「どうした? 元気がないね」
ケセドニアからアッシュに呼び出された後、テントを借りて泊まったオアシスの村の片隅で。
星空の下、小さな溜息をついていたナタリアは、掛けられた声に顔を上げて振り返った。
「ガイ……」
幼なじみの若者の穏やかな笑顔がそこにある。
「駄目ですわね、
今はそれどころではありませんのに、と目を伏せる。
外殻は次々と連鎖するように崩落を始めていた。せめて被害を最少に抑えるためにも、ザオ遺跡のパッセージリングの操作を急がねばならない。
「まあ、アッシュが何を考えているのか、俺たちには分からないさ。だがあいつは、少なくともキミの害になるようなことだけはしないと思うぜ。……インゴベルト陛下のことは、ハッキリしたことは分からない。こういう言い方は良くないのかもしれないが、今は考えるだけ無駄だ」
「……ええ」
「とにかく、今は目の前のことを一つずつ、だ。キミにそんなに暗い顔をされちゃあ、俺も、みんなだって悲しい気分になる」
微笑んでみせると、「まあ」とナタリアは口に手を当てて小さく笑った。
「そうですわね。今はとにかく、崩落の危機をどうにかしなければ。明日は砂漠越えですもの、もう休みますわ」
「ああ、お休み。――良い夢を」
そう言って、女性陣に割り当てられたテントに消えるナタリアの姿を見送ってから
「うわ!? ――と。なんだ、ルークか」
「ガイ。……あのさ」
赤い髪の少年は碧の目でガイを見上げている。何か言いかけて、しかし口をつぐんだ。逡巡したように視線をさまよわせている。
「ん? 何だ」
彼がこういう態度をとるときは、よほど言いにくいことがあるのだ。覗き込んで先を促してやると、思い切ったように再び視線を向けてきた。
「お前に教えて欲しいんだ!」
「は? 何をだよ。また剣の特訓か?」
「そうじゃなくて。女の口説き方をだよ!」
「――はぁあ!?」
鳩が豆鉄砲を食らったとはこういう顔か。ガイはポカーンと目と口を開けていた。
ルークが? 女を口説く、だって!?
いやまあ確かにルークも十七歳だ、そういうことを言い出してもおかしくはないのだろうが、しかし実質は七歳なわけで、そう考えるとちょっと早くないか。ってでも十七歳なのも確かなんだしなぁ。うーんそうかルークもとうとう色気づいたのか。教育係としては結構感慨深いが、兄貴分兼親友としては複雑だぞ。何せ俺は女に触れられないのだ。その俺を置いて一人でとっとと大人の階段上る気かこのやろう。
「……ガイ? どうしたんだ?」
フリーズしているガイを、ルークが不思議そうに、少し不安げに見上げてくる。
「あっ……ああ、すまん」
あんまり驚いたもんでな、と思わず漏らすと、「なんだよそれ」と顔を赤くして睨まれた。
まあそうだろう、とガイは思う。ルークも思春期真っ盛り、このテのことに興味しんしんでも、改めて人に尋ねるのは恥ずかしいことであろうに違いない。ましてルークはプライドが高い方だ。であれば、この請願を口にするには断崖から飛び降りるかのような覚悟が必要だったはず。
「しかし、急にどうしたんだ? お前、ついこないだまで『女なんてめんどくせー、うぜー』って言ってたじゃないか」
そう言うと、ルークは「う……」と声を詰まらせる。
「………ティアが、さ」
「……うん」
ああ、やはり彼女なのか。
最近、つまりルークが髪を切ってから急激に親密さの増している少女の顔を、ガイは思い浮かべる。
「さっき、向こうで落ち込んでて……。俺、励まそうと思ったんだけど、なんか怒らせちまったんだ」
大変な失敗を告白するかのように、ルークは顔を悲しそうに俯かせていた。
