>>参考 「白猫」「金の髪と小さな蛙」「人食い女」「プレッツェモリーナ」「睡蓮
     <童子と人食い鬼のあれこれ〜魔女の菜園

 

ペトロシネッラ  イタリア 『ペンタメローネ』二日目第一話

 昔、パスカドツィアという名の妊婦がいました。毎日、鬼女の菜園を見下ろす窓辺に立っては、その菜園に育つ見事なパセリを食べたいという思いを膨らませ、気の遠くなる思いをしていたものです。とうとう欲望に耐えられなくなり、ある日、鬼女が外出するのを見届けるや、ただちに菜園に下りてひとつかみ失敬したのでした。

 帰宅した鬼女はパセリのスープを作ろうとしたところ、菜園に誰かが踏み込んだ跡があったので、大声で罵りました。

「この泥棒猫に思い知らせてやれないくらいなら、わしの首をへし折った方がマシだわい! 人は自分の皿で食うべきで、他人の食器にちょっかいを出すべきではないと教えてやらねばな」

 哀れな妊婦はその後も時折 菜園に下りてはパセリを盗んでいましたが、とうとうある日、鬼女と鉢合わせしてしまいました。さあ、鬼女の怒るまいことか。

「とうとう捕まえたよ、この盗っ人女め。大胆不敵にもわしの野菜に手を付けるとは。お前はここの地代を払っているとでも言うのかい!?」

 可哀想なパスカドツィアは懸命に言い訳を始めました。曰く、魔がさしたのは欲のせいではない。私は今、身ごもっている。こんな立派なパセリを見るだけで食べずにいたら、生まれた子供の顔がパセリ型のあざだらけになるかもしれないと思ったのだと。しまいには、妊婦の望みを叶えてやらない者は目が腫れると言うから、あんたは私に感謝すべきだとまで言い出しました。

「女には説教だけでは足りないね」と、鬼女は言いました。

「わしの周りでは四の五の言わせないよ。生まれてくる子供をわしに差し出すと約束しない限り、お前の命は無い」

 この場をしのぐにはそう約束するしかなく、女は両手を重ねて誓いました。それでようやく放免になったのです。

 

 さて、月満ちて、パスカドツィアは大変美しい女の子を産み落とし、パセリっ子ペトロシネッラと名付けました。というのも、その女の子の胸に見事なパセリ型のあざがあったからです。子供は日に日に大きくなり、七歳になって学校に通い始めました。通学路を横切ると毎日鬼女に会い、その度に彼女が言いました。

「母さんにお言い。約束を忘れるな、とね」

 母親はこの伝言を聞くたびに心を痛め、いつまでも抗う勇気をなくして、とうとう娘に言いました。

「今度そのおばさんに会って、約束のことを言われたら、こう言っておやり。『勝手に持って行きな』ってね」

 ペトロシネッラはこれまでの経緯を知りませんでしたから、次に鬼女に会った時、無邪気に言われたままを伝えました。鬼女はただちに少女の髪を掴み、太陽の馬さえ遠慮して立ち入ったことのない深い森へ連れて行きました。そして魔法で建てた塔に閉じ込めたのです。その塔には入口もなく階段もなく、小さな窓が一つあるだけでした。この窓から、鬼女はペトロシネッラの長い髪をロープのように使って出入りしました。

 

  ある日のこと、鬼女が外出し、ペトロシネッラが髪をおろしてお日様に当てていた時、たまたま一人の王子様が塔の脇を通りかかりました。金色の旗のように波打つ髪をもつ妖精のような乙女を見て、王子様はすっかり恋してしまい、その愛の片隅だけでも自分のために空けてくれないかと、切ないため息と共に伝えました。この求愛は上手くいき、王子様が投げキッスを送ると、彼女も頷き返しました。王子様がおじぎをすると彼女は微笑み、色よい言葉を返したのです。

 このやり取りは七日間続き、二人は急速に仲良くなって、ついに直接逢う計画を立てました。月と星の無い夜、ペトロシネッラは鬼女を薬で眠らせます。約束の時間になると王子様がやってきて口笛を吹き、下ろされたペトロシネッラの髪を掴んで「さあ」と言いますと、小窓まで引き上げられました。その後は、例の胸のパセリをご馳走にして二人で愛の饗宴を催し、夜明けになると王子様はまた黄金の梯子を伝って帰っていきました。

 こんなことが数回繰り返されますと、鬼女の使っている女中に気づかれてしまいました。この女ときたら告げ口屋のでしゃばりで、鬼女に余計な口出しをしたのです。曰く、ペトロシネッラがさる若者と愛し合っております。あの耳障りな物音からして相当関係が進んでいるようですわ。きっと、じきにあの二人は家中のものを盗んで逃げ出しますよ、と。

