アイヌラックル〜炎からの誕生


 はるか昔のことです。日高の山々から流れ出す沙流川のほとり、ハヨピラの崖の上の館に、優しく若い養い姉と一緒に、アイヌラックルという少年神が住んでいました。

 大きな館の中には様々な宝が光り輝いて積み重ねられ、宝太刀についた麗しい飾りのふさは ゆらゆらとそよいでいます。そんな中で、小さなアイヌラックルは来る日も来る日も、刀の鞘に小刀マキリで彫刻をしていました。

 ある日のこと、養い姉が言いました。

「アイヌラックル、たまには外に遊びに行ってらっしゃい」

 そこで、アイヌラックルはうず高く積まれた宝の上から子供用の小さな銀の弓を取り、小さな銀の矢を取って、それを持って遊びに出かけました。

 川の流れに沿って遡っていくと、川には鮭たちが溢れ、押し合いへし合い、キラキラと水を跳ね飛ばして、上になった鮭は「お日様で背中が焦げるよぅ」と言い、下になった鮭は「川底でお腹がすれるよぅ」と言い、大変な騒ぎです。山には雄鹿に雌鹿、チョンチョン跳ねる子鹿が駆け回っていて、その有様は動く林のよう、白く吐き出される息は霧のようです。

 その時、アイヌラックルの前に、魔神の子が現われました。黒い服を着ていて、いつ見ても美しい姿をしています。

「アイヌラックル、遊ぼう。見てなよ、鮭を一匹残らず根絶やしにしてやるから」

 魔神の子は、胡桃の弓に胡桃の矢をつがえて、川上めがけてハッシと打ち込みました。すると胡桃の木の毒が流れ出し、川の水が白くにごって、鮭たちは泣き苦しみながら川下へ押し戻されていくではありませんか。

「何をするんだ!」

 喜んで笑っている魔神の子に怒ると、アイヌラックルは銀の弓に銀の矢をつがえて、川上の水源めがけてハッシと矢を打ち込みました。すると見る見る清らかな水が流れ出し、流されていった鮭たちは元気を取り戻して、またビチビチ騒ぎながら川を上ってきました。

 魔神の子は美しい顔に怒りの炎をめらめらと燃やし、

「よし、お前がその気なら、今度は鹿を根絶やしだ」

と、空に向かって胡桃の矢をハッシと打ち込みました、すると、つむじ風がどっと吹いて、雄鹿は雄鹿の群れで、雌鹿は雌鹿の群れで、子鹿は子鹿たちで、別々に綺麗に並んで空に吹き上げられていきます。魔神の子は声を上げて笑いました。

「何をする!」

 それを見るなり、アイヌラックルは銀の矢をハッシと空の果てに打ち込みました。すると、空の果てから透き通った清らかな風が吹き出し、雄鹿の群れ、雌鹿の群れ、そして子鹿たちを、山の原へ静かに吹き降ろしました。

 魔神の子は怒りのあまり顔色を青くしたり紫にしたりして、パッと上着を投げ捨てて叫びました。

「来い、力比べだ!」

 アイヌラックルも「おう」と叫んで、上着を投げ捨てると、神の子と魔神の子はがっぷと組み合いました。上になり下になり、さすがのアイヌラックルも危ないかと思われましたが、全身の力を出し切って、魔神の子を頭の上に持ち上げました。怒りに燃えた魔神の子の体は焼けた鉄のように熱くなり、髪の毛は蛇となって絡みつき、喉を締め上げます。死にそうになりながらもアイヌラックルは決して手を離さず、そのまま一歩一歩、ゆっくりと岩山を登り、その頂に立つと、最後の力を振り絞り、巻きついた蛇を引き千切って、魔神の子をまっさかさまに谷めがけて投げ落としました。――やがて、ドォンという音が辺りにこだまして、消えました。

