ドッペルゲンガーアルルは、MSX-2版『魔導』が初登場である。
当初はただの「ドッペルゲンガー」だったが、『はちゃめちゃ期末試験』以降は「ドッペルゲンガーアルル(ドッペルアルル)」という名前が定着した。
彼女はぷよ魔導全シリーズにおいて複数回登場し、それぞれで立場や性格が異なっている。
おおまかに分けると
鏡像型〜MSX-2版『魔導1』、PC-98版『魔導1、2』、GG版『魔導T』、PCE版『魔導T』
影分身型〜『アルルのルー』、MD版『魔導T』、『ぷよぷよ〜ん』
その他〜『はちゃめちゃ期末試験』
の三タイプに分けられるだろうか。
このうち、『はちゃめちゃ期末試験』に現れるものは
リリスの項で語ることにして、ここでは鏡像型と影分身型、二つのタイプのドッペルアルルについて分析してみよう。
●鏡像型〜鏡に映ったアルル
ドッペルアルルが初めて出現したのは、
アルルの魔導幼稚園の卒園試験の最中だった。
彼女はアルルとそっくりの姿をしていて、同じ魔法を使う。自意識のようなものは感じられない。他の魔物達と同じく、
先生の作り出したイリュージョンなのだろう。
PC-98版とPCE版の『魔導1』では、呪文学習用の設問として設定されたものらしく、本物のアルルの知らない魔法・ルアクウォイドを知っている。倒すことでその魔法を習得できるのだ。GG版では、単なるザコ敵として登場する。
PC-98版では『魔導2』にもドッペルが゙出現するが、ここでも彼女に自意識は感じられない。
しかし、ここで登場する魔物たちは試験用のイリュージョン・モンスターではなく、本物であるはずだ。相変わらず試験の最中ではあるものの、あくまで予想外の冒険、シェゾの介入によるアクシデントなのだから。だとすれば、このドッペルは何者なのだろうか?
一説には、ドッペルゲンガーは敵の姿をそっくり真似る魔物なのだという。つまり、このドッペルはアルルそっくりに変身した魔物なのだろうか。
いずれにせよ、これらのドッペルアルルたちは本物のアルルの声や動作をそっくり真似るばかりで、個性や自意識は感じられない。また、本物のアルルとは左右が逆になっており、左利きで、まさに鏡に映った像のようであるのが特徴だ。
●影分身型〜光を妬む 影のアルル
変わって、初めて「自意識を持って」現れたのが、GG版『アルルのルー』のドッペルアルルだ。なんと、彼女はラスボスとして出現する。
アルルが苦労して作ったカレーを食べようとすると、彼女は突然現れ、
「こんばんのキミのごはんがカレーなら… それをキミである ぼくがたべてもいいよね?」
と言い、アルルを突き飛ばしてカレーを独り占めしようとする。
このドッペルは、自意識があるとはいっても、アルルと自分の明確な区別が出来ていないらしい。アルルが怒ると、
「もォ! ぼくのくせにうるさいなぁ… こーしてやるッ!」
と襲い掛かってくる。
この発展形と思われるのが『ぷよぷよ〜ん』に登場するドッペルで、こちらもラスボスとして出現する。彼女は何故か
サタンの所持していた箱の中に封印されていたらしく、偶然封印を解かれて(?)出現。サタンを操って
カーバンクルを奪い、アルルを異次元空間に誘い込んだ。だが、そうすることで何をしたかったのかは説明されていない。その正体も目的も、全く謎の存在である。
真魔導設定では、『ぷよ』の世界は滅んだ魔導世界を偲んでサタンが一千年後に新創造したもの……となっているので、うがった見方をすれば、箱の中に入っていたアルルこそが本物の『魔導』のアルルだった……などという想像もできるだろうか。
ともあれ、戦いに勝ったアルルが
「キ、キミは… キミはいったい 誰なの?」
と尋ねると、このドッペルは
「フッ…つまらぬことを きく……。ボクは アルルだ! ……それいがいの なにものでもないっ!!」
と叫んで、消えてしまった。アルルと自分の区別がついていないどころか、むしろ自分が本物だと思っているかのようである。
続く『ぽけっとぷよぷよ〜ん』になると、彼女の目的は明確化する。
「にんきだけじゃない ボクはキミの すべてをうばう
キミをたおして ボクがアルルとして いきていくんだ
せかいにアルルは ひとりでいい
こんどはボクが カーバンクルと たのしく くらしていくのさ
キミはここで ひとりさびしく ジグソーパズルでも やっててもらうよ」
ついに、ドッペルは はっきりと
本体に対して牙をむいた。彼女はアルルと入れ替わり、自分が本物になろうとしているのだ。そして同時に、これまでドッペルが過ごして来た、空虚で孤独な生活が垣間見えもするのである。
しかしアルルはドッペルを倒し、彼女に言った。
「キミは ボクにはなれないよ
だって キミはキミだから
だれかのかわりなんて だれにもできないんだよ 」
アルルはドッペルと自分を同一視していない。あくまで別個の存在として扱っている。
