子供の焼き直し

 かつてロシアでは《子供の焼き直し》なる民間治療が行われていたという。十九世紀のロシアの民俗学者I.P.サーハロフの『ロシア民衆の物語』(1885年版)によれば、それはロシア東北部・中部・南部、シベリア、ベラルーシの一部で行われた。太陽光を充分に浴びられないとビタミンDが不足し、乳幼児の骨が発育不全や変形を起こすことがある。これをクくる病と言うが、痩せ細って老人のような風貌を呈す。日照の乏しいロシア北部では特に発症しやすく、この病気による一歳児の死亡率は十九世紀末のロシア北東部では六十パーセントに達したという。

 この病をロシアでは《犬の老衰サバーチヤ・スターロスチ》と俗称していた。これを癒すため、民間の治療師――呪医の指導により、子供をかまどで焼き直すという治療が、現実に行われていたのである。

 サーハロフはこう書いている。

 犬の老衰は、田舎のまだ歯の生える前の一歳児を、主に夏に襲うようだ。民間治療師の婆さんは、病気の子供を診て、子供は犬の老衰という業病にとりつかれているので早死にする、と告知する。不幸な両親は、このたわごとを信じて、治療師の婆さんに病気の治療を依頼する。指定された日までに一歳の白い毛の仔犬を捜し出す。夜半前にペーチ(ペチカ。かまどのこと)を《熱く・熱く》焚いておき、鶏鳴とともに仕事にとりかかる。治療師の女は仔犬の脚を縛って熱したペーチに仔犬を入れる。それから母親の手から病気の子供を取り上げて、仔犬と並べてペーチに入れる。こうして子供と仔犬を焼きはじめる。両親は、子供が大きな声で泣けば泣くほど、それだけ早く病気が子供から出て行く、と信じた。焼きが終わる。子供は半死半生の状態で、しばしば危篤状態で母親の手に戻される。犬はその夜のうちに川に沈めるようにする。

 こうして子供を焼く際、治療者たちは子供の体に酵母菌抜きのライ麦の練り粉を塗り、パン焼き皿の上に乗せて熱したペーチの中に三度差し入れ、その度に「犬の老衰サバーチヤ・スターロスチを焼け、もっとよく焼け」という風に唱えたという。つまり、子供を(かまどで焼くことで変化・完成する)パンに見立てていたことが分かる。

 

 かつてローマの神殿娼婦たちは《パンの婦人たち》と呼ばれていた。『グリム童話』の「ホレおばさん」では、井戸の底の女神ホレの世界(冥界)へ行くと、たわわに実った果樹や沢山のパンが焼けているかまどがある。家庭の中心に燃えるかまどはそれを管掌する主婦…子や料理を魔法のように生み出す母親を象徴するもので、同時に、《内部に火を燃え盛らせる空洞》でもあるそれは、獄炎燃え盛る冥界…豊穣なる太母神の子宮とも重ねられていた。これは世界中の伝承に見てとれるイメージである。

 ギリシア神話において、地母神デメテルが地上に降りた時、乳母として預かった子供(エリウシース王ケレオスの子、デーモポーン。またはトリプトレモス)を夜毎に火中に差し入れて焼いていた。子供の人間としての部分を焼いて不死にしようとしていたのだという。だがそれを発見した者が止めて非難したので果たせなかった。『今昔物語』巻二第二十で語られるインドの物語では、継母が幼い少年を焼けた鍋の上に乗せたり、煮え立つ釜の中に入れる。しかし父親がそれを発見して救い出した。

 この少年は、長じて偉大な僧になったと語られる。なお、デメテルが焼いたトリプトレモスの方は、デメテルに竜車と麦種を与えられ、世界を旅して麦種をまいて世界に広めたとされる。日本神話の天孫ホノニニギのようだ。母親が子供を焼いたり煮たりすることで、子供をより素晴らしいものに焼き直し…《産み直す》という観念が現れている。

 とはいえ、これら古い物語の時点で既にその観念は半ば忘れられ、否定されつつあるのだが。デメテルも継母も周囲からその行為を止められ、子供を害する悪行為として非難されている。

 

