……俺が……消える?

 俺は死ぬのか…………。

 嫌だ……。

 せっかく……生きていたいって本気で思えるようになったのに……。

 死ぬなんて……嫌だ…………。

 

 いつ死ぬんだろう。死ぬって痛いんだろうか? 苦しいんだろうか……。

 ……俺が殺してきた人たちも……。こんな風に思っていたんだろうか……。



 死にたくない……! 死にたくない!!











「へーっ、今日もいい天気だなっ!」

 ベルケンドの街から港へ続く並木道の上の空は広く、朝の光に輝いて突き抜けるような蒼さを誇っていた。つい昨日までの低く垂れ込めるようだった紫の空とはまるで異なっている。

「……どうしたルーク。突然そんなこと言い出して」

 大きな声を聞いて、傍を歩いていたガイがぎょっとしたように足を止めて見返してきた。その表情はいささか気味悪げでさえあったのだが、気にした様子もなく、ルークは空を見たまま満面で笑う。

「いや、空ってこんなに青かったんだなあって。譜石帯もよく見えて、なんか、綺麗だよな。

 さー、報告もあることだし、ダアトの教会まで行くとするか!」

「……ルーク。熱でもあるの?」

 覗き込んだティアが不思議そうに、少し心配を含んで訊ねてきた。

「頭でも打った?」

「変なものを食べたんじゃありませんの」

 アニスやナタリアの表情も同じ色だ。「あのなー!」と怒ったポーズを取ってみせて、ルークは仲間たちに笑いかける。

「なんつーの? 九死に一生を得て、生きることの素晴らしさを実感したというか」

「ははは、こりゃいいや。ルークがそんなことを言う日が来るとはな」

 ガイが楽しそうに笑った。ルークもまた笑う。深く。

「……まあ。生きてるのって悪くないよ」

「……ええ。そうですね」

 傍らから、静かな笑みをたたえて頷いたのはジェイドだ。いつもなら一つや二つは飛び出すであろう皮肉や揶揄は、今日は微塵も覗かせてはいない。

「大佐が優しいのもキモイよぉ……」

 アニスが薄ら寒そうに身を震わせる足元で、ミュウが黙ったまま長い耳を揺らした。




 ローレライ教団総本山ダアト。巨大な尖塔を持つ教会へと続く道を中心にして、今日も第一自治区は多くの信者たちで賑わっている。

「はぅわ〜。こうして見る教会も新鮮だなぁ〜」

 階段の下から尖塔を見上げてアニスが言った。

「そうか? この前来ただろ」

 すげなくルークが言うと、アニスは頬を膨らませた顔を向ける。

「ぶーぶー。ルークって鈍い。世界の流通も変わったから人の流れも変わったじゃん。巡礼者も増えたみたいだし。そしたら印象も毎日変わるでしょ」

「まあ、そりゃそうかもしれないけど……。教会は教会だしよ」

 片手で頭を掻いて言ったルークの前で腕を組み、アニスは大仰に息を吐いた。

「はー。ルークってホント鈍感。ダメダメだね」

「鈍感鈍感言うな!」

「だってホントのことじゃんv ま、そういうところがしっかり者の女の心をくすぐるのかもしれないねー」

 意味ありげに笑われて、ルークは居心地悪そうな顔をする。

「なんだよ、それ」

「へへへ。気付いてないんだ。やっぱルークってど・ん・か・んv

「だから、なんなんだよそれって!」

 ルークが詰め寄ると、アニスは逃げてティアの後ろに隠れた。何故かうぐ、と詰まったルークの向こうで、「でも確かに、先日よりも街が賑わっている感じがしますわね」とナタリアが辺りを見回している。

「障気が消えたからな。今まで閉じこもっていた連中も外に出てきたんだろう」

 ガイがそう言った時、「皆さん。戻られたのですね」と声がかかった。見れば、階段を下りてくるオリバーの姿がある。「パパ」とアニスが呼んだ。

「首脳の皆さんがお待ちですよ。ああ。それから、トリトハイム詠師からの伝言があるのですが……」

「何かあったんですか?」

 驚いて問い返したルークに、穏やかな態度を崩さずにオリバーは答えた。

「明日、導師イオンの慰霊祭を行います。本来は教団員だけで行うのですが、よろしければ皆さんも是非ご参列下さいと……」

「導師イオンの……」

 僅かに目を見開いてティアが呟く。「イオン様……」と、アニスも硬く声を落とした。

「参列するよな?」

 ルークは仲間たちを見渡して確かめる。

「ええ。イオン様のために祈らせて下さい」

 ジェイドが頷き、ナタリアも「ええ」と頷いて、両手を胸で握り締めた。

「わたくしも国の代表の一人として……いえ、ナタリア個人としても祈りを捧げたいですわ」

「そうだな。イオンは俺たちの仲間だったんだから……」

 ガイが同意する傍らで、ティアは胸を両手で押さえている。

「……導師イオン……。申し訳ありません。私のために……」

「ティア……」

 眉を曇らせてルークが名を呼んだが、ティアは苦しそうに俯いていた。

「私なんかのために……」

「……ティア。お願いがあるの」

 神妙な声で言って、アニスがティアを見上げる。

「何?」

「譜歌を詠って」

「譜歌を?」

「イオン様。ティアの譜歌が好きだって言ってた。懐かしい感じがするって。ユリアの譜歌は七つで一つなんでしょ? その大譜歌っていうのを……聞かせて……」

 けれども、ティアは決まり悪げに目線を落とした。

「だけど……私、七番目の譜歌を知らないわ」

「なら、途中まででもいいから! お願い!」

 アニスは強く食い下がる。笑ってガイが勧めた。

「詠ってやれよ。途中までだって、イオンは喜ぶさ」

「ティア。詠うことも祈ることになると思うぜ」

 ルークも取り成しを口にする。

「……分かったわ」

 決意の色を浮かべて、ティアは青い瞳を上げた。




 翌日、慰霊祭はしめやかに行われた。

 礼拝堂は静かだった。広い堂内は集まった教団員たちで満ちていたのだが。それぞれの息吹やしわぶきが微かに落ちる中、飾り付けられた壇上でのトリトハイムの話が終わる。

 集まった人々の最前列にはキムラスカとマルクトの首脳陣の席が設けられており、ルークたちの席もそこに用意されていたが、そこからティアが立ち上がり、ゆっくりと壇上に上って行った。壇に向かって息を吸い、詠い始める。いつにも増して透き通った声だった。順を追って四つの旋律が流れ、五つ目が流れ始めた時。

「な……なんだ!?」

 壇の下から仲間たちと共にティアの背を見ていたルークは、うろたえて声をあげた。詠う彼女の周囲に光の粒が立ち昇り、その全身を包み込んだのだ。間を置かず、大きなステンドグラスの向こう、遥か上空が眩く輝いた。目を開けていられずに、思わず顔の前に腕をかざす。――その刹那。

 

 ――ありがとう……。

 

 小さく、けれどはっきりと。

 懐かしい声が聞こえた。




「皆さん。参列して下さってありがとうございました。イオン様も喜んで下さったことと思います」

 全ての式次が終わり、一室に移動したルークたちの前でトリトハイムが頭を下げる。

「式の最中に起きたあれは、何だったんだ?」

 ルークは未だにぼんやりしていた。あまりに驚きすぎて、夢の続きのような気がする。

「……私にも分からないわ。ただ、五番目の譜歌を詠った瞬間、象徴を理解していた筈なのに今までどうしても発動しなかった力を感じたの」

 ティアが言う。だとすれば、あの光はティアの譜歌が発動したことによる音素フォニムの輝き、ただそれだけのことに過ぎなかったのだろうか。――でも。

「ティアの体内の障気が取り除かれたことで、高位の譜歌も発動可能になったのでは?」

 ジェイドの推測は理路整然としていたが、おずおずと口を挟んだのはトリトハイムだった。

「……あの時、幻かもしれませんが私は導師イオンのお言葉を聞きました。私には、導師イオンがお力を貸して下さったように思えます」

「ああ。俺にも聞こえた」

 ルークは力を込めて頷く。自分一人だけが聞いた幻聴ではなかったのだ。

「私も……」

 小さくアニスが同意して、仲間たちを見渡した。

「私もトリトハイム様の言う通りだと思う」

「……フ。そういうこともあるのかも知れませんね」

 ジェイドは小さく笑みを落とす。肯定はしていないが否定もしなかった。

「しかし、まさか導師イオンまでもがレプリカじゃったとは……」

 テオドーロは驚きの息を落としている。インゴベルトやピオニーは勿論、彼やトリトハイムにとっても、それはつい最近まで未知の事実だった。

 イオンの死からかなりの日数が過ぎていたが、世間的にそれは伏せられ、葬儀は行われないままになっていた。障気やレプリカの大量発生による混乱の中、導師の死を人々が知れば世界は動乱し、それこそ瓦解してしまうかもしれない。それを懸念してのことだったが、障気が中和されレプリカたちの数も安定したこと、首脳陣がダアトに丁度揃ったことから、世間にその死を公表することになったのだ。そのための慰霊祭でもあった。

