国境の砦カイツール。検問所を挟んでマルクト軍とキムラスカ軍が駐留している国境地帯だ。小規模ながら宿泊施設や売店も存在するため、『カイツールの街』という呼ばれ方をすることもある。

「この辺りが国境か……」

 ルークたちが足を踏み入れたのはマルクト側の入口だった。マルクトの軍服を着たジェイドがいるからなのか、まるで咎め立てされることはなかったが、それでも張り詰めた気配がピリピリと肌を刺してくる感じがする。

「流石に、空気が緊張しているような気がするわ」

「この辺りには、豊富な資源を誇るアクゼリュス鉱山があります。両軍にとって重要拠点なんですよ」

 そう説明したジェイドに、ガイが顔を向けた。

「それでも以前は貴族の別荘地だったよな」

「そのようですね。海岸線の美しさでは定評がありますから」

「流石にこの緊張状態では……」

 普段から硬い表情を更に強張らせて、ティアは言葉を飲み込む。ガイが後を継いだ。

「廃棄されてるよ。こんなとこに遊びに来る馬鹿はそうそういない。俺たち以外にはな」

「……俺だって来たくて来た訳じゃねぇぞ!」

 自分が馬鹿にされたような気がして、ルークはムッと唇を尖らせた。

 バチカルへ帰るには、国境を通ってキムラスカ側へ出ねばならない。検問所に近付くと、誰かが兵士と押し問答している場面に出くわした。黒髪をツインテールにした小柄な少女だ。背には不気味可愛いヌイグルミを背負っている。

「あれ、アニスじゃねぇか?」

 ルークは目をしばたたかせた。

「証明書も旅券もなくしちゃったんですぅ。通して下さい。お願いしますぅ」

「残念ですが、お通しできません」

 眉尻を下げた哀れっぽい訴えにも、兵士は全く動じる様子がない。アニスは「……ふみゅぅ〜」と可愛らしく嘆きながらそこを離れて、

……月夜ばかりと思うなよ

 ぼそっと、ドスをきかせて呟いた。

「アニス。ルークに聞こえちゃいますよ」

 イオンの呼びかけに、少女は「ん?」とふてぶてしい視線を上げる。眼前に並んだルークたちに気付いた途端、劇的に声色と表情が変わった。

「きゃわ〜んv アニスの王子様ぁv

 両手を口元に当てて可愛らしく身をくねらすと、駆け寄って全身でルークに抱きつく。勢いでくるくる回ってしまったほどだ。

「……女ってこえー」

 少しばかり青ざめて、ガイが首をすくめた。

「ルーク様v ご無事で何よりでした〜! もう心配してました〜!」

「こっちも心配してたぜ。魔物と戦ってタルタロスから墜落したって?」

「そうなんです……。アニス、ちょっと怖かった……。……てへへ」

 これ以上ないというくらいに媚を振りまいて、アニスは可愛らしく笑う。後ろからイオンが割り込んだ。

「そうですよね。『ヤローてめーぶっ殺す!』って、悲鳴あげてましたものね」

「イオン様は黙ってて下さい!」

 一瞬青筋を浮かべて振り返り、すぐにまた愛らしさ全開でルークに向き直る。

「ちゃんと親書だけは守りました。ルーク様v 誉めてv

「ん、ああ、偉いな」

「きゃわんv

 アニスは大げさに身を震わせる。

「大変でしたね。アニス」

「無事で何よりです」

 イオンとジェイドに声を掛けられると、今度はジェイドに上目遣いで媚を撒いた。

「はわーv 大佐も私のこと心配してくれたんですか?」

「ええ。親書がなくては話になりませんから。もう少しで心配するところでしたよ」

「ぶー。大佐って意地悪ですぅ……。最初から心配して下さい」

 目を伏せて、ぶーとむくれてみせる。

「アニス、無事で何よりだわ」

 ティアも笑い掛けたが、それには応えずに再びルークにしがみついた。

「ルーク様ぁv 私一人で寂しかったです〜v

「お、おぅ。合流できてよかったな」

「これで後はバチカルを目指すだけね」

「そうですね。六神将に襲撃されずに行けるといいのですが……」

 ティアとジェイドがそんな会話をしている間も、ガイはじっとアニスに注目し続けている。その視線に気付いたアニスが面白そうに目を輝かせた。

「なになに? お兄さんってば、私に興味ありげ?」

「いや、ジェイドとイオンの話から、一体どんな子なのかと……」

「え〜。私、普通の可愛い女の子ですよぅ」

 小首を傾げてみせると、ジェイドがからかう口調で笑う。

「アニスの普通の基準は私とは少し違うようですねぇ」

 イオンが「ははは」と声を上げて笑った。

「大佐ってばひっどーい! イオン様も笑うところじゃなーい!」

 頬を膨らませて腕を振り上げたアニスを見ながら、ルークが痺れを切らしたように息を吐いた。

「おいおい、だべってないで行こうぜ」

「お、悪い悪い」

 ルークに言って、ガイはアニスに顔を向け直す。

「俺はガイ・セシル。ルークの家の使用人だ。アニス、よろしくな」

「よろしく〜v

 握手はなかったが、ガイとアニスは砕けた様子で笑い合った。

「ところで、どうやって検問所を越えますか? 私もルークも旅券がありません」

 場を切り替えるようにティアが訊ねた時だった。

「ここで死ぬ奴に、そんなものはいらねぇよ!」

 誰かが叫んだ。検問所の屋根の上から素早く飛び降りてくる、黒衣に赤い髪をなびかせた男。振り下ろされた剣に斬られることは免れたものの、弾き飛ばされてルークは石畳に転がった。受身を取り損ねた。頭を打って半ば意識が飛び、起き上がれない。アニスは素早くイオンを庇って前に立ったが、それには一瞥もくれずに、襲撃者は剣を煌かせてルークに駆け寄った。

 だが、その前に素早く誰かが割り込み、剣を己のそれで受け止める。――ルークの師であり、神託の盾オラクル騎士団主席総長であるヴァン・グランツ。

退け、アッシュ!」

「……ヴァン、どけ!」

 苛立ちを隠さぬ襲撃者――アッシュに、ヴァンは僅かに声を潜めて問いかけた。

「どういうつもりだ。私はお前にこんな命令を下した覚えはない。――退け!!」

「……」

 アッシュは黙って剣を引いた。左腰に吊るした鞘にそれをおさめ、風のように駆け去る。

「うっ……」

 地面に仰向けに転がったままだったルークは、ようやく気を取り戻して唸りを落とした。視界には、自分を守って立つ頼もしい師の背中がある。

師匠せんせい!」

 喜びを隠さぬ声で呼んで、ルークは半身を起こした。

「ルーク。……フッ、今のけ方は無様だったな」

「ちぇっ。会っていきなりそれかよ……」

 そうぼやきながらも、嬉しさが隠し切れない。

「……ヴァン!」

 一方で、ティアの叫びは爆発のようだった。キッと睨んでナイフを構える。しかし、ヴァンは落ち着き払っていた。

「ティア、武器を収めなさい。お前は誤解をしているのだ」

「誤解……?」

「頭を冷やせ。私の話を落ち着いて聞く気になったら、宿まで来るがいい」

 言うと、近くに見える宿泊施設の方へ歩いていく。

「ヴァン師匠せんせい!」

 立ち上がり、ルークはその背中に呼びかけていた。立ち止まって振り返る、その顔を見つめて。

「助けてくれて……ありがとう」

 最初に軽い驚きが浮かび、次いで深い微笑みがヴァンの顔に広がった。

「苦労したようだな、ルーク。しかし、よく頑張った。流石は我が弟子だ」

「へ……へへ!」

 誇らしさと照れ臭さでいっぱいになって、ルークは笑う。

「――ティア。ここはヴァンの話を聞きましょう。分かり合える機会を無視して戦うのは愚かな事だと、僕は思いますよ」

 イオンが言った。

「そうだよ。いちいち武器抜いて、おっかねー女だなァ」

 ルークの揶揄には応えずに、ティアはナイフを収めて頭を下げる。

「……イオン様のお心のままに」

「じゃあヴァン謡将を追っかけるか」

 取り成すようなガイの声を合図に、まずルークが、少し遅れてティアが歩き始めた。その後を歩きながらガイはふと呟く。

「さっきのが六神将の鮮血のアッシュか。突然すぎて姿を確認できなかったけど」

「びっくりだったー。主席総長が助けてくれなかったらルーク様、斬られちゃってたかも」

 少し前を行くアニスが振り向いて言い、ガイの表情は僅かに歪んだ。

 ルークを護れなかった。ヴァンのおかげで事なきを得たが。――アッシュの行動が想定外だったからだ。

 今までずっと、六神将はイオンを狙って動いていた。ルークはキムラスカの公爵子息であり、今はイオンと行動を共にしているが、彼自身が六神将に狙われる理由はないはずだ。しかし、アッシュは最初から最後までルークだけに向かっていた。

