昔、あるところに王様がおりました。王様にはハッサンという名の王子が一人おりましたが、王子を産むとすぐにお妃は死んでしまいました。
王子が生まれたちょうどその日に、宮殿の馬小屋で子馬が生まれました。王子と子馬は一緒に大きくなり、大の仲良しでした。
この子馬には不思議な力があり、人間と同じように話すことができました。ただし、話すのはハッサン王子の前でだけで、他の人々には秘密でした。
馬は毎日ハッサンを乗せて学校へいき、他の子供達と一緒に遊びました。夜、宮殿に帰って寝るまで、ハッサンと馬は一緒でした。
さて、ハッサンは立派な若者に成長し、スポーツも武芸も学問も誰よりも優れ、みなに《賢いハッサン》と呼ばれていました。その頃には王様も若い姫と再婚していましたが、この継母は自分の子を産んでから、ハッサンが憎くてたまらなくなりました。ハッサンが優れた若者であればあるほど胸のうちは煮えたぎるのです。お妃は長い間その思いを自分だけの胸にしまっていましたが、ついに耐えきれなくなって乳母に告白しました。乳母は言いました。
「針に毒を塗って、ハッサンの部屋の敷居にさしておきなさい。ハッサンが針を踏んだら、その日のうちに死んでしまいますよ」
ところが、窓の下でこの話を もの言う馬が聞いていました。馬は走っていってハッサンにこのことを伝えました。おかげでハッサンは敷居を飛び越えて無事でしたが、何も知らないハッサンの弟――お妃の息子が後について入ってきて針を踏み、その日のうちに死んでしまいました。
お妃は嘆き悲しみました。乳母に、もの言う馬が告げ口したに違いないと言われ、今度はもの言う馬を憎むようになりました。乳母はするべきことを教えました。
乳母に言われた通り、お妃はサフランを入れた黄色い水を塗って顔色を悪く見せ、ベッドに横たわって何も食べなくなりました。一方、乳母は宮廷付きの医師を買収して、「お妃様を治すには、飼い主と同じ日に生まれた馬の心臓を食べるよりありません」と言わせたのです。
「なんだ、そんなことか!」
王様は叫んで、にっこりと笑いました。
「アラーの神のお恵みだ。宮殿の馬小屋に、その薬がいるではないか。明日の朝、さっそくハッサンの馬を殺し、心臓をお妃に食べさせよう」
その時、ちょうどもの言う馬が窓の下を通りかかり、話を聞いてしまいました。馬は馬小屋に戻り、えさも食べないで悲しんでいました。
夜になるとハッサン王子が馬の様子を見にやってきました。馬は赤ん坊のような声で泣いていました。
「どうして泣いているんだ? 誰かがお前をぶったのか」
馬は窓の下で聞いたことをすっかり話しました。
「ここにいては二人とも命はありません。今夜のうちに出て行きましょう。さあ、乗ってください。出来る限り早足で駆けて、一時も早く宮殿を離れるのです」
賢いハッサンは、もの言う馬をそっと馬小屋から連れだし、宮殿の裏の森に通じる秘密の抜け穴を通って外に出ました。ハッサンは父の宮殿を振り返って、名残惜しそうに眺めてから、もの言う馬に飛び乗り全速力で駆けました。
しばらく走るうちに人家もなくなり、父の国を出ることが出来ました。
夜も昼も、昼も夜も、ハッサンは荒野や山を走りつづけました。木の実を食べ、泉でのどを潤して進むうちに、山のふもとの大きな洞穴に着きました。
日は、とっぷりと暮れていました。穴の奥に火が燃えているのを見て、ハッサンはむしょうに人恋しくなりました。危険ですよともの言う馬が止めるのも聞かず、ハッサンは剣のつかに手をかけつつ、奥へ進んで行きました。
火の側には、床まで届く白いあごひげを伸ばした、ひどく年取った老人があぐらをかいていました。
「どうか、あなたに神の恵みがありますように」
ハッサンは声をかけました。
「お前さんにもな。――もしお前さんが挨拶しなかったら、お前さんの肉を食らい、骨を噛み砕くところじゃった。さあ、賢いハッサン、こっちへきて火に当たるがいい。わしはもう何日もお前が来るのを待っておったのじゃ」
老人はハッサンにヤギの乳とチーズ、馬にわらを与え、ハッサンが食べてから火の側に座ると、重々しく告げました。
「わしは明日の夜明けに死ぬ。わしの死体を洗い清めて、祈りをあげてからこの洞窟に埋めてくれ。わしの財産はすべてお前にやる」
そしてハッサンに七つの鍵を渡し、
「この洞穴には七つの部屋がある。六つの部屋は自由に開けていいが、一番右の七つ目の部屋は決して開けてはならん。それから、洞穴にいるヤギと羊たちの世話を頼んだぞ。北と南と西の野には連れていっていいが、東の野には行かないよう気をつけるのじゃ」
と言いました。
あくる朝早くにハッサンが目を覚ますと、老人は本当に死んでいました。揺すると、魂の抜けた体は丸太のように堅くなっていました。ハッサンは祈りをあげながら老人を洞窟の真ん中に葬りました。
その日はヤギと羊を牧して過しましたが、あくる日になると老人のくれた鍵を使ってみたくなりました。
一番目の部屋には杉の箱が幾つかあり、中にはダイヤモンド、真珠、サファイヤ、オニキス、アメジスト、トルコ石、その他 王子のハッサンでも驚くほど沢山の宝石がぎっしり詰まっていました。
