>>参考 「鳥小屋の王子」「もの言う馬」「三人の従者」「忠臣ヨハネス

 

マリアの子  ドイツ 『グリム童話』(KHM3)

 どこかの大きな森の入口に、木こりと妻と三歳になる娘が住んでいた。木こり夫婦は大変貧乏だったので、その日のパンにすら事欠き、子供に何を食べさせたらよいだろうかと途方にくれていた。

 ある朝、木こりが胸を痛めながら森で木を伐っていると、不意に、背の高い美しい女が彼の前に立った。星の冠を被った彼女はこう言った。

「私は幼子キリストの母、処女ユングフラウマリアです。お前は貧しく、その日の暮らしにも困っている。お前の子供を私のところへ連れておいで。私がその子を連れて行き、母になって面倒を見てあげましょう」

 木こりは仰せに従って自分の娘を処女マリアに渡した。マリアはその子を天国へ連れて行き、子供はキャンディーを食べて甘いミルクを飲み、黄金の服を着て幸せな日々を過ごした。天の子供たちが遊び相手になってくれた。

 その子が十四歳になったとき、処女マリアが彼女を呼び寄せて言い聞かせた。

「私はこれから長い旅に出ねばなりません。あなたは信頼できる子ですから、この天国の十三の扉の鍵を預けておきましょう。扉は自由に開けて中を見て構いません。ただし、この小さな鍵で開く十三番目の扉だけは駄目です。決して開けないようにね。開ければお前はとんでもない目に遭いますよ」

「はい。必ず言いつけは守ります」

 処女マリアが出発してしまうと、少女は天の子供たちを引き連れて天国の館の見物を始めた。扉の中には一人ずつ偉大な光に包まれた使徒がいた。この素晴らしい光景を見て少女と天の子供たちは一緒に喜んだ。そうして毎日一つずつ開けているうちに、いつの間にか十二の扉の中を見終わっていて、残るは禁断の扉だけになっていた。この中には何が隠されているのか。少女はそれが知りたくてたまらなくなった。

「全部は開けないし、中へ入りもしないわ。鍵を開けて隙間からちょっと覗いてみましょうよ」

「そんなことしたらいけないよ。処女マリアがいけないって仰ったじゃないか。お姉ちゃん、とんでもない目に遭うかもしれないよ」

 天の子供たちにそう言われて少女は押し黙ったが、心臓に巣食った「見たい見たい」虫は黙るどころか、チクチクと心を蝕み続けていた。それで、あるとき天の子供たちが残らず外に出て一人になると、「今なら見ても誰にも分からないわ」と考え、禁断の扉の鍵穴に鍵を差し込んで躊躇なくぐるりと回した。途端に、ピーンと扉が勢いよく開き、三位一体の創造主が炎と輝きとに包まれて鎮座している姿が見えた。少女は暫く呆然と立ちすくんで眺めていたが、やがて指を出してちょっとその輝きに触ってみた。すると指が黄金きん色に染まり、初めてぞっとして扉をバタンと閉めると逃げ出した。

 いくら逃げたところで胸を締め付けるような恐怖は消えることがなかった。指に付いた黄金きん色も、どんなに洗おうとこすろうと、落ちることはなかったのだ。

 

 それから幾らも経たないうちに処女マリアが帰ってきた。マリアは少女を呼んで天国の鍵を返すように言ったが、鍵束を差し出すと、娘の目をじっと見てこう尋ねた。

「私の言いつけどおり、十三番目の扉を開けたりはしませんでしたか」

「開けはいたしません」

 それが少女の答えだった。マリアは少女の胸に手を当てた。それはドキドキと激しく波打っていたので、言いつけに背いたことがマリアにはちゃんと分かった。マリアはもう一度尋ねた。

「お前は、本当にそれをしなかったのですか」

「いたしません」

 これが二度目の返事だ。少女の黄金きん色に染まった指を見て、彼女が罪を犯したことがマリアにはちゃんと分かった。それで三たび尋ねた。

「やらなかったのですか」

「いたしません」

 この三度目の返事を聞くと、処女マリアは言った。

「お前は私の言いつけを聞かなかった。そのうえ嘘をつきましたね。お前は、もう天国にいる資格がない」

 その言葉を聞くと少女は深い眠りに落ちた。目を覚ました時には、下界の地べたの、それもどこかの荒野の真ん中に転がっていた。大声をあげようとしたが、声は全く出なかった。跳ね起きて逃げ出そうとしたが、どっちへ行っても生垣のように隙間なく繁っている茨に行く手を遮られて、通り抜けることは出来なかった。少女が閉じ込められたこの荒野には空洞うろのある古木が一本あって、これが否応なく少女の住まいになった。夜になると、少女はこの空洞へ入り込んで眠った。嵐のときや雨の日にも、この木は彼女を匿ってくれたのだ。とはいえ、これは惨めな暮らしだった。少女は天国での楽しい暮らしや遊んでくれた天人たちの優しさを思い出してはさめざめと泣くのだった。

 木の根や草の根、ぐみや野いちごの類が唯一の食べ物で、少女は自分の歩けるだけの場所でこういうものを探した。秋になると、熟れて地面に落ちたくるみだの木の葉だのを集めて木の空洞の中へ持ち込んだ。冬のための備えだった。そして雪や氷の季節がやって来ると、少女は寄る辺ない小さな獣のように木の葉の中へ潜り込んで、凍えぬようにじっと耐えるのだった。

 いつしか少女の着ていたものはボロボロになって、一切れ一切れと身体から落ちていった。やがて太陽が暖かく照り輝く季節になると、少女は待ちかねた思いで空洞から出て木の前に座ったが、長く長く伸びた髪が四方に垂れ広がって、まるで外套のように少女の身体をすっかり覆い隠していた。

 こんな生活を繰り返すうちに、時は一年一年と過ぎていき、少女は世の無常と我が身の哀れさをしみじみと噛み締めるばかりであった。

 そんなある年のこと、木々が瑞々しい緑に覆われた季節のことだ。その国の王がこの森で狩りをして、一頭の鹿を追いかけてきた。鹿が広い狩場を取り囲んでいる潅木の茂みの中へ逃げ込んでしまったので、王は馬から下りて、針がもつれたような枝の間を無理に掻き分け、剣で道を切り開いて無理に通り抜けた。すると、大きな空洞のある古木の前に、何とも言いようのないほど美しい少女がいるのが目に入った。彼女は座っていたが、足のつま先まで自分の黄金こがね色の髪の毛で覆い隠されていた。

 王は立ちすくんで呆然と彼女を見詰めていたが、やがて話しかけてみることにした。

「何者だ、お前は。何の故あって、こんな荒野に座っているのだ」

 しかし答えは返らなかった。少女は口をきくことが出来なかったのだ。

「お前、私と一緒に、私の城へ来る気はないか」

 ほんの僅かな動きではあったが、少女の頭がこくりと頷いた。

 王は少女を抱き上げて自分の馬に乗せ、城に連れ帰った。そして綺麗な服を着せ、色々な物を溢れるほどに与えた。この少女は口はきけなかったが、愛らしく美しかったので、王は心底彼女を愛して、幾らもしないうちに結婚式を挙げた。

 一年ほど経って、王妃は男の子を産んだ。その夜のことだ。産褥の床で王妃が一人で眠っていると、処女ユングフラウマリアが現れて言った。

「お前が真実を明かし、禁忌の扉を開けたことを告白するならば、お前の言葉を返してあげましょう。けれども、お前が悔い改めず強情に嘘を吐き通すのなら、私はお前の生まれたばかりの子供を連れて行く」

 マリアの言葉は返事がしやすいよう仕向けられたものだったが、強情な妃はまだこう言い張った。

「いいえ。禁忌の扉を開けるなど、いたしておりません」

 すると、妃の抱いていた赤ん坊は処女マリアの腕に奪われていた。そしてそのまま、子供もろともマリアの姿は消え失せてしまったのである。

 あくる朝、赤ん坊が影も形も見えなくなったので、家来たちは妃に疑いの目を向け、ヒソヒソと潜めた声を交し合った。お妃様は人食いだ。きっと自分の子供を食い殺してしまったんだ、と。その声は残らず妃の耳にも入っていたが、彼女は口をきけなかったので、反論もい言い訳も出来なかった。それでも妃を本当に愛していた王だけは、決してそんな噂を本気にすることはなかった。

 一年後に、妃はまた男の子を産んだ。その夜、またも処女マリアが妃のもとに現れて、

「お前が禁忌の扉を開けたことを告白するならば、子供も言葉も返してあげましょう。けれども、相変わらず悔い改めず嘘を吐くのなら、この赤ん坊も連れて行きますよ」と言った。妃はまたこう答えた。

「いいえ。禁忌の扉を開けるなど、いたしておりません」

 マリアは二番目の子供も妃の腕から取り上げて、天国へ連れて行ってしまった。

 朝になるとまた子供が影も形もなくなっていたので、家来たちは「お妃は人食いだ! お子様を丸呑みにしてしまったのだ!」と大声で騒ぎ立てた。王の側近たちは妃を裁判にかけるべきだと訴えたが、王は妃を深く愛していたので、そんな話を本気にするどころか、これ以上そんな話をするならお前たちを死刑にするぞと言い渡した。

 そのあくる年、妃は美しい女の子を産んだ。夜になると、三たび、処女マリアが現れた。

「私に付いておいで」とマリアは言い、妃を天国へ連れて行って、妃の上の子供二人の様子を見せた。子供たちは妃を見て笑いかけながら、地球をおもちゃにして遊んでいた。子供たちの健やかな様子を見て妃が喜んでいるのを見ると、処女マリアは言った。

「お前の心は、まだ折れないのですか。お前が禁忌の扉を開けたと懺悔すれば、あの息子たちを返してあげますよ」

 けれども、妃は三度目もこう答えたのだ。

「いいえ。禁忌の扉を開けるなど、いたしておりません」

 マリアは妃を地上に戻し、三番目の子供も取り上げてしまった。

 あくる朝、またも赤ん坊が消えたことが知れ渡ると、人々は口々に「妃は人食いだ。処刑しろ!」と喚きたてた。こうなってはもう、王も側近たちを押さえつけることは出来なかった。妃は裁判にかけられたが、口がきけないので何の申し開きも出来ず、火刑に処せられることになった。

 薪が集められて、柱に縛られた妃の足元に積まれた。やがて火が点けられて燃え上がると、氷が溶かされるように妃の強情も消えていき、後悔が強く沸き起こった。

(ああ、私は悪いことをした。せめて死ぬ前に懺悔したい。あの扉を開けてしまったことを!)

 その瞬間、妃の口から言葉が滑り出した。

「いたしました、マリア様。私、あのことをいたしました!」

 大きなその声が響き渡ると、天は掻き曇って雨を降らせた。雨は火を消し、天から一筋の光が妃の頭上に射すと、処女マリアが光臨した。その両脇には二人の男の子が従い、腕には産まれたばかりの女の子が抱かれていた。

 マリアは妃に優しく言った。

「罪を悔いて懺悔する者には、赦しが与えられる」

 そして妃に三人の子供を渡し、口がきけるようにしてやったうえで、生涯の祝福を与えた。

 



参考文献
『完訳 グリム童話集1』 金田鬼一訳 岩波文庫 1979.

※この類話は西欧ではよく見られるのだそうだ。

 スペインの類話「嘘つきの少女」(『スペイン民話集』 エスピノーサ著 三原幸久編訳 岩波文庫 1989.)は、殆ど同じ内容だが、細部は微妙に異なる。

 主人公の娘は薪取りの父が働いているところへ弁当を持っていく途中で聖母マリアに出会い、誘われて自ら天国へ付いていく。マリアは娘を宮殿に連れて行ってすぐに鍵束を渡し、一部屋にだけは入ってはならないと戒める。娘は全ての部屋を見た後で禁じられた部屋の扉を開けるが、鍵に血の染みがつく。(部屋の中に死体があったわけではない。)マリアに「開けていません」と嘘をつくと、宮殿は消え、気付くと娘は一人で森の中に立っている。森の中を彷徨うと狩りをしていた王と行き会って、妃になる。(口がきけなくなるという要素はない。)それから三人の子を産むが、子が二歳になると聖母マリアが現れて懺悔を促し、王妃が嘘を吐き通すと子供を連れ去る。民衆は王妃は魔女で、自分の子を殺したのだと考え、王宮に押しかけて王妃を引きずり出し、大きな焚き火に投げ込もうとする。その瞬間、マリアが現れて懺悔を促す。王妃が認めるとマリアは三人の子供を返し、王妃は民衆に子供たちを見せる。それから、王妃はマリアに連れられて天国へ去る。(この類話では、結局王妃は魔女として処刑されたということか。処刑された霊が身の潔白を示した?)

