三匹のイワナ

 松谷みよ子が「小泉小太郎」等の民話を元に創作した小説『龍の子太郎』に、主人公の母親が禁忌を犯して竜に変わってしまうエピソードがある。村の仲間たちと共に山仕事をしていたとき、食事作りを任されてイワナを三匹獲って焼くが、空腹に耐えかねて他の者が来る前に全部一人で食べてしまった。すると激しく喉が乾き、沢の水をガブ飲みするうちに龍に変わってしまった……というものだ。

 これもまた実際の説話に原拠があり、このモチーフは【三匹のイワナ】と呼ばれている。民話ではイワナを全部食べて龍に変わってしまうのは男性なのだが。

 青森、秋田、岩手県の一帯に八郎という大男もしくは竜神の伝説群があるが、この中に組み入れられている。

 昔、某所(伝承によって場所が異なっている)に八郎、または八郎太郎という若者がいた。彼が友人たちと三人で山に行って小屋掛けし、毎日交代で二人が柴刈りに、残り一人が留守番して炊事をしていた。八郎が炊事当番の日、小川で三匹のイワナを見つけて獲り、小屋に持ち帰って焼いたが、あまりにいい匂いがするのでたまらず、一人で全部食べてしまった。すると急に喉が乾き、汲み置きの水ではとても足りない。とうとう沢へ降りて腹ばいになって直接口をつけてガブ飲みした。そこへ友人二人がやって来たが、八郎はもう人ではない異様なものに変わっていた。驚く彼らに八郎は訳を話し、自分はもう水から離れられないから里へは戻らない、そのことを家族に伝えてくれと語った。

 その後、龍に変わった八郎は蛇体で水をせき止めて十和田湖を作っただの、もっと沢山飲める水を求めて十和田湖に飛んで行っただのと言われる。彼はここの主となったが、やがて南祖坊という山伏がやってきた。彼は熊野権現に泊まった晩、夢で僧侶に鉄のわらじを与えられ、この紐の切れた地に安住せよと告げられた。そこで鉄のわらじを履いて諸国行脚し、ついに紐が切れたのが十和田湖の前であった。(一説によれば、この時湖底から一人の美女が現れ、南祖坊に救いを求めた。彼女は元々十和田湖の主であった青龍権現で、突然入り込んだ八郎に無体な性的暴行を受けて苦しんでいたのである。)南祖坊と八郎は激しく戦った。南祖坊の経典の一文字一文字が僧兵となって打ち向かい、八郎の鱗の一枚一枚が大蛇となって差し向かう。ついに八郎は敗れ、十和田湖から出て行った。

 その後は雑多な伝承が積み重なっている。八郎は川をせき止めて自分の湖を作ろうとする。そうして作ったのが八郎潟だとか、いやいや、どこへ行ってもその土地の神仏に邪魔されて完成できず、とうとう自棄になって八郎潟に入ったのだとか。

 ともあれ、八郎は八郎潟の主に落ち着いた。その後に彼は、田沢湖の女神、辰子姫と恋仲になった。彼女も元は人間だったが龍になったのである。毎年十一月八日になると、八郎は田沢湖へ通い、春までそこにいる。二人のあまりの仲の良さから田沢湖は冬でも決して凍ることがなく、周囲の神仏が焼き餅を焼くものなのだという。

 松谷みよ子は、この伝承を貧しい山村の厳しい掟を表したものだと解釈した。食べ物は平等に分け合わねばならないと戒めたものだと。確かにそうだろう。東北ではそのように伝えられてきたという説は納得できる。実際に、口承される時はそのような教訓が最後に語られることがあるようだ。

 だが類話を見ていくと、必ずしも《他の仲間の分の食料を食べて》姿が変わるわけではないことは、注意しておくべきことだろう。

 岩手県久慈市大川目町の伝承では、八郎太郎という少年が山で遊ぶうち、喉が渇いて泉の水をすくって飲もうとする。ところが何度すくい直しても手の中の水に小さなイモリが一緒に入る。あまりに喉が渇くので仕方なくそのまま飲むと、その水の美味しさは素晴らしく、我を忘れて飲み続けた。すると彼は身長が三メートル近い大男になってしまったのだった。そしてまた、一時も水なしには生きられないようになったのだという。(以降は、水をせき止めて湖や山を作った業績、南部某との戦いと敗北、金のわらじが擦り切れるまでの約束の地を求めての彷徨、約束の地で炉の中から水を湧かせて八郎潟を作り、主となったことが語られる。

