>>参考 「シディ・ヌウマンの話

 

妹は鬼  日本 鹿児島県大島郡

 両親と共に暮らす、ボックァとアセックァという兄妹がいた。兄妹は一組の布団を使っていたのだが、ボックァが寝入るとアセックァは布団を抜け出し、明け方にすっかり体を冷やして帰ってくる。それに気づいたボックァは不思議に思い、ある晩、眠ったふりをして、抜け出した妹の後を付けてみた。するとアセックァは村外れの牧場に行き、そこに放ってある牛を横抱きにして血を吸い始めたではないか。

 妹だと思っていたのは鬼だった。きっと鬼が本当の妹を食い殺して化けているに違いない。

 ボックァは震えながら家に帰ると、次の日、妹のいない時を見計らって両親にこのことを話して、「早くアセックァを追い出そう」と訴えた。ところが両親はたいそう怒って、「あんなに大人しいアセックァが鬼のはずがない、妹を鬼だと言うお前の心根の方が鬼だろう、お前が出て行け」と言うので、仕方なく家を出て行った。

 

 ボックァが旅をしていると、ある村の子供たちが蚊を竹筒に閉じ込めて苦しめていた。ボックァは「どうしてそんな可哀想なことをするのか」と子供たちをたしなめ、竹筒を一銭で買い取ろうと申し出た。子供たちが喜んで売り渡すと、「もう捕まるなよ。逃がしてやる代わりに俺に何かあったら助けてくれ」と言って蚊を逃がしてやった。

 次の村へ向かうと、途中に大きな虎が座っていた。ボックァは逃げようと思ったが、虎は少しも襲いかかる様子がなく、涙を落としながらボックァに向かって何かを願うように頭を下げている。ボックァが近づいてよく見ると、足に釘が刺さっていた。それを抜いてやると、虎は忠実な家来のようにボックァの後ろに付いてくるようになった。

 虎を連れたボックァが次の村に入ると、あちこちに貼り札がしてあった。そこにはこう書いてあった。

『殿様の倉の中に穀物が何俵あるか、言い当てた者を婿にする』

 ボックァが何俵あるのだろうと考えていると、耳元に蚊の群れが飛んできて「千俵、千俵」とブンブン唸った。これはありがたいと思いながら殿様のところへ行き、「あなたの倉には千俵ある」と言い当てた。殿様は約束通りボックァを婿にし、虎にも金網を張った綺麗な家を造ってやった。そうして豊かに楽しく暮らしたのである。

 

 一年ほど経つと、ボックァは両親はどうしているだろうかと気になり始めた。どうしても一度故郷の集落シマに帰りたい。そう言って馬に沢山の土産物を積んで一人で出かけたが、出がけに「もし虎があまりに騒ぐようなことがあったら、戸を開けて放してやってくれ」と妻に頼んでおいた。

 ボックァが峠から見下ろすと、集落は不気味なほど静まり返っていて、誰も住んでいないように見えた。実家に着いて「ごめんください」と声をかけると、出てきたのはアセックァだけだった。いそいそと兄を部屋に通すと、アセックァはわっと泣き出して言った。

「ねえボックァ、お前が出て行ってからこの村に流行り病が流行って、村の人はみんな死んでしまったんだよ。お父さんもお母さんも死んでしまった。私一人残ったんだよ」

 そして「今すぐ、この米を研いでくるから、お前はこの太鼓を叩いて遊んでおれよ」と言って出かけて行った。

 ボックァが太鼓を叩いて遊んでいると、白いネズミと黒いネズミがやって来て「ボックァ、ボックァ」と呼びかけてきた。

「俺たちはお前の親だよ。アセックァは今、歯を研ぎに行ったんだよ。アセックァはお前の言ったとおり鬼だったよ。村の人をみんな食べてから、とうとうわしらも喰われた。

 今、歯を研いできてお前を食べるから、早く逃げてくれ。太鼓は俺たちが叩いているよ」

 そう言うと、二匹のネズミは尻尾で太鼓を叩き始めた。ボックァは馬に飛び乗ると逃げて行った。

 やがてアセックァが家に戻ってきたが、ボックァはおらずにネズミが太鼓を打っている。「こン畜生!」と怒鳴ってネズミを追い払い、「あったら無塩ぶいん(新鮮な生の食材)を逃がした」と言って向こうを見ると、ボックァが坂の上を逃げていこうとしているのが見える。逃がしてなるものかと駆け出した。

 しばらくして、ボックァの乗る馬にアセックァが追いつきそうになった。仕方なく、ボックァは馬の片脚を切ると投げつけ、アセックァがそれを喰っている間に三本脚の馬で逃げた。しかしまた追いつかれそうになったのでもう片脚を切ると、馬は倒れて走れなくなった。アセックァはその馬を喰い始め、その間にボックァは逃げて、道端に生えている松の木に登った。アセックァはまだ追いかけて来て、松の木の上にいるボックァを見つけると木をどんどん登って来た。ああ、もうどこにも逃げ場はない!

 

 話変わって。ボックァの家では、虎が檻の中で暴れ出していた。ボックァの妻が戸を開けて解き放つと、虎はボックァの故郷へ向けて矢のように走り抜けた。そしてアセックァがついにボックァを捕らえんとしていたところに躍り込むと、身をもつれさせてアセックァと戦い始めたのである。ボックァが「勝てよ虎トラ」と応援しながら見ていると、ついに虎はアセックァの首に喰いついて、一息に噛み殺したのだった。

 それからボックァは虎を連れて妻の待つ家に帰った。この虎を可愛がって、末永く養ったということだ。



参考文献
『桃太郎・舌きり雀・花さか爺 ―日本の昔ばなし(U)―』 関敬吾編 岩波版ほるぷ図書館文庫 1956.

※虎に刺さった棘を抜いてやって義兄弟のようになるモチーフは、中国や韓国で見られる。

 呪的逃走の部分は[牛方山姥]と同じであるが、(人食い鬼が本物の妹を食い殺して入れ替わっていたのなら)全体的には【赤ずきんちゃん】に近いと言える。「一緒に暮らしていた家族が実は魔物だという秘密を知って命からがら逃走する話」だと考えれば[青髭C 悪夢のような逃走]とも近い。

三枚のお札」では便所神やお札が代返をして時間稼ぎをしてくれるが、ここでは両親の霊が助けてくれる。冥界からの脱出譚では、琴が鳴ったり大地が鳴動したりして逃走が冥王(人食い鬼)に知られて危機に陥るのが黄金パターンだけれども、この話では逆に、楽器を演奏し続けることを逃走の助けとしている。

 召霊儀式に楽器の演奏は欠かせない。楽器の演奏は、シャーマンがこの世からあの世へ、あの世からこの世へ渡る際に必要なものなのだろう。

 

 なお、上に紹介した例話では、鬼の妹は吸血鬼か山姥的な人食い鬼であるが、「妹は(人食いの)大蛇と化していた」と語られる例も多い。

妹は鬼  長崎県壱岐郡渡良村

 親子四人が暮らしていた。兄妹は一緒に寝ていたが、夜半には妹の足は何故かいつも冷たくなるのであった。妹が夜中に外に出かけていることに気付いた兄は、その後を付けた。すると川辺に立って「蛇にしてくれ」と祈っているではないか。このことを両親に告げて妹の命をくれと言ったが承知しなかったので、兄は家出した。

