緩く閉じたまぶたの中で、ゆらゆらと光が揺れている。三つの光。光は、一つになったり、また三つに分かれたり、絶え間なく動いていて落ち着かない。

「――メシュティアリカ」

 誰かに呼ばれた。いや、自分をこの名で呼ぶ者は、この世に一人しかいない。ハッとして、少女はまどろんでいた目を開けた。途端に視界が開ける。揺れていたのはガラス張りの天井に簡易的に設置されていた小さな譜業灯の光だ。ガラスにチラチラと反射しながら、紫色に沈んだ『空』を背後に淡く輝いている。顔を動かして視線をずらすと、見下ろしている男の姿があった。

「兄さん!」

 少女は、寝転んでいた体を半分起こす。立ち上がろうとしたが、兄がそれを制して隣に座った。

「兄さん、どうしてここに……」

「お前の誕生日だ。来ないわけにはいかないだろう」

「うん……あ、『はい』」

 ほのかに頬を染めて頷いて、少女は慌てて硬く言い直す。兄は少し驚いたように見返して、フッと笑った。

「リグレットにはよく教育されているようだな」

「はい、兄さん。教官にはとてもよくしてもらっています」

「そうか。だが、今はプライベートだ。普段の口調で喋って構わないのだぞ」

「うん……。兄さん、来てくれてありがとう」

 少女は笑った。感情を抑えがちな彼女のこんな表情を知る者は、この兄以外にそうはいないだろう。

「でも……本当によかったの? お仕事、忙しいんでしょう?」

「お前が心配することではない」

 包み込むような笑顔で兄は微笑む。そこでふと苦笑を浮かべ、「だが……そうだな。今月のバチカル行きを辞退したから、あれは、きっと拗ねているだろう」と漏らした。

「あれ……?」

「私が剣術を教えている。ファブレ家の御曹司だ」

「ああ……」と少女は納得の息を漏らした。その青い瞳がふと揺れる。

 直接兄から聞かされたことはないが、自分たちの本来の故郷であったホド島を攻め滅ぼしたのがキムラスカ王国のファブレ公爵であったことは、史実として知っていた。そのファブレ家に兄が出入りし、一人息子に剣術を指南しているのだと知った時、何か得体の知れない不安を感じたものだ。一度、「何かするつもりなの」と訊ねてみたこともあるが、兄は「何もしない」と穏やかに返した。「今の私は、ガルディオス家の剣、ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデではなく、神託の盾オラクルの騎士、ヴァン・グランツだ。その剣の腕を認められ、指南を求められただけのこと」と。

 少女にしても、己の故郷を滅ぼしたというファブレ家に何も感じないわけではない。だが、彼女は故郷が攻め滅ぼされた後、そこからは隔絶されたこの地底の都市で産まれた。所詮伝聞でしか知らぬが故に、感じる思いは確かに希薄なのかもしれない。

「それにしても、人を『あれ』と呼ぶのはよくないと思うわ」

 生真面目に言うと、何が可笑しいのか、兄は「フフ、そうかもしれんな」と笑った。

「バチカルは、本来は我らにとって敵国の都だが……その荘厳さには一見の価値がある。教団の支部があるから、いずれはお前も足を運ぶことになるだろうが」

「ふぅん……」と少女は息を漏らす。曲げた膝に頬を乗せて、「外殻大地って、どんなところなのかな」と呟いた。

「そうだな。この魔界クリフォトとはまるで違う……。だが、生きている人間は同じだ」

「外殻の空は青くて、太陽が輝いていて、夜には真っ暗になって月や星が輝くというのは、本当?」

 記録映像や擬似体験室では何度も見ていたが、少女は未だ本当の天体現象を見たことはないのだ。

「本当だ。……この都市に私が初めて辿り着いた時、一番辛かったのは、それらが見られなかったことだった」

「兄さん……」

「フ、そんな顔をするな、メシュティアリカ。全ては過ぎ去ったことだ。……しかし、そうだな。外殻大地と魔界クリフォトの自然はあまりにも違う。お前も、外殻大地に出れば、物知らずだと馬鹿にされることもあるかもしれん」

「そんなぁ……」

「大丈夫だ、外殻のことは私が全て教えてやる。リグレットもそうするだろう」

「うん、兄さん」

 全幅の信頼を滲ませた目で微笑む妹を見下ろして、兄も笑みを返し、しかし僅かに口の端を皮肉に歪ませた。

「だが……いずれは、外殻も魔界も関係ない世界になるだろうがな」

「え……?」

「いや……なんでもない。メシュティアリカ、まだお前は知る必要がないことだ」

 そう言い切る兄の横顔を見て、少女は不意に不安に襲われた。兄さんは何かを隠している……そう思うことは度々あったが、それを今は強く感じる。なんだろう、これは。まるで、大好きな兄が消えていなくなってしまうかのような……。

