>>参考 [善い娘と悪い娘〜悪意の派遣][善い娘と悪い娘〜野に捨てる][善い娘と悪い娘〜親切な実娘

 

ホレおばさん  ドイツ 『グリム童話』(KHM24)

 ある未亡人にふたりの娘がありました。ひとりは醜く怠け者でしたが、もう一人は美しくて働き者でした。けれども、お母さんは醜く怠け者の娘の方ばかりかわいがりました。何故なら美しい方の娘は継娘で、血の繋がった娘ではなかったからです。

 継娘は、毎日井戸の側で糸を紡がされていました。あまり紡ぎすぎて、指から血が出るほどでした。それで糸巻きに血がついてしまい、洗おうと井戸を覗き込んだ時、糸巻きは井戸の底に落ちてしまいました。

 娘は泣きながら継母に報告しました。すると継母はこっぴどく叱り付けた上、冷酷にも「糸巻きはお前が落としたんだから、自分で取ってくるんだよ」と言いました。

 継娘は絶望的な気持ちになって、なんとか糸巻きを拾おうと、井戸の底に身を投げました。

 気がつくと、継娘は美しい草原にいました。そこにはお日さまが照っていて、何千もの花が咲いていました。草原を歩いていくと、パン焼きかまどがありました。かまどの中はパンでいっぱいで、パンが叫んでいました。

「ああ! 早く出して、早く出して、こげちゃうよ、もうとっくに焼き上がってるんだよ!」

 継娘は大急ぎで、パンをみんな外に出しました。

 それから、継娘が先へ歩いていくと、一本のりんごの木がありました。実が鈴なりになっていて、今にも枝が裂けそうです。木が継娘に向って叫びました。

「ああ! わたしを揺すって! わたしを揺すって! りんごはみんな熟れているんだよ!」

 そこで継娘は木を揺すりました。すると、りんごは雨が降るように落ちました。継娘はりんごが残らず落ちてしまうまで木を揺すり、それから先へ行きました。

 おしまいに継娘は一軒の小さな家に来ました。

 家の中からひとりのおばあさんがのぞいていましたが、おばあさんの歯があまり大きかったので恐ろしくなり、逃げようとしました。けれども、おばあさんが後ろから呼びかけました。

「怖がらなくていいよ、かわいい子。私のところにいたらいい。家の中の仕事を全部きちんとしてくれたら、悪いようにはしないよ。ただ、私のベッドは特にきちんとしておくように気をつけるんだよ。一生懸命、羽が舞い飛ぶくらい羽布団を振るうようにね。そうしたら、世の中に雪が降るのさ。私はホレおばさんだよ」

 そのおばあさんが優しく話したので、継娘は承知して、そこで働くことにしました。彼女は何でもおばあさんの満足するようにやり、羽布団はいつも力いっぱい振るって、ふかふかにしておきました。その代わりに、継娘はおばあさんのところで良い暮らしができました。いやなことを言われることもなく、毎日ちゃんとしたものを食べることができました。

 さて、継娘はこうしてホレおばさんのところで暮らしましたが、そのうち淋しくなってきました。ここは家にいるよりも数千倍も良かったのですが、それでも家が恋しくなって、とうとうおばあさんに言いました。

「わたしは家が恋しくなりました。ここではとても良くしていただいてますけど、それでも、もうここにはいられません」

 ホレおばさんは言いました。

「おまえの言うとおりだよ。おまえはとてもよく働いてくれたから、私が自分でおまえを上まで連れて行ってあげようね」

 ホレおばさんは糸巻きを返してくれて、継娘の手を取って大きな門の前に連れて行きました。門が開かれ、継娘がその下に立った時、激しい金の雨が降り、金はみな彼女にくっついたので、体中がすっかり金で覆われました。

「それはおまえのものだよ。一生懸命働いてくれたからね」と、ホレおばさんは言いました。

 門が閉じると、継娘は上の世界にいました。しかも、家からそう遠くないところです。継娘が家に入ると、井戸の上にとまったオンドリが鳴き立てました。

 コケコッコー、ウチの金のお嬢様が、お帰りだよぅ

 継娘はお継母さんのところへ帰りましたが、金で覆われて帰ってきたので、大切に迎えられました。

 継母はどうやってそんな富を手にしたのかを聞き出すと、自分の娘にも同じ幸せを手に入れさせてやりたい、と考えました。そこで、その娘も井戸の中に飛び込まなければならなくなりました。