 彼は別の町で結婚し、鷲と熊鷹を飼った。あるとき郷里に帰りたくなり、妻に鏡を渡して「この鏡が曇ったら我が身に異変があったと思え」と言って旅立った。

 実家に着いてそっと覗くと、蛇が寝ている。玄関に回って大きな声で呼ぶと妹が出てきて、両親は死んだ、御馳走するからこの太鼓を叩いていろと言って外に出た。白ネズミと黒ネズミが現れて妹に食い殺された両親だと話し、代わりに太鼓を叩いて兄を逃がした。

 兄は馬に乗って逃げたが、馬が疲れて走れなくなったので、三本並んだ木の中の一本に登って隠れていた。すると妹の蛇が追ってきて三本の木の根を次々と齧った。一方、妻は鏡の曇ったのを見て鷲と熊鷹を放していた。最後の木が倒されようとしていたとき鷲と熊鷹が飛来して蛇を殺した。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店

妹は鬼  長崎県北高来郡江浦村

 金持ちが男と女の二人の子供を持っていた。妹が毎晩こっそり家を出て、戻ると藁草履が濡れている。それに気づいた兄が後をつけると、妹は大蛇に変じて池に入っていた。そのことを両親に報せたが、嘘を言うと憎まれて家を追い出された。

 半年ほどして帰ってみると、家は荒れ果てていて大蛇が出てきた。兄は三本並んだ木の一本に登り、その根を大蛇が噛んで倒すと隣の木に移って逃げた。三本目の木が噛み倒されようとしたとき、虎が現れて大蛇を噛み殺した。その虎は大蛇に食い殺された両親の魂であったという。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店

妹は鬼  鹿児島県薩摩郡下甑島

 妹が大蛇に変じていることを知った少年がそれを両親に告げたが、かえって憎まれて追い出された。

 金持ちの家の灰坊になって仕え、やがてその家の娘に見初められて結婚する。

 親見舞いに行くことになり、妻に鏡を渡して「これが曇ったら熊の綱を切ってくれ」と頼んでおく。村に帰ると人がおらず、家には妹一人だけがいて、「両親は隣の家に茶を飲みに行っている、呼んでくるから太鼓を叩いていてくれ」と言って出掛けた。すると両親の魂がネズミとなって現れ、代わりに太鼓を叩いて逃がす。

 妹は蛇になって追ってきたが、鏡の曇ったのを見て妻が熊を解き放つと、駆け付けた熊は蛇を食い殺した。灰坊は熊を連れて妻の待つ家に帰り、以降は幸せに暮らした。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店

ダラの木とススキ  鹿児島県 屋久島 屋久町尾之間

 昔、尾之間に両親と姉と弟の四人が仲良く暮らしていた。

 ある年の正月、水迎え(元旦と二日の早朝に家の女が生米を供えて初水汲みすること)に出た姉が戻らないので弟が探しに行くと、姉は泉のずっと先の野原で髪を振り乱し、大蛇となってシキシャキ、シキシャキと美味そうに馬を食っていた。弟は逃げ帰って両親に訴えたが信じてもらえず、逆に出て行けと叱られた。弟はここにいると命が危ないと思ったので逃げて行った。

 何年かが過ぎ、弟が故郷が恋しくなって戻ってみると、村には人影一つ見えない。自分の家に行ってみると、待ちうけていた姉がニコニコ笑って出てきて言った。

「こわ(これ)、弟か。おまや何処どけ行たておったか。この村は悪病が流行って、皆死に絶えてしまった。ととかかも死んでしまった。こわ、弟、お前は悪魔が入って来んように、この太鼓を叩きおってくれ。私が茶を沸かす水を汲んでくるから」

 おかしな話だと思いながら弟が太鼓を叩いていると、ネズミが二匹出てきてせきたてた。

「こわ、こわ、息子や。俺たちはお前の両親じゃ。お前の言う通り、姉は大蛇じゃった。ある日、二人とも食われてしもたよ。姉は今、水汲みじゃのうして、川で牙を研いでおるところじゃ。さあ、俺たちが尻尾で太鼓は叩くから、お前は早く逃げて行け」

 弟は驚いて、ネズミに礼を言うと一目散に逃げ出した。やがて戻って来た姉は、弟がいないでネズミが太鼓を叩いているのを見ると悔しがり、たちまち大蛇となって「弟、待てぇ」と後を追い始めた。

 いよいよ追いつかれそうになった時、弟は目の前にあった一本のダラ(たら)の木の陰に隠れた。「ダラの木さん、ダラの木さん、俺を助けてください。もし助けてくだされば、毎年正月の六日にあなたを祝ってさしあげます」と頼むと、ダラの木はたちまち枝の栄えた大木となり、弟を囲ってくれた。大蛇の姉はそこに来たが、ダラの木には鋭い棘が沢山あるので中を覗くことが出来ない。とうとう諦めて家に帰って行った。

 弟は安心して、ダラの木に礼を言うと逃げ出した。ところが風上に逃げたために匂いを嗅ぎつけた姉が再び追ってきた。今度こそもう駄目だと思った時、目の前にススキの原が見えた。中に飛び込んで「ススキさん、ススキさん、俺をどうか助けてください。助けてくだされば、五月の節句にはあなたを軒にさして祝いますから」と頼むと、ススキがむくむくと茂って弟をくるくると包みこんだ。姉は再び弟を見失い、諦めて今度こそ帰って行った。

 こういう訳で、正月六日にはダラの木を門口や柱の下、床などに供え、五月節句にはススキを軒にさして祝うのである。また、女はじゃしょうといって、心がけが悪いと大蛇になるのだという。


参考文献
『日本の民話 屋久島篇』 下野敏見編 未来社 1974.


参考 --> 「食わず女房

 興味深いのは、ウクライナの類話でも人食い魔女の妹の正体を蛇としていることである。

 その話では妹に追われた兄は養母の《太陽の妹》に救われ、蛇である妹は地上に取り残されたと語られる。人食いに追われた主人公が木の上に逃げ、人食いが登ったり幹を齧ったりして追い迫るのは【童子と人食い鬼】系ではお馴染みのモチーフなのだが、中でも「天道さん金の鎖」系の話では、樹上の主人公は太陽や月に救われてそのまま昇天し、自身が日月や星になり、人食い鬼の方は地に落下して大地に豊穣を呼んだ(植物の根を血潮で染めた)と語る。「コースチンの息子」のように大蛇(竜)が太陽を呑み込もうと追って来て、破裂死して大地に豊穣を呼ぶ伝承群があるけれども、どうもこの[妹は鬼]話群の根底にも同じイメージが伺えるように感じる。

 

 ところで、兄と妹が同じ布団で寝ていたという話について。

 上述の鹿児島県大島郡の例話では、単に貧しく幼い兄妹が同じ布団で寝ていただけとも取れるのだが、下甑島の類話のように「妹が十二、三になったので兄と同じ布団で寝るようになった」と、性的な意味での同衾らしいことを語っているものもある。そもそも長崎県や鹿児島県の類話では妹ではなく嫁としているものがある。

蛇の性の嫁  鹿児島県 種子島 中種子町油久

 昔、あるところに父母と息子の三人暮らしの家があった。息子が年頃になったので嫁を探し始め、両親が白羽の矢を立てたのは隣部落の評判の美人だった。ところが不思議なことに、この娘を他に嫁にもらおうという者がいないようである。息子は何か欠点があるのだろうと嫌がったが、両親は乗り気で、話をまとめてしまった。

