仲間たちを乗せたアルビオールは、チーグルたちに見送られながら天空へ舞い上がった。

 といっても、このままエルドラントへ向かうというわけにもいかない。装備を整える必要があったし、各国との連携も取るべきだった。彼らは世界から孤立しているわけではない。ひとまずグランコクマへ向かうことになったが、そこでジェイドが言った。

「少しいいですか? その前に寄ってもらいたいところがあるんですが……」




 銀世界ケテルブルク。マルクト帝国領に含まれ、世界最北端に位置する都市である。この都市を有するシルバーナ大陸は北の極点近くにあり、一年中雪と氷に覆われた厳しい自然の相の中にある。とはいえ、その自然は美しくもあり、三代前のマルクト皇帝カール三世の事業によって貴族の別荘地として開発され、今や世界で知らない者のない一大歓楽地へと変貌していた。街中にあるカジノが特に有名で、五年前から街外れにオープンした迷路屋敷も、なかなかの人気を誇っているようである。

「お兄さん……!?」

 五年前には仲間たちと何度も潜った扉を開けると、細い眼鏡をかけた理知的な女性が、驚きの形にそのブラウンの瞳を見開いた。「やあ、ネフリー。久しぶりですね」と穏やかに微笑むジェイドをやや戸惑った表情で見上げる彼女は、ケテルブルクを領地とするオズボーン子爵夫人にして知事であり、ジェイドの実の妹だ。

「陛下からレプリカの件はうかがっているわ。 どうしてここへ……?」

「おや、決戦前に妹の顔を見に来てはいけませんか?」

 ジェイドは少しおどけた口調でそう言ったが、誰もその空気には乗らなかった。「そんなの、中将の柄じゃありませんもんね……」と、アニスがボソリと呟いている。

「心外ですねぇ。私にだって故郷や肉親を懐かしく思う気持ちくらいありますよ。……少しは」

「お兄さん。それで、何の用なの?」

 微かに皮肉を込めておどけるジェイドを、ネフリーはまっすぐに見上げる。

「そうですね。……みなさん、私はこれからちょっとした用事を済ませたいので、先にホテルへ引き上げていてもらえますか?」

 ジェイドは肩越しに視線を背後へやって、仲間たちにそう言った。

「まあ……そういうことなら、俺たちはこれで引き上げるか」

 ガイが、己の金髪を片手でかきあげながら言う。アニスが殊更に明るい声を出した。

「ねぇ、それなら久しぶりにスパに行かない? 決戦前にリフレッシュだよ〜♥」

「そうね、それもいいかもしれないわ。――ナタリアも」

 ティアが微笑んで、ナタリアに視線を向ける。「え?」と、ぼんやりしていた瞳を上げ、「え、ええ。そうですわね」とナタリアは頷いた。

「確かに、戦いを前にして気持ちを新たにするのは大事なことですわ。――行きましょう。アッシュも」

「な、なに!?」

 何故か固まったアッシュを引きずって、彼らは知事邸を出て行った。扉が閉まるのを確認してから、ジェイドは妹に目を向ける。

「ネフリー。ここに来る前に見て来ましたが、陛下の子供時代の屋敷の公開は停止しているのですか?」

「え……。ええ、そうよ。中を荒らす観光客も多いものだから。管理体制を整え直したらまた公開するつもりだけど」

「すみませんが、今すぐ鍵を開けてください」

「……どういうこと?」

 ネフリーは形のいい眉を顰めた。「ピオニーに関係のあることなの?」と訊ねる。だが、ジェイドは首を横に振った。

「陛下には何も関係ありませんよ。関係あるとしたら、いつもはなを垂らしていた方ですね」

「サフィール?」

 ネフリーは目をしばたたいた。

「これは、いわば彼が仕組んだ宝探しです。……子供の頃から、そういうくだらないことが大好きでしたからね、彼は」

 くつくつと笑ってから、「時間が惜しいので、早くしてください」とジェイドは妹を急かした。今でこそ柔らかな物腰に隠されているものの、兄が一度言い出せば決して引かない性質であることをよく知っている妹は、息をついて引き出しの中から鍵束を取り出した。中の一つを外して兄に渡す。

「言っておくけれど、今晩だけよ。鍵は必ず返してちょうだいね」

「勿論ですよ。――ありがとう」

 微笑むと、ジェイドもまた執務室を出て行った。




 マルクト帝国現皇帝ピオニー九世が、幼少時代をケテルブルクで過ごしたことはよく知られている。皇位継承に関する騒動のために都から遠ざけられ、この地の屋敷に軟禁されていた……と一般には言われているが、実を言えば預言スコアに従った『予定調和』だったことを、かなり後に明かされた。ただ、軟禁と言っても警備や監視はさほど厳しくはなく、ジェイドとサフィールの作った抜け穴を使って、ピオニーは頻繁に屋敷を抜け出しては街の子供たちに混じって遊んでいた。

 この子供時代、そして彼らが師事していた私塾の教師、ゲルダ・ネリビムの存在は、三十年ほどが過ぎた現在でも、その頃の子供たち――ピオニー、ネフリー、ディストことサフィール、そしてジェイドたち四人に、大きな影響を及ぼし続けている。

 

 ピオニーの幼少時の屋敷は、貴族の別荘が立ち並ぶ一角、知事邸のすぐ裏手にあった。観光スポットとして人気があることもあって手入れは欠かされていないが、一時的に閉じられている今は誰もおらず、暖炉に火もなく冷え切っている。

 ジェイドは裏手に回り、鍵を開けて、その比較的こじんまりとした部屋に入った。部屋の中央には勉強机があり、本棚やベッドが揃っている。子供の頃、この部屋には警備兵の目を盗んでよく入り込んだものだ。その頃はこれほど整頓されておらず、部屋の主の仕業によって、壊滅的に散らかっていたのだが。