 そう思った刹那、少女は両腕で兄にしがみついていた。

「兄さん……何が起こるの? 何かするつもりなの? お願い、約束して! 何も危険なことはしないって……!」

「メシュティアリカ……」

 驚いた顔で、兄は妹を見下ろす。そして優しく、けれど毅然とした態度で妹の腕を外し、「何も心配は要らない」と言った。

「約束、してくれるの?」

「お前がそうしたいのならばな。……だが、メシュティアリカ。『約束』することには、さしたる意味はない」

「え……」

「絶対的に約束されるものなど、この世には存在しないからだ」

「約束は……破られる、ということ……?」

 悲しい思いでそう言うと、兄は「そうではない」と笑った。

「定まった物事はない、ということだ。例えば、そうだな、私がお前に明日までに譜歌の意味を理解しておくように、と約束させたとしよう。出来なければ食事抜きだ」

「えぇ〜?」

「それで、お前はどうする? メシュティアリカ」

「だって……そんなの、無理よ。一晩でなんて……。ユリアの譜歌を理解するには何年もかかるって、兄さんだって言ってたじゃない」

「そうだな。だから、私はそれを承知で約束させたとする。お前は諦めて、私に言われるままに食事を抜くか?」

「………」

 暫く黙り込んだ後、少女はきゅっと口を引き結んで首を横に振った。いかにも頑固な様子だが、兄は満足げに笑みを広げる。

「そうだ、メシュティアリカ。約束されたものは、よいものとばかりは限らない。……約束は守るためだけにあるものではない。破り、覆すためにもまた、示されるものなのだ」

「兄さん……?」

 兄は何を言っているのだろう。よく理解が出来なくなって、少女は小首を傾げる。

「あらゆる物事には、必ず二面性がある。一つの物事には、幾つかの意味が同時に含まれている。――それを忘れるな、メシュティアリカ」

 

「――ィア……ティア!」

 その声に呼び覚まされ、ティアはハッと意識を浮上させた。二度目の目覚め……? いや、夢から覚めたのだ。先程まで見ていたものは、過去の情景。もう何年も前の、過ぎ去った思い出だった。

「ティア! よかった、気がつきましたのね」

「ナタリア……」

 ホッとしたように緩んだ緑の瞳を見上げ、ティアは自分を覗きこんでいた友人の名を呼んだ。

「ここは……? いえ、私たち、どうなって……」

 意識が覚醒すると共に、次第に記憶が甦ってきた。そうだ、エルドラントに突入して、最上部でレプリカンティスと戦い。その後、床が崩落したのだ。咄嗟に譜歌を歌おうとしたが……完全には発動させられなかった気がする。

「俺たちは、どうやら排水構か換気構か……そういうものの中に滑り込んじまったようだな」

 ナタリアの背後から、アッシュが歩いてくる。

「恐らくは、ここはエルドラントの地下だ。最下層か、それに近い場所だろう。……見ろ」

「これは……!」

 彼が示した、その更に背後の光景を見て、ティアは息を飲んだ。見覚えのある、周囲に螺旋の通路を巡らせた巨大な音機関。

「パッセージリング……! どうしてこんなところに……?」

「くだらんことを訊くな。ここはホドのレプリカだ。ホドには元々セフィロトの一つがあり、当然、パッセージリングもあった」

「――分かったわ。つまり、このパッセージリングもレプリカなのね」

「そういうことだ」

 パッセージリングの中心は光り輝いていた。稼動しているように見える。アッシュやティアと同じようにそれを見上げていたナタリアが、小首を傾げて言った。

「今、エルドラントはこのパッセージリングで形成されたセフィロトツリーで浮いているのでしょうか……?」

「かもしれん。……それより、あっちにも面白いものがあるぞ」

 ティアが目覚めるまで、アッシュはあちこちを歩き回っていたらしい。彼に促されてパッセージリングから伸びた通路を歩くと、渡った通路の遥か下から、巨大な岩が山のようにそびえているのに出くわした。その岩山は半ば透き通っていて、全体が黄金に輝いている。これもまた、一度見た覚えがあるものだった。

「第七譜石……!? まさか、あれは地核に……いえ、そうね。これもレプリカなんだわ」

 二千年前に、偉大な預言士スコアラーであるユリアが詠んだという惑星預言プラネットスコア。預言を刻んだ譜石は七つの山ほどの大きさになったというが、その最後の一つ、最終的な未来が記録されたとされるものが第七譜石である。今となっては意味をなしはしないが、かつてはこの譜石を求めて多くの勢力が争い、血を流してきた。ティア自身、五年前は当時の大詠師モースの密命を受け、一心にこれを探し求めていたのだ。そこにはただ、繁栄の未来のみが記されていると信じて。

「ここは、本来のホド島にとっても地下なのですわよね」

 ナタリアが言った。

「そうだな。ヴァンの家系――フェンデ家は、その始祖であるユリアの遺産を守護していたと聞いている。創世暦時代の技術と第七譜石を島の地下に隠し、ずっと守っていたんだろう」

