フィッチャーの鳥  ドイツ 『グリム童話』(KHM46)

 昔々、あるところに魔法使いがいました。魔法使いは貧乏人の姿で方々の家の戸口へ行って物乞いをしては、美しい女の子を捕らえていました。その女の子たちは二度と人目に触れないので、魔法使いがどこへ連れて行くのか誰にも分からないのです。

 ある日のこと、魔法使いは美しい娘を三人持っている人の戸口に姿を現しました。体の弱った哀れな乞食のような様子を見せて、施しにもらったものを入れるためであるかのように、背中に背負しょい籠を背負っていました。魔法使いは、何か食べるものを少しばかりいただきたいと言いました。長女が出てきて、パンを一つ渡そうとしましたら、魔法使いは娘にちょいと触りました。すると娘は、否応なしに背負しょい籠の中へ飛び込みました。

 娘が籠に入ると、魔法使いはそそくさと歩いてそこを立ち去り、真っ暗な森の真ん中にある自分の家へ娘を担ぎ込みました。

 家の中は、何から何まできらびやかな素晴らしいものでした。魔法使いは娘のねだるものはなんでも与えて、

「お前はいい子だね。私のところはお前の気に入るだろう。欲しいものは何でもあげるよ」と言いました。

 こんな日が二、三日続いてから、魔法使いが言いました。

「私は、やむを得ない用事で旅に出る。少しの間、お前に独りでいてもらわなくてはならない。これが、家中の鍵だよ。お前、どこへでも行って何でも見るがいい。けれどただ一つ、この小さな鍵で開く部屋だけは入ってはいけない。私の言いつけを守らなかったら、お前の命はないぞ」

 それからまた、娘に卵を一つ渡して、

「この卵を大事にしておくれ。なんなら、しょっちゅう持ち歩いて肌身離さないのがいい。もしなくしでもしたら、とんでもないことになるかもしれないからな」とも言いました。

 娘は鍵と卵を受け取って、その通りにいたしますと約束しました。

 魔法使いが出かけてしまうと、娘は家の中を下から上まで歩き回って、何から何まで見物しました。部屋という部屋は銀と黄金できらきら輝いています。こんな綺麗なものは今まで見たことがない、娘はそう考えたものですが、おしまいに、例の開けてはいけないと言われている扉の所に来ました。そのまま通り過ぎるつもりでしたが、覗いてみたくってどうにも我慢ができなくなりました。鍵を調べてみると、別物のように見えましたが、それを差し込んでちょっと回すと、扉は跳ね返るように、ぴいんと開きました。

 ところが、部屋に踏み込んだ途端に目に付いたのは、まあなんてことでしょう! 血だらけの大きなたらいのようなものが真ん中にあって、その中には切り刻まれた人間の死体が幾つも入っていましたし、それと並んで丸木の台があって、ぴかびか光った幅広の斧がその上に置いてあったのです。

 娘は驚いたのなんの、その拍子に、持っていた卵が盥の中にすとんと落ちました。娘は卵を拾い出して、くっついた血を拭き取ってみましたが、どうしても駄目でした。血は、拭くそばからそばから滲み出してくるのです。拭いてもこすっても、卵を綺麗にすることは出来ませんでした。

 間もなく、魔法使いが旅から帰ってきました。戻るなりすぐに渡しなさいと言ったものは、例の鍵と卵でした。娘はその二品を魔法使いに手渡しましたが、そのときにぶるぶる震えました。魔法使いは赤い汚点しみを見て、娘が流血の部屋に入ったことをすぐに悟りました。

「私が駄目だと言ったのにあの部屋に入ったからには、お前は否でももう一度あそこに入らねばならん。お前の命もこれまでだ」

 こう言うが早いか、魔法使いは娘を突き倒して髪の毛を掴んで引きずって行ったかと思うと、頭を例の丸木の台に載せてブツリと切り落とし、手足もバラバラにしましたので、血はどくどく床へ流れました。そして、それを他の死骸の入っている盥の中へ放り込んだのです。

「今度は、二番目の奴をさらってきてやるか」

 魔法使いはこう言って、またもや貧乏人の姿になって、その家の戸口へ行って物乞いをしました。すると二番目の娘がパンを一つ持ってきてやりました。魔法使いはこの娘も一番上の娘と同じように、ちょいと触っただけで、引っ担いでいってしまいました。娘は、姉さんと同じような目に遭いました。つまり、この娘も物見高さに釣り込まれて、例の血の部屋を開けて中を覗いたばかりに、魔法使いが戻ってくると、大事な命でそのあがないをすることになったのです。

 それから、魔法使いはまた出かけていって、三番目の娘をさらってきました。これは利口な知恵のある女の子でした。魔法使いが色んな鍵と、それから例の卵を渡して旅に出てしまうと、娘はまずは卵を大事にしまいこんで、それから家中を見物して、一番おしまいに、開けてはいけないと言い渡されている部屋へ入ってみました。これは大変、そこで見たものは! そうです。姉さんたち二人がむごたらしく殺され、手足をバラバラに切り離されて、盥のようなものの中に転がっているのでした。