 暗い室内を見回し、壁に掛けられていた絵の一枚を取り外した。裏返して額を開ける。そうして、中から一束の書類を取り出した時、ギシリと床が軋む音がした。視線をやると、戸口に人影がある。――子供時代には、よく共にこの部屋に入り込んでいた妹。ネフリーだ。

「それが、サフィールが隠したもの?」

 ジェイドの腕の中の書類に視線を落とし、彼女は尋ねた。明りの灯っていない室内に、積もった雪の反射した街灯の光が射し込み、柔らかな影を投げかけている。

「お兄さん、それは何なの?」

 彼女の声には危惧と不安があった。ああ、そうだったな、とジェイドは思う。親友であるピオニーも、崇拝してくるサフィールも。誰もがジェイドを過大評価していた。――というより、理解できなかったのだろう。誰もが当たり前に感じる『情』を持たない人間が、この世に存在するなどとは。

 だが、この妹は違っていた。二人きりの兄妹だからか、それともひどく聡かったからか、彼女だけは――もしかしたらジェイド自身よりも早くから、それに気付いていたのだ。彼女の兄が、心に欠落を持った――『死』を理解できない人間であるということを。

 ジェイドはネフリーに向き直り、穏やかに笑った。

「十三年前に採取された、ある少年のフォミクリー情報と、そのレプリカ製造過程のデータです。ディストに頼まれてここに隠したと、スピノザに聞きましたのでね」

「スピノザ……? 以前この街に住んでいたことのある、スピノザ博士?」

 ネフリーは眉を顰めた。不審げに。

「彼がこの街に住んでいたのは私が軍に入った後の一時期ですから、私自身はこの街での面識はありませんでしたが……サフィールには随分とよくない影響を与えてくれていたようです」

 死者を甦らせるためのフォミクリー研究に明け暮れていたジェイドは、ある時を境にそれからスッパリと手を引いた。自分が関わることをやめるだけではなく、それまで大規模に行われていたマルクト軍全体での研究さえ禁じる徹底振りで。彼を追って軍に入隊し、同じ部署でフォミクリー研究を行っていたサフィールも例外ではなく、彼は突然目標を失うことになった。

 それまでの自分の全てを注いでいた研究。そして崇拝するジェイドとの繋がりでもあったフォミクリーを奪われて、サフィールは途方に暮れた。彼にとっては、ジェイドの行動は裏切りであり、また、自分を捨てる行為に他ならなかった。ひどく寂しがり屋で、常に自分を引っ張り支えてくれる対象を欲する彼は、必死になってすがれるものを求めた。

 そんな彼が出会ったのが、スピノザだった。キムラスカの研究者だった彼は、同じ王立研究所出身のイエモンと、ダアトで発掘された古代の飛行機関の研究権を巡って対立し、敗れてキムラスカを離れ、この街に移り住んできていたのだった。スピノザはサフィールからフォミクリーの研究データの数々を得て狂喜した。彼は、キムラスカの研究機関時代に接触のあった、ローレライ教団のヴァン・グランツに連絡を取った。かねてから、彼がフォミクリーに大きな関心を寄せていたことを知っていたからである。サフィールはヴァンに引き合わされ、マルクト軍のフォミクリー研究の資料提供と、今後の協力を引き換えに、神託の盾オラクル騎士団の要職――最終的には六神将の立場を得ることになったのだ。

(そして、ディストなどという悪趣味な名前を名乗るようになった……。全く、余計なことをしてくれたものです)

 スピノザ自身もフォミクリー研究の理論技術を持ってキムラスカに凱旋し、ベルケンドの第一音機関研究所に返り咲いた。レプリカ研究機関を設立し、キムラスカ軍部にも認められて、第一線でその研究を行ったのである。――真実は、その研究成果はキムラスカ王国ではなく、全てヴァンに流れる形になっていたわけだが。

「彼らは、ヴァンにレプリカを作る力を与えてしまった。……そして、この少年のレプリカも……」

 ジェイドは、己の手の中の資料に視線を落とす。

「この世に生み出されることになった」

「お兄さん……何故、今になってそんなものを? まさか、まさか、また!!」

 声を震わせる妹を見やって、ジェイドはふっと笑う。恐怖が極まったように、「やめて!」とネフリーは叫んだ。

「レプリカにだって命はあるのよ。安易に弄ぶような真似は、もうしないで!」

「やれやれ。本当に私には信用がないのですねぇ。……まあ、自業自得ですが」

 ジェイドは苦笑して肩をすくめ、けれど微笑を消さないまま妹を見つめた。

「この資料の在り処を訊ねた時――音機関が壊れて情報は失われたと聞いていましたが、彼らならどこかに隠していると思っていましたから――同じことを言われましたよ」

 星のフォンスロットについて調べる。その名目で訪ねたベルケンドで。スピノザは今のネフリーとよく似た、不審と不安の入り混じった目で見上げてきたものだ。そしてそれ以前、監獄の中のディストに面会した時も。

