白い羊と黒い羊

 民話には、意味が忘れ去られ断片化したと思われる謎めいたモチーフが見られるものだが、その一つに「白い羊と黒い羊」がある。(羊ではなく牛のこともある

 異界に落ちてしまった主人公に超自然的援助者が忠告する。「この先に白い羊と黒い羊がいるが、決して黒い方に乗ってはならない」。ところが主人公は黒い方に乗ってしまい、たちまち更なる地底〜異世界に落ちてしまうのだ。あるいはアフリカの「恩知らずの女」のように、最初から「黒い方に乗れ」と教えられることもある。黒い方に乗れば、飛ばされて、生命の果樹のある遥か遠い国へ行くことができるだろうと。

 白い羊と黒い羊。これは一体、何なのだろう。その背に乗ることには、どんな意味があるのだろうか。

楽園の林檎  イスラエル

 王がおり、既に老いたというのに子供がなかった。ある日のこと、みすぼらしい姿をした預言者エリヤ(『旧約聖書』にも登場する聖人)がやって来て、林檎を二つ出して言った。「この林檎を、寝る前にお妃さまと半分ずつ分けてお食べなさい。もう一つの林檎は男女の奴隷に与えて同じように食べさせ、林檎の皮は雌馬と雄馬に与えなさい」と。

 あくる朝になってみると、その林檎を食べた者はみんな若返って溌剌としており、一年後に妊娠し、更に一年後に子を産んだ。そうして王妃は一年ごとに一人ずつ、三人の王子を産んだのだった。

 三兄弟が十八、十七、十六歳になった時、王は目を病んだ。再び預言者エリヤがやって来て、人々を集め、一杯の酒盃を持って、「王を大切に想う者はこの盃を飲め、その者に頼みたいことがある」と告げた。誰もが恐れて進み出なかったが、ついに一番上の王子がそれを飲んだ。預言者の頼みとは、「楽園へ行き、林檎を一つ、葉を付けたまま取ってくること」という、とんでもないものだった。その林檎であれば王の目を癒すことができると。

 上の王子は出発した。正午になった時、木の下にいる預言者と出会った。彼はこう教えた。

「日が沈む頃に楽園に着くだろう。すぐに馬から降りて林檎をもぎなさい。もいだら懐に隠して床に就くのだ」

 上の王子は楽園に着くと、その素晴らしさにすっかり忠告を忘れてしまった。林檎をもがずに眠ってしまったのだ。……眠っている間に七つ頭のライオンが現れ、林檎を食べ尽くしたことにも気付かずに。そうして目覚めると辺りには不毛の砂漠が広がっていた。泣き泣き帰途に就くと、行きと同じ場所で預言者に出会った。彼の告げた言葉は「やり直しは二度とできない」という残酷なものであった。

 病に苦しむ王は、再び楽園へ行く勇者を募った。今度は中の王子が楽園へ向かった。しかし全ては上の王子と同じ運びとなり、同じ結果に終わった。

 最後に末の王子が出掛けて行った。彼は自分の指をナイフで切り、塩をまぶしておいた。その痛みで眠ってしまうことがないように。

 真夜中になると、楽園に七つ頭のライオンが現れた。王子は素早く躍りかかると剣でライオンの頭を六つまで切り落とした。一つ頭になったライオンは逃げ、深い井戸の中に消えた。王子は傍にあった岩を見た。その中心に小さな穴がある。神の名を唱えながら穴に指を挿し入れ、大きなそれを持ちあげると井戸を塞いだ。

 それから、王子は楽園に実っていた林檎やその他の果実をもぐと、意気揚々と帰途についた。行きと同じ場所で預言者に会ったので、林檎を二つ三つ分け与えた。城に戻り、林檎を父王に食べさせ、かつ、すりおろして目に塗ると、王の目は癒されたのである。

 

