新羅〜輝く子供

 朱蒙が高句麗を建てる二十一年ほど前、つまり朱蒙がヨチヨチ歩きの赤ちゃんだった頃、後の高句麗の南に新羅という国がおこっていました。

 新羅の王都の辺りはかつて辰韓ジナンと呼ばれており、楊山村、高墟村、大樹村、觜山珍支村、加里村、高耶村の六つの村がありました。この村々の村長は、それぞれ天から山に降りてきた神でした。

 紀元前六十九年、六つの村の村長たちは子弟を引き連れて閼川アルチョンの堤に集まり、会議を開きました。六つの村をまとめ、一つの国にしようではないか、というのです。

「我らの上には君主がいない。だから民は勝手気ままに生活している。徳のある人を君主に立て、国を開き都を定めようではないか」

 六つの村がケンカをしないためには、強力なカリスマを持った王が必要です。話が決まると人々は高い場所に登り、辺りを見回しました。……そんな方法で徳のある人物を探そうとするのはかなり無謀だと思うんですが。

 しかし、なんとかなるのが神話です。

 人々が南の方を見ると、楊山のふもとの水場の辺りに不思議な気配が漂っているのが分かりました。雷光が天と地を繋ぐようにひらめき、その光の下に一頭の白馬が礼拝するかのごとくひざまずいています。馬の前には一個の紫色の卵がありました。白馬は人々が近づいてくるのを見ると、長くいなないて天に駆け去りました。ここまで卵を運んできた天馬だったのでしょう。

 人々は卵を温めるようなことはせず、イキナリその場で割りました。おいおい! しかし、今回はそれでOKだったようです。中からは綺麗な男の子が出てきました。人々は驚きつつも東泉寺に連れて行き、体を洗いますと、男の子の体は光輝き、どこからか鳥や獣が集まってきて舞い踊り、ドドドドド……と天地は鳴動し、太陽や月はピカーーーッと輝いて、とにかくもう大変なことになりました。

 そんなわけで、人々は男の子を赫居世ヒョコセ――世の中を明々と照らして治める――と名づけました。

 なお、名字は「」といいます。一説によれば、赫居世の入っていた卵は青色で、天から垂らされた赤い綱にぶら下がっていたのだそうですが、まるでヒョウタンのように大きかったそうです。新羅ではヒョウタンのことを「朴」と言うので、この名字になったのでした。

 人々は立派な君主を授かったと喜び、立派な君主にふさわしい妃を探さなければなるまい、と言いました。

 その頃、沙梁里の閼英アリョンという井戸の中から鶏龍が現れました。鶏龍が現れるのはとても縁起のいいことだとされています。しかも、鶏龍は脇の下から女の子を産みました。あるいは、龍が現れて死に、その死体の腹を割くと女の子が出てきたと言います。その女の子はとても綺麗でしたが、唇が鶏のくちばしのようになっていました。その子を川に連れて行って体を洗わせますと、くちばしが抜け落ちました。これにちなんで、その川の名前を「撥川」と呼ぶようになりました。「抜」と「撥」が同じ発音だからです。女の子の方は、龍の出てきた井戸の名をもらって閼英アリョンと名づけられました。

 二人の子供は大切に育てられ、十三歳になるとそれぞれ王と王妃になりました。

 なお、別説によれば閼英は赫居世が王位についた後に産まれたそうで、井戸から出た龍が産んだのを一人の老婆が育て、成長した彼女の評判を聞いた王が王妃に迎えた、となっています。

 ともあれ、閼英は美しいばかりでなく賢くて行いに優れ、王をよく支えたので、当時の人々は王夫婦を聖人として崇めました。

 

 二人の国が建ったのは紀元前五十七年のことだと言われています。国の名前は様々あって、鶏林ケリム斯羅シラ斯盧シロなどとも呼ばれ、後世になって「新羅」と定められました。また、徐羅伐ソラブォルまたは徐伐ソブォルとも呼びましたが、これが後に首都みやこを「ソウル」と呼ぶようになった由来だと言われます。

 

 赫居世王は国を治めて六十一年後に昇天し、その七日後、天から遺体がバラバラに降ってきました。何があったんでしょうか。王妃も亡くなったので、人々は二人を一緒に葬ろうとしたのですが、大蛇が現れてそれを妨害しました。……ホントに、どんな理由があったのでしょうか。仕方なく、人々は二人を別々に、王の五体もバラバラに葬りました。そこで王の墓を五陵、または蛇陵サヌンと呼んだのです。




