青の変奏


 家ほどもある巨大な木のうろの中に踏み込むと、無数の生き物たちが足下に群れ集ってきた。丸い目、小さな手足、頭でっかちで長い耳をふりふりして、細い声でみゅーみゅーと鳴いている。

 見ていると尻の辺りがムズムズしてくるこの生き物が、ローレライ教団の聖獣と呼ばれるチーグルだというのだから、なにやら釈然としない、とルークは思う。

「通して下さい」

 先頭に立っているイオンが懸命に訴えていたが、チーグルたちは侵入者を容易く招き入れる気はないようだった。

「魔物に言葉なんか通じるのかよ」

「チーグルは教団の始祖であるユリア・ジュエと契約し、力を貸したと聞いていますが……」

 ルークの声にイオンが答えた時、奥からしわがれた鳴き声が聞こえてきた。道を塞いでいたチーグルたちが、沈黙してサッと左右に退く。その奥に、人間の腕輪ほどのリングを抱えた老いたチーグルの姿が見え……たと思った、その瞬間。

「みゅう〜〜〜〜っ!!!」

うぐわっ!?

 唐突に。鳩尾の辺りに強烈な体当たりを食らって、ルークは危うく転倒しかけた。ついでに腹の中身も逆流しかけた。

「うごっ、ぐっ、な……!」

「みゅう、みゅうみゅみゅうう〜〜!」

 一匹の青いチーグルが自分の腹にへばりついているのを、ルークは涙の滲んだ目で睨む。他のチーグルより一回り小さい。まだ子供なのかもしれない。いや、そんなことはこの際どうでもよく。

「なんなんだよっこれはぁ!!」

 怒鳴って、そのチーグルの頭を鷲掴んだ。だが、それは頑固にしがみついていて引き剥がせない。

「ううううううう……」

「みゅうぅううう〜〜……」

「……ちょ、ちょっとルーク! 乱暴はやめて!」

 呆気に取られて見ていたティアが、我に返って柳眉を逆立てた。可哀想でしょ、と語気鋭く言うのを聞いて、いきなり体当たりされた俺は可哀想じゃないのかよ、とルークは理不尽な思いに囚われる。

「みゅう……みゅみゅう?」

 リングを持つ老いたチーグルが、戸惑ったように鳴いた。ルークの腹にしがみついたまま、青いチーグルが「みゅう! みゅうみゅう」と嬉しそうに鳴き返している。

「……そちらの人間はルーク殿と言うのか?」

 ひとしきり鳴き交わした後、老チーグルがそう言ったのを聞いて、ルークたちは目を見開いた。

「おい、魔物が喋ったぞ!?」

「ユリアとの契約で与えられたリングの力だ。……ミュウは、ルーク殿は自分の仕える主人だと言っている」

「はぁ? なんだそりゃ。っつーか、ミュウって何だよ」

「お前にしがみついている我が同胞だ」

「はぁあああ!? ワケわっかんねぇ!」

「ルーク。あなたのお腹にくっついている、その青いチーグルの名前がミュウだと言っているのではありませんか?」

 静かにイオンが言った。

「んなこた分かってる! そうじゃなくて、何で俺がこいつに主人とか言われなきゃなんねぇんだってことだよ!」

「あなた、何か心当たりはないの?」

「ねぇよ! つーか、離れろっつーの!」

 冷たい目のティアに言い返して、青いチーグル――ミュウという名前らしい――に怒鳴ると、それは漸く跳び離れて、チョコンと地面に降り立った。そのまま老いたチーグルの元に走り、何やら懸命に鳴いて訴えている。