 更に海外の民話に目を転じても、インドネシアの「木の上のたまご姫」では洞穴の中の卵を食べて喉の渇きのために海へ去り、七つ頭の龍に変わる。中国四川省の「母恋いの洲」では竜珠を呑んで川の水を呑み、赤龍に変わっている。イモリを呑んだ八郎太郎のように、どちらも《霊威あるもの》を食べたことでこの現象に見舞われている。誰かの分け前を食べた罰ではない。

 してみると、《三匹のイワナ》というのも本来は《美味しそうな食事》ではなく、竜珠(龍の卵)、(竜の化身の?)イモリのように、それ自体が《霊威あるもの》だったのではないかと思えてくる。

 

 さて、龍に変わった男は湖を作っただの洪水を起こしただのと言われ、水神としての性格をあらわにしている。しかしその一方で、八郎は巨人としても語られ、山や丘を作ったなどと語られており、「母恋いの洲」でも赤龍に変わった若者は二十四もの洲を作ったとしている。創世神話の巨人タイプの造物神の片鱗をも見せているのである。

 実は、中国の『山海経』大荒北経/海外北経や『列子』湯王篇に、これと関連すると思しきエピソードを見出すことができる。

 大荒の中に成都載天という山がある。そこに二匹の黄蛇を耳飾りにし、二匹の黄蛇を手に持っている夸父こほという者がいる。后土は信を生み、信は夸父を生んだ。

 夸父は自分の能力を考えもせず、太陽を禺谷まで追って行った(禺谷で追いついた)が、喉が渇いたので黄河の水を飲んだ。しかし飲み足りなかったので、百里四方もあると言われる大沢の水を飲もうとして駈けて行ったが、そこに行きつく前に死んだ。

 この時、打ち棄てられた夸父の杖が、彼の死体の膏や肉を肥料として、大きな樹林に変わった。それをケ林(桃林)と言う。その林の広さは数千里に達する。

 唐代の『朝野僉載』に、辰州(湖南省)の東部に鼎を逆さにしたような三つの高い山があり、それは太陽を追う夸父が飯を炊いた時のかまど石だと古老が言うとある。つまり夸父も八郎と同じ、山を作った造物神の面を持つのだ。また、最後に死して林になるくだりは、その死体から万物を化生させたという巨人・盤古を彷彿とさせる。

 夸父は何かを食べたとは語られていない。そして龍に変わったとも書かれていない。しかし『山海経』大荒北経には続けて「応龍は蚩尤を殺し、更に夸父をも殺し、やがて南方に去って住んだので、南方には雨が多い」とある。

 応龍が殺したという蚩尤は、黄帝と戦った怪物である。『山海経』によれば、風の神や雨の神を従えて黄帝勢を苦しめた。だが、最終的に黄帝の派遣した魃(日照りの女神で黄帝の娘)によって力を失い、退治されたとされる。様々な要素が習合したものらしく、その原型ははっきりしないが、《雲》の神格化という見方も可能であろう。

 黄帝は天神(天帝)に重なる存在とみなせる。つまり太陽である。『山海経』西山経に帝江という神の記述があり、これと黄帝を同一視する説もあるそうだが、帝江というモノは「湯谷に住み、姿は黄色い袋のようで、火のように赤く、六つの足、四つの翼があり、混沌として面も目もない」という。実は湯谷というのは『山海経』海外東経にて扶桑の木が生え太陽が沐浴すると書かれてある場所なのだ。黄色く膨らむ袋で火のように輝き顔がなく複数の足と翼がある…とくれば、太陽をイメージするのはた易いだろう。

 そんな黄帝に風雨や霧で立ち向かった蚩尤は雨雲、曇天であろう。たとえばジプシーの伝承でも、雨雲は太陽の対立者としてしばしば現れる。雲は時に太陽をひどく弱らせるが、最終的には太陽が水浸しの世界を照らし乾かして勝利を収める。黄帝が魃を派遣して乱を終わらせたように。

 魃の前に黄帝が派遣したとされるのが応龍である。この龍は蚩尤との戦いの際に「水を蓄えた」という。龍になった八郎がそうしたように、龍体で川をせき止めて湖を作ったのだろうか。だが水の力では、同じ力を使う蚩尤には勝てなかった。ところが、前述のように、応龍が蚩尤と夸父を殺したと『山海経』の夸父の記事には書かれてある。

 手短に言えば、この「夸父は応龍に殺された」という記事を、三匹のイワナを食べた男が龍に変わってしまったことと同じ意味に捉えることはできないだろうか。男は龍に変わることで人間として死んだのだから。そしてまた、夸父は最初から蛇を耳に飾り黄蛇を握りしめた姿をしている。これは、太陽を追って走った夸父が、巨人であると同時に黄色い大蛇であったことを暗示しているのではないか?