「ルーク。お前が障気を中和してくれたおかげで市民たちも落ち着いた。だが、問題が全て片付いた訳じゃない」

 ピオニーが言う。頷いてテオドーロが続けた。

「大地の消失を防ぐためのエルドラントへの共同進軍。そのためにもプラネットストームを停止させねばならぬ」

「その作業もまた、貴公たちに任せることになる。……すまないな」

「いいえ。今は三国が協調し、それぞれが自分の成しうることを行うべき時ですわ」

 ナタリアが生真面目にピオニーに返している。インゴベルトが口を開いた。

「ルーク……。障気のことはすまなかった。しかし死を賭したそちの心意気に、わしも胸を打たれたぞ」

「い……いえ……」

 ルークの身に起きてしまった異変は、この伯父にも、他国の首脳たちにも話してはいない。生きて戻ったルークを目の当たりにし、アッシュも無事だと聞いて、彼らは素直に笑い、喜んでくれた。

「……しかし進軍の準備を整えるにはまだ少し時間が必要でしょう。ルーク。プラネットストーム停止の作業に向かう前に、一度公爵家のお屋敷で休みなさい」

 ジェイドが言う。その真意を知る由もないだろうが、「うむ。そうしなさい」とインゴベルトは頷き、甥の顔を見つめた。

「ルークよ。バチカルに戻ったら、お前のために考えていることがあるのだ」

 目を瞬いたルークの後ろから、「まあ、なんですのお父様」とナタリアが訊ねる。だが、「戻ってからの話だ」とインゴベルトは笑った。

「我々はこれから船で帰国する。お前たちはゆっくり戻るといい」

 そう言い置いて首脳たちが退室して行った後、ティアが小さく呟いた。

「……だけど……どうしてかしら」

「どうした?」

 ルークはティアを見た。彼女は何かを考え込んでいる。

「慰霊祭で譜歌を詠った時……。知らない筈なのに……七番目の譜歌が詠えそうな気がしたの……」

「七番目の譜歌って、まだ教えてもらってないっていう……」

「ええ……」

 ティアは不安そうに見えた。――いや。もどかしげと言うべきなのかもしれない。掴むべきものが掴めないような、そんな。

「でも、気のせいね。イオン様のお力が、そんな錯覚を私に与えたのかも知れないわ」

 やがて首を振り、振り切るように笑ってティアは話を閉じた。


 イオンの慰霊祭イベントで、ティアは五番目の譜歌「ジャッジメント」を修得します。広範囲に十六発もの雷を落とす譜術です。……イオン様の後押しで覚える技だと思うとなんだかビミョー(笑)。勝手なイメージ的には、リザレクション(回復)かホーリーソング(支援)がよかったかなー。

 

 アニスがルークを鈍感だとからかうエピソードは、第四石碑の丘での最終タウンイベントから。

 また、イオンの慰霊祭イベントは、原作だと各国の首脳陣のいない時に行われるので、ジェイドとナタリアの台詞が以下のようになっています。

ジェイド「ええ。ご参列になれない 陛下の分も祈らせて下さい」
ナタリア「ええ。私も国を代表して……いえ、ナタリア個人としても祈りを捧げたいですわ」

 でも、世界中の尊崇を集める導師の慰霊祭に参加できるのは本来なら教団員だけ、というのも不思議な感じですね。…世界中の尊崇を集めるからこそなのかな? 大勢が押しかけて混乱するからとか。

 それはそうと、オリバーさん。「よろしければ皆さんも是非ご参列下さい」って。どっちだよ、と思いました(笑)。



 イオンがレプリカだったことは、いつルークたち以外に知られたのか。原作でははっきりしていません。

 ラストダンジョン突入前にユリアシティに行ってテオドーロに話しかけると、「導師イオンまでもがレプリカじゃったとは……」と言うので、かなり後までテオドーロは知らなかったのかな、とも思えます。となれば、彼よりも下位の扱いをされているトリトハイムも、相当後まで知らなかったのかな、と思えたりしますが……後にフローリアンが登場した時の様子を見ると、その時点でちゃんと事情を承知しているっぽい。

(いや、トリトハイムは大詠師派だったらしいので、最初から知っていたという可能性もあるのですが…。ゲームを見る限り、トリトハイムってそんなにモースと近しい感じがしないんですよね。トリトハイムは むしろテオドーロとの繋がりが深い感じがするので、ヴァンがテオドーロ(ユリアシティ)に計画が漏れることを警戒して、トリトハイムには情報は流さなかったんじゃないかなーとか。)

 そんなこんなで、イオン死亡時に「遺体が音素化して消えた」という辺りから彼がレプリカだったということを話さざるを得なくなり、そこでトリトハイムとテオドーロには説明したのかな、と思っておくことにしました。ピオニーとインゴベルトには、この慰霊祭辺りを契機に知らせたと自分脳内では思っておこう。


 随分のんびりしてバチカルに戻ったが、それでもアルビオールの足は速く、インゴベルトたちの乗った高速船は帰港してはいなかった。

「わたくしは城に戻っていますわ。お父様たちが帰国したらお報せします」

 城門前の広場でそう言ったナタリアに頷いて、ルークは仲間たちに顔を向ける。

「分かった。他のみんなは屋敷で自由にしてくれよ。俺は部屋で休ませてもらうから」

 それを合図に各々が歩き始めたが、甲高い声がティアを呼び止めた。

「ティアさんっティアさんっ」

「ミュウ? どうかしたの?」

 その切羽詰まった響きに少し驚いて、ティアは足を止めて青いチーグルを見下ろす。思えば、ここ暫くミュウはやけに大人しかった。こんな風に話しかけられたのは久しぶりかもしれない。

「ティアさんに秘密のお話ですの」

 ひどく懸命な様子に小首を傾げた時、声を聞きつけたルークが戻ってきて覗き込んだ。

「なんだよ、秘密の話って……」

「ご主人様には秘密ですの!」

「なんだと!」

「ふふ。じゃあ、お話を聞いてあげるわね。ルークは休んでいて」

 微笑ましいやり取りに笑みをこぼして、ティアが取り成す。

「分かったよ! 俺は邪魔者だよ!」

 ルークはむくれて屋敷へ向かって行き、ティアはミュウの前にしゃがんで耳を傾けた。




 久しぶりに戻った自室で、ベッドに腰掛けて、ルークはじっと己の左の手のひらを見詰めていた。

 開く、閉じる。意志通りに動いた。あの時のように透けていたりもしない。だが、これがいつ消え失せてもおかしくないことを、そこに自分の意志は介在し得ないことを、ルークはもう知っている。

 

『細胞同士を繋ぐ音素フォニムが乖離現象を起こし、極端に減っています。そう遠くはない未来、細胞崩壊を起こし、亡くなられる可能性が高い』

 

 ザレッホ火山の地下で、腕に抱いたイオンの体は光の粒になって消えていった。音素乖離。元素の分解による消滅……。温みも重さも見る間に薄れて、存在そのものが消えていった。あの途方もない恐怖が心臓を鷲掴んでくる。

(俺……消えるのか。いつ? いつ消えるんだ……)

