ワールド・エンド*β


 

 全ての息吹が途絶えたことを確認してすぐに、足から力が抜けた。それまで頑なに伸ばしていた背筋が崩れ、みっともなく両膝を地べたについて浅い呼吸を繰り返す。

「フ……」

 自然と皮肉な笑みが口元に漏れた。

「まさか、私がこうまで追い詰められようとはな……」

 見回した周囲には、数人の男女が倒れ伏している。黒い癖毛を頭の両脇で結った導師守護役フォンマスターガーディアン。金色の髪のキムラスカの王女。死霊使いネクロマンサーの血色の瞳は今は伏せられて見えない。主家の宝刀を持ったかつての主人も動かず、最近母の面差しを強めていた妹は物言わなくなり。

(メシュティアリカ……)

 しばしそこに留めた視線を動かして、己のごく間近に転がっている赤い髪の少年に、最後にヴァンは視線を向けた。

 たった今息吹を止めたその体は、人形のように無為で無力な物体にすぎない。

 それでも、先程までの戦いぶりは見事だった。自らの身がボロボロになろうと、仲間が次々と倒れていこうとも、諦めなかった。打ち負ける最後の瞬間まで、己の信念を通し、決して屈しようとはしなかったのだ。

(レプリカルーク……か)

 この複製体、計画の駒の一つに過ぎなかった人形が、よもやここまで変わろうとは。数か月前までは想像すら出来るものではなかった。

 利用され使い棄てられるためだけに生まれた存在。自分が何者であるかも知らず、物事の表層しか見るすべを持たず、ただ周囲に甘え、無為に短い時を食い潰していただけの哀れで滑稽な子供。……いや。自我持たぬ出来損ないの人形。打ち棄てられれば人知れず朽ちていく、ただ、それだけの。

 それが舞台から消えずに留まり、呆然と踏んでいただけの血と屍の山を、自ら踏み越えた。ついには今の世界に生きる全ての者の願いを背負い、何よりただ一人の人間として。この栄光の大地まで。己の造物主であるヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデが立つ同じ場所にまで、その足で這い登ってきたのだ。

 確かにこれは、讃嘆すべき事態であっただろう。

(だが……お前は敗れた。ルーク)

 屍を越えてきたのは、ヴァンとても同じだった。ただ、その果てに見出したものが違うというだけのこと。

 いずれの答えが真理か。それは神のみぞ知ることだろうが、人の世の”正しさ”は結局、勝利者が定めるものに過ぎない。ルークは負け、ヴァンは勝った。正義の冠はヴァンの頭上にある。

「哀れなものだな。私のもとへ下っていれば……新世界の王にもなれたかもしれないものを」

 視線の先で、赤い髪の少年の体は淡い光に包まれ、ゆっくりと薄らいで消えていこうとしている。レプリカの肉体は音素フォニム乖離を起こしやすい。死によって乖離が促されたのだろう。

 少年を包む光と同じ輝きが己の周囲にもあるのを見てとって、ヴァンは今一度立ち上がった。残された時間は少ない。自身も消える前に、全てを終わらせておかなければならなかった。己もろとも内に捕らえたローレライの核を消滅させ、ただの第七音素セブンスフォニムに分解する。それは各地に仕掛けたフォミクリー機器に吸収され、新たな世界のかてとなる筈だ。結果としてほぼ全ての第七音素は消費され、プラネットストームも停止した今、新たに生み出されることもない。ローレライは二度と再生されることなく、預言スコアも消え、安定したレプリカの世界が築かれることだろう。

 少年の側に転がっていた音叉型の剣を取り上げ、ヴァンはそれを掲げようとする。

(ユリアよ、今……)

「――やれやれ。これで終わり、ですか」

 不意に響いた声に驚いて、ヴァンはそちらを見やった。いつの間にか、銀の髪を垂らし派手な襟を広げた細身の男が現れている。

「ディストか」

 かつての部下の名をヴァンは舌に乗せる。その男はいつものように飛行椅子に座ってはいなかった。転がる死体の間に屈んで、それらを軽く検分している様子である。

 皮肉な笑いをヴァンは落とした。

「お前が顔を見せることがあるとは思わなかったぞ」

「あなたは裏切り者には冷たいですからね。私も、出来ることなら来たくはなかったんですが」

 そう言いながらも、視線も向けずに何か手を動かしている。気を惹くものがあればそれに集中して他を顧みない。相変わらずの自己中心ぶりに、苦笑は深くなった。

「……六神将で残ったのもお前だけになってしまったな」

 思えばこの男との付き合いも長い。もう十年近いか。マルクトでフォミクリー研究が禁じられ、それにこだわっていたこの男は居場所を失って宙に浮いていた。研究の場を提供しようと誘いをかけると、すぐさま乗って来たものだ。

