>>参考 「ハンチ物語
     【塩のように大事】[灰坊]【手無し娘】【箱の中の娘
     [火焚き娘〜獣の皮をまとう][火焚き娘〜姥皮をまとう][火焚き娘〜植物の衣をまとう

 

鉢かづき姫  『御伽草子』 日本

 少し昔のことだそうですが、河内の国、交野の辺りに、備中守実高びっちゅうのかみ さねたかという人がおわしました。数多くの財宝を持っておられます。満ち足りて何の不足もありません。詩歌管弦に心を寄せて、花のもとでは散ることを悲しみ、歌を詠み詩を作り、のどかな空を眺めて暮らしておられます。北の方は、古今和歌集、万葉集、伊勢物語など、数々の書物をご覧になって、月を見て夜を明かし、月の入りを悲しむ、という風に明け暮らしておられて、心にかかるようなことはありません。夫婦はおしどりのごとく結ばれ、仲が隔たることはないのでした。

 思うがままの暮らしでしたが、子供が一人もありませんでした。朝夕悲しんでおられましたが、どういうわけでしょうか、姫君を一人授かりまして、父母のお喜びは計り知れません。そんなわけで、姫君を大切に養い育てることには限りがないのでした。常日頃、観音を信じておられましたので、長谷寺の観音に詣っては、かの姫君の将来を繁栄さえたまえとお祈りになるのでした。

 こうして年月を経るうちに、姫君が十三になった年、母上は今までにない風邪をひいた気がすると仰られて、一日二日が過ぎたという頃、今にも死にそうになりましたので、姫君を近くに呼んで、緑の黒髪をなであげ、

「ああ不憫だわ。十七、八歳にもなっていない。どなたと縁付くのか、心安いで見届けることも、なにもかも成すことが出来ないで、あどけない様子のあなたを捨て置いていくことの無残さよ」と、涙を流されます。姫君も一緒に涙を流されました。

 母上は流れる涙を押し留め、側にあった手箱を取り出し、中には何を入れられたのでしょうか、たいそう重たげなのを姫君の頭に載せ、その上に肩が隠れるほどの鉢を被らせて、このように詠まれました。

さしも草 深くぞ頼む観世音 誓のままにいただかせぬる

(私が深く信仰する観世音との誓いのままに、この鉢を被せます)

※この渋川版では略されているが、別の本では、姫君は観音の申し子であり、母の夢に観音が現れて「母が死ぬときにはこの鉢を被せよ」と告げたことが語られている。なお、別の本によれば、姫君の名は長谷(初瀬)寺にちなんで"初瀬"というらしい。母の名は"照見"。

 このように口ずさまれて、ついに儚くなられたのでした。

 父上は大いに驚きまして、「幼い姫をどうして捨て置き、どことも知れないところへ逝ってしまうのだ」とお泣きになりましたけれども、甲斐はありません。かくて、そのままであるべきではありませんので、名残は尽きないと思われるのですけれども、空しき野辺に送り捨てて、華の姿も煙となりました。月のような姿が風となって散り果てることこそ痛ましいことでございます。

 そうして、父上は姫君を近寄らせて、戴いておられる鉢を取ろうとしましたけれども、吸い付いてまるで取れません。父上は大いに驚いて、「どうすればいいのだろう。母上と別れたことはともかく、情けなくもこのような奇妙な姿になってしまうとは」と、嘆かれることに限りはありませんでした。

 このようにして月日が経ちまして、後の供養も執り行われました。母上への思いは姫君の上にこそ留まりました。春の軒端の梅の枝や桜は散って青葉になり、名残惜しく思いますが、また来る春には再び花開きます。月は山の端に沈んで闇が訪れますが、次の夕べには昇ってきます。けれども、喪われた人の面影は、夢でさえもぼんやりとしていくばかりなのです。いつの日のいつかの夕暮れに別れ道を歩くまで、現実で会うことはありません。姫君の思いは晴らす術がなく、思い巡らせば、まるで牛車が行く当てもなくさまよう風だなぁと、他の人の目も同情的なのでした。

 そのうちに、父上の一族や親しい人々が寄り合いまして、いつまでも男が独りでいては暮らしにくかろうと、「泣き濡れた袖を枕に、嘆いてくどくど言っても、その甲斐はまさかあるまい。どんなひととでも語らいあって、辛く別れた思い出を慰めなされ」と勧められ、父上も(先立った妻はともかくも、残された辛い我が身の悲しさよ。思い悩むのも意味がない)とて、とにかくも決断されますと、一門の人々は喜んで、相応しい人を探しまして、父上は元のように迎え取って再婚されたのでした。移り変わる世の中で、心は散り咲く花のように変わります。秋の紅葉が散り過ぎるように前の北の方は忘れられ、その面影は姫君ばかりが忘れることなく、嘆いておられるのでした。

 こうして、例の継母はこの姫君をご覧になって、「このような奇妙な片輪者がこの世にいたのですねぇ」とて、憎むことに限りがありません。それから、継母のお腹に子が一人出来ますと、いよいよこの鉢かづきを見まい聞くまいとし、普段の立ち居振る舞いのことさえもデタラメばかり言って、常に父上に陰口を申します。鉢かづきはあまりにやるせないままに、母上のお墓へ参って、泣く泣く申すご様子。

「ただでさえ辛いことばかりの世の中で、お別れした母上を慕って涙の川を作っております。その川に沈むことも出来ず生きながらえて、生きていても仕方がない私なのに。思うに、とても奇妙なことです。おかしな姿になったことが恨めしいわ。継母上が憎まれるのも当然です。

 愛する母上に遺され、私の身がおかしくなった後、父上にどんなにお嘆きがあっただろうと、それだけを心苦しく思っていましたが、今の母上に姫君がお出来になれば、もはや、ご心痛もなくなるでしょう。

 継母上が私を憎むため、頼りの父上は冷淡です。今は生きる甲斐もない憂き身の命、早くお迎えに来てください。同じ極楽の蓮の上に成仏して、心安らぎたい」と、激しく泣き焦がれて悲しまれましたが、隔てられた生死の悲しさ、そうね、と答える人もありません。

 継母はこのことを聞いて、「鉢かづきが母の墓に参って、殿をも私たち母子をも呪っております、恐ろしい」と、真実は一つも言わず、嘘ばかりを父上に何度も言いますと、男の心がもろいことには、本当だと思い、鉢かづきを呼び出して

「非道な者の心だ。いやな化物姿になったのを、世にも忌まわしく思っていたのに、罪もない母、兄弟を呪うとは。片輪者を家に置いて何になろうか。どこへでも追い出してしまえ」

と仰いますと、継母はこれを聞いて、脇を向いて、さも嬉しげな様子で笑いました。

 そうして可哀想に、鉢かづきを引き寄せて、着ているものを剥ぎ取って、みっともないひとえの着物を一枚着せて、ある野中の四辻に捨てられたのこそは、哀れなことでございます。

 さて、これはどういう世の中なのでしょうと、闇に迷う心地がして、どこへ行くべきかも知りません。泣くよりほかのことは出来ません。しばらくして このように、

野の末の 道踏み分けていづくとも さして行きなん身とは思わず

(野の果ての道を踏み分けて何処へでも目指していける身だとは思いません。)

と口ずさみ、足に任せて迷い歩かれますと、大きな河の端に着きました。ここに立ち止まって、どこかを目指して行くあてもなく迷い歩くよりも、この河の水屑みくずとなり、母上のおわしますところへ参りましょうと思われて、河面の端を覗きますと、流石に幼い心は弱いもので、岸を打つ波も恐ろしく、瀬の白波は激しくて、水の様子が凄まじいので、どうしましょうと思いますが、母のもとへ行けることを心のよりどころにして、もはや思い切り、河へ身を投げようとされたとき、このように一首詠まれました。

河岸の 柳の糸の一筋に 思ひきる身を神も助けよ

(河岸の柳の枝のように一筋(一途に)決意する私を、神よお救いください。)