 

 大きな森の入口に貧しい一家が住んでいて、子供に食べさせる食料がないと親が嘆いている…という導入は、「ヘンゼルとグレーテル」と同一である。グリムが何を思ってこの導入を繰り返し書いているのかの実際は私には分からないが、感覚的には、「大きな森」とは「冥界」であり、つまり死の国の入口に立つほど追い詰められた一家、というイメージを伝えようとしているように感じる。(単に、森…冥界のすぐ側に住んでいたことにすれば話が進め易いからでもあろうが。)ヘンゼルとグレーテルは両親に森に捨てられて老いた醜い魔女の家に入る。マリアの子は、父によって若く美しいマリアに手渡されて天国の宮殿に入る。影と光の様相ではあるが、これらがどちらも同じことを言わんとしているということは、読むうちに感じ取れるのではないだろうか。小さな子供が引き取られたそこにはお菓子や宝物や素晴らしいものが満ち溢れ、決して飢えることはない。だが魔女もマリアも、優しさと厳しさを併せ持っている。

 そして、天国を追放された娘が茨の垣に取り囲まれ、王がそれを剣で切り開いて入ってくるまで閉じ込められていたというくだりは「いばら姫」を思わせる。通り抜けられない垣の中に閉じ込められた状態や、木の空洞の中に篭る有様は、これも「死」「霊が憩う姿」の暗示であり、冥界の一形態である。

 

 この話では黄金に染まるのは娘の指で、その後は全く語られないが、類話によっては黄金に染まるのは娘の髪である。茨の垣の中に王が入ったとき、娘は自分の金髪ですっぽりと裸体を隠しており、その美しさに王は絶句する…というくだりに、そのイメージの片鱗があるかもしれない。西欧の民話では、冥界に属する女神(太陽の娘)は素晴らしい金髪を持っているとされることが多い。ラプンツェルもそうである。



参考 --> 「金の髪と小さな蛙」「森の中の蛙



うぐいすの一文銭  日本 新潟県

 あったてんがな。

 山方やまがたのある家に、かっか(母親)あんにゃ(息子)と、二人で暮らしていたてんがな。ほうして、秋の獲り入れも終えて、兄にゃ、旅へ出稼ぎに行ごうと思て、出かけていった。ほうして、峠越え山越えしていぐうちに、そぼそぼと日が暮れかかってきて、そのうちに、へえ(もう)、暗なってきた。兄にゃ、

「こらまあ、大事おおごとだねか」

 そう思て、そこら見ていたれば、山の向こうにピカンピカンと明かりがえた。

「あっ、いかった。なんねせ(なんにしろ)、あこへ行ってみよう」

と、そこへ行ったれば、いい家があった。

「こんばんは。オラ、山で暗なってしもたが、どうか今夜一晩、泊めてくらっしゃい」

と、頼んだれば、愛しげの(可愛らしい)姉さ(娘)が出てきた。

「なじょも(どうぞ)、泊まってくらっしゃい。オラどこは、オラばっかだども」

と言うて、泊めてくれた。ほうして、白いまんまととご馳走ごっつぉをしてくれた。

「お前、何処どごへ行がっしゃるい」と、姉さが訊くんだんが(訊くものだから)

「まあ、秋も終えたし、旅へ出稼ぎに行ごうと思て」

「そうかい。何処どごへ行って働くもおんなじこったが、オラどこで働いてみる気はないかい」

「ほんだのし(本当だな)。お前さんさえよければ、なじょも、そうしてもらいたい」

「あ、いいとも」

と、兄にゃ、その山奥の姉さのどこで働くようになった。

 

 ある日、姉さが

「オラ、用があって、ちょっこら下の村へ行ってくるすけ、よう、留守居していてくらっしゃい」

「あい」

 ほうして、姉さ、行ぐどきに、

「オラどこの裏に、倉が七戸前あるが、その六戸前までは見てもいいども、七戸前めの、一番終いいっちしまいの倉だけは、決して見てくれんな」

と、よう頼んで出かけていった。

「あい、あい」と、兄にゃ返事していたども、見てもいい倉も見るなの倉も、見もしねかった。姉さは、帰ってきたども、何とも言わなかった。

 ほうしているうちに、兄にゃは暇取って家に帰るどきがきた。姉さは、

「お前が働いた給金きうきんだ」

と言うて、紙包みの金をくれた。家へ来て開けてみたれば、一文銭のようなのが、たった一枚、あった。

「オラ、しかも(随分)働いたと思ているがね。たったの一文てや、どういうがら(どういうことやら)」と、村の庄屋に見てもろた。

「こら、うぐいすの一文銭という宝物だ。オラに売ってくれ」

と言うて、いい値で買わしたてんがな。ほうしるだんが(そんなわけで)、その金でかっかと兄にゃは楽々暮らしていた。

 ほうしたれば、隣の兄にゃがそのこと聞いて、

「オラも、ひとつ行ってこよう」

と出かけて行った。峠越えて山越えて行ぐうちに、そぼそぼと日が暮れ、暗なった。山の向こうにピカンピカン明かりがえた。兄にゃ、そこへ行って、

「今夜一晩、泊めてくらっしゃい」

「なじょも、泊まらっしゃい」

と、泊めてもろて、愛しげな姉さのどこで働いていた。

 ある日、姉さが

「下の村へ行ってくるすけ、留守居していてくれ。裏に七戸前の倉がある。六戸前まで見てもよいが、しまいの七戸前の倉は、決して見るな」

と言うて、出かけた。

 兄にゃ、見てもよい倉を開けてみた。ほうしたれば、米倉、味噌倉、衣装倉、膳椀倉、宝倉、金倉だったんだんが(だったものだから)、たまげてしもた。

 しまいの見るなの倉はなじだか(どんなものか)、と思て開けてみた。ほうしたれば、梅の花が咲いていて、うぐいすが枝に止まっていた。戸の隙間から、うぐいすがパーッと発ち出て、どっかへ行ってしもた。ほうしると、いい家がンなえてしもて、兄にゃは萱原の中にぼんやりしていたてんがな。

 

 いきがポーンとさけた。



参考文献
『おばばの夜語り 新潟の昔話』 水沢謙一著 平凡社名作文庫 1978.

※成功バージョンと失敗バージョンを並べたパターンになっている。

 禁忌を犯した人間は神の国から放り出されるもので、海外の話だとこの後に様々な苦難が続く。しかし日本のこの話型は気が付くと何も無い草原にぼんやり立っている結末で、何とも言えない喪失感と寂寥感があって好きである。(ただ、「禁忌を破るとそれまでに授かった宝が全て消えて、主人公が元の姿でぼんやり立っている」というモチーフは、【竜宮童子】系など世界的に見られるものである。前述の「マリアの子」のスペインの類話でもそうなっている。)

見るなの座敷  日本

 昔、ある若者が庭の梅の木の小枝に足をはさまれていたウグイスを助けた。

 その秋、若者がキノコ取りに行って山に迷うと、ある家の前に出た。声をかけると娘が出てきて道を教えてくれたが、まるで方向が違っている。困り果てていると、今晩はここに泊まりなさいと勧めてくれ、母を呼んでくるので待っていて欲しいと、若者を縁側に座らせて出かけていった。ただし、座敷の中は見ないでください、と。

 娘が出かけてしまって長い時間が過ぎ、待ちくたびれた若者は隙間から座敷を覗いてしまった。すると床の間に松竹梅の鉢植えと鏡餅が見え、子供たちが晴れ着を着てすごろく遊びをしている。まるで一月の情景だ。不思議に思って次の座敷を覗くと、そこは二月の座敷で、稲荷様の初午祭りの様子だった。三月の座敷はひな祭り、四月の座敷は花祭り、五月の座敷は端午の節句、六月の座敷は山開きの日、七月の座敷は七夕祭り、 八月の座敷はお月見、九月の座敷で豆や粟の実りの情景、十月の座敷は百姓たちの刈り入れの様子、十一月の座敷では木々の葉が落ちて山には雪。最後は十二月の座敷で、人々は正月を迎える支度をしていた。

 一年の情景を見終えた若者の前に、あの娘が現れた。

「私は、助けていただいたウグイスです。お礼をしようと思っていましたのに、 どうして、のぞきなさったの、見るなの座敷を。ホー、ホケキョ!」

 気がつけば娘も家も庭もなくなり、若者一人がぼんやりと、林の藪の中に立っていた。


参考文献
『世界の民話と伝説9 日本の民話編』 浜田廣介著 さえら書房 1961.

見るなの座敷 −きつねむかし−  日本 新潟県

 ある山村で、山道に出る狐が村人を化かすというので評判になっていた。退治に行った人もみんな化かされて帰ってくるので、村の爺さんが「だけや(それなら)、オラが退治に行ってこう」と出かけて行った。

 山道に来ると、隣村の知り合いの家の娘と行き会った。両親が二人とも亡くなって自分は独りだ、どうか家にお参りに来てくれと言うので付いていくと、お寺さまを呼んでくるから留守居していてくれ、けれども隣の座敷を決して見てくれるなと言い置いて出かけて行った。爺さんは留守番していたものの、見るなの座敷が見たくてたまらない。戸を開けてみると、座敷に鏡が一枚下がっていた。その鏡を見れば、自分が若くていい男になって映っているではないか。

「おう、オラ、こんげに若いあんにゃになって」

 爺さんが驚いていると、娘が戻ってきて言った。

「おじじ、お前さま、あれくらい(あれほど)見てくれんない(見てくれるな)と言うておいたがね、座敷をとうとう見らしたの。そんげに若い男になって、もう、家へなんか行がんねぇの(家へなんか帰れないでしょう)。お前さま、オラの婿になってくれ」

 婚礼の祝宴が開かれた。グデングデンに酔っ払った爺さんは「あ、酔うた、酔うたわい」などと言って柱につかまっていた。

 さて、爺さんの家ではいつまでも帰ってこないので心配してあちこち探していたところ、山の杉の木につかまって「あ、酔うた、酔うたわい」なんて言っているではないか。背中をポンと叩いて「さ、何していらっるい。こんげなどこで、杉の木なんかにつかまって」と言うと、爺さんは正気づいて、

「いやいや、オラも狐に化かされてしもたか」と言った。


参考文献
『おばばの夜語り 新潟の昔話』 水沢謙一著 平凡社名作文庫 1978.


参考--> 「開かずの蔵」「うぐいすの浄土



鬼の目玉  日本 青森県

 一人の娘がキノコを採るうちに山深く入り込み、道に迷ってしまった。日も落ちて途方に暮れていると、遠くにチラチラと明かりが見える。目ざして行ってみると大きな黒門の館であった。

「道ね迷って困っているはんで、今夜一晩泊めてろ」

 戸を叩いてそう言うと、一人の若者が出てきて親切に応対し、入れてくれた。なんだかんだで、娘はそのまま若者と暮らすようになった。

 ところが、不思議なことが一つあった。若者は朝早くふすまをさらりと開けて、一人で館の奥へ行ってしまう。そして夕方になると疲れた顔で戻ってきてぐったりしているのだ。そんなことが毎日続いて、「何しに行ぐ」と訊いても言わないし、それどころか「俺の行く先は、何も訊くな」と言う。娘は案じられてならず、とうとうある日こっそり後を付けていった。

 襖を幾つも開けて閉めて開けて閉めて、奥へ奥へ行くと、若者は一番奥の部屋に入った。中から声がする。覗いてみると、大勢の鬼がいて若者を取り囲んで痛めつけているではないか。大将らしき鬼の指図どおり、蹴ったり火で炙ったり、ついには真っ赤に灼いた焼串で刺すやら、逆さに吊るすやら、まったく地獄の有様であった。

「目の玉を返せ、目の玉を返せ」

 若者に責め苦を与えながら、鬼どもは喚いている。大将の鬼の両目は無く、暗い眼窩がぽっかりと開いていた。しかし若者は、「知らねぇものァ、知らね」の一点張りで耐えている。

 あまりに凄惨な光景に、娘はがくがくと震えて、這いつくばるようにして屋敷の表へ戻った。

 夕方に若者は疲れ果てて帰り、娘に鍵束を渡してきた。

「毎日一人でいるのは、なんぼか寂しいことだべ。ここに十三、鍵がある。これで倉の戸を開けて、中に入ってみろ。せば、寂しいこともねえべし。

 ただ十三番目の倉だけは決して開けるな。俺も父親の言いつけを守って、十三番目の倉だけは開けたことはないのだから」

 

 あくる日から、娘は一日に一つずつ倉を開けた。

 一番目の倉の戸をガラッと開けると、そこには広々と正月の風景が広がっていた。子供たちが羽根をついたりコマを回したりして楽しく遊んでいる。娘が一歩中へ入ると、もうその風景の中に入り込んで、さあさあと餅を呼ばれたり、大根なますにゴボウやにんじん、鮭の焼いたのも添えてご馳走してもらった。

 二番目の倉の中は梅の盛りで、凧をあげて子供たちが遊んでいる。仲間に入って、最後に甘酒をもらって暖まってから戻った。

 三番目の倉はひな祭り、四番目の倉では畑でみんな精を出していて、娘もそれを手伝った。手伝いながらふっと顔を上げると、若者がいる。アッと思ったが、よく見れば別人である。弁当を呼ばれてから、小首を傾げながら戻ってきた。五番目の倉は鯉のぼり、六番目の倉は田植え、七番目は七夕さま、八番目は十五夜、九番目はキノコ採り、十番目は稲刈り、十一番目の倉の中では大根を吊るしたり菜を洗ったり。十二番目の倉の中はもう雪で、子供たちが雪ダルマを作ったり、そりに乗ったりして遊んでいる。