『……どうしてそんなことを訊くのです。あなたは、まさか、まだ諦めていないのですか?』

 そう問われて、ジェイドは黙っていた。彼にしては珍しい。銀の髪をかきあげ、『はっ』とディストは鼻で嗤った。

『私の金の貴公子ジェイドともあろう人が……。未だにそんな蒙昧から抜けられてはいなかったとは!』

『だから、人におかしな二つ名を付けるなと言っているでしょう。――そう言うあなたはどうなんです。先生のことは……諦めたのですか?』

 今度は、ディストの方が黙りこむ番だった。

『………死者は、二度と甦らない。だからこそ、「死」には――命には意味があるのですよ』

 沈黙の後、ようやくのように彼が発したのは、こんな言葉だった。ジェイドは頷く。

『そうです。愚かなことに、私は長い間それが理解できなかった。だから、フォミクリーなどという技術に拘泥した』

『理解できたから……あなたは私を捨てたのではなかったのですか?』

『気持ちの悪い言い回しはやめて下さい』

『そんなにも……先生よりも、この親友のサフィールよりも、あなたは「彼」が大事なんですか!』

『………』

『………資料の在り処は、スピノザが知っています。彼に、ある場所に隠すように指示しましたから』

『ありがとう』

 いつもの微笑みを浮かべて、ジェイドはもう席を立とうとしている。その背に、ディストの声が投げかけられた。

『あなたがこれほど愚かだったとは、今まで知りませんでした』

『私は昔から愚かですよ』

『ジェイド。生きるためには切り捨てねばならないものがある。……そう思いますよ。今のあなたを見ていると、特にね』

 ジェイドは足を止めて、面会室の鉄格子の向こうの幼なじみを見やった。かつては、彼が自分がとうに諦めた死者の復活に、それでも頑迷にこだわり続けることに呆れ、苛立ちすら感じていたものだ。――今は逆に、自分に対して彼がそんな感情を抱いているのだろうか。

『ディスト。――いえ、サフィール。私は愚かです。その愚かさで、また取り返しのつかない罪を犯してしまうのかもしれない。ですが……』

 その時、幼なじみに向かって言ったものと同じ言葉を、今、ジェイドは目の前の妹に向かって吐いていた。

「ですが、それでも私は信じたい。少しでも可能性があるのなら………未来を!」







 アルビオールは天空を疾駆していた。だが、お世辞にも滑らかとは言いがたい。大きく右に揺れ、と思えば左翼を上げて斜めになり、くるりと右に回転して潜るように前に進む。

 今、マルクト帝国所有量産型飛晃艇アルビオールは、放たれる銃弾をかいくぐって飛び回っているのだ。その前方で、それに増したアクロバティックな動きで弾幕をかわす二機の飛晃艇もある。キムラスカ帝国領シェリダンの試作型アルビオール二号機と四号機である。

 

 ケテルブルクを発ってグランコクマに至った一行は、早速ピオニーに事の次第を報告し、マルクト軍本部で第二エルドラント攻略の作戦を話し合った。この会議にはキムラスカ側の軍人たちも参加していた。そう長く国を空けるわけにはいかないインゴベルトは既に帰国していたが、入れ替わりに訪れてキムラスカ王国の総代の位置に立っていたのは、アッシュの父であるファブレ公爵である。かつてはマルクト帝国の領地を蹂躙して鬼神のごとく恐れられ、また自身も敵国を忌み嫌っていた彼も、今はマルクトと互いに手を取って、共に平和を目指そうとしている。

 グランコクマから場を中立地帯のケセドニアに移し、両国軍が慌しく配備されていく様を眺めながら、ガイがポツリと言葉を落とした。

「皮肉なことだが……レプリカの存在が、二つの国の仲を深める効果を呼んでいるんだな」

「そんな!」

 聞きとがめたアニスが憤慨した声を上げる。ガイは苦笑した。

「ああ、すまない。――分かってるさ。レプリカたちの存在に、持たされた意味なんてない。彼らはただ……懸命に生きているだけだ」

「そうね。でも、生きている限り心は……主張は生まれ、時に、ぶつかりあってしまう」

 ティアが静かに言った。ナタリアが続ける。

「ですが、そのために血を流し、命を失うことになるなど、あってはなりませんわ!」

「戦争は、怖いですの。みんな仲良くして欲しいですの」

 ミュウが甲高い声で訴える。

「ああ。――生きていく場所を奪い合うなんてことに意味はない。共に生きていくための方法が……きっと、あるはずだ!」

 アッシュは強い瞳でそう言っていた。全員の視線が彼に向かう。

「そうですね。そのためにも、私たちも全力でお手伝いします!」

 そう言ったのは、傍に立っていたノエルだった。その隣のギンジも、「任せておいてください!」と胸を叩いている。

 大陸を縦断した第二エルドラントは、今は中央大海の中央――かつてホドの本島があった地の真上に浮いて留まっていた。そこに乗り込むためには『飛ぶ』ことが必須だが、唯一その力を備えたアルビオールは、未だどちらの国にも軍用機としての配備はなされていなかった。――というより、あえて避けられていたという背景がある。両国が手を取り合おうとしている現在、簡単に国境を越えてしまえる飛晃艇、まして攻撃装備を持つようなものは危険で邪魔な存在でしかない。

 それにしても、元々、構造上の問題からアルビオールには一切の余計な装置――例えば譜業兵器の取り付けは出来ないとされており、軍事配備は技術的に無理だと言われているのだが、相変わらず少人数輸送の役にしか立たない点をも含めて、あるいはシェリダンの技術者たちの作った意図的な欠陥なのかもしれなかった。

 ともあれ、第二エルドラントにはかつてのエルドラントと同様に防備のための譜業兵器が設置されていると考えられ、丸裸のアルビオール一機で突入を試みるのは自殺行為だ。といって、海上の装甲艦からの攻撃は、高度三万メートルに浮かぶそこには届かない。

 五年前、アッシュやルークたちは、それぞれのアルビオールで、殆ど単身でエルドラントに乗り込んでいる。だが、それは卓抜した操縦技術を持っていたノエルとギンジの存在があってのことで、何より、ギンジが自らのアルビオールをエルドラントに突入させて一部の対空兵器を破壊し、血路を開いたからに他ならなかった。

