>>参考 「シン・シン・ラモと月」「ダニーラ・ゴヴォリーラ王」
あったてんがな。
あるどこにお寺があって、和尚さんと小僧が住んでいた。ほうして、和尚さんが、
「小僧、小僧、彼岸が来るすけ、山へ花取りに行ってこいや」と言わした。和尚さんは、
「山へ行って危ないことがあったら、このありがたい札三枚やるすけ、思い事を頼め」と言うて、札三枚預けらしたてや。
小僧は山へ行って、綺麗な花を探して、一本
ほうしると、山の向こうに、チカンチカンと明かしが
「
「おう、お寺の小僧だな。
と言うて、泊めてくれたてや。
「晩には、おらが小僧抱いて寝るど」
「いや、おら、一人が
夜中に小僧が目覚ましたれば、ばさが、小僧の頭やほっぺたをペランペランと舐めて、
「小僧は美味げだな」なんて言うてるんだんが(言っているものだから)、小僧は「こら、鬼ばさだ。はや、逃げよう」と思た。
「ばさ、ばさ。おら、
「なに、
「もったいねえ、ばさの手には、しられん」と言うども、雪隠へ遣ってくれねえ。
「ばさ、ばさ。おら、
「だけや(それなら)、行って来い。今、縄いつけてくっず(縄を結わえつけてやる)」
と言うて、腰に縄いつけて、雪隠へ遣った。ちっとめえると(少しすると)、ばさ、キツンと縄引っ張って、「小僧、小僧、いいか」と言うんだんが(言うのだが)、小僧は「まだ、まあだ。ビッチビチの盛り」と返事していた。ほうして小僧は、腰の縄、ほどいて、
「札、札、おらの代わりに返事してくれや」と頼んで、ドンドン逃げて行った。
ばさがまた、キツンと縄引っ張って、「小僧、小僧、いいか」と言うたれば、柱の札が、
「まだ、まあだ。ビッチビチの盛り」と返事した。また、ばさが、
「小僧、小僧、いいか」
「まだ、まあだ。ビッチビチの盛り」
と、そうばっか言うてるんだんが(言っているものだから)、ばさ、業焼いて(業を煮やして)、
「小僧め、おらを
小僧はドンドン逃げたども、ばさの足は速くて、もうちっとでつづかれそう(捕まりそう)になって、
「大山、出ーれ」
と言うたれば、ばさの前に大山が出た。ばさが、その山へ駆き上がってるうちに、小僧は先へドンドン逃げた。ほうして、ばさ、もう大山越えて追っかけてきて、またもつづかれそうになった。小僧は、
「大川、出ーれ」
と言うたれば、ばさの前に大川が出た。ばさ、その大川、ガボガボ漕いでくるてや。ほうして、小僧はそのこまに、ドンドン先へ逃げた。
小僧は、お寺へやっと逃げてきた。
「和尚さま、和尚さま、はや、戸開けてくんなせ。山の鬼ばさが追っかけてきた」
「おうい。今、ふんどし締めて」
「はや、はや」
「おうい。今、
「はや、はや」
「おうい。今、帯締めて」
「はや、はや」
「おうい。今、草履履いて」
「はや、はや」
「おうい。今、
なんて、和尚さんはゆっくら(ゆっくり)して、やっと戸開けて、そこらへ隠してくれなした。そこへ鬼ばさが飛んで来て、
「和尚さん、小僧が来たろうの」
「いや、おら知らんど」
「ほうせば、
と言うて、そこらを捜したが、どこにもいねえ。しまいに井戸を覗いたら、自分の影を見て、
「小僧、ここにいたな」
と言うて、ドボンと飛び込んで死んでしもたてや。
いきがポーンとさけた。
参考文献
『おばばの夜語り 新潟の昔話』 水沢謙一著 平凡社名作文庫 1978.
昔、爺さんと婆さんがいた。婆さんが一人娘を残したまま死んでしまったので、爺さんは新しい女房をもらった。意地の悪い後妻は継娘が嫌いで、しょっちゅう叩いては、何とかしてこの娘を追い出してしまいたいと思っていた。ある時、父親がどこかへ出かけた隙に、継母は娘にこう言った。
「おばさんのところへ行っておくれ。私の姉さんのところだよ。お前のシャツを縫ってやるから、針と糸を借りておいで」
このおばさんというのは骨の一本足の
「あそこへ行くと、白樺がお前の目を叩こうとするだろう。だからリボンで結んでおやり。門がギィーと鳴ったりバタンと閉まりかけたら、敷居に油を垂らしておやり。犬どもがお前に噛み付こうとしたら、パンを投げておやり。猫がお前の目を引っかこうとしたら、ベーコンをおやり」
娘はこの忠告を聞いてから出かけ、散々歩いてからやっと着いた。
そこには小屋が一軒建っていて、中で骨の一本足のババ・ヤガーが機織りをしていた。
「おばさん、こんにちは」
「こんにちは、可愛い姪っ子や」
「母さんの言いつけで、針と糸を借りにきました。私のシャツを縫ってくれるんですって」
「いいとも。ここでちょっと機織りをしていておくれ」
娘が機の前に腰を降ろすと、ババ・ヤガーは外に出て女中にこう言い付けた。
「風呂を焚いてわしの姪を洗ってやれ。しっかり見張っていろよ。わしの朝飯にするんだからな」
これを耳にして、娘は驚いて生きた心地もせず、女中にこう言って頼むとハンカチを与えた。
「お願い、薪は燃やさないで濡らしてちょうだい。風呂桶の水は
ババ・ヤガーは待ちかねて、窓の下へ来てこう尋ねた。
「姪っ子や、機織りをしてるかい? 本当に機織りをしているかい?」
「ええ、おばさん。機織りをしてるわ」
ババ・ヤガーが行ってしまうと、娘は猫にベーコンを一切れやってこう訊いた。
「ここから逃げ出す方法はないかしら」
「櫛とタオルをあげるから、これを持って逃げるといい」と猫は答えた。「ヤガー婆さんは君を追うだろう。耳を地面に当ててごらん。近付いてきたなと思ったら、まずタオルを投げるんだ。すると広い広い川が出来る。それでも婆さんは川を渡って、また追いつきそうになるだろう。もう一度地面に耳を当てて、近付いてきたなと思ったら、櫛を投げるんだ。今度は深い深い森が出来る。そうすればいくら婆さんでも森を通り抜けられっこないよ」
