メレアグロス  ギリシア神話

 王女アルタイアーが、カリュドーン王オイネウスとの間に一人の男児を生んだ。この子が産まれてから七日目の夜、三人の運命の女神たちモイライが現れて、炉の前で運命の糸を紡ぎ、歌いながら子供の運命を予言した。

 一人目のモイラであるクロト(紡ぐ女)は歌った。「この子は、高貴な人間になるでしょう」

 二人目のモイラであるラケシス(分配する女)も歌った。「この子は、英雄になるでしょう」

 三人目のモイラであるアトロポス(逃れえぬ定めの女)は燃えている炉の火をじっと見つめて、最後にこう歌った。

「この子は、その燃えている薪が燃え尽きない限りは生きているでしょう」

 それを聞くとアルタイアーはベッドから飛び起き、薪を炉から取り出して火を消し、箱の中に隠した。

 

 さて、子供はメレアグロスと名づけられ、狩が何より好きで得意な若者に育った。その頃、彼の父オイネウス王の田畑が凶暴なイノシシに荒らされる事件が起こった。というのも、王が女神アルテミスに生贄を捧げるのを忘れていたからである。他の神々には捧げたというのに。多くの狩人が殺され、また多くの英雄たちが我こそは、とイノシシ退治に集まった。アルタイアーの兄弟たち、すなわちメレアグロスの叔父たちも、その中に含まれていた。

 ところが、集まってきた英雄の中に全く毛色の違う者がいた。女性だったのだ。彼女・アタランテはすらりとした足を持ち、美しい金髪をなびかせた、まさに女神アルテミスの化身のような娘だった。しかも足が速く、狩の腕も男以上に確かだった。彼女を見た瞬間、メレアグロスは恋してしまった。けれども、王の館に集まった英雄たちは彼女が狩に参加することを嫌がった。狩は聖なる行為であり、男たちだけで行うものだという慣習があったからだ。ただでさえ危険な狩なのだから、穢れた女を参加させるなどとんでもない、というのである。しかしメレアグロスはそれを聞かず、強引にアタランテを参加させた。

 危険で苦しい狩は六日間も続き、多くの英雄が命を落とした。六日目にアタランテの矢がイノシシに当たり、メレアグロスが止めを刺して、ついにイノシシは倒された。

 しきたり通り、倒した獲物の肉を食べる大宴会が開かれた。獲物の首と毛皮は止めを刺した者に与えられる決まりだったが、メレアグロスはアタランテにそれを譲った。メレアグロスの叔父達はそれにガマンがならなかった。争いが起こり、ついにはメレアグロスは叔父たちを殺してしまった。

 

 母・アルタイアーはその報せを聞いた。彼女の兄弟たちが自分の息子によって殺され、狩の獲物と栄誉はどこの馬の骨とも知れぬ娘が手に入れた、と。彼女は悲憤に突き動かされ、箱の中に隠してあった薪を取り出すと、それを炉の中に投げ込んだ。その頃、メレアグロスは人々の歓呼に応え、イノシシの肉を切り分けていたが、炉の中の薪が燃え尽きると同時に、母の兄弟たちの屍の傍らに倒れ、死んだ。

 息子を失った王の嘆きは痛ましく、夫のその姿を見て、初めてアルタイアーは激しい慙愧の念にとらわれた。彼女は短剣で自ら命を絶ち、メレアグロスの妻であったクレオパトラーも同じく自刃して果てた。女神アルテミスはようやく怒りを和らげ、彼女たちをホロホロ鳥に変えたもうた。



参考文献
『ギリシア神話 神々の時代/英雄の時代』 カール・ケレーニイ著、植田兼義訳 中公文庫 1985.
『ギリシア神話〈上、下〉』 呉茂一著 新潮文庫 1979.
『ギリシア・ローマ神話』 ブルフィンチ著 角川文庫 1970.
『ギリシア・ローマ神話辞典』 高津春繁著 岩波書店 1960.

