>>参考 <かぐや姫のあれこれ〜火の山の女神

 

竹や姫  日本 群馬県甘楽郡南牧村赤岩

 お爺さんが竹伐っていたら、竹の中から小さい姫が出てきてさ、

「お婆さん、こんないい赤ちゃんがいたよ」ってゆったら、

「なんて言ったら(呼んだら)いいでしょ」ったら(と言ったから)

「これはまあ、竹から出来たから竹や姫ちゅう名にしたらよかんべ」

 その娘が十五、六になったら、

「お爺さん、お婆さん、今までお世話になったけど、どうしてもここにいるわけにいがねえから、暇くれてくろ」ったら。

「暇をくれてやんな くれてやるけど、どこへ行くんだ」ったら、

「お爺さんとお婆さんの側にいるこたぁ出来ねえ。天竺から降りてきて、竹や姫になって ここんとこにいて、でかくしてもらっていたんだけど、今からまた けぶに乗って天竺へ行がなくちゃならねんだから、ぜひ、暇もらいてえ」って。

 それで その娘が、お爺さんとお婆さんと麦わらへ火ぃくっつけて燃したらのう、そのけぶに乗って行っちゃったがな。けえっちゃったちゅう。



参考文献
『日本の民話(全十二巻)』 株式会社ぎょうせい

※ここで言う「天竺」はインドのことではなく、天の国を指す。

 数少ない、民話として伝わる「竹姫」の一つである。『竹取物語』と比較すると、貴人の求婚、天人の迎え、それを地上の軍隊が迎え撃とうとするエピソードが欠けている。煙に乗って飛び去るというエピソードが、彼女が「神霊」であることを暗示していて面白い。

 とてもシンプルで読みやすいので、まず最初に挙げてみた。



竹取のおきな女児おんなごを見付けて養へること  日本 『今昔物語』

 今は昔、(欠字)天皇の御代に、一人のおきながあった。竹を取って、籠を造って、必要とする人に与えて、その対価を取って世を渡っていた。

 翁が、籠を造るために竹やぶに行って竹を伐ると、竹やぶの中に一つ、光るのがある。その竹の節の中に三寸(約9cm)ほどの人がいた。

 翁は、これを見て思った。

「わしは、長年 竹を取ってきたが……」

 今になってこのようなものを見つけたことを喜んで、片手にはその小さな人を取り、もう片方で竹を担いで家に帰って、妻のおうなに、「竹やぶの中で、こんな女の児を見つけたぞ」と言うと、嫗も喜んだ。はじめは籠に入れて養っていたが、三ヶ月ほどすると、普通の人間になった。その児がだんだんと大きくなるうちに、世に並びが無いほどに綺麗になって、この世の人とも思えなかったので、翁・嫗は いよいよこれを可愛がり愛してかしずいているうちに、この事は世に広く知られるようになった。

 そうこうしている間に、翁は、また竹を取るために竹やぶに行った。竹を取ると、その度に竹の中に金を見つけた。翁は、これを取って家に帰った。よって、翁はたちまちに豊かになった。住んでいる場所に宮殿楼閣を造って、それに住み、様々な宝が蔵に満ち満ちた。従者は多数になった。また、この児を授かってより後は、何かにつけて思うとおりに事が運んだ。そんなわけで、いよいよ愛してかしずくことに限りがなかった。

 そのうちに、その時代の多くの上達部かんだちめ殿上人てんじょうびとが、手紙を送って求婚したのだが、娘は全く聞かなかったので、皆が心を尽くして返事をさせたところ、娘は、最初は「空に鳴る雷を捕らえてきて下さい。その時にお逢いしましょう」と言った。次には、「優曇華うどんげという花があります。それを取って持ってきてください。その時にお逢いしましょう」と言った。後には、「打たずに鳴るつづみというものがあります。それをくださった時に、進んでお付き合いしましょう」などと言って、逢わなかった。

 求婚する人々は、娘の姿が世に似合わず素晴らしいのに耽溺して、ただ言うことに従って、難しいことだけれども、古くからの物事を知る人にこれらを得る方法を訊ねて、あるいは家を出て海辺へ行き、あるいは世を捨てて山の中に入り、このようにして探すうちに、あるいは命をなくし、あるいは帰ってこなかった者もあった。

 そのうちに、天皇がこの娘の様子をお聞きになって、

「この娘、世に並びなく素晴らしいと聞く。私は行って見て、本当に美しい姿ならば、速やかに后にしよう」

とお考えになって、すぐに大臣百官を率いて、あの翁の家に御行みゆきされた。ついに到着すると、家の様子が素晴らしいこと、まさに王宮のようであった。

 娘を召し出すと、すぐにやって来た。天皇がこれをご覧になると、本当に世に例えるものが無いほどに素晴らしかったので、「これは、我が后になろうとて、他の求婚者には近づかなかったのだ」と嬉しくお思いになって、「ただちに伴って宮に帰って、后に立てよう」と仰ると、娘が言った。

「自分が后になるのは限りない喜びではございますが、本当は、私は人にあらぬ身でございます」

 天皇は仰った。「お前は、それでは何者か。鬼か、神か」と。娘は言った。

「私は鬼ではなく、神でもありません。けれども、今すぐに、空から人が来て私を迎えるはずです。天皇よ、速やかにお帰りください」

 天皇はこれをお聞きになって、「これはどういうことであろうか。今すぐに空から人が来て迎えるなど、そんなはずがない。これは、ただ私が言うことを断ろうとて言っているのだろう」と思っておられるうちに、暫く間があって、空から多くの人が来て、輿を持ってきて、この娘を乗せて空に昇っていった。その迎えに来た人の姿は、この世の人のようではなかった。

 その時に、天皇は、「本当に、この娘は普通の人ではない者だったのだ」とお思いになって、宮にお帰りになった。その後、あの娘が本当にこの世のものに似ず姿形が素晴らしかったので、常に思い出して、悔しくお思いになったけれども、今更どうしようもないことで、終わりになった。

 その娘は、ついに何者であるかを知られることはなかった。また、翁の子になったのも、如何なる理由だったのだろう。全てが謎めいたことであると、世の人は思った。

 こんな稀有な出来事なので、このように語り伝えたという。



参考文献
『今昔物語集(全四冊)』 池上洵一編 岩波文庫

※『今昔物語集』は平安時代後期成立とされ、かぐや姫の物語として最も有名な『竹取物語』より数百年遅いと思われるが、内容的には より古いのではないか、と言われることがある。原型となった説話があり、それを『竹取物語』とは無関係に再話しているのではないかと。

 その根拠として、かぐや姫に求婚する婚約者の数が「三人」と、昔話に相応しい人数である点、与えられる難題の内容も、「雷神の捕獲、打たずとも鳴る太鼓」など、他の民話でお馴染みのものである点が挙げられる。また、「優曇華の花を取ってくること」という難題があるが、『竹取物語』では、庫持の皇子が蓬莱の玉の枝を持って来たとき、世間の人々が「皇子は優曇華の花を取ってきた」と噂するシーンがあり、原話では玉の枝ではなく優曇華だったのではないか、とも想像できる。

 もっとも、単なる『竹取物語』の翻案の可能性も否定できないので、正確なところは判らない。



竹取物語  『竹取物語』 作者不詳 日本

 今は昔、竹取たかとりおきなという者があった。野山に入って竹を取りつつ、あらゆることに使うのだった。名を さかき(さぬき)みやつこという。

 その竹の中に、根元の光る竹が一本あった。怪しんで近寄ってみると、筒の中が光っている。それを見ると、三寸(約9cm)ばかりの人が、とても可愛らしい様子でいた。翁は、

「わしが朝ごと夕ごとに見る竹の中に御座おわしたから、わしが見つけたのじゃ。我が子になられるべき人じゃな」

と言って、手に包み込んで家へ持って来た。妻のおうなに預けて育てさせた。愛らしいこと限りがない。とても幼い「子」なので「」に入れて養った。

 竹取の翁が竹を取ると、この子を見つけてから後は、節で隔てられた空洞ごとに黄金の詰まった竹を見つけることが重なった。こうして、翁は次第に豊かになっていった。

 この子を育てるうちに、すくすくと大きくなった。三ヶ月ほど経つと、普通の背丈になったので、髪上げさせ、裳着(成人式)をした。帳の中からも出さず、大事に養った。

 この子の姿の清らかなことといったら、この世のものではないようで、家の中は暗いところがなく光で満ち溢れた。翁は、気分が悪く苦しいときも、この子を見れば苦しさもおさまる。腹立たしいことも慰められるのだった。

 翁は、黄金入りの竹を取ることが当たり前になった。権勢盛んな者になったのだ。

 この子はとても大きくなったので、三室戸斎部みむろといむべの秋田を呼んで名を付けさせた。秋田は、なよ竹のかぐや姫と付けた。この度は三日間祝宴をした。あらゆる娯楽を行った。男性は差別せず呼び集めて、大変盛大に楽しんだ。

 世の中の男、貴い者も賤しい者も、どうやってこのかぐや姫を手に入れようかな、逢おうかなと、噂を聞いて心惹かれて惑った。その辺りの垣にも家の門にも、家人ですら姫の姿は容易くは見られないものを、夜は安眠せず、闇夜に出かけてでも、穴をこじり開けて、姫を垣間見ようとウロウロしていた。

 この時から、夜に女性の元に行くことを「よばい」と言うようになった。

 普通の人が思いつきもしない場所までうろついてみたが、何の成果がある様子もない。家人たちに物を言おうとて、話しかけるけれども、意にも介されない。

 家の辺りを離れずに、夜を明かし日を暮らす貴公子は多かった。けれども、気持ちのいい加減な人は、「実のないことをしても意味が無かった」とて、来ないようになっていった。

 その中でもまだ求婚を続けていたのは、色好みと言われる五人だけ。諦めることなく、夜昼やって来た。その名は、石作いしつくり皇子みこ庫持くらもち皇子みこ、右大臣阿部御主人あべのみうし、大納言大伴御行おおとものみゆき、中納言石上麻呂足いそのかみのまろたり、この人々だった。

 世の中にザラにいる部類の女でも、少しでも美人だと聞けば逢おうとする人たちなので、かぐや姫に逢いたくて、物も食べずに思い悩みつつ、かの家に行って佇み歩いたけれど、甲斐があるはずもない。手紙を書いて送ったけれども、返事もなく、嘆きの歌など書いて贈るけれども甲斐がない。甲斐がないと思うけれども、霜月・師走の雪降り凍り、水無月のカンカン照りにも遮られずに通ってきた。

 この人々、ある時に竹取を呼び出して、「お嬢さんを私にください」と伏し拝み、手を擦り合わせて言ったけれども、「私の実の子ではありませんから、言うことを聞かないんです」と言われて、月日が過ぎた。

 こんなわけで、この人々は家に帰って、悩み、祈り、願をかけた。想いはとどまるはずもない。「そうは言っても、最後には男と結婚させるはずだ」と思って、それを頼みにしていた。ひたむきに誠意を見せて通った。

 これを目にして、翁が かぐや姫に

「わが子の仏様や。お前は変化へんげの人ではあるけれど、これだけの大きさまで育ててさしあげた愛情は仇やおろそかではないよ。爺の申すことをお聞きなさい」

と言うと、かぐや姫は、

「何事でも、仰ることを承知しないはずがありませんわ。変化へんげの者だという身の上も知らず、本当の親だとこそ思っておりましたもの」と言う。

 翁は、「嬉しいことを言ってくれるものじゃ」と言う。「爺は、年が七十を過ぎました。今日とも明日とも知れぬ命です。この世の人は、男は女と結婚し、女は男と結婚します。そうして家が栄えていくのです。どうして、それをしないでおられる」。

「どうして そんなことをするんです」

変化へんげの人と言えども、女の身です。爺がこの世にある限りは、こうして暮らしていることも出来るでしょうが……。あの人々が長い年月を経ても通ってきておられることをよく考えて、誰か一人と結婚なさい」

