灰褐色の髪を垂らした少女は微かに笑った。その青い瞳には、抑え切れない悲しみが揺れていたのだが。

『……ううん、あなたのせいじゃない。未来なんて、見えないのが本当なんだもの。

 でも……もしも本当の先まで知っていたら、こんなことにはならなかったんじゃないかとは思うよ。だから……私は忘れない、彼を……。彼が、フランシスが遺したものを、守っていこうと思う』

 暗闇の中で導きとなる光があっていいと思うから。少女はそんなことを言う。

 だが……その光をあくまで導きの一つとして、己の意志で「選ぶ」強さを持つ者はそうはいない。多くは、ただ安易に一つの光を目指す行為に甘んじるだろうことを、自分は既に「知っていた」。未来は、数千年を経るうちに彼女の望むものから逸れて歪んでいく。

 けれども、今、仲間の死に、彼をそう追いやった自分の罪に深く傷ついているこの少女に、どうしてそんなことが言えるだろう?

 それに――自分は知っているのだ。己の知る歪んだ未来もまた、無数の可能性、選択肢の一つに過ぎないことを。たとえ歪んだとしても、それを正すことは出来る。傷がつこうと、罪を負おうと、選びなおすことはきっと出来るのだから。

 

『ねえ。人が死んだら、その心はどこに行くのかな。……サザンクロス博士は、音素フォニムになって音譜帯に混じり合うって言ってたけど……。今、プラネットストームで音譜帯とこの星の地核は繋がってるんだから、また、その音素が循環して、地上の命に再構築されるのかもしれないよね』

 記憶粒子セルパーティクルがきらめきながら流れ行く中、彼女と、その側に立つ若者の姿は遠ざかっていく。

『音素の転生が本当にあるのだとしたら……遠い未来、あなたも生まれ変わるのかもしれない。そうしたらまた、私たちは会えるよね。会って、きっと今度も友達になれる』

 そうかもしれない。いや、きっとそうなるのだろう。

 全ての命と存在は音素に還元され、また、物質に再構築されていく。未来の世界を構成する全てが彼女でもあるし、あるいはフレイル・アルバートやヴァルター・シグムント、フランシス・ダアトでもあろう。そしてきっと――自分でもあるのだ。

 そのために要する時間は、途方もなく長いのだろうが。何故なら、自分がこれから、音譜帯より隔絶されることを「知っている」。いや、自ら「選んだ」。この星の底から抜け出し、全てと混じり合うためには二千年を経ねばならないことも含めて。

 

『――不思議ですね。あなたを見ていると、なんだか懐かしい気持ちになります』

 まぶたを閉じると、木漏れ日の射す緑の森で、誰かがそう言って微笑む情景が揺らいだ。

 これは、遥か遠い未来の記憶だ。――そして、既に過ぎ去ってしまった、過去の思い出でもあった。




「――アッシュ! 起きて。もうベルケンドに着いたわよ」

 揺り動かされて目を開けると、ティアの青い瞳が覗き込んでいた。顔に掛かった灰褐色の髪をかきあげて離れる。

 アッシュはアルビオールの座席から身を起こした。どうやら飛行の間眠ってしまっていたらしい。ここ数日、とにかく体を酷使して先を急いでいたし、ナタリアの安否を思えば眠りは浅かった。そのしわ寄せが来たのだろう。

「アッシュって、結構よく眠るよねー」

 前の座席から立ち上がりながら、アニスが笑った。

「少し意外かも。そういうとこ、ちょっとルークに似て……」

 言いかけて、不自然に口をつぐむ。さほど広くない艇内の空気に、ほんの微量の気まずさが混じった。

「あ、ええと……。そだ、アッシュってば寝ながら眉間をピクピクさせちゃって、面白かったなー。なに、何か夢見てたの?」

「……知るか」

「相変わらず可愛げってものがないな」

 一言を返すと、操縦席からこちらへ歩いてきたガイが一瞥して言った。

「そんなもの、あってたまるか! ……夢の内容なんざ覚えちゃいねぇ。何か見ていた気もするが、忘れちまったよ」

 アッシュはギロリと睨みを利かせて返したが、その反対側の通路を歩いていくジェイドが「はいはい皆さん、家族団欒はそこまでにして、第一研究所へ行きましょうか」とにこやかに言ったので、毒気を抜かれた。

「ホント、あんたは相変わらずだよなぁ、旦那」

 肩をすくめてガイも艇を出て行く。その背を見送り、アッシュも席を立った。





 譜業の国として知られるキムラスカでも、特にその名を轟かしているのがシェリダンと、そこから海峡を挟んで橋で結ばれているこの街、ベルケンドである。同じ『譜業の街』と呼ばれながらも、シェリダンは実際に音機関を製造する技術に優れ、ベルケンドは理論研究を得意として、明確に色合いを異にしている。かつては、それぞれの街に「め組」や「い組」と呼ばれた研究者の派閥があり、対立を見せていたのだが、五年前にシェリダンを襲った大きな災禍を経、二つの街を結ぶ橋が架けられてからは、まるで一つの都市のように融和し、以前にも増した発展を見せている。

