昔、あるところに一本の高い木が立っていました。高い木は天と地をつなぐ梯子、神木ですから、天からはいつも
やがて天女は神木の”気”に感応して妊娠し、美しい男の子を産みました。木の息子ですから、木の若様――
ところが、この子が七、八歳になった頃、どうしたことか、天女はふいに天に帰ってしまいました。途端に天空からどうどうと大雨が降り注ぎ、大風が轟々と吹きすさび、嵐は何日も続いて、辺りは海のようになり、神木もついにメリメリと音を立てて倒れました。倒れるとき、神木は木道令に言いました。
「早く私の背に乗りなさい」
木道令は父の神木の背に乗って、洪水の中をあてもなく漂っていきました。
そのうち、どこからか小さな声が聞こえてきました。
「助けてぇ、助けてぇ」
見回すと、それは洪水で流されている沢山の
「お父さん、どうしよう。可哀想だよ」
「助けてあげなさい」
「よし、みんな、この木に登るんだ」
すると、沢山の蟻が神木の枝や葉に登って、しっかりとつかまりました。
それからしばらく漂っていると、また、前と同じような悲しそうな声が聞こえてきました。
「助けてぇ、助けてぇ」
それは洪水で流されていく蚊の群れの声でした。
「お父さん、どうしよう。可哀想だよ」
「助けてあげなさい」
「よし、みんな、この木に登るんだ」
蚊の群れは神木の枝や葉に身を寄せました。
そして漂っていくと、またまた、助けを呼ぶ悲しそうな声が聞こえてきました。
「助けてぇ、助けてぇ」
それは木道令と同じくらいの年頃の人間の男の子の声でした。
「お父さん、助けてあげようよ」
「いや、ダメだ。それを助けるのはやめなさい」
すると、波間から男の子がもう一度叫びました。
「助けてぇ、助けてぇ」
「お父さん、助けてあげようよ」
「ダメだ、助けてはならない」
その間にも神木は激しい流れの中をどんどん流れていき、男の子は今にも水の中に飲まれてしまいそうに見えます。
「助けて……、助けて……」
三度目の声を聞いた木道令はもうじっとしていられませんでした。
「お父さん、あの子を助けようよ。このままじゃ死んでしまうじゃないの。お父さんが何と言っても、僕はあの子を助けるよ」
すると、神木はおかしなことを言いました。
「お前がそれほどまでに望むのなら仕方がない。……けれど、いつかきっと、このことを後悔する日が来るだろうね」
木道令は男の子を神木の上に引っ張り上げて、二人は一緒に洪水の中を漂流していきました。
やがて、神木は小さな島に流れ着きました。実をいえば、そこはこの世で一番高い山だったのですが、今ではそのてっぺんがほんの少し顔を出しているだけでした。虫たちは木道令にペコペコと頭を下げながらそれぞれ去っていき、二人の男の子は一緒に歩いていきました。父の神木とはここでお別れです。さよなら、パパ!
辺りが真っ暗になった頃、二人は遠くに明かりを見つけました。それを目指して歩いていくと、萱葺き屋根の一軒の家がありました。中に入ると、おばあさんが一人と、男の子たちと同じ年頃の女の子が二人います。
「おや、おや。お前たちは一体どこから来たんだい」
「僕たちは洪水で流されてきました。他に行く場所がないんです」
「そうかい、じゃ、ウチにいるがいい。私はこの家の主人で、こっちの女の子は私の娘。あっちの女の子は召使だよ」
こうして、二人の男の子はこの家に働きながら住むことになりました。
何年かが過ぎたある日、おばあさんはすっかり青年になった木道令たちを呼びました。
「お前たちも立派に結婚できる歳になったね。
洪水の水は引いたが、地上に生き残った者は他にいなかった。だから、新しい人間を増やさなければならない。そこでお前たちをそれぞれ結婚させようと思うのだけど……どちらを私の娘と結婚させようかね」
二人の若者は、どちらもおばあさんの娘と結婚したいと思いました。身分も低く、財産も分与してもらえそうにない召使の娘はお気に召さなかったようです。二人が譲らないので、おばあさんもほとほと困り果ててしまいました。どちらの若者でも遜色ありませんでしたから。
そんな時、木道令のいないスキをうかがって、もう一人の若者がおばあさんに言いました。
「実は、木道令は常人にないスゴい力を持っているんですよ。一石の粟を砂場に撒き散らしても、一粒の石を混ぜることなく、たった数時間で全て元の俵に納めることが出来るんです」
「あの子はそんなにすごいことが出来るのかい? でも、今まで一度もそんなことをして見せたことがないじゃないか」
「それは、アイツが特別に親しい者だけにしかその力を見せないからですよ」
それを聞くと、おばあさんはすっかり腹を立ててしまいました。もう一人の若者を信頼していたので まさか嘘を言っているとは思わず、木道令は自分には心を開いていなかったのか、力を隠して馬鹿にしていたのかと悔しいやら悲しいやら。さっそく木道令を呼びつけると、その力を見せなければ娘を嫁にはあげられないと言いました。木道令は仕方なく一石の粟を砂場に撒き散らしましたが、ただしょんぼりとそれを見つめているばかりでした。