 答えるアッシュの声を聞きながら、ティアは呟いていた。

「私は……本当に、何も知らなかったのね」

 彼女自身もフェンデ家の血を継ぐ者であり、己がユリアの子孫だと聞かされてはいたが、まさか自分の家系が二千年もの間、第七譜石を隠し続けていたなどとは思いもよらなかった。そしてまた――それにどんな預言が刻まれていたのかも、まるで知りはしなかったのだ。

 ――兄であるヴァンは、全てを知っていた。だが彼は妹に何も伝えはしなかった。第七譜石のことも、消滅預言ラストジャッジメントスコアのことも。

「ティア……」

 表情を曇らせた彼女に、ナタリアが呼びかける。その隣から、むっつりとした顔でアッシュがこんなことを言った。

「……あまり気にするな。ヴァンの奴が話さなかったのは、ホド崩落の真実を伝えなかったように、幼かったお前の心情を慮ってのことだったんじゃないか?」

「ありがとう、アッシュ」

 礼を述べて、ティアは小さく笑った。気付いてみれば、彼はあまりにも不用意に『もう一つの記憶』に基づいた話をしていた。けれども、必要以上にこだわることではないのだろう。アッシュは、あくまでアッシュだ。

「確かに、そうだったのかもしれない……。でも、最近思うことがあるの。譜歌の全てを、最初から兄さんが私に教えてくれていたように……本当は、兄さんは全て私に伝えていたのかもしれないって。いつか、私が自力で気付く時のために」

 ティアは第七譜石を見つめた。第七音素を己の内に集中し、そこに刻まれた言葉を読み取り始める。第六譜石の末尾に記された、『聖なる焔の光の消滅、それを契機にした戦争の開始とキムラスカの大躍進』から続いているそれは、既に無効になってしまった預言スコア――覆された、かつて信じられていた未来の残骸だった。五年前にティアたちがそうさせたものだ。

「……『やがてそれがオールドラントの死滅を招くことになる。

 ND2019。キムラスカ・ランバルディアの陣営はルグニカ平野を北上するだろう。軍は近隣の村を蹂躙し要塞の都市を進む。やがて半月を要してこれを陥落したキムラスカ軍は、玉座を最後の皇帝の血で汚し、高々と勝利の雄叫びをあげるだろう。

 ND2020。要塞の町はうずたかく死体が積まれ、死臭と疫病に包まれる。ここで発生する病は新たな毒を生み、人々はことごとく死に至るだろう。これこそがマルクトの最後なり。以後数十年に渡り栄光に包まれるキムラスカであるが、マルクトの病は勢いを増し、やがて、一人の男によって国内に持ち込まれるであろう。』……」

 疫病はキムラスカを侵し、王が死に、民が蝕まれていく。そうして長く病み苦しみぬいた末に人類の歴史の最期が訪れる……そんな暗澹たる幕引きまで詠んだところで、ティアは怪訝に眉を顰めた。

「……? まだ何か刻んであるわ。これは……預言スコア? いえ、ユリアのメッセージ……なの?」

「なんだと?」

 アッシュが碧の目を僅かに見開く。

「まあ。何と書いてありますの?」

「待って。今、詠むわ」

 ナタリアを制した目を譜石に戻し、ティアの白い喉か震えて、その最初の一文を詠み上げた。

「……『だが、その全ては偽りである』」

 ――と。

「そうさ……アンタたちオリジナルの歴史こそが偽り……贋物なんだ!」

 刹那、響いた声にハッとして、アッシュたちはそちらを見上げた。その声は上から降ってきた。この広大な空間の上空、複製途中のまま終わった通路なのか、それとも新たに作られている最中の建築資材なのか、白い角柱のようなはりが横に何本も渡されてあったのだが、その上に女が一人、立っていたのだ。

「――レミ! あなた、無事でしたのね!!」

 ナタリアは叫んだが、彼女は頓着した様子もなかった。

「こんな所まで入り込んで……ウザいんだよっ!」

 その全身の譜紋が輝くと、彼女の周囲に音素フォニムが結集してきらめく。

「始まりの時を再び刻め……消えろっ、ビッグバン!」

 その言葉が放たれると同時に、全員に凄まじい衝撃が叩き付けられた。

「ぐぅうっ……!」「上級譜術っ……!? こんなものまで使えるなんて……」

 うちのめされ、アッシュとティアが呻く。まともに食らったダメージはあまりに大きく、立っていられないほどだ。

「大地の守りよ、包め……レストア」

 だが、ナタリアの放った第七音素セブンスフォニムの光が、さあっと彼らを包み込んで癒していった。ナタリアは瞳に力を込め、かつてのメイドを見上げる。

「レミ……。どうしてなのですか! わたくしたちが争う理由が、一体どこにあるというのです」

「黙れ! あたしは、アンタたちを殺して、レプリカの世界を創る。これからは、あたしたちレプリカが本物になるんだ!」

「何を言うのです! どちらが本物かなどということに意味はありません。わたくしたちは、共に……生きているのですよ」

 ナタリアは言葉を続けていった。

「レミ。わたくしたちは同じ命。争い、奪い合う必要など、決してないのです。――さあ、戻りましょう」

 さし伸ばされたナタリアの手を見て、レミは僅かに怯んだ表情を見せた。

「――嫌だ」

「レミ?」

「嫌っ。嫌だ! あたしは、ここでやるべきことを見つけた。あたしが成すべき目標を掴んだ。ここなら、あたしは馬鹿にされない。誰にも哀れまれたりしない。ここは、あたしの居場所なんだ!」

