>>参考 [炭焼長者:再婚型][竈神の縁起
     「青竹一本に粟一石」「[火土]神故事(乙)」「司命神」「住友の起こり」「如願」「蛇の王冠

 

男女の福分   日本 岩手県

 昔あったとさ。右衛門太郎と左衛門太郎は隣同士に住んでいて、どっちのかかも身持ちであった。一緒に山に泊まり仕事に行ったとき、右衛門太郎は左衛門太郎に言った。

俺方オラほかかのなぁは女の子おなごわらしで、お前たちのかかのなぁは男の子おとこわらしすたら、お前の方さ嫁にくれでやるし、もしもお前たちのなぁは女の子おなごわらしで俺方は男の子おとこわらしは生まれたらば、俺方さ嫁にくれてけろ」

 こうして互いの子供を結婚させることを約束し、二人は寝た。

 するとその晩、小屋の前に大勢の神様が集まった。けれども山の神が遅れてきたので、神様たちはそのわけを尋ねた。

「今、右衛門太郎のかかと左衛門太郎のかかは産をしたので、それを成させでがら来ただし遅くなった」

「それでは、生まれた子供わらしは男だが女ごだが」

「右衛門太郎のなぁは女ごで、左衛門太郎のなぁは男だが、女ごの方は運をうんと持って生まれたが、男の方はたったナタ一丁ほか持って来ない」

 こう山の神が言うのを聞いたと思うなり、右衛門太郎と左衛門太郎は目を覚ました。右衛門太郎が「今こういう夢を見た」と言うと、左衛門太郎も同じ夢を見て目が覚めたというので、二人はその晩のうちに家に帰ってみると、どっちの家でも子供が生まれていて、右衛門太郎のは女の子、左衛門太郎のは男の子だったから、約束どおりに右衛門太郎の娘は左衛門太郎の息子に嫁ぐことに決まった。

 

 子供たちは成長して、無事に結婚した。左衛門太郎の息子の家は何もかも順調にいって、田畑の売買やら取引やら、色々な仕事でゆっくり寝てもいられなくなったので、息子は朝寝坊をしたいと思って占ってみた。すると、空木ウツギの弓で朝早く屋根の方に向かって蓬の矢を射れば、いくらでも朝寝坊できるようになる、という。息子は喜んで弓矢を用意して、さっそく朝に屋根の方を見ると、屋根の上に烏帽子を被った白髭の翁がいて、扇子で四方を招いている。息子はその翁に向かって矢を放ち、これでいいと思って布団に戻って二度寝した。

 その日、かかが蔵に用事があって行くと、蔵の中でうんうんと唸っている者がいる。何だろうと思って奥に行って探すと、烏帽子を被った白髭の翁がいて、左目を蓬の矢で射抜かれて苦しんでいた。矢を抜いてやると、翁は言った。

「俺はお前さ憑いた福の神だが、お前の夫に弓矢を射られだため、この家から出て行ぐ」

 そして とぼとぼと出て行った。

 それからというもの、人は誰も来なくなり、米びつには米がなくなり、財布には銭がなくなり、日増しに貧乏になって、もはや飢え死にするばかりになり、とうとうかかは「いっそのことおイヌにでも食われで死ぬべ」と思って、家を出て行った。狼が三匹いたので、「おイヌ殿、おイヌ殿、おれを食ってけろ」と頼んだら、狼は「お前は本当の人間だから取って食えない」と言って、「これをかざして人を見れば、みんな獣や鳥の頭に見える。だが、たった一人だけ、お前と同じように人間の頭のやつがいるだろう。それに付いて行け」と、自分の眉毛を三本くれた。

 かかは狼の眉毛をかざして人通りを眺めていたが、通る人通る人、みんな獣や鳥の頭をしていて、一人も人間の頭の者は通らない。とうとう夕暮れになったが、たった一人、人間の頭をした者が通りがかった。蓑を着て俵を背負った親父で、決して風采は良くない。けれどもかかがその後に付いて行くと、親父が振り返って「何しに俺の後さ付いで来るのだ」と言う。「どうが おれを連れでてけろ」と頼むと、「俺は向こうの山の炭焼きだが、お前様はどごのかかだが知らないが、連れで行ぐことはできない」と断った。

 それでもかかは付いていって、炭焼き小屋に着くと、足を洗うところはどこだ、と訊いた。親父は「そごの沢さ行って洗え」と言うのでその沢に行ったところ、踏み台の石は金であり、沢の水は酒ではないか。

「爺さま爺さま、お前はあの沢の踏み石を何と見る」

「あれか、あれはただの山石だ」

「いえいえ、あれはただの石ではない、金である」

 また、かかは言った。

「爺さま爺さま、お前はあの沢の水を何と見る」

「あれは ただの沢の水だ」

「いえいえ、あれはただの水ではない、酒である」

 おまけに、囲炉裏の踏み石も金であった。

 次の日、親父はかかに言われて石をいくつか町に持っていったが、それは高く売れた。また、酒屋を始めて沢の酒を売ると、たいそう繁盛して辺りには色んな店も並んで町場になった。

 

 一方、左衛門太郎の息子はますます貧乏になって、鉈を持っては山に行き、シナの木の皮を剥いではこの町場に売りに来て、帰りに酒屋で一杯やる暮らしをしていた。かかは前の夫の姿に気付いて、ある日、握り飯に金を入れて渡してやった。けれども、男は握り飯を吠え掛かってきた犬に投げ与えてしまったので、金には気付かなかった。次に竹の杖に金を入れて渡してやったが、酒屋から出て、子供たちに「酒屋のかかから杖をもらっていく」と囃し立てられると、「それほど欲しがるなら」と杖を子供たちに投げ与えてしまった。