※類話が、キプロスのギリシア人に民話として伝わっている。

 生まれた男の子は運命の女神たちに「美男になる」「歌い手になる」「薪が燃え尽きると死ぬ」と予言され、母親は薪の火を消して長持ちに隠す。息子は美男の歌い手に成長して王女と結婚するが、彼が伯父を殺したとき、母親は復讐心から薪を燃やして息子を殺す。

 なお、この話では隠された薪は一本だけのようだが、この「薪と命」の系統の類話では、「一束」だと語られることもある。その束を全部燃やしたとき、被運命者は死ぬ。

薪と命  ギリシア人

 ある女が男児を産んだ。今まで産んだ子はみな産まれるとすぐ死んだので、彼女は最後に産まれた子のこの運命をしかと聞き届けようと、運命の女神モイラが訪れるのを待っていた。

 やがてモイラたちがやってきた。母親は眠っているふりをして耳をそばだてた。

 一番目のモイラは言った。「この子はすぐに死ぬだろう」
 二番目のモイラが言った。「いや、この哀れな女から今まで多くの子供を奪ったのだ。せめて一人は残してやろう」
 三番目が言った。「まぁ、お聞き! この薪が燃え尽きると同時に死ぬことにしよう」

「そうしよう、そうしよう」と他の二人が賛成し、三人の女神は運命を記した書を閉じて姿を消した。母親は起き上がると薪の火を消し、長持ちの底に隠した。

 息子は何事も無く成長し、やがて妻を迎えた。母親は自分の死を前にして嫁に秘密を打ち明け、薪を彼女にゆだねてこの世を去った。だが、後に嫁は夫と口論し、腹立ち紛れに薪を火に投げ入れた。薪が燃え尽きると同時に夫は死んだ。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※薪の秘密を受け継いだ妻が、口論から、または姑に対する怒りから、または他の男を好きになって、あるいは単に話を信じずに薪を火にくべ、夫を殺す話は、ラトビア人やギリシア人、オスマン人(トルコ)の民話に見出すことが出来る。息子と親子喧嘩をした父親が薪を燃やす、または話を信じていない本人が燃やすこともあるが、女がそうする話に比べると数が少ないように思う。基本的には、怒りに駆られた女が薪を燃やす。運命を授けるのが女神なら、生命を管理し夫の生殺与奪権を握るのも女なのだ。

薪と命2  トルコ

 ある女の子供は、みな二、三歳より上は生きなかった。この女が再び子供を産んだとき、隣人たちは産後三日目に天女ペリが運命を定めるのを聞き取るように勧めた。そこで女は揺りかごの下に隠れ、ペリたちの言葉を聞いた。

 一番目のペリが言った。「この子は美男で力持ちの若者になるだろう」
 二番目のペリも言った。「この子は金持ちになるだろう」
 三番目のペリは嫉妬深くて意地悪だったので、こう呟いた。
「この子は暖炉の薪が燃え尽きると同時に死ぬだろう」

 そこで母親は薪を長持に隠した。

 やがて息子は成長して結婚し、母親は秘密を隠したまま死んだ。けれど、ある時一人の魔法使いが嫁に助言した。

「あんたの亭主が生まれたとき、姑はペリたちがこう予言するのを聞いたのさ。『薪が燃えている間だけこの子は生きるだろう』と。姑は薪を長持に隠し、その薪はまだそこにある。
 さぁ、お前のお腹の中の子が長生きするように、薪を暖炉の中で燃やしなさい。けれども、灰になる前に薪から松の小枝に火を移し、消してから長持に隠しておくのを忘れてはならないよ。そうすれば亭主は死ぬが、その小枝がある限り子供は生きることになるだろう」

 その通りに事が運び、嫁は女の子を産んだ。その子は成長して結婚し、子供も何人か生んだ。母親は秘密を打ち明けずにこの世を去った。

 年を取ったある日、引越しのときに例の松の小枝を見つけた娘は、事の重大さも知らずにそれを火の中に投げ入れ、死んだ。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※薪の火を別の木に移すことで運命が娘に譲り渡されている点が面白かったので、採ってみた。

 この妻は、どうして夫を殺してまで娘を生かそうとしたのだろうか。娘は、そうしなければすぐに死ぬ定めだったのだろうか。



参考--> 「オジエ・ル・ダノワのロマンス



トラコサリスの伝説  トルコ

 昔、ある村にひとりの若者が住んでいた。父親は既に無く、母親と二人暮しだったが、その母親も死を迎えるときが来た。死の床で母親は息子を招き、燃えさしのロウソクを渡して言った。

「よくお聞き、お前の命はこのロウソクにかかっている。これが燃え尽きると、すぐにお前の命も終わるのだよ」

 若者はロウソクを懐に隠し、仕事をするときでも常に大事に持ち歩いた。やがて彼は結婚し、子供を持ち、孫も出来、ひ孫も玄孫も生まれた。彼は家族に囲まれて幸せに暮らしていた。