「ハッ、笑わせるな!」

 駄々をこねるように首を左右に振るレミを、アッシュが鼻で嗤った。

「何が自分の目標だ。お前は、あいつの――ヴァン・レプリカの計画に寄りかかっただけだろうが。ここはお前が自分で掴んだ居場所なんかじゃない。お前は、ただ、自分より大きなものに依存しているだけなんだよ!」

「違う、違うっ! これは、あたしが望んだ。あたしが……自分で選んだことなんだぁーっ!!」

 叫んだ彼女の全身に描かれた譜紋が、再び光輝いた。音素フォニムが急激に集中し、風となって彼女の髪や衣服をはためかせる。

「断罪の剣よ、降り注げ! ――プリズムソード!!」

 アッシュたちの足元に光り輝く譜陣が現われ、その周を縫いとめるごとく六本の結晶の刃が突き立った。上空の七本目の刃から発した光が全てを繋いで六角柱の結界を作り、その内に烈しい光を降らせる。だが、アッシュたちはその前にそれぞれ譜陣から滑り出て、その光に撃たれるのを回避していた。

「うぅっ……!」

 悔しさを飲み込むように声を上げたレミは、「レミ!」と再び彼女を呼んだナタリアの、その声音の厳しさにハッとした。ナタリアは弓に矢をつがえ、ピタリと狙いを定めている。

「もう、おやめなさい。殺し、奪うことがあなたの生きる目標などではないはずです。――あなたは、そんな娘ではない。わたくしはそれを知っていますわ」

 数瞬、気圧されたようにレミはナタリアを見つめた。だが、その表情は見る間に歪んでいく。泣いているような、嘲笑うかのような。そんな形に。

「あたしは……アンタに、支配なんかされないっ!」

 レミもまた背にしていた弓を構え、天にさし向けて叫んだ。

「降り注げっ、星光! アストラル・レイン!」

 やじりを差し向けた天に音素フォニムが集中し、眩い光を放つ。矢を打ち上げると、それは無数の光の矢を伴って流星のように降り注いできた。

「譜の欠片よ、わたくしの意思に従い力となりなさい。――ノーブル・ロアー!」

 叫び、ナタリアも矢を放っていた。それは周囲の音素を巻き込み、雄叫びのような音を立てて降り注ぐ流星に向かっていく。音素の流れが激突した。ズドドドド……! と轟音が響き、猛風を伴って衝撃が走り抜ける。

「くっ……!」

 ナタリア、アッシュ、ティアは声を殺してそれをやり過ごす。

「きゃあああっ!」

 レミは、あおられて床に転がった。体を打ちつけたらしい。すぐに起き上がれずに呻き声を漏らしている。

「レミ……もう、やめましょう。これ以上の争いは……」

「う……うぅ……。く、くくく……ははは……」

「レミ?」

 呼びかけていたナタリアは、うずくまったまま笑いの様相で肩を揺らし始めたレミの様子に眉を顰める。

「はははは……あたしは……強い……強くなったんだ…………誰も、あたしを、馬鹿にするなぁーーっ!!」

「気をつけて。様子がおかしいわ!」

 ティアが鋭くそう言った時、レミは再び全身の譜紋を輝かせ、譜術を解き放っていた。

「はははは……地獄を味わわせてあげるよっ……! レイジングミストおぉっ!!」

 凄まじい勢いで、二種の音素フォニムが結集と拡散を繰り返した。最初は業火、次いで凍て付く冷気が襲い掛かる。詠唱に時間のかかるティアの第二音素譜歌フォースフィールドは、間に合わない。

「譜を拒む結晶……アンチマジック!」

 目まぐるしい光の中で、ナタリアが譜術障壁を展開する声が聞こえる。渦巻く音素の力に暫く耐えた時、ゴガァアアン、と間近で大きな音がした。

「第七譜石が……!」

 それを見て、ティアが息を呑んでいる。巨大な山のような第七譜石がひび割れ、粉々に砕けて崩壊していった。その震動で彼らの立つ通路も揺れる。足元が大きく揺らいだ。

「きゃあああっ」

「ナタリア!」

 咄嗟に伸ばしたアッシュの指は、けれど何も掴めずにくうを切る。その指先をかすめて、バランスを崩したナタリアの体は通路の下、譜石の崩れ落ちた奈落の底へと消えていった。