「……ミュウは、ルーク殿と話したいと言って聞かぬ。仕方あるまい。わしのソーサラーリングを貸し与えよう」

 言うと、老チーグルは持っていた腕輪を青い仔チーグルに渡した。それを腰に穿いて、ミュウはキラキラしている丸い目を上げた。

「ご主人様! ボク……ボク、会いたかったですの!」

 その口から人の言葉が滑り出す。

「誰がお前のご主人様だ。お前のことなんか知らねっつーの」

「大丈夫ですの。ボクはちゃーんと覚えてるですの。ご主人様とボクはこれから一緒に旅をして、ずっとずっと一緒ですの。ご主人様にはいっぱい辛いことがあるですの。でも、大丈夫ですの。……またご主人様に会えたのは、きっとユリア様のおかげなんですの。『今度』は、ぜったいぜったい、ボクがご主人様を守ってみせるんですの!」

 ぞわぞわぞわ〜っと背筋を這い登るものを感じて、ルークはドカッと仔チーグルを踏みつけていた。

「きしょっ。電波なこと言ってんじゃぬぇえ〜!」

「ルークっ! 踏むなんてあんまりだわ!」

「うっせぇ! こいつキモイんだよっ」

 粟立った腕をさすりながらティアに言い返していると、足の下のミュウが「みゅうぅう〜〜……」と震える声をあげた。流石にやりすぎたのか、とハッとなってルークが足を除けてみると。

「やっぱり……やっぱりご主人様ですのぉお〜〜」

 仔チーグルはどこか恍惚と大きな瞳を潤ませて、ふるふると耳を震わせていた。

「……」

 ヤバい。何か真剣にヤバくないか。

 ワケの分からないなりにルークの中で激しく警鐘が鳴り始めた。そろそろと後ずさろうとしたが、仔チーグルがパッと見上げてきたのでビクリと震える。

 何びびってんだこんなちっちぇーの相手にでもマジにヤベぇ感じなんだよこれってあっもしかしてコレがヘンタイって奴かなぁガイっつーか俺はどーすればいいんだ外の世界っておっかねぇもうヤだ。

「ご主人様!」

「ひぃ!?」

「大丈夫ですの。ボクにはちゃーんと分かってるですの。ご主人様はちょっと乱暴だけど、ホントは優しい人ですの」

 何とかして下さい。

 心の中でルークは何かに祈ってみたが、それでどうなるわけでもない。現実は過酷なのだ。

「そうですね。僕も、ルークは優しい人だと思いますよ」

「お、俺は優しくなんかねー! つーか、電波と普通に会話してんじゃねーよ、イオン!」

「まあ確かに、おかしなことを言っているとは思うけれど……」

「そ、そうだろティア。こいつおかし……」

「でも、いいと思うわ。……可愛いもの♥」

 両手を組んでうっとりと言い切ったティアを見て、ルークは唖然を通り越して愕然とした。

「……それがミュウの望みであるなら、我らには異存はない。ミュウはこれからルーク殿にお仕えする」

 老チーグルがミュウの装着したリングに片手を触れながら言った。

「俺はこんな不気味なペットなんていらねぇーー!!」

「いいじゃない。可愛いんだから」

「チーグルはローレライ教団の聖獣です。きっとご自宅では可愛がられますよ」

 誰一人ルークの意を受け入れる者はいなかった。可愛いだけで全てが許される。それが世の中というもので、とりあえずこの場においては、ルークは発言力ヒエラルキーの最下層にいるらしい。

「皆さん、『また』よろしくお願いするですの。ボク、お役に立てるように頑張るですの」

 ニコニコ笑うと、ミュウは「それじゃあ、ライガの女王様の所へ行くですの。今度こそ話し合いで解決出来るように頑張りますの」と、再び電波なことを言い始めた。

「ご主人様、一緒に行きますの!」

「いっ、イヤだぁああ〜〜!!」

 ルークの叫びがチーグルの木のうろの中にこだまする。

 とりあえず、旅はまだ始まったばかりだった。






06/07/30 すわさき

終わり


*7/7のレス板より移動。
 ミュウの逆行パラレル(苦笑)。空気読めない超素直なお子様なので、なんだか電波っぽいことに。
 ミュウは果たしてルークを過酷な運命から救えるのかっ!?(この調子じゃ無理そう…)

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