 この嫁は舅と姑に非常に親切だったので、両親はとても満足した。ただ不思議なのは、一日に一足、山草履を作ってほしいと頼むのである。息子が不思議に思って見ていると、草履が朝には履き潰されている。一体どこへ行っているのか。夜に寝たふりをして見ていると、嫁は真夜中に山草履を履いて出て行った。後をつけると、村外れの牧で大蛇となり、馬を絞め殺しては食べているではないか。息子は歯の根も合わないほど震え、息せき切って家に戻った。やがて嫁もそっと戻って来て、そのまま寝てしまった。

 息子は翌日、嫁が外に出た隙に両親に、あれは蛇の化けた女だから離縁したいと訴えたが、嫁がすっかり気に入っている両親は、そんなことがあるものかと怒り出した。そこで息子は出稼ぎに出ると言って家を出たのであった。

 三年の間、息子は両親の無事を祈りながら日本六十六カ国の神参りをしていた。そして家に戻ってみると、嫁一人しかいない。両親はどうしたのかと尋ねるとしくしく泣いて、病気で亡くなったと言う。ご馳走を作るから、水を汲んでくるまで気慰めに太鼓を叩いて待っていてくれと言って出掛けて行った。息子が太鼓を叩きながら待っていると、二匹のネズミがちょろちょろと現われて言った。俺たちはお前の両親だ、お前の言う通りあの嫁はじゃしょうで、食われてしまった。あの嫁は川に牙を研ぎに行っている。俺たちが太鼓を叩いているから早く逃げろ。

 息子は驚きと納得を半ばさせながら川をちょっと覗いた。川の大石でガッシガッシと牙を研いでいた大蛇は、水面に映った若者の姿を見つけて一度水に沈み、ザバーッと這い上がって追ってきた。

 ついに追いつかれそうになった時、息子はふと思いついて懐から守札を出して後ろに投げた。すると大川が若者と大蛇の間を隔てた。ありがたい、神様のお助けじゃと思いながら逃げたが、しばらくして振り返るとまた追いついてきている。また札を投げると大山が出来たので、蛇が登っている間に死に物狂いで逃げた。しかしまた追いついて来たので、最後の札を投げた。札はヒラヒラと空に舞い上がり、次の瞬間、空いっぱいに鷲熊鷹の群れが現れたかと思うと、一世に大蛇めがけて飛びかかり、たちまち食いつぶしてしまったそうだ。


参考文献
『日本の民話 種子島篇』 下野敏見編 未来社 1974.

※人食い女が川に水を汲みに行き、そこで殺害のための道具を研ぐというモチーフはパプア・ニューギニアの「人食い女」にも見える。

参考 --> [三枚のお札

 創世神話に登場する《原初の夫婦》は兄妹であることが少なくない。太陽神とその弟妹が近親相姦的な関係にあったと語る伝承は、日本神話のアマテラスとスサノオなどにも見られるが、何か関連はあるだろうか。人食いの妹と、主人公が妻または養母となる《太陽の妹》は、両極であると同時に同一の存在なのかもしれない。(多くの伝承において、《太陽神》もまた人食いであり、太陽神と冥王が両極でありながら同一視されていることも思い出しておくべきなのだろう。)



参考--> 「天道さん金の鎖



狐の妹と三兄弟  韓国

 昔、あるところに大富豪がおり、無数の牛馬を飼っていた。三人の息子があったが娘はなかったのを寂しがっていたが、幾年か経ってとうとう生まれたので、「吹けば飛ぶだろう、握れば潰れるだろう」と言わんばかりに可愛がっていた。

 娘が五つになるまでは別段変ったこともなかったが、六つになった時から、毎晩牛馬小屋で牛か馬が一頭死ぬようになった。そのため彼の富は次第に減っていった。父は心配でもあり不思議でたまらないので、一番大きい息子に煎り豆を与えながら「今夜はお前が牛馬小屋の番をしてみよ、そしてどうして牛や馬が斃れるのか気を付けて見守っていよ」と命じておいた。

 長男は煎り豆を齧りながら張り番をしていた。夜中になると、なんと、彼の妹がよちよちと歩いて牛馬小屋の前まで来た。そしてそっと忍び入り、牛の肛門から手を入れてその肝を抜き出し、それを喰ってから何食わぬ顔をして自分の寝室に帰って行ったのであった。

 翌朝、長男はこれを父に報告した。すると父は大いに怒って「そんな馬鹿なことがあるものか」と叱り飛ばした。そして次の晩には次男に張り番をさせた。次男の報告も長男と同じであった。父はますます怒り、「お前たち二人は罪のない妹を殺そうとしているのだろう。これからは俺の目に触れないように、どこになりとも出て行け!」と怒鳴った。そしてその夜は末の息子に張り番をさせた。彼は兄たちのように追い出されることを恐れて事実を隠し、「牛は自然に斃れていました」と報告した。父は「お前こそ俺の息子だ」と言って家に置いてやった。

 

 追い出された二人の兄はしばらく放浪生活を続けた後、ある山中で一人の道士に遇い、そこで学問を習った。こうして幾年かが過ぎ、兄弟が家に帰ろうとすると、師である道士は三つの瓶に入った水薬を与えて言った。

「この白いのは棘の瓶、赤いのは火の瓶、青いのは水の瓶だ。棘の瓶を地面に叩きつければ棘の森が出来、火の瓶を叩きつければ火の海が、水の瓶を叩きつければ海が生じる。危急の際にはこれをなげるがよい」

 兄弟が故郷へ帰って様子を見ると、彼らの家にはもはや人の気配が絶えて無く、一面に蓬などの雑草だけがぼうぼうと生えていた。不安を感じながらも勇気を出して家に入ると、妹が「まあ、兄さんですか」と大喜びして迎えた。しかし彼女の眼は真っ赤に輝いていた。

 家中がこの妹に喰われたのだ。そう悟った兄弟は逃げようと思ったが、その隙がない。そこで妹に猫撫で声で頼んだ。

「我々は喉が渇いて仕方がない。お前、向こうの山の麓にある泉まで行って、我々がいつも飲んでいた清水を少し汲んで来てくれないか」

 そして妹が出かけた間に馬に乗って逃げて行った。水汲みから帰って獲物に逃げられたことを知った妹は、「兄さん、少し待って」と言いながら、すぐに後を追ってきた。その姿は獣と化していた。彼女の正体は化け狐だったのである。

 狐が兄弟に迫り、その乗った馬の尾を今にも掴みそうになった時、兄は白い瓶を後ろに投げつけた。すると辺り一面に棘の木がみっしり生えたが、狐は体中に刺さった棘を引き抜きながら通り抜けてきた。

 再び馬の尾を掴まれそうになったので、兄は次に赤い瓶を投げた。すると火焔の海が燃え盛って、狐の体に刺さった棘に燃え移って焼けただれさせた。それでもなお、狐は追うことをやめなかった。

 またまた馬の尾を掴まれそうになったので、兄は最後の青い瓶を叩きつけた。するとみるみる大きな海が彼らの背後に現れた。

 狐はその中で浮きつ沈みつしながらも泳ぎ渡ろうとしたが、火傷した体は水の中でただれ弾けて、とうとう死んだのであった。



参考文献
『朝鮮民譚集』 孫晋泰著  郷土研究社 1930.

