>>参考 [賢いモリー][王の命令][人さらい]
「シュパリーチェク」「親指小僧(ペロー)」
どこか大きな森の近くに、貧乏な木こりが奥さんと二人の子供と一緒に暮らしていました。男の子はヘンゼル、女の子はグレーテルという名前でした。木こりは元々、人間らしいものをろくに口にすることも出来ないほど貧乏だったのですが、ある年、その国に大きな飢饉が起きると、日々のパンすら手に入らなくなってしまいました。
木こりは夜にベッドに入りましたが、思い悩むあまり寝返りばかりうっていました。ため息をついて、
「俺たちは一体どうなるんだろう。もう俺たち夫婦が食べる分もなくなったのに、可哀想に、どうやって子供たちに食べさせてやればいいのか」と、奥さんに話しかけました。
「ねえ、あなた。こうしたらどうかしら」と、奥さんが答えました。
「明日の朝早く、子供たちを森の深いところに連れ出しましょう。そこで火を起こしてやって、パンを一つずつあてがって、私たちは仕事にかかるの。そうしてそのまま置き去りにすれば、子供たちには帰り道が分からないから厄介払いできるわ」
「いや、お前、そんなこと、俺はごめんだ」と、木こりは言いました。「どうしてそんなことが出来る。自分の子を森の中に置き去りにするなんて。すぐに獣がゾロゾロ出てきて、子供たちを八つ裂きにするに決まってる」
「馬鹿ね。このままじゃ四人とも飢え死にするのよ。あんたは棺桶の板を作ることになるのがオチだわ」
こう言って奥さんが責めたてたので、木こりもとうとう承知しました。それでも「だが、子供たちが可哀想でならないよ」と呟くのでした。
さて、子供二人もお腹がペコペコで寝付くことが出来ませんでしたので、継母さんがお父さんにそう言っているのを聞いてしまいました。グレーテルはしくしく泣いてヘンゼルに言いました。
「もうおしまいだわ」
「黙って、グレーテル。心配することないよ。僕がきっとどうにかしてみせる」
ヘンゼルはそう言うと、親たちが寝静まるのを待って上着を引っ掛け、下ろし戸を少し開けると足音を忍ばせて外に出ました。お月様が明るく輝いて、家の前の白い小石は銀貨のようにキラキラ光っています。ヘンゼルは腰をかがめて、その小石をポケットに入るだけ詰め込みました。それから部屋に戻ると、妹に
「安心して。心配しないでお眠りよ。神様は僕たちをお見捨てにはならないさ」と声をかけて、自分もベッドに潜り込みました。
夜が明けると、まだ日が昇らないうちに継母さんがやってきて、子供二人を起こしました。
「起きなさい。ねぼすけね、あんたたちは。森へ
それからめいめいに小さなパンを一つずつやって、
「さあ、これはお昼の分ですよ。お昼にならないうちに食べちゃ駄目よ。もう何もあげないから」と言いました。ヘンゼルはポケットに石を詰めていましたので、パンはグレーテルがエプロンの下にしまいました。
一家は森へ出かけました。少し歩くと、ヘンゼルは立ち止まって家の方を振り返るようにしました。それも、何度も同じようにするのです。
「ヘンゼル、何をそんなに珍しそうに見ては遅れてるんだ。足元もよく見なさい」とお父さんが言いました。
「お父さん、僕、僕の白猫を見てるんだよ。だってね、あいつ屋根の上にちょこんと座って、僕にバイバイって言ってるんだもの」と、ヘンゼルが答えると、継母さんが言いました。
「馬鹿だね。あれはお前の猫じゃなくて、朝日が煙突に当たってるだけですよ」
本当はヘンゼルは猫を見ていたのではなく、例の白く光る小石をポケットから出しては道に落としていたのです。
森の真ん中まで来ると、お父さんは「さあ、子供たちは薪を集めるんだ。お前たちが寒くないように、お父さんが火を起こしてやるからな」と言いました。ヘンゼルとグレーテルは小枝を小山のように集めてきました。その小枝に火が点けられて炎がめらめらと高く上がってくると、継母さんは言いました。
「さあ、あんたたちはここで休んでいなさい。お父さんとお母さんは木を伐りに森に入るからね。仕事が済んだら迎えに来ますよ」
ヘンゼルとグレーテルは焚き火の側に座っていました。お昼になると、めいめいの小さなパンを食べました。木を伐る斧の音が聞こえていたので、お父さんは近くにいるとばかり思っていたのです。けれども、それは木を伐る音ではなく、お父さんが枯れ木に縛り付けておいた太い枝が、風に揺られてあっちこっちへぶつかる音だったのでした。
兄妹は、いつまでもいつまでも座っているうちに待ちくたびれて、ぐっすり眠ってしまいました。やっと目を覚ました時には、もうあたりは真っ暗で夜になっていました。グレーテルは泣き出しました。
「どうすれば森から出られるの」
「いいから少し待つんだ。お月様が出るまでね。お月様が出たら道はちゃんと分かるよ」
やがて満月が出ると、ヘンゼルは小さい妹の手を取って、例の小石を目印に歩き始めました。石は作りたての銀貨のように光って子供たちに道を教えてくれました。夜通し歩いて、明け方に子供たちは家に帰ってきました。
子供たちは戸を叩きました。継母さんが開けるとヘンゼルとグレーテルだったので、
「あんたたち、森でいつまで寝てたの。もう帰ってくるのが嫌になったのかと思ってましたよ」と怒鳴りつけました。けれどもお父さんは喜びました。お父さんは、子供たちを騙して置き去りにしたことを後悔していたところでしたから。
それからあまり経たないうちに、またどうにもこうにもならなくなりました。ある晩、継母さんがベッドの中でお父さんに話している声が子供たちの耳に入りました。
「また食べるものがなくなっちゃったのよ。もう、パンが半斤残ってるだけ。それがなくなればどうにもなりゃしないわ。子供たちを追い出してしまわなけりゃ駄目よ。今度は絶対に帰り道が分からないように、森のもっと奥へ連れて行きましょう。そうでもしないと、私たちみんな助かりはしないわ」
