青髭は実在の人物か?

青髭」について、メルヘンらしくない、魔法はないし魔女も魔法使いも登場しない現実的リアルな物語だ、という感想を抱く人がいるようだ。なるほど、ペロー版の「青髭」だけを読めばそう思えるのだろう。そのためか、青髭には実在のモデルがいた、実際にあった殺人事件を基にした物語だという考察は人気が高いようである。

 有名なのは、十五世紀のフランスの英雄ジル・ド・レ元帥こそがモデルだという説だ。彼は英仏百年戦争の際にジャンヌ・ダルクの副官を務めたが、ジャンヌがフランスに裏切られて処刑されてから厭世的になり、快楽と背徳の日々を送ることになった。浪費の末に自分の城を維持できなくなってブルターニュ公の財務官に譲り渡したが、その城から夥しい数の子供の白骨死体が発見され、以前から近隣で子供が神隠しになると評判でもあったため、ジルは多くの子供を誘拐し殺害した、悪魔と契約したのだとされて逮捕、弁護人もないまま断罪され、全財産没収のうえで絞首火刑されたのである。

 ジルが本当にそんな罪を犯していたのかは定かではない。近年では彼の名誉回復を求める動きもあるようである。ともあれ、この大量子供殺害事件の記憶を元に「青髭」という物語は語られている、と言うのであった。また、多くの妻を得、その何人かは処刑したイングランド王ヘンリー八世がモデルだとする説もあるようである。

 ジルやヘンリー八世の他にも、実在した人物の伝説として語られている【青髭】譚はある。フランスのブルターニュ地方に伝わる類話では、夫の名は「コモール」とされている。

コモール フランス

 ヴァンヌ王の娘に、隣国の伯爵コモールが求婚した。この申し出を断れば伯爵との間に戦争が起こるだろう。しかし王は娘を嫁がせることを躊躇した。というのも、コモール伯爵には四人の妻を殺したという噂があったからである。戦争を避けるために王女は嫁いでいったが、聖者ヴェルタスは彼女に魔法の指輪を渡した。この指輪は、持ち主の身に危険が迫ると色を変えてそれを警告するのであった。

 結婚してしばらく過ぎた後、伯爵は旅に出ることになり、王女に鍵束を預けて城を任せた。数ヵ月後に伯爵が戻ると、妻の腹は膨れていた。伯爵の子を身ごもっていたのだ。ところが、伯爵にこれを報せると、王女の指輪の色が変わった。

 伯爵に殺された四人の妻たちの亡霊が墓場から現れ、王女に教えた。伯爵は自分の子に殺されるという予言を恐れており、妻が身ごもると殺してしまうのだと。妻たちは伯爵が殺害に使った道具を王女に与えた。それは、毒、綱、火、棒であった。

 王女は毒で番犬を殺し、綱で城壁を下り、火で夜道を照らし、棒を杖にして故国を目指したが、途中で力尽きて止まり、男児を産み落とした。王女が指輪を鳥に託し、赤ん坊を草むらに隠した時、伯爵が追いついてきて王女の首を切り落とし、満足して帰って行った。子供が生まれていたことには気付かなかったのだ。

 鳥の運んだ指輪を見て急行した聖者ヴェルタスは、王女の死体に起き上がるように命じた。すると首の無い死体は自分の首と赤ん坊を抱いて立ち上がり、聖者と共に歩き始めた。死体を連れた聖者は伯爵の城の前に着くと、赤ん坊を地面に下ろした。すると赤ん坊は立って歩き、神を讃える声をあげた。

 たちまち城は崩れ落ちて伯爵は滅んだ。最後に聖者が王女の首を元の位置に戻すと、それはくっついて、王女は生き返った。



参考文献
『世界昔話ハンドブック』 稲田浩二ほか編 三省堂 2004.

※結末は全く違うが、犠牲者の前妻の助けで逃げ出すなど、逃亡までのくだりはチベットの「姥皮を被ったラサメイト」によく似ている。
 オーベルニュ地方に伝わる「青髭」という題の類話では、妻が逃げ出すまでのくだりは ほぼ同じだが、それを探して森をさまよう青髭が人狼に食い殺されるという結末だそうだ。--> 「貧しいみなし子の娘と盗賊

 この物語で《青髭》の名前とされているコモールは、キリスト教が伝来した頃のブリトンの王の名だという。この伝説の王は、息子に殺されるという神託を恐れて七人の妻を殺したと伝えられているのだそうだ。王が神託を恐れて生まれる息子や孫を殺そうとするモチーフは、西欧の伝承ではお馴染みのものである。

 

 なんにせよ、【青髭】がペローの時代より前、もっとずっと古くから伝えられている口承であることは確かである。登場人物たちの歌のようなやり取りが、今はもう忘れられている古い言葉で伝えられていることがあるからだ。また、西欧のみならず世界中で類話が見られる。

 それらを思えば、ジル・ド・レの殺人事件やヘンリー八世の結婚暦、コモール王の伝説だけからこの話が生まれ出たとは思いづらい。語り手によっては実在の事件を念頭に置くこともあっただろうが(実際、ジル・ド・レの居城のあったヴァンデ地方の類話には、ジル・ド・レの城の名が語られているものがあるそうである)、全体から見れば、それは後世のアレンジの一つに過ぎないと思われる。

青髭と人食い鬼

 ペロー版の「青髭」だけを読んでいると、この物語は現実にも起こり得そうな猟奇事件であるように思えてくる。だが、本当にそうなのだろうか。この物語が現実的リアルに感じられるのは、ペローを含む語り手たちが、その時代時代に合致した「合理性」で、物語を少しずつアレンジしていった結果に過ぎないのではないか。

 口承として伝えられていた多くの類話を読むと、その思いは強くなる。【青髭】もまた、本来は魔法の物語……根底に古い神への信仰を持つ話だったのだと。

物言う手 フランス

 ある村に宿屋があり、三人の息子を持っていた。あるとき一人の旅人がその宿に泊まったが、実は彼は魔法使いで、子供をさらっていこうと考えていた。魔法使いは宿屋に色々話しかけて、家の様子を探るとこう言った。

「どうやらたいそうお困りのようだ。息子さんたちを修行に出すことも出来ないようだが、どうだ、一つ私に任せてみないか。誰か一人を養子にして、きちんと暮らしていけるように鍛えてやってもいいが」

「ありがとうございます。でも、子供を手放すぐらいなら飢え死にした方がましでございます」

 しかし魔法使いは素晴らしい弁舌で説得して、とうとう宿屋の主人に承知させてしまった。

「いいでしょう、しばらくのあいだ息子をお預けいたします。でも上手くいかないようだったら、また家に戻してくださいよ」
「約束しよう」と魔法使いは言った。

 息子は魔法使いに連れられて遠い場所へ旅立った。やがて大きな庭園に囲まれた見事な館が見えた。

「見えるかね? あれが私たちの住まいだ。お前にも満足してもらえるだろう」

 そこでの暮らしが始まってしばらくしてから、魔法使いが言った。

「ちょっと旅に出るが、長引くかもしれん。留守の間、動物たちの世話をよくしておいてくれ。特に鳥小屋を頼むぞ」

 そしてポケットから斬った手を取り出して渡した。
「わしのいない間はこれを食べるんだ」

 魔法使いが出かけると若者は全て言われたとおりにしたが、手だけは駄目だった。そんなものはとても食べるわけにはいかないので、庭の池の中へ捨ててきた。

 魔法使いは戻ってくると尋ねた。
「どうかね。万事うまくいってるかね?」

「ええ。どうぞ確かめてください」
 確かに、万事清潔で、きちんと整頓されていた。

「手は食べたかね?」
「ええ、もうずっと前に」

 すると、庭の方からしわがれた声が聞こえてきた。

いや、池の中に捨てよった……

「お前の言ったことの真実はこうだな。さあ、取ってきてくれ」

 若者は手を拾ってきてテーブルの上に置いた。

「さあ、私と一緒に来るんだ」と魔法使いは言って、地下室へ連れて行った。そこには肉の塊が幾つも鉤に掛けられていた。

「お前にもこうなってもらおう」

 そして若者を鉤に掛けて行ってしまった。

 

 しばらくして魔法使いはまた旅に出て、同じ宿屋に立ち寄った。「うちの息子はどうしてます?」と主人が聞いた。

「私のところですこぶる満足していて、村に戻ろうとしないのだ。その代わりに、兄弟に何日か泊まりに来て欲しいと言っておったが」
「なんですって、息子が実の親の私に会いたくないんですって? 変われば変わるもんだ。しかし本人がそう言うんじゃ仕方がない」

 彼は二番目の息子を呼ぶと言った。

「兄さんに会いに行っておいで。でも必ず帰って来るんだぞ。兄さんみたいに親不孝なことをするなよ」

 若者は魔法使いの館に着くと尋ねた。

「兄さんはどこです?」
「心配するな。ちょっと旅行に出したんだ。しばらくすれば戻ってくるだろう。それまでのんびりしていてくれ。何をしてもいいから」

 しかし、やがて魔法使いは前と同じように出かけていき、留守を若者に任せ、食べるようにと斬った手を与えた。何日も経ったが、若者は手を食べることなど出来なかった。最後に、若者はそれを木の下に埋めてしまった。

 魔法使いは戻ってくると、一通り家の様子を見てから尋ねた。

「手は食べたかね?」「ええ」

 しかし遠くで手が叫んだ。「いや、食うものか。埋めたのさ

「嘘つきめ。持ってきてくれ」

 若者は震えながらそれを掘り出してきた。

「さあ、お前の兄さんに会わせてやる。付いて来い」

 魔法使いは若者を地下室へ導くと、「これがお前の兄さんだ。嘘をついた罰だ。お前も同じにしてやろう」と言って、若者を鉤に掛けると扉を閉めて出て行った。

 

 それから何ヶ月か経って、またもや魔法使いは宿の主人に会いに行った。

「息子さんたちの言伝を持ってきた」
「二人ともそちらにいるんですか? どちらも返してはくださらないので?」
「もう帰らないと言っている。だから私が一人でここに来たのだ」
「三人目の息子を連れにですか! いや、こいつは渡しませんよ」

 しかし末息子は父親にそっと耳打ちした。「行かせて。きっと謎をつきとめてやる。必ず戻ってくるから」

 父親は息子を出してやった。旅人たちが魔法使いの城に着くと若者は言った。

「兄さんたちがいないけど、どうしたの?」
「心配はいらん。安全なところにおる。そのうち会える。ただその前に、私はしばらく留守にしなければならん」

 魔法使いは前の二人のときと同じように若者を案内し、出発のときが来ると同じ指示を与え、やはり手を食べるように言って渡した。時は経っていったが若者は手を食べる気にはなれなかった。

 ある朝、鳥の世話をしていると、一羽の鳥が苦しそうな飛び方で彼の側にやってきた。(この鳥が死んだら困るな)と考えて、鳥を抱き上げて頭を撫でてやると、何か硬いものが触れた。羽根を分けてみるとピンの頭が見える。ピンを抜いてやった途端、鳥は美しい少女に変わった。

「どうしてここに来たの? ここの主はひどい魔法使いなのよ。あなたのお兄さんたちは手を食べなかったので殺されたわ。このままじゃあなたも同じよ。
 いい、よく聞いて。助けてあげたいの。でも逃げるときには私のことも思い出してね。私、あの魔法使いにお父さんのところからさらわれてきて、鳥に変えられたの。私を助けられるのはあなただけだわ。
 どうすればいいかって言うと、まず、その手を細切れにして、形がないようにするの。そうしなかったらまた喋り出すから。それから、その細切れをナプキンで包んで、腰に結わえるの。それでもう手は喋らないわ。
 魔法使いは満足して、ご褒美に何かやろうって言うわ。そしたら私を選んで」

 それだけ言うと娘はピンを自分の頭に刺して、また鳥の姿になってしまった。若者は急いで言われたとおりにした。

 魔法使いが帰ってきた。

「さて、手は食べたかね?」
「ええ、たいへん結構でした。もっと食べたいくらいです」

 どこからも、何も声が返ってくることはなかった。

「ようやく、私の好みに合う者が見つかったな。さあ、兄さんに会わせてやろう」

 そう言って魔法使いは若者を恐ろしい部屋に案内してこう言った。

「私の言いつけを守ってくれたのはお前が初めてだから、たっぷり褒美をやろうと思う」

 そして金を山ほどくれた。

「その他に、何か一つ記念のものを持っていってもらおう。好きなものを選んでいいぞ」

 ちょうどそのとき、鳥がそっと体を揺すっているのが見えた。

「なんだかこの鳥は病気みたいですね。あなたには世話は出来ないでしょう。僕がもらって行きます。生き返ればいいし、死んだら仕方ありません」
「それぐらいのものなら結構だ。待て待て、籠も持って来てやろう」

 魔法使いは間もなく籠を持ってきて、鳥をその中に入れて渡し、若者を送り出した。

 