二番目の部屋には、様々な武器が壁にぎっしりかかっていました。
三番目の部屋には見事な鎧が、四番目の部屋には目もくらむほどきらびやかな服が沢山入っていました。エメラルドやルビーをちりばめた服の足元には、やわらかなモロッコ皮の長靴や上等のモスリンのターバンが転がっていました。
五番目の部屋には、金や銀で縁取られた鞍やあぶみなど、素晴らしい馬具が沢山入っていました。
六番目の部屋を開けると、地中海から運ばれた砂金と銀が流れ出してきました。ハッサンが片手ずつ金と銀を触って頭の両側を撫でると、彼の髪は輝くような金と銀に染め分けられました。
最後に七番目の部屋の前まで来て、ハッサンは考えこみました。開けようか閉めておこうか。しかし、たった今これだけ素晴らしい財産をもらったのです。これ以上宝はいりません。ハッサンは開けるのをやめました。
それから、ハッサンは毎日ヤギと羊を牧して暮らしましたが、あの七番目の部屋のことはいつも心にかかっていました。
そんなある日、部屋のことを考えながら進んでいると、いつのまにか知らない草原に来てしまいました。見渡す限り牧草と胡麻とクローバーに覆われた、緑豊かな地でした。どうして今まで気付かなかったのかと不思議に思いながら進んで行き、真ん中に立っていたカシの木の下で休んでいました。
「王子様、目を覚まして木に登ってください。ああ、もう手遅れだ!」
ハッサンは声を限りに叫ぶもの言う馬の声で目を覚ましました。辺りには嵐のような音が響き、ヤギが散り散りに逃げて行きます。わけがわからないまま、ハッサンは木の上に登りました。
遥か彼方から黒い雲のようなものが近づいたかと思うと、恐ろしい
その間に、馬は洞穴に逃げて隠れていました。ハッサンはやっと、老人に行ってはいけないと戒められていた東の野に来ていたのだと気付きました。
グールは羊を食べながらふと首を上げ、くんくんと辺りの空気をかぎ始めました。ハッサンの匂いをかぎつけたのです。辺りを歩き回り、とうとうハッサンの隠れた木の根元までやってきました。
「フン、フン、人くさいぞ。やあ、さっさと下りて来い。食ってやるぞ!」
「私を食いたいなら、お前が登って来い!」
ところがグールは木に登ることが出来ませんでした。そこで石を積んで登ろうとしましたが、ハッサンは待っていたとばかりにグールの髪をつかんで木の枝に縛り付け、積んであった石を蹴って崩しました。そして宙ぶらりんになったグールを剣で上から下まで切り裂きました。
こうして、ようやく洞穴まで戻ってみると、もの言う馬が今か今かと主人の帰りを待っていました。馬はハッサンの無事な姿を見て大喜びしました。
でも、ハッサンの方はまだあの七番目の部屋のことが気にかかって、夜も眠れませんでした。あくる朝、ハッサンは飛び起きると、とうとう七番目の部屋を開けてしまいました。
不思議な部屋でした。部屋の中に、大きな黒い馬が重い鎖に繋がれていました。馬の目は火のようにらんらんと燃えていました。馬の前には まぐさ桶と水を入れた石のたらいがあり、馬がいくら食べてもまぐさも水も減りませんでした。
黒い馬は、驚いているハッサンに語りかけました。
「鎖をほどいてくれ。きっとお礼はするから」
ハッサンは気の毒に思って、鎖をといてやりました。すると、馬はたちまち、天まで届くような大男になったのです。
「賢いハッサン、さあ、どんな死に方をしたいか選ぶがいい。もう時間はないぞ」
大男はものすごい目でハッサンをにらみつけました。ハッサンは恐ろしさで真っ青になりましたが、やっとのことで口を開きました。
「恩知らずな奴め。私が何をしてやったか、忘れたのか。これがお前が自分の口で言ったお礼というやつなのか」
「そんなことを言っても何の役にも立たんぞ。お前はあの王の息子ではないか。奴は、魔法使いに馬にされたわしの妻を盗んだのだ」
もの言う馬は、部屋の入口で中の様子をうかがっていましたが、大男の言葉を聞いて、この大男こそ自分の父だと気付きました。もの言う馬は泣きながら部屋にかけこみました。
「お父さん、お願いですからハッサン王子を殺さないで下さい! ハッサンは私の命を助けてくれたのですよ。一番大切な友達です。今までずっとずっと、兄弟よりも仲良くしてきたのです」
今度は大男が驚きました。そして話を聞くうちに、もの言う馬が本当に自分の息子だとわかって、怒りが消えました。大男は息子に会えたことをたいそう喜んで、ハッサンにお礼を言いました。
どんなお礼でもすると大男は言いましたが、ハッサンは断り、運試しのために旅に出たいと言いました。もちろん、もの言う馬と一緒に。大男はしぶしぶ頷き、ハッサンに髪の毛を五、六本渡しました。
「この髪の毛を一本燃やせば、たとえ地の果てにいようとも、すぐさまお前の元へかけつけよう」
ハッサンともの言う馬に別れを告げて、大男は姿を消しました。
馬に乗って旅するうちに、ハッサンは大きな都の側までやってきました。遥か彼方に、金色に輝く丸い屋根や空を突くような塔が見えています。