 期限は曖昧だった。分かっているのは、『その日』が遠くはないということだけ。

 震える手のひらを握り締めた時、ノックの音が響いて、慌てて手を下ろすとルークは応えを返した。

「は、はい! 入っていいぞ」

 扉が開き、灰褐色の髪を垂らした少女が入って来る。

「ルーク……」

「な、何だティアか。どうした深刻な顔して……」

 明るい笑みを繕うルークの様子には頓着せずに、ティアは数歩踏み込んで訊ねた。

「……あなた、音素フォニムが乖離しているって本当?」

 ルークの顔色が変わる。暫く黙り込み、やがて落ちた声の調子は険しいものに変わっていた。

「誰からそんな話を……」

「ミュウよ。あなたが大佐と話していたことを、私に教えてくれたの」

「あいつか……くそ……」

 眉根を寄せてルークは吐き捨てる。その前にティアが立って真剣な目を向けた。

「症状はどうなの? 治るの?」

 一瞬口をつぐんで、ぽつりとルークは返す。

「もう治らないって……」

「そんな……!」

 青ざめたティアから自分の膝に目を落として、ルークは言った。

「……ティア。これは俺とティアの秘密にしてくれ。他にはジェイドしか知らないんだ」

「みんなにずっと隠しておくつもりなの?」

「言っても言わなくても症状は変わらないんだから、心配かける必要ないよ」

「どうして……どうしてそんなこと……」

 拒絶とも取れる言葉を聞いて、ティアは悲しげに呻きをあげる。

「どうせ死ぬんなら、生きている時間を楽しく過ごしておきたいんだ」

 ルークはそう答えたが、すぐに首を振ると苦く笑った。

「……いや、違うな。怖いんだ」

 己の膝の上に置いた両手を見つめる。

「みんなに言ったら、みんなが俺に気を遣うだろ。そうされる度に、俺死ぬんだって自覚させられそうで……怖いんだ」

「ルーク……震えてるわ……」

「……臆病だろ? 今ですらこうなんだぜ。みんなに知られたら、俺……。ずっと震えて泣いて、だらしなく引きこもると思う。だからせめて……強がってみんなと……」

 笑ったつもりできっと笑えていない、我ながら情けないと思える顔を上げてルークはティアを見る。

「……ばか……」

 落とされたティアの声は深く、それでも掠れて囁きに近かった。

「……ホント。俺って……馬鹿だな……。ティア、心配かけてごめん」

 目を伏せてぎこちなく笑い、ルークは謝罪を口にする。たまらずに背を向けると、ティアは痛む心臓を片手で押さえつけた。

「……分かったわルーク。でもお願い。もう私に隠し事はしないで」

 強張ったティアの背をルークは見つめる。やがて、ふわりと笑みを浮かべた。

「うん……。分かった」



 与えられた一室で、ティアは座り込んで顔を俯けている。窓の外は夜の闇に閉ざされて暗い。

「どうしてこんな事に……」

 声がこぼれた。何度も何度も、壊れた音譜盤フォンディスクのように思考は同じ所を回っている。

 ――どうして。そんな。何故。本当に?

「ティアさん……。辛そうですの……」

 気遣わしげなミュウの声を聞いて、恥じた思いで首を振った。

「ううん。辛いのは私じゃないわ。ルークよ……」

「ティアさんが助かったみたいに、ご主人様は助からないですの?」

「……分からない。だけど……大佐が何も言わないなら……きっと……」

「みゅう……」

 俯くティアの様子を見て、ミュウも長い耳を垂らしている。

「私には何も出来ないの? 助けてあげられないの? 私は……私は……」

「ボクも悲しいですの……。ボクはご主人様が大好きですの……。ボクはご主人様に助けられたですの。だから、ボクが代わりに消えてもいいですの……」

「ミュウ……馬鹿なこと言わないで」

 顔を上げて、ティアは震える声で訴えた。

「みんなで……少しでも長くみんなで一緒にいたいの」

 再び顔を伏せ、顔を苦悶に歪める。「その為の力が欲しい……」と呻いた。

「私は……無力だわ……」

 どんなに強く握り締めていても、手の中は空になっている。

 本当に欲しいと思うものは、どうしていつも容易くすり抜けて行ってしまうのだろう。





 彼女は悲しそうに佇んでいた。歪む表情を隠そうとするかのように背を向けたが、想いは背に表れていた気がする。冷たい表面とは裏腹に、彼女はいつも優しかった。だから胸を痛ませてしまうことは分かっていたのに。

(ミュウの奴、余計なこと言いやがって……)

 あんな顔をさせたくはなかった。

(……ティアには知られたくなかったのに)

 いや。みっともない顔をしていたのは自分の方だ。

 こんな顔を見せたくなかった。馬鹿げた意地であっても、彼女の前では平気な顔をしていたかった。笑って、男らしく堂々として。最後まで。――最後、だから。

(ありがとう、ティア)

 こんな身勝手でみっともないワガママを、それでも彼女は許してくれた。ただ一つ、これ以上隠し事はしないでと願われはしたけれど。

(うん。これ以上ない秘密を知られちまったし、もう隠すことは……)

 ――隠す、ことは。




 光が眩しくてルークは目を覚ました。差し込んだ陽光が模様を描く天井は懐かしく親しみ深いものだ。当然だろう。生まれてからの七年間をここで過ごしていたのだから。

 大きな窓から見える空は今日も晴れていて、既に日は高い。身なりを整えて中庭に出ると、近くの花壇の前に老庭師が座り込んで花の手入れをしていた。

「……ペールは今日も土いじりか」

 笑って声をかけると、「これは、ルーク様」と相好を崩して立ち上がる。

「やっと起きたか。もう昼だぞ」

 ペールと談笑していたガイがからかいの声をかけてきた。

「久しぶりの我が家のベッドは、よっぽど寝心地がよかったみたいだな」

「起こしてくれりゃ良かったのに……」

 少し情けない顔をすると、「ジェイドが寝かせてやれって言ったんだよ」とガイは言う。

「確かに、障気中和なんていう大仕事を果たした後だからな。少し家で骨を休めるのもいいさ」

「ガイラルディア様からお聞きしました。ルーク様、ご立派な働きをなさいましたな」

「い、いや……」

 曖昧にペールに答えて片手で頭を掻いていると、「おはようございます、ルーク様」と頭を下げてメイドたちが通り過ぎていった。障気の出ていた頃とは違い、表情は誰もが明るい。

「……不思議だな」

「どうした?」

「ここって、こんなに綺麗だったんだなって。空も、屋敷も、ペールが育ててくれた花も」

 ルークはゆっくりと辺りを見渡した。

「ここに閉じ込められてた頃は、そんなの全然感じたことってなかった。目を覚まして空が晴れてても、また退屈な一日が始まったって、うんざりしてただけで」

「……そうか」

「今、俺は生きてる。毎日生きていられるって、それだけでスゲェことだったんだな」

 鼓動を確かめるように、ルークは自分の心臓の上を押さえる。ガイが大仰に首をすくめた。

「おいおい、ホントにどうしたんだルーク。生きる喜びを感じてくれるのは嬉しいが、流石にちょっと気味が悪いぞ」

 憮然となったルークの前でひとしきり笑い、ガイは僅かに窺う色を瞳に浮かべる。

「それより、腹減ってないか? 厨房から何かもらってきてやるぞ」

「あのなー。お前、もうウチの使用人じゃないだろ」

「はは、そうだったな。……そういえばお前、ティアとケンカでもしたのか?」

「え?」

「今朝は少し、元気がないみたいだったからな」

「そっか……」

 ティアはきっと、もうすぐ消える自分のために悲しんでくれているのだろう。それを思うと胸が痛んだが、同時に、ここずっと重かった気持ちが今朝になって少しだけ楽になったのは、彼女に話したおかげなのだと気が付けた。

(変だな。誰かと痛みを共有すると、申し訳ないのに、気持ちは楽になるんだな)