 若者は父親のところに戻って一部始終を話したが、鳥とピンのことだけは言わなかった。それから、旅に出てから食欲がめっきり増えたと言って、二人分の食事を部屋に持ってきてほしい、これからは自分の部屋で一人で食事をしたいから、と頼んだ。望みは叶えられて、若者は食事の時には自室に閉じこもると、鳥の頭のピンを抜いて娘にした。そうやって時が経っていった。

 あるとき若者は知人の婚礼に呼ばれていった。出る前に籠の中に一日分の食料を入れて、誰も部屋に入らないようにと家族にかたく戒めた。しかしみんなは、一体何を部屋に隠しているのだろうと思って入ってみた。すると可愛らしい鳥がいるではないか。誰もが手に取って目近に見たくなったが、籠を開けると鳥は飛んでいってしまった。

 帰ってきて事の次第を告げられた若者は、毎日泣き暮らした。ついにある朝、空っぽの籠を持って旅に出た。どこという当てもなく、捜索の旅に出かけたのだ。

 さて、逃げ出した鳥はと言えば、父の王がいる国へ飛んでいった。そして王の部屋の窓辺に降り立った。廷臣たちが窓を開けると中に入ってきて、王の肩にとまる。王は鳥の頭を撫でてやって刺さっているピンに気がつき、抜いた。ただちに失われていた娘が現れた。

 王は歓喜して、王女の帰還を盛大に祝う準備を行い、一方で、王女の頭にぴったりと合う王冠を作ってきた者に王女を与えようというお触れを出した。ただし、寸法を測ってはいけないし、もし冠が王女の頭に合わなかったら首を刎ねると。

 誰一人申し出なかった。首を切られるかもしれないと言うのだから、誰だって尻込みするだろう。

 その間、若者はあちらこちらをさまよった果てに、この国にやって来た。そして王のお触れを知り、(きっと成功してやるぞ)と考えた。彼は胡桃を一袋買って、誰も住んでいない店に閉じこもった。そして一晩中胡桃を割って、いかにも何か細工物を作っているようなふりをした。翌朝になると、彼は宮廷へ行って王に面会を求めた。

「王さま、冠を作ってまいりました」
「よし、試してみよう。もし合わなかったら、そちの命はないぞ」
「ぴったり合うはずです」

 二人は王女の部屋へ行って、箱から冠を取り出した。それは、鳥が閉じ込められていた籠だった。まさにそれが以前の王女の冠だったのだ。それを王女の頭に載せると、とてもよく似合った。それで王は言った。

「寸法も測らずこれほどぴったりした冠を作ってくれた以上は、喜んで娘をくれてやるほかはあるまい」

 一方で、王女は若者にそっと話しかけていた。

「あなたが冠を作ったなんて真っ赤な嘘で、これは元々私の冠だったのって言えば、あなたの首は飛んでしまうわね。でも、前はあなたが私を助けてくれたんだから、今度は私が助けてあげる番だわ。
 どうしてあの婚礼の日に私を一人で残して行ったの? 連れて行ってくれてもよかったでしょう。だから、罰として私、逃げたのよ」

 若者は、一人にしていったのは悪かったと素直に謝った。

 それから数時間後に婚礼の式が挙げられた。二人は子宝にも恵まれて末永く幸せに暮らした。



参考文献
フランス民話より ふしぎな愛の物語』 篠田知和基編訳 ちくま文庫 1992.

 上の話の前半部は【青髭】話群、特に「娘とバンパイア」「ブルゴーは悪魔」の前半部によく似ている。しかし全体的には「海の王と賢いワシリーサ」に近い。海の王とは日本民話で言う竜宮城の竜王に相当する存在だが、少年を竜宮に連れてきて働かせ、失敗すれば殺してしまう存在である。

 一方で、中国の「竜宮女房」に登場する竜王は日本民話で知られる竜宮城の王と同じ、綺麗な城で歓待して宝物をくれるだけの存在なのだが、こちらの話にも「物言う手」と共通したモチーフが幾つか出てくる。即ち、「若者が動物を大事に飼っているが、一緒に外に連れて行かずにいると、どこかに逃げてしまう」「実はその動物は竜宮から来たモノで、人間の姿に変身できる」「竜王から鳥をもらってきて籠で飼っていると、それが美しい娘に変身して妻になる」といったものだ。

 このように見比べていくと、美しく輝く竜宮城と、死体部屋のある魔法使いの館は、やはり同じものだと思えてくる。実際「物言う手」では、魔法使いは自分の試練に合格した若者を祝福し、財宝と花嫁、籠(後に若者が真に花嫁を得るために必要なもの)まで与えて、親切に家に送り返してやっている。竜王が心正しい若者にそうするように。

物言う手」の魔法使いは家に動物を飼っていて、その管理、特に鳥の世話を任せる。死者の霊は様々な動物の姿に変身するという信仰が世界的にあり、特に鳥は飛翔する魂とみなされていたことを思い出すべきだろう。つまり、この魔法使いは、沢山の霊を館に憩わせている神なのだと読み取れる。

 だとすれば、ほぼ同じように描かれている青髭夫たちも、そうなのではないだろうか。

 

 ところで、ペロー版「青髭」では夫は「青い髭」の持ち主だったため人に気味悪がられていたと語られている。この「青い髭」を、あなたは何のことだと解釈していただろうか。

 日本では、青髭には「青々とした髭の剃り跡」か「濃い髭」の意味がある。なので、単純に髭もじゃの強面こわもてだったのだと思われているかもしれない。そのイメージも恐らくは間違いないのだろうが、西欧の伝承において「青(緑)」に特別な意味があることは注意しておくべきだろう。伝承の中にはしばしば「緑(青)の服の男」が登場してくるが、彼は大抵、森の奥や墓地に現れる。そして妖精たちは緑の服を着ていたり緑の歯をしていることがとても多い。

 緑(青)は豊穣の大地の色であり、キリスト教社会での「魔」を表す色だ。悪魔の色として片付けられることも多いが、要は、キリスト教以前の、豊穣をもたらす神霊たちを表すシンボルカラーなのである。

 

 青い髭を持ち、莫大な部屋数のある城に住み、豊かな財産を持つこの男は、キリスト教社会で「悪魔」または「妖精」と呼ばれた存在。古い信仰に属する神である。つまり、この物語の最も根底にあるものは、「神と人間の結婚」なのだと思われる。

 無限の富を与える神は天空で光り輝き恵みを与えるが、同時に、地の底で血の鍋の中に死者を煮ている。神は生と死、清浄と汚濁の二面を持っている。だからこそ、青髭は恐ろしげな姿をしているが教養があり、非常に寛大で優しい反面、約束を破った妻を決して許すことがない。

 豪華な財宝が詰まった宝石の部屋も、死体がぶら下げられた血の部屋も、どちらも神の住処、根源の世界である冥界を描写したものだ。これは、「青髭」と「マリアの子」を読み比べれば感じ取れるのではないかと思う。

 

 不気味な容姿で忌まれていたと描写されている青髭の男が、この物語の原型において「神」だったのだと考えれば、人間が獣の姿をした神霊と結婚する異類婚姻譚とも近くなる。

 蛇婿譚の一種である「天稚彦の草子」は、娘が蛇神に嫁入りする話だ。蛇神は長者を脅し、三人娘のうちの一人を嫁によこすように命じる。末娘が嫁入りすると蛇神は皮を脱いで天の若君の姿になる。彼は多くの財宝を持ち暮らしも豊かであって、最初は怯えていた娘も満足して暮らすようになる。しかし、やがて夫は遠くへ旅立たねばならなくなり、妻に唐櫃の鍵を渡して出かけていく。この唐櫃を開けてはならない、開ければ私は二度と戻れないだろうと言い残して。

青髭】型のチベットの民話「姥皮を被ったラサメイト」では、妻は開かずの間を盗んだ鍵で開けて、夫が前妻たちを殺していたことを知ると、前妻の亡霊(と言っていいだろう)の助けを得て、老婆の姿に変身して逃げていく。途中で夫と出会うが気付かれなかったのをよいことに逃げようとすると、持っていた鍵がチリンと音を立て、見咎められる。

 そして「天稚彦の草子」では、夫の留守中に姉たちが尋ねてきて、執拗に唐櫃を開けさせようとする。妻は鍵を隠していたが、くすぐられた拍子に腰に下げていた鍵が音を立て、ついに鍵を奪われて唐櫃を開けられてしまうのだった。

 その後の展開は、【青髭】系では恐ろしい夫から妻が逃げていくが、「天稚彦の草子」のような異類婚姻譚では、異類が冥界に去り、人間の配偶者がそれを追う形になっている。正反対だが、物語前半までは同じ骨を持つ話と見てもいいのではないだろうか。

 余談ながら、ペロー版の「青髭」では夫が留守にするとすぐに近隣の女たちが集まってきて、妻に屋敷をあちこち案内させて廻ったことになっているが、「天稚彦の草子」でも、夫が旅に出ると姉たちがやって来て、妹に屋敷中を案内させている。この部分も共通している。「マリアの子」で、娘が天国の扉を開けて廻ると天の子達がゾロゾロ付いてきて一緒に喜んだとされているのは、このモチーフの片鱗なのだろう。

鳥小屋の王子さま イタリア

 昔、ペッパ、ニーナ、ヌンツィアという三人の娘を持った靴直しがいた。村から村へ歩き回っても直す靴などろくになく、一家は貧乏のどん底にいた。

 その日も何の収穫もなく帰宅した夫を見て、妻は「今日の鍋に何を入れるつもりなの!?」と怒鳴りつけた。靴直しは疲れた身体を引きずって起き上がると、末娘のヌンツィアと一緒にスープの具材になる野草ハーブを探しに出かけて行った。野原を歩き回るうち王さまの領地に入り込むと、ヌンツィアがとても立派な茴香ういきょうの株を見つけた。父娘は力を合わせてそれを抜いたが、すると地面の蓋がカパリと開いて、美しい若者が顔を出した。

「何を探しているのですか?」
「まあ、何を探しているかですって? 私たち、お腹がすいて死にそうなの。それでスープの実を摘んでいるのよ」
「そんなにお困りでしたら、僕がお金をあげましょう。ただし、その娘さんを置いていってくれるのなら」

 父親は驚いたが、若者があまりに熱心に口説くので、とうとう承知してお金を受け取り、ヌンツィアを残していくことにした。娘は若者と一緒に地下へ降りて行った。

 地下にはとても立派な屋敷があって、天国のようだった。ヌンツィアにとって幸せと言ってよい生活が始まったが、唯一つ心に影を落としたのは、家族に会えないということだった。

 

 一方、靴直しと家族たちは毎日ちゃんと食べられる何不自由ない生活を送っていたが、ある日、ペッパとニーナが父親に言った。「お父さん、妹に会いたいわ。私たちを連れて行って」

 三人が茴香のところに行って穴蔵の蓋をノックすると、若者が中へ入れてくれた。ヌンツィアは姉たちに会えた嬉しさに家中を案内した。けれど、一つだけ見せない部屋があった。「何故? この中には何が入っているの?」と、すっかり好奇心に駆られた姉たちは尋ねた。

「私も知らないのよ、入ったことがないから。いけないって言われているの」

 やがてヌンツィアが髪をかしはじめ、姉たちが手伝うことになった。編み毛をほどいていくと、中に鍵が結わえてあった。「これだわ」とペッパとニーナは小声で言い交わした。「私たちに見せてくれなかった部屋の鍵に違いないわ!」

 二人は髪を梳かすふりをしながら鍵を外し、それからそっと部屋を開けに行った。

 部屋の中には沢山の美しい女たちがいて、刺繍をしたり、縫い物をしたり、布を裁ったりと忙しく立ち働きながら歌をうたっていた。

  やがて生まれる王子さまの
  産着をみんなで作りましょう!

