駕洛カラ〜金の卵

 北から次第次第に大きな国が広がってくる一方で、朝鮮半島(韓半島)の南端には統一されない無数の部族がひしめき合っておりました。

 天地開闢以来、この地には未だ国というものがなく、ただ我刀干、汝刀干、彼刀干、五刀干、留水干、留天干、神天干、五天干、神鬼干という九人のおさが連合し、民を治めていたのです。

 西暦四十二年三月のことでした。人里の北に亀山という、亀が寝ているのに似た形をした山があるのですが、その頭に当たる亀旨クジの峰から不思議な声が聞こえてきました。呼んでいるようなので二、三百人が集まったところ、そこには誰の姿もなく、ただ声だけが聞こえてきます。

――ココニ 人ハ イルノカ

 九干が答えて言います。

「わたくしたちが ここにおります」

――ココハ ドコカ

「亀旨です」

――天帝ガ 私ニ命ジタ。コノ地ニ留マッテ 新タニ国ヲ興シ、ソノ王ニナレト。汝ラハ 峰ノ頂ノ土ヲ堀リ、『亀よ亀よ 頭を出せ 出さないと 灼いて食べるぞ』ト 歌イ踊ルノダ。サスレバ、スグニ大王ヲ迎エ、汝ラハ 歓喜勇躍スルデアロウ

 九干たちは言われたとおりにみんなで楽しく歌い踊りました。素直すぎます。少しは疑ってください。っていうか、亀旨の頂の土の中にでも埋まっているのでしょうか、この天の子は。降臨するとき勢いあまって土に潜ったのか。

 しかし、そうではなかったようです。しばらくすると、天から紫色の紐が降りてきて、紐の先には紅い布で包んだ金の合子ごうし(蓋付きの容器)がありました。開けてみますと、中には太陽のように丸い黄金の卵が六個も入っています。他の国では一個なのに、六倍! やけに大判振る舞いです。人々はそれを見て驚き、喜んで百拝しました。……山の頂の土を掘らせたのは一体何のためだったのか……。謎が残りますが、誰も追及しません。

 人々は合子をまた大事に包みなおすと、我刀干アドゥハンの家に持っていき、床の上に安置して帰りました。

 半日が過ぎた翌日の夜明け(一説には十三日後)、人々が集まって合子の蓋を開けてみますと、六個のうちの一つが孵って綺麗な男の子になっていました。人々はこの子を床に座らせて礼拝し、敬いました。男の子は日に日に大きくなり、十日あまり経ちますと背丈は九尺にもなり、大変立派な青年になりました。

 桃太郎なみの促成成長です。つーか、背がニョキニョキ伸びすぎてませんか。(日本の一般的な尺で計算すると2m73cmほどになっちゃいますが……単位が違うのか?) おまけに瞳が一つの目に二つずつあったというのですから、殆ど宇宙人のようですが、かえっていかにも神の子めいていてグー、ってコトになったみたいです。

 彼は、六個の金の卵から最初に首を出したというので「金首露 スロ」と名乗り、その月の十五日には もう王として即位していました。彼の国を大駕洛テカラまたは金官伽耶と称します。残りの五つの卵からも次々男の子が孵り、それぞれ別の五つの伽耶の王になりました。

 

 首露王は最初は土で作った階段の長さが一メートルほどしかない質素な宮に住んでいましたが、やがてもっと大きな宮を作って移り住み、国を治めました。




駕洛〜脱解タレ、襲来

 ある日、突然海岸に見慣れない船が泊まりました。船から下りてきたのは龍城ヨンソン国から卵のまま流された王子、脱解タレで、背の高さは三尺(約91cm)、頭の周りは一尺(約30cm)ありました。……まだ卵から孵って間もない子供だったのでしょうか。

 脱解は満面に悦びの表情を浮かべて王宮に入ってくると、首露王に告げました。

「私は王位を奪いに来た」

 イキナリ入って来て何を言うんでしょうか、このお子ちゃまは。首露王は答えました。

「天は私に この地を安らかにする使命を与えたのだ。故に、天命を違えてそなたに この国を渡すわけにはいかぬ」

「では、神術で勝負しようではないか。私が勝てば、この国はいただく」

「いいだろう」

 瞬く間に、脱解は鷹に変身していました。すると、王は鷲に変身しました。脱解がスズメに変身すると、王はハヤブサに変身しました。

 やがて脱解が元の姿に戻ると、王も元の姿になりました。脱解は言いました。

「私が鷹に変身すると王は鷲に、スズメになるとハヤブサになった。そのとき容易く殺せたはずなのに、そうしなかったな。

 そなたには仁徳がある。私の負けだ」

 脱解はすぐに別れを告げ、郊外の渡し場から船で出て行きました。王は脱解の動向を警戒して、急いで五百艘の水軍で後を追わせましたが、脱解が新羅に逃走したので、水軍はみんな戻ってきました。

