無力の罪


 視界一面が、その色に覆われていた。

 真紅だ。

 赤、赤、赤。時折金色に揺らめく。

 ごうごうと風が渦巻くような音がしていた。ぱちぱちと何かが爆ぜる音。その合間に、高く低く声が聞こえる。悲鳴。唸り声。生きながら焼かれていく、それは仲間たちの、そしてこの森に住んでいたあらゆる命の放つ、断末魔の――。

「……っ」

 微かな吐息と共に目の前の真紅が揺らいで、ミュウはハッと思いを浮上させた。

「ご主人様っ!?」

 傍らから呼びかける。しかし横たわったその少年は、長い真紅の髪をベッドに散らばらせたまま、目を開ける様子はなかった。何かの夢を見ていたのだろうか。苦しげに僅かに寄せられていた眉間のしわもすぐに緩み、再び人形のように凪いだ寝顔になる。

「みゅうぅ……」

 失望を鳴き声として漏らして、ミュウは長い耳を垂らした。

「――クは、まだ目を覚ましていないのか?」

 階下から声が聞こえてくる。「ええ」と短く返す女の声と共に、やがて階段を上って気配が近付いてきた。

「もう二日だな。……あれからずっと眠ったままだ」

「医師の診断では、身体に異常はないそうよ。――恐らくは精神的な問題だろうと」

「そうか」

 赤い髪の少年の眠るベッドに近付いてきたのは、金色の髪の若者と灰褐色の髪を垂らした少女だ。ベッドサイドに立ち止まると、若者は少年を見下ろしてぽつりと呟いた。

「……ルーク……」

 名を呼ばれて、しかし眠る少年はまつげ一つ震わせる事はない。

「ガイ。あなたも外殻へ行くのね」

 傍らから見上げて確かめる少女に「ああ」と若者は頷きを返した。

「タルタロスを使った外殻への帰還は、あいつ――アッシュの提案だ。俺は奴を信用しちゃいない。ナタリアはあいつから離れないだろうし、何をする気なのか確かめておきたいからな」

「でも……」

「…………多分、今は俺はルークから離れているべきなんだ」

「ガイ……」

「今まで通り傍にいて、護って甘やかして……。それだけじゃきっと駄目なんだろう。何か言い聞かせたところで、ますます意固地になるだけだろうしな」

 言いながら片膝をついて、若者はベッドに眠る少年の顔を覗き込む。グローブをはめた手を伸ばしてその頬に触れようとして、直前でそれを止めた。触れることを恐れるように。暫し逡巡するように留まった手は、結局触れずに引き戻された。

「一人になれば、きっとルークも自分の頭で考えるようになるはずだ。自分がしたことは何なのか。これからどうすればいいのかということを」

「……そうね」

 立ち上がり、若者は少女に苦い笑みを向ける。

「ティア。悪いが、その間ルークのことを頼む」

「それは、勿論構わないわ」

「すまない。……こんなことになっちまったのは……俺の責任でもあるからな」

「……だったら私も同罪だわ。私は、元々兄を止めるために外殻へ向かった。兄が何か恐ろしいことを企んでいると気付いていたのに……。結局、何も出来なかったんだもの」

 少女は苦しげに目を伏せた。

「ヴァンの企み、か……」

 呟いて、若者は口の中に言葉を吐き出す。「それなら、やっぱり俺の方が罪が重いな」と。

「え?」

「――いや。何でもない」

 不思議そうな顔の少女に笑みを返すと、若者はもう一度少年に視線を落とし、ようやく気付いたように傍らの青いチーグルに声を掛けた。

「ミュウは、やっぱりここに残るのか?」

「ミュウのご主人様はルーク様だけですの。だから傍から離れませんの」

 耳を振ってミュウは答える。若者は微笑った。嬉しそうに、少し苦しそうに。大きな手が下りてきて、柔らかくミュウの頭を撫でる。

「そうか。――ミュウ、ルークのこと頼んだぞ。こいつ、結構寂しがり屋だからな。子供の頃は、夜中に目を覚まして一人でシクシク泣いてたりしたっけ。……目を覚ました時に寂しくないように、傍にいてやってくれ」

「はいですの! 分かりましたの」




 若者と少女が階下に去り、気配が遠ざかってしまっても、ミュウは変わらずに眠る少年の傍らにいた。

「ご主人様……」

 大きな目を伏せる。

 チーグルの森の、ライガクイーンの巣で。頭上から瓦礫が落ちてきた時、緩慢な思考の中で死を覚悟していた。

 そもそも、通訳として人間たちをライガの巣へ案内する任を与えられたというのは、そういうことだ。

 おしりに卵の殻をくっつけているような小さな頃から、好奇心は強かった。人間の文字も覚えた。同じ頃に生まれたチーグルの中では、格段に色んなことが出来た。だから、調子に乗ってしまっていたのだろう。ほんの悪戯のつもりで起こした火は、北の広大な森を焼いた。家族も、幼なじみも、みんな焼かれた。逃げ惑い、けれど煙に巻かれて倒れ、生きながら燃えていった。

 生き残った僅かな仲間と共に南の森に逃れたが、逃れてきたのはチーグルだけではない。住処を失ったライガが大挙して森に棲み付き、次々とチーグルをさらっては喰った。南の森の長老は決死の話し合いを行い、人間の村から食料を盗んできて差し出すことでチーグルを襲わないように話をつけたが、これを続ければ人間の報復があるだろうことも分かっていた。