「まあ! 私たちに何も言わなかったけれど、妹には赤ちゃんが出来るのだわ!」

 姉たちが思わず声を立てた途端、覗かれていたことを知った女たちは見る見る色褪せて醜いトカゲや蛇に変わった。ペッパとニーナは逃げ出した。ヌンツィアは姉たちが急に落ち着かなくなったので不思議に思った。

「どうしたの、姉さんたち」
「いいえ、別に。もう帰らなければならない時間だわ」
「もう? 本当に一体どうしたの」
「実はね、あなたの編み毛の中に結わえてあった鍵で、あの部屋を開けてみたの……」
「まあ、姉さんたち! これで私の身も、もう破滅だわ!」

 あの部屋にいた女たちは妖精だったのだ。そしてヌンツィアの夫である若者を地下に閉じ込めていた。妖精たちは若者のところへ行くと告げた。

「分かっているね? お前の妻を追い出さなければならないんだよ。今すぐに」

 若者は涙ぐんだが、妖精たちには逆らえなかった。彼は妻のところへ行くと張り裂けそうな胸を押さえて告げた。

「お前はすぐにこの屋敷から出て行かなければならないのだよ。妖精たちの命令なんだ。さもないと、僕の身も破滅するのだ!」
「私は一生を姉さんたちに駄目にされてしまった!」

 そう言ってヌンツィアはワッと泣き伏した。「これからどこへ行けばいいのかしら?」

「この糸玉を持ってお行き」と、若者が言った。「糸玉の端をドアの取っ手に結びつけて、転がすんだ。糸玉が終わったところで止まるのだよ」

 ヌンツィアは悲しみに暮れながらも言われたとおりにした。長い長い間 転がり続ける糸玉を追い、止まったのはクリスタル王の美しい宮殿のバルコニーの下だった。ヌンツィアは訴えた。

「お願いです。どうか今夜一晩、泊めて下さい。私には身寄りもなく、子供が生まれそうなのです!」

 その頃にはヌンツィアの腹は大きく膨らみ、子供が出来ていることを彼女も自覚していたのだ。

 しかし王も女王も冷酷とも言える態度をとって許さなかった。彼らは妖精のような見知らぬ女をひどく警戒していた。それでも、哀れに思った召使いの女たちがとりなしてくれて、鳥小屋に入れてもらうことが出来た。召使いの女たちは娘のためにパン切れを持って行ってやり、身の上を尋ねたが、彼女は首を横に振って「ああ、本当のことが言えれば! それさえ言えれば!」と言うばかりなのだった。

 その晩、ヌンツィアは玉のような男の子を産んだ。召使いの女はすぐに女王のもとへ走り、報せた。

「女王さま、あの見知らぬ女が玉のような男の子を産みました! それが……妖精にさらわれて行方知れずの、王子さまにそっくりなのでございます!」

 

 その頃、相変わらず地の底に閉じ込められている若者に、妖精たちが言った。

「お前の妻が玉のような男の子を産んだよ。知らないのかい? 今夜、その子に会いに行ってみないかね?」
「勿論、連れて行ってくれるならば」

 

 その晩、鳥小屋の戸を叩く音がした。

「どなたですか?」
「開けておくれ。僕だよ。その子の父親だよ」

 驚くヌンツィアの前に夫が入ってきた。妖精たちも産まれた子を見るために一緒に入ってきたが、たちまち鳥小屋の壁は黄金に輝き、寝藁は金の刺繍の敷物になり、ゆりかごは眩い光を放った。何もかもが燦然と輝いて辺りは真昼のように明るくなり、美しい音楽さえ鳴り響いた。妖精たちは歌い踊り、若者は幼子をあやしながら口ずさんだ。

  もしも父上が お前を子供の子供だと知ったなら
  金の産着を着せてやろう 金のゆりかごに入れてやろう
  昼も夜も共に過ごせるのに
  おやすみ、安らかに、王の子よ

 妖精たちは窓の外を窺いながら踊り歌った。

  鶏はまだ鳴かない
  時計もまだ鳴らない
  時は来ない、時は来ない

 その頃、女王の前に召使いの一人が進み出て報せていた。

「女王さま、一大事でございます! あの見知らぬ女を泊めた鳥小屋で、見たことも聞いたこともない事件が起こっております! あそこはもう鳥小屋ではございません。天国のように光り輝いています。そのうえ、女たちの歌声に混じって聞こえるのは、どうも、行方知れずの王子さまのお声のように思われるのです。どうかお耳を澄ましてお聞きください!」

 女王は鳥小屋の戸口に忍び寄って耳を澄ませた。しかし、まさにそのとき一番鶏が鳴いたのだ。すると歌はぱたりと止んで、輝いていた鳥小屋も元に戻ってしまった。

 

 その朝、女王は見知らぬ女のもとへ自らコーヒーを運んだ。

昨夜ゆうべここに誰が来たのか、教えてくださるわね?」
「ああ、それだけは申し上げられません。たとえそう出来たとしても、何と申し上げたらよいのでしょう? ああ、誰が来たか、それが私に言えるものならば!」

 すると女王が言った。

「一体、誰だったのです。もしや、私の王子ではないのですか?」

 そうして何度も真剣に訊ねたので、ヌンツィアはとうとう全てを打ち明けた。スープに入れる野草を摘みに出かけた時から今までの、夢のような何もかもを。

「ではあなたは、私の息子の嫁なのだわ!」

 女王はそう言って、ヌンツィアを抱きしめてキスをした。そして言った。

「今夜、あの子に訊ねてみておくれ。どうすればあの子の魔法が解けるのか」

 

 やがて夜が更け、前の晩と同じ時刻になると、王子を連れて妖精たちが入ってきた。妖精たちは踊りだし、王子は子供をあやして口ずさんだ。

  もしも父上が お前を子供の子供だと知ったなら
  金の産着を着せてやろう 金のゆりかごに入れてやろう
  昼も夜も共に過ごせるのに
  おやすみ、安らかに、王の子よ

 妖精たちが踊っている間に、ヌンツィアは密かに夫に訊ねた。

「教えてください。どうすればあなたの魔法が解けるのですか?」

 王子は答えた。

「鶏が鳴かないようにしてくれ。教会の鐘も時計の鐘も、時を告げるものは鳴らないように。この小屋を屋根から青い布で覆い、月と星座を縫い付けて、朝が来ても夜中だと思えるようにしておくんだ。そして太陽が高く昇ったら、一息に布を取り外す。そうすれば妖精たちは力を失って逃げ出すだろう」

 

 次の朝、王は国中にお触れを出した。「鐘も時計も鳴らすな、鶏を一羽残らず殺せ」と。

 用意が整い、やがて夜になった。いつもの時間に妖精たちが踊り出てきて楽器を鳴らし、王子が口ずさみ始めた。

  もしも父上が お前を子供の子供だと知ったなら
  金の産着を着せてやろう 金のゆりかごに入れてやろう
  昼も夜も共に過ごせるのに
  おやすみ、安らかに、王の子よ

 そして妖精たちは窓から外を窺っては歌った。

  鶏はまだ鳴かない
  時計もまだ鳴らない
  時は来ない、時は来ない

 妖精たちは一晩中踊っては歌い、時々窓を覗いてはまだ夜が明けないのを確認して、繰り返した。

  鶏はまだ鳴かない
  時計もまだ鳴らない
  時は来ない、時は来ない

 太陽が空高く昇ってから、小屋を覆って張ってあった布がサッと取り払われた。日の光を浴びると、妖精たちはトカゲや蛇に姿を変え、散り散りになって逃げ去った。

 後には王子と、ヌンツィアと赤ん坊が残っていた。若い夫婦は王と女王の側に駆け寄り、家族はしっかりと抱き合った。

 

 こうしてあの人たちは幸せになった。けれども私たちは相変わらず貧乏なのさ。



参考文献
『みどりの小鳥』 イータロ・カルヴィーノ著 河島英昭訳 岩波世界児童文学集16 1994.

※娘が平原で見事な花を見つけ摘もうとすると、地面が割れて男が現れ、娘を花嫁として地下の国へ連れ去る…というモチーフは、ギリシア神話で冥王ハーデスが大地の乙女ベルセポネーを誘拐して妃とするエピソードと同じである。

 この物語における妖精は、冥界を管掌する女神であり霊であって、「死」そのものだ。妖精にさらわれた王子は単純に「死者」だったのでもあるし、地下の立派な屋敷で暮らしていた様子から見れば、彼自身が「冥王」でもある。冥王(女神)の言いつけに背いたため、人間は神の暮らしから追放されなければならない。

(精神分析的な解釈のパターンを踏襲すれば、妖精は「闇の母」であり女王は「光の母」になるのであろうが。二つの母性の間で身動きならずに「死」の状態にあった王子が、妻子を得、父親の助けによって自立する話…といったところか?)

 力を失った妖精たちが蛇やトカゲに変身するのは、死者の霊がそうしたものに身を変えて現世に現れるという信仰と無関係ではないだろう。<蛙の王女のあれこれ〜冥界の花嫁>参照。また、鳥はしばしば「霊」になぞらえられるものであり、鳥小屋は霊の集う場所…日本で言う雀のお宿、すなわち「冥界」の意味もあることを注意しておくべきである。女神アフロディテは鳩小屋の女神とも呼ばれていたが、それは彼女が冥界を管掌するとみなされていたからだ。(だから彼女は黄金のリンゴの所持者なのである。黄金のリンゴは冥界に憩う「魂」、すなわち「命」の象徴だ。)

 通常の異類婚姻譚にはあまり見られない、恐ろしい夫から妻が逃げようとする【青髭】の後半部は、【童子と人食い鬼】と共通した要素がある。人食い鬼にさらわれて妻にされていた娘が逃走する話は色々ある。それら「人食い鬼」は「神」だ。青髭はその特質を多く持ちながら人食いの怪物として決定的には描かれないが、恐らく、語り手が「人食い鬼なんて現実感リアリティが無い」と考えてアレンジしていった結果なのだろう。

 日本の【青髭】譚である「脂取り」では、怪しい男が主人公を自分の屋敷に連れて行って贅沢な暮らしをさせたのは、太らせて血脂を搾り取るためであった。これは「ヘンゼルとグレーテル」で人食い魔女が子供を太らせてから食べようとした行動と変わらない。神への生贄として、一定年齢に達するまで子供を保護して大事に育てる習慣は、南米のインカ帝国に実際にあったそうである。(殺すために家に招き入れて、結婚・歓待するというモチーフは、『今昔物語』等でも多く見ることが出来る。

 日本の伝説に語られる酒呑童子は、都を荒らす盗賊で、美しい娘をさらってきては妻にするが、飽きると女の生き血を絞り肉を食らう。一方で、普段は美しい貴人の姿をしており、しかし正体は醜い人食い鬼なのだ。一説によれば、彼は八俣大蛇ヤマタのオロチが人間の娘に生ませた子、即ち半神であると言われている。神と人食いと盗賊が同じ存在として語られている。

 長い長い間語り伝えられていくうち、元の形、その形を支えていた信仰が忘れ去られ、その時代や語り手の感性に合わせた形にリメイクされていく。現代でも、例えば漫画のストーリーを考える際に重要なのは「リアリティ」だと言われる。たとえ空想物語であっても、あまりに空々しすぎる内容では、聞き手の関心を引くことが出来ないのだ。よって、信仰が薄れると「神」は「人食い鬼(妖怪)」として語られ、「人食い鬼」など馬鹿馬鹿しいと考えられるようになると「盗賊」になる。そして【青髭】では、とうとう「特殊な性癖を持った隣人」になり果てたのだろう。

 

 しかし、この感覚が進んでいくと、説話に登場する空想的な存在の全てを、現実的な…社会学・歴史的な何かのデフォルメだと唱えがちになるので、それは個人的にはどうかと思っている。たとえば近代の日本人は、【桃太郎】の「鬼」を、とにかく「異民族」「社会から排斥されていた人々」「漂着した外国人」だと解釈したがる。その解釈が現代の気風から見てとても合理的で、現実感がある、納得できるものだということなのだろう。無論、無数の語り手の中にはそんなニュアンスを込めた人も皆無ではなかっただろうけれども、世界的な類話の広がりを見ていると、そういう風には感じられない。

愛は青髭を救ったか

 本来は神と人の結婚…人が神と姻戚を結んでその力を得ることを物語っていたはずの異類婚姻譚は、やがて、呪われた異形を人が愛または信仰によって「救う」物語として語られるようになっていった。

 異類婚姻譚の中に、こんな話がある。

怪物王子 フランス

 昔、王様とお妃がいた。不幸なことに息子は怪物だった。

 年頃になると怪物が母親に言った。「みんなのように嫁が欲しい」

 お妃は悲しくなって、辛い気持ちで言った。「どこの娘があなたのような人の奥さんになるの?」

 怪物王子は怒って母親を脅した。「一週間以内に結婚できなかったら、母上を食べてやる」と。

 お妃は悲しみで気も狂わんばかりになって山へ出かけて行った。貧しい女が三人の娘を抱えて、かつかつと暮らしているのを知っていたからだ。

「三人の娘のうちの一人を息子の嫁に与えるようにとの王のご命令じゃ。金なら欲しいだけ取らせよう」

 女は、いかに貧しくとも、娘を売って金にしようとは思いもしなかった。しかしお妃は自分の苦しみを語って同情を買い、そこの一番上の娘を連れてくることが出来た。

 帰りの道中で淋しいところに差し掛かると、一人の老婆が現れて、二人を止めて「そんなに急いで、どこへ行くんだい」と訊ねた。王子の妻になるのだと思い上がった気持ちになっていた娘は、傲慢に答えた。

