童子と人食い鬼 |
民話の中には人食いの魔物が登場するものが沢山ある。
魔物が主人公を訪ねてくる場合もあるが、多くの場合、主人公は魔物の棲家に迷い込むか自ら出かけていく。英雄が姫君を救うべく乗り込んで魔物退治する正統派の話群もあるが、一方で目を引くのは主人公が「小人」か「子供」であるものだ。一見して非力な彼らは狡猾で、魔物の家族をだまして財宝を奪い、時には惨殺して嘲り笑うことすらある。対して魔物は「巨人」か「老人」とされるが、恐ろしい人食いである反面、主人公にだまされる愚鈍な面を持っている。
ここではそんな「だまされ、奪われ、殺される人食い」たちの物語と、人食いから逃れる「呪的逃走」譚を中心に集め、そこに共通して見えてくる「冥界とその住人」への認識を掘り出してみようと思う。
一見して非力な主人公が、勇気と知略によって強大な「人食い鬼」を倒し、その宝を奪い、散々翻弄して嘲り笑いすらする。西欧からアフリカ、トルコ、インド、シベリア、アメリカにまで広く分布する物語である。
この話群の主人公は「子供/若者」か「小人」で、「若く貧弱なもの」である。対して敵は、「老人」か「巨人」で、「老いて富んだもの」である。主人公は君命によって敵の宝を盗むことも多く、敵には「人食い」の要素が付け加えられている。「童子」とは子供を意味する言葉だが、年齢は無関係に「下位の召使」の意味もある。そんな意味を込めてこの章題とした。
この系統の話には、大きく分けて二つの枠があると思っている。
それぞれが独立して語られることもあるし、組み合わされることも多い。
なお、「逃走」の部分に比重がかけられて語られることも多いが、そちらはまた異なったタイプの話群とみなすべきかもしれない。ここでは[呪的逃走]という枠にまとめた。
これ以降の展開は幾つかのパターンに分かれる。
類話中でも最もシンプルであり、「宝を盗み、人食いの妻子を殺して嘲る」枝葉的な要素がないため、核の形が判り易い。冥界に下り、「豊穣」「武力」「霊力」等を手に入れて帰還する物語である。
日本神話のオオクニヌシの根の国下りや、[命の水]系民話のような、冥界の住民が眠り込んでいる間に宝を盗み出す物語とも同根なのだろう。盗んだのが「琴」であり、盗み出そうとするとそれが鳴り響く点も それらの話と共通している。
[ジャックと豆の木]に近いが、主人公が王の傲慢な命令によって「人食い鬼」の家(冥界)へ行かされている点が異なる。主人公はジャックのように自分の運試しで冥界へ盗みに行くのではない。王の代理として行き、行かねば王に殺される。[賢いモリー]の後半だけのような話だ。
地上の権力者が英雄に「○○を持って来い」「●●を倒して来い」と無理難題を命じるモチーフは、ギリシア神話のヘラクレスの十二功業が有名だろう。日本神話の英雄ヤマトタケルの物語や、チイサコベのスガルの話もこれに属すると考えている。民話では無数に見ることが出来るが、少しずつ方向性が異なる。
この[童子と人食い鬼〜王の命令]に集めた話群は概ね「C-a」か「C-b」である。
この話群は、主人公が複数兄弟の末子たる子供であることが多い。非常にずる賢い子供で、そのしたたかさと、キリキリ舞いさせられる「人食い鬼」の哀れなまでの滑稽さを楽しむことに主眼がある。
また、後半は「横暴な王の要求で、英雄が探求の旅をさせられる」という、ギリシア神話のヘラクレスの十二功業や日本神話のヤマトタケルの討伐行でもお馴染みの要素が中心になっている。 --> [どこかへ行って、何かを取って来い]
この話群は、「逃走」の要素が希薄なのが特徴だ。主人公は[賢いモリー]とよく似て、狡猾な子供とされることが多い。
主人公が入れられそうになる「a.煮立った鍋 b.燃えるかまど c.臼の中 d.焚火の中」は、全て「冥界…地獄の釜」を意味している。ここに入るということは「死ぬ」ことでもあるし、「冥界の女神に産み直される」ことでもある。燃えるかまどに突き入れられた魔女は焼け死ぬが、これは「老いた母(冥界の女神の死の相〜秋・冬)」が死んで「若い娘(冥界の女神の萌生の相〜春・夏)」に生まれ変わったという暗示でもあろう。
本来は神であった「人食い鬼」が力の殆どを失い、矮小な「魔物」に零落している。「人食い鬼」はもはや巨大ですらない。老いた弱々しい存在で、子供である主人公一人でも簡単に倒せてしまうのだ。
呪的逃走ないし魔法的逃走、すなわち「マジック・フライト」と呼ばれるモチーフは、世界中の伝承に見られる。呪具等を用いて追手の足を阻む面白さを描いたもので、日本人には日本神話でイザナギが黄泉から逃げ帰るエピソードが馴染み深いだろう。(物を投げて障害を作るタイプの呪的逃走としては、これが文献上最古という説もある。)