 鬼女はこの密告に感謝し、「あの娘にそんなことをさせてなるものか」と言いました。

「だが、実のところあの娘が逃げ出すのは不可能だよ。ちゃんと魔法がかけてあるからね。台所の梁に隠してある三つのどんぐりを手に入れない限り、この家の外には逃げられないんだよ」

 この二人の会話を、ペトロシネッラはこっそりと聞いていました。常々、あの女中は怪しいと睨んでいたからです。そして夜になっていつものように王子様がやってきますと、さっそく彼を梁に登らせ、どんぐりを見つけさせました。鬼女に魔法をかけられていたせいで、ペトロシネッラはこのどんぐりの使い方を心得ていました。二人は縄梯子を繋ぎ合わせて塔から降りると、町を目指して逃げ出しました。

 その時、これを目撃した例の女中が、けたたましい金切り声をあげて鬼女を起こしました。鬼女は娘が逃げたと知るや、急いで小窓に結ばれた縄梯子を伝って下に降り、ものすごい勢いで追いかけ始めました。

 二人は、鬼女が馬より早く追って来るのを見ると、とても助かりっこないと思いました。けれどもペトロシネッラはどんぐりのことを思い出し、その一つを後ろに投げました。ただちにそれは恐ろしく獰猛なコルシカ犬に変わり、猛然と吠えながら、まるで一呑みにせんばかりに鬼女に向かって行きました。ところが鬼女もさるもの、悪魔よりも奸智に長けていましたから、すぐにポケットからパンを取り出して犬に向かって投げました。たちまち犬は静かになって尾を垂れます。

 鬼女が追跡を再開しますと、これに気付いた二人は二つ目のどんぐりを投げました。今度は恐ろしげなライオンに変わり、尻尾で地を叩きながらたてがみを振り立て、口をニ尺の大きさに広げて、鬼女を一呑みにしようとしました。鬼女は振り向いてロバが野原で草を食んでいるのを見ますと、その皮を剥ぎ、頭からそれを被ってライオンに突進しました。鬼女をロバだと思ったライオンは怯えて引き下がりました。

 こうして再び障害を取り除いた鬼女は、またまた若い二人を追いかけます。その凄まじい靴音と、空まで舞い上がる土埃から、二人は追っ手の近付いたことを知りました。ペトロシネッラが最後のどんぐりを投げますと、今度は狼が飛び出し、まだロバの皮を被ったままの鬼女を一息に呑み込んでしまいました。

 恋人たちは災難から解放されると、ゆっくりと王子様の国へ帰っていきました。そこで父王様の同意を得て、王子様はペトロシネッラをお妃とし、本当に多くの困難の後に心から安堵して、

無事に入港して、一時間。

嵐の海の百年は過去のもの

という思いを実感したのでした。



参考文献
『ペンタメローネ 五日物語』 バジーレ作 杉山洋子・三宅忠明訳 大修館書店 1995.

※「人は自分の皿で食うべきで、他人の食器にちょっかいを出すべきではないと教えてやらねばな」By.鬼女 ←ものすごい正論。どう見ても悪いのはペトロシネッラの母じゃん。

 

 この系統の話はイタリアやギリシアを中心とした南欧に多く伝えられている。主人公の名前はイタリアではパセリを意味するプレッツェモーロにちなんで「プレッツェモリーナ」、もしくはやはりパセリを意味するペトロセッロから「ペトロシネッラ」と呼ばれることが多い。しかし野ぢしゃや茴香ういきょう(フェンネル)など別の野菜(香草)にちなむこともある。

※パセリ(葉の縮れない、いわゆるイタリアンパセリの類)は、古代ギリシアやローマにおいて聖なる香草とされていたことを書き添えておく。(ただし、同じセリ科のセロリと区別されていなかった。)『オデュッセイア』に登場するニンフ・カリプソの島にはパセリとスミレの花が咲いていたとされ、古代ギリシアでは祭りの際にパセリで身を飾ったり、闘技場の勝者の冠にしたりした。