 怠け者の娘も継娘と同じように美しい草原で目を覚まし、同じ小道を先へと歩いていきました。娘がパン焼きかまどのところまで来ると、パンがまた叫びました。

「ああ! 早く出して、早く出して、こげちゃうよ、もうとっくに焼き上がっているんだよ!」

 けれども怠け者の娘は答えました。

「手を汚すのなんてごめんだわ!」

 そして先へ行きました。間もなく娘は、あのりんごの木のところに来ました。木が叫びました。

「ああ! わたしを揺すって! わたしを揺すって! りんごはみんな熟れているんだよ!」

 けれども醜い娘は答えました。

「冗談じゃないわ。わたしの頭の上に落っこちでもしたら、どうするのよ!」

 そう言うと、先へ歩いていきました。ホレおばさんの家まで来ると、もうおばあさんの大きな歯のことは聞いていたので怖がりもせずに、すぐにおばあさんに雇われました。

 はじめの日はがまんをして一生懸命働き、ホレおばさんになにか言われると、その通りにしました。ホレおばさんがくれるであろうたくさんの金のことを考えたからです。けれども二日目にはもう怠け始め、三日目にはもっとひどくなりました。朝、起きようともせず、ホレおばさんのベッドもいい加減に直し、羽布団を羽が飛ぶほどきちんと振るいませんでした。

 そんなわけで、ホレおばさんは怠け者の娘を首にしました。怠け者は喜んで、さあ、今度は金の雨が降るぞ、と思いました。

 ホレおばさんは、怠け者の娘も門のところに連れて行きました。けれども娘が門の下に立つと、金の代わりに大きな釜いっぱいのチャン(木材や石炭を燃やして発生するガスが液化したもの。時にかまどや煙突の内側にくっついている。タール)がぶちまけられました。

「これがおまえの働きの報いだよ」とホレおばさんは言うと、門を閉めました。

 それで、怠け者の娘はすっかりチャンにまみれて、真っ黒のベタベタになって家に帰りました。井戸にとまっていたオンドリはこれを見て鳴き立てました。

 コケコッコー、ウチの汚いお嬢様が、お帰りだよぅ

 不幸なことに、そのチャンは死ぬまで落ちませんでした。



参考文献
『完訳グリム童話集(全五巻)』 J.グリム+W.グリム著、金田鬼一 訳 岩波文庫 1979.
『完訳グリム童話(全三巻)』 グリム兄弟著、関 敬吾・川端 豊彦訳 角川文庫

※ホレおばさんとは北欧の冥界の女王ヘルに連なる民間の女神。ドイツでは、実際にホレおばさんが布団をはたいて羽を撒き散らすと雪が降るという民間信仰があったそうだ。井戸の底の世界は女神の子宮――冥界であり、燃え盛るかまどは地獄である。りんごは生命の木だ。

継子と井戸  日本

 花子と節子という姉妹があり、花子は継子であった。ある日、花子は皿を井戸に落とし、継母に取りに行けと命じられた。

 花子が井戸の底に下りると、そこは広場になっており、一軒屋があって婆が住んでいた。婆は花子を呼ぶと、肩や腰を揉ませた。婆はお礼として着物や帯や金をくれた。

 花子はまた皿を落とし、今度は節子が取りに行くことになった。節子も婆の腰や肩を揉んだが、下手だと怒られて追い返された。帰る途中で雨に遭い、顔にかかって汚くなった。

 花子は良いところに嫁入りしたが、節子はどこにも嫁入りできずに泣いた。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※広島や香川で採集されているとのこと。概略しか読めなかったが、海外で語られているこの系統の話とほぼ同じと言っていい。井戸に皿を落とした娘が自身も井戸の中に落ちねばならなくなるくだりは、番町皿屋敷のお菊の階段を思い出させる。お菊は怨霊になったが花子は再生して幸せな結婚をした。

 なお、日本民話で「継子と井戸」として分類されているものにはもう一種類あり、こちらは全く違う話。継母に井戸攫いをすると騙されて井戸に降りた男の子が、岩を落とされて殺されかけるが、隣の爺の機転で助かる。こっそり家を出て出世して故郷に帰ると、実家はひどく貧乏している。昔のうらみも忘れ、継子は家族に金を渡すという孝養譚。中国の『史記』等にある、堯が井戸に入ったところを父と腹違いの弟が井戸を埋めて殺そうとするが抜け穴を掘っていたので助かるという故事の類話である。