「何故ここに来た。お前の恩師のレプリカを完成させるのではなかったのか?」

「よく言いますねぇ。先生のレプリカ情報を私から取り上げたのは、あなたじゃないですか」

「フ。モースと通じて奪い返すつもりだったのだろう」

「あの男は全くの役立たずでした。予定よりずいぶん早く精神汚染が進んで、人が気を失っている間に死んでしまいましたし」

「相変わらず、人を人とも思わぬ物言いだな」

 ホドを実験場とし、無慈悲な実験の数々を指示したバルフォア博士――ジェイド・カーティスがフォミクリー技術の生みの親なら、この男が育ての親の一人であることは間違いない。かつて幼いヴァンを苦しめた数々の実験機器の設計もまた、この男が手掛けている。己の研究のためなら何を犠牲にしようと構わず、そこに痛みを感じる者がいることすら気にとめない。”世界”から遊離した人種。

(だが私も……変わらぬか)

 決して好感を抱けぬ人間を引き入れたのは、その力が有用だったからだ。ホドを滅ぼしたフォミクリー、そして超震動こそが、世界の滅亡を……また再生を可能とする。そのために、妹も、剣のあるじも、部下たちも。全てを踏みにじった。

 全く何も感じぬわけではない。けれども、どこか遠い。

 ホドが崩落した時、恐らく、自分は”世界”から弾き飛ばされたのだ。髄に腐れがあるとしても、世界はやはり美しい。だがそれは自分の足の下、ぼんやりと霞む彼方にある。

「……ゲルダ・ネビリムのレプリカ情報は、他の情報と共にフォミクリー機器に登録してある」

 暮れ始めた世界の中、ディストは手を止めて、初めてこちらを向いた。

「大地のレプリカ情報の収集が終われば、自動的に製造されるはずだ」

「そうですか……」

 ディストはゆっくりと立ち上がる。

「そうと分かれば、もうあなたと話す必要もありませんね」

 次の瞬間、轟音と共に床が割れた。石を突き破って現れた巨大な銃口が輝く。

「ぐっ……!?」

 閃いた光条に焼かれて、ヴァンはたたらを踏んで地に膝をついた。右腕が光になって消しとび、音叉型の剣は弾かれて遠くへ床を滑る。

「流石のヴァン謡将も、力を使い果たした後では哀れなものですねぇ」

「貴様……」

「おお怖い。そんなに睨まないで下さいよ。あなたが悪いんですからね。なにしろ、私の金の貴公子ジェイドを殺してしまったんですから」

 床を突き破って現れたユーモラスな巨大譜業兵器の傍らに立って、ディストは肩をすくめてみせた。

「ネビリム先生一人だけでも調整に手間取っているというのに、ジェイドまで一から作らなければならなくなったんですから。全く、余計なことをしてくれたものです。私は完璧な世界を作りたいんです。そこにはネビリム先生と、ジェイドがいなければならない。そのためにも第七音素をなくされちゃ困るんですよ」

「……それがお前の、理由か」

 傷口から次第に光となって消えていきながら、ヴァンは怒りに顔を歪める。

「世界を……人類を滅亡の運命から救う唯一の機会を……お前は、レプリカのために潰すというのか」

「あなただって、世界をレプリカと換えようとしていたんじゃありませんか」

 一瞬、ヴァンは口を閉ざした。やがて肩を揺らして笑い始める。全身を光に蝕まれていきながら。

「ふ、ふふ……。ふはははは……! ふふふ……はははは……。――愚か、だ」

 その言葉を最後にして。光に喰い尽くされ、彼は消えた。

「愚かなんですよ、みんな」

 闇に一人たたずんで。

 残った男は呟いた。






終わり

08/04/21 すわさき


*08/02/16のレス板から移動。「もしも最終決戦で勝ったのがヴァンの方だったら」パターン2。

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