その門構えは堂々としており、連なる白い棟のあちこちは天の使いの彫刻で飾られていて、最奥に見える、恐らく神殿と思われる建物と一繋がりであるかのようだった。

 その印象は、或いは正しいのかもしれない。広大な中央大海を支配する彼らが、一千年以上もの間決してそこから手を伸ばさず、大人しく地方領主に封じられていたのは、彼らがこの島にある何か――彼らの神と呼べるべきもの、またはそのもたらした財宝――を守護しており、それ以外に価値を見出していないからなのだというまことしやかな噂さえある。武人として天下に名を轟かす彼らは実は神官であり、実際は皇帝に仕えているのではない。彼らの神だけの忠実な守護者であり、番人なのだと。



「女子供とて容赦はするな! 譜術が使えるなら充分脅威だ!」

 白い壁に朱をぶちまけさせながら、周囲の兵たちに向けて命じた。幾度もの戦を生き抜いてきた、その経験からの言葉だ。下手な情けをかけて己の命を失い掛けたことも周囲の命を奪われてしまったことも、一度や二度ではない。小さなネズミであろうと、いざとなれば鋭い牙を剥いて喉笛を狙ってくるのだ。油断や躊躇は死を呼ぶ。戦場ではあくまで非情でなければならなかった。生き延び――生かすためには。

 悲鳴と怒号の響く中を駆け抜け、作り出した幾つもの死骸を踏み越えて辿り着いた場所に、その女はいた。

 結い上げられた薄い色の金髪は乱れて一房二房と流れ落ち、薄青かったのだろう上等のドレスは血で赤黒く汚れている。それでもはしばみ色の瞳は燃えており、今まで手にしたこともないのだろう片刃の剣を細い指で握り締めていた。

「……何故、報告を怠ったのですか」

 言葉を投げたが、せわしなく張り詰めた呼吸を繰り返すばかりの彼女からの返答はない。

「それが元々の約定だったはずだ。マルクトとの友好の証としての花嫁。だが、必要な時には内部で我らがキムラスカのために働く間者スパイでもある。その任を受けたことにより、セシル家の栄華も約束された」

「……」

「あなたが手引きをしなかったために予定以上に戦は激化し、多くの兵と民間人が死んだ。その責任をどう取るおつもりか!」

 女の唇が震えた。

「確かにわたくしはキムラスカの名門セシル家の娘。ですが。嫁いだ以上、マルクトの……いえ、ホドの女です。家族を売るような真似を、どうして出来ましょうか!」

「……女とは愚かなものよ。情に絡め取られ、大義を見失うとは」

「あなたこそ愚かなことを仰る。戦に義などありませぬ」

「いや、ある。……先日、我がキムラスカをローレライ教団の大詠師モースが訪れた」

「……まさか!?」

「そう。この戦はユリアの預言に――教団が隠してきた秘預言クローズドスコアに詠まれていたのです。

『ND2002。栄光を掴む者、自らの生まれた島を滅ぼす。名をホドと称す。この後季節が一巡りするまで、キムラスカとマルクトの間に戦乱が続くであろう』……」

「栄光を……掴む者……」

「それが何者を指しているのかは我らには分からぬが。ホドの滅亡は預言スコアにより定められたこと。栄光を掴むのは、我らキムラスカ・ランバルディアだ」

 腕を軽く振って背後の兵に指示すると、すぐに悟って負っていた箱を下ろし、前に捧げて来た。怪訝な顔をした女の前で、その首箱の蓋を上げさせる。たちまち震えた女の様子を見ながら「あなたの夫は、確かに一角ひとかどの男であった。噂に違わぬ戦いぶりであったことよ」と敬意を示す。

「だが星の定めには逆らえぬ。あなたも、約束を違えなければ祖国で生き延びる事が出来たものを」

「……我が夫は定めに従った訳ではありません」

 それでも剣を握ったまま、女は言った。

「預言は、この星を巡る数多あまたの記憶の中の一つ。唯一絶対の物ではない。あの人は、その定めに立ち向かっていました。預言にはない、人の未来を掴むために」

「預言に、ない……?」

 怪訝な思いで呟くと、背後の兵たちの間からもざわめきが起こる。なんと罰当たりな。恐ろしいことを言う。始祖ユリアの言葉を否定するつもりか。この女はイカれてやがるんだ、などと。