「イオンをさらうでもなく、いきなり斬りかかってきたな。連中もそれだけ必死ってことか?」

「……どうでしょうねぇ」

 ジェイドの声には何かの含みが感じられるようだったが、この男のそんな態度はいつものことだ。

「まぁ、注意は必要でしょう」

「ああ」

 ガイはただ頷きを返し、足を動かした。





 ヴァンは宿泊施設の一室で待っていた。

「頭が冷えたか?」

 そう問われて、ティアは出来る限り冷たい目をして兄を睨み付けてやる。

「……なぜ兄さんは戦争を回避しようとなさるイオン様を邪魔するの?」

「やれやれ。まだそんなことを言っているのか」

「違うよな、師匠せんせい!」

 懸命な面持ちでルークが割り込んでくる。ティアは彼に睨む視線を移した。

「でも六神将がイオン様を誘拐しようと……」

「落ち着け、ティア。そもそも、私は何故イオン様がここにいるのかすら知らないのだぞ。教団からはイオン様がダアトの教会から姿を消したことしか聞いていない」

「すみません、ヴァン。僕の独断です」

「こうなった経緯をご説明いただきたい」

 目を伏せたイオンにヴァンが顔を向けると、ジェイドが口を挟んだ。

「イオン様を連れ出したのは私です。私がご説明しましょう」

 彼は語った。世界情勢の悪化を見越して、マルクト皇帝ピオニーが和平条約締結を提案した親書を送ることにしたこと。中立の立場の使者として導師イオンに協力を要請し、それに同意した彼をジェイドが密かに連れ出したこと。だが、彼を狙う六神将の襲撃が執拗に行われたこと……。

「……なるほど。事情は分かった」

 顎に手を当てて考え込む仕草をしながら、ヴァンは頷いた。

「確かに六神将は私の部下だが、彼らは大詠師派でもある。おそらく大詠師モースの命令があったのだろう」

「なるほどねぇ。ヴァン謡将が呼び戻されたのも、マルクト軍からイオン様を奪い返せってことだったのかもな」

 部屋の片隅に立ってガイが言う。

「あるいはそうかもしれぬ。先程お前たちを襲ったアッシュも六神将だが、奴が動いていることは私も知らなかった」

「じゃあ、兄さんは無関係だって言うの?」

「いや、部下の動きを把握していなかったという点では無関係ではないな。だが私は大詠師派ではない」

「初耳です、主席総長」

 アニスが心底驚いた顔をした。ヴァンは微かに笑う。

「六神将の長であるために大詠師派と取られがちだがな。――それよりティア、お前こそ大詠師旗下の情報部に所属しているはず。何故ここにいる?」

「モース様の命令であるものを捜索してるの。それ以上は言えない」

「第七譜石か?」

「――機密事項です」

「第七譜石? 何だそれ?」

 耳慣れない単語にルークが思わず疑問の声を上げると、部屋中にしらっとした空気が流れた。

「……なんだよ、バカにしたような顔で……」

「箱入り過ぎるってのもなぁ……」

 ガイが頭を掻く仕草をしながら溜息をついた。ティアが説明を始める。

「始祖ユリアが二千年前に詠んだ預言スコアよ。世界の未来史が書かれているの」

 イオンが後を継いだ。

「あまりに長大な預言なので、それが記された譜石も、山ほどの大きさのものが七つになったんです。それが様々な影響で破壊され、一部は空に見える譜石帯となり、一部は地表に落ちました」

 アニスが続ける。

「地表に落ちた譜石は、マルクトとキムラスカで奪い合いになって、これが戦争の発端になったんですよ。譜石があれば、世界の未来を知ることが出来るから……」

「ふーん。とにかく、七番目の預言スコアが書いてあるのが、第七譜石なんだな」

 ルークがまとめると、ジェイドが補足した。

「第七譜石はユリアが預言を詠んだ後、自ら隠したと言われています。故に、様々な勢力が第七譜石を探しているのですよ」

「それをティアが探してるってのか?」

「さあ、どうかしら……」

 ティアは答えをはぐらかす。ヴァンが「まあいい」と話を戻した。

「とにかく私は、モース殿とは関係ない。六神将にも余計なことはせぬよう命令しておこう」

 そう言って、「効果のほどは分からぬがな」と微かに自嘲めいた笑みを落とす。ガイが訊ねた。

「ヴァン謡将。旅券の方は……」

「ああ。ファブレ公爵より臨時の旅券を預かっている。念のため持って来た予備も合わせれば、ちょうど人数分になろう」

 懐から取り出したそれを、ヴァンはルークに渡した。

「これで国境を越えられるんだな」

「ここで休んでから行くがいい。私は先に国境を越えて船の手配をしておく」

「カイツール軍港で落ち合うってことですね」

「そうだ。国境を越えて海沿いに歩けばすぐにある。道に迷うなよ」

 確認したガイに頷き返すと、ヴァンは一足先に宿泊施設を出て行った。その背を見送って、ルークが得意げにティアに笑う。

「……へへ、やっぱヴァン師匠せんせいは悪くねーじゃん」

「信用できないわ」

「俺は、お前の方が信用できねーけどな」

「……結構よ」

 にべもなくティアは返す。「寒い関係だねぇ」と、ガイが首をすくめた。

「お前、何で師匠せんせいと仲良くできねえんだよ。兄妹なんだろ?」

「言ったでしょう? 信用できないからよ。兄はまだ何か隠している気がするもの」

「お前だってまだ隠してることあるじゃねぇか」

 ルークは僅かに声音を落とした。黙り込んだティアにふてくされた視線を向ける。

「だんまりかよ」

 思えば、最初からティアは隠していることだらけだった。彼女がルークに明かしたのは、ティアという名前だけだ。その後、神託の盾オラクルの軍人であること、ヴァンの妹であること、ユリアの子孫でユリアの譜歌が歌えることなどを知ったが、それだけなのだ。何故ヴァンの命を狙うのか、どうしてモースを信じるのか、その肝心な部分を彼女は語ろうとはしない。機密事項だから。あなたに言っても仕方のないことだから。そればかりで。

「け、喧嘩しないで、ですのー!」

 険悪な空気に耐えかねたのか、小さなチーグルが足下に駆け込んで訴えた。が、二人に揃って睨まれて縮こまる。

「み、みゅぅ……」

「ミュウ、やめとけ。痴話喧嘩は犬も喰わないって言うぜ」

 見かねたのかガイがからかい口調で言ったが、更に険しさを増した二人の視線に挟まれて、流石に顔を引きつらせた。

「みゅぅ……」

 ミュウの口真似をしながら苦笑いを浮かべる。「真似しないで下さいですのー!」と、珍しくミュウが頬を膨らませたので、可笑しそうに笑った。その様子を見るうち、ルークの表情が緩む。

「ばっかなことやってんじゃねーよ」

 ティアも息を吐いた。怒りは緩和されたようだ。それを見て取って、ガイは二人に穏やかな笑みを向けた。

「もう行こうぜ、お二人さん。喧嘩なら事が落ち着いてからでもいいんじゃないか」

 ふう、とルークは息を吐く。

「わーったよ」

「そうね」

 まだ声も顔も硬かったが、鉾は収められた。


 噂のアニスとガイが初対面。

 ……なのに、何故か最初からアニスは「ガイってば、私に興味ありげ?」と言ってきます。その後で互いに「よろしく」と挨拶。散々アニスの噂を聞いていたガイはともかく、アニスがガイの名前を当然のように知っているのはエピソード的に勿体無い気がしたので、このノベライズではガイにアニスに向けて自己紹介させてみました。

 

 この辺り、ゲーム本編は実にサラサラと流れていきますが、再会を喜んでアニスに仲間たちが言葉を掛ける中、何故かティアに対してだけアニスが全く言葉を返さなかったりとか、今までは実に素早い動きを見せていた護衛剣士のガイが、ルークがアッシュに襲われたとき全く動かない(動けなかった? ヴァンに出し抜かれた?)とか、色々と妄想しどころがあるなぁと思ったり思わなかったり。

 あと、アニスがルークに迫っていると、イオンが後ろから「そうですよね。『ヤローてめーぶっ殺す!』って、悲鳴あげてましたものね」と言って水を注すのは、前後の言動を見てると無意識なんでしょうね(笑)。

 

 アッシュがルークを襲った理由に付いて、何か思うところがあるらしいジェイド。タルタロスでアッシュと対峙したことのあるジェイドは、仲間たちの中で唯一、アッシュの顔を見知っている訳ですが…。


 旅券を提示してマルクトの検問所を抜ける。長い国境を歩いて越え、キムラスカ・ランバルディア王国領に入った。

「……この旅券は!」

 ルークが示した旅券を確認するなり、キムラスカの検問所の兵士は顔色を変えていた。たちまち態度がかしこまったものになり、サッと敬礼する。

「国王陛下より、すぐお通しするよう勅命を受けております! どうぞ」

「ようやくキムラスカに帰ってきたのか……」

 久々の、慣れた空気だ。ホッとした声を漏らすルークに、ガイが笑った。

「駄目駄目。うちに帰るまでが『遠足』なんだぜ」

「こんなヤバい遠足、カンベンって感じだけどな」

 ルークも笑う。

「キムラスカへ来たのは久々ですねぇ」

 ジェイドがどこか感慨深く呟きを落とす傍らで、アニスがルークを見上げていた。

「ここから南にカイツールの軍港があるんですよね。行きましょう、ルーク様v




 だが、帰国の安堵に緩んだ空気は、すぐに払拭されることになった。

 カイツール軍港はカイツールの街の程近く、ルグニカ大陸の南端に近い位置にある。国境間際の港で、キムラスカの軍事拠点の一つだ。

 そこに足を踏み入れた時、唸り声のようなものを聞いた気がしてルークは耳をそばだてた。

「……ああ? なんだぁ?」

 再び、今度ははっきりと聞こえた。

「魔物の鳴き声……」

 ティアが呟く。大勢の人間が騒ぐ声も聞こえていた。その時、頭上を巨大な猛禽――あれは魔物だ――が羽音を立てて飛んでいったのをルークたちは目にした。

「あれって……根暗ッタのペットだよ!」

 叫んだアニスに、ガイが怪訝な顔を向ける。

「根暗ッタって……?」

 途端に、アニスはガイに駆け寄って、そのシャツをぐっと握り締めていた。「……ひっ」とガイが悲鳴を飲み込む。

「アリエッタ! 六神将妖獣のアリエッタ!」

「わ……分かったから触るなぁ〜〜!!」

 ポカポカと拳で胸を叩かれて、血の気を失ってガイは叫んだ。女性恐怖症は相変わらずのようだ。ティアはもはや眉一つ動かさず、「港の方から飛んできたわね。行きましょう」と率先して駆け出していく。後をルークとミュウ、イオンが追った。