 なお、二つの街を結ぶ橋の名は、ルーク橋と言った。この橋を架けるべく中心となって奔走した、一人のレプリカの若者を記念してつけられた名だ。

 

 この街へ来ると、子供の頃のことを思い出さずにはいられない。そう、アッシュは思う。ダアトに対して抱くのとはまた別の、複雑な感情だ。

 父の視察に同行という形で、ナタリアやガイと共にこの地を訪れたときの思い出は、甘くもあり、苦くもある。当初は父が自分を伴ってくれたことが嬉しく、嫡男として期待されているのだと誇りに胸を膨らませたものだ。だが、共に街を見ようというささやかな約束ゆびきりは、呆気なく反故ほごにされた。第一研究所で、簡単な健康診断だと言って受けさせられた、幾つかの譜力テストも厭だった。――今にして思うに、あの旅は視察ではなく、キムラスカ国がアッシュの超振動を調べるためのものだったのだ。そして恐らくは、この時、人知れずレプリカ情報も抜かれていたのだろう。ヴァンの指示により、スピノザの手で。

 アッシュ――ルーク・フォン・ファブレという存在は、生まれた時から……いや、生まれる以前から、周囲の様々な思惑が生み出す波の中で揺れている、頼りないものだった。自分自身、その中で抗おうとしながらも、結局は諦めていたような気がする。――あのレプリカと出会い、葛藤し、その生きた姿を見、それが刻まれた記憶を受け渡されて内実を「知った」、その時までは。

 俺は俺だ。他の奴らがどう思い、どう評価しようとも。

 そう思えたからこそ、今、彼は『ルーク・フォン・ファブレ』として生きている。――それでも、生きている限り揺らぎはあり、迷いは生じ、変化をし続けるものなのだけれども。




 五年前は地震による崩壊で封鎖されていた一角も、今は開放されていた。今はそちらの第二音機関研究所にレプリカ研究機関は移されていると言う。そこで行われているのは、以前中心だった「より完全な生物レプリカ製造のため」の活動ではない。領主たるファブレ公爵の指示のもと、今現在生きているレプリカたちを補佐し、健康を維持するための研究が為されているのだ。

 スピノザは、第二音機関研究所の所長を勤めていた。「おこがましいと嗤うじゃろうが……」と、三年ぶりに顔を合わせた彼は言った。「わしの犯した罪を償うため、相応の責任を負う。そう考えて、この任を引き受けたのじゃ」と。

「ところで……昨日の地震に関して、何か分かっていることはありませんか?」

 ジェイドが訊ねた。

「ああ……。わしも気になって、データをまとめさせていた。これじゃ」

 手渡された紙の束に、ジェイドが素早く目を通していく。普段は柔和な表情に、微かな歪みが生じた。

「これは……地核が震動を始めている?」

「なんだって?」

「どういうことなんでしょうか、将軍」

 ガイが驚き、ティアが訊ねる。

「言ったとおりです。地核が震動している。微細なものですが、それがマントルに影響を与え、地震を起こしたのでしょう」

「それって、放っておいたら五年前までみたいに地殻がドロドロになっちゃうってことですか!?」

「ええ、アニス。実際にそこまで液状化が進むには、数年は掛かるでしょうが」

「だが……俺たちは五年も前にプラネットストームを停止させてるんだぞ? どうして今更地核が振動を始めるんだ」

「それに、今は地核にローレライもいないはずだもんね」

 ガイとアニスの疑問に答えたのはスピノザだった。

「それが……今、プラネットストームは再び稼動しているようなのじゃ」

 全員が、ぎょっとしたように老研究者を見た。

「まだ我々も調査を始めたばかりで、はっきりしたことは分からん。が、大気中の惑星燃料フォンパワー量が急激に上昇している。……ただし、第七音素セブンスフォニムは逆に、以前に増して欠乏しつつあるがの」

「それは……! そうか、そのために地核が」

「え? なになに、どういうことなんですか、大佐……じゃなくて、中将」

 見上げてくるアニスを、ジェイドは見やる。

「忘れたんですか? 以前、ヴァンがレプリカ大地を製造したために第七音素が大量に消費され、それを補おうとブラネットストームが活性化したことがあったでしょう」

 「あ……!」と、アニスは息を呑んだ。ティアが訊ねる。

「誰かが再びレプリカを大量に作っている……と?」

「それは分かりません。ですが、ローレライがかつて地核に留まっていたのとは逆に、音譜帯に留まったままストームを対流することを拒むとすれば、地上では第七音素は消費されていくばかりとなります。……ローレライが音譜帯にいるならば地核は揺れないはずですが……たとえそうでも、セフィロトから噴き出す記憶粒子セルパーティクルは、いわば星の生命力です。枯渇した第七音素を搾り出すためにプラネットストームが活性化し続ければ、いずれは星の生命そのものが搾り出され、尽きてしまいかねない」