ハッサンと馬はしばらく相談し、もの言う馬は残って、ハッサンだけが都に入ることにしました。ハッサンがもの言う馬に会いたくなったら、都を取り巻く壁の外に出て口笛を吹いて合図をする。すると馬はすぐに駆けつけよう、と約束したのです。
ハッサンは都へ通じる道を歩いて行きましたが、やがてみすぼらしい羊飼いに会いました。ハッサンは挨拶をし、服を取り替えてくれないかと頼みました。立派な服を着た若者にそう言われて、羊飼いは驚き呆れましたが、黙って服を取り替えてやりました。
羊飼いの服を着て歩いて行くうち、泉に着きました。泉の側には羊の死骸が転がっていました。ハッサンは羊の内臓を抜いて綺麗に洗うと、皮で帽子を作り、頭にきっちりと被りました。はげ頭のかつらを被ったみたいにです。それから、泉の水に姿を映して、さもおかしそうに笑いました。これなら、どう見てもはげた乞食にしか見えないでしょう。
都に着いた頃にはもう夕暮れになっていました。ハッサンは王の宮殿に行くと、庭師の小屋の戸を叩きました。
「ご立派な親方様にお願いします、腕の立つ職人を使ってみてはくださいませんか。給料はいりません。食べるものと寝る場所があれば結構ですから」
庭師は、この奇妙な頭の乞食をじろりと眺めました。
「小僧、名は何と言うのかね」
「はげ頭。そう呼んでくださいまし」
「はっはっは! おかしな名前だな。でも、お前にあつらえたみたいにぴったりじゃないか」
こうして、ハッサンは庭師として働くことになりました。よく働いたので、親方に喜ばれました。
さて、王様には三人の美しい姫がいました。ズバイダ、ズルファ、ザイナブといいましたが、一番美しいのは、なんといっても末のザイナブ姫でした。
ある金曜日のこと、親方がイスラム寺院にお祈りに行っている留守、ハッサンは一人で庭仕事をしていました。ふと御殿の方を眺めると、ザイナブ姫がお風呂から上がって、窓辺で涼んでいるところでした。洗いたての髪はカラスの羽のように黒く、大理石のように白い肩にかかっています。彼女を一目見るなり、ハッサンの胸が弾みました。ハッサンは姫が好きでたまらなくなってしまったのです。
それから一週間、ハッサンは姫の心を手に入れる計画を練っていました。再び金曜日が来て親方が出かけてしまうと、ハッサンはすぐに都の壁の外に出てもの言う馬を呼び寄せ、髪の毛を燃やして大男を呼び出しました。
「賢いハッサンよ、用は何だ!」
「よく来てくれた。早速だが、あの洞穴から王子に相応しい真っ赤な鎧と、鉄さえ突き通す柳のようにしなやかな剣を持ってきてくれないか」
大男はお辞儀をしてさっといなくなったかと思うと、まもなく、ハッサンの頼んだものを持って現れました。
ハッサンはすぐに着替えて、もの言う馬にまたがって、金と銀の髪をなびかせながら、宮殿のたわわに実った果樹の下を駆け回りました。ザイナブ姫は、この一部始終を見ていました。
やがて親方が帰ってきて、荒れ果てた庭の様子を見てこぶしを振り上げて怒りました。ハッサンはとうに衣装を大男に返して《はげ頭》に戻っていましたが、怒った親方から逃げ回りながら、
「ああ、親方様、お許し下さい。お留守の間に騎士が千人もおいらを襲ってきたんです。おいらはそれ、その木に登って、やっと奴らを追い払ってやったのでございます」
と重いカシの棒を指差したので、流石に親方も笑いだし、許してやって、二人で力を合わせて庭を元通りに直したのでした。
また金曜日になり、親方は「今度はしっかり番をするんだぞ」と言い置いて出かけていきました。けれど、ハッサンは再び馬と大男を呼び出して、鎧を着て庭に入りました。今度は駆けまわるだけではなく、剣であちこちの枝を切り落としました。
ザイナブ姫はこの様子を見ていましたが、指輪にハンカチを結んで、ハッサンに投げました。ハッサンがすばやく受け取ると、姫はにっこりと微笑みました。ハッサンはハンカチに口付けしてうやうやしくお辞儀をしました。姫は恥ずかしがって奥に入ってしまいました。
さあ、とうとう可愛い姫が愛に応えてくれたのです。一時間ほどして帰ってきた親方は、庭の無残な有様を見てハッサンをすごい勢いで殴りつけましたが、ハッサンは嬉しさのあまり痛みを感じないほどでした。そして、姫ともっと親しくなって結婚するにはどうすればいいかと、そればかり考えていました。
ところが、ハッサンが思ってもみなかったことが起こりました。この国の王様は三人の娘を同時に結婚させるという誓いを立てていました。しかし、それは難しいことです。王様は娘達が結婚できないまま年を取るのではないかと心配し、国中の若者を集めて、娘達の前を歩かせることにしたのです。姫が自分で結婚したい若者を選び、それにリンゴを投げさせようと。
その日になり、宮殿の前には大きなやぐらが建てられ、三人の姫を中心に、王夫婦と貴族たちが座りました。王様の使いがあらゆる町を回り、金持ちも貧しい者も身分の高い者も低い者も、みんな宮殿へ来るようにと呼んで歩きました。