 それからしばらく過ぎた時、末の王子は「もう一度楽園へ行って、怪物に報復をしよう」と言い出し、嫌がる兄たちを無理やり連れて行った。井戸を塞いだ大岩を兄たちはまるで動かせなかったが、末の王子は動かした。縄を垂らして井戸の底へ降りてみることになったが、上の兄は四分の一、中の兄は半分ほど降りると怯えて泣きだし、やむなく引き上げられた。最後に末の王子が「僕が泣いても引き上げないでくれ、縄をびくびく引っ張ったなら上げてくれ」と言い、兄たちの制止を振り切って降りて行った。

 王子は井戸の底に降り、そこに洞穴を見つけた。中には三つの部屋があり、一つ目を覗くと、ライオンが美しい娘の膝枕で眠っていた。娘は王子に気づいて、ライオンが起きたら危ないと忠告した。また、ライオンの力の源はコップの中の水なのだとも。王子は、自分がライオンと戦って危なくなったらコップを割ってくれと娘に頼んだ。

 目覚めたライオンは王子に襲いかかった。激しい戦いの中、王子が危機に陥った時、娘がコップを割った。ライオンは力を失って倒された。死の間際に、ライオンは王子に「どうかもう一太刀浴びせてくれ」と頼んだ。とどめをさせと。これは実は復活のための策略だったのだが、王子が「人間は一度しか討たぬ」と断ったので、ライオンは死に、二度と復活することがなかった。こうして美しい娘を解放し、部屋にあった黄金の絨毯と赤い馬をも王子は手に入れた。

 王子は娘を上の兄の花嫁にすることにして、縄で兄たちに合図し、引き上げさせることにした。その際、娘は王子にこう忠告した。

「ここには他に二頭のライオンがいて、私の妹たちがそれぞれ囚われています。あなたなら、きっと妹たちを救いだしてくれることでしょう。けれどもここから脱出する時には、あなた自身より先に妹を引き揚げさせはしないことですよ」

 娘を地上に送りだすと、王子は次の部屋を覗いた。最初よりも美しい娘がライオンを膝枕している。ここでも同じように戦って、王子はライオンを倒した。このライオンの力は鳩の中に隠されており、持っていた宝は、黄金の葡萄が盛られた金の鉢と黄色い馬であった。ここで助けた娘は中の兄の花嫁に相応しいと思われた。

 最後の部屋の娘は最も美しかった。この部屋のライオンの力は箒の中に隠されており、黄金のオンドリ・メンドリ・四十羽のヒヨコの乗った皿と、白い馬具の白馬という宝を持っていた。

 王子はライオンを倒し、娘からこの洞穴の鍵を譲り受けた。様々な宝を自由に取り出せるようにだ。それから娘を先に引き上げさせようとすると、「それはよくありません」と嫌がった。「きっとお兄さんたちは裏切って、あなたを引き上げる途中で縄を切るでしょう」と。しかし王子は娘を先に脱出させることにこだわった。娘は渋々ながら従って、こう助言した。

「もしもあなたが落とされたなら、ここよりも七の七倍深く落ちてしまいます。そこに白と黒の羊がいますから、白い方にお乗りなさい。もしも黒い方に乗ってしまったら、また七倍深く落ちてしまうでしょう」

 果たして、娘の後で王子が井戸から脱出しようとすると、引き上げられる途中で縄が切られた。兄たちは弟の素晴らしい幸運と有り余る能力に嫉妬したのだ。王子は暗闇の中をどこまでも落ちて行った。やがて白い羊と黒い羊を見たが、間違って黒い羊に乗った。途端に、遥か遥か遠い下の国へ、更に落ちて行った……。

 