「そんな……!」

 アニスが叫び、「何とかできないのか?」とガイが問うた。

「プラネットストームが動いていると言うなら、それを再び閉じるのが早道かと思いますが」

「では、今からセフィロトへ行きますか?」

「待て。その前にレプリカだ。レムの村へ行くと言っただろう」

 ティアの声に異を唱えたのはアッシュだった。ナタリアが連れさらわれて既に五日だ。他の全てを差し置いてでも、彼女を捜したかった。

「だが、地核の震動を放っておくことも出来ないぜ。……今は障気が消えてるのが救いだが」

「フン……ならば、お前たちはセフィロトへ行けばいい。俺はレムの村へ行く」

 ガイに言い捨てて、アッシュは一同に背を向ける。――が、そこで頭を押さえてがくりとしゃがみこんだ。

「アッシュ!?」

 ぎょっとした全員の視線が集まる中、アッシュは激しい頭痛と戦い、あの共鳴音を聞いていた。

 

 ――……ッシュ。アッシュ……。

 

 共鳴音がガンガンと響く中、遠く近く揺らぎながら声が聞こえた。聞き覚えがあるような気もしたが、ただ平板な、無個性なだけの響きにも思える。

「っ、く……。誰だ、お前は! ローレライなのか?」

 声はアッシュの問いかけには答えない。

 

 ――……再び……光が。………れる………地核に……。

 ――来てくれ。アッシュ!

 

「……ルーク!?」

 途切れ途切れに続いた言葉は、バチッ、と線を断ったように消えうせた。

「く……」

 痛みの余韻で、しばらく立ち上がれない。ティアとアニスが来て覗き込んだ。

「大丈夫なの、アッシュ」「しっかりして」

「まるで、かつてのルークの頭痛のようですね……」

 ジェイドの呟きを背に、ガイがアッシュの前に立った。その表情は険しい。

「おい……どういうことだ、今のは。お前言ったよな、ルークって」

「……そんな気がしただけだ。確かじゃない」

 アッシュは立ち上がった。

「頭の中に声が聞こえた。以前、ローレライが意識をつないできた時の感じに似ている」

「……その声は、何と言っていたんです?」

 訊ねるジェイドに視線を向け、アッシュは先程の声を脳裏に引き戻す。

「再び光がどうとか……。地核に……来い、と」

「………」

 それぞれが考えに沈んだのだろう。しばらく、場を沈黙が支配した。

「……セフィロトへ……そうですね、ラジエイトゲートへ行きましょう」

 沈黙に言葉を落としたのは、ジェイドだった。

「確証があるわけではありません。しかし、現在起こっている様々な事態には、どこか繋がりがある。――アッシュ。あなたに今呼びかけた声と、ナタリアの件も、もしかしたら無関係ではないのかもしれません」

 まだ沈黙しているアッシュに、こう続ける。

「もしゲートが開いているなら、それを操作するにはあなたの超振動、そしてローレライの鍵が必要です。……一緒に来てはいただけませんか?」

「………分かった」

 憮然として目を伏せながらも、アッシュは頷いた。






 アルビオールは星の南極近くの島――ラジエイトゲートへと飛んだ。

「これは……!?」

 飛行するアルビオールの機体の中から見ただけで、その異変は明らかだった。ゲートを備えた島は光り輝き、記憶粒子セルパーティクルを噴き上げている。

「やはり、ゲートが開かれていますね……」

「何でぇ!? あんっなに苦労して、確かに閉じたのに、誰が開いちゃったのよぅ。信じらんない。マジウザ!」

「とにかく、降りてみよう。……プラネットストームを突っ切るぞ、みんな、しっかりつかまってろよ!」

 ガイが操縦席から告げる。アルビオールは機体を傾け、光の奔流の中へ飛び込んでいった。




 半ばうずもれた巨大化石の背骨を伝って底に降りる。パッセージリングの周囲を螺旋に下る通路を辿った果てに、ゲート開閉のための譜陣はあった。今それは光り輝いて、動作していることを示している。

 アッシュは、その円い広場の縁から、記憶粒子セルパーティクルの立ち昇ってくる奈落を覗き込んだ。この底は地核に繋がっている。――だが、何も聞こえては来ない。

「まずはゲートを閉じておきましょう。……アッシュ、ローレライの鍵を使ってください」

「……ああ」

 頷いて、アッシュは譜陣の中央に立った。かつてルークがそうしたように――その記憶に従い、ローレライの鍵を掲げる。鍵が赫い光を放ち、譜陣の文様が浮き上がって回転と変形を始めた。

「しかし……。考えてみれば不思議だよな」

 その様子を見ながらガイが呟いている。「何がですか?」とジェイドが視線を送った。

「ローレライの鍵だよ。確か、二千年前のユリアは外殻大地を作った後、鍵を地核へ流したって話だっただろ」

「鍵は、ローレライとの契約の証としてユリアに渡されたものでしたからね。契約が終了したことで地核のローレライに返したのでしょう」

「だからさ。ルークとアッシュは、ローレライを地核から解放するという約束で宝珠と剣を受け取った。そして、ルークは鍵を使ってローレライを解放したんだ。なのに、戻ってきたアッシュはまだ鍵を持っていた」