「………ルーク」

 ガイが何かを言いかけた時、中庭をせかせかと横切って、執事のラムダスが近付いてきた。

「お坊ちゃま。大変名誉なお知らせでございます」

「は? 何かあったのか?」

 中庭まで彼が降りてくるのは珍しい。驚いて問い返すと、彼は興奮を抑え切れないといった様子でにこにこと笑った。

「ラムダスは鼻がたこうございます。どうぞ詳しいお話は旦那様からお聞き下さい」

「何だろうな?」

 ガイが首を傾げてルークに問う。「さあな……」とルークも首を捻った。




 応接室に入ると、ファブレ夫妻の他に仲間たちの姿が揃っていた。ナタリアまでいる。

「ルーク! 喜べ! お前にランバルディア至宝勲章が与えられることになったぞ」

 厳格な父のいつになく弾んだ声を聞いて、しかしルークはぼんやりとしていた。

「お父様が帰国してお決めになったのです。素晴らしいことですわ!」

 ナタリアは両手をポンと合わせて笑い、ガイも興奮を隠しきれない様子でルークに顔を向ける。

「大変な名誉だぞ!」

「おめでとう、ルーク」

 母のシュザンヌも穏やかに、けれど嬉しそうに祝福の言葉をかけてきたが、ルークは曖昧な顔のまま問い返した。

「……それって、そんなにすげぇのか?」

「……そうか。お前が勲章のことを知ってる訳なかったな」

 たちまち、元・教育係のガイが気まずげな顔になって頭を掻く。

「ランバルディア至宝勲章はこの国で一番栄誉ある勲章です。兄上様はお前の障気中和という偉業に報いる為、この勲章を下さるのですよ」

 シュザンヌが説明してくれたが、ルークはまだ釈然としない顔をしていた。

「喜んでいいと思うわ。国家というものはそういう形でしか人に感謝を表せないものだから」

 ティアは微笑んでいる。公爵が続けた。

「それと、まだ正式に社交界へ出ていないお前だが、特別に陛下が爵位を下さるそうだ。いずれ世界が落ち着いたら盛大なお披露目をせねばならぬな」

「だけど俺はレプリカで……」

 僅かにルークは身を縮めたが、母に優しくたしなめられた。

「またそんなことを……。あなたもファブレ家の一員です」

「もちろん陛下は、もう一人のルークにも爵位を授けて下さるだろう。しかし今回の勲章と爵位はお前の働きによるものだ。胸を張って受け取りなさい」

 父が笑んで言う。こうまで言われては断る道理はないだろう。

「授与式のための正装を用意しなければね。前に採寸したのは……去年の生誕祭の為だったから、もう一年近くも前になるのかしら。今日は忙しくなるわ」

 ウキウキしたシュザンヌの様子を見るにつけ、これからの騒ぎが思いやられる気がしてルークは少しだけ肩を落とした。


 ルークが障気を中和すると、屋敷を警備する白光騎士たちの台詞が変わります。「ルーク様。ここはルーク様のお屋敷です。我々はいつでもルーク様をお守りします」なんて言ったりして。丁度ナタリアの偽姫騒動が解決した際の城の衛兵たちと似たような、ルークを歓迎して、ここはあなたの家だから安心して帰ってきて下さい、と言う感じ。ファブレ家の使用人たちも、ようやく様々な不安から解放され、レプリカルークへの評価と気持ちが定まったということなのでしょう。

 

 ルークの勲章授与のサブイベントは、原作だとこの少し後、ナタリアが実の父と港で対峙してから起こせるようになるものです。条件は、ルークの奥義書イベントの一回目を、ラムダスと会話するところまでこなしていること。

 個人的に、「鼻がたこうございます」と浮かれるラムダスが可愛くて好きです。考えてみると、ラムダスってルークがレプリカだと分かっても態度を崩さなかったし、口うるさかったのも、ルークをちゃんと躾けようとしていたからだったんですよねぇ…。叱るからルークには煙たがられてましたが(苦笑)。

 

「喜んでいいと思うわ。国家というものはそういう形でしか人に感謝を表せないものだから」

 レプリカ編で再会した時、ガイに「キミも相変わらずだね」と苦笑された、ティアの『空気読めないモード』が発動しました。(^_^;)

 前後の文脈からして多分、本人は善意で取り成してるつもりなんだよねコレ…。

 それとも、額面通りの皮肉なのでしょうか。

 勲章授与に『国家権力の傲慢』の臭いを感じ、若さゆえの反発を覚えたってことなのか。あるいは、ルークを殺そうとした(いや、実際に、もう殺したと言える)キムラスカへの憤りを隠した皮肉? それとも単に、感情抜きの理屈を言っただけか? なんにせよ、ルークの両親や身内たち(ナタリアやガイ含む)が大喜びしている前で言うのに相応しくない、冷水を注す発言だと思います。もっと他に言い方あんだろー。

※この件に関しては、複数の方からコメントを頂きました。個人的に最も腑に落ちたのは、ティアはごく単純に「『受け取っておきなさいよ。おじさんが困ってるじゃない』くらいの気持ち」で言ったのでは、という解釈でした。でもそうなら、やはりティアはもう少し物の言い方に気を配るようにした方がいいですよね。(^_^;) 無駄に角が立ちそう。

 ちなみに、勲章に関しては、私はジェイドの意見に賛成。


 叙勲の日はそれから数日の後に定められた。

 シュザンヌがあれこれ思案して用意させたのは、立て襟の燕尾の上衣に肩章と剣帯を着け、スラックスにブーツを履いた、軍服スタイルのクラシカルな礼服だ。白手袋をはめ、ガイに手伝ってもらって、いつもはラフに流している髪も丁寧に撫で付ける。

「窮屈だな」

 襟のホックを気にしながら部屋から出ると、待っていた仲間たちの中から、ほうと息が漏れ落ちた。

「はぅあ! ルーク、王子様みたい」

 いささか大仰に驚きのポーズを取ってみせたアニスに向かい、ガイが笑う。

「ははは。一応王子みたいなもんだからな」

「ほわ〜☆ 一応、王子様だね」

「一応は余計だぞ」

 ルークがむっと唇を尖らせる。

「まあ何気に王族だし」

「それなりに着こなせていますわね」

「確かに珍しく高貴そうに見えないこともないわ」

 ガイ、ナタリア、ティアが笑顔で言葉を続け、ジェイドが声をあげて笑った。

「ははは。皆さん正直者ですねぇ」

「……ふん。だからこんなカッコするの嫌だったんだよ。くそっ」

 子供じみた動作でルークは表情を腐らせる。無論、仲間たちがからかっているだけだということは分かっていたが。切り替えるように息を吐いて、居心地悪げに声を落とした。

「だけど勲章か……。俺、別に世界を救いたいとかそういうんじゃなかったのに……いいのかな」

 今ははっきりと分かる。自分はあの時、世界のために障気を消そうとしたのではなかった。世間に認められたい。その為に、『形』が欲しかっただけなのだ。こころざしは美しいものではなく、気高い訳でもない。くだらない自己満足だった。

「いいじゃないですか。あなたは頑張ったと思いますよ。特に信念でもないのなら受け取っておきなさい。もらって困るものではありませんから」

 ジェイドが諭してくる。ナタリアも頷いた。

「そうですわ。お父様はルークにお詫びをしたいのだと思います」

 そう言って僅かに苦く声音を落とす。

「二度もあなたを見殺しにしようとしたのですから……」

 ナタリアと共に処刑されそうになったことを数えれば、三度だ。どう詫びられようともその事実が消える事はない。ルークがアクゼリュスを落とした罪が決して消えはしないように。

「……うん、分かった」

 だが。だからこそ、償おうとする心を受け容れたいと思うのかもしれない。

「じゃあ、そろそろ城へ行こうぜ。公爵は先に登城しているはずだ」

 ガイが言った。「そうですわね」と表情を明るく切り替えて、ナタリアが提案をする。

「ですが、その前に叔母様にもルークの礼服姿を見せてさしあげませんこと? 今日の式典には叔母様も出席するご予定ですが、楽しみにされていましたもの」

「そうね。きっと喜ばれると思うわ」

「い、いいよそんなの」

「ほらほら、恥ずかしがらないっ」

 アニスに背を押されて、ルークは両親の居室へ向かうことになった。



 ノックして部屋に入ると、シュザンヌは椅子から立ち上がった。

「まあ……! よく似合っているわ」

「あ、ありがとうございます……」

 どぎまぎと返した息子をシュザンヌは惚れ惚れと眺めていたが、ふと表情を曇らせる。

「ルーク、体は大丈夫なの?」

「母上……」

 内心ギクリとしたルークを見て、シュザンヌは少しばつが悪そうに笑みを浮かべた。

「ごめんなさい。少し疲れているように見えたものだから……」

「俺は……大丈夫だよ。元気だから」

「そうね。あなたは昔からやんちゃで、とても元気な子でした」

 懐かしそうに微笑んで、シュザンヌは細い手でルークの頬に触れる。

「屋敷に閉じ込められていた頃より、あなたは一回りも二回りも成長しましたね。剣の稽古も私は乗り気ではありませんでした。でも、あなた剣を振っている時は活き活きとしていましたわ。今も沢山のお友達と世界中を巡って成長しているのですね」