木こりはそれを聞くと嫌な気持ちになって、それぐらいなら自分が最後に食べる分を子供たちに分けてやる方がいいと思ったのですが、奥さんは旦那さんの意見には全く耳を貸さず、逆に叱り付けたり罵ったりします。誰でも「A」と言ったら「B」と続けずにはいられないように、既に一度奥さんの言うことに従っていたものですから、今度も言う事を聞かないわけにはいかなくなったのでした。
またも話を聞いてしまったヘンゼルは、大人たちが寝静まるとむっくりと起き上がりました。この前のように外に出て白い小石を拾うつもりだったのです。ところが、継母さんが戸に鍵をかけていたものですから出られません。それでも、
「泣くんじゃないよ、グレーテル。いいから安心して休むんだ。神様は、きっと僕たちを助けてくださる」と言って妹を慰めました。
朝早く継母さんが来て、子供たちをベッドから引っ張り出しました。二人は小さなパンを一つずつもらいましたが、それはこの前のよりももっと小さいものでした。森へ行く道の上で、ヘンゼルはそのパンをポケットの中でぼろぼろに千切って、ちょいちょい立ち止まっては欠片を一つずつ地面に落としました。
「ヘンゼル、なんだって立ち止まっちゃあキョロキョロしてるんだ。さっさと歩きなさい」と、お父さんが言いました。
「僕ね、僕の鳩を見てるんだよ。あいつ屋根の上にとまって、僕にバイバイって言ってるんだもの」と、ヘンゼルが答えると、継母さんが言いました。
「馬鹿だね。あれはお前の鳩じゃない。朝日が煙突の高いところに射してるだけですよ」
ヘンゼルはパンくずを残らず道々に落としました。
継母さんは、子供たちをもっともっと奥深くに連れ込んで、二人が今まで一度も来たことのない場所に来ました。そこでいつかのように火を起こして、継母さんが言いました。
「さあ、あんたたちはここで休んでいなさい。疲れたら少し眠ればいいわ。お父さんとお母さんは木を伐りに森に入るからね。日が暮れて仕事が済んだら、お前たちを迎えに来ますよ」
お昼になると、グレーテルが自分のパンをヘンゼルに分けました。ヘンゼルの分は道に撒いてしまっていたからです。それから二人はぐうぐう寝てしまいました。やがて日が暮れましたが、可哀想に、誰一人子供を迎えに来る者はありません。二人が目を覚ましたのは真っ暗になってからでした。
「待っているんだよ、グレーテル。お月様が昇るまでの辛抱さ。月が出れば、僕が撒いておいたパンくずが見える。パンくずは家へ帰る道を教えてくれるんだよ」
ヘンゼルはそう言って小さい妹をなだめすかしました。
お月様が出ると、お兄ちゃんと妹はさっそく歩き出しました。ところが、肝心のパンくずはただの一つも見つかりません。森や野原を飛び回っている何千何万という鳥が、さっさとついばんでしまっていたのです。
「道はきっと見つかるよ」
ヘンゼルはグレーテルにそう言いましたが、道はまるで見つからないのでした。
夜通し歩きました。それからもう一日、朝から晩まで歩きました。けれども森から出ることは出来ず、その辺の茂みに実ったベリーを三つか四つか食べたきりでしたので、お腹もペコペコになりました。二人は、もう足が役に立たないくらいくたびれて、適当な木の下に転がって眠ってしまいました。
やがて、二人がお父さんの家を出てから三日目の朝になりました。再び歩き出しはしましたが、だんだん森の奥へ入り込むばかりで、これで助けが来てくれなければ、子供たちは精根尽き果てて死ぬほかはなかったのです。
お昼ごろのことでした。雪のように白い綺麗な小鳥が一羽、大枝にとまっているのが目に入りました。小鳥はとてもいい声でさえずっていたので、二人は立ち止まって聞きほれました。ひとしきり歌い終えると羽ばたいて飛んで行きましたが、まるで道案内をするかのようでした。その後に付いて行くと小さな家のところに出て、小鳥はその屋根にとまりました。
近付いてみますと、その小さな家は
「さあ、行こう」と、ヘンゼルが言いました。「素敵なご飯だよ。構わないさ、沢山食べよう。僕は屋根をひとかけら食べる。グレーテル、お前は窓を食べなよ。あれは甘いよ」
ヘンゼルは背伸びをして、屋根をちょっとだけ割り取って味見をしてみました。グレーテルは窓ガラスにくっついてボリボリかじりました。そうすると、家の中から優しい声が聞こえました。
ぼりぼり、がりがり、
私の小さなお家をかじるのは誰じゃいな?
子供たちは答えました。
風だよ、風だよ、
天の子供だよ
そして遠慮せずに食べ続けました。ヘンゼルは、屋根がとても美味しかったので、一度に沢山もぎ取りました。グレーテルは、丸い窓ガラスを一枚、丸ごとはがしてきて、腰を下ろして食べ始めました。
するといきなり戸が開いて、化石のように年を取ったお婆さんが、
「おお、いい子だ、いい子だ。誰がお前たちをここに連れてきたんだい。遠慮せず中にお入り。何も悪いことはないよ」
お婆さんは子供たちの手をとって、自分の家の中に入らせました。中に入ると、ミルクだの、お砂糖のかかったケーキだの、林檎だの、胡桃だの、色んな美味しそうなものがテーブルの上に並びました。食事が済むと、綺麗な小さいベッド二つに真っ白いシーツが掛けられて、その中に潜り込んだヘンゼルとグレーテルは、自分たちは天国にいるのではないかと思いました。
ところが、このお婆さんは見かけはいかにも親切そうでしたが、本当は子供たちが来るのを待ち伏せしている悪い魔女で、パンの家も子供たちをおびき寄せるために作ったものだったのです。子供が誰か手に入るやいなや、早速それを殺して、ぐつぐつ煮込んで、むしゃむしゃ食べるのです。こういう日はお婆さんにとってお祭りのように忙しく嬉しいものなのでした。
魔女というものは赤い目をしています。そして遠くが見えないものです。けれども動物のように鼻が利くので、人間が近寄ってくると匂いでそれが分かるのです。ですからヘンゼルとグレーテルが近付いてきた時には、お婆さんはニヤリとして、「もうこっちのもんさ。私に捕まったからには逃げられないよ」とほくそ笑んだものです。
