※真面目に読むと馬鹿を見るので、予めドーンとご注意ください。(^_^;)

ワールド・インデックス


 

 その瞬間は、痛いんだろうか。それとも、苦しいんだろうか……。

 想像することすら恐ろしいと思っていたそれは、迎えてみれば”眠り”にひどく似ていた。

 深い淵に引きずり込まれるように、意識はゆるゆると、それでも抗いようもなく沈んでいく。心地よくもあり、このまま眠りにつけるのならば、それはそれでいいような気もした。悔いがないわけではない。未練も尽きることはない。それでも、今の自分に出来ることをやり抜いたという自負はある。

 ――ただ……。

「……ーク……起……」

 何かが、沈みゆく光の最後のひとかけらを瞬かせている。

「……起きて、ルーク!」

 そして。うたたねから目覚めた時のように、”死”は唐突に消え失せた。

「――!?」

 目を開ける。視界に広がったのは夜空。幾分湿った風が頬を撫で、それに合わせて青白い花々が長い首を揺らしている。

「ここは……」

 強い既視感でくらくらする頭を押さえながら、ルーク・フォン・ファブレ……正確には、そのレプリカ……は半身を起こした。

「よかった……。無事みたいね」

 安堵を含んだ女の声がする。よく知っている声だ。いつも傍にいてくれた。最後まで見守って支えてくれた彼女。ティア・グランツの。

「俺……どうなったんだ。音素フォニムが乖離したはずなのに……まだ消えてないのか? ローレライは……」

「混乱しているのね。安心して。確かにすごい衝撃だったけれど……プラネットストームに巻き込まれたかと思ったくらい。でも、あなたと私の間に起きた疑似超震動は、私たちをここに移動させただけみたいだわ」

「……は? お前、一体何を言って……」

 話の噛み合わなさに、伏せていた顔を上げかけたルークは、額を押さえていた己の手が触れた感触にハッとした。

(髪が)

 長い。手を滑らせれば、それを梳く感触は腰まで尽きることがない。

「ここがどこかは分からないけれど、向こうに海が見えるわ。渓流に沿って下りて行けば、街道に出られると思う。事故とはいえ、あなたをここに連れ出してしまったのは私だもの。心配しないで。あなたは私が責任を持ってバチカルの屋敷まで送り届けます」

 既視感が再び、圧倒的な強さでこみあげてくる。まさぐった腰の後ろの鞘にローレライの鍵はなく、高級品ではあるがおよそ実戦には不向きな木刀があるだけだった。

(時間が……戻った?)

 有り得ない。

 だが、ならばこの状況は何だと言うのだろう。たとえば何かの陰謀だとしても、僅かな間にここまで自分の髪を伸ばさせるのは流石に不可能であるように思えるし(念のために引っ張ってみたが、確かに地毛だ)、そもそも何の意味があるのか。いや、時間が戻ったと考える方がおよそくだらない。有り得るはずがない。

 ……だが、もしも。もしも奇跡が起こって、本当に時間が戻ったのだとしたら。

(やり直せる、かもしれない……?)

 これから起こること。ヴァンが起こそうとしている陰謀。イオンのこと、アッシュのこと。――アクゼリュスの崩落すらも。

「――テ、ティア。俺……っ!」

 顔を上げて、傍に立っていた彼女を見上げ、溢れる思いを訴えようとしたルークは。

 そこで、ピシリと全身を強張らせて固まった。

「な……何だよ、それは」

「何かしら」

 全く平静な、冷徹とさえ言える彼女の表情は見慣れたものだ。体の線をくっきりと際立たせている神託の盾オラクルの軍服も、やや灰がかった艶やかな栗色の髪も。……ただひとつ。その髪の毛が頭のてっぺんで無造作に一つに束ねられ、毛先が噴水のごとく放射状に広げられていたことを除いては。

「何かしら、じゃないだろ! どうしちまったんだよお前。何なんだその髪型!」

「パイナップルよ」

 返った彼女の声は冷徹だった。

「は?」

「聞こえなかったの? パイナップルよ」

「……」

 確かに、頭のてっぺんで髪を縛った状態は、どこか果物のパイナップルの形を想起させるかもしれない。

 だが。それが何だというのだ。

(意味がねぇっつーの。あ、いやそもそも一発芸に意味なんてないよな。って待て待て。ティアはそんな冗談とか、まして芸なんてやる女じゃなかっただろ!)