 そしてとうとう、残ったのは十三番目の倉だけになった。

「開けてはならんと言うた、開けてはならんと言うた」

 娘は呪文のようにそう呟きながら、鍵を差し込んで錠を外してしまっていた。戸を引き開けると、倉の中はがらんとして何もない。ただ、暗い中に台があり、黒塗りの箱が一つ載せてある。不思議に思って蓋を開けると、丸いガラス玉のような、しこしことしたものが二つ入っていた。

(何だべなぁ……。外に出てよくよく見るべ)

 娘は二つの玉を手に取ると、明るい場所で確かめようとした。ところが転んでしまい、玉の一つが転がって、近くの小川の中に落ちて無くなった。

 これはとんでもないことをした。

 娘が慌てて屋敷に戻ると、若者はいつものように青い顔をして、もう戻ってきていた。

 

 その晩のことである。めりめりと家鳴りがして、奥の部屋から襖を開け襖を開けして、何者かが近付いてくる気配があった。娘が震えていると、部屋の襖がガラッと開いて、家来の鬼どもをぞろぞろと従え、鬼の大将が入ってきた。鬼は言った。

「鬼の目玉が一つ見つかったぞ」

 見れば、大将の目が一つ戻っている。

「お前たちの親の代に、わしが悪いことをしたというので、わしの目玉は二つとも取られてしまった。それが、今日ようやく見つかった。後の一つをどうか返してくれ。返してくれれば、これからは打ったり叩いたりはせぬ。火炙りにもしない。それどころか宝物をお前たちにやろう。さあ、後の目玉を返してくれ」

 しかし若者は黙っていた。鬼どもが怒ってのかねの棒を振り上げたとき、娘はじっとしていられなくなって、

「私が持っている玉、これが目の玉でねえか」と、差し出した。

「これだ!!」

 鬼どもは手を打ち鳴らして喜んで、恭しく大将に差し出した。目がはまると、鬼はむくむく大きくなって家も突き抜け、

「宝物、こいつらにくれてやれ!」と割れ鐘のような声で言うと、風邪を起こして消え去った。

 若者と娘は宝をたんともらって、幸せに暮らした。

 とっちばれ。



参考文献
『私のアンネ=フランク』 松谷みよ子著 偕成社 1979.

※不思議な男との結婚、豪華な屋敷での生活、夫は妻に屋敷の鍵の束を渡し、しかし部屋の一つだけは開けてはならないと戒めるが、妻は好奇心に負けて開けてしまう…。というわけで、「青髭」と共通したモチーフを多く持つ話だが、「冥王」役を若者と鬼の大将の二人のキャラに分割した結果、冥王は退散し夫は残って夫婦で幸せになるという、全く異なる味わいの結末になっている。いわば、「青髭」の究極ハッピーエンドバージョン?

 

 創作小説『私のアンネ=フランク』中で、ライターであり民話研究者でもある主人公の母(作者の分身と思われる)が、語り手から直接聞き取ったものをテープの録音から書き起こした、として引用されていたものを紹介した。

 戦争を主題にした児童文学『私のアンネ=フランク』では、この民話が主軸として扱われている。民話では鬼に目玉を返して宝をもらってハッピーエンドになるが、作者はそれはおかしいと訴える。封印されていた悪い鬼を解放してしまったら、鬼が沢山人を殺すだろう。だからバッドエンドにならなければ「おかしい」と主張するのだ。そして簡単に鬼に目玉を返してしまう娘をあさはかとし、日本人の国民性と重ね合わせている。民話「鬼の目玉」のラストシーンは、(「うぐいすの浄土」に倣って、)「何もかもが一瞬で消え、娘一人が転がる骸骨の中に呆然と立っている」というものであるべきだ、と言うのだった。(念のため。骸骨が転がる情景を「戦争」のイメージと重ね合わせている。娘の浅慮が戦争を招いて多くの人を殺した、というわけだ。)

 ところで、『日本むかしばなし7 おにとやまんば』 (民話の研究会編 ポプラ社 1979.)に、やはり松谷みよ子の再話で載っている「鬼の目玉」は、本当にそういう結末になっている。娘が鬼に目玉を返すと、鬼が娘に「褒美に金の鶏をやる」と言い、次の瞬間、屋敷も若者も鬼も消えうせて、娘は山奥の骸骨がゴロゴロしているところにぽつんと立っていた、と。

 もしかしたら、『おにとやまんば』掲載の「鬼の目玉」は、作者の「こうあるべき」という考えで原話の結末を改変したものなのだろうか? 確かに、グリムもペローもみんな、再話者たちは民話を紙に書き起こす時点で多かれ少なかれ脚色したし、口承の話者たちとても、それぞれ自分なりのアレンジを加えていただろうから、それを思えば当たり前のことなのだが。

 確かに、『私のアンネ=フランク』版の「鬼と目玉」の結末は、ストンと切って落としたような物足りなさがある。もしも私がこの結末をアレンジするとしたら…。同じ開かずの間モチーフでも「魔法の木」系の「内部に魔物が封印されていた」というタイプなのだから、民話のお約束に従えば、鬼に目玉を返した途端、力を取り戻した鬼が娘を連れ去っていく、という展開はどうだろうか。ここから第二部突入、主人公を若者にチェンジして、若者が娘を取り戻すために冥界を彷徨う冒険を語る。ついに鬼の棲家への侵入を果たし、二人で鬼から呪的逃走して、追って来た鬼を火の海で焼き殺すか奈落の底に蹴り落としてめでたしめでたし。なんて。

 そういえば、鬼が若者の父に目玉を奪われていたという設定は、[一つ目巨人]系の、人食い巨人の家に囚われた主人公が赤く焼いた鉄串で巨人の目を潰して脱出するモチーフを思い起こさせる。そんな前日談があったのかもしれない。

 

 なお、「目玉」は民話においては「魂、命」と同義で語られることが多いことを書き添えておく。



黄金の髪の美童子ファト・フルモース   ルーマニア

 昔々、ノミが片足に九十九も蹄鉄を打って、それでも踵をはみ出させて空高く跳ねていた時代。ハエが壁に字を書いていた頃のこと。

 人里離れた荒野に、隠者が一人で暮らしていた。隣人といえば森の獣だけだったが、信心深い彼の前に獣たちは皆、膝をつくのであった。

 ある日のこと、隠者は庵の近くを流れる小川に箱が流れてくるのを見た。その箱には精緻な塗りが施されてあり、中からは赤ん坊の泣き声が聞こえていた。隠者はしばし迷ったが、祈りの言葉を呟くと川に踏み込んで、あり合せの竿で箱を引き寄せた。箱の中には生後二ヶ月ほどの男児が入っていて、首に手紙が掛けられていた。この子を捨てたのはある王国の王女であり、世の荒波に弄ばれてこの子を産んだが、両親の怒りが恐ろしいので箱に入れて川に流す、子供の行く末は神の思し召しに委ねると書いてあった。

 隠者は神が授けたこの子を育てたいと思ったが、養おうにも乳がないことに気付くと涙が溢れた。跪いて神に祈ったとき、奇跡が起こった。庵の側に一本の葡萄の芽が生え出て見る見るうちに高く伸び、たわわに実を実らせたのだ。早速取って口にあてがってやると、赤ん坊はそれを吸った。隠者は神に感謝を捧げた。

 何年もが過ぎ、子供は隠者に読み書きや狩りの仕方を教わりながら成長していった。けれどもある日のこと、隠者は子供を呼び寄せると言い聞かせた。

「我が子よ。わしはいよいよ年老い、衰えてきた。今日から三日の後、わしはこの世を去るだろう。わしはお前のまことの父ではない。川でお前を拾ったのだ。お前の母は王女であったが、不義の証を隠すためにお前を箱に入れて川に流したのだ。

 わしの身体が冷え切って動かなくなったら、わしが永遠の眠りに就いたと知るがよい。その時、一頭の獅子が来るだろう。怖がることはない。獅子はわしの墓を掘るであろう。お前はわしを墓穴に横たえ、土を掛けるのだ。

 お前に遺すものと言えば、ひとつのくつわだけだ。独りになったら、丘に登って轡を取れ。そして振れ。それを合図に、たちどころに一頭の馬が現れよう。その先は、馬が教えてくれるだろう」

 それから三日の後に、隠者は愛児に別れを告げて横たわり、永遠の眠りに就いた。するとすぐに猛々しい巨大な獅子が吠えながら現れ、死んだ老人を見ると爪で墓を掘った。少年は老人を葬り、そのまま三日三晩、墓の前で泣き明かした。

 三日目、空腹が、生きていかなければならないことを少年に思い出させた。心痛に打ちひしがれながら墓を後にして、あの葡萄の木のもとへ来てみると、悲しみは更に深まった。木は枯れていたのだった。

 ようやく老人の言葉を思い出して丘に登ると、轡があった。そして轡を振った。たちどころに、翼の生えた一頭の馬が駆けてきて目の前に立ち、口をきいたのである。

「御用は何ですか、ご主人様」

 少年は馬に向かって、老人の死にまつわる一部始終を話した。

「これで私は独りぼっちだ。神様が与えてくださったお父さんも、もういない。お前は、私と一緒にいておくれ。それにしても、どこか違うところへ行って小屋を作ろう。ここだと、お墓があるせいか、訳もなくやたらと泣けてくるんだよ」

 すると馬は言った。

「それはいけません、ご主人様。あなたと同じ人間が大勢いるところへ行って住みましょう」

「なんだって? 私やお父さんと同じ人間が大勢いるの? その人間たちの中で暮らすのか?」

「その通りです」

「でも、そんなにいるんなら、人間はどうしてこっちに来ないんだろう」

「ここには用が無いから来ないのです。こちらから向こうへ行かなくては」

「行こう」と、少年は勇んで答えた。だが、馬が「人間は裸で歩かないものです。だから、服を着なければなりません」と言うので、ちょっと考え込んだ。すると馬は、私の左の耳に手をお入れなさいと言う。触れたものを引っ張り出すと、それはちゃんとした服だった。もっとも、少年には何に使うものなのかさえよく分からなかったのだが、馬が着方も教えてくれた。それから少年は馬にまたがって出発した。

 

 そうして少年は一番近い町にやって来た。右も左も人間ばかりで、あまりの騒がしさにすっかり肝を潰した。キョロキョロおどおどと歩き回れば、壮麗な建物も何もかも、見るもの全てが珍しくて驚くことばかり。そのうちに物事には色々な決まりがあることが分かってきた。馬はこう言って少年を励ました。

「分かりましたね、ご主人様。ここでは、何事にもルールがあるのです。ですから、あなたも何か職業を持たなければなりません」

 少年は幾日かこの町で過ごして雑踏に慣れた後、馬と一緒に遠く遠く進んで次の場所へ向かった。そこは妖精の国で、三人の妖精が住んでいたが、少年はその家に住み込みで働きたいと頼み込んだ。というのも、馬がそう勧めたからだった。妖精たちは乗り気ではなかったが、少年があまりに熱心なので、ついに雇ってくれた。

 馬は折にふれては少年に会いに来て、難しい仕事の助言をしてくれた。そしてある日、こう言った。

「よく気をつけておきなさい。妖精の家の浴室には、何年かに一度の決まった日に黄金が流れるのです。その時真っ先に湯浴みした人は髪の毛が黄金になります。それから、家の中のどこかに、妖精が大事にしている三着の服の包みを入れた箱があるはずです。その場所を確かめておくことです」

 少年はこの言葉をしっかり心に留めておいた。妖精たちは「掃除するために家中自由に歩き回ってもいいけど、浴室にだけは入っては駄目よ」と常々言っていた。けれども少年は妖精たちの留守の間に浴室の中を覗き、衣装の箱の在り処も覚えておいた。

 ある日のこと、妖精たちは何かのお祝いで別の妖精の家に行くことになり、少年を呼んでこう言い付けておいた。

「浴室で何か音がしたら、すぐに屋根のこけら板を一枚折りなさい。それを合図に、すぐ帰ってくるから」

 妖精たちは、そろそろ例の黄金の水が流れる頃だということを気にしていたのである。

 妖精たちが出かけてしまうと、少年は禁じられていた浴室に入った。そして黄金の水が溢れ始めたのを見ると馬を呼んだ。馬は言った。

「その水を浴びなさい」

 少年は言われたとおりにし、浴室を出ると、例の衣装の包みを取って馬に乗って逃げ出した。馬は翼を広げて風のように飛び、門の敷居をまたいだ。その瞬間、建物も中庭も花園も振動し、凄まじい響きが轟いた。その音を聞いて妖精たちが急いで帰ってきて、召使いも服の包みも見えないことを知ると、探し当てて追いかけてきた。だが、妖精たちの手がついに少年に届こうとしたとき、馬は妖精の領域の境を越えた。

 馬は立ち止まったが、妖精たちはもう手が出せないのだった。悔しがりながら妖精たちは言った。

「お前は何てすばしこいんだろう。どうして騙したの? せめて、お前の髪の毛を見せておくれ」

 そこで少年は髪を背に解き流した。妖精たちは羨ましそうにそれを眺めて言った。

「そんなに美しい髪は、今まで見たことがないわ。それじゃ、元気で。でも、いい子だからあの衣装は返してよ」

 これには少年は応じず、給料の未払い分として貰っておくことにした。

 

