまだ来てないのか……」

 辺りを見回してルークは呟いた。空は未だ紫に濁っている。中和が行われていないことは確かだったが、到着すらしていないとは思わなかった。漆黒の翼たちが止めてくれているのかもしれない。

 片隅で、マリィレプリカが一人のレプリカを膝に抱えて介抱していた。そのレプリカは傷だらけで、ぐったりしている。目を瞠って、ティアが素早く駆け寄った。

「この人は……」

 既に虫の息だった。治癒術でも効果を及ぼせるかどうか難しいだろう。

「……北の街で人々に追われ、奴隷のように扱われながらようやくこの塔に辿り着いた同志だ」

 そのレプリカの頬を撫でながら答えて、マリィレプリカは顔を上げるとルークを見た。

「……何故お前が来たのだ? 我らと共に死に至る道を進むのはお前か」

 ナタリアもまた、彼女の前に駆け寄る。

「では、あなた方は障気を消す為に命を差し出すつもりなんですの?」

「……それしかない。そう悟った。いや、そう決めたのだ」

「あなた方は、その人のように被験者オリジナルたちから排除されようとしている。それでも、あなたたちは被験者の為に消えるんですか」

 ガイの表情は歪んでいた。ルークを止めようとしていた時と同じように。

「……被験者オリジナルの為ではない。まだこの塔に辿り着いていない多くの仲間たちが、住む場所を見つけるためだ。我らは我らの屍で国を作る。お前たちも我らの死を求めているのではないのか?」

「……それは……」

 苦しい思いと、今更ながらの怯えに揺れて、ルークは言葉を詰まらせる。

 そうだ。それを望んで、自分たちは今ここに来た。

 被験者オリジナルたちはレプリカを受け容れられない。そんな余裕は、滅びに瀕した今の世界にはないのだろう。それでも生きたいと思う限り――レプリカの居場所を作るためには、自分たちは障気と共に消えるしかない。

(それしか……方法はないんだ。嫌だけど。身体が震えるけど)

 望まれずに生まれた者が、生きることを認められるためには。

「俺がやると言っただろう! 何故ここに来た!?」

 鋭い声が飛んだ。振り向いたルークは、昇降機で上がって来た赤髪の男の姿を認める。

「アッシュ!! だからそれは俺が……」

「レプリカ共。俺が心中してやる。来い」

 無視して、アッシュはレプリカたちに呼びかけた。ぐったりしたレプリカを別のレプリカがマリィレプリカの膝の上から抱え上げ、アッシュの近くへ運んでいく。マリィレプリカも立ち上がり、その後に従った。中央に立つアッシュの周囲を、散らばっていたレプリカたちが取り囲んでいく。

「アッシュ! 馬鹿なことはおやめになって!」

 レプリカたちを止めることも出来ず、うろたえてナタリアが叫んだ。ルークも叫ぶ。

「そうだアッシュ! やめるんだ!」

「偉そうにぐだぐだ言ってないで、てめぇはさっさとどこかに失せろ! お前もレプリカだ。ここにいれば巻き込まれて消えるんだぞ! そうなったら誰がローレライを解放するんだ!」

 アッシュがルークを睨んだが、ルークは怒鳴り返した。

「ローレライの解放はお前がやれ! この場は……俺がやる!」

「そんなに死にたいのか!?」

「……違う! 俺だってお前と同じだ。死にたくない!」

 その叫びをついに声にして、けれどルークは首を垂らす。

「だけど俺はレプリカで能力が劣化してる。ローレライを解放するには宝珠を預かることも出来なかった俺じゃなくて、お前が必要なんだ」

 アッシュは世界に必要とされている人間だ。ユリアの預言スコアに詠まれ、能力は高い。産まれて生きることが当たり前の、本物オリジナルのルーク。

 両親も、ナタリアも、屋敷の使用人たちも、――ヴァンも。みんな、ずっと本当のルークを求めていた。

「それならここで死ぬのは……要らない方の……レプリカの俺で充分だろ!」

「……いい加減にしろ! 要らないだと!? 俺は……要らない奴のために全てを、奪われたって言うのか!! 俺を馬鹿にするな!」

 激昂して叫ぶと、話にならないとばかりにアッシュは背を向けた。右手でローレライの剣を掲げる。駆け寄ってアッシュを押さえつけ、ルークはその剣に手を伸ばした。剣を奪おうとするルークと、奪わせまいともがくアッシュ。激しいもみ合いになる。