※この話は中国でも知られているようだ。三兄弟が出てくると末の弟だけが成功するのが民話のパターンの一つなのだが、この話では珍しく、上の兄二人が成功して末の弟は食い殺されている。

 

 夜のうちに次々と倒れて死ぬ牛馬の謎。実は内臓を抜き取られていたのであった…というくだりを見て。
 キャトル・ミューティレーションじゃーっ!
 妹は鬼でも狐でもなく、宇宙人だったに違いない。



参考--> [三枚のお札



  ロシア オセット族

 昔、七人の息子を持つ母親がいた。息子たちが草刈りに行った春のある日、母親は女の子を一人産んだ。その子には牙が生えていた。

 母親は赤ん坊をゆりかごに固定してから、草刈りをしている息子たちのためにお弁当を作った。

「息子たちにパンを持って行ってあげよう」

 出来上がってからそう独りごちると、ゆりかごの中の女の子が口をきいた。

「お母さん、私も一緒に行くわ」

 母親は肝をつぶした。

「一体お前はどこへ行くつもりなの?」

「お母さんが行く所へ私も行くのよ」

 母娘はお弁当を馬の背に乗せて、歩いて出発した。女の子はもう一人前に喋るし歩くのだった。

 兄弟たちが草を刈っているところに着くと、女の子は馬を木の根に繋いで来るようにと言われて谷へ下りて行った。ところがいつまで経っても戻ってこないので、兄たちは一番下の弟に言った。

「ちょっと行って見てこいよ。迷子になってるのかもしれないぜ」

 末の弟は谷を下りて行った。すると妹が牙を剥き出してかぶりつき、もう馬の体を半分も食べてしまっているではないか。

 弟は戻ると、兄たちに別れを告げた。

「さようなら。僕はもう兄さんたちと一緒に働かないよ」

 

 末の弟は兄たちと別れてどんどん歩いて行った。どの道を行ったのかは神様にしか分からない。やがて塔が見えたので、そこへ入った。そこには黒い目をした茶色い髪の毛の娘が座っていた。その子はまるで雪のように輝いて見えた。彼女はこの若者が来たことをとても喜び、二人は一緒に暮らし始めた。

 ところがある日のこと、若者は溜息をついて妻に言った。

「僕には兄弟がいるんだ。兄さんたちがどうなったのか、僕には全く分からない。一度なんとかして会いたいものなんだけど」

「お兄さんたちのことなんて放っておきなさいよ。そんなこと気にしないで。どこにも行っちゃ駄目よ」

「兄さんたちの消息を知らなければ、僕は生きてはいけないよ」

「それなら行ってらっしゃい。この砥石と櫛と炭ひとかけらをあげるわ。もしも困ったことが起きたなら、これを一つずつ投げなさい。きっと役に立つと思うわ」

 若者は出かけて行き、かつて住んでいた村に着いた。記憶を辿って実家へ行ってみると、家からは煙が立ち昇っていたけれども、生きている人間の気配はしなかった。

 若者が家の中に入って行くと、妹が喜んで駆け寄って来て兄を迎えた。

「どこへ行っていたの、私のたった一人の兄さん。今までずっと待っていたのよ。さあ入って。こうして兄さんに会えるなんて、なんて素晴らしいことなのかしら」

 兄がベンチに腰を下ろすと、妹はヴァイオリンを手渡してこう言った。

「しばらくヴァイオリンを弾いていて。私は食事の支度をしてくるから」

 妹がそうやって奥の部屋へ行ってしまうと、部屋の隅からネズミが一匹走り出て来て近寄って来た。それは人の言葉を喋って、「私はお前の母さんだよ」と言った。

「あの子が家族をみんな、あの世へ追いやってしまった。さあ、逃げなさい。お前の妹は牙を研いでいるよ。お前も食べてしまうつもりなんだよ」

 若者は裏の窓から飛び出して一目散に駆け出した。その間、ネズミはヴァイオリンの上を飛び跳ねて弦を鳴らし続けていた。

 妹はその音に聞き耳を立てながら牙を研ぎ終え、いよいよ奥から出てきたが、兄はおらず、ネズミがヴァイオリンを鳴らしている。

「おお、不信心者めギャウール! お前は私の口の中から美味しいご馳走を逃しやがった!」

 妹はネズミを引っ掴むとあんぐと呑み込んだ。ところがネズミはお尻の穴からするりと出た。妹はまたネズミを捕まえて呑み込んだ。けれどもネズミはまたお尻から出た。そうやってネズミは妹が追いかけ始めるのを一時間遅らせることが出来た。

 妹はこのネズミを滅ぼす方法はないと悟ると、ほったらかしにして兄を追いかけ始めた。どんどん追ううちに兄の姿が見えて来たので、こう叫んだ。

「あんたの一生に呪いあれ! 私から逃げてどこへ行くというの!?」

 妹が近づいてきたのを見て、兄は櫛を後ろに投げた。すると棘だらけの藪が茂った。とても通り抜けられるものではなかったが、妹は牙でその藪を切り開いた。その間に兄は遠くへ逃げていた。

 藪から抜け出した妹は、やがて再び兄に追いすがろうとした。

「どこまで逃げるつもり!? さっきはうまいことやったわね。でももう、神様はあんたを私の手に委ねてくださったのよ!」

 兄は後ろにひとかけらの炭を投げた。すると真っ暗な森が現れた。一度入ったら二度と出られないようなものだったが、妹は今度も牙で道を切り開いてしまった。

 兄はどんどん逃げ、ときどき後ろを振り返った。間もなく妹がまた追いついてきた。兄は砥石を後ろに投げた。すると黒い山が出来上がった。それでも妹はその山を牙で齧り、トンネルを掘って突き抜けて迫って来た。

 兄の前に、あの塔が見えて来た。兄が塔の前に立ち止まってその妻が手を差し伸べたときに、妹も追い付いて兄の足を掴んだ。そのために天と地で引っ張り合いが始まった。

 妹は言った。

「これは私の兄さんよ。だから私のものなの!」

 妻も言った。

「神様がこの人をあなたに与えていた間は確かにそうだったわ。だけど今はもう私のものなのよ!」

 そうして二人は若者を争って口論を始めた。長い間争っていた。そしてとうとう、若者が月のうちの二週間は妻のものになり、残りの二週間は妹のものになるということで折り合いが付いた。

 このとき以来、月は中空にぶら下がっていることになった。そして月が妹の手の中にいる間は妹が月を食べてしまう。だが妻の手の中にいる間は、妻がまた月を丸くしてくれるのだ。



参考文献
『世界の民話 コーカサス』 小沢俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

※恐らく、「妹が馬を食べたのを兄たちに訴えるが信じてもらえない」というエピソードが欠落している。そのために弟が自分一人だけでサッと逃げてしまった卑怯者のように見えてしまう。

 この話は月の満ち欠けの由来譚になっている。人食い鬼であるはずの妹が神の名を出して「兄は私に与えられるべきもの」と言っているのは注目すべき事項である。即ち、妹は神(自然)に反する存在ではない。「死(冥界)」の擬人化であり、妻は「生(太陽)」の擬人化とみなすことが出来るだろう。(この話では妻が太陽であるとは言われていないが、他の類話ではそう語られている。)主人公は迫りくる「死」から逃れ、「生」に救われようとしたが、完全には無理だった。

 

 この話を読んで、ギリシア神話のアドニスの死や、ベルセポネの結婚の物語のような、「春」と「冬」の由来譚を思い出した人は多いのではないだろうか。

アプロディテとアドニス  ギリシア

 王女ミュラ(スミュルナ)は、いつの頃からか憂いを含む表情ばかりを見せるようになった。父王が心配して、恋の病かとあれこれ結婚相手を勧めてみるのだけれども、ただ涙を落とし、「お父さまのような人を」と言うばかりなのだ。