「ほら、ガイ。喜んでないで行きますよ」

 悠々と歩き去りながら笑ったジェイドに「嫌がってるんだ〜〜!」と叫び返しつつ、ガイは少女を引き剥がすことも出来ずに、しばらくその場で震えていたのだった。





「……う……」

 その光景は惨憺たるものだった。喉を詰まらせて、ルークは顔を強張らせる。

 埠頭に停泊している船は、どれも炎に包まれていた。辺りにはキムラスカの兵士の死体が幾つも転がっており、中には大きなライガのそれもある。機械油の焼ける臭いと熱気、生々しい血の臭いが合わさって、濃密な空気が辺りを満たしていた。

「やっぱり来たのね。アリエッタ」

 硬い声音でティアが言う。追いついたガイが、暗い顔で「ああ」と相槌を打った。

「なになに? 根暗ッタと何かあったの?」

「フーブラス川でも襲ってきたんだよ。その時はあの子、障気にやられて倒れちまったんだが……」

「僕がお願いして見逃してもらったんです」

 ガイの言葉をイオンが継いだ。彼の表情も暗い。

「フーブラス川ってすぐそこじゃん。そんでまたすぐ来たの? 相変わらず根暗ッタってば、しつこー。展開はやー。しかも、全然こっちの話聞かないし。ホンット、メンドー」

「こうなることは分かってたんですが、過ぎたことですし、その件はもういいでしょう」

 ジェイドの声は穏やかで、顔には笑みすら浮かべていた。イオンに向けてのものだったのかもしれないが、ルークは胸を刺された気がした。

(殺しておけばよかったってのか……?)

 気を失って無抵抗の少女を殺したくなかった。……だが。見逃したことが、こんな結果を生んだなんて。

 転がる血にまみれた死骸から目を逸らす。

「おい……。あれはヴァン謡将じゃないか?」

 しかし、ガイの声が耳を掠めて視線を上げた。埠頭の先で、対峙している男と少女がいる。

「アリエッタ! 誰の許しを得てこんなことをしている!」

 斬るつもりはなさそうだが、ヴァンは抜き身の剣を少女に向けていた。抱きしめた不気味可愛いヌイグルミに、アリエッタは泣き出しそうな顔を埋めている。

「やっぱり根暗ッタ! 人にメイワクかけちゃ駄目なんだよ!」

 誰よりも早く駆け寄って、アニスが叫んだ。

「アリエッタ、根暗じゃないモン! アニスのイジワルゥ〜!!」

「お前たちか……」

 ルークたちを確認すると、ヴァンは剣を鞘に収めた。「何があったの」と問う妹に簡潔に答える。

「アリエッタが魔物に船を襲わせていた」

「総長……ごめんなさい……。アッシュに頼まれて……」

「アッシュだと……?」

 ヴァンはひどく驚いた様子で息を呑んだ。その間に、アリエッタは飛んできた鳥型の魔物に掴まって空に舞い上がる。

「船を修理できる整備士さんはアリエッタが連れて行きます。返してほしければ、ルークとイオン様がコーラル城へ来い……です。二人が来ないと……あの人……殺す……です」

 それだけ言うと、アリエッタは彼方に飛び去った。

 アリエッタと共に魔物たちも去ったのか。悲鳴や破壊音は途絶え、一応の静寂がもたらされる。

「ヴァン謡将、船は?」

 ガイが訊ねた。

「……すまん、全滅のようだ。機関部の修理には専門家が必要だが、連れ去られた整備士以外となると訓練船の帰還を待つしかない」

「アリエッタが言っていたコーラル城というのは?」

「確かファブレ公爵の別荘だよ。前の戦争で戦線が迫ってきて放棄したとかいう……」

「へ、そうなのか?」

 ジェイドに返したガイの説明を聞いて、ルークが目を丸くした。

「お前なー! 七年前にお前が誘拐された時、発見されたのがコーラル城だろうが!」

「俺、その頃のことぜんっぜん覚えてねーんだってば」

 ルークは無意識に片手で額を押さえる。

「もしかして、行けば思い出すかな」

 そんなことを言うルークの前で、ジェイドがスッと視線を逸らしていた。

「行く必要はなかろう。訓練船の帰港を待ちなさい。アリエッタのことは私が処理する」

 ヴァンが言う。

「……ですが、それではアリエッタの要求を無視することになります」

「今は戦争を回避する方が重要なのでは?」

 珍しくイオンが異を唱えたが、ヴァンはそう切り返して意に介さなかった。

「ルーク。イオン様を連れて国境へ戻ってくれ。ここには簡単な休息施設しかないのでな。私はここに残り、アリエッタ討伐に向かう」

「は、はい、師匠せんせい

 ルークは背筋を伸ばした。敬愛する師に任された。その思いが胸の中をくすぐっている。討伐の手配をするのか、港の施設へ歩き去るヴァンの背をじっと見送った。

「なかなか帰れないな。ルーク」

 ガイが傍らから話しかけてきた。応えて、ルークは息をついてみせる。

「だなぁ。ようやくキムラスカ領に入ったってのに……」

「船に乗れれば、旅の足は速まるわ。もうしばらく辛抱して」

 相変わらず、ティアの声音は上から言い聞かせるものだ。たちまちルークは唇を尖らせた。

「我慢してんじゃねぇか。ガキ扱いすんなっての!」

「そう……。ごめんなさい」

 強く言われて、ティアは傷ついた目で顔を俯かせる。だが背を向けたルークがそれに気付くことはなかった。

「子供は自分が子供と分からないから子供、なのかもしれませんねぇ」

 そんな二人の様子を見ながらジェイドは失笑を漏らす。ガイも苦笑いを浮かべた。

「ところでガイ、ヴァン謡将は訓練船の帰港前にアリエッタ討伐を済ませるつもりのようですが、コーラル城は遠いのですか?」

「ん? ああ、そうでもないはずだぜ。ここからやや南東の岬の突端にあったはずだ」

「コーラル城……」

 背を向けたままルークは呟いていた。誘拐された自分が発見されたという場所。そして、今は人質と共にアリエッタの待ち受けている敵地……。

「興味が尽きないのは分からなくもないですが……」

 耳聡い。ジェイドがそう言ってきたので、ルークはぱっと顎を反らした。

「わーってるよ。行きたいなんて言ってねーじゃん。師匠せんせいも行く必要ないって言ってたしな」

「あなたが行ってもどうにもならないかもしれません」

「わーってるっつってんじゃん。うっせぇなぁ。カイツールの国境で待ってればいいんだろ!」

 肩を怒らせると、港の出口に向かってルークは歩き出す。残ったジェイドにガイが言った。

「でも、ちょこっと見るぐらいいいかもしれないぜ? ルークの奴、何か思い出すかもしれないし」

「……思い出さないかもしれないでしょう?」

「それはそうだけどな」

 困った顔をするガイを見やり、ジェイドは僅かに片眉を上げていた。アリエッタはルークにもコーラル城へ来いと名指ししていたのだ。何の意図なのかは不明だが、行くことで生じる危険は大きいだろう。なのに、この男が寄り道を望むようなことを言うとは意外ではある。……記憶をよほど取り戻させたいのか。あるいは……。

