まず最初にお断りしていなければならないことがあります。
 ここから紹介する文化英雄神オキクルミは、地域により話により生い立ちや家族構成や性格や行ったことがまるで異なっていて矛盾しており、統合されていません。アイヌラックルを始めとする他の文化英雄神と混同されたり、日本本土の伝承と交じり合って義経や弁慶と同一視されたり、巨神の国造神と同一神であると語られることもあります。
 ややこしいので、話を読みやすくするために、このコーナーでは「天から若者の姿で降りてきた文化神」をオキクルミ、「地上で義姉に育てられた英雄神」をアイヌラックル、その腹違いの兄弟神をサマイュンクル、「人間の英雄」をポィヤンペと、少し強引ですが固定して語ります。その点をどうか予めご了承ください。


オキクルミ〜稗種を盗んだ神


 神の国にオキクルミという神がいました。知恵も力もある若い男神でした。

 ある日のこと、オキクルミは下界に新しく創造された人間界アイヌモシリについて、父神と母神が話しているのを聞きました。なんでも、その世界の山は美しく、川は透き通って川底の石が虹のように輝き、小鳥の声は神の国でも聞くことが出来ないほどの美しさだとか。……ただし、世界モシリと共に創造された人間アイヌは、未だ火の起こし方も弓矢の作り方も知らないというのでした。

 これを聞いたオキクルミは、どうしても人間界に行きたくて堪らなくなりました。

「父上、ぜひとも私を下界へ行かせてください。行って人間たちに生活のすべを教えさせてください」

 オキクルミがこう言うと、父神は一瞬驚いた顔をしたものの、じっと息子の顔を見つめて言いました。

「よく聞けオキクルミ。下界へ行くというのは良いこと尽くめではないのだ。これまでにも沢山の神が希望したが、みんな下界へ行くための三つの試練に耐え切れずに脱落した。その試練とは、まずはひどい暑さに耐え、次にひどい寒さに耐え、最後にどんなことがあっても笑ってはならぬというものだ。これまでに暑さで死んだ神もいれば寒さで凍ってしまった神もいる。三番目の笑わぬ試練には挑戦すらできた者がいない。お前はこれらに耐えることができるのか?」

「きっと耐えてみせます。三つの試練を受けさせてください!」

 父神は頼もしげに息子を見て、「お前ならきっとやり抜けるだろう」と言って、神々に試練を申し込みました。

 試練の一日目。

 大勢の神々の前にオキクルミは座りました。どういうわけかオキクルミの座った辺りに射す日の光だけが異常に暑く、オキクルミの背中は焼け焦げて今にも剥げ落ちそうになり、目玉は溶けそうになりました。オキクルミは両手で目を覆ってそれを防ぎましたが、するとその両腕が焦げて、鹿の串焼きのような匂いが辺りに漂うのでした。

 オキクルミはそれでも耐えました。陰の方で見ていた母神は、息子の焦げる匂いに思わず顔を覆いました。――その時、「よし、今日はここまで」という声がかかり、太陽の光は和らぎました。

 オキクルミは立ち上がろうとしましたが、全身がひどい火傷で、なかなか立ち上がれませんでした。それでも、人間界に一歩近づいたのだと思って、力を振り絞って立ちました。

 試練の二日目。

 神々の前に座るオキクルミの辺りは、前日とは正反対に酷寒でした。まず冷たい風が吹き始めて見る見る霜柱が立ち、同時にみぞれが降ってオキクルミの体にへばりつき、凍り付いて、特に耳たぶなどは千切れ落ちそうな痛さでした。オキクルミは両手で耳たぶを押さえましたが、風の強さも寒気もますます強まり、みぞれは雪に変わっていきます。このままでは本当に凍死すると思ったオキクルミは座ったまま前に体を倒し、両膝の上にうつぶせになって、雪ダルマのようになりながらも じっと耐え続けました。とうとう身動きも出来なくなった頃、ようやく「それまで」と神々の声がかかりました。