もちろん、国中の若者はみな、この願ってもない機会を喜んで宮殿へ急ぎました。立派に飾って馬に乗った者、歩いて来る者、王様の親戚筋の王子も、宮殿に仕える貴族の息子もいました。戦装束に身を包んだ勇ましい騎士も、身分は卑しいが正直な若者もいました。王子も貧しい者も、騎士も職人も、せいいっぱい身を飾って、約束の時間にやぐらの前に列を作って歩きました。
一番年上のズバイダ姫は、総理大臣の息子にリンゴを投げました。二番目のズルファ姫は、裁判長の息子を選びました。ところが、末のザイナブ姫はいっこうにリンゴを投げません。王様やお妃様があの若者はどうか、この若者は……と勧めても、耳を貸しませんでした。
とうとう、王様はかんしゃくを起こして言いました。
「まだここに来ていない若者はおらんのか!」
家来の一人が進み出て、庭師の手伝いをしている乞食がまだ来ていないと聞いておりますが、と答えました。
「早く連れてきて歩かせろ! もし末姫が誰も選ばないというのなら、先祖に誓ってでも、その薄汚い乞食めと結婚させてやるからな!」
直ちに宮殿に使いが走りましたが、《はげ頭》は使いを無視して、キャベツ畑の手入れをしていました。とうとう、使いが彼を無理矢理引きずり出すと、集まった人々は面白がって笑いました。《はげ頭》は引きずられながら叫びました。
「おいら、王様の娘となんか結婚したくないよう、結婚したくないよう!」
「心配するな。姫君は身分の尊い方も勇ましい騎士もお嫌だと言ってるんだ。お前なんかが選ばれるはずがないさ!」
ところが、この《はげ頭》にザイナブ姫がリンゴを投げたのです。人々は仰天しました。
都は三つの婚礼の祝いで賑わいましたが、どこへ行ってもザイナブ姫の噂でもちきりでした。何故あんなに馬鹿なことをしたのだろうと、人々はあれこれ理屈を付けて考えるのでした。
王様は末姫の選んだ婿にがっかりし、恥ずかしいと思い、どこか遠くに城を建ててやって、人々に忘れられてしまうといいと思っていました。ところが、そうする前に病気になってしまったのです。お医者は言いました。
「この病を治すには、ライオンの乳を飲ませるしかありません」
それで、三人の婿たちがライオンの乳を取りに出かけることになりました。上の二人の婿は駿馬にまたがり、人々の歓呼の声に見送られて出発しました。けれど、ハッサンは兄たちが出発した後で、あばらが浮き出たおいぼれ馬に後ろ向きにまたがって、笑われながら出発したのです。
町の外に出るとハッサンはすぐに大男を呼びつけました。
「賢いハッサンよ、用は何だ!」
「急いでライオンの国に連れていってくれ。そこに着いたら、ライオンを羊みたいに大人しく手なづけてほしいのだ」
「お安いご用だ」
大男は肩にハッサンを乗せて飛び、一時間も経たないうちにライオンの国に連れて行きました。大男が声を一言かけただけでライオンたちは怯えてうずくまり、雌の羊のようにハッサンの言うことを聞いたのです。ハッサンは柳の枝でやぐらを作ってライオンを監視し、毎日乳を絞って皮袋に溜めました。
何日か経ったある日のこと、ハッサンは兄たちがやってくるのに気がつきました。
「やあ、ご機嫌いかがですか」
二人の婿たちはこの男が《はげ頭》だとはまるで気付かず、挨拶してきました。
「お願いです、親切なお方。どこへ行けばライオンの乳が手に入るでしょうか?」
「なんと、お前さんがたも運のいいお人だ。この私がライオンの乳を商っているのだよ。ただし、金では売らんぞ。お前さんがたの太ももに、私の剣で傷を付けさせるというのなら、好きなだけ分けてやる」
二人の婿たちは顔を見合わせて相談しました。
「この男に傷をつけられたって、私たちが黙っていれば誰にもわからないじゃないか」
それで承知し、二人はももに付けられた傷と引き換えにライオンの乳を手にいれて帰っていきました。
ハッサンは二人が帰りついた頃を見計らって大男を呼び出し、都の側まで一時間で帰りました。そして再び《はげ頭》になり、老いぼれ馬に後ろ向きにまたがって都に入っていきました。人々は行きよりも尚も大きな声で彼をあざけりました。上の二人の婿たちがとうにライオンの乳を持って帰ったことを知っていたからです。王様の病気もかなり良くなっていました。
ハッサンはこれらの出来事を一人で楽しんでいましたが、妻のザイナブ姫はいい加減やきもきして、早くみんなに正体を明かしてくださいとせきたてました。
「まだまだ。その時は来てないよ」
そう言うと、ハッサンは妻をなだめるのでした。
ところが、それから殆ど経たないうちに「その時」がやってきました。隣国が戦争をしかけてきたのです。戦争の準備で国中が色めき立って人々が走りまわりましたが、《はげ頭》だけは宮殿に閉じこもって、世間の騒ぎに関心がないようにしていました。姫が頼みました。
「さあ、早く行って、ご自分の本当の力を見せてやってくださいまし」
「いやいや。まだ、その時は来てないよ」
都を囲む草原に敵の軍隊が押し寄せ、激しい戦いになりました。王様の軍隊はじりじりと後退し、今にも負けそうになりました。
ザイナブ姫は泣きながら言いました。
「いつまで待っていろとおっしゃるのですか!」
いよいよ「その時」が来たのです!