娘は猫にお礼を言い、タオルと櫛をもらって逃げ出した。娘を八つ裂きにするはずの犬どもは、ロールパンをもらって大人しく通し、大きな音を響かせるはずの門は、娘が敷居に油を垂らすと静かに開いて通してくれた。目を潰すはずの白樺は、リボンを結ばれて大人しくなった。その間、猫が機の前に腰を下ろして織っていた。いや、織るというより糸をもつれさせていた。ババ・ヤガーが窓辺に近付いて尋ねた。
「姪っ子や、機織りをしてるだろうね。いい子や、機を織ってるね?」
「はいはい婆さん、織ってますとも」と、猫が荒々しい声で答えた。
ババ・ヤガーが小屋の中へ飛び込んでみると、娘はとうに逃げ出した後だったので、「どうして娘の目玉を引っかいてやらなかった」と喚きながら猫をぶった。猫はこう言い返した。
「僕はアンタの為に随分働いてきたけど、骨一本くれたことがあったかい。なのにあの娘は僕にベーコンをくれたんだ」
ババ・ヤガーは犬どもや門や白樺や女中にも怒鳴り散らし、喚きながら殴りかかろうとした。
犬どもはこう言った。
「俺たちはお前に随分尽くしてきたが、パンの耳すらくれたことがない。なのにあの娘は俺たちにパンをくれたんだ」
門はこう言った。
「わしは随分お前さんの役に立ってきたが、水さえ垂らしてくれたことがない。なのにあの娘はわしに油を差してくれたんだ」
白樺はこう言った。
「おいらはあんたのために随分働いたもんだが、糸一本結んでもらったことがない。なのにあの娘はおいらにリボンを結んでくれたんだよ」
女中はこう言った。
「私はあなたのために随分働いてきたけれど、ぼろ切れ一枚もらったことはないわ。なのにあの娘は私にハンカチをくれたのよ」
骨の一本足のババ・ヤガーは大急ぎで石臼に飛び乗ると、杵で漕ぎ、箒で跡を消しながら娘を追い始めた。娘は地面に耳を当て、ババ・ヤガーが間近まで迫った音を聞きつけると、タオルを出して後ろに投げた。すると広い広い川が出来た。川に阻まれたババ・ヤガーは歯噛みして悔しがった。急いで家に引き返すと、雄牛どもを連れて川まで追い立ててきた。牛が綺麗に水を飲み干してしまったので、婆さんはまた追いかけ始めた。娘が地面に耳を当てると、ババ・ヤガーはすぐそこまで来ている。そこで櫛を後ろに投げた。たちまち深い恐ろしい森が現れた。ババ・ヤガーは片端から木を食べ始めたが、いくら頑張っても齧り尽くせるものではない。とうとう諦めて家へ戻っていった。
その頃、爺さんが外から帰ってきてこう訊いた。
「わしの娘はどこにいる」
「おばさんのところへ行きましたよ」と継母が答えた。
暫くすると娘が家へ駆け込んできた。「どこへ行っていたんだね」と父親が尋ねた。
「ああ、父さん、こういうわけなの。
「それでどうやって逃げてきたんだ」
娘はこれまでのことをすっかり話して聞かせた。爺さんは訳を聞くと後妻に腹を立て、鉄砲で撃ち殺してしまった。それからは娘と二人で何不自由なく暮らした。
私は呼ばれて蜜酒を振舞われたが、みんな髭を伝って流れてしまい、一滴も口に入らなかった。
参考文献
『ロシア民話集〈上、下〉』 アファナーシェフ著 中村喜和編訳 岩波文庫 1987.
『世界むかし話集〈上、下〉』 山室静編著 社会思想社 1977.
※継母が継子を害しようと「自分の親戚・知人の」魔女の家に行かせる…というモチーフは他の継子譚でも見かけることがあるが、ここで本当に魔女が継母の血縁だと考えてしまうのは早計だろう。ババ・ヤガー(山姥/魔女)は民話で語られる冥界の女神なのだと思われる。そのババ・ヤガーの家へ行けと継母は命じた。つまり、これは継子が継母によって死に追いやられたことを示す比喩なのである。
伝承の世界では、盲目になることは死の比喩として扱われる。よって、目を潰そうとする白樺や猫は「死」をキャラクター化したものである。死神だと言ってもいい。
(余談ながら、インドネシアのニアス島の伝承によれば、冥界の入口には楯で武装した番人がいて、一匹の猫を供にしていると言う。番人は死者の生前の罪を調べる。ここで悪人だと判明した者は冥界へ入る橋を渡ることを許されず、猫によって地獄へ突き落とされるそうだ。中国の伝承では、山上の蟠桃の木の下に神荼と鬱壘という兄弟神がいて、ここに来る鬼…即ち霊を審判し、悪であれば縄で縛って虎に食わせたと言うが、恐らく同根の伝承なのだろう。)
ババ・ヤガーが娘を食べるために沸かさせようとした風呂は地獄の釜だし、女中が
娘は冥界から逃げ出す。ババ・ヤガー…「死」は、それでも追いすがってくる。ここで呪的逃走が行われるが、娘が出す「川」「森」はいずれも現界と冥界の
ところで、ここでババ・ヤガーが森の木を片端から齧ったとされているのは興味深い。「月の中の木犀の木」や「九つの頭の龍と九人の兄の妹」「シュパリーチェク」などの[天道さん金の鎖]系の話群には、人食い女から逃げた主人公が木に登って逃れ、しかし人食い女は齧ったり斧で切って木を倒そうとする…というシーンがある。これらと同じことを語っているのだと考える。(また、「魔女カルトとチルビク」に現れているように、死(夜)が全てを食らい尽くし呑み込もうとしたが、全てを(永遠に)呑むことは出来なかった、と解釈することも出来る。)
どうして人食いは木を齧るのか。
[幸運児]系の話群には、若返りの林檎の木の根元に大蛇がいて、それが根を齧るために林檎がならなくなったと語るものがある。北欧神話にある世界樹ユグドラシルも、その根を悪竜が齧り、葉を鹿が食べて枯らそうとしていると語られる。それは「世界」という大きな循環の中にある「死の相」を意味していると思われる。つまりババ・ヤガー(山姥)は、そうした「世界のシステムの中の、死をもたらす力」であると想定されていることが見て取れる。
どーでもいいことだが、猫が逃げた娘の身代わりになって返事をするシーン。猫なんだから可愛らしい声で「はいはい、織ってますニャアv」とか答えるのかと思いきや、荒々しく太い声だったために山姥に怪しまれるのである。絶望した!