 試練の三日目。

 とうとう最後の試練です。オキクルミは「今日一日だけだ。どんなことがあっても笑うまい」と決意して神々の前に座りました。今までで一番沢山の神々が集まっていました。

「オキクルミよ、何があっても笑ってはならぬぞ」

 そう言うなり、神々は彼の周りを輪になって囲みました。その輪の中に二柱の神が飛び出してきて、周りの神々はドッと笑いました。それは、若い素裸の男神と女神だったからです。

 そのまま、二柱の神は奇妙な遊びを始めました。裸のまま四つんばいになって歩き、女神の後ろに男神が続きます。男神は女神のお尻や首筋を鼻先で突いたりクンクン嗅いだりして、時折、片足を上げてオシッコをする仕草をします。どうやら発情期のメス犬とオス犬の仕草を真似ているようです。神々は手を叩き足を踏み鳴らして笑い転げましたが、オキクルミは断固として仏頂面を続けました。

 やがて男神と女神は互いの大事なところをペロペロと舐めあって、男神が四つんばいの女神の後ろからのしかかり、大事なところを押し当てて、力強くセキレイの尾の仕草を始めました。見ていた神々は もはや笑うのも忘れて息を呑み、ある神は顔を赤らめて目をそむけ、ある神は身をよじって座り込みます。このセキレイの仕草がどのくらい続いたか。ようやく男神は女神の背中から降りましたが、まだまだ名演技は終わりません。いわゆる犬のけつびき――男神と女神はお尻でくっついたまま、離れるに離れられずに互いに引き合い、切ない鳴き声をもらしました。その様子に再び神々は大爆笑。どんなに転げまわっても大事なところだけは決して離れない名演技に笑い転げます。

 ここに至って、若いオキクルミは仏頂面を続けることが出来ず、とうとう、「グスッ」と一声だけ笑い声を漏らしてしまいました。

「そーら、オキクルミが笑った。もう人間界に降りて行けないぞ」

 神々がはやしたて、オキクルミは悔し涙を早瀬のように流しました。

 あれほどの試練に耐えながら、たったこれだけのことで諦めなければならないとは……。いや、諦めてなるものか。私は絶対に人間界へ行くのだ。

 オキクルミは、密かに逃亡を決意したのです。

 その夜。オキクルミは父神と母神が大事にしていた稗の種を一掴み盗み出すと、ふくらはぎに傷をつけてその中に隠しました。そうして闇にまぎれて下界へ旅立とうとしたのですが。

「オキクルミが稗種を盗んで下界へ行くぞ!」

 大声で叫んだのは、戸口にいた犬でした。怒ったオキクルミは咄嗟に灰を掴むと、犬の口の中に投げ込みました。

「お前なんか、もう二度と口がきけないようにしてやる! 下界に行って、鹿を追いかける手伝いでもするがいい」

 そうして、人間界へ向かって飛び出したのです。

 これ以来、犬は口がきけなくなって、ただ「ワンワン」と吠えながら人間の狩りの手伝いをするようになったのでした。

 

 また、食物の起源に関しては、こんな話もあります。

 ある集落の長のもとに奇妙な噂が伝わってきました。東の方から丸禿の女がやって来ては村々の長を訪ね、借りた鍋に自分の頭のかさぶたを掻き落としてはそれを煮込んで(または、借りたお椀に糞をして)食べろと勧め、汚がって食べないと怒って談判チャランケして家の宝物を取り上げていくというのです。果たして、まもなく噂で聞いたような女がやってきて、頭のかさぶたを鍋に掻き落として煮て、ドロドロした中身をお椀に盛って出してきました。長は身震いするほど汚いと思いましたが、匂いはよかったので、思い切って食べました。すると素晴らしく美味しいので、奥さんにも勧めて、お代わりするほどでした。その晩、女は家に泊まりましたが、醜いかさぶた頭から一転した美しい髪を垂らした姿で長の夢に現われて、こう言いました。

「私は姥百合のカムイです。あなたに私の肉を食べてもらえたおかげで、やっと神の国に帰ることが出来ます。国造神が人間界を造ったとき、人間の食料として私は作られました。けれども、人間たちは獣を獲って食べるばかりで、誰も私を食べてくれませんでした。人間に食べてもらうためにこの国土に生えているのに、生えては腐り落ちるばかりで、神の国に帰ることが出来ません。ですから、自分で自分を料理して人間の村を訪ね歩き始めたのですが、姥百合は料理するとかさぶたのようになるので、なおさら誰も食べてくれなかったのでした。