 このように口ずさんで身を投げて沈みましたが、浮かぶ鉢に引かれてお顔ばかりが水面に出て流れるうちに、漁をする舟が通りましたが、「ここに鉢が流れている、何だろう」と言って引き揚げて見ますと、頭は鉢で体は人です。舟の人はこれを見て、「おや面白い、どういったモノだろう」とて、河の岸へ投げ上げます。ややあって鉢かづきは起き上がり、つくづくと思案して、このように、

河波の 底にこの身のとまれかし などふたたびは浮き上がりけん

(河波の底にこの身は沈むはずだった。何故再び浮き上がったのでしょうか。)

などと口ずさまれ、落ちつかなげな様子で、答えにたどり着けずに立ち上がりました。このままでいるわけにもいかないので、足に任せて行くうちに、ある人里に出ました。里人は鉢かづきを見て、「これはどういうモノかしらん。頭は鉢、下は人だ。どれほどの山の奥からか、年経た鉢が変化して、鉢を被って化けてきたぞ。どうでも人間ではあるまい」とて、指をさして恐ろしがったり笑ったりします。ある人は、「たとえ化物であっても、手足の先の美しいことよ」と申し、人々は思い思いのことを申すのでした。

 

 ところで、その地の国司でおわします人、名を山蔭やまかげ三位中将さんみちゅうじょうと申しますが、ちょうど縁行道(念仏を唱え、あるいは暝想などしながら仏堂や屋敷の縁側、長廊下などを歩くこと)をして四方の梢を眺めつつ、

「霞む遠里の、貧乏人の蚊遣火、それに使うよもぎ、奥底にくゆる薄煙は上の空に立ちなびき。趣きある夕暮れは、恋する人に見せたいな」

と、口ずさまれて立っておられるところに、例の鉢かづきが歩み寄ります。中将どのはご覧になって、「あれを呼び寄せよ」と仰せになりますと、若侍たち二、三人が走り出て、鉢かづきを連れてまいります。「何処の浦の、どのような者か」と仰いますと、「私は交野の辺りの者でございます。母に早くに死に遅れ、思い悩むあまりにこのような奇妙な姿にさえなりますれば、哀れんでくれる者もないままに、どこ(何は〜難波)の浦にいる理由もないと、足に任せてさ迷い歩いております」と申しますので、さてさて不憫な、と思し召し、戴いている鉢を取り除けてやれ、とて、皆々寄って取ろうとしましたけれども、しっかりと吸い付いてなかなか取れる様子もありません。これを人々は見て、「どうにもならないクセモノだぞ」と笑います。

 中将どのはご覧になって、「"鉢被り"は何処へ行く?」と仰いますと、「何処へだろうと行くべき場所はありません。母に死に別れて、挙句にこのような奇妙な姿にさえなりますれば、見る人ごとに怖じ恐れ、嫌う人はありますけれども、哀れむ人はありません」と申しますと、中将どのはお考えになって、「人の側に不思議な者がいるのも よいものじゃ」と仰いましたので、仰せに従って、鉢かづきはここに置いてもらえることになりました。

 さて、「特技は何だ」と仰いますと、

「特に申すべきものもありません。母に育てられていた頃に、琴、琵琶、和琴わごん、笙、篳篥ひちりき、古今和歌集、万葉集、伊勢物語、法華経八巻、数々のお経などを読みました他に、能はありません」

「それでは、能がないなら、湯殿(風呂場)に置け」ということになりました。今までしたことのないことですが、状況に従うのが世の中です。

 鉢かづきは風呂の火を焚きました。夜が明けると人は鉢かづきを見て笑いなぶり、嫌う人は多いのですが、情けをかける人はありません。来る日も来る日も「お風呂です、湯を沸かしなさい鉢かづき!」とて、夜中の十二時・朝の二時も過ぎないのに、朝の四時で夜も明けないのに、責め起こされて痛ましいことです。弱い篠竹が雪に埋もれて倒れ伏している風情で、もの儚げに起き上がります。夕暮れには立ち昇る柴の煙を見、鉢かづきの名も広まり立つのを苦しく思いながら、「お風呂が沸きました。早く湯を運んでください」と催促します。日が暮れれば、「おみ足を洗うお湯を沸かしなさい、鉢かづき」と命じられます。憂鬱ながらも起き上がり、乱れた柴を引き寄せながら、このように詠まれます。

苦しきは 折りたく柴の夕煙 憂き身とともに立ちや消えまし

(苦しいのは、折った柴を燃やすこと。辛い我が身と共に煙になって立ち消えればいいのに。)

 このように口ずさまれて、(どんな因果の報いでしょうか、このような辛い世に住んで。いつまで命長らえて、このように物思いして、昔を思って胸は焦がれる駿河の富士、袖は泣き濡れて清見が関のよう。いつまで命長らえて、憂き泥土が絶えない涙河を、流れて先の希望もないのか。菊の葉の裏についた露のごとく、どうにでもなるこの身だわ)と、独りぐちぐち言って、

松風の 空吹き払ふ世に出でて さやけき月をいつかながめん

(いつか元の上流社会に出て、さやかな月を眺めよう。)

このように詠じて、足を洗う湯を沸かすのでした。

 

 さて、この中将どのは、お子を四人持っておられました。上の三人は皆々妻を得ておられます。四番目のお子、宰相の君と申す御曹子は、見目容みめかたちが世にも優れ、優美なお姿は光源氏か在原業平かと言われるほどです。春は花のもとに日を暮らし、散ってしまうことを悲しみ、夏は涼しい泉の底、美しい藻に心奪われ、秋は紅葉こうよう、落ち葉の散り敷く庭の紅葉もみじを眺め、月の前で夜を明かし、冬は蘆間あしまの薄氷、池の端で羽を閉じてオシドリが浮き寝するのも物寂しい。袖を重ねて共寝する妻がありませんので、独り荒んで立っておられます。

 兄たちも母君も、お風呂に入りましたけれども、例の宰相の君だけが残りまして、夜が更けて遅くなって、独りでお風呂に入りました。鉢かづきの「お湯を、お移しいたします」と申す声が、優しく聞こえます。「御行水」とて差し出される手足の美しさ、非常に優れて見えましたので、世にも不思議に思われて、

「やあ鉢かづき、他に人はいないのだから、何を遠慮する。背中を流しておくれよ」

と仰いますと、鉢かづきは今更ながらに昔を思い出して、人に入浴の世話をさせたことはあっても、人の入浴をどうして世話できるでしょうかと思いましたが、主命であれば、逆らう力もなく浴室に行きました。宰相の君はご覧になって、

 河内の国が狭いとはいえ、どんなにか多くの人を見てきたけれども、これほどまでに たおやかで可愛げがあって美しい人は未だに見たことがない。先年、花の都へ上った時、仁和寺の花見があって、身分の高い者・低い者が群れ集まって門前に市を立てていたけれども、その時にもこの鉢かづきほどの人はいなかった。どう考えてもこの人を放ってはおけない、と思われます。

「どうだい鉢かづき、染めたくれないは色褪めて変わることがあっても、私が思い染めた君と私の仲が変わることはないよ」

と、宰相の君は千秋の松に永遠の愛の誓いをかけて、松の浦の亀のように永久に結ばれようと仰います。

 それ以降、鉢かづきは、軒端の梅の鶯の、まだ若いもののような感じになって、とにかく返事も出来ません。重ねて宰相の君は、

「これはあの竜田川の紅葉ではないが、紅葉色のくちなし口無したとえつつ、ものを言わね岩根の松だろう。弾き捨てられた琴にも、他所に弾き手があるだろう。(あなたは何も言わないけれど、相手によっては口をきくんでしょう?)もし恋文を何度も取り交わす方があるならば、恋仲になれずに空しく消えようとも、君であればむしろ、怨めしいと全く思うまい。どうか、どうか」と仰いますと、野に放し飼いのじゃじゃ馬は、心は強気なのですが、恋愛ごとの川の中に立って、何が良いのか悪いのかも分かりませんので、何を言うことも出来ません。宰相の君が他に恋人がいるのでしょうと仰ることが決まり悪くて、

「琴の糸はみんな切れて、他に弾く人もありません。悲しいのは、死に別れた母のこと。そのうえこの身が消えないで、いつまでも命長らえて、いやな浮世に住み続けて、そのままでいるしかない恨めしさを嘆いております」と申しますと、宰相の君はお考えになって、本当にその通りだと思われて、重ねて仰る様子では、

「だからだよ。有為転変の世の中に生まれたのは痛々しいことだ。苦しみは報いだと知らないで、神や仏を恨みながら明け暮らしているのだ。君も前世で野辺の若木の枝を折り、想い合う仲を裂いて、人を嘆かせた。その報いのために、親にも早く死に別れ、未だ幼い心で物思いの涙が寝床に満ちる感じなのだ。

 私は二十歳になる今までの境遇の中で、定める妻は未だにない。独りうたた寝の枕も寂しく住むことも、前世であなたと深く愛を誓ったからだ。その業が尽きないからこそ、巡りめぐって、ともかくも、今、ここにいるのだろう。世にも美しい人だが、縁がなければ目もいかない。君に縁があればこそ、こうまで深く想うのだろう!