天邪鬼が瓜子姫に化けて機を織るシーンを思い出す。
昔、姉妹がいた。父親が無職だったので娘たちは家を出て幸せを探したいと考えた。
一番目の娘はお屋敷勤めをしようと思い、町に出て仕事口を探した。けれども誰も雇ってくれなかったので、仕方なく田舎の方へ歩いて行った。すると沢山のパンが焼かれているかまどがあり、それが話しかけてきた。
「小さな娘さん、小さな娘さん。僕らを出しておくれ、出しておくれ。七年も焼かれてるのに、まだ誰も出しに来てくれない」
娘はパンを出してやって地面に置くと、また先へ進み始めた。次に牝牛に出会った。
「小さな娘さん、小さな娘さん。私の乳を搾っておくれ、搾っておくれ! 七年も待ってるのに、まだ誰も搾りに来てくれない」
娘は側にあった桶に乳を搾ってやり、喉が渇いていたので少し飲んで、残りはそのままにして行った。それからまた少し先へ行くと、実が生り過ぎて重たげに枝が垂れ下がっている林檎の木があった。
「小さな娘さん、小さな娘さん。私の実を振るい落としておくれ。あんまり重くて枝が折れそうだ」
娘は実を全部落としてやり、枝につっかえ棒をしてやって、実は地面の上に置いて行った。そしてまた歩いていくと一軒の家に着いた。ここには魔女が住んでおり、娘たちを引き込んでは女中に使っていた。娘が仕事先を探していると聞くと「それじゃ試しに雇ってやろうかね、お給金はたっぷり弾むよ」と言った。
「家の中をきちんと綺麗にして、床と暖炉を掃除しとくれ。だけど一つだけ、やってはいけないことがある。決して煙突の中を覗かないこと。覗けばお前に悪いことが起こるよ」
娘は言われたとおりにしますと約束したが、魔女が出かけていた朝、掃除をしているうちに言いつけを忘れて煙突を下から見上げてしまった。途端に、お金の入ったとても大きな袋が膝の上に落ちてきた。それも一度だけではなかった。そこで娘は、さっさと家に帰ることにした。
ところがしばらく行くと、後ろから追いかけてくる魔女の足音が聞こえた。そこであの林檎の木に駆け寄ると娘は叫んだ。
林檎さん、林檎さん、匿っておくれ
魔女婆さんに見つからないように。
見つかったら大変、骨にされ
大理石の下に埋められてしまうもの
林檎の木は娘をうまく隠した。やがてやって来た魔女は訊ねた。
私の木や、私の木
小さな娘を見なかったかい?
手足ふりふり長い尻尾の袋を担ぎ
あらいざらい金を盗んで行った娘だよ
「いいや、婆さん。ここ七年は見たことないね」と、林檎の木は答えた。
魔女が行ってしまったので娘は先へ歩いた。あの牝牛の辺りへ来た時、後ろから追いかけてくる魔女の足音が聞こえたので、急いで牝牛に駆け寄ると娘は言った。
牛さん、牛さん、匿っておくれ
魔女婆さんに見つからないように。
見つかったら大変、骨にされ
大理石の下に埋められてしまうもの
牝牛はうまく隠してくれた。やがてやって来た魔女は辺りを見回して訊ねた。
私の牝牛や、私の牝牛
小さな娘を見なかったかい?
手足ふりふり長い尻尾の袋を担ぎ
あらいざらい金を盗んで行った娘だよ
「いいや、婆さん。ここ七年は見たことないね」と、牝牛は答えた。
魔女が反対の方へ行ってしまったので、娘はまた先へ歩いた。あのかまどの辺りへ来た時、またまた魔女の追いかけてくる足音が聞こえたので、かまどへ駆け寄って言った。
かまどさん、かまどさか、匿っておくれ
魔女婆さんに見つからないように。
見つかったら大変、骨まで折られ
大理石の下に埋められてしまうもの
するとかまどは言った。「おいらにゃ場所が無いよ。パン屋に頼んでおくれ」。そしてパン屋がかまどの後ろに隠してくれた。魔女はやって来ると、あっちこっちをくまなく探してからパン屋に言った。
私のパン屋、私のパン屋
小さな娘を見なかったかい?
手足ふりふり長い尻尾の袋を担ぎ
あらいざらい金を盗んで行った娘だよ
そこでパン屋は「かまどの中を覗いてみな」と言った。魔女が覗き込むとかまどが言った。「中まで入って、ずうっと奥まで捜してみな」。魔女が言われたとおりかまどの奥まで入ると、かまどは蓋を閉じてしまい、魔女はそれから長い間、閉じ込められたままになった。
娘はお金の入った袋を持って家へ帰り着き、お金持ちの男と結婚して、それから先ずっと幸せに暮らした。
ところでもう一人の娘も、家を出て同じことをやってみようと思った。それで同じ道を歩いて行ったが、かまどからパンを出してやらなかったし、乳も搾ってやらなかったし、林檎の木も揺すってやらなかった。魔女の家に着き、同じように言いつけを忘れてたまたま煙突を見上げて金袋を手に入れた。そして家に帰ろうとしたが、林檎の木の辺りまで来ると魔女が追いかけてくる足音が聞こえた。娘は林檎の木に駆け寄って言った。
林檎さん、林檎さん、匿っておくれ
魔女婆さんに見つからないように。
見つかったら大変、骨にされ
大理石の下に埋められてしまうもの
けれども林檎の木は返事をしなかったので、娘はもっと先まで駆けて行った。まもなく魔女が来て林檎の木に訊ねた。
私の木や、私の木
小さな娘を見なかったかい?
手足ふりふり長い尻尾の袋を担ぎ
あらいざらい金を盗んで行った娘だよ
「見たとも、婆さん。あっちへ逃げてった」と林檎の木は答えた。
そこで魔女の婆さんは後を追いかけ、娘を捕まえた。お金を全部取り戻し、こっぴどくひっぱたき、元のまんまの姿で家へ追い返した。
参考文献
『イギリス民話集』 河野一郎編訳 岩波文庫 1991.
※グリムの「ホレおばさん」を思い出すだろう。ただし、あちらは魔女の言いつけどおり働いた報酬として黄金を授かるのに、こちらでは善い娘も悪い娘も言いつけを破ったうえ、お金を盗んでいる。マメに立ち回り、ずる賢く要領のいい娘が勝ち組になるのだった。
「ホレおばさん」にもある かまどや林檎の木の願いを叶えてやるエピソードは、恐らくこの話のように、冥界の門番たちを予め宥めておいたために黄泉帰りが可能になった、というのが本来の意味だったのだろう。「ババ・ヤガー」とも共通した要素である。
ちなみに、類話によっては娘が盗んだお金は元々魔女が娘の母親から盗んだものだったと説明しているそうである。「ジャックと豆の木」でも類話によっては巨人の財宝は全てジャックの父親から盗んだものだったと説明しているものだが。
次に紹介する類話はおまけ。呪的逃走モチーフはないが、結末のつけ方など、全体の構造が「ババ・ヤガー」によく似ている。
娘を一人持ったやもめのトルコ人がいる。娘が言う。
「どうして奥さんを貰わないの。そうしたら世話をしてもらえるのに」
「そうしたらお前が苛められないかね、わしはそれを防ぐことは出来ないんだよ」
やがて父は再婚したが、三日目に、果たして妻は「娘を追い出さない限り、あなたの妻にならない」と言った。そしてパンを一つ焼き、父娘にそれを持って森へ行かせた。
父は焚火をして娘にあたらせ、「薪を拾ってくる」と姿を消した。娘がパンを食べていると、熊がやってきて前足でちょっかいをかける。
「あっちへ行っておいで。私には悲しみがあるんだよ。父さんが薪を集めに行ったきりまだ帰らないんだもの」
それでも来るので、燃えている薪を投げつけて胡桃のようにぱちんと割れさせてしまった。翌朝やってきた木こりたちはこれを見て喜び、娘を村へ連れていっていろいろお礼の品をくれた。
娘が戻ると、継母は夫を責め、夜になると「二度と戻ってこないように娘を捨てなければ、お前のところにはいない」と言った。そしてパンを焼き、わざとある場所めがけて転がした。娘はそれを追って崩れかけた水車小屋に行き、泊まってパンを食べようとした。すると一羽のメンドリが現われ、娘に近付こうとする。しかしその度に娘は黙ってパン屑を投げ、メンドリは近付けない。やがてメンドリは急に消え、オンドリが現われたが、同じことになって夜が明けた。
やがて村人たちが通りかかって水車小屋の前に座っていた娘を見つけ、中のジプシーの男が「ここにはお化けが出るからよそへお行き」と言った。娘は自分が継母に疎まれ、父親にここに連れてこられて一人で一夜を明かしたこと、家へ帰ればまた継母が父親に意地悪するだろうから、帰るに帰れないということを話した。そしてその晩も水車小屋に泊まったが、真っ白い衣の坊さんが入ってきてパイプに火を付け、娘を好き勝手にいじり回した。娘が黙ってじっとしているとまた近付き、手や足やパイプで触りまくる。それでも黙っていると、思っていた通り、出し抜けに消えてしまった。次にメンドリが出てしつこく娘に飛びかかったが、またパン屑を投げ続けた。すると最後にオンドリがコケコッコーと鳴き、後は静かになった。そこで娘はぐっすり眠った。
翌朝、娘は家に帰った。「どこにいたんだ、もう死んでしまったかと思った」と愚痴を言う父に、娘は「あんたはあの女のために私を半殺しにしたのよ」と恐怖のために乾いた舌を見せた。継母が「何しにきた」と罵った。
「あんたにはお気の毒だけど、父さんのとこへ帰ってきたのよ」
「そんなことはわかってる。お前はそうやって、父さんを自分のものにして、ご機嫌をとろうっていうんだッ!」
するととうとう
「お前は自分のためにわしと娘を引き裂こうとしたんだ。だが、そうしたけりゃ、自分の母親と暮らすがいい」
と父は言い、娘と共に家を出て、幸運にも着物などがいっぱいの空家を見つけて暮らした。やがて継母が追ってきたが、父娘は相手にしない。腹に据えかねた父は短刀で継母を殺そうとするが、娘はそれを取って自ら継母の喉笛をかっ切って殺してしまった。
参考文献
『世界むかし話集〈上、下〉』 山室静編著 社会思想社 1977.