 アイヌラックルはホッと大きな息をしました。すると、巻きついたまま千切れた蛇たちがバラバラと下に落ちて、汚い金くずになりました。

 アイヌラックルは銀の弓と銀の矢を持ち、のんびりと道を戻りました。すると、川には鮭たちが溢れ、押し合いへし合い、キラキラと水を跳ね飛ばして、上になった鮭は「お日様で背中が焦げるよぅ」と言い、下になった鮭は「川底でお腹がすれるよぅ」と言い、大変な騒ぎです。山には雄鹿に雌鹿、チョンチョン跳ねる子鹿が駆け回っていて、その有様は動く林のよう、白く吐き出される息は霧のようです。

 その様子を見て、アイヌラックルは満足して館に戻りました。

 若い養い姉、優しい養い姉は、何もかもを もう知っていました。小さなアイヌラックルを抱きしめて、

「それでこそ神の子です」

と言いました。

 

 そんなある日のこと。アイヌラックルが川に沿ってどんどん歩いていると、岸辺の大きな岩の上に、見たこともない美しい小鳥が川上から飛んできて止まって、綺麗な声で鳴き始めました。

「綺麗な鳥だな。それに、なんて美しい声なんだろう」

 アイヌラックルが聞きほれていると、今度は川下から別の小鳥が飛んできて、やはり大岩の上にふわりと止まりました。途端に、二羽の小鳥は美しい二人の娘になって、かしましくおしゃべりを始めました。

「川上のソーコロカムイのお嬢さん、お久しぶり。お変わりないですか」

「ありがとう、川下のワッカウシカムイのお嬢さん。あなたもお変わりなくて結構ね」

 聞くともなしに聞き耳を立てていると、なにやら自分のことが話題にされているようです。

「沙流側のほとりの屋敷に住んでいるという、"大鍋抱え・棚荒らし、村焼き・国焦がし"の息子のアイヌラックルは、一体どんな程度の若者なのかしらね。なんでも、小鳥の私にお似合いだと言ってくれる人がいるから、このように着物を縫って持ってきたんですけれど」

「あらあら、そんなことを言ってはいけないわよ。彼はなかなかの人物で、神々の中でもずば抜けて偉いそうですから。そんな風に悪口を叩いて怒らせたら大変よ」

「――なにを、生意気な鳥どもめ」

 ムッとしたアイヌラックルは目にも留まらぬ速さで刀を抜いて切りつけましたが、どこへ飛んだか隠れたのか、あっというまに娘たちの姿は消えていました。岩の上には立派な着物が置いてありましたが、「きっと、あのワッカウシカムイの娘だかか置いていったに違いない」と思うとムカムカしてきて、着物を引き裂いて川の中に投げ込み、長いこと岩の上に座って考え込んでいました。

("大鍋抱え・棚荒らし、村焼き・国焦がし"の息子って、何のことだろう。意味は解らないが、なんだか、ひどい言いがかりを付けられた気がする。)

 アイヌラックルは館に帰りましたが、イライラしてご飯もあまり喉を通りません。心配して、養い姉が訊きました。

「まぁ、どうしたのですか、そんなに腹を立てて」

「だって姉さん、小鳥の娘たちがオレのことを『"大鍋抱え・棚荒らし、村焼き・国焦がし"の息子』と言って馬鹿にするんだ」

「あら……」

 それを聞くと、美しい養い姉はしなやかな手で口元を押さえて くすくすと笑いました。

「なにがおかしいのさ。姉さんまでオレを馬鹿にするの?」

「いいえ、アイヌラックル。それはあなたを馬鹿にした呼び名ではありませんもの」

 そう言って、養い姉はこんな話を話し始めました。

「その昔、国造神コタンカラカムイがこの地上アイヌモシリをお造りになった時、草木もなく、大変寂しく思われました。そこで、春楡チキサニの木の女神が降臨されたのです。この春楡は地上に最初に根を下ろした大木で、その精霊たるチキサニ姫の美しさは天上の神々の間でも評判になるほどでした。