「……そうですね、確かに」

 ジェイドは僅かに虚をつかれた顔をした。

「私としたことが迂闊でした。――契約はまだ終了していないということなのか。それとも……」

 ジェイドの思索はそこで途切れた。恐ろしげな吠え声が辺りを轟かせたからだ。ぎょっとして見回した彼らの目に入ったのは、まるで退路を塞ぐかのごとく、ぞろぞろと坂道スロープを降りてくる魔物の群れ。

「なにっ!?」

 咄嗟に、アッシュは剣を――ローレライの鍵を構える。鍵の放っていた光が掻き消え、譜陣の回転も止まった。

「うそっ! なにこの魔物の数。ありえないよぉ!」

「ここで見たことのない魔物までいるわ……」

 アニスとティアがそう言う間にも、魔物たちはもう襲い掛かってきている。陣容を整える暇もない。

「くっ!」

 ティアはナイフを立て続けに投げ放ち、背後に飛び退った。そこで譜術の詠唱を始める。アニスは腰の後ろにぶら下げていたトクナガを床にぎゅっと置いて巨大化させたが、それが完全に大きくなる前に魔物の一撃を受けた。トクナガがぐらりと傾ぎ、アニスは危うく潰されそうになる。「んもーっ! 正義の使者の準備が整うまでは待つのが礼儀でしょ!」と叫んだ。態勢がいいとは言えないが、まだ軽口を叩く余裕はあるようだ。ジェイドは己の左腕の上にすっと右手をよぎらせる。光が生じ、そこに槍が現出した。次の瞬間にはもう、間合いに入ってきた魔物にそれを突き刺している。深々と貫かれた魔物は血潮を迸らせ、しかしそれを含めた全てが、一拍後に光となって掻き消えた。

「レプリカ……!」

 ジェイドが赤い目を見開く。

「こいつら……全部、魔物のレプリカなのか!?」

 抜き放った剣をかざし、素早く魔物たちの間に斬り込みながらガイが叫んだ。その周囲で、切り刻まれた魔物が光となっていく。

「フン、そうらしいなっ!」

 仲間たちの間を抜けて飛び込んできた一頭を崩襲脚で蹴り飛ばして、アッシュも叫ぶ。剣を片手に、そのまま前へ駆け出ようとした。が、それをジェイドの声が止める。

「アッシュ、あなたはゲートを閉じてください。こちらは我々でやります」

「なに?」

「守ってやるって言ってんだよ! お前はさっさとそっちを終わらせろ!」

 ガイがアッシュと魔物の間に駆け込んで来ながら言った。言いながらも剣を振るっている。攻撃と防御を一体化した素早い猛襲が、彼の流派、シグムント流の特長だ。

「くっ……。わかった」

 眉間にしわを寄せながらも、アッシュは譜陣に駆け戻っていく。そんな彼の背を守って、ティアが、アニスが、ジェイドが、ガイが戦っていた。坂道スロープからは未だゾロゾロと魔物たちが降りてきている。ここへの入口はそこだけなので、そこを押さえておけば取り囲まれることはないはずだが、飛行する魔物もいる。このままであれば数で負けることになるかもしれない。広範囲に効果のある上級譜術を使えば簡単なのだが、ゲートを閉じてしまうまでは使うわけにはいかなかった。万が一にも制御譜陣を壊すわけにはいかないからだ。

 再び譜陣の中央に立ったアッシュは、今一度ローレライの鍵を掲げた。輝く文様が浮き上がって回転し、その刻まれた意味を変えていこうとする。

 それを目の端に捉えながら、ガイはまたも魔物の群れの中へ斬り込んでいた。一太刀で左の、返す刃で正面の魔物を切り刻む。そこで退いて、防御に移ろうとした、その時だった。彼の目がその人影を捉えたのは。

 広場へ螺旋に下りてくる坂道スロープ。その上のパッセージリングを取り囲む、半ば透き通った通路の辺りに、その人影は立っている。透明な床には複雑な文様が刻まれているため、ここからでははっきりとその姿を確認することは出来ない。――だが、判った。長年を共に過ごした、あまりにも見慣れた姿だったから。

「お前はっ……!?」

 ガイの目はその人影に釘付けになる。動きが止まった。

「――ガイ!」

 ジェイドが叫ぶ。いつになく緊迫したその声にハッとする間もなく、振り下ろされた魔物の爪が彼の体を深く切り裂いていた。

「ガイ!!」

 ティアが、アニスが叫ぶ。切り裂かれた勢いのままに宙を舞ったガイの体は地に叩きつけられ、すぐに血溜りが床を汚していく。

「ガイ!」

 アッシュも彼の名を叫んでいた。閉じきっていないゲートを無視して、剣を片手に走り出す。倒れているガイの前に走りこむと、その前に群れる魔物たちめがけて、烈破掌を放つような姿勢で左手を突き出した。その手が白く輝く。

