食わず女房  日本 新潟県

 むかぁしね、ある こうじ屋のあんにゃが、嫁を欲しいて思うていたと。だけど、その人は、なかなかけちんぼうだんだんね(ケチん坊なんだね)、嫁にせるもんが惜しくて、嫁、もらわんでいたと。

 ある日、「ごめんなさい(ごめんください)」てて(と言って)、きれいな女の人が来たと。

「どうか、おれをここの嫁にしてくれ」

「いや、おら、嫁もろうと、まんまいっぱい食われるのが嫌ながんだ。まんま食わん嫁を貰いてえ」

「おれ、まんまひとっつぶも食わねすけ、置いてくれ」

 そう言うんだ、女の人は、そこの嫁になったてや。

 飯時めしどきになって、「お前も食えや」て、兄にゃが言うても、「ううん。おら、まんまいらん」て、全然食わねえ。なかなか、きりきりと働くし、これはいい嫁もろうたと、兄にゃ、喜んでたと。

 ほうしたところが、兄にゃがこうじ売りのあきないに出てぐとね、そのかか、でっこい(でっかい)錠に鈴が付いてるのを持って、ガーラガーラ、ガラガラといわせながら、蔵んとこまで行くと、戸をガランと開けて米一俵、どっこいしょと担いで来るがんだと。

 嬶は、一俵の米をすっかりといで、でっこい釜ん中へ入れて、まんま、炊いてしもうたてや。ほうして握り飯にして、打ち板の上へばあっと並べたんだと。お湯を沸かして、頭をきれいに梳かしてね、櫛をざくん、て頭の真ん中に立てると、でっこい口がパカンて開くんだって。嬶は、

「頭、食え。頭、食え」

て言うて、一俵分の握り飯、みんな、頭の口へ放り込んでしもうたと。あとはきれいに片付けて、知らんぷりしていたと。

 ほうしたら、隣の衆が、それ見ててね、

「兄にゃ、兄にゃ。おめえ、とんでもねぇ嫁もろうたがんだ。まんま食わんどころか、おめえがいない時、一俵ずつ米食うぞ」

て、言うて聞かした。兄にゃ、

「いやあ、そんげんこたぁねぇ」

「んじゃ、今日は、商いに行ぐふりをして、おらん家来て、見ててみれ」

 そう言われたと。兄にゃは、

「嬶、行ってくるぞ」

てんで、荷物担いで出てぐふりをして、隣の家の部屋ん中に隠れて、障子の穴から覗いて見てたと。

 嬶は、また、ガーラガーラ、ガラガラと、鈴の付いた錠を持ってって、米一俵担いで来て、全部、握り飯にして、

「頭、食え。頭、食え」

てて、みんな頭ん中へ放り込んだてや。

「はあ、お前。あんげの(あんなの)、家へ置いとくこんだら、お前が食われちもうすけ、なんとかしれ」

て言われて、兄にゃ、

「嬶。いま来たど」

てて、早めに家へ戻ったと。兄にゃが、

「嬶、嬶。おら、なんでもくれてやるすけ、お前、出てってくんねか」

 そう言うたら、今までしとやかにしてた嬶が、目ぇ吊り上げて髪を振り乱したと思うたら、

見たなぁ

 そう言うて、半挿はんぞう(洗面器。盥のこと)を頭の上へ載せるが早いか、兄にゃを捕まえて、半挿の中へポンと放っくり込んで、風切るごとく、山向こうへ跳んでった。

今に権現堂行って、獲って食う。今に権現堂行って、獲って食う

 そう言いながら、化けもんの嬶は跳んでぐんだと。兄にゃ、とても逃げることが出来ねかったてや。

 ほうしたところが、木の枝が山の道に下がっているとこへ来たので、兄にゃは、ぴょんと枝に飛びついて、半挿の中から逃れたと。下へ飛び下りるが早いか、そこら辺りにいていた菖蒲の中へ潜り込んだてや。

 化けもんは、風のように早く跳んでぐんだ、気が付かなかったと。権現堂に着いたども、兄にゃがいねぇんだ、

「逃げたな。石を剥がしても、捕まえてくんなきゃなん(捕まえてくれるぞ)

てて、戻ってきて、そこらじゅう隙間なく探した。だども、菖蒲の葉が刀のやいばみてえに見えたので、その中だけは探さなかったと。それで、兄にゃは命拾いしたと。

 だすけ、五月五日の節句には軒下に、祝い菖蒲とよもぎを吊るして、化けもんが来ねぇようにしるがんだと。

 いきがポーンとさけた。



参考文献
『雪の夜に語りつぐ ある語りじさの昔話と人生』 笠原政雄語り 中村とも子編 福音館文庫 2004.

※「こうじ屋」というのが何なのか分からなかった。多分「柑子屋」、すなわち「みかん売り」ではないかと思ったが、確信が持てないので保留。多くの類話では「桶屋」としていることが多い。人食い女が夫を桶に入れて連れ去るからだろう。(桶職人がこの物語を全国に運んだからだという説もある。)

 

 原題は「権現堂の化けもん」。飯食わぬ女房が人食い鬼でありながら権現堂を住処としている点に、人食い鬼が本来は「神」であったという記憶の片鱗がうかがえる。幾つかの類話では神に願掛けをして飯食わぬ女房を得たと語られており、身勝手なことを望んだ男に天罰が下ったニュアンスになっている。しかし一方で、神に祈ることで逃れられたと語る類話もある。

 妻は「飯を食わない」だけでなく、実際に「口がない」「口が小さい」と語られることもあり、その変形なのか「喋らない女」とされることもある。夫の留守中に開くもう一つの口は、頭のてっぺんに一つあるとされるのが基本だが、類話によっては「盆のくぼ(うなじ)」、「額の痣」、「肩」、「膝」、「体中の穴という穴に押し込んで食べた」とされることもある。

 類話を見ていくと、夫の留守中に妻が食べるものは握り飯(または団子)だけではなく、焼き魚や味噌汁なども作って一緒に食べていたと語られることが多い。頭のてっぺんの口にポンポン握り飯を投げ込んでから柄杓でザバーと味噌汁を流し込むのだ。美味しそう。

 上の例話では隣の家から妻の正体を見たことになっているが、屋根や天井裏や二階など高い場所に隠れて見た、とするのが基本である。まれに風呂桶や釜の中に隠れて見ていて、そのまま気付いた妻に山に運ばれる展開になることもある。