「おどき、おばあさん。あたしを誰だと思ってるの?」

 翌日、城では婚礼を直ちに執り行った。娘に考える時間を与えては、折角の機会がふいになってしまうと恐れたからだ。夜になると新郎新婦はすぐに床に入った。

 しかし娘は、その頃にはもう うぬぼれ心もどこかへ行ってしまって、見れば見るほど王子が嫌でたまらなかったし、それを隠そうともしなかった。

 新郎は腹を立てて花嫁を食べてしまった。

 それから一週間後、怪物の王子はまた嫁が欲しいと言い出した。お妃はまた山へ行って、前と同じ家で二人目の娘が欲しいと言わなければならなかった。

 その王妃の苦しみに、母親はまた負けてしまった。お妃は二人目の娘を連れて戻って行った。

 途中で淋しいところに差し掛かると、前と同じ老婆が現れて、二人を止めて「そんなに急いで、どこへ行くんだい」と訊ねた。思い上がった娘は傲慢に答えた。

「おどき、おばあさん。あたしが何をしようと下々しもじもには関係ないんだから」

 翌日、娘は怪物の花嫁になったが、夜になって、嫌な顔を見せたとたんに新郎が一口に呑み込んでしまった。

 それから二週間後、怪物の息子は、また新しい嫁を欲しがった。母親はやむなく山の家へ三度みたび向かった。そして最後の娘をもらって連れて行った。

 途中、淋しいところに差し掛かると、またあの老婆が出てきた。老婆は「そんなにゆっくりして、どこへ行くんだい」と訊ねた。

「ああ、お婆さん。これがこの世で最後の旅なのよ。この先に待っているのは死なのですもの。せめてもの見納めに、よく見ておきたいのよ」

 すると老婆が言った。

「あたしは魔女だよ。だから助けてあげられる。いいかい、よくお聞き。婚礼の日のためにドレスを三枚買うがいい。白いのと紫のと青いのと。それを三枚重ねて着て、ご主人が『脱げ』と言ったら『先に脱いでくださいな』って言うのさ。それを三回繰り返すのだよ」

 翌日、娘は怪物王子の花嫁になった。その夜、二人は部屋の中で差し向かいになった。娘は少しも恐れた様子を見せなかった。

「服をお脱ぎ」と、王子が言った。

「先に脱いでくださいな」と、娘は答えた。

 王子は、娘がにっこり微笑んでいるのを見るとためらいも消えてしまった。そこで言われたとおりに毛の生えた皮を脱ぐと、その下にまだ皮があった。

 娘は白いドレスを脱いだ。

「脱いでおくれ」

「あなたからどうぞ」

 怪物は二枚目の皮を脱いだ。娘は紫のドレスを脱いだ。

「脱いでおくれ」

「あなたからどうぞ」

 すると怪物の身体がばちばちと音をたてて弾けて、毛皮が裂け、その下から目も覚めるような若者の白い肌が現れた。

 娘は脱いだ青いドレスを床に落とした。

 二人はベッドに入った。お話はこれでおしまい。



参考文献
フランス民話より ふしぎな愛の物語』 篠田知和基編訳 ちくま文庫 1992.

※初夜に互いに服(皮)を脱ぎあうことで人間に転生するという着想は面白い。これは伝承でしばしば見られる「化け比べ」のバリエーションでもあるように思える。ギリシア神話の女神テティスは人間の男と結婚するのが嫌で、次々と恐ろしいものに変身して逃れようとしたが、相手の男ががっちり抱きしめたまま離さなかったので、とうとうその男の妻になった。「化け比べ」モチーフの原型は、自在に何度も姿を変え(転生し)、小鳥などになって逃げる魂を、追跡者がやはり姿を変えながら、猛禽などになって捕まえるというシャーマンの幻視にあるとの説があるが、その伝で考えれば、娘は次々変身して猛禽になって、サッと襲い掛かって、いい夫をがっちり鷲掴んでゲットしたのかもしれない。

参考 --> 「馬男」「醜男のジャン」「蛇息子

 類話の「馬男」では、財産に目がくらんだ花嫁たちは「初夜にあの怪物の首を切ってやるわ」と豪語して、それを耳にした馬男によって初夜の床で逆に首を切られる。切られずに本当の花嫁になれたのは、怪物の夫のありのままを受け入れた末娘だけであった。

 この話は【青髭】の類話とされる「醜男のジャン」に似ている。豊かだが醜い男がいて、財産を楯に半ば脅して妻を得るが、彼女は男を愛さない。それで男は妻を殺し新たな妻を求めるが、同じ結末が繰り返されていく。この不毛の円環を断ち切る最後の妻が現れるまで。

 

青髭】の論考文や、歌劇等を含む二次創作を見ると、その多くが主人公である妻よりも殺された青髭に同情的なのは、なかなか面白い現象だと思っている。つまり、青髭は多くの殺人を犯した罪人ではあるが、真の愛と魂の救済を求めていた哀れな男でもあって、妻はそんな彼を救えなかったと言うのである。

 これはペロー版の「青髭」が、最後に付けられた教訓といい、どこか妻を咎めるニュアンスを醸し出しているからではあるのだろう。最初は青髭を嫌っていたが財産に目がくらんで結婚したとか、夫が出かけるとすぐに固く交わした約束を破って開かずの間を開けただとか、青髭の死後にその財産を手に入れて、それによって幸せな再婚をしたなどと書かれてあるからだ。妻は不倫をしていたに違いない、だから青髭は妻を殺そうとしたのだ、本当の被害者は青髭の方だ、とさえ言う意見もあるくらいである。妻が不倫をした、あるいは夫が妻の不倫を危惧していたなどという描写は作中のどこにもないのだが、つまり、そう思いたくなるほど主人公たる妻に反感を抱いたということか。

 

醜男のジャン」では、最後の妻の愛が夫を救い、幸福な結末が訪れる。しかし多くの類話を並べていくと、その後に更に展開が続くことも多い。つまり、最後の妻が悪魔の夫を知恵や魔力で出し抜き、夫は感服して彼女を真の妻として認める。しかし女は悪魔の妻でいることが嫌でたまらなかったのだ。夫を騙してさっさと逃げ出してしまうのである。夫は財産だけ取られて捨てられてしまい、場合によっては妻の差し向けた助っ人たちや野獣によって殺される。--> 参考「銀の鼻」「ブルゴーは悪魔

 神話で見られる異類婚姻譚では、人間が約束を破ってしまったために神が「自ら」冥界に去るのが基本である。人間の方が神に捨てられているのだ。しかし【青髭】では、人間の方が神を捨てる。約束を破ったことさえも、「開かずの戸を開けて真相を知っておかなければ、いずれ殺されていた」という、破ったことを「正しい」とする語り口に逆転されている。

 

 愛は青髭男を救わなかった。それは、彼が神の暗黒の特質、「死の神」としての面を濃く体現していたからなのだろう。古い信仰が失われるにつれ、人々は「死の神」と「豊穣の神」が表裏一体であることを忘れた。死体の転がる部屋を持っている男は、忌まわしい悪魔でしかない。ペロー版の「青髭」になると、悪魔ですらない、《悪魔的な》殺人者…不気味な隣人にまで矮小化してしまった。それでもペローの青髭は大富豪だが、類話によっては岩屋や森に住む盗賊である。ともあれ、こんなおぞましく恐ろしい男と結婚生活など送れるはずがないというわけだ。古い神と婚姻を結ぶことを、人々は喜ばなくなったのである。

 日本に、神が定期的に若い娘を生贄として要求する[猿神退治]という伝承がある。しかし生贄を求めていたのは年経た猿の妖怪であって神ではなかったという結末だ。この話の根底には、定期的に巫女が神域に篭る神事の記憶があるのではないかという説がある。巫女は形式的には神の花嫁だ。なのに、[猿神退治]では神は妻としてではなく食うために娘を要求するし、しかも正体はただの獣だったと結論付けられ、矮小化している。

 神への信仰が失われた時代が求める「現実感リアリティ」。それが、こうした物語を生んでいくのだろう。ペロー版の「青髭」は更に、人間社会の愛と金にまつわる醜さという現実感を、この物語に与えたようである。






 余談だが、「愛が青髭男を救う」ことをこそテーマにしている類話もある。かなりの(現代的な)アレンジが加えられており、【美女と野獣】系の要素も入っていて、内容は殆ど違う形になっているのだが。

吸血鬼の花嫁  ブルガリア

 昔、年老いた王が美しい三人の娘を持っていた。中でも最も美しいのは末の姫で、もぎたての桃のような頬をしていた。

 あるとき王は娘たちのために三個のスイカを買った。切ってみると、一番大きなスイカは甘く熟れすぎており、二番目のスイカは食べごろ、三番目のスイカはまだ未熟だった。王はこのスイカを見て、娘たち、特に一番目と二番目の娘はもう結婚すべき年だと思い至った。そこでお触れを出して国中の若者を城に集めることにし、三人の娘にはそれぞれ一つずつ金のリンゴを渡して、気に入った若者の肩をそれで打つように指示した。

 婿選びの日、この辺りでは見かけない立派な身なりの若者が黒い馬車に乗ってやってきた。目まで隠れてしまうほどに深く黒い帽子をかぶっている彼の顔を、末の姫は無邪気に覗き込んだ。

「あなたはどなた? どこからおいでになったの」

 若者は何も答えなかったが、優しい目をしていた。末の姫は一目でその若者が好きになり、金のリンゴで彼の肩を打った。若者もたちまち末の姫が好きになって、二人は手を取り合って踊った。その日のうちに若者は結婚の申し込みをし、必ず迎えを寄越すと約束して帰って行った。

 上の二人の姫もそれぞれ相手を選んでいた。彼女たちの花婿はその晩のうちに召使いを連れて王に挨拶に来て、賑やかな婚礼が挙げられた。

 ところが、末の姫の選んだ若者はいつまで経っても使いを寄越さなかった。末の姫は若者の身に何かが起きたのではないかと心配していたが、ある風の強い真夜中に、とうとう使いがやって来た。それは黒衣をまとった男女だったが、王や姉たちは魔物のうろつくような時間にやってくるなど尋常ではないと思い、また末の姫はまだ結婚するには少し早いとも思って引きとめた。けれども末の姫は家族の手を振り切り、別れの挨拶をすると迎えの馬車に乗り込んで城を去った。

 馬車は暗い山道を抜け、険しい崖縁を走り、やがて広い荒れ地に出ると、古ぼけた大きな墓石の前に停まった。使いの者が下りて墓石を持ち上げると、ギィーと音を立てて開いて、奥に石段があった。使者たちの先導で恐る恐る下りていくと、がらんとした空間があって奥にいくつもの部屋があり、一つ一つの部屋には青い炎が生き物のようにざわめき揺らめいていた。

「さあ、今日からここがあなたの住まいです」

 使いの女が最奥の部屋を指差した。そこにはろうそくが灯され、デーブルには御馳走が並んでいた。勧められて姫はワインを飲もうとしたが、生暖かい血の匂いがしたので、飲んだふりをして捨てた。パンを一口食べただけで急に眠くなり、そのままベッドに倒れ込むようにして眠ってしまった。朝になると昨夜の女が現れてあれこれ世話をしてくれた。

 こうして光の差さない部屋での生活が始まったが、数か月が過ぎても、姫は一度も自分の夫の姿を見ることが出来なかった。彼は毎晩、夜更けにやってきて、一番鶏が鳴くとどこかに行ってしまうのだ。姫は毎晩、今夜こそ彼に逢えますようにと祈りながら待っているのだが、いつも夕食を食べるとすぐに眠くなってしまい、気づくと朝になっているのだった。

 姫は心細くなって、ある日、声をあげて泣いていた。女が来て「どうしてそんなに悲しんでいるのですか」と訊いた。

「ここに来てから何ヶ月も経ったのに、あの人はどうして姿を見せてくれないの。自分の夫の顔を見ることもできない暮らしなんて、寂しくてたまらないわ。お願い、少しでいいから実家に帰らせて」
「泣かないで! 今夜、ご主人様に私から頼んであげましょう」

 その晩も姫は夕食をとると睡魔に襲われて眠ってしまったが、翌朝になると「三日のうちに戻るならいい」と許しが出たと言われ、女に連れられて馬車で城に向かった。

 

 さて城の方では、末の姫が怪しい使いに連れ去られてから何の音沙汰もないので、父王も姉たちも悲嘆にくれて心配をしていた。国中の占い師を呼んで末姫の行方を占わせたところ、一人の年取った女占い師が言った。

「末姫様を連れ去ったのは吸血鬼に違いありません!」

 吸血鬼に襲われた人間は魂を奪われ、自身も吸血鬼と化してしまう。末姫の夫である若者は婿選びの日の夜に吸血鬼に襲われていたのだ。王は自分の心配が的中していたことを知ってたいそう悲しみ、なんとか若者が人間に戻る方法はないのかと尋ねた。

「もしもまだお姫様が血を吸われていなかったなら、一つだけ手立てがございます。
 吸血鬼は、眠っている間に胸の奥を人に覗かれると、魔力が解けると聞いたことがございます。そのためには吸血鬼の胸の扉を開けなければなりません。
 手立てと言うのは、お姫様が眠ったふりをして、若者が眠り込んだら帽子の下にある鍵を探し出して胸の扉を開けると言うことなのです。そうすれば若者に掛けられた呪いが解け、魂が救われて、人間に戻るでしょう。しかし、それはとても危険なことなのです」
「どうすればいいのだ」
「素早く、素早くやることです。もしも、お姫様が胸の奥を覗く前に若者が目を覚ましてしまえば、彼に噛み殺されてしまうでしょう」