 やがて意識を取り戻した王子は、向こうに見える灯を頼りにして歩き、見知らぬ都市を見つけた。一頭の羊を買って屠殺し、剥いだ皮を被って醜い姿を装うと都市に入った。見れば長蛇の行列が進んでおり、人々は悲しそうであった。老人に訳を訊いたところ、生け贄にされる娘を送り出す行列なのだと言う。この辺りの水は一頭のライオンに管理されている。毎週金曜日に町の娘一人と料理を送り届けると、一時間だけ蛇口がひねられ、水が流されるのだと。

 王子は行列について行き、ライオンを退治した。ライオンの血は溢れ、水と共に水路に流れ出して大地を潤した。娘は「ぜひ私の家に来てください」と感謝したが、王子はそのまま立ち去った。そして一人の孤独な老婆の家に住みこんだ。

 王は都市に水が溢れたことを喜び、英雄を探し出そうとした。全ての男が草原に集められたが、そんな中、羊の皮を被った王子は興味なさげに眠っていた。ところが、実は生け贄の娘が自分を救ってくれた若者の背中に、ライオンの血で五本の指の印をつけていたのだ。王子は見つけ出され、翌日に王の前に引き出された。王は「礼に何が欲しいか」と尋ねたが、王子は何も要らないと断った。再び王は尋ねたが若者はやはり断る。三度目に王は「そう言うな。損をするぞ」と言った。そこで王子も「一ヶ月待ってください」と答えた。

 王子は老婆の家に帰り始めたが、途中、オリーブの木の木陰で休んだ。その木に一匹の蛇が這い上って、枝の上の鷲の巣を狙った。王子は蛇を殺し、細切れにして鷲のヒナたちに与えると、再び木の下で眠った。やがて母鷲が帰って来たが、木の下の王子を見て、いつもヒナたちを殺していたのはこいつだったのだと思い、襲いかかろうとした。しかし話を聞いて誤解を解き、王子に「お礼に何が欲しいですか」と尋ねた。「何も要らない」と二度断ると、三度目に「そう言わないでください。損をしますよ」と言う。「それなら、上の世界に帰らせてくれ」と王子は頼んだ。

「いいでしょう。ただし、酒四十袋、脂のノった羊の腿肉四十本を用意してください。上の世界に行くまでの四十宿で、それらを一つずつ私に与えてください」

 王子は都市の王の所へ行き、保留になっていた謝礼として、酒四十袋と羊の腿肉四十本を用意してもらった。鷲の片方の翼にそれらの荷物を積み、もう片方に王子が乗って出発したのである。

 こうして四十の宿ごとに酒一袋と羊の腿肉一本を鷲に与えていったが、なんとしたことか、最後の宿で腿肉が転げ落ちてしまった。そこで王子は、黙って自分の腿の肉をえぐり、鷲に与えた。

 ついに上の世界に着いた。王子は鷲から降りて歩き始めた。すると鷲が追ってきて、「どうしてそんなによろよろと歩くのですか」と尋ねる。「ずっとお前に乗っていたから、足が痺れておかしくなったのだよ」と答えると、鷲は「本当のことをお言いなさい。怒りますよ」と言う。そこで自分の腿の肉をえぐって食べさせたことを打ち明けると、「私が気づいていなかったと思うのですか」と鷲は言い、食べていなかった肉をくちばしから吐き出して王子の傷に貼って舐めた。すると肉は元通りに治った。鷲は更に、左右の翼と尾から一本ずつ羽根を抜き、「これを燃やせば、私はすぐに駆けつけます」と言って王子に渡したのだった。

 

 地上の世界では、人々は末王子の喪に服していた。王子は羊の皮をかぶった醜い姿のままで仕事を探し、金銀細工師のもとで働いた。そんなある日、店に王と兄たちがやって来た。兄王子たちは、あの井戸の底から引き上げた娘たちと近々結婚するつもりらしい。