『だからといって、また同じ事をしてもらうわけにはいきません。……ギンジもアッシュも死なずに済んだのは、ただの幸運だったのですからね』

 グランコクマで方策を話し合った時、ジェイドはそう言った。アッシュに真紅の瞳を向けて続ける。

『あなたも、今は生き急ぐつもりなどないのでしょう?』

『ああ』と、腕を組んでアッシュは頷いた。

 あの頃のアッシュは、自分が間もなく死ぬと思い込んでいた。大爆発ビッグ・バン現象による緩やかな体力と譜術力の低下が彼の肉体を蝕んでいたからだ。

 自分は間もなく消える。そしてレプリカは残り、居場所を完全に己のものとするだろう。それは腹立たしいことであったが、微かな救いでもあった。やり残したこと、出来なかったことは、きっとレプリカが片付ける。果たせなかった約束も……。

 ……だが、俺自身は。

 何一つ、俺はこの世に残していけないのだろうか。レプリカのルークの影となって消え去り。存在していたという証を、何も……。

 ならば、せめて世界を遺そう。

 そう思った。そうすれば。存在をなくし、為すべきことを奪われ、無為な生を過ごしていた自分にも、生きる価値が――生まれた意味があったということになるのではないか。

 自分は消える。だが、世界を遺せば、……彼女は生きられる。

 アッシュは、視線を傍らの婚約者に向けた。どこか不安げな色を滲ませるその瞳を安心させるように、僅かに目で笑んでやる。

 あの時は、そのためになりふり構わなかった。時間切れは刻々と迫っていて、それは如実に感じられたから。だが、戻ってきた今は違う。

 生きたい、と思っていた。彼女のためにも、なにより、自分自身のために。

 そう思うアッシュの表情を見て、ジェイドはどこか満足げに微笑を見せた。そしてガイに言ったのだ。

『ガイ。あなたに、ノエルたちがそうしたように、アルビオールで攻撃をかいくぐることは出来ますか?』

『ノエルたちほど鮮やかにってわけにはいかないが……』

 顎に手を当て、少し困ったようにガイは考え込んだ。

『まあ、やってやれないこともない……かな?』

 こう見えても結構訓練はしたからな〜、と呟く。『わかりました』とジェイドは頷いた。

『では、ノエルたちに連絡を取りましょう。――彼らには囮になってもらいます』

『中将?』

 驚いてティアたちが、同じ席についていた両国の軍人たちが見返す。

『彼らに敵の攻撃を引きつけてもらい、その隙に我々はエルドラントへ突入する』

『なるほど……危険だが、確かにそれしかないかもしれんな』

 マルクトの参謀総長であるゼーゼマンが頷いた。

『しかし、三機だけでは……。我々も装甲艦でなんとか支援をしたいものだが』

 キムラスカのゴールドバーグ将軍がそう言う。しかし、ジェイドは首を横に振った。

『いえ、かえって危険です。私たちは第二エルドラントの飛行をやめさせたいと考えている。そうでなくとも、以前のエルドラントのように自ら特攻してくる可能性もあります。あの大きさのものが着水すれば海は荒れる。船はひとたまりもない』

『ふむ。では装甲艦は出さず、沿岸部の住民の避難を行っておくべきか』

『宜しくお願いします』

 ゼーゼマンに頭を下げ、ジェイドは再びガイに顔を向けた。

『ガイ。突入が成功するか否かは、最終的にはあなたの操縦テクニックにかかっています。頼みますよ』

『おいおい、マジかよ……』と、ガイは愕然として呟いた。が、すぐにニヤリと笑う。

『ま、そうだな。やってみないことには始まらない。いつだって俺たちはそうしてきたんだ。なに、必ず成功させるさ!』

『任せます』

 ジェイドはそう言って微笑んだ。確かに、その瞳に仲間への強い信頼を滲ませて。

 そして、作戦は決行されたのだ。




 アルビオールの艇内で、仲間たちは必死に悲鳴を押し殺していた。シートベルトはしっかりとつけており、ミュウにいたってはティアにがっちりと抱きしめられていたが、とにかくもう、前後左右に揺さぶられ、遠心力に引っ張られて、目が回るどころではない。声を出せば舌を噛むかもしれないというので、当然会話も出来ない。

 アルビオールには、緊急着陸時の安全機構として、艇全体を簡易的な譜術防壁で覆う機能が備えられており、よって余程のことでもない限りは撃墜されることはないと太鼓判を押されていたのだが、余程のこと――敵の攻撃の直撃など、ほんの僅かな操縦加減で今にも現実になってしまいそうだ。それでも、ノエルとギンジのアルビオールがよく敵を引きつけてくれるおかげで、こちらへの攻撃は格段に少なかったのだが。

 目の前に迫ってきた譜業砲の光を咄嗟にかわす。急激に上昇して、ガイの操縦するアルビオールはついに弾幕を抜けた。が、それを追って垂直に打ち上げられた攻撃を避けて無理な体勢を取ったために、失速する。

「きゃ……!」

 ついにこらえきれなくなったのか、誰かの悲鳴が聞こえた。ゆっくりと回りながら地面が迫ってくる。「くっ……」と声を漏らして眉根を寄せ、ガイは力の限り操縦桿を引いた。元々、アルビオールには自動的に姿勢を保つ機能がついている。だが、あまりにも崩れた体勢にそれが追いつかなかった。

 ギリギリで機首が上がり、アルビオールはエルドラントの上、白い建物が立ち並ぶレプリカの街にその胴体をこすり付けた。暫く、そのままで滑走する。建物の幾つかや再生途中なのだろう柱を破壊し、跳ね飛ばしていく。最終的な大衝撃を覚悟したが、幸いにしてその前に速度は緩み、艇は破壊されることもなく停止していた。

「ふう……」

 誰からともなく、安堵の息が漏れる。

「緊急着陸用の譜術結界に救われましたね」

 ジェイドが言った。アルビオールは本来は垂直離発着型の飛晃艇だ。こんな風に滑走するようには作られていない。何より、障害物だらけの街中を滑走したのだ。機体が破壊されずに済んだのは、まさに僥倖だった。