朝早く、子供たちが目を覚まさないうちにお婆さんは起き上がりました。そして二人がふっくらした赤いほっぺたをしてすやすやと眠っているのを見て、「こいつは上等な料理になるわい」と呟きました。それから枯れ枝のような手でヘンゼルを引っつかむと、小さな家畜小屋の中に運び込んで格子戸を閉ざしてしまいました。どんなに喚いても騒いでも、ヘンゼルの力ではどうにもなりません。
ヘンゼルの始末をつけると、お婆さんは今度はグレーテルのところへ行って眠っているのを叩き起こしました。
「起きるんだ、怠け者め。お兄ちゃんに何か美味しいものをこしらえてやるんだよ。お兄ちゃんは外の小屋にいる。あいつを太らせてやるんだ。脂がのったらお婆さんが食べるのだからね」
グレーテルはわんわん泣き出しました。けれども、そうしたところで何の役にも立ちません。グレーテルは悪魔のお婆さんの言うとおりに、なんでもしなければなりませんでした。
こんな次第で、可哀想に、その時からヘンゼルの食べる分には一番上等のご馳走が作られましたが、グレーテルはザリガニの殻をもらうばかりでした。
毎朝、お婆さんはよろよろと小屋に行って、
「どうだい、ヘンゼル。指を出してごらん。そろそろ脂がのったかどうか診てやるからな」と、声をかけます。その度にヘンゼルは食べ残しの小さな骨を一本、差し出すのですが、お婆さんは目がかすんでいてよく見えないので、それをヘンゼルの指だと思って、どうして太らないのだろうかと不思議に思っていました。
ひと月ほど経ってもヘンゼルはガリガリの痩せっぽちでしたので、お婆さんは我慢できず、これ以上待つ気がなくなりました。
「やい、グレーテル」と、お婆さんは女の子を怒鳴りつけました。「さっさと水を汲んでくるんだよ。ヘンゼルの小僧め、太っていようが痩せていようが構うもんかい。明日こそ、あいつをぶち殺して煮てやるからね」
まあ、なんてことでしょう。可哀想に、無理やり水汲みをさせられながら、この妹はどんなに泣いて悲しんだことでしょうか。
「神様、どうかお助けください」と、女の子は声を振り絞りました。
「こんなことになるのなら、私たち、森の中で恐ろしい獣に食べられていた方がよかった。そうしたら、せめて二人一緒に死ねたのに」
「うるさいね、このガキは」と、お婆さんが言いました。「何を喚いたって役に立ちゃしないよ」。
あくる日、朝早くからグレーテルは外に引っ張り出されて、水の入った大鍋を吊るして火を焚き付けなければなりませんでした。
「パン焼きを先にしよう。パン
お婆さんはそんなことを言って、可哀想に、ちらちらと炎が舌をのぞかせている
「その中へお入り。火がちゃんと回っているかどうか、よく見るんだ。よければパンを入れるからね」
グレーテルが中に入ったら、お婆さんはかまどを閉めてしまうつもりなのでした。そうすればグレーテルは中でこんがり丸焼きになるに決まっています。そうしたら頭からもりもり食べてしまうつもりだったのです。けれどもグレーテルはお婆さんのたくらみに気が付いて、
「私、分からないもん。どうすればいいの。どうやってその中に入ればいいのよぅ」と言いました。
「馬鹿
お婆さんはそう言いながら、這うようにしてパン焼きかまどに頭を突っ込みました。そこでグレーテルがドン、と後ろから突くと、お婆さんはかまどの中へ転がり込みましたので、そのまま鉄の扉を閉めて
グレーテルはまっすぐにヘンゼルのところに駆けつけて、
「ヘンゼルお兄ちゃん、助かったのよ。魔女のお婆さんは死んじゃったわよ」と喚きながら小屋の戸を開けました。
戸が開いた途端に、ヘンゼルは籠から解き放たれた鳥のようにパッと飛び出しました。まあ、二人がどんなに喜び合ったことか。お互いの首ったまにかじりついてクルクル回って、キスの雨を降らせ合いました。
こうなれば、もう何も怖いことはありません。魔女の家の中に入ってみると、あっちにもこっちにも、真珠や宝石が詰まった箱が幾つも幾つも置いてありました。
「これ、小石よりずっといいよ」
ヘンゼルはそう言って、ポケットに詰められるだけ詰め込みました。グレーテルも、
「私も、お家にお土産に持ってくわ」と言って、小さなエプロンいっぱいに包み込みました。
「さあ、もう行こう」と、ヘンゼルが言いました。「魔女の森から出て行くんだ」。
それから二、三時間歩きますと、大きな川の岸に出ました。
「渡れないなァ。ちゃんとした橋どころか丸木橋一つ見えやしない」と、ヘンゼルが言いました。
「この辺には渡し舟もないのね」と、グレーテルも言いました。
「でも、あそこに白い鴨が泳いでるわ。頼んだら向こうに渡してくれるわよ」
グレーテルは鴨に呼びかけました。
小鴨さん、小鴨さん、
ここに来ました、グレーテルとヘンゼル。
橋がなくて渡れません
お前の白い背に乗せておくれ
鴨はすぐに近寄ってきました。ヘンゼルはその背中に乗って、妹に一緒に座るように言いました。
「駄目よ」と、グレーテルは返事をしました。
「それじゃ小鴨さんには重過ぎるもの。一人ずつ運んでもらうのがいいわ」
親切な鳥は、その通りにしてくれました。二人は無事に向こう岸に渡って、それから少し歩いた頃、辺りの森の様子がだんだん見覚えのある感じになってきました。そしてとうとう、遠くにお父さんの家が見えたのです。
二人は一息に駆け出して、家の中に飛び込んで、お父さんの首ったまにかじりつきました。
木こりは、子供たちを森の中に置き去りにしてからというもの、笑える時間はただの一刻もなかったのです。一方、奥さんは死んでしまっていました。
グレーテルはエプロンを広げて振るいました。すると真珠や宝石が部屋じゅうに転げ出てきました。そこにヘンゼルが、ポケットに片手を突っ込んで、自分の持っている分を後から後から掴み出してバラ撒きました。
こんなわけで、苦労も心配もおしまいになって、三人は喜び尽くめのなか、一緒に仲良く暮らしたのでした。
私の話は、これでおしまい。あそこを走るは小っちゃいネズミ。捕らえてドデカい毛皮帽を作るがいいよ。
参考文献
『完訳 グリム童話集(全五巻)』 J.グリム+W.グリム著、金田鬼一 訳 岩波文庫 1979.