「そしたら、アニスが『駄目だよルーク、怒らせちゃうなんてサイテー。女の子を口説くんなら、もっとスキルを上げなくっちゃねー』って……。でも俺、女の口説き方なんて分かんねーし」
「……それで俺のところに来たわけか?」
訊ねると、ルークはこくりと頷いた。
はあ、とガイは息をつく。少し安堵したような、しかし実質的にはさして違っていないような。
「ま、確かに人に意思を伝えるのに、ある程度話術は必要だけどな」
それを『女の口説き方』と言うかどうかは別にして。
「だが、なんで俺なんだ。ジェイドの旦那なんか、かなりの口八丁だろう」
「ジェイドの話し方は、よく分かんねーんだよっ」
ぷう、とルークは頬を膨らませた。
「それに、さっきガイがナタリアを口説いてたの、すごかったじゃん。ナタリア、笑ってたし」
「……いやあれは、別に口説いたってわけじゃないんだけどな……」
呟くと、「自覚がないのは怖いですねぇー」と揶揄を含んだ声がした。
「ジ、ジェイド!? あんた、いつからそこに……」
いつしか現われていた、細身の男が、眼鏡を軽く押し上げながらニヤリと笑った。
「そんなことはどうでもいいじゃありませんか」
「どうでもいいってなぁ……」
「私は口八丁ですから」
苦笑したガイに笑って返すと、ジェイドは柔和な表情で続けた。
「とにかくガイ、ルークがこれだけ真剣に教えを請うているんです。伝授して差し上げたらどうですか?」
「いや、伝授って言っても……」
「なあ、頼むよガイ!」
ルークが真剣な目で見上げてくる。うーん、と顎に手を当てて暫し考え込む素振りをしてから、ガイはルークを見返して口を開いた。
「ダメだ」
「えーっ、なんでだよ!」
「実はな、ルーク。……俺の話術はガルディオス家とそれに関わる者にのみ伝えられる特殊なものなんだ」
「ええっ!?」
難しい顔をしてそんなことを言い始めたガイを前に、ルークは心底驚いた声をあげる。
「だから他の者においそれと教えることは出来ない。ほら、俺の剣の流派、シグムント流もそうだっただろう?」
「そ、そうだったのか……」
確かに、ガイがシグムント流の使い手から奥義伝承を受ける際、他の誰も立ち会うことが許されなかったものだ。それはまた、キムラスカ王家やファブレ家からホドの住民たちが身を隠すためでもあって……。
「ごめん、ガイ。俺、ホントに考え無しで……」
なにやらネガティブ方向に突き当たったらしいルークがくしゃりとうな垂れると、「ははは。ガイも結構人が悪いですねぇ」と、多分に笑いを含んだジェイドの声が聞こえた。
「あー、いや……。っていうかお前も信じるなよルーク」
「〜〜っ!? なんだよ、嘘かよ!」
「すまん、こら、蹴るなって」
ドカドカとガイの脛の辺りを蹴りながら、ルークはけれど少しホッとしてもいた。ガイがペール辺りに指導されつつ
それってなにやら見たくない光景だという気がする。なんとなく。
「大体、教えろって言われても困るんだよ。特に何か考えてやってるってわけでもないからなぁ。ただ思ったことを言ってるだけで」
「流石は天然気障ですね」
困り顔になったガイに、ジェイドが失笑を漏らしている。「天然気障って……」とガイは苦笑して、ようやく生真面目に考えを巡らせ始めた。
「だが、まあそうだな。相手の気持ちを考えることが基本かな。女の子相手なら、その子の美点を褒めるのもいいかもしれない。その上でお前が真剣に考えた言葉なら、きっと相手にも伝わると思うよ」
「そうですね。単純ですが、褒めるのは有効な話術の一つです。そのためには普段から相手をよく観察し、知っておく必要がありますが」
ガイが言うと、ジェイドもそう口を添えた。