 呪的逃走のバリエーションも様々だ。上の例話ではどんぐりの中から犬、ライオン、狼を出す。これらが全て魔女を「噛み殺す」のではなく「呑み込む」とされている点に注目せねばならない。これらはケルベロスのような地獄の番犬であり、呑み込む竜…冥界(死)そのものの具現化である。本来は冥界の女神(鬼女)の持ち物であるそれをペトロシネッラが盗んで自分のものとして使っている。彼女はもう祖霊(鬼女)の霊的知識を受け継いでいるのである。本来なら冥界から逃げ出すペトロシネッラの方がパンやお菓子で冥界の番犬を宥めなければいけないところなのに、ここでは逆に鬼女の方がパンを投げる。それから鬼女はロバの皮を剥いで被る。霊はあらゆる獣に変身でき、白鳥乙女たちがそうしているように、冥界から現界へ渡ってくる時は獣の皮を被っている。また、ロバ(馬)は冥界の女神(女悪魔)の化身または生贄とされているので、そのイメージもあるのだろう。(南欧の伝承では、古い信仰に基づく女神はしばしば「青銅(黄金)のロバの足を持った美女」として現れる。)これも本来なら逃げていく死者の霊であるペトロシネッラが獣の皮を被らねばならないところだろうに、逆転している。そして最後に、ペトロシネッラを呑み込むはずだった「死(鬼女)」は、自分が狼(死)に呑まれて消える。語り手がかなり捻りを効かせている。

 けれども他の類話ではもっと素直な呪的逃走も行われている。マルタ島の類話では、パセリちゃんは逃げる時、塔から魔法の糸玉を盗み出している。追ってくる魔女の前に緑の糸玉を投げると、それは菜園と農夫に変わる。やって来た魔女は農夫に「逃げていく若者と娘を見なかったかい」と訊ねるが、農夫は「今年は野菜がとても安いよ」「お日様が照らなきゃ野菜は出来ないな」などトンチンカンな返答をする。苛立った魔女が駆け出してまた追いつきそうになると、パセリちゃんは青い糸玉を投げる。それは海に変わり、魔女はやっとのことでそれを泳ぎ渡る。最後に赤い糸玉を投げると火になり、魔女は焼け死んでしまう。日本の福島県に伝わる[鬼とさらわれた娘]系の呪的逃走譚では赤青黄の玉を投げることになっており、関連を思わせる。便所からさらわれて消えた妹を捜し、妹の声を頼りに兄は鬼の住処に辿り着く。松の木の上から、父にもらってきた黄色い玉を投げると鬼婆が一時的に逃げたので妹を連れて逃げ出す。(日本神話で、イザナギが桃の実を投げて鬼女たちを退散させたエピソードを想起。)追ってきた鬼婆に青い玉を投げると川になり、最後に赤い玉を投げると火になって鬼婆は焼け死ぬ。

 その他、私たちには「三枚のお札」でお馴染みの、呪具や動物が代返して時間稼ぎしてくれるモチーフは、やはりこの話群にも現れてくる。イタリアのある類話では、魔女の家では家具も煉瓦もあらゆるものが喋ることができたので、主人公は王子に手伝ってもらってマカロニを作り、それを一匙ずつあらゆるものに与えてから逃げて行った。やがて帰宅した魔女が娘がいないことに気付いて家中に訊ねたが、どれも何も言わない。しかし戸の陰にあったつぼだけは気付かれずマカロニをもらえていなかったので、これが告げ口した、となっている。魔女は「それならお前も、マカロニをもらっていたら黙っていたんだろう!」と、自分には何もくれなかったとぶうぶう言うつぼを床に叩きつけてしまった。

 

 親が神(人食い)の領域を荒らしたか何かの契約をしたために、子供を捧げなければならなくなる…という導入は多くの物語で使われていて、その後の展開はまちまちである。ちなみに、契約した親が母親の場合は十中八九、娘を魔女(聖母マリア)に捧げることになるが、父親だと、息子を魔王に捧げる場合と、娘を魔王の嫁にしなければならなくなる場合とがあり、後者だと娘が魔王を愛してハッピーエンドになることもある。(いわゆる、「美女と野獣」の話型である。)

 魔女の素晴らしい菜園は冥界の庭であり、そこに繁る野菜は生命の果実と同じものと言える。川を流れてきた桃を食べて、子のなかった婆が若返って桃太郎を生むように、女は生命の果実を欲して子供を産む。しかしそうして生まれた子は神の申し子であって、だから神が望めば返さなければならない。このイメージはギリシアの「太陽の子」などにも現れている。一定の時間の後に神に返すことを約束して授かった子は、その年齢に達すると奪い去られる。

 やはりイタリアを中心に伝わる「太陽の娘」系の話でも、ヒロインは野ぢしゃや空豆や、野菜にちなんだ名を付けられていることが多い。それはヒロインが野菜畑に捨てられていたからなのだが、彼女の正体は高貴な太陽の娘なのである。説話では太陽神は即ち「人食い鬼」であり、冥界神である。日本にも桃太郎瓜子姫がいるが、神の申し子に野菜や果実の名を与える話群がある。恐らく、「神の恵みとは果実や野菜であり、それら恵みは神の子である」という連想なのだろう。

 