「放せっ!」

「駄目だ! お前を死なせる訳にはいかない!」

 伸ばされたルークの手が剣の柄を握った。途端に、刀身が白く輝きだす。

「……これは? 剣が反応している。宝珠がどこかに……?」

 アッシュが気を取られた瞬間、ルークは剣を握る手をぐいと引き寄せると、逆にアッシュを蹴り飛ばした。床の端に転がされ、しかしすぐに跳ね起きて駆け戻ろうとした彼は、ジェイドに腕を捩じ上げられて後ろ手に押さえ込まれる。

「放せっ!」

「私はルークの意見に賛成です。……残すなら、レプリカより被験者オリジナルだ」

 絞り出すように言ったジェイドの視線の先で、ルークは両手で剣を持ち、刃先を下に向けて振り上げた。ティアは頭を抱えて、いやいやをするように首を左右に振る。

「ルーク! やめて!」

 めない、と言ったのに。ティアの声は悲痛だった。

「……みんな。俺に命を下さい。俺も……俺も消えるからっ!」

 周囲のレプリカたちに向けて、泣きながらルークは叫ぶ。後ろから駆け寄ってくる音が聞こえた。音だけで分かる。ティアだ。

「来るなっ!」

 髪を振り乱してルークを引き戻そうとしたティアを、無言で前に回り込んだガイが抑えた。震え出すこともなく、もがき暴れる彼女の腕を掴んで拘束する。その隙に、ルークはついに剣を床に突き立てた。第七音素セブンスフォニムを集結させる力が発動する。

 ――終わりが始まった。

「……ガイ。……ありがとう……」

 見なくとも気配だけで、ティアを誰が引き止めてくれたのかは分かっていた。

 認めない、と言ったのに。ガイはルークの意志を認め、決断を許してくれたのだ。

「……馬鹿野郎が」

 それでもガイは苦しげだった。泣いていたのかもしれない。

 第七音素セブンスフォニムの金色の光が、水面を走るさざ波のように、突き立てられた剣に向かって集まっていく。取り囲んでいたレプリカたちが輝き始め、やがて光の粒にほどけて消えていった。剣を中心にして集まった光は、波紋となって紫の空に立ち昇っていく。

 

(……死にたくない。死にたくない! 死にたくない!)

 

 ルークの頭の中には、ただその言葉ばかりがこだましていた。

 世界のために。レプリカの居場所を作るために。伯父上や陛下たちに頼まれた。アッシュが死んだら父上や母上やナタリアが悲しむ。本物アッシュから奪ったものを返さなきゃ。俺は劣ってるから。生まれちゃいけなかった存在だから。俺が殺してきた沢山の人たち。救えなかった人たち。――残りの人生全部使って、世界中幸せに……。

 

(………違うっ!)

 

 奥底から湧き上がってくる声がある。

 

(死にたくない。俺は……俺はここに居たい! 誰のためでもない……俺は生きていたいんだよっ!

 

 その衝動は次から次へと溢れ出して止まらなかった。それまで胸を塞いでいた理屈も懊悩も、全てが引き剥がされて散り散りになり、遠くへ押し流されていく。

 

(生きたい。生きていたい。死にたくないんだ!! だけど……っ!)

