夜明けの街は静まり返り、未だ眠りの中にあるのだろうと思われた。薄青い光の中に、波の音だけが繰り返し響いている。

「――行け。技術者は一人たりとも生かしておくな」

 押し殺した声で黒衣の女が命じる。結い上げた薄い色の金髪が、薄闇の中で白く際立って見えた。その指示に従い、鎧をカシャカシャと鳴らしながら神託の盾オラクル兵たちが街に駆け込んでいく。あちこちの扉が破壊される音が響いた。眠りをむさぼっていた住民は、呆気なくその命を奪われることだろう。

「……リグレット師団長!」

 兵士が一人駆け戻ってくる。「どうした」と返すと、困惑した様子で報告してきた。

「そ、それが……。街の人間の姿が見当たりません」

「何?」

 眉根を寄せる。その時、「いたぞ! こっちの建物に人影が入った」と奥で叫ぶ声がした。

「既に避難している……? 我々の襲撃が知られていたのか?」

 リグレットは傍らにいた小柄な老人に冷たい目を向ける。

「まさか、お前が漏らしたのではないだろうな。スピノザ」

「そ、そんなことはない!」

 返った声は震えていた。愚かだ、と思う。今更怯えるのなら、裏切りなどしなければいいのだ。

(とはいえ、もはや遅いだろうがな)

 七年前、あの誘拐とレプリカ製作に関与した時から、この男は抜き差しならない深みへと落ちている。今更抜け出すなど、虫のいい話が許されようはずがないではないか。

「お前が送ってきた情報によって、地核静止という愚かな作戦を知ることが出来た。それは閣下も評価しておられる。――今更逆らうことなど考えるなよ、スピノザ。これから、閣下に逆らった愚か者どもの末路をよく目に刻んでおくがいい」

 言ってリグレットは歩き始める。うな垂れて、スピノザはその後に従った。




 街の人間が立てこもっているらしい建物は、街の北にある大きな工場のようなものだった。「資料によれば、地下に飛晃艇の船渠ドックがあるようです」と、兵の一人が報告してくる。

「街の人間が隠れるだけの広さはある、か……。状況が整いすぎているな。我々を誘い込むつもりなのかもしれん。突入の前に、譜術で内部を焼き払え!」

「はっ」

 声を返して、兵の何人かが建物に駆け寄っていった。――と。カタン、と小さな音を立てて建物の外壁に一斉に小窓が開き、小さな筒のようなものが突き出す。

「なっ、何だ? ――うわぁあああ!!」

 それから噴き出した液体に全身を濡らされて、兵たちが悲鳴を上げた。彼らは目を押さえて転げ回っている。

「譜業兵器か……?」

 譜銃を構えたリグレットは、足元の地面が四角く持ち上がって、そこから同じように筒がこちらを狙っている事に気がついた。

「くっ……」

 光弾を放つ。だが、筒は四方に現われていたのだ。幾つかは砕いたが、噴き出した液体が片腕に絡みついた。肌を刺すような刺激はない。が、見る間に粘度を増して固まり、腕が動かせなくなった。見れば、兵の殆どが身動きが取れなくなっている。

「こ、これは……」

「はーっはっはっは! どうじゃ。シェリダン『め組』特製のトウガラシシャワーと速乾トリモチは!」

 笑い声が響いた。建物の屋上に数人の人影がある。昇り始めた朝日の中で最も目立つのは、黄色い髪を馬のたてがみのように立てた、やたらと眉が立派な老人だ。

「何が『め組』特製じゃ。俺たちベルケンド『い組』の力がなければ、これだけの数の噴出装置の細やかな個別制御は無理じゃっただろうが!」

 ヘッドフォンを着けた老人が横から噛み付いた。「ふん。うるさいわい。お前が得意なのはうじうじと細かい作業ばかりじゃろうが」とたてがみの老人が返し、あごひげを生やした老人が「そうじゃ、そうじゃ」と追随する。

「まったく、男どもは騒々しいねぇ。もう少し静かにしていられないのかい。イエモン。アストンも」

 眼鏡をかけて白髪を束ねた老女がT定規で自分の肩をトントン叩きながら呆れた声をあげ、その隣でショートボブの上品な老女が「そうよ。ヘンケンも静かになさい」と頷いていた。

「お、お前たち……!」

 スピノザが彼らを見上げて色を失っている。彼はトリモチに捕まっていなかったが、その場に固まったように動けないでいた。

「スピノザ。この馬鹿たれが!」

 ヘッドフォンを着けた老人――ヘンケンが怒鳴る。

「ナタリア殿下から話を聞いた時は信じられんかったが。まさか本当にお前が俺たちを裏切っておったとは」

「知っていたのか!」と、スピノザは驚きに震える声で叫んだ。

「そういうことだ」

 また別の声が聞こえた。赤い鎧のキムラスカ軍の一隊が、街の北側から現われて道を塞いでいる。先頭に立っているのは赤い長い髪を垂らした男だ。

「アッシュ……! そうか。お前の差し金か」

「アルビオールのおかげでダアトから間に合った。武装して街を襲撃。いくら神託の盾オラクル騎士団が建前上は預言士スコアラー扱いとは言え、言い逃れはできんな」

「ここはキムラスカです。我が国の街を破壊し、民の命を脅かした所行を許す訳には参りません。神託の盾騎士団六神将、魔弾のリグレット。この国の法にのっとり、あなた方を拘束いたしますわ」

 アッシュの隣に立って、ナタリアが凛とした声で告げる。

「く……!」

 比較的自由だった左手を、リグレットは渾身の力で引いた。トリモチのついていたグローブと皮膚のいくらかが裂けたが、構わずに右手や足を固めているトリモチを譜銃で撃って砕く。自由の身になると、身を翻してキムラスカ兵のいない南側に駆け去ろうとした。が、その足元に勢いよく槍が突き立ち、ハッと後ずさって止まる。