 その目の中に寂しさが見えた気がして、ルークは胸を突かれた。母は自分のように軟禁されていた訳ではないが、病弱で、屋敷はおろか自室から出られない日も少なくない。

「母上、俺は……」

「いいのですよ。親は子供の成長が何よりも楽しみなんですから」

 微笑んで、シュザンヌはルークの友人たちに視線を移した。

「皆さん、ルークがご迷惑をお掛けして申し訳ありません。これからも末永くお付き合い下さいね」

 それぞれに胸を打たれた様子で、仲間たちは頷いたり笑みを返したりしながらも黙り込んでいる。ティアはそっと目を伏せた。


 シュザンヌがルークに「体は大丈夫なの?」と訊ねるエピソードは、ファブレ邸の両親の寝室で起こせる最終タウンイベントから。

 このイベントは無理をすれば障気中和前に起こすことが可能なので、実際関係はないのでしょうが、障気中和後に見ると、シュザンヌがルークの顔を見るなり「体は大丈夫なの」と訊ねたり、「末永くお付き合い下さい」と頼まれた仲間たち全員が黙り込んじゃう辺りが、なんだか重いものに見えてしまいます。

 優しくて、ちょっと寂しがりのお母さん。それでも息子の成長を喜んでいるのに、もうすぐルークはいなくなっちゃうんだなぁと。

 息子が十七で死ぬという預言を知って、ずーっと抱え込んでいたお父さんと、結果的にはどっちが辛いのでしょうか。


「ただ今より、ファブレ公爵家長子ルークへのランバルディア至宝勲章、並びに爵位の授与を執り行う」

 バチカル城の大ホールに、アルバイン内務大臣の声が朗々と響く。

 赤い絨毯が真っ直ぐに敷かれた左右には大勢の人々が立ち並んでいた。キムラスカの貴族たち、重臣たち。その中にはルークの両親はもとより、友人たち、執事のラムダスさえいる。彼らの見守る中、礼服に身を包んだルークは赤い道を踏んで王とナタリアの座る壇に近付いた。

 インゴベルト王が玉座から立ち、壇を降りて自らルークの胸に勲章を着けると握手を求める。

「ルーク。よい働きをしてくれたな」

「い、いえ……」

 王が玉座に戻ると、アルバインが周知の声を響かせた。

「王国はルーク・フォン・ファブレを子爵に叙するものである」

「おめでとう、ルーク。いや、これからはファブレ子爵かな」

 インゴベルトが笑って言った。その隣の席から、ナタリアも微笑む。

「ふふ。おめでとう、ファブレ子爵」

「ありがとうございます」

「そちが命を懸けてくれたからこそ障気は中和できた。感謝するぞ。そちは我が国の英雄だ」

「……いえ、俺は英雄なんかじゃありません」

 反射的に、けれど心の底からの気持ちでルークはそう言ったのだが、王は「謙遜するな」と笑うに済ませた。

「ルークよ、本当にありがとう。わしは今日という日のことを一生忘れまいぞ」




 夜も更けて屋敷に戻ると、玄関ホールの薄闇の中に赤い色が見えた。ホールの中央の、周囲に水を張った飾りの柱。その前に佇んで、ファブレ公爵が柱に飾られた剣を見上げている。

「父上! その剣は……」

 思わず大きな声をかけると、公爵は静かに振り向いた。

「ルーク。……それに、ガイもいたか。怨んでいるだろうな。父親の形見の品が仇の家で飾られているなど」

 その剣は、本来はガイの家に伝えられていたものだ。ファブレ公爵がそれを滅ぼした際、戦勝品として持ち帰ってきた。

「怨んでいないと言えば嘘になります。でも、私はルークに教えられましたから。いつまでも過去に囚われているだけでは駄目なのだと」

 ルークの傍らから、落ち着いてガイは返す。「ルークが?」と瞠目した公爵に向かい、「ええ」と頷いた。

「ルークは自分が失ったと思っていた過去の記憶を指してこう言ったのです。『昔のことばかり見ていても前に進めない』。過去に囚われていた俺には、正直、不愉快な言葉でした」

「それが何故……」

 小さくガイは笑う。

「その時思ったんですよ。賭けをしてみようと。最も憎むべき仇の息子が、自分の忠誠心を刺激するような人間に成長したら、その時は復讐する気持ちも失われてしまうんじゃないかって」

「そうか。思い出したぞ。ルークが誘拐から無事戻ってきて暫くしてからだったか、剣を捧げるに値する大人になれるかガイと賭けをしたと言っていた」

「ええ。そしてルークは賭けに勝ってくれました」

 はっきりと言ったガイを見て、公爵は確かめた。

「すると、お前はルークがそれだけの価値のある人間に成長したと思っているのか」

「そうあろうと努力している……と思います」

 ガイはルークに目を向ける。

「それだけで、俺には充分だ。ルークは変わろうとした。それなら……」

「お前も変われる、か」

 公爵は言った。何かを噛み締めるように目を伏せ、やがて上げたそれを真っ直ぐに向ける。

「ならば、この剣を取れ。そしてルークに永遠の忠誠を……いや、友情を誓ってやってくれまいか」

「父上!?」

 驚くルークの前で、公爵は言葉を続けた。

「この子には父親がいない。――レプリカだからではないぞ」

 チラリと息子に目を向けて釘を刺してから、自嘲じみた声を落とす。

「……父親である私が、預言スコアのもと、息子を殺そうとしていたのだからな。父とは呼べまい」

「アクゼリュスと共にルークが死ぬと詠まれていた、あの預言ですね」

「私はずっと息子から逃げていた。いつか死ぬ息子を愛するのは無意味だと思っていたのだな」

 そう述懐し、公爵はガイを見つめた。

「そんな私に比べて、お前はよくルークの面倒を見てくれた。

 お前はルークにとって兄であり父であり、かけがえのない友であろう」

 この七年間、ルークへのガイの心中が単純に柔らかいものばかりではなかったことは、今は公爵も承知している。しかし、ガイは確かにルークを育てた。多少の波風はあったとしても、ルークから逃げ出さず、導き、支えて、今も共に歩んでいる。公爵が発したのはその全てへの感謝であり、称賛であり、また、間違いなく親心からの――子供を想う願いの言葉だった。

「……分かりました」

 ガイはルークの前に立つと、騎士のようにサッと跪く。

「おい! 俺は忠誠の儀式とかそんなのしないぞ。俺とガイは今まで通りでいいじゃん」

 ルークは慌ててそれを押し止めると、父を見上げた。

「それより父上、その剣はガイに返して下さい。これはガイの父上のものなんでしょう?」

「うむ、そのつもりだ。ガイ、その剣は主の元へ返そう」

 頷き、最後に公爵はこう言った。

「……すまなかった」

 驚いて立ち上がり、歩き去って行く公爵をガイは見送る。

「……公爵……」

「よかったわね、ガイ。お父様の形見が戻ってきて」

 黙って成り行きを見守っていたティアが言った。

「ああ。それに公爵が実は慈悲の心を持っていることも分かったしな」

 復讐心に囚われていたガイにとって、長い間、公爵は悪鬼も同然に思える存在でしかなかった。

 だが、それだけではないのだろう。人はみなそれぞれの思いを抱き、苦しみも愛情も併せ持っている。

「ルークの物覚えが悪いことも分かったね〜」

 空気を変えるように、アニスが茶化した声を落とした。

「う……仕方ないだろ。そんな重要な賭けだと思わなかった……っていうか、未だに思い出せないんだけどさ……」

「友達がいのない奴め」

 ガイが笑って言ってやると、ルークは申し訳なさそうに首を垂らす。

「……ごめん」

 仲間たちの間から笑いがこぼれた。ガイも肩を揺らして笑う。その表情は明るく晴れていた。


 ゲーム序盤から続いていた『宝刀ガルディオス』イベントはこれにて終了。ガイが「宝刀ガルディオス」を装備できるようになります。

 原作では、ガイとルークと公爵以外でこの場にいるのはアニスとナタリアなんですが、このノベライズではナタリアが同席するシチュエーションを作るのが難しかったので、ティアに役を交代してもらいました。