ハッサンは老いぼれ馬に後ろ向きにまたがって、人々があざける中を出発しました。人々に見えないところまで来ると、口笛を吹いてもの言う馬を呼び出し、大男の髪の毛を燃やしました。
「賢いハッサンよ、何の用だ!」
「真っ黒な鎧を一そろいと、一度に二人の敵を倒せる両刃の剣を持ってきてくれ」
大男はふかぶかとお辞儀をするとたちまち見えなくなり、ものの五分も経たないうちに、ハッサンの言った通りのものを持ってきました。
ハッサンは黒い鎧に身を固め、もの言う馬に飛び乗って戦場に駆けつけました。二人の兄婿たちに率いられた軍隊は、今や都に退却する寸前でした。
ハッサンは二人を押しとどめ、先頭に立って再び戦い始めました。ハッサンの勇ましい剣は右、左に敵をなぎ払い、たちまちのうちに根こそぎに倒されていきました。王様の軍隊が勝ったのです。
勝利の報せはすぐに都に伝わりました。どこでも、不思議な黒騎士の噂で持ちきりでした。王様は救国の英雄に会いたいと、伴を連れて都の門まで出てきました。黒騎士は馬から下りて王様の手に口付けし、王様は彼を抱きしめて喜びの涙を流しました。
「どうしたらこのお礼が出来るのだろうか。もし、わしの末娘があの役立たずのはげ頭と結婚していなかったら、すぐにそなたに嫁がせ、わしの王国を継いでもらうものを」
「わたくしが、その《はげ頭》でございます」
ハッサンはにっこりと笑いました。
「それから、あなたさまにライオンの乳を差し上げたのも、このわたくしでございます」
ハッサンは二人の兄達に目配せしました。
「もしお疑いになるのなら、そこの二人に訊いて下さい」
二人は驚いて顔を見合わせていましたが、急いで頷きました。こうしてハッサンは、王様に今までのことをみんな話しました。
都は、その日二つの祝いごとで わきかえりました。一つは戦勝祝い、もう一つはハッサンとザイナブ姫の婚礼のやり直しです。お祝いは四十日と四十夜続き、都中の人が王様のテーブルで飽きるほどご馳走を食べ、浴びるようにお酒を飲みました。
やがて王様が死ぬと、ハッサンが新しい王になりました。ハッサンはザイナブ姫といつまでも幸せに暮らしました。
もの言う馬は、宮殿の馬小屋で暮らしました。ハッサンは毎日もの言う馬を訪れ、辺りに人がいなくなると、今までの冒険の数々を語り合うのでした。
参考文献
『世界むかし話5 ものいう馬』 こだまともこ訳 ほるぷ出版 1979.
昔々、王様がいた。城の近くに大きな森を持っていて、その森の中には色々な獣が駆け回っていた。ある時、一人の猟師を使いに出して、鹿を射って来るように言いつけたが、行ったきり帰って来なかった。「ひょっとしたら、何かまちがいがあったのかもしれない」と王様は言って、次の日、別の二人の猟師に言いつけて探しに行かせたけれど、この二人も行ったきりになってしまった。
そこで、三日目には家来の猟師を残らず呼び寄せて、
「森じゅうくまなく探して、三人見つけるまでは、手を休めてはいかん」と言った。
ところが、この連中もやっぱり一人も帰って来た者がなかったばかりか、一緒につれて行った猟犬の群も、一匹も帰って来なかった。この時から誰一人この森に入ろうとする者もなく、森は物音一つきこえず、静まりかえって、時々、鷲や大鷹が森の上を飛んで行くのが見えるだけだった。
それから何年も何年も経った、ある時のこと。よその国の猟師が王様のところへ来て、勤め口を頼んで、あの危険な森へ入りましょうと申し出た。王様は渋い顔で言った。
「あの森は物騒だ。お前も他の者と同じように、二度と出てこられなくならないか」
「旦那様、私は万一を覚悟の上でやってみます。怖いものなど、何もございませぬ」
といったわけで、この猟師は犬をつれて森へ入って行った。
まもなく犬は獣の足跡を見つけて、跡をつけて行こうとした。ところが、二足三足かけて行ったかと思うと、深い沼に行きあたって、それから前へ行けなくなった。すると、水の中から裸の腕がにゅっと出て来て、犬をつかんで水の中へ引きずりこんでしまった。猟師はこれを見ると、とって返して男を三人つれて来た。その男たちは手桶で水を汲み出すようにいいつけられた。
底が見えるようになると、沼の底に、体はまるで錆びた鉄みたいに茶色で、髪の毛が顔から膝のあたりまでたれかぶさっている山男が寝転んでいた。――鉄のハンスだ。
男たちは鉄のハンスを縄でしばって、城の内へ引き立てて行った。城の人々は驚き、王様はこの男を鉄の檻に入れて中庭に置き、檻の戸を開ける者は死罪にすると固く戒め、お妃が鍵を管理することになった。これ以来、再び、誰でも安心して森へ入れるようになった。
王様には八つになる息子がいた。その子が中庭で遊んでいて、金のまりが檻の中へ落ちこんでしまった。男の子は駆けて行って言った。
「僕のまりを出せよ」
「この戸を開けてくれなくては、まりを出すわけにはいかないな」と、鉄のハンスが返事をした。
「駄目だよ。そんなことするもんか、父上がいけないっていうんだもの」
そうして駆けて行ってしまった。
あくる日になると、男の子はまたやって来て、まりを返してくれと言った。
鉄のハンスは「わしの戸を開けてくれ」と言った。けれど男の子は承知しなかった。