 ルークは思いっきりジト目になると、目の前の少女を眺め回した。

「お前、ティア……だよな」

「ええ」

 奇妙な形に結った髪を気にした様子もなく、彼女は普段通りの態度で表情で頷く。そして、ふと怪訝な顔を作った。

「待って。そういえばあなた、どうして私の名前を知っているの?」

「あ、いや、それは……」

 形勢逆転だ。ジロジロと不審な目で見られてルークは焦ったが、何も答えられないお坊ちゃまを見てどう判断したのか、「兄さ……ヴァンに聞いていたのね」と、彼女は勝手に理屈を見つくろってしまった。

「とにかく、いつまでも夜の渓谷にいるのは危険だわ。さっきも言った通り、川に沿って下りましょう」

 言うと、さっさと背を向けて歩き出す。深い交わりを拒んでいるかのようなその物腰は、なるほど、かつての出会ったばかりの頃の彼女の態度そのもので、時間が戻っているのは確からしく思われた。……異変はどう見てもそれだけではなかったが。

(なんか、これ以上口を挟めねぇ……)

 そのうち、あの髪形もやめてくれるだろう。そんな希望的観測を抱きながら、ルークはとぼとぼとその後に従ったのである。



 結論から言えば。

 ティアがパイナップルモードを改めることはなかった。そして、他の誰かがそれに突っ込みを入れることもまるでなかった。

 ちなみに、エンゲーブで出会ったジェイドは鼻眼鏡を愛用していたし、イオンは超ミニスカでニーソックス、ブタザルは紙オムツを穿いていて、アニスはパンチパーマだった。タルタロス脱出の際に助太刀に現れたガイは見た目は普通だったが、今も「海や川は怖いぞ」と注意を促しながら複雑骨折でもしそうな怪しいポーズをいちいち華麗に決めている。

(これって、パラレルワールドってヤツなのかな……)

 そんな幼馴染を視界に入れないよう視線をあさっての方にそらしつつ、ルークは昔、屋敷で読んだ小説の内容を思い出していた。この世には無数の、少しずつ違う世界が並行して存在しているというものだ。そのひとつに自分は紛れ込んでしまったということなのだろうか。……世界中の人間を巻き込んだ壮大なジョークだとか、実は死ぬ間際に見ている悪い夢だとかいうことでない限りは。

「疲れたのか? ルーク。随分大人しいな。カイツールはもうすぐだ。もう少し我慢してくれよ」

 パダン平原を歩きつつ考えに沈んでいたルークの耳に、たぶん今も軟体動物かヨガの達人のような華麗なポーズを決めているのであろうガイの声が聞こえた。

「カイツール……」

 やっと国境か、とルークは思う。ここでアニスと合流して、旅券を使って国境を越える。確か、旅券を持ってきてくれたのは……。

「って。待てよ、あそこには師匠せんせいがいるんじゃん!」

 立ち止まって大声で言ったルークの態度をどう勘違いしたのか、「そうだな、ヴァン謡将とも合流できるかもな」とガイが子供をなだめる口調で笑った。……イナバウアー的ポーズを決めながら。しかしそんなものはもはや問題ではない。

(やっぱり、師匠もどっか変なんだよな。うわ。いやだ。そんな師匠、絶対見たくぬぇぇ〜〜!!)

 今の自分にはあの人は必要がない。それでも、かつて心酔していた師であることに違いはなく、鼻からスパゲッティを食べていたりちょんまげを結っていたりステテコ腹巻き姿で登場したりする様子を見たくはなかった。いやそれぐらいならまだマシで、想像することすら脳が拒むようなバージョンで出現することもあり得る。十二分に。

「きゃわ〜ん♥ アニスの王子様ぁ♥」

「とか思ってる間にもうここまで来ちまってるし!」

 国境の検問所前でパンチパーマのアニスに抱きつかれながらルークが喚いていると、唐突に上から声が降ってきた。

「ここで死ぬ奴に、旅券なんていらねぇよ!」

 間を置かずに人影も、検問所の屋根から降ってくる。

「うわ!?」

 振り下ろされた剣を咄嗟に避けて、そうだこいつもここで出て来たんだとルークは思い至った。タルタロスでは例によって顔を合わさずに終わっていたが、ここでは思わず避けてしまったので正面から相対することに……。