 黄金の髪の《美童子ファト・フルモース》は、また別の町へ行った。豚の膀胱を被って美しい金髪を隠し、禿げ頭に見せかけた。王様お抱えの庭師を訪ね、宮殿の花壇の下働きにして欲しいと頼み込んだ。庭師はあまり乗り気ではなかったのだが、散々頼まれた末に少年を採用し、土を耕したり水を運んだり花に水をやる仕事をやらせた。果樹や植え込みの手入れも教えてもらい、美童子は庭師の弟子として、その技をすっかり覚え込んだ。

 さて、国王には娘が三人あった。王は国事に忙殺されるあまり、娘たちのことも、彼女たちがもう結婚できる年頃であることも失念していた。そこで姉の王女は妹たちと相談し、めいめいが一つずつスイカを選び、金の皿に載せて王の食卓に運ぶことにした。王は娘たちのこの奇妙な行動に首を傾げた。どうやら、何かの謎かけであるらしい……。御前会議を開いて家臣たちに相談した。彼らは王女たちが運んできたスイカを割ってみた。一つは少し熟れ過ぎ、もう一つはまさに食べごろ、最後の一つは熟し始めたところ。これを見て大臣は進言した。

「王様、これはおめでたいことでございます。これは王女様たちのお年頃を示すお印なのです。ご結婚の時が来たことを表しております」

 ようやく、王は娘たちを結婚させねばならないことに思い至った。その決定を国中に触れさせると、翌日からすぐに、あちらの王子、こちらの王子と求婚者が名乗りをあげ始めた。こうして、まず一番上の王女が気に入った相手を選び、大掛かりな婚礼と祝宴の後、夫の国へ旅立つことになった。王や宮廷の者たち総出で国境まで見送りることになり、庭師も出かけて行った。

 残っている身分の低い召使いたちは皆で陽気に騒いでいたが、美童子には親しい友人がいなかった。あの馬以外には。そこで馬を呼んでまたがり、妖精の家から持って来た衣装のうち《花の原》と名付けられた一揃いを身に着けて、黄金の髪を背になびかせながら花園の中を乗り回した。ところが、誰もいないと思っていた城内には、少し具合を悪くしていた末の王女が残っていたのだ。彼女の部屋は庭に面していて、窓から美童子の様子をすっかり見ていた。

 そんなこととは知らない美童子は存分に駆け回り、気がつくと、駆け回り過ぎたせいで花園が滅茶苦茶に荒れてしまっていた。彼は馬を下りて下働きの服に着替え、花園の手入れを始めたが、そこに庭師が帰ってきて、この有様を見て少年を殴り倒そうとした。

 一部始終を見ていた王女は、咄嗟に窓ガラスを叩いて庭師を呼んだ。花を少しちょうだいと命じ、庭師がどうにか何本かの花をかき集めて持っていくと、花束と引き換えに一掴みのお金を渡し、可哀想な下働きの若者を打たないようにと言葉を伝えた。庭師はたんまり貰ったのに気を良くし、せっせと働いた。三週間経つと、花園は何事もなかったかのように綺麗になった。

 

 それから間もなくして、中の王女も夫を選んだ。姉のときと同じように祝宴と見送りが行われたが、末の王女は今度も行かなかった。今回は仮病を使ってまで。そして、やはり残っている下働きの禿げ頭が、《星空》という一揃いの服を着て、金髪をなびかせて馬で花園中を駆け回るのを見守った。こうしてまたも、すっかり踏み荒らしてしまったことに気付くと、自分のぼろ服に着替えて泣きじゃくりながら痛んだところを直し始めるのだった。帰ってきた庭師はまた弟子を張り倒そうとし、王女はそれを止めて、前の倍のお金を払った。庭師はまた仕事に取り掛かり、四週間かかって花園を元通りにした。

 

 それから暫くすると、王は大掛かりな狩りを催し、そこで危うく命を落としかける経験をした。王は助かったことを喜び、森に仮小屋を建てて、貴族や召使いをみんな呼んで感謝の大祝宴を催した。この時も王女は城に残っていた。

 美童子は一人になったと思い、また馬を呼んで楽しくやろうと、黄金の髪を背に流し、胸に太陽、背に月、両肩に明星のついた一揃いの妖精の服を着た。馬に乗って思うさま花園を駆け回ると、今までの中で最もひどい有様になった。手入れをし直そうにも出来ないと思われるほどに。これを見て少年は泣き出し、急いで下働きの服に着替えたものの、どこから手をつけたらいいのかさえ分からない。庭師が帰ってきて、この大損害を見たときの怒りようといったらなかった。そして粗忽な弟子を張り倒そうとしたとき、また王女が窓ガラスを叩いて花を注文した。庭師は隅々まで花を探したが、駄目だった。どうにか二本だけ無事な花を見つけて持って行くと、王女はそれでも哀れな下働きを許すように命じ、前の三倍のお金を渡した。

 庭師はまた修復にかかったが、一ヶ月経っても花園とは言いかねるような有様で、「もし、もう一度こんなことをしでかしたら、今度こそ散々に叩きのめして追い出すからな!」と弟子に言い渡した。

 

 王は、末の王女が沈みがちになったことを気にかけた。王女はいつも城にいたがって、一歩も外に出ようとしなかった。それで花婿候補をあれやこれやと紹介したが、どの話にも耳を貸そうとしない。王は廷臣たちを集めて尋ねた。どうしたものだろうか?

「楼門を建てて、全ての王子や貴公子たちに下を通らせましょう」というのが彼らの答えだった。

「王女様は金の林檎を手に持って、選んだ人に投げ渡すのです。その者と王女を結婚させなさいませ」

 さっそく実行に移された。身分の高下を問わず、どんな男も門の下を通れという命令が、国中の男たちに触れ出された。それで全員が通り過ぎた。けれど王女は誰にも林檎を投げようとしない。みんな、王女は結婚する気がないのだろうと思った。だが、一人の老貴族が、宮殿の使用人も通らせてみようと言った。庭師が、料理長が、執事が、下男が、馬丁が、掃除夫が通った。が、これも無駄だった。まだ他に通っていない者はいないのかと調べると、庭師の下働きが一人残っていたことが分かった。

「その者も通らせよ」と、王は言った。

 そこで禿げ頭の下働きを呼んだが、若者は尻込みした。なおも強いられて、仕方なく通った。すると、王女は林檎を投げつけた! 若者はといえば悲鳴をあげ、林檎に頭を割られたと叫びながら逃げて行った。この情けない有様を見て、王は言った。

「とんでもない! これは間違いじゃ! わしの娘が、よりによってあんな禿げ頭を選ぼうとは考えられぬ!」

 そこで最初からやり直されたが、王女はやはり禿げ頭の若者に林檎を投げ、若者は逃げる。もう一度やり直した。やっぱり同じであった。とうとう王も認めざるを得ず、王女を禿げ頭に嫁がせることにした。

 婚礼はひっそりとしたものだった。その後、王は二人を遠ざけた。見たくも聞きたくもなかったのだ。それでも、二人が宮殿に住むことだけは、いやいやながら許してやった。中庭の片隅の小屋が二人の新居として与えられ、庭師の下働きだった若者は庭の水汲みとなった。召使いたちはみんなで若者を笑いものにし、ゴミや汚物を小屋の屋根に投げつけた。けれども小屋の中は素晴らしいものだった。あの翼ある馬が、世界中から密かに様々な逸品を運んできていたからだ。

 

 末の王女に求婚していた諸国の王子たちは、王女が禿げ頭の若者を選んだのは自分たちへの侮辱だと感じて、連合して戦争を仕掛けることを決めた。王は、それを受けて立つしかなかった。

 上の娘二人の婿たちは援軍を率いて現れた。美童子は妻を使いに立てて、自分も戦争に参加させて欲しいと願い出た。しかし、王は娘を追い払った。

「わしの前に姿を見せるな、馬鹿娘め! そちの軽はずみのせいでこうなったのだ。二度とお前たちを見ようとは思わぬわ、不届き者が!」

 けれども娘が何度も頼むので、王も折れて、では部隊の水でも運べと命じた。軍隊は隊列を整えて出発した。

 美童子は下働きのぼろ服を着て、びっこを引いた痩せた雌馬に乗り、一足先に出発していた。王の軍勢が沼地に差し掛かると、美童子は沼地に足を取られた痩せ馬を引き上げようと滑稽な様子で悪戦苦闘しているところだった。みなが大笑いして通り過ぎて行った。

 しかし軍勢が見えなくなると、美童子は馬をぬかるみから引き出して自分の馬を呼んだ。《花の原》の衣装に着替え、天翔けて戦場を目指したのだ。彼は山の上に降り立ち、両軍が到着するのを待った。合戦が始まり、敵の方が大軍であって優勢だと見て取った美童子は、敵軍の只中に疾風のように突入し、手にした剣で触れた全てをなぎ倒した。その早業と衣装の眩さと空翔ける馬の勢いに敵は怯えて、隊列は乱れ、散り散りに敗走を始めた。王はこの奇跡に目を見張り、神が天使を送って救いたもうたと感謝を唱えたのである。

 意気揚々と凱旋した王の軍勢は、途中で、ぼろを着た美童子が未だにぬかるみから馬を出そうと苦労しているのに出会った。このときの王は上機嫌だったので、周囲に命じて馬をぬかるみから出してやった。

 

 落ち着く間もなく、敵が以前にも勝る大軍を集めてこちらへ向かっているとの報せが届いた。王もまた戦備を整え、迎え撃つべく出陣した。美童子はまた戦いに加わることを願い出て、散々罵られた末に許しを得て、再び痩せ馬にまたがって出発した。今度も王の軍勢はぬかるみにはまった美童子と行き会い、嘲って通り過ぎた。王の軍勢をやり過ごしてから美童子は金髪を流し《星空》の衣装をまとって、翼ある馬に乗って先回りした。

 両軍は太鼓を打ち鳴らしラッパを吹き鳴らして開戦した。またも敵方が優勢と見て取ると、美童子は山から馳せ下って敵を敗走させた。王は神の助けに感謝しつつ、再び意気揚々と軍を返した。そしてまたも、無能な水汲み男をぬかるみから引き出してやるよう命じた。王は勝ち戦に上機嫌だったのだ。

 

 三たび、敵の進軍が始まった。前回に勝る大軍を集めて疾風枯葉を巻く勢いで国境に迫ったと聞いたとき、王は心の底から嘆き悲しんだ。涙が堰を切って溢れ出し、泣いて泣いて、ついには目もかすむかと思われた。それから全軍を召集し、神の加護を頼みにして戦いに向かった。

 今度も美童子は痩せ馬に乗って先に出発した。ぬかるみで馬を引っ張りながら軍隊をやり過ごし、《胸に太陽、背に月、両肩に明星》の衣装をまとうと、黄金の髪を背になびかせて翼ある馬にうちまたがり、一瞬のうちに山上に至ると戦いの行方を窺っていた。

 両軍がぶつかり、三方の戦線で戦いが始まり、情け容赦のない白兵戦となった。両軍兵士とも憎しみに燃えていたのである。そして日没が迫ったとき、敵の一隊が王めがけて突撃してきた。

 これを見ると、美童子は稲妻のように山を駆け下って敵の真っ只中に切り込んだ。敵は震え上がって為す術も知らず、うずらが飛び立つごとく、散り散りに悲鳴をあげて逃げ惑った。美童子は敵を追い詰めては、羊でも殺すかのように斬って捨てた。国王は美童子が自分の腕にわざとつけた傷から血が滲むのを見て、包帯代わりにとハンカチを与えた。それから、窮地を脱した王は帰途に就き、途中でぬかるみにはまった美童子と痩せ馬を引き出してやると、揚々と凱旋を果たした。

 

 ところが帰館した王は目を患い、盲目となった。医者も星占学者も全てが召されたが、少しも役には立たなかった。

 こうしたある日のこと、王の夢に一人の老人が現れて、こう告げた。

『野生の赤山羊の乳で目を洗い、飲むならば、目は開くであろう』

 眠りから覚めた王がこの不思議な夢について語るのを聞いて、上の二人の婿は人々を率いて出発したが、末の義弟を連れて行こうとはしなかった。そこで美童子は自分の馬を呼び、沼地を探し回って、ついに野生の赤山羊を見つけ出し、その乳を搾った。帰途では羊飼いの衣装に身を包んで義兄たちが通る道に立った。その手には乳の入った桶を持っていたが、その乳は普通の山羊のものだった。

 行き会った義兄たちは、相手が義弟だとは少しも気付かずに尋ねた。

「そこに乳があるのか?」

 羊飼いの姿の美童子はそ知らぬ顔で答えた。

「はい。この乳で目を洗うと王様の目が開くという夢を見たので、これから持っていくのです」

「売ってくれ。幾らでも支払おう」

「この乳はお金では譲れません。しかし、私の奴隷になることを誓い、背中に私の焼印を押させてくれるのなら、渡してもいいでしょう。まあ、私はこれから旅に出るつもりですので、今後二度とお会いすることはないでしょうが……」