 君を想い始めた昔から、今逢うまでの愛の言葉は、永遠に変わらぬものだろうよ。

 鯨の寄る島、虎伏す野辺、千尋の海底、五道輪廻の彼方、六道四生の此方。恋愛の川の川上の、涅槃の岸が枯れるとも、君と私の仲は変わることがない」

と、深く愛を誓われました。

 さて、鉢かづきは漕ぐ舟が動かず逃げられない感じになって、宰相の君の仰せの強引さのまま、思わず知らずのうちに身を任せて受け入れてしまい、その夜は、ここにある節竹の節ようにはっきりとした前世今世の約束もないのに、最後には私の思いはどうなるのかしら。見えない未来が来たら、何処へでも足に任せて出て行きましょうと、暗澹として思います。可哀想なので宰相の君は、

「どうした鉢かづき、それほどに何を嘆くんだい。君を見初めたからには、露塵ほどもおろそかには思うまい。夜になればすぐに逢いに来よう」と、昼にも機会ごとに通い、「これを見て心を慰めておくれ」とて、黄楊つげの枕と横笛を取り添えて置きました。

 鉢かづきは、その時大変にみじめに思って仕方がありません。私が世間並みな人間であればいいのに、そうではないのだもの。男の人の心は飛鳥川の淵のように一夜で変わるものだけれども、私は宰相の君を頼りに思ってしまうことでしょう。こんな、人を想っても仕方のない有様なのに、その心が透けて見えてしまうことの恥ずかしさよと、心を暗くして泣かれます。宰相の君はご覧になって、この鉢かづきの風情を物によくよくたとえれば、楊梅桃李の花の香り・雲間に差し出でる月・二月半ばの糸柳の風に乱れる様子・竹垣の内の撫子が、露を重たげに乗せて儚げに、恥ずかしそうに俯いているかのようだ。顔の愛らしさ美しさ、楊貴妃・李夫人も、どうしてこれに勝ることがあるだろうかと、えもいわれぬ気持ちになられます。同様に、この鉢を取り除けて、十五夜の月のように顔を見る手立てがあればなぁと思われるのでした。

 さて宰相の君は、湯殿の傍らの柴を積んだ寝床を立ち出でまして、自分の住居に帰りつつ、軒端の梅をご覧になっても、いつのまにか(鉢かづき、どんなに寂しく思っているだろう。)と、今日の日暮れを待つ時間は、住吉大社に根付いた姫小松、千年待つよりもなお長く思われます。鉢かづきは黄楊の枕と横笛を置くべき場所がありませんので、もてあまして居るのでした。

 こうして漸く、東の空も明るくなりますと、夜明けを告げる鶏、まだ東の空に横雲もたなびかないうちに、「お風呂の用意、鉢かづき」と責められて、「お湯は沸いております。運んでください」と答えつつ、いぶしっぽい柴を折りくべて、このように詠みました。

苦しきは 折りたく柴の夕煙 恋しきかたへなどなびくらん

(苦しいのは、折った柴を燃やすこと。恋しい人の方へ何故になびくのでしょう。)

と口ずさみますと、湯殿の主任が聞きつけて、「あの鉢かづきは頭こそ人ではないが、物を言う声色、笑う口元、手足の先の美しさはどうだ、こいつより前から住まわせている侍女たちの方がよっぽど劣っている。近付いてモノにしてやろう」とは思うのでしたが、鉢を被った頭を見ればもやもやとして、「口から下は見えるが、鼻より上は見えもしない。同僚にも笑われて結構恥ずかしいな」と、言い寄ろうとはしないのは当然のことでした。

 そうこうするうちに、春の日は長いとはいえ、その日も漸く"くれない"に"暮れ"て、たそがれ時に咲く夕顔のように人の心は華やぎます。宰相の君は、いつもより華やかに装って、湯殿の傍らの柴の戸口に佇まれます。鉢かづきはこれを知らないで、日が暮れたら来ると誓ったけれども、早くも宵は過ぎてしまったわ。不審者に吠える里の犬の声が聞こえるほどの時間になってしまったと、来るまでの形見の枕と笛を取り添え持ちまして、このように、

君来んと つげの枕や笛竹の などふし多き契なるらん

(あなたが来るでしょうと思いながら見るつげの枕や竹笛。何故ふし(障害)の多い仲なのでしょう。)

と口ずさみましたので、宰相の君はとりあえず、こう返歌しました。

いく千代と ふしそいて見ん呉竹くれたけの 契りは絶えじ黄楊つげの枕に

(何千年も伏しふし添うよ、節だらけの呉竹のように。誓いは絶える事がない。)

 こうして宰相の君は、比翼連理、生涯の愛を深く誓われたのでした。

 

 包み隠そうとしても紅が目立つように、二人の仲は漏れて人の知るところとなったのでしょう。「宰相どのを鉢かづきが自分のもとに通わせている、みっともないことだよ。もとより、貴い者も卑しい者も、男には好き心があるものだ。言い寄られたとしても、あの鉢かづきめがそれに近付こうだなんて、思うこと自体が不心得だよ」と、憎まぬ人はありません。

 ある時、他所から客人が来ました。夜遅くまで時間が空き、宰相の君が遅くに鉢かづきのもとに入りましたところ、鉢かづきは心細く思って、

人待ちて うわの空のみながむれば 露けき袖に月ぞ宿れる

(人を待って空の上ばかり眺めていますと、涙で濡れた袖に月が宿ります。)

と、このように口ずさみますと、宰相の君はいよいよ鉢かづきを優美に思われまして、愛は深まりましたが、捨てようなどとはいたしません。

 昔から今に至るまで、自分に関係のないことまでも人はとやかく言うもので、「宰相どのは世にも異常な様子で、このような振る舞いをなさるよ。気がおかしいんだな」と笑っているうちに、母君がこれを聞きつけて、「皆々、デタラメを申しているのだろう、乳母にその女を見させよ」と仰いますと、乳母の冷泉れいぜいは見てきて「本当でございます」と申します。父母は呆れて、しばし物も言いません。ややあって

「もし、乳母よ聞きなさい。とにかく宰相の君を諌めて、鉢かづきに近付かぬように計らいなさい」と仰いますと、冷泉は宰相の君の前へ参り、なんとなくお喋りをして、

「もし、若様。本当のことではないと思いますけれど、湯殿の湯沸しの鉢かづきのもとへ通っておられるとのこと、お母上がお聞きになって、まさかそのようなことはないでしょうけれども、もし本当ならば、お父上の耳に入る前に鉢かづきを追い出すべしとの仰せにてございます」と申しますと、宰相の君が仰ることには、

