乙女の秘密☆


「おい、ティア、いるか?」

 そう言いながらルークが扉を開けたのは、別に大した動機からではなかった。

 コーラル城での一件を終え、カイツール軍港から乗り込んだ連絡船。その船室でアイテムを一つ使おうとして、しかし手元になく、であればティアが持っているかもしれない、そう思っただけで。

 旅の仲間のうち、女性陣にあてがわれた一部屋は、しんと静まり返っていた。どうやらティアはいないようだ。

「……ん?」

 室内に視線を巡らせたルークは、窓際に小柄な人影があることに気がついた。いつもならルークの姿を認めるなり騒々しくまとわりついてくるものなのに、今は静かだ。……窓辺に置いた椅子に腰掛けて、窓枠にもたれて眠っている。

「アニス、寝てんのか」

 無造作に近付いて声を掛けたが、返事はなかった。よく眠っているようだ。

(どうすっかな……。起こして、アイテムを持ってるかどうか訊くか? ……いや、またベタベタくっつかれてもウゼェし)

 ルークにとってはいささか不可解なことだったが、アニスはやたらと感情表現の大げさな少女だった。大声でルークの名を呼び、甘えた声を出して、無遠慮に抱きついてくる。記憶にある限り、屋敷の誰にもそんな風に接されたことがなかったので、少しばかり落ち着かない。

(ホント、おかしなヤツだよな。よく独りごと言ってるし。……ま、でも、冷血女みたいに睨んで説教してこないだけマシだけど)

 そう思いながら眠るアニスを眺めていたルークの視線が、ある一点で止まった。……彼女の背に覆いかぶさった不気味可愛いヌイグルミ。アニス言うところの『トクナガ』に。

 最初にアニスを見た時、このヌイグルミを少しだけ奇異に感じた。

 外の世界の子供ガキってのは、こんな風に人形を背負って歩くもんなのか?

 しばらく街や村を歩けば、すぐに違うということは分かったが。では、十三歳にもなってヌイグルミを肌身離さず持ち歩いているアニスが子供っぽいのかというと、これも全然そうではなかった。

 未だ幼く小柄な少女だが、彼女は神託の盾オラクル騎士団に所属する、れっきとした軍人なのである。それも事務畑ではない。導師守護役フォンマスターガーディアンとして導師イオンを守護して戦う勇猛な戦士であった。

 カイツールの国境地帯で合流して、共にコーラル城へ向かった道すがら、初めてアニスの戦う姿を見た時の衝撃は忘れられない。というか、ズバリ度肝を抜かれた。藪の中から突然出てきた魔物よりサプライズだった。今まで散々イオンやジェイドに『アニスですから』『アニスなら大丈夫』『アニスが守ってもらう必要があるとは思えません』などと聞かされてはいたが、そこから漠然としていた想像を右斜め上四十五度にトリプルアクセルでカッ飛んで華麗に裏切ってくれた気がする。

 魔物に囲まれた時、アニスは背負っていたトクナガを素早く外して足元に置いた。――と。それがにょにょっと巨大化して、あまつさえ手足を振って歩き始めたのだ。更に、アニスはトクナガの背に足をかけて、立った状態で乗っていた。

 混戦の中をトクナガは短い足で駆け、長い手で魔物を薙ぎ払った。ヌイグルミのうえ爪もないというのにその拳は鋭く重く、小型の魔物であれば一撃で首を千切り飛ばすほどである。更に、その背に立ち乗りしたアニスは杖を振りながら可愛い声で譜文を唱え、ビシバシと強力な攻撃譜術を放ちまくった。

 殺るか殺られるか。ルークにとってはそんなギリギリの場所だった戦場に、ヌイグルミに乗った少女が参入。メルヘンなんだかシュールなんだか分からない。でも正直、いくらキモ凶悪な顔をしているとはいえ、ヌイグルミが人間を殺す場面は見たくなかった。これが外の世界の現実なのか……。また一つ何か大切なものを失った気がしたルークである。まあそれはともかく。

 戦闘が終わると、トクナガはしゅしゅっと縮んで元の大きさに戻り、アニスはそれを普段どおり背負って、何事もなかったかのように鼻歌を歌いながら歩き始めた。疑問は果てなく膨らんでいたが、仲間たちの誰もがあまりに平然としていたもので、訊くのは憚られる思いがしたものである。

 知らねぇのは俺だけかもしんねー……。

 だから、その疑問を口に出来たのは、この連絡船に乗り込んで一息つけた時だった。

「なあ、ティア、訊いていいか?」

 そう、隣にいたティアに尋ねる。

「あのさ、なんかみんな普通にしてるから訊きにくかったんだけど……。アニスの人形って、どうして動いてるんだ? 譜術か?」

「……さあ」

「さあ、って……」

 素気すげない返答に絶句していると、ガイがやはり声を潜めながら「俺も気になってたんだ」と割り込んできた。

「おい、ルーク。訊いて来いよ」

「俺が? んなのガイの仕事だろっつーの」

 使用人に命令されてお使いに行く主人なんて聞いたこともない。……が、ガイが女性に近付かれただけで震えだす女性恐怖症であることを思い出したルークは、ああそうか、と肩を落とした。特にアニスはどう行動するのか予測不能な危険人物だ。前触れもなく抱きつかれでもしたら、ガイは倒れてしまうかもしれない。んなことになったらメンドーだし。