 病んで発育不良になった乳幼児を焼くことで《健康な子供に産み直す》という治療は、ロシア以外でも行われていたらしい。アイルランドの妖精伝承における《取り換え子チェンジリング》の民俗は有名である。乳幼児の発育が悪く、乳を飲まずに泣いてばかりいたり、いつまでも揺り籠に寝ていたり、痩せて老人のような風貌をしていた場合。あるいは逆に、暴れては異様な食欲を見せる場合、母親はそれが取り換え子ではないかと疑った。妖精がこっそり本物の子供と偽物をすり替えたのだ。そこで、その正体を見極めるための儀式として、子供を焼くことが行われたというのである。例えば、その子を(パン焼きシャベルの上に乗せるなどして)火にかざし、唱える。「燃えろ、燃えろ、燃えろ。――悪魔のものなら燃えてしまえ。けれど神様聖者様のもの下さりものなら傷つくまい」と。もしそれが偽者なら、悲鳴を上げて煙突から外に出ていくという。あるいは焼けた火箸で鼻を挟む、突くなどすれば正体を見現すことが出来、退散するとされたようだ。

 取り換え子の伝承は西欧一帯に広まっており、『グリム童話』にも入っている。(KHM39「魔法を使う一寸法師」三番目の話) パターンは幾つもあって、「(卵の殻で湯を沸かす/卵の殻で酒を醸す/内臓入りプティングを食べさせる)などすると、揺り籠に寝ていた子供が『私は随分長く生きたが、こんな馬鹿馬鹿しいものは見たことがない!』と笑うまたは恐れて消え去る」「発育不全の子供を持つ母親が、特定の聖地へ連れて行けば治ると言われて背負って出掛けると、途中で会った者に『それは妖精の取り換え子だから捨てろ』と警告され、言われた通りにして本当の子供を取り戻す」「取り換えられた妖精の母親が現れて元に戻す」などが有名だ。

 その中に《子供の焼き直し》を踏まえたパターンがある。

スカンジナビアの伝承

 食が細く発育の悪い子供がおり、母親はその子が取り換え子ではないかと疑った。そこで炉にがんがんと火をくべてオーブンを熱く焼いた。召使いの少女は、予め教えられていた通りに「何故そんなことをするのですか」と訊いた。「私の子をオーブンに入れて焼き殺すためだよ」と母親は答えた。

 この問答を三度繰り返した後、母親は子供をパン焼き用の木のシャベルの上に乗せ、オーブンの中に突き入れようとした。

 その途端、怯えきった妖精トロルの女が本物の子供を抱いて現れ、シャベルに乗せられていた子をひったくってこう言った。

「あんたの子はここにいるよ、受け取りな。けれど私はあんたの子に、あんたが私の子にしたほど酷い仕打ちはしなかったよ」

 実際、その子は丸々していて元気だったという。

 これら物語の中では、本当に子供をかまどに入れたり火箸でつまんだりする母親は出てこない。しかし周囲の物知りな年配の女性がそうするように勧めた、と語られることが多い。ロシアで少なくとも十九世紀まで実際に《子供の焼き直し》が行われていたことを踏まえれば、これらの伝承が伝わる地域にも同様の慣習があったのではないだろうか。十七世紀から十九世紀のドイツ、スカンジナビア、イギリス等の裁判記録には、妖精の取り換え子と目した子供を(放置、水に漬けるなどの方法で)虐待死させた者の裁判記録が見られる。一種の《口減らし》としても行われていたらしく、野に捨てる、木の枝で叩く、毒草を煎じた風呂に入れるなどの方法も推奨されていたようだ。

 

 女が子供をパン焼きシャベルに乗せてかまどに入れて焼くというモチーフは、「ヘンゼルとグレーテル」のような【童子と人食い鬼】系話群ではお馴染みのものである。ただ、これらの物語ではとうに《子供をよりよく産み直す》という観念は忘れられていて、子供たちは逆にかまどの持ち主である女をかまどに突き入れて殺してしまう。彼女が子供を子宮かまどに入れ直す行為は、子供にとっては《食い殺される》こと…忌避すべき《死》に過ぎない。彼女はもはや美しくふくよかな太母神としては扱われず、痩せ衰えた醜い老婆…《魔女》とされている。

 

 シベリアのウデヘ族の民話「一人のムルグンが暮らしていた」に興味深い描写がある。

一人のムルグンが暮らしていた  シベリア ウデヘ族

 若者が独りで暮らしている。ある時やってきた者が彼をじっと見つめて、お前の村の人々はかつて皆殺しにされたが、お前の母親が隠したのでお前だけは生き残った。お前の母は海の果ての鍵のかかった家に囚われており、お前の父は海の底の牢に入れられ餓死寸前になっていると告げた。若者は両親を助けに行くと意気込み、教えた者は最初止めたが、最後に「ここを進んだ先にお婆さんがいるから、彼女に話を聞くことだ」と教え、言い終わると消えてしまった。