 彼女は実の父に激しく恋い焦がれていたのだった。それは神の祟りによるものである。一説には、彼女が美の女神アプロディテ(ビーナス)よりも自分の髪が美しいとうぬぼれたためだというし、女神への祀りを怠ったためだともいう。或いは太陽神アポロンの怒りに触れたのだともいう。許されない恋に苦しんで、ついに首を吊ろうとした彼女を発見して、老いた乳母は一計を案じた。祭りの夜、部屋の明かりを暗くして、泥酔した王のもとに顔を隠したミュラを連れて行ったのだ。

 このようにして、王は夜毎にこの不思議な乙女と床を共にするようになった。一説によれば、それは十二夜の間続いたという。

 やがて王は自分にこれほど想いを寄せてくる乙女が何者なのかを知りたくなり、密かに寝室に燭台を運び入れておいて、その顔を覗き見た。すべてを知った王は恥と怖れと怒りで舌も凍えたようになり、無言のまま傍らの剣を掴むと斬り捨てようとした。しかし一瞬、躊躇した手は止まり、その隙にミュラは寝室から逃げ出すと行方をくらませたのだった。

 それから九ヶ月の間、ミュラは各地をさまよい歩いた。彼女は父王の子を宿しており、アラビアの南のサバの地に来たとき、ついに身重のあまり動けなくなった。彼女は両手を天に差し伸べて祈った。私はあさましき思いを抱き、父を騙しました。そのあがないとして、人間界にも冥界にも属さずに、姿を変えて中有に留まりたいと。どの神がその願いを聞き届けたものか。願いどおり、ミュラはみるみる姿を変えて一本の没薬スミュルラの木になったのである。

 それでも、胎内の子供は育ち続けていた。月満ちると、木の幹は膨れ上がり、樹液(没薬)が涙のように滴り流れた。出産の女神エイレイテュイアも流石に哀れをもよおし、舞い降りるとその幹にそっと触れた。たちまち幹が弾け、産声をあげて中から一人の男児が生まれ出でた。それを泉の妖精ニンフたちが抱きあげ、柔らかな青草の上に寝かせると母の木の涙でその肌をかぐわしく拭き清めた。この赤ん坊はアドニスと名付けられた。

(しかし、別の説ではアドニスは普通に人間の両親から生まれたことになっている。)

 

 年月が過ぎたある日。アプロディテは息子のエロス(キューピッド)と遊んでいて彼の矢で胸を微かに傷つけ、その傷の癒えないうちに美しい若者を見てしまい、恋に落ちた。この若者こそがかつて没薬の木から生まれたアドニスの成長した姿であった。

 今まで人間たちの崇拝や美容のことばかり気にしていたアプロディテも、月の女神アルテミスのような狩りの服を着て、日焼けを厭わずにアドニスと共に野山を歩き回った。彼の気を惹くためである。それでも凶暴な獣と死闘をすることは嫌がって、彼女は恋人にくどくどと言い聞かせた。決して危険なことはしないよう、強い獣に立ち向かおうなどとはしないように。尊大に振舞うのは弱い獣に対してだけでいい。命こそが大切なのだから功名心に囚われてはなりませんと。しかしアドニスは誇り高く血気盛んな若者だったので、そのような言葉に耳を貸すことはなかったのだ。猟犬が大猪を狩り出すと容赦なく槍を投げて猪の脇腹をえぐった。手負いの猪は怒り狂ってアドニスを襲い、牙で彼の脇腹をえぐったのである。

(一説によれば、この猪はアプロディテの愛人または夫とされる戦神アレスの化身か使いだったと言うし、別の説ではやはりアプロディテの夫とされる鍛冶神ヘパイストスの差し向けたものと言う。あるいは、処女神である故に愛の女神アプロディテと対立していたアルテミスの差し向けたものとか、その兄の太陽神アポロンの仕業とも言う。)

 アプロディテは恋人の死の呻きを聞きつけて、白鳥の牽く二輪車で舞い降りた。しかしいかに女神であろうとも、既に息絶えた者を蘇らせることはできなかった。血まみれの恋人の傍らにうずくまって、アプロディテは自らの衣を引きちぎり胸を叩き髪をかきむしって嘆き悲しむと、彼を永遠に忘れないために、血に神酒ネクタルを注ぎ込んだ。すると血の中からアネモネの花が咲き出したが、美しいこの花はアネモスが吹いただけでたちまち散ってしまう。儚く命を落としたアドニスのように。それでこの花をアネモネと呼ぶようになった。

(アドニスの血潮から咲き出したの紅薔薇だとか、アドニスの血から紅薔薇がアプロディテの涙からアネモネが生じたなどと言う。あるいは、それまで薔薇は白いものしかなかったが、アプロディテが恋人の亡骸に駆け寄った時に足が傷ついて、血が薔薇を赤く染めたなどと語られる。山姥の血は蕎麦や黍の根を赤く染めたものだが、こちらは花を染める。優雅である。)

 

 しかし別の説によれば、アプロディテはアドニスが誕生するとすぐに、この美しい男児を箱の中に隠して冥界の女王ベルセポネに預けたという。ベルセポネは好奇心に駆られてこの箱をそっと覗いた。すると美しい男児が入っていたので、返したくなくなってしまった。

 アドニスを巡る二人の女神の争いを裁いたのは、大神ゼウス(あるいは、ゼウスに命じられた詩の女神カリオペ)であった。即ち、アドニスは一年のうち三分の一はベルセポネのもとで、もう三分の一はアプロディテのもとで、残りの三分の一は独りで自由に過ごせばよいと。

(この判決が下された後、アプロディテと過ごしていたときに、アドニスは猪に殺されたと語る者もある。)

 

※アドニスの名はセム系の言葉「君主アドゥン」に由来するという。シリアのビブロスとキュプロス島、アレクサンドリアやギリシアでも、毎春、彼の死を悼む祭りが行われていたという。女たちは(夫である)若神の死を嘆き悲しみ、祭りの終わりに彼をかたどった神像を海や泉に流す。そして来年もまた彼が蘇って戻ることを祝う。日本で言うなら七夕祭りが近い感じだろうか。

 アドニスは穀物の神、アプロディテは大地の女神であると、一般に解釈される。つまり春に穀霊と大地が結婚することで実りがもたらされ、しかし冬には植物は枯れ果てて、穀霊神は死んで大地の女神のもとを去る…冥界の女神に奪われる、と。そして春になれば穀霊神は再び大地の妻と結婚するために現れる。綿々と繰り返される自然のサイクルである。



参考--> [三枚のお札]「月と太陽」「太陽女」「月の満ち欠け



魔女と太陽の妹  ウクライナ(AФ93)

 昔、ある王とお后の間にイワンという王子がいたが、生まれつき口がきけなかった。王子が十二歳になったある日、いつものようにお気に入りの馬丁に昔話を話してもらおうと馬小屋へ行くと、馬丁はこう言った。

「イワン王子、まもなくお母さまに女の子が生まれます。王子にとっては妹ですが、それは恐ろしい魔女で、お父さまもお母さまも家来たちも残らず食べてしまうでしょう。もしご自分まで食べられたくなかったら、これからお父さまのところへ行って、一番いい馬に乗ってみたいとお願いしなさい。そしてここからどこへでも、足の向く方へ立ち去ってしまうことです」