三日目に、王様は狩りに出かけた。で、男の子はまたやって来て、言った。
「いくら開けようと思ったって、僕には戸を開けられないよ。鍵が無いんだもの」
「鍵はお前の母親の枕の下にある。そこから持ってくればいい」
男の子は鍵を持って来た。檻の戸は開き、鉄のハンスは金のまりを男の子に渡すと、笑いながら出て行った。男の子はなんだか心配になって、大きな声で後ろから呼んだ。
「おおい、鉄のハンス、行っちゃだめだよ。行っちゃうと僕がぶたれるよぅ」
鉄のハンスは引き返してきて、男の子を抱き上げて、肩車して森へ入って行ってしまった。
王様は帰って檻が空っぽなのに気がついて、お妃に「一体どうしたのだ」と訊いた。お妃は慌てて鍵を探したけれど、みつからなかった。男の子を呼んだが、誰も返事をしなかった。王様は家来を野原の方へさがしに出したが、男の子は見つからない。それで何が起こったのかがようやくわかって、城はすっかり悲しみに沈んでしまった。
鉄のハンスは真っ暗な森へ帰りつくと、男の子を肩から降ろして言った。
「お前の父にも母にも、二度と会えないぞ。だが、わしが面倒を見てやろう。恩があるからな。お前がわしの言う通りにするならば、莫大な財産だって与えてやろう」
鉄のハンスは、男の子に苔のベッドを作ってやって、男の子はそこでぐっすり寝た。
あくる朝、鉄のハンスは男の子を泉へ連れて行った。
「見るがいい、黄金の泉は水晶のように美しく透き通っている。お前はここにいて、水に何も落ちることのないように気をつけるのだ。何かが入ると、汚れてしまうからな。これから毎晩、ちゃんとやっているかチェックするぞ」
男の子は泉の縁にすわって、池の中に時々金の魚や金の蛇が姿をみせるのを見たりして、何も落ちないように気をつけていた。そのうち、鉄のハンスが檻から出た時に戸に挟んだ指がとても痛くなったので、思わず水の中に指を突っ込んだ。急いで外へ出したけれど、見ると指がすっかり黄金になってしまっいて、いくら拭い取ろうとしても駄目だった。
夜になると、鉄のハンスが帰って来た。
「泉に変わりはないか?」
「何もありません」
男の子は指を背中へ回して見られないようにしたが、鉄のハンスは見ぬいていた。
「お前、指を水へ入れたな。今回は見逃しといてやるが、二度と何か入れないように気をつけるんだぞ」
あくる日も、男の子は泉のふちで番をしていた。指がまた痛くなったので、その指で頭をかくと、運悪く、髪の毛が一本泉へ落ち込んだ。すぐに拾い出したが、もう金色になってしまっていた。夜に鉄のハンスがやって来て、とっくに何があったか承知していた。
「お前、髪の毛を一本泉の中へ落としたな」と鉄のハンスは言った。
「もう一度だけ見逃してやるが、三度もこんなことがあると、もうわしの手許に置いておくわけにはいかないぞ」
三日目、男の子は泉の側に座って、いくら痛くても指を動かさなかった。ただ、退屈だったので、水鏡にうつる自分の顔を見つめていた。そして身をかがめて、自分の目をよく見ようと思った拍子に、男の子の長い髪の毛が肩からすべって水へ入ってしまった。すぐ立ち上がったけれど、髪の毛はすっかり金色になってしまって、太陽みたいにきらきらと光っていた。
このかわいそうな男の子がどんなに動転したか、よくお分かりだろう。
男の子はハンカチで頭を包んで、男に見られないようにした。だが、ハンスは何もかもちゃんと知っていた。
「そのハンカチを取るのだ」
すると、金の髪の毛がばらっと出て来た。男の子がいくらあやまっても、もはや無駄だった。
「お前は試練を乗り切ることが出来ない。だから、これ以上ここに置いておくわけにはいかない。世の中に出て貧しさを味わい、苦労するがいい。だが、お前に悪気があるわけでもないのは解っている。わしもお前が気に入っているから、何か一つだけ許してやろう。この先、困ったことに出会ったら、森へ行って『鉄のハンス』と呼ぶがいい。そうすれば、わしがお前を助けてやる」
それで男の子は森を出され、道のあるところも無いところもどんどん進んで行って、しまいに大きな町へ来た。そこで仕事をさがしたが、何一つ見つからず、それに身の助けとなるようなことは、これまで何も習い覚えていなかった。しまいに城へ行って、雇ってくれませんかと訊いた。城の人たちは、この男の子を何に使ったらいいかわからなかったけれど、雇い入れて、料理人の助手にして、まきや水を運び、灰をかき出す仕事をさせた。
ある時、他に手のあいた者がいなかったので、男の子が食事を王様のテーブルに運ぶことになった。ところが、彼は例の黄金の髪を人に見られるのが嫌だったので、いつも小さな帽子をかぶったままでいた。――王様の前でさえ。こんな礼儀知らずに会うのは初めての王様は驚き、男の子に言った。
「王の前に出る時には帽子をとらなくてはいかん」
「王様、それができないのです。頭に悪いできものがあるんです」
王様は料理人を呼んでしかりつけ、「どうしてこんな小僧を使うことにしたのか、すぐに追い出してしまえ」と言った。料理人は男の子を哀れんで、追い出さず、庭師の助手にしてやった。
さて、男の子は庭で植木を植えたり、水をやったり、鍬で耕したり、穴掘りをしたりして、風が吹いてもお天気が悪くても、休みなしに働いた。