 さて、この話群は基本的に「人食い魔女の手から逃げ延びてハッピーエンド」となるのだが、逃走に失敗してしまう話群も存在する。(その後、魔女の監督下で苦難を越えてハッピーエンドとなる。)よく知られているグリムの「ラプンツェル」はそちらに属する。これは呪的逃走の要素が希薄なのだが、折角なので次に紹介しておこう。



参考 --> 「人食い鬼



ペルシエット  フランス

 長い間子宝に恵まれない領主と奥方がいた。子供がとても欲しくて、人に聞いて子宝祈願の巡礼の旅に出た。帰り道で念願叶って奥方が身重になったが、そこはまだ領地まではとても遠い場所だった。その街道沿いには美しい庭があり、素晴らしい果実が実っていた。

「あの果物が食べたいわ。自分でもいで食べたいの」

「でも見つかったらどうするんだ」

「構うもんですか。降りていってもいでくるわ」

 奥方は庭に降りて行くと果物をもいで食べ、車にも積み込んだ。積み終えようとした時、小さな老婆が現れて「何故わたしの果物を盗むんだい」と言った。奥方が事情を話して言い訳すると、老婆は言った。

「もう盗ってしまったのだから何も言うまい。だが、わたしを生まれる子の名付け親にしておくれ。あんたには女の子が生まれるよ」

 奥方は車に乗ると夫に言った。「あの女を名付け親にするって約束したけど、そんなことしてたまるもんですか」

 領地に帰り、奥方は予言どおり女の子を産んで洗礼を施したけれども、あの老婆を招待はしなかった。

 

 さて、実はあの老婆は妖精だったのだ。彼女は二人の姉を呼ぶと言った。

「わたしの果物を盗んだ女がお産をして、わたしを名付け親にしなかったんだよ。懲らしめてやらねば。子供を取り上げてやる」

 老婆は大きな犬を連れて出かけていき、奥方の家の戸を叩いた。戸を開けてくれないので犬に命じると、犬が戸を開けた。玄関も家の中も全ての戸が開いて、赤ん坊までまっすぐの道が作られた。老婆は「その子をさらっておいで」と犬に命じ、奥方に言った。

「奥さん、この次は約束を守ることだね。あんたは二度と子供に会えないよ」

 老婆は赤ん坊を連れて自分の家に戻った。すぐに国中の妖精が祝福に集まった。老婆は赤ん坊をパセリっ子ペルシエットと名付け、七里四方に聞こえるような素晴らしい歌の才能を贈り、他の妖精たちも美しさや賢さや、あらゆる種類の美徳を授けた。乳母が付けられ、考えうる限り最良の環境で育てられたペルシエットは、育つにつれて非常に美しくなり、通りがかる男たちの目を惹きつけずにはおれなかった。歌えばその声が素晴らしいので、みんなが歌声を聴こうと駆けつけるほどだった。この有様を見て老婆は姉たちに言った。

「どうしてもペルシエットを塔に閉じ込めなくちゃならない。連れて行かれてしまうもの」

 塔は老婆の家から三里ほど離れた場所にあり、中にはペルシエットに必要なもの全て、喜びそうなもの全てがあり、おしゃべり相手のオウムさえいた。

「鍵をかけて、じっとしているんですよ。これからわたしが何か運んでくる時には『名付け子のペルシエットや、きれいな髪を投げ下ろしておくれ』と言うからね。他の人に戸を開けては駄目ですよ」と、老婆は言った。

 

 そこから七里ほど離れた場所に、一人の王子がいた。ある日のこと、彼は流れてくる歌声に気付いて呟いた。

「一体誰があんなに上手く歌っているんだろう。知りたいものだ」

 歌声を辿って尋ね歩いてみると、塔に閉じ込められている姫君の声だという。王子は一目逢いたい、話したいと決意した。

 王子が塔の周りをウロウロしていると、小さな老婆が食べ物を持ってきた。

名付け子のペルシエットや、きれいな髪を投げ下ろしておくれ

 すると戸が開かれた。王子は合図の言葉を忘れないように書き留めておき、老婆が行ってしまうと早速試した。

名付け子のペルシエットや、きれいな髪を投げ下ろしておくれ

 ペルシエットは名付け親が忘れ物をしたのだとばかり思って戸を開けた。若い男が登ってくるのを見た彼女は逃げようとしたが、一体どこに逃げ場所があっただろう。王子はペルシエットを一目見るなり恋に落ちて立ち去れなくなった。そして自分に付いてくるなら王妃にしようと言った。ペルシエットはオウムだけが相手の独りぼっちの暮らしに飽き飽きしていたから、喜んで王子の望みを受け入れ「付いて行きます」と答えた。二人は出発を次の日に決めた。