「奇妙な。預言とは絶対のものだ。そこに詠まれている限り必ず実現する」

「いいえ! 預言に何と詠まれていようとも、人は自分の意志で生きるのです」

「その為に、その細腕で戦うと仰るか」

「これ以上我が館へ踏み込ませる訳にはまいりません」

「なるほど。この地に送り込まれて十数年。その間にあなたが産んだお子は二人。この奥におられるのでしょうな。子息は、確か今日五歳になったのでしたか。……その生誕の祝いのために領民は浮き足立ち、港は開かれていた」

「……くっ」

 斬りかかって来た女の剣をかわす。予想していたより太刀筋は鋭く、頬に赤い筋が走った。――ネズミでも牙を剥くのだ。背後の兵が「将軍!」と叫んだが、「構うな」と返す。

「女とはいえ、その意気やよし。ホド領主ジグムント・バザン・ガルディオスが妻、ユージェニー・セシル・ガルディオスよ。このクリムゾン・フォン・ファブレがお相手する。――お前たちは手を出すな!」

 兵たちに命じると、クリムゾンは腰から幅広の剣を抜いた。







 その年、キムラスカに星が降った。

 二千年前の預言うたが刻まれたその譜石を得て、国中が歓喜した。そこにはこう刻まれていたからだ。

 

『ND2000。ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す。は王族に連なる赤い髪の男児なり 。名を聖なるほむらの光と称す。彼はキムラスカ・ランバルディアを、新たなる繁栄に導くだろう。

 ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで……』

 

 譜石はそこで欠けていたが、これで十二分だと言えた。譜石帯からこの石が降った数ヶ月前、王家と姻戚関係にあるファブレ公爵家に男児が産まれていたからである。王家の特徴を色濃く引いた真紅の髪を持つその子供の名は、ルーク。古代イスパニア語で『聖なる焔の光』といった。

 まさに預言されていた通りだ。人々は、この符合の妙と示された輝かしい運命に酔った。すぐに、一年早く産まれていた王女ナタリアとの婚約が結ばれ、その子供は王となるべく定められた。ユリアとローレライの導きのもと、聖なる焔の光はキムラスカに新たな繁栄をもたらすはずだ。

 

 それから一年ほど後。キムラスカ王国を訪れた大詠師モースは預言に詠われたマルクト帝国領ホドの滅亡を告げ、果たして、島は海中に崩落して消えた。ホドに攻め込んでいたキムラスカ軍の多くも巻き込まれて命を落としたが、マルクト側は崩落をキムラスカの仕業だと逆に非難。戦争は激化していったが、一年後に導師エベノスの仲裁で停戦に至った。

 優勢にあったキムラスカ側が速やかにそれに応じたのは、ローレライ教団からの影の指示があったからに他ならない。ホドにまつわるこの戦争は季節が一巡りした時に終わる。……終わらねばならぬ。そう秘められた預言に記されていたのだから。

 

 停戦が成されて後、大詠師モースは再びキムラスカを訪ねた。……新たな預言を携えて。

 

『我が教団では、死と滅亡に関する預言は秘預言クローズドスコアとして秘しております。というのも、死を前にして人は冷静ではいられないものですからな。しかし、それでは困る。預言は成就されねばならぬのです。

 そう。人類にもたらされる未曾有の大繁栄、その約束の時が近付いている。なんとしてもそこに世界を導かねばなりません。よって今、導師はあなた方にこの預言を明かすことを決断された』

 

 ローレライ教団が長らく隠し続けてきた秘預言の一つ。それは、キムラスカに降った譜石の欠けた先を埋めるものでもあった。

 

『ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで……』

『そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街と共に消滅す。しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の大繁栄の第一歩となる』

 

 ローレライの力を継ぐ『聖なる焔の光』。キムラスカを新たな繁栄に導く、祝福され選ばれた英雄王。――だが、そこに記されていたのは、繁栄と引き替えの、彼の残酷な死の運命さだめに他ならなかった。






輪の中の光


 

 物音に気付いたのか、ベッドの中で女が身じろぎする気配がした。

「……もう行かれるのですか?」

「構わん。お前はもう少しここで休んでいればいい」

 身支度を整える手伝いをしようとしたのだろう、起き上がろうとした女にそう言い聞かせる。

 それでも半身を起こした女の白い肩から豊かな胸にかけて、薄い金色の髪が流れ落ちていた。ふと手を伸ばし、その一房をすくい上げる。

「元帥?」

 不思議そうに見上げてきた瞳も、『彼女』と同じ榛のいろだ。そう思い、そんなことを思った自身に向けて失笑を落とす。

 女は居心地の悪そうな仕草をしたが、不快な顔は見せなかった。と言って、甘える姿態も見せはしないが。これはいつものことだ。軍務の際であろうと、こうして触れ合う時であろうと、彼女は常に張り詰め繕う姿を崩さない。けして打ち解けない態度は可愛げがないと言えたが、それでいいのだろうと思っていた。