ある夏のこと。男の子――もう若者と言っていいが――がひとりで庭仕事をしていた時、あんまり暑いものだから帽子をぬいで、風をいれて涼もうとした。太陽が頭の毛を照らすときらきら光り、その光がお姫様の部屋へ射し込んで、お姫様はいったい何かしらと興味を誘われ、窓から下を見た。すると、世にも美しい金色の髪をした若者がいる。
「そこの庭師。私に花束を持って来ておくれ」
若者は大急ぎで帽子をかぶり、野の花を摘んで束にした。それを持って階段を登って行くと、親方の庭番に出会った。
「お姫様にこんなつまらない花の花束なんかあげられないじゃないか? 大急ぎで他のをとって来い。一番きれいな、一番珍しいのをさがすんだぞ」
「そんなことはありませんよ」と若者は返事をした。
「野の花の方が匂いが強いし、お姫様のお気にいりますよ」
お姫様の部屋へ入ると、お姫様が言った。
「帽子をおとり。わたくしの前で帽子をかぶったままでいるなんて、無礼ですよ」
「脱ぐわけにはいかないんです。頭はかさぶただらけなので」
ところが、お姫様は帽子をつかんで脱がしてしまった。すると黄金の髪の毛が彼の肩にたれ下がって、とてもすばらしかった。若者は逃げ出そうとしたけれど、お姫様は腕をおさえて、金貨を一握りくれた。
金貨は貰ったが、若者はそれをどうとも思わなかった。なので庭番のところへ持っていって、「あなたの子供たちにあげましょう。おもちゃになるでしょうよ」と言った。
その次の日も、お姫様はまた若者をよんで、野の花を持って来いと言いつけた。
若者が花束を持って部屋へ入ると、お姫様はいきなり若者の帽子をつかんで取ろうとした。しかし若者は両手でしっかりおさえた。また金貨を一つかみくれたけれど、やはり「子供たちのおもちゃに」と庭番にやってしまった。
三日目も同じで、お姫様は若者の帽子を取ることができず、若者はお姫様のくれる金貨になんか目もくれなかった。
それからまもなく、国中が戦争になった。王様は軍隊を集めた。けれど、強くて大軍を持っている敵に、どうすれば勝てるのかわからなかった。すると、若者が志願して言った。
「私も大きくなりましたゆえ、おともをして戦いに行きとうございます。どうぞ私に馬を一頭下さい」
他の者たちは笑って言った。
「俺たちが出かけたあとで探してみろ。馬小屋に一頭残しておいてやるから」
男たちが出かけてから、若者は馬小屋へ行って、残った一頭の馬をひき出した。だが、その馬は足が悪く、ひきずっている駄馬だった。
それでもかまわず、若者は馬に乗って、暗い森を目指した。森の近くまで来ると、三度、森中ひびき渡るように大声をあげて、鉄のハンスを呼んだ。
「鉄のハンス!」
すると、たちまち鉄のハンスが姿を現して言った。
「何の用だ?」
「強い馬がほしいんです。戦いに行きたいものですから」
「やろう。お前がくれといわないものもおまけにやるぞ」
鉄のハンスが森の中へ引き返してほどなく、馬屋番が気の荒そうな馬を一頭曳いて来た。それに続いて、鎧で武装した一団の兵士が、刀を日にきらきらさせながら現れた。
若者は乗ってきた三本足の馬を馬屋番に渡し、気の荒い馬に乗って、兵士たちの先頭に立って進んだ。
戦場近くへ来ると、王様の軍勢はたいてい討死してしまって、生き残りの者も もう退却しようというところだった。そこへ、鉄の鎧の軍勢を引きつれた若者がかけつけて、嵐のように敵へおそいかかって、手向かう者を残らずなぎ倒してしまった。敵は逃げようとしたが、若者は一人残さず、討つ手を休めなかった。
こうして若者は敵を打ち尽くしたが、王様の陣には行かず、まわり道をして森に戻り鉄のハンスを呼んだ。
「鉄のハンス!」
「何の用だ?」と鉄のハンスが現れて訊いた。
「お前の馬と兵を引き取って、僕の三本足の馬を返してくれ」
そして三本足の馬に乗って引き返した。
さて、王様が城へ戻ると、お姫様が出迎えて、勝ちいくさのお祝いを申し上げた。
「いくさに勝ったのはわしではない」と王様が言った。
「兵をつれて、わしを助けに来てくれた、よその騎士だ」
お姫様はその騎士が何者か知りたがったけれど、それは王様にもわからない。
「その騎士は敵の後を追って行き、わしは二度と遭わなかったのだ」
お姫様は、庭番の親方に若者のことを訊いた。けれど、庭番は馬鹿にしたように笑って答えた。
「今しがた、三本足の馬に乗って帰って来たところですよ。他の者がからかって、『ぴこたん大将のお帰りだ』って騒いでましたよ。それからみんなが聞いたんです、『今までどの垣根のかげに寝転んで眠っていたんだ?』って。ところがあの男、『大した働きをしたんだぞ。僕がいなけりゃ、とんでもないことになるところだった』と言ったんです。それでまたみんなに、さんざん笑われたんです」
王様はお姫様に向かって言った。
「わしは三日にわたる戦勝祝いの振舞い祭の知らせを出そうと思う。お前は黄金のりんごを投げなさい。おそらくあの見知らぬ男がやって来るだろう」
祭のおふれが出ると、若者は森へ出かけて行って、鉄のハンスを呼んだ。
「鉄のハンス!」
「何の用だ」と鉄のハンスは訊いた。
「僕、お姫様の黄金のりんごを取りたいんです」
「それならもう手に入れたも同じことだ」と鉄のハンスが言った。