 それからしばらくして、父王と上の娘がやって来た。町じゅうの者が座っても半分残る黄金の絨毯を作れないか、と言うのだ。上の娘と上の王子の結婚が迫っていたが、上の娘はその絨毯がなければ結婚しないと言い張っていたのである。金銀細工師を装った末の王子は、私ならそれを作れると請け合った。七日で出来なければ首を取っていい、対価として金十袋をくれと。それから彼は仕事場にこもり、何を作るでもなく、ただハンマーの音を響かせ続けた。六日目に羽根を燃やして鷲を呼び、例の井戸の底の洞窟に行って鍵で開けると、金の絨毯と赤い馬を取り出した。そして絨毯を王に渡したのである。

 二日後に盛大な結婚式が行われた。人々が浮かれ騒ぐ中、王子は羊の皮を脱いで赤い馬に乗り、人ごみの中を剣を振り回して突き進んだ。その剣に触れた者は全て死んだ。王はこの恐ろしい死の騎士を捕らえようとしたが、彼は素早く消え去って捕まらなかった。

 それから二ヶ月後、中の王子と中の娘の結婚式が行われることになった。中の娘は黄金の葡萄が盛られた金の鉢がなければ結婚しないと言い張り、それを作る依頼が金銀細工師に持ち込まれた。末の王子は金十五袋で引き受け、やはりハンマーの音だけ響かせて作っているふりをし、最終日に鷲を呼んで、洞穴から黄金の葡萄が盛られた金の鉢と黄色い馬を取ってきた。そして同じように、結婚式当日に黄色い馬に乗って駆け込み、多くの人々に死を与えたのである。

 末の娘は大臣の息子と結婚させられそうになっていたが、姉たちがそうしたように、黄金のオンドリ・メンドリ・四十羽のヒヨコの乗った皿がなければ結婚しないと言い張った。依頼が金銀細工師に持ち込まれ、末の王子は金二十二袋で引き受けて、洞穴から持ち出してきた宝を渡した。

 さて、井戸の底から救われた三人姉妹は、あの金銀細工師こそ末の王子ではないだろうかと話し合っていた。自分たちが持っていたままの宝を三度も差し出したことで、ついにそれを確信した末の娘は、「私はこの宝を作った金銀細工師と結婚します」と宣言した。「彼こそは、私を救い出してくださった、末の王子様なのです」と。

 王はそれを聞くと、金銀細工師を王宮に引っ立てた。お前は本当にあれらの宝を作ったのか。そう言い張るならば、以前に作ったのと同じ黄金の絨毯をもう一度作ってみよ。そう命じると、頭が乱れて作り方を忘れてしまいました、などと、のらりくらりとかわす。王は怒り、脅した。

「正直に言わねば殺すぞ」

 すると羊の皮をかぶった金銀細工師は返した。

「そこまで仰るのならば、何故、上の王子たちには何も問わぬのです」

 末の娘に促されて、彼は羊の皮を脱いだ。それが紛れもなく末の息子であることを知って王は喜んだ。

 祝福の中で末の王子と末の娘の結婚式が行われ、一方、上の王子たちは相続権を失ったのだった。



参考文献
『世界の民話 イスラエル』 小沢俊夫/ 小川超編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

 

>>参考 [二人兄弟〜竜退治型]「ナルト叙事詩・ゼラゼと双子の兄弟」「灰坊」「ヴィラたち、馬に黍畑を食べさせる」[金髪の男][命の水

楽園の林檎」タイプの類話を見ていくと、主人公が白い羊と黒い羊に出会うのは、同胞はらからに裏切られて地底に落とされた時である。そうして紆余曲折の後に地上に戻ると、彼は死んだものとみなされている。更に帰還した主人公は、乞食の姿であったり、獣の皮をかぶっていたり、竜蛇になっていたりと、以前とは異なる姿に変貌している。

 これは、死と黄泉帰りの暗示だ。地底に落とされ閉じ込められる主人公は殺されたのであり、黒い羊に乗るとそこから更に深い地底に落ちるのは、死を暗示するモチーフが重ねて語られているのだと思われる。

 