 小さくジェイドは息を吐いた。

「……まあ、正直なところ、行くのも悪くはないと思ってはいますがね」

 だが、今はイオンの身の方が大事だ。理を優先させるならば、余計な問題を抱えるべき時ではないだろう。それに……。

「お待ち下さい! 導師イオン!」

 その時、二人の男が駆け出してきて、行く手を塞ぐようにイオンの前に並び立った。甲冑や軍服の類は着ていないが、揃いの作業着を身にまとっている。船の整備士なのだろう。

「導師様に何の用ですか?」

 イオンを庇うように前に出て、アニスが無礼を咎め立てた。

「妖獣のアリエッタにさらわれたのは我らの隊長です! お願いです! どうか導師様のお力で隊長を助けて下さい!」

「隊長は預言スコアを忠実に守っている、敬虔なローレライ教の信者です。今年の生誕預言でも、大厄は取り除かれると詠まれたそうで安心しておられました」

「お願いします! どうか……!」

 口々に訴える二人をしばらく見つめた後、イオンはゆっくりと頷いていた。

「……分かりました」

「よろしいのですか?」

 静かに確かめるジェイドを見て、「アリエッタは私に来るよう言っていたのです」と公務の口調で言う。そんなイオンの傍らから、ティアが声を出していた。

「私もイオン様の考えに賛同します」

「冷血女が珍しいこと言って……」

 揶揄するルークをティアは睨む。

「厄は取り除かれると預言スコアを受けた者を見殺しにしたら、預言を無視したことになるわ。それではユリア様の教えに反してしまう。それに……」

「それに?」

「……なんでもない」

 不思議そうなルークから、どこか決まり悪げに視線を逸らした。

「確かに預言スコアは守られるべきですがねぇ」

 ジェイドは思案している様子である。

「あのぅ、私もコーラル城に行った方がいいと思うな」

 意外なことには、アニスが賛同してきた。人質を無視することが気になっていたのか、誘拐犯がアリエッタだからなのか。

「コーラル城に行くなら、俺もちょっと調べたいことがある。付いてくわ」

 ガイまでもがそう言った。「アリエッタも女性ですよ」とジェイドにからかわれて、「お、思い出させるなっ!」と身を震わせはしたが。

「ご主人様も行くですの?」

 賛同の声を上げないルークを見上げたのは小さなチーグルだ。

「……行きたくねー。師匠せんせいだって行かなくていいって言ってたろ」

「アリエッタはあなたにも来るように言っていましたよ」

 イオンの声は静かだったが、どこか非難めいた響きがある。

「隊長を見捨てないで下さい! 隊長にはバチカルに残したご家族も……」

「……分かったよ。行けばいいんだろ?」

 顎を反らして、ルークはそう言っていた。「あー、かったりー……」と大儀そうに息を吐いてみせる。整備士たちの顔が明るく輝いた。

「あ……ありがとうございます!」

「コーラル城はここから南東の海沿いにあります。お気をつけて」

「……だ、そうです。行きましょうか」

 ジェイドが仲間たちを見渡した。ルークは眉を顰める。

「……ん? あんたはコーラル城に行くの反対してるんじゃないのか?」

 ついさっき、散々『行くな』とたしなめてくれたばかりではないか。

 だがジェイドは肩をすくめて笑みを浮かべた。

「いいえ、別に。私はどちらでもいいんです」

「なんじゃそりゃ。変な奴」

 ルークは言う。彼の言葉はいつも直裁ストレートだ。




「結局、行くのかよ……」

 コーラル城への道をたどりながら、ルークはぼやいていた。

「整備隊長もアリエッタも放っておくことは出来ません。申し訳ありません。巻き込んでしまって……」

 イオンが頭を下げてくる。

「もういいよ。戦えないお前が行くっつってんのに、俺が行かないわけにもいかねーし。魔物が出たら、お前は下がってろよ」

「ルーク様ぁv 私も守ってもらいたいなv

 と。唐突にアニスが話に割り込んできた。

「え、アニスが守られる? その必要があるとは思えま」

「襲い来る魔物! か弱き乙女を守るために戦う王子様v あ、公爵だっけ。ともかくステキぃ〜〜!」

 イオンの言葉を遮って一息に言うと、うっとりしている。

「ご、ごちゃごちゃ言ってねーで、とっとと行くぞ!」

 いささか照れて、ルークは先に立った。


 六神将が狙っていたのはイオンのはず。なのに、何故か立て続けにルークが狙われ始める。…ですが、本人含めて仲間たち全員がやけに暢気。誰一人として「イオン様はともかく、どうしてルークが呼び出されるの」という疑問を言い出さないのが不気味です。イオンに至っては、「アリエッタはあなたにも来るように言っていましたよ」と言いつつ「申し訳ありません。巻き込んでしまって……」とも言っている。ナンノコッチャ。この辺りだけ全員ののーみそがクラゲ化してる感じです。

 たった五人ほどの戦力しかないのに、呼び出しに応じて のこのこコーラル城へ出向いたり、自分達の立場と状況を丸っと無視しているとしか思えない謎行動にも驚かされます。六神将全員が兵士つきで待ち受けている危険性すらあるのに、いいのか。

 ……止めろよ、ジェイド。何が「どちらでもいい」んだか。本気で親書届ける気があるのか。

 

 この辺りのエピソード、『電撃マ王』のコミカライズ版では、まずルークがアリエッタに誘拐されて、イオンが来なければルークを殺すと脅された仲間たちが やむなくコーラル城に向かうことになってますが、そっちの方が自然な話運びかもですね。

 

 ティアがコーラル城へ行くことに率先して賛成するのですが、個人的には おかしな流れだなぁと思いました。チーグルの森では、ルークがイオンを連れて行こうとすると「導師を危険な場所へお連れするなんて」と大反対してました。その時の状況よりもっと危険なのに、どうしてイオンのコーラル城行きに賛同するのでしょうか? 同じ疑問はアニスにも感じます。何よりもイオンの身の安全を優先すべき導師守護役フォンマスターガーディアンなのに、何故。(他の場面では渋りながらイオンに押し切られるのが殆どなのに、この場面では積極的に賛同。…しかし賛同する必然性が、私には感じられません。)

 

 ティアが賛同した理由は、「大厄は除かれると預言スコアに詠まれた人を見捨てたら教義に反するから」ということと、どうやら人質の命が気になったらしく読み取れますが……。チーグルの森やフーブラス川で散々ルークを「甘い」と批判しといて、何でここに来て人を助けたがるのだか。正直、「今更そんな人情家ぶられてもな〜」と思わないでもないです。ヴァンがアリエッタを討伐すると言っていたわけですし、イオンが行かなくても人質を見捨てることにはならないと思うのですが。

 他の場面のティアなら、「辛いけれど私たちのするべき任務を優先させましょう」とか言うだろうに、何故かここだけ感情優先で人情家なティアさんです。反対に、今まで「甘い」と散々言われていた感情派のルークが、ここでは人質を助けに行くのを渋る立場になっています。(師匠せんせいに行くなと言われた手前、意地を張ってるだけということでもあるのでしょうが。)

 

 ところで、アリエッタが誘拐したのは整備隊長一人。なのに「二人が来ないと……あの人たち……殺す……です」と言うのでした。あれぇ? そのせいで、私は誘拐された整備士は二人いたのだと思い込んでました。

 このノベライズでは「あの人……殺す……です」に変えてみましたが、まさかアリエッタが殺す「あの人たち」は整備士以外を指してるとかって訳じゃないですよね?

 

 どーでもいいですが、この辺りのルークは美しいほどに『ツンデレ』で、見ていてニヤニヤ出来ますね。(変態か)


 ガイの言った通り、コーラル城は岬の突端に建っていた。二つの塔を突き出させた城の外壁はあちこち剥がれ、蔦が絡み付いている。庭も荒れ果て、崩れ落ちた壁などが伸びた草に埋もれていた。

「ここが俺の発見された場所……? ボロボロじゃん。なんか出そうだぜ」

 門の前に佇んで城を見上げ、ルークはそんな感想をこぼしている。

「はぅ。ここが未来のアニスちゃんの別荘……

「何か言ったか?」

 ルークに顔を向けられて、アニスはパッと人懐こい笑顔を繕った。

「あ、ルーク様! ここはルーク様の別荘なんですよね」

「ああ。つーか、親父のな。詳しいことは分からねぇけど」

「確か……ここを実際に別荘として使ってたのは、かなり前のことらしいぜ。世代が違うくらい……って聞いたな」

「それじゃ、なんでまだ後生大事に持ってるんだよ?」

「持ってると言うより、放置してるんだろう? 放っとくぶんには維持費もかからないし」

 そんな会話をするルークとガイの傍で、アニスはぐっと両手を握りしめるとニヤリと笑う。

「……よーし。将来はここをアニスちゃん専用の別荘にしよう

「あん……? アニスって独り言多いよな。ヘンな奴」

 相変わらず、ルークの言葉はどこまでも直裁ストレートだった。

ががーーーーーーん! いきなり夢の計画に危険信号かも……」

 頭を抱えて身悶えるアニスを他所にして、ガイがじっとルークを見つめてきた。

「どうだ? 何か思い出さないか? 誘拐された時のこととか」

「ルーク様は、昔のこと何も覚えてないんですよね?」

 気を取り直したようにアニスが確かめる。

「うーん……。七年前にバチカルの屋敷に帰った辺りからしか記憶がねーんだよな」

「ルーク様おかわいそう。私、記憶を取り戻すお手伝いをしますね!」

 芝居がかった仕草をするアニスの一方で、ティアは辺りを観察しながら眉根を寄せていた。

「……おかしいわね。もう長く誰も住んでいないはずなのに、人の手が入っているみたいだわ」

 庭に草は茂っているが、玄関アプローチは然程ではなく、通るのに不自由がない。普段から人の出入りがあるかのようだ。

「魔物いるですの……。気配がするですの」

 ミュウの声は震えている。

「整備隊長さんとやらは、中かな。行ってみようぜ」

 ガイが言い、一行は崩れかけた門を潜った。鍵が掛かっていなかったのか壊れたということなのか、玄関扉は難なく押し開かれ、薄暗いホールが現われる。我知らず、ルークは一人で中に駆け込んでいた。