 次に来たとき、かかは「爺さま爺さま、先だってお前さ けだ(やった)握り飯はなじょにすた(どうした)」と尋ねると、あまり犬が吠えるから犬さ投げてやった、と言う。「そだらば竹の杖はなじょにした」と訊くと、子供たちがあまりに悔しがるからくれてやった、と言う。かかは言った。

「あの握り飯さも竹の杖さも中に金を入れでけだのだが、お前はよくよく運のない人だ。このおれを誰だと思う」

「この酒屋の嚊さまだと思う」

「おれはお前の元のおかかだ」

 左衛門太郎の息子は驚き、恥じて悔やんだが、どうしようもなかった。

 かかは旦那さまに願い、前の夫を酒屋のかまどの火焼きに雇ってもらって、一生を飼い殺すことにしたとさ。

 どっとはらい。



参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※[炭焼長者:再婚型]の序盤に【運命説話】が接続しているこの話は、中国、朝鮮地域、日本で見られる。中国と日本では、結末に《前夫が竈で焼け死んで竈神になった》と語り加え、[竈神の縁起]にすることも多いが、それは朝鮮地域では見られない。

 日本では、上の例話に挙げたような《産神問答》によって妻が生まれつきの福運持ちであることを語る。朝鮮地域でも全く同じように語られるが、その他にもう一つ、イギリスの「魚と指輪」のように、男の父親が運勢を占って我が子に福運がないことを知り、福運のある娘を探して結婚させたとするパターンがある。中国の「[火土]神故事(乙)」や「司命神」のようなパターンはそれに似て、占い師が「息子には福運がない、福運のある娘と結婚させれば幸せになる」と告げ、親がそのように手配する。

 主に朝鮮地域では、このパターンの場合、男は自分が金持ち(上位の身分階層)なのに妻が貧乏人(最低位の身分階層)の出身であることを嫌がり、離縁してしまう。身分階級の厳しかった社会の様相が現れている。

 なお、中国にはもう一つ別パターンがあり、円満に暮らしていた夫婦が戯れに占いをしてみた(占い師に見てもらった)ところ、妻の福運のおかげで幸せに暮らしていると結果が出て、怒った夫が妻を追い出すことになっている。

福運持ちの女  ミャオ

 富豪の呉が訳あって貧乏人の娘を妻に迎えた。最初は仲良く暮らしていたが、ある日、二人で山に出かけて拾った栗で互いの運勢を占ってみたところ、何度占っても呉の運は妻のそれに劣ると出る。呉は悔しくてたまらず、「お前の運がそんなにいいなら、これからは一人で生きていくといい」と言って離縁した。

 呉が聞く耳を持たないので、妻は仕方なく一頭の馬をもらって家を出て行くことにした。その時、地に祈り天を仰いで、「これから馬に乗り、その行くに任せます。穴があれば落ちて死に、水があれば溺れて死ぬかもしれませんが、幸運にも人家に行き着きましたなら、金持ちだろうと貧乏人だろうと、そこの家の者になりましょう」と祝祷し、馬の背に後ろ向きに乗って歩むに任せた。

 日が沈むころ、馬は山奥の草葺きの一軒家に辿り着いた。妻はその家で留守番をしていた老婆に頼みこみ、暗くなって戻って来た息子の女房になった。

 その後、二人は白銀の山を手に入れて億万長者になった。


参考文献
「貴女富命」/『湖西苗族調査報告』 純声/逸夫著 国立中央研究院歴史語言研究所 1947.
炭焼き長者の話 搬運神」 伊藤清司著/『比較民俗研究 21号』 2007.

離縁  中国 河北省 藁城県耿村

 孫という大金持ちが、旦那が廟の縁日で人相占い師に自分の運勢を観てもらうと、「旦那様の運は奥方の福運次第。観るところ旦那様は奥方無しには乞食間違い無しです」と言われた。腹を立てた孫旦那は帰るとすぐに妻を罵り、離婚だと怒鳴った。

 何を言っても耳を貸さないので、妻は仕方なく、与えられた痩せ馬に乗って泣きながら孫家を後にし、行くあてのない旅を続けた。

 日が傾いたころ、馬は萱葺き屋根の家の前に立ち止まり、疲れて動かなくなった。家の中から老婆が顔を出し、若い女を見て同情すると共に彼女を気に入り、出稼ぎに出ている息子の嫁にと密かに期待もして、しばらく引き止めておいた。そして、やがて息子が帰ってくると、二人を結婚させた。

 その後、女がたまたま躓いたところで銀塊を発見し、夫婦は大金持ちになった。


参考文献
「休娘婦」/『耿村民間故事集第二集』 崔小英語り、秦秀英記録
炭焼き長者の話 搬運神」 伊藤清司著/『比較民俗研究 21号』 2007.

 この、夫が自分よりも妻に福運があるのに腹を立てて追い出すモチーフは、中国や朝鮮地域の[炭焼長者:父娘葛藤型]で、父親が「お前が安穏と暮らせるのは誰のおかげか」と娘に問い、娘に「私自身のおかげ」と言われて腹を立てて追い出す、《誰の徳問答》と近い部分がある。



参考--> 「青竹一本に粟一石」「釜神の事」「蛇の王冠」「如願




inserted by FC2 system