「わたくしは美人でもないのに、愛の深さも知らないで結婚して、浮気でもされたら、後で悔しいこともあるだろうと思うだけですわ。社会的に認められている人でも、愛情の深さを知らないのでは結婚しがたいと思います」

「思った通りのことを仰るものじゃ。そもそも、どのような愛を持った人と結婚したいと思うのです。こんなにも愛情深い人々であろうに」

 かぐや姫は、

「それほどの愛情深さを見ようとは言いません。いささかのことです。あの人たちの愛情は等しいでしょう。どうやって、その中の優劣が判るでしょうか。五人の中で、わたくしの望むものを見せてくださった方を、お心が勝っているとして、お仕えしましょうと、その通ってきている方々に申して下さい」

と言う。「名案じゃ」と、翁は承諾した。

 日が暮れる頃、例の五人が集まった。ある者は笛を吹き、ある者は歌をうたい、ある者は唱歌(楽器の旋律を口で奏でること)をし、ある者は口笛を吹き、扇で拍子をとったりしていると、翁が出てきて、「もったいなくも、むさくるしい所に長い間お通いくださったこと、まことに恐縮でございます」と言った。

「『爺の命は今日明日とも知れぬのだ、こうも望んでくださる貴公子に、よく思案してお仕えなさい』と私が意見したのは当然のことです。『いずれも勝るとも劣らないでおられるのですから、お心ざしの程を見ましょう。お仕えしてさしあげる方は、それによって定めます』と姫が言いましたので、これはよいことだ、恨みもないでしょう、と」

 五人の人々も、「名案です」と言ったので、翁は家に入ってこれを伝えた。

 かぐや姫は、

「石作の皇子には、仏の御石みいしの鉢というものがありますが、それを取って来ていただきます」と言う。

「庫持の皇子には、東の海に蓬莱という山がありますが、そこに白銀しろかねを根とし、黄金こがねを茎とし、真珠を実として立っている木があります。それを一枝折っていただきましょう」と言う。

「もう一人の方には、唐土もろこしにある火鼠の皮衣をいただきます。大伴の大納言には、竜の首に五色に光る珠がありますが、それを取って来ていただきます。石上の中納言には、ツバメの持っている子安の貝を取って来ていただきます」と言う。

 翁は、「難しいことじゃ。この国にあるものでもない。こんな難しいことを、どうして伝えられよう」と言う。かぐや姫が、「何が難しいのかしら」と言うので、翁は、「とにもかくにも伝えよう」とて、家を出て、「このように申しております。申し上げたようにしてみせてくだされ」と言えば、五人の貴人たちは聞いて、「素直に、二度と家の辺りをうろつくな、と仰ってくれればいいのに」と言って、ガッカリして、みんな帰った。

 

 石作の皇子は、それでもなお、この女と結婚しないでは生きていられない心地がしたので、「天竺にある物であろうと持ってこないではいるものか」と思いを巡らせた。彼は計算高い人なので、「天竺に二つと無い鉢を、百千万里を行ったところで、どうして手に入れられるだろうか」と思って、かぐや姫のもとには、「今日、天竺へ石の鉢を取りに参ります」と伝えて三年ばかり。大和の国 十市とおちこおりにある山寺の、賓頭盧ぴんずる像の前にある鉢の、真っ黒にすすけたのを取って、錦の袋に入れて、造花の枝に付けて、かぐや姫の家に持って来て見せた。かぐや姫が怪訝に思って見ると、鉢の中に手紙がある。広げて見ると、

海山の みちに心をつくし果て ないしの はの涙流れき

筑紫つくしを出て海山の路に精魂を尽くし果て、果てない石探しにの涙が流れました。)

とある。かぐや姫は、本物ならば光輝くはずだと思って見たが、蛍ほどの光さえない。

おく露の 光をだにも やどさましを おぐらの山にて何もとめけむ

(草葉に置く露ほどの光さえ宿さないものを、小暗小倉の山で、何を求めてきたのでしょうか。)

 とて、突き返した。石作の皇子は鉢を姫の家の門口に捨てて、この歌に返した。

白山に あへば光の失するかと はちを捨ててもたのまるるかな

(白山のように輝く貴女に会ったから光が消えたかとを捨てましたが、を捨てても諦めきれません。)

 と詠んで送ったが、かぐや姫は返事もしないままだった。聞く耳を持たないので、何を言うことも出来ずに帰った。

 あの鉢を捨てて、それでもまだ言い寄ったことから、鉄面皮のことを「恥を捨てる」と言った。

 

 倉持の皇子は謀略家で、朝廷には「筑紫の国に湯治に参ります」とて休暇をとって、かぐや姫の家には、「玉の枝を取りに参ります」と言わせて都を出発した。仕える人々は皆、難波まで見送りをした。皇子は「特に忍んでいくぞ」と言って、人も多くは連れて行かず、近く仕える者に限って連れて出立し、見送りの人々は、見送って帰った。

「行ってしまわれた」と人には見せておいて、三日ばかり空けて漕ぎ帰ってきた。かねて、事を手配しておいたので、その当時の人間国宝と言えた鍛治工匠六人を召しとって、容易くは人が近寄れない家を作って、かまどを三重に仕込んで、工匠たちをその家に入れつつ、皇子も同じ所に篭って、持っていた限り全て、十六箇所の領地で役人に蔵を開けさせて資金を作り、人に知られぬように玉の枝を作った。かぐや姫が言ったものと寸分違わず作り出した。たいそう巧妙にたばかって、難波に密かに持ち出した。

「船に乗って帰って来ました」と自分の屋敷には告げさせて、たいそう苦しげな様子でいた。迎えに人が多くやって来た。玉の枝をば長櫃ながひつに入れて、物で覆って持って行った。いつしかこれを聞きつけて、「庫持の皇子は優曇華うどんげの花を持って帰ってこられた」と世間は騒ぎたてた。

 これを かぐや姫が聞いて、「わたくしは、この皇子に負けてしまうわ」と、胸が潰れる思いだった。

 そうこうしているうちに、門を叩いて、「庫持の皇子が来ました」と告げた。「旅姿のまま来ました」と言うので、翁が会いに出た。皇子は「命を捨てて、かの玉の枝を持って来ました」とて、「かぐや姫に見せてさしあげてください」と言うので、翁はそれを持ってかぐや姫の部屋に入った。この玉の枝には手紙が付けてあった。

いたづらに 身はなしつとも玉のを 手折らでさらに帰らざらまし

(むなしく身を失おうとも、玉の枝を手折らないことには、決して帰るものか。)

 これにすらも感銘を受けずに見ていると、竹取の翁が駆け込んできて、

「この皇子に言った蓬莱の玉の枝を、言ったとおり、ひとつもあやまたずに持っておいでになった。何をもって、これ以上とやかく申すことがあろうか。旅姿のままで、自分の家にも立ち寄らずにおいでになったんじゃぞ。早くこの皇子と結婚しなさい」

と言うので、物も言わず、頬杖をついて、たいそう むくれていた。

 庫持の皇子は、「今更とやかく言いませんよね」と言うままに縁側に這い上ったが、翁はそれを当然に思った。「この国には存在しない玉の枝を持って来て下さったのです。この度は、どうしてお断りすることがありましょうか。人柄もよい人でおられる」などと言って座っていた。

 かぐや姫は、「親の言うことを、むげに断るのも可哀想だから」と思って要求した入手の困難な物を、このように意外にも持って来たことを悔しく思い、翁はといえば新婚夫婦の寝室の内装などを始めていた。

 翁は皇子に言った。「どんな所に、この木はありましたか。このような妖しく麗しく目出度いものが」

 皇子は答えて言った。

一昨々年さきおととしの二月の十日頃に、難波から船に乗って海の中に出ました。行くべき方向も知らないでいましたが、想いが叶わぬまま世の中に生きて何とすると思いましたので、ただ空しき風に任せて進みました。死んでどうする、生きている限り こうして進んで、蓬莱という山に遭おうと、海に漕ぎ 漂い進んで、我が国の領内を離れて進んで行きましたところ、ある時は波が荒れて海の底に沈みそうになり、ある時には風のせいで見知らぬ国に吹き寄せられて、鬼のような者が出てきて殺そうとしました。ある時には来た路も行く先も分からず、海を漂いそうになりました。ある時には食糧が尽きて、草の根を食べ物としました。ある時には、何とも言いがたい不気味な者が来て、食いかかろうとしました。ある時には、海の貝を採って命をつなぎました。

 旅の空で、助けてくれる人もない場所で色々な病気をして、行く先が少しも分からず、船の行くに任せて海に漂って五百日の辰の刻(午前八時)ごろ、海の中に、かすかに山が見えました。船中の者は熱心に見ました。海の上に漂う島、とても大きいものがありました。その山の様子は、高く麗しい。これこそが我が求める山だろうと思って、さすがに恐ろしく感じて、山の周りを船でさし巡らせて、二、三日ほど見て回っていると、天人の装いをした女が山の中から出てきて、銀の金椀かなまりを持って、水を汲んで歩いていく。これを見て、船から降りて、『この山の名を何と申します』と訊ねました。女は『これは蓬莱の山です』と答えました。これを聞いて嬉しさに限りはありませんでした。この女に、『そう仰る貴女は誰ですか』と問うと、『我が名はうかんるり』と言って、フッと山の中に入りました。

 その山を見ると、全く登れそうにありません。その山の傍らを巡ると、この世にない花の木々が立っていました。金・銀・瑠璃色の水が山から流れ出ており、それには様々な宝石の橋が渡してあります。その辺りに照り輝く木々が立っていました。その中では、この、取って持って来ましたものは、とても悪いものでしたが、仰ったのと違っていてはと、この花を折ってまいったのです。山は限りなく愉快でした。この世に例えようもありませんでしたが、この枝を折ってしまうと、更に落ち着かなくて、船に乗って、追い風が吹きまして、四百日あまりで帰って来ました。仏に願をかけた力でしょう、難波より、昨日、都に帰って来ました。その上で潮に濡れている服を脱ぎ変えることもしないで、こちらへ参ったのです」

 翁は、この話を聞いて、溜息をついて歌を詠んだ。

呉竹くれたけの よよの竹取 野山にも さやはわびしきふしをのみ見し

(代々の竹取である私は野山にいましたが、こうも辛い目ばかりは見ていませんでした。)

 これを皇子は聞いて、「ここずっと苦しかった気持ちが、今日、落ち着きましたよ」と言って、返歌し、

わがたもと 今日けふ乾ければわびしさの 千種ちぐさの数も忘られぬべし

(涙と潮で濡れた私の袖が今日乾いたので、苦しみの数々も忘れられるはずです。)

と言った。

 そうするうちに、男衆が六人連れ立って庭に入って来た。一人の男が、文挟ふばさみに書状を挟んで、「内匠寮たくみづかさの工匠・漢部内麻呂あやべのうちまろが申し上げます。玉の木を作りました件ですが、五穀を断って千日あまり、力を尽くしたこと少なからず。であるのに賃金を未だ頂戴しておりません。これを頂戴して、至らぬ弟子たちに分けてやりたいのですが」と言って差し出した。竹取の翁は、「この職人たちが申しているのは何のことじゃ」と首を傾げている。皇子はポカンとして、虚をつかれていた。これをかぐや姫が耳にして、「その差し出された書状を取りなさい」と言って読むと、手紙には、

 皇子の君は、千日間 賤しい工匠らと諸共に同じ所に隠れ住んでおられて、素晴らしい玉の枝を作らせて、官職も与えると仰せになりました。この件をこの頃思案するに、側室になるだろう かぐや姫さまが玉の枝を要求されたのだと分かりましたので、この屋敷から代金を頂戴したい。