「リグレット教官」

 槍を投げ放ったジェイドの隣から、ティアが悲しげな声を出した。

「何故なんですか。教官がまさか民間人に手を出そうとするなんて」

「……閣下の邪魔をするものは排除する。それだけのことだ。何があろうとも……私は閣下の理想を実現させる!」

「教官!」

 譜銃を向けられて、しかしティアは一瞬立ちすくむ。ルークが飛び出して剣で光弾を弾き、譜銃を弾き飛ばした。譜銃の一つが地を滑り、スピノザの足元に止まる。

「スピノザ! あいつらを撃て!」

 血の流れる腕を押さえてリグレットが叫んだ。咄嗟にそれを拾い上げ、スピノザはわなわなと震えている。

「やめとけ、爺さん。あんたには無理だ」

 ジェイドの隣からガイが言った。

「撃てば戻る道はますます遠くなる。あんたが望んでいるのは、本当にそういうことなのか?」

「わ……わしは……わしは……」

「スピノザ!」

 リグレットが再び叫ぶ。一方で、船渠の上から老人たちも叫んでいた。

「やめるんじゃ、スピノザ!」

「そうよ。あなたと私たちは、王立学問所以来の仲間じゃないの」

「仲間……」

「スピノザ。あんたにはああして迎えてくれる仲間がいるんだ。ヴァンに従うより、俺たちの元で力を貸して欲しい。――なあ、ジェイド」

 ガイが顔を向けると、ジェイドは一瞬考え込む目をして同意する。

「確かに、スピノザは物理学にもフォミクリーにも造詣が深い。協力してくれるのなら心強い戦力にはなりますが……」

「わしを許すと言うのか。裏切って仲間の殺害に手を貸そうとしたわしを」

「さあな。それはあんたの仲間に聞けばいい。――ただ、俺にも言える事はある。大切なものを失ってからでは遅いんだ。どんなに後悔しようとも、無くしたものは二度と。……絶対に取り戻せはしない」

 そう言って、ガイは胸の中で(……奇跡でも、起こらない限りはな)と呟く。

「今撃てば、あんたはそれを生涯引きずっていくことになる。その覚悟はあるのか?」

「……うぅっ」

 カシャリ、とスピノザの手から譜銃が落ちた。「確保しろ!」とアッシュが指示を飛ばし、キムラスカ兵たちがどっと動き出す。神託の盾兵たちやリグレットが連行されていく中で、同じように引っ立てられたスピノザの周囲に、梯子を使って降りた老人たちが集ってしきりに話しかけていた。

「……本当にスピノザを許すつもりなの? おじーちゃんたちを殺そうとしてたんだよ」

 その光景を眺めながらアニスが呟く。硬い顔の少女を返り見て、「不満かい?」とガイは微笑った。

「……だって、裏切り者でしょ」

「だったら俺も許されなくなるな。俺だって裏切り者だった」

「……」

「……なあアニス。俺はずっと思っているんだ。人がすごいのは、変われるからなんだってね」

「変われる……?」

「たとえ過ちを犯そうとも、その意志がある限り道を正して、変わっていける。……昔、身近にそんな姿を見て、俺も変わりたいと思った。だから俺は、銃を撃たなかったスピノザを信じられると思う。――アニス、キミのこともね」

「私は……」

 アニスの顔がくしゃりと歪んだ。

「私は、ずっとイオン様を騙してたんだよ? 私がイオン様のことを報告したせいで、タルタロスのみんなも死んじゃって……!」

「そう。第三師団の兵士、百四十名あまりが死んだ。その罪は消えません。傷は永遠に残り、お手軽に埋め合わせることなど出来ない」

 ジェイドが静かに言葉を挟んでくる。アニスは俯いて口を閉ざしたが、ルークが近づいてきて言った。

「だけど、罪を消せないからって、何もしないでいる訳にはいかないだろ。やっちまったことを、単純に足し引きなんて出来ない。それでも何かをしたいって思う。……それが償いなんじゃないのかな」

「罪は消せない。単純に埋め合わせることも出来ない。それも本当のことだとは思いますが、失われたものとは別に、新たに作り出していけるものがあるのも本当ではないでしょうか」

 ナタリアが言う。

わたくしは王家の血を引きません。ですが、それを事実として受け入れた上で、王女としてキムラスカに尽くしたいと思う。同じように、犯した罪が消えないことを認めたうえで出来ることがあるのではないかと思うのです。ただ罪の意識を感じ続けることだけが贖罪ではないと思いますわ」

 ティアが頷いた。

「そうね。埋め合わせることは出来なくても、罪から目を逸らさずに、前へ進んでいく。それが大切なんじゃないかしら」

「前へ……」

 アニスが呟く。

「そうだな。前へ……」

 ルークが言った。

「ヴァンからイオンを取り戻すんだろう?」

 ガイはアニスに笑いかける。

「………うん。早く助け出してあげなくっちゃ」

 半分泣いているような顔でアニスは笑って答えた。「イオン様ってば、さらわれっぱなしで、お姫様かっちゅーの」と茶化してみせる。「イオン様はお姫様だったですの? ナタリアさんと同じですの」とミュウが大発見したかのように騒いで笑いを誘った。

 笑う仲間たちの様子を、少し離れた場所からアッシュは見ている。

「……受け入れて、前へ、か……」

 僅かに表情を歪めて落とした呟きは、笑い声の間に紛れて誰にも拾われずに消えていった。








 星の地核は震動している。

 原因が何なのかは定かではない。ただ、二千年前に起こった地殻すら変動させた世界大戦、いわゆる譜術戦争フォニック・ウォーの後、偉大な譜術士ユリア・ジュエがローレライと契約し、その力を宿したローレライの鍵でわざわざプラネットストームの再構築を行ったと伝わっているので、戦争によってプラネットストームに何らかの歪みが生じたのが発端だったのではないかと、『前』の――未来のジェイドは推察していた。

 ユリアはローレライの鍵で歪みを一度は修正したのだろう。だが、二千年の間にそれは再び大きくなっていったのではないか。地核に留まり続けていたローレライが、恐らくはヴァンが第七音素セブンスフォニムを大量消費し始めたために活性化したことも、震動を大きくする一因となったかもしれない。

 禁書には、地核の震動に同じ震動を与えて打ち消す装置を作り、それを直接地核に沈めて半永久的に作動させるという震動中和の構想と、その装置の理論と簡易的な設計図が書かれてあった。これを元にシェリダンとベルケンドの技術者たちが震動中和装置を作り、マルクトの譜術研究者たちがそれを覆う固定式の譜術障壁を仕込んだ殻を作り出した。地核の圧力に耐えさせるためだ。

「どうやって地核に装置を入れるんだ?」

 ルークの疑問にジェイドが考え込む顔をした。

「そうですね……。セフィロトは地核に繋がっています。そこからなら可能でしょう。――アブソーブゲートが最も適していると思います」

「アブソーブゲート? それって……」

「星を巡るプラネットストームの帰結点だ。北極点のツフト諸島にある。……そのぐらい勉強しろ! 屑が!」

「ちょ、ちょっとド忘れしただけだろ。いちいち怒鳴るなよ、アッシュ。それはともかく、どうしてアブソーブゲートが装置を沈めるのに一番適してるってことになるんだ」

「他のセフィロトからは記憶粒子セルパーティクルが噴き出しているのよ。でも、アブソーブゲートへは吸い込まれている」

「そうか。流れが地核の中へ向かっている方が、装置を沈めやすいもんな」

 ティアの説明に頷いたルークに、ガイは笑いかけた。

「そういうことだ。――しかし、あまりのんびりしている暇はないかもしれないぜ。スピノザの話だと、ヴァンもアブソーブゲートへ向かっているらしいからな」

「ヴァンは、アブソーブゲートで何をするつもりなのでしょうか」

「またセフィロトツリーを消すつもりとか?」

 ナタリアとアニスの声に、ジェイドは否定を返す。

「いえ……。もっと直接的なことではないでしょうか」

「どういうことだ?」

「私たちは地核の震動を静止させようとしている。それはパッセージリングにかかる負荷を減らし、耐用限界への到達を防ぐためです。逆に言えば、パッセージリングを耐用限界に到達させることが出来れば、各地のセフィロトツリーを一つ一つ消す必要などない。全世界を一気に崩落させることが出来ます」