 本当は、ガイとルークの幼なじみでキムラスカ王族でもあるナタリアが、このイベントシリーズでは(ガイの心境を慮る役で)喋ってきたのですが。

 

 個人的に面白いと思うのが、ガイが「ルークが立派な人間になる=復讐をやめる」ことを「賭けに勝つ」と言っていることです。つまり、この賭けを始めた時点で、ガイの心は殆ど「復讐をやめたい」という方向に傾いていたのだということになりますね。

 まだルークの髪が長かった頃、柱に飾られた剣が懐かしいと言うペールにルークが疑問を抱くと、ガイは笑って「俺が賭けに負けたら話してやるよ」と言います。この時点ではまだガイは迷っていて、賭けに負けたら――自分がルークを見限って殺すことになったら、その場で復讐について明かす、というつもりでこう言っていたのでしょう。それを思うと怖いシーンです。

 でも、復讐を果たすことを「賭けに負ける」と表現していたガイですから、結局のところ、ルークを見限る事は出来なかったのかも。現実にそうなっていることですし。

 ルークがアクゼリュスを落として醜く責任逃れをした時、ガイは「幻滅させないでくれ」と言いましたが、世界で一番ルークに期待していたのがガイであり、だからこその言葉だったのかもしれません。

 

 にしても公爵が「この子には父親がいない」と言った後、続けて「レプリカだからではないぞ」とルークに言ってるのが少し可笑しかったです。ルークの気にしやすい・落ち込みやすい性格を把握して、とーちゃん気を遣ってる(笑)。


 異変が起きたのは翌日の朝食の席でのことだった。食事が終わりに近付いた頃、白光騎士の一人が駆けて来て、食卓の前で止まると敬礼して告げた。

「公爵! 大変です! 城に新生ローレライ教団の使者を名乗る者が参りました!」

「……いよいよ来たか」

 席を立つと、公爵はルークに目を向ける。

「ルーク、私は登城する。お前もすぐに来なさい」

 大股に公爵が出て行った後、ガイが席で腕を組んで険しい顔をした。

「宣戦布告……ってことになるのか」

「そうだな。とにかく俺たちも城へ行こう」

 ルークも立ち上がる。仲間たちを促した。




 バチカル城の謁見の間には、既に国王とナタリア、重臣たちが揃っている。彼らと対峙している大きな黒い背中を見て、ルークは驚きの声をあげた。

「ラルゴ!? 使者ってお前だったのか……」

 ラルゴはジロリとルーク見たが、振り向くことはせずに玉座へ質疑の声を投げる。

「新生ローレライ教団の使者として参った。導師モースへの返答はいかに?」

 堂々と返したのはアルバイン内務大臣だ。

「我がキムラスカ・ランバルディア王国は預言スコアを廃することで合意した。よって新生ローレライ教団の申し入れはお断りする」

「それは即ち新生ローレライ教団に対する宣戦布告と取って宜しいのか?」

「我々に戦う意志はない」

 玉座から揺ぎ無くインゴベルト王は答えた。

「しかし我が国の領土と民が侵されるのであれば、直ちに報復行動に出ると心得られよ」

 ラルゴはルークに顔を向ける。

「……分かったか、ローレライの力を継ぐ坊主。お前がレムの塔でレプリカを消したことで、新たな戦いが始まろうとしている。預言とは恐ろしいものだ」

 ルークがその言葉に動揺する前に、奥から強い声が飛んだ。

「それは詭弁だ。第一、我が息子は二人とも生きている」

「……父上……」

 ルークは父を見る。

「どうかな。お前たちも知っているだろう。第七譜石には滅亡の預言が詠まれていることを」

 ラルゴは揺さぶりの言葉を続けたが、ルークの心は最早ぐらつくことはなかった。

「俺たちは生き残る未来を選び取ってみせる。世界を滅ぼさせたりしない」

「それはこちらとて同じだ」

 ふてぶてしいラルゴの答えを聞いて、我慢ならないといった風にナタリアが席から立ち上がる。

「同じではありませんわ! あなたは預言に固執するモースに味方しているではありませんか! それはあなた方の理屈で言えば、滅亡に向かって歩いているのではないのですか!」

