魔狼のあぎと


 どこかの地域の伝承によれば、月が欠けていくのは魔狼がそのあぎとでかじっていくからなのだそうだ。半月をかけてすっかり齧り尽くし、しかし消えたかに見える月は半月掛けて再び元に再生していく。



「なぁ、ガイ。触っていいか?」

 唐突にそう言われて、俺は窓の外の月を見ていた目を向け、ぽかんと口を開けてしまった。

「……はぁ?」

 随分と間抜けな顔をしていたのだろう。窺うような仕草でこちらを見上げていたルークは、たちまち眉根を寄せて「嫌ならいい」と顔を背ける。

「いや、別に嫌じゃないさ。少し驚いただけで」

 苦笑して、俺は向かいのベッドの端に腰掛けていたルークに片手を差し出してみせる。触りたいなら触れよ、と。

「……」

 しばらくの間、ルークは少し拗ねたような顔をして押し黙っていたが、やがて手を伸ばした。少し冷たくなった指先が、ぺたり、と俺の腕に触れる。指先はてのひらになり、恐る恐る触れていたものがしっかりと触れて、ぎゅっと握る感じになって。やがて、それでは足りないとばかりに強く抱きついてきた。

「おいおい、どうしたんだ?」

「別に……」

 俺の肩口に顔を埋めて、ルークの声は素っ気ない。それが可笑しくて、俺は「はは」と笑いをこぼした。

「いやに甘えん坊だな。まるで小さい頃に戻ったみたいだぞ」

 かつてそうしていたように、腕を回して背を軽く叩いてやる。

「っ、るせーな、そんなんじゃねーよ!」

 ぐっと息を詰まらせてルークは顔を上げたが、それでもくっついた体を離すことはなかった。

「そんなんじゃねぇけど。ただ……」

「ん?」

「……ただ、人に触りたかったんだよ」

「……ああ。そういう時ってあるよな」

 再び俺の肩に顔を埋めて、ルークは少しだけ腕に力を込める。

 ルークと会うのは一ヶ月ぶりだった。

 外殻大地を崩落させようとするヴァンと、それを阻止するべく戦った俺たちの旅が終わった時。俺とルークは二人でバチカルのファブレ邸に帰った。といっても、俺がファブレ邸にいられたのは一週間ほどだ。ピオニー陛下からの正式な召還状が届き、ガルディオス伯爵としてマルクトに帰国することになったのだから。

 分かっていたことではある。俺が復讐を目論んでファブレ邸に潜入していたことは暴露されていたし、であればファブレ邸の使用人を続けていられるはずもない。旅が終わればマルクトで暮らすことになるだろうと、心ではとうに見通していた。

 それでも皇帝直々の召還は思いがけないことで、それを受けて解雇を言い渡したファブレ公爵の行動も急だった。彼らの間では、既に話はついていたのかもしれない。ともあれ、ろくに荷物をまとめる暇すらなく、俺は十四年間暮らした屋敷を出ることになったのだ。

 後のことが気にならなかった訳ではない。生まれてから七年間、片時も離れずに面倒を見てきたルークと別れるということは、やはり心残りではあった。だが、この半年強の旅でルークは変わったのだ。随分としっかりした。もはや、俺が側に付いてあれこれ世話を焼く時期ではないのかもしれない。

 出立前に繰り返しそう言っていた俺を見てどう思ったのか、ペールはしばらくファブレ邸に残ると言ってくれた。それからは、俺も新しい生活に馴染むのに手一杯で、ルークへは手紙を一通出せただけだ。ルークからの返事は来なかった。手紙を書くことも忘れるほど元気に忙しくやっているなら結構なことだ。だが、ペールからの手紙を見る限り、あまりいい状態ではないらしくうかがえた。

 そして一ヵ月後。再び世界に起こり始めた不穏な事件を追ううちに、思いがけず俺たちは出会い、今、こうして宿の同じ部屋で顔をつき合わせている。以前の旅の頃と同じように。

 一ヶ月ぶりにルークの顔を見て、少なからず驚いた。――やけに線が細くなっていないか? 話している時はそうでもないが、少しでも間が開くと、俯いて何かを考え込んでいる。笑顔が硬い。


『ルークの奴、なんだってあんなにうじうじしちまったんだ?』

『うーん。一人で部屋に引きこもってたからねぇ』


 思わず漏らした俺の疑問に、アニスはそう答えたものだ。

 この一ヶ月は俺にとってひどく気忙しく、あっという間に過ぎたようなものだったのだが、ルークにとってはそうではなかったらしい。彼の軟禁は既に解かれてある。だが、ルークは家の外に出るのはおろか、自分の部屋からもろくに出ないような日々を送っていたらしいのだ。――誰とも触れ合うことなく。