 彼女は望んでこうしているのではない。それは承知している。媚びない姿勢は、彼女自身の誇りを守る最後の砦なのだろう。そして自分は、この女に安らぎや救いを求めるべきではない。……安らいではならぬとさえ思う。

 この関係は交換条件だ。国賊として爵位を奪われ取り潰された家の娘を取り立て、援助するための見返り。貴族が愛人を囲うのはよくあることで、多少の醜聞になろうとも構いはしない。王も見て見ぬふりをするだろう。しかし、軍人でありながら軍務に惑いや罪悪感を覚えたと……それを世間に見せることは、死した兵士たちのためにも、あってはならぬと考えていた。

「屋敷に戻られるのですか?」

「うむ。流石に、少しは顔を出さねば問題になろう」

「奥様がお待ちですものね」

 そんな声が返って、意外な思いで女を見やる。

「お前がシュザンヌを気にするとは、珍しいこともあるものだな」

「……奥様には、いつも申し訳ないと思っています」

「あれは体が弱い。だから、わきまえている」

「そうでしょうか……」

「それ以上は踏み込むな、セシル大佐」

 断ち切る言葉を投げると、女はハッとしたように口ごもった。

「は、はい。申し訳ありません」

「……近々、お前に将軍位を与えるつもりでいる」

「え……本当ですか!?」

「来年、ケセドニア北部でマルクトとの戦が起こる『はず』だ。お前には、その際に一軍を指揮させようと思う。……出来るか?」

「無論です! 全身全霊をかけて」

「うむ。期待している」

 鷹揚に言い置くと、その一室を後にした。




 屋敷は、王都バチカルの最上層、王城の隣にある。

 本来なら王都に隣接するベルケンドに座し、そこから王を守護するのが公爵家の務めだ。だが王妹シュザンヌを娶って以来、ベルケンドの宮殿は空虚と化した。一つには、病弱な姫君を王室付きの主治医から離さぬ為。また、生まれ育った街や家族から遠く離せば気鬱に陥るかもしれぬとも気遣った。そして今は……『アレ』を国の目から逃さぬ為にでもある。

 知らず息が落ちた。屋敷に戻るのは気が重い。

 この三年でめっきりやつれたシュザンヌの微笑みを見るのもそうだが、家には『アレ』がいる。必ず目にしてしまう。外に出られぬよう閉じ込めているのだから当然なのだが。



 門を潜って屋敷に踏み込むと、違和感を覚えた。

 見回したホールの様相は変わってはいない。様々な戦勝品、先祖伝来の鎧。だが、いつもなら出迎えてくる執事やメイドたちの姿が見えなかった。常に定位置に立っているはずの白光騎士の姿さえない。代わりにホール中央の柱の前に人だかりがあり、メイドや騎士や執事たちが、なにやら口々に騒いでいた。

「お坊ちゃま! おやめ下さい」

「危のうございます」

「お怪我をなさいますよ、ルーク様」

 そして、彼らが囲む柱に張り付いて、あろうことか、それを半ばよじ登っている子供がいるではないか。

「何をしている!」

 歩み寄りながら声をかけると、使用人たちは大仰なほどに震えた。柱に張り付いていた子供も同様で、肩を震わせ、そのままぽろりと落下する。

「お坊ちゃま!」

 使用人たちの間から悲鳴が起こったが、騎士の一人がどうにかそれを受け止めた。しかし騎士の固い甲冑が痛かったのか、単に驚きのためか、子供は「うぅ〜……」と唸るような声を出してすすり泣き始める。

「ルーク様、どこか打ちましたか」

「痛いの痛いの飛んでけ〜でございますよ」

「おい、誰か治癒術師ヒーラーを呼んで来い」

 使用人たちが子供を囲んで騒ぐ中で、執事と数人の騎士がこちらに向き直って居住まいを正した。

「こ、これは旦那様。お帰りなさいませ」

「これは一体何の騒ぎだ」

 苛立ちを隠さぬ声音でそう訊ねる。

 子供はもう十三になる。なのにまるで三つ四つの幼子のように泣き、取り囲む使用人たちの態度もその扱いだ。

 以前はそうではなかった。ほんの三年前までは。

 十七で消える定め。その未来が明かされたとは言え、秘預言クローズドスコアはローレライ教団の最高機密。特にマルクトに知られることだけは避けねばならず、公にする訳にはいかない。よって、表向きには『聖なる焔の光』は祝福された未来の英雄王のままだった。それに相応しい教育が行われ、子供もまた、それによく応えた。一般教養、政治学、経済学、帝王学。そして剣術に至るまで。どんな教師も舌を巻いて賛嘆した。何と素晴らしいお子でしょう。間違いなく偉大な王となられる。これでキムラスカも安泰ですな。