 イワン王子は父親のもとへ駆けて行き、生まれて初めて口をきいた。王は喜びのあまり、なぜ息子がいい馬を欲しいのか尋ねもしなかった。すぐに自分の持っている馬のうちで一番いい馬を選び、王子のために鞍を置くように命じた。イワン王子は馬にまたがると、足の向く方へ進んでいった。

 

 夜に日をついで王子は旅を続けた。二人の年取ったお針子に出会ったので、一緒に暮らさせてくれと頼んだが、老婆たちはこう言った。

「イワン王子、あなたを引き取りたいのはやまやまですが、わしらの老い先は短いのですよ。ほれ、この針箱が壊れ、箱の中の糸を使い切ってしまうと、すぐに死がやってくるのですから」

 イワン王子は泣きながら先へ進んだ。夜に日をついで旅を続けると、樫の木を引き抜いている男に会ったので、今度は彼に頼んだ。

「イワン王子、あなたを引き取りたいのはやまやまですが、私の寿命はいくらもないのです。ここに生えている樫の木立を根っ子ごと引き抜いてしまったら、すぐに死ぬことになっていますから」

 王子は前より激しく泣いて先へ先へと進んだ。やがて山を放り投げている男に出会ったので同じことを頼んだ。

「イワン王子、あなたを引き取りたいのはやまやまですが、私の寿命は短いのです。ご覧のとおり、私はここで山を投げ捨てるように命じられているのですが、最後の山を平らにしてしまえば、すぐに死ななければなりません」

 イワン王子は悲しみの涙にくれて、もっと先へ進んでいった。

 夜に日をついで王子が旅を続けていくと、とうとう太陽の妹のところに着いた。太陽の妹は王子を引き取って養育し、我が子のように面倒を見てくれた。

 

 王子は幸せに暮らしていたが、それでもやはり生まれた家がどうなっているか気になって、心がふさぐこともあった。そういう時に高い山に登って宮殿の方を眺めると、みんなすっかり食べ尽くされて城壁ばかりが残っているのが見えた。王子はため息を吐いてすすり泣いた。そんな風にして家に戻ると、太陽の妹が尋ねた。

「イワン王子、どうして今日は目を泣き腫らしているのです」

「風が目に当たったんです」と、王子は答えた。

 次にも王子が泣き腫らした目で帰ると、太陽の妹は風が吹くのを止めさせてしまった。そして三度目に泣き腫らした目を見咎められた時、王子は仕方なくありのままを打ち明けて、もう一人前になったので故郷を訪ねさせてほしいと頼んだ。太陽の妹はなかなか承知しなかったが、王子は熱心に頼んでとうとう許しを得た。

 旅立ちにあたって、太陽の妹はブラシと櫛と二個の若返りのリンゴを王子に与えた。このリンゴを食べればどんな老人でもたちまち若返るのだった。

 

 イワン王子が山を放り投げている男のところへやってくると、山はたった一つが残っているだけになっていた。王子はブラシを出して野原に投げた。すると突然に高い山々が現れた。男は喜び勇んで仕事に取り掛かった。

 次に王子が樫の木を引き抜いている男のところへくると、樫の木は三本残っているだけになっていた。王子は櫛を出して野原に投げた。するとざわざわと音を立てていずれ劣らぬ太い幹を持った樫の森が現れた。喜んだ男は王子に礼を言い、何百年も経たような太い樫の木を引き抜き始めた。

 やがて王子は二人の老婆たちのところにやってきて、一つずつリンゴを与えた。リンゴを食べると二人は若返り、王子に一枚のハンカチを贈った。それを一振りすれば、背後に湖が出来るのだった。

 

 イワン王子が宮殿に着くと、妹が走り出て来て迎え入れ、優しげな声でこう言った。

「お兄さま、座ってグースリ(和琴のように平らな箱に弦を張ったロシアの琴)を弾いていてください。私は食事の用意をしてきます」

 王子が腰をおろしてグースリをかき鳴らしていると、穴から小さなネズミが這い出して来て人の言葉で言った。

「王子さま、命あっての物種です。急いでここから逃げ出しなさい。あなたの妹は歯牙を研ぎに行ったのですよ」

 イワン王子は部屋を抜け出すと馬に飛び乗り、大急ぎで引き返して行った。そのあいだネズミが弦の上を走り回ってグースリを鳴らしていたので、妹は兄が立ち去ったことに気付かなかった.歯を研いでから部屋に駆け込むと、そこには誰もおらず、ネズミがさっと穴に潜り込んだ。怒り狂った魔女は歯ぎしりをしてすぐに追いかけ始めた。

 イワン王子が物音に気付いて振り返ると、妹が今にも追いつきそうに迫っていた。そこでハンカチを一振りすると、後ろに深い湖が出来た。魔女が湖を泳いでいる間にイワン王子は遠くまで逃げ延びた。だが魔女はますます足早に追って来る。あわやというほど迫られた時、樫抜き男がそれを見かけて、大急ぎで樫の木を引き抜くと道の上に投げ出して山のように積み上げた。魔女はガリガリと幹を齧って邪魔物を取り除き、やっとのことで通り抜けた。その間にイワン王子は遠くへ逃げていたが、魔女はまた追いかけてもう少しで追いつきそうになった。この時、山投げ男が王子の危機を見てとって、一番高い山を掴むと道の真ん中に放り投げ、その上にもう一つ山を重ねた。魔女が山をよじ登っている間に、イワン王子はどんどん馬を飛ばして遠くまで逃げた。

 それでも魔女は追ってきた。またも追い迫られながら、イワン王子はやっと太陽の妹の御殿に辿り着き、駆け寄りながら叫んだ。

「太陽よ、太陽よ、窓を開けてくれ」

 太陽の妹が窓を開けると、王子は馬に乗ったまま窓から中へ飛び込んだ。

 魔女は宮殿の中に入れなかったが、兄を引き渡すように要求した。太陽の妹が耳を貸さないでいると魔女は言った。

「ならば、イワン王子と私を秤にかけて、どちらが重いか比べさせておくれ。もし私の方が重かったら王子を食べさせてもらうよ。もし王子の方が重かったら、私を殺すがいい」

 二人は目方比べをすることになった。まずイワン王子が秤皿に乗り、それから魔女が反対の秤皿に乗ろうとした。ところが魔女が片足をかけただけで秤皿はガクンと下がり、反対の秤皿が上がった勢いでイワン王子はピョーンと跳ね上がって、まっすぐに太陽の妹の御殿に入ってしまった。けれども蛇の正体を持つ魔女は、そのまま地上に取り残されたのだった。



参考文献
『ロシア民話集』 アファナーシエフ著 中村喜和編訳 岩波文庫 1987.