新羅〜海から来た王

 新羅の王の二代目、赫居世の息子の南海ナメ王の時代のことです。

 下西知村の阿珍浦という海辺近くに、阿珍義先アジンウイソォンという老婆が住んでいました。彼女は王に魚を献上する漁師の母でした。

 ある日のこと。老婆が海辺に行きますと、大きな岩があって沢山のカササギが集まっています。はて、あの辺りに岩はなかったはずだがと思って船で近づいてみますと、岩だと思ったのは大きな船で、中には長さ二十尺、幅十三尺(約60m×40m)の箱が一つ入っていました。そこで船ごと曳航してある林の木につないで、何が入っているのか分からないので天にお祈りをしてから開けてみますと、中には綺麗な男の子と、彼の召使や宝物が沢山入っていました。

 七日間もてなされてようやく、男の子は自らのことを語りはじめました。

「私は龍城ヨンソン国の王子です。龍城国はここより遥か遠く、日本の北東一千里にあります。

 私の国には二十八人の龍王がおり、みんな人間から普通に産まれますが、七、八歳頃から王位を継いで万民を導きます。八つの官位がありますが、みんな王位に登れます。

 私の父の含達婆は積女国の王女を妃に迎えましたが、長い間子供が授からず、子宝の祈願をしました。その七年後に母は大きな卵を一つ産みました。これが私です。

 父は群臣を集めて相談し、『人が卵を産むなど未だかつてない。不気味なことだ』と言い、箱を作って中に私と召使と様々な宝を入れ、それを船に積んで海に流して祈りながら『どこか因縁のある場所に行って、自分の国を建てなさい』と言いました。すると突然赤い龍が現れて船を護衛し、ここに流れ着いたのです」

 男の子の名は脱解タレと言いました。一説によれば、「箱を解き、卵の殻を抜け出した」ということにちなんだのだと言われます。

 話し終えると、脱解は杖を引きずりながら二人の召使を引き連れて吐含山に登り、そこに石塚を作って、そこで七日間暮らしながら自分の住むにふさわしい場所を物色していました。

 ある峰を見ると、そこは三日月の形をしていて家運が栄える地勢でした。けれども、そこには既に瓠公ホゴンの家がありました。瓠公は赫居世の時代から王に仕える重臣で、一説によれば日本人だったと言われます。その血筋や素性はまるで分からないのですが、瓠(ヒョウタン)を腰に下げて(あるいは、ヒョウタンに乗って)海を渡ってきたので「瓠公」と呼ばれるようになったのだと。

 脱解は一計を案じ、ある夜、瓠公の家の側にこっそりと砥石と炭を埋めました。夜が明けると、家の前で「ここは私の祖先の家だ。私に居住権がある私の家なんだ。出て行け!」と騒ぎました。当然、瓠公は「違う、ここは私の家だ」と反論します。争いになり、「ならば出るところに出てお話しましょうか」ということになって、役所に訴えました。役人は脱解に訊きました。

「お前は、何の根拠があってここがお前の家だと言うんだね」

「私の家は元は鍛冶屋でしたが、しばらく隣の村に行っている間に他人に家を奪われたのです。ここを掘ってみてください」

 役人が言われた場所を掘ってみると、砥石と炭が出てきました。

「見て下さい。これが、ここが元々鍛冶屋であった証拠です!」

 周囲の聞き込み調査などは何故か一切なされなかったらしく、役人はこれを証拠として瓠公の方が家泥棒だと判決しました。こうして、脱解はまんまと瓠公の家屋敷を奪ってしまったのです。

 

 このように、脱解はとんでもない詐欺師でしたが、何故かこの当時は「素晴らしい知恵者」として評判になったようです。知恵で勝負の詐欺師がもてはやされる時代だったのでしょうか。なんと、評判を聞きつけた南海王が彼を自分の長女の婿に迎え、大輔(宰相)の位を与えたのですから。南海王の後は彼の息子の弩禮ヌレが継いだのですが、彼は「自分より脱解の方が優れている」と執拗に王位を譲ろうとしましたし、自分が死ぬときには「自分の子供よりも脱解の方が優れている。だから脱解を次の王にせよ」と遺言しました。……何故そんなに。脱解はなにかキョーレツな魅力の持ち主だったとしか思えません。

 そんなわけで、弩禮王が亡くなると、第四代の王に脱解が就いたのでした。西暦五十七年のことだと言われます。

 名字は「ソォ」と定めました。「昔、人の家を奪った」ことにちなんで……とも言いますし、カササギが集まったおかげで箱が発見されたのだから、鵲の字から取って「昔」にしたのだとも言われます。