 妹は仕事を始めました。バラバラになっている手足を探し集めて揃えると、頭、胴体、腕、脚と、きちんとくっつけて並べます。体が残らずまとまった途端に、手や足がピクピク動き出して、ぎゅっとしっかり組み合わさり、女の子二人はパッチリ目を開けて生き返りました。三人は大喜びで、抱き合ってキスをしました。

 魔法使いは、帰ってくるとすぐに鍵と卵を出させましたが、幾ら見ても卵に血の痕が見つからなかったので、

「お前は試験に合格した。私の妻にしてやろう」と言いました。

 こうなるともう、魔法使いは娘をどうすることも出来ず、娘の言うなりにならなければならないのです。

「ええ、いいわ」と、娘は答えました。「その前に、金貨のいっぱい入った籠をお父さんとお母さんのところへ届けてちょうだい。あなたが自分で背負しょっていくのよ。その間に、私は婚礼の支度をしておくわ」

 それから娘は、小部屋に匿っておいた姉さんたちのところに駆けつけて、

「今なら、姉さんたちを助けてあげられるわ。あの悪者に、自分で姉さんたちを家までおんぶして行かせるの。だけど姉さんたち、家に帰ったら、すぐに私のところへ助けをよこしてちょうだいね」と言いました。

 娘は、姉さんたち二人を背負しょい籠の中へ入れると、その上を金貨ですっかり覆って二人の体が全く見えないようにしてから、魔法使いを呼びました。

「さあ、この籠を背負っていくのよ。だけど、あなたが途中で立ち止まって怠けるといけないから、私、小窓から覗いて見張っているわよ」

 魔法使いはその籠を背負って出かけましたが、馬鹿馬鹿しいほど重たいので顔中汗だくになりました。それで腰を下ろして一息入れようとすると、籠の中の娘がすぐに「私、小窓から覗いているのよ。あなたが怠けているのが見えるわ。すぐ出かけなさい」と声をかけました。

 魔法使いは、この声を嫁さんのものだと思って、また歩き出しました。それから、もういっぺん腰を下ろそうとしました。するとすぐ、「私、小窓から覗いているのよ。あなたが怠けているのが見えるわ。すぐ出かけなさい」と声がしました。そしてそれからも、立ち止まるたんびに同じ声がするので、魔法使いは否応なしに歩き続けて、うーうー唸りながら息を切らせて、やっとのことで金貨と娘二人の入っている籠を、娘たちの両親の家へ運び込みました。

 一方、魔法使いの家では、花嫁が婚礼の支度をして、魔法使いの友人たちに披露宴への招待を出し終わっていました。それから歯を剥き出している死人しびとの頭を一つ持ってきて、髪飾りをつけて花輪を載せ、屋根裏部屋の小さな窓のところに置いて、外を覗いているように見せかけました。この仕掛けがすっかり出来上がると蜂蜜の樽の中に入り、更にベッドの羽毛布団を切り裂いてその中でゴロゴロと転がったので、見かけは、まるでヘンテコな鳥のようなものになって、これを花嫁だと思う者は誰一人おりません。

 この姿で家を出ると、途中で婚礼の客の何人かと出会いました。彼らはそれぞれ尋ねたものです。

 渡り鳥、フィッチャーの鳥、どこから来たの?

「そこのフィッチャーの館から」

 それで若いお嫁さんは何してる?

「地下室から屋根裏部屋まで、館を掃いて綺麗にして、屋根裏窓から覗いてる」

 おしまいに、のそりのそり戻ってきた花婿が、花嫁に出くわしました。花婿も他の人たちと同じように尋ねてきました。

 渡り鳥、フィッチャーの鳥、どこから来たね?

「そこのフィッチャーの館から」

 それで若い嫁さんは何してる?

「地下室から屋根裏部屋まで、館を掃いて綺麗にして、屋根裏窓から覗いてる」

 花婿が見上げると、お化粧をした死人の頭が見えたので、それを自分の花嫁だと思って、親しげに頷きかけました。

 花婿が客人たちを連れて家の中へ入った頃、花嫁の兄弟や親類の人たちがやって来ました。これは彼女を救うためによこされた人たちで、この家の戸を残らず閉めて、誰も逃げだせないようにしておいて火を放ちましたので、魔法使いは眷属たちと共に、全て焼け死んでしまいました。



参考文献
『完訳 グリム童話集』 金田鬼一訳 岩波文庫 1979.
Fitchers Vogel」/『maerchenlexikon.de』(Web)

※この物語の原題は「Fitchers Vogel」。邦題は「フィッチャーの鳥」の他に「まっしろ白鳥」「水かき水鳥」ともされているようだ。手持ちの独和辞書には載っていなかったのだけれども、これらの邦題から察するに、フィッチャー Fitcher とは多分、白鳥やガンのような渡りをする水鳥のようなモノを意味しているのだろう。日本神話でもヤマトタケルが死後白い鳥になったと伝えられているように、鳥は霊と同一視されることが多く、霊は青白いと考えられることが多い。娘は羽毛の衣をまとって鳥の姿に変身して(魂を飛翔させて)、冥界から現界へ渡り戻ったのだと思われる。そのように考えてみると、終盤の「フィッチャーの鳥さん、どこから来たの Du Fitchers Vogel, wo kommst du her?」「近くのフィッチャーの家から来たの  Ich komme von Fitze Fitchers Hause her.」という問答は、日本の伝承信仰面に即して考えれば「スズメさん、どこから来たの」「そこの竹やぶのスズメのお宿から」とでも意訳するべきかもしれない。とはいえ、それも分かりにくいかと思ったので「渡り鳥、フィッチャーの鳥」にしておいた。単純に「魂の鳥」か「迷子の魂」でもよかったかもしれない。