「予期していた仰せだな。一樹の影に休み一河の水を汲むことも前世の縁と聞く。いにしえの縁があればこそ、父上に勘当され千尋の海の底に沈もうとも、夫婦の仲は別れるものではない。親の不興を買って、たちまち無間地獄に沈もうとも、想い合う夫婦の仲ならば、どうして苦しいことがあろうか。父上のお耳に入り、たちまち お手にかけられるとしても、あの鉢かづきのためであるならば、捨てる命は露塵ほども惜しくはない。あの人を捨てることは思いもよらない。従わぬといって鉢かづきとともに追い出しなさるならば、どんな野の果て、山の奥に住むとしても、想う人と連れ添うならば、決して悲しいことはあるまい」とて、自分の住居をお出になられて、柴を積んだ扉に入られました。日頃は人目を忍んでおられるのですが、冷泉が参って注意してより後は、終日 鉢かづきのもとに居られます。そうするうちに兄たちも、お前は一族の座敷へ来てはならない、と宰相の君に言うのですが、嫌がる様子もありません。いよいよ人目をはばからず、朝夕通っておられます。

 母君は「それはともかく、鉢かづきはきっと化物で、若君を殺そうと思っているのでしょう。どういたしましょう、冷泉よ」と仰います。冷泉が、「あの若君はちょっとしたことでさえ顔色を変えてはにかんで、どうでもいいことまでも気後れするたちで通しておられましたけれども、このことに関しては恥じる様子もございません。ですから、若君たちの嫁比べをして御覧なさいませ。このようにすれば、あの鉢かづきは恥ずかしく思って、何処へでも出て行くに違いありません」と申しますと、その通りだと思し召し、

「いついつ、若君たちの嫁比べあるべし」

と口々に触れ回らせました。

 そうするうちに宰相の君は、鉢かづきのもとへ入られて、「あれを聞きたまえ。我々を追い払うために、嫁比べなどと言い出して触れ回っているが、どうしようか」と涙を流されますと、鉢かづきも共に涙を流す様子。「私のためにあなたを無用者にすることができるでしょうか。私は何処へでも出て行きます」と申しますと、宰相の君が仰るには、「あなたと片時も離れてはいられない。何処へなりとも共に出て行こう」。こう仰いますと、鉢かづきはどう判断する方法もなく、涙を流しておりました。

 さて、とにかく日が過ぎるうちに、嫁比べの日になりますと、宰相の君と鉢かづきの二人、何処へでも立ち去ろうと思っておられることこそ哀れでございます。そうこうするうちに夜も明け方になってしまえば、履くのも慣れない草鞋わらじを締め履かれて、とはいえやはり両親と長く暮らしておられたのですから、お名残惜しく思し召し、落ちる涙で視界が曇り、(今一度父母の姿を見てから何処とも知れぬところへ出て行きたいと思うが、出来ないことが悲しい)、とお思いになるのでしたけれども、ついに、一度は離れるものなのだと思い切られました。鉢かづきは宰相の君のこの様子を見て、「私一人、何処へでも出て行きましょう。縁が深ければ、また巡り会います」と言いますと、「恨めしいことを言われたものだな。どこまでもお供しよう」とて、

君思ふ 心のうちはわきかへる 岩間の水にたぐへてもみよ

(君を想う心の内は沸き返る。湧き返る岩間の水に比べてみても。)

と、このように詠まれ、立ち出でようとされるとき、鉢かづきは、

わが思ふ 心のうちもわきかへる 岩間の水を見るにつけても

(私があなたを想う心の内も沸き返ります。湧き返る岩間の水を見るにつけても。)

などと口ずさみ、また鉢かづきが、

よしさらば 野辺の草ともなりもせで 君を露とも共に消えなん

(やむを得ません。野辺の草になりはしませんが、あなたを草の露とも思い、露のように共に消えましょう。)

と詠みますと、また宰相の君はこのように、

道のべの はぎの末葉の露ほども 契りて知るぞ われもたまらん

(愛を誓ってあなたを知ったのだ、道端の萩の葉の先の露ほどに少しも、私も留まるまい。)

と詠まれて、もはや出ようとなさいますが、やはりお名残惜しく、悲しく思われて、容易には出ることが出来ず、ただお涙がとめられません。こうして、留まるべきでもなく、夜もだんだん明け方になりますと、急いで出ようとて、涙と共に二人一緒ながらも出ようとなさったときに、被っておられる鉢が"カッパ"と前に落ちました。

 宰相の君は驚かれて、姫君のお顔をつくづくとご覧になりますと、十五夜の月が雲間を出たに相違ありません。髪の垂れ具合、姿かたち、何にも譬えることが出来ません。宰相の君は嬉しく思われて、落ちた鉢を拾い上げてご覧になりますと、二つの内皿のその下に、黄金を丸めたもの、金の盃、白銀の小提下こひさげ(酒を注ぐ急須のような形の道具)、砂金で作った三つ生りの橘、銀で作ったけんぽ梨、十二単の小袖、紅に何度も染めた袴、数々の宝物が入れてあります。姫君はこれをご覧になって、私の母が長谷寺の観音を信じておられたご利益だわと思われて、嬉しいにしても悲しいにしても、先立つものは涙でした。

 さて、宰相の君はこの様子をご覧になって、「これほど大変な幸福があったことの嬉しさよ。今は何処へも行くべきではない」とて、嫁比べの座敷へ出ようと準備をいたしました。既に、早、夜も明けましたので、世の中はざわめいております。人々が言うことには、

「これほどのお座敷へ、あの鉢かづきが出ようと思い、何処へも逃げなかったとは不心得なことよ」と笑います。

 そうこうするうちに、急げ急げと触れ回りますと、長男の嫁御は簡素で品のよい装束で、お年のほどは二十二、三ばかりと見えて、頃は九月の半ばのことなので、肌着には白い小袖、上には色とりどりの小袖を召して、紅の袴を長く引き、髪の毛は背丈より長く、辺りも輝くばかりです。引き出物には唐綾十疋、小袖十かさねを衣装箱の蓋に入れて運ばせております。次男の嫁御は、お年は二十ばかりで、上品で気高く、人に優れて見えます。髪の毛は背丈と同じで、装束は肌着は生絹すずしあわせ、上には摺箔すりはくの小袖、紅梅の刺繍の袴を長く引いて、さて引き出物には、小袖三十かさねを運ばせております。三男の嫁御は、なるほど、お年は十八ばかりと見え、髪の毛は背丈に足りませんが、月に妬まれ花にそねまれるほどの風情です。装束は、肌着は紅梅の小袖、上には唐綾を着ておられます。引き出物には染物三十反を運ばせております。三人の嫁御前は、いずれも劣らぬお姿です。

 一方、遥かに下座の所に、破れた畳を敷かせ、鉢かづきを座らせようと席が作ってあります。人々が言い合うことには、「三人の嫁御前は見た。鉢かづきがみっともない姿で出てくるのを見て笑おう」とて、軒端の鳥ではありませんが、羽づくろいして待っておりました。

 さて三人の嫁御前たちも、今か今かと待っておられます。また、姑である母君は、「何処へも出て行かないで、今、恥をかくだろうことの悲しさよ。なんのために。嫁比べなど言わずとも、良いも悪いも知らない様子だから、若君もいつか捨て置いただろうものを」と仰います。

 そのうちに、鉢かづき遅しと、度々使者が立ちますと、宰相の君はお聞きになって、「ただ今そこへ参る」と仰れば、人々は見て笑おうと野次を飛ばしました。ところが、出てきた様子は、ものによくよく譬えれば、ほのかに出ようとする月に雲がかかる風情であって、御かんばせは気高く美しく、お姿は春の初めの枝垂れ桜が、露の間からほの見えて、朝日がうつろう風情に異なりません。霞の眉墨はほのほのと、たおやかな双髪は秋のセミの羽のよう。ゆったりとした表情は、春は花に妬まれ、秋は月に妬まれる風情です。年の頃は十五、六ほどに見えます。装束は、肌着は白い練り絹、上には唐綾、紅梅紫、色とりどりの小袖、紅に何度も染めた袴を長く引き、翡翠のかんざしをゆらゆらさせて歩いておられるお姿は、ひとえに天人の降臨もかくやと思い知らされるのでした。