 私の料理の仕方はあなたの奥さんに夢で見せますから、他の人たちも呼んで教えてあげなさい。女たちがそれを覚えたなら、どんな飢餓のときにも生き延びることが出来るでしょう……」

 長が目を覚ますと、女が寝ていたところに、今までいくらでもあって踏みつけていた草がありました。食べるに困っていたときも、この草が食べられることも、あんなに美味しいということも知らないでいたのでした。また、姥百合の精が背負ってきた荷物を解いてみると、それは今まで姥百合の精が取り上げてきた、色んな長の家の宝物でした。

 こうして、長はこのことを近隣の村の人々に伝えて感謝され、宝物も譲り受けて、幸福に暮らしたということです。




オキクルミ〜人間と文明


 死ぬほどの試練を越えてオキクルミが降りてきた人間界は本当に美しい世界で、人間たちも善良でした。オキクルミは、様々な生活の知恵を人間たちに教えました。

 石と鉄の火花で火を起こす方法と火種の保存の仕方。

 竪穴式住居に大黒柱を立て、天井を高くして住み易く。

 川で魚を獲るときにマレという鉤にも銛にもなる道具を使うこと。

 山で獣を獲るとき弓矢を使うこと。また、トリカブトの矢毒の作り方。

 なお、オキクルミが最初に人間に与えた弓矢は自動追尾式で、足跡を発見した場所で射れば勝手に追いかけていって仕留めてくれるという便利なものでしたが、人間があまりに怠惰になって矢を無駄にすることが多くなったので、後で目の前の獲物しか射抜けない矢に作り変えてしまいました。

 神の国から一掴みだけ持ってきた稗も順調にえましたので、オキクルミは稗から酒を作ること、桶いっぱいの酒で神を祀ることを教え、柳の木で木幣イナウを作ることも教えました。

「木幣を供えれば、神々は喜んでお前たちを守ってくれるのだ。何故って、かつて私より前に降りてきてこの世界を造った神が、地上でご飯を食べるときに使った箸を大地に突き刺して神の国に帰った。その箸が柳になったのだからね」

 説明になっていないような気がするのですが、みんな納得しているみたいです。

 

 さて、一通り生活の知恵を授けてしまったので、オキクルミは綺麗なお嫁さんを貰いました。そうして人間の集落に近い沙流側のほとりに住居を構え、今までのことを思い返しては、神の国での試練は全て人間界での暮らしに役立つことであったのだ、と改めて感謝するのでした。――セキレイの尾の仕草、大変参考になったようですね。

 

 ところが、この平和な人間界に大変なことが起こりました。ある冬のこと、今まで見たことも聞いたこともないような大雪が降り始めたのです。雪のひとひらが大人のこぶしほどもあり、一晩で家も埋まるほど。二晩目には家の屋根も見えなくなり、野山の鹿もみんな凍え死んでしまいました。春になると雪は溶けましたが、鹿の死骸はみんな腐っていて、もう食べることは出来ません。生きている鹿を見かけることがまるでなくなってしまい、鹿肉が食べ物の中心だった人間たちはみんな飢えて弱り果て、外を出歩ける元気のある者すら殆どいなくなってしまいました。

 それを見たオキクルミは、自分の食べ物を減らして人間たちに食べさせました。最初は干し肉や干し魚を配りましたが、無くなったので、稗のご飯を大きなお椀に山盛りにして、夜になると妻に持たせて一軒一軒配って歩かせました。夜になると家々の上座の窓から美しい手が差し出され、ご飯山盛りのお椀が配られたので、人間たちは手しか見えない神からの贈り物を感謝しながら受け取っていました。

 ところが、人間たちの中にあまり心映えのよくない若者がいました。お椀を差し出す女神の手があまりに綺麗なので、いつか握ってやろうと考えていたのです。そしてある夜、いつものように美しい手が差し出されたとき、待ち構えていた若者はお椀を取らずに手を捕まえました。途端に大爆音が響き、家の屋根もろとも、若者は吹き飛ばされてしまいました。