 その賛辞を聞く度に、しかし胸の空虚は増した。この子供は王にならない。大人になれさえしない。キムラスカに繁栄をもたらすのは確かだが、それと引き替えに、死ぬのだ。

 存在しない未来を見据え、がむしゃらなまでに研鑽を重ねる子供の姿は愚かしく、苛立ちと苦痛をもたらした。

 所詮は無駄なことではないか。

 誰もが称える誉れ高く賢い未来の王。その実は、誰よりも哀れで愚かで、いっそ滑稽な道化なのだ。

 ……だが。今となっては、どちらがより哀れだったと言えるのだろう。心も記憶も失った。誰もに哀れまれ、密かに嘲弄の目を向けられる。本物の道化と成り果てた今と、あの頃とでは。

「それが、私にはよく……。ルーク様が突然柱を登り始められまして」

「ルーク様お一人で、このホールに入ってこられたのです。暫くあの剣を見上げておいでだったのですが、急に……」

 恐縮する執事の後ろから騎士が言った。

「一人で? ガイはどうした」

 世話係を任じている少年の名を出すと、「ただ今、城下に出ております」と、申し訳なさそうな声が返ってくる。

「近頃はルーク様もだいぶ回復なされましたし、お昼寝の時間でもありましたので、その間なら大丈夫だろうと許可を……。わたくしの責任でございます」

 執事は頭を下げたが、咎める気にはならなかった。

 無理もない。四六時中『アレ』の相手をしていては、羽を伸ばしたくもなるだろう。

 ガイ・セシルという少年を住み込みで雇い入れたのは、十年前、彼がまだ七歳の時だった。庭師として雇った男の孫息子だったのだが、なかなか気働きがして使用人たちの中で重宝がられ、平民ながら不思議と気品もあって、『公爵子息の遊び相手』として招いた貴族の子弟たちと並べても見劣りはしなかった。彼らに蔑まれても礼節を崩さぬ態度は、むしろ人品で凌駕しているように見え、子供は『遊び相手』たちよりも、この使用人と共にいることを好んだものだ。『ガイの方がいい。あいつらと話していると頭が腐る』などと毒づきさえして。

 

『ルークに歳の近い遊び相手がいるのは良い事ですわ。あの子は、年の割りに少し気難しいところがありますもの。もう少し子供らしく、笑って心安らかに過ごしてくれれば……』

 

 シュザンヌの鶴の一声で、庭師の孫息子は公爵子息の守り役――『ご友人』に抜擢された。それ以来、使用人として友として、よくやっていると言えるだろう。

 三年前、変わり果てた有様で戻った『アレ』に対してすらも、忠節を曲げることはなかったのだから。

「ガイ?」

 世話係の名を聞き咎めたのか、『アレ』が顔を上げてこちらを見た。その拍子に涙が目の端から零れ落ちる。男子がこの年になって情けない。その思いが顔に出ていたのだろうか。僅かに身を強張らせて唇を引き結び、すぐに涙を拭い始めた。「ルーク様、そんなに乱暴になさってはいけません」「赤くなりますよ」と、周囲のメイドたちが慌てている。

「……ルーク。お前は一体、何をやっていたのだ」

 仕方がない。使用人たちの手前、今更無視をする訳にもいかない。意志が通じる期待すらせずに声を掛けたが、果たして、意味不明の声が返ってきた。

「けん」

「何?」

「あれ!」

 指差す先にあるのは、柱の高い位置に飾られている剣だ。――中央大海の島々を支配していた伯爵家に、代々伝えられていたというもの。それを滅ぼした証として、当主の首と共に持ち帰った。

