ルークはがくりと座り込んだ。肩で荒く息をつく。剣――ローレライの鍵を支えにしなければ、そうしていることすら難しいのかもしれなかった。
「う……っ」
嗚咽が漏れた。それと共に涙がぽたぽたと落ちる。その目で、彼は周囲に倒れ伏した仲間たち一人一人を見やった。
「ジェイド……」
「アニス」
目を閉じるとあどけなさの際立つ少女は、小さく戻ったヌイグルミと共に人形のように転がっていた。
「ナタリア……」
常に光輝に包まれていたようだった
「……ガイ」
生まれてからの道をずっと共にしてきた親友は、血溜りの中に顔を伏せて動かなかった。
「――ティア……っ」
傍らにうつ伏せに倒れた少女に、ルークは手を伸ばす。指先の触れた体は、まだ
「うっ……ふ……く、う、ぅっ……」
蘇生の譜術といわれるレイズデッドであっても、本当に死んだ人間を生き返らせることはできはしない。俯き、涙をこぼして、ルークは唇を噛んだ。
「なんで……こんなことに……っ」
栄光の大地エルドラント。そう呼ばれた偽りの地で、世界の命運をかけた最後の戦いが繰り広げられた。共に、世界を滅亡から救おうとする者同士の衝突。世界を一度滅ぼして新たに創造するか。変化を信じてこのまま存続させるか。同じく未来を望みながら、譲れない思いをぶつけ合ったのだ。
そしてルークは、第二超振動でヴァンを打ち倒した。
こうして、世界はとりあえずの滅亡の危機からは救われたのだ。――仲間たち全ての命を引き換えにして。
「死ぬのは俺の……俺だけのはずだったんだ……」
今までの旅の中で、ルークの身体は
そんな思いで、ルークはこの地までやって来た。ここは彼の覚悟の死地だったのだ。
「なのに何でっ……」
ルークとその仲間たちが戦いを挑んだヴァンは、恐るべき強敵だった。元々並外れた強さを誇っていたうえ、その身にローレライを取り込んでいたのだから。
だが、まさか。
まさか仲間たちが戦いの中で殺されてしまうだなんて!
思えば、誰にとっても命を懸けた戦いだった。当然予測しうる事態であったのに、何故か、ルークはその可能性を考えたことすらなかった。
死ぬのは自分。自分だけであるはずで。
仲間たちには当然未来がある。……残せる。
――その、はずだったのに。
「ご主人様ーーっ!!」
ふいに甲高い声が響いて、青い塊が飛びついてきた。
「ミュウ。――そっか、お前は無事だったんだな……」
「ご主人様、みなさんが、みなさんが……!」
大きな目から涙をポロポロと落とすミュウに、ルークは微かに苦い笑みを見せる。
その時、ドォーン、と重い震動が起こった。揺さぶられて周囲が崩れ始める。ヴァンの消滅の影響が、この偽りの大地にまで及んだものだろうか。
「いいかミュウ……。これからアルビオールまで戻って、ここで起こったことをノエルに報せるんだ」
ルークはミュウに言い聞かせた。
「みゅう!? でも、ご主人様は……」
「俺は……まだ、やらなきゃならないことがある」
言って、ルークは剣を支えにしていた手にぐっと力を込め、顔を苦痛に歪めながら立ち上がる。
「ローレライを解放する……。約束、だからな」
「ご主人様っ!? 腕が……!!」
悲鳴のようなミュウの声を聞いて、ルークはハッと己の二の腕を見た。薄く透き通り、消えかかっている。
「そろそろ限界、か……」
ヴァンとの死闘は、ルーク自身にも致命傷を与えていた。彼の白い上着は腰の辺りから真紅に染まり、水分を吸った裾は重たげに垂れ下がっている。――完全乖離による死が先か、死による乖離が先か。どちらにしてもさして変わりはしないだろう。
「ご主人様! ボクもここにいるですの。最後までご主人様と一緒ですの!」
「ダメだ。行けよ、ブタザル」
「でも、でも……」
「……ミュウ」
ルークはミュウに視線を向ける。悲しげな、しかし優しい光が瞳に揺らいでいた。
「行ってくれ。……もう、お前にしか頼めないんだ」
「みゅ、みゅぅうう〜〜……」
涙を浮かべながら小さな生き物はふるふると体を震わせる。
「おら、行け!」
「みゅうう!」