 離縁を言い渡された妻は唐突に夫を桶や箱に押し込んで山に連れ去ったと語られることもあるが、離縁の条件または記念として夫に桶や籠を作らせ、完成すると(中に虫がいるなどと言って覗き込ませてから突き入れて)それに夫を入れて連れ去るパターンや、最後だからと風呂を焚いて夫に入浴を勧め、夫が風呂に入ると風呂桶に蓋をして丸ごと担いで運んで行くというパターンもある。夫は冥界の象徴である「熱い風呂」に閉じ込められ、山(冥界)へ運ばれたわけだ。「せむしのタバニーノ」や「魔女カルトとチルビク」などでは人食い鬼の方が騙されて箱(棺桶)に閉じ込められ運んで行かれるが、こちらでは主人公がそうされる。

 人食い女は夫を桶や箱に入れて運んで行く途中で(自分が小便するために、または夫が小便したいと訴えたため)休んだ、または疲れて眠りこんだと語られることがある。【親指小僧】話群にも見られるモチーフだ。夫はその隙に木に登って逃げる。埼玉県の類話では更に、逃げるとき箱の中に代わりに石を入れておいたと語られる。同様のモチーフは 「小さい男と魔物のマンギ」「袋の中の男の子」などにもある。

 妻が正体を現して夫を桶に入れて山へ運んで行き、「よい肴を持ってきた」と眷族を呼び集める(しかし夫が逃げていたので眷族に叱られ、探しに戻る)モチーフも西日本中心に見られる。 「麦粒小僧とテリエル」や「姉弟と山姥」など、人食い鬼の出てくる話の多くに、鬼が捕らえた主人公をみんなで食うために眷族を呼び集めるモチーフが見られる。お馴染みのパターンだ。

 夫は菖蒲やよもぎ、あるいは譲り葉や裏白の茂みの中に入って逃れるが、これを「人食い女がそれらの匂いを嫌ったから」「その匂いで人間臭さが消えたから」「魔物はそれらに触れると体が腐るから」「だから鬼避けとして五月五日の節句や正月には家の軒先にそれらの植物を飾る」と語る場合と「人食い女には菖蒲が剣に、よもぎが火の海に見えたから近付けなかった」と語る場合、「人食い女が菖蒲やよもぎの中に踏み込むとそれらが目に刺さって死んだ」と語る場合とがある。それで死なずとも「菖蒲が目に刺さって片目になった」「最初に菖蒲で片目を突き、更に追ってよもぎで残った目を突いて盲目になった」と語られることがある。世界的に、人食い鬼(冥界から現れるモノ)は片目(もしくは一つ目、視力が弱い、盲目)とされることが多いものだが、ここでも踏襲されている。

 なお、軒先に菖蒲を挿すのを魔除けではなく目印として語っていることがある。逃げ延びた夫が村人や和尚などに相談して、村中の家の軒先に菖蒲を挿しておくと、復讐に来た人食い鬼はどの家か分からなくなって帰った(または自分の家の軒端に菖蒲とよもぎを挿しておくと、人食い鬼の目がくらんでどの家か分からなくなった)、という結末になる話群があるのだ。「アリ・ババと四十人の盗賊」で盗賊がアリ・ババに復讐するために家に印をつけるが、賢い奴隷女が町中の家に同じ印を付けたので分からなくなった、というモチーフと共通している。

 東日本を中心に、妻の正体を大蛇だったと語る話群がある。一方で、西日本では大蜘蛛とすることが多い。(正体は山姥や蛇や狸だが蜘蛛に化けて復讐に訪れたとすることもある。)蜘蛛を含む虫類の口は頭の先端についているが、これを「頭のてっぺんに口がある」と解釈したからという説があるようだ。一度逃げられた夫を人食い女は諦めず、小蜘蛛の姿になって、取って食おうと夜に屋根の上から自在鉤(鍋を掛けるために囲炉裏の上に設置された鉤)を伝って侵入してくる。しかし夫はその計画を盗み聞きしていて、予め囲炉裏に火をガンガン焚いておいて焼き殺す。(または囲炉裏に鍋を掛けて湯を沸かしておいてその中に突き入れる。あるいは真っ赤に焼いた火箸で突き殺すか、箒で掃いて火の中に掻き入れて殺す。) 人食い鬼または盗賊が煙突から侵入してくることを予測していて火を焚いたり湯を沸かしたりして殺すモチーフは、「にんにくのようなマリア」や「赤ずきんちゃん」などにも見える。

食わず女房  日本 愛媛県宇摩郡金田村

 貧乏な若者の家に口のない女が来て、「なにも食わないから置いてくれ」と頼んで嫁になった。この嫁は物を食わずによく働いたが、どういうわけか米がひどく減るようになった。怪しんだ夫が出かけたふりをして破風(屋根の隙間)から覗くと、大釜で飯を炊いててんつじ(頭のつむじ)に入れていた。

 夫が家に帰ると、嫁は棺桶を買ってくれと言った。その通りにすると夫をその中に入れ、担いで山に運んで行った。途中で木の枝につかまって逃げたが、様子を窺っていると「今夜蜘蛛になって獲りに行く」と言っている。

 その夜、男は囲炉裏に炭を起こして待っていた。すると蜘蛛が自在鉤を伝って降りて来たので、火の中へ掻き込んで退治した。それから「夜の蜘蛛は親に似ていても殺せ」と言うようになったという。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店

食わず女房  日本 広島県安佐郡鈴張村

 ある男が「わしァご飯を食わん女房をもらう」と言っていると、その通りの女が訪ねてきて嫁になった。他の男が「飯を食わん女房がいるかいのう」と言って夜中に覗くと、米一斗炊いて釜の縁で蛇になって食べている。この男が夫に報せ、翌晩には二人で覗いて真偽を確かめた。

 夫が妻に「家を出てくれ」と言うと、「出すならお前も連れて行く」と言って、釜に入れて山へ担いで行った。途中で松の枝に掴まって釜から脱出し、その後を付けて行くと、女は岩の前に行って釜を下ろし、「お父つぁん、肴を獲ってきたい、二人で食おうやぁ」と言っている。しかし釜の中に男がいなかったので、「まぁええ。明日の晩行って蜘蛛になって自在鉤から降りて獲ってくるけん」と言うのだった。

 これを聞いた夫は村へ帰ると、五、六人の男を頼んで家で待ち構え、蜘蛛が自在鉤を伝って下りてきたので殺してしまった。それで「宵の蜘蛛は買うても殺せ」と言うそうである。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店

 さて、この話群の特徴は、盗み食いする妻が怪物の姿になって大量に物を食べる…冥界の女神、即ち「死」が貪欲にあらゆるものを呑み込むという部分だと思うのだが、類話によってはそれがないものもある。

食わず女房   日本 静岡県賀茂郡南伊豆町毛倉野

 夫婦暮らしの人があってな、そしたらお母さんがコロッと死んだって。そしたらお父さんは独りになったから、こりゃあ独りになってどうしてやるかと思っていたところで、ある晩、綺麗な女の人がな、「こんばんは」って来てな、

