戦い続きのこの旅路においては、食事を終えれば、後は基本的に寝るばかりになる。他に何をするにしても、とりあえず各自があてがわれた部屋に立ち去るのが通例だ。
なのに、今晩ばかりは(消耗の激しいイオンを除いた)全員がなんとなく留まって、ホテルの共用スペースに置かれたソファで、とりとめもなく談笑していた。
ガイに仕掛けられていたダアト式譜術――カースロットが発動し、その心に秘めてきたルークへの殺意と、彼自身の過酷な身の上が明かされてから訪れた、最初の夜。それでも共に旅を続けることを選んだ二人の意思を尊重して、いつものように彼らを同室にする部屋割りが振られていたが、といって早々に二人きりにするのは気詰まりなような、心配なような、そんな空気がなんとなく全員を留めていたのかもしれない。
「……そろそろ寝ないとな。部屋に引き上げるか」
それでも、壁に掛かった時計を見上げて、ついにルークがそう言って立ち上がった。
「そうね。もう遅いし……」
ティアが頷いている。だがアニスは、「えぇー。まだ九時にもなってないよ。宵の口じゃん」と肩をすくめて笑った。
「何言ってんだよ、アニス。九時だぞ。未成年は寝なくちゃなんねぇんだ」
「はぁ? ルークこそ何言ってんの?」
咎めるような視線を向けられて、アニスは目をすがめて怪訝な顔をする。
「だから、九時が来るだろ」
「おやおや、ルークは随分早寝主義なんですねぇ。その割りに、朝もいつまでも寝ていますが」
ジェイドが笑った。う、と声を詰まらせるルークを見ながら、「そういえば、ルークはいつも早く眠っていたわね」とティアが呟く。
「夜更かしをしないのはよいことですわ。規則正しい生活を心がけるのは、王族として立派なことですわよ」
笑顔でそう言ったナタリアに渋い顔を見せ、「いや、そうじゃなくてさ……」とルークが言いかけたところで、「ルーク」と幾分硬さを込めたガイの声が落ちた。
思わず、全員が彼に顔を向ける。
「ど、どうしたんだよ、ガイ」
「最初に謝っておく。すまんルーク、俺にはまだ他にも、お前を騙していたことがあるんだ」
「え……!?」
ルークは声を詰まらせ、仲間たちはハッとしてガイの顔を見つめた。彼らの視線を受けながら、ガイは顔の前で組んでいた両手を降ろし、やがて口を開いた。
「あのなルーク。成人の儀を迎えるまでは、人は必ず九時には寝ないといけないっての、あれは嘘だ」
「…………は?」
そんな声を漏らしたのは、仲間たちだった。何言ってるんだコイツは。全員がそう思う。――ルークが「え……えぇえええっ!? 嘘だったのかよっ!!」と素っ頓狂な声で叫んだ時までは。
「だってお前が九時までに寝ないとやべーって言うからっ」
「ああ……。お前、小さい頃は『九時』ってのを怪物か何かだと勘違いしてただろ?」
俺がなかなか寝付かないお前に「早く寝ないともう九時が来るだろ」って何度も言ってたら、怯えだして大人しく眠るようになったんだよなー、とガイは言った。
「それが面白……ゴホン、都合がよかったんで、ついついそのままにしちまった。すまんルーク。……だがまさか、今の今まで信じ込んでたとはなぁ」
笑いをこらえるような顔で言われて、ルークは面白いほどにカーッと赤くなった。
「なっ……そっ……、ばっか! んなわけねーだろ! そんなの嘘だってとっくに知ってたっつーの!!」
って、たった今「九時には寝ないと」と言ってたばかりなわけだが。
「まあ……中身は実質七歳児なわけですしねぇ」
ジェイドが苦笑し、ティアは(何故か僅かに頬を染めて)口の中でもごもごと何か呟いている。
「っていうか、ルーク、ついこないだもガイに騙されてたじゃん」
アニスがジト目になって笑った。
「な、なんだよっ」