「Hnsel und Gretel」/『maerchenlexikon.de』(Web)
昔々、とても年をとった女がいた。その女には小さな三人の娘があった。女はとても貧しかったので、娘たちに十分に食べ物を与えることが出来ず、娘たちはいつもお腹をすかせていた。
ある時、三人の娘は母親に訊ねた。
「お母さん、近所の人たちは空豆の収穫をしているわ。どうしてウチは収穫しないの?」
「ウチは空豆を植えていないから、収穫するものがないんだよ」と、母親は答えた。
次の種まきの季節が来ると、娘たちは母親に勧めた。
「お母さん、私たちも畑に空豆を蒔きましょう」
そこで母親は袋に半分くらいしなびた空豆を入れて畑に行ったが、空腹で力が出ないので少しだけ食べようと決意した。空豆を二粒三粒つまんで食べたが、まだお腹がすいていたのでもっと食べた。けれども食べれば食べるほど奇妙な気持ちになって、とてもお腹がすいた気がして、どうしてもお腹いっぱいにならなかった。とうとう母親は空豆を全部食べてしまい、豆の殻だけを荒れた畑に蒔いた。その畑には他にも何も植わっていないのだった。
けれども子供たちは収穫をとても楽しみにしていて、収穫の季節になるとこう言った。
「お母さん、どうして空豆を収穫に行かないの? 近所の人たちはみんな収穫し終わってるんだから、ウチのもきっと実ってるわ」
娘たちがいつまでもそう言うので、しまいに母親も娘たちを連れて畑へ行かねばならなかった。畑は手入れもされずに放置されていて、豆は芽ですらも出ていなかったが、近くによく実った畑があったので、母親はその豆を娘たちに摘ませた。娘たちは担いできた籠いっぱいに空豆を摘んで、急いで家に帰った。
ところがこの畑は、人間の肉を食べるのが大好きな魔女のものだったのだ。
老いた魔女は畑に行って、豆の実が大分なくなっていることに気がついた。「これは泥棒に違いない」と呟いて見張りを始めた。やがて三人の娘がやってきて、せっせと空豆を摘み始めた。すると突然、隠れていた魔女が姿を現したので、娘たちは驚いて逃げ出した。けれども末娘だけは足が痛くてよく走ることが出来なかった。それで大きな石の陰に身を隠した。
魔女は諦めなかった。石の陰を一つ一つ覗き込んでは「見つけたよ、ここだね!」とひっくり返す。けれども誰もいない。末娘はそれを見て、「あははは、やーい、やーい」とからかいの声をあげた。魔女は次々に石をひっくり返していき、末娘はまたからかいの声をあげた。
「あははは、やーい、やーい」
「ここだね! ここにいたかい!」
その声を聞くなり、魔女は大きな石に走って行って叫び、女の子はまた「あははは、やーい、やーい」と返した。
「お前はここで何をしているんだい。空豆泥棒め!」
「私は片足を痛めてるから、姉さんたちに付いて走れなかったのよ」
「よろしい、それならウチにおいで。エサを食べさせてやろう」
末娘は喜んで後に付いていった。
この老いた魔女はパン焼き女で、人々にパンを焼いてあげていた。家に着くと、魔女は末娘を木の籠に閉じ込めて、その上にパン焼き皿を被せた。その時、娘と一緒に犬と猫が一匹ずつ籠に入り込んだのだが、それには気付かなかった。
魔女は籠の中の娘にとてもいい食べ物を与えたので、娘はもう少しもお腹がすかなかった。それどころか食べ物を残してしまうほどだ。娘が太り始めたのは当然である。魔女は毎日籠のところに来て言った。
「手をお出し。指に触って、お前が太ったかどうか調べるから」
けれどもその小さな女の子はいつも犬か猫の足を出してみせた。時には自分の足の指を出して触らせたり、そのほか手に持っているものを何でも出した。
そうやって幾日もが過ぎた。けれどもある日、犬と猫が籠から逃げてしまった。それでとうとう、娘は自分の指を見せなくてはならなくなった。魔女はたいそう喜んで言った。
「今までお前の指は空豆の茎のように痩せていたけれど、今日はよく太っているよ。お前の体も同じように丸々していることだろう。急いで籠から出ておいで」
娘は籠から出た。魔女は娘の体中に触ってみて、また喜んだ。
「さあ、急いで隣のおばさんの家へ行ってシャベルを借りておいで。お前にパンの焼き方を教えてあげるから」
娘は急いで駆けて行って、隣のおばさんに魔女に言われたことを伝えた。このおばさんは善い心の持ち主だったので、娘にこう忠告してくれた。
「お前に食べ物をくれたおばさんは、どの女の子にもそうするのだよ。けれどパン焼きを教えてくれはしない。可哀想に、女の子をシャベルに乗せてパン焼き
娘はすっかり悲しい気分になった。けれど親切な隣のおばさんは一所懸命慰めてくれてこう言った。
「でも助かる方法はあるんだよ。あんたが私の言うことをきくならね。あの女があんたをシャベルに乗せたら、すぐにこう言いなさい。
『ああ、シャベルからでは何も習えないわ。シャベルから見ても窯の中がちっとも見えないもの。どうかおばさんがお手本を見せてください』。
あの女がシャベルの上に乗ったら――私の持っている一番大きいシャベルを貸してあげるからね――そうしたら女を真っ赤に焼けている窯に投げ込んでこんがり焼いてしまうんだよ、あの魔女を」
娘は魔女のところに戻ってシャベルを渡した。しかしそのシャベルに乗ることは断った。ところが魔女はなかなか譲らないで強要する。次に娘は魔女に向かって「お手本を見せてください」と頼んだが、魔女はどうしても承知しなかった。長い押し問答の末に、魔女はとうとうシャベルに乗った。娘にお手本を見せるために前かがみになった時、娘は魔女を押した。魔女は窯の中に転がり込んだ。娘は体当たりして窯の扉を閉ざし、魔女を燃え盛る窯の中に閉じ込めた。そしてしっかり窯の扉をロックしてから家の外に出た。
外へ出ると、急いで井戸の水桶、それを引き上げるための綱、オイルランプを集めて隠した。次に髪を白く染め、顔には茶色のしわを沢山つけて、背中には大きなこぶまでつけた。それから隅っこにかがんで、あの老魔女の夫が帰ってくるのを待っていた。
暗くなってから夫が帰ってきた。部屋の中はランプがなくて暗かった。娘は魔女の声を真似て言った。
「ほれ、ご覧よ。あの馬鹿な女の子が今日しでかしたことを。あの娘は家中のものを、テーブルや椅子まで井戸の中にぶち込んでしまったんだよ。おかげで真っ暗なのに灯りも点けられやしない。仕返しに、こんがり焼いてやったんだ。今日は上等のご馳走だよ」
これを聞いて、人間の肉に飢えていた夫は喜んで叫んだ。
「そうか。それじゃ一番柔らかいところを持ってきてくれ」
娘は立って行って窯の扉を開け、こんがり焼けた魔女の肉を一切れ切り取って、年取った夫の前に差し出した。老人は尋ねた。
「おい、婆さん。お前は何で一緒に食べないんだ?」
ずる賢い女の子はこう答えた。
「私はお腹がすいていないんだよ。もう漬物とパンを食べたからね。いいからあんたは食べなさいよ。こんな焼肉はそうそう食べられるもんじゃないんだから」
間もなく老人の胃袋はいっぱいになった。そして喉が渇いたので水を飲みたいと言った。けれども水汲み桶はどこにも見つからなかった。老人は喉の渇きがいっそうひどくなって大声で罵った。そこで二人は考えて、娘が――老人は妻だと思っていたのだが――老人の飾り帯に縄を結びつけて、井戸の中に下ろしてやることにした。
老人が井戸の底に着くと、娘は叫んだ。
「飲んだかい?」
「飲んだ!」
これを聞くと、悪だくみをしている娘は笑って言った。「『
「馬鹿な! 俺は『どっこいしょ』なんて言わないよ。それより早く俺を引き上げてくれ」
けれども娘はますます笑いながら繰り返した。
「どうしても『どっこいしょ』と言いなさい! そうでなければいつまでも下にいるんだよ!」
とうとう老人は腹を立てながら『どっこいしょ』と言った。するとこのずる賢い女の子はこう言った。
「どっこいしょ! 手が滑っちゃった!」
そう言ったかと思うと、女の子は縄を井戸の中に投げ落とし、一目散に逃げていった。
実家ではみんな大変心配していた。だから末娘が戻ってくるととても喜んだ。それから家族であの悪い魔女の家に引っ越して、いつも沢山食べ物のある王様のような暮らしをした。
これで話は終わり。
参考文献
『世界の民話 地中海』 小沢俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1978.