とあって、「お支払いくださるべきです」と言うのを聞いて、かぐや姫は、日が暮れて結婚(初夜)が近づくにつれ嘆いていた心地が満面の笑顔に変わって、翁を呼んで、

「まことに、蓬莱の木だとばかり思っていましたわ。このような呆れた嘘だったのですから、早く返して下さい」

と言うと、翁は答えて、「確かに造らせた物だと聞いたのじゃから、返すのは容易いことじゃ」と頷いていた。

 かぐや姫の心は満ち足りて、先程の歌に返歌して、

まことかと 聞きて見つれば言の葉を 飾れる玉のにぞありける

(本物だと信じて見ていたら、言葉で飾り立てた玉の枝でした。)

と言って、玉の枝も返した。

 竹取の翁は、あれほどに皇子と語り合っていたのが、さすがに気まずく感じられて狸寝入りしている。皇子は落ち着かず、居ても立ってもおられずにいた。日が暮れてしまうと、滑り出て行った。

 あの訴えた工匠を、かぐや姫は呼び寄せて、「嬉しい人たちよ」と言って、報酬を沢山取らせた。工匠たちはたいそう喜んで、「思ったとおりだったな」と言って帰った。その帰り道で、待ち伏せていた庫持の皇子が血が流れるまで殴らせた。報酬を得た甲斐もなく、みんな奪って捨てさせたので、何も持たずに逃げ失せた。

 こうしてこの皇子は、「一生の恥、これに勝るものはない。女を得られなかったばかりか、世間の人がどう見、どう思うかが恥ずかしい」と言って、ただ一人で深い山へ入っていった。執事、仕える人々、みんな手を尽くして捜し求めたけれども、死んでしまったのか、見つけ出すことが出来なかった。皇子は、従者から姿を隠そうとて、何年もの間 姿を隠していたのだ。これ以来、こういうことを「たまさかる(魂離る)」と言い始めた。

 

 右大臣 阿部御主人は、資産家で一族の繁栄した人であった。その年に来た唐土(中国)船の王慶という人のもとに、「火鼠の皮なるものを買って送ってくれ」という手紙を書いて、使用人の中で心が確かな者、小野房守おののふさもりを選んで、手紙に付けて遣わした。

 手紙を持って到着して、唐土にいる王慶に金を渡した。王慶は手紙を広げて見て、返事を書いた。

 火鼠の皮衣は、この国に無い物です。噂には聞いても、未だに見たことがありません。この世に存在する物ならば、この国にも運ばれてきているでしょう。とても難しい商談です。けれども、万が一天竺(インド)に珍しくも輸入されていたならば、地元の長者辺りを訪ねて求めましょう。無い物ならば、使いに持たせて、代金をお返しいたします。

 例の唐土船が来た。小野房守が帰ってきて、上京すると聞いて、足の速い馬をもって走らせて迎えさせると、馬に乗って、筑紫からたった七日で帰ってきた。

 王慶からの手紙を見るに、

 火鼠の皮衣、かろうじて、人を派遣して買い求めました。今の世にも昔の世にも、この皮は滅多にないものです。昔、立派な天竺の聖人が、この国に持って渡っていたのが、西の山寺にあると聞き及んで、朝廷に申請して、かろうじて買い取りました。代金が足りないと、国司が使いに申しましたので、王慶が代金を加えて買いました。今、金五十両をいただきたい。船が帰るのに付けてご送金ください。もし支払わないのならば、例の皮はお返しください。

と書いてあるのを見て、「何を仰る。あと金少しだけじゃ。嬉しくなるものを送ってくれたなぁ」とて、唐土の方に向かって伏し拝んだ。

 この皮衣を入れている箱を見れば、様々な麗しい瑠璃で彩って作ってあった。皮衣を見れば紺青色だ。毛の先には黄金の光が輝いている。宝らしく見え、麗しいこと並ぶものがない。火に焼けないことよりも、美しいことが何より優れている。

「なるほど、かぐや姫が欲しがるだけのことがある」と言って、「ありがたや」とて、箱に入れて、物の枝に付けて、自分の化粧を念入りにして、「このまま泊まるだろうぞ」と思って、歌を詠んで、加えて持っていった。その歌は、

限りなき 思ひに焼けぬ皮衣 たもと乾きて今日けふこそは着め

(限りない想いにも焼けぬ皮衣。涙に濡れた私の袂も乾いて、今日こそは着ましょう。)

というものだった。

 家の門前に持って行って立った。竹取が出て来て、受け取って、かぐや姫に見せる。

 かぐや姫は皮衣を見て言った。「麗しい皮です。特に、本物の皮かどうかは分かりませんけれど」

 竹取は答えて言った。「とにもかくにも、まずは招き入れましょう。世間に見当たらない皮衣の様子じゃから、これは本物だ、と思いなさい。人をあまり悲しませるものじゃないよ」と言って、大臣を呼んで座らせた。

 このように呼び寄せて、「今回はきっと結婚する」と嫗も心に思っていた。この翁は、かぐや姫が独身なのを嘆いていて、「よい人とめあわせよう」と画策してきたけれど、真剣に「イヤです」と言うので、あえて強いることが出来ないのも仕方のないことである。

 かぐや姫は、翁に言った。「この皮衣を火に焼いて、焼けなければ本物だと思って、負けを認めて仰せに従いましょう。『世間に見当たらない物だから、それを本物だと疑うことなく思おう』と仰いますが、それでもこれを焼いて試してみます」

 翁は、「それは、その通りじゃ」と言って、大臣に、「このように申しております」と言う。大臣が答えて言うには、「この皮は、唐土にもなかったものを、かろうじて探し出し入手したものです。何の疑いがありましょうか」。

「そう疑惑を申さずとも、早く焼いて確かめてごらんなさい」と大臣が言うので、火の中にくべて焼かせたところ、めらめらと燃えた。

「やっぱり、偽物の皮でしたわねぇ」とかぐや姫が言った。大臣はこれを見て、顔は草の葉の色になっていた。かぐや姫は「まぁ嬉しい」と喜んでいた。例の大臣が詠んだ歌の返歌を、箱に入れて返した。

なごりなく 燃ゆと知りせば皮衣かはごろも おもひのほかにおきて見ましを

(皮衣が思いのほかあっけなく燃えると知っていたら、火の外に置いて眺めていましたのに。)

 と書いてあった。そんなわけで大臣は帰っていった。

 世の人々は、「阿部の大臣は、火鼠の皮衣を持っていかれて、かぐや姫と同居なさるそうな。ここにおられますか」などと かぐや姫の家に訊ねる。家人の一人が、「皮は火にくべて焼いたところ、めらめらと燃えたので、かぐや姫は結婚なさいませんでした」と言ったので、これを聞いて、やり遂げられなかったことを「敢え無し(阿部無し)」と言うようになった。

 

 大伴御行の大納言は、自分の家にありとあらゆる人を集めて、「たつの首に五色の光有る珠があるという。それを取って来た者は、望みを叶えてやろう」と言った。

 男衆は、そう言うのを聞いて「殿の仰せは絶対です。ただし、宝珠というものは容易く入手することはできないもの。ましてや竜の首の珠など、どうやって取ればいいのでしょうか」と口々に言った。

 大納言は言った。「主君の臣下というものは、命を捨ててでも、己が主君の命令をかなえるものだと思え。この国に無いわけでも、天竺・唐土に無いわけでもない。この国の海山より竜は昇り降りるものだ。何を考えて、お前たちは難しいことだと言うのか」。

 男衆が「ならば、仕方ありません。難しいことであっても、仰せに従って探しに参りましょう」と言うのを、大納言は見て笑って、「お前たちは私の臣下として名を知られている。主君の命に、どうして背くだろうか」と言って、「竜の首の珠を取りに行け」とて、出立させた。この人々の道中の食糧に加え、殿中の絹、綿、銭など有る限り取り出して、持たせて送り出した。「この者たちが帰るまで、精進潔斎して私は待っていよう。この珠を取るまでは屋敷に帰ってくるなよ」と言ったのだった。

 各自、命令を受けて出発した。「竜の首の珠を取れなければ帰ってくるな」と言われたので、どこでもそこでも、足の向いている方向へ去ろうとしている。「こんな物好きなことをなさって」とこぼし合った。支給された物は、各々おのおの分けて取った。ある者は自分の家にこもり、ある者は自分の行きたいところへ去った。親・主君と言えども、こんな横暴なことを仰せになるとはと、納得いかぬことであるゆえ、大納言をけなし合った。

  大納言の方は、

「かぐや姫を据えるには、並みのようでは見苦しい」と言って、麗しい屋敷を作って、漆を塗り蒔絵を施した壁にして、屋根の上は色々に染めた糸でかせて、内装は、言葉にも出来ない程の綾織物に絵を描いて、部屋ごとに張った。元の妻たちは、かぐや姫と確実に結婚するために追い出し、独りで明け暮らしていた。

 派遣した者を夜昼待っていたが、年を越しても音沙汰も無かった。心もとなく思って、特に忍んで、ただ護衛二人を案内にして、質素な姿で難波の辺りに行って、「大伴の大納言の臣下が、船に乗って竜を殺して、その首の珠を取ったと聞いているか」と問わせたところ、船長は「奇妙な話だ」と笑って、「そんな仕事をする船も無い」と答えたので、「意気地の無いことを言う船長であることよ。何も知らずに、こう言う」と思って、「我が弓の力ならば、竜がいればフッと射殺して、首の珠を取れる。遅いヤツらを待っているものか」と言って、船に乗って、あらゆる海を進むうちに、遥か遠く、筑紫の方の海に漕ぎ出でてしまった。

 どうしたことか、疾風が吹いて、辺りが暗くなって、船を翻弄した。どの方向かも分からず、風は船を海中に引き込むべく渦巻いて、波は船に打ちかかっては撒き散らされて入ってきて、雷は落ちかかってくるかのように閃くので、大納言は困惑して、「未だ、こんなひどい目を見たことがなかった。どうなるのだ」と言う。舵取り(船長)が答えて、「こんなに船に乗って行き来してきたが、未だ、こんなひどい目を見たことはない。船が海の底に沈まなければ、雷が落ちるだろう。もし幸いにも神の助けがあらば、南海に吹き流されるだろう。ひどい主人のもとに仕えて、つまらない死に方をしそうなものだ」と泣いた。

 大納言はこれを聞いて、「船に乗ったら、舵取りの言うことをこそ、高き山と頼むのだ。何故そんな頼りないことを申すのか」と青反吐へどを吐いて言った。舵取りは答えて、「神ならぬ身であれば、何をしてさしあげられるものか。風が吹き、波は激しく、雷さえ頭に落ちかかるようなのは、竜を殺そうと探したから、そうなのです。疾風も竜が吹かせているのです。早く神に祈りなさい」と言う。大納言は、「名案だ」とて、「舵取りの御神おんかみ、聞こしめせ。恐れを知らず、心幼く、竜を殺そうと思っておりました。今より後は、竜の毛一本にすら触りませぬ」と、祝詞のりとを唱えて、立ったり座ったり、泣き泣き呼びかけることを千回ばかりしただろうか、ようやく雷が鳴りやんだ。雷光は小さくなり、風はなお速く吹いていた。

 舵取りは「これはまさに竜の仕業です。この吹く風は、よい方角への風です。悪い方角への風ではありません。よい方角へ向かって吹いています」と言うのだが、大納言は、これを聞き入れなかった。

 三、四日吹いて、岸辺に船を吹き戻した。浜を見れば、播磨はりま明石あかしの浜である。大納言は、「南海の浜に吹き寄せられたに違いない」と思って、息をついてせっていた。

 船にいた男衆がその国の役所に連絡したけれども、国司が訪ねて来ても、起き上がれないで船底に寝ていた。松原にむしろを敷いて、船から降ろしてやった。その時になって、「南海ではなかったのだ」と思って、かろうじて起き上がった姿を見ると、風邪のとても重い人のようで、腹がたいそう膨れ、こっちとあっちの目は、すももを二つくっつけたようだった。これを見て、国司も失笑するのだった。