 二人の義兄は、自分たちはそれぞれ王であり、しかもこの国の王の婿なのだから、後難の恐れは何もあるまいと計算した。万が一、この羊飼いが後に何か言ってきたとしても、頭のおかしい男だと言ってやるまでだ。誰であろうと、このおかしな羊飼いよりも自分たちの言い分を信じるだろうと。そこで背中に焼印を押させ、乳を手に入れた。

 二人は王のもとへ戻り、乳を献上した。王は目を洗い、飲んだが、何の効き目も現れはしなかった。

 その後に、末の王女がやって来た。

「お父様、この乳をお使いください。夫が持ってきたものです。どうぞ、これで目を洗ってください」

 失意の底にあった王は苛立たしげに答えた。

「そちの愚かな夫が、今まで何か役に立ったことがあるか? 今更何ができると言うのだ。戦争のときにあれほど力になってくれた二人の婿さえ、今度ばかりは無力であった。だというのに、こともあろうにあの馬鹿者がわしを救えると? そもそも、そちたちは二度と目通り適わぬと申し付けたではないか。何故、わしの命に背く!?」

「どのような罰でも喜んでお受けいたしましょう。ただ、これだけはお願いでございます。哀れな下僕しもべの持ち帰ったこの乳で、目をお洗いください」

 娘の懸命な訴えに心が折れて、王はその乳を受け取って毎日 目を洗った。二日目になると、不思議にも、もやが薄らぐように物が見え始めた気がした。更に三日目にも洗うと、はっきりと見えた。

 王は喜び、廷臣たち全てを集めて快気祝いの宴を催した。今回は美童子が末席に連なることも許した。宴もたけなわの頃、美童子は立ち上がり、一礼して質問した。

「王様、奴隷が主人と同じテーブルにつくことは許されるでしょうか」

「断じて許されぬ」と王は答えた。

「正義の誉れ高き王様、それでは私の正当な権利をお認めください。王の左右にいる二人の客人を下がらせてください。二人は私の奴隷なのですから」

 美童子は言った。

「お疑いがあれば、お調べになってください。二人の背中に私の焼印が押されているのがお判りになるでしょう」

 二人の義兄はこれを聞くと震え上がり、その通りですと白状した。すぐに二人はテーブルから追い立てられ、その場に立っているように言いつけられた。

 それから宴は続き、やがて食事が終わる頃、美童子は一枚のハンカチを取り出したが、王はそれを見て驚いた。見覚えのあるそれは、自分があの戦場の不思議な騎士に渡したと思しきものだったからだ。

「わしのハンカチが何ゆえお前の手元にあるのか? それは、戦場でわしの窮地を救ってくれた神の使いに与えたものじゃ」

「いいえ、王様。私に賜りました」

「ならば、わしを救ったのはお前なのか?」

「私です、王様」

「……信じられぬ! 姿がまるで違うではないか。あの姿をこの目で見ぬ限りには」

 そこで美童子はテーブルを立って退出し、最も素晴らしい衣装に着替えて、黄金の髪を背になびかせ、王と人々の前に現れた。この姿を見るや、みなは一斉に立ち上がって喝采した。美童子の美しき輝きは、たとえ太陽を直視することが出来たとしても彼を直視することは出来まいと思えるほどだった。

 王は良い夫を持ったものよと末娘を褒めて、自ら玉座を降り、今は婿と認めた美童子をそこに座らせた。新王の最初の仕事は、二人の義兄を許して自由の身にすることであった。

 

 かくて国中が喜びに溢れ、即位の祝宴が開かれた。私もそこで、せっせと肉串に薪を刺して炉に運び、ざるで水を汲み、冗談を桶で運んだものだ。そうして私も頂戴したのさ。スープと親指小僧と、灰坊の聖人を。お喋りのご褒美にってね。



参考文献
『バルカンの民話』 直野敦/佐藤純一/森安達也/住谷春也 共訳編 恒文社 1980.

※湧き出す黄金の水を浴びる様子は、どこか竜の血を浴びるジークフリートを思い起こさせる。この話では開かずの間の中に忌まわしいものがあるわけではなく、妖精(神)にとって触れられたくない大切なものが隠されている。しかし、類話によっては開かずの間の中には死体が転がっており、冥王に囚われていた神馬が「逃げねばあなたも同じ運命になる」と忠告して、共に逃げ出すことになっている。

 

 自分で気晴らしに乗馬して花園を踏み荒らしておきながら、後で泣きながら修復しようとする(そのうえ自力では出来ない)美童子に胸キュン。なんというヘタレ。これが萌え…?

(このテの話では、主人公の醜い姿の時の間抜けっぷりは「演技」として描かれるものだが、この話だと素だったのではないかと思える。衆目監視の中、王女に求婚の林檎を投げつけられて痛い痛いと逃げたのも。)

 そして、ヒーローの悲哀というものも良くわかる物語であった。ヒーローや神の使いといったものは人がまさに危機に陥った瞬間に颯爽と現れるものだが、タイミングを計るために毎度 沼にハマって馬鹿にされ、着替えて髪をセットして山に登って、一日中こっそり戦況を見守って、今こそ、というタイミングで一気に山を駆け下って出現! その努力には頭が下がった。「マリアの子」では聖母マリアが最後の瞬間に神々しく出現するが、やはりハラハラと状況を見守りながら出現のタイミングを計っていたのであろうか。

 

 美童子が最初に仕えた妖精の国が「冥界」であり、妖精たちが「冥界の女王(山姥)」を示しているのは明確である。その宝を得て逃げ出そうとすると、屋敷も庭も花園も…つまり冥界全体が鳴り響く。これも世界中の伝承に見られるモチーフである。冥界から何かを持ち出そうとしたり逃げ出そうとすると、大地や木が鳴動したり琴が鳴り響いたり犬や鳥などが叫んで報せるのだ。

 妖精たちが冥界の存在…霊であることは、境界を越えて冥界から現界へ出てしまうと、もう美童子たちに何も出来ない点にも現れている。これも、世界各地の伝承に共通した概念である。

 また、この例話では要素が薄いが、類話によっては主人公が冥界から逃げ出す際に神馬の助言で櫛や藁などを後ろに投げて障害を作る、呪的逃走の要素が入ることが多い。

 

 通過儀礼を終え、冥界の力を得た主人公は自身がその属性を持つようになる。庭師(豊穣を司る者)になること、同時に花園を踏み荒らす騎士にもなること(この例話では花園になっているが、本来は「果樹園」であろうと思う)。三本足の痩せ馬は冥界と現界を行き来する「渡り」の力を持つことの象徴だし、その馬がはまり込んだり赤山羊がいた「沼地」は、これも「冥界」を暗示している。冥界へ渡ることの出来る美童子にしか赤山羊は捕らえられない。

 美童子が戦の途中で必ず沼地にハマり、帰路にもまたハマっているのは、いわば彼が変身するための手続きである。転生するためには一度死ななければならない…冥界を潜る必要があるのだから。

「冥界の力で転生する者」の乗騎が「沼地」にはまって難儀して笑われ、その沼地を越えた途端に転生するというモチーフは、「二十日鼠になった王女」でも見ることが出来る。


参考 -->
金髪の男][男性版シンデレラ
シンデレラのあれこれ〜生命の木 女神と生命の果実><シンデレラのあれこれ〜かまどと灰

 

天まで届いた木  ドイツ

 百姓が三人の息子を持っていた。上の二人はしっかりしていたが末息子のヘルムはいつも詰めが甘く、父は時には彼を殴っていた。

 あるとき、村の真ん中に突然木が生え、天に届くほど伸びた。どんな先生もこの木の種類を知らない。この上には何があるのか。多くの若者が木登りに挑戦したが、ヘルムの兄たちを含め、誰も成功しなかった。

 ヘルムは父親に自分も挑戦すると告げ、十二足の木靴と食料の詰まった大きなリュック、鉄の斧を用意してくれるよう頼んだ。人々は馬鹿のヘルムが成功するはずがないと嘲ったが、ヘルムは斧を幹に突き立てて足掛かりにし、磨り減った木靴を履き替えて地面に落としながら、どんどん登っていった。

 高く登ると木の幹に洞があった。入ると、恐ろしく醜い老婆がいる。しかし勇気を持って話しかけてみると思ったより親切で、美味しい食事でもてなしてくれた。この木はまだまだ高く、途中には自分の姉たちがいると言う。自分は「月曜日」で、姉妹は「土曜日」までの六人がいるのだと。ヘルムはここで休んでから再び出発し、残りの老婆を訪ねた。「火曜日」は「月曜日」よりもっと老いて醜かった。みんな、「私は一つ上の姉に似なくてよかった、だってひどく醜いもの」と言うのだった。

「土曜日」の洞を出発すると、持ってきた木靴は全て磨り減り、斧の刃は欠けた。それでも登り続けると石壁に突き当たり、唯一あった小さなドアを開けると、不思議にもその向こうには広大な野原が広がっている。しかしそこに一歩踏み込んだ途端、ヘルムは死んだようになり、気を失って倒れた。

 

 目を覚ますと、そこはどこかの美しい庭園だった。木が沢山あり、奥に素晴らしい城が見える。その城を目指して歩いていくと、池のほとりに醜い大きなアマガエルが座っていて口をきいた。

「よくおいでてくださったわね。長いことあなたを待っていたのよ。だって、あなたしか私を救えないんだから」

 内心気味悪く思いながらも、ヘルムは「どうやれば君を救えるんだい」と訊ねた。

「三回キスしてちょうだい」

 嫌悪を内心に抑えてヘルムが一回キスすると、なんと、カエルは蛇に変わった。しかも毒蛇であり、口からはタラタラと毒液を滴らせている。それでもヘルムは蛇に二度目のキスをした。すると蛇は巨大な竜に変わった。尾は池に突っ込んで掻き回し、口からは火を吹いている。それでもヘルムは竜の頭を押さえつけ、三度目のキスをした。途端に、竜はこのうえなく美しい娘に変わっていた。

「あなたはとうとうやり遂げてくださったわ。あなたはこれから何でも望みのものが手に入るのよ」

 それを聞くとヘルムは娘を抱き上げてキスをした。二人は城へ行って、何不自由なく幸せに暮らした。

 

 さて、この城には多くの部屋があり、娘は一つ一つヘルムに見せて回ったが、ある一つの部屋だけは見せなかった。この部屋に入るとあなたも私も不幸になると言うのである。

 長い年月をこの城で過ごすうち、ヘルムは開けてはならない部屋のことが気になって気になって仕方なくなった。

(僕はこの城の主人じゃないか。どうして入ってはいけないことがある?)

 とうとうヘルムは部屋の鍵を開け、中に入った。

 部屋の中には別段変わったことはなかった。ただ、窓がある。何気なく歩み寄って外を見ると、そこには人間の世界が見えた。父の家も小さく見える。ヘルムは懐かしく思い、同時に悲しい気分になった。

 やがてヘルムは部屋を出た。この部屋に入ったことはまるで言わなかったが、妻は夫が沈みがちになったのを見て何が起こったのかを悟った。

「あなたはきっと、あの部屋にお入りになったのね……。それなら、もう仕方ないわ。

 馬小屋に白い馬が一頭います。それに乗ればお父さんの家へ連れて行ってくれるでしょう。けれど、ここへ戻ってくるときはご両親を連れてきてはいけませんよ。その馬には一人しか乗れないのですから。もう、あの不思議な木もありませんしね。

 それから、一つだけお約束して欲しいことがあります。私が美しい女だということを、決して人には言わないでいただきたいのです。そうでないと、私たちに大変な不幸が降りかかりますから」

 馬は空を翔けて、人間界が夜になる前に着いた。最初は誰だか分からなかったくらい立派になって戻った息子を見て、両親は驚いた。素晴らしい男になったヘルムの噂は周囲に広まり、県知事の耳にも入った。彼はヘルムを招待して色々話した。彼には三人の娘がいたが、そのうちの誰かの婿になって欲しいと思ったのだ。その思惑を知ると、ヘルムは「実は、私には妻がいるのです」と断った。

「そうは言っても、どうせそんなに大したことのない女なんでしょう」

 知事のこの言い草に、ヘルムはカッとした。

「何を言うんですか。私の妻は、あなたの娘さんたち三人を合わせたよりも美しいんですよ!」

 言い終わるか終わらぬかのうちに、ヘルムの前に悲しそうな顔で妻が立っていた。

「あなたが約束を破ったから、あなたは私を探して真っ暗な世界を巡らなければならないわ」

 そう言い終わると、妻の姿は消えた。ヘルムは呆然としている知事の前から立ち去り、両親に別れを告げて、妻を探す旅に出た。

 