「いかん、やめなさいアッシュ!」

 ジェイドが叫んだが、その時にはもう、アッシュはその力――第二超振動を放っていた。

 その場にいた全員の視界が、数瞬の間、白光に塗りつぶされた。

 無数の魔物たちは、その殆ど全てが分解し、消滅していく。それだけでなく、その背後にあった通路や床の一部までもが同様に消えていった。アッシュたちの足元が大きく揺らいだ。このままでは全員が地核へ墜落する。

「だぁーっ、パワー全かぁいっ!!」

 叫んだのはアニスだった。巨大化したトクナガの背に乗り、トクナガの片腕にティア、もう片方の腕にぐったりしたガイを抱える。

「つかまって! 中将、アッシュ」

 ジェイドとアッシュがトクナガに駆け寄るのを確認する暇もあればこそ。

「でぇえええぇぇいっ!!!」

 気合いの声と共に、トクナガにジャンプをさせていた。跳ぶ。キモ可愛い顔をした巨大ヌイグルミが、男女五人を己に掴まらせて、崩れ落ちる床からまだ残っている坂道へと。だむっ、と着地する。多少バランスを崩しかけてアワアワしたが、ひっくり返ることもなく成功した。一息つき、振り返った彼らの目の前で、ゲート操作の譜陣の描かれた床は地核へ崩落していく。未だ、ゲートを閉じられなかったまま。

「う……」

 トクナガの腕から下ろされたガイが呻いた。僅かに目を開け、パッセージリングの方を見上げる。

「あいつ……は……」

 だが、そこにはもう誰もいない。……いや、そもそも本当にそこに誰かがいたのだろうか。

「違う……そんなはずはないんだ。あいつは……っ」

 苦しげに呟く。そして、ガイは意識を手放した。






 十数時間後、一行はベルケンドに戻っていた。第一音機関研究所の医務室に担ぎ込まれたガイは、今は病室で眠っている。

「……ガイの様子はどうだ」

 病室から診察室の方に戻ってきたティアに、壁に寄りかかって腕を組んでいたアッシュが尋ねた。

「心配はないわ。薬のおかげでぐっすり眠ってる」

「命に別状はない。傷はかなり深かったようだが、治癒譜術がよく効いていたよ」

 一緒に戻ってきたシュウ医師が言った。この小さな医務室に勤めてはいるが、彼は世界でも有数の医術者だ。

 大きな怪我をした場合、いくら治癒術で傷を塞いでも、ショック症状が起こったり、神経性の幻痛が残る場合がある。しかし、その心配はないだろうと彼は言った。

「そうか……」

「それにしても。ほんっと、寿命が縮まったよー! 死ぬかと思ったもん」

 呟いたアッシュの前で、アニスが大きな声を上げている。

「おやおやアニス、それはもしかして私の操縦のことを言ってるんですか?」

 ジェイドが微笑んだ。……どことなく胡散臭い感じに。ちょっと怖いかもしれない。

「う。……だって中将、『アルビオールは一度も操縦したことはありませんが、まあ、なんとかなるでしょう』なーんて言うんですもん! 普通、ぶっつけ本番で飛晃艇なんて飛ばしませんって!」

「ガイが倒れて、他に操縦の出来る人がいなかったのだから仕方がないでしょう。あのまま あそこで氷漬けになりたかったんですか? それに、こうして無事に帰ってこられたわけですし」

「アルビオールには自動操縦装置がついてるからな……」

 呟くアッシュを見たジェイドの眼鏡が、キラリと光った。

「それでも、発進と着陸は人の手で行わなければならないわけですがね。……まあ、我々はアルビオールの自動操縦装置のおかげで無事戻ってこられたわけですが、結局、行った目的をなんら果たすことが出来なかったのは、いたく残念なことでしたねぇ」

 ぐ、とアッシュは喉を詰まらせた。アニスの声が被さる。

「あー、そういえばそうだよねぇー。誰かさんが見境なくしちゃったおかげで、制御譜陣は地核の底に落っこちちゃったし。それどころか、私たちも危うく運命を共にするところだったしぃー」

「く………悪かった」

 顔をうつ伏せ、アッシュは低く謝罪の声を吐いた。悔しいが、言い返す言葉はない。自分の暴走が仲間全員の命の危険を招いたことは確かだ。

「まあ、こうして全員無事なのですから、それはもういいです。しかし……ゲートを閉じられなかったのは少し厄介ですね」

「アブソーブゲートの方だけでも閉じれば、プラネットストームは止められるんじゃないでしょうか?」

 ジェイドの声を耳にして、ティアがそう提案する。しかし、医務室に来ていたスピノザが「少し難しいかもしれんな」と言った。

「アブソーブゲートをはじめ、各地のセフィロトへ送っていた調査団から報告が来ておる。それぞれ、恐ろしい数の魔物で埋まっているそうじゃ」

「レプリカ……!?」

 アニスの呟きに、「そうでしょうね」とジェイドが頷いた。

「ラジエイトゲートの時と同じように妨害されるとしたら、ゲートを操作するのは難しいでしょう」

「でも……どうしてこんなことになっているのでしょうか」

 ティアが言う。

「単純に考えて、沢山レプリカを作るために第七音素セブンスフォニムが必要だからなんだろうけど。でも、今はプラネットストームがいくら第七音素を作っても、ローレライのいる音譜帯に引き寄せられちゃうんですよね? それで、レプリカを作れば地上の第七音素はどんどん減って行っちゃう」