 大納言は役所に命じて、手輿たごしを作らせて呻き呻き担がれて、家に帰ったのを、どうやって聞きつけたものか、派遣した男衆が帰ってきて、「竜の首の珠を取れなかったからこそ、屋敷へも参れませんでした。珠が取り難いことをお知りになったからには、クビにされることもないだろうとて参りました」と言った。大納言は身を起こして言った。

「お前たち、よく持って来ないでいてくれた。竜は雷神の類であった。その珠を取ろうとして、多くの人々が殺害されそうになった。まして竜を捕らえたりしたならば、また、事もなく私は殺害されただろう。よく捕らえずにいてくれた。かぐや姫っちゅう大悪党のヤツめが、人を殺そうとする企みだったのだ。あの女の家の辺りさえ、今は通るまい。お前たちも行くんじゃないぞ」

 とて、家に少し残っていた品物は、竜の珠を取らなかった者たちに与えた。

 これを聞いて、離縁された元の妻は、腹を抱えて笑った。糸を葺かせて造った屋敷は、鳶、カラスの巣に、糸を皆くわえて持っていかれた。

 世間の人は言った。

「大伴の大納言は、竜の首の珠を取ってこられたのか」

「いや、そうじゃない。御眼おんまなこ二つに、すもものような珠を付けているのさ」

「ああ 食べがたい (あな食べがた)」

 こう言ったことから、世にも言動が合わないことを、「ああ 耐えがたい (あな堪へがた)」と言い始めた。

 

 中納言 石上麻呂足いそのかみまろたりの家に仕えている男衆のもとに、「ツバメが巣食ったら報せなさい」との命が下った。それを聞いて、「何のためにですか」と言う。中納言は答えて、「ツバメの持ちたる子安貝を取るためです」と言った。男衆は答えて、「ツバメを数多あまた殺して見てさえも、腹に入っていないものです。ただし、卵を産む時だけ、どうやってだか出すようで、腹に抱えると申します。人が少しでも見れば消えうせます」と言った。

 また、ある人が言うには、「大炊寮おおいづかさ(食糧庁)飯炊屋いいかしくや(炊事棟)むねの、束柱つかはしらごとにツバメは巣食います。そこに真面目な男衆を率いていって、足場を組み上げて、覗かせれば、多くのツバメが卵を産んでいるでしょう。そうしてから取らせなさい」という。中納言は喜んで、「素晴らしいなぁ、全然知りませんでしたよ。興味あることを教えてくれた」と言って、真面目な男衆二十人ほどを派遣して、足場の上に待機させた。

 屋敷から使いを暇なく出させて、「子安の貝を取りましたか」と問わせた。ツバメは、人が多数上って居るのに怯えて、巣にも上ってこない。このような趣旨の返事をしたところ、聞いて、「どうしたものか」と思い悩んでいると、例の寮の官人・倉津麻呂くらつまろという翁が、「子安貝を取ろうと思し召すなら、方法をお授けしましょう」とて御前に参ったので、中納言は額を突き合わせて向かい合った。

 倉津麻呂が言うには、「このつばくらめの子安貝は、悪い方法で取らせておられます。これでは、取らせることは出来ませぬ。足場に仰々しく二十人の人が上っていれば、近寄ってきません。させるべきことは、この足場を壊して、人を皆退かせて、真面目な人一人を粗籠に乗せて、綱を取り付けて、鳥が卵を産む瞬間に綱を吊り上げさせて、サッと子安貝をお取らせになるのがよろしいでしょう」。

 中納言が言うには、「すごい名案だ」とて、足場を壊し、人は皆帰ってきた。

 中納言は、倉津麻呂に「ツバメが、どんな時に卵を産むと知って、人を上げるべきでしょうか」と言う。倉津麻呂は、「ツバメが卵を産もうとするときは、尾を上げて七度回ってから産み落とすそうです。そこで、七度回ったときに引き上げて、その時に子安貝をお取らせなさい」と言う。

 中納言は喜んで、大勢の人には知らせないで、密かに寮に行って、男衆の中に混じって、昼夜を徹して取らせようとした。倉津麻呂がこのように言ったのを、たいそう喜んで、「うちに仕える者でもないのに、望みを叶えてくれることの嬉しさよ」と言って、衣を脱いで与えた。「夜に、また この寮へ来てください」と言って、帰らせた。

 日が暮れたので、例の寮に行って見ると、本当にツバメが巣を作っていた。倉津麻呂が言うように尾を浮かせて回るので、粗目の籠に人を乗せて吊り上げさせて、ツバメの巣に手を差し入れさせて探ったが、「何もありません」と言う。中納言は、「探り方が悪いから無いのです」と腹を立てて、「私が登って探ります」と言って、籠に乗って吊られ昇って窺っていると、ツバメが尾を掲げて たいそう回った。それに合わせて、手を上げて探ると、手に平たいものが触った。その時に、「私は何か握ったぞ。すぐに下ろしなさい。爺よ、やりましたよ」と言ったので、男衆は集まって、「早く下ろそう」とて、綱を引き過ぎて、綱が切れて、たちまちに、八島やしまかなえ(かまどの神を祭った八個の釜)の上に仰向けに落ちてしまった。

 人々は驚いて、駆け寄って抱き起こした。眼は白目になってのびている。人々は、水をすくって口に入れた。かろうじて生気が戻ったので、次に、鼎の上から手を取り足を取ってさげ下ろした。やっとのこと、「ご気分はいかがですか」と問うと、苦しい息の下から、「ものは少し考えられるが、腰が動かせない……。けれど、子安貝をサッと握り持ったから、嬉しく思える。まず、脂燭しそく(松の木で作った、長さ45cmほどの棒状の灯火器具)をさして来なさい。この貝の顔を見よう」と、頭をもたげて手を広げたところ、ツバメがしておいた古糞を握っていたのだった。

 それを見て、「ああ、甲斐(貝)ないことだ」と言ったことから、思い通りの結果にならないことを、「かいなし」と言った。

 貝ではないことを見ると、気分も悪くなって、唐櫃のふた(担架)に乗せられなくなり、腰は折れてしまった。中納言は、子供じみた行動をして終わったことを、人に知られまいとしたけれど、それを気に病んで、とても衰弱してしまった。貝を取れなかったことよりも、人がそれを聞いて笑うことを日々考え、ただ病んで死ぬよりも人聞きが悪いと、恥ずかしく思っていた。

 これをかぐや姫が聞いて、お見舞いに送った歌に、

年を経て 波立ち寄らぬすみの まつかひなしと聞くはまことか

(長い間、波の打ちせない住吉ののように、お立ちりになりませんでしたが、待つ甲斐もないと聞くのは本当でしょうか。)

とあるのを、人が読んで聞かせた。とても落ち込んで、頭をもたげて、人に紙を持たせて、苦しい体調でかろうじて書いた。

かひはかく ありけるものをわび果てて 死ぬる命をすくひやはせぬ

(甲斐(貝)はこのように(姫からのお見舞いを得られたのだから)有りましたのに、悲嘆のあまり死ぬ命を(かいすくうように)救ってはくださらないのですか。)

 そう書き終えると、息が絶えてしまった。これを聞いて、かぐや姫は、「少し可哀想」と思った。それからというもの、少し嬉しいことを「かいあり」と言った。

 

 さて、かぐや姫の容姿が世にまたとなく素晴らしいことを帝が聞いて、内侍ないし中臣房子なかとみのふさこに、「多くの人の身を虚しく終わらせて結婚しないかぐや姫は、どれほどの女であるか、行って見てまいれ」と言う。房子は承知して出かけた。

 竹取の家は、恐縮して招き入れて対面した。嫗に房子が「帝の仰せで、かぐや姫の容姿が優れているというから、よく見てまいるように、とのことですから参りました」と言うと、「ならば、そのように申します」と言って奥に入った。

 かぐや姫に、「早く、あのご使者に対面しなさい」と言うと、かぐや姫は、「よい容姿でもないのに、どうして会えるでしょう」と言う。「困ったことを言うものですねぇ。帝のご使者を、どうしておろそかに扱えますか」と言うと、かぐや姫は答えて、「帝のお召しのお言葉など、素晴らしいとも思えません」と言って、ますます会おうとはしない。いつもは実の母子のようなのに、とても気が引ける感じに、よそよそしく言うので、思うがままに叱ることができない。嫗は内侍のもとに戻って、「残念ですが、この"ねんね"は強情なものでございますから、お会いしそうにありません」と言った。内侍は、「必ず見てまいれとの仰せがあったものを、見ないでどうして帰ることが出来るでしょう。国王のお言葉を、まさに国に住んでいる者が聞かないことがあるでしょうか。いわれのないことをしないでください」と、慇懃いんぎんな口調で言ったところ、これを聞いて、ますますかぐや姫は言うことを聞くはずもなかった。

「国王の仰せに背いているんですから、早く殺せばよいわ」と言った。

 内侍は帰って来て、このむねを奏上した。帝は聞いて、「多くの人を殺した気性だな」と言って、この件は終わったけれども、なおも想いはやまず、「この女の作戦には負けぬ」と思って、竹取の翁に命じた。

「お前の娘、かぐや姫を差し出せ。顔かたちがよいと聞いて使いを出したけれども、その甲斐もなく会えなかった。こうもけしからぬことが世の習いになるべきではない」

 翁は恐縮して、「この娘は、全く宮仕えしない気でおりまして、もてあましております。そうとはいえ、行って命じましょう」と奏上した。

 これを聞いて、帝は言った。「何故、爺が育てたのに、思い通りにさせられないのか。この娘をもし差し出したならば、爺に官位を、どうして与えないだろうか」

 翁は喜んで、家に帰って、かぐや姫に言い聞かせた。「このように帝が仰せじゃ。それでもなお、お仕えしないのかい」。かぐや姫が答えて言う。

「全然そんな宮仕えをする気はないのに、強いて仕えさせるのであれば、消え失せます。官職・位をいただいて、死ぬだけですわっ」

 翁は、「やめなさい。官位も、我が子を失うのでは、何の意味があろう。それにしても、どうして宮仕えをしないのじゃ。死なねばならないようなことですか」と言う。

「まだ嘘だとお思いなら、仕えさせて、死なないでいるか見ていればいい。沢山の人の、浅くない愛情を無為にしてきたからこそ、昨日今日 帝が仰ることになびいたりしたら、外聞が悪いでしょう」とかぐや姫が言うと、翁は答えて、

「世間の事はどうでもこうでも、お前の命が危ないことこそが大きな問題じゃから、それでもお仕えする気はないということを、行って申そう」とて、参内して「仰せの素晴らしさに、あの子を参らせようといたしますれば、『宮仕えに出せば死にます』と申します。造麻呂みやつこまろの産ませた子ではありません。昔、山で見つけました。ですから、価値観も世間の人とは違うのです」と奏上した。

 帝は、「造麻呂の家は山のふもと近くだ。狩りに出かけるふりをして姫を見ようか」と言う。造麻呂が「大変結構なことです。姫が何も心構えしないでいる時に、ふと行ってご覧下さい。ご覧になれるでしょう」と奏上すると、帝は即座に日を定めて、狩りに出かけて、かぐや姫の家に入って見ると、光満ちて清らかな様子で居る人がある。

「これだろう」と思って、逃げて部屋に入ろうとした袖を捕らえると、顔を隠しているけれども、最初に(隠す前に)よく見ていたので、類なく素晴らしいと思われて、「許さぬぞ」とて、引っ張って連れて行こうとしたところ、かぐや姫は答えて奏上した。

「わたくしが、この国に生まれた者であれば仕えさせられるでしょうが、決して連れて行くことは出来ません」

 帝は、「どうしてそんなことがある。それでも連れて行くぞ」とて、輿を寄せたところ、かぐや姫は、パッと光になった。落胆して、悔しく感じて、「本当に ただの人間ではなかったのだ」と思って、「ならば一緒には連れて行くまい。元の姿になっておくれ。それを見てから帰ろう」と言うと、かぐや姫は元の姿になった。

