竜の舌と落ちる指

 怪物に捧げられようとしていた娘を旅の英雄が救う、いわゆる【竜退治】の物語は世界中で人口に膾炙しているが、その中に、一時的に姿を消した英雄の代わりに偽物の英雄が手柄を奪う、偽の英雄のエピソードが付け加えられた話群がある。たとえば「双子の兄弟」などがそうだ。

 偽の英雄は娘を脅し、自分こそが竜を倒したと、証拠として竜の頭を切り取って王に示す。しかし最後に本当の英雄が帰って来て、予め竜の頭から切り取っておいた舌、または耳を示して、偽の英雄を退けるのだった。

 

 古代エジプトの『アポフィスを倒す書』に、(死そのもの、または成仏の障害の象徴たる)大蛇アポフィスを退治する様子が細々と書かれているが、中に耳や舌を切り取る描写が出てくる。

わたしは彼ら(すなわち神々)を送った
彼らはわたしの四肢より生じた
邪悪な敵を倒すため

彼、アポフィスは火の中に落ち
ナイフがその頭に突き刺さっている
彼の耳は切りとられ
彼の名はもはやこの地上にはない

私は彼に傷を負わせよと命じた(?)
私は彼の骨を焼いた
わたしは毎日彼の魂を滅ぼした
(欠落)
わたしは彼の骨から四肢を切りとった
わたしは彼の足を(欠落)
わたしは彼の手を切り取った
わたしは彼の口と彼の唇を閉じた
わたしは彼の歯をくだいた
わたしは彼の口の中から舌を切りとった
わたしは彼の言葉を奪った
わたしは彼の目を盲にした
わたしは彼から音を奪った
わたしは心臓をその場所から取り除いた
彼の名はもはやない

 プロップはこの資料を『魔法昔話の起源』で示し、続けて以下のように解説している。

ここでは、これが主人公を見分ける手段とはなっておらず、目や心臓、すなわち霊魂を宿すと見なされていた器官(エジプトでは特に目)の切り取りとならんで触れられている。舌と目が切り取られないうちは、大蛇は殺されたものとは見なされない。悪い継母が継娘を死へと追いやっておいて、継娘の死んだ証拠としてその目と舌を要求するのはまさにこのためである。

 なるほど確かに、たとえば「白雪姫」や「灰坊太郎」において、継母は継子を殺した証拠に肺や肝を持ち帰るよう要求している。「ティードレクス・サガ」では、王妃の不義を疑った王が、王妃を殺して証拠に舌を持ち帰るよう部下に命じている。

 蛇であるはずのアポフィスの四肢を切り落としているのは、理屈から言えば奇妙である。だが多くの読者が、ここで言う大蛇(竜)は特定の生物を指しているのではなく、もっと観念的なモノであることを感じ取っていることだろう。

 世界中の魔法や異界が登場するタイプの説話において、足がない、目が見えない、口がきけない描写は、死んでいる状態の暗示として使われているのが通例である。

 

 白雪姫を殺した証拠に肺と肝が必要とされたように、「手なし娘」では殺害の証拠に腕を切り取っていく。『アポフィスを倒す書』では目、耳、舌、歯と、そして四肢を切断したことになっているのだから、やはり腕を失わせることに《生命の喪失》の意味を持たせているのだろう。

 ところで、民話では腕まで行かずとも指の切除や欠損のモチーフは多く見られる。「金のたてがみの生えた馬、金の毛の生えた豚、金の角を持つ鹿」では、主人公は宝と引き換えに偽の英雄たちの手足の指を切り取り、背中の皮を剥ぐ。それが彼らが偽の英雄である証拠となる。「盗賊の花婿さん」では、娘が盗賊たちに殺される際、指輪をはめた指を切り落とされる。(類話の「ミスター・フォックス」では掌を切り落としている。)また、「青髭」や「マリアの子」系の伝承では開かずの間を開けた娘の指が黄金に染まったり、鍵が血の中に落ちるものだが、プロップによれば、ロシアの類話では指が独りでに切れて落ちると言う。「おでこの真ん中に一つ目があるシュテルナー」では一つ目巨人のもとから逃げる際に、主人公は自ら自分の指を切り落とさねばならない。グリムの「七羽のカラス」(KHM25)ではガラス山を開けるため娘が自分の小指を切り落として鍵とする。「黒い山と三羽のあひる」では、つるつるの山(塔)に登るために魔王の娘の骨を並べて階段代わりにし、しかし骨を一つだけ回収し損ねて、それ以来、魔王の娘の足の小指は欠損してしまった。「ヘンゼルとグレーテル」系の民話では、魔女は肥り具合を確かめるために閉じ込めた主人公の指に触れる。よく知られた物語では代わりに枝や鳥獣の骨を出して触らせたと語られるが、ロシアの類話では、魔女や魔物は主人公の指を切り落として、それに触って肥り具合を確認している。そして「乞食」系の民話では、正体を隠した魔王(盗賊/魔物)は手や指を切り落とされており、それが正体が露見する根拠となる。日本の英雄・渡辺綱わたなべのつなの伝説では、鬼は腕を切り落とされ、後にそれを取り戻しに現れる。

 これらのモチーフにはやはり「肉体の欠損〜生命力の切除〜死の暗示〜死者であればこそ、この世とあの世を行き来できる」という意味合いが感じられるが、例えば、虹を指差すと指が腐って落ちるという俗信が世界中に分布していることなどと併せて考えるに、神霊的存在に触れるという禁忌を犯した際の神罰(聖別?)のような意味もあるのかもしれない。

 なお、プロップは指の切除は加入礼などの現実の習俗の中で行われたものであり、《死》の模倣であると指摘している。

 

 

 余談ながら。かつて日本には、戦の際に武士が敵将を討ち取った証拠として首を切り取って持ち帰る風習があった。しかし首は重いので、鼻から唇までを削いでその代わりとすることもあった。豊臣秀吉率いる日本軍が朝鮮半島(韓半島)に攻め入った文禄・慶長の役の際にも鼻削ぎが行われ、腐らぬよう塩漬けにして日本に送られている。これは検められた後、鼻塚や耳塚が作られて供養された。また、この戦の中の加坡の戦闘で、李氏朝鮮側も斬殺した日本兵から左耳825個を切り取って朝鮮王へ送ったことが、北関大捷碑に記されている。現実にも、殺害の証拠として体の一部を切り取って持ち帰ることが行われていたということだ。

 四肢の切断、指の切断、耳切り、鼻削ぎは、刑罰として世界各地で行われていたものでもある。フランスでは左耳を切り取る刑罰が行われたが、それは生殖器と左耳が直結しているという観念があったため、一種の去勢として行われたものだという。 

参考文献
『魔法昔話の起源』 ウラジーミル・プロップ著 斎藤君子訳 せりか書房 1983.
刑罰の一覧」「はなそぎ」/『Wikipedia』(Web)



inserted by FC2 system