※妹が人食いであると知っていて、もう一人前になったからと頼みこんで帰郷…したのに無策ですかイワン王子。一体何をしに行ったのか。泡を食って逃げただけ。うーむ。

 

 太陽の妹の開けた窓から馬に乗ったまま宮殿に飛び込むイワン王子の姿は、一日の仕事を終えて母または妻の待つ宮殿へ戻ってくる太陽神を思わせる。後ろから追って来る魔女は《死》であり《夜》だろうか。「コースチンの息子」のように、大蛇(竜)が太陽を呑み込もうと追って来る、という伝承は数多い。(<三つの愛のオレンジのあれこれ〜太陽の娘>参照。)もっとも、その大蛇自身が黄色または黄金だったと語られることもあり、追う大蛇と追われる太陽は、どうも同一の存在とみなされがちだったらしく思われる。

 最後の、王子と魔女の体重を計るというエピソードはかなり特殊である。エジプトの冥界神オシリスは、「死者の霊魂(心臓)」と「正義(女神マァトの神像/羽根/女神の象形文字)」を天秤にかけて計るとされる。もしも死者の霊魂の方が重ければ、その死者は即座に「魂を喰い尽くす獣(猛犬とも、ワニの頭・獅子の胴・カバの尻の怪物とも言われる。オシリス自身が犬頭人身とされるので、本来は同一存在だろう)」に八つ裂きにされ呑み込まれるのだ。そのように考えてみれば、魔女はイワン王子よりもよほど血に穢れていたためにあまりに重く、太陽の妹の宮殿…すなわち天国に昇ることはできなかったのであろう。

 罪深い魂は地獄に落ち、そうでない魂は天に昇る(または神の国への橋を無事に渡れる)という信仰は世界各地にある。死者の霊を秤にかけて善悪を量るというイメージそのものも各地に見られる。

●イスラム教の『コーラン』によれば、最後の審判の際に生前の善行の重さを秤で量る。軽かった者は善行が足りないので炎獄に落とされる。
●マレーシアのセノイ族は、死者の魂は煮え立つ大釜の上に渡されたメンテグ橋を渡るが、大人は大抵、生前に悪行を犯しているので釜に落ち、更に翼あるエナング神が火に投げ込んで粉々にする。エナング神は粉になった魂を秤にかけ、軽ければ天へ昇らせ、重ければ清められるまで火にくべるという。

 秤を使わず、冥府の裁判官が《生前を映す鏡》や《記録された帳面》で調べる、とする地域もある。

 

 この話は、呪的逃走の部分が「物を背後に投げて障害を作る」タイプと「冥界の住人を予め慰撫しておいて助けを得る」タイプの混合になっている。

 世界各国の神話伝承を見ると、冥界には「底のない桶、またはザルで水を汲む女」「岩を山の上に押し上げても、また転がり落としてしまう男」「大地のひび割れを縫っている男」「手で掃いている女」「作った縄を端から驢馬に食べられている男」など、不毛で実のない作業を延々続けている人々がいることになっている。これは生前に罪を犯したために永遠に終わらない苦行を与えられている死者たちの姿だ、と説明されるものだが、同時に彼らが永遠不変の存在であることを意味しているのだと私は思っている。霊魂は永遠に変わらない。そして死なないのだ。

 北アフリカには月の中に女神がいて機を織っているという伝承があるが、毎月一回、傍にいる猫が糸を断ち切ってしまうので織物は永遠に完成しない。インドネシアにも似た伝承があって織物はネズミに破られる。満ちては欠ける月は生と死のサイクルの象徴とされるが、サイクルが途切れずに永遠不変であるためには、その作業は完成してはならないのである。

 イワン王子が老いて死のうとしていた針子たちを若返らせ、苦行にも思える樫の木抜きや山ならしを続けさせて感謝されるのは、そういうことなのだろう。この三者は冥界の住人であり、神々でもあり、新月で細ったまま消えていこうとしていた月だったのかもしれない。

 

 この話では太陽の妹はイワン王子の養母という扱いだが、妻として語る類話もある。

太陽女  ロシア シベリア ケト族

 兄妹が二人で暮らしていたが、ある日、太陽女が兄を見初めて自分のところへ引き上げた。男はしばらく太陽と一緒に暮らしていたが、やがて地上が恋しくなり、太陽から砥石と櫛をお守りにもらって地上に帰った。

 ところが妹は魔女ホシャダムに食い殺されて、ホシャダムが妹になりすましていたのだ。男は家に帰ったが、鍋の中から馬の脚が突き出しているのを見て事態を悟り、逃げ出した。背後から魔女が追って来る。太陽からもらった砥石を後ろに投げると山になったので、魔女が登っている間に逃げ、また追いつかれそうになると櫛を投げて森を出した。

 それでもとうとう追いつかれそうになった時、太陽が男を助けようとして男の片足を掴んだ。しかし魔女も男を掴み、引っ張り合ううちに男は二つに裂けて、太陽の手には心臓のない方の半身だけが残った。太陽は何とかして男を蘇らせようとしたが、心臓がないので一週間もするとまた死んでしまう。太陽は諦めて男の体を空の反対側に投げた。それで男は月になり、冷たい体で今も天を歩いているのだ。


参考文献
『世界の太陽と月と星の民話』 日本民話の会、外国民話研究会編訳 三弥井書房 1997.


参考 --> 「月と太陽」「

「太陽神」と「彼の傍にいる女神」の関係は、息子と母とも、夫と妻とも、弟と姉とも、兄と妹ともされるものである。しかしいずれにせよ、一日中世界を照らして疲弊した(死んだ)太陽を迎え、食事を与え眠らせて、翌朝再び元気に蘇らせる存在であることだけは変わりがない。



参考--> 「太陽の子



二つの種族  パプア・ニューギニア エンガ族

 遠い遠い昔、広大なタコの木の森で囲まれたワイアンダの村に一軒の家があった。森の中には様々な生活に役立つ植物が生えていたが、誰もこの神聖な森を荒らすことは許されなかった。人々の生活の根源だったからだ。家には一組の夫婦が住んでおり、あるとき双子の男児を生んだ。一人は黒く、一人は白かった。両親はこの二人を少しも分け隔てせず、心からいたわり愛した。

 二人の男児はすくすくと育ち、十八になった頃には同じ年頃のどんな若者より強くなっていた。筋骨は隆々として、立つだけで周囲を圧倒するほどであったが、驕り高ぶることもせずにいた。

 さて、兄弟はワイアンダの森へ猟に行くことを決意した。正午に母と共に畑へ行って丸四日分の食料を収穫し、その食料の他に、森で火を起こすための燃えやすい木の皮を担いで、次の朝早く出発した。その時、母に「四日後の午後に森に迎えに来てほしい」と頼んでおいた。そうすれば五日目の朝に三人そろって帰還することが出来るからだ。

 斧を帯に差し、弓矢を手に持って兄弟は森の中に踏み込んだ。一時間も歩いて山の麓に着いた頃には二人とも疲れに呻いた。更に進んでとある小屋に辿り着き、そこを根城にして狩りを始めることにした。

 兄弟は道に沿って落とし穴や掛け縄の罠を仕掛けた。黒い息子が小屋に入る道を、白い息子が小屋から出る道を担当して、夜を徹して子守りネズミ猟を行った。

 夜が明けて、黒い息子は沢山の獲物の内臓を抜いて毛焼きをし、荷物にまとめていたが、白い息子の方はただの一匹も獲物を持っていなかった。兄弟を横目で見る瞳の中には明らかに妬みがあり、黒い息子は困って、森で何があったのか尋ねてみたが、白い息子は何も喋ろうとはしないのだった。それからも、黒い息子が罠を見に行くとたっぷり獲物が掛かっているのだが、白い息子はいつも手ぶらで帰って来る。黒い息子は少し変だなと思ったが、白い息子はこんな風に言うのだった。

「なあ、俺はお前と全く同じに罠を仕掛けるのに、何も掛からない。災いでも降りかかっているのかな、それとも誰かが先に来て盗んだのかな。どうも分からない。昨日も今日も一匹も獲れないとは」