「あれを取ろうとしていたのか……? 馬鹿な。あれはお前のおもちゃにしていいものではない!」

 思わず声音が尖ってしまい、子供は怯えるかと思ったが。

「ちっ……ちっげぇーよ!」

 僅かに震えながらも、汚い言葉が返って驚いた。「お坊ちゃま! またそんな言葉遣いを……!」と、執事が目を剥いている。

「おもちゃじゃねぇ! 俺、剣が使えるようになりたいんだよ」

「剣を……?」

 眉根を寄せる。

 剣で建国を果たしたキムラスカ・ランバルディアは武術を尊ぶ国だ。記憶を失う前まではこの子供もそれを学び、歳にそぐわぬ鋭い剣筋を備えていたものだった。――しかし、今は。

「剣が使えたら『りっぱな大人』になれんだろ。こいつらがそう言った!」

 指で示された騎士たちが気まずげに首をすくめ、「いえ、私どもは……」「ルーク様がもっとお勉強に励まれて、公爵のように剣の巧みな武人になれば宜しいでしょうと……」などと、しどろもどろに口にしている。

 深い溜息を落とすと、子供が震えた。

「父上……」

「お前が剣を学ぶ必要などない」

「なっ、なんで!」

「お前は成人するまでこの屋敷の中にいるのだ。剣を振るう機会などないだろう」

「やだ! やだよ! 俺、剣術やりたい!」

「ルーク……」

 苛立ちと、僅かな驚きが頭をもたげた。コレがこれほどはっきりした意志を見せたのはどれほどぶりであったかと。……あの誘拐以来、初めてではないのか。

 三年前、子供はバチカルから唐突に姿を消した。どうやら誘拐されたらしい……。それを知ってシュザンヌは心痛で倒れたが、王とその側近たちは違う意味で恐慌に陥った。ここで『聖なる焔の光』を失うわけにはいかなかったからだ。公爵家の人間を連れ去ってただで済む筈がない。それを恐れぬのであれば敵国マルクトの仕業か。もしや、秘預言を知ってキムラスカの繁栄を防ぐために連れ去ったのでは。そんな憶測が飛ぶ一方で、内務大臣のアルバインのように、こちらにあからさまな疑いの目を向ける者もいた。

 

『これは狂言ではありませんか。息子可愛さに、誘拐を装って逃がしたのではありますまいな。もしそうなら、公爵とは言え国家への反逆ですぞ』

 

 狂言などではない。子供は本当にいなくなり。……後に発見され連れ戻された時には、以前と変わらぬのは外身だけ。頭も胸も空っぽの、言葉一つ喋れぬ赤ん坊に成り果てていた。そればかりではない。時折頭を押さえ悶え苦しんではあらぬことを口走る。『聖なる焔の光』は気がふれた。そんな噂が広まるのも時間の問題だったろうが、インゴベルト王が即座に指示を下し、少なくとも一般階層に知られることは避けられた。一つは、『聖なる焔の光』に関する一切の話題の禁止。もう一つは、『聖なる焔の光』の外出の禁止。

 表向き、それはの子供を外敵から、公爵家を風聞から守るための措置であったが、実際には拘束であり、示威でもあっただろう。――逃げぬように。逃がさぬように。

 この国は定められた通りに繁栄するだろう。国政に携わる者として、多くの血で贖われた座に座る者として、それを望まぬ訳にはいかない。だが、自分たちはこの閉ざされた輪の中からどこへも行けはしない。それもまた定められている。

「……お前は『立派な大人』になりたいのか」

 訊ねると、子供は大きく頷いた。

「ガイと、『賭け』したから」

「ガイと?」

「うん」

 子供は再び頷く。

「俺が『けんをささげるにあたいする』りっぱな大人になれたら、『しょうがいのちゅうせいをちかう』って」

「……」

 その時、バタバタと駆けてくる足音が聞こえた。

「こっち、こっちよガイ。急いで、ルーク様が……」

 そんな女の声が聞こえ、メイドを追ってホールに駆け込んで来た金髪の少年が「ルーク!」と声を出す。そこでこちらに気付き、二人でハッとしたように口をつぐんで身をただした。裏門を使い、城下から戻ってきたのだろう。