 この後、新羅に上陸した脱解は知略を持って地位を作り、武力によらずに王位を得ることになります。

 

 このエピソードは、何故か新羅の脱解王の伝承には全く出てきません。ただし新羅の伝承でも、脱解が新羅に上陸する前に駕洛国の海にやって来て停泊した、とは書いてあります。そのとき首露王は臣下や民と共に鼓を打ち鳴らして歓迎したが、船は素早く逃げていった……と。

 新羅の伝承では、あたかも駕洛国が脱解という宝を「望んだのに逃げられた」かのような書き方をしているわけですが、駕洛国の伝承では、このように「追い払った」ことになっています。何故なのかは分かりません。




駕洛〜インドから来たお妃

 首露王が王位についてから六年目の七月二十七日のこと、九干たちが言いました。

「大王は未だに結婚しておりません。私たちのもとの娘の中から最も美しいものを選んで、お妃になさいますよう」

 すると王は言いました。

「私がここに降臨したのは天の意思、私の妻を選ぶのも天の意思だ。そなたたちは心配するな」

 そして、留天干に小さな船と足の速い馬を用意して望山島マンサンドに行き、立って待つようにと命じました。

 一体、何を待てと言うのでしょうか? 首をかしげながらも留天干が待っていますと、西南の海上に緋い帆をかけた船が現れ、茜色の旗をひるがえしながら北に向かって進んでいくではありませんか。飾られた宝石がキラキラと輝いています。留天干らは島で狼煙のろしを上げました。すると、緋い帆の船が気付いて島に近づき、いかりを下ろします。乗っていた異国風の人々が先を争うように降りて土を踏みました。

 この船には一人のお姫様が乗っていました。他の乗員は、全て彼女に仕える従者たちです。

 この報告を受けると王は歓喜して、

「天に定められた私の妃が来た。すぐに行って宮中に迎え入れよ」

 と命じます。ところが、九干たちが言われたとおりに木蓮の舵と桂の櫓の船を整えて迎えに行きますと、お姫様は

「私はあなた方をまるで知りません。なのに、どうして軽々しく付いていけるでしょうか」

と嫌がりました。まったくもってそうですね。

 留天干が戻って王にそう伝えますと、王も「その通りだ」と納得し、無理に連れてくることはやめました。ただ、宮殿の西南六十歩ほど行ったところの山のふもとに幕を張って仮宮を作り、官吏たちを引き連れてそこに入って、お姫様の方から近づいてくるのを待ちました。

 お姫様の一行は別浦の渡し場に船をつないで上陸しました。彼らが持ってきたものは、錦織や刺繍した布、綾の絹と薄い絹、沢山の服、金銀、宝石、宝飾品、おもちゃなど、数え切れないほどでした。お姫様は岡で休息したとき、着ていた綾袴を脱いで山の神への供物にしました。何故 袴を……それも着てるのを脱いで。そういうのが好きな神様だったのでしょうか。

 こうしてじわじわと王のいるところに近づいてきて、ついに仮宮に着くと、王が出迎えて寝殿に連れ込……一緒に寝殿に入りました。お姫様には夫婦二組の家臣と二十人あまりの召使が付いてきていたのですが、彼らは全員、階段の下までで引き下がりました。王は家臣の夫婦を案内するように官吏に命じ、召使たちには部屋を与えて飲み物やお酒を出し、大勢の兵を警護につけました。

 王と共に寝殿に入ったお姫様は自分のことを話し始めました。

「私は阿踰陀アユタ(インドにあった国。今のアヨーディヤとされる)の王女で、姓はフォ、名は黄玉ファンオと申します。年は十六になります。

 今年の五月、父母が私に言いました。

『昨夜、私たちの夢に天帝が現れて、駕洛国王の首露は天が降して王位につかせた聖人であるが、まだ伴侶が決まっていない。だから、そなたの娘を遣わしなさい、と仰せになった。お前はすぐにその地に向かいなさい』