 ――だが。

「みゅうぅぅぅ〜〜〜っ」

 パタパタと長い耳を羽ばたかせ、下からゆっくりと青いチーグルが上昇してくる。必死の面持ちの彼の体を掴み、一緒に浮かび上がってきたのは、たった今失われたかと思われた、ナタリアだ。

「ナタリア! 無事か!」

 アッシュがナタリアに駆け寄ると、その足に蹴られて、床にくたりと座りこんでいたミュウは「みゅっ」と鳴いてくるくると空を飛んだ。ぽすん、とティアの腕の中に抱きとめられる。

「ミュウ! あなた偉いわ。よくナタリアを助けてくれたわね」

「みゅうう……ボク、頑張りましたの。ここまで一生懸命飛びましたの」

「ええ、よくあそこから間に合いました。立派でしたよ、ミュウ」

 耳を振って訴えるミュウに、また別の声が掛けられた。ティアが瞠目する。

「将軍! ご無事でしたか」

「はい、勿論。そちらも、概ね無事のようですね」

 概ねとは何だ、と言いたげに睨むアッシュの視線を無視して、ジェイドは遥か上方のはりの上に立つレミを見上げた。相変わらず、彼女は断続的に笑いを漏らし、その足は次第に酔ったようなふらつきを見せ始めている。

「……もう、精神汚染がかなり進んでいますね」

「それは、どういうことですの?」

 呟きを聞きとがめて、ナタリアがジェイドの前に迫った。ジェイドは彼女を見つめ、ゆっくりと眼鏡の位置を直してから口を開いた。

「五年前のモースと同じです。――いえ、モースは扱う素養のない第七音素セブンスフォニムを無理に体内に注入したためにそうなったのですが、恐らく、彼女は少し違う。……強引な知識注入のためでしょう」

「知識注入……?」

「レプリカの製造時に行うという、知識の刷り込みのことか?」

 眉を顰めるティアの横から、アッシュが眉間にしわを寄せて尋ねた。

「そうです。レプリカは、肉体こそ被験者オリジナルと同じ年齢で生まれますが、記憶はない。赤ん坊と同じ状態で、話すことも出来ず、歩き方すら知りません。ですが、それでは様々な点で問題が大きすぎる。……そこで、レプリカ製造時、または製造直後のまっさらな時期に、別に用意した記憶を第七音素と共にレプリカの脳内に注入することで、それを刷り込む技術が開発されました。

 この技術を用いれば、生まれたばかりのレプリカでも常人と大差なく運動し、会話をすることが出来る。もっとも、この方法では情緒――いえ、心と言っていいでしょう、それは育ちませんから、ただ定められた行動をこなすに必要な記憶があるだけの、死んだ目のような人間になる者が大半です」

 ですが、レプリカを『生きた人形』として軍事利用しようとしていた輩にとっては、むしろ好都合なことだったようですがね、とジェイドは皮肉に笑った。

「この刷り込み技術を応用して、後天的な知識の刷り込みもまた、試みられました。既に記憶を持ち、人格を備えた者に、後付けの知識を注入する方法です。これを行えば、経験の浅い者をも短期間で歴戦の戦士に教育してしまえる……『心』のある優れた兵士を量産できる。そんな目論見で。マルクト軍でも一時この研究は進められていたのですが、結局は破棄されました。それは……」

「――フローリアン!?」

 その時、幾分うろたえたティアの声がジェイドの話を遮った。彼女の見上げる梁の上、ふらつくレミの前に、白い法衣を着た若者の姿が現われたのだ。その少し後ろには、巨大なヌイグルミを従えた小柄な女の姿も見える。

「レミ、お願いです、ここは退いて下さい。彼らはボクの友人なんです。――彼らには、ここから立ち去ってもらいますから」

 そんな、幾分早い口調の若者の声が聞こえてくる。

「導、師……」

 ゆらり、とレミが体をフローリアンに向けた。

「は、はは……なんで、そんなこと……? あ、あ? 敵なのに。オリジナルはみんな、消し、消して、消さなきゃならないってぇえええ!!」

 支離滅裂な叫びに合わせたように、レミの全身の譜紋が輝きを放った。

「レミ!?」

「こいつヤバい!」

 フローリアンの背後でその様子を見守るようにしていたアニスが、巨大なヌイグルミの背に乗って弾かれるように駆け出した。ヌイグルミを盾にするようにして彼の前に立つ。レミの叫びが響いた。

「あぁああああああぁぁああっ!!!」

 彼女の周囲に集められた音素フォニムは正しく譜術として発動せず、ただ、流れを与えられぬ音素力フォンパワーの爆発として具現した。それでもその衝撃は大きく、周囲のものを打ちのめす。ゴガァン、と音を立ててレミとフローリアンの間で梁が折れた。

「あああっ!?」「きゃああっ!!」

 斜めに傾いでいく梁を、フローリアンとアニスは滑り落ちる。それは少し下にあった別の梁に引っ掛かって崩落を止めたが、ぶつかった際のゴン、という衝撃が、滑落の勢いに弾みをつけた。フローリアンは、何もない中空に放り出される。