※語り手の激しい気性が滲み出ている。この語り手は、よほど悪役の継母が憎くてたまらなかったんだろう。最後に継娘自身がナイフで継母の喉笛をかっ切って殺してしまうのは凄まじい。他の一般的な継娘ヒロインたちとはまるで違う。
娘が父に再婚を勧めるが、いざ再婚すると継母に虐待されるモチーフは「水晶の柩」「森の三人の小人」などにも見える。娘が燃えている薪を投げて熊を弾けさせてしまうのは、「山姥と石餅」や「頑固な頭の少年と小さな足の妹」で見られるのと同じ、呑み込む怪物の口の中に火を投げ込んで退治するモチーフかと思われる。
参考 --> 「うるわしのワシリーサ」「ホレおばさん」
お兄ちゃんと妹の二人が泉のほとりで遊んでいるうち、ぽちゃんと水の中へ落ちました。水の中には水に住む魔女がいて、
「とうとう捕まえたぞ。これからは一生懸命に働いて、あたしに奉公するのだよ」と言いながら二人を連れて行きました。
魔女は、女の子にはこんがらがった汚い亜麻をあてがって糸を紡がせました。また、汲んだ水を運ぶのも女の子の仕事でしたが、水を入れる樽の底は抜けていて、いつまで経ってもいっぱいにはならないのでした。男の子の仕事は斧で木を伐ることでしたが、その斧はなまくらで、いつまで経っても仕事は進まないのです。それで食べるものといったら石のようにカチカチのお団子ばかりでした。子供たちは辛抱できず、日曜日に魔女が教会へ行って留守にするのを待って逃げ出しました。
教会から帰って小鳥たちが逃げ出したのを知ると、魔女は大股で跳ぶように走って追いかけました。子供たちは遠くに魔女の姿を見ました。女の子が鏡を後ろに投げました。それはたちまち鏡の山となり、つるつると滑って魔女はどうしても越えることが出来ません。そこで家に帰って斧を取ってきて、鏡を叩き割りました。
けれども、その頃にはもうとっくに、子供たちは遠くへ逃げてしまっていました。仕方なしに、魔女はとぼとぼと泉の中へ戻って行きました。
参考文献
『完訳 グリム童話集』 金田鬼一訳 岩波文庫 1979.
※語り手が細部を殆ど忘れてしまっていたのだろう。物語の骨しか残っていない。
泉の底の魔女は、擬人化された「死」である。冥王、死神と言い換えてもいい。魔女の家で課せられる永遠に終わらない仕事は、ギリシア神話でも冥界の罪人の労働として描かれている。死者は育ちも老いもしない。死者の上には永遠に時間が流れない。だから、死者の水汲みも伐採も永遠に終わらず、不毛に続くのだ。
子供たちはその「死」から逃れ、「鏡の山」を越えて現界へ帰還し、黄泉帰る。鏡の山は西欧の民話にしばしば登場する「ガラスの山」や、日本の「三枚のお札」に登場する「砂の山」と同じものだと思われる。つるつる滑って登れない越えられないそれは現界と冥界の境界であり、冥界そのものでもある。私たちの感覚では「針の山」と語った方がしっくりくるだろう。日本では地獄には針の山があるというイメージが一般に知られている。つまり、そういうものである。
子供が「死」に捕らえられ、しかしそこから逃げ出す様子を幻想的に描いた民話には、以下のものもある。
昔、マーシャとワーニャという幼い姉弟がいた。百姓をしている両親が町に出かけて留守にした日、マーシャは両親に弟の面倒を見るよう頼まれていたのに友達の家に遊びに行ってしまい、その間にワーニャは真っ白い鳥たちの翼で連れ去られた。帰宅してそれに気付いたマーシャは、弟を探して野原に駆け出した。遠くに白い鳥が見え、暗い森に消えようとしている。それを追って走っていくと、野原の真ん中にペチカが建っていた。
「ペチカ、ペチカ。教えてよ、白い鳥はどっちへ飛んで行ったかしら?」
「薪をくべてあったかくしておくれ。そうしたら教えてあげよう」
マーシャは急いで薪を割ってペチカにくべた。ペチカは白い鳥の行った方を教えてくれた。そちらへ走っていくと鈴生りの林檎の木があった。
「林檎の木、林檎の木。教えてよ、白い鳥はどっちへ飛んで行ったかしら?」
「実を振るい落として軽くしておくれ。そうしたら教えてあげよう」
マーシャは木を揺すり、林檎の木は軽くなった枝を広げて白い鳥の行った方を教えてくれた。そちらへ走っていくと、深い森の入口に至った。困り果てていると足元の株の上にハリネズミが顔を出した。
「ハリネズミ、ハリネズミ。教えてよ、白い鳥はどっちへ飛んで行ったかしら?」
「私に付いてらっしゃい」
ハリネズミは丸い玉になって転がった。もみの林を抜け、白樺の林を抜け、一軒の小屋の側まで来た。それはニワトリの足の上に建ったババ・ヤガー(山姥)の家だった。ババ・ヤガーが糸を紡いでいるのが窓から見え、ワーニャは小屋の前で金の林檎で遊んでいた。
マーシャは忍び寄ると、弟の手を掴んで逃げ出した。しばらくして窓から外を見たババ・ヤガーはこれに気付き、大声で白い鳥たちに命じた。
「急げ、白い鳥たちよ! 追え。ワーニャを連れ戻せ!」
白い鳥たちは一斉に翼を広げて舞い上がった。弟の手を引いて逃げるマーシャが振り返ると、白い鳥たちがギャアギャアと啼きながら追ってくるのが見える。マーシャはミルクの川に駆け寄ると言った。
「ミルクの川、ミルクの川! お願い、私たちを隠して!」
ミルクの川はマーシャとワーニャをゼリーの岸の陰に隠した。白い鳥たちは二人を見つけられずに通り過ぎ、マーシャはミルクの川に礼を言うとまた駆け出した。するとまた白い鳥たちが追ってくるのが見えた。
「林檎の木、林檎の木! お願い、私たちを隠して!」
林檎の木は繁った枝の間に姉弟を隠した。白い鳥たちは二人を見つけられずに飛んで行き、マーシャは林檎の木に礼を言うとまた駆け出した。けれどもまだ白い鳥たちは追ってきて、とうとう捕まえられそうになった時、ペチカのところに辿り着いた。
「ペチカ、ペチカ! お願い、私たちを隠して!」
ペチカは姉弟を自分の大きなかまどの中に隠した。白い鳥たちは煙突に首を突っ込んだり鉄の扉をつついたりしたが、入ることが出来ず、悔しそうに啼きながらババ・ヤガーの森へ帰って行った。マーシャはペチカに礼を言うと駆け出した。
ちょうど両親が帰ってきたのに間に合った。マーシャは弟を綺麗にして行儀よく座らせて、子供たちは何事もない顔で両親からお土産をもらったのだった。
参考文献
『ロシアの昔話』 内田莉莎子編訳 福音館文庫 2002.