「ほら、ガイに料理を教わってた時に言われてたよねぇ、『にんじんは大根の子供なんだぞ〜』って。すげーっ、とか言って感心してたの、アニスちゃん見たもんねー」
「まぁ! それは知りませんでしたわ!」
にんじんにはそんな秘密がありましたのね、とナタリアが目を丸くして感心する前で、ルークもまた碧い目を見開き、次いで再び赤くなって叫んでいた。
「そんなん信じてねぇよ! 嘘だってちゃんと分かってた!」
「またまたぁ〜。そんなこと言って、にんじんを育てたら大根になるんだぁー、とか思ってたんじゃないの?」
「思ってねぇ!」
打てば響くように返すルークの様子を見て、思ってたんだなぁ……と仲間たち(ナタリア以外)は微笑ましく感じた。
「いや……。ごめんな、ルーク。まさか信じるとは思ってなくて」
「くっ……」
苦笑しながら頭を下げてくるガイを、ルークは興奮のあまり涙の浮かんだ目で睨んだ。
「今更謝ってんじゃねぇよ、ガイのアホバカかば音機関マニアの偏執狂!」
「ガイって音機関マニアなの?」
ルークの罵声を聞きながらアニスが呟く。ナタリアが「相当なものですわ」と困った顔をした。
「そういえば、タルタロスの修理を手伝っていたわよね」
「そうですね。素人にしてはなかなかの腕前でした。それにしても偏執狂……ですか」
ティアの声にそう返して、ジェイドが笑いをこらえている。
「あー……。すまん。悪かった。いいから落ち着けよ、ルーク」
「うっせぇ、アホガイ! 女嫌いのくせに!」
「って、女嫌いは関係ないだろ。つーか、俺は女嫌いじゃなくて触れないだけだ。女性は大好きだからな。とにかく、悪かったって」
「うー……」
席を立って近付いてきたガイに頭をわしゃわしゃと撫でられて、ルークは唇を尖らせた。
「縮む! 撫でんな!」
「はいはい」
ガイは笑って手を離し、肩をすくめる。いつもの二人の雰囲気だ。仲間たちはどこかホッとして彼らの様子を眺めた。
後日談。
旅が続く中で、ついに長年ガイを苦しめてきた女性恐怖症の原因が明かされた。ファブレ公爵率いるキムラスカ軍に姉やメイドたちが殺された時の記憶が心理的外傷となっていたのだ。
「俺……ガイには謝っても謝りきれないよ」
これすらも自分の父――ファブレ家が原因だったと知って、ルークは罪悪感でひどく打ちのめされた。
「気にすんなよルーク。お前のせいじゃないんだ」
「でも……今まで俺、何も知らないでお前の女性恐怖症の事からかったりして……ホント、悪かった」
「ルーク……」
泣きそうな顔でうな垂れたルークを、ガイは自分の方こそが悲しそうな顔で見つめた。
意を決したように顔を上げ、真剣な面持ちでルークはこう告げる。
「ごめんな、ガイ……。これからは俺、ちゃんと言うから。――お前は女嫌いじゃなくて、『女好き』だ、って」
「…………いやそれもなんかちょっと微妙だな……」
割りと長めの沈黙の後、とりあえずガイはそう突っ込んでおいた。
06/03/26 すわさき
終わり
*レス板からの再録。
すんません こういうホニャニャな関係も好きなのです。
私は騙されやすい子供でした。親にも友人にも良く騙されてました。不思議なことですが、自分では「んなことあるはずないじゃん」と思いつつ、信じているのです。後で「アレは嘘だよ」と言われて、何故か猛烈なショックを受け、自分が信じていたことを知るのでした。
例えば、蓋付きの高価なツボがあって、「これに触っちゃいけないよ。この中にはお化けが閉じ込められてるんだからね」と言われると、本当かと思ってビクビクしたり。……ええ騙されていましたよずっと当時小学生でしたがねフハハ。
人は騙されていたことを知って大人になっていくのだと思います。きっと。トホ。(そして騙すのは多分 親の特権。)