 二人の姉はこの話を聞いて真っ青になったが、それでも妹のために一言も逃さずに覚えておいた。

 そんな折に、末姫が城に里帰りしてきたのである。

 家族は喜んで姫に駆け寄り、占い師の言葉を伝えようとしたが、彼女の側にはいつも例の黒衣をまとった女が、まるで見張るように控えていたので、なかなか話せなかった。

 末姫がもう婚家に戻らねばならない三日目の朝、洗顔の時にやっと妹が一人になったのを見て、姉たちはそっと近づいて耳元で囁いた。

「あなたが城を飛び出してからだいぶ経つけれど、どんな暮らしをしているの」

 すると妹は姉たちの手を取って訴えた。
「あの晩、お城で会ったきり、まだ一度もあの人の姿を見たことがないのよ。ほんとのところ、自分の夫がどんな人か、まだ分からないの」

 上の姉が声を潜めて言った。
「落ち着いて、よく聞いてね。あなたの夫は魔物に呪われて吸血鬼にされてしまったのよ。でも、救う手だてが一つだけあるわ。夜になっても何も食べないで、眠ったふりをしていなさい。一口でも食べれば朝まで眠ってしまうので気をつけるのよ」

 二番目の姉も言った。
「いい、あなたの夫がぐっすり眠ったら、急いで帽子の下にある鍵を探し出して、あの人の胸の扉を開けなさい。吸血鬼は眠っている時に胸の奥を覗かれると、魔物の呪いが解けて人間に戻るって、占い師に聞いたわ。
 でも、素早くしてのけるのよ。その前に目を覚まされたりすれば、あなたは殺されてしまう、とても危険なことなの。吸血鬼は自分の姿を見られると、血を吸わないではいられない。そうしないと自分の命が絶えてしまうのだから」

 末姫はそれを聞くと恐ろしくなったが、なんとかして若者を救いたいと思った。

 

 その晩、末姫は墓地の下の住まいに戻った。そして姉たちに言われたとおり眠ったふりをして待っていると、真夜中に誰かが石段を下りてくる足音が聞こえた。夫が帰って来たのだ。

「私の可愛い花嫁は眠っているだろうね」と、彼は黒衣の女に尋ねた。
「はい、休んでいますとも」
「今の私の醜い姿を見られてしまえば、私は愛する彼女の血を吸わねばならない。そんなことは決してしたくないのだ」

 若者は花嫁が眠っているのを見ると安心した様子で部屋に入り、側に寄り添って眠りについた。

 しばらくして若者が眠ってしまうと、姫は起き上がって帽子の下から鍵を取り出し、急いで若者の胸の扉を開けた。胸の奥は真っ暗で、闇の中に無数の人々が蠢いているのが見えた。姫は恐ろしく思いながらももっとよく見ようと覗き込み、手に持っていた蝋燭を落としてしまった。

 とたんに若者が目を覚まし、苦しそうに呻くと姫に襲い掛かって血を吸おうとした。だが、首筋に牙が触れようとした間際で自ら彼女を突き放した。

「だ、だめだ、どうしてもだめだ! 私にはきみの血は吸えない」

 若者は胸をかきむしって床に倒れ込み、みるみる血の気を引かせて真っ青になった。姫は駆け寄って抱き起し、若者は何か言いたげに姫の手を取ろうとしたのだが、そのまま力尽きた。どんなに揺り動かしても若者は動かず、体は冷たくなっていった。

 若者が死んでしまった後の墓穴は、一刻も耐えられないほど恐ろしい場所だった。

 姫はもう一度若者をきつく抱きしめると、泣きながら墓穴を飛び出して行った。真夜中の墓地をさまよっていくと、遠くに明かりが見える。墓地の側に一軒の家があるのを見つけて、姫はその扉を叩いた。

 その家に住んでいたのは若い夫婦だった。今晩泊めてほしいと頼むと快く中に入れてくれたが、部屋の隅に青い炎の灯明がともっている。

「どなたか、亡くなられたのですか」
「実は、三か月ほど前に私の弟が死んだのです。吸血鬼に襲われ、無理やりに死の世界に連れ去られたので、弟の魂はまだこの世とあの世の境で迷っているのです。私たちは醜い姿になってしまった弟が哀れで、こうして墓地の近くに住んで祈っているのです」

 若い奥さんがそう言って嘆いた。

「けれども、私たちでは弟に掛けられた呪いが解けません。誰か弟を深く愛してくれる人が現れて、弟のために祈ってくれなければ。けれども、あのような醜い姿ではどうにもなりません。
 ところで、あなたはどうしてこんな真夜中に、たった一人で墓地などにやって来たのですか」

 姫はこれまでのことを包み隠さずに話した。若い夫婦は姫の手を取って頼み込んだ。

「お姫様、その若者は私の弟に違いありません。どうか、聖なる金曜日までここに留まって、弟のために祈ってやってください。弟の体と魂が一つになれるように祈ってください。呪われた弟の魂は、未だに生徒死の境でさまよっています」

 それから、朝も昼も姫は若者のために祈り続けた。

 そして金曜日の朝が来た。姫が灯明の前にひざまずいて祈っていると、どこからかスッと人影が現れて姫の前に立った。その人物を見ると、姫は思わず駆け寄って手を取った。墓穴で冷たくなっていた夫が、城で会った時のままの美しい姿で立っていたからだ。

 若者は花嫁をしっかりと抱きしめて言った。
「ありがとう。君が私に命を吹き込んでくれたんだね」

 

 末姫と人間に戻った若者が城に戻ると、王も姉たちも駆け寄ってきて固く抱きしめた。二人の結婚式は三日三晩、城中の明かりをつけて盛大に行われた。

 二人はもはやどんな呪いにも引き裂かれず、いつまでも幸せに暮らした。



参考文献
『吸血鬼の花よめ ブルガリアの昔話』 八百板洋子編訳 福音館文庫 2005.

※私たちは吸血鬼を、ホラー映画に出てくるような《血を吸って生きている人間とは別種の存在》だと認識してしまいがちだが、西欧の伝承中の吸血鬼とは、生きている者を道連れにする死者の亡霊もしくは《死体の起き上がり》、即ち屍鬼のようなものを指す。

 戦争や病気で死んだ若者が亡霊(吸血鬼)となり、夜に婚約者を花嫁として迎えにきて、墓地まで連れて行くという民話群が西欧にはあるが、そのイメージも混入しているように思われる。


参考 --> 「エロスとプシュケ」「娘とバンパイア」「思い上がった娘

 この物語は文句のつけようのないハッピーエンドで、父親は娘を売らないし、姉たちは夫に殺されないし妹を陥れもしない。夫は秘密の扉を開けられても妻を殺せずに自分が死んでしまうし、妻はそんな夫を最初から深く愛していて、祈りによって彼を蘇らせてしまう。

 娘がよく知らない男に電撃的に恋して周囲の反対を振り切って嫁入りしたことすら、この話では肯定的に語られている。「思い上がった娘」と比較して読んで欲しい。

殺された妻たち

 スタジオジブリがアニメ映画化もした、ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジー小説『ハウルの動く城』シリーズのヒロイン、ソフィーは思う。「三人姉妹の長女である自分には、殆ど成功する見込みがない」と。それは彼女が多くの本…民話を読んで、三人兄弟や三人姉妹のうち運試しに出かけて成功するのは末子だけ、上二人は失敗するか、末子に意地悪をして罰されるのがお約束だと知ったからであった。

 実際、民話にはそのパターンがある。尤も、[善い娘と悪い娘]だと、最初に姉が運試しをして成功し、次に真似した妹が失敗するというパターンが多いのではあるが。

青髭】話群では、主人公以前に何人もの娘たちが青髭男と結婚して、しかし殺されたと語られていることが多い。彼女たちは失敗したのだ。そして、その前妻たちは主人公たる《最後の妻》の実の姉だったと語られることも多いのだった。ここでも、末子だけが成功するというパターンが現れているわけである。

 

 物語の設定上では、末子が成功するのは最も人格的に優れていたからだ、とされるのが基本だ。上二人は傲慢で頑なであり、他人を馬鹿にして忠告を聞かない。しかし末子は他人に敬意を払って忠告をよく聞く。だから成功したというわけである。しかし物語の構造の視点から見ると、末子だけが成功するのは、単にその方が「話が盛り上がる」からに過ぎない。何度も失敗した後だからこそ、聞き手が主人公の成功により感動できるものだからである。

 そのように考えれば、善い娘と悪い娘が表裏一体であるように、三人兄弟や三人姉妹は「三人で一人」だとみなすことも出来る。末子が成功するのは、最初から優れた能力を持っていたからではなく、何度も失敗して経験を積んだからこそなのだと。

 

 醜男のジャンは、真に愛してくれる妻を得て救われた。だが、それ以前の妻たちが殺されているのは事実である。「怪物王子」もそうだ。美しい姿に生まれ変わったとは言え、彼は何人もの妻を食い殺している。そしてそれは主人公たる妻の実姉たちなのだ。なのに主人公は本当に夫を愛せたのだろうか。嫌悪するか、しこりが残るのが普通ではないか。

 理屈から言えば奇妙なことで、穿った解釈さえもすることが出来るだろう。例えば、主人公は姉が殺されても平気な冷たい人間で、夫を愛するのも表面だけ、本当は財産欲しさからそつなく振舞っているだけであり、いずれは夫をも殺して財産を奪う気なのだ…などなど。こんな妄想は幾らでも出来る。「民話のお約束のパターン」を踏襲した結果、思いがけない歪みが生じているわけである。

 とはいえ、ご安心いただきたい。類話によっては、主人公は殺された姉たちを生き返らせ、彼女たちを連れて家に帰ることになっている。--> [青髭B 知恵ある娘

 この場合、物語の目的は「神との結婚」ではなく、「悪魔の生贄となった姉たちの救済」に摩り替わっている。姉たちが殺されて妹だけが幸せになる結末を、どうにも納得できないと考えた語り手がいたのだろう。この主人公は夫に与えられた課題をクリアして真の妻として認められても、決して夫を愛さない。夫から逃げるか、退治してしまう。語り手が悪魔は愛する対象ではないと考えたからだろう。


 余談。しかしそうして退治されてしまう魔物の夫に対して哀れを感じた語り手は、昔からそれなりにいたようである。

>>参考 【猿婿入り

 ペロー版の「青髭」は、どこか妻を咎めるニュアンスを含めて脚色されている。そして現在も、「妻が夫を愛していなかったのが悪い」などと、妻を非難する解釈が行われることがある。それはきっと、【青髭】系が含む「夫が妻に拒絶され、殺されてしまう」という物語に、夫への哀れを感じた聞き手が多かったからなのだろう。

血と黄金

 民話研究は様々な角度から行われているが、中の一つが精神分析的見地からのアプローチだ。これはオーストリアの精神分析家フロイトが始めたもので、大まかにフロイト派と、これから分派したユング派がある。伝承中のモチーフや登場人物に人間の無意識下での象徴性を見出して分析を試みるもので、例えば「ヘンゼルとグレーテル」や「赤ずきんちゃん」は子供が自分を保護し支配する母を(精神的に)殺して自立する物語だ…という風に解釈するのがそれに当たる。人間の深層心理には普遍性があり、根底に共通した妄想を抱いている。それが集団によって形に表されたものが神話や民話だと言うのだ。

 それは全く成る程、と思える説なのだが(集団で作り上げていく妄想としての物語は、二次創作や世界観共有創作ワールドシェアリングのような、同一設定の不特定多数による創作・競作の現場を見ていると実感できる)、フロイト派には伝承中のモチーフをとかく「性的シンボル」として捉えがちな傾向があり、個人的に、それに閉口させられる場合もある。

 

 新フロイト派であるアメリカの精神医ブルーノ・ベッテルハイムが著書『昔話の魔力』で行ったペロー版「青髭」の解釈は、非常に人々の関心を引くものであったようである。つまり、この物語は妻の性的不道徳を語っていると。妻は夫の留守中に浮気をした。開かずの間を開けたことはその比喩だと言うのだ。「鍵」は「男性器」の象徴であり、扉を開けたために付いてしまう「血の染み」は「処女の破瓜の血」の象徴、血の汚れがどうしても拭い取れなかったのは、失われた処女性が二度と戻らないことを意味しているのだと。

 この説は大人気で、(少なくともサブカルチャー系解説本では)これを元にした解釈を行う人が大勢であるようだ。グリム童話の決定版に入っている類話「フィッチャーの鳥」にさえもベッテルハイムは同様の解釈をしている。その話では鍵には血は付かないのだが、夫から共に渡される「卵」が(壊れ易いから)女性の性的な面…処女性の象徴で、卵を落として血の染みをつけたことが「不倫をして処女性を失った」ことを意味しているのだそうだ。結局、血の中に落とすものが何であろうと、構ったことではないのである。