これが頑迷で残酷なことなのか、惑わされぬ健康的な精神性なのかは、このドッペルが実際に何者なのか、という点で判断の分かれるところだろうが。
ともあれ、ドッペル自身は、この言葉で呪縛を解かれることになった。
これまでアルルと自分の区別がつかず、それゆえに妬み、アルルのものを奪おうとしていた彼女が、初めてアルルと自分が別の人格であることを認識し、一個の独立した存在として目覚めるに至ったのである。
「いつかまた あいにいくよ アルル
こんどは ボクがボクとして…ね
・・・ごめん・・・ありがとう・・・」
最後に こう言い残して、彼女はアルルの前から姿を消した。
このドッペルアルルは、実のところ何者だったのだろう。
単純に、アルルの心のダークな部分が実体化し、独立した存在なのだろうか。もしそうなら、本体に「
キミはボクには なれないよ」と言い切られてしまったのは、逆に無惨ではないかと思える。
そうではなく、「敵そっくりに変身する魔物」だったとするなら、あまりにアルルになりきりすぎて本来の自分を忘れてしまった、哀れな存在だったのかもしれない。アルルの言葉で目覚めて、ようやく自分を取り戻すことが出来たのだろう。
●ワルル
MD版『魔導T』には、やはり自意識を持ったドッペルゲンガーアルルが現れるのだが、なんと二つの性質に分裂している。「ワルル」と「やさしいドッペル」が存在し、優しい方は勝負を挑んできて、勝つとワープの呪文を教えてくれる。一方、ワルルは容姿や表情が本物とはやや違う、いわゆる「悪い子」で、万引きしてその罪をアルルになすりつけ、追ってきたアルルに強烈な眠りの魔法をかけて「幻夢の世界」に引きずり込んだりした。
ワルルはアルルに害をなす存在なのだが、しかし、『ぷよよん』のように本物と入れ替わろうとは思っていないようだ。自意識があるように見えるが、所詮は試験用のイリュージョンだということなのだろうか。とはいえ、単なるモノマネの鏡像アルルよりもよほど自律的な行動をしているように見え、強いて分類するなら「影分身アルル」だと判断している。(なお、MD版『魔導』にはザコ敵として鏡像的ドッペルアルルも登場する。)
ワルルは元々はコンパイルの機関誌『コンパイルクラブ』内のリレーマンガに登場したパロディキャラクターで、アルルに成り代わって様々な悪行動を行い、ブラックアルルとも呼ばれていたそうだ。まさに、影のアルルである。
このMD版ドッペルアルルたちのイメージが複合発展したのが『はちゃめちゃ期末試験』に現れる"自称"ドッペルゲンガーアルル、すなわちリリスだと思われる。
●紫
PC-98版『魔導』から『アルルのルー』までの最初期のドッペルアルルは、外見上は本物のアルルと全く変わらない。同じ顔、同じ表情で、同じ服を着ている。ただ、利き手が逆になっているだけだ。(MSX-2版『魔導1』の場合は、本物のアルルが魔導装甲を着ているのに対し、普段着のままで出現するが。)
ところがコンパイル晩期になると、アルルと色違いの服を着て、目つきが鋭く、髪がザンバラだったりマントがビリビリに破けていたりして、全体に荒んだ印象で描かれるようになった。
これは、製作側の持つドッペルへのイメージが、「鏡像」から「影分身」へと移行したためだと思われる。
色違いの服の色は、アルルの「青」に対して「紫」になっている。ニセモノが紫で塗られるのは、日本のサブカルチャーにおける伝統だろうか。
色による差別化が行われたのは、MD版『魔導T』が最初だ。以降、『はちゃめちゃ』、PCE版『魔導T』にも引き継がれ、『ぷよよん』では少し変化して「赤紫」で描かれた。
●宝箱からジャジャジャ ジャ〜ン
商業二次作品においては、二作品にドッペルアルルが登場する。
一つは、小学館の学習雑誌連載の漫画『とっても! ぷよぷよ』だ。ここでの彼女は古代に封じられた洞窟の奥、宝箱の中に入っていた。それを、アルルに気に入られようと先走ったサタンとその一行が解放してしまう。
現れたドッペルは闇に暗躍して、触れたもの全てを機械に変えてしまうメカぷよを送り出したり、ルルーをそそのかしてアルルの姿を手鏡の中に封じ込めさせたりした。強力なじゅげむでメカぷよを破壊したアルルを、邪魔者だと判断したらしい。
姿を奪われたアルルはぷよぷよの姿に変わり、魔法を失った。その隙に、ドッペルは「世界じゅう ぷよ化大作戦」を実行し、村人たちを大連鎖で消し去ろうとしていたのである。
陰謀はサタン、ルルー、アルル、そしてぷよぷよたちの活躍でくじかれたが、なんと、このドッペルアルルの正体こそが小さな岩ぷよ(小石ぷよ?)だったのだ。太古に同じことをして封印されていたらしい。
このドッペルは、アルルの姿で登場して悪事を働くものの、正体は「ぷよ」だし、作中でも「ドッペルゲンガーアルル」とは名乗りも呼ばれもしていない。厳密にはドッペルとは言えない存在である。