 ルークに答えたジェイドの説明を聞いて、「まさか……」とティアが青ざめた。

「ヴァンならやりかねんな」

 腕を組んでアッシュが渋面を作る。「マジヤバじゃないですかぁ」とアニスが慌てた。

「グランツ謡将の演算機の知識は確かです。制御機構を操作されて、たとえばプラネットストームに逆流でも起こされたら、各パッセージリングにかかる負荷は莫大なものになるでしょうね」

「行きましょう! こんなところでグズグズしている場合ではありませんわ」

「ああ。行こうぜ」

 ナタリアの声に応えてガイは言う。仲間たちはアルビオールが収められている地下船渠ドックへ向かって歩き始めた。

『前』に比べれば、時期的にもアブソーブゲートでの決着には随分と――二ヶ月ほども早い。だが、外殻大地を維持させる以上は急がねばならなかった。『前』は、気づいた時には既にパッセージリングは耐用限界に達しており、ティアとルークに無理をさせてでも世界中のそれを操作するより他に道がなかったのだから。このまま外殻大地を存続させるならパッセージリングの再起動を行う必要もなく、これ以上ティアの障気蝕害インテルナルオーガンも進行させないで済む。

(それに、魔界クリフォトに外殻大地を降ろせば障気の問題が出てくるからな……)

 ディバイディングラインを利用した封印が出来るのは一度だけだ。そうして地核に押し込めたところで障気は容易く魔界に湧き出してしまう。後のことを考えれば、出来る限りこの問題には触れないでおきたい。――もう、あんな。

 刹那、痛みを感じて、ガイは奥歯を噛んで目を強く閉じた。よぎった過去の――いや、『未来』の情景を思考から散らす。

(『今』はアッシュが一緒にいる。アブソーブゲートでローレライの解放まで済ませられればいいんだが……)

 しかし、そう簡単にはいかないだろう。リグレットは捕らえたが、その他の六神将は全て健在なのだ。全員が待ち構えている事はないにしても何らかの妨害は考えられるし、何より――ヴァンがいる。

(あいつと……命をかけたやり取りをするのは、これで何度目なんだろうな)

 何度殺せばいいのか。そう考えるといっそ滑稽ではあったが、笑う気分にはなれない。

「ヴァンデスデルカ……」

「……ガイ?」

 小さく名を呼ばれて、ガイはハッと思考を浮上させた。

「ルーク? なんだ、どうした?」

 他の仲間たちの姿は見えない。既に地下船渠への昇降機に乗ってしまったのだろう。

「いや。なんかお前来ないから」

「そうか。悪かったな。急がなきゃいけないってのに」

 笑みを作って先へ行こうとすると、「……なあ、ガイ」ともう一度ルークが呼びかけてきた。

「お前さ、俺に何か隠してる事ってないか?」

 ガイは足を止めてルークを見る。数瞬そうして、「何言ってるんだよ」と笑った。

「……うん。ごめん。俺、変なこと言ってるよな」

 ルークは自分の手のひらを握る。

「ガイは頑張ってるし、すげぇ頼りになるし、俺はお前のこと信じてるし、だから何も言うことないし、その筈なんだけど……。ああ。何言ってんのか自分でも分かんねーや」

「ルーク……」

「あ、そういえばさ。お前、ダアトでパメラさん助けた時、少し変じゃなかったか?」

「ん? そ、そうだったか?」

「おう。触られても平気だったし。女嫌いが治ったのかと思ったけど、後でティアやナタリアに近寄られたら逃げてたよな。……あの時、『今度は守れた』って言ってただろ。それは……」

「……」

「い、言いたくないならいいんだ。ただ、その、ちょっと気になっただけだし……。俺、ずっとお前と一緒にいて、それが当たり前だって思ってきたけど、そうじゃなかったんだなってアクゼリュスの時にやっと気付いて……今更だけどさ。

 そんな資格ないのかもしれない。だけど出来れば俺、知りたいんだ。お前のこと、もっとちゃんと」

 しどろもどろに、それでも懸命に言うルークを、ガイは黙って見つめていた。「な、なんだよ」と居心地悪げにルークが見返す。

「いや。熱烈な口説き文句だと思ってな」

「――はぁ!? く、口説くって何だよ! 俺は、真面目に……!」

「すまん。茶化したつもりじゃなかったんだが。悪かった」

 爆発したルークをガイは落ち着いた態度で宥めた。そんな彼を数瞬見つめて、ルークは僅かに憮然として眉を下げる。

「……お前、そうやっていつも笑ってるよな。辛かったり、苦しかったりしても。

 アブソーブゲートにはヴァン師匠せんせいがいる。ティアは平気だって言ってるけど、やっぱ辛いんだと思う。ガイ。お前も…………お前は」

「……そうだな。ヴァンと俺は幼なじみだった。あいつの父親とペールがガルディオス家の剣と盾だったんだ。俺とお前みたいな感じだよ」

 ガイは言った。驚いた視線を向けてきたルークに、それでも少し困った笑みを浮かべてみせる。

「考えてみれば、アッシュの邪魔が入ったりして、お前にはちゃんと話してなかったもんな。……もう話さなくてもいいかって思っていたんだが……」

「聞かせて欲しい。お前がどんな風に苦しんでいたのか。どんな風に……俺や父上を憎んでいたのか」

「……俺がホドのガルディオス伯爵家の生き残りだって事は知ってるよな。にじゅ……十六年前にキムラスカ軍に攻め込まれて、ホドは崩落して消えた。新暦2002年、イーフリートデーカン、ローレライ、41の日。……俺の五歳の誕生日だった」

 ガイは語った。生誕祭の最中、突如始まった戦争。屋敷に集っていた親類縁者も使用人も全てファブレ公爵率いる軍に殺害されたこと。――そして、自分を庇って死んでいった姉、マリィベル・ラダンのことを。

「姉上は優しくもあったが、厳しくて使命感が強くて……その辺はナタリアに少し似ているかもな。俺は子供の頃弱虫で、男のくせにだらしないって、よく姉上に叱られていたよ。それを庇ってくれていたのは、いつもヴァンだった。