「おれは旅の者だども、行き場がなくて困っているが、せめて三日でもいいから女中に使ってくんにゃあか」って言ったって。

 そしたらちょうどそのお父さんもそんな困ってるがだったからな、「うん、じゃあおれもちょうど独りで困るからな、使ってやるべ」と言って使っていたって。そしたら仲良くなってな、それから家の嫁になっちまったって、その人がな。

 そして嫁になってまうと、仕事に弁当持って出る、その人は家で働いていたども、どうもその嫁がさ、大変に米がなくなるって。「お父さんまた、早や米がなくなりましたよ」って言って「ああそうか」って言って買ってくる、間もなく「米がなくなりましたよ」。大変さ、米を食うんだって、たンだ二人でもさ。

 これは不思議だな、ただ事じゃねぇなと思ってさ、何をしるかと思って、それから、弁当持って仕事へ出る風をしてさ、おっ母の働いているうちにちょっと戸を空い上がってさ、様子を見たわけだって、一日な。

 そうしたら、お父さんが出ると大釜で飯を炊いてさ、結びに握ってさ、どっか持ち出したって。うん。そんだからな、(こら何者だかなー)と思ってさ、考ぎゃあていたども、まだ何にも起こるってことは分からなくてさ、知らにゃあふりして降りて、「行ってきたよ」と言って来たって。そしたらそのお母さんがな

「お帰りですか。湯ぅ沸かしたから入ってらっしゃいよ」って言うからさ、元の風呂桶の風呂がな、沸かしてあったって。そいから入ったって、風呂部屋。そしたら「どうです、いいですか」ってさ、来たってさ。「ああちょうどいいよ」なんて入ってたって。

 そしたらその女が、ひょーいと風呂桶ごと差し上げてな、どっか出かけたって。

 そうしたらその男がまぁ、(これは何だ)と思ってな、ぶるぶるしてしゃがんでいたども、ひょいひょいひょいひょい差し上げて強くてな、水まし人まし入ってるから差し上げてさ、山奥へ山奥へ行くだって。こりゃあまあ、何事になるかおれもどんなことになるかって思って怖くて震っていたら、重てぇもんだからちょっと休んだって。そしたら、その上に木がもたってたもんだから、その木ちょっと吊るさって上がったわけだその男はな。それから木に登って見てたって。そしたら桶をまた担いでな、「ああ休んだら軽いな、休んだら軽いな」って言って行くって。

 それから、こりゃあどこまで行くかと思って木の裏で見ていたら、そしたら山奥の方行ったらな、多めぇ子供らが待っていて、「いい餌を持って来たぞー」って言ったら、「あっ、何を持ってきてる」って子供が被さって見たら、いねぇ。「いないよおっ母ァ」って。「何もぐってらか。剥ぎあげてみろ、かましてみろ」って言ったって。「かましてもいないよ」って。逃げてるからさ。そして、

「おれ休んだっけ、あしこで逃げやがったもんだ。まァおれ、今夜蜘蛛になって行ってな、取ってくるから我慢してよ」って言って。そう子供に言ってたの聞いてたから。

 それからそう。怖いから、化け物だから。どんな目に遭うかと思ってな、近所の親戚を頼んで、大勢さ。みんなでもって囲炉裏の火の中に叩き込んで征伐したっていう。殺しちまったって。

 それで「朝の蜘蛛は仇と思っても殺すな、夜の蜘蛛は親に似ていても殺せ」って、その謂われだってさ。そんな話をな、聞きましたよ。


参考文献
食わず女房」/『鈴木はり灸院の音声記録』(Web) 山本とく語り、NOBO18記録

 この話では怪物の妻が大量に米を消費していたのは自分が食べていたのではなく、山で待っていた多くの眷族に食べさせるためであった。同様に、類話には夫が隠れて妻の様子を窺っていると大勢の化け物仲間がやって来て食料を貪り食ったと語られるものもある(岐阜県、岡山県)。少し変わったものでは頭の口などから食料を食べて山へ行き、体からその食料を出して眷族に食べさせていたと語られることもあって(福岡県北高来郡森山村)、無尽に物を呑み込むと同時に無尽に体から物を産み出す、豊穣の女神でもある冥界神の特徴が出ている。

 

 ところで、これらの民話は【童子と人食い鬼】話群のモチーフを多分に含むのだが、言わんとしていることは既に違う方向にずれている印象がある。ここで語られようとしているのは「男が妻に不信感を抱き、蔑むと同時に、恐れている気持ち」ではないだろうか。留守中に何をしているのか分からない、自分も財産も食い潰されるのではないかという不安。本性を現し魔力を発揮した女には敵わないのではないかという恐怖。その一方で「飯を食わず(金が一切かからず)、綺麗で若くて、よく働く女房が欲しい」という手前勝手な希望。

 この話は、話者が男か女か、或いは夫婦関係についてどんな見解を持っているかでニュアンスが異なってくるように感じる。岩手県盛岡地方の「食わず女房」では、妻が頭の口から飯を食っているのを見た夫が離縁話を持ち出すと「浮世に飯食わぬ嫁がいるものではない」と妻が言って夫を盥に突っ込んで山へ持って行ったことになっている。物を食べず無駄口もきかず、ただ黙々と働く女などいるはずがない。そんなものを望み、隠れて物を食べていたのを見つけて一方的に離縁を言い渡した男に対する怒りが語られているように思う。

 しかし一方で、例えば広島県安芸郡や和歌山県伊都郡高野村の類話などでは、頭の口で盗み食いをしていた様子を覗き見られると妻は何故か頭痛を起こして鉢巻をして寝込んでおり、それを見た夫もしくは隣人が治療の祈祷と称して「三升飯の祟りだ、鯖三匹の祟りだ」などとさりげなく嫌味を唱えたと語られる。(すると妻は人食いの正体を現し、隣人を食い殺して夫を山へ連れて行く。)こちらは男の視点から、留守中に好き勝手なことをした妻を責め咎める、そんな妻は怪物も同然、罰が当たるぞと言わんとするニュアンスが強く出ているように感じる。

千年ながらめ  日本 鹿児島県 屋久島 屋久町尾之間

 昔、夫婦がいたが、何故か夫がいくら働いても暮らしが少しも良くならなかった。不思議に思った夫は、ある日、旅支度をしてみせて、妻に「お前は留守番をしておれ」と言い置いて出かけたふりをし、床下に屈んで様子を見ていた。

 すると妻は「もう今日こそあれがおらんから、腹いっぱい食わんば」と呟いて、大釜を据え付けた。店からアズキ三升買って来て、納戸から米三升出してきて、アズキ飯を炊いた。そこにちょうど鯖売りが来たのを手を叩いて呼んで、大きな朝鮮鯖を八匹買って、切って大鍋にごそっと入れた。そこに《とうたて(薹が立つ頃の食べごろの大根)》売りが来たのでこれも三本買って大鍋に入れ、鯖と大根を煮しめた。そうしてどんぶりにアズキ飯を盛り上げては食べ、盛り上げては食べるのだ。