「ああ。みんな無事か? ……すまなかったな」

 ガイが操縦席から身を起こして背後の座席を見回している。

「ぶ、無事だけど……。大丈夫じゃなぁ〜い!」

 息も絶え絶えの表情で言うのはアニスだ。ミュウは「みゅうぅ〜」と鳴きながらくるくると目を回している。

「俺たちは全員無事に突入できた。それで充分だ。……行くぞ」

 アッシュはそう言って座席から立ち上がり、足早に出口に向かった。




 白い街に人気はなく、静まり返っていた。

「ここは……本来のホドの街だったんですわね」

 ナタリアが呟く。以前のエルドラントでも、この街らしき場所を通ったが、その時は複製途中で放棄されたような印象で、建物はあちこちが欠け、壊れかけた廃墟のように見えていた。だが今通っているここは大分複製が進んでおり、ちゃんと街のように見える。――住民の姿が見えないため、どちらにせよ廃墟めいているのだが。

「ああ。……また、この街を見られることになるとは思っていなかったな」

 大きな門を構えた白亜の屋敷を見上げながら、ガイがどこか皮肉に、そして切なげに言った。ここは彼が生まれ育ち、そして永遠に失った故郷の残像だ。じっと、かつて自分の屋敷だったもののレプリカを視界に納めている彼の姿を、仲間たちは複雑な表情で眺めた。

「ガイさん、元気出してくださいの」

「ん? ああ。別に辛いとかって言うわけじゃないさ」

 足元から見上げてくるミュウに、ガイは明るく笑ってみせる。

「それで、総長のレプリカはどこにいるのかなぁ」

 アニスの疑問にジェイドが答えた。

「分かりません。彼が、オリジナルのヴァンと同じように我々を待ち受けているというのなら、あるいは……以前と同じ場所にいるのかもしれませんが」

「そうですわね。確か、そこはここからそう遠くなかったはずですわ」

「この先の神殿の上だったな。……行こう」

 ナタリアに同意し、アッシュは身を翻す。何気ない発言だったが、それを聞いた仲間たちのうち、アニスとティアはハッとしたように目を見開いていた。




 かつてシンクと戦った場所を何事もなく抜け、神殿のような巨大な建物に入って階段を上る。そうして辿り着いた広場には……誰の姿もなかった。

「あれ……誰もいないじゃん」

 拍子抜けしたようにアニスが言う。ガイが頭をかいて息をついた。

「まあ、そうだな。レプリカだからと言って同じことを考えて同じ行動をするわけでもないし、なにより、前と同じ事をする必要もない」

「うへー。じゃあ、これからこのただっ広ーいエルドラントで、総長のレプリカを探して回らなきゃならないんだぁ」

「心配することはありませんよ。私たちは招かれざる客です。放っておいても、そのうち向こうから現われてくれる」

「うー。それもなんか嫌ですよねぇ」

「………」

 アニスやジェイドの会話を聞きながら、ティアは、誰もいないその広大な空間を見つめていた。

 かつてこの場所で――正確には、ここと同じ構造の、よく似た景色の場所で、愛する人を失った。一人は光となって空に消えていき……もう一人は、場が崩れ落ちる中、ローレライの鍵を用いて地核へと沈んで行った。

 今は青空だが、あの時は夕景だった。悲しいほど綺麗な橙に染まった空が、今でも脳裏に鮮明に焼きついている。

「ティア……」

 背にナタリアの声が掛けられる。いけない、今は思いに沈んでいる場合じゃないわ。己を律し、戦士の顔を繕って、ティアは仲間たちの方に振り返る。――その時だった。

 地面が揺れた。轟音と共にそれは割れて、中から巨大な、異形の怪物が姿を現す。

「レプリカンティス……!」

 仲間たちが息を呑んだ。五年前、ワイヨン鏡窟の封印された施設の奥で一度だけ戦ったことがある。ディストによって生み出された、複数の魔物のフォミクリー情報を合成した、恐るべき強さを誇るレプリカ・キメラだ。

「こんなものまで……作っていやがったのかっ」

 アッシュは腰の剣を抜き放ちながらバックステップし、間合いを取る。

「また、あの悪趣味極まりないレプリカと戦うことになろうとはね」

 ジェイドが皮肉に笑い、己の腕から槍を現出させると、譜文を唱え始めた。他の仲間たちもそれぞれ武器を取り、攻撃を始めている。

 レプリカンティスは譜術系の攻撃を得意としている。忌まわしいことだが、人のフォミクリー情報も組み込まれているのかもしれない。また、魔物らしく口や腹からも炎や光線を発した。それらを凌ぎ、アッシュが、ガイが背後に回って剣で斬りつける。詠唱中の仲間を守ってナタリアの矢がくうを裂き、やがて完成したジェイドの譜術が放たれた。

「無数の流星よ、の地より来たれ……メテオスォーム!」

 その言葉どおり、燃える隕石が数限りなく降り注いだ。凄まじい轟音が響く。打ち据えられ、ボロボロになってレプリカンティスが悲鳴をあげた。が、すぐに天を向いてたけびを上げる。先程とまるで同じ様子で天が輝き、音素フォニムが結集して隕石の形に実体化していく。ジェイドが放ったものと同じ譜術だ。

「堅固たる守り手の調べ……フォースフィールド」

 しかし、ティアの口から流れ出した旋律が仲間たちを覆い、その震動によって隕石の形に結実化していた音素を分解した。

 巨大化したヌイグルミの背に乗ったアニスが前に走り出る。

「荒れ狂う殺劇の宴……殺劇っ、舞荒拳!」

 ヌイグルミ、トクナガの太い腕が、右左右左と素早くレプリカンティスを連打した。

「続けていくよぉーっ。十六夜いざよい天舞!」

 トクナガが跳ね上がり、その体を覆って月光のように譜術の輝きがきらめく。地響きを立てて着地し、その勢いのままに下から猛烈に幾度も殴り上げた。レプリカンティスが大きくのけぞっていく。