 なお、娘は蜂蜜の樽に入ってから羽毛を体につけるが、蜂蜜は死体を保存する防腐剤としても用いられており、冥界の女神が運ばせるものとされていた。ギリシアの伝承で「蜂蜜の壷に落ちる」という言い回しは「死ぬ」そして「死から甦る」という意味を含ませていることを言い添えておく。

 ロシアの民話「ババ・ヤガーと白い鳥」は「鵞鳥白鳥」という邦題になっていることもあるが、フィッチャー鳥と同じようなイメージなのではないかと感じる。それは小さな姉が幼い弟を探して冥界へ行く物語だ。白い鳥(鵞鳥白鳥 Gusi-lebedi )たちは弟を連れ去る誘拐犯、そして冥界から逃げる際の追っ手として登場するが、恐らくは冥界へ向かう弟の魂そのものであり、ギリシアのハービーや北欧の戦乙女ヴァルキューレのような鳥女怪…魂を掠め取り連れ去る「死」そのものでもあるのだろう。小さな姉が白い鳥を追って山姥の家に辿り着くと、弟はそこで黄金のリンゴを持って無邪気に遊んでいる。「マリアの子」で、マリアに連れさらわれた子供たちが天の御殿で地球をおもちゃにして健やかに遊んでいるように。そして「フィッチャーの鳥」において、魔法使いに連れさらわれた娘が最初は素敵な家に満足して過ごし、卵をもらって大事に持っていたように。そしてまた、娘や子供たちが手にして遊ぶ黄金のリンゴや地球や卵は、彼ら自身の魂なのだろう。「リニ王子と少女シグニ」で、女巨人たちが自分の魂を込めた金の卵を投げ合って遊んでいたように。メラネシアのニューカレドニア島の北にあるベレプ諸島の伝承では、死者の霊は海底のチアビロウムという冥界へ行く。その豊かな世界で、霊たちは一人一つずつ黄金のオレンジを持って遊んでいるという。

 冥界には飢えも寒さも貧しさもない。辛い暮らしをしていた魂を優しく迎えてくれる、満ち足りた幸せな世界だ。けれども、そこが呑み込み逃すまいとする死の世界であることも間違いがない。

 

 ところで、冥王である魔法使いは子供を楽々と背負った籠の中に入れて連れ去ってしまう。このイメージは「人食い鬼」「人さらい」として世界中に見られるもので、日本の民話でも山姥がそうやって人をさらう。これに関しては<童子と人食い鬼のあれこれ〜冥王は魂をさらう>参照。

親指小僧】や【童子と人食い鬼】系の話には、人食いが袋や籠に捕まえた人間を入れて運んで行き、途中で疲れて休むとその間に荷物の中から人間が抜け出して逃走する、または荷物の中からあれこれ話しかけて騙して逃げるというモチーフが見られるのだが、この話ではそれらをミックス・逆転させていて、魔法使いが休むと籠の中から叱り付けて騙して歩かせており、面白い。 

 また、人間を捕らえた魔物が宴会を開くために親類を呼び集めてきて、しかしその留守の隙に人間は自分の身代わりを作って自分は変装して逃れ、魔物を騙して一族ごと殺してしまうというモチーフも、「麦粒小僧とテリエル」など【童子と人食い鬼】系の話で見られるものである。

 

 この物語では、奇妙な鳥のような姿になった娘は家族に助けられて家に帰るけれども、後半が大きく展開していって、その姿のまま逃げてどこかの城の下働きになって《王子》に見初められる、シンデレラ的展開になることもあるようだ。--> 「娘とパンパイア」「ブルゴーは悪魔」「姥皮(蛇婿〜退治型)



参考--> <青髭のあれこれ〜「本当は怖い」民話?>「貧しいみなし子の娘と盗賊」「姥皮を被ったラサメイト



銀の鼻  イタリア ピエモンテ地方

 むかし、一人の洗濯女が夫に先立たれ、三人の娘と共に暮らしていました。四人は懸命に洗濯の仕事をしていましたが、ひもじい暮らしが変わることはありませんでした。そんなある日、上の娘が母親に言いました。

「いっそのこと悪魔に仕えた方がマシだわ。私もう、この家を出て行きたい」

 母親は娘をたしなめました。

「お前、めったなことを口にするんじゃないよ。そんなことを言ったら、何が起こるか分かりゃしないんだからね」

 それから幾日もしないうちに、真っ黒な服に身を固めた銀の鼻の紳士が、洗濯屋の店先に現れました。

「お前のところに、確か、娘が三人いたな」と、母親に言います。「私のところへ、一人働きによこしてみないか?」

 母親は常々娘を働きに出したいと思っていたのですが、なにしろあの鼻が気にかかってなりません。上の娘を側に呼んで言いました。

「いいかい、この世に銀の鼻の人間なんかいるわけがない。気をつけるんだよ。行けばきっと後悔するから」

 それでも娘は家を出たくて仕方がなかったので、男に付いていくことにしました。森を抜け、山を越え、どんどん歩いていくと、やがて遠くに火事のように燃える明かりが見えました。少し不安になって娘は尋ねました。