 尤も、ちゃんと反論もある。マリア・タタールは著書『グリム童話 −その隠されたメッセージ−』の中で、これは勇敢な女性が悪事を働いていた男に打ち勝つ物語であり、犯罪の証拠を目撃したことを「妻の性的裏切り」だと摩り替えるのは不当である、と非難している。

 

 私自身の意見を述べれば、マリア・タタールの主張は尤もなことだと思う。青髭男が(結果的にでも)妻の何かを試しているのは確かなことであるし、夫が妻に試すことといえば「浮気をしないか」だと連想してしまうのも自然なことかもしれない。だからそのこと自体は否定しないが、「鍵は男性器、血の染みは処女性の喪失」という解釈は、あまりにも強引であり、こじつけでしかない。挿し込む道具がみんな男性器の象徴のはずはないし、赤かったり壊れ易かったりするものが何もかも処女喪失の象徴のはずもないではないか。挙句、これを「貞操帯の鍵の比喩」とまで解釈しているのは、いささか想像力が逞しすぎるのではないかと思う。

 思うに、この話に妻の不倫の匂いを感じ取ることが出来ると言うのなら、それはそんな真実が暗示されているからではなく、読む側がそう解釈したがっているからなのである。人はゴシップ的な話が大好きだ。現在の巷間でのベッテルハイム説の席巻ぶりを見ていると、それこそ「『青髭』は妻の不倫の果てに夫婦が殺しあった物語」というゴシップを、大勢の人間の無意識の集合が、今まさに作り上げているように思える。

 

 なお、民話研究には精神分析的解釈に対抗するものとして社会学・歴史的見地からの解釈というものがある。その物語が語られていた時代や地域の習慣や事件を調べ、そこから民話の内容の意味を考察していくというものだ。この解釈で一般にもよく知られているのは、「ヘンゼルとグレーテルが森に捨てられたのは、現実に飢饉の際に子供を捨てることが多く行われていた時代があったからだ」というものだろうか。

 物語とそれが語られた社会背景は切り離せないので、この視点も忘れてはならないものである。しかしこの視点に没入しすぎて、しまいに物語の何もかもを「本当にあったこと」「現実にモデルがいた」と言い出すのは、物語とその語り手というものを侮りすぎている。なんにせよ、特定の視点からだけの解釈に固執しないように注意しておくべきなのだろう。

 

 私は、説話を大量に並べ、その物語や含まれるモチーフを比較することで、口伝えされるうちに変形していったと思われる意味や原型を推測する遊びが好きである。

 その見地から【青髭】を見れば、先に述べたように、根底に「神婚」を表す物語が見えるように感じる。不気味な夫は魔王であり、その原型は神である。神はあらゆる恵みを支配している。青髭が無数の部屋のある大きな屋敷を持っていて、鍵を束にして持っているのは、そのイメージを引いているのではないか。実際、「マリアの子」では天国を管理している聖母マリアが鍵束を持っていて、出かけるときに養女である主人公に預けていくし、「隅の母さんの娘に結婚を申し込みたかった若者」では、地の底に住むネズミの姿をした女神が尾に鍵束を付けている。冥界(神の世界)の豊かな富を管掌する神は、その証として、財産管理の象徴たる鍵を持っているというイメージがあったのではないかと推測する。

 

 約束を破ったとき、【青髭】ではその鍵に血の染みが付いて取れなくなるのだが、「マリアの子」では主人公の指に黄金色が付いて取れなくなる。

 冥界(神の国)で子供が約束を破ると身体の一部が黄金色に染まって取れなくなるというモチーフは、[金髪の男]話群でも見ることが出来る。

 グリム童話の「鉄のハンス」では、幼い王子が不気味な山男、鉄のハンスに暗い森へ連れて行かれる。王子はハンスの養子のように扱われるが、そこで、あたかも成年の通過儀礼のように試練が与えられる。美しい黄金の泉を決して穢さぬよう管理しろと言うのだ。しかし王子は自分の指を突っ込んでしまう。指は黄金に染まって取れなくなり、おかげで「ちゃんと管理した」という王子の嘘は鉄のハンスにばれてしまう。最終的に泉に浸した王子の髪は全て黄金に染まり、彼は失格したとて森から追放される。

 染み付いて取れなくなる色は、人間が神の言いつけに背いたことを示す罪の証である。人間は約束を破ったうえに嘘をついたため、神の国から追い出される。しかし、罪の証として染み付いたものこそが、人間が地上で生きていくための力になる。黄金に染まった若者の髪が王女の心を射止めるきっかけとなり、それによって彼は地上の王となるのだから。

 黄金に染まる髪は、[善い娘と悪い娘]で山姥(女神)に認められた善い娘が美しさや金銀財宝を授けられて黄金に輝いて現界へ帰還することと、恐らく同じことを言っている。実際、「マリアの子」で娘の指が黄金に染まったのは、燃え輝く神の光に触れたからであった。黄金は富の色であり、太陽や生命や美しさを象徴する神の色だ。身体が金色に染まって取れなくなることは、神の力の一部を得た、祝福を授かったという意味をも持つのではないだろうか。--> 参考「月になった金の娘

 それにしても、【青髭】話群で染み付くのは血の色で、黄金に比べてあまりにおぞましい。

 とはいえ、古くから「聖と穢れ」「生と死」「富と汚物」は表裏一体とされることが多い。死体や糞便が一夜明けると黄金に変わったという民話は数多いのだ。[金髪の男]話群の主人公は黄金の水を浴びて金髪の英雄になるが、北欧の英雄シグルド(ジークフリート)は竜の血を浴びて不死身になる。

 神と魔王が表裏一体であるように、染み付く血は、黄金と同じものなのかもしれない。禁忌を破った娘は神の妻としては失格になったが、血の色を…神の力の片鱗、魔力を授かって、富と幸せな再婚を得た、ということだろうか。

「本当は怖い」民話?

 一昔前に、グリム童話を主に精神分析的解釈で解説し、それを元に原典を書き換えたという二次創作小説集がヒットしたことがあった。その本で強調されていたのは、(倒錯的な)性愛描写と残虐表現である。

 ディズニーアニメや絵本に慣れて、民話は子供のための物語……まさに「童話」だと片付けてしまいがちだった風潮に一石を投じたという意味で、この本の意義は大きい。しかし一方で、グリム童話を始めとする民話に妙な印象を植え付けてしまったのも事実であるように思う。

 それらの本自体にも書いてあるが、精神分析的解釈……例えば「青髭」の鍵は、差し込む行為が性行為を意味するというような……ものは、様々な解釈がある中の一つに過ぎない。「正解」ではないし、実際のところ、そのようなものを見つけるのは不可能に近いだろう。なのにあの童話は「本当は」こんな意味である、と論じている文章ばかりを見かけるので、少しばかり残念には感じてしまう。

 

 たとえば、グリム童話の「フィッチャーの鳥」では、魔法使いが渡してくるのは鍵と卵である。姉たちは開かずの部屋の中の死体を見て、鍵ではなく卵を落とし、卵には血の染みが付く。前述したように、ベッテルハイムは、この卵を処女性の象徴と読み解いた。娘は夫の言いつけに背いて、こっそり不倫のセックスに興じたのだと。しかし、そうなのだろうか。

 一般的には、卵は処女性ではなく「生命力、魂」を象徴する。夫が冥王であれば、卵…魂を彼が大事に管理しているのは納得である。何故なら、冥界は死者の魂が憩う場所であり、命が生まれる場所だからだ。

 ジプシーの民話「魔女とたまごによれば、魔女は集会において卵の殻で作った皿や壷で飲み食いし、食事が終わるとそれを壊すという。また、ノルウェーの「隅の母さんの娘に結婚を申し込みたかった若者」では、地の底に住むネズミの姿の女神は卵の殻に食事を盛って出してくる。これらからも、冥界に属する者と卵に関わりがあることが窺える。やはりジプシーの民話「睡蓮」では、娘の姿をした水の精霊ニバシたちに林檎と卵を与えると、水に落ちて睡蓮に変わっていた(即ち死んでいた)娘を水から出して甦らせ、金銀まで授けてくれる。けれども一方では睡蓮の娘の母を水に引きずり込んで殺している。水の精霊たちは恐らく水底の冥界に属する、生と死の両面に作用する存在だ。冥界に三つの(つまり、沢山の)卵や果実があり、それから命魂が現れるとする民話は数多い。 --> 「三つの卵」「うぐいすの浄土」「緑の山」[三つの愛のオレンジ

 この角度から見れば、姉たちが死体の山(冥界の「死の面」)を見て恐れ、卵を落としてしまうのは、死と生が表裏一体であることを理解できず、魂の循環・転生を阻んでしまった、大失敗だったのだと見ることが出来る。また、彼女たちが落とした卵は、彼女たち自身の魂でもあったのではないだろうか。浦島太郎が手渡され、決して開けてはならないと戒められた玉手箱の中に、彼自身の魂(若さ・生命力)が入っていたように。だから卵をたらいの中の血に落とした娘は、自身も地獄の釜に落ちる…冥王たる夫、即ち死神に殺されなければならなかったのではないかと解釈する。

 ちなみに、クロアチアの【青髭】類話「盗賊の嫁もらい」では、卵ではなくボールを、遊ぶためにと言って夫が渡し、自分は森に狩りに出かけていくのだが。アイスランドの民話「リニ王子と少女シグニ」に、比較すると興味深いモチーフがある。妖精女たちが王子を森の奥の岩穴に連れ去って夫にしようとするのだが、毎日、王子を岩穴に閉じ込めて眠らせては、自分たちは森に狩りに出かける。そして時折一本の樫の木の下で金の卵を投げ合って遊ぶと描写されているのだ。ここに何かしらの冥界…それもエリュシオンやアヴァロンやヴァルハラに類するような…のイメージが描写されているように思う。その金の卵は彼女たちの生命であり、卵を破壊されたことで妖精女たちは死に、王子は現界へ帰ることが出来た。

 

 森義信の『メルヘンの深層 歴史が解く童話の謎』では、卵は復活祭で恋人などに贈られるのだから、男女の愛やその結晶を意味するのであり、「フィッチャーの鳥」の魔法使いが妻にそれを渡すのは、彼の妻への信愛を示していると読み解いている。確かに、この見方も筋が通っている。実際、類話の「銀の鼻」では、銀の鼻は夜中に眠っている娘の髪にそっと花を飾る。娘が禁を破って開かずの間を開けると、その花がしおれてしまうのだ。

 ただ、「銀の鼻」では開かずの扉の中にあったのが地獄で、銀の鼻の正体は魔王であると明言されている。「夫が自分の信愛を裏切った妻を罰した」と読めるようにもなっているが、夫をただの猟奇殺人犯にはしておらず、その奥に冥界に関わる信仰があることをも明確に語っている。

 

 なお、「フィッチャーの鳥」には非常に残虐でショッキングなシーンがある。魔法使いは禁を侵した娘の首を斧で斬り、手足をばらばらにしてたらいの中に投げ込むのだ。血はどうどうと流れ落ちる。けれども私は、これを魔法使いの残虐性や変質的な性癖を示したもの、ましてや現実に起こった猟奇事件を元にしたシーンだとは思わない。

 死後の世界について解説したチベットの本、『死者の書』第二巻にこうある。

ヤマ王(閻魔大王)は汝の首に縄索を掛けて、汝を引きずり出し、首を切り、心臓を食らい、腸を引き出し、脳をすすり、血を飲み、肉を食べ、骨をしゃぶる。汝はそれでも死ぬことはない。身体が粉々に切り刻まれても、再び生き返るだろう。

 たとえばフランスの民話「黒い山と三羽のアヒル」などにも、恋人を殺して切り刻んで鍋で煮込んで、その後に骨を並べたり再び鍋で煮たりなどすると、前より美しくなって甦ったという描写がある。

 死者の霊は、冥界へ行って切り刻まれてしまうのだ。そして女神に食べられ、その子宮(血の溜まったたらい/煮え立つ鍋釜/燃える火中)に宿り、新たな命として再生してくる。それが死んで生まれ変わるということなのだという観念が存在していて、その片鱗がこうした民話の中に現れてきているのではないか。

 つまり、青髭夫が妻を残虐に殺害するのは、妻が憎かったからでもそうすることに倒錯的興奮を覚えていたからでもない。……少なくとも、物語の原型においては。彼は冥王、すなわちキャラクター化された「死」なので、冥界に引き込んだ魂にそのような苦行を与えるものなのだ。そういう「決まり」なのだから。

 そして「死」に対してどう立ちむかうかは、物語によって、語り手によって無数のバリエーションがある。「死」と結婚してめでたしめでたしになるものもあれば、「死」を退治してしまうこともあり、その力を引き継ぐこともある。「死」から辛くも逃げ延びる話もあるし、自ら「死」を訪ねて、気に入られて宝(命、霊力)を授けられることもあるし、盗み奪い取ることもある。

 