 あくる日、また老婆が食べ物を運んできた。名付け親のやって来るのを見たペルシエットは、王子をカーテンの陰に隠した。ところがオウムが繰り返して言った。

「マダム。あそこに恋人が隠れているよ」

「オウムが言ってるのは何のことだい?」

「あら、母さん。ただ私の教えたことを繰り返しているだけよ」

 人の好い名付け親は疑うことをしなかったので、そのまま帰って行った。その後でペルシエットと王子も塔を出た。老婆は道々オウムの言ったことを考えていたが、オウムは本当のことを言ったのではないか、確かめてみなくてはと思い直して塔に戻ってみた。そして呼んだが何の返事もない。塔のてっぺんに登ってみると、ペルシエットが若い男と手を組んで逃げていくのが遠くに見えた。名付け親が杖を振り下ろすと、ペルシエットはたちまち醜くなり、贈られた才能も全て消えてしまった。この変わりようを見て、王子は何と言ったらよいか、言葉もなかった。我が身の変わりように気付いたペルシエットは王子に言った。

「これ以上先へは行けません。名付け親の母さんがひどく怒っているのが分かるから。戻って謝らなくては」

 こう言った途端、王子は打たれたように死んだ。ペルシエットは名付け親の元へ戻り、許しを願った。すると授かった贈り物は全て元通りになり、名付け親は許しを与えた。そして塔ではなく自分の住まいへペルシエットを連れて行き、しばらくして非常に金持ちの王子と結婚させた。ペルシエットは二度と生みの親に会うことはなかった。



参考文献
『フランス民話集』 新倉朗子編訳 岩波文庫 1993.

※この話を読んでスッキリしない思いを味わった人は、同じフランスの再話文学「白猫」を読んでほしい。「ペルシエット」がヒロイン視点の第一部だとすると、ヒーロー(最後に結婚する金持ち王子)視点の第二部、という感じになっている。ヒロインの恋愛相手はオンリーワンじゃないと嫌だと考えるなら「金の髪と小さな蛙」をどうぞ。

 衰えて醜い相を見せた女神を愛せなかった英雄を、女神もまた愛さない。女神に愛されなかった英雄は冥界から戻ることが出来ずに死ぬ。「白猫」や「金の髪と小さな蛙」のヒーローたちは、女神が異形に姿を変えても心変わりしなかった。厳しい冬の時代を二人で耐え抜いた結果、女神は春の相を見せて美しく再生し、二人は幸せな結果を手に入れる。

 グリムの「ラプンツェル」でも逃走は失敗するが、王子の愛は変わらない。太陽の輝きを持つ髪を切られて荒野に連れて行かれたラプンツェルの状態は、沈んだ太陽であり冬枯れの大地であり、「死」の暗示である。王子もまた「魔女に捕まって」両目が潰れる。死んだわけだが、彼は冥界を彷徨ってラプンツェルを捜し続ける。ラプンツェルの声は、出会いのときも再会のときも、常に彼を導く。二人が再会したとき黄泉帰りは果たされ、王子の両目は光を取りもどす。

ラプンツェル  ドイツ 『グリム童話』(KHM12)

 昔、子宝に恵まれない夫婦がいた。長いあいだ神に願っていて、ついに子を授かった。

 夫婦の家の裏側に小さな窓が一つあり、そこから素晴らしい菜園が見えた。けれどもそこは恐ろしい魔女の持ち物で、高い石塀で囲われていた。身重の奥さんは窓からこの畑を見下ろしていて、そこに植わっている野ぢしゃラプンツェルが食べたくて我慢ならなくなってしまった。欲望は日に日に増したけれども取りに行くわけにはいかないので、奥さんは精神的疲労で青白く痩せおとろえた。驚いて訳を尋ねたご亭主は、奥さんのために禁を侵す決意をし、黄昏時、菜園に忍び込んで急いでラプンツェルを一束盗んできた。これを奥さんはサラダにしてがつがつ食べたが、その美味しさでますます欲望は募るようになり、次の日の黄昏時には、ご亭主はまたも菜園に忍び込まねばならなかった。ところがだ。石塀を降りると、目の前にぬっと立つ影があった。魔女が待ち受けていたのだ。

「よくもこんなことが出来たもんだ。人の畑へ降りてきて、泥棒みたいに私のラプンツェルを盗むなんて。こっぴどい目に遭わせてくれる!」
「どうか、どうか、お願いですから勘弁してください。どうしようもなかったんです。俺の女房が身重で、あなたのラプンツェルを窓から見て、それが食べられなければ死ぬと言うものですから」

 これを聞くと魔女は怒りを和らげた。

「ならば、欲しいだけラプンツェルを持っておいき。ただし、一つ条件がある。お前の妻が子供を産んだら、その子を私に寄越さなければならない。子供は幸せにしてやるよ。母親のように面倒をみるからね」