 ちなみに、家を奪われた瓠公は脱解王にも臣下として仕えました。……度量が大きいです。私なら耐えられない。(苦笑) それとも瓠公も脱解のキョーレツな魅力のトリコになっていたのでしょうか。

 

 脱解は王になってから二十三年目に亡くなって葬られました。ところがそれから二十七代目に当たる王の時、王の夢にいかめしい老人が現れて脱解と名乗り、『余の骨を掘り出して塑像にし、吐含山に安置せよ』と命じました。掘り出された骨はバラバラになっておらず、全て完全にくっついて一塊になっており、とても立派でした。骨を砕いて作られた塑像は山に安置され、脱解は東岳神と呼ばれ、祀られるようになったのです。




新羅〜再び、輝く子供

 少し話が戻って、脱解が王になってから三年目のことです。

 瓠公が月城の西の里を歩いていると、始林の中に大きな光が見えました。行ってみますと、天から紫色の雲が垂れ下がって辺りを覆い、その中で木の枝に引っ掛かった金色の箱が光り輝いていました。また、木の下には白い鶏がいて鳴いていました。

 このことを伝えますと、脱解王は自ら出かけてその箱を開けました。すると中で横になっていた男の子がすっと立ち上がりました。この子を抱いて宮殿に向かうと、鳥や獣がついてきて嬉しそうに舞い踊るのでした。

 あたかも新羅の始祖王の赫居世の例のようだと王は思い、この子を閼智と名づけました。閼智とは、新羅の言葉で「子供」という意味です。また、金色の箱から出てきたことから、名字は「」と定めました。閼智を見つけた始林のことは、鶏が鳴いたことにちなんで鶏林ケリムと呼ぶことにしました。一説には、このことで新羅の異称の一つが「鶏林」となったと言われます。

 王はこの子を太子に立てましたが、結局は別の者が王位を継ぎ、閼智自身が王になることはありませんでした。しかし、彼の七代後の孫が新羅の王となりました。

 新羅の王は、赫居世ヒョコセ氏、脱解タレソォ氏、そして閼智氏の三つの血族が継いでいきましたが、金氏の王が最も多く出たのでした。……神話は一番地味なんですが。

 

 新羅は栄え、高句麗、百済、駕洛を滅ぼして吸収し、大同江以南の朝鮮半島(韓半島)最初の統一国家を作ることになります。




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 なんか、どれもこれも似たような話みたいな……?
 王様も村長も、リーダーになる人は誰も彼も天や井戸や海からやって来た神様なんだ。こんなに神様だらけだと、かえってありがたみがなくなっちゃう感じだよ。
 神の血を引く、神という後ろ盾がある、ということが、この当時の指導者のステータスだったんでしょうね。
 でも、必ず血筋がよくなければならないっていうのも寂しいね。神様の血筋じゃなくても、本人の努力で王様になれたりはしないのかな?
 そうですね……昔脱解の物語には別説がありまして、それによれば脱解が龍城国から流された箱入り卵から生まれたのは同じなのですが、流れてきたのは卵だけで召使も宝物もなく、卵から生まれた後は普通に成長して漁師として養母を養っていたそうです。しかし養母に「勉強して出世なさい」と勧められ、猛勉強して知恵をつけ、それによって瓠公の家を奪い、王に気に入られて宰相の地位にまで上り詰めたのだとか。
 実は努力の人だったんだね。
 じゃあ、箱に入って船で流れてきたっていうのも、後で無理に付け足された話かなぁ。
 そうだよね。箱の中に宝物も召使も全部一緒に入って流れてきたなんて、やっぱり無理があるよぉ。
 箱に入っていたかはともかく、脱解が部下を引き連れて、自分の国を手に入れるべく野望に燃えて海を渡ってきた……という物語もあるんですよ。
 え? それってどういうこと?
 それについては、駕洛の神話の方でお話しましょう。この物語は新羅の神話では殆ど触れられていませんので。
 似てると言えば、赫居世の奥さんの閼英の話って、朱蒙のお母さんの柳花のに似てないかな? 水から出てきたお姫様で、天の子と結婚して。で、キレイだけど唇が伸びてるの。それが取れて文句なしの美人になる。
 言われてみるとそうですね。
 閼英は鶏龍から産まれたといいますし、卵(聖人)を産む特別な女、鳥の化身の女神、という意味でくちばしが付いていたのでしょうか。
 そういえば、日本の水の妖怪のカッパにもくちばしがついてるケド……。何か関係あるのかな?


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