残響


「全てをあるがままに受け入れ、心静かに過ごしなさい。――さすれば、預言スコアはあなた方を安寧の未来へと導くでしょう」

 息を吐いて口を閉ざすと、しんと震えのない空気が礼拝堂を満たした。白い法衣をまとった少年は一礼し、ゆっくりと壇上から降りる。立ち去る姿を懸命に目で追いながら、人々は口々に「イオン様」と彼の名を呟いた。「ありがとうございます」「今日のお話も素晴らしかった」「導師様、どうかお導き下さい」。静かに落ちるさざめきは、柔らかく響く春先の雨音のようだ。

 扉を潜り、礼拝堂から続く控えの間に入った少年は、ぐらりと片手をついてテーブルに寄りかかった。肩で浅く息をついていると、傍に立っていた少女が「イオン様?」と不安げな声で呼ぶ。

「ああ……。大丈夫だよ、アリエッタ」

 そう言って微笑みを見せたとき、「お疲れのようですね、導師」と声がした。

「リグレットですか……。どうしました?」

 見れば、奥側の戸口に金髪を結った怜悧な印象の女が現われている。表情を険しくして身を起こしたイオンに向かい、「はっ」と彼女は軍人らしく身を正した。

「グランツ謡将からのご報告です。『人形』が完成した、と」

 一瞬、イオンの瞳に何かがよぎる。

「そうですか……。分かりました、行きましょう」

 机から手を放してリグレットの方へ歩み寄ると、「イオン様、どこに行くの?」とアリエッタが小走りに追ってきた。足を止めて、イオンはアリエッタに向き直る。

「アリエッタ。僕はこれからヴァンやモースを交えて大事な話があるんだ。その間、きみは自由に休憩していていいよ」

「アリエッタも一緒に行く……です。アリエッタは、導師守護役フォンマスターガーディアンだモン」

「ありがとう、アリエッタ」

 たどたどしく訴える少女に向けて、イオンはふわりと微笑んだ。

「でも、きみも疲れているだろう? たまにはゆっくりするといい。僕のことは、ヴァンやリグレットがいるから心配要らないよ」

「でも……」と繰り返すアリエッタに「すぐに戻るから」と言い聞かせて、イオンはリグレットと共に部屋を出て行った。



「本当に大丈夫なのですか?」

 教団本部の長い廊下を歩きながら、不意にリグレットが言った。

「……何がだい?」

「お身体のことです。顔色が優れないようですが」

「ああ。どうってことないよ」

 イオンは俯いて笑う。アリエッタに見せたものとは違い、その笑みにはどこか皮肉な色が混じっていた。

 しかし、その不敵な態度とは裏腹に、確かに彼の顔色は青い。元来色が白かったために目立ちにくいが、血の気がすっかり失せていた。加えて、呼気に僅かな濁りが混じっていることさえも、リグレットの鋭い耳は捉えている。

「医者か治癒術師ヒーラーをお呼び致しましょうか?」

「必要ないさ」

「しかし……」

「必要ないんだ。……だって僕の体がイカれる日は、預言スコアでとっくに決まってる。何をしたって動かないんだ。治療なんて時間の無駄なだけだろう?」

 イオンは皮肉に言った。

「逆に言えば、『その日』が来るまでは何をしたって大丈夫ってことさ。だから、気にすることはない」

「………」

 リグレットは僅かに目元を歪めたが、それ以上口を開きはしなかった。ただ、代わりに少しだけ歩を緩めてやり、彼を先導して長い通路を歩いていく。



 彼らが向かったのは閉鎖された資料室だ。その奥の書架に向かってリグレットが何か操作をすると、隠し通路が開いた。

「ここからは自然の洞穴ですから、魔物も出ます。お気をつけ下さい」

 そう注意を促すと、「分かってるよ。僕を誰だと思ってるの?」と倣岸にイオンは返す。熱気がムッとこもった道を進むと、やがて吊り橋の向こうに開けた場所が見えた。多くの巨大な音機関があり、それにも増して、周囲には幾つもの鉄格子のはまった小部屋を見ることが出来る。