 

 そもそも、どうして夸父は喉を乾かせたのか。世の解釈は概ね、太陽を追って走ったせいだとしているようで、そうまでして走っても彼は太陽を得られなかったのだとする。彼が自分の力量を量れない傲慢者だった、という前提も、「追いつくはずがないのに太陽を追いかけたから」と解釈されがちだ。そうだろう。現実には太陽に追いつくなどあり得ない。

 ――だが、これは神話なのである。夸父は禺谷(太陽の沈む谷)まで追った。……ここで追いついたのだ。

 夸父は太陽を追い、禺谷で追いついて、丸呑みした。そう解釈することはできないだろうか? 彼が傲慢なのは、太陽を我が物にせんと呑み込んだからなのではないか。太陽を呑んだから、彼は喉が渇いてたまらなくなったのである。

 そしてまた、大河の水を次々と飲み干す夸父の姿には、旱魃と雨の双方をもたらす龍神の姿が透かし見える。沖縄ではかつて虹を《雨呑み者アミヌミヤー》と呼び、赤まだらの蛇が地上から長い首を伸ばして天の泉の口を塞いで水を呑んでいる姿なので、これが現れると下界に雨が降らなくなると忌んでいた。中国の観念は逆転していて、龍蛇である虹が天から長い首を降ろして地上の井戸の水を飲むとする。

 

 ロシア、ハンガリー、スロバキア、セルビア、ブルガリアなどに伝わる民話に、龍が盗んだ太陽(と月と星)を英雄が取り返しに行く話がある。龍がそれを盗んだために世界は暗黒になり、勇士(または鍛冶屋)の三人息子が馬に乗って出発する。龍と橋で出会い、末息子の活躍でそれを殺して、太陽を取り戻す。すると怒った老婆の龍が追って来る。一人の鍛冶屋が現れてこの龍を退治する。(龍は大地を富ませる。また、龍は水をガブ飲みして腹が弾けて死ぬ。)

 これは日月食の神話でもあろう。世界各地に、日食や月食は怪物(犬狼/蛙)がそれを食べるために起こるという神話がある。上述の民話では龍は盗んだ太陽や月を地下に隠しただの袋に入れていただのと語られるが、観念上、呑んでいたのではないか。

 中国の五穀豊穣と雨乞いの儀礼を起源とするという長崎くんちの《じゃ踊り》では、龍が金色の玉をひたすらに追う。この玉は《月》または《太陽》を意味しているのだという。龍は不老長寿の源であるそれを追い求めるが、なかなか捕まえる事が出来ない様子を表したものだそうだ。龍蛇が月や太陽を追うというイメージがここにも見える。

 中国や東南アジア、モンゴルには龍が日食を引き起こすという観念があり、爆竹や銅鑼を鳴らすのは龍を驚かせて吐き出させるためだという。インドにはアスラ神族のラーフが太陽と月の告げ口のために首を切られ、それを恨んで追いかけては呑み込むが、頭しかないためにすぐに太陽や月は逃げてしまうという神話がある。(余談ながら、モンゴルで太陽を飲む龍を《ラー》と呼ぶのは、ラーフから来ているらしく思われる。)この分断されたラーフの頭と体に相当するものを、西洋占星術ではドラゴンヘッド、ドラゴンテールと呼ぶ。これは架空の天体で、太陽の軌道(黄道)と月の軌道(白道)が交わる二つの点を言う。月がこの位置に来る時 新月だと日食が、満月だと月食が起こるのである。

 龍が太陽を呑むという観念はかなり古いもので、今世紀になってラス・シャムラから発掘された、紀元前十四世紀頃とされるウガリッド王国の粘土板に刻まれた物語「バアルとアナト」に、七つ頭の悪蛇ロタン(レヴィアタン)が太陽や月を呑んで蝕を引き起こすとあるという。また、エジプトの太陽神話の一つに、太陽神ラー(鳥)は大蛇アペピと日毎に戦い、蛇に呑まれている間が夜である、とするものがある。

 

 最後に。龍は太陽を呑むものだが、太陽が天空にある時は光り輝く生命の神、夜に地に沈んでいる間は冥界を支配する死の神となるように、龍と太陽も表裏一体、ほぼ同一の存在とみなされることがあるようだ。夸父は黄色い蛇を握っている。中国の五行思想では黄色は土行を現すが、これは彼が太陽を呑む地の龍であると同時に、黄金の龍…太陽そのものであることをも暗示してはいないだろうか。

 シベリアやアラスカの諸民族にはワタリガラスが太陽を盗み去るか、あるいは盗まれていた太陽を取り戻しに行く伝承がある。中国の神話では太陽はカラスがその背に乗せて運ぶ。あるいは、太陽の中に三本足のカラスがいる…カラスが太陽そのものであるとみなされていた。



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