 ご亭主は助かりたいばかりに承知した。そのため、奥さんが女の子を産むとすぐに魔女がやって来て、「ラプンツェル」という名を付け、そのまま一緒に連れて行ってしまった。

 

 ラプンツェルはお日様の下にいる中で一番美しい子供になった。十二歳のとき、魔女はラプンツェルを塔の中に閉じ込めた。その塔は森の中にあって、梯子もなければ出入り口もなく、てっぺんに小さな窓が一つあるきりだった。魔女が中へ入りたいときには、塔の下に立って

ラプンツェル、ラプンツェル
お前の髪を垂らしておくれ

と呼びかけることになっていた。ラプンツェルは黄金を紡いだようにきれいな、輝く長い髪を持っていて、魔女の合図を聞くと結い上げた髪を解いて、お下げ髪を窓の鉤に巻きつけるのだ。すると髪は二十エレ(十二メートル弱)も垂れ下がって、魔女はそれに掴まって上にあがってくるのだった。

 そんな生活が何年か続いたある日、この国の王子が馬で森を通り抜けようとして、近くを通りがかった。その時、なんとも素敵な歌が聞こえたので馬を止め、うっとりと聞き惚れた。それは塔の中の寂しいラプンツェルが歌う声なのだった。王子は塔に入ろうと入り口を探したが、そんなものはどこにもなく、梯子を掛けるにも高すぎた。王子はがっかりして家に帰ったが、歌声は彼の胸を底までかき乱していたので、それからも毎日森へ出かけては歌声に聴き惚れていた。

 そんなある日、木の陰で歌を聴いていた王子は、魔女が例の合言葉を言って塔の中に入る様子を見た。なんだ、こんなことで入れるのなら運試ししてやれと考えた王子は、そのあくる日、日が暮れる頃に塔へ行くと呼びかけた。

ラプンツェル、ラプンツェル
お前の髪を垂らしておくれ

 すると髪の毛が垂れ下がったので、それで上へ昇って行った。

 ラプンツェルは男というものを一度も見たことがなかったので、最初はひどく驚いた。けれど王子が優しく話しかけ、いつも歌を聴いていました、あなたの姿を一目見ずにはいられなかったと切々と告白すると、恐ろしいと思う心は消えた。「私を夫にする気はありませんか」と申し込まれると、彼の若く美しいのを見て、「この人は代母かあさんよりももっと私を大事にしてくれるに違いないわ」と考えて、「よろしいですわ」と王子の手に自分のそれを重ねた。

「わたくし、あなたに付いてまいりたいのですけれど、どうやって下に降りればいいのか分かりませんの。あなた、これからここにおいでになる度に絹の紐を一本ずつ持っていらして。それで梯子を編みますわ。梯子が出来上がったらわたくしは下へ降ります。そうしたら、あなたの馬に乗せてくださいませね」

 ラプンツェルはそう言った。そしてその日が来るまで、魔女に見つからないよう毎日暗くなってから王子が塔を訪ねるように二人で決めたのだ。

 魔女はこのことにちっとも気付かなかったのだが、ある時、ラプンツェルはうっかり言ってしまった。

「ねえ代母かあさん、どうして代母かあさんはこんなに重いのかしら。王子様はすぐに登ってきてしまうのに」
※初版では「ねえ代母かあさん、どうして服がきつくなって着られなくなってしまったのかしら」

 それを聞くなり、魔女は全てを悟って怒鳴りつけた。

「なんだって、この罰当たりめ! お前だけはすっかり俗世間から隔離したつもりだったのに、よくも裏切ったね!」

 魔女はラプンツェルの見事な髪を掴むと、二巻き三巻きおさげを左手に巻きつけて、右手に持ったはさみでジョキジョキと切り落とした。そして情け容赦なくラプンツェルをどこかの荒野に連れて行った。可哀想なラプンツェルは嘆き悲しみながら、そこで哀れな暮らしをするよりなかった。

 その日の夕暮れ、いつものように王子がやって来て塔の下からラプンツェルに呼びかけた。降りてきた金色のおさげに掴まって上に登ったが、待ち受けていたのは老いた魔女ではないか。おさげは、切り取ったものを窓の鉤に結びつけたものだったのである。

「おやおや! 可愛い嫁さんを迎えに来たんだね。だが、あのきれいな小鳥はもう巣の中にはいないよ。もうさえずりもしないよ。ニャンコがさらっていったのさ。ニャンコはお前の目玉も抉り出すかもしれないよ。ラプンツェルはお前のものじゃなくなった。二度とあの子の顔は見られやしない!」