 ラルゴはナタリアを一瞥したが、反論も弁明もしなかった。

「私にとって剣を捧げた主はただ一人。それを忘れるな」

 ただそう言い、背を向けると、悠々とルークたちの間を通って立ち去っていく。

「ヴァンか……」

 ガイが苦い顔で呟き、ティアも同じ表情で声を落とした。

「兄さんはどこかで力を蓄えているのね。でも一体どこに……」

 ラルゴの姿が完全に見えなくなると、インゴベルト王は玉座から立って決意の声を出した。

「もはや新生ローレライ教団との戦いは避けることが出来まい」

 杖をついて退出を始めたが、ルークの前で足を止める。

「後ほどナタリアと共にわしの部屋へ来てくれ」

 潜めぬ声でそう言うと、スッと強い視線を彼方へ向けた。

「今こそ心を強く持ち、真実を告げる時だと思う」

「陛下……」

「お父様?」

 席についたまま、ナタリアは不思議そうにしている。

 王の退出に伴って、場は散会した。




 さして間を置かずにインゴベルトの私室に入る。深刻な顔の父に向かい、ナタリアが訊ねた。

「お父様、どうしましたの」

「お前に話があるのだ。お前の実の……両親のことでな」

 一瞬黙り込んで、ナタリアは記憶を探る仕草を見せる。

「……確かわたくしの本当の母は、ばあやの娘なのでしたわね」

「そう、シルヴィアだ。しかし父親のことは知るまい?」

「ええ。詳しい話を聞く前に、ばあやは城を出て行ってしまいましたもの」

「お前の父はバダックという名の傭兵だったようだ」

「……傭兵……」

 確かめるように呟いて、ナタリアは素っ気なさを装うようにした。

「そうですの。でも何故今になって……」

「バダックの行方が判明したのだ」

「生きていらっしゃいますの?」

 思わず声を高くした娘に向かい、インゴベルトは真剣な声を重ねる。

「そうだ。ナタリア、気を強く持って聞いて欲しい。この事態だからこそ、お前には父のことを話さねばならぬと思ったのだ」

「……な、なんですの?」

「バダックは今、新生ローレライ教団にいる」

 ナタリアの顔色が変わった。

「そんな!? 何故!? 何かの間違いでは!?」

「……いや間違いない。ルークが調べてくれた」

 娘のやや後ろに立って見守るようにしている甥を視界に入れ、インゴベルトは苦しそうにそれを明かす。

「現在では黒獅子ラルゴと名乗っている」

「う……嘘……」

 表情を強張らせて、ナタリアはゆっくりと頭を左右に振った。

「ナタリア……」

 ルークの気遣わしげな呼びかけに体を向け、必死な顔で問い質す。

「ルーク! 何かの間違いでしょう!? そうですわよね!?」

「ナタリア……。本当なんだ……。本人にも確認した」

 ぐっと胸で両手を握り締めると、ナタリアは顔を伏せた。だがそれは僅かな間で、すぐに仲間たちを押し退ける勢いで扉へ向かう。

「ナタリア!! どこへ行くの!」

「ラルゴを問い詰めますわ。急げば追いつけるはず。わたくしは……認めません!」

 呼び止めたティアに叫ぶようにして答え、飛び出して行った。扉が激しく閉じる音が響く。数瞬呆気に取られて、ルークは我に返ると仲間たちを見渡した。

「追いかけよう! ナタリアが何をしでかすか分からない」

「ラルゴを追いかけたとなると、港か?」

 眉を曇らせてガイが確認する。穏やかな顔でジェイドが頷いた。

「ええ。砂漠は越えて来ないでしょう」

「港ですの! 急ぐですの!」

「そうね。ナタリア、早まらないで」

 ミュウは気負った様子で騒ぎ、ティアは心配を顔に浮かべる。「ナタリアを頼む」と言うインゴベルトに見送られて、ルークたちは慌ただしく部屋を退出した。

「ナタリアの奴、無茶しなけりゃいいんだけど……」

 城の廊下を抜け、昇降機で中心街まで降りる。途中で追いつく事はなかった。ルークの顔も心配で曇ったが、アニスは笑ってみせる。

「ナタリアが無茶でも、ラルゴはあれで案外思慮深いから、大丈夫だと思う」

 港行きの天空客車に飛び乗り、港に飛び出して走っていくと、海を背にして対峙するナタリアとラルゴの姿が見えた。

「ナタリア!」

 ラルゴは悠々と立ち、ナタリアはそんな彼に張り詰めた様子で弓につがえた矢を向けている。

「お仲間が来たようだぞ、姫」

 素気無くラルゴがそう言っても、ナタリアは厳しい目のまま構えを解かなかった。

「……お前は……! ……お前は……何故、六神将に入ったのです」

「そんなことを俺に聞いてどうする」

「答えなさい! バダック!!」

 ナタリアの口からその名を聞いて、ラルゴは黙り込んだ。暫く間を置いた後で静かに語りだす。

「……昔、妻は……シルヴィアは、ここから見る夕日が好きだった」

 構えていた弓矢を下ろし、ナタリアは揺れる瞳でラルゴを見上げた。

「あの日、俺は砂漠越えのキャラバン隊の護衛を終えて帰宅したところだった」

 言って、ラルゴは海に目を向ける。遠い記憶に思いを馳せるように。

「家に帰ると、シルヴィアも、数日前に生まれたばかりの赤ん坊もいない。いやな予感ってのは……本当にあるんだなぁ。家ン中に夕日が射し込んで、そりゃあ赤くてな。

 俺は必死になって街中を探したよ。……だがシルヴィアは見つからなかった」

「……シルヴィアさんはどうしましたの?」

「数日後、この港に浮かんでるのを発見された」

 ナタリアは肩を震わせた。

「シルヴィアは生まれたばかりの赤ん坊を奪われ、錯乱して自害したのだ」

「……そんな……」

 やや後方で立ち止まっていたルークが呟く。ラルゴの言葉は続いた。

「シルヴィアは体が弱かった。だが預言士スコアラーが二人の間に必ず子供が生まれる、いや、生まねばならぬと言ってな。それがこの結果を導くためだったと知って、俺はバチカルを捨てた。そして各地を放浪している時に、ヴァン総長に拾われたのだ。

 ヴァンは俺にこう言った。『預言スコアは星の記憶だ』と。

 星は消滅するまでのあらゆる記憶を内包していて、全ての命は定められた記憶通りに動いている。預言はその一端を人の言葉に訳しているだけなのだと」

 ラルゴは全身で振り向くと吐き捨てた。

「ならば、シルヴィアのむごい死も定められていたと? 俺は預言を――いや、星の記憶を憎んだよ」

 揺らぎかけた瞳を上げて、それでもナタリアは視線を強く定める。

「……確かにむごい話ですわ。でも預言は、絶対ではない筈です。

 あれは未来の選択肢の一つに過ぎないのではありませんか?」

 だが、ラルゴとて揺らぐことはなかった。

「しかしそうして選んだ道も、選ばなかった道も、結局は同じ場所に辿り着くように出来ているのなら、そこに人の意志が働く意味はあるのか?」

「結末は……同じ……?」

 呟いたルークに、ラルゴは答える。

「そうだ。お前たちが預言を禁じようとも、この星は自ら未来の記憶を保持し、その通りに進んでいる。ヴァンが目指す預言の消滅とは即ちローレライ――星の記憶そのものを消し去ること。あらゆる命が自由な未来を生み出す権利を得ることなのだ」

 一度目を伏せると、ラルゴは彼方に視線を向けた。

「俺はその理想を信じ、ヴァンと共に行動することに決めた。――忘れるな。お前たちのやり方は手ぬるいのだよ」

 背を向けて船着場の方へ歩き出したラルゴを、咄嗟にナタリアは呼び止める。

「お待ちなさい! あなたは……わたくしの……」

「ナタリア姫。私の最愛の娘はもうこの世にはいないのだ。十八年前に奪われてな」

 振り向かずに大きな背は去って行き、立ち竦んだようにしてナタリアはそれを見送っていた。

 後方に固まっていた仲間たちの中で、ガイが動揺を滲ませた声を落としている。

「今の話が本当なら、星の記憶がある限り、俺たちの選ぶ未来はどれもたった一つの結末にしか辿り着かないってのか……」

「だから兄さんは被験者オリジナルを消そうとしている? 星の記憶を持たない、新しい『レプリカ』という人類に未来を託すために……」

 やはりうろたえた様子で言ったティアを見上げて、アニスが強く抗議の声をあげた。

「……だとしても! だとしても結局被験者オリジナルは消滅するんだよ? 総長の計画じゃ、この世界の人は救われない!」

「まあまあ、落ち着いて下さい。今一番混乱しているのは彼女のはずですよ」

 ジェイドが取り成し、その視線を追って仲間たちはナタリアを見やる。傍に歩み寄っていたルークが静かに声をかけていた。

「ナタリア……一度城に帰ろうぜ。陛下が心配してるよ」

 潮風がナタリアの金色の髪を揺らしている。頷いて、彼女は海に背を向けると歩き始めた。




 インゴベルトの私室に戻ると、王は変わらぬ様子で待っていてくれた。

「お父様……」

 その姿を認めるなり、ナタリアの声が震える。

「ナタリア! 心配したぞ!」

「お父様……わたくし……」

「辛かったであろう? だがもういいのだ。もうこれ以上、新生ローレライ教団との戦いにおいて、最前線に立つ必要はない」

 表情を崩しかけていたナタリアは、驚いたように目を上げた。

「お父様! 何故です!」

「お前は預言スコアの処置について会議を執り行うため、使者として旅立った。もう使命は済んだはず。何故血を分けた親子が戦う必要があるのだ?」

 優しい声を聞いて、しかしナタリアは顔を引き締める。

「血を分けた……親子だからこそ、越えねばならぬこともあると思います」

「ナタリア!」

 インゴベルトが眉を曇らせて呼びかけると、たちまちナタリアの声は不安げにさまよった。

「いえ……本当は分からないのです。お父様の言う通り、戦わない方がいいのかもしれません。ですが……みんなもラルゴがわたくしの父親だと知っています。戦いづらいのは同じでしょう」

 両手を胸で握って、苦しそうに目を伏せる。

「……わたくしには……どうしたらいいのか……」

 後ろから見守っていたティアが、気遣わしげに声をかけた。

「ナタリア。急いで結論を出さなくてもいいと思うわ。新生ローレライ教団が戦いの準備をするのにも時間がかかるのよ」

「ああ。今、アッシュがヴァン師匠せんせいの潜伏場所を探している筈だ。俺たちにもプラネットストームの停止作業がある。その間にナタリアは結論を出せばいい」

 ルークも言い、ガイが優しく訊ねる。

「残ってもいい、付いてきて考えるのでもいい。どうする?」

 ナタリアは仲間たちに体を向けた。

「……わたくし、付いて行きますわ。そこで考えさせて下さい」

 その声はまだ揺れてはいたが、存外に確かだった。

「……分かった。ナタリア、くれぐれも気をつけるのだぞ」

 インゴベルトは静かに承諾の声を落とす。暫く娘を見つめると言った。

「……ナタリア。実の父のこと、気になるか?」

「お父様……。わたくしは……わたくしの父親はお父様だけですわ」

「よいのだ。お前の気持ちは十二分に分かっているつもりだ。しかし、もしもラルゴの……バダックの事が気になるのであれば、ケセドニアにいる乳母から話を聞くがいい」

「お父様……。ありがとうございます」

 様々な感謝を込めて、ナタリアはそう言うと頷いた。


 ラルゴとナタリアの港での対峙が終わると、サブイベントを幾つか起こせるようになります。

 インゴベルトの私室でのイベントが終わってから、引き返してインゴベルトに話しかけると、ケセドニアで乳母に会って話を聞くように勧められます。ケセドニアのアスター邸に行くと、乳母からラルゴの過去について教えてもらえます。