「あれは何ですか?」

「私の屋敷だよ。さあ、行こう」と、銀の鼻が言いました。

 娘は後に従いましたが震えが止まりません。やがて大きな宮殿に着きました。銀の鼻は一つ一つ部屋を案内しました。どの部屋も負けず劣らずに立派で、その全ての部屋の鍵を娘は預かりました。しかし最後の部屋の扉の前に立ったとき、そこの鍵を手渡しながら銀の鼻が言いました。

「この扉だけは、どんなことがあっても開けてはいけない。そうしないと恐ろしい目に遭うからな! 他の部屋はどれでもお前の好きなように使ってよい。だが、この部屋だけはいけない!」

 娘は考えました。(この中に、きっと何かあるんだわ!) そして銀の鼻が出かけて一人になったら、すぐに開けてみようと思いました。

 やがて夜になり娘が自分の小部屋で眠っていると、銀の鼻がそっと入ってきて、娘のベッドに近付き、神に薔薇を一輪さしました。そして入ってきたときと同じように、音もなく立ち去りました。

 翌朝、銀の鼻が用事を足しに外へ出かけて、広い屋敷の中で娘は一人きりになりました。手の中には全ての部屋の鍵があります。さっそく禁じられた部屋の扉に駆け寄りました。扉を少し開けると、煙と炎が出てきました。その燃え盛る炎と煙の間に、苦しみひしめく地獄の魂が見えました。銀の鼻の紳士の正体は魔王で、その部屋は地獄だったのです。娘は叫び声をあげ、すぐに扉を閉めました。そして少しでも地獄の部屋から遠ざかろうとしました。しかし娘の髪にさした薔薇の花びらを、炎の舌が焦がしてしまいました。

 銀の鼻は家に帰ってきて、薔薇の花びらが焦げているのを見ると言いました。

「よくも言いつけに背いたな!」

 魔王は娘を鷲づかみにして、地獄の扉を開き、炎の中へ投げ込んでしまいました。

 翌日、銀の鼻の紳士がまた洗濯女の店先に現れました。

「お前さんの娘は元気にしているよ。ところで、仕事が多くて人手が足りないんだ。中の娘も私のところへ働きによこさないかね?」

 こうして銀の鼻は中の娘も連れて帰りました。屋敷の中を案内して全部の部屋の鍵を渡しましたが、やはり最後の部屋だけは開けてはいけないと言いました。娘は答えました。

「ええ、勿論。私が開けるわけないでしょう? 私には関係ないことですもの」

 夜になって娘が眠ると、足音を忍ばせて銀の鼻がベッドに近付き、娘の髪にカーネーションをさしました。

 翌朝、銀の鼻が出かけて娘が一番最初にしたことは、禁じられた扉を開けに行くことでした。煙と炎、そして地獄の叫び声。炎の中には、姉の姿も見えました。「助けて」と姉娘が叫びました。「ここから出して!」中の娘は生きた心地もありませんでした。急いで扉を閉めるとその場を逃げ出しましたが、どこへ隠れたらよいのか分かりません。今では、銀の鼻が魔王であり、その恐ろしい手から逃げ出せないことが、中の娘にも分かりました。

 やがて銀の鼻が帰ってきて、娘の髪に目をやりました。カーネーションの花びらは焦げてしおれています。何も言わずに中の娘を鷲づかみにすると、魔王は娘を地獄の中へ投げ込んでしまいました。

 翌朝、例によって紳士の身なりを整え、銀の鼻が洗濯屋の店先に現れました。

「仕事が多くて二人では間に合わないんだ。下の娘も働きによこさないかね?」

 こうして下の娘も連れて帰りました。名前をルチーアといい、一番賢い娘でした。悪魔はいつもと同じように屋敷の中を案内して、いつもと同じことを言いました。そして眠っている間に、娘の髪に花を一輪さしました。今度はジャスミンの花でした。

 朝、ルチーアが起きて髪を梳かそうと鏡を覗くと、ジャスミンの花が見えました。「まあ!」と、ルチーアは独りごとを言いました。

「銀の鼻の紳士が髪にさしてくださったのだわ。優しい人だこと! 本当に! それではしおれないようにしておきましょう」

 娘はジャスミンの花をコップにさしました。そして髪を梳かし終わると、家の中に誰もいないことを確かめてから、独りごとを言いました。

「それではあの不思議な扉を、少しだけ覗いてみましょう」

 扉を開けると火の手が伸びてきて、炎の間にひしめく地獄の魂が見えました。上の姉と中の姉もいました。「ルチーア! ルチーア!」二人の姉が叫びました。「助けて! ここから出して!」

 ルチーアはまず扉をしっかりと閉めて、どうしたら姉たちを助け出せるか考えました。

 魔王が戻ってきたとき、ルチーアはまたジャスミンの花を髪にさして、そ知らぬふりをしていました。銀の鼻はジャスミンを見て言いました。

「おや、しおれていないぞ?」

「当たり前じゃありませんか。何故、しおれていなければいけないのです? 髪にさすのは、しおれていない花でしょう?」

「いや、何でもないんだ」と、銀の鼻が言いました。「お前はしっかりした娘のようだな。いつまでもそうだと、私たちの間はうまくいくのだが……。どうだね、ここの住み心地は」