 唐突にルークは理解した。

 かつてアッシュがレプリカの自分を散々に罵倒し、「お前は俺だ。なのにどうしてそんなに卑屈なんだ」とひどく苛立った様子で言い放っていた、その心境を。

 アッシュはアッシュ。自分は自分。付属品でも代替え品でもない別の人間だ。けれどもそれはそれとして、自分と同じ顔の人間がアレだと、どうにも他人事ではない。なんともいたたまれない気分にさせられるものなのだと。

「っていうか、タイツは使いどころが重要だろー!! 全身はヤバいっつの!」

「ハッ。戦いのさなかに気を散らすとはご立派だな、屑が!」

 おかげでアッシュの二撃目をまともに受けて吹っ飛ばされ、したたかに頭を打った。星が散って気が遠くなる。止めに入って来たらしいヴァンが「退け、アッシュ!」と怒鳴っている声を聞きながら、とりあえずヴァンの姿を見ないで済んだことに感謝しつつ、ルークは意識を手放した。




「ご主人様! 大丈夫ですの?」

 がくりと自分が膝をついた感触にハッとして、ルークは”目を覚ます”。目の前に青いチーグルがいて、長い耳を揺らしながら心配そうに見上げて呼びかけていた。

「え……?」

 何故なのか全身がだるい。のろのろと身を起こして辺りを見回し、ルークは愕然として体を震わせた。一面に広がる陰鬱な紫の空。その色を映したのかのような、どこまでも続く泥の海。足元は硬質な金属製で、低い譜業の駆動音が聞こえている。ここは……。

「あなたは兄に騙されたのよ。そしてアクゼリュスを支える柱を消してしまった」

 タルタロスの甲板デッキで泥の海を背にして立ち、ティアがじっとこちらを見ながら口を開く。

(また違う世界に跳んだ……?)

 ティアはパイナップル頭ではなかった。よかった。ミュウも紙オムツなんて穿いていないし、ジェイド達も普通のファッションで、ガイはくねくねしないで立っているので殴りたい気持ちを我慢せずに済む。これは嬉しい。心底ほっとした。それは本当に本当の気持ちなのだが。

「だけど、なんでよりによってここなんだよ! 俺の七年間でも最大最悪の瞬間だろ〜っ!?」

 頭を抱えてガーッと喚いたルークは、「ご主人様……?」というミュウの不安そうな声を聞いて口をつぐんだ。マズい。今のこの状況で(みんなにとって)訳の分からないことを言っていては、ますます白眼視される。

(そうだ。考えようによっては、これはチャンスなんじゃないか?)

 かつての自分は、このとき責任逃れすることしか考えられなかった。自分は悪くない、ヴァンに騙されていたのだし、そんな自分をもっとちゃんと止めてくれなかった他の連中が悪いんだと。一方的な被害者意識に凝り固まるばかりで、自分が招いた結果をどう受け止めるのか、この先どうすべきなのかなどは、まるで考えようともせずにいたのだ。本当に子供だった。

(今度こそ、ちゃんと認めるんだ。そしてみんなに協力を仰ごう!)

 ルークは決意を込めた顔を向ける。

「みんな! 俺は……俺が、悪かっ」

「そうね。ルークは悪くないわ!

 だが。力強いティアの声に声明は遮られていた。

(えぇーーーーー!?)

「ちょ、ティア!?」

 と、ルークがうろたえた端から、ガイが腕を組んでうんうんと頷いている。

「そうだな。ルークは悪くない。悪いのはヴァン謡将だ」

「そうよ。すべては兄さんの……兄の企みだったんですもの」

「だ、だからちょっと待ってくれよティア。ガイも。確かに俺を騙したのは師匠だけど、俺がやったってことは間違いない……」

「ええ。アクゼリュスを崩落させ、一万人の人間の命を奪ったのは、ルーク、あなたの超震動です」

「ジェイド」

 その言葉は胸をえぐったが、むしろホッとしてルークは赤い瞳の軍人を見やった。そうでなければならない。辛いが、事実は事実として受け止めるべきなのだ。

「超震動は恐るべき力です。それを制御するにはあなたはまだまだ未熟。これからは私の監督下に入りなさい。起床から就寝まで、みっちり面倒を見て差し上げますよ。……ああ、大丈夫。心配しなくとも痛くはしませんから。そんなには」