 天に届く木を登った時よりもっと多くの靴を履き潰し、ヘルムは暗い森に入り込んだ。そこを三日も彷徨っていると、水車小屋を見つけ、一人の老人に出会った。

「わしは、暗い世界の粉挽きなのだ。七百年の昔から、この森に人間が来たことは一度もない」

「暗い世界の粉挽きなら、暗い世界へ行く方法を教えてください」

 老人は断ったが、ヘルムがあまりに熱心なので、とうとう教えてくれた。

「明日、怪鳥グライフが樽いっぱいの小麦粉を暗い世界へ運ぶから、樽の中に隠れているがいい」

 ヘルムは言われたとおりに樽に入って運ばれ、怪鳥がどこかに行ってしまってから這い出した。そこは本当に暗い世界で、何も見えず、ただ流れる瀬音だけが聞こえていた。それを頼りに這って行くと川があり、橋が架かっている。渡ると、遠くにチラチラと微かな光が見えた。近付いてみて、何の光なのかやっと分かった。暗い谷間を女の二人連れが歩いており、先に立った女が灯火を掲げているのだ。更に近付いてみて、後ろに付いている女こそが探していた妻であることに気が付いた。彼女は、小間使いの女と共に柴を集めていたのだった。

 夫婦は再会した。妻は喜んでヘルムを自分の家に連れて行ったが、すぐにこう言った。

「私はこれから、音楽を演奏しに行かなければなりません。あなたはこの部屋で休んでいて。十一時になったら私も自室に戻りますが、私の部屋はこの真上よ。あなたは、何があっても動いてはならないし、口をきいてもいけないわ」

 ヘルムがベッドに入って様子をうかがっていると、階上に妻が戻ってきたらしい気配があり、やがて寝静まった様子である。するとヘルムの部屋に幽霊たちが入ってきて彼を小突き回した。ヘルムは妻との約束を守ってじっと耐え、指一本動かすことなく、声もあげなかった。

 十二時になると幽霊たちは消え、代わりに妻が入ってきた。彼女が傷薬を塗ってくれると、幽霊たちの暴力の痕はたちどころに消えた。その後で、妻はワインやチーズなどの食事を出してくれた。食事を終えるとヘルムは眠った。

 目を覚ますとやはり暗く、側には妻が立っていた。

「私は今日も柴を拾いに行かねばなりません。それが終わったら音楽を奏でに行きます。十一時に私が自室に戻ったのが分かったら、じっと動かずに寝ていてください」

 時間になると、昨日と同じように幽霊たちが現れた。その暴力は前日よりひどく、ヘルムはボロボロになるほど殴られ、しまいに煮えた油の鍋に投げ込まれそうになった。しかしあわやという瞬間に十二時になり、幽霊たちは消えて、妻が傷の治療をしてから食事を出してくれた。

「明日も私は柴集めと演奏に行って、十一時に戻ります。三回目の明日こそが、今迄で一番ひどい試練でしょう。けれども、あなたがそれに耐えれなければ、私たちは二度と会えません」

 そうして三日目の十一時になった。ヘルムは覚悟して待っていたが、幽霊たちは入ってこない。しかし、窓の外に誰かが来た気配があって、しきりに呼びかけてきた。

「ヘルム、わしだ。お前の父だ。いなくなったお前を探して、やっと探し当てたんだ。どうか返事をして中へ入れてくれ」

 ヘルムが黙っていると、また誰かが窓の外にやってくる気配があって呼びかけた。

「ヘルム、私よ。母さんだよ。お前を探してここに来たんだよ。黙っていないで返事をして、中へ入れておくれ」

 ヘルムが動かず何も言わずにいると、窓の外の両親は色々なことを話した。わしはお前を殴ったこともあるが、それで怨んでいるのか。私はお前に何もひどいことをしたことがないのに、私まで怨んでいるのかい。ヘルム、早く中へ入れておくれ。私たちはお前を探して旅をしてへとへとなんだよ。ここは寒いし、獣が来て私たちを食べてしまうだろう。ああヘルム、後生だから入れておくれ。

 声は悲痛な叫びになっていった。じっとしていたヘルムは我慢できなくなってきた。きっとあれは本当の父さんと母さんに違いない……。ついに返事をしようとしたとき、十二時になった。たちまち窓の外の両親は消えた。

 なるほど、確かにこの試練が一番辛かった……。

 そう思いながら、疲れ果てたヘルムは泥に引き込まれるように眠ってしまった。

 次に目を覚ますと明るい昼だった。しかも立派な部屋の中で、側には妻がいた。ついに取り戻した彼女を、ヘルムはかたく抱きしめた。



参考文献
世界のメルヒェン図書館1 風にのったヤン=フェッテグラーフ −グリム兄弟の知らなかったはなし−』 小澤俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1981.

※だいぶ複雑化してきて、「開かずの間」のモチーフは主人公に課せられた幾つもの禁忌の中の一つになっている。

 開かずの間自体には何もないが、窓から見える景色にこそ「見てはならないもの」があるのは「三つ目男」を思わせる。窓の向こうに異界(魔女の菜園)が見えるというモチーフは「ラプンツェル」にも見て取れる。

 

 二番目の禁忌の「妻が美しい女だということを人に言ってはならない」というのは意味不明だが、恐らく異類婚姻譚系のモチーフの欠片なのだろう。蛙や亀の姿の妻が、夜になると皮を脱いで美女となる。しかしそれを他の者に明かしてはならない、というようなものだったのではないだろうか。

 そして三番目の禁忌、どんなに痛めつけられても動いたり声をあげてはならないというもの。仏陀もこうした試練に耐えたものである。獄卒どもの暴力に耐えた後、親が出てきて悲しい声をあげて精神的苦痛を与えるのは中国の「杜子春伝」と同じモチーフだ。これを基にした芥川龍之介の「杜子春」では耐えられずに声を出して試練に失敗するが、「杜子春伝」やこの話では耐え抜いている。

 それはそうと、妻が眠ると幽霊たちが現れてヘルムをボロボロに痛めつけ、幽霊が消えると妻が現れて薬を塗り食事を与えるという部分は、『今昔物語』のよく知られたエピソードを思い出す。

人に知られぬ女盗人のこと  日本 『今昔物語』巻二十九 第三話

 今は昔、いずれの頃であったか、侍(従者)程度の、誰とも知れない、年は三十ばかりで、背はすらりとして少し赤髭の男がいた。

 夕暮れ頃に、○○通りと●●通りの辺りを通っていると、半蔀はじとみ(窓)から手を差し出して、チッチッと鼠鳴ねずなきをして(舌を鳴らして)招くので、男が近寄って「お呼びでしょうか」と言うと、女の声で「申し上げたいことがございます。その戸は閉じているように見えますが、押せば開きます。それを押し開けておいでなさい」と言うので、男は「思いがけぬことだな」とは思いながら、押し開けて入った。

 その女が現れ、「その戸は鍵をかけて」と言うので、鍵をかけて近寄ると、女は「上がって来て」と言うので、男は部屋に上がった。すだれの内側に呼び入れられると、とても綺麗に整えられた場所に、美しく愛嬌ある容姿の二十歳ほどの女がただ一人でいて、微笑んで頷くので、男は側に寄った。これほどの女の誘いかけに、男として生まれて何もしないわけにはいかないので、ついに二人で寝た。

 その家に他に人ひとりいないので、「ここはどういう家だろう」と怪しく思ったけれども、深い仲になって後は、男は女に心を奪われたので、その日が暮れるのも気付かないで睦み合っていると、日が暮れてから門を叩く者があった。人がいないので男が行って門を開けると、侍めいた男が二人、女房(女官)めいた女一人が、下女を連れて入ってきた。しとみを下ろし(窓を閉め)、火など灯して、とても美味しそうな食べ物をしろがねの器などなどに盛り付けて、女にも男にも食べさせた。男はここで「俺は入ったとき戸に鍵をかけた。その後、女は誰かと話すこともなかったのに、どうやって俺の食べ物さえ持ってきたのだろう。もしや他に男がいるのではないか」と思ったけれども、腹が減ってきたのでよく食べた。女も、男に遠慮しないで物を食べる様子は自然でくつろいでいる。食べ終わると、女房めいた女が片付けなどして出て行った。その後、女は男に戸に鍵をかけさせて、二人で寝た。

 夜が明けて後、また門を叩くので、男が行って戸を開けると、昨夜の者どもではなくて、異なる者どもが入ってきて、蔀を打ち上げ(窓を開け)、ここかしこを暫く掃除などしていて、(起きてすぐに食べる用の)粥と(正式の朝食である)ご飯を持ってきて、それらを食べさせるなどして、続いて昼の食事を持ってきて、それらを食べさせて、またみんな去った。

 このようにしつつ二、三日経った頃、女が男に「どこか出かけねばならない用事がありますか」と問うと、男は「ちょっと知人のところに行って、話したい」と答えた。女は「ならばすぐにお行きなさい」と言って、暫し待つうちに、水干装束の下男三人ばかりが馬丁ばていを伴って、いい馬になかなかの鞍を置いて引いてきた。そして、今いる部屋の後ろの、壺屋(独立した部屋)のようなところから、ちょっと着たくなるような装束を取り出して着せてくれたので、男はそれを着て、その馬に乗って、その従者どもを率いて出かけたのだが、この男どもが気が利いて使いやすいことといったら限りなかった。そうして帰ってみると、馬も従者どもも、女が何も言わなくても、さっと帰り去った。食事なども、女が命じることはなかったけれど、どこからかともなく持ってきては、同じようにするばかりだった。

 このようにするうちに、何不自由なく、二十日ばかり過ぎて、女が男に言う様子。

「思いがけない、儚い宿世の縁のようではあるけれど、なるべくしてこうなったんでしょう。だから、生きようとも死のうとも、私の言うことをよもや断りはしないわね」
「今はまさに、生きようとも殺されようとも、あなたのお心のままです」
「とても嬉しく思うわ」

 女はそう言って、食事をとるなどして、昼のいつものことながら誰もいない間に、男に「いざ」と言って、奥の別棟の部屋に連れて行って、この男を、髪に縄を付けて、幡物はたもの(磔用の柱)に固定して、背をかなぐり出させて、足を折り曲げて縛りあげて、女は烏帽子を被り水干袴を着て(男装して)、肩を脱いで、鞭でもって男の背を、したたかに八十回打った。そして、「どんな感じ?」と男に問えば、男は「大したことはありません」と答える。女は「そうだわね」と言い、かまどの土(竈の中で焼かれ続けた土は止血剤になるとされた。伏竜肝)を湯に溶いて飲ませ、よい酢を飲ませて、地面をよく掃いて寝かせ、一刻(二時間)ほどして引き起こして、いつもの調子を取り戻すと、その後は、いつもより食事を良くして持ってきた。

 よくいたわって、三日ばかり隔てて鞭の痕がほぼ癒える頃、前の所に連れて行って、また同じように幡物に固定して、もとの傷痕を打つと、傷痕に沿って血が走り肉が裂けたが、八十回打った。そして「耐えられる?」と問うと、男はいささかも顔色を変えないで「耐えられます」と答えたので、今回は最初よりも褒めて、よく労って、また四、五日ばかり間を開けてまた同じように打つと、それにもなお同じように「耐えられます」と言ったので、ひっくり返して腹を打った。それにもなお「大したことはありません」と言うと、この上もなく褒めて、何日もよく労って、鞭の痕がすっかり癒え果てて後、夕方に、黒い水干袴と素晴らしい弓・やなぐい(矢と弓をセットで背負える道具)・脛巾はばき脚絆きゃはん、ゲートルのこと。レッグウォーマーのように脛に巻く布)・藁沓わらぐつ(わらじ)などを取り出して身支度してやった。

 そうして「ここから蓼中たでなかのお屋敷へ行って、忍びやかに弦打ち(弓の弦を弾いて鳴らすこと)をなさい。すると、誰かまた弦打ちを返すでしょう。また口笛を吹くと、また口笛を吹く者がいるはず。そこに歩み寄れば、『お前は誰か』と問うでしょう。そうしたら、ただ、『おります』と答えなさい。そして、連れて行かれる所に行って、言うことに従って、立てと言う所に立って、人などが出てきて邪魔するのをよく防ぎなさい。そしてそれから船岳ふなおか(船岡山)の麓に行って、品物の始末をするでしょう。ここでは、くれようとする物は決してもらってはなりませんよ」と、よくよく教え込んで送り出した。

 男は、教えられたままに行って、言われたように呼び寄せた。見れば、同じような姿の者ばかり二十人ほどが立っていた。この一団から離れて、色の白い小さな男が立っている。彼にはみんな敬意を払ってかしこまっている様子である。その他に、下っ端が二、三十人ほどあった。そこで指示が下されて、連れ立って京の街に入って、ある大きな家に押し込もうとて、二十人ばかりの人を、ここかしこの厄介そうに思える家々の門に二、三人ずつ立てて、残りはみんな大きな家に押し込んだ。

「この男を試そう」と思われたらしく、中でも厄介そうな家の門に立てた人の中に加えられた。そこから人が出てこようとするのを防いで矢を射掛けたけれども、男はよく戦って射殺などして、ほうぼうにいる味方どもの動きをも、みんなよく見ていた。

 さて物取りも終わり果てて、船岳の麓に行って盗品などを分配するに、この男に取らせようとすると、男は「私は品物は要りません。ただ、このように仕事を習おうと思って参ったのです」と言って取らないでいると、首領かしらと思われる離れて立っていた者が、頷く様子だった。そうしてみんな、各々おのおの別れ去った。