 今の私の解釈は、こういったものである。無論、これも様々な意見の中の一つに過ぎず、「正解」ではない。

>>参考 <死者の歌のあれこれ〜食人の神話><童子と人食い鬼のあれこれ〜片目の神><小ネタ〜ブランコ娘と吊られた屍肉

天国の鍵

 青髭は妻に、開けてはならない部屋の鍵を渡す。

 前述したように、精神分析医のベッテルハイムはこの鍵を男性器の象徴とみなした。鍵は差し込んで回すもので、それは性行為を暗示する。妻が夫から渡され、しかし使用を禁じられていた鍵を使ったということは、妻が他の男と関係を持った、不倫をしたことを意味しているのだと。

 一方、森義信は『メルヘンの深層』でその解釈を否定し、歴史的背景からの考察を行っている。すなわち、中世西欧では鍵は契約の象徴であり、家全体をも表し、主婦の印としての意味を持っていたと。妻が夫から鍵を渡されることには「家政を委ねられる」という意味があった。未亡人が夫の墓に鍵を置いてくると夫の債務を放棄することも可能とされていたそうだ。

 

 鍵が契約の証であり、それを渡されることは管理委譲の意味があるという解釈には賛成できる。少なくとも【青髭】の物語上では、夫が鍵を渡すのは妻に家政を任せた以外の意味を持たないだろう。ただ、この物語の根底に「冥界下り」「神と人との結婚と、断絶」という意味が沈んでいると仮定すれば、また少し違った視点からの解釈も可能だと思う。

 中国の民話には、不思議な鍵で岩穴を開くと奥に宝物が詰まっている、という話群がある。

たから山のたから穴 中国 ヤオ族

 むかし、コーリという若者が母親と二人で暮らしていた。コーリは毎日山へ登ってはワラビの根を掘り、その根を川べりで叩いて大きな水桶の中で揉んで晒してデンプンを採る。母子はそれで作ったワラビ餅を食べて日々の命を繋いでいた。

 そんなある日のこと、コーリは足を痛めてほんの少ししかワラビの根が取れず、出来たのは小さな餅が一つだけだった。

「母さん、食べな。おいらは腹が減ってないから」「お前がお食べ。私はまだお腹がすいていないからいいよ」

 母子がそれを譲り合っていると、戸の外に白い髭の老人が訪ねて来た。やつれた顔で杖にすがり、よろよろと戸にもたれかかる。「爺さま、もしやお腹がすいているのでは?」と母親が尋ねると、頷きはするが声は出ない様子だった。

「コーリ、お前は食べないと言うし、私もいらないのだから、いっそのこと、この爺さまに餅をさしあげようよ」

 母親の提案を聞いて、コーリはさっそく餅を老人に与えた。老人はがつがつと食べ、食べ終わると手振りで「家に帰りたい」と言っている様子である。コーリは背負い籠を持ってくると、その中に老人を座らせて家まで送り届けてやることにした。

 老人の指差す方へ歩きに歩き、暗い森を抜け、深い谷川を渡り、山を登ると、大きな岩穴に辿り着いた。その入口には美しい娘が待っていて、「お爺ちゃん、おかえりなさい!」と、いそいそと老人を迎え出た。

 すると老人は籠から跳び下りて、だしぬけに口をきいた。

「娘や。この若者はなんとも見上げた奴じゃ。お前の耳輪を鍵に作り変えて、この若者におやり。宝の山を開いて宝を取り出せるようにな」

 娘はすぐに右耳から金の耳輪、左耳から銀の耳輪を外すと、石の上で叩き伸ばして二つの鍵に作り変えた。娘はそれをコーリに渡して言った。

「いいですか、この山の右手に万宝山という山があります。その山の中腹に大きな洞穴があって、それを宝穴と言うのよ。洞穴の入口には黄色い大きな石があって、扉のようになっています。金の鍵をその石の扉の小さな穴に差し込めば、すぐに扉は開くわ。洞穴には宝物がどっさりあるから、あなたが欲しいと思うものをお取りなさい。

 あなたが洞穴に入ると、石の扉は勝手に閉じてしまうから、出るときにはこの銀の鍵を扉の内側の小さな穴に差し込むのですよ。そうすれば扉はすぐに開くわ。しっかり覚えておいてね。これを忘れてしまうと、洞穴から出られなくなってしまいますから」

 けれども、アクセサリーは大切な財産だ。コーリは「人の耳輪を受け取るわけにはいきません」と、鍵を受け取るのをキッパリと断った。

 途端に、老人が大声で言った。「早く逃げろ、逃げろ。虎が食い殺しに来たぞ!」

 コーリはハッとして後ろを見たが、虎などいない。その間に老人は孫娘を連れて岩穴に入ってしまい、大きな石が上から落ちてきて入口を塞いでしまった。コーリの足元には、二つの鍵がキラキラと光って落ちていた。

 コーリは鍵を持って家に帰り、母親に全てを話した。母親はとっくり考えてから言った。

「ねえお前、毎日ワラビの根を掘って食べるばかりが人生じゃないよ。宝穴に行って、百姓の役に立つようなものがあったら持っておいで。何かよい作物が作れたら、本当にありがたいじゃないか」

 そこでコーリは万宝山に出かけていって、山腹の洞穴の扉に金の鍵を差し込んだ。たちまちガラガラと轟音を立てて扉が開き、コーリが中に入るとドサーンと閉じてしまった。

 洞穴の中には数限りない金銀財宝が輝いている。キョロキョロ見回しているうちに目が眩んできたが、母親が言っていたことを思い出した。やっぱり百姓仕事に役立つものを選ぼう。探すと、石壁の隅に立派な石のき臼が白い光を放っている。

(この臼を持って帰ってトウモロコシを挽いてあげたら、村のみんなは喜ぶだろうな)

 コーリは碾き臼を担ぎ上げ、銀の鍵で石の扉を開けると家に帰った。

 母親は碾き臼を部屋の真ん中に置き、試しにちょっと挽いてみた。これは使いよさそうだと思った途端。トウモロコシの粒が碾き臼からこぼれ出た。惹けば挽くほどどんどんこぼれ出て、尽きることがない。辺りはトウモロコシで一杯になって、母子は顎が外れるほど笑い転げて喜んだ。母親が言った。

「コーリや、私ら二人じゃ、どうしたって食べきれないよ。村の困っている衆に分けてあげよう」

 そこでコーリはトウモロコシの粒を籠に詰め、村の貧しい家に分けて回った。それからというもの、コーリは毎日碾き臼を挽いては、トウモロコシを担いで貧しい家に配って歩いた。

 白石の碾き臼の噂は皇帝にまで伝わった。皇帝は大臣の一人に命じ、大臣は兵を引き連れてコーリの家を訪れ、碾き臼を無理に奪い取った。皇帝は宮殿に運び込まれた碾き臼を見てほくそえみ、ちょっと撫でてみたが、それはたちまち石灰に変わって粉々に砕け散った。皇帝は怒り狂って、臼を持ってきた大臣を打ち首にした。

 一方、コーリと母親は臼を奪われた悔しさをじっと噛み殺していたが、やがて母親が言った。

「コーリ、鍵を持っているかい。もう一度 万宝山へ出かけて、何か持ってきておくれでないか」

 コーリは今度は黄色い石の搗き臼を担いで持ってきた。母子は杵でちょっと搗いてみて、これは使いよさそうだと思った、その途端。真っ白い米粒が臼から噴き出した。搗けば搗くほど噴き出て、辺り一面一杯になった。コーリは今度も籠に白米を詰め、村の貧しい家に配って歩いた。

 黄色い搗き臼の話は、またも皇帝に知られてしまった。皇帝はまた、とある大臣に命じて搗き臼を奪ってこさせた。しかし皇帝が搗き臼を少し撫でると、それは黄色い泥となって飛び散った。皇帝は大臣を罵って打ち首にした。

 コーリと母親は、はらわたの煮えくり返る思いだったが、母親はまた怒りを抑えて言った。

「コーリ、もう一度 万宝山へ行って、何か持ってきておくれでないか」

 コーリは今度はすきを持って帰ってきた。家の前の荒地でそれを使うと、どうだ。たった一掻きで大きなトウモロコシが一本生え出て、瞬く間に大きな実がたくさん実った。十回鋤けば十本、百回鋤けば百本生える。母子は声をあげて喜び、コーリはトウモロコシの実をもぐと、村の貧しい家に配って歩いた。

 この話も皇帝に知られてしまった。皇帝はまた、別の大臣に言った。

「今まではみんなしくじってしまった。いっそ、コーリを引っ立てて来い。宝をどこで手に入れてくるのか、わしが問いただしてやる」

 大臣は兵たちを引き連れてコーリの家に行き、コーリを縛り上げると宮殿に連れて行った。宮殿では皇帝が両脇に首切り役人を従えて座っており、憎々しげにコーリに言った。

「お前の宝はどこから手に入れたのだ。言えば褒美をやろう。言わねば、即刻首を切ってしまうぞ」

 首切り役人たちも恫喝してきたが、コーリは少しも怯まず、頭を垂れたまま、どうすべきかを考えた。

「私の宝は、万宝山にある宝穴から取って来たのです。そこには数え切れないほどの宝がございます」

「わしもそこに入れるのか」

「私の持っている金の鍵を使えば、すぐに扉が開いて、中へ入れます」

 皇帝は大喜びしてコーリから金の鍵を取り上げた。そしてコーリに道案内をさせ、宝を入れるための袋を担いだ兵たちを引き連れて、駕籠に乗って万宝山に登った。そして金の鍵で扉を開けると、兵たちを連れて中に入り、扉はドサーンと閉まった。

「暗君め! 銀の鍵はこっちにあるんだぞ。いつまでもその中に入ってろ!」

 そう叫ぶと、コーリは飛ぶようにして家に帰った。コーリが事の次第を話すと、母親は大笑いして言った。

「お前は全く、はしっこくて利口者だよ。鋤は無事だから、トウモロコシを作ろうじゃないか」

 このとき、コーリは急に思いだして言った。

「母さん、あの娘さんのくれた鍵は、もう銀のしかなくなってしまった。返そうにも返せやしない。これは娘さんの耳輪なんだ」

 母親はあれこれ思案した末に提案した。

「二人して娘さんのところへ行って、この鍵を返して謝ろう。トウモロコシも二籠 持って行ってあげようじゃないか」

 そこで母子は一籠ずつトウモロコシを背負うと、暗い森を抜け、深い谷川を渡り、山を登った。やがて、あの老人が白い髭をなびかせて、娘と一緒に岩穴の入口に座っているのが見えた。老人は娘の髪を梳いてやっていた。

 コーリは歩み寄って娘に銀の鍵を渡すと、「ほんとに申し訳ないんだけど、金の耳輪をなくしちゃったんだ」と謝った。娘は銀の鍵を受け取ると、曲げて輪にして耳につけたが、顔を赤らめて何も言わなかった。母親が老人に言った。

「爺さま、宝の鋤のおかげで、とても沢山のトウモロコシが取れました。今日は爺さまにも食べてもらおうと思って、二籠担いで来ましたのさ」

 すると老人は言った。

「お前さん、トウモロコシはいらんよ。担いで帰って、村の困っている衆に分けてあげなさい。それから、お前さんの息子は本当に働き者じゃ。わしの孫娘を息子さんの嫁にしておくれ」

 言い終わると、白髭をひとしごきして岩穴へ入って行った。と、大きな石が落ちてきて入口を塞いでしまった。

 娘はただ顔を赤らめるだけで、何も言わず岩穴を見つめている。

 母親は美しい娘と、逞しい我が息子をじっと見比べた。そして、片手に嫁の手を、もう一方の手に息子の手を取り、ニコニコしながら家に帰ったのだった。



参考文献
『中国の民話〈上、下〉』 村松一弥編 毎日新聞社 1972.