 

 ルークは目を開けた。見上げた視線の先で、集まりつつあった光の波紋が外側に流れて拡散していく。全身がひどく重く感じられ、膝が砕けてがくりと床に突っ伏した。

「だ、駄目か……」

 力が足りない。第七音素セブンスフォニムを集め切れなかったのだ。足りない音素で無理に超振動を使った身体が悲鳴をあげている。……消える。音素フォニムほどけていく。

 レプリカの人たちの命を喰らって。自分の命も捨てて。なのに。何も出来ないまま。

「おかしい……集まりかけた第七音素セブンスフォニムが拡散して行きます。このままでは障気は消えない!」

 険しい顔で怪しむジェイドの隣で、アッシュはハッと目を見開いていた。明滅するようにゆっくりと透けていくレプリカの身体の中心に、赤く輝く何かがある。

「……宝珠か! 宝珠の拡散能力が邪魔してやがるんだ。くそ! あの馬鹿が宝珠を持っている事に気付いてなかっただけか!」

 罵ると、アッシュは舌打ちして駆け出した。今度はジェイドは止めない。隣に片膝をつくと、ぐったりしていたルークが碧の目を上げた。

「どこまでも手のかかるレプリカだっ!」

 アッシュは右手を伸ばし、剣を持つルークの左手に重ねて握る。拡散しつつあった音素フォニムが一気に引き戻され、背中を合わせる二人は金色に輝いた。

「アッシュ!?」

「……心配するな。心中する気はない。お前の超振動に少し力を貸してやるだけだ。お前は一人で消えろ!」

 こんな時でさえ変わらぬ憎まれ口に、ルークの口元が緩む。

「……ありがとう……アッシュ……」

 二人を包む音素は輝きを増し、眩い白光と化した。

 天高く伸びる古代の塔。そのいただきに灯った白い光が、辺りを覆う紫の膜を吸い込んでいく。吸引は惑星全体に及び、一際強い輝きが塔から発せられた瞬間。

 二千年もの間この星を病ませ続けていた障気は、一瞬で、全てが鮮やかに消え失せていた。











 空が見える。晴れ渡り澄み切った、輝くばかりの青い空。

 彼方まで広がる空の下、塔の上は閑散としていた。あれだけの人数がひしめいていたのに、レプリカたちは既に跡形もない。

 丸い床の中心には、赤い髪の男が倒れていた。アッシュと――ルーク。ローレライの剣は一時的になのか消滅し、その柄を握った形のまま、二人の手は繋ぎ合わされている。

「くぅっ!」

 詰まっていた息吹を無理に戻したかのように、ルークが呻きをあげた。

「う……っ!?」

 アッシュも唸り、身じろぎをする。

 ――生きている。二人とも。

「……約束だ。生き残ったレプリカたちに生きる場所を与えてくれ。我々の命と引き替えに……」

 生まれて初めて目にしたのかもしれない。見上げていた青い空から目を戻し、ただ一人その場に残っていたマリィレプリカが、周囲に立つオリジナルたちに向かって念を押した。

「わたくしが! キムラスカ王女であるこのナタリアが、命をかけて約束しますわ」

 ナタリアは駆け寄り、胸で両手を組んで誓いを叫ぶ。

「俺もだ。レプリカたちを見殺しにはしない。姉上と同じ……あなたの命のために」

「わ……私だって……あなたたちとイオン様は同じだもん……」

 静かにガイも誓い、アニスは両拳を握って請け合った。

「……」

 無言のまま、マリィレプリカは全身を輝かせて光となり、青い空に溶けていく。

 ルークはようやく起き上がると、呆然としたように己の両手を見つめていた。

「俺、生きてるのか? どうして……」

 その視線の先で、両手が指先からスウッと透けていく。

(――!?)