※ペチカはかまど。かまどは獄炎燃え盛る冥界と同一視される。弟を放置して「死」に連れさらわれてしまったマーシャは、まずはペチカを通って冥界への道を辿る。実り過ぎの林檎は生命の果実。ころころ転がるものの案内で冥界へ行くモチーフは世界中の伝承でお馴染みで、日本でもおむすびや団子を落とした爺さんが地下のネズミの国へ行く。ミルクの川はユーラシア大陸北部の伝承ではよく見かける、冥界の光景である。冥界はミルクや蜂蜜が流れるほど豊かで食べ物に溢れ、けして飢えることがないのだ。
死の国は必ずしも恐ろしい場所ではなく、豊かで優しい場所でもある。幼い弟は金のおもちゃで無邪気に遊んでおり、冥界の女神であるババ・ヤガーは糸を紡ぎながら子供の魂を憩わせている。しかし、「生死」のルールが覆されそうになると、彼女は恐ろしい顔を見せる。一度死んだ者は甦れないのが自然の摂理だからだ。
なお、この話の同じロシアの類話では、以下のように、かまどや林檎の木のエピソードが少し異なっている。(『ロシア民話集〈上、下〉』 中村善和編訳 岩波文庫 1987.)
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お爺さんとお婆さんに小さな娘と小さな息子がいる。両親が留守の間、娘は言いつけを忘れて弟を放置し、鵞鳥白鳥たちに連れ去られる。それを追って野原を走るとかまどが建っている。
「かまどさん、かまどさん。鵞鳥たちがどこへ飛んで行ったか教えてちょうだい」
「私の焼いたライ麦パン(黒パン)を食べたら教えてあげよう」
「お父さんの家では小麦のパン(白パン)だって食べないわ」
かまどは教えてくれない。先へ進むと林檎の木がある。
「林檎の木さん、林檎の木さん。鵞鳥たちがどこへ飛んで行ったか教えてちょうだい」
「私の酸っぱい林檎を食べたら教えてあげよう」
「お父さんの家では甘い林檎だって食べないわ」
林檎は教えてくれない。更に先へ進むとミルクの小川とゼリーの岸がある。
「ミルクの小川さん、ゼリーの岸さん。鵞鳥たちがどこへ飛んで行ったか教えてちょうだい」
「私の作ったミルク入りのゼリーを食べたら教えてあげよう」
「お父さんの家ではクリームだって食べないわ」
ミルクの小川とゼリーの岸も教えてくれなかったが、運良くハリネズミに出会う。それが指差して教えてくれたのでババ・ヤガーの家に着き、金の林檎で遊んでいた弟を連れて逃げ出したが、鵞鳥たちが追ってきた。
「小川さん、小川さん。私を隠して」
「私のゼリーを食べなさい」
娘が仕方なく食べると、小川は岸の下に二人を隠した。鵞鳥たちはどこかへ行き、礼を言って先に進むとまた鵞鳥たちが追ってくる。
「林檎の木さん、林檎の木さん。私を隠して」
「私の酸っぱい林檎を食べなさい」
娘が大急ぎで食べると、林檎の木は枝の間に二人を隠した。鵞鳥たちはどこかへ行き、飛び出すように先に進むとまた鵞鳥たちが追ってくる。
「かまどさん。私を隠して」
「私のライ麦パンを食べなさい」
娘は急いでパンを口に押し込み、かまどの中に潜り込んだ。鵞鳥たちはその上を飛び回って啼き叫んでいたが、とうとう帰って行った。弟の手を引いた娘は、間のいいことに、両親が帰るほんの少し前に家に駆け込むことが出来た。
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例えば日本神話でイザナギが黄泉から逃げ帰る際は、投げた呪物から生じた食物を追っ手が貪り食っている間に逃げる。けれども面白いことに、この例では逃げる方が食物を貪り食い、それによって逃げているのだった。
このエピソードを見ていると、私は「舌切り雀」を思い出す。舌を切られて失われた可愛い雀を探して爺さんは彷徨い、牛洗いや馬洗いから牛馬の洗い水を飲めと要求されるのだ。爺さんはそれを飲み干し、竹やぶの奥にある雀のお宿…冥界へ至る道を教えてもらう。
ある所に、夜になると泣いてばかりいる子供がいた。
ある晩のこと。その子があまりに泣きやまないので、母親は「お前のごて、そげん
その声は家の外から掛けられたのだが、母親は子供がそう言ったのだと思って、「そげん口もげ(口答え)すれば、
そのうち泣き声が遠ざかっていくので、変に思って外に出てみると、遠くの空に子供を掴んで麒麟が翔け去っていくのが見えるではないか。驚いて追いかけたが、そのまま見失ってしまった。
それからというもの、母親は子供を探して国々を巡った。そうしてあまりに泣き続けていたために、目が見えなくなってしまったのである。
さらわれた子供の方はと言えば、雲の上で麒麟に養育されていた。
ある日のこと、麒麟が出かけて留守にしていたとき、同じように麒麟に養われている馬が近づいてきて、
「あん麒麟な、お前ば喰おうと
と人の言葉で言って、三つの玉と小槌を蔵から盗んできて、子供を乗せて逃げ出した。
しばらくすると後ろから麒麟が追ってくるのが見えた。もう馬の尻に追いつきそうになった時、馬が子供に言った。
「さあ、打出ん小槌ば出ち、俺が尻ば、千里てち(と言って)打て!」
子供が言われたとおりにすると、馬はターーーンと一気に千里を駆けて麒麟を引き離した。しかし、そのうちまた麒麟が追い付いてくる。今度は「万里」と唱えながら尻を打って引き離した。
こうして千里、万里、千里、万里と繰り返したのだが、麒麟はすぐに追い付いてくる。すると馬は、玉の一つを「山出ろ」と唱えて投げよと指示した。そのようにすると背後に高い山が出来て麒麟の足を阻んだ。山を越えてまた追いついてくると、二つ目の玉を「川出ろ」と唱えて投げた。大滝のように流れる川が現れたが、麒麟は泳ぎ渡って来た。
最後の玉を、子供は馬に言われたとおり「火出ろ」と唱えて投げた。辺りはたちまち火の海となり、麒麟はとうとう焼け死んでしまった。
こうして子供は無事に地上に帰り、盲目となった母親と再会することが出来たのだ。
参考文献
『いまに語りつぐ日本民話集 動物昔話・本格昔話(12) [異郷/逃竄] 異次元への旅』 野村純一/松谷みよ子監修 作品社 2001.