「……なぁ、ルーク」

「なんだよ」

「俺がいなくて寂しかったか?」

「なっ……、ばっか、何言ってんだよ!」

 叫んで、寂しくなんかねぇ、とルークは口の中で呟く。

「屋敷のみんなは? よくしてくれなかったのか?」

「……仕方がねぇよ」

 ルークは言った。

「だって、俺は人間じゃないんだし……」

「ルーク!」

 非難めいた声を上げると、ルークはビクリと身を震わし、だが言葉を止めずに言い返してきた。

「本当のことだろ。俺はレプリカなんだ。……馬鹿だよな。お前やティアやジェイドや……みんなは、俺がレプリカだって分かっても普通に接してくれてたから……だから俺、本当には分かってなかったんだ。自分が人間じゃないってこと……」

「……公爵と奥様は?」

「……跡取りとして相応しい生活をしろって。必ず屋敷に戻れって……」

「そうか……」

 安堵の息を俺は落としたが、ルークは顔を俯けていた。

「だけど……ホントは、それはアッシュへの言葉なんだ」

「おい、いい加減にしろよ、ルーク。卑屈なことは言うなって言ってただろう」

「卑屈なんかじゃねぇよ!」

 半ば身を離して、ルークは俺を見上げてきた。

「そうだろ。あいつは俺のオリジナルで……父上と母上の本当の息子なんだ。俺はあいつが受けるべきものを奪って、盗んでる。屋敷のみんなが、そんな俺に呆れて嫌うのは当然だ。……外殻大地を降ろした時だって、あいつが助けてくれなきゃどうにもならなかった。本当の功労者はあいつなんだよ。俺じゃない。俺は……」

 一度声を詰まらせて、目元を歪める。

「俺は、ただの……失敗作、だ」

「ルークっ!! バカなことは言うな!」

「だって、師匠せんせいはそう言ったんだ!」

 叫び返して、ルークははっとしたように口をつぐんだ。俺も言葉をなくす。

 一ヶ月前にヴァンを倒した。ルークにとっては誰よりも敬愛する師であり、俺にとっては兄のような男だった。

 ヴァンにとどめを刺したのは、ルークだ。

 それ以来、ルークがそのことを口に出すことはなく、何らかの折り合いをつけて吹っ切ることが出来たのだろうと思っていたのだが。

 ルークは唇を噛み、じっと顔を伏せている。

「ルーク……。ヴァンを倒したことが……辛いのか?」

「……辛くなんか、ねぇ」

 ルークは顔をうつ伏せたままだ。

「辛いはず、ねぇだろ。師匠は世界を滅ぼそうとした、倒さなくちゃならない敵だったんだ。……それに、俺なんかより、実の兄さんを殺されたティアの方が、もっとずっと辛いに決まってる。……辛いだなんて、そんなこと言う資格、俺にはない。だって……」

 俺の服の端を握るルークの手に、ぐっと力がこもった。

「だって、師匠を殺したのは、俺……なんだから!」

 触れるべきではないと考えていた。

 己の心の内の傷を癒すのは、結局は自分自身だ。他者から与えられた答えでは、人は真に癒されることはない。自らヴァンに立ち向かった今のルークなら。きっと大丈夫なのだと。

「…………」

 黙って、俺はルークの幾分細くなった体を抱きしめた。

「ガイ……?」

 ――ごめんな、ルーク。

 俺はいつも、お前が一番辛い時に側にいてやれない。――今も、アクゼリュスを崩落させた時も。そして、後になってむごたらしく広がったお前の傷を見出して、後悔にとらわれるのだ。

 お前を育てたのは俺なのに。最も側にいたのは俺のはずなのに。いつも肝心な時を逃してしまう。

「な、なんだよ……放せよ。苦しいだろ」

 自分からはぺたぺた触りまくっていたくせに、恥ずかしくなってきたらしい。そんなことを言い出したルークに、けれど俺は腕の力を容赦することはない。

「いいだろ。俺だって触りたいんだよ。……寂しかったからな」

「……ばっかじゃねぇの。お前、いいトシしてキモい。恥ずかしい奴」

「何とでも言え」

 ひどい言いようのルークに笑っていると、傍らに丸まって眠っていたチーグルが目を覚ましたらしく、「ボクも! ボクもぺたぺたするですの!」と飛びついてきた。

「お? そうか。じゃあ今夜はルークとミュウと三人でくっついて眠るかな」

「げ!? 冗談だろ。暑苦しいっつーの!」

「いいじゃないか。前はよく一緒に寝てやっただろ。お前、一人じゃ怖くて眠れないーなんて泣いてな」

「いつの話だよ、そんなの! 俺はもうガキじゃねぇ」

「ご主人様とガイさんと、一緒に眠るですのー」

「わっ、やめろブタザル。お前、毛がフワフワしててくすぐったいんだよっ」

「みゅうぅぅ〜」

 ジタバタと暴れる一人と一匹を抱きこんだまま、俺は笑った。

 願わくば。

 せめて一片の安らぎを彼に。傷を癒す力を得て、その瞳と笑顔が再び輝きを取り戻さんことを。

 そんなことを思いながら。









 ――だが、運命のあぎとは『それ』を齧り続ける。






終わり

06/08/16 すわさき


*7/16のレス板より移動。

 アニスがブラッディハウリングを使う時の譜文、『魔狼の咆哮、響き渡れ!』という奴がなんか好きです。

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