参考 --> 「魔女婆さん」<小ネタ〜トゥルーデおばさん



バヴァン・プティとバヴァン・メラー  インドネシア ジャワ島

 昔、ダダパンという村に、マク・ジャンダという未亡人が住んでいた。彼女には自分の産んだ娘のバヴァン・メラー(たまねぎ)と、継娘のバヴァン・プティ(にんにく)があった。二人の子に対する彼女の扱いはひどく違っていた。実の娘は甘やかして、どんな願いでも聞いてやったのに、継娘は乱暴に扱って、洗濯や煮炊きや掃除まで全てこの娘にさせて、少しでも落ち度があるとすぐに鞭でぶったのだ。

 ある日、プティは洗濯にやられた。川に行って洗ったが、片付くには半日もかかった。そしてあんまり疲れたので、洗濯物の一つが流れ去ったのに気付かなかった。継母はそれに気付くとひどく腹を立てて、ロタンの枝の鞭で肌がぶちになるほどプティを殴りつけた。

「なんだい!? シャツが一枚足りないじゃないか! さっさと川を下って流れたシャツを拾っておいで! 見つけるまでは家に入れてやらないからね」

 プティは一日中、泣きながら捜し歩いた。食事も何も貰えなかったので、お腹はすききっていた。川に沿ってどこまでも行くと、やがて馬を洗っている人に出会った。

「おじさん、馬を洗っているおじさん。流れてきたシャツを知りませんか?」

「見なかったな。だが、あそこで釣りをしているわしの親父に訊いてみな」

 プティは釣り人のところに行って訊いた。

「お父さん、魚を釣っているお父さん。流れてきたシャツを知りませんか?」

「見なかったねぇ。だが、下流の方でわしのおふくろが米を洗っているから、訊いてごらん」

 プティは疲れと空腹でフラフラだったが、それでも先に進んで行くと、森の外れに洗い場があって、一人のおばあさんが米を洗っていた。

「お母さん、米を洗っているお母さん。流れてきたシャツはありませんでしたか?」

「ああ、さっきシャツが流れてきたんで拾っておいた。私の家へおいで。そしたら返してやるよ」

 プティは喜んで、おばあさんが持っていた籠と大きな水がめを運んでやった。こんな重たいものをおばあさんが運ぶのは、見ていられなかったからだ。

 さて、実はこのおばあさんはニニ・ブト・イジョといって、森に棲む山姥だった。プティは彼女の家に行ってようやくそれに気付き、とても怖くなった。

「まずご飯をたいておくれ。そしたらシャツを出してやるから」と、おばあさんは言った。プティはさっそく支度にかかったが、怖くて怖くてたまらなかった。なにしろ、鍋をかきまわすおたまは人間の手だし、水を汲むひしゃくは人間の頭蓋骨だった。薪ときたら骨で、中には人間の骨も混じっていたから。

 ぶるぶる震えながらも、プティは休みなしに働いて、悲鳴一つあげなかった。なにしろ家でも働きつけていたから。食事の用意が出来ると、今度は台所の片づけをした。テーブルの下には骨が散らばっていたので怖かったけれど。食事を盛りつける段になると、なお怖くなった。飲み物は水ではなくて、血だったから。

 それでも全ての用意を終えると、プティは決心しておばあさんのところへ行って、告げた。

「おばあさん、すっかり用意が出来ましたよ。これで私は、シャツを貰って家へ帰らせてもらいます」

「あんまり急いで帰りたがるんじゃないよ。もう夜になる。途中で私の兄弟に会ったら殺されるよ。かくまってやるから、今夜はここに泊まるがいい」

 そしてプティを大箱の中に隠した。

 一晩中、プティは怯えて眠るどころではなかった。朝になると、おばあさんが箱を開けて言った。

「さぁ、お帰り。私の兄弟はまだ寝ているから。これがお前の探していたシャツで、このカボチャ(瓢箪)はお前が働いてくれたお礼だよ。でも、これは家に帰るまで割ってはいけないよ」

 バヴァン・プティは走って家に帰った。シャツとカボチャを継母に渡すと、継母はカボチャを割ってみた。何が出てきたかって? 金銀宝石の宝物だった。継母は一度に金持ちになったので大喜びしたが、まだ満足せず、実の娘のバヴァン・メラーに同じようにしろと命じた。彼女も羨ましくてたまらなかったので、さっそく川にシャツを投げ込んで、川を下って探しに行った。