「任せておけ。赤い鎧と栗毛の馬を出してやる」
その日になると、若者は赤く輝く鎧をまとい、栗毛の馬に乗って、居並ぶ騎士の中に混じった。だが、誰にもあの庭師の若者だとは気づかれなかった。
お姫様が進み出て、騎士たちの方へ向かって黄金のりんごを一つ投げた。
誰よりも早くそのりんごを取ったのは、赤い鎧の騎士だった。騎士は他の誰にも一度もりんごを取られることもなく、そのまま人垣を抜けて、飛ぶようにどこかへ去ってしまった。
王様は腹を立てて、言った。
「けしからん、わしの前に姿をあらわして、名も名乗らぬとは」
二日目にも同じ事が起こった。王様はますます怒り、しまいにおふれを出して、りんごを取った騎士が再び姿をくらましたら後を追い、おとなしく引き返さない時は斬って討ちとれと言いつけた。
三日目に、若者は鉄のハンスから黒装束と馬をもらって、今日もまたりんごを取った。ところが、りんごを持って身をひるがえすと、王様の家来衆が追いかけて来て、そのうちの一人が刀の先で黒騎士の足に傷を負わせた。それでも逃げてしまったが、馬がひどくはねたもので、頭からかぶとが落ち、その騎士が見事な黄金の髪の毛をしているのを、追手たちは見てとった。
一同はうちもどって、王様に残らず申し上げた。
あくる日、お姫様は庭番に、若者のことを訊いた。
「あれは庭で仕事をしております。あの風変わりな小僧は、お祭に出かけていまして、つい昨晩もどって参りました。わたしの子供たちに、手にいれた黄金のりんごを三つ見せておりました」
王様は、若者を御前に召し出した。若者はやって来たが、相変らず帽子をかぶったままだった。しかし、お姫様が側へ行って帽子をとると、黄金の髪の毛が肩に垂れ下がって、それがまた あんまり見事なので、
みんな声もなく驚いた。
「毎日違った色の鎧を身につけて祭に姿を現し、黄金のりんごを三つとも手にいれた騎士は、その方だったのか?」
と王様がきいた。
「さようです。ここにそのりんごがございます」
若者は答えて、かくしからりんごを出して王様に渡した。
「もっと証拠を御所望でしたら、御家来方がわたくしに負わせた傷をお目にかけても結構です。それから、王様を助けて敵を打破った騎士こそ、このわたくしでございます」
「うむ、そのような働きができるとは、よもやただの庭師ではあるまい。父上は誰か、言うてみろ?」
「私の父は強い王で、黄金などはいくらでも、ほしいだけ持っております」
「よくわかる」と王様が言った。
「わしはお前に礼を言わねばならぬ。何かわしにできる望みがあるかな?」
「はい」と、若者が返事をした。
「なにとぞ、姫をわたくしの妻に」
すると、お姫様が笑って言った。
「それはたやすいことです。それに、わたくしはとうにあの人の黄金の髪を見て、ただの庭師ではないと見抜いておりましたわ!」
そして、若者の側へ行ってキスをした。
婚礼には若者の父も母も招かれ、大喜びだった。何しろ、再び可愛い息子に会えるとは思ってもいなかったから。
人々が婚礼のテーブルに座っていると、ふいに音楽がやんで戸が開き、立派な王様がおともを大勢つれて入って来た。
その王様は若者の前へ進んで、若者を抱きしめて言った。
「わしは鉄のハンスだ。魔法にかけられて あの姿にされていたが、お前が助けてくれたのだ。わしの持っている宝物は、残らずお前のものにするがよい」
参考文献
『完訳グリム童話集(全五巻)』 J.グリム+W.グリム著、金田鬼一 訳 岩波文庫 1979.
『完訳グリム童話(全三巻)』 グリム兄弟著、関 敬吾・川端 豊彦訳 角川文庫
※森の奥の泉または大木に呼びかけると偉大な守護者が援助を与えてくれるくだりは、一種の召霊術の記憶の片鱗らしく思われる。鉄のハンスのキャラクター原型は祖霊…古い神なのだろう。なお、この話では鉄のハンスは魔法を掛けられた王者だが、このモチーフを持つ話の中では本当に異形の存在…鉄の巨人(ロボット?)が呼び出されて、主人公のために戦ってくれることもある。
参考 --> 「蛙の騎手」「アラタフとモンゴンフ」「亀女房・ハッピーエンド」
※…もの言う馬が喋るのはハッサンだけの秘密なんじゃないのか? 何故知っている乳母。
最後にもの言う馬自身が人間になるかと思ったら、一生馬ですか……。お父さんは魔神なのに。
最初のうち、ハッサン王子はいい感じなのだが、後半になるとどうにも好感が持てなくなる。わざと醜くバカっぽく振舞って、周囲の反応を楽しんでいてひどく底意地が悪い。丹精こめた庭を踏み荒らすし。上の兄婿たちは、自力で遠いライオンの国まで行って、自分の体に傷を残してでもライオンの乳を手に入れて帰ったのに、ハッサンはそれを一蹴して全て自分の手柄にする。殆ど大男にやらせたくせに。しかも、姫が泣いて訴えるギリギリまで、戦争の手助けに行かない。全ては自分の「見せ場」を作るため。なんて嫌な奴なんだ!
同じ日に生まれた子供と動物の間に特殊な縁が生じるという信仰は、世界のあちこちで見うけられる。[二人兄弟]を参照。
参考 --> 「金のたてがみの生えた馬、金の毛の生えた豚、金の角を持つ鹿」「アラタフとモンゴンフ」「麒麟にさらわれた子供」「天に届く木」「開かずの蔵」