 あまりのことに夫はすっかり驚いてしまった。こんなに食っていたから暮らしが貧しかったのだと思い、食べ終わった頃を見計らって庭に回って咳払いをした。妻はひどく慌てて、大急ぎで大釜や大鍋を隠して、布団を引っぱりだして寝込んでしまった。夫が中に入ると横になってうんうん唸っている。

「お前、具合でも悪いのか」
「はい。今日はもう、どうしたわけか腹が痛うしてたまらん」
「それは難儀なことだ。よし、俺がさすってやろう」

 夫はそう言って、妻の膨れた腹を撫でさすりながら唱えた。
アーズキ三升、米三升、鯖八つ、とうたて三本、大飯じゃった、お腹がぅろん、さあろん、痛かんど

 妻は驚いて、呻くのも忘れて夫をじっと見た。夫は全て見ていたことを話し、離縁を言い渡した。妻は泣いたが夫の気持ちは変わらなかった。

 そこで妻は出て行った。夫がどこに行くのだろうかと見ていると、海辺の方へすたすたと行ってそのまま海に入っていく。その姿はみるみる《ながらめ》というアワビの一種の貝の、大きなものに変わり、ぴゅーっと潮を吹くとそれきり海の中に消えてしまった。

「ああ、千年ながらめが人間に化けておったのか。あんなのを置いておけば俺の命もなくなったかもしれんじゃった。ああよかった」

 夫はその後、良い妻を迎えて、その家はだんだん暮らしが良くなったということだ。


参考文献
『日本の民話25』屋久島篇 下野敏見編 未來社 1974.

物食わぬ女房  アフリカ 

 昔、大金持ちだが大変なケチん坊のアラブ男がいた。女房に食べさせるのがもったいないと言って三十過ぎまで独身でいたが、隣国に砂糖をちょっと舐める以外は物を食わぬ美しい女がいると聞いて、その女を女房に迎えた。

 男は商売柄、家を留守にすることが多かったのだが、女房はいつもにこやかに送り出してくれる。それに本当に砂糖を少し舐めるしかしないので、男は喜んでいた。

 そんなある日、三日の仕事が二日で片づいたので早く帰ったところ、女房がなかなか戸を開けない。やっと出て来たがそわそわしている。もしや間男でも引っ張り込んでいるのではと疑ったが女房は笑って否定した。考え過ぎかと思った男が床に横になると、椅子の下に食べかけのキャッサバイモのココナッツ煮が置いてある。どうしてこんなところに食べかけのものがあるんだと言うと、女房は、「さっき女中が仕事をさぼってこの部屋に入り込んでいたのを見つけて叱ったばかりです。きっとここでつまみ食いをしていたんでしょう」と言う。男はそうかと納得した。

 男は次の日も仕事に出たが、忘れものをして昼頃に帰って来た。その時も女房の様子がおかしくて、今度は花瓶の後ろに食べかけのシチューが置いてあった。女房はまた女中の仕業だと説明し、男は納得してまた出かけた。

 その後、男は一ヶ月の予定で家を留守にした。けれども思いのほか仕事がはかどって、二週間で帰って来た。男は女房をびっくりさせようと思って、玄関から声をかけることをせず、勝手口からそっと入ることにした。すると台所には目の覚めるようなご馳走が所狭しと並んでいるではないか。十個の大鍋には肉入りシチューがたっぷりと煮え、山盛りのピラウ(塩と油を入れて炊いた米)、ビリヤニ(炊き込みご飯)、キャッサバイモや豆のココナッツ煮、マンゴー二十個、パパイヤ三十三個、二十五羽分の鳥の丸揚げ、五十五個のマンダジ(揚げパン)、百枚のチャパティ(平焼きパン)……。ゆうに百人前はある。今日はパーティーでもあるのだろうか。

 男はなんとなく出そびれて、そのまま台所の隅に身を隠していた。そこへ女房が入ってきて、ものの十五分でご馳走をぺろりと食べ尽くしてしまった。食べ終わると女中を呼びつけ、「こんなのじゃ全然足りないわ。明日はこの倍用意しなさい」と言っている。男は卒倒しそうな気分になりながら、明日まで隠れて様子を見ようと決意した。

 翌日には女房は昨日の倍の料理を一人で平らげ、やはり女中に「明日からこの倍用意しなさい」と命じた。

 男はそこに飛び出して、大急ぎで三枚の離縁状タラカを書いて女房に叩きつけた。こうして大食らいの女房を追い出したものの、三年分の食料を備蓄しておいた倉庫は空っぽ、飼っていた家畜も全て食べられていて、ケチケチと貯め続けた財産も食費に消えており、更には女房がツケで食料を買っていた店から莫大な請求が来て、とうとう家まで売り払わねばならなかった。

 大金持ちだったアラブ男は物食わぬ女を女房にしたおかげで国一番の貧乏人になり、みんなの笑いものになってしまったという。


参考文献
「アフリカから もの食わぬ女房」/『一冊の本』2008年1月号 島岡由美子 朝日新聞出版 2008.

夫と一緒に食事をしない女房   スペイン

 さて昔、一人のお百姓とその妻がとても幸せな生活を送っていた。

 ある日のこと、夫は畑でスープを飲みながら、近所に住むとても仲のよい友達と世間話をしていた。そんな中で彼は言った。

「うちの女房が飯を食わないので、とても心配だ」
「あんなに太っているのに飯を食わないとはおかしいね」
「いやいやおかしくなんかないよ。あいつはいつも具合が悪くて全く食べないんだよ」
「食べないだって。あんなに太ってるんだから、きっと食べているよ」
「いや、とにかくわしの前では全然食べないんだ」

 友達は言った。
「それじゃ、君、こうしようじゃないか。君の奥さんが食べているかいないか試してみよう。君は牛を連れて畑へ行くふりをしてみろよ。わしが牛を畑へ連れて行くから、君は家の中に隠れていて奥さんが食べるかどうか見てごらん」

 さて次の日、お百姓は妻に行ってくるよと言って牛を連れ畑へ仕事に行った。しかし牛は友達に任せて戻り、妻に見つからないように家の中に入ると、中の様子がよく見える場所に隠れていた。夫が出かけてからすぐに小雨が降り始めていたが、妻はベッドから起き上がるとこう言った。