 でも、結果はプティとはまるで違った。山姥の家へ行くと、怖くて煮炊きも掃除も出来なかった。山姥は怒って家に追い返したが、それでもカボチャは一つくれた。メラーは喜び、帰り道ですぐにカボチャを割ってしまった。ところが出てきたのは蛇やムカデばかりで、怖くなって逃げ帰った。



参考文献
『世界のシンデレラ物語』 山室静著 新潮選書 1979.
『世界の民話 アジア[U]』 小沢俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1977.

※インドネシア語で《メラー》は《赤》、《プティ》は《白》の意味である。

 土産に貰う宝の詰まったカボチャまたは瓢箪は、日本人には「舌切り雀」や「腰折れ雀」を連想しやすい。冥界の城(山姥の家/雀のお宿)に行く途で馬洗いの男に出会って道を訊く点も「舌切り雀」と共通している。



参考 --> 「継母と継娘」「月になった金の娘」「継子の栗拾い



金のカラス  ビルマ

 昔、貧しい寡婦がいて、美しく気立ての良い娘を持っていた。

 ある日、娘は母親に言いつけられて、日向に干した米櫃の番をしていたが、米が乾いた頃、一羽の金のカラスが来て、米をみんな食べてしまった。娘が泣くと、償いをするから、日が沈んだら村外れの大きなタマリンドの木の所においで、と言う。 行くと、タマリンドの木の梢に小さい金の家があって、金のカラスが顔を出して尋ねた。

「金の梯子にするか、銀の梯子にするか、それともブリキの梯子にするか」

「私は貧しい娘ですもの、ブリキの梯子で結構ですわ」

 すると金の梯子が下ろされた。

 カラスは夕食を勧めて、

「金の皿を使うか、銀の皿を使うか、それともブリキの皿がいいか」

と尋ねた。娘がブリキの皿を選ぶと、金の皿が出された。食事はたっぷりで美味しかった。

 カラスは「君は本当にいい子だから、こうしていつまでも一緒に暮らしていたいけれど、お母さんが悲しむだろうから帰してやろう」と言い、寝室から大中小の箱を出して、好きなものを取らせた。娘は「家にお米はあまりないから」と一番小さい箱を取った。帰って開けてみると、ルビーが百個入っていて、お金持ちになった。

 

 村には、もう一組貧乏でない寡婦母子が住んでいて、最初の母子を快く思っていなかった。この母子が噂を聞き、その真似をした。この娘はものぐさだったので、最後に金のカラスが来たときには米櫃にほとんど米は残っていなかったが、娘はカラスに「代わりにいい宝物をよこせ」と叫んだ。カラスはむっとしたが、丁寧に最初と同じことを言った。娘はタマリンドの木の下に行くと、カラスが顔を出さないうちから「約束を忘れやしまいな」と叫んだ。カラスは尋ねた。

「金の梯子を使うか、銀の梯子を使うか、ブリキの梯子か」

「もちろん金の梯子さ」

 だが下ろされたのはブリキの梯子だった。食事のときも、娘は金の皿を望むが、ブリキの皿にちょっぴり盛ってあった。

 最後に、大中小の箱から一番大きい物を選び、娘はお礼も言わずに帰った。家で開けてみると、一匹の大蛇が出、しゅーしゅー言ってどこかへ去っていった。



参考文献
『世界むかし話集〈上、下〉』 山室静編著 社会思想社 1977.

※この話にも「舌切り雀」のような、神霊の土産の箱のモチーフが見える。大きな方を選ぶと呪われる点も同じである。

 神霊の元に行くと、「○○がいいか××がいいか」とどんどん質問され、慎み深い答えを返した継子は気に入られて歓迎されるが、厚かましい答えを返した実子はひどい扱いのうえ呪われる、というパターンも西欧、アフリカ、東南アジアとよく見かける。

 この話では、金の道具を望んだ娘は罰され、慎ましくブリキの道具を望んだ娘が祝福される。しかし、[命の水]の話群では、逆に、慎ましく鉄の橋を望んだ男は罰され、気にせずに金の橋を選んだ男が祝福される。男と女の望まれる像の差、ということなのだろうか?




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