 そんなわけで、ルークは前を行くアニスに近付いたのだった。ゴホン、と咳払いして声の調子を整えて。

「あー、アニス。ちょっと訊いていいか? そのヌイグルミ……」

「あ♥ ルーク様ぁ。えっと、トクナガのことですかぁ?」

「……トクナガ、ね。とにかくそれって、何でデカくなるんだ?」

「それはですねぇ。――乙女の秘密です☆」

「はぁ?」

「譜業の一種なんですけど、詳しいことはローレライ教団の秘密です。だから乙女の秘密なのです」

「……ってことらしいけど、ティア?」

 困り果てて、振り向いて解説を求めたのだが、ティアにはやっぱり愛想というものがなかった。

「私は人形士パペッターじゃないもの。分からないわ」

「アニスみたいに人形を操って戦う教団兵のことを、人形士パペッターと呼ぶらしいが……。人形が巨大化するってのは聞いたことないんだよなぁ」

 そう言って、ガイは「それにしても、譜業か」と考え込んでいる。思考が違う方向へ飛んで行っているのがルークにも分かった。

 そんなわけで、トクナガの謎は謎のまま、不可侵の神秘の領域へ隠れ去っていたのである。なにしろ乙女の秘密なので、ルークには計り知れようもない。

「だけど……すっげー気になるっての」

 もしかすると、今こそがその精神的しこりを解消する絶好の機会なのかもしれない。

 ルークはそっと手を伸ばした。トクナガに触れる。

(……手触りは普通のヌイグルミだよな。布地がわりと硬いけど)

「ん……」

 その時、アニスが微かに声を出して体を動かした。ビクーン! とルークの体が跳ねて、勢いでヌイグルミを引っ張ってしまう。すると留め具が緩みでもしたのか、するりとアニスの背から外れた。

「………」

 トクナガを持ったルークは、しばらくドキドキしながらアニスを見下ろしていたが、目を覚ましたわけではないらしい。はーっと息をついて、意識を手の中のヌイグルミに移した。

 どう見ても、ただのヌイグルミだ。どこかにスイッチがあるわけでもない。ひっくり返してみたり目のボタンを押してみたりしたが、何が起こるというわけでもない。

(譜業の一種だとか言ってたけど、音機関がくっついてるってわけでもねーじゃん。けど、じゃあなんでデカくなるんだ?)

「ん……?」

 ぐにぐにとヌイグルミを触っていたルークは、ゴツゴツした感触を感じて眉を顰めた。ヌイグルミの中心に小さな、けれど硬いものが入っている……?

「ダメですよぅ、ルーク様。トクナガをイジメちゃ」

「うぉあっ!!」

 咎める口調で名を呼ばれて、ルークは今度こそ心の底から驚いて飛びすさった。アニスが身を起こしており、琥珀の瞳でルークを見上げている。

「あ、いや、その、これは……」

 人の寝ている隙にその持ち物をいじり回していたという、どうにも気まずい状況なわけだが、どう対処すればいいのか混乱して、ルークはむしろムッとした表情を作った。

「ちょ、ちょっと気になったから触ってただけだ! おいアニス、なんでこの人形がデカくなんのか教えろよ!」

 ケチケチすんな、と強気で言ってみる。するとアニスは悲しげに表情を曇らせ、さっと顔をうつ伏せたではないか。

「うぅっ……。ひどいです、ルーク様。乙女の秘密だって言ったじゃないですかぁ」

「え!? あ……」

(泣いてんのか!?)

 こんな事態は全くの予想外だ。ルークはうろたえた。とにかく動揺した。

「あ、悪ぃ。別に、どうしても教えろっつーわけでも。けど、気になるだろ」

「……」

 アニスは泣き崩れるポーズをとったまま、しばしルークのそんな様子を窺っているようだったが、いつにも増して注意力のバラけたルークにそんなことが分かりようはずもない。

「と、とにかく悪かったよっ。泣くな!」

「……ルーク様ぁ。本当に悪かったって思ってますか?」

「お、おう!」

「じゃあ、私をルーク様のお嫁さんにして下さい♥」

「――はぁ!?」

 素っ頓狂にルークが叫ぶと、アニスは再び悲嘆に曇るポーズをとった。

「実は、トクナガの秘密を知られたら、その人のお嫁さんにしてもらわなきゃならないんですぅ」

「な、何で俺が……。って、トクナガの秘密って、結局謎のままじゃん」

「そんなぁ。ルーク様、トクナガにぐにぐに触りまくってたじゃないですか。あんなコトされて、アニスちゃん、もうお嫁に行けないっ。責任とって下さいますよね!?」

「う、あ、そうなのか!? けど、それは……」

「うるうるるぅ〜〜」

 自分の口で擬音を発しながら、アニスは両手を口元で握り、涙で潤ませた目でルークを見上げた。立ち上がってぐっと迫ってくる。

「ま、待てアニス。お嫁って、つまり結婚するってことだよな?」

「はいっ♥」

「でも俺、婚約者いるし」

「はぅあぁっ!? アニスちゃんショッーーク!!」

 いささか大げさに身をそらして、アニスが叫んだ。

「当面のライバルはティアさんくらいだと思ってたのに、まさか婚約者がいるとはっ。さっすが上流階級!? あっでもそっか、ルーク様、それって親が決めたとかそういうのですか?」