すると、足がちくちくと痛みました。見ると、蟻が木道令の足を噛んでいます。いつか、一緒に神木につかまって流れてきた蟻でした。
「木道令さん、何をそんなにしょんぼりしているんです?」
「おばあさんが、一石の粟を数時間で全部拾い集めて、一粒の石も混ぜてはならないと言うんだよ。出来なければ、彼女と結婚はさせられないっていうんだ」
「なんだ、そんなこと簡単ですよ。今こそ、一族を洪水から助けていただいた ご恩返しをさせてください」
蟻はどこかに姿を消したかと思うと、無数の仲間を連れて戻ってきました。蟻たちの行列は続きます。ゾロゾロ、ゾロゾロ……。一匹が粟を一粒ずつ。口にくわえては俵の中へ。ゾロゾロ、ゾロゾロ……。間違えて石をくわえる蟻なんていやしません。
撒き散らされた粟は、
夕方になると、おばあさんは娘と若者を連れて見に来ました。粟がすっかり俵の中に納まっているのを見て、若者は真っ青になりましたが、おばあさんと娘は感心して「まあ、すごい」と声を上げました。
「お前は本当にスゴイ力を持っているんだね。私の娘を嫁にするのに相応しいよ」
おばあさんはすっかりその気になりましたが、もう一人の若者がとても不服がっているのに気がつきました。このまま木道令を婿に選んだら、爆発して何かをしでかすかもしれません。この世でたった四人の若者たちには、これからも仲良く暮らしてもらわなければならないのに。
そこで、おばあさんは一計を案じました。ある暗い夜、娘二人を東西の部屋に入らせて、若者二人を家の外に出しました。どちらでも好きな部屋を選んで、中にいる娘を嫁にするように、と言うのです。結局くじ引きですか。あの試練は何だったのでしょうか。
人生の選択です。二人の若者は決めかねて、部屋の外でウロウロしていました。季節は夏で、蚊がぶんぶんと飛び回っています。木道令は、耳元に聞こえる蚊の羽音が、こんな風に言っているのに気がつきました。
「木道令、東の部屋に プ〜ン プ〜ン」
この蚊たちも、かつて神木につかまって一緒に漂流した仲間だったのです。
木道令は迷わず東の部屋に入り、おばあさんの娘と結婚しました。もう一人の若者は、仕方なく、召使の娘と結婚しました。
今のこの世の人間は、全てこの二組の夫婦の子孫であるということです。
また、洪水に関しては、こんな話もあります。
昔、大洪水が起こって世界は水の底に沈みました。ただ一組の兄妹が高い高い山の上に流れ着いて生き延びましたが、水が引いてから山を降りると、他に生き残った人間は誰もいませんでした。
このままでは人間は絶えてしまいます。けれども、兄妹で結婚するわけにもいきません。
二人は散々悩んだ末に、神様に決めてもらおうと考えました。普通なら出来ないだろうことを試してみて、もしも出来たら――奇跡が起こったら、それは神様の意思であって、兄妹の結婚を許すしるしではないか、と思ったのです。
二人は向かい合った二つの山に登っていって、兄は石臼の出っ張った半分を、妹は石臼のへこんだ半分を転がして天に祈りました。すると、石臼は人が手で合わせたかのように、勝手に合体して組み合わさっていました。
また、二人は青い松の葉で作った毬に火をともしました。白い煙がもくもくと立ち昇りましたが、二つの山から立ち昇る煙が、不思議にも、空中で合わさって一筋になりました。
これを見て兄妹は決心し、結婚して子供を産みました。今この世にある人間は、この
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あっ、沖縄地方の神話で見たのと同じ話だね。 | |
そうですね。兄妹始祖型の洪水神話です。ただ、木道令の話の方はまた違っていて、難題婿型の神婚譚としての要素が強いですけれど。 | |
しんこん……? | |
高い木も、高い山も、「天の神様が降りてくる梯子」「天界とつながっている道」という意味では同じものだ、ということです。 木道令は天から高い木を伝って降りてきた神様の子供ですが、逆に、高い山から天界に昇って、神様の与える試練をクリアし、神様の娘と結婚した、というわけですね。 |
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そういえば、日本の神話でオオクニヌシが根の国に行ったときも、スセリヒメと結婚するために、お父さんのスサノオに色々と意地悪をされてたね。 | |
洪水でただ一人生き残った男が神の娘と出逢い、彼女の親神の与える試練をクリアして結婚し、人類の始祖となる……という筋運びの神話は、中国少数民族の また、洪水の際に様々な虫獣と人間を船に助けあげるが、虫獣はみんな恩返しをしてくれたのに人間だけは逆に仇を成した……というモチーフは、中国や日本の民話にも見られます。 |
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