※…どうも被害者は人食い魔女の方に思えるのだが。そして住民を惨殺皆殺しにした家で、その財産を奪ってのうのうと生活できる主人公一家の面の皮は鋼鉄並みだと思う。心臓はさぞや毛深いことだろう。 --> 「コルヴェット」
冒頭で母親が空豆を食べても食べても満たされなくなるくだりは、[ラプンツェル]や「杜松の木」の冒頭と比較すると興味深い。
また、逃げ遅れた末娘が片足を痛めているのは興味深い。説話の世界では「盲目、手足欠損」は「死」の表象として扱われる。片目片足は「半分死んだ者」、即ちこの世とあの世を行き来するシャーマンを意味させていると私は考えている。実際、娘は冥界に属する魔女の家に渡る。
魔女は「パンを焼く女」とされている。燃えるかまど(煮え立つ鍋)は冥界――女神の子宮を象徴し、その女神に仕える巫女、即ち神殿娼婦をローマでは「パンを焼く婦人」と呼ぶことがあった。なので、魔女をパン焼き女と語る影には、「異教の巫女(異端者)」「ふしだらな女」という揶揄が暗示されているかもしれない。 >>参考 <シンデレラのあれこれ〜灰まみれの尻>
魔女は娘に「エサをあげる」と言って連れて行き、籠に閉じ込めて美味しい食べ物を与えては太るのを待っている。これは、娘を動物に読み替えればイメージし易くなる。パン焼き皿で覆ってしまえる籠の中に入る娘は、小さなもののイメージだ。畑を荒らす動物を生け捕りにして、家で飼って、太ったら食べようと思っているのだ。肉なんて滅多に食べられないご馳走である。しかし娘は反対に魔女を料理してしまい、魔女に変装してその料理を魔女の夫に食べさせるのであった。
この話の流れ、何かを思い出さないだろうか。そう、【カチカチ山】の前半部にそっくりなのである。ちなみにあちらでは、畑を荒らして捕らえられた狸が「悪役」であり、狸を食べようとして逆に殺された婆さんと、その肉を知らずに食べさせられた爺さんの方が「被害者」ということになっている。
継子の兄妹が家を追い出され、さまよう内に杭の上に建った小屋に辿り着いた。そこには老婆が住んでいたが、その頭は犬のものであり、目は一つで、足は山羊のものだった。老婆は食事を出してくれたが人肉だったので兄妹が断ると、普通のミルクとパンをくれた。
「私の息子たちはお前たちを食べてしまうだろう。かまどの中に隠れておいで」
やがて老婆の息子の犬頭たちが帰ってきた。
「ここに洗礼を受けた者がいるぞ」
「食べないと約束するんなら会わせてやるよ」
老婆は兄妹をかまどから出した。それから兄は閉じ込められて太らされることになった。
ある日、老婆は女の子に命じた。かまどの上に渡した長柄木べら(シャベル)の上に乗るようにと。そうしてパンのねり粉が溢れないように重石になれと言うのだが、女の子は「私、出来ないわ。お婆さんがやって」と駄々をこねた。老婆が乗ると女の子は木べらから手を離したので、老婆はかまどに落ちて死んだ。
妹は閉じ込められていた兄を救い出し、こんがり焼けた老婆の肉を切り刻んで、顔の皮をはいで逃げた。途中に川があって渡れなかったが、川向こうにいた羊飼いが自分の裾を広げてくれると、それが川の上を覆って橋となり、兄妹は川向こうへ渡ることが出来た。
さて、人食いの息子たちは切り刻まれた焼肉を母が料理してくれた子供の焼肉だと思って食べたが、ひどく堅かったので母親の肉であることに気がついた。そして追って来たのだが、子供たちは既に川の向こうにいる。
「お前たち、どうやって川を渡ったのだ」
「がらんどうの石の上にのっかったのよ」
犬頭の一人が言われたとおりに真似してみたが、石は水に沈んでしまった。残った犬頭たちが尋ねた。
「どうしてあいつは水から出てこないんだ」
「羊を沢山集めたからだよ」
川の水面には向こう岸にいる羊の姿が沢山映っていた。犬頭たちは水の中に羊の群れがいるのだと思い込み、飛び込んで溺れ死んでしまった。
兄妹が家に帰ると継母は死んでいた。兄妹は継母を火葬にした。
参考文献
『世界の民話 東欧[T]』 小沢俊夫/飯豊道男編訳 株式会社ぎょうせい 1977.
※紀元前四世紀のギリシア人医師クテシアスは、インドには犬頭人身の怪物キュノケファロスがいると自著の地誌に記した。その怪物のイメージがそれ以前からあったのか、彼が創作したのかは分からないが、この民話に登場する犬頭の人食いはそれを思い出させる。エジプトの犬頭の冥界神アヌビス(インプゥ)もこの流れに連なるのかもしれない。
ニュージーランドのマオリ族の伝承にも、頭が犬で体に鱗の生えた人食い・カプワイが登場する。カプワイは洞穴に、頭の二つある犬たち五匹と共に住んでいる。一人の美しい娘がカプワイに捕らえられ、その家で家事をさせられていた。ある日、娘は舟を作って川を渡り逃げ出す。それを知ったカプワイは川の水を飲み干してしまおうとするが、全て飲み干す前に娘は実家に逃げ込んだ。村人たちはカプワイの洞穴に行き、その前に枯れ草を積んで火をつけた。たまらずに頭を出したところでカプワイは頭を切り落とされ、川に落ちて石になったと言う。(『Maori Legends(Seven Stories)』 Ron Bacon, Shortland Publications, 1987.)