「あ? まあ、そうだけど」

「やっぱりっ♥ じゃ、オッケーですよ。婚約なんていつでも解消できますし、愛の前に障害はありませんもん」

 満面の笑顔で言うと、がば、とアニスはルークに抱きついた。勢いで後ろに転びそうになり、ルークは慌てて両足に力を込めて、少女の体を抱きとめる。

「って、いつお前との間に愛が生まれたんだよ!?」

「細かいことは気にしないない♪ ルーク様だってぇ、ご両親に言われるままに好きでもない人と結婚するなんてお嫌でしょ?」

「そりゃそうだけど。いや、だけどな」

「……はっ。まさかルーク様もその婚約者のことお好きだとか!?」

「だっ、誰があんな説教魔人のウゼェ女!」

 打てば響くかのごとき反応を返すと、アニスは歓声を上げて喜んだ。

「きゃわわわん♥ じゃあ、問題ありませんね」

「あるだろ、問題! 離せって」

「い・や・で・すぅ〜〜♥」

 ルークを抱きしめるアニスの腕に、ますます力がこもってくる。うわなんだこれ俺捕まえられた? 逃げられねぇ? こういう場合どうすりゃいいんだおいガイ教えろよってそうかここは女部屋だからガイは近寄ってすら来ないんだった。さっきから頭が煮立っている。いつにも増して考えられない。そんな感じにルークがぐるぐるとパニックに陥りかけた時。

 ガチャ、と船室の扉が開いた。ティアが入ってきたのだ。彼女は窓際で抱き合っている(ように見える)二人に気がつくと、ギクリと身をこわばらせた。

「ちょっ……、二人とも、なにやってるの!?」

 いつものクールな顔が、今は赤らんで大きく動いている。その顔のまま柳眉を逆立てた。

「それは、二人が何をしようと勝手だけど、ここは私の部屋でもあるのよ? 少しはわきまえてちょうだい。それにルーク、あなた確か婚約者がいるんでしょ。なのにそういう行動は最低だと思うわ」

「だーっ、うっせぇ、黙れ! つーか、これはそんなんじゃねぇっつーの!!」

「ルーク様ってば、そんなに照れなくてもいいのにぃ〜♥」

「お前もいいかげん調子にのんな!」

 などと喚いていると、開いていたままの扉から、ひょいとジェイドが覗いた。

「随分騒がしいですが……どうしました?」

 その後ろからイオンとミュウも顔を出す。「ん? ルーク、こっちにいるのか?」と、ガイまでもが姿を現した。

「おや……」「まあ……」「げっ……」

そして抱き合うルークとアニスを見て、それぞれの表情で驚いてみせる。

「公爵子息は随分と見境がない……いえ、発展家であられたようですねぇ」

「アニス、玉の輿計画順調ですね」

 ジェイドは眼鏡の位置を直しながらあからさまに失笑し、イオンは穏やかに微笑んだ。「仲良しさんですの〜」とミュウが顔をほころばせている。

「だーっ! だから、違うっての! アニス、離せよ!」

チッ。後もう一押しだったのに……

 何事か低い声でボソッと呟くと、アニスは万力のごときハグの手を緩めた。ホッと安堵の息をついたルークに、「ところでルーク様ぁ」と可愛らしい笑顔で片手を差し出す。

「なんだよ! まだなんかあんのか」

「トクナガ。返してください」

「……う」

 ルークは声を呑み、大人しく人形をアニスに手渡した。いつも物をぞんざいに扱いがちな彼にしては、非常に珍しい丁寧さだ。アニスはそれを元通り背に負った。

「これからは、勝手に触らないでくださいね。『乙女の秘密☆』なんですから!」

「わ、わーったよ!」

 言いながら二、三歩後ずさったルークに、後ろからガイの呆れたような声がかぶさった。

「おいルーク……。何度も言うが、お前にはナタリア姫がいるってことを忘れんなよ」

「あいつのコトなんてどーでもいいんだよ!」

「……姫が怒るぞ」

 短くガイが返すと、ルークは「うぐ」と声を詰まらせて見る間に青ざめた。何かを思い出したのかもしれない。

「…………馬鹿」

 小さく落とされたティアの呟きが、何故だかぐさっとルークの耳に刺さった。






06/03/29すわさき

終わり




*実際、アニス以外に人形士パペッターっているんでしょうか? いるとして、みんな人形を巨大化させるのでしょうか? 謎。

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