 キムラスカ兵に斬られそうになった俺を庇って、姉上は死んだ。姉上だけじゃない。メイドたちも同じようにして……。気がついた時には俺は姉上やメイドたちの遺体の下で血まみれになっていて、ペールが助けに来てくれた時には、その前後の記憶はスッポリなくなっちまってたって訳さ。……恐怖心だけは残してな」

「――お前の女性恐怖症って、まさか」

「命がけで守ってくれた姉上たちのことを怖いって思っちまうなんて、とんだ恩知らずだよな。……なのに、それを思い出してからもまだ、体が震える。情けないねぇ」

 ガイは自嘲を浮かべる。

「そんなことねぇよ! お前、まだ子供だったんだろ。目の前でみんなを殺されて、自分も殺されそうになって、怖いって思って当たり前だ!」

 たまりかねたように叫び、ルークは首を垂らした。

「ごめん。俺、ほんとに何も知らなかった。お前がそんなに苦しんでたんだってこと。その剣のことも……」

 ガイが腰に帯びている剣を示す。宝刀ガルディオス。バチカルを発つ際にファブレ公爵から返されたものだ。

「ずっと家の玄関に飾られてた剣がガイの家に代々伝わってたもので、ガイの父上の……首と一緒に持ってこられたものだったなんて。辛かっただろ? そんな屋敷で毎日過ごして。仇の息子の、レプリカの世話なんかさせられて」

「……最初は確かに、そうだったよ」

 静かにガイが応えた。

「家族を殺されて、故郷を失って……。あの頃の俺は抜け殻だった。何かで自分を満たさなければ立つことすら出来なかったんだな。それが復讐だった。結局、俺は姉上に叱られていた弱虫のままで、生きる為には憎しみに縋るしかなかったんだ。……今思えば、ペールもヴァンも、それを承知していたんだろう。

 ファブレの連中に取り入って近付いて仇を討つ。飾られていた父上の剣を見つけた時、それは俺の誓いになった。いつかこの屋敷にいる人間を血祭りにあげてやる。その光景を公爵に見せ付けて、この剣で首をはねてやるんだって」

「………」

「そんな顔するなよ。今はそんなつもりはまるでない。――お前が俺を変えたんだ」

「俺、が?」

「あの時、公爵の前でも言っただろ。俺は賭けたんだ。いつかお前が剣を捧げるに値する人間に成長したなら、俺も復讐を捨てて、生涯の忠誠をお前に誓おうって」

 バチカル城の謁見の間で。ナタリアとインゴベルトが和解し、モースが怒りながら退出した後のことをガイは語り始める。

『国事に携わる者として、軍人として。戦の中で多くの犠牲を出したことを、私は詫びはしない』と、その時公爵は言った。『だが、一人の人間として。……父親として。お前たちには詫びねばなるまいと思う』と、二人のルークとガイに向かって。

『――今更。それを聞き入れろというのですか』

 アッシュが苦しげに憤りを吐き捨てる。ルークは何も言えなかった。色々な感情がごちゃ混ぜになって、どう言えばいいのか分からなかったのだ。その時、ガイが腰の剣を抜いた。ハッと場の空気が張り詰めた中で、ルークに問いかけてくる。

『ルーク。お前はどうしたい?』

『どうって……』

 声を返して、ルークは表情を硬くした。そんな事は決まっている。まだ感情の整理はついていないが、少なくとも、剣を向けたいなどとは思っていない。

 ガイはフッと笑った。ルークがどう言うかなど最初から分かっていたようだった。剣をかざしてみせ、視線を公爵に巡らせる。

『剣士の魂は剣にこもる。俺の魂はルークに捧げました。ルークが望む以上、私はあなたに剣を向けません』

『ガイ。お前はルークを剣の主に選んだというのか。何故だ。お前にとって、この子も仇の息子であるはず』

『それは……』

 ガイは語った。かつてルークが失ったと思っていた自分の記憶を指して『昔のことばっか見てても前へ進めない』と言ったこと。復讐という過去に囚われていた自分はそれを不快に思い、しかし同時に、ルークに賭けてみる気になったことを。

「以前通りのご立派な『ファブレの後継者』じゃない。俺の忠誠心を刺激するような人間にこの子供がなれたなら、俺もきっと変われる。過去に囚われていた自分を捨てて歩き出せる。俺はそれに賭けて……お前は勝たせてくれた」

「でも俺は……そんな立派な人間じゃ、ねぇし」

「何言ってんだ。お前は世界を――」

 言いかけてガイは口をつぐんだ。違った。あれは『前』のことだ。このルークはそんなことはしていない。――決して、させはしない。

「ガイ?」

「……世界を守る為に、今もみんなと頑張ってるだろ。変わろうと努力している。俺にはそれで充分なんだ」

 ルークは押し黙っている。顔をうつ伏せ、スッと身を背けた。両腰に手を当てて胸をそらすと、どこかぎこちなく笑う。

「あーあ。お前って、嫌味だよな」

「は?」

「嫌味。もー、すげぇ嫌味。なんでいちいち言うことそんなカッコイイんだっつーの。ムカつく!」

 何とも言いがたくてガイが黙っていると、ルークの声が聞こえた。

「ガイの姉上はガイを庇って亡くなった。だから、アニスを庇ったパメラさんをガイは助けたかったんだよな」

「……俺はいつも、見ているばかりだったからな」

 姉やメイドたち。――ティアにイオン。そして、ルーク。

 誰かのためにその身を犠牲にする者たちの傍で、なす術もなく。ただ、それを見ていただけで。

 不意に、脳裏を情景がよぎる。一面の夕景。眼下に広がる、白く懐かしい街並み。それらを背にして、神殿の上に少年が佇んでいる。赤い髪を夕日で更に燃やして、手に持つ剣を足元に突き立てていた。

 それが最後に見た姿だ。記憶が更新される事はなかった。長い間、ずっと。――この奇跡が起きるまでは。

 手を伸ばし、ガイは赤い髪にそっと触れる。幾度も見た夢のように消える事はなく、さらさらした手触りが確かに感じられた。

「なあルーク。俺はお前を護るよ」

「な、なんだよ急に」

「絶対に護る。――その為に、俺は『ここ』にいるんだ」








「すごい音素フォニムの流れを感じるですの」

 その光を見上げるミュウの小さな尻尾が、ふるふると震えている。

 アブソーブゲートの開いた北の島は、プラネットストームによって遠目にも分かるほどに輝いていた。周囲の気流が乱れていたが、ギンジはアルビオールを無事に着陸させる。細い石橋を渡って突き当りまで進むと、恐らくダアト式封咒で封印されていたのであろう場所は、ぽかりと口を開いていた。