「導師イオン。お越しいただけましたか」

 音機関の前で談笑していた男の一人が、目敏く気付いて話しかけてきた。灰褐色の髪を高く結い、あごひげを生やした男だ。腰には剣を差している。威風堂々とした物腰から落ち着いた歳に見えるが、よくよく顔立ちを見れば、まだかなり若い。

「やあ、ヴァン。――人形が完成したんだって?」

「はい。こちらに」

 ヴァンは鉄格子のはまった小部屋の一つを腕で示した。岩壁を穿って作られたその檻の中には、数人の人間の子供が押し込められている。

「へぇ……よく出来てるじゃないか」

 覗き込んでイオンは言った。表情を笑いに歪める。

「少なくとも外見は。鏡を見ているみたいだ」

 檻の中の子供は、みんなイオンと同じ顔をしていた。同じ瞳、同じ髪、同じ背格好で同じ年頃。ただ、イオンが手の込んだ刺繍の施された質のいい法衣を着ているのに対し、子供たちはひとえの無地のシャツを着て、髪もとかされてはいない。

「全く。このようなものをお造りになるよう命じるとは、導師も物好きですな」

 背後から、ヴァンと談笑していた壮年の男が話しかけてきた。恰幅がよく、いかにも聖職者然として、法衣の長い裾を床に引きずっている。

「いくら導師のお命が間もなく尽き、後継に関する預言スコアが見つかっていないとはいえ……。レプリカなどという存在は、ユリアの預言スコアにも詠まれておりませぬ。自然の摂理に反する」

「ですが、『存在しない』と詠まれている訳でもありませんよ、モース殿」

 ヴァンが言った。

「改革派の動きが活発になっている……。導師不在になれば混乱は激しさを増すでしょう。これを抑え、教団に安定をもたらすためには、レプリカといえども導師の存在が不可欠なのです」

「うむ……そうであったな。そして教団の安定こそが預言スコアを護り、遵守させる。私はユリアの遺志を継ぎ、なんとしても、世界に未曾有の大繁栄を呼び寄せねばならぬのだ!」

 モースがそう言った時、甲冑をまとった一人の兵士が駆けて来て、彼に何やら耳打ちした。

「何! そうか……カンタビレめ、ついに尻尾を出しおったか。目にもの見せてくれるわ」

 ニヤリと笑うと、「では導師、私はこれで失礼致します」と頭を下げて、モースは兵士と共に足早に立ち去った。



「ふん……俗人め。お前が欲しいのは預言を護ることによって得られる自分の地位だろう」

 モースの姿が見えなくなると、イオンは低く吐き捨てた。再び鉄格子の中を覗きこむ。

「こいつらは喋れないのか?」

 ただ固まって怯えたようにこちらを見ている『自分』の群れを眺めて眉を顰めた。ヴァンが答える。

「フォミクリーで複製できるのは肉体だけです。記憶や精神にいたっては赤ん坊と同じだ。もっとも、方法はありますが」

「方法?」

「『刷り込み』ですよ、導師」

 そう言ったのは、宙に浮いた安楽椅子に座った奇妙な男だった。そのままスーッと宙を滑って近付いてくる。

「記憶や知識を後天的に刷り込む方法です。こ・の! 美しき天才、薔薇のディストの手に掛かれば、実に容易いことですとも」

「現時点では、歩行や会話、最低限の日常動作に必要なだけの刷り込みを行っています」

 赤い唇を歪めて高笑いを始めたディストを他所にして、ヴァンが言葉を継いだ。

「……ちょっとっ」

「レプリカは、オリジナルからどこかしら能力が劣化する傾向にある。この七体の中から、導師の身替わりに足る個体を選別せねばなりません。然る後に、導師としての教育を行いましょう」