人食いにさらわれた娘が舟で逃げると、人食いが水を飲み干して捕まえようとする展開は、日本の「鬼の子小綱」や「鬼が笑う」とそっくりである。また、川を渡って逃げた子供を追うために人食いが川の水を飲み干そうとする展開は日本の[三枚のお札]や西欧の[赤ずきんちゃん]系統の類話にも見られる。
人食いの家は杭の上に建っている。これは南方の高床式住居を想起させもするけれど、ロシアのババ・ヤガー(山姥)の住む「鶏の足の上に建った家」と共通のイメージだろう。
老婆は最初は兄妹を庇うのに、何故か後半では兄妹を食おうとして逆襲される悪役に成り果てている。人食いを退治する[ヘンゼルとグレーテル]系の話と、魔神の加護を受ける[継子と山姥]系の話が混じって、まだよく整えられていない感じだ。
ヘンゼルとグレーテルがそうしたように、逃走した兄妹は川を渡る。川の向こう岸にいる者が布を広げてくれ、それが橋になるモチーフは「桃の子太郎と魔法師の娘」にも見える。
追ってきた人食いが川向こうの子供たちに「どうやって渡った」と尋ねると子供たちが嘘を教え、その通りに真似た人食いが死傷する展開は「天道さん金の鎖」系の民話でお馴染みのものだ。また、人食い(黒い娘)が水に映った像を本物と勘違いするモチーフもお馴染みである。
しかし個人的に注目したいのが、ここで子供たちが「がらんどうの石に乗って川を渡った」と嘘をつき、真似た人食いが溺れ死ぬモチーフである。「カチカチ山」で、ウサギに騙されたタヌキが泥舟に乗って溺れ死ぬ展開を思い出しはしないだろうか?
ある男に
イレッドはテリエルの家の家に行き、窓から覗いた。テリエルはイレッドを見つけて「お前を食べてしまうよ」と言った。
「僕を食べても得にはならないよ。だって僕は痩せてるんだもの。おばさん、僕の指はこんなに細いだろ」
イレッドはそう言って木切れを触らせ、テリエルが納得するとこう言った。
「ここにはイチジクの沢山入った壷はないのかい。イチジクの壷の中に座らせてよ。暫くしたら僕の太ってくるのがよく分かるよ」
テリエルは承知し、イレッドをイチジクの貯蔵壷の中に座らせた。こうしてイレッドは壷の中で食べたり歌ったりして過ごした。
数日経つとテリエルが来て、「もう太ったかい?」と訊いた。イレッドが「僕の指を調べなよ」と小さな木切れを出すと、それに噛み付いて「まだ木のように堅いわね。お前、もっと食べなきゃ」とテリエルは言った。イレッドはまた壷の中で食べたり歌ったりして過ごした。だが、ある日歌わなくなった。
「ねえ、イレッド。もしかしたらお前は病気じゃないだろうね。だって歌わなくなったのだもの」とテリエルが訊くと、イレッドは嘆きながら答えた。
「病気じゃないよ。でもイチジクはもう食べられないんだよ。ここにはナツメヤシは少しあるかい?」
こうしてイレッドは今度はナツメヤシの貯蔵壷の中に座って食べたり歌ったりして過ごした。
数日経つとテリエルがまた「もう太ったかい?」と訊きに来た。イレッドはまた木切れを出し、テリエルは噛み付いて「木のようにごつごつしているね。イレッド、お前は充分に食べていないようね」と言った。
「この食べ物はどうもよくないよ。おばさんのところにはバターと蜂蜜はあるかい?」
それからの数日、イレッドはバターと蜂蜜の貯蔵壷の中に座って食べたり歌ったりした。そしてある日、イレッドはテリエルに言った。
「おばさん、ようやく太ったよ。今僕を食べるときっと美味いよ。けれどもっと美味くなるためには、僕は新鮮なイチジクを二、三日食べないと駄目なんだ」
それでテリエルはアイシャという名の一つ目の娘を連れてイチジクを取りに出かけた。その間にイレッドは素早く貯蔵壷から抜け出し、テリエルの家の鍵を奪い、窓から出てイチジクの木に登った。そして熟した実を全て食べてしまうと、未熟な実を下で木を揺り動かしているテリエルと娘に投げ落とした。
「これはイレッドの仕業じゃないかい」とテリエルが怪しむと、「そうだよ」とイレッドは答えた。
「誰が戸を開けてやったんだい」
「おばさんの娘のアイシャだよ」
「嘘よ!」とアイシャは言い、母子は鍵を奪われたことに気づいて少しケンカした。
「ほらほら、ケンカなんてしていないで。もうすぐ夜になるんだから僕を捕まえなきゃ」
イレッドはそう促すと、テリエルの目にイチジクの汁をかけて目潰しをした。そしてアイシャに「お母さんは蜜蜂にやられたんだ」と言いながら一緒に家に帰って、小さな部屋で新鮮なイチジクをたらふく食べた。
二、三日経つと「もう充分食べた。そろそろ家に帰ろう」と考え、イレッドはテリエルを呼んだ。
「もう僕は充分太ったよ。さあ、おばさん、僕を料理する支度をしたら。僕はこんなに太っていておばさんたち二人じゃ食べきれないから、親類の女たちを招くといいよ。呼びに行っている間に僕がアイシャに料理の手順を教えてやるから」
テリエルは感心して出かけていった。イレッドはアイシャに大鍋に湯を沸かすよう指示し、長椅子に座って鍵で頭を掻いた。
「ああ、いい気持ちだ」
「私の頭も掻いて」
「僕の前に座れよ。櫛で梳いてやろう」
アイシャがそうすると、イレッドはポケットからナイフを出してアイシャの首を切り取ってしまった。そしてアイシャの服を脱がせ皮を剥ぎ、体を切り刻んだ。アイシャの服を着、皮を脇に着て肉は鍋の中に放り込んだ。それからアイシャのベッドの上に座った。
夜になると、テリエルが親類の女たちを連れて戻ってきた。アイシャに成りすましたイレッドはベッドに座って泣いていた。
「ただいま、アイシャ。おや、どうして泣いているんだい」
「今、ちびのイレッドが死んでしまったわ。これから誰と遊べばいいの」
「心配しなくていいよ。また別の男の子を捜してやるよ。その子が太るまで、また遊べるからね。さあ、おいで。一緒に食べよう。イレッドは特別美味しいよ」
「私、食べたくないわ」
変装したイレッドはベッドに座ったまま泣きながら言った。女たちは鍋を囲んで座り、肉を食べ始めた。テリエルは鍋からアイシャの目をすくって飲み込んだ。すると一匹の猫が部屋の中に入ってきてテリエルの側を通りながら言った。
ニャオー、ニャオー
なんてひどい母だろう。自分の娘を食べるとは
イレッドはアイシャの皮を女たちの真ん中に投げ捨て、窓から飛び出た。
「ああ、猫の言うとおりだよ。おばさんは自分の娘の目を食べてしまったんだ。もし僕を食べたいならイチジクの木の下においで」
テリエルは両目にかけられたイチジクの汁のために、まだよく目が見えなかった。それでイレッドはまんまとテリエルの手から逃げおおせると、外から叫んだ。
「僕を食べたくないのかい」
「もちろん食べたいさ!」
「だったらイチジクの木の下で大きな焚き火をするといいよ。僕がイチジクの木から火の中へ飛び込むから、丸焼けになってとびきり美味しくなるよ」
テリエルたちは苦労して薪を集めてその通りにした。イレッドは大きな石を紐でイチジクの枝からぶら下げておいた。焚き火が燃えると紐は焼け、石は落ちかかる。イレッドは叫んだ。
「行くぞ!」
石は焚き火の中に落ち、女たちはよく見ようと火の側に走り寄った。
イレッドはこの時とばかり飛び降りて、女たちを一人ずつ火の中に突き飛ばした。こうして、テリエルはこの地方に一人もいなくなってしまった。
テリエルがみな焼けてしまうと、イレッドはテリエルの家から宝石や黄金、着物の気に入ったのを奪って父親のところへ持って帰った。父親はイレッドを叱った。
「俺はお前が事故にでも遭ったんじゃないかと心配して泣いていたんだぞ」
するとイレッドは言った。
「お父さん、僕はたらふく食べて楽しく過ごしていたんだよ!」
参考文献
『世界の民話 カビール・西アフリカ』 小沢俊夫/竹原威滋編訳 株式会社ぎょうせい 1978.