「やはり、既にここは開かれているようだな」

 アッシュが言う。積雪の上に足跡はなかったが、雪は絶え間なく降り続けているのだから当然なのだろう。少なくとも足跡が消えるほど前には、ここを通過して行ったことになる。

「陸艦が停泊していたもの。ここに誰かが来ているのは間違いないわ」

「ええ。偽装されてはいましたが、あれはタルタロスです」

「タルタロス?」

 ティアとジェイドの会話に割り込んでルークが首を傾げると、「マルクト軍の陸上装甲艦だよ」とガイが教えた。

「我が国のシェリダンからダアトを介して輸出された、最新型の陸艦ですわね」

「そうです。譜業兵器の開発技術はキムラスカに一日の長がありますからね」

 譜術ではマルクトの優位は揺るぎませんが、と付け足してナタリアを憮然とさせてから、ジェイドは説明を続ける。

「私と部下たちは元々、親書をキムラスカに届けるために、あれに乗ってグランコクマを出発したんです。しかし六神将の襲撃を受け、部下たちは殺害され、タルタロスは拿捕されてしまいました」

「……」

 暗い顔になったアニスから視線を戻して、アッシュが言った。

「その作戦には俺も参加していた。あの頃はまだ、ヴァンの計画がどういうものかはっきりしていなかったからな。ダアトから出るためにも、奴に従う必要があった」

「あなたは、誘拐されてからの七年間、ダアトにいたのでしたわね」

 ナタリアが苦しげな目をする。ティアも目を伏せた。

「兄さんは、そんなに以前から周到に計画を進めていたのね。なのに私は、まるで気付きもしないでいて……」

「ティアのせいじゃないだろ」

「ルーク……」

「誰が悪いとか、誰の責任だとか、そんなことを言っていても仕方ないんだと思う。……俺が言うことじゃないんだろうけどさ。間違っていたと思うんならやり直せばいい。多分、それだけのことなんだ」

 ルークは開いた入口を見つめる。

「この奥に師匠せんせいがいる。……正直、マジびびってるけど……」

「ハッ。情けない奴だ」

「うるせぇな、アッシュ。……怖いけど、師匠に会いたいと思う。会って、ちゃんと話が聞きたい。出来れば話し合って……師匠を止めたい」

「……そう、ね。もう一度、話し合えるものならば……」

 舌打ちする音が聞こえた。アッシュだ。

「お前ら、何を甘いことを言ってやがる。あいつは本気なんだぞ。本気でこの世界を消そうとしている。確信犯なんだよ」

「アッシュ」

「止めるんじゃねぇ、倒すんだ! くだらねぇことをぐずぐず喋ってないで、行くぞ!」

 身を翻しかけて、アッシュがハッと顔を上げた。傍にいたナタリアを押して一緒に下がる。同じようにガイがミュウをくっつけたルークを引き、残りの軍人たちはそれぞれに間を取っていた。開いた場所に雷撃が落ちて雪を溶かす。

「な、なんだ!?」

「ライガよ!」

 うろたえたルークにティアが報せる。間近に巨大な肉食獣が現われており、口から雷の息をパチパチと吐いていた。その後ろの大きな雪の塊を飛び越えて、また数頭のライガと、空を飛ぶ魔物たちが現われる。ライガの一頭の背には、一人の少女がまたがっていた。

「アリエッタ……!」

 険しい顔でアニスが呼ぶ。アリエッタもアニスを睨み付けた。

「こんなところまで追いかけて来て……アニス、しつこい。イオン様は絶対渡さないモン!」

「やっぱりイオン様はここにいるんだ。イオン様はどこっ!?」

「イオン様がいるということは、グランツ謡将がここに来ているのは間違いないようですね」

 叫び返したアニスの傍らでジェイドが言葉を落としている。

「イオン様は総長と一緒にセフィロトの中にいる……。アリエッタは、入口を守っていなさいって言われたの。イオン様をさらう悪い人が入ってこられないようにって」

「なーに言ってんの。イオン様を誘拐したのは、あんたたちでしょ!」

「最初にイオン様を連れてっちゃったのはアニスだよ! イオン様は約束してくれてた。ずっと、アリエッタと一緒にいるって。でも二年前にアニスが導師守護役フォンマスターガーディアンになってから、アリエッタとあまりお話してくれなくなって……。イオン様が変わっちゃったのは、アニスのせい! アニスが悪いんだから!」

「ふざけんな根暗ッタ! 大佐に付いて行って和平に協力するって決めたのはイオン様だよ。イオン様の邪魔してるのはあんたじゃない!」

「また根暗ッタって言った……。アニスなんて大嫌いっ! もう死んじゃえ!!」

 その叫びを聞いて、周囲の魔物たちの目の色が変わった。牙を剥き、鉤爪を開いて襲い掛かってくる。「来ますよ!」とジェイドが叫び、仲間たちもそれぞれ武器を取る。譜術を放ち、武器を振るい、時に仲間を癒しながら魔物の数を減らしていった。

「アリエッタのお友達……いっぱい殺した。よくも!」

「戦わせてるのはあんたでしょ!」

「アニスが、アニスがみんな悪いんだ。アニスのせいで……!」

「うるさぁーいっ! なんでもかんでも他人のせいにしないでよ! あんたのその態度が一番ムカツク!」

 戦いながらそれを耳にして、何故なのかアッシュは舌を打つ。

「とりゃあ!」

 アニスが乗ったヌイグルミを高く跳ねさせ、譜を唱えかけていたアリエッタを彼女のまたがるライガごと踏みつけた。

「鷹爪襲撃!」

「きゃああああっ」

 悲鳴を上げてアリエッタはライガと共に地に転がる。そこで、ジェイドが唱えていた譜を解放した。

「――グランドダッシャー!」

 地面が割れ、石つぶてと共に地のエネルギーが噴き出す。それに打たれてアリエッタとライガは苦鳴をあげていたが、次の瞬間、大きく割れて陥没した地面の中に飲み込まれた。近くにいたアニスは慌ててヌイグルミをバックステップさせて逃れる。震動が静まってからそれを覗き込んだ。下に空洞でもあったのだろうか。深い穴は崩れた岩盤で埋まり、アリエッタの姿は見えない。