 若者は武装して出かけた。途中で襲ってきた二匹の犬を蹴り殺すと、教えられたとおり、その先に一軒の家があって老婆がいた。

 だが若者はこの老婆を全く信用しなかった。人間の骨を齧っていたからである。老婆は若者に「何処に行くのか」と尋ね、若者は「父の敵を倒しに行く」と言った。老婆は食事を勧めたが若者は断った。

 夜になって寝ていると、老婆が起き上がって、手に弓やナイフを持って近づいてくる。しかし若者は油断せず起きていたので「何をする気か」と問いただした。すると老婆はあれこれ言い訳するのだが、暫くするとまた近づいてくる。そうこうしているうちに夜が明けた。

 朝になると、老婆は若者の体を鉄のように強くしてやろうと言った。鍋に湯を沸かし、中に色々なものを入れて煮立てて、二人の体を縄で縛って一緒に飛び込もうと誘った。しかし若者はこれは老婆が自分を煮殺そうとしているのだと思った。そこで縄の結び目に細工しておき、自分は鍋を跳び越えて、老婆を鍋の中に引き落とした。人食いの老婆は死んだ。

 その先へ進むと呻きながら誰かに引きずられている娘がいた。若者はすぐに引っ張っていた者を殺した。娘は若者に感謝して、お礼にあなたを助けましょうと言い、様々なアドバイスを語り始めたが、若者はろくに聞かなかった。お前なんかに俺を助けることなんて出来ないだろうと言って、自分の矢に彼女を乗せて放ち、家に帰してやった。

 敵の住処に着くと、若者はまず、岸辺に泊めてあった船を燃やした。その火を見てやって来た敵の偵察隊も皆殺しにした。ついに敵の首領が輝く金属の鎧を身にまとって現れた。激しい戦いになった。若者は劣勢になり、敵は侮って途中で休憩した。その時になってようやく、若者は助けた娘の言っていたことを思い出した。

『(敵は魂を別の場所に隠しているから不死身なのです。)二羽の水鳥が飛んできて、敵の魂を落とすでしょう。そうしたら、あなたはそれをしっかり握ってください』

 まさに二羽の水鳥が飛んできて、彼の手に小箱を落とした。それを見た敵は慌てはじめて、財産も妻もみんなお前にやろうと言い、若者の両親の居場所まで教えたが、若者は(こいつ、俺を騙す気だ)と思い、全く容赦せずに箱を壊した。たちまち敵は死んだ。

 若者は教えられた海の下へ行き、門番を順番に脅して幾つもの扉の鍵を開けさせ、父を助け出した。それから母も救い、囚われていた全ての人を解放した。そうして助けてくれた娘を探しに行き、連れ帰って結婚した。彼女の母親も共に連れ帰って養った。そして今でもみんな幸せに暮らしているという。

 ロシア民話でお馴染みの「不死身のコシチェイ」タイプの話だが、物心つく前に一族が全滅して独りで暮らしていた若者が主人公である点はアイヌの伝承を思わせる。

 この話に登場する老婆は、スラヴ伝承のババ・ヤガーに相当する存在で、本来なら冥界への道の関守であり(襲ってきた二匹の犬は冥界の番犬である)、主人公の援助者であるはずだ。彼女に気に入られなければ海の向こうの国…冥界にいる両親を連れ戻すことは不可能であるはずなのである。実際、最初に主人公に行き先を示す何者か(アイヌの伝承に倣えば、主人公を密かに援助し続けた、一族の守護神と思われる)はこの老婆に話を聞くように言っている。しかし主人公は全くこの老婆を信用しない。老婆が、煮え立つ鍋に入れば鉄のように強い体に《生まれ変われる》と勧めても、頭から否定する。そして逆に老婆を鍋に落として殺すのだった。グレーテルがそうしたように。

 ババ・ヤガー(山姥)は太母神が矮小化した姿だと思われる。彼女は子供を食べてしまう恐ろしい魔女だが、それでもまだ、迷い込んだ子供を匿い、魔法のアイテムで富を授けてくれる、優しい母親としての面も保持しているものだ。だがこの民話では、彼女は完全に悪しき存在でしかない。鍋で煮られれば強く生まれ変われるという彼女の主張は、完全な与太話、くだらない嘘として扱われている。 

参考文献
『ロシア異界幻想』 栗原成郎著 岩波新書772 2002.
『ケルト妖精物語』 W.B.イエイツ編 井村君江編訳 ちくま文庫 1986.
『妖精の誕生 ―フェアリー神話学―』 トマス・カイトリー著 市場泰男訳 教養文庫 1989.
Changelings」/『D. L. Ashliman's Home Page』(Web)
一人のムルグンが暮らしていた」/『北東ユーラシアの言語文化』(Web)



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