 ところで、その頃 一番高い天を治めていたのは国造神コタンカラカムイ雷神カンナカムイの兄弟神でしたが、なかでも弟の雷神はチキサニ姫に強く惹かれておりました。ある夜、雷神はこっそりと六重の雲を掻き分けて地上に降り、姫に結婚を申し込んだのです。姫は驚きましたが、かねてより雷神の勇名は聞き知っておりましたから、承知して、二神は夫婦の契りを交わしました。

 この結婚は密かに行われたものでしたが、雷神が毎夜、火の木たるチキサニ姫のもとに通うので、木に燃え上がる炎が消えることはなく、やがて他の神々に知られることとなりました。抜け駆けされたことを妬んだ神々は、チキサニ姫が赤ん坊を身ごもったと知るとますます怒り、兄の国造神をけしかけて、とうとう皆して雷神に戦いを仕掛けたのです。こうなっては受けて立たないわけにはいかず、雷神はボウボウと炎を噴く刀を振るって、天と地を大暴れに暴れました。

 雷神の行くところ、あちこちに火の手が上がりましたので、皆は彼を『村焼き、国焦がし』とあだ名しました。それに多勢に無勢ですから、ゆっくりご飯を食べている暇もありません。仕方なく、お腹がすくと どの館にでも乗り込んで、大鍋を抱えて棚のものを引っつかんでムシャムシャと食べました。そこでもう一つ『大鍋抱え・棚荒らし』というあだ名がついたのです。

 戦いはずいぶん長引きましたが、結局は戦いを仕掛けた神々が降参して、けりがつきました。この勝利を祝うように、チキサニ姫が元気な男の子を産みました。

 しかし、雷神が天に呼び戻されてしまうと、木の精霊であるチキサニ姫には赤ん坊は育てられませんでした。チキサニ姫は自分の木の皮の繊維で白い着物を作って赤ん坊に着せ、天の国造神に預けました。国造神には沢山の子供たちがいましたが、中でも一番若く、一番重々しく扱われていた私が、その男の子を育てることになったのです。

 ――この男の子が、アイヌラックル、あなたなのです。ですから、そのあだ名は、お父様の勇猛を示すもの。決して恥ずかしいあだ名ではないのですよ」

 そう言って、養い姉は話を終えました。




アイヌラックル〜舞う風の女神


 ある日のこと、地上アイヌモシリに大変な暴風が吹き荒れました。あまりの風の強さで、立っていた木も人間の家も、みんな折れて千切れてバラバラになって吹き飛んでしまったほどでした。

 この暴風は、上の天に住む風神レラカムイの一人、南風の姫神ピタカ ニンネカムイの仕業でした。この姫神は国造神コタンカラカムイの妹で、兄が留守の間に地上を眺めていると、それがあんまり美しかったものですから、悪戯心を起こしてしまったのです。

 南風の姫神は館の外に出ると、ひらひらと舞を始めました。着物の裾や袖がパタパタとなびくと大風が起こり、地上をさんざんに打ち壊してしまいました。

 あくる日、南風の姫神がそっと地上を覗いてみると、何もかもが吹き飛んで壊れてしまった中で ただ一軒、しゃんと残って建っている館が目に入りました。

「どうしてあの館は吹き飛ばなかったのかしら……何の力が働いているというの? それとも、まさか私の力が足りないっていうのかしら」

 南風の姫神は またしても丘の上に立って、前よりも激しく踊りました。地上は大暴風雨になりましたが、その館はいくら姫神が激しく踊っても壊れることはありません。しまいに姫神もヘトヘトに疲れて、その館を壊すのを諦めざるをえませんでした。

 ところが、それからしばらく経ったある日のこと。神の国にある南風の姫神の家に、一人の若者が訪ねてきました。

(まぁ、この若者は一体何者だろう。人間アイヌのようでもあるし、カムイのようでもある。この私にも見定めが出来ないとは……。)

 そんなことを思って怪しんでいますと、若者は

「この間はありがとう。お礼に来ました」

と言って、扇子を取り出して、氷と雪の絵が描いてある方を向けて南風の姫神を扇ぎました。途端に猛吹雪が起こり、姫神の着物は氷のかけらでズタズタに裂け、その柔肌は傷だらけになりました。しまいに、着ていたものは全てボロボロになって吹き飛ばされてしまいました。