「死んでしまったのでしょうか……」

 他の魔物たちを倒し終えて、ナタリアが近付いて来て言った。「捜してみるか?」とルークが仲間たちに問う。この下で生きているかもしれない。

「いや。放っておきましょう」

「ジェイド」

「忘れたんですか。我々は戦っていたんですよ。場合によっては、こちらが殺されていたかもしれない」

 黙り込んだルークから視線をセフィロトの入口に向けると、ジェイドはもう歩き始めている。

「アリエッタ……」

 陥没した場所を眺めるアニスの顔色は暗かった。

「彼女には魔物がついている。運がよければ助かっているさ」

「べ、別にあいつのことなんて気にしてないしっ。さー、早くイオン様を取り戻しに行かなくちゃ!」

 声をかけたガイにそう返すと、アニスは背のヌイグルミを揺らし、ジェイドの後を追って駆けていく。

「大丈夫かな、アニス」

「無理をしているような気がしますわね」

 見送ってルークとナタリアが気遣わしげな声を交し合っていたが、ティアがそれを諌めた。

「仕方ないわ。急がなければいけないのは本当だもの。気持ちを切り替えて行きましょう」

「そうだな。俺たちも行こうぜ」

 ガイが言い、彼らは歩き出す。最後までその場に残っていたアッシュは、去り際に陥没した場所を一瞥して、「馬鹿が……」と呟いた。




 今まで訪れたことのある二つのセフィロトは記憶粒子セルパーティクルが立ち昇っていたが、ここは吸い込まれている。まるで光る雪のようで美しかった。パッセージリングは、長い長い通路を進み、幾つもの昇降機を乗り継いだ地の底にあった。透き通った丸い床の下に音叉型の巨大な音機関が見えている。その床を踏みしめて立つこの部屋の傍らには壇があって、パイプオルガン型の譜業端末があり、そこに長い間求め続けていた二人の姿が並んでいた。

 白い法衣を着た、華奢で静かな目をした少年、イオン。そして、灰褐色の髪を高く結い、顎に髭を生やした、威風堂々とした男――ヴァン・グランツ。真の名はヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ。

「イオン様!」

 昇降機から駆け出して、アニスが呼びかける。「アニス! みなさんも」とイオンが声をあげた。

「随分と早かったな。予想以上だ」

 端末の鍵盤の前から立ち上がり、ヴァンが見下ろしてくる。

師匠せんせい……!」

 アクゼリュスで置き去られて以来だ。見上げるルークの声が震えた。ティアが叫ぶ。

「兄さん! 本気なの? 本気で世界を消滅させてレプリカと入れ替えるなんて」

「そこまで知っていたか」

 ヴァンは目を細める。

「やめて! お願いだから、そんな恐ろしいことは」

 ティアが叫び、声をうわずらせながらルークが続けた。

「そ、そうだよ師匠。こんなの馬鹿げて」

「レプリカか。よくもまあ、こんなところまで出来損ないがのこのことやって来たものだ」

「……!」

 青ざめてルークは言葉を飲む。ふらついた肩をガイの手が支えたのと同時に、アッシュが一歩前に出て怒鳴った。

「ヴァン! 貴様よくも……よくも俺を今まで! 何が理想の世界の創造だ。俺は……!」

預言スコアに縛られない世界。貴族も平民もない、戦争の起こらない、誰もが自由で、理不尽な死を強要などされはしない。誰にも奪われない確かな居場所」

「っ!」

「以前お前に話した通りだ。何も変わってはいない。アッシュ。こちらへ来い。私の計画を完遂させるには、お前の力が必要だ」

 ヴァンは片手をさし伸ばす。一瞬怯んだようにそれを凝視し、それでも睨む色を強めると、アッシュは怒鳴った。

「断る! お前がやろうとしているのは、世界の滅亡だろうが!」

「世界を滅ぼしはしない。新たなものに換えるだけだ」

「だけど、その為に今の世界を消すんなら同じことでしょ!」

 アニスが叫ぶ。

「そうです。オリジナルとレプリカは違う。代わりになどなりはしません。入れ替えたところで、それは違う世界なのですわ!」

 アッシュは叫んだナタリアを見やった。が、すぐに応えて口を開いたヴァンに視線を戻す。

「違う世界。ふっ。結構なことではないか。この世界は腐っている。ただ預言の言いなりに動き、意志も責任もなく息をして朽ちていくだけの人類など、レプリカと入れ替えても大差はなかろう」

「そして経験もなく生きる術も持たないレプリカに、人類の歴史の全てを丸投げするというのですか。それは、少々虫が良すぎるのではありませんか」

 揶揄したジェイドに向かい、ヴァンは平然と言い放った。

「それも仕方ない。これで滅ぶなら人類もそれまでだったということ」

 眉を顰めたジェイドに皮肉な笑みを見せる。

「バルフォア博士。確かにあなたは自身の責任を全うしておられる方だ。何十体もの生物レプリカを作り出し、責任を持って『廃棄』してきたのですからな」

「……レプリカは消え易い。元々、第七音素セブンスフォニムのみで肉体の元素の結合を行っているため、乖離を起こし易いのです。フォミクリーは不完全だ。レプリカ世界を作ったところで保つとは考えにくい」

「問題はない。第七音素の集合体であるローレライを消滅させればいいのだ。そうすれば余剰の第七音素は無くなり、レプリカを構成する第七音素が音譜帯に引かれる事もなくなる。預言も詠めなくなって一石二鳥だ」

「ローレライを消す、だと……?」

 アッシュが低く吐き出した。

「そうだアッシュ。その為にお前の力が必要となる。お前の持つ、超振動の力がな。こればかりは、そこの劣化品では役に立たぬ」

 ルークが体を震わせる。ヴァンの傍らから、イオンが堪えかねたように訊ねた。

「ヴァン。あなたはどうして、そんなにも預言を憎んでいるのですか」

「預言は麻薬だ。ご存知でしょう。ユリアの預言は決して外れない。二千年をかけて、ユリアは人類を預言中毒にしてしまった。この歪みを矯正するには、劇薬が必要だ」

「レプリカ世界が劇薬ですか……。大した妄想力だ」

 ジェイドが毒を吐いたが、ヴァンは意に介しさえしない。

「フ……。妄想……それもよかろう」

「ヴァン。お前のしている事は無茶苦茶だ。考え直す気はないのか」

 険しい表情でガイが言う。

「ガイラルディア様。貴公こそお考え直しいただきたい。我が剣のあるじである貴公や妹とは、私とて戦いたくはありません」

「兄さん……!」

 憤り、歯がゆさ、悲しさ……。様々な感情がない交ぜになった声をティアが落とすと、ヴァンは彼女に顔を向けて言った。

「メシュティアリカ。これ以上の愚かな真似はやめるのだ。お前がパッセージリングの再起動を始めたと知って、セフィロトを一つ一つ開く事はやめた。世界は間もなく落ちる。お前が障気を吸って体を損なう必要などない」

「……どうしてなの? 兄さんは優しい心を失ってはいない。なのに、どうして。こんな恐ろしいことをしようとするなんて……!」

「ティア……」

 ナタリアがティアを見て痛ましげに眉を曇らせる。

「……師匠。一つだけ訊かせて下さい」

 ルークが言った。

「あなたにとって、俺って何なんですか。

 あなたはレプリカの世界を作るって言う。だけど俺はアッシュの身替りにアクゼリュスで消えるために作られたって……役立たず、だって。――だったら、俺は何なんだ! 誰かの代わりに死ぬ為だけに生まれた。そんなことに、何の意味があるって言うんですか!!」