「ええ、とてもよいわ。気がかりなことさえなければ」

「気がかりなこと?」

「家を出るときにお母さんの具合がよくなかったので、どうしているかと思って」

「何だ、そんなことか。それなら通りがかりに様子を見てきてやろう」

「ありがとう。あなたは本当に優しい方ね。それじゃ明日、洗濯物の袋を用意しておきますから、お母さんが元気だったら洗っておいてくれるように、渡してくださいませんか?」

「ああ、構わないよ。どんなに重くても、私には持てるからね」

 魔王が出かけると、ルチーアはすぐに地獄の扉を開いて上の姉を引き出し、袋に詰めました。「カルロッタ、大人しくしているのよ」と、姉に言いました。「もうすぐ魔王が家へ運んでくれるから。ただ、途中でもしも魔王が袋を下ろしそうになったら、『見えるわよ! 見えるわよ!』と言ってね」

 銀の鼻が戻ってくると、ルチーアは言いました。

「洗濯物の袋を作っておきました。でも、本当にお母さんのところへ持って行ってくださいますか?」

「私を信じないのかね?」と、魔王が言いました。

「いいえ、信じています。それに、私はどんな遠くのものでも見えますから。どこかで袋を置こうとなさっても、私にはすぐ見えますよ」

「ほう、お前は千里眼なのかい!」

 魔王は言いましたが、そんなことは信じていませんでした。そして袋を担ぎ上げながら言いました。

「ずいぶん重いなあ、この洗濯物は!」

「当たり前じゃありませんか! あなたは何年、洗濯物を出していないと思っているの?」

 銀の鼻は歩き出しました。しかし途中で独りごちました。

「そうだ、確認しておかなければ! あの娘は洗濯物を出すのだとか言って、私の屋敷を空っぽにしてしまうつもりなのかもしれない」

 銀の鼻は袋を下ろして、開けようとしました。

「見えるわよ! 見えるわよ!」

 すぐに、袋の中で姉が大声をたてました。

(ちきしょう、本当だ! あいつは千里眼だ!)

 銀の鼻は心に言い聞かせて、袋を担ぎ直すと、ルチーアの母親のところへまっすぐに行きました。

「これはお前さんの娘がよこした洗濯物だよ。それから、お前さんの具合がよくなったかどうか心配していた……」

 一人きりになると洗濯女は袋を開けてみました。そして上の娘を見つけたときの喜びようといったらありませんでした。

 一週間ほど経つと、ルチーアはまた心配そうな顔をして、母親の具合を知りたいと銀の鼻に言いました。そして新しい洗濯物の袋を持たせて魔王を家へ向かわせました。こうして銀の鼻は中の娘も運びました。しかし袋の中を見るわけにはいきません。なにしろ袋を置こうとすると、声がしましたから。「見えるわよ! 見えるわよ!」って。

 洗濯女にも銀の鼻が魔王だともう分かっていました。ですから、また来られて、この間の洗濯物のことを尋ねられたらどうしようと心配していました。しかし銀の鼻は新しい袋を置くと言いました。

「この間の洗濯物は日を改めて取りに来る。こんなに重い袋を持たされては背骨が折れてしまうよ。今日のところは、何も持たないで戻りたいんだ」

 魔王が立ち去ると、洗濯女は怖々と袋を開けて、中の娘を抱きしめました。しかし今ではルチーアがたった一人で魔王の屋敷に取り残されているのかと思うと、心配でなりませんでした。

 その頃ルチーアの方はどうしていたでしょうか。ルチーアはいつものように、母親のことが心配だと言い始めました。魔王はもう洗濯物を持っていくのはこりごりだったのですが、なにしろ娘がよく言いつけを聞いたので、優しくしてやりたいと思っていたのです。そして前の晩、頭が痛いので早めに寝る、とルチーアは言いました。

「洗濯物の袋は用意しておきますから、明日の朝、気分が悪くて私が起きなくても、一人で持っていってください」

 ところで、ルチーアは自分と同じくらいの大きさの藁人形を作っておきました。それをベッドに寝かせて掛け布団をかけると、髪の毛を切って人形の頭に縫い付けました。するとルチーアが寝ているのと同じになりました。そして自分は袋の中へ入りました。

 翌朝、掛け布団の下に娘が深々と眠っているのを見て、魔王は袋を背負って出かけました。そして独りごとを言いました。

「病気だと言っていたから、あの娘にも分からないだろう。本当に洗濯物が入っているのかどうか、今日こそ見てやろう」

 魔王は袋を置いて、開けようとしました。

「見えるわよ! 見えるわよ!」と、ルチーアが叫びました。

「ちきしょう! あいつの声だ。まるでここにいるみたいに聞こえる! あいつにだけは、変な真似をしない方がいいぞ」

 銀の鼻は袋を担ぎ直して、洗濯女の店へ運びました。

「後で、まとめて取りに来るからな」と彼は言い、急いで付け加えました。「ルチーアが病気なので、すぐに屋敷へ戻らなければいけないんだ」

 こうして一家はみながまた揃いました。ルチーアが魔王のお金を沢山持ってきたので、それで幸せに暮らしました。そして戸口の前に十字架を立てたので、魔王は二度と洗濯屋の店に近づくことができませんでした。



参考文献
『みどりの小鳥――イタリア民話選』 イータロ・カルヴィーノ著 河島英昭訳 岩波書店 1994.