 傷だらけの素裸にされて、南風の姫神は悔しいやら恥ずかしいやら痛いやら、ぽろぽろと泣いていますと、若者は

「一度で終わるのではなく、二度楽しむのが"決まり"なのですよね?」

と言って、今度は日の光が描いてある方を向けて南風の姫神を扇ぎました。すると灼熱の光がさんさんと照りつけ、姫神の傷口は焼けるように痛みました。

「やめて、やめて、やめてください。あなたは誰なの? どうしてこんなひどいことをするのよ!」

「ひどい? あんたもやったことじゃないか。あんたが面白がって踊ったせいで地上はめちゃくちゃ、木も人間の家も吹き飛んでしまった。

 オレは、地上に住むアイヌラックルと言う。俺の館だけは残ったけれど、こんなことをされて黙っているわけにはいかない。だから懲らしめにやってきた。

 ――あんたは神だから これで許してやるが、二度と面白半分であんなことをするなよ!?」

 そう言うと、アイヌラックルは地上に帰っていきました。

 そんなことがあってから、風の神々は地上に行く時には力を加減して、そよ風を吹かせるようになったということです。ですから、今でも北海道に暴風は吹かないのです。

 また、悪戯をした南風の姫神はどうなったでしょうか。

 彼女は帰ってきた兄の国造神にさんざん叱られ、可哀相なことに、土の中に押し込められてしまいました。それで、春になるとふきのとうマカヨになって、地上にそっと顔を覗かせるのだそうです。




アイヌラックル〜日の女神を救え


 この世界アイヌモシリの上空には、五つの天が層状に重なっています。一番低い天は霧の空。次の天は雲の空。その上には星の空。更に高く広がるのは青い雲の空。そのまたはるか遠く、高い高い空の向こうに、ただ一人、日の女神が住んでいます。女神は夜となく昼となく空を巡っては、金の光 銀の光で四方の世界を照らしているのです。

 ところが、ある時 魔神が考えました。

「忌々しい日の女神め。そうだ、奴を捕らえてしまおう。そうすれば、世界は真の闇に沈むではないか」

 この魔神はいわおの鎧を身につけた、小山に手足の生えたような大怪物でした。トドの皮の縄で櫂ほどの太刀を腰に佩き、片目は満月のように巨大で爛々と輝いていましたが、もう片目はゴマ粒のように小さいのです。名を、村滴々国滴々コタネチクチク・モシリチクチクと言いました。

 魔神は低い天を越え、中ほどの天を越え、高い天、高い高い天を越えて、ついに一番高い天にたどり着くと、日の女神を呑み込んで連れ去ろうとしました。このために世界は常世の闇となり、草木はしおれ、生き物は死にそうになりました。人間アイヌたちは集落コタンの広場に出て、空を手に差し伸べて懸命に歌っていました。

   日の神よチユプカムイ ホーイ

   あなたは死ぬよエライナ ホーイ

   息吹き返せヤイヌパ ホーイ

 

 天の神・地の神は集まって、連れ去られかけている日の女神を取り戻す相談をしました。とは言うものの、みな魔神に立ち向かうのを恐ろしがります。弱い神は最初からしりごみし、強い神は途中からしりごみをし、最も強い神は魔神の館――岩砦でしたが――まで行ってしりごみしました。何故って、魔神の館の周囲には木の柵を六重(六は無数を表すアイヌの聖数。つまり、柵が無数に重なっている)に、その奥に岩の柵を六重に、更に奥に金の柵を六重に巡らせてあって、いかなる神をも寄せ付けないからでした。

 最も強い神々が六十人あまり、柵の辺りでおろおろしていますと、そこに魔神が襲い掛かって、全ての神を捕らえてしまいました。そうして館の中の炉ばたの左右に六十の揺りかごシンタを吊るすと、六十人の神を六十人の赤ん坊に変え、自分は老人の姿になって揺りかごに入れてあやしていました。実は無類の子供好きなんですか村滴々国滴々さん。