 中世アイルランド(ケルト)の『メルドゥーンの航海』は、優れた王子メルドゥーンが自分の真の出生を知り、海賊たちに焼き討ちされて殺された実の父親の仇を討つため、十七人の仲間と共に船出し、海の世界をさすらう物語だ。ここで語られる海の世界は異界、即ち冥界の一形態であり、冥界巡りの物語だと言える。そして旅の中でメルドゥーンが立ち寄った島の一つに、白い羊と黒い羊の島が出てくる。

 その島は銅の柵で真ん中から二つに仕切られていた。島には無数の羊が群れており、一方の柵の中の羊は黒く、もう一方のは白かった。そして一人の男が羊を管理していた。彼が白い羊を捕まえて柵越しに黒い羊の方に投げ込むと、たちまち黒くなるのだ。逆に、黒い羊を白い方に投げ込むと白くなった。これを見てメルドゥーンの一行は恐怖を感じ、島に二本の棒を投げ込んでテストしてみた。樹皮の黒い棒を白い羊の側に投げ込むと白くなり、樹皮の白い棒を黒い羊の側に投げ込むと黒くなった。メルドゥーンたちは、この島に立ち寄れば自分たちの色も変わってしまうだろうと結論し、恐れおののきながら、上陸せずに立ち去った。

 このエピソードについて、田中仁彦は『ケルト神話と中世騎士物語』でこう解説している。(読みやすいように改行を適宜加えた。)

 おそらく、この島こそは生者の世界と死者の世界の境界なのであろう。そして、羊を分けている大男は生死を司る神、アイルランドの「すべての人の父」ダグザであり、ガリアの父なる神(ディス・パーテル)「槌を持つ神」であるに違いない。ダグザの持つ棍棒は一方の端で打てば死に、もう一方の端で打てば生き返るのだからである。ガリアの「槌を持つ神」の槌もおそらくは同様であろう。

 これと同じ話はウェールズの古伝承『マビノギオン』の中の『エヴラックの息子ペレディール』にも見られ、生と死の境界についてのこうしたイメージがアイルランドにかぎらずケルト人たちにとって共通のものであったことをうかがわせるが、この話では柵の代りに川が境界となっていて、一方の岸に白い羊、もう一方の岸に黒い羊がおり、一頭の黒い羊がメエーと鳴くと、一頭の白い羊が川を渡っていって黒い羊となり、また逆に白い羊がメエーと鳴くと黒い羊が川を渡って白い羊となるのである。

 また、この川の岸には一本の大きな木が立っていて、白い羊の側は緑の葉で覆われているのに、もう一方の側は根元から梢までまっくろに焼け焦げていて、白い羊の側が生、黒い羊の側が死であることを示している。

 ケルト人は霊魂の数は一定で、一つの新しい生命が生まれるためには一人の人間が死なねばならないと考えていたらしく、カエサルも「[ケルト人は]人の生命には人の生命をささげなければ、不滅の神々はなだめられないと考えている」(『ガリア戦記』六巻―十六節)と記し、ケルト人が人間を犠牲に供する習慣を持っている理由をそこに見ているのであるが、白い羊と黒い羊のこの説話も、生命の互換性というこのケルト世界共通の信仰を語るものだったのであろう。

 つまり、黒い羊に乗ることは冥界に運び去られる(死ぬ)ことを、白い羊に乗ることは冥界から連れ戻される(甦る)ことを意味するようだ。

楽園の林檎」のハンガリーの類話「底なしの泉」(『ハンガリー民話集』 オルトゥタイ著、徳永康元/石本礼子/岩崎悦子/粂栄美子編訳 岩波文庫 1996.)では、王子は底なしの泉から地下世界に降りて、鳥の足の上で回る城へ行き、竜の一族を退治して三人の王女を救い出す。そして白い羊と黒い羊のシーンは以下のように語られている。

どんなことをしても一緒に穴の上に出られない時、きっと黒と白の二匹の山羊がやって来ます。黒い方に乗ってはいけません、白い方に乗るのですよ、黒い方は竜の妻なのです!