「ここがウチの別荘だったのか……」

「ルーク。あんまり離れるなよ」

 辺りを見回すルークに歩み寄りながら、ガイが注意する。

「っせなー! わーかってるって……」

 その時、ルークの背後にあった石像がギシリと動いた。

「ルーク!?」

「ルーク! 後ろ!」

 ジェイドとティアが目を剥く。「へっ?」と口を開けたルークの後ろで、石像が太い腕を振り上げていた。舌打ちし、ガイが腰の剣を抜いて駆け込もうとした刹那、何かが爆発的に膨れ上がって暴風のように飛び出した。

「やっつけちゃうもんね!」

 黒髪をツインテールにした少女は、見上げるほどもある巨大なヌイグルミの背に乗っている。縫い目の荒い、その不気味可愛い顔には仲間の誰もが見覚えがあった。いつもアニスが背に負っていたものだ。

「行っけぇえ、トクナガ!!」

 膨れ上がったヌイグルミは自分の足で立って走り、太い両腕を振り回して石像を殴りつけた。石像は大きくのけぞり、地響きを立てて床に倒れる。

「うおぁあ!? どうなったんだ!?」

 泡を食ったルークに、「落ち着いて! 敵が来るわ!」とティアが鋭く言葉を放った。「立て直して行くぞ!」と叫びながらガイが飛び込んでくる。ルークもやっと腰の剣に手をやったが、その時にはジェイドの放った譜術が石像を完膚なきまでに叩きのめしていた。

「ご無事ですかぁ、ルーク様っv

 石像が動かなくなったのを確認してから、アニスは元の大きさに戻したヌイグルミを抱えて可愛く笑った。

「だから言ったろ? 離れるなって」

「あなたが油断したためにみんなの陣形が崩れて、戦闘準備もろくに整えられなかったわ。――反省して」

 ガイとティアは険しい顔をしている。ルークは赤い顔でしばらく押し黙っていたが、やがて「るせー! 知るかよ!」と喚いて腕を振り回した。

「大体なんなんだよっ! あれはっ!!」

「侵入者撃退用の譜術人形のようです。これは比較的、新しい型のものですね。見た目はボロボロですが」

 倒れた石像を調べていたジェイドが、顔を上げてそう言う。つまり、これは敵の歓迎の一つだということだ。

「や〜ん。ルーク様ぁ! アニス超怖かったですぅ〜」

 今更のように身をよじるアニスの声が白々と場に落ち、ガイが息を吐いた。

「まあ、ああいう魔物もいるから……」

「分かったよっ! 気をつけりゃあいいんだろう! くそっ!」

 喚いて、ルークは片手で赤い髪を掻き回した。





 城内は薄暗い。大きなシャンデリアは鎖が腐ったのか床に落ちており、一部の階段は崩れ落ちていて使用できなかった。

「なんだこの扉? 開かねぇぞ……」

「特殊な音素フォニムで封印されているようね。奥に大事な物でもあるのかしら?」

 書斎らしき部屋の奥に開かない扉を見つけて、ルークたちは首を捻る。その扉に取っ手はなく、一見すると壁の装飾のようにも思えて見逃してしまいそうだ。

「どうやら、二種の音素フォニムを必要とするようですね」

 彫り込まれた文様を指でなぞって、ジェイドが言った。扉には逆三角形の配置で三つの玉がはめ込まれてあり、上部の二つから下部の一つに向かって線が伸びている。下部の玉だけが紫色に輝いていた。

「この二つの玉に指定された音素を吹き込んで混合させれば、封印が解除されるのでしょう」

「でも大佐、どの音素を吹き込めばいいんですかぁ?」

「簡単ですよ、アニス。紫色を作るには、何色と何色を混ぜればいいと思いますか?」

「え? えっと……青色とぉ」

 その時、ミュウが大声を上げてルークの足下にしがみついてきた。

「ご主人様ぁ〜、ネズミが、ネズミがいたですの〜! 怖いですの〜!」

「あぁ!?」

 ルークは鬱陶しそうに顔を歪める。ジェイドが詰まらなさげに息をついた。

「ミュウはネズミが苦手なのですか? ……またベタ過ぎて少々残念ですねぇ」

「ベタ過ぎてって……」

 ガイは苦笑している。

「うぜ〜な〜、そんなん火ぃ吹いて追っ払っちまえよ」

「みゅうぅ〜、分かったですの〜」

 しおしおとミュウが耳を垂らした時、ガイとティアがハッとして声をあげていた。

「そうか、火か!」「なるほど、火ね!」

「正解です。音素にはその属性にちなんだ象徴色がある。例えば、水の属性の第四音素フォースフォニムは青。赤の第五音素フィフスフォニムは火の属性です。……第四音素フォースフォニムは私がやりましょう。ミュウ、手伝って下さい」

「は、はいですの!」

 上部の二つの玉のそれぞれにミュウが炎を吐き、ジェイドが水系の譜術を当てた。玉に赤と青の光が灯り、扉に彫られた溝を伝って下部の玉で混じり合う。紫色の光が一際強く輝くと、カチリと扉が開いた。

「開いた!」

「では、行きましょう。……恐らく、アリエッタたちはこの奥にいます。気を抜かないように」

「……って、わーってるっつーの。いちいち俺を見るな!」

 ルークは膨れっ面で肩を怒らせた。




 扉の向こうの道は地下へ向かうものらしく、下る階段が続いている。

「やっぱ、なんも覚えてねぇな……」

 薄暗い廊下を歩きながら、ぽつりとルークは呟きを落とした。

「そうか。まぁ、うろついてたら何か思い出すかもしれないぜ」

「別にどうでもいいけどな。困ってねーし」

 ガイの声を遮るようにルークは言う。ガイは苦笑した。

「普通気になると思うけどなぁ。お前のそういうところは感心するよ」

「そうか? ガキの頃の事なんて、どうせつまんねーことだろうしさ」

 軽く笑ってルークは先に進む。だから、ガイが暗い顔で呟いたのに気付くことはなかった。

「ナタリア様も可哀想に……」





 階段を下って行った先には、巨大な音機関があった。

「なんだぁ!? なんでこんな機械がうちの別荘にあるんだ?」

 見上げて驚くルークとは別に、ジェイドも驚愕に目を見開いている。

「これは……!」

「大佐、何か知ってるんですか?」

 アニスが下から覗き込む。

「……いえ……確信が持てないと……。いや、確信できたとしても……」

「な、なんだよ……。俺に関係あるのか?」

 見つめられて、ルークは少しばかりうろたえた。彼の真紅の目に見られると居心地が悪い。じわりと、正体不明の不安が胸の奥を侵食する。

「……まだ結論は出せません。もう少し考えさせて下さい」

「珍しいな。あんたがうろたえるなんて……」

 ジェイドの隣に立ち、固い表情でガイは音機関を見上げていた。

「俺も気になってることがあるんだ。もしあんたが気にしてることがルークの誘拐と関係あるなら……」

 それ以上、ガイの言葉が続くことはなかった。ネズミに驚いたアニスが、悲鳴をあげて彼の背中にしがみついたからである。

 ――数瞬の間の後に。

「……う、うわあっ!! やめろぉっ!!」

 叫び、アニスを跳ね除けるとガイはしゃがみこんでいた。自らの身体を抱いてがたがたと震えている。

「な、何……?」

 尻餅をついたまま、アニスは呆然としている。それは他の仲間たちも同様だった。

 ガイは女性恐怖症だ。ティアやアニスに近付かれると青ざめて飛び退り、触られようものなら震えだす彼の姿は、むしろ苦笑を誘うもので、からかいの対象にすらなっていた。だが、今のこの怯え様は、あまりにも酷い。尋常ではない。

「……あ……俺……」

 ようやく我に返ったらしい。ややあってガイは力なく呟き、立ち上がった。

「……今の驚き方は尋常ではありませんね。どうしたんです」

「…………すまない。体が勝手に反応して……」

 探るような視線のジェイドに、ガイは項垂れる。「悪かったな、アニス。怪我はないか?」と振り向いて手を差し出したが、やはり少女の手を取ることは出来なかった。

「……う、うん」

 驚きに強張ったまま、アニスは自ら立ち上がる。気遣わしげにイオンが訊ねた。

「何かあったんですか? ただの女性嫌いとは思えませんよ」

「悪い……。わからねぇんだ。ガキの頃はこうじゃなかったし。ただ、すっぽり抜けてる記憶があるから、もしかしたらそれが原因かも……」

「お前も記憶障害だったのか?」

 驚いてルークは声を上げる。

「違う……と、思う。一瞬だけなんだ……。抜けてんのは」

「どうして一瞬だと分かるの?」

「分かるさ」

 ティアの疑問にそう返して、ガイは目元を僅かに歪めた。

「抜けてんのは……俺の家族が死んだときの記憶だけだからな。――俺の話はもういいよ。それより、あんたの話を……」

「あなたが自分の過去について語りたがらないように、私にも語りたくないことはあるんですよ」

 向けられた矛先をジェイドはあっさりとかわす。するりと背を向けた。




「ガイの奴……両親、死んじまってるのか……」

 ルークの呟きを聞いて、ティアは歩く足を緩めて顔を向けた。

「あなたも知らなかった事なのね」

「ああ。俺、誘拐される前の記憶忘れちまってるんで、ガキの頃に聞いてたとしても思い出せねーから」

 最後尾を歩きながらルークは目を伏せている。

「それにあいつ、自分の昔の話あんまりしねーしな」

 そもそも、屋敷にガイがいるのは当たり前だったから、ガイの家族だとか、そういうことはあまり考えたことがない。

「……」

 ティアはルークを見つめる。(あの時、ルークには聞こえていなかったのね……)と思った。

 少し前、セントビナーでガイが『一族郎党を失った』と漏らしたのを聞いたことがある。確かに、多くを語ることを拒む気配があの時の彼にはあった。親友と呼ぶルークに語っていないのなら――今彼は、珍しくルークから離れて歩いている――それは本当に口にしたくないことなのだろう。