 これを知って天地の神々は驚きあわてました。かくなる上は、アイヌラックルに任せるよりない。彼より勇猛な神は天にも地にもいないのだから。そう言って、使いの神をアイヌラックルの元に送りました。

 その頃、アイヌラックルは自分の館にいました。神も人間も大騒ぎだというのに、彼はこの異変を全く気にしていないようです。そこに使いの神が神の乗り物シンタに乗ってやって来ました。

「大変です、世界の外れに住んでいる大魔神が、日の神を呑み込んで連れ去ろうとしています。大至急出かけて、なんとかしてください! 今は、大魔神が口を開けて日の神を呑み込もうとするたびに、代わりにカラスを放り込んでしのいでいます」

「よろしい、俺が日の女神を救ってみせよう」

 使いの神から話を聞いたアイヌラックルは鷹揚にそう言うと、ゆっくりと起き上がり、まず三日かかって片足のすねあてをつけ、更に二日かかってもう一方のすねあてをつけました。

「力ある者は、いかなる時にも慌てるものではないのだ」

 なに言ってるんでしょうか この人は。現代の変身ヒーローだったら即失格です。っていうか、装着に二日以上かかるすねあてってどんなのだ。

 これは、大変な事態だからこそ熟考し慎重に行動しようという、彼一流の戦術だったのですが、いくらなんでも慎重すぎです。使いの神は痺れを切らして、

「アイヌラックルのノロマ、馬鹿野郎! この、"大鍋抱え・棚荒らし、村焼き・国焦がし"の息子め!」

と罵って、シンタに乗って帰ってしまいました。無理もないと思いますが、アイヌラックルときたら

(シンタの音が軽々しいな。どうせたいした神じゃない。それにしても、確かにこの地上で一番多い生き物はカラスだというが、魔神の口に放り込まれるとは気の毒だな)

 などというくらいに思っているのです。気の毒に思うならさっさと出かければいいのに。

 それから、頭の中で大魔神を倒す方法をシミュレーションしながらも館で普通に暮らしていると、数日後に、また神の乗るシンタの音が近づいてきました。今度は重々しい音がしています。

「アイヌラックルどの、世界の外れに住んでいる大魔神が、日の神を呑み込んで連れ去ってしまった。世界で最も多いのはキツネだというので、朝にはカラス、夕方にはキツネを日の神の身代わりに魔神の口に投げ入れていたが、とうとう日の神を呑まれてしまったのです。世界は闇に沈み、鳥も獣も人間も、みんな眠りに眠って眠り死にしています」

「厄介なことになったな。そういうことなら出かけよう」

 朗々と響く声を聞いたアイヌラックルは鷹揚にそう言うと、やはり慎重過ぎるほど慎重に身支度を始めました。けれども、今度の使いはじっと我慢して待っています。彼はケムシリ岳の山神。年の頃ならアイヌラックルと同じくらい、武勇を知られた若神で、無理に急かさずに耐えました。

 アイヌラックルは金襴の小袖を着て、黄金こがね帯鉤おびがねを胴に巻き、黄金の小兜の垂れ紐をぎゅうと締め、氷の中から抜け出たような銘刀を腰に佩いて、やなぐい(矢と矢筒をセットで背負えるアイテム)を背負い、桜の皮を巻いた弓束をしっかと握ると、兜から美しいかんばせを朝日のようにのぞかせて、

「ケムシリ岳の山神よ、では、魔神の館へ参ろうか」

と言って、小枝が跳ね返るようにピューーンと飛び上がって、雷鳴をとどろかせながら雲間を走っていきました。その音はすさまじく、天地は鳴り響いて、人間の村々は壊れるかと思えるほどでした。日食のさなかに雷鳴と地鳴り。人間たちはさぞや生きた心地がしなかったことでしょうね。

(別の説では、アイヌラックルは壁から一本の茅を取り出して火にくべ、その煙に乗って飛んでいったと言います。)