 王子は悲しみのあまり錯乱し、塔から身を投げた。茨の藪の中に落ちて棘で両目を潰された王子は、森の中を彷徨い、木や草の根、山葡萄や草いちごのようなものだけ食べて、ただ愛しい妻を慕って泣き続けるだけの存在になった。

 こうして幾年かが過ぎた後、彷徨う王子はついに、ラプンツェルが産んだ男の子と女の子の双子と共に細々と暮らしている荒野に入り込んだ。どこか聞き覚えのある声に惹かれて近付いてきた男を見て、ラプンツェルはすぐにそれが誰だか分かり、王子の襟首にかじりついて涙を流した。その涙の二滴が王子の目に入ると、彼の目はたちまち見えるようになった。

 王子はラプンツェルを国へ連れて行き、大歓迎を受けて、それから長く幸せに、何不自由なく暮らした。


参考文献
『完訳 グリム童話集(全五巻)』 J.グリム+W.グリム著、金田鬼一 訳 岩波文庫 1979.

※野ぢしゃはキク科のちしゃ(レタス)とは違う、オミナエシ科の植物で、高さは10〜30センチ、日本でも帰化して路傍にあり、春から夏に浅葱色の五裂の群花を球状に咲かせる。葉はシャキシャキしてヘーゼルナッツに似た香味がある。マーシュ、マーシュレタス、コーンサラダなどという名で日本のスーパーでも売られている野菜のことで、現代ドイツでは主に「フェルトザラート」と呼んでおり、やはり野菜として売っている。

>>この花なんだ【ラプンツェル】
(外部リンク)フェルトサラートGoogle画像検索)

 なお、岩波文庫版の「ラプンツェル」(金田鬼一訳)ではラプンツェルが魔女を「ゴテルお婆さん」と呼ぶよう訳されているが、「ゴテル」とは養母、名付け親の代母の意味だというので、単に「代母かあさん」としてみた。

 

 この話の後半部には【眠り姫】と【手なし娘】系のモチーフが混入しているように思える。男が何なのかさえ知らなかったお姫様に、塔に忍び込んだ王子は男と女の双子を孕ませる。なのにお姫様はどうして自分がそうなったのかさえ理解していない。これが【眠り姫】でも見られるモチーフ。お姫様は塔を出るが「嫉妬する女」の妨害によって子供と共に荒野に住む。そこに王子様が訪ねてきて、喜びの再会の後に結ばれる。これが【手なし娘】でも見られるモチーフだ。

 

 彷徨い、あるいは地下牢に閉じ込められて盲目になっていた人物。大切な人と再会し、その人が流してくれた涙が目に入ると、見えなかった目が光を取りもどす。日本の「お月お星」や山椒大夫伝説(安寿と厨子王)でも見られるお馴染みのモチーフだ。伝承の世界では盲目は死の暗示なので、これは死者が甦るというシーンである。民話では、異界へ去った夫を取りもどすための条件として「桶または幾つもの瓶を涙でいっぱいにする」という試練が数えられることがあるが、恐らく根は同じである。それだけの涙を流すほど死者への愛情を持っている者こそが、黄泉帰りという奇跡を起こすことが出来る。「灰かぶり」では母の墓に植えたハシバミの木が主人公を助けてくれるが、それを育てたのは母を偲ぶ主人公の涙だった。

 1812〜57年に刊行された『グリム童話』の「ラプンツェル」は、南欧を中心にして伝わる多くの類話とは終盤の展開が異なっている。実は、グリム兄弟はこの話を民間の語り手から聞き取ったのではなく、十八世紀のフリードリッヒ・シュルツの書いた小説から採ったのだ。彼らはこの小説を自国の民話を基にした再話文学だと考えていた。だから装飾を取り除いて簡潔にすれば純粋なドイツの民話が取り出せると考えたのである。

(グリム童話の性的描写の削除の例として有名な、初版「ラプンツェル」にあった「どうして服がきつくなって着られなくなってしまったのかしら」という台詞は、シュルツの小説からそのまま拝借された表現だそうだ。)

 そうして兄のヤーコップが書いた翻案版「ラプンツェル」が初版には収められたが、弟のヴィルヘルムはこれに(性的描写の批判への対応など)細かい修正や装飾を加えていって、結果的に再び再話文学化し、現在私たちの知る決定版の「ラプンツェル」になった。

 ところが、フリードリッヒ・シュルツの小説はドイツ民族の伝承を基にしたものではなかった。彼が参考にしたのは彼より更に前の1698年、ルイ十六世に仕えたフランスの女官、ド・ラ・フォルスが書いた再話文学「ペルシネット」だったのである。(パセリペルシエット野ぢしゃラプンツェルに変えたのはシュルツだという。) ド・ラ・フォルスの「ペルシネット」は、フランスの文献上ではこの話型の最古のものだという。