「大佐も言っていたけど、誰でも話したくない事を持ってる。彼が話してくれるまで、触れない方がいいと思うわ」

 カッとルークの顔が紅潮した。

「ガイのことなら、お前に言われなくても分かってるっつの! いちいちうるせえなぁ」

 怒鳴り散らす。やけにむしゃくしゃした。




 一方で、ルークたちの前を歩くジェイドはやや顔を俯けていた。少し下がってきた眼鏡を指で押し上げている。

「大佐、さっきの譜業装置を見てから何か考え込んでますね」

 傍らからアニスが声を掛けた。赤い瞳がジロリと少女を見据える。

「詮索とは……アニスらしくないですね」

「大佐のマジ顔、珍しいんですもん」

「おかしいですねぇ。私はいつも大真面目なんですが」

「えー」

 不満げに少女が唸ると、ジェイドは声を上げて笑った。

「ともかく、あの音機関については、確信を得た時に私から話します。ですから今は置いておきましょう。いいですね?」

「はーい」

「ところで、そう言うアニスこそ少し元気がありませんね。どうしました?」

 話を変えて、人の悪い笑みをジェイドは浮かべてみせる。

「とりあえずルークと結婚する為にはティアが邪魔だというので、暗殺計画でも立てているんですか?」

「そんな物騒なこと考えてませんよぅ! ガイのことです」

「ああ、女性恐怖症ですね」

「あれだけマジびびりされちゃうと、からかいにくくなっちゃうとゆーか」

「……マジびびりで悪かったな」

 先頭にいたガイが話に入ってきて、アニスは「はぅあ!」と声をあげた。気まずそうな顔を見て、ガイは眉間に寄せていた皺を緩める。

「……いいさ。そんなに気を遣うなよ。イオンの言葉じゃないが、からかわれてるうちに何気に克服できるかもしれないしな」

「大げさな反応をしたのは背中からでしたね。それだけ気をつけて、後はいじり倒したらいいんじゃないですか?」

 ジェイドが笑顔で提案した。「了解! からかいまくります!」とアニスは敬礼してみせる。早速ガイに両手を伸ばした。

「ぺたぺたぺたぺた」

「ややや……やめろぉぉおおおぉぉぉぉぉ……

 触られまくったガイが面白いほど震えて悲鳴をあげたが、アニスの手が止まることはない。

「ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた」

「……も、ものには限度があるんだよっ!! それとジェイドも悪乗りするなっ!」

 どうしてこのおっさんにまで触られまくっているのか。女性に触られるのとは別の意味で怖い。怖いぞ。『かぷっ』とかお茶目に言うな、冗談でも!

 そんな風にガイがおののいていた時、通路の向こうをサッと大きな影が横切るのが見えた。

「ライガですの!」

 ミュウが言う。

「アリエッタのライガか?」

「行ってみましょう」

 通路は一本道だ。ルークたちはライガらしき影の消えた後を追った。海に面した地下通路から、やがて塔らしき場所に入る。階段を上っていくと、駆け上って行くライガの尾がチラリと視界を掠めた。

「いたぞ!」

「ルーク様! 追っかけましょう!」

「ミュウも行くですの!」

 言うなり、ルークとアニス、そしてミュウは走り出していた。

「あ、待って下さい。アリエッタに乱暴なことはしないで下さい!」

 イオンも追って行く。

「待って! 罠かもしれない……!」

 ティアが片手を伸ばして呼び止めたが、誰一人として留まろうとはしなかった。

「おやおや、行ってしまいましたね。気が早い」

「……アホだなー、あいつらっ!」

 成人二人は呆れた息を吐く。が、すぐに表情を引き締めて追いかけた。放っておくわけにはいかないだろう。





 塔の屋上にはライガがいた。その背に、後ろ手に縛られた作業着の男を乗せている。隣には不気味可愛いヌイグルミを抱きかかえた少女が立っていた。彼女の視線の先には、塔内部の階段へと続く出入り口がある。そこから、赤い髪の少年を先頭にして、小柄な少女と白い法衣を着た少年、青いチーグルが駆け出してきた。

 まさに待ち受けていたのだろう。一羽の巨大な猛禽――フレスベルグが飛びかかり、鋭い鍵爪でサッとルークを掠め取る。ガッチリとぶら下げたまま大きく旋回して、空いた片足で今度はイオンを掴もうとした。が、アニスが飛びかかってイオンを突き飛ばす。代わりに彼女が鍵爪にさらわれた。

「ふみゅ……。イオン様を庇っちゃいました。ルーク様、ごめんなさい……」

 憮然としたルークと並んでぶら下がりながら、アニスが眉尻を下げる。折角地上に近づいてきたのだ、捕らわれているルークを引き摺り下ろすことも出来ただろうが、アニスはイオンを救う方を優先した。

 アリエッタが片手を上げて何かの指示をした。――と。アニスだけが鍵爪から解放され、そのまま硬い屋上に落下した。

「いったーい!? ひどいよアリエッタ! 痛いじゃない!」

 悲鳴をあげて、アニスはアリエッタを睨む。そう高度がなかったのが幸いした。骨が折れたりはしなかったようだ。

「ひどいのアニスだもん……! アリエッタのイオン様を取っちゃったくせにぃ!」

「アリエッタ! 違うんです。あなたを導師守護役フォンマスターガーディアンから遠ざけたのは、そういうことではなくて……」

 イオンが訴える後ろから、ようやく追いついたガイたちが駆けだしてきた。険しい顔で旋回するフレスベルグを見上げる。

「ルーク!」

「もう……ドジね……!」

 フレスベルグは屋上から離れ、無造作にルークを放り出した。

(……!!)

 地上は遥か下だ。ルークの気が遠くなりかけた時、ドスンと何かにぶつかる感触がした。地上にぶつかったにしては早い――と思う間もなく、布らしきもので口を塞がれて本当に意識が遠ざかる。

 飛行安楽椅子に座った銀髪の男に、ルークは抱き止められていた。六神将、死神ディストだ。そのまま、ぐったりした少年を抱えて飛び去っていく。

「あ! 大変ですの!」

 全員がルークの行方に注目していたが、ミュウの大声で意識を引き戻された。アリエッタがライガに乗り、人質ごと屋根を跳んで逃げ去っている。まんまと、ルークも整備隊長も連れさらわれてしまったのだった。

「ディストまで絡んでいましたか。やれやれですねぇ」

 静かになった屋上で、ジェイドが息を吐いた。

「大丈夫かなぁ……もう……」

 ティアは片頬を押さえて、子供のようにむくれている。

「……ん? ティア、どうした? 何か言ったか」

「い、いえ。なんでもないわ。それより、早くルークと整備隊長を助けましょう」

 ガイに不思議そうな目を向けられて、慌てて軍人口調を繕った。アニスがジェイドの前に駆け寄ってくる。

「私のせいです……。ふみゅぅ。もう、悔しいよぅ! アリエッタの馬鹿ぁ!」

「まあまあ、落ち着いて下さい。あの様子なら、命を取るつもりはなさそうです」

 ルークを殺したいのならすぐに出来ただろう。だが、わざわざ気を失わせて連れ去ったのだ。殺す以外に目的があるということだ。だとすれば、取り返しは幾らでもつく。

「それに彼らが一番必要としているはずのイオン様は、まだこちらの手にあるのですからね」

 だが。六神将がイオンだけではなくルークを狙う、その意味は何なのだろうか……?

(ディストが絡んでいるということは、やはり……)

 心の内で呟いたが、ジェイドはそれを吐露することはない。ただ、「先程の音機関に戻りましょう」とだけ告げた。





 間近で誰かが喋っている。

「……な〜るほど。音素フォニム振動数まで同じとはねぇ。これは完璧な存在ですよ」

「そんなことはどうでもいいよ。奴らがここに戻ってくる前に情報を消さなきゃいけないんだ」

 ぼんやりと目を開ける。

 ルークは台の上に横たわっていた。周囲の中空に様々な図像が浮かんでは消え、波紋のように広がっている。

「そんなにここの情報が大事なら、アッシュにこのコーラル城を使わせなければよかったんですよ」

「あの馬鹿が無断で使ったんだ。後で閣下にお仕置きしてもらわないとね。……ほら、こっちの馬鹿もお目覚めみたいだよ」

 ルークが目覚めたことに気付いたらしい。傍らに立つ少年が僅かに声を潜めた。その目鼻は金属の仮面で覆われている。六神将、烈風のシンクだ。

「いいんですよ。もうこいつの同調フォンスロットは開きましたから」

 ディストは下層の操作盤の前にいたが、飛行安楽椅子に座って舞い上がってきた。

「それでは私は失礼します。早くこの情報を解析したいのでね。ふふふふ」

 そのまま飛び去っていく。残ったシンクも歩き去ろうとしたが、その背に朦朧としたルークの声が掛かった。

「……お前ら一体……俺に何を……」

「答える義理はないね」

 シンクが返した時、恐ろしい速さで駆け込んできた影があった。ガイだ。その勢いのままに斬りかかるのを、大きくトンボを切って避ける。その弾みで、彼は懐に入れていた音譜盤フォンディスクを取り落としていた。