 このイベントは発生可能期間が短くて、次のアブソーブゲートイベントクリア前までにしか起こせません。このイベントを起こしておくと、アブソーブゲートをクリアして帰る時、ゲートの出口でナタリアが祈るエピソードが挿入されます。

 ベルケンドの第一音機関研究所の、ユリアシティから出向した研究員のいる部屋に行くと、『医者ジェイド』のイベントが起こります。アッシュの失敗で謎の薬を仲間たちが吸い込んでしまい、ジェイドが医師に扮して人体実験を行うというコミカルなエピソードです。クリアするとジェイドの衣装変化称号がもらえる他、専用のフェイスチャットも発生します。

ジェイド「どうかしましたか?」
研究員「これはバルフォア博士! 丁度いいところに!」
#ユリアシティの研究員、戸口に立つジェイドの側に歩み寄ってくる
研究員「今薬品の整理をしていたのですが 薬品の名前を書いた札をなくしてしまって……」
#扉が突然開き、アッシュが入ってくる
アッシュ「おい。調べてもらいたいことが……」
#「!」となるアッシュ。研究員とぶつかる
研究員「うわっ!?」
#尻餅をつく研究員。薬品がこぼれて煙が発生し、辺りが真っ白に
ルーク「うわっ!? なんだ?」
ジェイド「今の煙は……」
#一人、腕で口元を押さえているジェイド。研究員は立ち上がってぐるぐる全員を見回す
研究員「吸いましたね! 吸っちゃいましたね! 大変です!」
ルーク「大変って……」
アッシュ「何が大変なんだ! 今の煙は何だ!?」
研究員「片方がフォニミンの粉末だったことはわかるんですが、もう一つの薬品が何だったのかわかりません!」
#全員「!」となる
研究員「わからないと言うことは、今の煙が有害か無害かもわかりません!」
アニス「ちょっと! どーゆーこと!?」
ナタリア「……気のせいでしょうか。何だか胸が苦しくなってきましたわ」
ティア「……。脈が速くなっている。異変があることは確かね」
ガイ「……シャレにならないな」
研究員「す、すいません! まさか扉が開くとは思わなくて……」
アッシュ「俺のせいだというのか!」
ルーク「誰のせいでもいいよ! ジェイド、どうしよう」
ジェイド「どうしようといわれても……。薬品が何だったのか特定しないと どうしようもないですね」
研究員「薬品は全部揮発してしまいました!」
ジェイド「では医者に症状を診てもらいましょう。ここには確かシュウがいましたね」
研究員「は、はい!! 自分はこのことをみんなに知らせてきます」
#研究員、部屋を飛び出していく
ティア「彼を行かせてよかったのですか?」
ジェイド「感染性のものではなさそうですし 平気でしょう。それより、薬品が何だったのか特定しないといけません。最悪の場合、この研究施設の全員が死んでしまうかもしれません」
ガイ「とにかくシュウのところへ急ごう」

#医務室に駆け込むルークたち
アッシュ「おい! 医者がいないぞ!」
ルーク「何だよ、シュウさん こんな時にどこ行ったんだよ!」
アニス「なんか体がだるい……」
#アニス、頭を抱えて身悶える
ガイ「吐き気がしてきた……」
#ガイ、片手で頭を押さえる
ナタリア「それにめまいも……」
#ナタリア、両手を組んで口元に当てる
ジェイド「困りましたねぇ。私はほとんど煙を吸いませんでしたから……」
アッシュ「おい、メガネ! あんたなら医者の代わりに何とかできるんじゃないか?」
ジェイド「私がですか?」
アッシュ「ディストに聞いたことがある。あんた、医者の勉強をしていたらしいな」
ジェイド「はあ……。まあ、一応は。もっぱら死体専門ですが」
ルーク「何でもいいよ! 監察医だって医者だろ。何とかしてくれよ!」
ジェイド「――わかりました。ではどなたか実験台になっていただきましょう。誰が協力して下さいますか?」

 ここで、ルーク、ティア、アニス、ガイ、ナタリア、アッシュのうち、誰か一人を選ぶことが出来ます。しかし内容に大差はありません。ここではルークを選択した場合を紹介しておきます。

ルーク「俺がやる」
ジェイド「あなたの場合は……まあ、いいですか。せっかく立候補して下さったんですし では診察させてもらいましょうか」

#医務室の診察台に横たわっているルーク。傍に立つ白衣のジェイドと、隣に研究員。遠巻きに仲間たちが囲んでいる
ジェイド「ざっと調べてみたところ 目立った異変がないようでしたので 血液検査と音素フォニム検査 それに超音波検査を行いました」
研究員「そ、それで?」
ジェイド「そうですね。フォニミンと混ざってしまった薬品が何かは おおむね見当がつきました。試験的に解毒薬を調合してみましたが 試してくれますか?」
ルーク「……本当に実験台だなぁ」
#ルーク、薬を飲む。暫く沈黙してから「!」となって震えだし、汗マークを出してぐったりしてしまう。「!」となる仲間たち
研究員「た、大変です、脈がありません!!」
アッシュ「おい! メガネ!?」
ジェイド「……しまった。薬の量が多すぎましたか。尊い犠牲でしたが、とても参考になりました」
#再び「!」となる仲間たち
ティア「……大佐っ! あんまりですっ!」
ジェイド「ですが、これで解毒のための適正量が分かりましたよ」
ティア「そんな言い方……」
#跳ね起きて床に降り立つルーク
ルーク「うわ―――っ!?」
#「!」とぎょっとする仲間たち

 以下は、全キャラ共通になります。

ジェイド「少々強い薬でしたので 投薬量が多いと音素の拒絶反応で仮死状態になるんです。……と、説明する前に薬を飲まれてしまいましたので。はっはっはっ」
#全員憮然
研究員「バルフォア博士の解毒薬のおかげで犠牲者を出さずにすみました」
ジェイド「フォニミンと混ざった薬品はアトミックエーテル酸だと思います。それで血中酸素を分解する煙が発生したのでしょう」
研究員「ありがとうございました。ご迷惑をおかけしました。しかしさすが博士ですね。医師としても優秀でいらっしゃる」
ジェイド「いえいえ。生きた人間に投薬する機会はあまりありませんから なかなか楽しかったですよ」
#全員「!」となる
アッシュ「……おまえたちに関わるとろくなことはないな」
#身を翻して歩き始めるアッシュ
ルーク「おい、アッシュ! どこへ行くんだよ。用事があったんだろ?」
アッシュ「おまえたちがいると手際よく物事が運ばないからな。……出直す」
#アッシュ、医務室から立ち去る
 ジェイドは『ドクトルマンボ』の称号を手に入れました
#シュウ医師が医務室に戻ってくる。部屋に揃っているルークたちを見て「?」と不思議そうにした

 ちなみに、誰を実験台に選択しても内容に大差はないのですが、どのキャラを選ぶかでアッシュの立ち位置が違っていたりします。ルークかティアを選ぶと医務室の奥側に立っているのですが、その他のキャラの時は出入口側に立っています。何の意味があるのかは不明です(笑)。あと、ナタリアかアッシュを選んだ場合は、製作が間に合わなかったのか、キャラ専用のフェイスチャットがありません。完全版が出たら以下略。

 このイベントは、アッシュとの最終決戦前までにしか起こせません。なお、グランコクマでのアッシュとの決別後に起こすと気持ち的に締まらない感じなので、早めに起こしておくことをお勧めします(苦笑)。

 

 アッシュの「俺のせいだというのか!」という声にルークが「誰のせいでもいいよ!」と返して既に対処の方に気を向けているのは、アクゼリュス崩落後の場面を思い返すと、何か感じるものがあります。

 それはそうと、ルークが「死体専門の医者=監察医」という、日常生活ではあまり使わなさそうな単語を普通に知っているのは目を引きます。やはり、何もかも知らないという訳ではなく、知識にムラがあるだけなんですね。



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