「意味などない。お前が自分で言った通りだ。お前はただの代用品」

 軽侮を含んでヴァンは嗤う。

「そうだな。死ぬべき時に死ぬことさえ出来なかった。――お前は、役立たずの失敗作だ」

「ヴァン!! それ以上俺の親友を侮辱するな!」

 ガイが怒鳴った。剣の柄に手を置いている。

「――親友、ですか。フッ。ガイラルディア様。貴公は本当にお変わりになられた。その劣化品を音素フォニムに還してしまえば、目を覚まされるのでしょうかな?」

「やめて! もうやめて、兄さん!」

 ティアが頭を左右に振って声をあげた。

「ルークは失敗作でも代用品でもないわ。彼は自分の命を生きていて、変わっていこうとしている。そんなことも分からない兄さんが作るレプリカ世界を、私は認めることなんて出来ない!」

 厳しい光を目に宿すと、大きな動作で杖を構え直す。そんな妹を同じ色の瞳で見つめて、静かにヴァンは問うた。

「……では、どうあっても私と戦うつもりか」

「……ええ。元々私は、その為に外殻大地へ来たんだもの」

 一方で、アッシュが剣の柄を握りながら口を開く。

「ヴァン。お前の理想を、俺は認めねぇ。一時でもお前を師と仰ぎ、その理想を信じた俺自身の誇りにかけて……お前は、俺が倒す!」

 一気に剣を抜き放った。ヴァンも笑い、己の剣を抜く。

「いいだろう。――かかって来るがいい!」

「うぉおおおおおっ!!」

 雄叫びをあげてアッシュが突っ込んだ。猛攻を繰り出す。その全てを笑ってヴァンは受け止めた。遅れて飛び出したルークがアッシュと殆ど同時に行った斬撃も左右共に受け止め、跳ね除け掌底の気で吹き飛ばす。身体の浮いたルークを斬り捨てようとした所に落ちたジェイドの譜術をステップして避け、その隙を縫って飛んだナタリアの矢をかわし、アニスの乗るヌイグルミの重い一撃をかい潜って、剣突から放った気でヌイグルミと譜歌を詠っていたティアを吹き飛ばした。

 ――が。黄金きんの風のように襲い掛かった斬撃は、受け止めはしたが顔色を改める。

「くっ……」

 宝刀ガルディオス。かつて主家に伝わる象徴として誇らしい思いで見ていた、ホドの海を映したかのごとく蒼く輝くつるぎ。受け止めたそれを払いのけ、下がって間合いを取り、音素を込めた拳と剣を振るおうとした。しかしそこに生じた僅かな隙を見逃さず、再び蒼い刃が襲い来る。その一撃が想定以上に速く、重い。簡単に受け流すことが出来ず、雑魚を一掃するための譜を練ることも出来ずにいたところで、アッシュやルークが斬りかかってくる。

「邪魔だ!」

 フォンスロットから気を叩きつけて弾き飛ばした。やっと周囲が開いたが、彼方から譜術の光が貫通し、肉と血の幾らかを削ぎ取られる。立て直す間もなく黄金の風が襲い来て、右肩の骨を砕かれる衝撃と熱さを感じた。

「ぐうぅっ……!」

 一拍の後に指先まで痺れが走り、激痛となる。握力を保てずに剣が滑り落ちた。

「勝負あったな、ヴァン」

 幼き日に剣を捧げた主の声が聞こえる。あの頃は、護らねばならないひ弱な存在だった。十六年の歳月が過ぎた今でも、その認識を拭い去れないでいたのかもしれない。しかし、見上げた視線の先にいる男は、もはやそうではなかった。血気にはやるばかりの子供ではない、押し殺す殺気を漏れ漂わせる獣でもない。どんな形容もつける必要のない、『ガルディオスの戦士』ではないか。何気ない様子で立ちながら、隙をまるでうかがわせはしない。

 感嘆を感じる。同時に、違和感も覚えていたが。

 血溜まりの中に膝をついて砕けた肩を押さえ、ヴァンはガイを見上げると苦笑をこぼした。

「……強くなられましたな、ガイラルディア様。リグレットから報告を受けてはいましたが……貴公は、余程鋭い牙を隠しておられたようだ」

「レプリカ大地計画なんてものを隠していた、お前ほどじゃないさ」

「もう一度こちらに戻ってはいただけないのですか。私のやり方なら、ホドは蘇りますぞ」

「それはホドじゃない。少なくとも、俺が知っていたホドとは違う。そもそもホドが復活したところで、そこで俺自身が生きていられないんじゃ意味が無いだろうが」

「……」

「お前は、星の記憶から人類を解放するためにレプリカと世界を入れ替えようとした。だが、お前自身もオリジナルの人間だ。オリジナルの人類を残していては、お前の計画は成り立たない。ヴァン。お前は、レプリカ大地が完成したら、自分はどうしようと思っていたんだ? 障気に侵される事が分かっていてパッセージリングを再起動させ続けたのは何故だ。

 ……全てが終わったら、お前もまた、死ぬつもりだったんだろう」

「そんな!」

 青ざめてティアが叫び、ルークが「師匠……」と動揺した声を出す。アッシュも愕然とした顔で眉根を寄せた。

「……ク、クク……。まさかあの気の優しいお坊ちゃまが、こうも成長する日がこようとは。全く、無念です。ホドが滅亡しなければ、貴公は素晴らしい当主となっていたことでしょうに」

 目を伏せてヴァンは皮肉な笑いを落としている。その前に、スッとグローブをはめた手が差し伸べられた。怪訝な目で見上げたヴァンに、ガイは深い色の目を見せる。

「こちらに来い、ヴァン」

「……どういうおつもりですか」

「俺はお前の考えが理解できない訳じゃない。滅亡を前にした哀しみも、自分の無力への怒りも。お前と同じ思いを、多分俺は知っている。だがな。それでも俺は、この世界を諦める気にはならないんだ。

 俺のやり方もまた、間違っているのかもしれない。だが、これが俺の信念だ。だからお前の考えが変わらないのだろうことも分かっている。それでも……。

 もう一度だけ言う。ヴァンデスデルカ。こっちへ来い!