 帝は、いっそう感嘆する思いをせき止めることが出来なかった。このようにして会わせてくれた造麻呂に感謝した。それから、帝に仕える百官を、屋敷の主人(竹取の翁)は豪華にもてなした。

 帝は、かぐや姫を残して帰っていくことを、飽きずに悔しく思ったけれども、魂を残す気持ちでありながら、帰っていった。輿に乗った後で、かぐや姫に歌を贈った。

かえるさの みゆきものうく思ほえて そむきてとまるかぐや姫ゆゑ

(帰るための道行きが物憂く思われて、振り返っては止まる。かぐや姫のために。)

 かぐや姫の返歌。

むぐらはふ 下にも年は経ぬる身の 何かは玉のうてなをも見む

(草むらの茂った下で年を経たわたくしが、どうして宝石の宮殿を見て暮らせるでしょうか。)

 これを帝は読んで、ますます帰ろうという気がなくなった。心には、全く帰りたくないと思ったけれども、とはいえ、ここで夜を明かすわけにもいかないので、帰っていった。

 普段から仕えさせている女性を見ると、かぐや姫の傍にも寄れないほどである。並み以上に美しいと思っていた人は、彼女を思えば人間ですらない。かぐや姫のことだけが心に掛かって、ただ独りで過ごしていた。理由無く妃たちにも通わなくなり、かぐや姫のもとにだけ、手紙を書いて送らせた。

 返事は、さすがに親しく交わし合って、風流に木や草について歌を詠んでは贈った。

 

 このようにして、心を互いに慰めあううちに、三年ばかり過ぎた。その年の春の初めから、かぐや姫は月が風情よく出ているのを見て、いつもよりも物思いをしている様子である。

 ある人が、「月の顔を見るのは、忌まわしいことですよ」と制止したけれども、ともすれば、人目を盗んで月を見ては、激しく泣きじゃくった。七月十五夜の満月に縁先に出て座って、真剣に物思いする風情だ。

 側に仕える人々が、竹取の翁に報告して、「かぐや姫様は、これまでも月がお好きでしたが、この頃は、ただ事ではない様子です。大きな悩みがあるに違いありません。よくよく注意して様子を見てください」と言うのを聞いて、翁はかぐや姫に言った。

「どんな気持ちで、このように物思いする様子で、月を見ているのじゃ。素晴らしい世の中なのに」

 かぐや姫は、「月を見ると、世の中が心細く切なく愛しげに感じられてくるだけです。どうして思い嘆くようなことがあるでしょうか」と言う。しかし、その後もかぐや姫の居るところに行って見れば、やはり物思いしている風情である。これを見て、「我が子の仏様や、何を考えているのじゃ。悩んでいるのは何じゃ」と言うと、「悩みはありません。物事が心細く思われるだけです」と言う。翁は、「月を見るんじゃない。これを見ると、物思いするようじゃないか」と言えば、「どうして月を見ないでいられるでしょうか」とて、それからもなお、月が出れば縁に出て座って、悲しそうにしていた。夕方までは悩んでいる様子は無い。けれど月の頃になると、やはりそうなって、時々は溜息をついたり泣いたりなどする。これを見て、仕える者たちは、「やはり悩み事があるのだ」と囁いたけれども、両親を始め、誰もその理由を何ら知らなかった。

 八月十五日近く、縁先に座って月を見ていて、かぐや姫はとても激しく泣いた。人目も、今は はばからずに泣いた。これを見て、両親も「何事ですか」と問い騒いだ。

 かぐや姫は泣く泣く言った。「前々から言おうと思いながらも、必ず困惑させるだろうと思って、今まで過ごしてきました。そうもしていられなくなったので、打ち明けますわ。わたくしは、この国の人間ではありません、月の都の人です。それを、昔の約束によって、この世界にやって来ました。今は帰らなければならなくなったので、今月の十五日に、あの本国から、迎えに人々がやって来ます。戻らないわけにはいかないので、残していく人たちが嘆くだろうことを考えると悲しくて、この春より、思い嘆いておりました」

 そう言って激しく泣くのを、翁は、「これは、なんということを仰るのじゃ! 竹の中から見つけたと知られてはいるけれど、菜種の大きさでおわしたのを、わしの背丈に並ぶまでに大事に育てた我が子じゃ。それを、何者が迎えに来ると言うのじゃ。絶対に許さん!」と言って、「わしの方こそ死んでしまいたい」とて、泣いて罵ることといったら、気の毒でとても見ていられない感じだった。

 かぐや姫は、「月の都の人で両親がいます。ほんの僅かな間とて、かの国よりやって来ましたが、こうして、この国で長い年月を過ごすことになりました。かの国の両親のことも覚えておらず、ここではこんなに長く楽しく暮らして、慣れ親しんでまいりました。本国に帰るといっても、とても嬉しい気にはならず、悲しいだけです。けれど私の心のままには出来ないので、行かねばならないのです」と言って、諸共に激しく泣いた。仕える人も、姫に長年慣れ親しんで、心ばえなどが上品で美しいことに馴染んでいたから、別れが悲しくてたまらず、湯水も喉を通らずに、両親と同じ気持ちで嘆いていた。

 

 このことを帝が聞いて、竹取の家に使者を遣わした。使者に竹取は会って、泣くことといったら限りなかった。このことを嘆くあまりに、髭は白くなり、腰は曲がり、目も泣きただれていた。翁は、今年で(外見が?)五十代ほどだったけれども、物思いすると、あっという間に老人になると見える。

 使者は、仰せ言ととして翁に言った。「とても苦しい思いで悩んでいるというのは、まことか」。竹取は、泣く泣く言った。「この十五日に、月の都から、かぐや姫の迎えがやって来るのです。恐れ多くありがたくもご心配のお言葉をいただきました。この十五日に、軍を派遣していただいて、月の都の人がやって来たら、捕らえさせましょう」。

 使者は帰って、翁の様子を伝えて、言ったことを伝えると、帝はこれを聞いて言った。

「一目見ただけで忘れられぬというのに、日が明けてから暮れるまで、毎日見慣れているかぐや姫を月にやってしまうというのは、どんなにか辛いことだろう」

 その十五日の日、帝は諸官庁に命じて、勅使に少将 高野大国たかののおおくにという人を指名して、六衛府ろくえふ(宮城の護衛を担当する六つの役所)の官人、合わせて二千人を、竹取の家に遣わした。家に行って、塀の上に千人、屋根の上に千人、家人の大勢いるのと共同して、蟻の這い出る隙間もなく守らせた。家人たちも弓矢を装備しており、家の中は女たちに番をさせて、守らせた。

 嫗は、塗籠ぬりごめ(物置)の中にかぐや姫を抱きかかえて入っていた。翁も、塗籠の戸を閉ざして戸口にいた。翁は、「これほど守っているのじゃ。天の人にも負けぬわ」と言って、屋根の上にいる人々に言った。「少しでも物が空をよぎったら、サッと射殺してくだされ」。警備する人々は、「これほどにして守っているところに、たとえコウモリ一匹でも来れば、すぐに射殺して外にさらしてやろうと思っております」と言う。翁はこれを聞いて、頼もしく思った。

 これを聞いて、かぐや姫は言った。

「閉じ込めて守り、戦う企みをしても、あの国の人とは戦えません。弓矢も射ることは出来ません。このように閉じ込めてあっても、かの国の人が来たら、みんな開いてしまうでしょう。戦をしようとしても、かの国の人が来たら、猛々しい心を保てる人は、よもやいません」

 翁は、「迎えに来た人をば、長い爪で眼を掴み潰してやる。その髪を引いて引きずり落としてやる。その尻をまくり出して、大勢の官人に見せて、赤っ恥をかかせてやる!」と腹を立てていた。

 かぐや姫は、「大声で言わないで下さい。屋根の上にいる人たちが聞いたら、とても外聞が悪いわ。こんなにもあった愛情を思いもしないで、去っていくことを悔しく思います。長くいられる約束でなかったから、程無く去らねばならないと思い、悲しいです。親の面倒を少しも見ないで、去っていく道が心安らかなはずはありません。ここ数日も縁に出て、今年一年だけの猶予を願いましたが、全く許されなかったので、あのように思い嘆いていました。お心を惑わして去っていくことは悲しく耐え難いです。かの都の人は、とても清らかで、年老いるということをしません。悩むこともありません。そんな所へ行ってしまうのは恐ろしい。親が老い衰えていく様子を看てさしあげられないことこそ切ないです」と言って、翁は、「胸が痛むようなことを仰るな。麗しい姿の天の使いにも邪魔されるものか」と憤っていた。

 そうこうするうちに、宵(午後7〜9時)も過ぎて、の刻(午前0時)ごろに、家の辺りが昼の明るさも過ぎて光り輝いた。満月の明るさを十も合わせたほどで、その場にいる人の毛穴さえ見えるほどである。大空から、人が雲に乗って降りてきて、地面から五尺(約1.5m)ほど浮いたところに立ち並んだ。

 家の内外の人の心は、物に襲われたようにゾッとして、戦う心も失せてしまった。かろうじて気力を振り絞って、弓矢を放とうとするけれども、手に力もなくなって、萎えて寄り掛かってしまう。そんな中でも、心がしっかりした者は念じて射抜こうとするけれども、矢は外側にそれてしまうので、誰も戦わないで、心地はただ惚けに惚けて見詰め合っていた。

 宙に立っている人たちは、装束の美しいこと、この世のものにはないほどだった。飛ぶ車を一台連れている。羅蓋らがい(薄絹を張った日傘)をさし掛けていた。

 その中に王と思われる人がいて、家に向かって、「造麻呂、出て来い」と言うと、猛々しい思いでいた造麻呂も、酔ったような気分になって、うつ伏せに伏した。

なんじ、幼き者よ。僅かな功徳を積んだことから、汝の助けにとて、ほんの僅かな間とて姫をくだしたものを、長い年月、多くの黄金を授かって、別人のようになってしまった。かぐや姫は罪を犯したので、このような賤しいお前のもとに、しばしの間おわしたのだ。償いの期限が果てたので、このように迎えているのに、爺が泣き嘆くのは不可解なことである。早く返すがよい」と言う。

 翁は答えて、「かぐや姫を養育してさしあげてから二十年余りになります。ほんの僅かな間と言うのは理屈が合いません。きっと、違うところにかぐや姫と申す人がおられるのでしょう」と言った。「ここにおわすかぐや姫は、重い病気ですから、出てこられません」と言うと、その返事は無くて、屋根の上に飛ぶ車を寄せて、「さあ、かぐや姫。汚いところにどうして長くおられるか」と言う。

 立てこもっていたところの戸が、たちまち、すぐに開きに開いた。格子なども、人がいないのに開いた。嫗が抱いていたかぐや姫は外に出た。とどめることが出来なかったので、嫗は ただ振り仰いで泣いていた。

 竹取が混乱して泣き伏している所に近寄って、かぐや姫は「行きたいとは心にも思わないのに、こうして行くのですから、昇っていくのを見送ってください」と言うけれども、「なんのために、悲しいのに見送ってさしあげられるか。わしをどうするつもりで、捨てて昇るのじゃ。連れて行っておくれ」と泣き伏すので、心は乱れた。

「手紙を書き残していきましょう。恋しくなった時は、取り出して読んでください」とて、泣きながら、

 この国に生まれたのならば、嘆かせない時(死ぬ時)まで側で過ごして離れませんのに、かえすがえすも不本意に思います。脱いで置いていく衣を、形見と思ってください。月が出た夜は、見て思い起こしてください。見捨てて行ってしまうことで、空から落ちてしまう心地がします。

と書き残した。

 天人の中の一人に持たせた箱があった。あま羽衣はごろもが入れてあった。また、別の箱には不死の薬が入れてあった。

 一人の天人が言った。「壺のお薬をお飲みください。汚いところの物を召し上がったのですから、ご気分が悪いはずですわ」とて、持って寄って来たので、ちょっと舐めて、少しを形見として脱いだ衣に包もうとすると、ある天人が包ませない。羽衣を取り出して着せようとする。