「は?」

 薄く笑いながら手を伸ばし、近づいてきかけたジェイドは、不意に足を止めて半歩身を引いた。そこを音素をまとわりつかせた矢が突き抜ける。

「汚らわしい手で、わたくしの婚約者に触れないでいただけませんこと」

 ナタリアは矢をつがえた弓を下ろしていない。その表情は実戦さながらに鋭かった。

「おい、ナタリア!?」

 仲間に本気で矢を射かけるなど尋常ではない。いや、相手がジェイドならまあ大概大丈夫ではあろうが恐らく間違いなく

「そうだぞジェイド。だいたい、起床から就寝までってのは何なんだ! ルークを起こしてやるのも、ルークの髪を梳かすのも、ルークに顔を洗わせるのも、ルークの嫌いなものをそっと食べてやるのも、ルークと剣の特訓をするのも、ルークを寝かしつけてやるのも、みんな俺の特権なんだからな!」

「ああ。勿論、そういった雑用はすべてガイにお任せしますよ。私はもっと別の……ね」

 何を思うのかジェイドはくすくすと笑う。その様子にゾッと総毛だったルークは、不意に、後ろから柔らかな胸にぎゅっと抱き寄せられて心臓を震わせた。

「大佐! おかしなことを言うのはやめてください。ルークが怯えています」

「え、ティア? お、おい。お前、背中に胸っ……」

「心配しないでルーク。あなたは私が守るから……」

 ますます強くティアは腕に力を込め、背中に感じる二つの膨らみの感触も強くなってルークはやかんのように沸騰しかける。が。蒸気で吹っ飛ぶ寸前の蓋を叩き戻すように、ナタリアが声を荒げた。

「お待ちなさい、ティア! 胸で殿方を籠絡しようなどと、ハレンチですわ! 淑女の風上にも置けません」

「む、胸って……。おかしな言い方をしないで。私はルークを守ってあげたいだけよ!」

「だったら、そんなに胸をくっつける必要ないんじゃないですかぁ〜? それしかアピれるポイントがないからって」

 アニスが言い、反対側からルークにしがみつく。

「でもでも、ルーク様♥ は、もっと明るくて可愛くて料理が上手でピッチピチで未来のメロンちゃんの、将来性のある女の子の方がお好きなんですよねっ♥」

「んまぁあ! 離れなさい二人とも。ルーク、あなたも何を鼻の下をのばしているのです!」

「だから、なんでお前まで抱きついてくるんだっつの、ナタリア! っていうか何だよこれ。明らかにおかしいだろぉ!?」

 三人の少女たちにもみくちゃにされながらルークが頭から湯気を出して喚いたとき、例によって上から声が響いた。

「いいご身分だな! ちゃらちゃら女を引き連れやがって」

「この声は……アッシュ! っていうか、お前はどこからどうやって飛び降りてきたんだよ!」

 魔界クリフォトの海を航行中のタルタロスの甲板。そんな場所に黒衣と長い赤髪をなびかせて颯爽と飛び降りてきたアッシュは、眉間にしわを寄せてジロリとルークを見やった。ナタリアをしがみつかせたまま、ルークはハッと表情を強張らせる。

「あ、いや、待て。落ち着けってアッシュ。話せば分かる! ナタリア、ほら、あいつが本物のルークなんだって。だから、な?」

「ほう……。お前、俺がお前のオリジナルだってことに気づいてやがったのか。まあ、ヴァンにいいように使われて捨てられて、それでまだ気付かねえ方がどうかしてるがな」

 言いながらアッシュがつかつかと近づいてきた。

「そう。お前は俺のレプリカだ。つまり」

 間近で止まり、険しい声音で吐き捨てる。

お前のすべては、この俺のものなんだよ!

