染まらぬあか


 硬い感触が伝わって、やいばが阻まれた。骨に当たったのだ。このところうんざりするほどこの行為が繰り返されていたおかげで、いい加減どう対処すればいいのかも分かってきてしまう。

 こういう場合、下手に断ち切ろうと力んだり、あるいは引き抜こうと慌てたりするのはうまくない。といって、剣を手放してしまうのは論外だ。余計な力を込めずに刃を手前に引き、そうしながら片足でそれが食い込んでいる体を蹴飛ばす。酷薄だが、それが最も手早く、合理的な方法だった。

 蹴り飛ばされた兵士の身体が、血潮を噴き出しながら仰のけ様に倒れていく。もはや息はないだろう。だが、グズグズしている暇はなかった。もう、別の兵士の刃がこちらに向かっているのだから。放たれる殺気が実際の刃よりも早く、冷たく肌に食い込んでくるのが感じられる。――だが、意識とは裏腹に体の反応が遅い。

「ルーク!」

 誰かの叫ぶ声がした。ティアだ。また庇われたりしたらたまらない。そんな思考がチラリとよぎる。

「終わりの安らぎを与えよ……フレイムバースト!」

 刹那、ジェイドが唱えていた譜文を開放する声が聞こえた。音素フォニムの輝きのきらめく中空から唐突に炎が爆裂し、刃を構えていた兵士は吹き飛ばされ、黒焦げになって勢いよく大地に転がった。白煙がもうもうと上がり、やがて薄らいでいく。

 その花火を最後に、場は、元の人気ひとけのない街道の静けさを取り戻していた。

 ルークは左手に剣を握ったまま両腕をだらりと垂らし、その場でぜえぜえと荒く息をついた。仲間たち以外に動いている者はいない。今回も生き延びることが出来たのだ。体中の血管を流れる血の流れがやけに強く感じられ、そのせいか、手先や膝の力が抜けているような、微かに震えているような錯覚を覚えていた。全身を濡らした汗に次第に熱を奪われる気持ち悪さに眉を顰めて顔をうつぶせると、長い髪が顔に貼り付く。

 辺りには焼けた肉の匂いが充満していた。生々しい血の匂いと混じり合って濃厚に大気を満たし、ムッとするほどだ。それをこらえながら、ふと視線を落としたルークは、ハッと唇をわななかせた。見開いた碧の瞳に、たった今おのれが刺し殺した兵士を映した、その顔が見る間に血の気を失って青ざめていく。次いで、ぐっ、と何かをこらえるように口元を押さえると、物も言わずに道の脇の潅木が茂った辺りに駆け込んでいった。

「ルーク……!? どうしたんですか」「ご主人様っ!?」

 離れた場所で戦闘を見守っていたイオンと、彼に抱かれたミュウが、驚いて呼びかけた。

「放っておきなさい。……戦場に不慣れな者のかかる麻疹はしかです」

 ジェイドが、どこか突き放すような口調で声を出す。苛立ちを含ませている、と言うべきかもしれない。

「大佐、そんな言い方は……」

「そうだぜ。それに、だからって本当に放っておくわけにもいかないだろう」

 咎めるようなティアの言葉に同意して、ガイは肩をすくめ、「様子を見てくる」と、その茂みへ歩いていった。

 見れば、ルークは奥に背を向けてうずくまっていた。吐いていたらしい。微かに苦しげな嗚咽が聞こえた。胃の中が空っぽになるまで吐き続けていたのだろう。

 人を殺すことには、もう大分慣れてきたと思っていたのに、まだこうなのか。

 苛立ちや、怒りや、悲しみや。そんなものがごちゃ混ぜになった感情で一瞬目元を歪ませながらも、ガイはそれをすぐに人好きのする笑顔で覆い隠し、「おいおい、大丈夫か?」と気安く言ってみせた。

「ああ……大丈夫、だ」

 返事は期待していなかったのに声は返り、ルークは口元をぬぐいながらノロノロとこちらへ戻ってくる。その動きにつれて、腰まで伸びた長い赤髪がふらふらと揺らいだ。

「あまり大丈夫そうには見えないな」

「るせぇ……」

 悪態にすら覇気がない。顔色はいまだに真っ青だ。

「……無理すんなよ。辛いんなら、お前は戦うのをやめたっていいんだぜ?」

「いーんだよ! 俺だって、戦うって決めたんだから」

 頑固な、けれど予想通りの返事に息をついて、ガイは「分かったよ」と頷いた。

「だがな、だったら気にしすぎるな。もっと図太くなれよ、ルーク。殺した相手を思いやれるのは大事なことだが……そのために自分を弱らせるんじゃ意味はない。割り切れよ。言い方は悪いが、所詮は名も知らない相手だ、ってな」