「フローリアンっ!!」

 宙に投げ出された彼の手を、一回り小さな手が掴んだ。

「アニス……!」

 緑の目を見開き、フローリアンは己を繋ぎとめているひとの名を呼んだ。彼女は巨大なヌイグルミに身を乗り出させ、その太い腕に自らを掴ませて、自分もまた精一杯体を伸ばして彼の手を掴んでいた。

 ギシギシとたわんだ梁が音を立てている。まるで何かの曲芸のように、とても危ういバランスで彼らは梁からぶら下がっていた。だが、これが暢気な見世物ではない証拠に、落ちればそのまま終わってしまう。

「う……」

 アニスの顔が苦痛に歪み、唇から呻きが漏れる。いくら彼女が優秀な軍人でも、年若い女性だ。それに、元々、人形を操って戦う人形士パペッターである。己の腕一本で、細身とは言え成人男性を支えるのは無理があるだろう。それでも彼女は握る手を緩めようとはせず、歯を食いしばって、むしろ伸びきった腕を引き上げるべく、懸命に全身の筋肉を収縮させている。

 見上げるフローリアンの緑の瞳が悲しげに揺れた。

 代替品として生み出されたレプリカ、しかも、その中でも下等品とみなされた自分でも、この偽りの大地の上であれば、人々を救い、彼女を守れるのだと思っていた。なのに、結果はこの通りだ。どこまでいっても自分は足手まといで、彼女にこんな顔をさせている。

「アニス……もういいよ」

 言うと、琥珀の瞳が驚いたように見開かれ、見返してきた。

「もういいから……手を離して。それで君が楽になるなら、ボクはそれが……」

「…………ない」

「え?」

「絶対に、離さないから!」

「アニス……!」

 激情を真正面からぶつけられて、フローリアンは言葉を呑む。

「フローリアン。私はずっと、あなたを傷つけていたんだね。私はいつもそうなんだ。それで、イオン様も、シンクも、アリエッタも、みんな、みんな殺しちゃったんだよ。

 でも、私はみんなに死んでほしかったわけじゃない。私は、あなたに生きていてほしい。あなたが自分でそう選んだんなら、イオン様として生きてもいい。私の側にいたくないなら、離れても構わない。だけど……だけど、お願いだよ。生きて。生きることを諦めないで!!」

 大きな琥珀の瞳から溢れ出した涙が、ぽたぽたと彼女の手に掴まれた腕に、頬に降った。フローリアンはアニスを見上げる。泣いている。強くて、でも小柄な女の子。

 ぎゅ、と掴んでいた手に握り返されたのを感じて、アニスはハッと目を開いた。フローリアンが、下げていたもう一方の手を持ち上げ、掴んでくる。アニスもまた、全身に力を込めなおした。

「ふ、ふふ……はははは……い、生きる……選んで……そう、あたしは、選んだんだ。ふ、ひゃははははっ」

 彼らの上方の折れた梁の上で、レミは足元をふらつかせながら笑い、呟いている。その目に這い上がろうとしている二人を捉え、全身の譜紋が再び輝いたのを見て、「いかん!」とジェイドが叫んだ。今は、アニスたちは全く動けない。先程からティアが第二音素譜歌フォースフィールドを歌い始めていたが、間に合うか。

「ひゃははっ……光の鉄槌よぉお……リミテッ」

 唱えられた譜文は、しかし「ぐっ」と詰まるような声を最後にして止まった。レミは、ゆっくりと視線を己の胸に落とす。そこにはやじりが突き出していた。背中から射抜かれ、突き抜けたのだ。

 その下方の通路の上では、ナタリアが矢を放った姿勢で弓を構えたまま、僅かに眉根を寄せ、じっとレミを見つめていた。

 それを、確認出来たのかどうか。

「――スデルカ、様……」

 呟いてぐらりと揺らぎ、レミの体は折れた梁の上から転落していった。しかし、硬い床に叩き付けられるより早く、全身が金色の光に包まれる。光は彼女の姿を融かし、フワリと霧散して、消えた。

「………っ」

 発動した第二音素譜歌フォースフィールドに包まれて、アニスとフローリアンがゆっくりとこちらに降りてくる。ミュウが彼女たちに飛びついて出す「よかったですのー!」という声を聞きながら、ナタリアは息を吐いて弓を下ろし、顔をうつぶせた。

「……仕方がないことです。彼女を救う方法は、もうありませんでした」

 ジェイドが言った。

「後天的な知識注入の研究がマルクトで廃棄されたのは、何故だと思いますか? ――無論、失敗だったからです。

 無理に後天的な記憶を注入すると、オリジナル、レプリカ問わず、素養のない者に第七音素セブンスフォニムを注入した際と近似の現象が起こる。……どの程度の期間で発症するのかは個体差がありますが、いずれ殆どの者が精神汚染を起こし、正常な思考をなくして暴走します。