 その時にかぐや姫は、「少し待ちなさい」と言った。「羽衣を着せられた人は、心が変わってしまうと言います。もう一言、言い残しておくべきことがあります」と言って手紙を書いた。天人は、「遅い」とイライラした。かぐや姫は、「情け知らずなことを言わないで下さい」とて、たいそう冷静に、帝に手紙を書いた。落ち着いた様子だった。

 このように多くの人を派遣して留めようとして下さいましたが、それを許さぬ迎えがやって来て、引っ立てて行きますのは、悔しく悲しいことです。宮仕えをしないままになったのも、このような煩わしい身でございますれば。不心得者だと思っておられたでしょうけれども。強情に承諾しなかったこと、無礼者だと思われたままになることが、心残りです。

 と書いて、

いまはとて あま羽衣はごろも着る折ぞ きみをあはれと思ひ出でける

(今はもう、と天の羽衣を着る時になって、あなたが切なく思い出されてきます。)

 とて、壺の薬をそえて、頭中将とうのちゅうじょうを呼び寄せた。中将に、天人が取って伝えた。中将が受け取ると、サッと天の羽衣を着せ掛けられたので、翁をいとおしい、悲しいと思う気持ちも消え失せた。この衣を着る人は、物思いすることがなくなるので、車に乗って百人ほどの天人を連れて昇って行った。

 

 その後、翁と嫗は血の涙を流して惑乱したが、甲斐は無かった。人が、あの書き残した手紙を読んで聞かせたけれども、「何のために命を惜しむのじゃ。誰のためにじゃ。何もかも意味が無い」とて、薬も飲まず、そのまま起き上がれもしないで病み伏せった。

 中将は、人々を引き連れて宮城に帰ってきて、かぐや姫を戦えずに留められなかったことを、細々と奏上した。薬の壺に手紙を添えて献上した。帝は広げて読んで、たいそう切ながって、物も食べず、遊びなどもしなくなった。大臣・上達部かんだちべを召して、「いずれの山か、天に最も近いのは」と訊ねると、ある人が奏上した。「駿河するがの国にあるという山がこの都にも近く、天にも近うございます」。これを聞いて、帝は歌を詠んだ。

あふことも 涙に浮かぶわが身には 死なぬ薬も何にかはせむ

(かぐや姫に逢う事も出来ず、涙の川に浮かぶ我が身にとって、死なない薬など何の価値があるものか。)

 例の献上された薬に、また、壺をそえて使者に渡した。勅使には、調石笠つきのいわかさという人を選んで、駿河の国にあるという山の頂に持って行くことを命じた。その峰でするべきことを指示した。手紙、不死の薬の壺を並べて、火をつけて燃やすようにと。

 そのことを承って、兵士たちを多数連れて山へ登ったことから、その山を「富士の山(兵士に富む山)」と名付けたのだった。その煙は、未だに雲の中へ立ち昇っていると言い伝えられている。



参考文献
『竹取物語(全)』 角川書店編 角川ソフィア文庫 2001.

※正式な題は、「竹取の翁の物語」となる。紫式部いわく、「物語の出で来はじめのおや」。

 恐らくは、かぐや姫話群の最も中心に位置する小説で、平安時代初期に成立したとされるが、正確な成立時代と作者は判っていない。

 この物語の人気の高さの理由の一つは、様々な読み方ができる点であろう。ある者は、登場人物に現実の人間を重ね見て、風刺物語だと解釈し、またある者は月から来た宇宙人の物語だと見る。親に結婚を強いられて辟易するくだりに共感する人も多いだろう。そして私は、この物語を一人の娘の「死」の物語として読んでしまう。

 自分の寿命がまもなく尽きることを自覚し、あの世から迎えが来る、と怯えて泣く。両親は死なせまいと手を尽くし、最後には抱きしめるが、それも虚しく魂はスルスルと抜け出して行き、死んでしまえば、生きていた頃の感情は消えうせて、ただあの世へ飛び去っていく。そんな悲しい物語だ。

 

 それにしても、《なよ竹のかぐや姫》というと、たおやかで大人しげな姫という印象があるが、実際には、権力をかさにきた求婚に反発して、「死んでやるっ!」「早く殺せばいいわ」と吐き捨てるような過激な娘である。要約文を読んでいると結構気付けない性格だ。

 結末の富士の名前の由来には、不死の薬を焼いたから富士の山と呼んだ、という解釈がある。《兵士が富む》解釈よりも後世のものだそうだが、こちらのほうが一般によく知られているようである。



参考--> 「赫奕姫



かごや姫  日本 山形県最上郡

 むかし、ずっとむかし、あったとな。

 爺さと婆さが、あったとな。

 風が吹いても、雨が降っても、爺さは山さ竹りに、コンカド コンカド 竹をば伐って、綺麗な籠を作っておった。

 ある日のこと、爺さが山へ入ったれば、不思議な竹が一本、キンカラ キンカラ 光っておった。

「まんずまず、何年も何年も竹伐って暮らしてたども、こったら光る竹、見たこともね。裂かねように、傷つけねように、すっかり気ィ張って伐るべし」

 光る金の竹をば伐ると、爺さは急ぎ家さ戻った。

ばんばばんば、この竹、見ろちゃ」

「あれ、あれ、こんげに光る美しい竹なの、見たこともね」

 二人して話しながら、竹の元の方を割ったれば、なんと、親指ほどの女童子おなごわらしが出はったと。

「あれや、めんこい(愛らしい)女童子おなごわらしじゃ。おらに子がねえさけ、神さんの授かり子かもしんね。んだらば、早く名を付けなんねべ」

「ほだども、おらたは籠作る籠屋かごやだもの、かごや姫、とでも付けるがええべ」

「かごや姫、かごや姫、めんこい名だ」

 貧乏な爺さと婆さは、自分の食うもんも かごや姫に食わせて、姫や、姫や、めんこい子やと育てたと。したらかごや姫は、まま食うたびにムクムクと大きくなった。大事に育てられて一つが二つになり、物を言うようになって十になった。

 今では人並みに背も高く、美しいこと限りなし。天女も敵わねほどの立派な姫さまになったから、爺さも婆さも片時も目を離すことが出来なんだ。

「あれ、あれ、こんげ美しい娘になって。はァ、こんだば婿どんの口断りにも苦労すべ」

「おらで一人の娘だもの。嫁ろって、どんな長者様お大尽様でも、嫁にるわけなんねし」

 そうするうちにも、年が来たり暮れたりして、かごや姫は十五になった。

 十五の春、姫はふッと物言わねくなり、家の隅で鬱々と涙こぼしてばかりいるのだった。爺さも婆さも死ぬほど心配して、やれ頭痛むか、胸痛むだかと、仕事も手につかず抱いてばかりおったが、そのうちに秋になった。

 ある日、涙さ拭いて かごや姫は言った。

「お二人様、どうぞ、聞いてけらんせ。長い間、こんげに、こんげに大きく育ててくれて、本当にありがとさんでした。実は、おらは天竺の者ですなや。この十月十五日に、天から迎えが来ますに、おらは爺ちゃと婆ちゃの側にいつまでもいたいから、なんとか、おらどこば捕まえていてけろはや」

 これを聞いた爺さも婆さも、たまげて、たまげて、は、二人して姫を抱いて泣いたとは。

「なや、爺な。なんぼしたて、おらえのめんこい子、天さなの やらんね。迎えに来たって、なんぼしたて、やらんね」

 婆さが泣き泣きさかぶと、爺さもしっかと かごや姫を抱き寄せた。

「ほだとも、ほだとも。なんとしても やらんね。しっかと捕めているべ」

 そうするうちにも十月十五日の夜になったと。

 爺さと婆さが、かごや姫をば ギッチ と抱いて守っておると、カアカアと丸い月が昇り、光りものがサーッと屋根さ飛んで来て、雲のような、霞のような、絹羽二重の衣のようなものを掛けた。爺さも婆さも目が眩んで、ただただ姫をば抱きしめておったが、ふッと風が抜けたと思ううちに、姫の姿は消えてしもうた。

「あれ、あれ、かごや姫」

「おらえの かごや姫、やーい」

 天に向かって爺さと婆さがさかぶと、雲さ乗って天に帰る かごや姫が見えたと。はあ、爺さも婆さも泣いた、泣いた。二人して、かごや姫の名を呼ばっては泣くばかり。

 そのうち、暮らしていかねばなんねし、爺さは泣く泣く山さ竹伐りに行ったと。するとまた、キンカラ キンカラ 光る竹あったもの。爺さがそれを伐って家さ戻り、婆さと二人で割ってみたれば、なんと、竹の中から尽きぬ宝もんがザコザコとこぼれてきたと。米だの、錦だの、金の銭に餅など、後から後から出てきて、それで二人は末長く楽々と暮らしたんだと。



参考文献
『日本の民話(全十二巻)』 松谷みよ子、清水真弓、瀬川拓男、大島広志編著 角川書店

※『竹取物語』で言う《かぐや姫》には《輝く姫》の意味があったのだが、ここでは籠屋の娘だから《かごや姫》となっていて面白い。

 以下、類話を列記する。

竹姫  福井県遠敷郡

 老いた籠屋師が竹伐りに行き、大きな一節を持ち帰って割ろうとすると、中から女の子が出てくる。かごや姫と名付け、子供がなかったので夫婦は大事に育てる。十五夜の朝、天からかごや姫を呼ぶ母の声がする。爺婆はかごや姫を座敷に入れて隠したが、細目に開けて覗いた瞬間、天に呼び戻されてしまった。


参考文献
『日本昔話大成(全十二巻)』 関敬吾編 角川書店 1979.

竹姫  石川県鳳至郡

 爺婆が子供を欲しがっている。

 竹やぶで竹を伐ると、中に小さな子供の格好をした神様がいる。この子を育てる。月から出来た子なので美しく、あちこちから嫁に望まれるが みな断り、王様から欲しいと言ってきたのも断る。

 爺婆に「子供が欲しいと言っていたので子になって来たが、次の十五夜の晩には帰ることになっている」と言い、六月十五夜の晩、舞い上がる。


参考文献
『日本昔話大成(全十二巻)』 関敬吾編 角川書店 1979.


参考 --> 「翼をもらった月

竹姫  埼玉県川越市

 子のない老夫婦がいた。ある日、婆が縁先で糸車を回していると、庭先で赤ん坊が泣いた。拾ってお竹と名付けて育てた。

 お竹は七歳になると奉公に出て、金を貯めて爺にやった。爺が金を胡麻の灰に取られようとするのをお竹が助けた。

 それからもお竹はよく孝行し、流しに袋を下げて飯粒を取っておいて乞食にやるのだった。
 そんなある日、縁先で親の肩を揉んでいた時、急に育ててもらった礼を言って、上に昇ってしまった。

 お竹は大日如来だったのだという。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾編 角川書店 1950.-

竹姫  鹿児島県薩摩郡

 爺さんがあって、貧乏で働きはなし、いっそう(毎日)竹山で仕事をしていた。

 ある日、いつものように竹山へ行って、綺麗な竹を伐ったところが、中から美しい娘の子が出て来た。爺さんは腹身に抱いて、うちへ帰ってきた。大事に育てて、一つが二つになり、物を言うようになって、十になった。すると娘の子は爺さんに向かって、「爺さん、爺さん、長らくありがとうございました。私は天に昇る時が来ました」と言う。「お前が杖柱つえはしらだから、出て行っては困る」と言うと、「赤い飯笥めしげ(ご飯茶碗)と赤い杓子しゃくしを置いていくから、何も暮らしの心配はいらんから」と言うて娘は飛んで行った。

 爺さんがかまどの前へ行ったら、赤い飯笥と杓子があった。釜に水を入れて飯笥を入れると飯が出来、鍋に水を入れて杓子を入れると汁が出来た。爺さんはそれを食べて、死ぬるまで怖いものははしばかりで暮らしたということである。


参考文献
『日本昔話大成(全十二巻)』 関敬吾編 角川書店 1979.