このようにして逃走した後、以下のような結末がつくことが多い。
この他、やや趣が異なった「呪的逃走」もある。娘が結婚を望む男から逃れるために行うもので、追ってくる男の前に宝や果実を転がす。しかしこれは滅多に見ない。大抵は構図が逆転しており、追う男の方が逃げる女を引き止めるために金の果実を転がしたり、隠れている女が男の気を引くために果実を転がす形になっている。このタイプのものは、ギリシア神話の女傑アタランテの物語から、「アタランテ・モチーフ」と呼ばれることもあるようだ。
構図が逆転している呪的逃走は他にもあり、追う「人食い鬼」(この場合、娘)の方が先回りして、林檎の木や湖に化けて待ち伏せているパターンがある。「コースチンの息子」のような、冥竜から太陽を奪って逃げる話群で見かける。
基本的な呪的逃走モチーフでは追跡してくる「人食い鬼」が魔法で出された食べ物を貪り食べたり川の水を飲み干そうとして腹を弾けさせて死ぬものだが、このモチーフでは逆に、「もしも主人公が、人食いが化けた林檎の実を食べたり湖の水を飲んだりしたら、裂き殺されていただろう」と語られる。
このように様々なバージョンがあり、このモチーフを含む話は数多くあるが、ここには[童子と人食い鬼]に共通の要素を持ち、かつ「呪的逃走」の部分にこそ物語の主眼を置いてある話をまとめてみた。
【赤ずきんちゃん】の話群に近い。「人食い鬼」やその身内を殺して嘲る要素は無く、宝を奪う要素は全く無い。主人公(子供)はそんな余裕も無く命からがら逃げ出すのであり、その逃避行にこそ主眼がある。そして追って来る「人食い鬼」を退治する絶対的存在として和尚(親)が配置されているのが特徴的だ。
ちなみに、西欧の呪的逃走モチーフのある民話だと、最後に教会や司祭が出てきて「人食い鬼」を退けていることがままある。宗教的存在が「人食い鬼」を退けるのは、古い信仰への敬意を人々が失い、新しい信仰が上位になっていることを端的に示すものと考えられる。
呪的逃走が物語前半に入っている話。後半は復讐譚になっている。
これも【赤ずきんちゃん】話群と共通したところが多い。「人食い鬼」は高所に隠れた主人公にからかわれ、騙された挙句に箱に閉じ込められて退治される。
血の繋がった実の妹が人食い鬼で(または、人食い鬼が妹を食い殺して入れ替わっていて)、その正体を目撃してしまった主人公が命からがら逃れるという話。
この話は日本では殆ど九州地方にしか伝承されていない。話の中に虎や孔雀が出てくるので、大陸から日本に移入された物語であることは確かであろう。
世界に目を転じれば、朝鮮半島(韓半島)、中国、ロシア(シベリア〜コーカサス)、ウクライナ、ハンガリー、トルコ、インドにも類話が見られる。特にロシアやウクライナに伝わるものは「鼠が楽器を弾いて時間稼ぎしてくれる」、「その鼠は両親の霊の化身である」など、細部のモチーフまで日本のものと共通していることがある。
なお、ロシア、ウクライナ、ハンガリーに伝わるものは結末が「月の由来」に結びつくことが多い。人食い鬼からの逃走、追い詰められたところで太陽が天に引き上げて星辰になるという筋立ては、「天道さん金の鎖」系話群との関連を思わせる。
似たような話で、中国や日本には「老いた実の母が(人食い虎/狼/化け猫)と化しており、それに気づいた息子が退治する」という話群もあるが、それには基本的に呪的逃走はないので、ここでは紹介しない。
妻が人食いだった、というバージョンには[食わず女房]がある。
「悪魔の娘」とも呼ばれるタイプの話。
若者が(宝を求め/金品の代償に/修行・奉公として)「魔法使い(人食い鬼)」の家に行き、様々な難題を課せられる。しかし魔法使いの娘が知恵や魔法で密かに助ける。全ての難題を解決した若者は娘と結婚する資格を得るが、「魔法使い」はそれでも若者を殺すつもりなのである。若者と娘は様々な手段を講じて逃走する。
後日談として、現界に戻った若者が悪魔の娘のことを忘れてしまい、悪魔の娘が知略を用いて自分のことを思い出させるエピソードが付くことがある。
このタイプの伝承は非常に多く見られて、日本神話でオオクニヌシがスセリ姫の助けを得て根の国から逃げ出す話もこれに属するだろう。冥界から盗み出す宝に「結婚相手」が加わっている。
アポロニオスの叙事詩で有名な、ギリシア神話のアルゴー船冒険譚にもその要素がある。