 俺は、誰かを犠牲にして、それで得られる未来が欲しい訳じゃないんだ!」

 沈黙は長かった。

「……………出来ません。ガイラルディア様」

「ヴァン……!」

「私は私自身の意志と信念に従って生きている。我が同志達も同様だ。たとえ剣を捧げた貴公の言葉であろうとも……従う訳には参りません」

 傷の痛みに顔を歪めながら、血にまみれた左手を伸ばすと、ヴァンは転がっていた己の剣を手に取った。ぎょっとして間合いを取りかけたガイたちの前によろめき立ち上がり、しかし彼は渾身の力でそれを床に突き立てる。

「星皇……蒼破陣!」

 気迫のこもる叫びに従って床に譜陣が現われ、音素が眩く輝いた。轟音と共に砕けたのは、透き通った床そのものだ。

「しまった……!」

 他の仲間たちは崩落の範囲外にいる。視界の端でそれを確認しながらも、ガイは崩れる床の中心にいるヴァンに向けて咄嗟に手を伸ばしていた。目が合う。だが、その手が伸ばし返される事はなく。

「……剣は、返していただきます」

 ヴァンの口元には笑みが浮かんでいた。髪や衣服をなびかせながら、落ちていく。

「――ガイ!」

 切羽詰った声音で呼ばれて、自身も落ちようとしていたガイは引き止められた。崩れた床の端からルークが身を乗り出し、腕を伸ばして必死にガイのそれを掴んでいる。

「うぐ……」

 苦しそうに顔を歪めた脇からアッシュが頭を出し、舌打ちしながら手を重ねた。二人でガイを引き上げ始める。

 崩れた床の下は、パッセージリングの下に開いた穴の底に通じていた。星の地核まで、この奈落は続いている。

「兄さん……」

 奈落を覗き込んで、ティアは悲痛な顔をしていた。ただでさえあの深手だ。こんな所に落ちたなら、決して助かる事はない。そう考えるのが普通だろう。……『前』は自分もそう思ったのだから。

「――大丈夫です。パッセージリングの操作は完成されていない。今し方沈めた震動中和装置も問題はありませんね。全世界のセフィロトツリーが正常に機能しています」

 パッセージリングの前にまで下り、制御板を覗き込んでジェイドが言う。ティアがそうするまでもなく、リングは起動していた。ヴァンが再起動させていたのだろう。

「……終わったのですわね」

 ナタリアが呟く。アニスが、「イオン様ーっ」と呼びかけながらイオンに駆け寄っていった。

「いや……。きっと、まだ終わりじゃない」

「え?」

 ガイの呟きを聞きとがめて、ティアが暗い顔を上げる。切り替えるように頭を振ると、ガイは傍らにいたルークとアッシュに顔を向けた。額を押さえてやや顔を顰めるようにしていたルークを見て、ハッとして問いかける。

「ルーク、頭痛か? ローレライの声が聞こえるのか」

「っつ……。いや……大したことない。もう治まった。ローレライって……いつものあの幻聴のことか?」

「ああ。『栄光を掴む者』のことを言ってたんじゃないのか。それに、ローレライの鍵は。受け取ってないのか?」

「あ、いや。そんなの聞いてねぇけど……。つーか、何言ってんのか全然分からなかったし、すぐ消えちまったから」

「アッシュ。お前は?」

 突然話を振られてアッシュは僅かに動揺した顔をした。が、腕を組むと「何も聞こえていないし、受け取ってもいない」と返す。

「何か共鳴音のようなものを聞いたような気はしたがな」

「どういうことだ……」

 ガイは考え込んだ。『前』は、ここで地核に落ちて行ったヴァンがローレライを取り込み、それによって命ながらえたのだ。ローレライは助けを求めて己の完全同位体であるアッシュとルークに通信し、自身の解放を託してローレライの鍵を送った。しかし『今』はそのどちらもない。まさか地核にローレライがいないのか。ヴァンがローレライを取り込むことが無かった? いや、殆ど繋がらなかったとは言え通信が無かったわけではない。このタイミングだ。やはり、ヴァンは生きながらえているのではないか。

 何が起きているのか読めない。歓迎すべきことか致命的な失敗なのかさえも分からなかった。今まで、様々に手を尽くして『前』とは状況を変えてきたが、どうも大きな流れのようなものがあって完全にそれから離れる事はないように感じていた。だが、ここに来て……。これは一体、どういうことなのだろう。

「ローレライの鍵って、ユリアが使っていたとされる、ローレライの力を宿した剣のこと?」

 ティアが怪訝な表情を見せる。アッシュも声音を荒げた。

「どういうことだ。おいガイ、お前何を知っていやがる」

「いや……」

 ガイは言い淀む。説明すること自体はやぶさかではなかったが、傍にルークがいる。今も不安な目で見上げている彼に『未来』の話を聞かせたくはなかった。きっと、いたずらに苦しめることになる。

「ねー、早くアルビオールに戻ろうよ。イオン様を安全な場所で休ませなくちゃ」

 向こうからアニスが声を投げてきた。少し離れた場所にいたナタリアが、「そうですわね。お父様たちも心配していますわ」と頷く。鼻を鳴らすと、アッシュはガイをジロリと睨んでナタリアの方へ歩いて行った。ティアも、こちらを気にしながらも黙って従う。口を開かないガイに埒があかないと踏んだのか。あるいは、ルークを見たガイの目の動きから何かを察したのかもしれない。

「……おいイオン! お前、大丈夫なのかよ」

 ルークはイオンに呼びかけながらぱっと走って行った。

「――浮かない顔をしていますね」

 ルークやイオンたちの姿を見ていると、不意に間近から声がかかったのでギクリと身を強張らせる。

「足音を忍ばせて人の背後に立つなよ、旦那」

「いえいえ。あなたがぼんやりしていただけでしょう。……何か気になることでもありましたか?」

「……」

 ジェイドは軽く肩をすくめた。

「ところで、ヴァンを倒した報告を済ませたら、陛下からあなたに下賜があると思います。国庫に保管されていた資産と、恐らくはグランコクマに屋敷。ホドは崩落しているので領地はありませんが……。よかったですね。ガルディオス家の復興ですよ」

 そう言い、まだ黙り込んでいるガイを見て失笑を落とす。

「……嬉しくありませんか? 余程あのお坊ちゃまから離れがたいのか。――それとも、これもまた、あなたにとっては既知の事実ということなのですか」

 ガイは伏せていた目を上げた。

「ジェイド。グランコクマに戻ったら、あんたに聞いてもらいたいことがある」

 眼鏡の下でジェイドは目を細める。

「やっと話してくれる気になったというわけですね」

 状況の先読みは怪しくなった。だが、ここからが重要なのだ。その為には、この男の協力が不可欠になる。

 完全同位体の被験者オリジナルとレプリカの間にのみ起こりうるコンタミネーション現象。最終的にレプリカの自我を殺す、大爆発ビッグ・バンからルークを救うためには。

 ゲートに吸い込まれていくプラネットストームの奥底から、耳に届かぬ響きが広がり駆け抜けて行ったような気がした。






07/01/28 すわさき


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