「ガイ!」

 固まった空気など意に介していない。子供はパッと笑うと、駆け寄って守り役の少年に飛びついた。子供らしく、明るく伸びやかな表情だ。これまで見たことのないような。

「なんだよガイ。お前、どこ行ってたんだっての!」

「い、いや。ちょっと城下にな」

 少年は子供に応えて、こちらを気にしたのか軽く咳払いをする。

「それよりルーク様、柱に登っていたと聞きましたが」

「あー、まぁ。いーじゃん、別に」

「いーじゃん、ではないでしょう!」

 子供は口を尖らせたが、少年から離れようとはしていない。

「――ルーク」

 呼びかけてみると、その母と同じ色の瞳に僅かに緊張を滲ませて、子供がこちらを見た。

「この半年、神託の盾オラクル騎士団のヴァン謡将から何度か打診があった。剣術指南を再開させてはくれまいかとな」

「え?」

「記憶を失う前、お前に剣の稽古をつけてくれていた方だ。お前の剣の師……先生だな」

「ヴァン師匠せんせい?」

「もう一度剣を学ぶか」

「……!」

 子供の目が見開かれる。頬に血が上り、鮮やかに紅潮した。

「うん!」

「そうか」

 こちらの頷きを見ると、子供は少年のシャツを掴んだまま振り仰ぐ。

「ガイ! 俺、剣術やるから! 強くなって、そしたら剣もらってやるからな」

「? ルーク様の使っていた剣術稽古用の木刀なら倉庫ですよ」

 意味が通じなかったようで、少年は不得要領な顔をしたが、子供の意識はもう違う所に飛んだようだった。

「ホントか!? 倉庫だな!」

 言うなり走り出す。

「あ、ルーク様!」

 子供を追う動作をした少年を、「ガイ」と呼んだ。青い瞳がこちらを向く。

「そういう訳だ。再開の時期は謡将と相談して決めるが、心得ておくように」

「……はっ」

 短く返した少年の目は、子供に向かう時とは打って変わって鋭い。刃のようだ、と思った。背にした柱に飾った剣の、青く光る刀身のような。

(そういえば、あの時からそうであったな)

 ふと、それを思い出した。

 この少年が、祖父に連れられて初めてこの屋敷の門を潜った日。『ガイ・セシルです』と名乗った幼子の目は鋭く、どこか挑戦的でさえあるように思えて。何故か、それを懐かしいと思った。

 セシルという姓のせいであったかもしれない。この国ではありふれたものだが、あの日、己の剣で貫いた女と同じ響きであったから。

 

『いいえ! 預言に何と詠まれていようとも、人は自分の意志で生きるのです』

 

(愚かしいことだ。……貴女もその家族も、結局は滅びの定めに従い消えていったのではないか)

 ユリアの預言には逆らえない。二千年の間一度も外れたことのない、絶対不変の定めだ。

 十七での死を定められた子供は大人になれない。気がふれて痴呆と化した者が以前の剣筋を取り戻せるとも思えない。

 剣を捧げるに値する立派な大人になる未来など、来ない。

 来るはずがないではないか。

「…………お前は、アレが再び剣を振るえるようになると思うか」

「……」

 少年は口を開かなかった。そうだろう。愚問だった。そう自嘲しかけたが。

「ルーク……ルーク様は諦めてはいません」

 一拍の沈黙の後に。声は返った。

「彼は、前に進もうとしている」

「……そうか」

 パタパタと駆け戻ってくる足音が聞こえた。回廊から顔を覗かせて、子供が己の守り役を呼ぶ。

「なぁー、なあなあガイっ。倉庫ってどこにあるんだよ」

 視線を向けた少年に頷いてやると、一礼して子供の方へ向かった。

「ルーク様、落ち着いて下さい。稽古が始まるのはまだ先ですよ」

「そんなの待てねぇー。いいから木刀! 出せっつーの」

「あっ……こら。廊下は走ってはいけません。……って、待て。危ないって言ってるだろう!」

「お前だってさっき走ってたじゃん」

 二人の若い声は回廊の奥へ遠ざかっていく。

 痴呆になって戻った子供は、喋ることも歩くことも出来なかった。それでも今、子供は言葉を交わし、自分の足で走っている。根気強くそれを教え続けた少年と共に。

 失われたものが戻った訳ではない。以前には遠く及びはしない。それでも……それは事実だ。

(……シュザンヌを説得するのが一仕事だな)

 誘拐以来、子供が傷つくことに過敏になった妻の様子を思い浮かべた。

 奥の居室へ向かいながら、愚かなことだと己を哂う。なんと無駄なことをしているのだろう。

 閉じられた輪の中は暗い。光など、見えるはずがないのだ。








終わり

07/02/24 すわさき

*06/12/26のレス板から移動。

 …で。
 ヴァン師匠との稽古の楽しさにすっかり気を奪われたルークは賭けのことなどケロリと忘れてしまい、でもパパはばっちり覚えてたとさ…という話でした。

 オリジナルイオンは自分の短い寿命を知って歪んだ、という話ですが、自分の子供の短い寿命を知っている親というのも苦しいものではないかと思います。

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