「ああ、やれやれ。今日は何を食べようかしら。とても天気が悪い日だから一ポンドくらい揚げパンを作ろうかな」

 この時はまだ朝の六時になったばかりだった。妻は揚げパンを作り、それを平らげるとまたベッドに行って横になった。十一時頃に起き出して、言った。

「ああ、お腹が減って目が回りそうだわ。何を食べようかしら」

 庭へ出ると、雌鶏が一ダースほどの卵を産んでいたので、それでオムレツを作って食べてしまった。それからまたベッドに横になり、眠ってしまった。午後の三時になるとまた起きて言った。

「ああ、お腹が減って気が狂いそうだわ。何を食べようかしら。今度は黒い雄鶏を絞めましょう」

 鶏小屋へ行って黒い鶏を捕まえて殺し、トマトを加えて料理した。そしてそれをみんな食べてしまった。そして居間へ戻り、ソファーで休息した。六時までそこに座っていて、また言った。

「もう六時だわ。お腹が減って目が回りそう。何を食べようかしら」

 そしてじゃがいものシチューを作り、それを食べてしまった。それから暗くなってきたので、「もう夫が帰ってくる時間だわ」と言った。そして白いハンカチを額に巻き、黒い肩掛けを掛けて病人のふりをし、ベッドに潜り込んだ。

 そこで夫は妻に気付かれないように出て行って、牛を連れて畑から帰ってきた友達と合流し、牛を受け取って家に帰って来た。

「マリア、鞍袋を外す手伝いにも出てこないとは、どこか具合でも悪いのかね」

 そう呼びかけると、妻は起き上がって、手に蝋燭を持って出て来た。

「ああ、私の愛するフアン、もしあなたが私がどんなに体調が悪かったかご存じだったら。一日中頭が痛くて吐き気がしていたのよ」
「マリア、それなら気を遣わなくていいよ。お前の具合がもっと悪くなったら困るからね。家に入ってベッドにいなさい」

 夫はそう言って独りで牛の手入れをしてから家に入った。妻が尋ねた。

「あなた、お疲れになった?」
「どんなに濡れたか見なかったかい。もしあの分厚いコートを着ていなかったら、もっと濡れただろうな」

 さて、それから妻は夫に夕食を勧めた。

「でもマリア、お前、ベッドにじっとしていなくてもいいのかい。もし調子がよくないのなら、ベッドで寝ていればいいんだよ」
「いいの。あなたに夕食の用意をしなくっちゃ」

 妻はテーブルに夕食を並べて夫を呼んだ。

「ねえマリア、一緒に食べようよ」
「フアン、あなた一人で食べてちょうだい。私は疲れていて、吐き気がしてとても食べられないわ」
「なあお前、自分でますます悪くしているのだよ。そんなに体がむくんでいるのはよくないよ。ご飯をお食べ」
「駄目よ、とても食べられないわ」

 スプーンを手に取って食べるような素振りをしたが、とても食べられないといった様子でそう言った。

「ああ、フアン。とても駄目よ。なんて疲れるのでしょう。気持ちが悪くて吐きそうだわ」
「ねえ、マリア。とても心配だから、明日は医者へ行くといいよ」

 そして夫は食事をした。食事を終えてから二人は居間に入り、妻はソファーに座ってとても疲れがひどいと言った。それからもう一度「フアン、あなたとても雨に濡れたのじゃないの」と尋ねた。すると夫は答えた。

「ねえマリア。お前が朝飯に食べた揚げパンのようなとても細かい雨が降っていたよ。もしお前がおやつに食べたオムレツのような木立ちの下に入らなかったならば、お前が夕飯に食べた雄鶏よりもみじめな姿になってしまってたいたことだろうよ」


参考文献
『スペイン民話集』 エスピノーサ著 三原幸久編訳 岩波文庫 1989.

※おやつがオムレツで夕飯が雄鶏となっているが、おやつが雄鶏で夕飯はじゃがいものシチューでは…? オムレツは昼飯。

 これはもう、ただの笑い話になっている。妻を魔物と見る視点がない。十七世紀の『物好きの幕間喜劇 Entremes de los mirones』には既に類話が載っていて、スペイン・ポルトガル語圏ではよく見られる話だそうだ。

 病人を装う際に白いハンカチを額に巻いているのが面白い。日本でもかつて病人は額に鉢巻をするもので、『食わず女房』の和歌山県伊都郡高野村の類話でも、夫が隣の爺と共に怪物妻が盗み食いする様子を覗いてから家に帰ると、妻は鉢巻をして病気だと言って横になっていた…と語られている。

 

 妻が怪物で、密かに獣の生肉などを貪り食っていたのを夫が目撃する話は981年の宋の『太平広記』に既に見られるそうで、口承の類話はアメリカ、ミクロネシア、西欧に広く見られるという。とはいえ、私自身はまだ類話として紹介されたものを読めていないので、どのモチーフがどの程度類似しているか分からないのだが。

『千夜一夜物語』にも「シディ・ヌウマンの話」という類話がある。眠れなかったハールーン・アル・ラシード教主(王)は大臣ジャファールと共に商人に変装して宮殿を抜け出した。そして市井で目にとまった四人の男に、自分の宮殿に来て身の上話をするように言った。その中の一人が、町中で一頭の雌馬を血まみれになるほど打って酷使していた美青年、シディ・ヌウマンである。

 シディ・ヌウマンは親から生涯暮らせるほどの財産を受け継いで裕福であった。ある時、彼は深く考えずにアミネという女と結婚した。結婚するまで花婿と花嫁は互いの顔を知らないのが慣例だ。初めて妻の顔を見るととても美しかったので彼はアラーに感謝した。

 ところが彼女は起きてくるのが遅く、昼過ぎまで寝ている。そしてポケットから耳かきを取り出して、ピラウ(塩と油を入れて炊いた米飯)をほんの二十粒ほど、一粒一粒ちまちま食べる。パンは、雀が食べる程度を口に運ぶのみだった。男と共の食事に緊張して食べられないのだろうかと思ったが、彼女はずっとそのスタイルを続け、けれど活き活きとし続けている。シディは不思議に思っていた。

 ある日の真夜中、眠れずにいたシディは、妻が寝床を抜け出して着替え、どこかへ出かけて行くのに気付いた。後をつけると、彼女は近くの墓場に入っていく。シディは、妻が屍食鬼グールと共に座っているのを見た。屍食鬼は邪悪な種族で、旅人を惑わし、時に食い殺すという。二人はその日埋葬されたばかりの死体を掘り起こし、がつがつと貪った。そして会話していたが、遠かったのでシディには内容は分からなかった。彼は震えた。ああ、彼女は女屍食鬼グーラーだったのだ。毎日死体を腹いっぱい食べていたので食事が喉を通らなかったのである。食べ終わると、彼女たちは食いカスの骨を墓穴に投げ込んで再び埋め始めた。シディは急いで帰って寝床にもぐりこんだ。妻が戸を開け放っていたので閉めずにおいた。やがてアミネが帰って来て服を着替え、彼の隣に横になった。

 翌日、シディは毎日の雑用を終わらせてから庭に出て考えた。妻の邪悪な行為を止めさせねばならない。昼食時、いつものようにアミネは殆ど食べなかった。シディは礼儀正しく言った。

「アミネ、君がこの料理が嫌いならば、ご覧、他の料理もまだある。どれでも好きなものを食べなさい。私たちは毎日違う料理を食べているが、ここにあるものが嫌いなら、何でも好きなものを注文して良いのだよ。尤も、私は君に一つ質問したい。『人肉ほどに口に合うものはここにはないのかね』と」

 妻は見られていたことを悟り、憤怒で恐ろしい形相になった。そして怯えたシディに向かい、水差しから水を浴びせかけて唱えた。

呪われよ、犬になれ!