 待ち受けて見ていた人々は、皆々目をみはり、気をそがれておられます。宰相の君の心の中の嬉しさは限りがありません。そのうちに、お座敷の一段下げて作ってある席に着座しようとされたときに、舅である中将どのが、「どうして天人を下座に置けるだろうか」とて招かせました。あまりのいとおしさに、母君の左の膝元へ呼び参らせたのです。

 さて、姫君の舅どのへの引き出物には、白銀の台に金の盃を据え、金で作った三つ生りの橘、金十両、唐綾、織物の小袖三十かさね、唐錦十反、巻絹五十疋を、衣装箱の蓋に積ませて運んで来させました。姑への引き出物には、染物百反、丸めた金、銀で作ったけんぽ梨の折り枝を、金の台に据えて運んで来させております。

 人々はこれらを見て、見目かたち、衣装、引き出物に至るまで、勝りはしても人に劣りはしないと、驚かされるばかりです。三人の兄嫁御前たちさえも、最初は美しく思われたけれども、この姫君と比べれば、仏の前に悪魔外道が居るのに異なりません。兄たちは「さあ、のぞいてみよう」とて覗いてご覧になりますと、辺りが輝くほどの美人です。皆々不思議にお思いになって何を言う言葉もありません。楊貴妃、李夫人も、彼女にはどうして勝てるだろうか、どうせ人間に生まれたなら、このような人とこそ一夜なりとも契り、思い出にしようと、人々は宰相の君を羨むのでした。中将どのは、最近宰相の君が死にそうに思えたのも道理だと思われるのでした。

 さて盃が運ばれますと、母君は考えられて、そのまま姫君に盃を注されました。その後、お酒が廻りますと、三人の兄嫁御前たちは話し合って、「見た目は下賎な身分とは無関係です。合奏を始めて、和琴を奏でさせましょう。和琴は特に、その基本を知らなければ、誤魔化さずに弾くことは出来ないものです。宰相どのがその基本をはっきり知ったならば、後には教えるとしても、今夜のうちには教えることが出来るはずがありません。さあ始めましょう」とて、長男の嫁御は琵琶の役、次男の嫁御は笙を吹かれます。母君(文脈的には三男の嫁御だろうが…)は鼓を打ち、姫君は「和琴を奏でてください」と強制されます。その時姫君が仰ることには、「このようなことは今、初耳のことで、少しも存じないことですわ」と辞退いたします。宰相の君はこれをご覧になって、我がことのように感じて、行って弾くものを、と思われます。その時姫君はお心の内で(私を賎しい者と思い、このようにして笑うためなのだわ。私も昔、母に養われていたときには、朝夕手馴れた楽の道なのだから、弾けるはず)と思われて、「ならば弾いてみましょう」とて、側の和琴を引き寄せ、三度奏でられました。宰相の君はご覧になって、嬉しいことに限りはありません。兄嫁たちはご覧になって、歌を詠み文字を書くことも、後には宰相どのの教えがあるでしょう、ただ、今のうちならば教えることも出来まい、ならば歌を詠ませて笑いましょうと相談されて、

「これを御覧なさい姫君、桜の枝に藤の花、春と夏とは隣です。秋はことさら菊の花。これについて姫君、一首詠んでくださいな」と仰いますと、姫君は考えられて、「あら、難しいことを仰るものですねぇ。私の能は、最近は湯殿に居て、朝夕手馴れた水車のごとく、水を汲み上げることの他にはありません。歌というのはどういうものなのやら、少しも存じませんわ。まずは、御前たちがお詠みになってください。その後には、とにかくも詠ってみましょう」と言いますと、兄嫁たちは、「姫君は、今日の主賓でございますから、まずは一首詠んでください」と責めてきます。その時、姫君は一首すぐに、

春は花 夏はたちばな秋は菊 いづれの露に置くものぞ憂き

(春は桜、夏は橘、秋は菊。いずれの花を愛すものでしょうか、どれも露のように儚いのに。辛いことです。)

※三種の花を三人の兄嫁になぞらえた皮肉でもあるのか?? なお、文脈上は「橘」ではなく「藤」であるべき。

と、このように詠まれました。筆の運びは、小野東風の振るう筆もかくあらんと、目を驚かすばかりです。人々はこれを見て、「本当にこの人は、いにしえ玉藻の前たまものまえ(鳥羽院に仕えた美女。九尾の狐の本性を現して殺された。)だろうか、恐ろしや」などと申します。

 そのうちにまた盃が運ばれますと、中将どのは考えられて、姫君に盃を注されて、「肴をさしあげよう」とて、「我が所領は七百町と言われているが、二千三百町ある。そのうち一千町をば姫君に差し上げる。また、一千町を宰相の君に取らせよう。残る三百町をば三人の息子に取らせる。百町ずつ分けて取れ。これを不足に思う者があれば、親とも子とも思ってはならぬ」と仰いましたので、兄たちはお聞きになって、割に合わないこととは思いましたが、貴命であれば力もなく、これからは宰相の君を総領と思おうと、三人同意されるのでした。

 

 こうして、姫君には冷泉をはじめとして侍女たち二十四人がつけられまして、宰相の君の住んでおられる、竹の御所へ移られました。こうして日々が過ぎていくうちに、ある時、宰相の君が、「あなたはただ人とは思われない。お名乗りなさい」と仰いますと、ありのままに語ろうとは思われるのですが、継母の悪名を立てるものではないと思い、あれこれ誤魔化して名乗りません。その後、姫君は亡き母上のご菩提をねんごろに弔われました。こうして日々が過ぎていくうちに、若君を沢山もうけられまして、お喜びは限りありません。これにつけても捨てられた故郷の父君を恋しく思い、若君たちをも見せてさしあげたいとお思いになります。

 そのうちに、故郷の継母は、欲深でケチである故に召し使う者もあちらこちらへ逃げ去り、しまいに貧しくなり、一人持っている姫君をも妻問いする人はありません。夫婦の仲も悪くなりましたので、貧しい住居にいて何になろうか、心残りもないとて、父君は行く先も知らず、出家して修行に出発されました。つくづく思案するに、「この世を去った北の方は、子のないことを悲しんで長谷寺に詣で、様々に祈り、姫を一人もうけたが、母が空しくなって後、あらぬ異形の姿になったことを不気味に思い、親ならぬ親、継母の恐ろしさよ、色々に讒訴ざんそするのを本当だと思い、追い出してしまったのは不憫であった。その身が人のようでなかったからこそ、どこの浦に住み、どのような辛い目を見ているだろう。不憫なことだなぁ」と思われます。やがて父君は長谷寺の観音にお参りになって、「鉢かづきの姫、未だにこの世にあるならば、今一度巡り会わせてくれたまえ」と、心を尽くして祈願されたのでした。

 その後、宰相の君は帝に気に入られて、帝より大和、河内、伊賀の三ヶ国を下されましたので、喜びの返礼のために、長谷寺の観音へ詣でられました。一族の若君たちが、花を飾り金銀をちりばめてさざめいておられます。さて、姫君の父君が観音の前で念誦しておられたのを、一行の男たちが見て、御堂の中が狭くなるとて、「そこなる修行者、あっちへ退がれ」とて、縁から外へ追い出します。父君は傍らに立ち寄られ、若君たちを拝見して、さめざめとお泣きになりました。人々はこれを見て、「ここにいる修行者は、どんなことを思って泣くのだ」と尋ねますと、己の家系出自をありのままに語り、「恐れながらこの若君、私が探している姫に似ておられます」と言いますと、姫君はお聞きになって「その修行者をここへ呼べ」と仰せられますので、縁の上まで呼び上げました。姫君はご覧になって、年齢よりもやつれておられるけれども、流石に親子のことですので、人目もはばからず、「私こそかつての鉢かづきですよ」とて姿を現されますと、父君はお聞きになって、「これは夢か現か、ひとえに観音のご利益だ」と仰いました。

 宰相の君はこれをお聞きになって、「さては姫君は河内の交野の人でおわしましたか。だからこそ ただ人とは思わなかったものを」と仰って、若君の一人と姫君の父君とを河内の国の主にして、末永く幸せに住まわせました。さてまた宰相の君は、伊賀の国に屋敷を作らせ、子孫の末まで幸せにお暮らしになりました。

 

 これはただ、長谷寺の観音のご利益だと言われています。今に至るまで、観音を信じますれば新たにご利益ありと申し伝えてございます。この物語を聞く人は、常に観音のお名前を十ぺんずつ唱えられるのがいいでしょう。

南無大慈大悲観世音菩薩

頼みても なほかひありや観世音 二世安楽の誓ひ聞くにも

(南無大慈大悲の観世音菩薩。信仰すればなおご利益があるよ観世音。夫婦安楽の願いを叶えるにも。)



参考文献
『御伽草子〈上、下〉』 市古貞次校注 岩波文庫 1986.