「とどめぇーっ!!」

 ダン、とトクナガの両腕が振り下ろされる。発した衝撃波がレプリカンティスを地に叩き付けた。ひび割れた地に半ば埋もれながら、巨大なレプリカ・キメラは咆哮する。その断末魔の叫びはやがて細く途切れていき、くたりと長い首が下に落ちた。見つめるアッシュたちの目の前で、その死骸は光に包まれ、音素フォニムに分解されて消えていく。――と。

 バキィイイン、と床が割れた。その亀裂は見る見る広がり、一面が陥没して崩落していく。度重なる破壊と衝撃に耐え切れなかったのだ。

「しまったっ……」

 アッシュは舌打ちしたが、意味はない。それぞれに悲鳴をあげて、仲間たちは崩壊する床に飲み込まれ、消えていった。







 どことなくくらいその部屋の中、譜陣から立ち昇る第七音素セブンスフォニムの輝きを導きとして、青年の声は途切れながらも続いていた。

「……『ND2023。失われた光が輝き、沈んだ大地を甦らせるだろう。人々は歓呼し、それに従う。偽りの栄光は星の力を掴み、その生まれた島に座すだろう。その島の名は、ホドである。……聖なる焔の光はホドに降り立ち、その、力を用いて』………」

「……どうした、導師」

 言葉を止めた青年に向かい、彼はそう問いかけた。灰褐色の髪を高く結い上げ、あごひげを生やした男だ。二千年前に世界を救った聖女ユリアと、その弟子の一人である剣聖フレイル・アルバート。彼は、彼らの血を引くフェンデ家の末裔であったヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデの複製体――レプリカである。

「これ以上は……詠めません……なんだか、目まぐるしく見えるものが動いていて……」

 答える青年は青ざめ、荒い息を吐いていた。彼はフローリアン。ユリアの弟子とされるフランシス・ダアトの創設したローレライ教団の、預言スコアで選ばれた最後の導師イオンのレプリカだ。

 彼が詠んでいるのは惑星預言プラネットスコアだ。第七音素セブンスフォニムに記録された、『星』そのものの膨大な記憶を読み取るもののため、術者に要求される能力と負担は並外れて大きい。第七音素が発見されて以降およそ二千年、それを完全に読み取ることが出来たのはユリア・ジュエのみだったと言われているほどである。

「どうあっても、ここまでか……」

 落とされたヴァン・レプリカの言葉に、フローリアンはビクリを身を震わせた。視線を落とし、呟く。

「……ボクの能力は劣化していますから……」

「能力の劣化は、我らレプリカの宿命だ」

 ヴァン・レプリカは言った。

「だが、気にすることはない。もはやオリジナルはいないのだ。これからの世界では本物はお前になる。導師イオン」

「……」

 フローリアンが黙り込んだ時、戸口に一人の兵士が現われた。入ってきて、何事かヴァン・レプリカの耳に囁く。

「ほう」

 片眉を上げ、ヴァン・レプリカの表情が笑みの形に歪んだ。

「どうやら、客人は関門を一つ突破したようだ。……先程の揺れは、それを報せるものだったようだな」

 フローリアンの無言の視線を受けながら、彼は戸口へ歩いていく。

「様子を見てくる。導師はここにいるがいい」

 ゆったりとした足音が遠ざかり、辺りから人の気配が消え去ってなお、フローリアンはじっと俯いていた。それからどのくらいの時が経ったのか。再び戸口に気配を感じて、フローリアンは不審げに顔を上げる。ゆったりと落ち着いた男のそれとは違い、もっと軽く、そして乱れた気配だったからだ。

 そして、そこに信じられないものを見た。

「アニス……!?」

 彼女の方も、驚いた様子で「フローリアン!」と青年の名を呼んだ。彼女の全身は傷だらけで、ところどころ固まった血が黒くこびりついており、左腕はだらりと垂れ下がっている。

「アニス! 怪我してるじゃないか!」

「あ、うん……。一応、回復薬グミは食べたから」

 苦笑いしてそう言う彼女に構わずに、フローリアンは駆け寄って治癒譜術をかけた。折れた左腕は特に念入りに。

「あ、ありがとう……」

 第七音素の光に包まれて、どこかくすぐったそうな、落ち着かなげな様子でアニスが謝辞を述べている。しかしフローリアンは細い眉を寄せたまま、悲しげに顔をしかめていた。

「アニスがこんな怪我をするなんて……」

 彼の知る限り、アニスはとても強かった。精神的にも、肉体的にも。無敵と言っていいほどだ。どんな相手にも負けることはなく、教団の中では様々な中傷から自分を守ってくれてさえいた。だから、痛々しく傷ついた姿を見た時。

「心臓を、握りつぶされたかと思った……」

「……フローリアン」

 アニスは、己の前に膝をついてうな垂れた若者の背を見つめる。癒されたばかりの手に、彼の両手がすがりついた。

「アニス……お願いだ。どこにも行かないで、ここにいて」

「え?」

「ボクが、キミがここにいられるようにヴァンに頼むから。この先、外殻が液状化したとしても……ボクは、アニスには生きていてほしいんだ!」

 アニスが小さく息をのむのが分かった。

「……それじゃ、パパとママは?」

 暫しの沈黙の後に返った言葉に、フローリアンはハッとして、顔を上げた。

「トリトハイム様は? あなたの話を聞きに教会に来てくれてた人たちは? ティアは、ガイは、中将やナタリアやミュウやアッシュや……みんなは、死んじゃってもいいって言うの!?」

 アニスの声音と表情には、はっきりとした感情が表れている。怒りと、僅かな悲しみと。彼女にこんな表情を向けられるのは初めてだ、とフローリアンは頭のどこかで思った。自分に接する時、アニスはいつも笑顔で、繕った優しさで全てを覆っていたから。

