綿菓子


「えっ……? ルーク? いないの?」

 グミやボトルの詰まった袋を抱えて戻ってくるなり、ティアは狼狽した声を上げていた。指定した場所に、あの目立つ赤毛はいない。

 ティアが、ファブレ公爵子息ルーク・フォン・ファブレと共に旅をするようになってから数日が経つ。その数日で、公爵子息がとんでもなくワガママで、超が付くほど世間知らずで、要はうんざりするほど『子供』なのだということは、嫌と言うほど身に染みていた。店に出向いてその場で金銭のやり取りをするのが珍しいようで、ああだこうだと口出しをする。挙句、「これ、高いわ」と値引き交渉を始めたときに、横から「あ? 安いじゃん」などとケロリとした顔で言ってのけてくれるのだからたまったものではない。

 ティア自身、値引き交渉は正直得意ではないのだが、それでも試みているのは必要があるからで、つまり、ティアの財布では二人分の旅費には心もとないのだ。なのに、ルークにはそういった物事がまるで分かっていないらしい。食費、宿代、装備費、全てがティアの財布から支払われていることに疑問すら抱いていないようだ。

 聞けば、ルークは十七歳だと言う。ティアは十六歳だ。普通に考えれば、年下の女の子に金銭を含む面倒を見てもらうことを恥じ入りそうなものだが、実年齢はどうあれ、七年間屋敷に軟禁されていたというお坊ちゃまと、既に神託の盾オラクル騎士団に所属しているティアとでは、経験も心構えといったものもまるで違うのだろう。それに、その安全な屋敷から彼を無理やりに敵国の只中にまで放り出してしまったのは間違いなくティアなのだから、彼の面倒を見て、屋敷まで安全に送り届ける責任と義務がある。

 そんなわけで、今回は店の外にルークを待たせて、ティア一人で交渉に出向くことにした。ブーブーと口を尖らせるルークを宥め、私が戻るまでここから絶対に動かないでと固く固く言い聞かせてだ。おかげで買い物は上手くいったが、戻ってみれば公爵子息は行方不明。

「もうう、困ったなぁ……。動かないで、ここで待ってるようにって、あれだけ言ったのに……」

 思わず素の口調で呟いてしまってから、ティアは肩を落として息を吐いた。とにかく、捜さなくてはならない。街の外へは出ていないだろう、多分。とはいえ、あのお坊ちゃんは好奇心はやたらと旺盛で、物事に初めて触れた幼児そのままに無造作に手を出してくれるのだから予断を許さない。串焼きの屋台に触って火傷しているかもしれない。わざとらしく積み上げられた食器売りの食器をまんまとひっくり返して弁償を迫られているかもしれない。売り言葉に買い言葉で敵国の貴族である身分をポロリと漏らして捕まえられているかもしれない。ありえないような嘘にコロリと騙されて怪しい人攫いにノコノコ付いて行っているかもしれない。

 色々と妙な想像をしてしまったが、そのどれもが現実にありうるかもしれないと思わせられるところが恐ろしい。とはいえ、そこまで運命の意地は悪くはなかったようで、ほどなく、ティアはあの長い赤毛を見つけることが出来た。こういう時は、彼がひどく目立った容姿をしていることがありがたい。

「ルーク……」

 人ごみの中で声をかけて近付きかけて、ティアはふと足を止めた。あんなに真剣な顔をして、一体何を見ているのかしら? と思ったのだ。

 ルークは、街角の小さな屋台の前に立っていた。二重の円筒状の音機関が据えられており、見るからにガラの悪そうな男が、その円筒の中央にひとつまみの粒をザラザラと流し込んでいる。それから二本の棒を持って暫く円筒の中を左右させると、白い糸のようなものが何本も重なって集まり、やがてフワフワとした雲のような塊になっていった。

 ――ああ、綿菓子ね。

 ティアは理解した。

 でも、ルークは綿菓子の屋台なんかをどうしてあんなに熱心に眺めているのかしら。

「――はー、すげぇな!」

 ルークは目をキラキラさせながらそう言って、心底感心したように息をついていた。屋台の男が幾分落ち着かなげに話しかける。

「おいおい、そんなに感心されると照れちまうぜ。兄ちゃん、まるでコレを初めて見たみたいじゃないか」

「初めて見たんだよ! なんだこれ。甘い香りだけど、食べ物なのか?」

「初めて……? ま、まあいいか。そう、こいつは食べモンだ。綿菓子って言ってな、甘くて軽くて、美味いぜぇ〜」

 一本どうだい? とルークの前に差し出してみせる。まずいわ! とティアは思った。つい先日まで、買い物の仕方すら知らなかったルークである。単純にくれたと思って受け取って、金を払う払わないでモメてしまうに違いない。