「アニスの言うとおりですね。プラネットストーム再稼動の意味が何なのかは、我々にはまだ分かりません。……それを行っているのが何者か、ということさえも」

 ジェイドがそう言った時、目を伏せてしばし考えを巡らせている風だったティアが、不安げな面持ちで顔を上げた。

「……将軍。あまり考えたくないことなのですが」

「何です、ティア」

 ティアは口を開きかけて一度つぐみ、しかし覚悟を決めたようにもう一度開いた。

「……この件に、……ルークが関わっているということはないのでしょうか」

 ハッとしたように、その場の全員が彼女を見た。

「根拠は何もありません。ですが……。今回の件にはレプリカが深く関わっています。それに、アッシュが聞いた、ルークのような声といい……。気になるんです」

「ティア。でも、ルークは……」

「分かってるわ!」

 言いかけたアニスを遮るように、ティアは声を出していた。

「分かってる。でも……アッシュだって二年もかけて戻ってきた。可能性は……ゼロではないと思うの」

「ティア……」

「……今回の件にルークが関わっているとして、彼の目的は何だと思うのですか?」

 ジェイドの声は静かだった。

「それは……」

「……フローリアンは、レプリカの人たちを救いたい、自立したいって言ってたよね。ナタリアの誘拐は、もしかしたらキムラスカとの交渉材料のつもりなのかもしれない。……でも、このままプラネットストームが稼動し続けて、第七音素がなくなっていったら、オールドラントは死の星になっちゃうかもしれないんでしょ。そうならなかったとしても、地殻が液状化するかもしれない。そうしたら……オリジナルも、レプリカだって生きてはいけないのに」

「……あいつが、ルークがそんなことを望むはずがない!」

 低く、吐き出すように言ったのはアッシュだった。

「俺は、そのことを誰よりも知っている」

 複雑な感情の動く目で、ティアとアニスは、いつにも増して不機嫌そうになった彼を見やった。彼女たちの知る限り、彼とルークは常に対立し反発しあっていたのだから、無理もないのかもしれない。

 アッシュとルークの間に大爆発ビッグ・バンという現象が起こり、アッシュの中にルークの記憶が残されたということを、彼女たちは知らない。――それどころか世の大半の人間は知りはしないだろう。知っているのは、ジェイドやスピノザを始めとするフォミクリー研究者たち、そしてガイくらいだ。ファブレ公爵はあるいはスピノザからでも報告は受けているのかもしれないが、この件に触れてきたことは一度もなかった。

 記憶があったところでアッシュはルークではない。告げれば、いたずらに人の心をかき乱すだけだと知っている。だから、アッシュはそのことを周囲に広く知らせることを望まない。

 だが……結果として、ルークが世界を再び危機に陥れるような真似をするはずがないと「確信する」根拠を、ティアたちに伝えることが出来ないでいるのはもどかしかった。

「そうですね。確かに、私たちの知る彼なら……五年前のルークなら、決してそんなことはしないでしょう」

 ジェイドが言った。

「しかし、人は変わっていくものです。良い方にも、……悪い方にも」

「……なんだと?」

 ギロリとアッシュが睨むと、「失礼。……可能性の話です」と、彼は苦笑した。

「私も、ルークを信じていますよ。……ただ、気になることはあります」

「何だ?」

「いえ、確証のない話です。……そうですね、一つ確認したいことが出来ましたから、ちょっとグランコクマへ帰ってみようと思います」

 ジェイドがそう言ったので、アニスやティアは目を瞬かせた。

「え? これから行くんですかぁ?」

「でも、ガイがまだ目覚めていませんが……」

「いえ、私一人で行ってきます。ガイが目覚めるまでの時間が空いていたのですから、ちょうどいいでしょう」

 彼は柔和に微笑む。「中将、もしかしてまた自分でアルビオールを操縦するつもりだとか……?」と訊ねるアニスに、「いいえ、流石に私も命が惜しいですから。自分の操縦の腕と幸運を過信しているわけではありません。こう見えても謙虚なんですよ」と返す。

「シェリダンへ行って、ノエルの手を借りることにします。……なに、明日には戻ってきますよ」

 そう言い残して、彼は研究所を出て行った。






 ジェイドが立ち去った後、一行はベルケンドの宿に移動して休息をとることにした。この宿は結構規模が大きい。宿泊費はそこそこするが、施設はその分だけ美しかった。

 だが、あてがわれた部屋でアッシュは一人、苛々した気分にさいなまされていた。

 ひどく気鬱な状況だ。様々なことが何一つ解決されないまま、ただ山積になっている。

(ナタリア……)