 シディはたちまち犬に変わった。その時、アミネが通りに向いたドアを開けたので、彼は外に出た。アミネはすぐにドアを閉めたので尾が挟まれたが、なんとか逃げ出すことが出来た。沢山の犬が寄って来て彼に唸り、噛みついた。シディは山羊や羊の頭を置いてある肉屋の主人に助けられ、その夜を過ごした。朝になると主人は肉を仕入れてきた。すると犬の一群が集まって来て屑肉を食べた。シディもがつがつと食べた。それを見た肉屋の主人は飢えているのだろうと肉を一塊投げたが、シディはそれを食べずに立ち去った。次にパン屋へ行くと、そこの主人がパンを二、三個くれたのでゆっくり食べた。そしてシディはドアの傍に座った。

 パン屋の主人はこの犬の行儀のよいのがすっかり気に入り、撫でて可愛がって、店で買うことにした。それからというもの主人はこの犬を非常に愛した。通りで呼ばれると、犬はいそいそと駆けつけたものだ。

 そんなある日、事件が起こった。パン屋に買い物に来た女性が払った何ディルハムかの中に、一枚粗悪なコインがあった。彼はチェックしてそれを返し、交換するように言ったが、女性はそうしなかった。そこでパン屋は彼女に言った。

「ご覧なさい、私の犬がこのコインが不良品だとあなたに教えてくれますよ」

 パン屋はコインを床の上にばら撒いた。シディは悪いコインの上だけに前足を乗せた。これにはパン屋だけでなく女性も驚いた。女性はコインを交換して去った。この一件以来、パン屋はシディを他でも試し、信頼して一層大切にした。噂は街に広まって名声が高まった。

 そんなある日、再びあの女性がパン屋に買い物に来た。六ディルハム支払ったが、中の一枚が粗悪品だった。パン屋はそれをシディに確かめさせ、シディはすぐにそれを見抜いた。女性はそれを認め、店を出る時、付いて来るようにとシディに合図をした。最初、シディはそれを無視したが、彼女は何度も合図してくる。もしかしたら彼女は私を人間に戻してくれるのかもしれない。そんな期待を抱いて、シディは彼女の後に付いて行った。

 彼女の家に着き、部屋に案内されると、そこには刺繍の施されたドレスを着た美しい娘が座っていた。どうやら女性の娘らしく思われた。女性が娘に言った。

「娘よ、彼は良いコインの中から悪いコインを見分ける犬です。そこで、彼が本当に犬なのか、人が犬に変えられたものなのかを視てごらんなさい」
「お母さん、あなたは正しいわ。私はすぐにそれを証明できるわよ」

 娘は水盤から幾らかの水をすくって、唱えながら振りかけた。
もしあなたが犬として生まれたのならば犬のままであれ。もし違うのならば、この水によって人間に戻れ

 ただちにシディは人間に変わった。彼は娘の足元に身を投げ出して、彼女の前の地面に口づけをして泣き叫んだ。
「おお、心優しいご婦人よ。あなたは見知らぬ人間に対して非常に親切だった。どうすればこの感謝を表せるのでしょう。今日から私はあなたの奴隷です」

 シディは彼女に自分の来歴とアミネの悪事をすべて話した。

「そんなに感謝しないでください。私はあなたを人間に戻せただけで幸せですわ。私はあなたの奥さまを、あなたと結婚するずっと以前から知っています。私は彼女が魔法を使えることを知っています。そして彼女も私がそう出来ることを知っています。私たちは同じ女師匠から学んだのですから。私は何度か彼女と浴場で会ったことがありますが、彼女のマナーが悪かったので、あまり話をしませんでした。私は、あなたに行った悪行を理由に彼女を罰したいと思っています。そこで少し待っていてください」

 彼女は別室に入り、その間シディは座って、彼女の母親に向かって娘の親切さを褒めそやした。彼女は戻って来ると言った。

「今、彼女は家にいません。彼女はあなたが何か緊急の仕事で家にいないと偽っています。そうして食事をとるために家を出ているのです。この水差しの水を取って家に帰り、彼女が来るのを待ちなさい。彼女が戻って来た時、そこであなたに会って驚くでしょう。恐らく逃げようとするはずです。けれどその前に、私が教える呪文を唱えながら水差しの水を撒くのです。これ以上は話す必要はないでしょう。何が起こるかはあなた自身の目で確かめられるでしょうから」

 シディは家に帰り、言われた通りにした。するとアミネは雌馬に変わったのだ。シディはそれを見て喜んだ。雌馬を家畜にして自分の腕が疲れるまで鞭で叩いた。そして彼女を罰するために、これから毎日、この雌馬に乗って広場の周囲を全速力で走り回り、叩くことを決めたのだった。 

 

 全てを話し終えるとシディは一度沈黙したが、再び教主に向かって「私の彼女への仕打ちを怒らないでください。きっとあなたはこれよりもっと大きな罰を彼女に与えるでしょう」と言って服の裾に口づけをした。話を聞き終えると教主は言った。

「そなたの話はまことに珍しく奇妙である。そなたの妻に弁解の余地はなく、そなたも正しく扱っている。だが私は訊ねたい。『いつまで彼女を打つのか? いつまで彼女は残酷な姿でいるのか?』と。そなたの最善は、例の女性に彼女を人間の姿に戻してくれるよう頼むということだ。しかしこの魔女、この女屍食鬼グーラーが、自分が女の姿に戻ると気付いた時に呪術を再び行使するかもしれぬ。そなたが行った、彼女よりも更に大きな過ちの報いに。そしてそなたはそれから逃れることが出来ないかもしれぬ。私はそれを恐れる」