「よかった……! 私、もうあなたが消えてしまうと思ってた……」

 後ろから泣き笑いの声が近付いて来て、咄嗟に、ルークはティアに向き直ると手を背中に隠していた。――と。何かが、消えたはずの手のひらに乗った感触がある。

「こ、これは……?」

 恐る恐る手を戻すと、それは消えずにちゃんとあり。赤い響律符キャパシティコアを握っていた。U字型の宝飾品で、赤い輝きが球状に周囲を覆っている。

「……ローレライの宝珠だ」

 目を丸くしているルークとティアに言って、アッシュは昇降機の方へ歩き出した。アニスが問いかける。

「これが!? どうして? どこ探してもなかったんでしょ!?」

「こいつは宝珠を受け取ってたんだよ。ただ後生大事に、宝珠を構成する音素フォニムを、自分の中に取り込んじまってたのさ。……体が分解しかけるまでそのことに気付かなかったとは、とんだ間抜け野郎だぜ」

 チラリとアニスに目を向けてそう説明し、アッシュは昇降機に乗った。ナタリアが追いすがる。

「お待ちになって! どこへ行きますの!? 鍵は揃ったのですわ。一緒に……」

「……一緒にいたら六神将たちに狙われる。ヴァンの居所を突き止めてローレライを解放する直前まで、別行動を取る」

 素気無く申し出を断ち切って、アッシュは塔を下りていった。

 塔の上には静けさが満ちる。

 ほんの少し前までここに無数のレプリカたちがひしめき生きていたなど。信じられないほどに何もない。静かだ。

「彼らは本当に、納得して消えて行ったんだろうか……」

 ガイが呟いた。彼らの命によってもたらされた空の青さは眩く、目に染みるようだ。

「分かりませんわ。わたくしたちは行き場のない彼らを、追い詰めるだけ追い詰めて、絶望という崖に追い落としただけなのかもしれません」

 ナタリアは悲しげに俯く。沈痛な空気を打ち払うように、ティアが強いて顔を上げた。

「だからといって、後悔しても始まらないわ。彼らは彼らの国が生まれることを信じて死んでいった。私たちが出来ることは、それを現実とすることだわ」

「生き残ったレプリカたちが、この世界で生きていけるように手を貸す。それが消えていった姉上……いやレプリカたちへ、俺たちが出来る唯一のこと……か」

「……そうですわね。結局わたくしたちオリジナルは、自分たちが生きる為に彼らを見殺しにしたんですもの。悔いていては駄目ですわね」

 ガイが呟き、ナタリアも頷く。ティアは言った。

「彼らの死を悔いるのは、私たちの身勝手な感傷よ。忘れていいことではないけれどね」

 悔やんで、悲しんで、懺悔しながら可哀相な彼らのために泣く。そうすることは簡単だったが、それはきっと彼らの望むところではないだろう。そうティアは思う。状況がどうだったのだとしても、彼らはそれを選んだのだ。交わした約束を守り、まだ生きているレプリカたちのために力を尽くさなければ。……そのためにも、まずはこの世界を守っていかねばならない。レプリカとオリジナル、双方が共に生きていく世界を。

「……俺は忘れない。俺が命を喰らって消してしまった、あの人たちのことを」

 呟くルークに近付いて、ガイが強く肩を叩いた。ルークは暖かい。生きている。

 弾みで手にしていた響律符を落としそうになって、ルークが少し慌てた。

「これがローレライの宝珠か」

 覗き込んで、ガイが確かめる。

「ああ。響律符キャパシティコアになってるんだな」

「剣は武器として、宝珠は防具として、ユリアを守っていたのかしら」

 同じように覗き込んでティアが言うと、ルークは少し考える顔をした。

「そっか。それならこれは、ホントならティアが持つべきなんじゃないか?」

 身を守る装備は、自分よりも女性が身につけた方が相応しい気がする。それに、ティアはユリアの子孫だ。

 けれどティアはちょっとたしなめるように、それでも微笑んで言った。

「託されたのはあなたとアッシュよ。責任を持って守って頂戴」

「そうだぜ。受け取っていたのに気付いてなかったんだ。みんなを振り回した責任はちゃんと取れよ」

 ガイも笑う。彼やティアの笑顔を見るのは久しぶりなのだと、不意にルークは気が付いた。

(生きてるから……だよな)