 ところが、ルークは少し考え込むそぶりを見せて、それを受け取らなかった。

「んー……。だって、それ金がかかるんだろ」

 以前、金を払わずに商品に手を出して万引き扱いされたことは、ちゃんと彼の身になっていたらしい。ティアは少しばかり感心した。

「たったの100ガルドだぜ。それとも、金持ってねぇのかい」

「いや、金は持ってるけど……」

 そうだった。

 今後、二人がはぐれてしまうような万が一の事態に備えて、ルークに専用の財布を与え、多少の金銭を分け与えていたのだ。

「ならいいじゃねぇか。ほら、綿菓子、食ったことねぇんだろ?」

「んー…」

 駄目だわ。ルークは買い食いする。

 ティアは息をついた。それは、100ガルドくらい使ってもいいけど。今は少しでも節約しておくべき時なんだけどな。

 ところが。少し迷った顔を見せたルークは、けれども首を横に振って、「やっぱやめとくわ」と言ったのである。

「勝手に金を使ったら、ティアが怒るからな」

 そんなことを言っている。屋台の男が苦笑した。

「そのティアってのは兄ちゃんの恋人かい。ティアが怒るか。やれやれ、尻にしかれてるねぇ」

「――なっ!? ちっ、ちげーよ! 誰があんなガミガミうぜぇ女……!」

「ガミガミうざくて悪かったわね」

「げ!? ティア……」

 歩み寄って隣に並ぶと、ルークは青ざめて息を呑んだ。

「こんなところにいたのね。動かないで待っててって言ったでしょ?」

「ちょ、ちょっとぐらいいーだろ。すぐ戻るつもりだったんだよ」

「ルーク!」

「っせえなあ! ……悪かったよ」

 顔を背け、ルークはぽつりと言った。子供っぽいその仕草に、ふ、とティアは笑みを漏らす。

「まあ、いいわ。――その綿菓子、一本下さい」

「ティア?」

 へい毎度、と威勢良く答えた男から綿菓子を受け取り、ティアはそれをルークに差し出した。不思議そうな顔をしている彼に「食べたかったんでしょ?」と目で笑う。

「けど、いいのか? ……金が足りないんだろ? 俺にはよく分かんねーけど」

「……一応気にしてたのね」

「なんだよ」

「なんでもないわ。……これくらいいいわよ。さっきの店で安くしてもらえたから、今日は特別」

「ふーん……」

 不得要領な顔ながら、ルークはティアの手から綿菓子を受け取った。手の中のそれを少しの間眺めて、ペロリと端を舐める。

「――甘いっ」

 そう言って、満面で笑った。

「へえー、面白いな。フワッとしてて、でもスウッと溶けて。……綿菓子、って言ったっけ?」

 そして夢中になって舐めている。

 この年頃の男の子には珍しく、甘いものが好きらしいということは、この数日でなんとなく分かってきていたけれど。

………かわいい…

「ん? なんか言ったか、ティア?」

「――な! なんでもないわっ!! もうそろそろ行くわよ、ルーク」

「はぁ? なんか怒ってんのか? ワケ分っかんねぇ女!」

 そんなルークの声を背に聞きながら、ティアは肩を怒らせてツカツカと歩いていった。

 な、なんなの。

 あんな年上で男でワガママで横暴で世間知らずで口が悪くておバカなお坊ちゃまを、可愛いと思ってしまっただなんて……。

 自分の感性が理解できない。

 なんだか、とっても不覚だわ!

 

 ティア・グランツ十六歳。

 自分の"可愛い物好き"の血がこの時ふつふつとたぎり始めていたことに、彼女はまだ気付いていなかった。






終わり

 

*そしてルークにハマって終盤の怒涛の盛り上がりへ繋がっていく…と、割りと本気で思っている私。(笑)
 チーグルの森へ行く直前の話。

 ファミ通版攻略本掲載の誕生日データを参照すると、この時点のティアは十五歳になったばかりのはずなのですが、とりあえずゲーム取説のキャラクター紹介に書いてある『十六歳』で統一しておきます。

06/01/23 すわさき

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