※この話は、読むと少しばかりセンチメンタルな気分にはさせられる。ルチーアにたぶらかされた魔王が滑稽で、どこか哀れに感じられるからである。ルチーアは、魔王が髪にジャスミンの花を飾ってくれていたことに気付くと「優しい人」と喜んで、花をしおれないよう大事にコップにさしておく。最初はかなり魔王を気に入っていたように見える。しかし彼の恐ろしい秘密がそれを壊してしまった。彼女は魔王をすっかり尻に敷いて、いかにも女房らしく指示をするけれども、その全ては演技であり、既に心は離れていたのだ。「醜男のジャン」のように醜悪な面も含めて夫を愛するという展開には、なかなかならないものである。

 

 魔王は銀色の鼻をしている。これについてフロイト派の精神分析家はすぐさま「鼻は男性器の象徴。つまり彼が男性的魅力に優れているという暗示です」と解釈することだろう。銀に光る鼻が男性器かどうかは置いておいて、「魅力に溢れているが、どこか異様な風貌」ということを言おうとしていることは確かだと感じる。「カンネテッラ」では魔法使いは娘の理想の男…黄金の歯と頭の若者の姿をとって現れる。青髭、緑の歯、銀の腕、金の脚、象牙の肩など、神魔の化身または申し子の表象として伝承に現れがちな身体的特徴の一つかと思う。

 魔王が夜にこっそり、眠っている娘のベッドを訪れ、髪に花を飾るのは、無論、深読みのできる場面である。結局のところ、三人の娘は冥王の花嫁として冥界に連れ去られていたのだろう。

 

 ところで、イギリスなどにある「魔女婆さん」系の民話は、「嫁入り」の要素こそないものの、この話と骨子が共通しているように思う。そちらの話では娘が仕事を求めて魔女の家に行く。魔女は家中を自由に回って掃除をしていいと言うが、ただ一つ、暖炉の中から上を見上げてはならないと固く戒める。しかし魔女の留守中、娘はうっかり禁を破る。すると上から金貨の袋が沢山降ってきたのでそれを持って逃走、追ってきた魔女をかまどの中に閉じ込める、というものだ。真似をした姉妹は逃走に失敗して魔女にひどい目に遭わされる。…グリムの「ホレおばさん」を思い出さないだろうか? 「ホレおばさん」では、娘は魔女の言いつけに全く背かない。魔女は娘を気に入って、進んで宝を与えて娘の希望通り家に送り返してくれる。しかし魔女の言いつけに背いていた娘は汚物と共に家に送り返される。

 このような例を見ていけば、神魔に嫁いだ後に絶縁して現界に帰ってくる娘の物語にも、もっと平和的な展開と結末が色々あってもいいのではないかと思えるが(たとえば「夜叉物語」のように)、男女の仲というものは、物語であっても、そう簡単にはいかないということだろうか。



魔女の頭を持つ盗賊の話  イタリア シチリア島

 昔むかし、三人の娘を持った王がいた。末の娘が一番美しく一番賢かった。

 あるとき、王は末娘に自分の頭のしらみを取ってもらったが、そのとき見つけた大きな虱を油の入った大きな壷に入れておいた。数年後にその壷を割らせると虱は大きな怪物に変わっていたので人々はみなビックリした。王はその怪物を殺させて皮を剥がさせ、それをドアに打ち付けて誰の目にも触れるようにした。そして言った。

「これが何の動物の皮か当てることが出来た者には、わしの長女を嫁につかわそう。だがもし当てられなければその者は打ち首である」

 美しい王女をめとろうと、遠い国の王子や貴族など多くの挑戦者が現れたが、誰も当てることは出来ずに哀れにも死んでいった。

 そんな中、ある男がやってきて挑戦したいと言った。王はその男を中に招き入れて皮を張ったドアを見せた。

「さあ、この皮はどんな動物のものか、当ててみよ」

「うさぎのですか?」「はずれ!」「ひょっとして犬のですか?」「はずれ!」

「ではきっと、虱の皮でしょう」

 男は言い当てた。それで王はこの男に長女を与えた。結婚の祝宴が終わると、男は花嫁を自分の家へ連れて行った。

 ところで、実はこの男は、森に住む盗賊だったのだ。彼は小さな籠に入れた魔女の頭を持っていて、何か企てるときにはいつもそれに意見を聞くのだった。それで、王が扉に張ったのが何の皮であるかも、予め首に聞いて知っていたのである。