 そして、予想通り人間はやって来たのだ。

 

『ミュウよ。お前にこのソーサラーリングを貸し与える。これを用い、人間とライガの女王の通訳を務めるのだ。……無論、一筋縄ではいかぬだろう。だが、この人間たちはユリア・ジュエの縁者だ。もしかしたら話をつけ、我らチーグルを救うことが出来るかも知れぬ』

 

 南の長老はそう言って、一族の秘宝であるリングを渡してきた。

 大罪を犯し、その後もチーグルたちを苦しめ続ける原因を作ったミュウを、長老は受け入れて護ってきた。今も、一族の秘宝であるソーサラーリングを渡してくれている。……それでも、この仕事が簡単に死に繋がりうる危険なものであり、贖罪を意味するのだという事は、賢い仔チーグルには分かっていた。チーグルたちの間に膨れ上がった恐怖や不安、そこから発する怒りはミュウに向かっている。それを抑え続けるのも限界に達していた。もはや、仔供であるミュウにこの仕事を与えるしかないのだと。

 

(ボクは、要らない仔ですの。仲間をいっぱい殺したから……ライガさんたちのお家も燃やしたから……。今も、ボクのせいでみんな苦しんでるですの。だから)

 

 ライガの女王との交渉は決裂した。女王は、森を燃やしたチーグル族を許さない、と吠えて襲いかかってきたのだ。

 望みは断たれ、ライガの女王の咆哮で崩れ落ちてきた瓦礫を、ミュウはただぼんやりと眺めていた。――直後に、その瓦礫が木刀で弾き飛ばされて砕け散るまで。

「か、勘違いすんなよ。おめーをかばったんじゃなくてイオンをかばっただけだからな!」

 そう言って、ルークという赤い髪の人間は木刀を下ろしてそっぽを向いたが、ミュウは彼に守られたことをちゃんと知っていた。導師イオンは後ろにいたのだ。けれど、彼はミュウの前に飛び出してきた。

 聖獣などと呼んでいるとはいえ、所詮、人間にとってチーグルはちっぽけな存在に過ぎない。そのことをミュウは知っていた。ましてや、自分は一族からも見放された罪人だ。

 

『長老。ボク、この森を出ますの。ルークさんと一緒に行きたいですの』

『何を言い出すのだ、ミュウ』

『ミュウは、仲間を殺して、ライガさんたちのお家を燃やして、みんなに悪いこといっぱいしましたの。ほんとは死んでも仕方なかったですの。でも、あの人はボクを助けてくれましたの。ボク……ボク、あの人と一緒に行きたいですの』

『しかしミュウよ。ライガの女王は死んだのだ。もはやこの森のチーグルが脅かされる事はない。お前が出て行く必要はないのだぞ』

『でも……でも……』

『……分かった。そうまで望むのなら仕方あるまい。ミュウよ、お前はこれからあの人間――ルーク殿を主人としてお仕えするのだ。それがお前の贖罪となる』

『はいですの! ルーク様はボクのご主人様ですの』

『しかし、それは永久ではない。よいか、季節が一巡りしたなら、お前はこの森に帰るのだ。我らは、お前が罪を償って戻る日を待っている』

『長老……。はいですの』




 階下から階段を上がってくる気配がする。

 やがて現われた灰褐色の髪の少女は、「タルタロスはアクゼリュス崩落跡へ向けて出港したわ」と告げた。

「みなさん行っちゃったですの」

「ええ。……でもミュウ、あなた本当に少しもルークの傍から離れないのね。偉いわ」

「みゅうう……」

 ミュウは小さく鳴いた。

 今までルークと共に旅をしてきた人間たち、そして新たに加わったルークの『本物オリジナル』だというアッシュという人間まで、誰もがミュウに尋ねた。「お前は、どうしてルークの傍に留まり続けているのか」と。

 それは愚問だ。

 贖罪だから。恩人だから。本当はいい人だと知っているから。

 そのどれもが理由であり、けれど全てではない。

(ボク……。ホントは、知ってましたの)

 ミュウは、チーグルの森を出てからずっとルークの傍にいた。だから、ルークがバチカル城の地下でヴァンに亡命を勧められたことを知っていた。障気の中和を指示され、その一切を口止めされていたことも。ケセドニアの宿で、ルークが自身に起こった異変に怯えて震えていたことも知っていたし、アクゼリュスのセフィロトでヴァンに言われるままに超振動を使った、その場にすらも同席していた。

(ボク……ボク、もっとお役に立ちたいですの。ご主人様を助けたいですの)

 リングの力で火を吹いたり岩を壊したりは出来るようになっても、小さなチーグルの力はちっぽけで、無力だった。

 金の髪の若者や灰褐色の髪の少女が懺悔していたように、無力であったこともまた、罪なのかもしれない。

「ボクは、ご主人様の傍にいるですの。ずっと一緒にいるですの」

 今は、せめて傍にいて、その場を暖めていることぐらいしか出来ない。目を覚ましたその時に、彼が寂しくないように。

 炎のような髪を背に敷いて、昏々と少年は眠り続ける。その枕元に丸まって、ミュウは『その時』を待ち続けた。






06/10/24 すわさき

終わり




*10/4のレス板から移動。
 ミュウがあれだけルークになつき、アクゼリュス後に見捨てなかったのは、ルークの優しさを見抜いたからだけではない気がするのでした。

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