 これら民話の《かぐや姫》は、結婚の要素はいっそう薄く、子供の無い老夫婦に富を与えに来た神の化身、というニュアンスが強くなっている。



斑竹姑娘パヌチウクーニャン   チベット

 金沙江チンシャチアンのほとりに、美しく実り豊かな土地があった。この地の人々は竹を作ることが好きで、金竹、慈竹、水竹、梅竹など、数え切れないほどの種類の竹が山谷を埋め尽くしていたが、中でも好まれていたのは楠竹である。楠竹は、くすのきよりも まだ背が高く、枝葉はまばらで、幹は太く頑丈だ。人々はこの竹を伐って家を作り、橋を架け、籠を編んで、何にでも上手く用いることが出来た。

 だから、たけのこが生えて竹に育つのを、人々は大切に可愛がって見守っていた。たけのこがとても美味しいものだと知っていたし、運び出せばいい値で売れることも知っていたが、誰もたけのこを掘ろうとはしなかった。

 

 金沙江の南岸の崖っぷちに、老いた母親と、ランパ(チベットの言葉で「息子」の意味)という名の十歳ほどの男の子が暮らしていた。家の裏手には二十丈あまりの山地があって、そこに代々育ててきた竹林がある。母子は、この竹林を我が命のように大事にしていた。楠竹は特に可愛がり、自分たちは食べるものさえ満足にないというのに、たけのこに手をつけることは決してなかった。その想いに報いるかのごとく、楠竹は太く立派に育った。

 ところが、災いが舞い込んできた。この辺り一帯を治める領主が、領民の持ち物を全て巻き上げてしまおうと企んだのだ。領主の使いが金沙江を訪れ、人々に「領主様が、たけのこを全て お買い上げになる」と告げた。願うと願わざるとに関わらず、全てのたけのこを取るに足らない金額で買い上げるというのだった。

 しかも、領主は買い上げた たけのこを掘ろうとはしなかった。たけのこを売って手に入る利益はたかが知れている。それよりも、たけのこを生やしたままにして領民に育てさせ、二年も経って立派な竹材に成長した頃に、伐っていかだに組んで金沙江の流れを下り、売りに出せば、大そう儲かるだろうと考えたのだ。領民を踏みつけにして、一の元手を百にする目論見であった。

 ランパと母親の家も、この魔手から逃れる術はなかった。母子は役人の前に頭をこすり付けて容赦を願ったが、無駄であった。それどころか、「領主のために竹林を管理せよ、いつもたけのこを数え、一つでもなくなれば、たけのこではなく竹の値段で弁償せよ」と言うのであった。

 なにをもって弁償しろと言うのか。貧しい母子はじっと涙をこらえ、ひもじさに耐えて、楠竹が日に日に天に向かって伸びていくのを眺めているほかなかった。楠竹が育っていくにつれて母子の悲しみも深まり、流す涙も増していった。その涙が掛かると、不思議なことに、竹に斑点が出来た。涙をはらはらと落とすごとに斑点も多くなった。

 こうして斑点の出来た竹の中に、特に美しいものがあった。けれども、その竹はランパの背丈と同じほどに伸びたとき、それ以上伸びようとはしなくなった。

 ランパは、来る日も、来る日も、竹林へ行っては泣いた。その度ごとに、例の楠竹と背を比べてみたが、竹はいつもランパと同じ背丈のままで、幹や枝葉に付いた涙の跡が、美しい斑点となって増していった。

 一年が過ぎて、竹林は見事に育った。領主は竹を伐るために人を遣わした。ランパと母親は、竹が切り倒されていくのを涙ながらに見守っていた。ついに、ランパと同じ背丈の竹が切り倒されそうとしたとき、母親は役人の前にひざまずいて懇願した。

「この竹は、まだこんなに低くて、お伐りになっても使い道がありません。どうぞご容赦を」

「使えないにしても、これは領主のものだ。伐らずにおくわけにはいかぬ」

 彼らは、刀を振り上げると、この竹に切りつけた。母親は飛びついてその手を止めようとしたが、指を傷つけられ、血を竹の上に滴らせて気を失った。

 ランパが母親を呼び覚ましたとき、役人たちは楠竹をすっかり伐り終えて、川に運んでいるところだった。ランパは、母を助けて家の中で休ませておいてから、役人の隙を見て、あの背の低い楠竹を抱えて崖っぷちに行き、淵の中へ投げ込んだ。役人たちは、あくせくと竹を運んでいたので、誰もこのことに気がつかなかった。

 彼らが立ち去ったのを見届けると、ランパは崖に走って下を覗いた。あの竹は、まだ淵の中でぐるぐる回っている。渦に乗って、川中に漂い出るかと思うと また崖際に漂いつき、波に押し流されるのを拒んでいるかのようであった。

 ランパは数本の蔓を引き抜いて綱を編み、綱の一方を崖の石にしっかりと結びつけると、その綱を伝って、水を飲む猿のように、まだ人の降りたことのない岸壁まで滑り降りた。右手で綱をつかみ、左手を伸ばして竹を掬い上げると、両足で綱を挟んで右手を空ける。綱の端で素早く背中に竹をくくりつけると、開いた両手で ゆっくりと崖をよじ登っていった。

 崖を無事に登り終えると、ランパは地面にパッタリと倒れて、そのまま眠りに陥った。

 どのくらい経ったのか、ランパは泣き声で目を覚ました。目を開けてみると、母親が例の楠竹をぼんやりと眺めている。

 一体どうしたっていうんだろう。泣いてるのは、母さんじゃない。泣き声は竹の中から聞こえてるんだ。

 ランパが その竹を抱えて家に帰り、そっと割いてみると、中に美しい女の子がいた。母親は嬉しさのあまり、今までの憂いを忘れて、急いでその子を胸に抱きかかえた。ランパは、くるりと身を翻して、その子に飲ませるための馬の乳を取りに走った。

 けれども、馬の乳は必要なかった。ランパが戻ってくると、女の子はもうランパと同じ背格好になっていて、母親も抱いていることが出来なくなっていたのだから。

 ランパと母親は、この出来事にビックリしたけれども、この娘を魔物だなどとは少しも疑わず、むしろ天女が天下ったものと考えた。「竹娘」と呼んで家に住まわせ、楽しい生活が始まった。

 それからというものは、母親が家の仕事をして、ランパと娘は畑を作り、竹林に水を注ぎ、山へ狩りに行って、いつも二人で一緒に過ごしていた。

 

 日は飛ぶように過ぎて、ランパは山鷹のように雄々しく、竹娘は雌鹿のように美しく成長した。ランパの歌声は金沙江の流れのように悠々と力強く、応える竹娘の歌声はヒバリのように澄んで響いて、聴く者を恍惚とさせた。美しい自然の中で揺らぐ この二つの花を眺めて、母親はいつも夢見心地に幸せであった。

 ある日、母親は竹娘の手を引いて言った。

「母さんは、本当の娘のようにお前が愛しいのだよ。ランパの嫁になって、いつまでも私から離れないでおくれ」

 竹娘は鈴を転がすように笑って、「ええ」と頷いた。

「でも、三年の間は待ってくださいね」

 どうして三年待つ必要があるのだろうか。それは、ある事件が起こったためであった。

 あの横暴な領主は死んで、その息子は四人の友達と付き合っていた。一人は商人の息子、一人は役人の息子、一人は傲慢な若者、一人は臆病でうそつきの若者である。この五人は、いずれも金持ちで権勢を誇っていたが、誰も本当の学問や能力は持っていなかった。ただ、立派な馬に乗り、上等の着物を着て、毎日遊びまわっているばかりなのだ。

 ある時、彼らは遊びの道すがら、ランパの家の近くの川辺を通りかかった。素晴らしい景色に見とれていると、不意に、鈴を振るような笑い声が竹林の中から聞こえてきた。そっと竹林の中をうかがうと、竹娘と母親が楠竹に水をやっているのが見えた。

 竹娘の美しさに驚いて、彼らは犬のようにハアハアして、舌を出し、よだれを垂らし、半日も立ち去れないでいた。

 運の悪いことに、この時、ランパは親戚の家へ出かけていて、三日経たないと帰ってこられなかった。その上まずいことには、この五人が地位と権力をかさにきて貧乏人の家に乗り込み、我勝ちにと竹娘に結婚の申し込みをしてきたのだ。ランパの母親は、おろおろして、どうしていいものやら見当もつかない。ところが竹娘はニッコリとして、

「ご心配なく。私にお任せください」

と言うと、落ち着き払って若者達の方へ歩み寄り、まず、領主の息子に向かって言った。

「聞けば、どこかの地に、打っても割れぬ金の鐘があるそうですね。それを三年のうちに手に入れてきてくださったら、あなたの妻になりましょう。でも、三年を過ぎたらダメですよ」

 領主の息子は、自分の権力をもってすれば、天下に出来ないことは無いとうぬぼれていたので、すぐさま実行することを誓い、馬に乗って立ち去った。

 竹娘は商人の息子の方に振り向いて言った。

「打っても砕けぬ玉樹が、どこかにあるそうですね。三年以内に取ってこられたら、あなたの妻になりましょう。でも、三年を過ぎればダメですよ」

 商人の息子は、自分の財力をもってすれば、天下に出来ないことは無いとうぬぼれていたので、すぐさま実行することを誓い、馬に乗って立ち去っていった。

 竹娘はまた、役人の息子に言った。

「どこかに、焼いても崩れぬ火鼠の皮衣があるそうですね。三年のうちに探してくることができたら、あなたの妻になりましょう。でも、三年を過ぎたらダメですよ」

 役人の息子は、自分の人脈をもってすれば、天下に出来ないことは無いとうぬぼれていたので、すぐさま実行することを誓って、馬を走らせていった。

 竹娘はまた、傲慢な若者に言った。

「聞けば、どこかの地のツバメの巣に、金の卵があるそうです。それを三年のうちに探してこられたら、あなたの妻になりましょう。でも、三年を過ぎればダメですよ」

 傲慢な若者は、自分は天才で、天下に出来ないことは無いとうぬぼれていたので、すぐさま実行すると誓いを立て、馬に乗って出かけていった。

 竹娘は最後に、臆病で嘘つきの若者に向かって言った。

「聞けば、どこかの地に海竜の首の分水珠があるそうですね。それを三年のうちに取ってこられたら、あなたの妻になりましょう。でも、三年を過ぎたらダメですよ」

 若者は海竜と聞いただけで怖ろしくなったが、つとめて涼しい顔をして、「いや、そんなこと何でもありませんよ」と言い切ると、実行すると誓いを立てて、馬に乗って出かけていった。

 それから三日の後、ランパが帰ってきた。母親から話を聞くと、ランパは憂いに顔を曇らせて竹娘に言った。

「俺は、お前を失うことは出来ない。もしも奴らのうちの誰か、あるいは何人かが、その宝物を探してきたらどうするんだ。一人で何人もの嫁になれるのか」

 娘は朗らかに答えた。

「私がお嫁になりたいのは、あなただけよ。あの人たちは、一人も宝物を取ってくることは出来ないわ」

 ランパは半信半疑で彼女を見やったが、彼女はゆったりと微笑みかけて、ランパを安堵させた。

 

 

 さて、白鳥の肉を食べたがるガマのように、身の程知らずで貪欲な五人はどうしただろうか。

 金鐘を探す領主の息子は、やっとのことでビルマにその鐘があることを知った。けれども、これは辺境を守る警鐘で、勇士が日夜見張っている。領主の息子の権力をもってしても取ってくることは出来ないものだった。それに、この若者はたいそう怠け者でもあって、どんなささいなことでも面倒くさい。最初から実現不可能だと思えることに挑戦しようだなんて、思いもしなかった。