 王女は、森の奥の荒れ果てた場所に連れて行かれて驚いた。

「まあ、あなたは私をどこへ連れていらっしゃるの? ここはなんて荒れ果てたところなんでしょう!」

「いいから一緒においで」

 道を続けて、やっと二人が着いたのは暗く荒れた家だった。

「まあ、あなたはこんなところに住んでいるの? なんだかひどく馴染めないところだわ」

「いいから入っておいで」

 それから、王女はこの原始林の真っ只中で辛い労働をしなければならなかった。二日目の朝に盗賊が言った。

「わしは仕事に出かけなければならない。留守のあいだ家をよろしく頼むぞ」

 一方で、魔女の頭に密かに言っておいた。「この女がわしのことを何と言うのか、注意していろよ」。

 盗賊が出かけてしまうと王女は我慢できなくなって、夫の悪口を言い始めた。なにしろ彼を気に入って結婚したのではないし、ここでの暮らしはもう我慢がならなかったのだ。「全くあの悪党ときたら! あんなのは首でも折ってしまったらいいと思うわ! ありとあらゆる不幸があの男の身に降りかかったらいいと思うわ!」 その他あらゆる悪口を言った。

 ところが魔女の頭がこれをすっかり聞いていて、盗賊が家に帰ってくると全て話して聞かせたので、盗賊は王女の髪を掴むと首を掻き切り、死体を小部屋に投げ込んでしまった。その小部屋には同じようなやり方で殺された沢山の娘たちの死体が転がっているのだった。

 翌日になると盗賊はまた町に出かけ、王の宮殿を訪ねた。

「こんにちは。うちの娘はどうしているかね?」

「妻は元気で楽しくやっています。けれども退屈なものだから、すぐ下の妹に話し相手になってもらいたいと言っています」

 そう言われると、王は二番目の娘もこの男に渡してしまった。盗賊はこの娘をあの荒れ果てた所へ連れて行った。

「まあ、お義兄にいさま。あなたは私をどこへ連れていらっしゃるの? ここはなんて気味悪いところなんでしょう!」

「いいから付いておいで」

 道を続けて、やっと二人が着いたのは暗く荒れた家だった。

「まあ、お義兄さま。これがあなたのお家ですの。このいやらしい小屋が? お姉さまはどこにいらっしゃるの?」

「お前の姉のことなど気にするんじゃない。いいから入ってきて仕事をしろ」

 というわけで次女もまた辛い仕事をしなければならなくなった。そして娘の心はしだいしだいに義兄に対する碇と憎しみでいっぱいになっていった。

 ある日のこと、盗賊が娘に向かって言った。

「わしはこれから仕事に出かけなければならない。夜にならなければ帰らないからな」

 それから盗賊は、またあの魔女の頭のところへ行って小声でこう言った。「あの娘がわしのことをなんと言うか、注意していろよ!」 そして出かけていった。王女はすぐに、心に抱いていた憎しみと怒りをぶちまけて義兄を罵った。盗賊が夜になって帰ると魔女の頭がその全てを話して聞かせたので、この可哀想な王女も姉と同じ運命を辿った。

 次の日、盗賊はまた王のところへ行って、娘たちのことを尋ねられるとこう答えた。

「二人とも、とても元気にしています。けれどもしばらくのあいだ末の妹にも来て欲しいと言っております」

 王は末娘をもこの男に渡した。男は娘を荒れ果てた森へ連れて行ったが、この娘はとても賢く慎重だったので、あえてこんな風に言った。

「まあ、お義兄にいさま。ここはなんて美しい森なんでしょう! あなたはここに住んでいらっしゃるの?」

 そして家に着くと叫んだ。

「あらまあ、何て綺麗なお家なのかしら!」

 家に入って姉たちの姿がないのを不審に思ったが、用心深く、それを口にはしなかった。そして辛い仕事を楽しそうな素振りで片付けてみせた。

 そのうちに盗賊はまた仕事に出かけた。そして魔女の頭が全てのことに気を配って見ていた。王女は仕事が終わると、ひざまずいて大声で盗賊のためにお祈りをし、彼が無事でいますようにと願った。心の中では、骨でも折ってくれればいいと思っていたのだが。

 夜になって帰ってくると、盗賊はすぐに魔女の頭に尋ねた。

「さて、あの娘はわしのことを何と言ったかね?」

「まったく、こんな娘は今まで見たことがないよ。あの子は一日中お前のためにお祈りして、あんたの身の上を案じてばかりいたよ」

 これを聞くと盗賊はたいへん喜んで、末娘にこう言った。

「お前はお前の姉たちよりも物分りがいいから、ここで幸せに暮らせるようにしてやろう。そしてお前に姉たちのいる場所を見せてやろう」

 盗賊は末娘をあの部屋に連れて行って、死んだ姉たちを見せた。末娘はひどく驚いたが、口では「お姉さまたちがあなたを敬わなかったのなら、自業自得よ、お義兄さま」と言った。それで末娘は盗賊に手厚くもてなされ、その家の女主人になった。

 それから、盗賊がまた数日間留守にしたある日のこと。末娘は偶然、盗賊の部屋に足を踏み入れた。そしてふと目を上げたところで、あの魔女の頭を発見した。その頭は籠に入れられて窓の上の釘に引っ掛けられてあった。けれどもこの娘はとても賢かったので、その頭に向かって猫撫で声でこう言った。