 それっきり、怒ったオキクルミ夫婦は人間界から立ち去り、神の国に帰ってしまいました。妻の使っていた箕だけが残され、形の崖ノカピラという岩になりました。今、近くを流れる川が額平ヌカピラ川と呼ばれるのは、この話にちなんでいるのです。

 

 神の国に帰る時、それでも心配だったのでしょう、オキクルミは「留守番の神」を作っていきました。ロボットみたいなものでしょうか? それはヨモギを束にした人形で、名前をノヤウタサプといいました。かつて国造神が魔神と戦わせたというノヤイモシカムイと同じようなもののようです。ヨモギは人間界に最初に生えた草ですから、どんな魔物も勝てません。ヨモギで作られた神の刀や槍で倒された魔物は決して生き返らないと言われるほどです。それに、ノヤウタサプには胸のほかに両手両足に心臓(燠を清水に浸して作った炭)があって、普通の神の五倍の強さがありました。この神は今の平取町の川向こうにあるアベツという丘にいて、そのために沙流川流域は病神も避けて通るといわれています。

 年に一度だけ、秋になると、オキクルミが木幣の材料を伐りに沙流川にやってきます。その時、沙流川の川尻で一回だけ「ドカン」と雷の音が聞こえます。そんな時この地方の年寄りは、「オキクルミカムイが人間の集落に来ているのだから静かにするものだよ」と、子供たちに言い聞かせているそうです。

 

 なお、こんな話もあります。

 地上に人間が生まれたばかりの頃、人間たちは火も道具も、道徳も知りませんでした。

 熊でも鹿でも鮭でも獲物の肉を生で食べ、人間同士で戦争があれば、勝者が敗者の肉を食べることすらしばしば行われました。

 そんな時、アイヌの守り神であるオキクルミが天から降臨し、人間たちと共に暮らしながら、肉を火で調理することを教え、道具の作り方を教え、人間が殺し合って互いの肉を食べるという悪習をやめさせました。

 こうして、人間が文化的な暮らしを送るようになると、オキクルミは再び天に帰っていったということです。




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 ……やらしー。なんだかよく分かんないけど なんとなく やらしーやらしーやらしー。
 まぁ、あくまで演技ですから。(ちょっと刺激が強すぎたかしら……)
 ほら、日本本土の神話で、天の岩戸の前でも似たようなことがありましたよね。
 天宇受売命アメのウズメのミコトのエッチなダンスショー?
 性的な見世物は、神も魔物も人も問わずに思わず頬をほころばせる、魔法の効果があるんですよ。
 でもやっぱり、やらしーやらしーやらしー。
 まぁまぁ……。
 それより、また穀物盗みの話が出てきましたね。
 そっか、沖縄地方の神話で見たよね。
 オキクルミって、ギリシア神話のプロメテウスみたいな感じ。天の神に逆らって、人間のために何かを盗んできて……。プロメテウスや沖縄の島建国建みたいに罰されてはいないけど。
 犬が代わりに罰されているのですよね。弘法大師の麦盗み伝説と同じく。
 同じ天から降りてくるのに、日本本土の天孫降臨とは全然感じが違う。日本本土のだと指名制で、指名された神がぐずぐず嫌がったりして。アイヌの神話だと立候補制で、なのになかなか降ろしてもらえない。日本本土の神話の神様は降りた後に地上や人間を支配するけれど、アイヌの神様は知識を授けたら帰っちゃう。
 すごく平和的って言うか、神様と人間が一緒に並びながら はっきり別れてる感じ。支配欲ギラギラの神様がいない。なんだか、今までの神話の神様と違う感じがするよ。
 アイヌのカムイは、人間にとってもっと身近な存在だったようですね。
 神は神の国では人間と同じ姿をしていますが、地上に降りてくるときには鳥や獣や魚の皮をまとって、それらになりきって現われます。それは、人間たちに食料として己の肉体を与えるためなのです。それらを獲って殺して食べることは、獣の皮に閉じ込められた神の魂を開放して神の国に帰してあげることでもありました。
 ですから、アイヌの人たちは獲物を手厚く祀って神送りする儀式を行い、食べ物をいただくことに大きく感謝していたんですよ。
 感謝の気持ち、かぁ……。大事なことだよね。 


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