※イレッドが食糧壷の中で食べたり歌ったりして過ごしたという辺りが可愛い感じで印象深い。それだけに終盤の陰惨さが目を引く。
イレッドがアイシャを殺して皮を剥いで成り代わり、アイシャの肉をその母に食べさせるくだりは、【カチカチ山】や[瓜子姫・アンハッピーエンド型]にそっくりである。テリエルが何も知らずに娘の肉を食べていると猫が「なんて母親だ」と鳴いて真相を知らせるのは、赤ずきんちゃんの類話にそっくりなシーンがある。【瓜子姫】[継子と鳥]、アジア系のシンデレラ譚にもあるモチーフだ。
さて、この話を読んでどうお感じだろうか。
「ヘンゼルとグレーテル」では悪いのは魔女であり、飢饉のために子を捨てた母であり、子供たちは被害者だった。けれども、「人食い女」やこの「麦粒小僧とテリエル」では違う。確かに飢えはあるが、子供はその飢えを満たすため、自ら魔女の家に行ってすすんで飼われるのである。彼らを利用するために。
人食いであるはずのテリエルは、ここではイレッドの個性に押されて、さほど悪そうに見えない。イレッドをニワトリかウサギか何かに置き換えて考えてみると分かり易い。太らせるまでは大事に飼って可愛がって、病気になったんじゃないかと心配までする。(イレッドの変装ではあるが)魔女の娘のアイシャはイレッドが死んだ、これから誰と遊べばいいのと泣いて料理を食べるのを拒む。可愛がっていたニワトリを絞めて鶏鍋にした時のことを思い出さないだろうか。
イレッドが魔女の家の鍵を盗むのは、彼が魔女の家…冥界の管理権を掌握したことを意味していると思われる。よって古い冥界の神々はイレッドによって獄火で焼かれて死ぬことになる。
参考 --> 「シュパリーチェク」[親指小僧・童子と人食い鬼型]「クワシ・ギナモア童子」
※母親が継母ということになっているが、四版までは実母だった。飢饉の際の口減らしは現実にあったことで、ギリギリの選択だったろう。子供たちが帰ってきた時、継母は既に死んでいるが、飢え死にしたのかもしれない。
最後に白鴨に乗って川を渡る下りは、魔女の森(冥界)から三途の川を渡って現界へ帰ることを暗示しているが、これは最終第七版に付け加えられたシーンで、それ以前の版には存在していないそうである。グリムは、他の多くの民話のモチーフを鑑みて、冥界と現界を行き来する際には「川を渡る」「鳥が導く」描写があるのが相応しいと考えたのだろう。
鳥に導かれる前、迷った兄妹は木の下に転がって眠りにつくが、他の類似要素のある民話なども併せ読んで推測するに、恐らくここに一つの暗示がある。木は冥界を象徴する。つまり、兄妹はここで一度死んだ…冥界(魔女の森)に入ったのである。
有名な「お菓子の家」は、実際には「パンの家」である。なお、屋根を葺いているクーヘンをクリスマス用のジンジャークッキーか「レープクーヘン〜蜂蜜とスパイス入り堅パン〜蜂蜜クッキー」だと解釈する向きがあり、断定している記述も度々見かけるものだが、原作中では「クーヘン」とされているだけで、種類まで明記されているわけではない。
多くの解説書では、この物語を「少女グレーテルの成長の物語」「親離れの暗示」「母娘の世代交代劇」と解釈している。それ自体に異論はないが、森義信氏の『メルヘンの深層』(講談社現代新書)などで、対してヘンゼルの成長は十分でないと論じているのには疑問を感じた。確かにグレーテルは魔女を殺したが、魔女に殺されぬよう骨を差し出すという知略を用いていたのはヘンゼルだ。確かに白鴨に川を渡してくれるよう頼んだのはグレーテルだが、魔女の森を出ようと指示したのはヘンゼルである。どちらか一方の成長譚ではなく、小さな兄妹が協力し、二人の力で危難を乗り越えた話なのではないか。
解釈の仕方は様々であるが、グレーテルの成長を論じようとするあまり、グレーテルは(継母や魔女のような狡猾な女に成長したに違いないので)あらかじめ魔女の財宝のありかを探っておいたに違いないとまで決め付けているのは行き過ぎだと思った。そんな描写は原作にはない。そもそも、魔女を殺す(兄が殺されそうになる)前日までグレーテルは何一つ出来ず泣いて神に祈っていただけだったと、原作中にはっきり書かれているではないか。
恐らくこの解釈を引いたのだろう、「本当は怖い民話」系の幾つかの本で、ヘンゼルは監禁されて以降、何も出来ない腑抜けになってしまい、助け出されてからも意志薄弱でグレーテルに引っ張っていかれるだけだったとパロディ小説添付で断定的に解説されていることがあり、この系統の本はセンセーショナルな内容が身上なのだと分かってはいるものの、原作を読んでいない人が本当にそうだと思い込んだらどうしてくれるのかと少し不安に感じてしまった。どうもこの説を主張されると「女はしたたかで狡猾なもの、男はひ弱で善良なもの」と言われている気がして、個人的にはそれも面白くない。物語をどう解釈するかは各人の自由だが、原作にない描写を捏造してまで論じるのは感心しない。
屋根がチーズでできた家 スウェーデン
昔、遥か遠くの森の中に、子供の肉を食べるのが大好きな魔霊 女が住んでいました。その家の屋根はチーズで出来ていて、近くを通りかかる子供をおびき寄せて捕まえると、かまどで焼いて食べてしまうのです。
さて、その森の近くに貧しい小作人の夫婦が住んでいました。夫婦には男の子と女の子がありましたが、ある日、家に食べ物がなくなったので、木の実を採って来るようにと言って森へやりました。
兄さんと妹が森をどんどん歩いていくと、屋根がチーズで出来ている家がありました。二人はその美味しそうなチーズを食べてみたいと思い、まず兄さんが、そっと屋根の上に登りました。するとトロル女が言いました。