「あなた、そんな高いところで何をしていらっしゃるの? 私のところに降りていらっしゃいな。ここの方が楽しいわよ」

「いやだよ。私はこの高い所の方がよっぽどいいんだ。降りていくのなんてまっぴらだね」

 けれども娘はその頭を優しく撫で始めた。そして長いあいだ撫でているうちに、頭はすっかり魅了されて、しまいに下に降りてきた。すると娘は言った。

「あなたの髪は随分もつれちゃってるわね。私と一緒にこっちにいらっしゃいよ。櫛で綺麗にかしてあげるわ」

 そこで頭は娘に付いて台所へ入っていった。娘は櫛を取って魔女の頭をくしけずりはじめた。

 ところで、実は娘はパンを焼くためにパン焼き窯を予熱しておいたのだ。彼女は梳かしながら魔女の長い髪をそっと自分の腕に巻きつけ、あっという間にその頭をパン焼き窯の火の中に投げ込んで、戸を閉めてしまった。それで魔女の頭は悲鳴をあげながら焼け死んでしまった。

 そして、実は盗賊の生命はこの頭と結びついていたのだ。だから頭が焼けていくと盗賊も力を失っていき、しまいに死んだのだった。

 さて、娘はあの窓のところに上ると、魔女の頭の入っていた籠を取った。その中には小さな壷に入った魔女の膏薬があった。娘がそれを死んだ姉たちに塗りつけると、二人とも生き返った。それから他の娘たちにも塗ると、みんな生き返った。そして娘たちは手に持てるだけの盗賊の宝を持つと、各々おのおのの両親の家へ帰って行った。

 三人姉妹は揃って父王の宮殿へ帰り、父娘は幸せに暮らして、やがてそれぞれ、自分の愛する美しい王子と結婚した。



参考文献
『世界の民話 地中海』 小澤俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

イギリスの民話「地の果ての井戸」では、世界の果ての泉に三つの頭がいて、訪れた者に洗い、髪を梳き、寝かせることなどを要求する。そして気に入った者には祝福を与え、気に入らなかった者には呪いを与えるのだ。

 ケルト系の民話に登場するこの首は、北欧の神話で語られる賢神ミーミルと関連づけられて論じられることが多い。ミーミルはアース神族で、その神族の長であるオーディンの伯父であったが、ヴァン神族との争いが起こった際に人質として敵陣に送られ、首を切られた。送り返されてきた首をオーディンが薬草を用いて生き返らせ、以来相談役として、常にこの頭に物事を尋ねたという。また、世界樹の根元に知恵ミーミルの泉があり、その水面から頭だけを出して守っている番人がミーミルだという説もある。

 一方、ギリシア神話で冥界下りを果たした竪琴の名手オルペウスも、一説によれば後に八つ裂きにされ水に投げ込まれて殺され、しかしその頭は死なずに予言を行ったとされている。神託の神でもあるアポロンが、自分の影が薄くなることを恐れてその首を埋めたとも言う。日本でも、吉備津彦命に退治された鬼神・温羅うらの首は何年経っても声をあげ続け、後にその首は埋められ、その上に据えた釜によって占いを行ったとされる。

 知恵とは情報であり、霊感でもある。それはシャーマンが持っていた力で、シャーマンは魂を冥界へ飛翔させて、神から知恵を授かってくるものとされていた。現在でも霊媒師は死者の霊を憑依させて神がかりとなり、様々な神秘的な発言をするし、子供たちはコックリさんで遊んでは、呼び出した霊に様々なことを質問する。冥界から呼び出される霊は深い知識と広範な情報を備えていて、どう行動すれば幸福になり、不幸になるか教えてくれる。…そんな信仰は現代の私たちの中からもまだ消えてはいない。

 知恵ある生首とは、強力な霊を意味している。その首を所持する者は冥界の支配者だ。オーディンやアポロンのような神であり、それらの地上の化身たる、シャーマンである。「魔女の頭を持つ盗賊の話」の盗賊は、知恵ある魔女の頭を持っている。彼は気に入らない妻の首を切って殺してしまうが、一方では死んだ娘をただちに甦らせる薬も持っている。彼は生と死を司る冥王である。

 彼は末の王女にあえて死体部屋を見せるが、つまり冥界めぐりをさせて地獄を見せたというシーンなのだろう。神の世界を正しく理解した(と思われた)末の王女を、彼は女主人…冥界の女王、即ち真のシャーマンとして認めたが、既に人間社会の価値観は変わっており、そんなことでは幸福にはなれなかった…聞き手は納得しなくなっていたのである。常世とこよの永世よりも現世利益。得たいものは霊的知識ではなく金銀財宝であり、結婚したい相手は神ではなく美しい人間の王子であった。

 

 ところで、霊はしばしば鳥になぞらえられるものだ。「魔女の頭を持つ盗賊の話」では、魔女の頭は窓際の高い場所に掛けられた籠の中にいる。そう、鳥かごの中の小鳥のイメージだ。主人たる神(人食い鬼/魔女)に主人公の裏切りや逃亡を告げ口する鳥や馬や犬や無機物のモチーフは、実に様々な伝承で見ることが出来る。

 中有をさ迷う魂は、木の枝などの高い場所にとまっている。それを害そうとする者は、下から優しげに呼びかけて誘おうとする。[三つの愛のオレンジ]ではヒロインであるオレンジ娘が木の上に隠れていると、黒い娘が髪を梳かしてあげると下から優しく呼びかけ、降りてきたところで殺してしまうのだが、この話では逆に、ヒロインの方が下から誘いかける黒い娘の位置に立っている。



参考--> 「ヘンゼルとグレーテル」【心臓のない巨人




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