「しまった!」

 ガイはそれを拾い上げて怪訝な顔をしている。その隙にシンクが蹴りを放った。硬い足甲をガイは剣で受け、返す刃が金属製の仮面を弾き飛ばす。

「……あれ……? お前……?」

 カラカラと仮面が床で回っている。その下の顔を見たガイは目を瞠っていた。そこに、ようやく他の足音が聞こえてくる。

「ガイ! どうしたの!」

 アニスの声でガイの気が逸れた一瞬、再びシンクの足刀がガイの顔面目掛けて唸りをあげた。危うく避けたが、ガイは下層に落下する。

「くそ……他の奴らも追いついてきたか……!」

 シンクは拾った仮面を着け直していた。下層に着地したガイに向かい、言い捨てる。

「今回の件は正規の任務じゃないんでね。この手でお前らを殺せないのは残念だけど、アリエッタに任せるよ。奴は人質と一緒に屋上にいる。振り回されてゴクロウサマ」

 そして、その場を離れて立ち去った。

 追いついてきたティアたちは、シンクを追おうとはしなかった。ジェイドは真っ直ぐ下層の操作盤へ向かう。やがて音機関の光が消え、横たわったままだったルークがのろのろと身を起こした。

「ふぇ……、何がなんだか……」

 眩暈がしているように顔を押さえている。

「どうしました、ガイ?」

 ルークが救出されて尚、ガイはぼんやりとシンクの逃げ去った方を見つめていた。心配して声を掛けて来たイオンの顔をチラリと見て、「……いや。なんでもないよ」と背を向ける。

「変な音譜盤フォンディスクを手に入れたから、何かと思ってさ」

「後でジェイドに調べてもらいましょう」

 一方で、ルークはようやく台から降りて立ち上がっていた。ティアとアニスが彼を囲んでいる。

「……大丈夫? ルーク。一体あなたをさらって何のつもりだったのかしら……」

「知るかよっ! くそっ! 何で俺がこんな目に遭うんだ!」

「アリエッタのせいです! あのコただじゃおかないからっ!」

「戦争を起こさせたいって話だけど、神託の盾オラクルの動き、全然掴めないな」

 剣を収め、ガイが話に加わった。

神託の盾オラクルが戦争を起こさせたい訳じゃないですよぅ」

 アニスは頬を膨らませている。彼女も神託の盾オラクル騎士団の一員だ。

「ええ。六神将がどこかから密命を受けて独自に動いているみたいね」

 状況を見る目が変わったのか、ティアはもう、ヴァンの仕業だとは言わなかった。

「アリエッタから何か情報が掴めるかもしれないけど……」

「根暗ッタは多分詳しい話、知らないんじゃないかなぁ。そもそも密命を受けてってのが似合ってないし」

「確かカイツールではアッシュに頼まれたって言ってたわね」

「アッシュって……六神将、鮮血のアッシュのことだろ?」

 言って、ガイは考え込む仕草をする。だが結局、「……ま、どうせ俺たちじゃ分からないことか」と息を吐いた。

 推測だけならいくらでも出来る。だがそこから真実を導き出せる材料を、仲間たちの誰もが持ってはいないのだ。

「そうそう。それにイオン様と大佐が戦争が始まっちゃう前にバチカルに行ければ、六神将が何してても関係ないよ」

「そうだな」と、ガイは笑う。

「だがその前に、整備隊長を助け出さないと……」

 操作盤から離れてジェイドが歩いてきた。

「アリエッタは屋上……でしたか。何度も同じ所を行き来するのも面倒ですが、仕方ないですね。行きましょう」

 肩をすくめる。あの長い塔の階段を、再び上ることになるのだ。





 再びルークたちが屋上に駆け出ると、やはり待ち受けていたフレスベルグが襲い掛かってきた。しかしルークはニッと笑い、左手に掴んでいたミュウを突き出す。炎を吐かれ、フレスベルグはたじろいだように宙を退いた。

「へへ、何度も同じ手に引っかかると思うなよ」

「ルーク様、すっご〜い

「あなたにしては上出来ですね」

「いちいちうるさいぞ!」

 ジェイドを睨みつけるルークを前に、アリエッタはヌイグルミを抱く腕に力を込めて声を震わせる。

「アリエッタのお友達に……火……吹いた……! もう許さないんだからぁ!」

「うるせぇ! 手間かけさせやがって、このくそガキ!」

「いいもん! あなたたち倒してからイオン様を取り返すモン! ママの仇っ! ここで死んじゃえっ!」

 アリエッタの叫びに呼応して、ライガとフレスベルグが襲い掛かってくる。素早くルークたちは武器を手に取った。アニスは背のヌイグルミを外して地に置く。たちまち巨大化したそれに飛び乗った。

「根暗ッタ! いいかげんにしてよね!」

「アニスこそ、私のイオン様を返してよーっ!」

「イオン様の邪魔する奴を、イオン様が認めるわけないでしょ!」

「うわああああん! 馬鹿馬鹿馬鹿ーっ!」

「う、うるせぇな」

 牙を剥くライガに剣を振り下ろしながら、ルークは顔を歪める。同じようにガイも困った顔を見せた。

「やりにくいなぁ……」

「惑わされないで!」

 だが、ティアは厳しい声音で言い放つ。

「見た目は子供ですが、魔物を使役する力は侮れません!」

 槍を振るってジェイドもそう言った。

「みんな大っ嫌い! あっちへ行ってよぉ!」

「うるさーい! 引っ込むのはお前だっちゅーの!」

 アニスの攻撃は、フレスベルグに阻まれてアリエッタに届かない。やがてアリエッタの周囲が集まった音素フォニムで輝き、譜術の光がルークたちを打ちのめした。辺りに轟音と苦鳴が響く。

 ち、とジェイドが舌打ちをした。

「あの時、殺しておくべきでしたか」

「あーうぜーっ!」

 たまらずにルークは喚いた。

(俺のせいだって言うのかよ!)

 フーブラス川で、アリエッタを殺すなと言ったから。だからここで戦う羽目になったのか。――この戦いで、仲間の誰かが死ぬのかもしれない。カイツールの兵士たちと同じように。

 背筋がぞっと震えた。雄叫びを上げて踏み込み、ルークはライガの腹の下を一気に斬り裂く。血が勢いよく噴き出し、ライガは床を震動させて倒れた。

「あ……あ、あぁあああ!!」

 それを見て、アリエッタが長い悲鳴をほとばしらせる。

「もうイヤぁ。倒れちゃえーっ!」

「ふざけんなぁーーっ!!」

 全身を譜術の光で輝かせたアリエッタを、トクナガの太い腕が殴り飛ばした。アリエッタを護り続けていたフレスベルグは既に床に落ちていた。まともに攻撃を受け、アリエッタはボールのように吹っ飛んで石の床に転がる。譜術の光は霧散し、そのまま動かなくなった。

「……し、死んだのか?」

 恐る恐る訊ねたルークに、しゃがんで確かめたガイが「いや。気を失っているだけだ」と答えて立ち上がる。

「やはり見逃したのがあだになりましたね」

 ジェイドの声は冷たかった。フーブラス川での状況を再現したかのように、ぐったりしているアリエッタに槍を持って近付く。

「待って下さい!」

 叫び、駆け込んだのはイオンだ。アリエッタを背に庇って両手を広げている。

「アリエッタを連れ帰り、教団の査問会にかけます。ですから、ここで命を絶つのは……」

 ルークは動けない。今は、何が正しいのかが分からなかった。

(俺は……)

 答えは、背後から現われた。

「それがよろしいでしょう」

 力強く穏やかな声が響く。

師匠せんせい……」

 掠れた声がルークの口から漏れた。その前を通って悠々と歩み寄り、咎めるような視線をヴァンはイオンに送る。

「カイツールから導師到着の伝令が来ぬから、もしやと思いここへ来てみれば……」

「すみません、ヴァン……」

「過ぎたことを言っても始まりません。アリエッタは私が保護しますがよろしいですか?」

「お願いします。傷の手当てをしてあげて下さい」

 ヴァンは、気絶しているアリエッタを抱き上げた。

「やれやれ……。キムラスカ兵を殺し船を破壊した罪、陛下や軍部にどう説明するんですか?」

 ガイが僅かに呆れを滲ませたが、イオンは毅然とした態度を崩さなかった。

「教団でしかるべき手順を踏んだ後 処罰し、報告書を提出します。それが規律というものです」

「カイツール司令官のアルマンダイン伯爵より、兵と馬車を借りました。カイツールの港へ戻りましょう」

 ヴァンが言う。ディストとシンクには逃げられていたが、後は教団の仕事だろう。

 道草はこれで終了した。


 この辺りのエピソードは、一周目の時は表面しか見えなくて、額面だけ理解してたんですが、二周目以降は色々と違って見えます。

 このゲームのキャラクターは3Dモデルのアニメーションなのですが、表情が細かい。すっと視線を流すような演技までします。(このチームの製作した前作『テイルズ オブ シンフォニア』では、表情は殆ど変わらず、人形劇状態だったのに。)で、そういう演技を注意して見てると、実に細かいニュアンスが込められてます。すげーなぁ、と感心した部分です。