※良く似た話が『千夜一夜物語』中「商人と魔神イフリートの物語」の三番目の老人の話にもある。ただし妻が夫を犬に変えたのは、黒人奴隷との浮気現場を見咎められたため。妻は夫に水を振りかけて犬にする。犬になった夫は外をさまよって骨を齧り、肉屋に保護される。しかし肉屋の娘は彼を見るなり顔をベールで覆い、父親に「どうして男性を連れてくるのです」と言う。彼女はこれは妻によって犬に変えられた男の人だと言い、肉屋は元に戻してやるよう命じる。娘は水を振りかけて男の魔法を解く。男は娘に頼み込んで妻に魔法をかける方法を教えてもらう。指示された通り、そっと家に帰って転寝している妻に水を振りかけて騾馬ラバに変え、家畜として使役して復讐する。

参考 --> [妹は鬼

 似たような民話は西欧にも伝わっていて、そちらでは妻の正体は邪悪な魔女である。妻は夫に手綱を付けて馬のように走らせ(あるいは実際に馬に変えて)、その背に乗って魔女の集会へ行く。墓場で死体を食うくだりは語られないことがある。

魔女とたまご  ジプシー

 昔、レニラに住むジプシーの一族のところへ、一人の身元の知れないジプシーの娘が流れ着いてきた。

「私の一族は遠いトルコの国に住んでいましたが、トルコのサルタンがジプシーの虐殺を行い、私一人だけが生き延びたのです。どうか皆さんの一族に入れてください」

 族長と一族の主だった男たちは相談し、この美しい娘を一族に入れてやることに決めた。族長はパンに塩を掛けて娘と分け合って食べ、ブランデーをグラスに注ぐと飲ませた。娘は飲み干すとグラスを岩に投げつけ、グラスは粉々に砕けた。それから娘は老若男女全てにキスをして回り、一族に迎え入れられたのだ。

 娘はある老婆の家に引き取られ、一日中白い細紐を編んでは村の百姓に売りに行ってお金を貯めて、老婆が亡くなったころには立派なテントと馬一頭と馬車一台を持っていた。何人もの男たちがこの美しく働き者の娘に結婚を申し込みたいと思い、その印として夜のうちに娘のテントに赤い布を結びつけた。けれども彼女はその度に赤い布をちぎって捨て、誰とも結婚しようとはしないのだった。

 そんなある日、妻を亡くしたまだ若い男が布を結んだのだが、朝になってもそれが捨てられることはなかった。この布を結んだシュテファンという男と、娘は結婚した。

 月日は流れ、二人が結婚してから二年が過ぎた。そんなある日、妻が留守の間に年取ったシュテファンの母が言った。

「シュテファン、お前は自分の女房の本当の出自を知っているのかい?」
「俺の女房は俺の女房だよ。それで充分じゃないか」

 すると母は言った。

「シュテファン、お前の女房はね、実は魔女なんだよ! 私は昨日、この目で見てしまったのさ。あの子がこっそり、卵の殻を集めているのをね。
 お前も知ってのとおり、魔女たちは毎晩一時間ほど集まっては、卵の殻で作った皿や壷で飲み食いするものなんだよ。それが終わると卵の殻の皿や壷はみんな壊してしまうんだ。だからまた新しい壺をこしらえるために、魔女たちは毎日、卵の殻を集めるものなのさ」
「だからって、どうすればいいんだ」
「お前が夜に眠ってしまうと、お前の女房は、魔法の端綱はづな(馬の口に掛ける引き綱)を持ってきて、お前の口に掛けるだろうよ。そうするとお前はたちまち馬になってしまうんだ。女房はお前の背に乗って、魔女たちが集まる場所へ毎晩出かけていたんだよ。
 今夜、あの子がお前の寝ているところへやって来たら、あの子の手から魔法の端綱を奪い取って、逆にあの子の首に掛けておやり!」

 その晩、シュテファンは眠ったふりをしておいて、女房が魔法の端綱を持ってそっと近づいてくると、いきなりその手から端綱を奪い取り、妻の首に掛けた。

 たちまち妻は馬に変わってしまった。シュテファンがその背に飛び乗ると、馬は素早く駆け出した。馬はまっすぐに、何千人という魔女が集まっている森の広場へ走って行ったが、シュテファンはそこに近づく勇気は持てなかったので引き返すと近くの村へ行った。

 村に着くと、シュテファンは事の次第を詳しく司祭に報告した。話を聞いた司祭は馬に聖水を振りかけた。すると馬は、たちまち赤く燃え上がって灰になってしまったのだった。


参考文献
世界のメルヒェン図書館6 美しいヒアビーナ ―ジプシーのはなし―』 小澤俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1981.

 魔法の力を持つ妻が夫を家畜に変える(変えようとする)が、夫はその企みから逃れて妻に逆襲するというモチーフは、ギリシア神話の魔女キルケーの物語でも有名だ。人を獣に変える魔女に関してはこちら。--> <小ネタ〜キルケーの館

  

「食わず女房」は、類話によっては離縁を申し渡された妻が夫を箱に入れて運び出し、谷底や川の中に捨てたと語られる。食うことが目的ではなく、殺すために夫を運び出したのである。ここに見えるのは既に「人間と人食い鬼」の葛藤ではなく、生臭い夫婦の愛憎の物語だ。類話によっては、人食いの正体を現した妻のもとから夫が逃げ帰った後、妻はまた元の女の姿になって家に帰って来て出て行かない、そこで魔除けの植物を軒に挿すと来なくなったなどと語られる(長野県、広島県)。もはや人食い鬼の話でも何でもなく、離婚で揉めた話になっている。



参考 --> 「シン・シン・ラモと月」[人さらい



頭のてっぺんに口のある老人  パプア・ニューギニア チムブ地方 グイェビ村 ゲンデ族

 少年が竹筒を持って川に水汲みに行った。汲み終わってから水を眺めていると、豚の臓物モツが見えてきた。そして水の向こうに見える世界に、一人の老人が座っているのも見えたのだった。

 少年は臓物を水の中から盗ると走って行って母親に渡し、また駆け戻って水の向こうの老人の様子を窺った。

 老人は土かまどを使って、焼け石の熱で蒸し豚料理を作っていた。けれども彼はのっぺらぼうで、目も鼻も耳も、口すらも何もない。老人が蒸しあがった豚肉を細かく千切り分けるのを見て「のっぺらぼうのくせにどうやって食べるんだい」と少年がからかいの声を掛けると、老人はサッと頭を一振りした。すると一度に目も鼻も耳も現れたが、口は頭のてっぺんについているのだった。老人が蒸し豚の一切れをその口に投げ込むと、それは真っ直ぐに胃袋に落ちてゴトーーンと音を立てた。

 少年は土かまどから蒸し豚を引き出して、持って逃げて隠れた。老人は槍を投げ、バナナの木に当たった。少年は怖れながらも豚肉を持って逃げ帰って、母親と二人で食べたのだった。

 それから暫くしてまた川辺へ行ってみると、老人は何か作業をしていた。土に穴を掘り、次に網袋を編んでその穴に被せた。袋に細いリアネの蔓を結び、その端は自分の足の指に縛った。