 母が迎えに来るはずの四日目の朝、黒い息子は荷物をまとめてから、朝出かけて行ったきりの兄弟の様子を見に行った。すると、一本のタコの木が横倒しになって道を塞いでいるところに出た。白い兄弟が羊歯しだを敷き詰めた上に何かを横たえている。遠くてよく見えないのでそっと近付いて南洋ブナの陰から覗くと、なんと、白い兄弟が自分の目玉の片方をくりぬいて羊歯の上に置いているではないか。もう片方は傍らの蟻塚の上に投げた。蟻たちがわらわらと出てきて、彼の血にまみれた手を噛んでいた。

 彼は倒れた松の木の下から、子守りネズミや色んな小動物などの沢山の獲物を取り出した。それを大きさ順に並べ、子守りネズミを一匹ずつ鷲掴んでこう歌った。

 こいつを食ったら母さん食うぞ

 こいつを食ったら父さん食うぞ

 こいつを食ったら兄弟も食うぞ

 そして子守りネズミを生のまま、次々と貪り食った。血が滴って顎も胸も真っ赤になり、全身を血が伝い落ちていた。

 黒い息子はぶるぶる震えて小屋に戻り、着いた時には呆然として口もきけないほどだった。そんなところへ白い兄弟が戻って来た。目玉もあるし、手や顎の血も綺麗に洗い落してある。

「どうも分からんよ。俺はどうなったんだろう。いくら罠を仕掛けても一向に掛からない。呪いでも掛けられたのかな? 明日は帰るというのに、持って帰るものがない」

 そう言いながらキョロキョロと見回して、黒い兄弟の仕留めた子守りネズミの数を数えているようなのだ。そして言葉を続けた。

「明日は帰るんだよな。昼を過ぎたら母さんが来る。獲物はあったのかい?」

 黒い息子はハッとして「うん、いつもと同じだ」と答えると、これまでのように獲物の処理を始めた。

 

 兄弟は午後にもう一度、それぞれの罠の様子を見に行き、黒い息子はまた獲物を持ち帰って、白い息子はまた木の下から獲物を取り出して食っていた。

 やがて母が小屋にやって来た。二人の息子のために一束ずつの砂糖黍ピトピトと、土かまどで茹でたホウレン草と甘芋を携えて。小屋に入ると、黒い息子はいたが白い息子の姿は見当たらなかった。(猟に出ているのだろう)と思って火を挟んで黒い息子の前に腰を下ろすと、息子はしばらく逡巡した後、思い切ったように訴えてきた。

「母さん、白はけだものになってしまったよ。猟の獲物を倒木の下に隠して、鼻先から血をぽたぽた垂らしながら生でガツガツ食ったんだ。その時、こんな歌を歌ったよ。

こいつを食ったら母さん食うぞ、こいつを食ったら父さん食うぞ、こいつを食ったら兄弟も食うぞ』って。

 食べ終わったらここに来て、一匹も獲れなかったって残念がる。恐ろしい息子を母さんは産んだものだよ」

「お前、あの子のことを言っているのかい? それとも私の夢かい?」

 母親は怒って叫ぶと、薪を掴んで黒い息子を打とうとした。息子は落ち着いて言った。

「信じないならいいよ。明日まで待って自分の目で見ればいい」

 

 その晩は母子三人で小屋に泊まり、五日目の朝、黒い息子の子守りネズミを二つの荷にまとめていた。その間に白い息子は小屋から姿を消していた。そのうちに、イノシシのように鼻息を荒げて、何かが藪を突っ切って駆けてくる気配がした。息をひそめながら外を窺うと、白い息子ではないか。腰から露を滴らせ、目を血走らせて駆けつけて小屋の前に止まると、彼は両手を広げた。その姿はゆっくりと、一本のタコの木に変わっていった。最初は多くの枝と実をつけた若木だったが、見る見るうちに実がしぼんで老木となった。

「そこの二人、よく聞け。俺はこの森の唯一の支配者だ。俺を敬うことを忘れるな。子守りネズミかタコの果実が欲しいならば、俺のもとへ来ねばならない。俺は主だ」

 その声が聞こえている間に、周囲の木々がみるみる茂って沢山の実をつけていた。声が終わるとタコの木は消え、白い息子が膝をついていた。母親と黒い息子は激しい恐怖に駆られ、子守りネズミの荷を掴んだつもりで一つずつ石を掴んで、村に逃げ帰った。

 

 この時から、白い息子は《ナラモ》と呼ばれるようになった。ナラモとは「よく食う者」という意味であり、この世の始まり、全ての災いの始まりをも意味する。

 黒い息子は、ナラモがワイアンダの森を出て襲ってくることを恐れた。そこで丘に生えていた一本のワイマの立ち木の中を空洞にして、中にあらゆる食料と人間を隠した。それを知ったナラモが眷族たちと共に押し寄せてきて、石斧で伐り倒そうとした。しかし黒い息子は予め幹を水晶で固めておいたので、何百もの斧がなまくらになり、割れた。

 それでもナラモ達は木を倒すことを諦めなかった。ついにここまでと観念した黒い息子は、自ら木を引き倒した。その時、彼がしがみついていたワイマの木の枝が折れて、丘を転がり落ちて行った。轟音が響いて大地が鳴動し、目を覚ましたナラモ達が後を追ってきた。しかしどうしても捕まえられず、諦めてワイアンダの森へ引き上げて行った。

 

 黒い息子を乗せた大枝は、レンゲという土地まで転がって行った。この土地に住む一人の老婆がライ川の岸で流木を拾っていると、一本の大きな枝が流れて来た。老婆は勇んで家に持ち帰り、豚小屋の隅の方に立て掛けておいた。

 夜になって、老婆が娘と火を囲んでお喋りに興じていると、どこからともなく口琴の音が響き出した。怪しんであちこち探し回り、豚小屋に立て掛けた大きな流木から聞こえることを探り当てた。その流木をよく見れば、枝に一人の立派な若者が腰かけていて、口琴を奏でているのである。そして歩み出て、母娘の側に腰を下ろした。

 次の日の朝に若者と娘は結婚し、二人の息子、レオとアプレをもうけた。レオはヤカリ族の祖となり、アプレはアプリニ族の祖となった。これが両族のいわれである。



参考文献
『世界の民話 パプア・ニューギニア』 小沢俊夫/小川超編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

※複数のモチーフが整合性のないまま混じり合っており、少々不条理な話になっている。

 白い息子が獲物を捕れずに兄弟に嫉妬するくだりは、『旧約聖書』のカインとアベルの物語や日本神話の海幸・山幸の物語のような兄弟葛藤譚を思わせる。兄弟が生肉を貪り食っているのを目撃してしまうが親に相談しても信じてもらえないくだりが[妹は鬼]。木の中に食料や人間を入れるのはノアの方舟を思わせる。木の中に隠れると人食い鬼が切り倒そうとして何本も斧を駄目にするくだりは「シュパリーチェク」などでも見られる。木の中に入って転がって人食い鬼から逃げるのは、イギリスの民話「三匹の子豚」のようだ。そして拾った流木の中から美しい神人が現れて結婚するのは「ム・ジュク」や「柘枝伝説」などと同じモチーフである。

 

 豊かだが荒らすことの許されないワイアンダの森は、根源の世界…冥界なのだろう。よって、その森から帰還する際には母の助けが必要になるのだと思われる。冥界への途を知るのは女(母神)だからである。

 森の主だと自称するタコの木の精霊は、冥王とみなすことが出来る。それは無限の幸を授けてくれるが、同時にあらゆるものを貪り喰らう怪物なのだ。

 

 それにしても、この話を読むと諸星大二郎の漫画『マッドメン』を思い出す。




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