「きぃぃぃいいっ、無視しないで下さい! フォミクリー研究の第一人者の、このディストを何だと思ってるんですかっ。性悪ジェイドなど目でもないんですからねぇえっ!!」

「うるさいぞ、ディスト。グランツ閣下がお話中だ」

 リグレットに冷たく一喝されて、ディストは「復讐日記につけますよ」と吐き捨てながら音機関の方へ戻って行った。

「ふん。僕の身替わりに足る、か」

 イオンは視線を檻の中に戻した。中の一人と目が合う。――そこに浮かんだ怯え以外の色を見て取るなり、格子の隙間から手を伸ばして、その髪を鷲掴んだ。引き寄せられた子供の頭がガン、と格子にぶつかり、顔が苦痛に歪むのが見える。

「お前、生意気な目をしているじゃないか。人形のくせに」

「………」

 子供はイオンを睨んでいる。二人は同じ表情かおをしていた。

「覚えておけよ、お前たちは人形だ。僕の身替わりになることでしか生きている価値はない。それ以外はゴミだ。せいぜい頑張って、僕らしく振舞うんだな!」

 そう言うと、イオンは子供から乱暴に手を放す。見つめる自分の群れから目を逸らすと、「後は任せる、ヴァン」と言い置いて白い法衣を翻した。




「イオン様!」

 執務室の扉を開けるなり声を掛けられて、イオンは少々面食らった。アリエッタがニコニコと笑いながら駆け寄ってくる。いつも泣きそうな顔の彼女にしては珍しいなと思えば、腕にしっかりとヌイグルミを抱えていた。

「アリエッタ……どうしたの、そのヌイグルミ」

「もらったの!」

 アリエッタは本当に嬉しそうだ。釣られて自分も笑って、それにしても変わった趣味のヌイグルミだな、と内心で思った。オバケをちぐはぐに縫い合わせたような形をしている。この独特のセンスには覚えがある気がした。

「もしかして、パメラからもらったのかい?」

「うん! パメラ、アリエッタにくれた」

 パメラ・タトリンは夫と共に教会に住み込んでいる下働きの女性だ。――実態は、借金を盾にモースに飼い殺されている下僕なのだが、本人たちはそれをまるで苦にしていないようで、毎日くるくると楽しそうに働いている。彼女には確かアリエッタより二つほど年下の娘が一人いて、その娘の為に古布でヌイグルミを幾つも拵えていた。他に何を買い与えることも出来なかったからなのだろうが、可愛いとも不気味ともつかない独特さがよかったのかバザーなどで評判にもなって、それでイオンの記憶にも残っていたのだ。

 笑いながらヌイグルミを抱きしめるアリエッタからは、普段の不安定さが影を潜めていた。彼女は十四年前のホド戦争で家族を失い、赤ん坊の時から魔物に育てられてきた。それを発見して人里に連れ戻したのはヴァンだが、七年近くを魔物と過ごした彼女の人間としての発達はひどく遅れていて、七年ほどをイオンと過ごした今でも言動はたどたどしく、人間よりも魔物と話す方を好む。もっとも、魔物と会話し指揮する能力があるからこそ、こうして神託の盾オラクル騎士団への入団を許され、導師守護役フォンマスターガーディアンとしての職務も与えられているわけだが。

「アリエッタは人形が好きだったんだね」

 奇異と畏怖の目で見られ、人間と殆ど交われないアリエッタは常に不安げに眉を下げていたものだったが、人形一つでこんなに喜ぶのならもっと早く与えてやっていればよかったと思う。

「好き?」

 キョトンとしてアリエッタは問い返した。

「大切で、一緒にいると嬉しいということだよ」

「うん! アリエッタ、人形、好き……です。イオン様は、もっと好き!」

「僕もアリエッタが好きだよ」

 ヴァンに初めて引き会わされた頃は、アリエッタは殆ど獣だった。それにヴァンと共に少しずつ言葉を教え、人としての振る舞いを学ばせたのはイオンだ。預言スコアによって導師になることが定められていたために、赤ん坊の時に両親から引き離されたイオンにとって、アリエッタを育てることは一つの喜びだった。喪失していた『家族』というものを自分の手で作り上げている気がしたから。