「――……はぁあ!?」

 先ほどからずっと漂っていた違和感が、ついに明確な形となって表れた気がする。

「待て。聞き捨てならないな」

「ガイか」

「その愛想の欠片もない表情かお、態度……。お前、誘拐される前のルークだな」

「フン……。七年前、ヴァンは俺を誘拐してフォミクリーでレプリカを作った。こいつは俺の情報で作られた。”俺の”レプリカだ」

「だが、この七年間、真っ白の何も知らない赤ん坊状態だったルークを育ててきたのはこの俺だ。お前のものじゃない。こいつはな、”俺の”ルークなんだよ!」

 あまりに恥ずかしいと言うのか、むしろいたたまれないセリフの連発に、ルークは身悶えて叫び声をあげた。

「ぎゃあぁああっ、アホかっつーの! 何言ってんだよガイ! アッシュもマジで剣抜くなって!」

「なるほど、面白いですね」

 穏やかな声が聞こえて、ルークはそちらを見やる。先ほどからの騒ぎに加わらずにいた、白い法衣の華奢な少年が佇んでいたが。

「イ、イオン……?」

「出会ってからの時間も、血の絆も関係はない。勝者がルークを手に入れる。分かりました。僕も負けるつもりはありません!」

「えぇええええっ!?」

 このパーティーメンバー最大最良の良心であったイオンまでもが。

「承知しましたわ。勝者がルークを、どちらも手に入れられるということですわね!」

「っていうか、アッシュの方はとりあえずナタリアにのしつけてあげちゃうけどぉ。ルーク様の玉の輿には、アニスちゃんが乗っちゃうンだから!」

「いいでしょう。しかし、やるからには私は手加減はしませんよ」

「望むところだ、メガネ! レプリカは絶対に渡さん!」

「ルーク……。待っていて。私が絶対にあなたを守り抜くわ」

 そんな事を言いながら、ティアは道具袋から一際ゴツい杖を取り出すと、それを握りしめて歩み出ていく。殺る気……もとい、やる気満々だ。

「よし。それじゃ、この中の誰がルークを手に入れるのか……行くぜっ!」

 ガイの声を合図に、七人による大混戦が始まった。

「みんな! 待てよ、こんなのおかしいって。っつーか、そんなことやってる場合じゃないだろ!?」

 なすすべもなく、おろおろして見ているばかりのルークの足元から、ミュウが呑気な声をあげる。

「ご主人様、モテモテですの〜」

「モテモテじゃねえ! 変だ!」

「みゅ? でも、モテモテハーレムは人類の夢だって、長老が言ってたですの。みんなご主人様が大好きですの。ご主人様は悪くないですの!」

「どこの夢見がちで孤独な少年の妄想だぁ!」

 ルークはミュウを蹴とばした。ボールのようにすっ飛んだミュウは、床に転がって鼻から血を出している。ルークの頭から一気に血が引いた。

「やべ! ごめん、ミュウ! ついムカついちまって……大丈夫か?」

「みゅうぅううう……」

 震えながら、小さなチーグルはうっとりとした笑みを浮かべていた。

「ご主人様はやっぱりツンデレ女王様属性……。ハァハァですのぉ〜♥」

 ルークは無言でドシッとミュウを踏みつけた。

 そのとき、轟音と閃光が駆け抜ける。

「げ!?」

 見れば、仲間たちがそれぞれ上級譜術や奥義を使い始めているではないか。

「おい!? こんなところでそんなの使ったら」

 泥の海の上で陸艦が大きく揺れる。音をたてて床に亀裂が走り、ルークの足元が宙に浮いた。

「タルタロスが沈むって……! うわぁああああっ!!!」

 落下と衝撃を感じて、急激に視界が暗転する。「ルーク!」と誰かが呼ぶ声が聞こえた気がした。




「――ルーク。起きてください。そろそろ出発です」

 ルークは目を開けた。

 優しい笑みを浮かべて覗き込んでいるのは、イオンだ。自分が寝ていたのは土の上で、空は青く、周囲には緑の木々が見える。

(また跳んだ……?)

 名残のように緊張でドキドキ鳴っている心臓を宥めすかしながら、ルークはじっとイオンを観察した。見つめられて少し不思議そうに小首を傾げてみせた彼にも、彼が抱いている青いチーグルにも、とりあえずおかしなところは何もないようだ。恰好はマトモだし妙なことを言い出す様子もないし。

「やっとお目覚めですか。お望みなら、ずっとここで寝ていてくださっても構わなかったのですがね。セントビナーの崩落は間近です。自己管理も出来ない人間に付き合う義理はありませんから」