「誰だい? 私の屋根をつまみ食いしているのは誰だい?」
兄さんは細い声で答えました。
「神さまの天使だよ。ほんのちっちゃな天使だよ」
「そうかい。それじゃ、安心してお食べ!」と、トロル女は言いました。
そこで兄さんは、大急ぎでチーズをひとかたまり掴み取ると、無事に妹のところに帰りました。
それからしばらく経ったある日、子供達はまた森へ行きました。今度は妹も、兄さんと一緒に屋根に登りたいと言いました。兄さんは反対しましたが、妹は言うことを聞きませんでした。
さて、二人が屋根に登って美味しいチーズを食べ始めると、またトロル女が言いました。
「誰だい? 私の屋根をつまみ食いしているのは誰だい?」
兄さんは細い声で答えました。
「神さまの天使だよ。ほんのちっちゃな天使だよ」
ところが、続けて妹が大きな声で言いました。
「それから私、私もよ!」
途端に、トロル女の掛けた呪 いで、子供達は屋根を踏み破って頭から家の中に転がり落ちました。
「なるほど、お前たちは確かに可愛い綺麗な天使だね。しめしめ。これで美味しい丸焼きが食べられる」と、トロル女は言いました。そして
「お前たちの母さんは、どうやって豚を殺すんだい?」と尋ねました。
「ええと、ナイフで刺し殺すのよ」と、妹が言いました。けれども横から「違うよ」と兄さんが言いました。
「母さんは、豚の首を布で優しく包 むんだよ
「そうかい。それじゃあ、私もそうしよう」
そう言ってトロル女は兄さんの首を布でぐるぐる巻きにしました。すると、兄さんは死んだように床に倒れてみせました。
「お前、死んだのかい?」と、トロル女が尋ねました。
「うん、そうだよ」
「そんなはずないよ。死んだら口がきけるわけないじゃないか」
トロル女がそう言うと、兄さんは言い返しました。
「僕の母さんは、いつも、まず豚を太らせてから殺してたよ。それを教えてあげようと思ったのさ」
「なるほど。ありがとうよ、それじゃあ、私もそうしようかね」
トロル女は二人の子供を捕まえると、豚小屋に閉じ込めました。それから尋ねました。
「お前たちの母さんは、豚を太らせるのに何を食べさせるんだい?」
「ビールかすとか、台所の残飯よ」と、妹が言いました。けれども横から「違うよ」と兄さんが言い直しました。
「母さんは、木の実やミルクを豚にやってたよ」
「そうかい。それじゃあ、私もそうしようかね」
トロル女はそう言って、それから子供たちは毎日、木の実やミルクをもらいました。
しばらく過ぎたある日、トロル女は豚小屋にやってきて言いました。
「指を出してごらん。充分太ったかどうか、見てやるから」
妹は言われたとおりに指を出そうとしましたが、兄さんは素早くそれを押しとどめ、代わりに細い木の棒を差し出しました。トロル女はそれに触って言いました。
「まだまだ痩せてるね。もうしばらく太らせなくちゃ駄目だ」
それからは木の実もミルクも二倍になりましたので、子供達には食べきれないほどでした。
何日か経って、トロル女はまた豚小屋にやってきて言いました。
「指を一本出してごらん。太り具合を見るんだから」
兄さんは、キャベツの芯を突き出しました。トロル女はそれを切ってみて、子供たちがよく太ったと思いました。そこで子供たちを豚小屋から出して、母屋へ連れて行きました。家の中ではかまどに火がついていて、子供を丸焼きにする用意はすっかり出来ていました。
「さあお前たち、どちらでもいいから、このパン焼き板に座るんだよ」
トロル女は、パンを焼くときに使うシャベルを出して言いました。妹が素直に前に出て座ろうとしましたが、兄さんは妹を押しのけて、自分が代わって座りました。そしてトロル女が焼き板をかまどに入れようとするたびに、わざと下に転がり落ちました。トロル女は怒って言いました。
「どうしてちゃんと座っていられないんだい!?」
すると兄さんは言いました。
「トロルのお婆さん、自分で焼き板に座ってみせてよ。そうすれば、僕も上手く出来るよ」
トロル女は、言われたとおりに焼き板の上に座ってみせました。その瞬間を待っていた兄さんは、すぐさまトロル女をかまどの中に押し込んで、扉を閉めました。こうしてトロル女は焼け死んでしまいました。
そこで、子供達はトロル女の家にあった宝物を全部持って、父さんと母さんの待つ家に帰りました。それから、みんなは死ぬまで幸せに暮らしました。
参考文献
『子どもに語る 北欧の昔話』 福井信子/湯浅朱実編訳 こぐま社 2006.
参考 --> 「魔女カルトとチルビク」「ダニーラ・ゴヴォリーラ王」「頭のてっぺんに口のある老人」
上の類話では、思慮深いのは兄であり、妹は考えなしだ。そもそも捕まったのも妹のせいなのだが、兄はずっと妹を庇って、最後には人食い女も倒してしまう。グリムの「ヘンゼルとグレーテル」は、妹グレーテルの成長物語、母娘の交代劇と解釈することもできるだろう。しかし、このタイプの民話全体が「娘の成長」を語るためのものというわけではなさそうである。
ちなみに、「お菓子の家の魔女は実は子供を保護した善良な老婆で、ヘンゼルとグレーテルは恩を仇で返した悪党だ」という解釈も、巷で時々みかけるものだ。確かに、いくら悪人とは言え魔女の死に様は残酷で、そう解釈したくなるのも無理はないかもしれない。
実は、民話の中には人食い女側の完全勝利バージョンも存在する。森に迷い込んだ兄も妹も、人食い女に騙され、煮え立つ鍋に落とされて人知れず食い殺されるだけだ。魔女が可哀想だ悪いのはヘンゼルとグレーテルだと思った方には、そちらのバージョンもお勧めする。--> 「人食い女(パプア・ニューギニア)」の後半部分 …これはこれで後味が悪いと思うけど。いや全く。