 だから笑顔も見ることが出来る。

 じわじわと胸を満たしていくものを噛み締めながら、ルークは浮かんだ疑問を口に上らせた。

「だけどいくらローレライの宝珠が、音素フォニムに分解された状態で届いてたからって、それを自分の中に取り込んじまうって、こんなのよくあることなのかな」

「コンタミネーション現象だと思います」

 向こうからジェイドが口を挟んでくる。ティアが僅かに首を傾げた。

「ですが、あれは特殊な譜術で刺激しないと起きないのでは?」

「レプリカは音素フォニムが乖離し易い。それは同時に音素が混入し易いということなのです。周波数が近い音素なら、安易に体内に取り込んでしまう」

「そうか。宝珠は第七音素セブンスフォニムで出来てるから、ルークの第七音素と混じり合っちまったんだな」

 ガイは納得の声を漏らし、少し不安げにティアが訊ねた。

「では、ルークはコンタミネーション現象が起き易い体質なのですか?」

「ええ、そうです。それに、ルークと第七音素は音素フォニム振動数が同じですからね」

 第七音素セブンスフォニムの意識集合体はローレライだが、そのローレライとルーク、そしてアッシュは同じ音素フォニム震動数を持っているのだという。例えば第七音譜術士セブンスフォニマー同士でも、第七音素を互いに発散することで共振現象を起こすことがあり、この場合の第七音譜術士たちを同位体と呼ぶ。かつてルークとティアが擬似超振動を起こしたのも、互いの放つ第七音素が反応しあったためだ。だがそれとは違い、そもそもの個体の音素振動数が全く同じであるもの。理論上にしか存在しないはずのそれを、研究者たちは完全同位体と呼んだ。つまり、ルークとアッシュとローレライは完全同位体だ。

(通常なら、有り得ないことなのですがね……)

 ジェイドは独りごちる。

 同位体は超振動を発生させるため、軍事転用しようと研究が重ねられてはいたが、自然に存在するものではなく、意図的に作り出すことも出来ない。……ルークたちが完全同位体であることは、異常な事態なのだ。

 レプリカであり、第七音素の完全同位体でもある。ルークは類例のない存在だった。ましてや……。

「……ルーク」

 僅かに声を沈めてジェイドが呼ぶ。駆け寄ると、何故なのか彼はスッと顔を背けた。

「生き残ったとは言え、本来なら消滅しかねないほどの力を使った。非常に心配です。ベルケンドで検査を受けて下さい」

「……う、うん」

 再び昇降機が昇ってきた。足早にそこへ向かい始めるジェイドの背を見ながら、ルークはそっと自分の左手を見る。

 動かせるし、ちゃんと見える。普段とまるで同じだ。――だが、確かにあの時。

(……腕が透けて見えた。あれは一体……)

 晴れたはずの胸を、小さな不安がちりりと焼いた。




 もう一度この塔を降りることがあるとは思わなかった。

 昇って来る時には一階のホールにもまだ沢山のレプリカたちがいたが、今は誰もいない。屋上だけではなく、塔の周囲にいた全てのレプリカが第七音素セブンスフォニムを喰らわれ、原子の結合を解かれて消滅してしまったのだろう。

 だが、ホールの中程に、ぽつりと佇んでいる人影が目に入った。スラリとした若い女性だ。薄い金髪を結い、キムラスカ軍の真紅の軍服を身にまとっている。

「セシル将軍! こんなところで何を……」

 驚いてルークが声をかけると、彼女ははしばみ色の目を上げてこう言った。

「……ここにあの人が……アスランがいるという話を聞きました。あの人に届けたいものがあって……」

 見れば、彼女は何かの包みを手に持っている。

「……でも、もう誰もいませんね」

 うつろな目で辺りを見回す様子を見て、いたたまれない思いでルークは首を垂らしていた。

「……ごめん……」

 この塔のあるキュビ半島には、船も馬車も通っていない。レプリカたちもそうだが、彼女がここに来るには並ならぬ苦労があったことだろう。それなのに。

「……ルークを責めないでくれ。ここにいたフリングス将軍はレプリカだ。あなたの愛した人じゃない」

 痛ましげな顔でガイが言った。静かにセシルは応える。

「……分かっているんです。あの人は死んだ。ここで障気と一緒に消えたあの人は違うって。だけど……」

 不意に、彼女の声が崩れた。

「こんなことになってしまうなら、どうして私、あの時彼の申し出を受け入れてしまわなかったのかしら。過去の汚名だの、そんなことに拘らず、すぐにでもあの人の元に行っていればよかった!」