 男が家に帰ってくると、湯を沸かし食事など用意して待っていたので、それらを全て終えてから、二人で寝た。この女から離れがたく愛しく思っていたので、男は、これらのことを疎ましく思う気持ちもなかったのだ。

 このようにすることが七、八度にもなった。ある時には、太刀を持って家の中にも入った。ある時には、弓矢を持って外にも立った。それらをみんな要領よくこなした。

 このようにしているうちに、女は鍵を一つ取り出して、「これを、六角小路よりも北、●から○の方のこれこれという所に持っていって、そこに幾つかある蔵のどこそこを開けて、目ぼしいものをしっかり荷造りさせて…その辺りには車貸しという者が数多あまたいますから…それを呼ばせて積んで持ってきなさい」とて行かせるので、男は教わったとおりに行ってみると、本当に蔵があって、教えられた蔵を開けてみれば、欲しい物はみんなこの蔵にある。「驚いたことだ」と思って、言われたままに車に積んで持ってきて、思うように使ったのだった。このようにして過ごすうちに、一、二年も過ぎた。

 ところが、この妻、ある時心細げな様子で泣いてばかりいた。男は、「いつもはこんなこともないのにおかしい」と思って、「何故そのようにしておられる」と問うと、女はただ「心ならず別れることもあるかもしれないと思うと悲しいのよ」と言うので、男が「何を今更、そのようなことがあると思うのです」と問うと、女は「儚い世の中にはそんなことがあるのよ」と言う。男は「ただ、言ってみているだけなのだろう」と思って、「ちょっと用事を片付けてくる」と言うと、前々からしていたように支度をして出してくれた。

「供の者どもも、乗る馬などもいつものようにしているはず」と思って、二、三日帰れない所であったので、供者どもも馬をも、その夜は留めておいたのに、次の日の夕暮れに何気ない様子で引き出して行ったまま姿が見えなくなったので、男は「明日帰るというのに、これはどうしたことだ」と思って、尋ね探したけれども、そのまま見つからずに終わったので、驚き怪しんで、人に馬を借りて急いで帰ってみると、その家は跡形もなかったので、「これはどうしたことだ」と奇異に感じて、蔵のあった所にも行ってみたけれど、それも跡形もなくて、問いただせる人もなかったので、何を言うことも出来ず、その時になってこそ女の言っていたことが思い当たった。

 さて、男はなす術もなく、元々知っていた人のもとに行って過ごしているうち、やり慣れてしまったことであれば、自らの意思で盗みをしているうちに、それが二、三度にもなった。そのために男は捕らえられたのだが、尋問されて、ありのままにこのことを漏らさず語った。

 これは、とても奇妙なことである。その女は変化へんげの者でもあったのだろうか。一、二日ほどの間に、屋敷も蔵などをも跡形もなく壊してなくしてしまうとは、有り得ないことである。また、沢山の財宝・従者どもをも引き連れて去ったのに、その消息も聞こえない。奇妙としか言いようがない。また、家にいながら、言い置いていたわけでもないのに、女が思うように時も違えずに、男と来ていた従者たちが姿を消す振る舞いをしたことは、極めて怪しいことである。

 の家に、男は二、三年、女と添って暮らしていたが、「そうだったのか」と心得ることもないまま終わっている。また、盗んでいた間も、参集した者どもが誰かということも全く知らないで終わった。けれどもただ一度だけ、集合場所で離れて立っていた、他の者どもがかしこまっていた者を、松明の火影ほかげで見れば、男の肌の色とは思えずたいそう白く美しくて、顔つきや面差しが我が妻に似ているなあと見えて、「そうではなかろうか」と思った。それも確かなこととは分からないので、怪しんだままで終わった。

 これは世にも不思議なことなので、このように語り伝えたという。

 

※女が男装して男を鞭で打ち、しかし自らそれを治療しては繰り返すので、この話は性的倒錯のSMプレイの話としてよく取り上げられる。しかし私は、本来は「天まで届いた木」に現れているのと同じモチーフだったのだと思っている。「鬼の目玉」では屋敷の奥の部屋で若者が地獄の責め苦を受けているが、これとも同じ。つまり「殺されて、より素晴らしいものになって甦る」という、シャーマンの幻視に現れるような神秘的知識の発現である。

 女は冥界の女神であり、夫を呑み込み殺害しては、吐き出し甦らせる。説話には、人を殺してばらばらにして煮込んで、その後で骨や肉片を並べると前より美しくなって甦る、というモチーフはよく見られる。

 男は女に殺されて、そのあと地面に寝せられ再生の秘術を施されて、まさに「生まれ変わった」。だから盗みに行ったときも素晴らしい働きをしたわけだ。ギリシア神話の英雄アキレウスは赤ん坊のときに母である女神テティスによって冥界の河に沈められたり火の中で焼かれたりして、おかげで不死の体になったとされるが、同じことである。

 女が鍵を渡し、蔵を開けると中に欲しい物が何でもあると言うのも、冥界下りの物語の一バリエーションとしてお馴染みである。『千夜一夜物語』のアリ・ババと四十人の盗賊の話が最も有名だろうが、例えば中国の民話では、貧しい若者が不思議な娘から鍵をもらい、言われたとおりの場所に行って鍵を開けると洞窟が開いて、中に宝があることになっている。

 この話では女は盗賊の首領であったことになっているが、本来は富と死の双方を与える「神」を意味していたはずだ。そして女は男を仲間に引き入れたにもかかわらず、ある日突然消えてしまう。中国の『新齊諧』にこんな話がある。董ナントカという男が昼寝をしていると鬼どもに壮麗な館に連れて行かれ、立派な王に「過労の雷公の代理として、ある悪女を罰するように」と命じられる。董は雷雲に乗って出かけて、件の女めがけて斧を投げ落として殺した。屋敷に帰って報告すると王は喜んでここに留まらないかと言ったが断ると、ハッと昼寝から目が覚めた。気になって調べると、例の女は現実に雷に撃たれて死んでいたという。日本の民話「雷神の婿になろうとした息子」もそうだが、「巷間の人間が思いがけず神の眷属に選ばれて働くが、ある日また突然、元の生活に戻される」という物語が、この話の原型であるように思う。

 

 なお、蛙→蛇→竜と変化していくのを離さずにキスし続けると美女になって妻になるというのは、霊が獣の姿に自在に身を変えて現世に引き戻そうとするシャーマンの手から逃げる、というイメージが根底にあると思われる。ギリシア神話で、ペーレウスが獅子や大蛇や火や水に次々変身する女神テティスを抱きしめて離さず、ついに妻にした話と同一モチーフである。<蛙の王女のあれこれ〜冥界の花嫁>参照。



参考 --> 「魔法の木」「天まで届く木」[本格浦島]「二文のヤニック」「月になった金の娘



三番目の托鉢僧の話  アラビア 『千夜一夜物語』

 ハージブの子アジブアジブ・ビン・ハージブという、善政を敷いた若い王がいた。この王は船団を持ち、船旅を好んだ。あるとき近海の小島へ遊びに行こうと思い、十隻の船に家来と一月分の食料を乗せて、二十日間の予定の船旅に出た。ところが嵐に遭い、いつの間にか見知らぬ海に入っていた。ここには漁師たちが磁石山と呼ぶ黒い島がある。鉄を使った全ての船はこの島に吸い寄せられ、破壊されてしまう。山の頂には十本の円柱に支えられたアンダルーシア産の黄色い真鍮の円蓋があり、その上に真鍮の馬に乗り真鍮の槍を持った騎士がいて、胸には名前や呪紋を彫りつけた鉛の札を下げている。この騎士が馬から落ちない限り、磁石山の呪いが解けることはない……。

 王の船は磁石山に吸い寄せられて砕けた。王は神の思し召しにより山の麓に打ち上げられて、岩を彫って造られた階段を這い上った。頂の円蓋の下に達し、そこで沐浴して感謝の祈りを捧げてから眠りについた。すると、夢現に不思議な声を聞いた。

『ハージブの息子よ。足元の土を掘って、真鍮の弓と、呪紋や文字を刻んだ三本の鉛の矢を手にし、円蓋の頂の騎士を射よ。騎士は海に落ち、馬は倒れるだろう。馬を弓のあった場所に埋めよ。さすれば海が逆巻いて大波が山の頂にも達し、騎士とは別の真鍮の男が漕ぐ小舟が現れる。それに乗れば十日で《安泰の島》に着き、お前を故国へ送る人々が見つかるだろう。ただし、決してビスミラーもしくは全能のアッラーの名を唱えてはならない』

 全ては言われたとおりになり、逆巻いた海に、胸に呪紋や言葉を刻んだ鉛の札を下げた真鍮の男の漕ぐ小舟が現れた。

 その舟に乗って十日目、とうとう《安泰の島》が見えてくると、王は歓喜のあまりアッラーの名を連呼した。途端に小舟はひっくり返って沈み、王は夜まで泳ぎ続けた。死を覚悟したが、大波に運ばれて小さな島に打ち上げられた。

 その島はごく小さく、絶望しかけたが、やがて一隻の船が島にやってきて十人の黒人奴隷が降り、島の中央の土を深く掘るのを見た。そこには金属の上げ蓋が隠されており、彼らはその中に様々な食料、食器、家具、絨毯や毛皮や日用品など、生活に必要と思われる一切を運び込んだ。最後に美しい衣装が運ばれ、更には、余命幾許もないような老人が、非常に美しく艶めかしい少年の手を引いて現れた。

 一行は全員で上げ蓋の戸口から中へ降りていき、一時間以上もそのままでいたが、やがて奴隷たちと老爺だけが出てきて、上げ蓋を閉じ、元通りに埋めてから船に戻り、立ち去った。

 王は隠れていた木の上から降り、土を掘って挽き臼にそっくりな上げ蓋を開けると、現れた石段を降りた。中には美しい広間があり、例の少年が寝椅子に横たわっていて、入って来た王を見ると青ざめた。けれども王が丁寧に挨拶して、魔神ではなく人間だと説明すると、安心して身の上を話し始めた。

 彼の父は巨万の富を積んだ宝石商で、大勢の奴隷を抱えて船やラクダで商売していたが、子宝にだけは長く恵まれなかった。ある晩のこと、父は夢で「子宝は授かるが寿命が短い」というお告げを受けた。嘆くうちに奥方が妊娠していることが分かったが、計算するに、身ごもったのはお告げの夢の翌晩らしいのだった。やがて息子が生まれると父は喜んで祝宴を開き、一方で、あらゆる占星術師や天文学者、妖術師や賢人を招いて息子の運勢を占わせた。彼らがホロスコープを描いてみて言ったのは、こんなことだった。

「ご子息の寿命は十五年です。十五年目に不吉な相が出ています。これを乗り切れば長寿を全うされるでしょう。

 ご子息の命を脅かしているのは、災いの海にある磁石山の騎士を射落とす男、ハージブ王の息子アジブです。この男が磁石山の騎士を馬から転がり落として五十日経つと、ご子息のお命が危険にさらされます」

 商人はこれを聞いて大変に嘆いたが、ともあれ十五歳になるまでは息子を下にも置かぬほど大事に育て、立派な教育を授けた。そしてつい十日前にハージブ王の息子アジブが磁石山の騎士を射落としたという噂が耳に届き、息子の命を死ぬほど心配して、この地下室をこしらえて必要な一切を備えつけ、危険な五十日間が過ぎ去るまでは隠れているようにと言って置いて行ったのだと言う。ここに来るまでに既に十日が過ぎているので、後四十日が過ぎれば父が迎えに来るはずです、と。

 王はこの話を聞いて驚き、内心で(ハージブ王の息子アジブとは私のことだが、私がこの若者を殺すはずがないじゃないか)と思って、自分の身元を隠して言った。

「そんな災いが起きるはずがありませんよ。四十日間、私はあなたの召使いとして側にいましょう。その後であなたの故郷へお伴させてください。白人奴隷を何人か護衛に貸していただければ、私も自分の都まで無事に帰れましょう。さすれば、アラーはあなたの親切に充分にお報いになるでしょう」

 若者は喜び、二人はランプや提灯に火を灯して食べ物や飲み物、お菓子を並べ、明け方まで歓談した。王は本当の従者のように細やかに若者に仕え、雑用をこなしながら色々と語り合い、道具を作って将棋をさし、酒を酌み交わした。やがて王の心に少年への深い愛情が根ざし、いつの間にか自分の悲しみも忘れてしまった。

(ハージブ王の息子アジブの手にかかって殺されるなどという予言など嘘っぱちだ。この私がそんなことをするものか!)