「ジェイド……」

 イオンの向こうからそう言った長身の軍人をルークは見上げた。嫌味な口調がなんだか懐かしい。安堵の息をルークは吐きかけた……が。

「……あれ? なあジェイド、お前なんか痩せてないか? っていうか、声おかしくね?」

「そうですか?」と怪訝な顔をしたジェイドの声は、やはり細かった。体つきも全体に細い、ような。そして。

「って、俺の声もなんか……」

 己の喉を押さえたルークは、そこにあるべきものがないことに気が付いた。喉仏が。次いで、肘があるべからざる柔らかな肉の塊に触れたことにも。

「……」

 おそるおそる下ろした視線の先、自分の胸には。

 メロンとまではいかないが、オレンジほどの膨らみが二つ、黒いインナーシャツを持ち上げて、確かな存在を誇示していた。

「なんっじゃこれぇええぇえええええええ!!!!」

 今更ながら。自分の喉から出ている声までもが、女の声質そのものだ。

「どうした、ルーク」

 声を聞きつけて、誰かが素早く近づいてくる。声質はまるで違っていたが、その口調、そして髪形に服装、なにより表情が、その人物が幼馴染にして親友の使用人であることを雄弁に物語ってはいたが。

(って。ガイ、腰細ぇええ!)

 どこからどう見ても、それは男装の麗人なお姉さまだった。泣きたくなるほど見事に。

「朝っぱらから騒々しいよね〜。それはいいけど、せっかく僕が朝ごはん作ったんだからさ。ちゃんと残さず食べてよ」

 簡易かまどの鍋の前でそう言っているアニスは、黒い癖毛はそのままだったが、髪を短く切っていた。着ている軍服のデザインからして、きっと”彼女”ではなく”彼”なのだろうが、まだ十三歳。幼さを多分に残した姿は、どちらでもさほど変わってはいないように見える。……これはセーフだ。問題ない。もっと恐れるべき問題は。

「ずいぶん騒々しいな」「何の騒ぎだ?」

 そんな野太い声が二人分聞こえて、人影が近づいてくる。

 咄嗟にそれに背を向けると、ルークは大声で喚いていた。

「ミュウ! 俺の頭にミュウアタックだ!」

「ご主人様、どうしたんですの!?」

 まるで変わっていないように見えるが、この小動物もきっと、ここではメスなのだろう。

「いいから、早く! 早くしろ〜〜!! 思いっきりだぞ!」

「は、はいですの!」

 直後に青い塊がすっ飛んできて、ルークの意識も闇にすっ飛んだ。

 自分が女になってるとかジェイドやガイが女でキモいとかそういうことはまだ耐えられるにしても。

(男になってるティアやナタリアなんて、絶対に見たくもねぇんだよ、バっカヤロ〜〜っ!!)

 男の夢と純情は、繊細なものなのである。




 それから、幾つの世界を廻ったのだろうか。

 目覚める度に、今度こそ元の世界なのではないかと期待したが、毎度、それは破られることになった。

 ある世界では、みんな姿も性格も元のままだったが、なぜか全員語尾に「ぴょん」と付けていた。ある世界では、グミを食べようとした途端に「アイテムなんぞ使うんじゃぬぇ〜!」と殴られた。しかしそれはまだマシな方で、ひどい場合にはパーティーメンバー全員がチーグルだったですの。

「も、もういやだ……」

 幾度目かの目覚めを迎えたダアトの宿でルークが呻いていた時、突然、見慣れぬ二人組がルークの前に立ち塞がって声を張り上げた。

「あなたは『テイルズ オブ ジ アビス』の英雄、ルーク・フォン・ファブレね!?」と、ルーク自身と年恰好は同程度の少女が言う。

「やっと見つけたぜ!」と、やはり同じ年頃に見える少年が言った。

「な、なんだお前ら!?」

 たじろいでルークは左手を剣にかける。しかし二人は気にした様子もなく、フレンドリー全開で話しかけてきた。

「私は≪主人公・女≫! 好きな名前を入力してね!」

「同じく、俺は≪主人公・男≫! 好きな名前を入力してくれよな!」

「……は?」

 ドン引いて精神的距離が彼方まで開いたルークにやっぱり構った様子はなく、二人はテンション高く話を続けた。

「私たちの世界、全ての多次元宇宙を『物語』として束ねているテイルズオブユニバースワールドドドドンタコスで大切に保管されていたアンキモグミが持ち出されて、多次元宇宙にばら撒かれてしまったの」