 恐らく、彼女は知識注入を受けていました。そして、一度精神汚染が始まれば、手の施しようはない」

「そんなことって……」

 やりきれない思いでティアが呟く。アッシュが暗い表情で疑問を発した。

「なら……、ここにいる他のレプリカも、その処置を受けている可能性があるんじゃないのか?」

「多分、そうでしょうね。ここに来るまでに、ひどく戦闘に長けたレプリカに何度か出会いました。……あるいは、それが本来の実力の者もいたかもしれませんが、少数でしょう。

 確かに、現在世界に存在するレプリカたちの殆どは、生まれてせいぜい五年です。オリジナルに対抗するためには、あまりに幼い。それでも戦うことを望んだ時、彼らはこの方法をよしとしたのでしょう」

 そう言い、ジェイドはその赤い双眸を一方に向けた。

「――そうですよね?」

 アッシュたちもまた、ハッとしてそちらに視線を向ける。セフィロトの光に照らされた円形のホールに、一人の男が現われていた。

「ヴァン・レプリカ……!」

 吐き出すように、アッシュはその名を呼ぶ。

「レミは、消えたか……」

 周囲の声などまるで頓着しない態度で、ヴァン・レプリカはそう呟いた。

「だが、精神を汚染されながら、よくここまで戦ったと言うべきだろうな」

「そんな言い方……! あれは……あの子がああなったのは、あなたのせいなのではありませんか!」

 怒りに顔を染めたナタリアの叫びは、しかし男を失笑させる。

「フ……勘違いをするな。私は何も強制してはいない。あれ自身がそれを選び、行ったのだ。……それに、実際に殺したのは私ではない。お前なのではないか?」

「う……」

 ナタリアは口ごもる。彼女を庇うように前に立ち、ティアが厳しい視線を向けた。

「それでも、あなたがそう選ぶように仕向けたのは確かだわ。――そうではないの?」

「何かを得る際に無傷でいられるということはない。我々は戦っているのだ」

「必要な犠牲だとでも言うつもりなのですか?」

「あなたがそう言うとは思いませんでしたな、死霊使いネクロマンサー殿。そもそも我らレプリカは、まさにそのための捨て駒として、あなた方に生み出されたのだと思っていたが」

 冷たく言ったジェイドにそう返し、「我らの未来を得るためには、多少の痛みは否まない……そう誓った者が、あれらの処置を受け入れたのだ」と、ヴァン・レプリカは言った。

「未来……。確かにボクも、レプリカが生きられる未来が欲しいと思いました」

 フローリアンが声を落とした。

「あなたに従って、オリジナルの世界を捨てようとも思った。でも……本当に、それしか道はないのでしょうか。ボクたちレプリカが生きる道は、それしか」

「そうだ。俺たちは、共存できる」

 低く言ったアッシュを見やり、ヴァン・レプリカはフッと笑って目を伏せた。そしてフローリアンに視線を向ける。

「導師……いや、フローリアン。共存という甘い言葉には惑わされないことだ」

「甘い言葉って、何よ!」

 アニスがムッとした声を上げる。

「私たちは、確かにそれを目指してる。そりゃ、まだ上手くいかないことも多いけど……それでもいつかは」

「いつか? それはいつのことなのか。……そんな不確かなもので縛る、それを甘いと言うのだ。

 五年前、我々は同胞の屍をもって我らの国を望んだ。だが、得られたものは何だ? 囲われた小さな村と、オリジナルどもの侮蔑の目だ。オリジナルはレプリカを『生かしてやっている』つもりなのだろうが、我らの犠牲がなければ、オリジナルも障気で滅んでいた。オリジナルはレプリカに『生かされた』のだ。なのに、それを忘れている。それで……どうして共存などが望める!」

「そ、それは……」

 言葉を詰まらせたアニスの前に、スッとジェイドが進み出た。

「だから? すぐに思い通りの結果が得られないからと言って、オリジナルの世界を滅ぼすと言うのですか。これだけのものを従えることを可能とした男が……いささか短絡ですねぇ」

「そうかもしれんな。だが、私は二十年待ったのだ。……そして、レプリカを巡るオリジナルの世界の状況に、これ以上は待てないと判断した。レプリカはどう足掻いても贋物だ。だが……それは本物があってのこと」

「だからって、オリジナルを消したら本物になれるってわけじゃない」

 その時、また別の声が聞こえた。ヴァン・レプリカが入ってきたのと同じ入口から、ゆっくりと歩み寄ってくる金髪の若者がいる。

「本物か、贋物か……それは、そんなことで決められるものじゃないんだ!」

 その青い双眸を僅かにすがめ、ガイはヴァン・レプリカに言葉を叩きつけた。

「フ……どうやら、これ以上話しても無意味なようだな……」

 薄く笑い、ヴァン・レプリカは己の剣を抜いた。

「では、剣で語り合おうではないか。もとより……お前たちはそのつもりでここまで来たのだろう!?」

 その声を合図にして、アッシュたちも剣を抜いた。







『――なんだよ。言えよ! お前ずっとおかしいぞ、ユリア!』

 少年はぶつけるように声を荒げたが、少女は目を伏せて顔を背けた。

『なんでだよ。……俺には言いたくないのか。俺は、そんなに頼りないのか!?』

『……っ、違っ……!』

 少女は喉を引きつらせる。耐え切れなくなったようにその場にうずくまった。

『だって……言えないよ! 失敗して…………世界が終わる未来が見えてるなんて!』

『な……っ!?』

 今、世界はまさに滅亡の危機に瀕していた。十年前の大変動以降に発生した障気は、ついに地表の殆どを覆い、生物が健康を維持できる場所は、点在するほんの僅かな地域と、ホド諸島の西端に建造された、このドーム型都市くらいだろう。