※麒麟は中国起源の想像上の獣で、本来は良い為政者が現れた時に出現し、あらゆる生物を害さないとされる瑞獣なのだが、ここでは親に捨てられた子供を引き取って育て、けれどもいつか食べてしまうという「ヘンゼルとグレーテル」の魔女のような魔物になっている。「マリアの子」の聖母マリアも思い出させられる。この麒麟もまた、死者の魂を優しく慰撫すると同時に喰い尽くす、冥王であり大母神なのだろう。
空飛ぶ麒麟に子を奪われ必死に追う母の姿は、「ババ・やガーの白い鳥」の、白い鳥(ババ・ヤガー)に弟を奪われ必死に追って行った姉マーシャと共通したイメージであるように思える。マーシャは自ら冥界に入って…即ち「死」の状態で弟を連れ戻した。麒麟にさらわれた子供の母親は天の国(冥界)へ行くことはできなかったが、「泣きすぎて盲目になった」という部分に、彼女もまた「死」の状態に置かれたことが表わされている。語られていないが、きっと子供と再会することで母の目は再び開いたのではないだろうか。
少年が何らかの理由で冥王の城で働き、しかしそこに囚われていた喋る神馬(妖精馬)の助力を得て共に逃走(または冥王を退治)するという物語は、[金髪の男]話群や[さらわれた娘A]にも展開の一部として組み込まれている。
また、「親が子供を神(人食い鬼)に捧げ、連れさらわれた子供は冥界で養育されていたが、援助者が出現して共に逃走、追ってきた養母を退治する」話だと考えれば、[ラプンツェル]話群とも共通している。
「さあ、打出ん小槌ば出ち、俺が尻ば、千里てち打て!」と、自分の尻を木槌で打てと盛んに要求する馬。Mだと思った。せめて馬鞭なら……そっちの方がヤバいか?
柳田國男が岩手県遠野市の伝承をまとめた『遠野物語』の中にも、「昔々」として呪的逃走要素を持つ民話が紹介されている。
家で子供が留守番をしているところに人食い鬼が訪ねてきて、そこから子供が逃げ出すという構造は、「天道さん金の鎖」や「狼ばあさん」に似ている。しかし人食い鬼が身内に変装しているという要素はない。
全体的には、むしろ東日本型の【瓜子姫】話群に近いかもしれない。
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昔々ある所にトトとガガとあり。娘を一人持てり。娘を置きて町へ行くとて、誰が来ても戸を開けるなと戒め、鍵を掛けて出でたり。
娘は恐ろしければ一人炉に当たりすくみて居たりしに、真昼間に戸を叩きてここを開けと呼ぶ者あり。開かずば蹴破るぞと
其言葉に従い膳を支度してヤマハハに食わせ、其間に家を
其隙にここを
其隙にここを遁れ出でて大きなる沼の岸に出でたり。
此間に再び此所を走り出で、一つの笹小屋のあるを見付け、中に入りて見れば若き女居たり。此にも同じことを告げて石の
家の女は
昔々の話の終りは
参考文献
『遠野物語』 柳田國男著 新潮文庫 1968.
※新潟県に伝わる類話では、おぶんという娘が両親が山に行ったので留守番していると山姥が来る。おぶんは二階の大箱の中に隠れていたが発見され、山姥に命令されてかい餅を一升炊く。山姥は食べる様子を見るなとおぶんに言うが、見てしまったので食い殺された。…食い残した髪の毛は裏の梨の木にぶら下げられ、帰った両親は鳥に教えられてそれに気づき、大釜に湯を沸かしておいて、やがて再びやってきた山姥をそれに押し込んで殺した。(『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店)
二階の大箱に隠れていたおぶんが発見されたのは、茶釜が山姥に教えたからだという。[ラプンツェル]話群に、魔女の家から逃げ出す際に家中のものに食べ物などを与えて口止めしておくが、唯一もらえなかった小さな壷などが告げ口してしまい逃亡を発見されるというモチーフがあるが、恐らく同根だろう。
参考 --> 「牛方山姥」
※同じ語り手による別バージョンでは、小僧は和尚から予め札をもらってはいない。山姥の家の雪隠(トイレ)の中で必死に祈ると、雪隠の神が現れて札を三枚渡してくれ、追いつかれそうになったら投げるように言って逃走を促す。そして小僧の代わりに山姥に返事をする。山姥は苛立って縄を強く引き、縄を結び付けていた柱が折れてトイレは壊れてしまう。小僧は逃げながら後ろに札を投げて、大山、大川、大火事を出す。ゆっくり身支度する和尚がやっと寺の中に入れてくれて、縁の下の瓶の中に隠してくれる。駆け込んできた山姥に和尚は術比べを持ちかけ、まず「大きなものになってくれ」と言う。山姥は易々と巨大になる。次に「小さいものになってくれ」と言う。山姥が豆粒ほどに小さく変化した途端、和尚はそれを口に放り込んでガリガリ噛み砕いた。
日本ではトイレは現界と冥界の境界の一つ、霊的な場所とされるが、一方でトイレを美しくする嫁には良い子が授かるという俗信もあり、生まれた子を厠神に見せに行くという習俗もある。小僧が祈ると雪隠の神が助けてくれるのは、そういう、子供の守護神的な背景からかもしれない。また、和尚が山姥を小さく変化させて食べてしまうモチーフは、日本では「鬼を一口」などと呼ばれる独立譚にもなっている。このモチーフも勿論海外に見られ、例えばフランスのペローの「長靴を履いた猫」では、猫が人食い鬼を煽って二十日鼠に変身させ、食べてしまう。
さて。「三枚のお札」を一読して【赤ずきんちゃん】話群を思い出さなかっただろうか? 「親に命じられて山(森)に出かける」「優しい婆と思ったら山姥だった」「トイレに行きたいと言って逃げ出す」など、共通要素がとても多い。
[三枚のお札]に比べて【赤ずきんちゃん】話群は呪的逃走の要素が希薄なのだが、西欧の赤ずきんちゃん系類話には娘が川を渡って鬼女から逃れ、追う鬼女は川の水を飲み干して渡ろうとして腹を弾けさせて死ぬというものもあるそうで、であればほぼ同じ話と言っていい。どうやらこれらの話群の根は繋がっていると思われる。