 いよいよ魔神の館にたどり着くと、噂どおり、無数の柵が取り巡らせてありました。

「ケムシリ岳の山神よ、あなたはここで待っているがいい」

 言うなり、アイヌラックルの姿が消えました。彼は、その身を一ひらの風に変えたのです。風になったアイヌラックルはひらひらと六重の木の柵を越え、六重の岩の柵を越え、更に六重の金の柵を越えて、するりと館の中に入ってしまいました。

 館の中の炉ばたの左右には六十の揺りかごが揺れ、その中に数多の神々が赤ん坊となって「おぎゃあ、おぎゃあ」と泣いていました。ダメでしょう村々滴国滴々さん、ちゃんと面倒見なくちゃあ。アイヌラックルはそれには構わず、なおも奥に進むと、一番奥の座に大きな木の箱が置いてあります。

 もしや、この箱の中に日の女神が囚われているのでは?

 巫神力トゥスでそれを見抜いたアイヌラックルは、姿を現すと木の箱を打ち壊しました。壊すとまた箱があり、六重に重なっていました。全ての木の箱を壊すと、今度は岩の箱が六重に、それを壊してしまうと金の箱が六重になっています。金の箱を全て打ち壊すと、にわかに金の光銀の光が輝いて、中から弱りきった日の女神が現われました。いくら女神とはいえ、こんな箱の中に閉じ込められたのはかなり辛かったようです。

「おのれぇ、日の女神は連れていかせんぞ!」

 魔神は怒鳴りつけると、アイヌラックルに襲い掛かりました。アイヌラックルは片手で日の女神を抱き寄せ、一方の足で魔神の館を蹴りました。館はガラガラと揺れ、六十の揺りかごは四方に散って、数多の神々は柵の外へ弾き飛ばされ、ようやく元の姿を取り戻しました。いよいよ激怒した魔神は(やはり子供好きだったんでしょうか?)満月のように大きい片目をクワッと見開き、火山口のような口をグワッと開けて、アイヌラックルを一呑みにしようとしました。

 さすがのアイヌラックルも、片手で女神を抱いてかばっていては思うように立ち回れません。魔神の猛襲にたじたじとなりましたが、この時、元の姿に戻った六十人の神々とケムシリ岳の山神がサッと日の女神を抱き取り、素早く雲の船を作って、女神を帆柱にくくりつけて青空高く投げ上げました。乱暴です。もう少しマシな救い方はないのでしょうか。

 ともあれ、女神が高い空に昇った途端、ぱあっと空が輝き、世界は再び隅々まで明るく照らし出されました。そうなると魔神は一瞬ひるみ、その隙にアイヌラックルが、ケムシリ岳の山神が、六十人の神々が一気呵成に攻め立てました。この戦いは、舞台を冥界に移し、六つの夏六つの冬の間 続いたといいます。魔神は火を吹き煙を吐いて、いくら斬っても突いても元に戻る恐ろしい相手でしたが、ついには地獄に蹴落とされて、六重無限の底へ落ちていきました。

 こうしてアイヌラックルは日の女神を救い、世界に光を取り戻したのです。




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 アイヌラックルの名は「人間臭い神」という意味で、神でありながら地上に生まれ人間に混じって暮らした彼の姿を表しています。……なお、「人間臭い」というのは「人間のような、人間に似た」という意味で、「人間の臭いがする」という意味ではありません。
 ??
 あ、それより、村滴々国滴々の話って、日食の話だよね。本土の天の岩戸の話とはかなり違うみたい。
 でも、村滴々国滴々は大きな岩のような怪物だったんですから、やっぱり太陽が岩の中に隠れた話ではありますね。
 日食は怪物が太陽を呑み込んだために起こる現象だ、とする神話も世界中にありますよ。
 ところで、神様の乗り物と赤ちゃんの揺りかごと、どっちも「シンタ」っていうんだね。神様は揺りかごに乗ってこの世に生まれてくるのかな。


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