 屈託なく好きだと言い合える関係は心地よかった。アリエッタには、国も、組織も、預言スコアも、人としてのしがらみが何もない。

「イオン様……?」

 イオンはふと手を伸ばす。

 不意に抱きしめられて、アリエッタは不思議そうな顔をした。少しくすぐったそうにしている。その髪に顔を埋めて、イオンは微笑を浮かべた。

「アリエッタからは、お日様や土や風の匂いがするね」

「さっきまで、中庭で、みんなと日向ぼっこしてたから……」

 みんなというのは、アリエッタが兄弟と呼ぶ魔物たちのことだろう。彼女が教会や街に魔物を伴うことを特例として許可したのはイオンだ。魔物の家族を恋しがるアリエッタを慮ってのことでもあったが、それは彼女が人間社会へ溶け込むことを阻害してもいる。

 でも、それでいいんだろう。

 そう、イオンは思った。

 彼女は獣だ。しなやかに力強く生きている、この星の輝く命。様々な枠に押し込められた人間社会に、無理に迎合することはない。

 ああ、でも今まで保護してきた己の手が消えた後は。

「アリエッタ。僕がいなくなったら……」

「え? イオン様、どこかに行っちゃうの? 嫌です……」

 たちまちアリエッタの声が不安に揺らぐのを聞いて、イオンは体を離して苦笑を浮かべた。

「いや……いいや。僕はずっといるよ。……でも、もしかしたら、少し変わるかもしれない」

「変わ……る? ですか……?」

「うん。アリエッタと話したことを忘れてしまったり、そういうことがあるかも。……でも、僕はずっとここにいるから」

「うん……。アリエッタも、ずっとイオン様と、一緒にいます……」

 嬉しそうに笑うアリエッタを僅かに痛みを含んだ笑顔で見返して、イオンは表情を明るく繕った。

「ところでアリエッタ、その人形をもらったお礼は、ちゃんとパメラに言ったのかな?」

「あ……。言って……ない……」

「いけないな。何かをしてもらったらきちんをお礼を言う、と教えたでしょう。……さあ、行っておいで」

「でも……イオン様……」

「大丈夫。僕はここで待っているから」

「はい……!」

 笑って、ヌイグルミを抱えたアリエッタは部屋を出て行く。パタリと扉が閉じ、それを暫く見つめた後で、イオンは目を伏せて苦く微笑んだ。

「……ああ、アリエッタ。僕はずっといるよ。この世界を滅ぼしてレプリカの世界と入れ替えても、そこでずっと生き続ける……。『導師イオン』は、死なない」

 そう呟いた時、唐突に胸に走った激痛によって、彼はぐっと息を詰まらせた。体を支えきれずに倒れ込むと、咄嗟に掴んだテーブルクロスが引かれて、机の上にあった書類や花瓶がガシャガシャと床に散乱する。

 大丈夫……大丈夫だ。今日はまだ『その日』じゃない。預言スコアに詠まれた『死ぬ日』は、まだもう少しだけ先だ。

 頭の奥で何度もそう繰り返しながら、喉は震えて、口が勝手に言葉を絞り出していた。

「死にたく……ない……」

 部屋には他に誰もおらず、言葉は受け止められることがない。それでも……いや、だからこそか、彼は何度もその言葉を吐き出した。

「死にたくない……。……死にたく、ない……っ!」

 宙に吐き出されただけの言葉は意味を持つことも出来ず、ただ、響きだけを残して消えていった。






06/05/21 すわさき

終わり




*07/07/27に、『キャラクターエピソードバイブル』の内容に合わせて、イオンの口調を修正。

 人は死の預言スコアの前では冷静でいられない。だから死に関する未来を詠むことは禁じられている。それがローレライ教団の決まりだそうですが、シナリオライターさんのインタビュー記事を参照する限り、代々の導師だけは自分の死をバッチリ知っているわけですよね。むごいです。

 目前に確実な死を突きつけられて、それでも最後まで駆け抜けることの出来たルークのような人間は、やはり稀少なのではないでしょうか。

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