「……知って、る」

 ポツリと返された言葉に、ガイは声を途切れさせた。

「何?」

「多分、俺は知ってる。今、俺が殺した奴の名前……」

 ルークは顔をうつぶせた。前髪が落ちて、その表情を隠している。だが、どんな顔をしているのかは、声を聞けば予想がついた。

「セントビナーで……行商人が響律符キャパシティ・コアを売ってて。大きな赤い石のついた珍しい奴で……俺がそれを見ていたら、女の子が、譲ってくれって。恋人にあげたいからって……」

『カール……あ、私の彼ね、神託の盾オラクル騎士団に入ってるの。そりゃ、キムラスカとの戦争を控えたマルクト軍よりは安全だって知ってるけど、やっぱり、戦うことがあるでしょう? 少しでも彼を守ってあげたいのよ。だから、ね? お願い、これを私に譲って!』

 もとよりそんな資金もなく、いわば冷やかしで見ていたのだから、譲ることはやぶさかではなかったのだが……そう言うと、彼女は何度も何度も頭を下げて、実に嬉しそうに買った響律符を胸に抱いて、街の通りを向こうへ駆けて行ったのだった。

「今、俺が殺した奴……着けてた。あの、響律符……!」

「ルーク……!」

 愕然として、ガイは両手でおのれの顔を覆うルークを見つめる。何と言ってやればいいだろう? 思考をめぐらせたが、口から出たのは結局月並みな言葉に過ぎず。

「だが……仕方がないだろう。向こうはこっちの命を狙っていたんだ。殺らなきゃ、こっちが殺られる」

「ああ……そうだよな。分かってる」

 素直に頷くと、ルークはゆっくり歩いてガイの脇を通り抜けた。そこでまた足を止める。

「悪かったな……。なんか、みっともねぇところ見せちまって」

「いや……。だがルーク、お前、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫だ。心配すんなって。これからも戦う。殺られる前に殺って、うまく生き延びてみせる。……殺したことは、絶対に忘れねぇけど」

「おい……あまり自分を追い詰めるなよ。そりゃ、忘れようったって忘れられないだろうが……忘れたっていいんだぞ?」

 おのれを守るためには、時には忘却は必要だ。そうして少しずつ心をマヒさせて、人はそれに慣れていく。――でなければ、生きていくには辛いことが多すぎる。それは責任逃れとはまた少し違うことで、責められる筋合いのものではない。

 そう、ガイは言いたかったのだが。ルークは碧の目を不思議そうに――まるで小さな子供のようにきょとんと見開いて、「なんでだ?」と言ったのだ。

「人を殺すのは可能性を奪うってことで……恨みだって買う。その責任を、投げ出さず逃げ出さずに背負えって言ったのは、お前やティアじゃんか」

「確かにそうだが……」

 ガイは言葉に詰まった。その前で、ルークは目を伏せ、「俺は忘れない」と繰り返している。青ざめた顔色のままで。

 どんなひどい状況にでも、人はその内慣れる。それは卑俗で醜悪なことだが、生きる、ということでもあった。成長し、変化するということは、他を取り込み、それを混じらせて汚れていくということでもある。だが、目の前のこの少年は、その両手を血で真っ赤に汚しながらも、おのれ自身は赤ん坊のように白いまま、頑固に、ただの一滴もその汚濁を呑まず、妥協を赦さず、一色も染まってはいないのだ。

 それは、ひどく強いということなのか。それとも、あまりに弱いと言うべきことなのだろうか。

「お前ね……、妙なところで素直すぎるんだよ。余計なところじゃワガママなくせになぁ」

 途方に暮れてそう言ってやると、ムッとしたのか僅かに唇を尖らして睨んできた。その仕草がいかにも子供っぽくて、ガイはますます居たたまれない気分になり、ただ、いつものような陽気な笑みを、おのれの主人に向けて浮かべてみせた。






終わり

06/02/25 すわさき

*小学館のスーパーダッシュ文庫の『アビス』のノベライズを読んだら、長髪ルーク(の内面)が実にいい子で、急に書きたくなりました。

 セントビナー〜カイツールの、アニスと合流する前までの話。
 長髪ルークは、実はかなり好きです。子供で不器用で、自分の伝えたいことを周りに見せられなくて、周囲のこともよく見えなくて、何をしたらいいのかも分からないでもがいている、芽が出そうで出てない。その感じがとても好き。

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