「褒める……。そうか、そうだよな。俺、ティアに元気になってもらいたかったんだし」
ルークはうんうんと頷いた。
「わかった、そうしてみるよ。ありがとう二人とも!」
感謝の言葉を残し、ルークは走り去っていた。
「……大丈夫かな、あいつ」
後を見送りつつ、ガイはポツリと呟いている。
「心配なら、見に行きますか?」
ジェイドが笑った。
「見に行くって……覗き見かよ? そんなわけにいくか」
「そうですか。アニスは見る気満々のようですが」
「は? あ、いつの間に!」
見やれば、ルークの去った後を小走りに付けていく少女の姿が見える。思わず、ガイはそれを追いかけていた。
「おい待てアニス、覗きはまずいだろ」
「な〜に言ってんの、こんな面白いもの、見ないわけにいかないじゃん」
しかしアニスは意に介さない。視線すら返さずに進んでいく。
「ちょっと待て……!」
止めたいが、幼いながら女性であるアニスを掴んで引き止めることが出来ない。結果、アニスの後に付いて行くような形になったガイは、急に立ち止まった彼女にぶつかりそうになって悲鳴をあげかけた。
「静かにっ」「げっ」
しかし悲鳴をあげるより早く、びたんっ、とヌイグルミの太い腕で地面に押し付けられる。いつトクナガを巨大化させたのか。というようなことはともかく、ガイがどうにか視線を上げると、泉のほとりに佇むティアにゆっくり近付いていくルークの姿が見えた。
澄んだ泉は、その
「ティア……。さっきはごめん!」
近付いて、まず頭を下げてきたルークを、彼女は切れ長の瞳で見返した。
「ルーク……。いいえ、私も怒ったりして悪かったわ」
困ったように微笑む彼女の前に立って、ルークは言葉を探すように黙りこんでいる。
「ああもう、何してるかなぁ〜!」
抑えた声で憤慨し、アニスが身悶えた。
「まあでも、ルークらしいじゃないか」
やはり声量を抑えて、ガイはそう返す。昔から、ルークはあまり口が上手くなかった。何も言わずとも大抵のことは推し量るのが仕事の使用人たちに囲まれていたからか、単に面倒くさがりだったのか、無駄口を嫌う父親を恐れていたからなのか。それは分からないが、そつなく自分の意思を伝えることがかなり苦手だったのだ。
「もぉ! 教育係のガイがそんな事言ってたから、ルークがいつまで経ってもヘタレなんじゃん」
「はは……。そうかもな」
思わず苦笑した時、ついにルークが動きを見せた。
「あ、あのな、ティア!」
長い沈黙の後の不自然に大きな声に呼応したように、ティアが「な、何、ルーク」とこれまた大きな声で返している。
「えと、ありがとな!」
「どうしたの? 急に……」
「いや、俺、お前にはいつも助けられてたから……感謝してるんだ」
「ルーク……」
「それで、その…………うん、お前の歌声って綺麗だよな」
「え?」
「戦闘中でも、お前の歌声を聴くと安心するっつーか……。上手いし」
「あ、ありがとう……」
ティアが僅かに顔を俯けた。頬が赤らんでいる。
「それから、えーと……。そうだ! お前ってヴァン
「はい?」
「師匠みたいな髪と目の色だし、師匠みたいに強ぇーし、師匠みたいに厳しいし……」
「…………そう」
「だからさ……きっと大丈夫なんじゃないかと思うんだ」
「え?」
どろどろと沈んでいた顔を上げ、ティアは目を瞬いている。
「最初にティアと会った頃、俺、お前が何考えてるのか分からなかった。でも……今は、ほんの少しだけかもしれないけど、お前のこと分かった気がしてる。師匠だって……。外殻大地を次々落として、何考えてるのかなんて分かんねーけど、でも、話し合えれば、通じ合えるのかもしれない」
「……そうね。そうかもしれない……」