※よく《鉢かつぎ》と間違えている人がいるが、《鉢かづき》だ。漢字で書くと《鉢被ぎ》。現代語で言えば《鉢かぶり》といったところ。

花世の姫」のついでにこちらも原文から自分で書き下してみたが、今まで訳文を読んでいたときとはまるで違う印象なのに驚いた。『お伽草子』の「姥皮」「花世の姫」「鉢かづき」は《似たような話》としてひとくくりにされがちなものなのだが、「花世の姫」と並べてみるとキャラクターの性格がまるで違う。当たり前のことだが、意訳要約された訳文を読んでいたときにはそれが見えなかった。鉢かづきが(うぶではあるが)これほどに気が強い姫で、若君が(鉢かづきへの愛は途方もなく深いが)気の弱いところのある青年だったとは。また、ポエムや駄洒落(掛詞)が連発されているのも気になった。読みにくいっちゅーねん!

 こうして世界のシンデレラ系の話と並べてみると、本当にそれらの流れを受けた同質の物語なのがよく分かる。母が死の床で娘に言い聞かせるシーン、娘が継母に苛められて母の墓で泣くシーン。ただ、この話の場合、姫の不幸は母親に鉢を被せられたせいなんじゃないかと思うのだが……。しかしあれだけの宝物が入っていて、よく首が折れなかったね鉢かづき。

 あと、自殺しようとすると鉢が水に浮いて死ねないシーン。……ギャグ?

 もっとも、次に紹介する「木造りのマリーア」を見ると、どうも《水に浮かんで流れていく》ことが重要だったらしく思われる。世界中の説話に見られる「箱船(うつぼ船)に入れられて海に流される娘」のモチーフの変形ではないだろうか。

 

 この物語は民話としても語り伝えられているが、分布はやや狭い模様。埼玉県川越市のものなど、『御伽草子』のものと細部まで同じものもあるが、他の類話はそれぞれ少しずつ異なるバリエーションになっている。

 徳島県の話では、継母に家を出され大きな家の風呂焚きになった《鉢かぶり》が、夜遅く三味線を弾いて歌っていたのを、その家の若様が壁の破れ目から見て惚れ込み、恋煩いで床に就く。医者の勧めで村中の若い娘にお茶をくませて運ばせるが、誰の茶も飲まない。そこで鉢かぶりに運ばせると飲んでしまう。娘たちは「あの鉢かぶりが大家の嫁だとは」と指さして笑う。鉢かぶりは勧められて風呂に入るが、みじめさと不安のあまり泣く。すると鉢が落ち、中に絹の立派な衣装が入っていて、それを着て立派な嫁になった、という。「姥皮」の要素が強い。

 兵庫県の話では、鉢つき娘が炭焼きの父の家を継母に追われ、小間使いとして雇われた長者の家の息子と恋仲になるが、長者がそれを許さない。「鉢植えの梅に鶯を止まらせたまま運んでくること」という嫁選びのテストが行われ、頭から取れた鉢から出た衣装をまとった鉢つき娘だけが成功し、嫁になる。後、長者の家に、落ちぶれて乞食となった父・継母・妹が知らずにやってくる。父は盲目になっていて娘に気づかない。鉢つき娘は父を屋敷に雇い入れて使用人として養う、という、[炭焼長者・再婚型]に近い形になっている。

 一方、熊本県のものでは、長者の三人の息子がそれぞれ嫁取りするが、兄二人は長者の娘をもらったのに、末息子は道で会った頭に皿をかぶった娘を妻にする。兄嫁たちはこの娘を《皿かぶり》と呼んで軽蔑する。母親が嫁比べのテストとて三人の嫁に刺繍をさせると、兄嫁二人は見事な刺繍をするが、皿かぶりは出来なくて泣いている。やっと仕上げて持っていくと、母親はこれを一等にする。怒った兄嫁たちは衣装比べをもちかけるが、皿かぶりは一枚も衣装をもたない。兄嫁たちが嫌がる皿かぶりを追い回して皿を取ると、中から金襴・緞子・綾錦が出た、という。(『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-) これは、ロシアの「蛙の王女」などにある嫁比べモチーフを思い起こさせる。

 

 以下、宝物を隠した大きな容器を頭にかぶり、そのために醜い姿になるシンデレラ譚。

頭でっかちのトゥシ  アフリカ ズールー族

 アムントゥという酋長の治める、ズールー族の大きな村があった。

 アムントゥの美しい娘トゥシは年頃になり、結婚を許される大人になるための通過儀礼として、家の中に作られたウムゴンクォ小屋に籠もった。アムントゥは娘の成人祝いに牛を贈ろうと考え、家来たちに牛の入手を命じた。

 家来たちは遠く旅し、谷間に沢山の牛を見つけて喜んで追い立て始めた。ところが、その牛は怪物マプンドゥのものだったのだ。マプンドゥは背中に川も森も山も谷も収まるほど巨大で、南の尾の先は冬なのに北の鼻先は秋の初めというぐらいに体が長かった。マプンドゥは牛が追い立てられるのを見て「やめろ、それは俺のものだ!」と叫んだが、あまりに大きすぎるマプンドゥの姿は山々にしか見えず、家来たちは正体の分からない声を振り切って、牛を追って逃げてしまった。

 トゥシが小屋から出る成人の日、着飾って現れた彼女の前に雷鳴を轟かせてマプンドゥが現れた。怪物は奪われた牛の代わりに娘を要求しに現れたのだった。脅されて、トゥシは震えながら身の回りのものだけ持つと、怪物に背負われてどこかに連れて行かれた。父の酋長はすぐに兵を送ったが、槍を投げても怪物の背に生えた木に引っかかるだけで歯が立たず、兵たちは諦めて帰ってしまった。

 マプンドゥはトゥシを遥か彼方の国へ連れて行った。そして太陽の下で輝いている岩の前に彼女を下ろすと、ここで暮らすように言って立ち去った。輝く岩には洞穴があり、洞穴の前にはトウモロコシ畑が広がっていた。

 トウモロコシ畑に、片目片手一本足の《半分人間ルングレベ》が跳ねながらやって来た。トゥシが洞穴の中から両手を出すと怯えて逃げ去ったが、翌日に仲間を引き連れて戻ってきた。観念して洞穴の外に出たトゥシを見て、ルングレベたちは「見ろ、二倍人間だ」と嘲笑った。そしてトゥシを自分たちの村に連れ帰った。マプンドゥには代わりに牛を贈った。

 ルングレベの長はトゥシに家を与えて養女のように扱った。しかしあまりに大切にされ過ぎてトゥシが丸々太ってしまい、歩くこともできなくなると、ルングレベたちは「こんな役立たずは食べてしまい、残ったところからは脂を絞ろう」と相談した。大きな穴を掘って火を焚き、その上に大鍋を掛けて湯を沸かした。鍋に投げ入れられそうになって、トゥシは天を仰いで歌った。

 天よ、私の願いを聞いてください!
 ルングレベの炎から私を救ってください!