 声は震え、途切れて、押し殺されていた感情が溢れ出す。涙と共に。

「セシル将軍。帰りましょう。いつまでもここにいては……」

 ナタリアが言ったが、セシルは首を激しく左右に振った。

「……いいえ! 私に帰る場所はありません! あの人のいない世界で私はどうしたらいいのですか!」

「……フリングス将軍は最期に言っていました。『ユリアよ、彼女に祝福を』と。それはあなたのことだ。違いますか?」

 再びガイが口を開く。

「アスラン……」

「帰りましょう。フリングス将軍は最期まであなたの幸せを願っていた。ここで魔物に襲われ朽ちることが将軍が望んだ幸せとは思えません」

 長い、長い沈黙の後で。

「……はい」

 包みを抱きしめて、セシルは力無く頷いていた。



 アルビオールは一行をベルケンドに運んだ。ルークはセシルをバチカルまで送ろうと主張したのだが、ジェイドが許さなかったのだ。まずはルークの精密検査だと。

「もう、ここで結構です」

 ベルケンド港に降りたところで、セシルはそう言ってルークたちに頭を下げた。

「だけど……」

「……大丈夫です。ここからならバチカルまで定期船も出ていますし。まだ心の整理はつきませんが、アスランが私に望んだ幸せを……考えてみようと思います」

 そう言ってから、彼女は思いついた顔をして、ずっと大事に持っていた包みをガイに差し出す。

「そうだわ。これを……ガイラルディアに」

 反射的に、ガイはそれを受け取った。柔らかい。衣服か何かのようだ。

「私が嫁ぐ時に、アスランに渡そうと思っていた騎士の服です。せめてレプリカにと思ってレムの塔へ持って行ったのですが……」

「そんなものを俺がもらうのは……」

「もう引き取り手のない服です」

 セシルは僅かに目を伏せて笑う。

「アスランのお墓にとも考えましたけど、彼とは婚姻も済ませていませんし。あなたは私の従弟だし、それにアスランを知っている。彼も喜んでくれると思います」

「……分かりました」

 ガイが頷くと、セシルは柔らかく微笑んだ。

「それではこれで失礼致します」

 立ち去る姿は寂しげに見えたが、背筋は伸びている。船着場の方へ消えて行った。

(生きて……幸せを考える、か……)