ルークの声に追い立てられたように、ミュウは小さな手足で崩壊しつつある階段を駆け下りていった。
崩れかかり、いまだ魔物やレプリカ兵たちが放たれたままのエルドラントから、小さなミュウが一匹だけで抜け出せるのか。それは分からなかったが、今の自分には守ってやる力も時間も残されてはいない。
「ごめん……ありがとな、ミュウ」
生き延びて欲しい。そう願った。せめてあの善良な生き物だけでも。
ルークは一度目を閉じる。そして剣を両手で構え、勢いよく地に突き立てた。そこに光が迸り、複雑な文様の譜陣が広がる。鍵穴に差し込んだように、カチリ、と刀身が回った。ルークの身体はゆっくりと地の底へ――解放を待つローレライのいる地核へ降りていく。
光に覆われていく視界の向こうで、仲間たちの死骸が走る亀裂に飲み込まれ、瓦礫の底に消えていくのが見えた。
ペールは、花を見ている。
この屋敷に仕える前、バチカルのファブレ公爵邸で庭師をやっていた頃、よく植えていた花だ。彼の主人が好む花だったからなのだが、その主人が偽りで仕えていた少年――ファブレ家の二人目の子息もまた、この花が好きだ、と漏らしたことがある。
だから、ペールはこのグランコクマの屋敷に移った後、庭にこの花を植えた。ファブレ邸を出たら、もう庭師の真似はしなくていいんだぞと主人は笑ったものだが、なに、性にあってるんですよと答えて。
血と闇にまみれた様々な事象を経て、主人は光を取り戻した。彼の未来には更なる光があるはずだ。あの戦いが終われば……。
だからペールは花を植えた。彼の主人と、その親友である少年が戻ってきて、共にこの花を眺めることが出来るようにと。
年に一度、定められた季節に咲く花。
あれから二度、ペールはこの花を見ている。
ただ一匹戻った小さな生き物のもたらした報せは、世界に悲しみと喜びの双方をもたらした。
世界は滅びなかった。
だが、それを勝ち取った若者たちは、戻ることがなかった。五人(いや、六人か)は命を落とし、残った一人は深手を負ったまま、崩壊するエルドラントの底へ消えたという。
復興したばかりで再び主人を失ったガルディオス家は、しかし廃家されることなく残されている。皇帝たるピオニー九世の計らいだった。「もしもガイラルディアが戻った時、家がないと困るだろう?」と。ペールは残されたグランコクマの屋敷に留まり、整えて、帰らぬ主人を待っている。
彼はあの善良な生き物の報せを疑うほど疑い深くはなかったし、奇跡を信じ続けるほど若くもなかった。それでもそうしているのは、彼が新たな何かを得るには年老いており、そして、その人生においてあまりにも多くのものを失い過ぎたからなのかもしれない。
座り込んで花の世話をしていたペールは、道具が足りないことに気付き、それを取りに物置へ行った。そして前庭の花壇に戻ってきたところでハッと足を止める。そこに立っている人影があったからだ。
その人物は黒いフードで顔を隠していた。花壇の前に立ち、花を眺めているように見える。
「……!」
ガラン、と手の中から園芸道具が落ちた。その音にハッとしたようにその人物が振り返り、身を翻して足早に立ち去ろうとする。
「お待ち下さい!」
叫んで、その人物のマントの端を捉えることが出来たのは僥倖だったのか、あるいはかつて騎士として名を馳せた杵柄か。引かれた弾みで、人物の被っていたフードがパサリと背に落ちた。今しも花壇に咲いている花のように鮮やかな、豊かな長い赤毛が露になる。
「やはり、ルーク様」
「……ペール」
観念したように足を止め、彼はペールの名を呼んだ。
かつて、ファブレ邸で主人に倣って仮初めに、しかしいつしか真に仕えていた。主人が親友と呼び、ついには剣を捧げた少年だった。……いや、今はもう青年と呼ぶべきか。
「どうして、ここに……。いえ、よくぞご無事で」
青年は黙ってペールを見返している。
「公爵はこのことをご存知で……? 確か今日は、バチカルであなたの成人の儀が行われているはず。あなたの無事を知れば、シュザンヌ様もさぞやお喜びになることでしょう」
そうだ、ピオニー陛下にもお知らせしなければ、と言いかけたペールを遮るように、「ペール!」ともう一度青年が声を出す。