 すると嵐になって火が消え、鍋は砕け散った。大勢のルングレベが死に、僅かに生き残った者たちはトゥシを憎み恐れて、僅かな食べ物しか与えなくなった。けれども、おかげでトゥシは元の通りに痩せた。動けるようになると、持ち物を全て籠に入れて頭の上に乗せ、家に帰るために旅立った。

 

 何日も歩いて、トゥシは自分の村に帰って来た。父のアムントゥ酋長は悲しみの印に髪を長く伸ばしていたが、娘の顔を見ると髪を切って新しい髪飾りをつけた。トゥシの帰還を知ると、他の村の酋長たちが我も我もと結婚を申し込んできたが、父の酋長は「恐ろしい怪物たちのもとからようやく帰ってきた我が子を、もはや手放すつもりはない」と言って断った。

 いくら申し込んでも手に入らない美しい王女の噂は、遠い国の酋長の耳にも入った。彼は年老いた賢い大臣に、その王女を手に入れてくるように命じた。

 大臣は美しい蛙に変身してアムントゥの村に行った。村人たちはこの蛙を見て讃嘆し、トゥシはこれを捕らえて自宅に連れ帰った。すると蛙が正体を現して言った。

「私は遠い国の酋長に命じられて、あなたを花嫁に迎えるために来ました。さあ、荷物をまとめて私に付いていらっしゃい」

 トゥシは荷物を入れた籠を頭に乗せて付いて行ったが、彼女があまりに美しかったので、途中で大臣は悪心を起こした。

「お前のような美しい娘を、どうして他の男のところへ連れて行かねばならないのだ。別の土地へ連れて行って私の妻にしよう」

 トゥシはこの老人の妻になりたくなかったので、その場で願いを唱えた。

 頭よ頭、口を開けておくれ

 するとトゥシの頭が口を開いた。トゥシは持ち物を籠ごとその中に押し込んだ。頭は閉じたが、とんでもなく大きく膨らんでいた。それを見ると、大臣は自分の妻にしようとは言わなくなった。

 長い旅を終えて遠い国に着いた。みっともなく膨らんだ頭の娘を見て村人たちは驚き呆れたが、酋長の妹は、
「兄さん、結婚しないとしても、この人をここに置いてあげなさいな」と取りなしてくれた。トゥシはこの村に住み、村人たちは彼女を《大頭ウカンダクル》と呼んだ。

 ある日のこと、トゥシは酋長の妹と一緒に水浴びに行った。酋長の妹が尋ねた。

「どうして頭がそんなに大きいの?」
「大切なものがみんな入っているからよ」

 トゥシは答えて、天を仰いで唱えた。

 頭よ頭、口を開けておくれ

 頭がカパリと口を開いた。トゥシが頭を傾けると、中に入っていたものが籠ごと転がり落ちた。頭が口を閉じると、トゥシは元通りの美しい娘になった。

 酋長は美しいトゥシを見て喜び、すぐに彼女を花嫁にすることに決めた。トゥシの父親には結納品の牛が贈られた。二人は結婚して、長くその地を治めたという。


参考文献
『南アフリカの民話』 アーダマ編・再話/掛川恭子訳 偕成社 1982.

※巨大な怪物マプンドゥは、世界そのものなのだろう。谷間の牛が彼の持ち物であることといい、冥王的な性質が見て取れる。

 意に沿わない結婚を強いられて逃げる娘、或いはその持ち物を呑み込むのは、多くの類話においては《大地》である。ところが、この話では娘自身の頭が開いて呑む。「食わず女房」のようだ。

 この話を読むと、鉢かづきのイメージの原型には、「女性が籠や瓶を頭に乗せて運ぶ」南方の風俗の影響もあるのではないかと思えてくる。

 半分人間、または半分鶏は、世界中の伝承に現れてくる。やはり世界中で語られる片目一本足の神霊の姿と、何か関わりはあるだろうか。人食い鬼が捕らえた人間をご馳走攻めにして太らせて食べようとするのは「ヘンゼルとグレーテル」でお馴染みだし、脂を絞ろうとするのは「脂取り」と共通している。



参考--> 「ハンチ物語」「運命の結婚」「淑娘と陸青」「両手を失った莫里根治



木造りのマリーア  イタリア ローマ

 昔々、あるところに王さまと女王さまがいて、その間に生まれた娘は、それはそれは美しかった。マリーアという名のこの娘が十五歳になったとき、母親が病の床に伏して、臨終を迎えた。夫はその枕元で、涙ながらに「二度と結婚はしないだろう」と語った。すると妻が言った。「いいえ、あなたはまだお若いですし、育てるべき娘がいるのです。私の指輪を形見に遺しましょう。これがちょうど指にはまる人がいたなら、それこそがあなたが妻に迎えるべき女性ひとなのです」と。

 喪が明けると王さまは新しい妻を探した。沢山の女たちが例の指輪を試したが、ある者には緩く、ある者にはきつかった。「つまり、運命に適っていないのだ」と王さまが言った。「今はひとまずくことにしよう」と。そして指輪は大切にしまっておいた。

 ある日のこと、娘が家事に忙しく立ち働いていた時、たんすの引き出しの中にその指輪を見つけた。はめてみると、二度と指から抜けなかった。それで黒い布を巻きつけておいたが、数日経ってもそのままなので、とうとう父王が指の具合がおかしいなら見せなさいと言い張り、指輪がちょうどはまっているのが分かってしまった。

「ああ、娘や。ではお前が私の妻にならなければならないのだ!」

 この恐ろしい宣言を聞いて、マリーアは部屋から逃げ出して身を隠し、乳母に相談した。乳母は言った。

「まだ言い張るようでしたら、承知したとお答えなさい。ただし、牧場まきば草原くさはらの色の地に世界中のあらゆる花をあしらった結納の服が欲しいと言うのです。そのような服は地上に存在しませんから、お父上の意に従わずに済む恰好な口実になるでしょう」

 王さまはこの返事を聞くと、ただちに忠実な家来を召し出してお金をどっさり渡し、丈夫な馬を与えて広い世界へと送り出した。六ヶ月間探し回っても目的の服が見つかる手立てすらなかったが、最後にユダヤ人が沢山住む街に入って布地を扱う商人に「そのような布地をお持ちではないか」と問うたところ、「持っているかですって? それよりもっと美しい布地だって持っていますよ」と商人は答えた。

 こうして王さまは娘のために結納の服を作ることができた。マリーアは涙をいっぱいに溜めて乳母のもとへ駆けつけた。「心配しなくてもよいのですよ、お嬢さま」と乳母が言った。「婚約発表のためにもう一着別の服を作っていただきたい、と言いなさい。海原の色の地にありとあらゆる魚が金で刺繍してあるものを」

 数ヶ月後に、遠いユダヤ人の町まで行って、家来はその布地も探し出してきた。それで乳母はマリーアに、今までのものよりも更に美しい服を、結婚式の日のために作っていただくように、と勧めた。それは大空の地に太陽や惑星やあらゆる星座が縫いとられているという衣裳だった。家来は三度目の旅に出かけて、六ヶ月後に衣装の準備は整った。

「今は一刻の猶予もならない。八日後に結婚することにしよう」と、王さまが言った。

 式の日取りが決まった。しかしその間に、乳母は娘のために、頭から足まで覆う木の服をこしらえてやった。それを着れば海の上にでも浮かぶことができた。

 結婚式の日、マリーアは沐浴がしたいと父王に言った。そして二羽の鳩の足を紐でつなぎ、一羽は浴槽に入れ、もう一羽は外に出しておいた。互いに引っ張り合って、浴槽の中の鳩は水をパシャパシャ跳ね上げ続け、まるで人が身体を洗っている時のような音を立てた。その間にマリーアは木の服を着こみ、木のスカートの下に牧場の色と海原の色と大空の色の三着の衣装を隠して、逃げだした。父王は別室でいつまでも鳩の立てる水音を聞いていたため、気付かなかった。

 

 マリーアは海辺へ出ると、浮かぶ服を着て海原の上を歩き出した。波の上を歩きに歩いていくと、ある王さまの息子が漁師たちと釣りをしている場所に差し掛かった。海の上を歩いてくる木造りの女を見て、王さまの息子は言った。