 穴の所にやって来ると、王子はまず一番上の王女の胸に綱を結びつけて上に引き上げた。次に二番目の王女を、次に三番目を引き上げて、後に王子が残った。王子は兄たちが嫉んでいることを知っていたので綱に石を結び付けた。兄たちは石を結び付けた綱をうんと引っ張り上げて放した。哀れな王子はすんでのところで死ぬところだった。

 そこで振り返ると、どこからともなく二匹の山羊が現れて、跳びはねた。黒と白の山羊だ。王子はその背にまたがった! それも黒い方に! 直ぐに王子は、下の王女が黒い方に乗らないように! と言ったことを思い出した。そこで乗らなかった白い方の山羊に飛びつくと、山羊は大きな山の頂上に王子を連れて行った。そこには三頭の馬がいたので、その中の一頭にまたがると、ようやく地上に運ばれた。 

 

 羊、もしくは蹄のある家畜と冥界の関係は、ケルトに限らず、他地域の伝承にも見てとれる。たとえばグルジアの民話「蛙の皮」では、主人公は火を吹く雄羊に乗って《下の世界》へ行き、タール煮えたぎる場所で死んだ女王と対面する。また、ギリシアの伝承で、プリクソスが黄金の雄羊に乗ってコルキスへ渡る物語はよく知られている。テッサリア王アタマースは王妃ネペレーとの間に王子プリクソスと王女ヘレーを持っていたが、やがて王妃に冷淡になって離縁し、新たな王妃をめとった。ネペレーは継母が子供たちを害しようとしていることに気づき、冥界へと魂を導く神でもあるヘルメスから黄金の毛皮の雄羊を授かり、子供たちを乗せて送り出した。雄羊は空を飛んで、ヨーロッパとアジアの境界たる海峡を越えていったが、そこでヘレーは海に落ちてしまった。プリクソスだけはコルキスに辿り着いて、コルキス王アイエテスの娘と結婚した。……アイエテスは太陽神ヘリオスの息子とされ、冥王とみなせる性格を持っている。この物語はまた、【シンデレラ】譚で、継母に迫害された子供が人語を喋る(時に亡母の化身である)牛や馬に乗って家を出るエピソードとも無関係ではあるまい。

 アフリカのカビール族の伝承によれば、羊は原初の母が大麦粉を捏ねて作り出したもので、最初の雄羊は死ぬことなく高山の上に走って行き、太陽にくっついて一緒に動くようになったという。この伝承を引いて考えると、天空を駆ける黄金の雄羊とは、子供を連れさらう大鷲と同じ、太陽の化身に他ならないように思える。太陽神は冥界と現界を行き来する冥王である。

>>参考 <小ネタ〜鷲の育て児

 

 ギリシアの伝承「エロスとプシュケ」で、プシュケが女神に与えられた難題のひとつは、川の向こうにいる黄金の雄羊の羊毛を集めることであった。しかしこの雄羊たちは凶暴で、一定の時間(正午)が来るまでは、境界(川)を越えて近づく全ての者に死をもたらす。そしてイタリアの「三つのシトロン」では、不思議な島の川岸にはロバたちがいて、哀れな白鳥たちを蹴とばすと語られている。ロバを宥めるには甘い菓子が必要である。三途の川のほとりで鬼が亡者を打つように、川辺に蹄の獣はおり、恵みもしくは死を与える。

参考文献
『ケルト神話と中世騎士物語 「他界への旅と冒険』 田中仁彦著 中公新書 1995.
『ギリシア・ローマ神話』 トマス・ブルフィンチ著 大久保博訳 角川文庫 1970.
『世界の民話 アフリカ』 小沢俊夫/中山淳子編訳 株式会社ぎょうせい 1977.



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