しかし、箱の中に封印されていたのがサタンのために解放されるなど、もしや『ぷよぷよ〜ん』のドッペルアルルストーリーの原型なのではないかと思わされる。(漫画の方が少し先に発表されていたはずであるが……。)
もう一つは、晩期の『DS』に連載されていた漫画『初めての
v まどうものがたり』だ。ここでのドッペルは「
いわゆるニセ物。本物とすりかわるために日夜、悪事をはたらく。…らしい。」と紹介されている。
このドッペルも、やはり封印されていた宝箱の中から現れる。(こちらは『ぷよよん』の一年後の掲載なので、ゲームの影響を受けているのは確実である。)大きな地下迷宮に修行にやって来たアルルが「
あけるなキケン」と書かれて封印された宝箱を見て「
じゃ あけてみよー!!」と元気に開けると、白い煙が噴き出し、アルルとカーバンクルに黒い鼻髭が生えてしまう。(しかし、アルルたちは意に介さない。)その隙に箱から抜け出したドッペルアルルは、物陰で"
にや"と笑うのであった。
ところが、このドッペルは何故かロボットのようにぎこちない動きをしていて、言葉もロボット語のような繰り返しの片言しか話せない。そして、頭にちょんまげがあったり、変なつんつるてんの着物を着ていたり、アルルのそっくりさんではあるものの、あからさまにパチもんくさい。
しかしシェゾはそれを見抜けず、本人が「
ぼぼぼっ ぼくアルル ぼくアルルアルル」と言うのを真に受けて「
はっ! アルルかっ! ならばっ!! お前の魔力が欲しいっ!!」と言う。……するとドッペルは頬を赤らめ、いそいそと着物を脱いで下着姿になり、「
わーっ おい! なぜ脱ぐっ!? ってゆーか今日はセリフまちがえてないぞっ!」とシェゾを慌てさせるのであった。シェゾがタイプだったのであろうか。
ちなみに、シェゾも認めた本物とニセモノを見分ける判別点は、カーバンクルを連れているか否か、ということである。ドッペルは黄ぷよを三匹つなげて無理やりカーバンクルモドキを作ってはいたが……。
だから、『ぷよよん』ではカーバンクルを誘拐したのだろうか?
こんなわけで、商業二次作品のドッペルアルルは、いずれも遺跡の宝箱の中に封印されており、それが解放されたために現れた存在なのだった。
……つまりアルルの影分身というわけではなく、たまたまアルルの姿を盗んだというだけの魔物なのである。
●伝承の世界
ドッペルゲンガーはドイツの伝承に現れる「怪異」である。ドッペル Doppel
とは「二重、重複、双つの」という意味であり、ゲンガー gänger は「行く人、歩く人」となる。つまり、「
二重に歩く人」というのがその名前の意味だ。
これは、同時刻の離れた場所に同じ人間が出現する現象で、不吉なこととされ、ドッペルゲンガーが現れると――ことに、本人が「もう一人の自分」に遭遇してしまうと、その人物はまもなく死を迎えると言われて恐れられた。
実は、この怪異はドイツだけで伝えられているわけではない。私の知る限りでも西欧の各国、日本においても、全く同様の怪異が伝えられている。
例えば、江戸時代の『奥州波奈志』という随筆に、「影の病」という話が載っている。
北勇治という男が外から帰り、自分の部屋の戸を開けると、誰かが自分の文机に寄りかかっている。誰だろう、主人のいない間に図々しいことだと思ってよくよく見ると、その男の身に着けている着物や帯は普段自分が愛用しているものと同じである。更に、髪の結い方、手指の形など、自分の後姿を見たことは無いけれども、自分自身と寸分変わらぬように思われた。
「よし、顔を見てやろう」と思い、つかつかと歩み寄ると、その男は後ろ向きのまま、細く開いた障子の隙間に吸い込まれるようにして、すっと外へ走り出てしまった。追って障子を開けたが、その時にはもう、男の姿は影も形も見えなくなっていたのである。
あまりに不思議なことなので老母に話すと、老母は眉をひそめ、ものも言わずに打ち萎れている……。
それからすぐに勇治は病になり、その年の内に死んだ。
実は、北家ではこれまでに三代、主人が己の姿を見ている。そして、必ずその直後に死んでいたのだった。
ドッペルゲンガーの体験談は、現代では「私の恐怖体験」のような投稿文で非常にしばしば見かける。殆どは、自分は別の場所にいたのに、友達や親が自分を見た、一緒にいたと言う、という話である。
これらの体験談の場合、本人の投稿なのだから当然なのだが、ドッペルゲンガーを見たために死んだ、というくだりは入っていない。
伝承では「見ると ただちに死ぬ」となっているのだが、様々な事例を見る限り、必ず死ぬというわけではないらしい。
ゲーテの『詩と真実』第三部には、ゲーテ自身のこんな体験談が書かれている。
ゲーテが大学生の時、近くの村の娘フリーデリケと恋仲になったが、卒業すれば別れねばならず、その時が近づいていた。
ある日も彼女と逢い、悶々と悩みながら馬に乗って田舎道を進んでいると、道の向こうから、やはり馬に乗って近づいてくる男がある。なんと、それは自分自身ではないか!