 しかし、そのうち子孫は次々死んでいき、けれども彼だけは死ななかった。彼のロウソクがまだ燃え尽きていなかったからだ。彼の家族で生き残っているのは二人の玄孫だけになり、ついにはそのうちの一人さえ死んだ。彼は絶望し、ロウソクに火をつけたが、ロウソクが溶け始めたとき、もう一人の玄孫の声が聞こえた。あぁ、このたった一人残された幼い玄孫を守らなければならない。彼はロウソクの火を消した。

 ところが、この玄孫は性格が悪く、老人をひどく虐待した。青年になった玄孫と結婚した妻も同様の性質で、老人に食事を与えなかった。後には、夫婦の子供たちさえもが老人を罵った。しまいには村中の人々が老人を気味悪がり、憎み、付き合いを避けた。

「あの爺さんは孫たちみんなの葬式を出して、自分はまだのうのうと生きているんだぞ!」

 その時、老人は二百五十才になっていた。老人は世間を憎み、ある洞穴に引きこもって、野草と木の実で暮らした。

 

 五十年の後、村に戻ってみた老人は、自分の最後の子孫が死んだことを話に聞いた。村人たちは憎しみをもって老人の目を覗き見た。「あんたの子孫はみんな死んだのに、どうしてあんただけは生きているんだ?」

 老人は生きるのがほとほとイヤになり、洞穴に戻るとロウソクに火をつけた。ロウソクがすっかり溶けた時、老人は息を引き取った。そのあと大きな嵐が村を襲い、雷鳴が轟いた。その時以来、人々はこう噂しあった。

「見ろ、見ろ。やっばり三百歳の男トラコサリスは魔法使いだったんだ!」



参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※よく似た伝説が、アイスランドに伝わっている。

 英雄ノルゲナスト(運命の客、の意)が生まれたとき、ヴェルヴァと呼ばれる巫女たちがやって来て生まれた子供の運命を予言した。

 二人の巫女は「とても大きな幸せが与えられる」「全て上手くいく」と言ったが、一番年少の巫女は二人の巫女が自分に相談無く予言をしたので ないがしろにされたと思い、しかも群集に突き飛ばされたので、恨んで「この子の側に灯っているロウソクが燃え尽きる日を、この子の生命が尽きる日と決めよう」と叫んだ。それを聞くなり、一番年老いた巫女がロウソクを取って火を消し、ノルゲナストの母親に「息子さんの最後の日が来るまで大切に保管し、決して火を灯してはならない」と言って渡した。

 ノルゲナストが成長すると、母親はこの話をしてロウソクを渡し、「大事にするように」と言った。ノルゲナストはその後三百年生きて英名を轟かせ、最後に自らロウソクに火をつけて死んだという。

 これらの話では、燃え尽きると命が失われるものが薪ではなくロウソクのことがある。だが、命をロウソクにたとえるモチーフは、例えばグリムの「死神の名付け親」にも現れており、日本にも、弟が兄のために天の国に行って寿命のロウソクを継ぎ足す民話がある。比較的一般に使われる言い回しでもあって、私たちにとってはむしろ薪よりも馴染みが深い。

 

 ところで、トラコサリスの伝説には、寿命を人間が操作することの否定、という要素が含まれている。

 多くの運命説話では、人は死の定めから逃れようともがくが、ここではそれに完全に成功し、いわば「不死」を得ることに成功している。しかし、それは必ずしも幸福ではない。

薪と命3  ギリシア人

 産んだ子供をみんな失った女がいた。再び子供を産んだとき、彼女は運命の女神モイラが運を定めるのを盗み聞きし、「この薪が燃え尽きると同時に死ぬ」と言ったのを聞いて、薪を隠した。

 息子は成長し、結婚した。結婚式の後、母親は隣人たちに薪の秘密をうち明け、やがて死んだ。

 それからまた年月が過ぎ、息子自身に臨終の時が来たが、どういうわけか死ぬことが出来ず、ただ臨終の苦しみばかりが続いた。隣人の一人が長持に隠された薪のことを思い出し、それを燃やすと、ようやく息子は安らかに旅立つことが出来た。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※類話には、息子本人が死ねないことを苦しんで薪を燃やす、燃やすことを願う話もある。

 人は死から逃れることを願うが、永遠に死ねないのもまた苦行である。

 

参考--> 「兵士と死神




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