「見たこともない変な魚だ。捕まえて正体を暴いてやろう」

 漁師たちに網を打たせて、岸に引き上げた。

「お前は一体何者だ。どこから来たのだ」

 マリーアは答えた。

  私は木造りのマリーア。

  才智に長け、技に長け、

  至る所で旅暮らし。

「一体、何ができるのだ?」

「何でもできるし、何もできない」

 そこで王さまの息子はマリーアを宮殿に連れて帰り、鵞鳥番にした。宮殿には、水の上さえ歩いて鵞鳥の群れを追う木造りの女がいる。そんな噂が広まり、方々の国から見物客が押し掛けた。

 けれど日曜日だけは見物客にも見られずに済んだので、木造りのマリーアは水に浮く服を脱ぎ、露にした肩に漆黒の美しい編み毛をほどいて、木の上に登った。そして枝の間で髪の毛を梳いていると、鵞鳥の群れが木の周りに集まってきて声を和して唄うのだった。

  パ・パパラパ、

  ここに御座る麗しい女性ひとは、

  月のよう、太陽のよう。

  王の娘か、皇帝の娘か。

 

 毎日、夕暮れになると木造りのマリーアは卵の籠を抱えて宮殿に帰って来た。そんなある晩方のこと、王さまの息子が舞踏会へ行く支度をしているのを見て、マリーアはからかい半分に言った。

「何処へ行くの、王子さま」

「お前なんかに言う必要はない」

「私を踊りへ連れて行ってくださらない?」

「お前なんかには長靴をぶつけてやる!」

 そして本当に長靴を投げつけた。マリーアは鵞鳥小屋へ戻って、牧場の色の服を取り出した。それを着て舞踏会へ出かけて行った。

 会場では、この見知らぬ貴婦人が群を抜いて美しく、衣装も際立っていた。王さまの息子は踊りに誘って、どちらからおいでになられたのか、お名前は何と仰るのかと彼女に尋ねた。マリーアは言った。

「私は《長靴投げ国》の伯爵夫人です」

 王さまの息子は信じなかった。そんなおかしな名前の国など聞いたこともなかったからだ。それにしても彼は恋の囚になってしまい、彼女に金のヘアピンを贈った。マリーアはそれを編み毛に差してから、おかしそうに笑って逃げてしまった。王さまの息子は家来たちに後を追わせたが、彼女が一握りの金貨を投げたので、家来たちは金貨に群がり、しまいに喧嘩を始めてしまった。

 次の晩、王さまの息子は期待と不安を半ばさせながら会場へ行く支度をしていた。そこへ木造りのマリーアが卵の籠を抱えて帰って来た。

「王子さま、今夜も舞踏会ですか?」

「うるさいな、考え事をしていたのに!」

「私を連れて行ってはくださらないの?」

 苛立った王さまの息子は、暖炉の火掻き棒を取ってマリーアを一打ちした。

 木造りのマリーアは鵞鳥小屋へ行って、海原の服に着替えた。会場へ行くと、王さまの息子は彼女と踊れたので嬉しくてたまらなかった。

「教えてください。あなたは何者か、今度こそ」

「私は《火掻き棒打ち国》の侯爵夫人です」と、マリーアは言った。そしてそれ以外には彼女の口から何も聞き出せなかった。

 王さまの息子は彼女にダイヤモンドを散りばめた指輪を贈った。マリーアは前の晩と同じように逃げ出して、背後に一握りの金貨をばらまき、追う家来たちの手を逃れてしまった。王さまの息子は、ますます彼女への想いに囚われた。

 次の晩は、王さまの息子はもう、木造りのマリーアの声など聞きたくもなかった。だから舞踏会へ連れて行ってくださいなと言い出した途端に、彼女の背を手綱で打った。ちょうどその時、馬に鞍を着けていたからだ。

 会場へ行くと、太陽や星を刺繍した大空の色の衣装を着て、今夜はまた一段と美しい例の貴婦人が現れた。そして「私は《手綱打ち国》の王女ですわ」と言った。王さまの息子は、自分の肖像をはめ込んだメダルを彼女に贈った。その夜もまた、家来たちは彼女の行方を追うことができなかった。彼女の行方は杳として知れなかった。

 

 王さまの息子は床についた。医者は原因不明だと首をかしげたが、さもあろう、恋の病だったのだ。ともあれ、病人はスプーン一杯のスープすらも口に運ぼうとせず、やつれ果てた。

 ある日のこと、何か食べさせようと付き添っていた母親に向かって、王さまの息子は言った。

「そうだ、ピッツァが食べたい。ママ、ピッツァを一つ作って」

 女王さまが台所へ行くと、木造りのマリーアがいた。

「お任せください、女王さま。お手伝いいたしますわ」

 そう言って、粉を捏ね、窯に入れて、ピッツァを焼き上げた。

 そのピッツァを食べるととても美味しかったので、王さまの息子は母親の腕前をしきりに褒めた。その時、歯に硬いものが当たった。取り出してみるとヘアピンだった。紛れもない。あの美しい貴婦人に贈ったものだ。

「ママ、このピッツァを誰がこしらえたの?」

「私ですよ。何故?」

「違う。誰がこしらえたの? 本当のことを言ってください」

 それで女王さまは、木造りのマリーアが作ってくれたということを言わないわけにはいかなかった。息子は、すぐにもう一つこしらえさせてくれと頼んだ。

 木造りのマリーアの、二枚目のピッツァが焼き上がった。王さまの息子は、その中からダイヤモンドの指輪を見つけ出した。

(木造りのマリーアが、あの美しい人のことを知っているに違いない)

 若者はそう思いながら、三枚目のピッツァを作らせるようにと命じた。そして、その中に自分の肖像をはめ込んだメダルを見つけた時には、もう病気が治ったようにベッドから跳ね起き、鵞鳥小屋に向かって走っていた。

 小屋近くに立つ木の周りには鵞鳥の群れが集い、声を和して唄っていた。

  パ・パパラパ、

  ここに御座る麗しい女性ひとは、

  月のよう、太陽のよう。

  王の娘か、皇帝の娘か。

 目を上げると、枝の間に美しい人が座っていて、漆黒の編み毛を梳いていた。彼女こそが木の皮を脱いだ本当のマリーアなのだ。

 彼女は自分の身の上を物語った。そしてその話を語り終える前にはもう、二人の心は幸福に結ばれていた。



参考文献
『イタリア民話集』 イータロ・カルヴィーノ著、河島英昭編訳 岩波文庫 1985.

※水に沈まない木の服はハリボテのロボットのように思えて愉快だが、要は「ム・ジュク」や「柘枝伝説」に見られるような娘が流木の中に入って流れてくるというイメージと、皮をかぶる火焚き娘との混淆なのだろう。鉢かづき姫が川に入水しても鉢の部分が浮いて沈まず流れていくというのも、恐らく根は同じなのではないか。水を流れた後で貴人に救われ、お前は何ができるのかと問われて、教養はあるが実務経験はない(何でもできるが何もできない)ことを告げると屋敷の下働きとして保護される展開も、この話と「鉢かづき姫」とで共通している。

 海に浮いているマリーアを王子が漁師の網で引き揚げるくだりは、ギリシア神話で、父王に箱船に詰められて海に流された王女ダナエーをセリーポス島の王弟たる漁師が引き揚げるエピソードや、高句麗神話で父王に追放され異形となった河の娘・柳花を金蛙王が漁師に網で捕獲させるエピソードと近いように思われる。娘を水から引き揚げた男が彼女の夫となる。

 マリーアは父王のもとから逃げだす際、鳩に音を立てさせて身代わりにしている。合理的な脚色がなされているが、これは[呪的逃走]の一種である。舞踏会から逃げ帰る際に追手に金貨を投げつけるのも同様で、「灰まみれのメス猫」や「灰娘」と共通している。<シンデレラの呪的逃走>参照。



参考--> 「木のつづれのカーリ」「小指の童女




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