「ルーク。私たちも行きましょう」

 見送るルークに、ジェイドが声をかけて促す。仲間たちは街へ続く並木道を辿り始めた。




 ベルケンド、第一音機関研究所。小規模施設ながら、その医務室は最先端の医療技術を有しており、そこに勤めるシュウ医師は世界でも指折りの医学者だ。

 全員で付いて来た仲間たちをジトリと睨んで、ルークは両腰に手を当てると唇を尖らせた。

「みんなでずらずら来ると、俺ガキみたいじゃねぇか! 外、出てくれよ」

「何言ってんだ。みんな心配してるんだぞ」

 ガイが少し怒ったような様子で言う。

「いいからっ!」

 しっしっとルークは片手を振った。何だか恥ずかしいし、それに……。

「……仕方ないですわねぇ」

 腕を組んで、ナタリアが保護者めいた息を落とす。

「……では、その間に私はスピノザの研究室へ行って来ます。研究について話がありますから」

 ジェイドが言った。「ん? 珍しいな」とガイが顔を向ける。

「ええ。すみません。皆さんは宿に行っていて下さい。ちょっと長くなると思います」

「まあ俺たちが聞いてても分からないからな」

「じゃあ、私たち宿で待ってるね」

 アニスがルークに言い、不安げなティアの背中を押すと医務室を出て行った。



 一通りの検査を終えた後で呼ばれて、ルークはシュウ医師と向かい合って椅子に座った。

「……結論から申し上げます。今すぐ、ここに入院なさって下さい」

「どういうことだ」

 問い返すと、シュウは黒々とした眉を曇らせる。

「細胞同士を繋ぐ音素フォニムが乖離現象を起こし、極端に減っています。そう遠くはない未来、細胞崩壊を起こし、亡くなられる可能性が高い」

「入院したら治るのか?」

 望みを探すように問うたルークの前で、シュウは首を左右に降った。

「いえ、消滅の日を遅らせることが出来るだけです」

 ゆっくりと、少年が喉を鳴らす。

「……俺、死ぬってことか」

 掠れた声を聞きながら、シュウは何も言わなかった。ただ、目を伏せる。

 ルークは椅子から立ち上がった。

「……このことはみんなに言うな」

「ですが……!」

「……いいんだ。気を遣われるの嫌なんだ」

 背を向けたままルークは言う。

「……分かりました」

 重すぎる十字架を負った背を見つめて、シュウは痛ましい思いで彼の意を汲んだ。




 宿に入ると、ロビーで仲間たちが待ち受けていた。

「どうだったの?」

 ソファーから立ち上がってティアが急いで近付いてくる。

「う、うん。ちょっと血中音素フォニムが減ってるけど、平気だってさ」

 笑ってルークは言った。

「そうかぁっ! よかったな!」

 後ろで固唾を呑む様子だったガイが、明るく声を弾ませる。ティアは胸を両手で押さえてホッと息を吐き、その隣で緊張した顔で見上げていたアニスは可愛らしく身をよじって笑った。

「ルークってしぶとーい!」

「安心しましたわ」

 アニスの後ろから、ポンと両手を合わせてナタリアも笑う。

 ……苦しかった。薬は処方してもらったのだから、そんなはずはないのに。

「……。まあ、とりあえずは安心ですね」

 不意に後ろから声がかけられる。こちらも今戻ってきたらしい。ジェイドがロビーに入ってきていた。

「ジェイド。もういいのか?」

 頷くと、ジェイドは柔和に笑いかける。

「安心とは言っても、疲れたでしょう。今日はもうこの宿で休みなさい。いいですね、ルーク」

「そうね。ダアトで待っているお祖父様たちに報告をしなくてはならないけれど、障気は消えているんだもの。上手くいったことは分かっている筈だわ」

「ええ。それにまだローレライの解放という仕事も残っていますもの。体力を取り戻さなければ」

 明るくティアとナタリアが言い、「分かったよ」とルークは笑みを返した。

 仲間たちはそれぞれ部屋に引き上げていく。なんとなくそれを見送っていたルークは、ジェイドが動かずに傍に立ったままなのに気付いて、怪訝に眉を寄せた。

「何だよ」

「悪い子ですねぇ。また嘘をついて」

 小さく失笑を落とされて、息を飲む。

「……あなたの嘘に私も乗せられておきます。でも無理は禁物ですよ」

 俯いて、ルークは誤魔化すように鼻をこすった。

「……ジェイドに隠し事は出来ないな」

「あなたが下手なんですよ」

 小さく笑って、ジェイドは瞳を伏せる。この少年に課せられた運命は、なんと過酷なものなのだろう。――たとえ、今回の障気中和がなかったのだとしても。



『私たちと協力する前の話になると思いますが、アッシュがあなたのところへ来ませんでしたか?』

 研究室を訪ねてスピノザにそう訊ねると、予想通り、彼はそれに思い当たった顔をした。

『多分話題は、ワイヨン鏡窟で行われていたディストの実験について』

『……確かにその通りです。アッシュはコーラル城で自分とルークがただの同位体ではなく完全同位体であることを知ったようでした』

『それで、ワイヨン鏡窟のチーグルが自分たちと同じ完全同位体ではないかと気付いた』

『はい……。そしてそれは正しかったのです。ネイス博士はバルフォア博士の理論を元に、ルークレプリカ作製時の事故を再現したのです。何とか完全同位体の作製には成功しましたが、その後音機関は壊れてしまって再現情報も失われてしまいました』