「あ……いや、申し訳ない。こんなところで無作法でしたな。長旅でお疲れなのでしょう、ささ、中へ」
青年のマントの裾が裂け、足元の装備が埃に汚れているのを見て取って、ペールは彼を屋敷へ導こうとした。だが、青年は動かない。
「ルーク様?」
訝しげに名を呼ぶと、彼は首をゆっくりと左右に振った。
「……俺は、行けない。ペール、今日俺がここに来たことは、誰にも言わないでおいてくれ」
何を仰られる、と言いかけた声を、ペールはハッと飲み込んだ。記憶の中そのままに、青年の瞳は碧い色をしている。だが、そこにかつてあった子供らしい快活さは窺えなかった。あるのは――深淵。
「本当は、ここにも来るつもりはなかった。だけど……ガイが、」
青年はそこで一度声を途切れさせる。名を舌に乗せたことで痛みを感じたかのように。
「……ガイが、言ってたのを思い出して。この戦いが終わったら俺の屋敷を見に来い、ペールが花を植えるって言ってるんだ、って」
その光景が目に見えるようだ、とペールは思った。彼の主人が、己の親友をそう誘う表情、声色。そんなものが、ありありと鮮やかに。
既に失われて久しいものなのに。主人の面影はペールの中で色褪せることなく、未だ生き生きと息づいている。
「ホントに植えたんだな、花。それを見たら、つい近くで見たくなって……」
「あなたも、この花がお好きでしたからなぁ」
緩く笑んでそう言うと、青年もまた、釣られたように口元に微かな笑みを浮かばせた。
「ガイが、好きな花だったからな。……だから俺も好きだった」
少し驚いて、ペールは青年を見つめた。彼がこの花を好きだと言ったのは、まだ屋敷に軟禁されていた頃だ。物事を知らず、不満顔ばかりで我侭いっぱいに振舞っていたものだったが。
主人がこの場にいたら、これを聞いてどんな顔をしただろう、とペールは考える。
「……ごめん」
青年が呟いた。長い前髪が落ちて、俯いた彼の表情を隠している。
「ごめんな、ペール。ガイを、帰してやれなくて」
「そんなことを仰いますな、ルーク様。……戦いだったのです。命かける覚悟を、ガイラルディア様もされていたことでしょう。なにより、あなたがこうして無事にいる。生きておられる。剣を捧げた相手を守り抜いたのです、あの方もきっと……満足しておられる」
己自身、
「俺は、生きてなんかいない。斬られた傷は気が遠くなるほど痛くて、段々視界が暗くなって。手足の先から身体が消えていった。――俺は、死んだんだ。皆が死んだ、同じあの日に。なのに、なんで……」
青年は己の両のてのひらに空虚な視線を落とす。
「なんで、俺はここにいるんだ……?」
背筋をぞっと走るものをペールは感じた。
かつて、この青年を包んでいたのは明るい光だった。『聖なる焔の光』という、その名の通りに。血にまみれ罪を犯した後でも、光は消えてはいなかった。それをペール自身愛していたし、主人を含む周囲の者も同じだっただろう。
だが……これは何だ? そう、ペールは
「ルーク様、生き延びたことで自分を責めるものではありません」
どうすればこの青年を真に引き戻せるのか。分からないままに、とにかくペールは言葉を紡ぐ。
「誰もがあなたの帰還を待っていた。無論、私もです。仲間の死を悔やむのなら、ご自分の生を許しなさい。生あればこそ、これから何事をも成す事が出来る。そのためにあなた方は戦ったのでございましょう?」
「だけどペール……。俺には、本当に分からないんだ」
青年は言った。
「だって、ガイも、ティアも、ナタリアも、アニスも、ジェイドも、……アッシュも。誰もいないのに。俺は、どうすればいいんだろう。何をして、どこに行けばいいんだろう。分からない。俺には、何も見えないんだよ」
ふらり、と青年は歩を踏み出した。その足は屋敷の門――外へ向いている。掛ける声を失って、ペールはその背を見送った。
焔は、底のない沼地の中で
終わり
06/04/02 すわさき
*レス板からの再録。IFパラレルもの。もしも「生き残ったのはルークだけ」だったら。