 雲をつかむような話でありながら その言葉に従って私は探し求める旅を続け、今、あなたに逢うことができました」

 それを聞いて王は応えました。

「そなたが来ることを、私はずっと前から知っていた。そなたを待っていた」

 二人は二晩と一昼を共に過ごし、車に乗って本宮に入りました。妃の家臣や召使たちもそれぞれ家を与えられました。彼らの乗ってきた船と船乗りたちは、米や布を与えられて本国に戻っていきました。

 

 後に、妃が最初に上陸した波頭村を主浦村、茜色の旗が初めて入った海岸を旗出辺、袴を脱いだ高い岡を綾見と呼ぶようになりました。また、妃は五重の石塔を船に乗せて運んできていました。国を出ようとしたとき、水神の怒りにあって進めずに戻ったところ、父王にこの石塔を載せていくようにと言われたのです。この婆娑石塔の石には ほのかに赤い斑点があり、朝鮮半島(韓半島)の石ではないと記録に書かれています。

 

 その後三十年の間に、妃の家臣夫婦二組はそれぞれ二人の娘を生みましたが、みんな一、二年で死んでしまいました。召使たちには一人も子供が出来ず、みんな故郷を恋しがりながら悲しんで死んでしまいました。

 しかし、妃は十人の息子を産み、百五十七歳まで生きました。王はその十年後、百五十八歳でこの世を去りました。

 ……って、ええ!? 王は王妃より九つ年下? ということは王妃が十六歳で結婚したとき、王は七歳!? ……ああ、そういえば王は卵から生まれて十日で青年に成長したのでした。

 この二人の子孫が金海金氏や金海許氏で、一族から大統領や総理を輩出し、今でも半島で繁栄しているのです。  




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 あ、聞き覚えのある名前が出てきたね。首露王の天下った亀旨クジの峰って……。
 そうですね。日本本土の天孫降臨神話で、ニニギのミコトが天下ったのが一説に「日向の高千穂のクシフル岳」とされ、この駕洛神話が原型にあるのだろうと言われています。

 駕洛は加羅、伽羅、伽耶などとも呼ばれ、三〜六世紀ごろ、朝鮮半島(韓半島)南端の洛東江の流域一帯にあった国々を指します。日本ではこの地域、特に金官伽耶国のことを「任那みまな」とも呼びました。『日本書紀』には任那に軍事拠点としての日本府があったと書かれてありますが、実在したかは定かではありません。
 駕洛を通じて大陸の文化が日本に移入され、よって日本では長い間、(朝鮮半島(韓半島)や中国を主とした)外国は「カラ」の名で象徴され、舶来品を「カラ渡り」と呼んだりしていました。
 そうだったんだ……。
 そういえば、最初は九干が一帯を治めていたって言うけれど、部族の長のことを「ハン」って呼ぶのって、モンゴルのチンギスハン(ジンギスカン)みたいだね。
 朝鮮半島(韓半島)の人々の祖先は、大陸から移動してきた遊牧民族たちだと言われていますから、同じ言葉なのかもしれません。
 加羅国の「カラ」や馬韓、弁韓、辰韓の「カン」の語源が この「カン」にある……とする説もありますよ。
 もっとも、加羅国の「カラ」をインドのドラヴィダ語で「魚」を意味する言葉だ、とする説もありますが。
 首露王のお妃がインドから来たから?
 あれって本当の話なの?
 本当だ、という説が大勢ですね。
 例えば、首露王陵には二匹の魚が向かい合った双魚文という模様が使われていますが、これは韓国の他の地域では見られないもので、けれどもインドのアヨーディヤ一帯にあった王国の王室紋だったとか。
 何故インドから姫君がやって来たか……については、面白い仮説があります。
 紀元前二世紀ごろ、クシャーン朝の台頭によりアヨーディヤの上流階級(僧侶や王族たち)が国を逃れ、中国の揚子江流域に移住。けれどもそこから(内乱で?)再び逃れ、揚子江を船で下って海に出て、海流に沿って朝鮮半島(韓半島)に至ったのではないか、というのですね。想像の域を出ないものですが、ロマンがあると思いませんか。
 そんな昔から遠く離れた国の人同士で国際結婚していたんだね。
 さて、次は日本に関わる神話をお話しすることにしましょう。


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