 

 アリエッタとの戦闘が終わると軍港まで馬車で戻るか歩いて戻るかの分岐になりますが、城の玄関ホールに「ソードダンサー」が出現しているので、このサブイベントをこなしたい場合は「歩く」べきでしょう。私は一周目では馬車に乗ってしまったので気付けませんでした。

(でも、一周目の場合はこのタイミングで勝つのはレベル・テクニック的に無理そうですが……)


 カイツール方面司令官アルマンダイン大将は、刈り込んだ黒髪に長いもみあげの、なかなか強面の男だった。

「これはこれは、ルーク様」

 姿を見るなり親しげに声を掛けて来たので、ルークは目を瞬かせる。

「覚えておられませんか。幼い頃一度、バチカルのお屋敷でお目にかかりましたアルマンダインにございます」

「覚えてねぇや……」

「ルーク様はまだお小さかったですからな。仕方ありません」

 決まり悪そうなルークを取り成すように彼は笑う。

 カイツールの軍港に着くと、整備隊長は早速、船の修理に向かって行った。概ねは残った整備士たちの手で済まされており、整備隊長が機関部周りの修理を終えれば出航できると言う。その間に、このキムラスカ軍基地の司令官であるアルマンダイン伯爵と会わねばならないとヴァンが言うので、一行は港近くの来客用の施設に出向いてきたのだ。

「イオン様。アルマンダイン伯爵にはアリエッタの件をお話しておきました」

 ルークたちより少し前にアルマンダインとの会談を始めていたヴァンが言った。

「我がしもべの不手際、お許し下さい」

「ダアトからの誠意ある対応を期待しておりますぞ」

 静かに謝罪を口にしたイオンに、アルマンダインは強気で返す。

「そうだ。伯爵から親父に伝令を出せないか?」

 ふと思いついて、ルークは言った。

「ご伝言ですか? 伝書鳩ならバチカルご到着前にお伝えできるかと思いますが」

「それでいい。これから導師イオンとマルクト軍のジェイド・カーティス大佐を連れてくって……」

「……ルーク。あなたは思慮がなさ過ぎますね」

 ジェイドの硬い声が落ちる。ハッと身を引いて、アルマンダインがジェイドを睨みつけた。

「……カーティス大佐とは、死霊使いネクロマンサーのことか」

「その通り。ご挨拶もせず大変失礼致しました。マルクト帝国皇帝ピオニー九世陛下の名代として和平の親書を預かっております」

「……ずいぶん貧相な使節団ですな」

「あまたの妨害工作がありました故、お許しいただければと思います」

「こいつら俺を助けてくれたんだ。何とかいいように頼む」

 渦巻いた空気をルークは意に介していない。気付かなかったのかもしれない。暢気な調子でそう言うと、アルマンダインは気を取り直したように声音を落ち着かせた。

「……分かりました。取り急ぎ本国に鳩を飛ばしてみましょう。明日には船も出港できます故、本日はこの港でお休み下さい」

「お世話になります」と、イオンが謝辞を述べる。ルークは気にせずにさっさと部屋を出て行った。





 サラサラとペンが紙の上を走る音が聞こえる。

「ご主人様、今日も日記をつけてるですの?」

 小さな灯りを点した宿泊施設の一室。机について帳面ノートに書き込んでいるルークの手元を、青いチーグルが覗き込んできた。

「……んー。めんどくせぇけど、やらねぇと母上たちが心配すっからな」

「ミュウもお手伝いをするですの!」

「はあ? 何言ってんだ、このブタザル」

「ミュウ、フォニック文字書けるですの」

「……じゃあ、書いてみろよ」

「うーんとうーんと……」

 ペンを両腕で抱きかかえるようにして、小さなチーグルは紙面いっぱいに文字を書き始める。

『きょうは ごしゅじんさまにさんじゅうはちかい、ぶたざるといわれたですの』

「……つーか、数えてんじゃねーよっ、このブタザルが!」

「みゅううぅぅぅ。39回目ですの……」

 怒鳴られて、ミュウは悲しげに耳を垂らした。


 このエピソードを見ると、ミュウは『ブタザル』と呼ばれることを悲しんでいるようなのですが、後のレプリカ編になると「ご主人様はボクにブタザルって名前を付けてくれたですの!」と言ってきて、どう見ても喜んでいたりします。

 商業アンソロジーなどでは、チーグル族の感性が元々特殊で、人間なら嫌がるあだ名でも喜ぶのだ、と語られたりしてますが、果たしてどうなのか。

 単に、最初は嫌だったけれど、一緒に旅をしてルークのことを更に好きになるうちに、「ルークにつけてもらったあだ名」というだけで『ブタザル』と呼ばれることが嬉しくなった……のかもしれませんね。ミュウをそう呼ぶのは本当にルークだけですし。

 そんな純粋すぎるミュウに、ずっと後のルークは「ごめんな。嫌な名前を付けて」と罪悪感を表しますが、(……でもブタザルって感じなんだよな……こいつ……)と内心で思っていたり。どうやら、特殊なのはルークの感性の方らしいです。


 翌朝、修理の済んだ連絡船の前にルークたちは並んでいた。アルマンダインが兵を伴って見送りに来ている。

「お世話になりました」

「よい旅を!」

 代表して謝辞を述べたイオンにアルマンダインが声を返すと、兵たちがサッと敬礼した。

 空は晴れている。その色を映したように、海は澄んで青い色をしていた。船のタラップに足をかけると、フワフワとどこか頼りない感触があって、ルークは驚いて身を硬くする。

 こんなに間近に海を見たのは初めてだった。無論、船に乗るのも。もしかしたら記憶を失う前に経験があるのかもしれなかったが、覚えていないのだからカウントはできない。

「やーっと帰れるか。何気に大変だったな」

 甲板に立って伸びをしながら言うと、傍らからティアが硬い顔で言った。

「まだ安心は出来ないわ」

「なんでですの?」

 ミュウが訊ねる。

神託の盾オラクルの襲撃があるかもしれない……」

「あいつら、先回りしまくってるからな。ったく、ウゼーったらねぇぜ」

「きっと大丈夫ですの!」

「……そうだといいのだけど……」

師匠せんせいもいるし、大丈夫だって。どうせすぐバチカルだろ?」

「航路の都合で途中ケセドニアに立ち寄るけどな」

 ガイが言った。

「マルクト側の領海を通ることになるが、陛下の取り計らいで特別に通行を許可されたんだ」

「ふーん。なんかめんどくせーけど、ま、旅もいいかな」

「お前、ヴァン謡将がいるとご機嫌だなー」

 ガイは苦笑している。「へへ」と笑い返した視線の向こうを、鼻歌を歌いながらピンクの軍服の少女が横切っていった。背中には不気味可愛いヌイグルミが揺れている。

「……なあ、ティア、聞いていいか?」

「なにかしら?」

「あのさ、なんかみんな普通にしてるから聞きにくかったんだけど……。アニスの人形って、どうして動いてるんだ? 譜術か?」

「……さあ」

「さあって……」

「俺も気になってたんだ。おい、ルーク。聞いて来いよ」

 ガイが声を潜めて命じてくる。

「俺が? んなのガイの仕事だろっつーの」

 ルークは眉を上げたが、この親友兼使用人が女性恐怖症だったことを思い出して肩を落とした。アニスに近付き、コホンと咳払いをして話しかける。

「アニス、ちょっと聞いていいか? そのヌイグルミ……」

「トクナガのことですかぁ?」

「……トクナガ、ね。とにかくそれって、何ででかくなるんだ?」

「それはですねぇ。乙女の秘密です☆」

「はあ?」

「譜業の一種なんですけど、詳しいことはローレライ教団の秘密です。だから乙女の秘密なのです」

「……ってことらしいけど、ティア?」

 救いを求めるような目をルークは向けたのだが、ティアの反応は冷たかった。

「……私は人形士パペッターじゃないもの。分からないわ」

 当然ながらガイにも分かるはずがない。訊いたところで謎は謎のままだった。とりあえず、アニスのような戦い方をする者を『人形士パペッター』と呼ぶことだけは分かったが。

「……うーん。気になるぞ、くそ!」

 外の世界にはあまりに謎が多い。そしてその多くは究明されることすらないのだった。





 連絡船は夜の波の上で揺れている。

「イオン様、お休みにならないのですか?」

 船室で小さな灯りを点して座っている少年に、ジェイドが声を掛けた。

「少し、考え事をしていたんです。――これからのことを」

「バチカルに着いてからが、ようやくの本題ですからねぇ」

「ルークの力を借りれば陛下には謁見できると思いますが、不安が消えないのです」

「六神将、グランツ謡将、そして私たち……。役者は揃ってきましたが、重要な役者がまだ袖から出てきていませんからねぇ」

「モース……ですね」

 イオンは目を伏せた。

「ティアの語るモース殿、私たちの考えているモース殿。果たして、どちらが真実なのか……」

 ふう、とイオンは息を吐く。モースの本性を見極めている自信はあった。だが、ティアも嘘をつく人間には見えない。

 暗い顔をする少年を見て、ジェイドはフッと笑みをこぼす。

「ともかく、今はお休み下さい。全てはバチカルに着いてからです」

「はい」

 微笑んでイオンは頷いた。

 ――そう。全てはこれからなのだ。



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