 そのうちに、とうとう四十日目の晩になった。若者は喜んで言った。

「おお、兄弟よ、アラーを褒め称えん! 私の命は助かった。これもあなたがここに来て祝福してくださったおかげです。こうなれば、今度はあなたが国元へ無事にお帰りになれるように神に祈りましょう。では、沐浴をしたいので、すみませんがお湯を沸かしてください。どうか体を洗って着替えをさせてください」

「承知いたしました」

 王は湯を沸かして運び、若者の体を洗ってやって新しい服を着せた。若者は湯あみが済むと眠気を催し、王が整えた高い寝床に横たわって、「あの、西瓜を切って、少し砂糖菓子で甘みを付けてください」と頼んだ。王は物置から立派な西瓜を見つけてきて、平皿に乗せて差し出し、「若殿、ナイフをお持ちではありませんか」と尋ねた。「そこにあります。私の頭の上の高い棚に」と若者は答えた。

 王は急いで立ち上がると、ナイフを取って鞘を払った。ところが、棚から降りようとした途端に足が滑って、ナイフを握ったまま若者の上に倒れこんだ。運命の書に書き記されていた予言の通り、そのナイフは若者の胸に深々と突き刺さり、彼はたちまち絶命した。

 これを見ると王は鋭い悲鳴をあげて、頭を叩き、自分の着物を引き裂いて叫んだ。

「まことに我らはアッラーのもの。アッラーの元に還らんとする者なり! ああ、イスラム教徒よ、占星師や賢者が予言した危険な四十日のうち、残るはたったの一日だった。しかも、この美しい若者の宿命の死は私の手から起こったのだ。ああ、こんな西瓜など切ろうとしなければよかった! ああ、なんという不運! なんという無残! けれども、定められたことはアッラーが成就したもうのだ!」

 王は地下室を出て上げ蓋を元通りに埋め直した。海を見やれば、若者の父の船が波を蹴って近づいてくるのが見える。犯人が私だと知れたらどんな目に遭わされるかわからない。そう恐怖して、王は木に登って身を隠した。

 若者の父と奴隷たちは、上げ蓋を埋める土が柔らかいのに驚き、地下室に降りて、若者がナイフを胸に刺して息絶えているのを見ると驚き嘆いた。若者の父は頭に泥を振りかけ、顔を叩き、髭をむしり取って身悶えて嘆き、何度か気を失った後、長々と哀しみの歌を唄ってから息が絶えてしまった。奴隷たちは「ああ、悲しや、旦那さま!」と頭に泥をかけて嘆き悲しんで、主人父子の遺骸を船に運んで去っていった。

 誰もいなくなると王は木から降りて、昼は島をさまよい夜は地下室に戻って、失意の中で一月ほど暮らした。そんなある日、島の西側の潮が次第に引いて浅瀬になり、二度と潮が上がってこないことに気がついた。月の終わりには乾いた陸地が現れ、そこを渡ってやっと本土に辿り着いた。

 そこはラクダの足さえ埋まるような大きな砂丘のある地帯だった。思いがけず彼方に見つけた灯りを目指し、王は砂をかき分けて歩き続けた。辿り着いてみると、それは磨きたてた銅の扉で、朝日がこれに当たって輝いていたのだった。

 王がホッとして門にもたれかかっていると、美しい装いの十人の若者が通りかかった。先頭に立っているのは大変年取った老人だったが、彼らは全員、左目が抉られたようになって潰れていた。彼らは額手礼サラームの挨拶をして王の身の上を尋ね、話を聞くと驚いて門の中の邸宅に招いた。

 広間には青いクッションの寝椅子が十台並べてあり、真ん中にはやはり青い寝椅子の小さいのが一台置いてあった。若者たちはそれぞれの寝椅子に腰を下ろし、真ん中の小さいのには老人が座って、王に床に腰を下ろすよう勧め、けれど「わしたちの身の上や、片目が潰れた訳は訊いてくださるな」と釘を刺した。そして大皿や飲み物が人数分運ばれてきて食事になったが、それが終わって夜が更けると、若者たちが「そろそろ時間ですから、いつもの奴を並べてくださいませんか」と老人に言った。老人は頷いて小部屋に姿を消し、間もなく青い布をかけた十のお盆を頭に載せて戻ってきた。老人はそれを若者たち一人一人の前に置き、十本の蝋燭に火をともして盆の縁に立て、覆いの布を取った。なんと、そこには灰と炭の粉と釜の煤以外には何もなかった。若者たちは袖を肘までまくりあげて、泣き喚きながら頭から着物まで灰煤で真っ黒にし、額や胸を叩いて「私たちは幸せだったのに、おかしな意地に囚われたばっかりに苦労を招いた!」と叫んだ。こんな調子で明け方まで騒いでいたが、やがて老人が立ち上がって湯を沸かし、若者たちは湯で顔をサッパリと洗って奇麗な着物に着替えた。

 王はこの異様な有様を見て動転し、忠告も忘れて彼らの身の上を尋ね、片目になった訳、顔を灰や煤で黒く塗る理由を訊いた。しかし一同は「何も訊きなさるな」と止めただけで寝床に入った。仕方なく王も眠った。

 ところが、次の晩にも同じことが起こった。夕飯が済んで歓談が進み、寝る時間になると、若者たちは顔に灰煤を塗って朝まで泣き喚くのだ。こんな調子で一ヶ月が過ぎ、王は理由を知りたいあまりに食事も喉を通らないほどになった。激しく問いただすと、若者たちは「あなたのためを思って秘密にしているのです。あなたが満足するように説明すれば、あなたの身に災いが降りかかり、私たちと同じように片目になってしまいますよ」と言ったが、王は「それでもいい」と譲らなかった。すると一同は言った。「もしあなたが不幸な目に遭っても、我々はもう二度とあなたをお泊めすることはできませんよ」と。

 彼らは牡羊を連れて来て皮を剥ぎ、王にナイフを渡すと皮の上に横になるように言った。今からあなたをこの皮の中に包んで縫い込める。するとルフ鳥が来てあなたを爪に掴んで飛んでいき、ある山の上に下ろすだろう。ナイフで皮を切り開いて外に出れば鳥は驚いて逃げ去る。そこから半日歩けば、白檀や沈香の木で作り、燃えるような黄金を張って様々な宝石をちりばめた、青空にそびえ立つ見事な宮殿に着くだろう。そこではあらゆる望みが叶う。我々はみんなそこに入り、それぞれの冒険を経た果てに左目を失い、顔に灰煤を塗ることになったのだ、と。

 それから言われていた通りのことが起こり、王は燃えるように輝く宮殿に入った。扉は開け放たれてあり、馬場のように広々とした広間があって、その周囲に百の部屋があり、扉は白檀や沈香で出来ていて、敲き金の代わりに銀の鈴が取り付けてあった。

 広間の奥に月のように輝く四十人の乙女がおり、王を見ると近づいてきて「このひと月、あなた様のご訪問を心待ちにしておりましたの」と言って長椅子に座らせ、「今日はあなた様がわたくしたちのご主人さまです。わたくしたちはあなたのしもべですから、なんなりとお申し付けください」と言うのだった。彼女たちの歓待に王はすっかり骨抜きになった。夜になり、王の酔いが回ってくると乙女たちは言った。

「ねえご主人様、わたくしどもの中から、今晩の夜伽をする相手を選んでくださいまし。ただし、四十日しないうちには同じ女を選んではいけませんよ」

 王は一人の乙女を選び、魅惑の夜を過ごした。朝になると乙女たちに風呂に案内され、身体を洗ってもらってから清潔な着物に着替えさせられた。美味しい食事と酒を楽しみ、夜になるとまた別の乙女を選んで枕を交わす。こんな享楽の日々が続いて行った。

 ところが年が明けて早々、乙女たちが涙をたたえてやって来て、王にすがりついて泣くのだった。訳を訊いてみれば、あなたと永遠に別れることになるかもしれないので悲しくて、と言う。

 乙女たちは以前は父親と一緒にこの宮殿に暮らしていたが、今は別に暮らしていて、年に四十日だけ父に会いに行かねばならない。その留守の間に王が乙女たちの言いつけを破ったなら、二度と会えなくなってしまう。そしてそうなるような予感がするので悲しい。今まで沢山の男性と縁を結んで来たが、あなたほど素敵な方はいなかったから、と言うのだった。

 乙女たちは王に宮殿の鍵を渡した。

「この鍵で四十の部屋の扉を開けることができます。でも、三十九までは開けていいのですが、四十番目の部屋は決して開けてくださいますな。その中には私たちの仲を永遠に引き裂くものが入っているのですから」

 王は決して開けないと固く誓い、小鳥のように飛び去っていく乙女たちの旅立ちを見送った。

 夕暮れ近くになって、王は最初の部屋の扉を開いた。そこには天国のような庭園があり、豊かな緑の中に黄金の果実や赤いリンゴ、よい香りのマルメロ、梨、杏が実り、小川が流れ花が咲き、小鳥がさえずっていた。満足するまで散策すると、王はそこを出て元通り鍵を閉めた。

 次の朝に二番目の扉を開いた。中には背の高いナツメヤシが生い茂り、小川に潤された広々とした平原が開け、川の両岸には野薔薇、ひなぎく、すみれ、百合、水仙、あらせいとうなどが咲き匂っていた。

 三番目の扉の中には天井の高い、宝石で飾られた大広間があり、白檀や伽羅の木でこしらえた鳥籠が吊るしてあって、千鳴き鳥、じゅずかけ鳩、つぐみ、雉鳩、ヌビア産の白小鳩などの、美しい調べを奏でる小鳥が入っていた。その歌声に王の胸の寂しさは拭われ、その晩はその部屋の中で眠った。

 四番目の扉の中には小部屋が四十付いた大広間があり、小部屋の中にはあらゆる宝石が詰まっていた。どんな王であろうともこんな財宝は持っておるまい、ましてあれほどに素晴らしい四十人の乙女すら私だけのものなのだと思うと、彼の心は浮きたって喜びに溢れた。

 こうして一日に一つずつ、次々に扉を開けていき、とうとう四十日目になると、残ったのは乙女たちが開けてはならないと言った扉だけになった。王の心はこの扉を開けたいという欲求に支配され、あとたった一日の辛抱だというのに我慢しきれず、とうとう黄金を張った扉を開けた。途端に、それまで嗅いだ事のない芳香に打たれ、強い酒に酔いしれたようになって、気を失って倒れてしまった。

 たっぷり一刻は経ってから正気づき、王は勇気を奮って奥へ進んだ。そこは床にサフランを敷き詰めた部屋で、枝型の金の燭台やランプに照らされ、ランプの油は麝香や竜涎香の匂いを放っていた。そこにはまた、大きな盃ほどの香炉が二つ置いてあって、沈香や混合香料や蜂蜜入りの竜涎香の煙が立ち上り、部屋全体がふくいくたる香りに包まれていた。

 ほどなくして、王は夜のように黒く黄金造りの鞍をつけた駿馬を見つけた。その前には二つの水晶製のまぐさ桶が置いてあったが、一つには胡麻粒が入っており、もう一つには麝香の香りを漂わせた薔薇水が入っていた。王は不思議に思い、この馬には何か素晴らしい秘密があるに違いないと思って、馬を宮殿の外に連れ出して背中にまたがった。ところが馬は動かない。脇腹を蹴ってもじっとしている。ついに手綱の先を鞭にして殴りつけたところ、馬は耳をつんざく声でいななき、両翼を広げて大空高く舞い上がった。たっぷり一時間も駆けてからある陸屋根に降り立ったが、その途端に王を背中から振り落とし、尻尾で殴りつけた。おかげで王の左目は抉り出されて転がり落ち、馬はそのまま飛び去った。

 屋根から降りると、例の十人の若者と一人の老人が青布で覆った寝椅子に腰かけていた。彼らは、自分たちも同じようにして左目と幸運を失ったのだと語った。王は自分もあなたたちの仲間になって顔に灰煤を塗りたいと言ったが断られ、追い出されてしまった。

 行くあてのない王はこれまでの不幸を思い出し、「私は幸せだったのに、おかしな意地に囚われたばっかりに苦労を招いた」と呟いた。そして髭や眉を剃り落として墨染めの衣をまとい、世を捨てた托鉢僧になってさまよった……。



参考文献
バートン版 千夜一夜物語T』 大場正史訳 ちくま文庫 2003.

※バートン版第14〜16夜。「バグダッドの軽子と三人の女」の話中話の一つ。

 美しい女神たちの住む冥界の城、彼女たちが定期的に留守にする時に開けてはならない扉を開け……という部分は「黄金の神の美童子」や「水晶の柩」によく似ている。そして扉の中に美しく豊かな自然の情景があるという部分は、日本の「うぐいすの浄土」などと同じである。開かずの間の中に神馬(魔神)が繋がれていて、これを解放したために破滅するというモチーフも、他の多くの説話で見られるお馴染みのものだ。

 古く、たとえばエジプトには、目に魂が宿るという観念があった。世界中の説話で、目が潰れることと死ぬことはほぼ同義で語られる。片目が潰れた男たちは半分死んだ状態を意味し、片足や片手の欠損と同じく、冥界と繋がるシャーマンであることを暗示している。王が黄金の城へ行く時、そして帰って来る時に使う鳥や馬は、魂を乗せてこの世とあの世を《渡る》力を持つとされる動物だ。また、片目の男たちが顔に灰煤を塗って一晩中泣き喚くのは、彼らが死霊だという暗示でもある。身体を黒または白に塗ることは、姿の見えにくい神霊の模倣であり、神霊との一体化を意味すると思われるからだ。<シンデレラのあれこれ〜かまどと灰>参照。

 

 十五歳での死を定められた少年を定めどおりに殺してしまう悲劇は【運命説話】のモチーフ。「リンゴとナイフ」のようなよく似た類話がある。




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