なお、上に挙げた例話には現れていないが、類話によっては、小僧が和尚の言うことを聞かないワガママな子供だったと語られている。(或いは、誤って弟弟子を殺したために師に勘当されたり、怒った母親に追い出されたり。)ワガママが原因で山に行き、山姥に襲われる。だから親や目上の人の言いつけはちゃんと守らなければいけませんよ、という教訓譚となっている。これもペローやグリムの「赤ずきんちゃん」と同じである。
以下、類話を並べてみる。
三枚のお札 日本 岩手県和賀郡更木村
ある山寺になす、和尚さまと小僧があってなす。その小僧というものは、庭掃げて言えば尻けっちゃ(尻を逆さ)にして遊んでばりいるし、お経読めて言えば居眠りばりしてるし、なんとも和尚さまの言うこと聞かない童だったどす。
和尚さまは、こんた聞かない小僧ぁ懲らしめてやるに限るど思って「助けのお札コ」というものを呉 で、「手前のような者はこの寺にいらないがら、何処 さだり出して行げ」ど追ん出したどす。小僧はけろけろどしたもんで、そればいいごどにして山さ行って、花コ取ったり楢実取ったりして遊んでらどす。
そしたれば婆さま出はて来て、「小僧コ小僧コ、その花コ呉 ねが、その楢実コ呉 ねが」ど言ったどす。小僧ぁ「みんなやるど」、婆さまぁ「なんたら気前コのええ小僧コだぁ。ちょうど今日は、おら家の死んだ爺さまのしょうにち命日だが、ちょっとこま(少しの間)来て、お経あげで呉 ねが」ど言ったどす。小僧ぁ、お経など解ないもんで、「厭 んか」と言ったども、婆さまはしゃりむりに家さ連れてって、仏さまの前さ座らせだどす。それで仕方なぐ小僧コぁ、もがもがどやったどす。
したども、その内 に夕間(夜)になったので「おら帰る」ど言うど、「今夜はこごさ泊まってげ。おら抱いて寝でやるがら」と、離さなかったどす。
したども、それで婆さまさ抱かれで寝たども、夜中になるど小便が出たくなったどす。手探りコして、婆さまの脛コ撫ででみるど、毛深コ(毛)が もがりもがりと生えでいたどす。ありゃっーと思って、目べかっと開げて傍の婆さまの面コ覗くど、婆さまの口が耳の根まで裂げで、赤い舌コべらくらど出してる怖っかない顔になっていたどす。
これは大変なことになった。なんとかして逃げないど分がないど、小僧コぁ つすっと動くど、眠ってだはずの婆さまぁ「小僧」ど呼ばるたどす。また つすっと動くど、「小僧」って言うので、小僧ぁぶるぶる震えながら、「お婆ちゃ、おら、便所さ行ぎたぐなった」と言ったどす。婆さまそれ聞ぐと、「そだらば、腰コさ縄コ付けでげ」て、縄コ付けで呉 だどす。
便所さ入るど、婆さまぁ「小僧まだが」て縄コぱくぱくど引っ張ったどす。小僧ぁ「まだ、まだ」て言いながら、和尚さまからもらってきたお札コ身代わりに縄コさ付けで、「まだまだって言って呉 ろや」て頼んで、自分は窓がらこそっと逃げ出したどす。
婆さまぁ、あんまり小僧の便所入りが長いので、痺れ切らして覗てみるど、小僧コぁ居ねでお札コばかり返事してらたどす。「やれ、こいづは小僧に騙されたんじゃ」ど、婆ぁ血上げで、「小僧、待で待で」ど追っかけで来たどす。ま少しでかつつがれそ(捕まりそう)になった時 、小僧コぁお札コぶんと投げで、「大きな大きな大川、出はれ」と唱えだどす。したれば、のんのん流れの大川が、婆の前さ出はたどす。婆ぁ、それ見るど川の水 がぶがぶど呑み干して、「小僧、待で待で」ど追っかけて来たどす。
その内 、まだかつつがれそ(捕まりそう)になったので、今度 は、「火の海になぁれ」ど、小僧コぁお札コ投げたどす。すたれば婆の来る方ちぁ、火の海どなったどす。したども婆ぁ、今呑んできたばりの川の水をみんな吐き出して火を消して、まだ「小僧、待で待で」ど、追っかけて来たどす。
小僧コぁ今度は、「大きな大きな剣の山、出はれぇ」て、一番終 いのお札コ投げだどす。すたれば婆の前さ のっこりど、剣の山が出はたどす。婆ぁ、その剣の山、手足から血ぃ流しながら、をんざねはいて(苦労して)越えてるうぢに、やっとのことで小僧ぁお寺さ着いだどす。ところがお寺の門はぎっちりど閉まっていで、押しても引っ張っても潜 り戸は開がながったどす。
「和尚さまし、和尚さまし、おら婆に追っかけられで、喰われるがらどうぞ此処 開けて呉 ね」と小僧ぁ頼むど、和尚さまぁ中がら、良い 小僧になるがら、そったなごと言わねで入れで呉 ね」ど、手擦り粉灰して頼んだども、和尚さまぁ落ち着いたもんで、「まあま、急ぐな。今、着物着てるところだがらゆっくり待ってろ」ど、着物着て、それがら帯締めて、えへんえへんと咳払いしながら、今度は雪隠(トイレ)さ入ったづもす。その内 にも剣の山越えた婆ぁ、「小僧、待で待で」て、追っかけで来る声コが聞こえできたどす。小僧ぁ蹈鞴 踏んで、「和尚さまし」と泣き声コ立てたども、和尚さまぁ悠長なもんで、「まだ一きんた落としたばりだ。もう二きんた ひるまで待で」ど、何と言っても動がながったどす。
「小僧みだいな声だが、小僧だらば今日お寺がら追いまくったばりだ。あんたな言うごとも聞かないような小僧は、婆にでも何にでも、喰われだ方がわがべ」
ど言ったどす。小僧ぁ 気ぁ気で無ぐ、「和尚さまし、今がら
小僧ぁ、怖かね婆追っかけで来るし、和尚さま悠長に構 えでるし、「助けでこね、助けでこね」と泣き声あげで周り廻っている内 、ほんとに婆ぁ、えらえらづ爪コ立でながら、血ぐるまになってすぐそごまで追っかげて来たどす。
「あれ、分がねでばー。和尚さまし、おら喰われる」ど、小僧ぁドダバダしたどす。そん時 和尚さまぁ、やっとごさ雪隠から出はてきて、「ほれ、入れ」て、潜 り戸コ開げて小僧 中 さ入れるど、ぴしゃんと閉めで呉 だどす。そしたればその戸の間さ、追っかけて来た婆 挟まって、べっちょりと潰れでしまたどす。
和尚さまぁ、それがら小僧どありがたいお経上げで、次の朝間 起きでみるど、婆だと思ったのは年古りだ奥山の古狢 だったどす。