 バチカルからの鳩が知事の屋敷に来ていたが、未だ彼女は発見されず、何の声明も届いていないという。

 俺は、こんなところでグズグズしていていいのだろうか。

 ジリジリと焼けるような気持ちのまま、少し散歩でもしようかと廊下に出ると、ティアの姿が見えた。深夜に近い今の時刻、大して見えるものもないだろうに、窓からじっと外を眺めている。

「……アッシュ」

 近付くと、彼女は顔を向けた。

「あなたも眠れないの?」

「ああ……まあな」

 なんとなくそこに立ち止まり、再び窓に視線を向けた彼女の横顔を見つめた。

 ティア・グランツ。本名はメシュティアリカ・アウラ・フェンデと言うのだったか。ヴァンの実の妹なのだという。目元は確かに似ているかもしれない。

 彼女の兄、ヴァン・グランツは、アッシュにとって敬愛する剣の師で、存在を失ってからは親代わりでもあった。……所詮は利用されているだけだと分かっていたが、それでも、彼に認められたかった。あの頃の自分には、他には何もなかったからだ。――記憶を辿れば、ルーク・レプリカにとっても偉大な師であり、父のように慕う相手であり。『ルーク』にとって、あまりにも存在の大きすぎた男だった。

 しかし、それは彼女にとっても同じことなのだろう。アッシュの中のルークの記憶は、それを知っていた。ヴァンは彼女の唯一血の繋がった肉親であり、自慢の兄で、父代わりだった。譜歌も彼から教わり、神託の盾オラクル騎士団に入隊したのも、彼の後を追ってのことらしい。

 そんなヴァンを、彼女は殺した。志を違えた兄から逃げるでなく、迎合するでもなく、まっすぐに対峙して。自らの手を愛する者の血で汚し……それでもまだ、彼女は神託の盾オラクルの制服を着て立っている。

 数日前にローレライ教団本部を訪ねた時、『実の兄を殺して、その功績で今の地位を奪い取ったのさ』と囁く声があったのを耳にしている。居心地のいいばかりの場所ではないだろう。なのに、神託の盾オラクル――戦士であり続けようとするのは何故なのだろうか。

「……あまり、無理はするなよ」

 思わず、そう呟いていた。が、ティアがひどく驚いたように目を丸くしたので、憮然とする。

「ごめんなさい……あなたがそんなことを言うとは思わなかったから」

 アッシュの表情を見て、ティアは今度は苦笑した。その瞳に何かを懐かしむ色が揺らめいているのを見て取って、少し心苦しいような気分になる。

「お前は……まだ、ルークが戻ってくると思っているのか」

 するりと言ってしまっていた。これは禁句の類なのに。

 ティアは一瞬、目をみはり、そしてゆっくりとそれを伏せた。

「……分からないわ。でも……信じていたいのかもしれない」

 あなただって帰ってきたんだもの。そんな風に言って、微かに笑う。

(だが、あいつは消えた。あいつが無事でいるというのなら、……俺の中に残る、この記憶はなんなんだ?)

 三年前、アッシュはこの世界に戻ってきた。自分がアッシュであるということは、すぐに認識出来たように思う。しかし、己の中にルークの記憶までもがあると気付いたときには、少なからず混乱もした。どうしてこんなことになったのか? 後にジェイドから大爆発ビッグ・バンの説明を受けて落ち着きはしたが、それまではどこか居心地が悪かった。

 そもそも、『アッシュ』は死んだはずではなかったのか。そして、『ルーク』の記憶に従えば、彼もまた音素フォニム乖離を起こして地核の中に消えていったはずだった。

 ならば――今ここにいる自分はなんなのだろう。ジェイドは同一化コンタミネーションを起こし乖離した音素が再構築されたのだと言ったが。

「……アッシュ?」

 考えに沈んでしまっていた。ティアの声でハッと浮上する。

「なんでもない」

 取り繕ってそう言うと、ティアは一瞬視線をさまよわせて、「あの、訊いてもいいかしら」と切り出してきた。

「なんだ」

「前から訊きたかったの。……あなたは五年前に一度死んで、三年前にタタル渓谷に帰ってきた。……姿を消していた二年の間、どこにいたの?」

「……」

「将軍は、『他に例のないことですが、音素が再構築されるのに二年掛かったということかもしれません』と言っていたわ。でも……戻ってきたあなたの装備は、ローレライの鍵以外、全てルークのものともあなたのものとも違うものになっていた。もしかしたら、あなたは二年間どこか別の場所に生きていたんじゃないの? ……もし、そうなら。だったら、ルークもどこかで……」

「……知らん」

「――アッシュ!」

「大声を出すな!」

 反射的に怒鳴り返して、アッシュは舌打ちをした。

「別に誤魔化してるわけじゃない。本当に知らない――覚えてねぇんだ」

「え……」

 ティアが眉根を寄せる。

 その顔を見ながら、そういえばあの時の記憶の最初にあるのはこいつの歌声だったな、とアッシュは思った。

 気がつけば、エルドラント――レプリカホドを見渡せる、あの場所に立っていた。最初は現実味に乏しく、仲間たちと言葉を交わすうちに次第に思い出していた。自分がアッシュ――ルーク・フォン・ファブレだと。