「選んだ人だけを生かす世界なんて、おかしいよ! フローリアンは、それで平気なの!?」

「……ぼ、ボクは……」

 彼女にすがっていた手を離し、フローリアンは瞳を揺らした。言葉は詰まったように出てこない。

 その時、遠くからズゥウン……と重い音が聞こえ、震動が彼らを揺らした。

「これは……誰かが戦ってる。行かなくちゃ!」

 戸口の方を見やりながらアニスは言う。そして、うずくまっているフローリアンに顔を向けた。

「フローリアン、一緒に行こう!」

 手をさし伸ばす。

 青年は、伸べられた手から視線をそらすように顔をうつ伏せ、かなり長い間黙っていた。だが、やがて立ち上がって一歩進み、アニスの隣に並ぶ。

「フローリアン」

「……でも、ボクは帰るわけじゃない。ボクが一緒にいれば、レプリカのみんなは襲って来ないから……。せめて、キミがここを去るまでは、守りたい」

 笑顔を浮かべかけたアニスに、彼は視線を合わせないままそう言った。アニスの表情が再び沈む。さし伸ばしたまま取られることのなかった手を、きゅっと胸で握り締めた。




「ぃつつ……っ」

 呻き声を上げ、頭を押さえながらガイは身を起こした。目を開ければ、辺りには一緒に落ちてきたらしい大小の瓦礫が積み重なっている。

「よく無事だったもんだ……」

 ティアが何かしてくれたのかもしれない。そう思いながら立ち上がった。動作に問題はない。多少の打撲や怪我はあったが、深刻なダメージは受けていないようだ。

「おい、誰かいるか?」

 呼びかけてみたが、返事はなかった。気配も感じられない。ここに落ちたのはどうやら俺だけらしいな、とガイは肩をすくめる。まずは、仲間との合流を目指さなければなるまい。

 そこは建物の中のようだった。見覚えのある感じもするから、陥没した広場のすぐ下、神殿の中なのかもしれない。見回すと、向こうに光が見えた。そちらへ向かって歩き出す。

「ここは……」

 予想外の光景を見て、ガイは目をみはった。広がっていたのは、美しく整えられた緑の庭だ。柔らかな日差しが差し込むそこには、様々な花が咲き乱れている。そしてその中央に白い墓石があった。刻まれた銘は摩滅しかかっていたが、まだ読み取れる。――ユリア・ジュエ。

 この光景は何度か目にしたことがある。一度は、五年前に仲間たちと突入したエルドラントで。――そして、恐らくはそれよりも以前に……。

「こんなところでお前と出会えるとはな」

 不意に声がした。聞き覚えがあるそれを耳にして、弾かれたようにガイは振り返る。

「ヴァンデスデルカ……!」

「……その、レプリカだ」

 現われていた男は静かにそう付け加えた。落ち着いた動作で歩み寄り、傍らの墓石を見やる。

「因縁だな。幼いお前を何度かここに連れて来たことがある」

 そこは、フェンデ家の守る秘密の場所の一つだった。彼らの始祖が眠っている。

「あれは……お前だったのか」

「オリジナルの時もあったかもしれん。……そんなことは大した問題ではない」

 目を伏せ、男はフッと皮肉に笑った。

「ちょうどいい、お前には訊きたい事があった。――……何故、裏切った?」

 ガイは口を閉ざしたまま、目の前の男を見返した。

「お前は、フェンデ家と対を成す――本来、フェンデ家を守護するべきガルディオス家の末裔だ。まして、ガルディオス家を滅ぼしたファブレ家への復讐を誓う同志でもあっただろう。……なのに、お前はヴァンを討った」

「……裏切ったのはあっちだろう。俺は、この世界を滅ぼすなんて事は望んじゃいなかった」

「フッ。だが、それ以前に、お前こそ裏切っていたのではないか? ……あの、ファブレ家のレプリカをあるじと呼んだ、その時に」

「………」

 ガイの目元が僅かに歪む。

「あのレプリカを生み出し、その傍にお前を置いたことこそが、ヴァンの犯した過ちだったのかもしれん」

「そんなことは……今更だ!」

「そうだな。だが、それが……結果的に、ヴァンの望みを叶えることになった」

「……?」

「ユリアの詠んだ滅びの預言スコア――消滅預言ラストジャッジメントスコアを覆すことこそが、ヴァンの望んだことだった。……奴の信じた方法でそれは為される事はなかったが」

「………」

「最初から結末を……『滅亡』を知っている、という事がどういうことか……お前には理解できるか?」

 語るヴァン・レプリカを、黙ってガイは見つめている。その瞳に微かな戸惑いと疑問を揺らして。

「二千年の間、始祖ユリアによってフェンデ家に課されてきた責務……それは、第七譜石に刻まれた消滅預言ラストジャッジメントスコアを世界に隠し続けるということだった。それが、どれほど重いことか。それでも、滅びの時が遠かった時代はよかっただろう。だが……自分の生きているこの時に滅びが始まると、そんな時代に生まれてしまった者は、どうすればいい?