参考 --> 「鍵の木」「アリ・ババと四十人の盗賊」「二人の兄弟と石の犬」「周成と仙人

 岩山を鍵や呪文によって開くと、中に宝が詰まった異世界がある…という話は、『千夜一夜物語』の「アリ・ババと四十人の盗賊」の前半部が最も有名だろう。大抵の場合、調子に乗って慎重さを失った者が洞穴の中から出る方法を忘れたり、タイムリミットを失念するなどする。そうして洞窟に閉じ込められたり、岩門に挟まれたり、その洞窟を管理するモノ(盗賊/獣/鬼)によって八つ裂きにされ、《死ぬ》。

 私はこの話を「冥界下り」だと考えている。開閉する岩門や大石で塞がれた洞窟の奥は冥界だ。そして、その岩門を開閉するためのアイテムとして「鍵」が登場することがある。ロマンチックな言い回しをするなら「天国の門の鍵」だ。

【青髭】話群の鍵も、その一バリエーションが原型なのではないだろうか。

 前述したように、天界を管理する聖母マリアも、地下の隅っこを支配する隅の母さんの娘も、それぞれ鍵束を持っているからだ。つまり、鍵は冥界を管理する者の証でもあるし、そこへ入る扉を開くための、または抜け出すための「資格」なのだと思うのである。

森の小屋の盗賊

青髭】話群には、連続殺人鬼である夫の正体を、森の小屋や洞穴に住む盗賊としているものがある。同じように、【白雪姫】話群や【親指小僧】話群でも、主人公が森で出会ったり、洞窟から出てくる者を、ある類話では人食いの魔物とし、別の類話では盗賊・ならず者・猟師として語る。

 ロシアのウラジーミル・プロップは、これを歴史・社会学的な見地から読み解いた。彼はまず、民話においてしばしば「森の奥の屋敷、または小屋」が登場することを、現実に行われていた通過儀礼の習俗と結びつけた。一定の年齢に達した若者を特定の建物に集めて一定期間共同生活させ、教育や試練を与えることは、日本を含め世界各地で行われてきた。民話に登場する、周囲を塀に囲まれたり窓や戸が閉ざされていたりする森の中の建物は、通過儀礼で使われる小屋…若者宿をイメージしたものであり、そこを子供や若者が訪ねる物語自体が通過儀礼の儀式の様子を表しているのだと。

 そして、そうした森の中の小屋に盗賊団が住んでいると語られることがままあるのは、若者宿に集められた若者たちに、村の食べ物や供え物などを皆で荒らし盗む特権が与えられていたからだとする。

 日本にも近代まで似た習俗はあった。既に子供の遊びにされてしまっていたが。七夕や雛祭りの際、集まった地域の子供たちが、別の地域の子供たちの拠点を荒らして食料を奪ったり、雛壇を飾った家に押しかけてお菓子を持ち去ることが許されていたのだ。アメリカのハロウィンの習俗もこれに近い。子供たちが魔物となり、他人の家に押しかけてお菓子を強奪することが許される。

 とはいえ、それらの若者宿が本当に森に作られて、塀で囲まれたり窓を塞がれたりしていたのならば、それは「冥界の城」をイメージしてのことという可能性もあるのではないだろうか。通過儀礼の儀式そのものが「冥界に下って死んだ後で甦る」という「物語」になぞらえて行われることが多いのだから。もしかすると冥界をイメージして小屋が作られ、その小屋のイメージが、逆にその後の説話にフィードバックされたこともあるかもしれない。

 

 私自身は、説話に登場する森や洞穴に住む盗賊は、本来は冥王(人食い鬼)だったのだと考えている。冥界神への信仰が薄れ、神秘的知識が忘れられた(あるいは、現実感がないと判断された)結果、暗黙の了解であった「冥界下りを物語っている」という前提が消失し、その時代の合理性に沿った形に語り直されるようになったものではないかと。

酒呑童子」などはその過渡期にあるものと言えるだろう。酒呑童子は都を荒らす盗賊として語られているが、さらった女の肉を食らい、戦う時には鬼に変身している。

ワガママ娘への罰

青髭】話群には、娘が軽率な結婚をすることへの戒め、という教訓譚としての要素もある。ただ、ニュアンスは各話によって異なっており、娘が結婚を決めた経緯には

  1. 相手は身元不明なのに、容姿や弁舌、あるいは見かけの裕福さだけで結婚を決めてしまった
  2. 相手には悪い噂があり容姿も不気味なのに、社会的地位や財産だけで結婚を決めてしまった

という二つのパターンが、そしてこの行動に対する周囲の反応にも幾つかのパターンがある。

  1. 娘は乗り気だが、周囲は結婚に反対している
  2. 娘は乗り気でないが、親が結婚を決めてしまう
  3. 娘も親も乗り気でないが、借金等のために結婚せざるを得ない
  4. 娘も親も乗り気である

 

 よく知られているのは、娘が身元不明の男との結婚を衝動的に決め、周囲の反対を押し切って嫁いでしまい、結果として死ぬような目に遭うというパターンだろう。

 この教訓がメインテーマとして語られる場合は、開かずの間や死体の発見のモチーフは挿入されないことがある。

貧しいみなし子の娘と盗賊  パンジャブ

 両親のない娘が、貧しく年老いた叔母の家に身を寄せていた。ある日、村の井戸端で友人たちとお喋りをしていた時、結婚の話題になった。

「私の叔父さんは都会にいるの。そのうちとびきり上等のアクセサリーを持ってきてくれて、籠に乗せて結婚の宴にエスコートしてくれるのよ」
「家にはもう、お父さんが結納の金銀を積んでるわ。明日、花婿が迎えに来ることになっているの」

 貧しいみなし子の娘には結婚式の準備をしてくれるような親類は誰もいなかった。なのに娘は空元気を出して言った。

「そんなのどうってことないわ。見てらっしゃい、じきに私の叔父さんがダイヤモンドと絹織物を持って、私を迎えに来るから」

 その話を井戸の近くで休んでいた盗賊が聞いていた。みなし子の娘は素晴らしい美人だったので、盗賊は彼女が気に入り、次の日、織物とアクセサリーを売る裕福な商人に変装してみなし子の家を訪ねた。

「私はあんたのお父さんの弟でね、うちの長男と結婚させようと思ってやって来たのだよ」

 商人に化けた盗賊はそう言って見事な絹織物と装飾品を広げてみせた。それは全て盗品だったのだが、そんなことは知る由もない娘は天にも昇る心地になって、すぐに荷物をまとめて付いて行った。けれども、道の途中でカラスが鳴いた。

  気をつけろ、気をつけろ!
  叔父さんじゃない。
  連れて行くのは盗賊だ!

 それで娘は不安になって訊ねた。

「叔父さん、あのカラスは何を鳴いているの? 何て言っているかお分かりになる?」
「いや。カラスなんてみんなあんな風に鳴くものさ」

 それから木の側を通りかかると、枝に止まったナイチンゲールが言った。

  気をつけろ、気をつけろ!
  叔父さんじゃない。
  連れて行くのは盗賊だ!

 それで娘はまた訊ねた。

「叔父さん、ナイチンゲールは何を鳴いているの? 何て言っているかお分かりになる?」
「いや。ナイチンゲールなんてみんなあんな風に歌うものさ」

 次にネズミが、次にはジャッカルが出てきて同じように警告したが、娘は結局、引き返さなかった。

 家に入ると、盗賊は正体を現して言った。

「俺はお前の叔父さんなどではないし、お前と年のつりあう息子もいない。お前は俺の女房になるんだ!」

 盗賊は泣き出した娘を自分の母親に任せて、祝宴の支度をするために出て行った。盗賊の母親は醜い老女で頭髪が全て抜け落ちており、娘の美しい髪を羨ましがった。

「あんたの美しい、長い、黒い髪を、私におくれでないかい?」
「いやです。そんなこと出来ません。でも、どうすればこんなに美しい髪が生えてくるかは教えてあげましょう。私の母は毎日、私の頭を乳鉢の中に入れて、髪がこんなに長く黒く生えてくるまで搗いたのです。あなたもそうしてみたらどうですか?」
「では、力いっぱい搗いてちょうだいよ」と、老婆は大きな乳鉢を引きずってきた。

 盗賊の母親が乳鉢に頭を入れると、娘は老女が死ぬまで、力いっぱい搗いた。そして大急ぎで老女に自分が着るはずだった花嫁衣裳を着せ、顔にベールを被せた。そのうえで死人を乳鉢の横に座らせ、自分は荷物をまとめて逃げて行った。

 盗賊は肉や米、小麦粉に香辛料などを持って帰ってきて、花嫁衣裳を着た死人に向かって「荷物を運び込むのを手伝ってくれ」と言ったが、呼べど怒鳴れど返事をしないので、怒って花嫁の頭に米袋を投げつけた。ところが無残なことに、花嫁はそのままバタリと倒れた。盗賊はそれが自分の愛する老母だと知り、自分が殺したものと思い込んで大きな声で泣いた。やがて娘がいないことに気付いて森中探し回ったが、もう見つけることは出来なかった。

 みなし子は軽率なお喋りをしたことを後悔しながら自分の家に逃げ帰り、何日も屋根裏部屋に隠れていた。けれども盗賊が追ってくることはなかった。彼は大きなライオンに食われてしまったのである。


参考文献
『世界の民話 パンジャブ』 小沢俊夫/関楠生編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

※美しくなると偽って臼で搗き殺させるモチーフは、「達稼と達侖」等のアジア系シンデレラ話群にもある。単に老婆を騙して杵で殴り殺すなら「カチカチ山」。


参考 --> 「フィッチャーの鳥

思い上がった娘  ナイジェリア イボ族

 コープハムに住むエフィオン・エーデムという男に、アフィオンという美しい娘がいた。周囲の男はみんな彼女に夢中だったが、彼女は誰の求婚も受け入れず、この国で一番強くて美しくて心底自分を愛してくれる若い男としか結婚しないと言った。そして五日ごと(西アフリカの一週間は四日。つまり週に一度)の大いちに出かけては理想の男を捜したものだが、気に入る男はなかなか見つからなかった。

 霊界のしゃれこうべがこの娘のことを知り、ぜひ手に入れたいと思った。しゃれこうべは友人たちから一番よい体のパーツを借りて組み合わせ、理想の男の姿になるとコープハムの市にやって来た。アフィオンは彼に夢中になり、さっそく家に連れて行くと両親に結婚の許しを請うた。しかし両親はなかなか承知しなかった。というのも、娘を身元の知れないよそ者の男と結婚させたくなかったからである。それでもついに許しを得てアフィオンは男と結婚し、二日後に彼の故郷へ共に旅立った。

 若夫婦が旅立って二、三日後、不安になった両親は神官に娘の運命を聞いたが、婿は亡霊の国の人間だから娘は殺されているだろうと告げられ、嘆き悲しんだ。

 その頃、男とアフィオンは境界を越えて霊界に入っていた。たちまちしゃれこうべの友人たちがやってきて貸した体を持ち去り、しゃれこうべは元の醜い姿となった。アフィオンは引き返したくなったが夫は許さなかった。

 夫の母はたいそう老いていて、もう家事も出来ずに這いずり回るだけだった。アフィオンが食事を作り薪や水を運んで出来る限りの世話をすると、彼女はアフィオンを心から気に入った。ある日のこと、母親はアフィオンに言った。

「私はお前が可哀想だと思っているんだよ。霊界の者はみんな人食いだ。人間がこの国にいると知れば、殺してペロリと食べてしまうだろうから。けれどお前はよく私を助けてくれたね。だから私もお前を助けてあげよう。お前をかくまってやるし、出来るだけ早く家に帰してあげる。ただ、これからはよく両親の言うことを聞くんだよ」

 アフィオンは素直に従う気持ちになった。

 老母は腕のいい蜘蛛の理髪師を呼んで娘の髪を最新流行の型に結って美しくしてくれ、足輪やその他のアクセサリーも贈ってくれた。そして呪文を唱えて、風でアフィオンを実家まで送り届けようとした。最初に来たのは雷雨を伴った竜巻で、老母は追い返した。次に来たそよ風にアフィオンを乗せ、二人は別れた。

 帰ってきた娘を見て両親は狂喜した。父は家まで毛皮を敷いて娘の足が汚れないようにしたほどだった。アフィオンは家に入り、父は娘の女友達を呼び集めて、八日間 夜も昼も踊り祝った。

 それが済むと、父は事件を町の領主に報告した。領主は「両親は娘がよそ者と結婚することを許してはならない」という掟を定めた。父は娘に自分の友人の一人と結婚するように命じ、娘は今度は喜んで従った。そうしてずっとその男と暮らして何人もの子供をもうけた。


参考文献
『世界の民話 アフリカ』 小沢俊夫/中山淳子編訳 株式会社ぎょうせい 1977.
『世界昔ばなし集〈上、下〉』 山室静編著 社会思想社 1977.


参考 --> 「カンネテッラ」「吸血鬼の花嫁

 

 周囲の言いつけや警告を聞かず好き勝手にふるまったため恐ろしい目に遭う。そんな警告を含まされた民話は数多い。ペローやグリムの「赤ずきんちゃん」そうだし、やはりグリムの「トゥルーデおばさん」もそうである。特に「トゥルーデおばさん」は、娘が両親から強く制止されているにもかかわらず自ら危険な魔女の家に行ってしまうという点で、「思い上がった娘」に近い印象がある。

 なお、これらの話では警告されるのが娘であるため、そこに男尊女卑的な色を感じ取り、それが語られた時代の思想性に結びつける聞き手もいるようだ。そういう見方も十分にできる。けれども、たとえば「三枚のお札」では保護者の警告を無視して恐ろしい目に遭うのは少年である。警告を無視して失敗するのは民話の常套的な展開パターンの一つであり、必ずしも性別に関わるわけではない。

主な参考文献
『世界昔話ハンドブック』 稲田浩二ほか編 三省堂 2004.
『決定版 世界の民話事典』 日本民話の会編 講談社+α文庫 2002.
『メルヘンの深層 歴史が解く童話の謎』 森義信著 講談社現代新書 1995.
『魔法昔話の起源』 ウラジミール・プロップ著 斎藤君子訳 せりか書房 1983.
『あの世の事典』 水木しげる著 ちくま文庫 1989.

Copyright (C) 2008 SUWASAKI,All rights reserved.

inserted by FC2 system