 その前は……実際、どうしていたのだろうか? ジェイドの言うように、音素となって辺りを漂っていたのだろうか。

「ただ……夢を見ていたような気はするな」

「夢……?」

「ああ。どんな内容だったかは思い出せんが……」

 

『そうしたらまた、私たちは会えるよね。会って、きっと今度も友達になれる』

 

 ふわりと何かの断片がよぎったが、それを捕らえる事はできない。

 ティアが小さな声で言った。

「ルークも……夢を見ているのかしら。今でも……」

「……かもしれんな」

 そう、言葉を返した時。

 深夜の廊下に、ガシャーン、とガラスの割れる音が響いた。

「何!?」

 窓のガラスを突き破って、こぶし大の石が投げ込まれていた。その石は紙で包まれている。――いや、手紙で石を包み込んで投げ込んだのだと分かった。広げた紙にはフォニック文字が並んでいる。一瞥して、アッシュは顔色を変えた。窓を開けて下を見やり、すぐに廊下を走り出す。

「アッシュ!?」

 残されたティアは彼の名を呼び、そこに打ち捨てられていた紙を拾い上げる。そして息を呑んだ。そこには、『ナタリアおうじょが レムのむらで まっている』と書かれてあったからだ。また、見覚えのある金色の髪が一房、貼り付けられていた。

 

 アッシュは宿の階段を駆け下り、鍵のかけられていた玄関扉を乱暴にこじ開けた。

「アッシュ、待って!」

 背後からティアと、騒ぎに起こされたアニスが追って来る。

「少し落ち着いて。これから一人でレムの村まで行くつもりなの?」

「そうだよ。こんな時間じゃ船も馬車も出てないし、アルビオールだって動かせないでしょ」

「うるせぇ!」

「アッシュ!」

 ティアの厳しい声など耳を通り抜けた。グズグズしてはいられない。一歩でも近く彼女のもとへ行きたい。鈍く譜石の街灯がともる道に飛び出しかけたとき、ゆらりと影が動いて、聞きなれた声が聞こえた。

「騒がしいな……宿から罰金取られるぞ」

「ガイ!?」

「ちょっ……、どーしたのこんな時間に。まだ寝てなきゃダメじゃん!」

 呆気に取られて三人が見つめる中、ガイは曖昧に笑って片手を挙げた。夜だからというだけではないだろう、顔色が青白い。治癒譜術では傷は塞げても失われた血はさほど戻らないから、貧血を起こしているのかもしれない。

「……行こうぜ。レムの村へ行くんだろう?」

 ガイはアッシュを見て言った。そう言われると、アッシュは逆に言葉に詰まる。

「お前は寝ていろ。フラフラしている半病人など、邪魔なだけだ!」

「これくらいどうってことないって。……それに、俺がいなけりゃアルビオールは動かせないだろうが」

「む……」

 アッシュは黙りこむ。それは事実だったので。

「ガイ……本当に行く気なのね」

「あーもぉ。おバカが増えちゃったよ」

 女性陣は呆れたように嘆息している。「悪いな」と彼女たちに穏やかに笑ってみせてから、ガイはふと視線を落として、固い表情を作った。

「きっと、あそこにはあいつがいる。……俺は、あいつに会わなけりゃならないんだ」





 それより少し早い時間。ベルケンドから遠く離れたグランコクマの凶悪犯用の監獄の面会室で、二人の眼鏡男が顔をつき合わせていた。

「こんな時間に面会とは……全く、あなたときたら非常識ですねぇ、ジェイド」

「残念ながら、非常識ぶりではあなたに敵いませんよ。今回は急ぎたかったのでね。少し無理を通してもらいました」

「まあ、そんなにもこの崇高なるサフィールに逢いたかったと言うのなら、許してあげないでもないですが」

「そんなことは全然思っていません。それより、あなたに訊きたい事があるのですがね」

「……何ですか」

「ワイヨン鏡窟のレプリカ施設で、あなたは六神将のレプリカを作製しましたね?」

「……」

「これ以上罪科を重ねなくてもいいだろうと慈悲心で公にはしていませんが、あなたがあの施設を作り、放棄したことは把握しています」

「……それで? 何を訊きたいんです。全ては今更のことでしょうに」

「六神将のレプリカをあなたは作った。……では、彼のレプリカも手がけたのではありませんか?」

「そんなことはしていませんよ」

「本当に? 嘘をつくとためにはなりませんよ?」

「そ、そんな目で睨んでもダメですよ。……神かけて作っていません。なにしろ、そんな必要はなかったのですからね」

「……何?」

「そうですか……彼が動き出したのですね。クックック……面白いことになりそうじゃありませんか。ハーッハハハハハ!」

 鉄格子の向こうで、銀の髪を垂らした眼鏡男は体を揺らし、狂ったように笑い続けた。





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