 これは豚を捕らえるための落とし穴の罠だったのだ。少年はコソコソしながら老人の方に近づこうとして穴に落ち、まっすぐに奈落に落ちてゴトーーンと音を立てた。そして網袋に絡めとられて身動きできずに死んだ。老人は痛いほど足指を蔓に引っ張られたので、獲物がかかったのがすぐに分かった。駆けつけて歓声をあげ、さっそく獲物を一本の棒にくくりつけると、ヘソの辺りで二つに叩き切ってからコンブレゲ山へ担ぎ上げた。

 

 少年の母である老婆がおいおい泣いていると、一匹のコガネ虫が飛んできた。それを見て母親は尋ねた。

「コガネ虫よ、お前たちはあちらこちらと飛び回るのだから、どこかで私の息子を見なかったかい?」

「お前の息子なら見たよ」

「本当に? ならばここに連れて来ておくれ」

「それなら紐を一本、るんだ。出来上がったら私の足の爪に結びなさい」

 母親がそうすると、コガネ虫はブンブン羽を震わせながら飛んで行って、棒に縛られた少年の死骸を持ちかえって来た。そればかりでない。コガネ虫が呪法を掛けると、少年は立派な若者に成長して蘇った。

 若者は石を二つ拾い、熱い灰の中で焼いた。そして三つの竹筒に水を汲んで老人のいる川に行った。いつものように老人が頭を振って、てっぺんの口を開け、そこに豚の蒸し肉を投げ入れ始めたとき、すかさず焼け石を投げ込んだ。

 そのために老人は腹が焼けて死んだ。若者は焼けた死体に竹筒から水を掛けて、川に投げ込んだ。川の中で老人は岩になり、髭は岩に垂れたかずらになった。この岩は、今もグイエビにある。



参考文献
『世界の民話 パプア・ニューギニア』 小澤俊夫/小川超編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

※「人食い女房」とは全く違う話なのだが、髪をさっと振り分けると頭のてっぺんに口が現れる、という部分がそっくりなので、ここで紹介することにした。

 

 物語として未熟な感じで分かりにくいが、これも冥界下りの物語だと思われる。

 アイルランドの伝承に、海の妖精メロウが海の中の異界に宮殿を持っていて、そこで溺死者の魂を魚籠に集めている、というものがある。この話に出てくる川の中の老人も、恐らく近いイメージの存在だ。水底の冥界に座して死者の魂を網で捕え、呑み込み憩わせる冥王である。

ジャックと豆の木」でジャックが豆の木を伝って天の国へ行き巨人の宝を盗んで母親に渡したように、この話でも少年は川の中の異界へ行って老人の豚肉を盗み母に渡す。ジャックは全てを上手くやり遂げたが、この少年はヘマをして、一度冥界に呑まれた。物語中でもはっきり「死んだ」と語られているが、「穴の底に落ちる」「冥王の仕掛けた網に掛かる」「刻まれる」「山の上に行く」のは全て伝承における《死》の表象だ。また、少年が穴の底に落ちたのは、蒸し豚が老人の頭の口…穴に落ちたのと同じことを言っているのだと思われる。彼は冥王に喰われた。

 息子を亡くした母は哭泣し、一匹のコガネ虫が少年を連れ戻す役を買って出る。刻まれた死骸の置かれた山の上…冥界へとコガネ虫は向かう。その足に結ばれた母の縒った紐は、ギリシア神話でミノタウロスの迷宮に下る王子テセウスに王女アリアドネが渡した糸巻きと同じ、この世に再び戻ってくるための繋がりであり、切れぬ限りは死なずに済む、魂の尾だ。

 冥界から黄泉帰った少年は通過儀礼を済ませたと考えることができる。苦難を越えたことで大人として認められた彼は、物語中でも「立派な若者に成長」したと語られている。

 この話を参考にして考えていくと、頭のてっぺんに開いている「貪り喰らう口」は、大地に開いた深い穴、冥界への入り口のようなイメージなのかもしれない。日本神話で、大国主命オオクニヌシのミコトは根の国(冥界)へ下り、冥王スサノオに殺されそうになった時には穴に落ちて助かるけれども、彼はこの冥界下りの試練を終えるまでは「大穴牟遅神オオナムチのカミ」と呼ばれていて、これは冥王を表す「巨大な穴の神霊」を意味する名だという説がある。

 

 冥界(死)の象徴たる《呑み込む者》…人食い鬼もしくは竜や獣の口の中に身代わりの焼け石や煮え立った油、刃物を投げ込んで免れる、というモチーフは世界的に見られるもので、民話想に集めた例話の中では「イラクサとヨモギ」や「白い鳩」などにも見える。日本では「山姥と石餅」と呼ばれる民話でよく知られている。

山姥と石餅  日本 静岡県周智郡城西村

 西浦のしなごという家に娘があった。娘は毎晩藤をんで糸にしていた。するといつもどこからともなく山姥がやって来て、「私も手伝う」と言っては、藤を裂いて手に巻き、いっぱいになると外して、その端を火に焼き灰を手のひらに落としては、それをごくっと一呑みし吐き出すと、もう美しい藤の糸が出来ていた。山姥はそれを束にして、「今夜も一つ ちゃんころりん」と言っては、二階に放り上げた。しかし後で見ると二階には糸も何もないのであった。

 ともあれ、そうして娘とすっかり仲良しになって毎晩来て藤を績んだ。家の人たちは山姥が娘をどこかへ連れて行って食うに違いないと思って、毎晩仕事の済んだ時に出す茶玉の代わりに、色も形もよく似た川石を拾って来て、それを焼いて食べさせることに決めていた。

 その晩もやって来て同じように藤を績んだ。その間に石を焼いて、いよいよ帰る時になって、いつもの茶玉のようにその石を山姥の手に載せてやった。「熱くはないか」と言うと、「ちょっとも熱くはない」と言って一呑みにしてしまった。ところが山姥は「熱い、熱い」と言って狂い回り、「何か冷たいものをくれ」と言った。家の人たちは大急ぎで油を飲ませた。油が腹の中で煮えたぎって山姥は狂い回って、とうとう腹が大きな音を立てて破裂して死んでしまった。

 その家は今も残っているが、その罰で、いくら働いても貧乏を続けているという。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店


参考 --> 「ウル姫子

 上の例話では石を茶玉(飴玉の茶玉と解釈していいんだろうか?)と偽って食べさせたことになっているが、類話では基本的に餅と偽る。[牛方山姥]の一エピソードとして挿入されていることもある。山姥に追われた後で山姥の家の天井に潜んだ主人公は、山姥が餅を焼きながら居眠りした間に石と入れ替えておく。山姥は焼けた石を食べて硬いと驚いたり、そのまま死んでしまうなどする。




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