「その影響で、世界に異変が起きているんだ」

「え……っと。つまり、俺がずっとおかしなパラレルワールドに転移してばかりいるのは、そのアンキモグミのせいってことか?」

「ああ。理解が早くて助かるぜ!」

「発想を柔軟にしとかないとやってけなかったからな……」

 俺も大人になったもんだよな、とルークはしみじみと呟く。人に言えない苦労が色々とあったのだろう。

「とにかく、それが原因なら早くなんとかしてくれよ」

「アンキモグミを回収すれば異変は収まるわ。異変の集中しているあなたの近くにある筈なんだけど……」

「って、そんなスゲェアイテムなんて俺は別に……。あ、待てよ」

 ルークは袖に付いているポケットから、グミを一つ取りだした。

「もしかしてこれか? ちょっと前に拾ったんだけど、変な色のグミだなって思ってたんだ」

「あっ、これよ!」

「やったな! これでまた一つ、アンキモグミを回収できたぜ!」

 二人組はそれを持っていたケースの中におさめた。

「これで、あなたに及ぼされていた影響は消えると思うわ。あるべき時空に戻れるはずよ」

「そうか……。ありがとう」

 心底ホッとしてルークは言った。

「やっぱ、トイレでグミなんて拾うもんじゃないよな。食べる気がしなくてずっと持ち歩いちまってたんだし」

「トイレでなくても落ちてる食べ物を拾い食いするのはよくないと思うぜ!」

「でも、今回はおかげで私たちは助かっちゃったんだけどね!」

「そういえば、もしもそのグミを食べちまってたら、どうなってたんだ?」

「全パラメーターが回復していたんじゃないかしら。普通に」

「そうか。俺、ヘタレだから、捨てることも食うこともできなかったもんな……」

 などとルークがやや卑屈モード……もとい、自省を始めていたところで、体が淡く金色に発光して薄れ始めた。

「これは……。俺、やっぱり消えるのか」

 薄れていく己の両の手のひらを見つめて、ルークは言った。本来あるべき時空に戻るということは、つまり、そういうことなのだろう。

 けれども、やるべきことはやった。悔いも未練もあるが、やり抜いたという自負はある。

「……心配しないで。きっと、また会えるわ」

 ≪主人公・女≫が言った。

「世界は物語として、私たちの世界のROMに記録されているの。物語は、何度でも読み返せるし、語り直される」

 彼女はルークに明るい笑顔を向ける。

「何年か後には、リメイクや続編がきっと待っているから!」

「仮面を被って正体を隠して、謎の新キャラとしてバレバレな登場ができるかもしれないぜ!」

「身も蓋もなさすぎるだろ……」

「そうならなくたって出番はあるぜ。俺たち、ここに来るまでにもテイルズオブユニバースワールドドドドンタコス予約特典アンキモグミ編の世界をずっと廻って来たんだ。毎度『クレアーー!!』と叫んでる奴とか、何度も何度もゾンビのように蘇えさせられるプリン好きのお坊ちゃんとか、主役を差し置いて必ず出張ってくる神子と死霊使いネクロマンサーのコンビみたいに、あんたも呼んでもらえるようになるよ。ワガママ&卑屈キャラ担当とかで!」

「どんな担当だよ!」

「大丈夫。どんな展開でも、最後にはシリーズ最新作主役のあの人が現れて、ネタばれにならない程度の当たり障りのないセリフを言って、話を締めてくれるから!」

「それはいつかどこかで俺もやったよーな気もするけど……。なんかもう、嬉しくヌェえ〜〜〜〜っ!!」

 その声の響きだけを残して。ルークは消えた。






 夜空を星が流れる。歌声もまた。

 オールドラントの、セレニアの花咲く片隅で。彼らはいなくなってしまった仲間を想い、空を見上げている。

「ルークは今……どこにいるのかしら」

 ティアの呟きに、近くにいた仲間たちの中からアニスが答えた。

「ルークのことだし、どこかで迷子になっちゃってるのかもね〜」

「そうかもしれませんわね。でも、きっと帰ってきますわよ」と、ナタリアが微笑む。

「そうだな」

 ガイが頷いた。ジェイドは何も言わず、ただ赤い瞳を伏せている。ガイの声を聞きながら。

「あいつはきっと、帰ってくるさ。……約束したんだから」



 ――そう。

 ルークの物語は、きっと、まだどこかで続いている。






終わり

08/04/21 すわさき


*07/12/30のレス板から移動。テーマは「商業・同人問わずの二次創作のパロディ」でした。ホント身も蓋もない(苦笑)。

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