奇妙なことに、その男は今まで自分がしたことも無い服装をしていた。幻かと思って頭を振ると、その男はたちまち消えうせた。
しかし、それから八年後。ゲーテが再びフリーデリケに逢うべくその道を通ったとき、彼はそれに気がついた。その時の彼は、八年前に見た幻の男と、そっくり同じ服装をしていたのである。
また、作家の芥川龍之介も、ドッペルゲンガーを見た経験があると語っていたそうである。
ドッペルゲンガーは、一般に「生霊」であると考えられている。抜け出した魂と共に、「多重になって歩く者」、つまりは「魂の抜けかけた人」なのだ。
体から生霊が抜け出すのは、死が近づいている時に多い……という思想が、どの程度の範囲にどのくらいの深さで有るものなのか、寡聞にして私は知らない。しかし、近年の「私の体験談」系記事の霊能者による解説などには、そのように書かれているものを見かける。また、松谷みよ子の聞き取りした現代民話を参照しても、やはり死の前に魂が抜け出す話は多い。面白いのは、突然の事故死であるにもかかわらず、その魂が抜け出して予兆を示すという話だ。
宮城県女川での話。明治三十五年、指ノ浜の共同墓地の向かいの畑を借りて、そこに小屋掛けして泊り込んでいる人がいた。ところが、毎晩、向かいの墓地でホイホイホイホイとはやす声が聞こえ、ザワザワ寂しそうに話し合う声がする。それでそっと外を見ると、墓の上を光り物がヒョイヒョイ飛んでいた。ぞっとして、これは何かが起こる、と言っていたところ、ある日、荒浜の沖で漁船が沈み、乗っていた十三人全員が死んだ。村中が乗っていたようなもので、乗らないでいたのはほんの二、三人だったという。葬式が済むと、飛び回っていた火の玉はパタリとおさまった。
同様の話は他にも紹介されており、昭和二十一年三月、女川港で巡航船が転覆して多くの乗客が死ぬ大事故が起こったが、その以前に、近くの寺へ向かう道を毎夜毎夜、明かりをつけたり消したりしながら、長い行列がゾロゾロと歩いたのだという。事故後、その寺で三十数人の葬式が行われたが、それこそ葬列が大名行列のようだった。埋葬が済むと、火の玉の行列はパタッと出なくなった。
このように、人の魂は死の前に抜け出す、予兆を見せるという思想があり、それがドッペルゲンガー(生霊)の伝承を生んだのではないかと思う。
ドッペルゲンガーは、彼自身の魂である。足元の影のように、どこへ行くにも付いて来る。
一説によれば、胎盤またはへその緒の中には赤ん坊と対の関係にある魂が宿っており、いわば生命を司っている。日本の言葉で言えば、「
魂」に対する「
魄」といったところか。呪術を用いれば、それが生きて形を成して、終生 兄弟の後を付いて行く。これがドッペルゲンガーなのだという。
ケルトでは同様の怪異はコー・ウォーカー(共に歩く者)、あるいはワッフと呼ばれ、妖精(魔物)の仕業だと考えられていた。彼らは狙った人間とそっくり同じ姿をして現れる。そして、やはり死の前兆であるという。しかしこの魔物は臆病らしく、怒鳴りつければスゴスゴと退散するのだそうだ。気迫が死の運命すらも遠ざける、ということだろうか。