 奴は私に言ったよ。お前などを生み出させることに同意したのは、ただ、預言スコアを覆させるためだとな。レプリカの存在は預言には詠まれていない。だからこそ、それが星の記憶を変える鍵になる、と。

 しかし、結果は知っての通りだ。私と繋がれて起こさせられた擬似超振動でホドは崩落し……その上、そのことはユリアシティに保管されていた第六譜石にとうに詠まれていたと知った時の奴の気持ちは、どんなものだったのだろうな。恐らく、奴は自分自身に、世界に憤怒し、運命を――ローレライを呪ったことだろう」

「――ヴァンデスデルカ……!」

 愕然として、ガイはかつて兄と慕い、同志と呼んだ男の名を呟いた。

「長い間、奴は孤独と絶望の中で、滅びの運命と――ローレライと戦っていたのだ。そして……皮肉な形ではあったが、勝った。ローレライの告げた未来は回避されたのだから。

 ただ……歪みは残された。生み出された大量のレプリカという、な」

「それで……お前は、ヴァンの望んだとおりの、レプリカの世界を創ろうと言うのか?」

 ガイの問いに、男はフッ、と笑みを浮かべる。

「レプリカの存在は、オリジナルと重なっている。所詮、レプリカはオリジナルの影であり、代用品だ。そのことを、私は誰よりも知っている。……レプリカが本物になるためには、オリジナルを消すしかない」

「なっ……!?」

「ヴァン・オリジナルはそのための道筋を遺してくれた」

 目をみはる若者を、男は面白そうに見つめて言葉を続ける。

「そう。私は、奴の望んだとおりにオリジナルを滅ぼし、レプリカの世界を創ってみせよう」

「そんなことを……させてたまるか!」

 叫び、ガイは腰の剣を抜き放った。眼光を鋭くし、目の前の男と対峙する。――が。

「――っ!?」

 辺りに震動が走り、遠く、鈍い轟音が聞こえた。

「……どうやら、戦いの中心は別の場に移っていたようだな」

 そう言い、ヴァン・レプリカはきびすを返す。剣を構えたまま、ガイはその背に「待て!」と叫んだ。

「焦るな、ガイラルディア。決着をつけるに相応しい場は他にあるようだ」

 目線だけで振り返り、男は悠然とそう言う。

「それに……ユリアの墓所を血でけがしたくない」

 ハッとして、ガイは剣先を下ろす。そして、立ち去っていく男の背を力なく見送った。




 ジェイドは長い通路を歩いていた。

「やれやれ……こんな形でみなさんと分断されることになるとは思っていませんでしたねぇ」

 呟くと、足元をチョコチョコと小走りしているミュウが、「でも、ジェイドさんスゴイですの。一人でどんどん敵を倒して、すっごく強いですの〜!」と誉めそやした。

「まあ、これでも軍人ですからね。ロクに訓練も受けていないような烏合うごうの衆には負けません」

 ここに至るまでに、何度か魔物や兵士に襲われていた。その全てがレプリカであり、倒すと光となって消えていったわけだが……。

「『雨後のシュー』ですの? それはタケノコの一種ですの?」

「ははは。ミュウは相変わらず面白いですねぇ。一度耳と脳の構造を確かめてみたいものです」

「みゅ?」

「そう、雨後のタケノコのようにポコポコ無数に出てきますが、所詮は促成です。……それにしては戦闘の型などかなり整っている者がいるのが気にはなりますが。これは、やはり……」

「なんですの?」

「……いえ、やめておきましょう。まだ、はっきり分かったことではないのですからね」

 ジェイドはあえて平易な言葉を使い、にっこりと笑ってみせる。

「それよりミュウ、あそこにまた部屋があります。例によって見て来て下さい。……何度も言いますが、見つかってもいいですが捕まらないように、ですよ」

「はいですの! 任せてくださいの!」

 キラキラした目で見上げて、ミュウはチョコチョコと走っていった。暫く待っていると、やがて部屋の中から激しい物音や声が起こり、ミュウが飛び出してくる。その後を追って駆け出してきた兵士たちを、ジェイドの満面の笑みが出迎えた。

「お待ちしてました♥」

 軽い口調で言って、譜術を解き放つ。突き立った雷の剣が辺り一帯に雷気を走らせ、兵士たちはことごとくが倒れた。

「みゅううう、やりましたの〜!」

 でも、ビックリしましたの〜、と目を白黒させているミュウの横を通って、ジェイドはその部屋に入る。思ったよりも大きなその空間には、多くの譜業機械とモニターがあった。

「これは……どうやら、この第二エルドラントの制御装置のようですね」

 モニターに映し出される映像を見ながら、素早く指を制御板に走らせる。構造図に赤い光点が幾つか点滅している画面を眺めて僅かに眉根を寄せてから、次々と画面を切り替えて制御板のキーを叩いた。

「これで、外周に取り付けられた対空兵器はロック出来たはずです。地上への降下は……どうやら、今はここに制御権がないらしいですね」

 そう言って、制御板から手を離す。

「ついでに、新規のコントロールが出来ないように演算機をロックしておきました。これは、付け焼き刃の知識では簡単に解除できないはずですよ」

「よく分からないけど、ジェイドさん、やっぱりすごいですの〜!」

「ありがとう、ミュウ。では、行きましょうか。他の皆さんの居場所も分かりましたし……この第二エルドラントを降下させるには、アレを直接操作するよりない」

「みゅみゅ? とにかく、みなさんの所に行きますの」と笑顔で頷いたミュウは、チョコチョコ小走りに行きかけて、「みゅ? あそこにもう一つ入口がありますの」と立ち止まった。奥に扉がある。続き部屋のようだ。

「これは……!」

 扉を潜ったジェイドは、それを見て声を詰まらせていた。足元でミュウが叫んでいる。

「みゅうぅ! ボク、これ知ってますの! コーラル城やワイヨン鏡窟の奥で見たのとおんなじですの〜!」

 円形の台座を積み重ねたような形の、背の高い音機関が、その部屋の中央にはそびえていた。

「フォミクリー装置……! なるほど、ここでレプリカたちを新たに作っていたのか」

 ジェイドは装置に近付く。傍にあった制御板を操作した。小さなモニターに現われた文字列を見て、眉を顰める。

「……やはり」

「どうかしましたの?」

 不安げに見上げるミュウに、ジェイドは繕った笑みを浮かべてみせる。

「いえ。それよりも、みんなの所へ急ぎましょう」

 そして、そう促した。





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