それがらどいうものは ええ小僧コになって、このお寺の名跡継ぐ人になったどす。そだから、みんなも人の言う事 ぁ、よく聞ぐもんだど。どんど払い。
参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店
三枚のお札 日本 秋田県平鹿郡
秋になって、山の栗コが赤らんで、村の童達 が栗拾いに行くようになった。お寺の小僧も欲しくなって、「和尚 さん、和尚 さん。栗コ拾いに行 ってもえんべしか」と頼んだ。和尚さんは「小僧や、小僧や。山には鬼婆がいるから、行かぬ方がええ」と言われた。けれども小僧は行きたくてたまらず、「んだって行きたいよ、和尚さん」とせがむので、和尚さんは「そんなに行きたいなら、尊いお札を三枚くれてやるから、何でも用があったらこの札に頼め」と言って聞かせた。小僧は札をもらって、日の暮れないうちに栗コ じっぱり(たっぷり)拾おうと思って奥山に行った。
小僧は一生懸命に栗コ拾っているうちに、だんだん暗くなってきて、風がごうごう吹いて鬼婆が出てきた。そして鬼婆の家に連れて行かれた。小僧は恐ろしくなって小さくなっていたが、そのうち眠くなって寝入ってしまった。それから夜中頃になると、雨が降り出して雨漏りがしてきた。
だらずく だらずく だったた面 見どれや
起きて婆どの
そう言って雨漏りがするので、小僧が目を開けてみると、婆は一尺も口を開けて、ニーコカーコと鉄漿 (お歯黒)を付けていた。小僧はこの鬼婆に喰われてしまうのかと思って、泣き声で「婆さん、婆さん。うんこが出たくなった」と言った。鬼婆は言った。
「そこの囲炉裏の隅にけれ」面倒臭 い、そんなら綱付けてやるから、雪隠 に行って来い」
「小僧じょんな、囲炉裏サ まけられないもんだちけ」
「んだら、そこの とり(土間)サ まけれ」
「小僧じょんな、とりサ まけられないもんだちけ」
「ええい
と言って、小僧の腰に太い太い縄を付けてやったそうだ。
小僧は雪隠に行って、逃げるのは今だと腰の縄を解いて柱に結わえつけ、和尚さんからもらった尊い札を一札貼り付けて、俺の代わりに返事をしてくれと頼んで、鬼婆の家から逃げ出した。鬼婆は小僧がなかなか戻らないので、「ええか小僧」と呼ぶと、雪隠のお札は「まだー、まだー」と答えた。鬼婆は何遍呼んでも「まだまだ」と言って戻って来ないので、「なんたら長びりな小僧だべ」と言って、小僧の腰に結んだ綱を引くと、雪隠の柱がガタガタと鳴ったので、「そら、小僧ァ逃げた」と叫んで、裸足になって追いかけて来た。
真っ暗な山を どんどんどんどん逃げていると、後の方から「小僧や待で」と、鬼婆が追いかけて来た。そしてもう少しで小僧は捕まれそうになったので、またお札を一枚出して「大きな砂山、出はれ」と投げると、たちまち後ろの方に砂山が出来て、鬼婆が登ると崩れ、登ると崩れている間に、小僧は逃げた。そしてまた野越え山越え逃げるうちに、また鬼婆に追いつかれるようになったので、「大きな川、出はれ」と言って、お札を一枚投げると大川が出来て、鬼婆は泳げば流され、泳げば流されしているうちに、小僧は逃げて行った。
小僧はやっとお寺に駆けつけた。庫裡 の戸を叩いて、「和尚さん、和尚さん、鬼婆に追われて来た、早く戸を開けてくれ」と、泣き声をあげて頼んだ。和尚さんは寝ていたが、「そらそら、それだから山サなど行くものでない、待て待てふんどしを締めて」と言いながら起き上がった。
「早く早く、和尚さん早くしないと鬼婆に喰われてしまうよ」
「待て待て着物 着て」
「早く早く、和尚さん早くしないと鬼婆に喰われてしまうよ」
「待て待て帯 締めて」
「早く早く、和尚さん早くしないと鬼婆に喰われてしまうよ」
「待て待て草履 履いて」
「早く早く、和尚さん早くしないと鬼婆に喰われてしまうよ」
「待て待て杖をつんで」
と支度して、やっと戸を開けてくれた。小僧は「今 鬼婆が来る。和尚さん早く助けてくれ」と言って逃げ込むと、和尚さんは大きな葛篭 を出して、小僧を中に入れて、天井に吊り下げて知らぬふりをしていた。そこへ鬼婆が飛んで来て、
「和尚さん、和尚さん、小僧は来なかったか」
「来ないけ、来ないけ」
「んにゃ来たはずだ、和尚さん」
そう言って鬼婆は天井の葛篭を見つけて、「あれだ、和尚さん。あれを開けてくれ」と声を荒げるので、和尚さんは「そんなら俺の言うことを聞くなら見せる」と言った。
そこで和尚さんが「高ずく、高ずく」と言うと、鬼婆はだんだんに大きくなって、もう葛篭に手が届くばかりになった。今度は「低ずく、低ずく」と唱えると、だんだんに小さくなった。鬼婆が豆粒のように小さくなったところを、和尚さんは思い切って、囲炉裏に炙ってあった餅の中に丸めて、ごびっと一呑みに呑んでしまった。それから小僧を天井から下ろして、今度からは決して和尚さんの言うことを聞かぬことのないように戒めた。
すると、和尚さんは俄かに腹が痛んできたので雪隠に行くと、和尚さんの糞 から沢山の蝿が飛び出した。鬼婆が蝿になって日本国中に出て行ったとさ、という話。
参考文献
『桃太郎・舌きり雀・花さか爺 -日本の昔ばなし(U)-』 関敬吾編 岩波版ほるぷ図書館文庫 1975.
小僧が寺の前で「早く開けてくれ」と騒いでいるシーンが、藤子・F・不二雄先生の絵でイメージされてなりません。
和尚がゆっくり身支度してなかなか戸を開けてくれないのは、[桃太郎・寝太郎型]に現れているのと類似のモチーフだと思われる。つまり和尚は英雄的存在なのだろう。恐ろしい山姥を少しも恐れず、虫を潰すように戸で挟み殺したり、一口に食べてしまう和尚はスーパーヒーローである。古い信仰に属する山姥を、新しい信仰である仏教が易々と調伏している。こんなにカッコイイ師匠を見たら、小僧も熱心に修行しようと思うに違いない。
それはそうと、まずふんどしを締めるところから始める和尚さん……。寝る時は何も着ない派ですか。全裸健康法でもやってるのだろうか。セクシー。
参考--> 「狐の妹と三兄弟」「月」【赤ずきんちゃん】