『アッシュは完全同位体が誕生した場合の被験者オリジナルの負担について聞きましたか?』

『はい』

『では音素フォニム乖離による緩やかな放出現象を説明した?』

『学術的な説明では難しすぎますから、大爆発ビッグ・バンの時期に向けて徐々に体力や譜術力が失われていくことは……』

『その説明では……アッシュが誤解している可能性もありますね』

『誤解?』

『いえ……。彼の無謀な行動の理由がようやく分かっただけです』



(もう……手遅れでしょうがね)

 独りごちて、ジェイドは目を上げる。

「ルーク。私はこと研究において、あまり失敗したことがありません」

「なんだよ、それ。自慢かよ」

「……そうですね。今度ばかりは私の弾き出した答えが間違っていればいい、と思います」

「うん? そうなのか?」

 ルークは不得要領な顔をしていた。少し可笑しくなってジェイドは微笑う。

「まあ、あなたは私の想定外のことをやらかしてくれますから、もしかしたらとは思っていますがね」

 そんな非論理的な希望に縋るしかない、自分の情けなさには吐き気を覚えるが。

 笑みを消すと、ジェイドはキョトンと見返すルークに真っ直ぐ目を向けた。

「それと一つ、忠告しておきます。今のあなたは音素フォニムの乖離が早まっている筈です。これ以上、むやみに力を使わないで下さい」

 ――焼け石に水であろうとも。

「……うん。ありがとう。ジェイド」

 深い意味など理解してはいないだろう。それでもルークは笑みを浮かべて頷く。

 そして、彼らは気付いていなかった。――足元に青いチーグルも残っていたこと。ジェイドの忠告を聞いて、この小さな生き物が身体を震わせていたことを。


 突っ込み二つ。

 レムの塔で、迫害されぐったりしたレプリカを、一人のレプリカが抱き上げて運んで行きます。ところがこのレプリカ、若い女性なんですよ。なのに人間一人抱えて実に楽々と…。ち、力持ちだなぁーと思いました。

 あと、障気中和後にローレライの剣が消えてること。誰もそのことを気にしないし、この後アッシュはしっかりそれを持って出てくるので、自在に出したり消したり出来るのだろーかと思いました。ルークも音素を制御する能力が劣化してなかったら、宝珠を任意で出したりしまったり出来たのかな?



 ベルケンドでのイベントを終わらせると、サブイベントを二つ起こせるようになります。

 レムの塔に戻ると、一階にセシル将軍がいます。『セシルとフリングス』の最終回です。自動的に(ゲームでの次の目的地の)バチカルに移動するので、他のサブイベントを済ませてから これを起こすのがいいかもしれません。

 ダアトのイオンの部屋に行くと、イオンの慰霊祭が行われ、ティアが五番目の譜歌を理解します。

 ちなみに、ジェイドがアッシュに関する話をスピノザに聞くエピソードは、ゲームではラストダンジョン突入直前にならないと起こせないイベントなのですが、連載式小説ではそんな後で伏線消化しようとしてもズバリ読者は誰も覚えてないだろーと思いましたので、ここに挿入しました。(^_^;) 分かり易さをモットーとしております。




 ルークはずっと、『生まれた意味』を求めていました。それがなければ『生きる価値』もないのだと思っていました。

 レムの塔での一件が、ルークに「自分の答え」を掴む手がかりを与えたようです。

 死を目前にして、ルークは何を知ったのか。それはこの先の物語の中でルーク自身が言葉や行動で示してくれることなので、今ここで私の解釈や考察をグダグダ書くことはやめておきます。

 ともあれ。残りはあと僅か。



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