 私はこのド・ラ・フォルスの書いたものを読めていないのだが、妹に恋人を奪われた姉が、その産んだ娘・ペルシネットを引き取って「お前は醜いのだ」と言って塔に閉じ込める話なのだそうだ。(山岸凉子の短編漫画に「ラプンツェル・ラプンツェル」というものがあるが、これを基にしているらしく思える。)なお、この話はこれより六十一年前に出版された『ペンタメローネ』版の「ペトロシネッラ」を基にしているという説もあるようである。

 ド・ラ・フォルスと同時代のフランスのオーノワ夫人の「白猫」にもラプンツェルモチーフがあり、やはり魔女からの逃走に失敗している。現代のフランスに伝わるラプンツェルモチーフの民話で、今まで私が読めたものは全て逃亡失敗バージョンであった。このバージョンがド・ラ・フォルスの「ペルシネット」から始まったのかは分からない。それ以前のフランスに伝わる民話が、既にこの形になっていた可能性もある。ともあれ、現代に至るまでフランスでは逃亡失敗バージョンが好まれ、語り継がれてきているのは確かである。

 

 この話は本来は、冥界へ下って神の恵みを得、この世に再生するという、シャーマンの体験談(霊的知識)から出発したものだったはずだ。しかし信仰が失われ、「娯楽用の物語」としてアレンジが繰り返されていった結果、違うものになっていったのだろう。

 ヘラクレスが黄昏の国ヘスペリアに黄金の林檎を取りに行ったように、父親は黄昏時に魔女の菜園に忍び込む。子供をどこか遠くの世界へ連れ去る「人食い鬼」。「人食い鬼」によって窓が一つしかない高い塔に閉じ込められた美しい娘。姿は見えないが声がその存在を知らせる。その声を頼りに訪ねてきた若者が特定の合言葉を歌うことで塔への道が開かれ、若者は美しい娘という宝を、娘は「人食い鬼」から受け継いだ魔法の知識という宝を得て、「人食い鬼」の追跡から逃れて元の世界に帰還する。

 パセリっ子は神の申し子であり、神はその子を冥界へ連れ去る。その冥界の中で、パセリっ子は神の霊的知識を受け継いでいる。

 また、パセリっ子は二度の死と再生を経ている。最初に母親の手から奪われて塔へ連れて行かれるが、イタリアやマルタの類話では、「そこでの暮らしがあまりに素晴らしかったので、元の母親のことは忘れてしまった」と語られる。そして王子様が現れると、今度は養母を捨てて逃げてしまう。だがこれはパセリっ子が薄情で打算的だからではなく、「死んだ者(生まれ変わった者)は生きている間の記憶を失う」という信仰が根底にあるのだと思われる。 --> <眠り姫のあれこれ〜死と眠りと忘却

 出入りの難しい塔は「冥界」そのものの暗示だ。『千夜一夜物語』の「アリ・ババと四十人の盗賊」で、「開け、ゴマ」の合言葉を唱えれば、宝の詰まった洞窟が開かれる。【魚の恋人】系の話群でも決まった合言葉を唱えると神の化身である恋人が召喚されてくるが、ラプンツェルに呼びかけると髪が垂らされて塔に登れるようになるのも根は同じことである。神に呼びかける言葉、または音楽を知っている者(シャーマン)だけが冥界へ入って、その恵みを享受できるのだ。

「冥界の恵み→祖霊(神)→親」と認識が摩り替わっていった結果、塔は「子を束縛する親のエゴ」に認識されがちになった。そのように捉えてしまうと、この話は親が子を軟禁し、子は親を裏切って逃走、時に財産や命さえ奪うというひどい話になってしまう。この歪みを解決する方法は幾つかある。一つは「神(親)は捨てられ盗まれ殺されても仕方ないほど悪く怖い存在だった」と語ることで、こちらが一般的なのだが、フランスの人々は違う方法をとったようだ。それが「逃走失敗バージョン」なのだと考えている。逃げようとしたパセリっ子は、けれど親の加護を失った途端、何の力も無いみすぼらしい存在になる。彼女のそれまでの幸せ、魅力も賢さも、親がそうなるように与えてくれていたものだったからである。王子は彼女を救えない。「白猫」や「金の髪と小さな蛙」では、その後の試練を越えて親が本当に一人前だと認めてくれたとき、パセリっ子は元の美しい娘になり、親の手を離れ、祝福された幸せな結婚をする。

 もっとも、こうしたニュアンスはドイツの『グリム童話』の「マリアの子」にも見て取れるので、フランス特有と言うわけではないのだろうが。



参考--> 「白猫」「金の髪と小さな蛙




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