 こんな極限の状況の中で、初めて各国は戦争の手を止め、互いの協力を了承するに至った。十年もの間続いた譜術戦争フォニック・ウォーは、ついにその幕を下ろしたのだ。だが、既に国として機能できなくなった地域も多かった。残った国々は、各国を巡ってその『奇跡』を見せ付け、和平を訴えたユリア・ジュエの指示に従った。現時点では世界は一丸となり、彼女とその仲間の提唱した『外殻浮上計画』を実現させるべく動いている。

『失敗……する……?』

『そうだよ……。音素活性化装置パッセージリングは完成する。でも……根本的な、セフィロトの力が足りない。伸ばしたセフィロトツリーを維持することが出来ずに、浮上した外殻は崩落して……………全てが砕け散る!』

『そんな。何とかできないのかよっ。なあ、ユリア! そうだ、みんなや博士とまた相談して……』

『どうにも出来ない!』

『!?』

『だって……足りないのは、「星の力」なんだよ。人には……誰にも、どうにもできない』

『――なら、外殻を浮上させるのをやめればいい。それで、その前に別の方法を探す』

『障気の侵食は止まらないよ。この都市だけ残っても、人の命は維持できない』

『だけど……っ』

 まだ何か言い募ろうとした少年の前で、少女は視線を暗く漂わせて呟いていた。

『……終わりが見えたの。真っ暗で……最後の一人の命が消えて……この星も、死んでいった。……セフィロトが想定よりも弱まっているのは、何故だか分かる? 記憶粒子セルパーティクルは星の力――星の命。障気もまた、記憶粒子と同じ地核から湧き出してる。――この星は、病んでいるの。死に掛けているんだよ。そして死ぬ……その前に、人の歴史が終わる』

 涙と共に落ちたその呟きが止まると同時に、沈黙が広がった。――随分と長く。

『…………だからって……終わりが見えてるからって、本当に何かする前に諦めるのか?』

 やがて、その沈黙を破ったのは、掠れた少年の声だった。少女は、しかし黙っている。

『何もしないで、ただ決まった終わりを待つなんて、俺は嫌だ!』

『でも……星の記憶は絶対の……』

『違う!』

『!?』

『今までだって、そうだったじゃないか。お前の詠む未来はいつも明るくて……だけど、その未来を掴むために、俺たちが何もしなかったわけじゃない。いつだってギリギリで、迷って、傷だらけで……。お前の預言うたは、そんな俺たちを導いて、助けてくれた。――今度の事だってそうなんだ。滅びの預言スコアは、確かに起こりうる未来なんだろう。だけど……それだけだ』

預言スコアは……暗闇の中の導きの光……だから……』

『そうだよ。お前がその未来を教えてくれたからこそ、俺たちはそれを回避するために行動することが出来る。別の未来を探すことが出来るんだ』

 見上げる少女を見つめて少年は言った。その顔に笑みを浮かべて。さし伸ばした手で少女のそれを取り、立ち上がらせる。

『でも……どうすればいいのかな』

『俺たちだけで考えていても仕方がない。とにかく、もう一度みんなと話し合ってみよう』

 少年は言い、少女を促して星の見えるそのデッキから出ようとする。――が、彼の足はそこで止まった。気遣うように軽く触れていた少女の肩が、まるで石のように硬く強張ったのを感じたからだ。

『ユリア……!?』

 愕然と見ている彼の視界の中で、少女の全身は淡く黄金に輝き、その表情はいつもの彼女のそれとはまるで異なるものに変わっていた。彼は、今まで何度か彼女のこんな様子を見たことがあったはずだ。神がかったようになった彼女は、その時、その先を定める重要な預言スコアを詠う。

 だが、今の少女は、恐らくはそれらの時とも異なった様相でいるはずだった。

「――方法は、ある」

 その唇が、静かに言葉を紡ぎだす。預言うたではない、けれど彼女自身の言葉でもないもの。少年の顔が、不審と、僅かな怒りで歪んだ。

『ユリアじゃない……。誰だ、お前は……?』

(そういえば、こんな風に話すのは初めてだよな……。ずっと、一緒に旅をしていたのに)

 そんな風に思いながら、目の前の少年――フレイル・アルバートに向かい、俺は、言うべきことを話し始めていた。





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