 だが、美しい竹娘を思えば諦めることも出来ない。彼は金鐘を取りに行ったふりをして山奥のとある廟に行き、そこの銅鐘を盗んできて金メッキを施した。そして、それを竹娘の前に運び込むと、自分がいかに苦労してこの鐘を手に入れたかを物語り、竹娘の気を引こうとした。

 竹娘は微笑むと、鋭いきりで銅鐘を一突きした。金箔は剥がれ落ちて、銅鐘に穴が開いた。

 領主の息子は恥ずかしさのあまり物も言えず、そそくさと逃げ出した。竹娘は、銅鐘を戸口へ放り出した。

 

 玉樹を探す商人の息子は、一株の玉樹が通天河のほとりに生えていると聞いた。けれども、山谷を探し歩いて辛酸を舐めるのは嫌なので、わざと「玉樹を取りに行く」と周囲に偽って、北方へ出かけた。そして、腕の立つ漢族の工匠を数人やとって、碧緑の上等な玉(宝石)を用いて、通天河の玉樹と同じようなものを作らせた。それを栴檀せんだんの木で作った化粧箱に収めて、竹娘の面前に運び込み、冒険談を物語って、ひたすら愛情に訴えようとした。

 竹娘がこの玉樹を見ると、確かに美しく貴重なものに見えたので、この宝物を見つけ出したいきさつを細かく問いただした。商人の息子は語り始め、今まさに物語がたけなわという時、ふと、竹娘の顔に笑みが浮かんだ。これを見て、商人の息子は「しめた、彼女の心は もう私のものだ」と思い、表情はでれでれと緩んでニヤけきった。

 と、竹娘が訊ねた。

「後ろに来ているのは、どういう人たちですか?」

 ハッと振り返ってみると、そこにいたのは彼が玉細工を頼んだ工匠たちだったので、さっと血の気が引いた。

 工匠たちは商人の息子を取り押さえて、「どうして賃金を支払わずに姿を消したんだ」と責め立てた。竹娘は軽蔑の冷笑を浮かべて言った。

「どうして、あなたは私やこの人たちを騙したのでしょうか」

 商人の息子は答えることも出来ず、玉樹を抱えて逃げ出そうとしたが、工匠たちに手を引っ張られ、玉樹を打ち砕かれて、よろよろしながら立ち去っていった。

 

 役人の息子は、自分の足で火鼠の皮衣を探しに出かけ、チベットから四川まで訪ね歩いたが、探し当てることは出来なかった。それから北京まで出向いたが、同じことだった。

 一年が過ぎ、二年目の冬になって、彼はやっと松潘ソンパンで、万年雪の深山にある古い廟に、火鼠の皮衣があるらしい、と耳にした。長いことかかってその雪山を探し当てたが、廟は見つからない。それでも粘って雪山を探し歩いたが、見つかったのは、山頂にあった崩れかけた塀や瓦礫だけだった。

 ところが、この瓦礫の中から石箱を発見したのだ。力を込めて蓋を開けてみると、中に黄緞子どんすの包みが入っていた。包みを開けると、果たして、真っ赤な鼠の皮衣があった。彼は有頂天になって、これこそが火鼠の皮衣だと思い、丁寧に包むと、飛び帰って竹娘の目の前へ差し出した。

 そして自分がどのようにして宝を探し出したかを、詳しく物語った。話がのってくると大声で笑い、危険なところへくると、ついには涙まで流して、情感たっぷりに、今にも彼女のために命を投げ出すかのようであった。

 竹娘は、その鼠の皮衣を見やりながら彼の話を聞き終わると、薪を燃やし、その中に皮衣を投げ入れた。皮衣からは、ひとしきり きな臭い匂いがして、二人は立て続けにくしゃみをした。鼠の皮衣が、焼けて灰になってしまったのは言うまでも無い。

 竹娘がフンと鼻を鳴らすと、役人の息子はしょんぼりとうなだれ、馬に乗って逃げていった。

 

 傲慢な若者は、自らツバメの巣の金の卵を探しに出かけていった。

 彼は大勢の部下を引き連れて、ツバメが人家の軒下に作った巣を軒並みひっくり返して歩き、数多くのツバメの巣を突き壊し、沢山の卵を打ち割った。哀れなツバメの親たちは、気が違ったように軒を巡って飛び回りながら、壊される巣を見て悲しい声で啼いている。けれども、彼はとうとう、どの巣からも金の卵を見つけ出すことが出来なかった。

 その様子を見て、情け深い人は心を痛め、正義感のある人は怒りを覚えた。見るに見かねて、ある少年が山の上の摩天楼を指さし、でまかせを言った。

「摩天楼の梁の上に、ツバメの巣があるんだ。その巣の中に金の卵があるよ」

 それを聞くと、傲慢な若者はその真偽を確かめることさえせず、人を引き連れて闇雲に摩天楼へ向かった。

 摩天楼は百八丈の高さがあった。その梁も、当然百八丈の高さがある。顔を上げて見ると、果たして、梁にツバメのつがいがいて、巣が出来ているではないか。そこで「どうにかして取って来い」と部下に命じたが、この高い梁を見て、誰も彼もが首をすくめ、舌を出すばかりである。

 傲慢な若者は口汚く罵りながら、部下に縄を持ってこさせ、その一方の端に金槌を結びつけた。それをブンブンと振り回して投げ上げ、梁に引っ掛けると、縄をじょじょに緩めて金槌を下に降ろした。それから金槌を取り外して桶をくくりつけ、その中に乗り込んで部下に命令した。

「お前ら、愚鈍な怠け牛め。その綱の端を力いっぱい引っ張れ!」

 部下どもは、この方法を間違いなしと見て取ったので、言われるままに引っ張った。一丈引っ張ると、桶は一丈昇った。また一丈引っ張ると、桶は更に一丈高く引き上げられた。傲慢な若者は桶の中で得意になってふんぞりかえり、「どんどん引け」と部下を促した。

 こうして百丈の高さまで昇ると、桶はグラグラと揺れ始めた。百七丈になると、揺れは一層ひどくなった。

 梁の上のツバメは、災いが襲ってきたことを悟った。子供を守るために、鋭い鳴き声を上げて桶の周りをグルグル回ると、敵に打ちかかっていった。雄のツバメは、傲慢な若者に掴み潰されて死んだ。残った雌のツバメは、必死になって若者の顔に体当たりを食らわせ、目の玉をついばんだ。

 傲慢な若者は悲鳴をあげながらも、飛び去るツバメを捕まえようと思わず身を乗り出した。その瞬間、彼は桶から放り出され、遥か下の地面へと墜落していった……。

 彼の死を目の当たりにした部下たちは金沙江に逃げ帰り、その後は山の中で狩りをして暮らした。竹娘を知っていた人が、厚意から、この傲慢な若者の死を報せてくれたので、竹娘とランパはまた一つ、心配事から解放された。

 

 最後の一人は、あの臆病で嘘つきの若者だが、彼もまた幸運には恵まれなかった。

 始めのうち、彼は自分で竜の珠を取りに行こうなどとは思わなかった。海路は危険だし、竜の怒りに触れるのは恐ろしい。自分で危険な目に遭うよりは、人を遣って冒険してもらい、それを自分の幸福に変えるに越したことはないと考えたのだ。そこで金銀や刀や槍を持ち出して、二度、三度と、人を海へと派遣した。

 けれども、それらの人々は馬鹿ではなかったので、金銀や刀や槍を受け取ると、家族もろとも、こっそりと遠い所へ逃げ延びて、安穏に暮らしていた。

 若者は一年待ったが、一人も帰って来ない。

 更に一年待ったが、やはり一人も帰らなかった。

 二年待っていた間、若者は会う人ごとに、竜の珠を取りに人を派遣していることを言いふらしていたので、未だに一人も帰らないとなると、人々の笑いものになった。ついに、彼は「俺が自分で海へ乗り出し、竜の珠を取ってくるつもりだ」と人前で言い切った。

 彼は本当に牛や羊を売り飛ばし、沢山の金銀をかき集めると、供を連れ、船に乗って海原へ漕ぎ出した。ところが、船出して五日も経たぬうちに大風に遭い、大きな木船は風に吹かれて、幾日も幾夜も漂流した。船の乗員は船酔いで倒れ、彼自身も、甲板に横たわってはらわたをよじって吐き出し、頭はくらくら、胸は空っぽになるまで吐き続けた。

 七日目に嵐は静まり、木船は暖かい南の無人島の砂浜に打ち上げられていた。

 部下たちは、海竜の領域を侵して竜王の怒りを招いたからこそ嵐が起こったのだ、と若者を恨んだ。若者は恐ろしさにおろおろして、もう竜の珠など探さない、二度と航海もしないと心に決めたが、全ては遅かった。帰るためのどんな道も見つけ出すことが出来ず、ただ諦めるほかはなかったのだ。そこで部下たちと島に住み着き、永遠に海外に流浪する身と成り果てた。

 その後、若者の航海に従わなかった幾人かの人が、故郷に帰ってきて、これらの消息を竹娘に伝えた。

 

 こうして、竹娘はめでたくランパと夫婦になったのである。



参考文献
『チベットのものいう鳥』 田海燕編 君島久子訳 岩波書店 1977.

※1961年、田海燕によってチベットの民話として発表され、日本には1970年頃、当時大学生だった百田弥栄子女史の卒業論文の形で紹介された。五人の求婚者のくだりは『竹取物語』と酷似しており、ルーツがここにあった、もしくは双方の原型となる伝承が中国にあったのではないかという説は世間を席巻した。

 しかし、現在はその説は否定される傾向にあり、むしろ「斑竹姑娘」の方が ごく近代に『竹取物語』の影響を受けて作られた物なのではないか、という説が優勢である。

 しかし、「斑竹姑娘」の中には中国南部から東南アジア一帯に見られるお馴染みの小さ子譚のモチーフ、「竹筒が水を漂ってくる」「指を傷つけて植物に血が滴り、そこから子供が生まれる」というものも現れており、単純に『竹取物語』を翻案しただけのものではないように、個人的には感じる。

 

 余談だが、「涙が竹に掛かって斑になる」エピソードは、中国の『述異記』にある。

 昔、舜帝が南方の地を巡るうちに病気になった。舜の妃の娥皇と女英はそれを知って彼の元へ駆けつけたが、舜は到着する前に病死していた。娥皇と女英は抱き合って泣きに泣き、その涙が群竹に降り注いで沢山の斑点をつけた。斑のある竹はこうして出来たのだという。

「南方」での話ということになっているので、元は東南アジア近辺の伝承ではないかと思う。「斑竹姑娘」は東南アジア系伝承の影響を濃く受けた物語ではないだろうか。

 

 最後に、どことなく『竹取物語』と「斑竹姑娘」両方に近いイメージを受ける中国南部の少数民族プイ族の神話を紹介する。

岩崗と竹娥  中国 プイ族

 岩崗と竹娥という仲睦まじい夫婦がいた。ところが、悪い領主が竹娥の美貌に目をつけ、岩崗に難題を課して、ついに水牢に投げ込んだ。領主は竹娥を妾にしようと、二人の使者を派遣したが、彼女は憤って河に飛び込み、慌てて留めようとした使者の手の中には彼女の腰のリボンしか残らなかった。

 このリボンは竹娥が子供の頃から十年かけて刺繍したもので、引っ張られたリボンは伸びて虹になり、ついに月に達した。それまで月は黒く光らないものだったが、竹娥が虹に乗って月に入ると、その美しさで白く輝くようになったのだ。

 一方、水牢の中で妻が河に飛び込んだと聞いた岩崗は、怒って牢から脱出し、紆余曲折の末に月に行って竹娥と再会した。

 竹娥は、月で機を織っている。織った錦は美しい雲や霞となり、最も大きく長いものは虹になるのである。


参考文献
『銀河の道 虹の架け橋』 大林太良 小学館 1999.

※月へ去る竹娥は、中国漢族の嫦娥(娥)の伝承にも関連すると思われる。


参考-->「魚娘




inserted by FC2 system