王子イアソンは叔父に奪われた王位を取りもどすため、叔父が与えた「ポントスの海の向こうのアイエテスの館から金の羊の毛皮を取ってくること」という難題に挑むことになった。(これは、冥界へ行って先代の王…イアソンの父の魂を受け継いでくる、という試練である。)イアソンは巨大な船を建造させてアルゴー(快速)と名付け、多くの英雄たちを集めて旅立った。海を渡り、白鳩(霊)だけがすり抜ける打ち合う岩門を越え、アイエテス(太陽〜冥王)の支配する世界の果ての国に着くと、その国の王女メディアがイアソンに恋した。コルキス王はイアソンに次々と難題を課したが、メディアはそれを密かに魔法で助け、父が眠っていた夜中、見張りの竜を眠らせて、ついにイアソンに金羊皮を入手させた。イアソンとメディアはアルゴー船で逃げ出したが、目ざめた王の軍船が追ってきた。メディアは自分の弟を殺させ、切り刻んだ肉をばら撒いて、父がそれを拾い集めて繋ぎ合わせている間に逃げ延びたという。シベリアの民話「小さい男と魔物のマンギ」と同じ逃亡法である。(アポロニオスの叙事詩ではこの描写はカットされ、逃げ道を軍船で塞いでいた弟を騙し討ちにした、という形にアレンジしている。)
バラバラになるのは魔法使いの娘本人の場合もある。彼女は「冥界の奥へ渡って宝(魂)を取ってくる」という最後の難題を果たさせるため、自らの体を切り刻ませ煮込ませる。試練を終えた若者が娘に指示されたとおりに骨を並べなおすと、娘は甦る。
(日本のお伽草子の「御曹司島巡り」だと、源義経が兵法の巻物を得るために長い航海をして千島へ行く。その島を支配する鬼の大王の娘、あさひ天女は義経に恋をし、彼の手引をして巻物を取得させるが、自分は逃げずに残り、父に八つ裂きにされて義経を逃がす。アルゴー船物語のメディアと比較すると面白い。八つ裂きにされたあさひ天女は甦らない。)
最も有名なタイトルを使ってはみたが、『グリム童話』の「ラプンツェル」はこの話群の中では変形が強く、逃走のモチーフが非常に希薄なので注意してほしい。
ここに集めたのは、「『人食い鬼』に育てられた少女が、『人食い鬼』の意に背き、人間の若者と恋に落ちて共に逃走する」という話である。[魔法使いの娘]に似ているが、娘はあくまで人間であって「人食い鬼」との血縁は無いとされる。また、訪ねて行く若者が主人公なのではなく、冥界の塔に住んでいる娘に物語の視点があるのが基本だ。
「人食い鬼」にさらわれて妻にされた娘を奪還する話。「人食い鬼」から逃れる逃走エピソードが物語の主核になっている。
[さらわれた娘A]で娘を救いに行くのは求婚者や夫であるのに対し、娘を救出に行くのは娘の親もしくは弟とされるのが基本。
誰の助けも借りずに娘が自力で逃走する場合もある。--> 「マオリ族の伝承」「豆投げの由来」
「人食い鬼」との間に生まれた息子の助けで共に逃走する場合もある。--> [熊の子ジャン]
娘が裕福な夫と正式に結婚するが、その後で実は人食い鬼(殺人鬼、盗賊)だったと知り、逃走する。
【青髭】話群のうち、夫から逃走するエピソードが物語の主核になっているもの。
これまで挙げてきた例話に比べ、もっと単純で原型的なものを参考紹介する。
ある日、ばったりと「人食い鬼」に出会う。「人食い鬼」は主人公をヒョイと袋に入れ、担いで家に運んで行って食おうとする。その危機から命からがら逃げ出す話。
>>参考 <冥王は魂をさらう>
なお、「人食い鬼」と出会う場面か「人食い鬼」から逃げる場面かのどちらかに、「主人公は高い木の上に隠れ、木の下で人食いが見上げている」という状況が現れることがしばしばある。何か根源的なイメージがあるのだと思われる。
>>参考 <赤ずきんちゃんのあれこれ〜木の上の悪童と木の下の人食い><枝にとまる魂>
これらは【童子と人食い鬼】に属するとは言いがたいが、部分的に共通する要素が多いため、参考紹介する。
シンデレラ系の話群で見受けられるものである。
虐待された継子が森や山をさまよい、「人食い鬼」の家に宿を求める。その母または妻である山姥は(a.主人公をテストする b.主人公をかくまう)。
※その後、山姥の息子または夫である「人食い鬼」に追われて呪的逃走するモチーフが入る場合もある。
山姥は主人公に(呪宝/美しさ)を授け、主人公はそれを用いて幸せな結婚をする。
>>参考 「米福粟福」「花世の姫」「バヴァン・プティとバヴァン・メラー」
主人公は運命に導かれて姫君と結婚するが、王はそれが気に入らず主人公に難題を課す。そのため、主人公は「三本の金の髪の毛のある魔物」のもとへ行き、その金の髪を取ってこなければならなくなる。
三本の金の髪の毛を持つ魔物とは太陽神であり、「人食い鬼」である。その母は主人公をかくまい、主人公が知りたがっている霊的知識を息子から聞き出してくれて、「人食い鬼」が眠ると金の髪の毛まで抜いてくれる。
人食い鬼退治をしないので、[継子と山姥]に近いだろう。
>>参考 「金の髪の毛が三本ある鬼」
童子と人食い鬼に関する雑学あるいは考察?