「げっ、元気出せよティア! 俺は、今はお前のことすげぇいい奴だって思ってるし……笑ってて欲しいし」
「……ルーク」
ティアは目の前の少年の顔を見つめた。ふ、と微笑ませた目元を
「ありがとう。でも、『今は』なのね」
つい最近まで――正確に言えば、ユリアシティで彼女の心情を聞くまで、ルークとティアの仲は良好とは言いがたかった。特にルークは、ティアを面前で『冷血女』と罵ってはばからなかったものだ。
「あ、そ、それは俺に見る目がなかったってだけで! その……。俺、実は、最初からお前のことで、いいなーって思ってたところ、あるし」
「そ……そうなの?」
ビックリしてどぎまぎと言葉を詰まらせたティアに向かって、ああ、とルークは頷く。明るく笑って高らかに言った。
「胸! すげぇーでけーよな、お前」
「…………」
ピシリ、とティアが固まったことが、傍で見ていたガイとアニスには分かったが。
「ホントでけぇよ。殆どメロンっつーか。戦闘の時重くねーのかなって、ずっと気になっ」
ルークの言葉は最後まで発されなかった。ゴキッ、という鈍くも大きな音に途切れさせられて。
ティアは、はー、はー、と肩で息をしている。たった今ルークの頭を殴りつけた杖を握り締めて。その目の端に涙さえ浮かんでいる気がするのは気のせいだろうか。
「……バカっ!!」
一声叫ぶと、背を向けて行ってしまった。
「……あー。やっちまったって感じですねぇー」
低い声で呟いて、アニスが肩をすくめている。
「おいルーク……。大丈夫か?」
殴られた頭を抱えてうずくまったままのルークに、ガイは恐る恐る近付いた。
「………ガイ〜〜〜」
涙目で見上げられて、「う」と固まって苦笑を貼り付ける。今のルークには、何故ここにガイがいるのかだとか、そういうことに気を回す余裕すらないようだった。
よしよし、とこぶの出来た頭をさすってやりつつ、ガイは息と共に言葉を落とす。
「まあ、メロンはまずかったな」
それ以前の『
「な、なんでだよ〜。美点を褒めるのがいいって、ガイだって言ってただろ。女の胸って、大きければ大きい程いいんじゃないのか?」
メイドたちがよくそんな話してたぞ、とお坊ちゃまはいかにも納得できないという風に訴える。「あっま〜い!」と人差し指を立ててアニスが割り込んできた。
「世間の価値観は多様なのです。胸は大きい方がいいなんて考え方、古いねっ」
「……アニスの胸はルグニカ平野なみだな」
ボソリと呟いたルークは、一瞬後にはトクナガのアッパーで宙を舞っていた。
「ルークぅーー!?」
その見事な飛びっぷりに、ガイが青ざめて叫んでいる。
「ルークって最低! セクハラすんなっつの!」
吐き捨てて、アニスはトクナガの背に乗ってのしのしと歩き去った。
「……女ってワケ分かんねぇよ……」
地面に伸びた格好のままで呻くルークを前にして、この子供を一体どう教育してやればよいのだろうかと、今更ながらにガイは途方にくれていた。
「まずは、口は災いの元、という辺りから教えるべきなんじゃないですかねぇ……」
男性陣にあてがわれたテントの中。何気に外の気配を窺いつつ苦笑したジェイドの足元で、丸くなって寝息をたてているミュウが、「ご主人様、ファイトですのぉ〜」と可愛い寝言を漏らした。
06/04/14 すわさき
終わり
*割と普通と言うかベタというかな話。いやこの辺のフェイスチャット見ててガイの口説き口はすげーよな、と思ったので。下心なしで言う辺りが怖い人ですね!
そしてどーでもよさげな話題ですが、ジェイドを覗きに参加させるか迷いました。自分的には、ジェイドは覗きをするほど稚気のある人じゃないと思ったんですが、どーでしょう?